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日蓮ってver.15

1 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/09(火) 21:36:28 ID:???
日蓮ってver.14
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1133533873/l50

 創価学会の教義と日蓮について語るスレッドです。
 創価学会員側の論客歓迎です。
 コテハン推奨。sage推奨。
単レスはなるべくひかえてください。
 スレが荒れる原因になりますので、野次や乱暴な言葉遣い、挑発するような言葉遣いはNGです。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に。

2 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/09(火) 21:37:43 ID:???
スレ立て規制で新スレを建てるのが遅れました。
すみません。
前スレは512kオーバーのため、次レスリンク無しで終わってしまいました。
警告が出ると良いですね。

3 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/09(火) 21:46:05 ID:???
前スレ
>>748
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1133533873/748

反論があるなら具体的にどうぞ。
僕のような宗教に対する語り口は、信仰者からすると宗教を矮小化しているかのような印象をもたれるかもしれませんね。
しかし、それは単に視点の違いからくる誤解だと思います。



>>ecoさん

おひさしぶりです。

正直なところ、ecoさんのレスというのは、相手に多大な負担を強いるようなことが多いと思います。

僕もあまり他人のことを言えないので恐縮ですが、主張内容を簡潔に読みやすく、ということを少し念頭に置いていただけると、雪山童子さんもレスしやすいと思うのですが…。


4 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/09(火) 21:49:33 ID:???
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/

1999年からの、「日蓮って」のログです。

ver.14が立ったのが2005年12月ですから、新スレが立つのはちょうど3年ぶりですね。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 21:59:21 ID:???
5

6 :eco ◆Smw69BiSBo :2008/12/12(金) 13:10:11 ID:???
途中で512kbにしてしまって申し訳御座いません。
wikiの奴はテンプレしてHPにあげた方が、もう少し稼げただろうなぁ〜
・・・と書いてから気付いたことも、あって複雑な想いを少し抱いておりました
申し訳ないです。


なるべく簡潔にまとめる方向へもって行くように努力はしてみます。


7 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2008/12/13(土) 00:15:26 ID:???
ひゃっきまるさんへ
スレ立てご苦労様です。

今忙しいのですが、またよろしくお願いします。

8 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2008/12/13(土) 00:22:43 ID:???
ecoさんへ
ご親切にいろいろありがとうございました。
blogも読ませてもらってます。
話したい事も、教えてもらいたい事もたくさんありますが、またにしますね。
これからもよろしくお願いします。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 03:53:09 ID:???
9

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 04:43:10 ID:???
日蓮

11 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/16(火) 01:28:31 ID:ghZfqtj2
test

12 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2008/12/16(火) 01:31:50 ID:???
規制がかかってなかなか書き込めませんでした…。

>>6 ecoさん
>なるべく簡潔にまとめる方向へもって行くように努力はしてみます。

お気を悪くされるのではないかと心配しましたが、ありがとうございます。


>>7 雪山童子さん

お久しぶりです。
ありがとうございます。
まあ、のんびりやっていきましょう。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:54:11 ID:???
てすと

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 10:56:18 ID:???
【種種御振舞御書】

さる文永五年(1268)正月の十八日に蒙古より日本国に襲来するという
国書がとどきましたが、日蓮がそれより前の文応元年[太歳庚申](1260)
に立案した立正安国論がいま寸分たがわず現実のものとなりました。

此の書は白楽天や仏の未来記にもおとらない、末法時代の不思議な
因縁とでもいいましょうか、もし鎌倉が賢王聖主の治世であるならば
日本国でもっとも大事な政治課題として安国論が採用されて実行され
ていなくてはいけないはずですし、わたくし日蓮には大師号が贈られて
きっと幕府からなんらかのお尋ねもあり、蒙古との戦いの対策について
打ち合わせなどもして、加持祈祷の調伏なども依頼されることでしょう
と思っていましたが、そんな話はさっぱりなかったので、それならと
其の年 (1268) の末十月に十一通の書状を書き留めて鎌倉の各所へ突然
ではあるけれどお届けいたしました。

もしこの国に賢人がいるならば、なんと不思議な事よこれはひとへに
ただ事ではないので、天照太神正八幡宮のこの僧 (日蓮) に問いただして
日本国の助かる方法をあれこれ計らってくれるでしょうと期待しましたが、
書状を使いしたものに悪口雑言をあびせ、適当なことを言って追い返し、
取り付く島もなかったり、返事もなく、または返事はもらったけど上へ
取り次がないなどで、これはちょっと尋常なことではないようです。

たとえ日蓮のような名も知れない坊主の言うことでも国主や政事を見る
立場の人たちに取り次がなくて政道の法などとはとても言えません。
ましてこの事は幕府のえらい人たちだけの身に起こることではなく、
末端それぞれの身にもおおいなる嘆きをもたらすかもしれないのです、
それなのに安国論が採用されないばかりでなく、悪口まで言われるのは
あんまりではありませんか、これはきっと日本国の上から下まですべての
人々が法華経の強敵となって長い時間がたってしまい、災いがつもりつも
って鬼神が人々のからだにとりついてしまい、そこに蒙古から来た国書を
見て度肝を抜かれておかしくなってしまったとしかいいようがあません。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 11:06:51 ID:???
>>14種種御振舞御書のつづき

故事にも殷の紂王比干は諫言を聞かず周の文武王に滅ぼされたり、呉王は
伍子胥のいさめを聞かずむしろ伍子胥を自害させてしまい逆に自分が越王
勾践の手にかかってしまう例もあり、鎌倉もこんなようになってはいけない
と思い、名も命もすてて強く申しあげたのですが、逆に風波が強くなり
竜が育って大きくなると雨もはげしくなるたとえのように、ますます憎ま
れるだけで、ご評定にてはきびしい処分もあり、首をはねるか鎌倉から
追い出すか、弟子や檀家でも所領をもつ者は所領をとりあげて首を切れとか、
あるいは牢に閉じ込めて責めたり、遠国に流罪にすべしなどなど言われる
始末です。

わたくし日蓮はよろこんで待ってましたと元より承知の事でもあり、雪山童子は
羅刹が言い残したのこりの半偈を聞くためにその身を木から飛び降りてささげ・・・
常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく
不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、

これらはどうしたことでしょうとあれこれ考えれば、天台大師は「時に適うのみ
(諸行無常だから絶対的に安心安全なものはないのよ)」と説かれ、章安大師は
「取捨宜きを得て一向にすべからず (自分の良し悪しや好き嫌いで判断しては
ダメだよ)」と記され法華経はひとつの経典ではあるけれど相手に合わせ時に
よりその説き方には万とおりの方便があるようなもので・・・。

(余計な注釈) やっと雪山童子のとこまできたわww 雪山童子が自分の肉体を
ささげるくだりはあまり重要ではない方便ぶぶんで、肝心なのはこの四行の偈

諸行無常 -- 世界に固定されて不変の存在などは、ひとつも存在しない
是生滅法 -- なぜなら世界はつねに生成と消滅を繰り返しているのだから
生滅滅巳 -- そしてその生成と消滅すらも滅してしまう時があり
寂滅為楽 -- 生滅のはての滅というのは、寂しいけれど楽しいものでもあります


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 12:40:24 ID:???
方便の意味を調べるといいね

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 12:57:57 ID:???
>>16
どういうことですか?

18 :滝山:2008/12/31(水) 20:51:09 ID:x/BUALHx
ありゃ?
K1があまりにつまらんので
超々久しぶりに板を覗きにきてみたら
ひゃっき復帰してたんだ。
お前様も飽きない男だねぇ。

まぁ、今さら語り合うこともないし
何も言わないけど。
とりあえず、よいお年を。

19 ::2009/01/02(金) 12:00:47 ID:xuNcfUVk
日蓮正宗は創価学会とは違うのですか?主人の家が熱心な日蓮正宗で、今まで宗教と無縁
だったので、よくわからず結構無理やりさせられてます。宗教自体まったく無知に
近いのですが信者の方は基本的に皆様熱心なのでしょうか?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 12:07:21 ID:xEkMq1Mq
>>19
この世で幸せになるために、日々仏道修行をしていますよ

21 ::2009/01/02(金) 12:28:16 ID:xuNcfUVk
>>20
結婚したら必ず入信??してお経??を唱えないといけないのでしょうか?
今までやったことなので結構抵抗があるのですが・・・。
他の宗教は間違いみたいなことを舅や姑がいうのですが皆様そのようなお考えなのでしょうか?
うまく表現できませんが宗教が生活の一部みたいな感じなのですが。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 13:44:17 ID:???
>>19>>21
スレ違い&板違い。
日蓮正宗への質問・相談は
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1216820492/

23 ::2009/01/02(金) 14:24:16 ID:xEkMq1Mq
>>21
強制されるような宗教ならしなくてもいいですよ
やりたくて、自分から請願してするものです。

創価学会と日蓮正宗は別の宗教です、そこをきちんと
御鑑別くださいね。


24 ::2009/01/02(金) 14:49:43 ID:???
>>22
ありがとうございます 日蓮宗とはまた違うのですね

25 ::2009/01/02(金) 14:55:21 ID:Bw0PZku/
>>23

ありがとうございます 今まで無宗教だったもので よくわからないのですがお仏壇とお経みたいのが以前知り合いの家でみたのに似てたので

あと結婚して姑に 宗教が結婚の条件だったでしょみたいな事を言われて

26 ::2009/01/02(金) 15:00:09 ID:???
>>23

教会 神社 他の仏教のお寺に行ってはいけない 写真も駄目 クロスのアクセサリーは捨てなさい などなど 皆様そうなのかなって

27 ::2009/01/02(金) 15:19:54 ID:xEkMq1Mq
>>26
確かに私たちの宗派、教義は、謗法厳戒といいまして、最終的に説かれた、法華経
つまり日蓮正宗が唯一最高の宗教であります。

しかしお曼荼羅には、アマテラスオオミカミ、鬼子母神など、普段耳にする神様のお名前も書かれています
平たく言うと、南無妙法蓮華経が真ん中にきて、あとそういう神様たちが、支えている、バランスを顕されてる
わけです。 もう先に最高の教えが説かれているのに、日蓮正宗の法華経よりも劣った宗派のお経を唱えなくても
よいという教えが、日蓮正宗、大聖人様の仏法です。


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 15:57:38 ID:???
>>27
S氏、ここはアンチスレです。
スレ主は創価学会員です。

29 :元不良学会員-法華講員もあ ◆HOKKEv2pHo :2009/01/03(土) 00:12:22 ID:wpvkQcS6 ?2BP(1495)
>>26
創価学会では、近年教義を変えました
日蓮大聖人の教えにおいて、他宗の曼荼羅や神札、縁起物などを手元に置いておくことは謗法といいまして、
厳しく禁じられています
しかし、創価学会においては「少なからず自分の所有物としての謗法となるものは処分を推奨する)程度です
厳格には、謗法とは厳しいものでして、他宗の寺社仏閣への参詣から仏法信仰者や御僧侶を悪く言うこと
なども含みます
創価学会では、他宗の寺社仏閣への参詣を容認しています

30 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/01/04(日) 15:17:26 ID:???
ひゃっきまるさんへ
挨拶が遅れまして申し訳ありません。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

31 ::2009/01/06(火) 12:11:05 ID:yz4x5cl1
>>29

おっと これは間違った教え方だよ、神社仏閣参詣は謗法ではないよ、手を合わせるのは駄目だけどね。

第9世 日有上人の化義抄にと、説かれてるよ
第66世 日達猊下も 日有師化義抄略解で説明されてるよ

東方見聞 という御書に 凡(およそ)謗法とは、謗仏謗僧なりとあります。仏様や御僧侶を罵るのが
謗法と、仏さまはお説きです。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 12:54:15 ID:???
>>31
何を血迷っている。
神社仏閣参詣は謗法に決まってるだろう。
さんけい0 【参▼詣】
(名)
スル
[1] 神社やお寺にお参りすること。
お‐まいり〔‐まゐり〕【▽御参り】
名](スル)神仏を拝みに行くこと。参詣(さんけい)。「お不動様に―する」
有師化儀抄
>一、他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なりry
   但し見物遊山なんどには神社へ参せん事禁ずべからず
「日達上人略解」(主意)
他宗謗法の神社に参詣して拝礼をなしry謗法の人の祀る行事に参与することになるから、謗法の人となります。

但し、見物遊覧のため神社を見て廻っても、それを禁止する必要はありません。
有師化儀抄註解(堀日亨上人)
謗法の空社に参詣するは、諸大善神の御意に叶はぬ道理なり、「但し見物・遊行等」とは・信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支なし

33 ::2009/01/06(火) 13:09:37 ID:yz4x5cl1
>>32

ごめんごめん 参詣はたしかにだめ 見物とごっちゃにしてた めんご

血迷ってるの言い方はグサリと来たけどね。。。。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 13:22:30 ID:???
神仏判然令以降は「他宗の神社」も「自宗の神社」も原則存在しない。

35 :32:2009/01/06(火) 16:05:09 ID:???
>>33
申し訳ない。以後は表現に注意し自重します。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 16:16:57 ID:???
>>35

イエイエ((~∇~ )( ~∇~))イエイエ 教えて頂く事はいいことです。
ありがとう


37 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/06(火) 18:32:52 ID:???
新年早々、ひどい風邪にかかってしまい、ご無沙汰でした…。


>>18 滝山

ひさしぶり〜。あけましておめでとう!
このスレはたぶんずっと維持していくと思うよ。
都合が合えばリアルで会いたいね。


38 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/06(火) 18:33:24 ID:???
>>19 >>21 なさん

遅レスですが、お答えします。

創価学会はもともと日蓮正宗の檀家のような位置づけの団体でした(ただし、文字通りの檀家とは少し違う)。

しかし、現在は両者は対立状態にあり、お互いに我こそが正統、ということを主張しています。

基本的な教義はどちらも同じです。

信者の皆が皆熱心かどうかは一概には言えませんが、「非常に熱心な」人も多いです。

日蓮正宗、および創価学会は、自宗以外の信仰はすべて間違っており(無信仰も間違っている)、間違った信仰をすると不幸になる、としていますから、そのような世界観になじめない場合は、ご主人の家とうまくつきあっていくのはなかなか難しいかもしれません。

つまり、あなたが日蓮正宗を信仰できれば、何も問題ありませんが、信仰できないとすれば、一緒に暮らしていくことは大変な苦痛になるだろうと思います。




39 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/06(火) 18:33:48 ID:???
>>30 雪山童子さん

ご丁寧にありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますね。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 19:20:01 ID:???
>>38
非熱心や未活動学会員も多いよ

41 :元不良学会員-法華講員もあ ◆HOKKEv2pHo :2009/01/06(火) 22:31:12 ID:xfO21N11 ?2BP(1495)
>>40
そりゃそうでしょう
それは創価や宗門にとどまらず、あらゆる宗教においてそうです
別にそれを悪いこととは俺個人としては思いません
ただ、富士門流は自行化他(布教を含めた仏道修行)を疎かにすることも謗法としているところは、強い排他性を感じるところです

42 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/07(水) 22:37:43 ID:???
>ひゃっきさん

わ、風邪が酷かったのか…もう大丈夫なの? 治りかけなら無理しないでね。
私もついゴソゴソ起きては、ぶり返して長引いたことあるからさ…。

しかしさ、ここの過去ログサイトのリンク集に↓のように書いてらっしゃるけど、

http://hyakkimaru.nukenin.jp/link.htm
>日蓮正宗の方のサイトですが、唯一性・排他性の教義を突き詰めるとこのような思想にいきつくかと身震いしました。正宗と分かれる前の創価学会の主張はまさにこうしたものでした。

ホント……昨年からの板の状況見たら↑に納得ですよ。最近の他スレの状況は酷いもんです、正宗信者の書き込みで。

以前、乾闥婆さんと↓のようなやりとりをさせて頂いたことがありますが、

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1135333870/96-98
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1135333870/121

↑にやりとりした内、差異を強調する向きでの創価学会の排他性は、
日蓮正宗と離別することで改善された面があるのは事実だと思います。
そして日蓮正宗には、かつての折伏大行進時代の暴力性と社会悪を生んだ排他性が、いまなお温存されている。

一方創価学会については、私の見解に以下のように記して下さった乾闥婆さんのご意見↓が、簡にして要を得た慧眼でしょう。

> 創価学会が差異の強調を希薄化させていったとして、それぞれの差異の尊重に至れるのか、それが課題であると思います。
> 禅や浄土教のあり方をも尊重する組織に至れるのであれば、よいのですが、そうであるには蓮祖を歴史上の一人物として相対化できなければならないのでしょう。

以前から考えていた内容ではありますが、最近の創価板の状況を見るにつけ、かつての差異を強調する向きでの排他性(=日蓮正宗)、
そして現在の差異を無化する向きに変化した排他性(=創価学会)という問題は、どちらも難しい課題であると感じますね…。

43 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/07(水) 22:40:58 ID:???
こっちにも一応案内しとくかな。板中を荒らしてた正宗信者の一人が立てたスレ↓。

創価学会は、日蓮正宗とは無縁の「新興宗教団体」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1231324098/

以降、正宗信者さんの過度の長演説は↑自分たちのスレでどうぞ。

44 ::2009/01/07(水) 23:46:14 ID:???
もう他スレに顔出すなよボケナス。気が向いたら↑に叩きにいってやるからw
正宗厨のそういう卑しさには飽々してるし目障りだ。どのスレにも二度と顔出すなクズ。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 23:49:15 ID:???
>>42-43
春田くん、板中を荒らしまわっているのはアナタだ。
自分でスレ立てして長文連投を好きなだけやるべきでしょう。

46 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/08(木) 09:38:13 ID:???
>>44
はいはい。>>1が読めないのかねぇ。

> スレが荒れる原因になりますので、野次や乱暴な言葉遣い、挑発するような言葉遣いはNGです。

↑こう書いてあるでしょう?
私はスレに応じた対応を心がけてるだけですよ。
各々のスレでの正宗信者の荒らす度合いに応じて、>>44のような手厳しい物言いをすることもあれば、同じ内容を柔らかく書くこともある。

そうした気遣いが出来ないから、二世三世さんスレで正宗教義の正当性をしつこくしつこく訴えて
ウザがられるんでしょう、あなたたちは。他スレでの私の発言を一々張り付けに来てここを荒そうとするのも、
悩める二世三世さんに対して、頼まれもしないのにしゃしゃりでては
「それはニセ本尊の魔の通力だ!」などと食い下がるのも同じです。でっかいお世話です。

>>45
そうですか。では私が板中を荒らしているという主張を、証明できる“文証”をどうぞ。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 10:37:51 ID:???
>>46
>スレが荒れる原因になりますので、野次や乱暴な言葉遣い、挑発するような言葉遣いはNGです。
ローカルルールとして明示がなくても当たり前のこと。
どのスレも掲示板もそんなのは言うまでもない。

>悩める二世三世さんに対して、頼まれもしないのにしゃしゃりでては
ハw貴方は頼まれてカキコしていたのか。
少なくとも貴方が暴言を吐いているスレのスレ主から貴方は注意を受けているが従っていない。
(スレ主が日蓮正宗信徒)
そしてアチコチに新スレを貼り付け荒らし予告をしている。
いいかね。貴方は嫌われているのだ。(アンチからもね)

>そうですか。では私が板中を荒らしているという主張を、証明できる“文証”をどうぞ。
長文連投は立派なマナー違反であり荒らしです。わかりましたね。

48 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/08(木) 22:57:53 ID:???
>>40 >>41 元不良さん

元不良さんがちょっとフォローしてくださったようですが、僕が>>38にて、

>信者の皆が皆熱心かどうかは一概には言えませんが、「非常に熱心な」人も多いです。

といったのは、日蓮正宗や創価学会が、一般的な宗教としてイメージされるものとは若干違う、というニ

ュアンスを含めたかったからです。

冠婚葬祭のときにだけ関係するものではなく、日々の布教活動や唱題・読経などが求められますからね…

。といっても、すでに「な」さんはご存じのようですね。

49 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/08(木) 22:58:49 ID:???
>>42 蛙さん

携帯にメールでお年賀いただいておりましたが、返事もせずすみません…(^_^;
携帯の文字打ちは苦手なので、つい怠けておりました。
風邪はもうほとんど全快しました。お気づかいありがとうございます。

あらためまして、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

ご紹介いただいた蛙さんと乾さんのお話は、現代の日蓮信仰が抱える問題のエッセンスといえますね。

蛙さんご指摘のように、日蓮正宗は「差異を強調する向きでの排他性」に向かっているように僕も思います。

ただ、これは単に、昔の伝統的な解釈での信仰に戻ろう、ということなのでしょう。創価学会は日蓮正宗の教義に独自の解釈を加えている点が多かったので、創価学会と差別化する意味でもその方向に進むのは必然なのでしょう。

一方、創価学会は「差異を無化する向きに変化した排他性」に向かっている、とは一概にいえないと僕は考えています。
創価学会の動向は捉え難いというか…、昔からよく言われているのは「日和見主義」ということですね。時代時代に即して、人々に受け入れやすい、ウケやすい教義解釈に変えているだけのように思うのです。

今の時代は強く他宗を非難することはウケないので、やめているだけのように思います。今後も教義解釈はどんどん変容していくと僕は思っています。

例えば、「池田本仏論」というのは今では冗談にしか聞こえませんが、池田名誉会長が亡くなってから数十年もすれば、そういう教義も出てくるだろうと僕は思っています。

非常に悪い言い方をしてしまえば、日蓮信仰や日蓮が相対化されてしまう、とか、他宗の在り方も尊重できるようになる、とかいったことは創価学会員にとってあまり興味を持たれていないのではないかと僕は思っています。

最終的に「創価学会」という団体が「正しい」「善い」と言えることが重要であり、その根拠はよく分からなくても良い…。あえて言えば、「池田先生は素晴らしい指導者だから」ということが根拠になるのでしょう。



50 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/08(木) 23:13:28 ID:???
>>43 蛙さん

>以降、正宗信者さんの過度の長演説は↑自分たちのスレでどうぞ。


このスレにも確かに、正宗信者さんと思われる書きこみがありますが、僕はそのような書き込みもこのスレの主旨に合っていると思いますので、問題ないと考えています。

ただ、正宗の立場が無条件に正しいという前提であったり、一方的に相手を断罪するかのようなものいいは確かに困ったものですよね…。なぜなら、そこには話し合いの余地がないからです。




このスレは、何らかの立場が正しいという前提に立ったものではなく、議論や話し合いをするためのものです。

現実では創価学会員と正宗信者が顔を合わせて議論する、ということはなかなかできないと思います。それだけに、勝手に相手方を人格までも歪んだ悪い人間、という思い込みも起こりやすいと思います。

お互いの考え・信条、その人の人生・背景を理解した上で話し合いがされることは、大変意義深いことだと思います。



>>47

>長文連投は立派なマナー違反であり荒らしです。わかりましたね。

少なくともこのスレでは、長文連投はマナー違反でも荒らしでもないです…。
悪しからず。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 23:09:25 ID:???
>>50
>現実では創価学会員と正宗信者が顔を合わせて議論する、ということはなかなかできないと思います。

まだ脱会していなければ話には聞くと思うのですが、

法華講員はかつて所属した学会員の再折伏をし学会員は「脱講運動」と称して法華講員宅を訪れる。

双方は互いに直接議論・法論(もどき)をよくしている。

>正宗の立場が無条件に正しいという前提であったり、一方的に相手を断罪するかのようなものいいは確かに困ったものですよね…。

>>44の暴言はホンの一部。

ひゃっきまる氏は結局アンチを無条件に正しいとの思い込みから脱皮できないのでしょうか。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 23:50:04 ID:???
「アンチ」とひと括りにすると正しい間違いも無くなるだろうに。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 23:57:29 ID:???
分かりにくいな。

アンチ全体としては思想も価値観もバラバラなんだから、
「アンチが正しい」も「アンチは間違い」も成り立たない。

ついでに言うと、創価学会が間違ってるからと言って、
日蓮正宗が正しいとは限らない。逆もまた然り。

54 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/10(土) 01:03:20 ID:???
>>51

脱講運動などと、このような場所での掲示板の議論はかなり違うんじゃないですかね…。

脱講運動だと、相手をこっち側の陣営に引き入れる、というのが目的になってきますし、こうした「折伏」とされる行為自体が宗教活動ですしね。

それに、脱講運動がそうそう頻繁にあるとは僕は思っていないです。


>ひゃっきまる氏は結局アンチを無条件に正しいとの思い込みから脱皮できないのでしょうか。

僕は、もうこの板長いんですよね。

8年以上になるでしょうか。アンチの書き込みのほとんどが野卑なものであることはよく知っていますよ。

アンチを無条件に正しいとは全く思っていませんし、また僕自身の考えも、絶対正しいとは思っていません。実際、勘違いを指摘されたことも一度や二度ではないですし、さまざまな人と話をしてきて、考えが変わってきたところもありますから…。

正宗の方の書き込みと思われるものの一部は、はじめから議論をするつもりがないように見受けられるものがあるので、「正宗の立場が無条件に正しいという前提で」書いているんだな、と思うことがあるのです。



55 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/01/12(月) 01:10:24 ID:???
ひゃっきまるさんへ

今日10時半頃家に帰りテレビをつけると、どろろがやっていました。僕はどろろは見た事も読んだ事もないのでもう終わり頃でしたが見ていると、ひゃっきまると言う名前が出てきて驚きました。

ひゃっきまるという名前はここから来たのですね。
スレ違い申し訳ありません。

56 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/15(木) 02:41:17 ID:???
>雪山童子さん

はい、その通りです。

「どろろ」では漢字で、百鬼丸ですけどね…。
手塚漫画は好きで、特に百鬼丸は好きですね。

==========
室町時代末期、武士の醍醐景光は、ある寺のお堂で魔物に通じているという48体の魔像に
願い出て、天下取りの代償として要求の通り自分の子を生贄として48の魔物に差し出す。
その結果赤ん坊は体の48箇所を欠損した体で生まれ、母親と引きはがし化け物としてその
まま川に流され、捨てられてしまう。医者・寿海に拾われた赤ん坊は彼の手により義手や
義足を与えられた。14年後、成長した赤ん坊は百鬼丸(ひゃっきまる)と名乗り、不思議
な声に導かれるままに自分の体を取り戻す旅に出る。
==========
出典:wikipedia

百鬼丸は親のエゴの犠牲になって、不具者として生まれるわけですが、魔物との戦いを通して本来の自分の体を取り戻していきます。

これは「自分探し」というとても普遍的なテーマを扱っているように思います。

子供は親を選べませんから、良かれ悪しかれ、必ず親の影響を受けて育ちます。

無理やり創価学会の問題と結び付けてしまいますが、創価学会2世3世も、「精神の自立」という部分で百鬼丸と同じような運命を背負っているように思います。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 18:12:55 ID:???
>>50
>少なくともこのスレでは、長文連投はマナー違反でも荒らしでもないです…。
>悪しからず。
とのことですから
反法華者がどのような曲解と自己弁護、人格攻撃を信者に向けるかの好例を転載します。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 18:13:26 ID:???
名前: 春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y 投稿日: 2009/01/16(金) 17:48:17 ID:oNPt2Eum
さて、一応元不良学会員へのツッコミをまとめておくか。言っとくが、ツッコミ入れなかった部分も
言い分に納得してる訳じゃないからな。あまりにアホらしいから触れなかっただけで。(笑)

>>669-671
>いったいなにが事実なのか?勝手に腹を立てて醜態をさらしているのはあなたでしょう

全部事実だ。それを強引にすりかえて強弁してるクズがお前。

>MK@法華講氏を最後同情するかの如くレスされているが、彼を追い込んだのは言わずとあんたではないですか!

そう? 私が追い込んだの?
そうは思えないが、それが事実なら光栄だね。正宗厨撃墜1だ。(笑)

…君は何か勘違いしてるようだが、私はMK@法華講氏にこれっぽっちの同情もしてないよ。むしろ卑怯モノとしか見ていない。
彼のS氏への苦言のうち“工作員扱い”は根拠に欠ける言い掛かりだし、それは正宗の名誉を守るための“末端信者切り捨て”だと私は見てる。
だから>>600でもそう指摘した。きみが私のレスを都合よく歪曲して、歪曲した内容に食って掛かってるだけだよ。

――彼は他スレで資料屋さんへも難癖をつけてるが、私はそれに対しても反論があったからね。
彼が遁走したのが本当に私のせいなら実に嬉しいことだが、そりゃ私のレスを買い被り過ぎだろうw

>S氏の自演はおかしいとおもう、彼の妄信は法を下げているのも事実
>S氏はそれを自重すべきですね
>最も、認めるところです

それこそ今さらだな。反論の余地がなくなってから渋々認めておいて、何その上から目線?
――お前、そのレス(>>671)以前にS氏の自作自演を認めて、積極的にヤツの自演荒らしを諫めたことがあったか?

逆にヤツをフォローしてきたろう。まず、これまでそんな荒らしを散々フォローしてきた非を認めて詫びろ。話はそれからだクズ。


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 18:14:03 ID:???
名前: 春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y 投稿日: 2009/01/16(金) 17:49:31 ID:oNPt2Eum
>>919続き

>俺はマルチポストをしていませんが
>自作自演だというのであれば、どのレスでしょうか?

だから、私がいつ“お前に”自作自演だなどと言ったよ? S氏についてはハッキリ証拠と根拠が示せるから指摘しただけだ。
私は、相手が創価であれ正宗であれ根拠もなく非難はしないし、逆にアンチの言動でも誤りならば(仕方なく)指摘してきた。

だから一部のアンチからは嫌われてるし、また板歴が長くアンチ側の問題点もよくご存じのひゃっきまるさんなどは
有難いことに御信頼下さっている。私は、当たり前のことを書いてるとしか思っていない。
お前もS氏のように自作自演をやったかやらないか、私は知らんよ。

――私がお前に対して指摘してきたのは、そんな自作自演やマルチポストを繰り返して板を荒らす正宗厨に味方し、
ずっと荒らし側をフォローしてきたことへの非と責任だ。それによって尚更荒らしは増長し、同じ手口を繰り返してきたんだからな。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230743131/91

↑で指摘した通りだ。お前はこの時も結局嘘をついた。以後、自分も含めて適切な誘導を心がけるのでは無かったのか?
なのにお前は以後も正宗厨を放置しあるいはフォローを続け、それに不都合な私の誘導↓を逆にマルチポストだなどと非難している。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230743131/194
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230652469/187
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1228826188/43

ま、私の誘導に文句があるならそれでも構わんさ。なら自分がきちんと誘導して、自らの言動への責任を果たせ。
それをせずに他人に責任転嫁しては元凶の正宗厨をフォローするから、お前の言動には誠意がない、
単に正宗への批判をそらすための工作にすぎないと指摘しているんだ。巧妙なだけにS氏よりタチが悪い。


60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 18:15:24 ID:???
>>920続き

――お前はこれまで正宗厨の言動を棚に上げ、非は無宗教者の信仰への無理解にあるかの如く責任転嫁して、正宗厨を増長させてきた。
このスレでもそうだし、他スレでもそういうレスを繰り返してきた。付け加えるならMK@法華講氏もな。

……荒らし行為を批判されてるのに、責任転嫁とは図々しいにもほどがある。
よって、お前たちは荒らしと同罪。ひっくるめて正宗厨だ。そう言われるのが嫌なら言動を改めろ。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230743131/206
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230743131/142

さて、続いてお前やMK@法華講氏の↑これらの主張への反論だ。ちと長いログだが、まず↓を見てみろ。

http://homepage2.nifty.com/nonsect/logs/0147.html

↑これは親鸞会という浄土真宗系のカルトの、被害家族掲示板の過去ログの一部だ。ここにもお前たちの同類がいる。
親鸞会は念仏系だが、その被害家族掲示板に“本当の念仏と阿弥陀如来の教え”とやらを説きにきてる訳だよ。

そして、現代ではとうに間違いが明らかになっている浄土真宗側の歴史的な言い分をふりかざし、
それが過ちであり親鸞の本意からも外れるという指摘(私も一部指摘した)には耳を貸そうともしない。
それでいて、自分たちこそ他人を救えると主張し、一方的に独善的な教義を宣伝しておいて、
『これは勧誘ではありません。話をしているだけです』と言い張っている。……実に醜いな? こういう念仏者の姿は。

――私も同じ念仏者として恥ずかしいから、上記の掲示板で彼らの過ちを指摘した。
親鸞会の被害者に目を付けて、その落ち穂拾いで宣教とは実にあさましい限りだ。


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 22:12:47 ID:???
名前: 春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y 投稿日: 2009/01/16(金) 17:53:30 ID:oNPt2Eum
>>921続き

――さて正宗厨。お前たちも“念仏者”の犯した過ちなら公平に見ることが出来るだろう。
↑に示した掲示板の過去ログにおいて、『ここで被害家族目当ての勧誘をするな』と指摘している一般人側が正しいか、
『これは勧誘ではありません。あなた方を救いたいだけです』という念仏妄信者の主張が正しいか、考えてみろ。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1230743131/196
>>正宗信者の皆様
>あなた方がやってる議論は正統か異端かという話でしょうが。
>そんな話はどうでもいい。
>よそへ行って好きなだけやってくれ。
>創価のおかしさは正統―異端という軸では捉えられない。

↑の資料屋さんのご指摘は、“正宗信者”“創価のおかしさ”をどのおかしな思想信仰に変えても当てはまる、普遍的な内容なのだよ。


62 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/17(土) 00:55:29 ID:???
>>57-61

確かに長文連投は荒らしではないですが、このスレの議論のための引用目的でなく、春田の蛙さんの人間性を批判するという目的のために他のスレを転載するというのは、常識に見てどうなのでしょう?



僕はネット上で議論するにあたって、どのような態度の人間に対しても、できるだけ礼儀正しくありたいと思っています。

信仰の問題を扱う上は、それは自分にとっても相手にとっても一番大事なもの、犯してはならないものであるはずなので、特に慎重になる必要があると思っているからです。

また、単なる悪口の応酬になってしまうのは最も不毛な展開です。

議論とは、お互いに相手の考えや人間を尊重する、という双方の了解があって、はじめて成り立つものだと思っています。

相手がそのような態度をとらない場合、あるいはそのような態度が見せかけである場合、困ったことですが、それでも僕の方でまず、真摯な態度を示すように心掛けています(実際はできていないこともままありますが)。

実際、はじめはけんか腰あった人でも、次第に態度を改めてくれることが今までに多くありました。

63 :ひゃっきまる ◆xuSOULGIL. :2009/01/17(土) 00:56:22 ID:???
>>57-61

しかし、そのような態度が絶対正しいと思っているわけではありません。春田の蛙さんは蛙さんで、議論のスタンスを持っていると思いますし、僕はそれに対してあれこれいうつもりはありません。

また、僕と春田さんは共に創価アンチ・正宗アンチではありますが、同じ立場でもなければ全く同じ考えを持っているわけでもありません。

春田さんが誰かと議論している場合、僕があえて春田さんの側に立って、味方になるということはありません。もちろん横レスや弁護をするときもありますが、それはあくまで僕自身の意見を出しているだけです。

春田さんがネット上でいかなる人格であろうと、いかなる議論をしていようと、僕の意見と照らして、間違っていることは間違っていると思うだけだし、正しいと思うことは正しいと思うだけです。

「冷たい」と思われるかも知れませんが、春田さんが僕意外の誰かと行っている議論に、積極的に口出ししようとは思いません。それは春田さんの問題であり、中途半端に介入することは混乱を呼ぶことになると思っています。

ただ、長いつきあいですから、お互いに人間と人間としての尊重や信頼は当然あります。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 02:15:21 ID:???
hosyu

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 05:39:15 ID:???
380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 04:10:49 ID:???
諸人御返事 弘安元年 平賀本土寺蔵

三月十九日の和風竝びに飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生之間の祈請竝びに所願、
忽ちに成就せしむるか。将た又五々百歳の仏記宛も符契の如し。所詮、真言・禅宗等の謗法の
諸人等を召し合わせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為らん。我が弟子等の
出家は主上上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。将た又一閻浮提皆此の法門を仰がん。
幸甚々々。
(意訳)
天下を取れることが私には見えて来た。やはり私は上行菩薩の再誕であった。真言・禅宗等の
謗法者は私の楽説無礙の弁才にたちまち論破され、日本国一同に私の弟子檀那と為るだろう。
サマナは天皇上皇の師となり、在家はみな役人に取り立てられよう。いやいや全世界の征服も
遠くはない。
http://hyakkimaru.nukenin.jp/nichiren_ver14.htm

66 :滝山:2009/01/20(火) 21:34:59 ID:uadK2xtH
>>37 ひゃっき
遅ればせながらあけおめ〜。

>このスレはたぶんずっと維持していくと思うよ。

そうか。
俺もたまに書き込むかもしれないが、
そん時はよろしく。


>都合が合えばリアルで会いたいね。

まぁ東京来る時は声かけてみて。
都合悪くなければ会えると思うよ。

67 :ひゃっきまる:2009/01/24(土) 01:42:33 ID:c5qS2uGU
>>66 滝山

オスw

まあ、過疎スレなんでなんでも書き込んでくれ。

今度再開するときは、お互いにいろいろ進展があるといいねえ。



68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:54:43 ID:pH0W7vH/
What an endless road
http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/
宮田幸一のホームページ
http://hw001.gate01.com/miya33x/
創価学会問題とその周辺
http://siawaseo.exblog.jp/
仏教再考
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/
価値[再]創造
http://renoir.blog.drecom.jp/
島田裕巳official blog
http://blog.livedoor.jp/shhiro/

69 :ひゃっきまる:2009/01/26(月) 00:32:32 ID:???
>>68

有益なリンクありがとうございます。
宮田幸一先生の論文は恥ずかしながら拝見したことがなかったのですが、非常に面白いですね。
じっくり読んでみようと思います。
このスレは宮田先生の論文を中心に話をしていくのが有効なように思いました。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 16:18:51 ID:???
宮田さん、斉藤さん、菅野さん、萩本さん。
当時、宮田さん以外の3人とはよく話をした。
宮田さんは当時もう院生だったのでほとんど話したことがない。

71 :ひゃっきまる:2009/01/27(火) 00:23:59 ID:???
>>70

菅野先生の法華経の講義は受けてました。
とても面白かったのに、はじめ数十人いた受講生が最終的に5人くらいになってしまってましたね。
創価大生はたとえ法華経のことでも、仏教史に興味がないんですね。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 15:23:02 ID:???
ブッダにドグマはなく、菩薩はドグマを棄てた。

ただドグマを棄てた生き方というのは、
言うは易しいけれど、実際は難しい。
それは生き方の上において絶対的な軌範を失うことでもある。

軌範がなければ、時に人は迷走してしまう。
すべてを自分で決定して生きるということは、
自由ではあるが、疲れるし、時に孤立を余儀なくされてしまう。

だから、一つのドグマを棄てた人の多くは、
自由の重さを嫌い、ふたたび新たなドグマのもとに逃避しようとする。
一つの権威を否定した人の多くは、
ふたたび新たな権威のもとに身を投げ出し、ひれ伏そうとする。

やっぱり、その方が楽なんだよ。
型にはまった生き方の方が…
強い者に尻尾を振っている方が…。
http://www.ginpa.com/karagura/letter/k0103.html

山中氏も創価学会の改革は不可能と悟って来られたのだろうか。

73 :滝山:2009/01/27(火) 20:18:12 ID:???
教義を考える上で史料の原本を
検証することは避けて通れないが
アマチュアが筆跡鑑定を行っているのが現状であって、
しかもそれが、宮田氏が言うような
「日蓮の救済の秘儀」を前提としたものであるなら
議論する価値が本当にあるのか疑問に感じざるを得ない。

74 :滝山:2009/01/27(火) 21:12:54 ID:???
一方で既に成立している思想的・哲学的な側面に関しては
由来に関わらず独立して議論・意見交換
することには十分な意味があるだろうと考えている。

また、少なくとも俺の知る限り学会や石山では
日蓮を一人の人間として見ていないため
日蓮から本当の意味で学ぶことがなく、
また学ぼうとさえも思っていないように見える。

自分とは違う隔絶された存在とし、
「指導」として消費してしまうだけであり
それが非常に勿体無いように感じる。

日蓮を我々と同じ一個の人間としてみると
やはり抜きん出た人物であることは疑いようが無く、
その長所や欠点と思われる部分も含めて包括的に
その事跡について、彼の気持ちや考えを
推し量ろうとすることは有意義なものにもなるだろう。

もちろん、そのように事跡を追うことについては
史料をどう解釈するかによっても見解が異なってくるため、
一筋縄でいかなくなる恐れもあるかもしれないが。

75 :ひゃっきまる:2009/01/27(火) 23:39:58 ID:???
>>73-74 滝山

(1)
「日蓮の救済の秘儀」を前提としたものとして教義検証をすること

(2)
既に成立している思想的・哲学的な側面に関して、由来に関わらず独立して議論・意見交換すること

(3)
日蓮を我々と同じ一個の人間としてみて、その長所や欠点と思われる部分も含めて包括的にその事跡について、彼の気持ちや考えを推し量ろうとすること


いずれの立場も、有意義なものであると思う。
(1)に関しては、日蓮を仏とする宗教としては当然の姿勢だろう。
(1)と(2)は密接に絡んだ議論になると思う。

イエス・キリストが生まれたのは12月ではないというのはほぼ確定してるらしいが、それでも、クリスマスの宗教的意義を考えることは不毛ではない。

(3)ももちろん有意義ではあると思うが、こちらはどちらかというと信仰の外からの視点であって、場合によっては(1)や(2)の立場と反する話もあるかもしれない。

信仰者の立場としては、(3)よりもむしろ(1)や(2)の立場をとるのが自然だと思う。

ただ、(3)のような見方や、教義を否定するような歴史的事実(大乗非仏説のような)があるのを前提として、(1)(2)の話をするのでなければ、単なる原理主義になってしまう。それはよろしくないと思う。

まとめると、(1)(2)(3)どの見方も必要だが、読み手が、信仰者として読むのか、宗教学的観点から読むのか、日蓮という生の人物に興味を持って読むのかによって、重点が変わるということではないだろうか。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 00:00:47 ID:???
すべてちゃんとした事実をもとにしなければ、それはフィクションの批評とかわらない。
たとえば新約聖書のなかのイエスの言葉とされるものは何%がほんんものなのか、
そういう解明を聖書学は目指すわけだ。
またフィクションの批評や神話の研究だからといってテキスト批判がいい加減でよい
とかはない。対象がフィクションや神話というだけ。

77 :滝山:2009/01/28(水) 00:59:39 ID:???
>>75
確かに宮田氏のような立場の人達が
(1)を議論する分には有意義だろうね。
で、俺やひゃっきが(1)を取り扱うことに何の意味が?
というのが69を読んで感じた率直な疑問。

>>76
>すべてちゃんとした事実をもとにしなければ、それはフィクションの批評とかわらない。

数百年、数千年前のある特定の人物の言行について、
事実を確定しようとすることそれ自体が
たぶんにフィクションに生きることになるのではありませんか。
より説得力のある説を立てようとしている、
ということ以上のことは人間には言えないものです。

>テキスト批判がいい加減でよいとかはない。

その通りです。
いい加減に思えるから興味も湧かないのです。

78 :滝山:2009/01/28(水) 01:12:10 ID:???
ひゃっきが例えば正統性の問題について
まだまだ語りつくしていないと思っているならば
まぁ(1)は面白いのだろうし、
宮田氏の論文を是非みなさんも読んで議論しましょう、
ということになるのだろうけど。

その辺り、何を求めているのかがイマイチわからないので、
まぁ何が面白かったのかとか言ってもらえると助かるね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 01:16:49 ID:???
>数百年、数千年前のある特定の人物の言行について、
>事実を確定しようとすることそれ自体が
>たぶんにフィクションに生きることになるのではありませんか。

初期経典の中の釈尊の語の数%、福音書のイエスの言葉の数%くらいはほんもの、
その辺は意見の一致に達しているようです。
数百年、数千年前といっても地域によります。中国などは二千年前の無名人のこと
すら調べればわかることも。日蓮の場合は完全な歴史時代で、真蹟遺文もたくさん
あるからほぼ正確なことがわかるかというと、そうでもない、日蓮に関する記録が
ほとんど彼の遺文しかないからです。

80 :滝山:2009/01/28(水) 01:28:16 ID:???
>>79
現存する最古の経典でさえも、
釈尊滅後数百年経過した後に成立した写本に過ぎないのですよ。

学者が事実だと確定したがるのは彼らのモティベーションと
インスピレーションを得る上では止むを得ないかもしれません。
しかし我々までもが学者の言っていることを事実だと
信じてしまうのは危ういのではないと思います。
それでは科学を信仰することになってしまうのではありませんか。

事実だと信じなくても、研究成果の価値を認めることは
十分に可能だと思います。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 01:47:37 ID:???
福音書の場合は正典として編集される過程に幾つも写本があります。
現存のパーリ聖典ははるか後代のものですが、漢訳はそれよりずっと古い。
三蔵は各部派がそれぞれに伝持したので、共通部分に関しては
根本仏教まで遡る可能性は低くないです。

82 :滝山:2009/01/28(水) 02:09:39 ID:???
>>81
相当勉強されているようですね。

>根本仏教まで遡る可能性は低くないです。

正しい表現だと思います。
同意します。

83 :ひゃっきまる:2009/01/29(木) 00:11:38 ID:???
>>77

滝山にとって有意義かは知らないが、俺にとっては面白い問題だよ。

(A君の考え)================
創価学会は唯一正しい宗教である。
他の宗教を信仰すると不幸になる。
それは文献的にも理論的にも実証的にも証明されている。
将来科学的にも証明されるであろう。

だから、世界中の人が創価学会の宗教を信仰しなければならない。
それは世界平和のための活動である。
正しい目的のためには少々強引な手を使っても良い。
================

ステレオタイプに過ぎるかも知れないが、俺が創価学会に対して持っている問題意識は、こういうこと。




84 :ひゃっきまる:2009/01/29(木) 00:12:07 ID:???
(B君の考え)================
創価学会が言っている教義は、歴史学的観点からは正しくない。

だから創価学会は間違ったことを主張した宗教である。
間違った思想に立脚しているため、間違った行動をしている。
================

A君の考えも、B君の考えも、極論だよね。どちらの立場でもない着地点があると思うし、俺はこのスレでそういう話をしたい。

このスレではいろいろな考えの創価学会員と議論したけど、大乗非仏説に代表される現代仏教学の話をしたとき、それらを全く受け入れなかったり、理解しようとしなかったりした人も多かった(A君)。

それらを受け入れることができたのは、はじめからそのことを知っていた人で、そういう人はそれがたいした問題ではない、と思っているようだった。

でも、現代においてどんな風に教義を解釈してどんな風に信仰したら良いか、ちゃんと答えられた人はいなかったように思う。





85 :滝山:2009/01/29(木) 01:20:53 ID:???
ちょっと論点がずれてしまっているけど
俺は日蓮専門家の研究の質に少々疑問を感じているから
それらを基礎として議論することは
あまり興味が湧かないけどなぁって言いたかっただけ。
ひゃっきはそういうことを感じたことが
ないのかな?と思ったのだよ。


>でも、現代においてどんな風に教義を解釈して
>どんな風に信仰したら良いか、
>ちゃんと答えられた人はいなかったように思う。

ひゃっき自身は今の時点ではどう思っている?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 01:34:15 ID:???
>創価学会は唯一正しい宗教である。

宗教団体≠宗教。宗教団体とはある宗教を信仰する人たちが結成した団体。
カルトには宗教団体=宗教の傾向はあるけれども、あからさまなのはやはり
創価学会だけ。

創価学会とは創価学会という団体を信仰する宗教である。

これは唯一創価学会の特色であり、つまり教義なしでこの宗教は成り立ちます。

87 :ひゃっきまる:2009/01/29(木) 03:30:30 ID:???
>>85 滝山

>俺は日蓮専門家の研究の質に少々疑問を感じているから
>それらを基礎として議論することは
>あまり興味が湧かないけどなぁって言いたかっただけ。

あまりその辺の事情は知らないので、これから読んでみようと思ってる。
でも、単純に歴史的事実を追うだけじゃなくて、信仰者としての目から研究する姿勢もあっていいと思ってる。


>ひゃっき自身は今の時点ではどう思っている?

もちろん答えは出てないよ。
歴史的事実(もしくは、現代において最も説得力のある歴史観)を素直に受け入れたら、従来までの教義は否定せざるを得ない。

でも、仏教や法華経は価値あるものだとも思っている。
俺の中での「正しい」「善い」という価値判断の一つの中核になっていると思う。


俺は直感的な部分で創価学会を受け入れられない感覚がある。
端的に言えば、北朝鮮みたいだとか、ナチス政権下のドイツみたいだとか、信者がマインドコントロールされたロボットみたいに見える、言いかえれば、「創価学会員」というペルソナをつけたものどうしの慣れ合いで組織が成り立っているというか…。
それは教義とは全然別の問題なのかも知れないが、今の創価学会がそのままでいいとは思っていない。

88 :滝山:2009/01/29(木) 04:40:43 ID:???
・大乗非仏説について
それは単に小乗と蔑まれた者の批判でしかないと
俺は思っている。

そもそも仏教に小乗も大乗もないだろうし。
仏教とは仏の教えそのものではなくて、
仏を求める人々の営為によって
築き上げられてきた巨大な建造物であり、
それらの人々の営為に敬意を持ち、
自身も真摯に参画しようとする、
それが俺的には仏教徒かなって感じかね。

89 :滝山:2009/01/29(木) 04:41:15 ID:???
・教義について
基本は法華経であり天台の流れを汲んだ、
十界互具と一念三千。
ただし仏界を開くには日蓮の血脈が鍵だという。
問題があるのはただし以下の箇所だろうね。

前者の価値は現代の仏教学の成果を知っても
何ら損なうものではないだろうね。
十界互具と一念三千は現代においても有力な
精神的地図の役割を果たすと俺は思っている。

元々が止観、つまり瞑想を前提としたものなわけだが、
唱題行も瞑想の一バリエーションだと言えるだろう。
ただ教義と行法の関係というものは、
わりあい深いような気もするので
何も知らないズブの素人がいきなり勝手にやると
なにか危険なような気もするね。

また、行法自体に様々なやり方があるし、
また教義・思想性の差によって、同一の行法であっても
得られる結果に違いが生じるかもしれない。

そういう意味でドグマ的なものが発生するのも
止むを得ない部分もあるのかなって思っている。

90 :滝山:2009/01/29(木) 06:48:29 ID:???
>>87
>それは教義とは全然別の問題なのかも知れないが、
>今の創価学会がそのままでいいとは思っていない。

他人のやってることだし、
自分に直接的な害がなく、
法を侵犯していることでないならば、
あまりとやかくは言えないと俺は思っている。

ただ、親とか友達とか個人的な付き合いに関しては
そんなに冷たい態度で接するのも気が引ける。
会話していて、繰り返される嫌な発言があれば
「それを聞くのは嫌だよ」と面倒だけど、
一つ一つ指摘していくとかするしかないのかなと
最近は思ってる。
張り合って議論するとか胸糞悪くなるし、
アホみたいだしね。

91 :ひゃっきまる:2009/01/30(金) 01:39:49 ID:???
>>88 滝山

>・大乗非仏説について
>それは単に小乗と蔑まれた者の批判でしかないと
>俺は思っている。


この術語自体が大乗を批判しているニュアンスがあるからあんまよくないけど、大乗非仏説の内容ってのは、「今まで釈尊が説いていたとされる仏典は、実際には数百年という長い期間の間に段階的に創作されたものである」ってことだよね。

だから、単なる小乗から大乗に対する批判ではないと思うよ。


>仏教とは仏の教えそのものではなくて、
>仏を求める人々の営為によって
>築き上げられてきた巨大な建造物であり、
>それらの人々の営為に敬意を持ち、
>自身も真摯に参画しようとする、
>それが俺的には仏教徒かなって感じかね。


俺も同意だけど、この考え自体が、「大乗非仏説」を前提とした考えだよね。

「釈尊の出世の本懐は法華経である」だとか「爾前経は足代にすぎないから法華経が説かれた後では捨てなければならない」なんて話をする人がいれば、どうしても「大乗非仏説の話は知ってる?」って聞かざるを得ない。


92 :ひゃっきまる:2009/01/30(金) 01:41:09 ID:???
>>89-90 滝山

>基本は法華経であり天台の流れを汲んだ、
>十界互具と一念三千。


十界互具と一念三千は確かに面白いが、少なくとも創価学会において中心的な教義になり得ているかは疑問。

創価学会で今まで何が重要だったかと言えば、それは「唯一性」と「排他性」だったんではないかと思う。

「これが唯一正しい」という思いは、確かに極めて宗教的なものだし、それが爆発的な行動、感情の高揚を引き起こし、創価学会の発展を助けたことは疑いようもないと思う。

その負の側面として、組織が全体主義的になっていったのかも知れない。「正しくなければならない、常勝しなければならない」ということは、「間違いは起こらない、失敗は存在しない」という強迫観念になって、情報統制的な機構になっていったのかな。


>他人のやってることだし、
>自分に直接的な害がなく、
>法を侵犯していることでないならば、
>あまりとやかくは言えないと俺は思っている。

創価学会は俺にとって「親」のような存在だし、今後も信仰はしてなくても普通に関心は持ち続けるだろうと思う。
それに日本にとっても政治に大きな影響力があるわけだし、一般的に関心を持つべき事柄でもある。
個人的に友達とかと議論することはほとんど皆無だけど(たいていの人は議論を避けようとするね)、まだ組織とつながりがあったころは、幹部の人とずいぶん話をしたよ。

93 :滝山:2009/01/30(金) 04:28:32 ID:???
>>91 ひゃっき
>大乗非仏説
俺の考えの前提にはしていないよ。
大乗非仏説は内容的に正しいものとは言えない上に
対象範囲も大乗仏教全体に及んでしまう。

五時八教は六世紀頃の中国人が考えた仏教史であり、
現代において考えられている仏教史、
経典の成立時期とは全く異なっているーー
五時八教を否定するだけこの程度でよく、
必要以上のことを言う必要はないのではないかな。

94 :滝山:2009/01/30(金) 04:29:29 ID:???
>92
>十界互具と一念三千は確かに面白いが、
>少なくとも創価学会において中心的な教義になり得ているかは疑問。

十界互具や一念三千は語句としては後で学ぶが、
「ご本尊に向って題目を唱えると仏界が開く」とか
「己心に仏界がある」などは唱題を始める頃から教わるものだろう。
これが事の一念三千なのだから教義の根幹だよ。
「唱題すると生命力が湧く」とかもこれの延長線上のことだし。

>その負の側面として、組織が全体主義的になっていったのかも知れない。

概ねその通りだと思う。

>創価学会は俺にとって「親」のような存在だし、
>今後も信仰はしてなくても普通に関心は持ち続けるだろうと思う。
>それに日本にとっても政治に大きな影響力があるわけだし、
>一般的に関心を持つべき事柄でもある。

俺の出自でもあるし、関心は持ち続けるだろうけど、
創価学会だけを特別扱いする必要はないとも思っている。
問題はいろいろあるからね。

95 :滝山:2009/01/30(金) 04:50:57 ID:???
93の訂正
>俺の考えの前提にはしていないよ。
>大乗非仏説は内容的に正しいものとは言えない上に
>対象範囲も大乗仏教全体に及んでしまう。

三行目の対象範囲に関しては、
五時八教に対して用いることにへの意見。

俺は様々な観点からみて
大乗非仏説には問題があると捉えているし、
学者達もこの語句を積極的に使っていることは
ほとんどないと思う。

96 :ひゃっきまる:2009/01/31(土) 03:50:41 ID:???
>>93 >>95 滝山

確かに、「大乗非仏説」という言葉はよろしくないね。

正確には「大乗非仏説を巡る仏教史観に関する議論」と言うべきだった(必ずしも「大乗非仏説」が正しいという前提ではなく)。

>五時八教は六世紀頃の中国人が考えた仏教史であり、
>現代において考えられている仏教史、
>経典の成立時期とは全く異なっているーー
>五時八教を否定するだけこの程度でよく、
>必要以上のことを言う必要はないのではないかな。

まあ、確かに日蓮仏法の話だけが話題になるならそれで十分かも知れないね。

ただ、歴史上の人物である釈尊が説いたであろうと推測される教えと、大乗、密教はあまりに違う。
それらを理解した上で、やはり大乗も仏教であると思うならそれはそれでいいと思うし、大乗は仏教ではない、と思う人がいてもそれはそれでよいと思う。

97 :ひゃっきまる:2009/01/31(土) 03:51:26 ID:???
>>94 滝山

唱題行の根拠としての十界互具、一念三千ということなら、>>89に同意。

ただ、個人的な感想を言えば、俺自身は一念三千の法理がどう唱題行につながるのか全く理解できないので(それを覚ったからこそ日蓮が仏とされる由縁なのかも知れないが)、一見すると呪い(まじない)信仰のように見えてしまうときがある。

信仰が強い人というのは、唱題によって何らかの宗教的体験をした人だと思うけど、俺はそういうのがないからね。ある方が普通なんだろうか?
気持ちが高揚してくるとか、気分的な体調を整える効果はあったけど、それはまた違う気がする。





98 :滝山:2009/01/31(土) 08:12:35 ID:???
>>96 ひゃっき
>ただ、歴史上の人物である釈尊が説いたであろうと
>推測される教えと、大乗、密教はあまりに違う。

大乗と密教をひとくくりにしているけど、
初期〜後期にかけてはかなりの相違がある。

少なくとも初期大乗経典を制作した人々は
部派の僧侶達だっただろうと言われているし、
また内容においてもアーガマの記述と
リンクさせている箇所が少なからず存在している。
思想内容もアーガマから初期大乗経典には連続性、
(価値判断からではなく)歴史的な意味での
発展性が認められるだろうとも思う。

また、初期の経典においても、
神秘、神や悪魔などの出現等の描写は存在しており、
大乗経典の表現はそのインフレと言えるかもしれない。
まぁ、例えていえば、初期のドラゴンボールと
末期のドラゴンボールみたいなものだろうという感じ。
(アニメで言えばドラゴンボールZに相当)
後期大乗・金剛乗は他宗教の思想をふんだんに取り込んでおり、
まぁ位置的にはドラゴンボールGTに相当。
鳥山明の手からは完全に離れてしまったねって感じかな(笑

99 :滝山:2009/01/31(土) 08:17:04 ID:???
>>97
>一念三千の法理がどう唱題行につながるのか全く理解できない

ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1194814301/
このスレッドが多少は参考になるかも。
理論上は飛躍していると見なしてもいいのかもしれない。


>信仰が強い人というのは、唱題によって何らかの宗教的体験をした人
>だと思うけど、俺はそういうのがないからね。
>気持ちが高揚してくるとか、気分的な体調を整える効果はあったけど、
>それはまた違う気がする。

宗教的体験といっても大半はミステリアスなものではなく、
おそらく日常的にあるようなことであって、
結局は長期的に見て、宗教的活動によってそれらにボーナス分
上乗せ追加されたと主観的・客観的に感じるかどうかだろうね。
宗教的体験といっても、キリスト教などと違って人間の生活から
かけ離れたものとは通常はならないだろうね。

100 :ひゃっきまる:2009/01/31(土) 11:08:46 ID:???
>>98 滝山

>大乗と密教をひとくくりにしているけど、
>初期〜後期にかけてはかなりの相違がある。

いや、 違いがあるからこそ、区別して大乗、密教と言ったんだよ。
下手すると一千年レベルで成立年代が違うものだから、本来は経典毎に話話をしないといけないわけだけど、ごく大雑把に「大乗と密教」と表現した。


>また、初期の経典においても、
>神秘、神や悪魔などの出現等の描写は存在しており、
>大乗経典の表現はそのインフレと言えるかもしれない。

初期仏教と大乗仏教との違いは、非常に大きな飛躍だろうと思っている。

ドラゴンボールだったら初期と末期で作風が変わっているにしても一応は線形な連続性がある。
これは、釈迦の説いたと推測されるものから、現在の上座部仏教などへの変化くらいなものだと思う。

初期仏教と大乗との違いをたとえるなら、「西遊記」と「ドラゴンボール」くらい違う、と言った方がしっくりくるかな。同じ名前のキャラが登場するけど、世界観は全く違う。

まあ、こんな例え話は意味がないがw

初期仏教(とくに歴史上人物の釈尊が説いたという信頼性が高い部分)と大乗仏教はあまりに違うので、大乗非仏という主張も筋が通ったものだと俺は思っているし、本来釈尊が説いたであろうものを追求するのは仏教徒として自然な姿勢だとも思う。

しかし念のため言うが、俺自身は大乗を仏教に含めていいと思うし、歴史的発展の営みを否定するわけではない。同時に、現代は再び初期仏教の素朴な教えの価値が見直されるべき時代になっていると思う。

101 :ひゃっきまる:2009/01/31(土) 11:09:17 ID:???
>>99 滝山


>宗教的体験といっても大半はミステリアスなものではなく、
>おそらく日常的にあるようなことであって、
>結局は長期的に見て、宗教的活動によってそれらにボーナス分
>上乗せ追加されたと主観的・客観的に感じるかどうかだろうね。
>宗教的体験といっても、キリスト教などと違って人間の生活から
>かけ離れたものとは通常はならないだろうね。

そういうことならむしろ俺的には納得できる。
唱題は奇跡や功徳を期待するものではなく、法華経に対する信仰心をただひたすらに表現するものだ、と言われた方がまだ哲学的に深いと思う。
しかし創価学会では願い事をかなえるために(といっても自力と他力の両方の意味で)唱えるということになってるし、体験談といったら奇跡的な出来事がメインだから、やっぱり題目が魔法の呪文みたいに思えてしまうなあ。

102 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/01/31(土) 11:11:05 ID:???
>>98 滝山さん
突然レス致しまして申し訳ございません。

>少なくとも初期大乗経典を制作した人々は
>部派の僧侶達だっただろうと言われているし、

おそらく、滝山さんの言う「部派」とは大衆部の可能性が高そうに思いますが、学者の見解として私が
把握している範囲では、部派仏教の大衆部と(初期)大乗経典の直接的関係を肯定する考え方を採る
方に出会った事がなく、一般に学者は、それに関して否定的な見解を示しているものと思っております。
できれば、どなたが滝山さんのおっしゃるような立場を採るのか教えていただけるとありがたいのですが…。

それと、まことに勝手な言い種ではありますが、実は滝山さんは、滝山と名が付いたハンドルの方で私が
以前に承知していた方と同一人物とは思えないのですが…。
こちらの理解が不足していたのかもしれませんけれど、以前の滝山氏は、私には創価学会的見解に
ガチガチに漬かった方のようにお見受けしていたのですが、ひゃっきまる氏との間で行われている
ここのところのレスを読ませていただくと、もちろん創価学会における信仰そのものはお持ちなのでしょう
けれど、教条的なお考えではないように思えます。

103 :滝山:2009/01/31(土) 13:08:51 ID:???
>>100 ひゃっき
ひゃっきの言う初期仏教というのは
たぶんスッタニパータのことだろうけれど、
スッタニパータと大乗経典の間には部派仏教がある。
そこを抜かすと議論が乱暴になるように思う。

>本来釈尊が説いたであろうものを追求するのは
>仏教徒として自然な姿勢だとも思う。

大乗仏教徒にとって大乗非仏説を受け入れることは
ゴータマではなく大乗経典を制作した人こそが仏陀なのだ
という認識に改まることと同義だけど、
これもまた自然な姿勢かもしれない。

>現代は再び初期仏教の素朴な教えの価値が
>見直されるべき時代になっていると思う。

難しいところだなぁ。
俺は全面的にはそうは言い切れない。

>体験談といったら奇跡的な出来事がメインだから、
>やっぱり題目が魔法の呪文みたいに思えてしまうなあ。

それはセンセーショナルなものほど記憶に残りやすいからだろう。
俺はたくさん聞いてきたけど、客観的に聞いていて、
奇跡だと思える体験談はあまり聞いたことがないなぁ。
そんなに奇跡がゴロゴロ起こるわけでもないしね(笑
すごくよかったと思えることを本尊と題目のおかげだと捉え、
感謝しているという内容が大多数ではないかな。

104 :滝山:2009/01/31(土) 13:26:20 ID:???
>>102 法律ヲタさん
>滝山さんの言う「部派」とは大衆部の可能性が高そうに思います

いえ、大衆部ではなく上座部のつもりで書きました。
ただ何でそれを読んだのかよく覚えてないため
申し訳ありませんがソースを示すことができません。

>以前に承知していた方と同一人物とは思えないのですが…。

まぁ人間革命したんでしょう(笑

>創価学会における信仰そのものはお持ちなのでしょう

創価学会と考え方を共有しなくなりましたし、
「創価学会における信仰」もしていないと思います。
まだたぶん仏教徒ではあるだろうという認識はしていますが、
直す必要性を感じないクセとか習慣みたいなものだと思います。

105 :滝山:2009/01/31(土) 13:44:45 ID:???
補足
wikiを見て書いたわけではないため傍証ですが。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%B4%BE%E4%BB%8F%E6%95%99

新興の大乗仏教から特に批判を受けたのは上座部系の説一切有部である。
彼らがもっとも多くの比丘を擁していただけでなく、
三世実有・法体恒有を主張し、存在としての法が実在するとしたので、
存在が空であるとした大乗仏教から批判を受けた。
しかし上座部系の法蔵部や経量部の教理は大乗仏教の教理と一致することが多く、
大乗仏教成立の起源に彼らの教理の影響があったと考えられている。

このような対立により、大乗仏教側からは(特に説一切有部に対し)
小乗仏教と蔑称したとされており

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 15:42:09 ID:aoRYFY6K
虐殺扇動、蒙古外れ、チクリ根性、病治せぬ狂人日蓮
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1233060727/l50

107 :乾闥婆:2009/01/31(土) 23:10:30 ID:uMuVYXg8
大乗仏教の起源を伝統仏教の内部におく主張は袴田憲昭氏や佐々木閑氏といった方が展開
されているのではないでしょうか。袴田憲昭氏の『仏教教団史論』などは、7年ほど前に話
題になっていたと思います。購入したまま、時間がないのと、急速にそのあたりへの関心
が薄れたために、未読ですが。

108 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 05:38:27 ID:???
>>103 滝山

>スッタニパータと大乗経典の間には部派仏教がある。
>そこを抜かすと議論が乱暴になるように思う。

部派は部派で歴史上の釈尊の教えを発展させたものだろうと思うよ。
大乗経典が創作と表現されるのに対して、部派の変化はもっと緩やかで連続性が強いものだったろうと思うけど。

現在成立している経典や宗派は置いといて(もちろんそれらも参考にすることはアリ)、実際の釈尊は何を説いたのか、何を覚ったのか、ということを追及する姿勢があっていいと思う。
大昔のことだし結局ははっきりしたことは分からないだろうけど、どの時代でも同じ試みはその時代の最先端の知識で試みられていたんだと思う。

109 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 05:39:03 ID:???
>大乗仏教徒にとって大乗非仏説を受け入れることは
>ゴータマではなく大乗経典を制作した人こそが仏陀なのだ
>という認識に改まることと同義だけど、
>これもまた自然な姿勢かもしれない。

俺はそうとは思えない。
もし経典製作者がブッダ(覚者)なのであったら、ゴータマの名を騙る必要はないと思う。
ゴータマではなく、覚った私(≠神格化された仏、=歴史上人物)が説くのです、という大乗経典があるかは知らないが、もし後時代の仏教徒が自分の覚りを述べたいと思ったら、論蔵として記述するだろう。
大乗仏教とは、端的に言えば、それまでの伝統的な仏教を踏まえつつも、仏の神格化を進め、仏への憧憬を表現したものではないか(見仏思想)。
見仏などの宗教的体験に基づいて経典が創作されたという可能性はあるね。



110 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 05:39:27 ID:???
>>103 滝山

>それはセンセーショナルなものほど記憶に残りやすいからだろう。
>俺はたくさん聞いてきたけど、客観的に聞いていて、
>奇跡だと思える体験談はあまり聞いたことがないなぁ。

そうか。同じ二世でもずいぶん印象が違うんだな。

ところで、よく唱題の数を目標に掲げられたりするけど、あれについてはどう思う?

小学生の頃でも、唱題の数で塗りつぶすぬり絵みたいのがあったな。
俺はこつこつやるタイプじゃないから、あれは精神的にとても負担だった。
今考えれば奇妙だが、毎日唱題しないということがすごく罪なことに思えていたよ。

個人的には、自発的な気持から起こる、心をこめた丁寧な唱題、という方が行らしいと思う。
単なる習慣づけのためやモチベーション維持のための数の目標ということなんだろうか。

とにかく、数を唱えれば唱えるほど良い、という考え方がなぜか創価学会にはあるね。
10時間唱題とか、今となっては良い思い出だけど…w



111 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 05:39:50 ID:???

>>104 滝山

>創価学会と考え方を共有しなくなりましたし、
>「創価学会における信仰」もしていないと思います。

横レスだけど。以前の滝山の様子からすると、なぜだか俺は残念なように思ってしまった。

俺のように組織の運営の在り方や教義に疑問を持って創価学会を離れる人はいくらでもいると思うけど、滝山のようにそういう問題を認識しつつも、あくまで創価学会員であろうとする人はかなり稀有なように思っていたから。

滝山に反論しつつも、「こいつは男気があるなあ」と思ってたというところかな。


112 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 05:40:14 ID:???
>>99 滝山

>>一念三千の法理がどう唱題行につながるのか全く理解できない
>
>ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1194814301/
>このスレッドが多少は参考になるかも。
>理論上は飛躍していると見なしてもいいのかもしれない。

読んでみたが、正直話についていけなかった。
しかし、「はじめに唱題ありき」で、一念三千とのつながりは少なくとも理屈の上での説明は皆無だということらしいね。
勝手な俺の解釈だけど、単に法華経と縁させるという意味で「法華経に帰依いたします」と唱えるってことなんじゃないかな、と思うんだけど。





113 :滝山:2009/02/01(日) 07:47:27 ID:???
>>109 ひゃっき
>俺はそうとは思えない。

ひゃっきがそう思うのはひゃっきの自由だ。
でもそれを強信者に対して言ったとしても無駄なこと、
押し付けとしか捉えられないことは
認めざるを得ない現実であり、既に知っているはずだろう。
ひゃっきの言うことを俺は理解するけれど、
客観的領域に属することと主観的領域に属することを
見誤っているように感じるよ。
例えば、熱烈に愛して連れ添ってきた嫁が経歴査証してたとする。
でも大した問題だとは思わないだろう。
横から「こんな奴とよくもまだ連れ添ってるなぁ」なんて言われたら
むしろ「こんな時だからこそ俺がついてやるんだ」って思うだろう。
そういうものじゃないだろうか。

>大乗仏教とは、端的に言えば、
>それまでの伝統的な仏教を踏まえつつも、
>仏の神格化を進め、仏への憧憬を表現したものではないか

そんなロマンチックなものではないと思うよ。
ゴータマの絶対化は彼の死亡直後から緩やかに始まっており、
部派仏教の時代には既に完成されていただろう。調べてみてくれ。
(仏教において神は仏より下位の存在だから仮に「絶対化」とする)
先に引用したところの「三世実有・法体恒有」も法の絶対化であり、
恐らくは関連があるのではないだろうか。
初期大乗の般若経などはシニカルでギスギスしている。
大乗の出発点である「空」を考えれば、
その製作意図が仏の絶対化でなかったことは明白だと思うが。

114 :滝山:2009/02/01(日) 07:48:04 ID:???
>>110
>そうか。同じ二世でもずいぶん印象が違うんだな。

いやいや、もし客観的に奇跡としか思えないような体験談が
そんなに多かったなら、むしろ信仰すればよかったのでは?

>ところで、よく唱題の数を目標に掲げられたりするけど、
>あれについてはどう思う?

小学生の頃、俺は毎日三十分の唱題を親から強制的に課せられていたけど、
そのおかげで狡賢さと嘘をつくことを身につけてしまったよ(笑
人の弱さ、不浄さ、業の深さを幼くして身をもって知ったということで、
まぁ俺としては別にそれはそれで良かったのかなと(笑

最終的には一日十七時間を自発的にあげるまでになったけどさ。

>以前の滝山の様子からすると、なぜだか俺は残念なように思ってしまった。

俺達ぐらいの年齢でゴータマも日蓮も
既存の組織・集団とは袂を分かっているわけだから、
別に残念がるようなことではないだろうよ。

>>112
唱題行は読経と瞑想の折衷だと思う。
しかし、読経のように字を読める必要性が無く、
瞑想のようなリスクも無い。
健康体なら誰でも特別な指導無しで実行可能。
そうした現実的にはかなり理想的と思える条件、
既に日蓮以前から存在していた事実、日蓮自身の経験的な手応え。
理論的なものを飛び越えさせたのはそうしたことから
ではないかと俺は勝手に思っている。

115 :滝山:2009/02/01(日) 07:51:18 ID:???
つづき
もちろん法華経に対する絶対的な信仰が
根本にあるんだろうけどね。

116 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/01(日) 07:53:20 ID:???
>>104 滝山さん
アハハハハハ、「人間革命」ですか。
なるほど…。
しかし、これは…。  さまざまな意味で驚きました。
「大衆部ではなく上座部のつもり」という点もそうですけれど(これに関して、どなたの説か明確でないのは
残念ではありますが、そのような見解の学者もいるらしいという事は、一応気に留めておくようにいたします。)、
それ以上に、「創価学会と考え方を共有しなくなりました」という点は、本当にびっくりいたしましたよ。

「まだたぶん仏教徒ではあるだろうという認識はしていますが、直す必要性を感じないクセとか習慣みたいな
ものだと思います」とのお話ですが、クセや習慣とするよりは、やはり一つの選択と捉えるべきなのでしょう
けれど、仏教に限らずどの(マトモな)宗教を選択するにせよ無宗教を選択するにせよ、それ自体は何ら
問題のある事だとは思いませんし、もちろん直す必要などある事ではありません。
その選択の上で人間としてどのように生きるかという生きざまこそが、問われるのでしょう。

117 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/01(日) 07:54:19 ID:???
>>107 乾闥婆さん
大変ありがとうございます。
積極的に調べようとまでは思っておりませんが、機会があれば、読んでみようと思います。
今後ともよろしく御教示ください。

118 :滝山:2009/02/01(日) 08:44:20 ID:???
>116 法律ヲタさん
選択ではありません。
今後とも仏教徒でありたいとも
仏教徒であることが自分に不可欠だとも
特別思っていませんし、
俺の中には「仏」というキャラ設定ももうありません。

ただ、自分の思考や認識、語彙の使用等における
クセ、習慣が仏教徒的だろうということを
言っているだけです。

119 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 16:59:34 ID:???
>>113 滝山

>ひゃっきがそう思うのはひゃっきの自由だ。
>でもそれを強信者に対して言ったとしても無駄なこと、
>押し付けとしか捉えられないことは
>認めざるを得ない現実であり、既に知っているはずだろう。

もちろん、信仰の上で何を信じても良いと思っているよ。
現代仏教学を知ったうえで、それでも大乗経典は釈尊が説いたものだ、とする人がいてももちろん自由だ。

俺は、

>>103
>大乗仏教徒にとって大乗非仏説を受け入れることは
>ゴータマではなく大乗経典を制作した人こそが仏陀なのだ

と考えるのが不自然ではないかな(というかそう考える意味がない)、と思っただけだよ。
まあ、実際にそう思っている人がいるかは知らないが(いないと思うけど)、いればどうしてそう考えるのか聞いてみたいね。


>ゴータマの絶対化は彼の死亡直後から緩やかに始まっており、
>部派仏教の時代には既に完成されていただろう。調べてみてくれ。

誤解させたようだが、もともとそういう認識だよ。

120 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 17:00:03 ID:???
>>114 滝山

>いやいや、もし客観的に奇跡としか思えないような体験談が
>そんなに多かったなら、むしろ信仰すればよかったのでは?

俺がよく聞く体験談のパターンとしては、

1.信仰をはじめて、良いことが起こり始める
2.突然、大変な困難が起こる
3.これこそが宿命転換のときだととらえ、一層がんばる
4.奇跡的に困難を乗り越える

というもので、これは他の宗教や、高価な健康食品・健康器具の体験談でもよく聞くものだから、そこになんらかの胡散臭さを感じていたということはあるね。

一つは確率の問題(母数が大きければ起こりがたいことが起こることもある)で、もう一つは体験者もそれを聞く人もドラマ性を求めるもので、元の話が少しずつ変わっていく、ということがあるかな、と。

どちらにしろ、奇跡を期待して信仰するというのは何か違うんじゃないかな、と昔から思っていたし、悪いことがあれば罰、良いことがあれば功徳、と考えるのは都合のよいロジックだな、と。

しかしこうした体験談からは、どんな困難があっても乗り越えるという信仰の姿勢、気概を学ぶことができると思う。理屈抜きで純粋に感動できるということは大事だと思う。


121 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 17:00:39 ID:???
>>114

>俺達ぐらいの年齢でゴータマも日蓮も
>既存の組織・集団とは袂を分かっているわけだから、
>別に残念がるようなことではないだろうよ。

なるほどw
その視点はなかった。

「残念」というのは、以前までの滝山の立ち位置がspecial positionである故に、そのレアさが失われてしまったことの気持ちもあるかな。
さあしかし姜子さんはどう思うかな。


122 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 17:00:57 ID:???
>>114

>唱題行は読経と瞑想の折衷だと思う。
>しかし、読経のように字を読める必要性が無く、
>瞑想のようなリスクも無い。
>健康体なら誰でも特別な指導無しで実行可能。
>そうした現実的にはかなり理想的と思える条件、
>既に日蓮以前から存在していた事実、日蓮自身の経験的な手応え。
>理論的なものを飛び越えさせたのはそうしたことから
>ではないかと俺は勝手に思っている。
>
>もちろん法華経に対する絶対的な信仰が
>根本にあるんだろうけどね。

なるほど。
当時一番の攻撃対象であった念仏に対する意識もあったのかな。


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 17:26:31 ID:b2VNgUhw
Web Boards are not Mail Boxes.These are public utilities.

124 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 17:40:09 ID:???
>>123

参加したかったらどうぞ。
コテハン推奨。sage推奨。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 17:57:39 ID:???
他者の参加を求めたかったら、2人だけのメール交換とは異なる、
すなわち事実に基づいた議論をあらかじめおこなう必要がある。

126 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 18:20:36 ID:???
>>125

批判は具体的にどうぞ。

また、無理に他者の参加は求めませんが?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 18:32:12 ID:???
他者の参加を求めないのならメールでなさればよいのでは?

128 :滝山:2009/02/01(日) 18:57:00 ID:???
>>119
>と考えるのが不自然ではないかな(というかそう考える意味がない)、と思っただけだよ。
>まあ、実際にそう思っている人がいるかは知らないが(いないと思うけど)

いるよ。
まぁ前回のが強い表現だったから少しつっこんだまで。

>>120
たとえば病気の克服など感銘を受ける体験談は確かにある。
それを聞くと病気を克服したその人に対しての敬意は生じるね。

>>121
>その視点はなかった。
まぁここで内面的なことを書くには限度がある。
流したと思ってくれればw

>滝山の立ち位置がspecial position

俺のポジションはよりレアなものに
なったのかもしれないよ?別にどうでもいいけどw

>さあしかし姜子さんはどう思うかな。

あの人が常に気にしていたのは、ここでの発言が与えるROMへの影響だった。
しかしそれは姜子さん自身についても当てはまることだということが
少なくとも最初のうちはあの人自身、気づいていなかっただろう。
自分が正しいと思っていると、自分が与える影響の結果も正しいものになると
考えがえてしまいがちになるかもしれないが、そうとは限らない。
たとえ正しかったとしても、結果の出方は人によって異なるのだから。
ここで与える他者の人生への影響には責任のとりようが無く、
どのように影響するかもわからない。
姜子さんはもう現れないだろうし、ROMすることもないだろう。

129 :滝山:2009/02/01(日) 19:02:12 ID:???
>>127
自由です。
現に貴君は既に参加している(笑

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 19:06:24 ID:???
せめて自分の掲示板でやったらどうだ。
公共心の皆無を誇るとは…。

131 :滝山:2009/02/01(日) 19:29:40 ID:???
>>130
本当に言いたいことは
そういうことではないんだろう?
邪魔臭いのはよせ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 19:39:17 ID:???
掲示板をメールボックスの代わりに使ってかまわないと公言する者に
とりあえず何を言っても無駄だろう。これ以上は2chの判断に委ねる。

133 :滝山:2009/02/01(日) 19:46:59 ID:???
なんだ、結局はコテハン同士が
議論してるのがうざいってことか。

134 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 20:43:55 ID:???
>>123
>>125
>>127
>>130
>>132

公共の場であることは意識しているつもりです。
議論内容はスレの主旨に沿っているつもりだし、内輪だけで通じる話をしているつもりもありません。
昔の滝山の態度や姜子さんに関しては、過去にこのスレで展開されたことですし。

できれば、どのような書き込みに対し、問題があるとあなたが感じているのか、具体的に提示してもらえるとありがたいのですが。

若干の苦言を呈すれば、この創価公明板には、単に悪口をえんえんと書き連ねるものなど、「ひどい」スレが無数にありますが、その中でなぜにこのスレが(しかもsage進行をしている)ことさら公共性がないと言われるのかよく分かりませんね。

135 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 21:05:02 ID:???
>>128 滝山

>いるよ。
>まぁ前回のが強い表現だったから少しつっこんだまで。

ふーん。
まあ、その人に直接どうしてそう思うのか聞いてみないと、なんとも言えないが…。

136 :ひゃっきまる:2009/02/01(日) 21:05:39 ID:???
>>128 滝山
>あの人が常に気にしていたのは、ここでの発言が与えるROMへの影響だった。

>自分が正しいと思っていると、自分が与える影響の結果も正しいものになると
>考えがえてしまいがちになるかもしれないが、そうとは限らない。
>たとえ正しかったとしても、結果の出方は人によって異なるのだから。
>ここで与える他者の人生への影響には責任のとりようが無く、
>どのように影響するかもわからない。


なるほど、確かにそれはちゃんと考えるべき問題かも知れないね。

適切な例えかは分からないが、子供に対していきなり「サンタクロースは本当はいない」と、子供に対する精神的な影響を考慮せず冷たく言い放ってしまっていいのだろうか、ということなのかな。

大人たちがサンタという嘘をつき続ける暖かな理由や、それを信じていることで得られる喜びなどを、「事実はこうだ」というだけで片づけてしまうのは問題があるよね。

ただ俺は、ここが2chというアンチ創価の巣窟であることや、このスレの主旨が教義についての議論であるということで、このスレをわざわざ検索してROMるような人はそれなりの覚悟や大人としての分別を備えたものという前提で良いと思う。

このスレによってなんらかの影響があったとしても、それはその人の自己責任だと思う。

また、俺は今の創価学会を良くないと思っているから、聞く耳を持っている人に対しては自分の考えを伝えることに躊躇はない。


>姜子さんはもう現れないだろうし、ROMすることもないだろう。

それは、姜子さんがこのスレの議論内容に何らかの影響を受けて、もうこういった場所には近づかないようにしよう、と思ったということかな。

137 :滝山:2009/02/01(日) 22:49:52 ID:???
>>136 ひゃっき
>適切な例えかは分からないが、子供に対していきなり
>「サンタクロースは本当はいない」と、子供に対する
>精神的な影響を考慮せず冷たく言い放ってしまって
>いいのだろうか、ということなのかな。

それは領域を限定しすぎかな。
例えば「元気を与える言葉」や「魅力的な言動」でさえ言えるだろう。
俺が想定しているのはあらゆる意味でだからね。

>ただ俺は、ここが2chというアンチ創価の巣窟であることや、
>このスレの主旨が教義についての議論であるということで、
>このスレをわざわざ検索してROMるような人はそれなりの覚悟や
>大人としての分別を備えたものという前提で良いと思う。

それは都合のいい理屈だと言ってしまえばそれまでになる。
そうした前提に当てはまらない人もいることはわかっていると思う。
それでは何も書くなと俺が言いたいのかと言えば勿論そうではない。

書き込むのは基本的には自分の都合で書いていることだと思うし、
もし立派な理由をこしらえたにしても、
それは自分の内面に属することであって、
結果的には意図せず人に害を与える可能性もあるだろうと思う。
覚悟というのは見てもらう人に甘く期待するのではなくて、
まずは書く人こそが持っておくべきではないかな。

>それは、姜子さんがこのスレの議論内容に何らかの影響を受けて、
>もうこういった場所には近づかないようにしよう、と思ったということかな。

逆。影響を与える立場だっただろう。
あの人自身がこの板に人々を引き付けるような役割を
果たすことになろうとは、まったく想定外だったろうからね。

138 :ひゃっきまる:2009/02/02(月) 01:31:54 ID:???
>>137 滝山

なるほど。俺はずいぶん姜子さんを見くびっていたな。

乱暴な言動とは裏腹に、そこまで考え深く、慎ましやかな人だったとは…。

人に与える影響は、まず与える側が考えるべき、ということに深く同意する。

姜子さんがもうここに戻ってこない、ということは>>137の説明で完全に納得したよ。
ちょっと人気者過ぎたからね。

悪意を人に向けることは論外だが、善意からの行動であっても人に与える影響はどう転ぶかわからない。
それが世の中というものだけど、それでも人はそのときそのときでなるべく善いことをしようとがんばるしかないんだろうなあ。


139 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/02(月) 08:55:20 ID:???
>>118 滝山さん
イヤイヤ、そうですか…。 更に驚くだけですよ。
“男子三日会わざれば刮目してみるべし”と言ったところですな、まったく…。
これから滝山さんが更にどのように変わっていくのか、関心を抱きます。

140 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/02(月) 08:56:49 ID:???
>>123>>125>>127>>130>>132
あなたのレスの内容は、事実を捻じ曲げているものとしか思えません。

ここで行われている議論が「事実に基づ」かないというなら、事実を示してそれを具体的に批判すれば
よいだけですし、ひゃっきまる氏は「“無理に”他者の参加は求めません」と当然の事を述べているだけで
あって、アナタの言うように「他者の参加を求めない」としているわけではなく、それどころか、レス>124で
アナタの参加を促しているではありませんか。
その点については、滝山氏もレス>129でアナタの誤解を解くべく触れていますよね。
その他にも言いたい事はあるが、今はこれぐらいにしておきます。(アナタが、何か理解できないことを
更に書き込むなら、こちらも続けさせていただきますよ。その必要がない事を願いますけれどね。)

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 20:41:49 ID:???
>>140日蓮の糞坊主と罵るお前がこのスレでは紳士ですか?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 21:53:10 ID:Zkqnsgcb
日蓮さんが何言ってたか興味ないなぁ
要は法華経でしょ?
無量義経も嘘教典だったらしいし

143 :高橋:2009/02/03(火) 00:36:49 ID:NLDQjTi5
日蓮と言う名前は
「日本の蓮華」と言う意味ですか?
誰か教えてください。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 08:32:23 ID:???
目蓮尊者のパクリでしょ、字が間違えやすいしw

お盆といえぱ必ずこの人が出て来て有名なのと、
お釈迦さまの弟子の中で神通力第一だから、
インチキな加持祈祷をなりわいとしてる日蓮さんと
しては、宣伝効果もネラってるはずよ。

145 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/03(火) 08:39:04 ID:???
どうやら粘着さんが湧いてでるようだから、これ以上スレの皆様に御迷惑をおかけしないように
退散する事と致しますが、しかし、>141に言われた以上は、日蓮の「糞坊主」ぶりに触れておかない
わけにも行きますまい。

日蓮は、自ら“病即消滅”の本尊を作っておきながら、最後は病死ですか。
本尊や法華経の“病即消滅”の効力はどこにあるのですかね?
まさに、日蓮自身がその点に関する現証を示してくれているわけですな。

146 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/03(火) 08:40:50 ID:???
(レス>145の続き)
日蓮は「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)
と言っているそうだが、立正安国論を遺してからもう直ぐ750年が経とうとしているのに、一向に「日本一同に
南無妙法蓮華経と唱」える兆しすらなく、様々な宗教が乱立しているだけであって、殊に、日蓮が積極的に
批判した念仏・禅・真言など、今もって大きな勢力を誇っているが、それにもかかわらず今では日本は国際的に
それなりの地位をえている。
立正安国論その他で日蓮が言っている事など、妄想にすぎないではないか。

具体的に日蓮の言動を問題としだしたらキリがないが、このような日蓮を妄想糞坊主と評する事のどこが
オカシイと言うのかね?
こんな日蓮を大聖人とか崇め奉ることの方が、よほどオカシイではないかね、妄想信者君。

147 :滝山:2009/02/03(火) 09:00:54 ID:???
>>138 ひゃっき
まぁ姜子さんのことに関しては
俺の推測ではあるけどね。

>>143
日月と蓮華の意だろうと思われます。

148 :乾闥婆:2009/02/03(火) 11:47:13 ID:???
>法律ヲタさん

>日蓮は、自ら“病即消滅”の本尊を作っておきながら、最後は病死ですか。

鎌倉期の仏教者が、病気平癒を祈願するため、その曼荼羅に法華経薬王品の一文を掲げる
ことが、それほどおかしいことでしょうか? 祈願したところで病死する人はします。そ
れは鎌倉時代も今も変わらないことでしょう。

>日蓮は「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)
と言っているそうだが、…
立正安国論その他で日蓮が言っている事など、妄想にすぎないではないか。

諸法実相抄は真筆の残らない偽書の可能性のある文書ですので、日蓮の言ったこと、とす
る引用には使わないほうがいいでしょう。しかし、日蓮は活動家であり、その頭目であり、
その信念とするところが檄文のように表現されることは多かったことであろうと思います。
宗教にしろ、政治的信条にしろ、活動家の原動力とは熱狂でしょう。「妄想に過ぎない」の
ではなく、宗教的熱狂こそ、彼らの原動力であり、そういったものが歴史の折々に現れて
社会は変動してゆくのではないでしょうか。それを今の時代に切り離して持ってきて「妄
想に過ぎない」と切り捨てるようでは、歴史的背景をかんがみない表面的な薄っぺらな批
判に堕すると言わざるを得ないのではないでしょうか。

>…このような日蓮を妄想糞坊主と評する事のどこが オカシイと言うのかね?
こんな日蓮を大聖人とか崇め奉ることの方が、よほどオカシイではないかね、妄想信者君。

私は日蓮を大聖人と崇め奉らない人間ですが、日蓮を「妄想糞坊主」とこき下ろすことと
「大聖人」と崇め奉ることとは、歴史的背景と現代社会における整合性を省みない、同等
のレベルの言動であると感じます。もしくは同等の宗教的熱狂(あるいは宗教的逆熱狂)
に駆られた人間の言動であろうかと思います。

149 :高橋:2009/02/03(火) 11:56:11 ID:g38PNxQZ
>147 日月と蓮華の意・・・・・
日月とは「日月燈明仏」の事でしょううか?

150 :高橋:2009/02/03(火) 12:49:57 ID:G6suLcOc
>>146法律さんへ・・・・
「妄想即菩提」じゃだめですか。生き物なんだから。
死んだらそれも無くなるわけで・・・・。


151 :滝山:2009/02/03(火) 13:00:32 ID:???
>>149
違います。
ここは質問スレッドではありません。
まずご自分で調べる癖をつけたほうがよいでしょう。
どこの誰とも分からぬ者に尋ねる程度の
くだらない質問なのですか?

>>150
卑屈ですね。

152 :滝山:2009/02/03(火) 15:22:00 ID:???
>>146
>具体的に日蓮の言動を問題としだしたらキリがないが、
>このような日蓮を妄想糞坊主と評する事のどこがオカシイと言うのかね?

おかしくないでしょうね。
日蓮自身、自分の肉体について「糞袋」と言ってますから(笑

>こんな日蓮を大聖人とか崇め奉ることの方が、
>よほどオカシイではないかね、妄想信者君。

おかしいと言えばおかしい。
まぁ面白いものです。
元々、日蓮本仏論も某氏の表現を借りればレベル1の菩薩を
本仏とするとしているところに本来の面白みがあったはずです。
(今の創価学会では大抵レベルMAX扱いで面白くないものです)
法華経や日蓮においては、そのおかしいところに
無視できない意味があるように思われます。
(曰く、「衆生処遊楽」云々)

153 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/04(水) 08:02:59 ID:???
>>148 乾闥婆さん
これは、思わぬ方からレスを頂戴して…。    大変ありがとうございます。
ただ、今このスレで私が書き続ける事が粘着を引き寄せる事になって、このスレにとって良い結果を
生ずるのか疑問も感じないではありませんが、せっかくの機会でもありますし、少し議論させて
いただく事にいたします。

(他スレでは既に触れているのですが、)御理解いただくために述べるべき全てを私自身がここに
書いていないのですから無理からぬ事ではあるのかもしれませんけれど、お書きになった内容を
読ませていただいて、乾闥婆さんは、私が書いたレスについて二重に誤解なさっているのでは
ないかと思いました。

>鎌倉期の仏教者が、病気平癒を祈願するため、その曼荼羅に法華経薬王品の一文を掲げる
>ことが、それほどおかしいことでしょうか? 祈願したところで病死する人はします。そ
>れは鎌倉時代も今も変わらないことでしょう。

細かい話は別として、私も、そのように把握する事に大きな問題はないと思います。
しかし、私が問題としたのは、時代性を考慮したそのような歴史認識そのものではないのです。
ここは創価・公明板なのであって、更に、おそらくはレス>141の書き手も創価学会員であろう事を
(仮定的な)前提とした上での、鎌倉時代ではなく我々の生きている今日という時代に存在するはずの
創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません。 (そのような意味で、日蓮を
一般的に論じたレスという種類のものではないのです。)

154 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/04(水) 08:07:17 ID:???
(レス>153の続き)
創価学会流の理解では、日蓮は単なる仏教(修行)者ではなく本仏なわけであって、曼荼羅も
曼荼羅そのものが本尊だとするわけです。(人法一箇の本尊という理解は、一応おいておきます。)
その本仏たる日蓮が自分の認めた(したためた)本尊たる文字曼荼羅に“病即消滅”と記する事は、
単なる信者が「祈願」するのとは当然意味合いが異なるではありませんか。
しかも、日蓮は「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とには過ぎず、また道理証文よりも現証には
過ぎず」(三三蔵祈雨事)と主張している人物ですよ。
そして、病死と言うのも、創価学会の公認するところの一連のそのような主張をしている人物に起きた
事実なのであって、批判は当然の事ではありませんか。

>諸法実相抄は真筆の残らない偽書の可能性のある文書ですので、日蓮の言ったこと、とす
>る引用には使わないほうがいいでしょう。

一般論としてはともかくとして、ここで問題としているのは、先にも述べたようにあくまでも創価学会の
主張であり、見解なのであって、諸法実相抄も、創価学会がそれを日蓮のものとして扱う以上、こちらは
それを前提として批判すれば良いのです。
その批判の方向の一つとしては、乾闥婆 さんのおっしゃるように偽書の可能性を問う事も可能となる
かもしれませんし、そうではなく、内容を批判する事も可能なわけです。

>・・・。それを今の時代に切り離して持ってきて「妄
>想に過ぎない」と切り捨てるようでは、歴史的背景をかんがみない表面的な薄っぺらな批
>判に堕すると言わざるを得ないのではないでしょうか。

「表面的な薄っぺらな批判」と乾闥婆さんがお考えになるのは御自由です。
ただ、そのような御見解に対して、私が「表面的な薄っぺらな」理解と考える事も、また自由なのです。

155 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/04(水) 08:10:23 ID:???
(レス>154 の続き)
私は、判断に必要となる様々な事実を明確にする事を心がけているつもりです。
創価が会は何と主張しているのか、生じた事象は具体的にどのようなものであったか…。
いわば、事実認定における証拠固めですね。
創価学会員は、一般にこの点がイイカゲンすぎるのですよ。
こちらとしては、例えば文献その他を示し事実を明らかにしているにもかかわらず、彼等はその主張の
根拠・証拠を示す事など、まずありません。
都合によっては、創価学会の主張そのものを無視し勝手な事を言い始めます。
乾闥婆さんが批判した私のレスの内容も、事実と言いうる内容からしか基本的に構成していないつもりです。
(もちろん、「糞坊主」という点などは、事実そのものではなく、事実を基礎においた評価であるわけです。)

そして、この事実という点でここで重要なのは、創価学会が自己の宗教を科学的宗教としている点なのです。
(他スレですが、創価学会が科学的宗教という事についてどのように主張しているかは、創価学会の
文献から過去さんざん引用しております。)
そのような創価学会の主張に対する私の批判の一つを、今回乾闥婆さんが問題としているのです。

ところで、乾闥婆さんも「社会は変動してゆく」とおっしゃっていますが、過去を批判的に振り返る視点と
いうものは、現在以外にないのではありませんか。
もちろん、今現在も、更なる未来からは批判的に把握されることでしょうが、過去を無批判に受け入れるなど
人類の歩みに対する冒涜とでも評すべき事であって、常にその時の見識に基づいた評価を下す以外に
ありえないのです。
乾闥婆 さんのおっしゃっている事を徹底すれば、過去を現在とは一切無縁なものとして独立して
把握しなければならず、一切の批判を許さぬものとして過去を丸のまま受け入れる事を要求される
結果となってしまいかねないのであって、到底許容できるものではありません。

156 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/04(水) 08:15:38 ID:???
(レス>155の続き)
>私は日蓮を大聖人と崇め奉らない人間ですが、日蓮を「妄想糞坊主」とこき下ろすことと
>「大聖人」と崇め奉ることとは、歴史的背景と現代社会における整合性を省みない、同等
>のレベルの言動であると感じます。

「歴史的背景と現代社会における整合性を省みない」という点については同意できず、先のように
反論させていただきますが、「同等のレベルの言動」という点については、乾闥婆さんにそのように
感じていただいても一向に構いません。
私は、この板においても、更にそれ以前から続くリアルな生活の中においても創価学会を批判して
まいりましたが、相対した創価学会と合理的・論理的と言いうるマトモな議論になった例(ためし)が
ないと感じ続けております。
「仏法は道理」(四条金吾殿御返事)としながら、道理など一切示す事のできず妄想を振り撒くだけの
創価学会(員)を、私は批判として創価学会ばりに揶揄しているのですから、ある種同様と言えば
同様であり、理屈の通じない輩に、オマエ等の言っている事はこんなモノだと示しているつもりなのです。

>もしくは同等の宗教的熱狂(あるいは宗教的逆熱狂)
>に駆られた人間の言動であろうかと思います。

そのように私自身は思っておりませんが、その点を乾闥婆さんがどのように御判断くださっても
特に私としては困るわけでもなく、御自由にどうぞ。
ただ、私としては、議論となった場合に理屈で負けない為にも冷静に考えて書いているつもりで
ある事だけは述べておきます。
もっとも、「道理」を示せない妄想宗教屋さんに理屈で負けることなど、ありえないのですけれどね。

157 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/04(水) 08:27:43 ID:???
>>149 高橋さん
「妄想即菩提」の意味するところによるのではないでしょうか。

仏教では“煩悩即菩提”と説く事があります。
そして、その背後には、辿って行けば(少なくとも日本においては)本覚思想と呼ばれるものが存在するわけです。
日蓮の考え方についても、これを本覚思想の範疇で捉える考え方と、それを否定する考え方とが存在します。
創価学会の見解は、本覚思想そのものと考えているかは問題としても、そちら側に歩み出しているものと
言えましょうし、日蓮宗一般の考え方は本覚思想と捉える事を否定する立場と言えます。
一度、“本覚思想”・“即身成仏”・“煩悩即菩提”といった点についてお調べになってみてはいかがでしょうか。

>>152 滝山さん
連投規制を受けるはずですし時間の都合もありますので、後でレスさせていただこうと今は思っております。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 08:54:49 ID:???
前言撤回の早さは異常

159 :滝山:2009/02/04(水) 12:16:08 ID:???
>>157
>その背後には、辿って行けば(少なくとも日本においては)本覚思想と呼ばれるものが存在

これは違いますね。順序があべこべです。

>創価学会の見解は、本覚思想そのものと考えているかは問題としても、
>そちら側に歩み出しているものと言えましょう

これも違いますね。創価学会が本覚思想ならば
唱題も曼荼羅も折伏も新聞啓蒙も支援活動も師匠も組織も
何も必要としないということになるでしょうからね。

160 :ひゃっきまる:2009/02/04(水) 23:24:20 ID:???

>>143 高橋さん

ここは>>1にもあるとおり、初心者の方が質問してもよいですよ。
僕は一応スレ立て主ですから、答えられる範囲で答えます。
まあ、あまり難しいことには答えられません。

創価学会:御書検索
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_search.html

四条金吾女房御書
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1109&ref=null

(引用)==========
明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり
==========

「日蓮」というのは、世の中で最も明るい日月と、世の中で最も清らかな蓮華の意味で、法華経と同じ意味になる、というようなことのようです。

161 :ひゃっきまる:2009/02/04(水) 23:53:54 ID:???
>>140 法律ヲタさん

フォローしていただきありがとうございます。

あと、どなたが書きこんでも迷惑ということはありませんので、気にせずどんどん書いてください。

>>1にあるように、「野次や乱暴な言葉遣い、挑発するような言葉遣いはNG」でお願いしたいですが(法律ヲタさんがそうだというわけではありません。念のため)。

そういった方や、意味不明な書き込みに対しては、荒らしに対する処置と同様に無視してください。

162 :ひゃっきまる:2009/02/04(水) 23:54:30 ID:???

>>153-156 法律ヲタさん

横レスですから流してもらってけっこうです。乾さんがお答えすると思いますし…。

単なる個人的な感想です。

法律ヲタさんのお考えであれば、「日蓮&創価学会=糞」ではなく、「日蓮=不明、創価学会=糞」でも良いのではないか、と思いました。日蓮を糞坊主というのは、挑発的な意味合いが強いような気がします。

しかし、対話者によって日蓮への認識が変わる、という法律ヲタさんのロジックにははじめ戸惑いましたが、よくよく考えてみれば、日蓮を奉じる団体から被害を受ければ、日蓮がその元凶のように思えるのは自然な感情のように思いました。

それが日蓮に責のない言い掛かりだとしても、創価学会も、日蓮正宗も、その他のすべての日蓮を宗祖とする団体も、よくよく振る舞いには気をつけるべきなのでしょうね。おかしなことをすれば、その責は日蓮に降りかかってくるのですから。

日蓮がどんな人間であれ、創価学会その他の団体が善いことをしていると思われれば、日蓮は感謝されるはずですよね。

163 :高橋:2009/02/05(木) 00:15:28 ID:FkeUhPHJ
>>160ひゃっきまるさんへ
本当にありがとうございます。
自分なりにも調べて観ました。
幼名−「善日麿」 出家名ー「是生房蓮長」から一字ずつ用いてるかと
妄想してました。・・・・・まちがってたりして。


164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 00:30:58 ID:???
創価学会・公明党「カネと品位」 著者:福本潤一  講談社
http://www.amazon.co.jp/dp/4062150352/

福本博士が池田ニセ博士を断罪 福本博士が池田ニセ博士を断罪

誰にでもわかる創価学会の誤り
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/daredemo/contents01.htm

政教分離問題(1)http://jp.youtube.com/watch?v=OL-CfblcvRk
政教分離問題(2)http://jp.youtube.com/watch?v=ejUQLNu97qk


165 :ひゃっきまる:2009/02/05(木) 00:40:28 ID:???
>>163 高橋さん

それは有り得るかもしれませんね。
ところで、荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入れて書き込んでください。

166 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2009/02/05(木) 00:43:34 ID:???
>>163 高橋 さん
日蓮の名の由来については、伝承も含めて諸説ありますね。

「善日麿→是生(聖)房蓮長→日蓮」という話は、私も聞いたことがありますよ。
出生時にまつわる寓話なども含め、色々と調べてみるのも面白いかもしれません。

そういえば、創価学会は「大日蓮華山(富士山)」を日蓮の命名と言ってたこともありました。

>>162 ひゃっきまる さん
はじめまして。少し前からこっそりと拝見しています。どさくさに紛れて初カキコ(笑

連投規制やら過去ログ未読やら不勉強やらで、なかなか書き込むことは出来ませんが、滝山さんとの
やりとりも興味深く拝見していました。一応、潜伏しているけれど住人はいますよ、ということで・・・。

今後ともよろしくお願いいたします。

167 :高橋:2009/02/05(木) 01:21:51 ID:???
>>165ひゃっきまるさんへ
すみませんでした。・・・・sageいれました。それと>>162
感動しました。
>>166山?島さんへ
「大日蓮華山」ってお墓の山号かも?

168 :山椒島 ◆AUtVVr2znk :2009/02/05(木) 02:07:03 ID:???
>>167 高橋 さん
そう、日蓮とは関係なく、富士山の元々の山号が「大日蓮華山」「大日蓮山」ということですね。
富士山は古来より山岳信仰が盛んで、様々な宗教の象徴として語られることが多かったそうです。

具体的には、(朝日→大日如来)+(富士八峰→影が蓮華のよう→八葉蓮華)という説がよく見られます。
この説に則って細かく分解すると「大・日蓮・(華)山」ではなく、「大日・蓮華・山」ということですね。

ですから、「多宝富士大日蓮華山」という日蓮正宗圏での呼称も、実は「富士山富士山」という意味で(笑

創価学会としては、富士の威を借りることと、日蓮正宗の正統性を主張するのが目的だったのでしょう。
もっとも、破門された今となっては、かつてのように頻繁に語られることもなくなっていると思います。

※私のHNは「さんしょうしま」で変換できますよ。

169 :滝山:2009/02/05(木) 03:06:19 ID:???
>>160 ひゃっき
それは真蹟が残ってるものじゃないようだから
わからないよ。

立教開宗以前の日蓮のことはたぶんに伝説化されており、
学問的には確定できない部分が多いのが実情だろうね。

170 :滝山:2009/02/05(木) 03:38:05 ID:???
>>162
>日蓮がどんな人間であれ、創価学会その他の団体が善いことをしていると
>思われれば、日蓮は感謝されるはずですよね。

それは日蓮らしくない(笑
学会はタテマエとしてそれを目指し、
かえって本質から外れてしまっているし、
宗門は伝統に固執して、やはり本質から逃げている。

自分が死亡した後727年経っても誰か自分のことを憶えているか。
何の権力も無かったにもかかわらず、
生存時同様に未だに人々の怒りを買い、罵しまれ、憎まれもし、
はたまた非常に尊敬もされ・・・。

日蓮は名実ともに日本人の「世界」を変えてしまった人物であることは疑いようが無い。
「仏」と見做すかどうかに関わらず、
世界を変えられない人間とは次元の違う領域の存在であることは明白だと思うね。

171 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/05(木) 08:55:35 ID:???
>>158
それは、俺がレス>145で「どうやら粘着さんが湧いてでるようだから、これ以上スレの皆様に御迷惑を
おかけしないように退散する事と致しますが」と述べているにもかかわらず、その翌日に>153以下で
長々レスしている事を批判しているつもりなのか、アホさん?
そうであるなら、オマエは、本当に物事の本質を理解する事のできない典型的な阿呆そのものだよなァ。

なぜ>145で退散すると俺が言ったのだと、オマエは思っているのだ?
まさに先にも書いたように、オマエのような粘着荒らしのレスを呼び込み、このスレに迷惑が及ぶ事を
避けるためではないか。
しかし、それを俺が表明したにもかかわらず、俺にレスをくれる複数の御仁がこのスレには存在したわけだ。
当然それは、俺がこのスレに書き込み続ければオマエが俺に粘着し続ける事も理解した上でのレスのはずだ。
そのように、俺が退散すると述べた時と再度書き込んだ時とでは、多少状況が異なるんだよ。
それ故、俺はオマエを無視してレスを返したのだが、オマエは、そのような事も理解でいないアホであって、
粘着野郎以外の何者でもない事をしめしつづけている。。

オマエの意のままになる事など、お断りであって、俺としては、可能な限り極力オマエの意図とは
逆の方向の振る舞いを行うように考えるだけだ。
まァ、幾らでも好きなだけナムナムとインチキ本尊に祈って、俺がオマエの意に従う結果が生ずるべく、
その祈りを叶えてみろよ妄想信者君。

172 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/05(木) 08:56:50 ID:???
>>159 滝山さん
>これは違いますね。順序があべこべです。

私の当該のレスは、別に仏教思想の論理的関係や思想史的関係を述べようとしたものではなく、
おそらくは“本覚(思想)”という用語を耳にした事がないのではないかと思われる高橋さんに、
そのようなものを考察の射程に入れてみてはいかがかと申し上げただけのものです。
滝山さんが問題とした文章は、“煩悩即菩提”という用語はおそらく一般化してよく知られる所であると
思われるのに対して、“本覚(思想)”という用語はそれほど一般化していないであろう点から、考察の
方向としてあのように書いただけの話にすぎません。
できれば、問題とされえる点について、滝山さんが高橋さんに分かり易く解説してくださると望ましいのでは
ないかとお願い申し上げます。

>これも違いますね。創価学会が本覚思想ならば
>唱題も曼荼羅も折伏も新聞啓蒙も支援活動も師匠も組織も
>何も必要としないということになるでしょうからね。

日本の仏教史における本覚思想の影響という点を意識されてお書きになっているのであろうと思いますが、
私としては、そこで滝山さんがお述べになっている事には反論せざるをえません。
“本覚”・“始覚”といった用語自体は仏教の中に昔から一応は存在したわけですが、それが今日言うところの
本覚思想というようなまとまった形で様々な影響を及ぼすのは、それに遅れるわけです。
そして、今日“本覚思想”として把握されるものも、もし、本覚思想の論理的典型のみをそれとして捉えるなら、
ほとんど本覚思想として把握しうるものは存在しないことになってしまうでしょう。

173 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/05(木) 08:57:55 ID:???
(レス>172の続き)
例えば、修行という点で考えれば、本覚思想の論理的帰結としては、特別な修行など必要なく、今あるがまま
の姿がそのまま仏なのだという事になりかねないわけですが、そのようなものを肯定する宗派など、実際には
存在しないといってもよかろうものにすぎません。
しかし、それにもかかわらず、今日の学問としての仏教学の世界では、本覚思想は歴史的に広範な影響
について考察しているわけです。
ただ、個々の具体的な影響についてはそれぞれ様々な論議があるわけで、日蓮について言えば、学者も
それを肯定的に考える方と否定的に捉える方の両方の立場が損座しているわけです。

そのような中で私は、いわゆる日蓮宗系統の考え方が一応本覚思想を否定的に捉えているのに対し、
創価学会を含む正宗系の考え方は本覚思想に、より親和性があるものと考えています。
具体的に論ぜよという事になると、これは大変な事ですし、どこまで説得力ある論述をする事ができるか
残念ながら私の能力では分かりませんけれどね。

174 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/05(木) 08:58:36 ID:???
>>161 ひゃっきまるさん
お言葉、大変ありがとうございます。

「そういった方や、意味不明な書き込みに対しては、荒らしに対する処置と同様に無視してください。」との
件には、既に反しておりすみません。
ただ、私としては、荒らしは二種類に分けて考えるべきものと思っております。
2chでよく問題とされるのは、単なる愉快犯の荒らしであって、これは無視(スルー)でよかろうと思うのですが、
例えば今回のように明確に目的を持った荒らし(今回は粘着目的)の場合は、別だと考えております。
(時間がありませんので、申し訳ありませんがこれで終わらせていただきます。)

175 :滝山:2009/02/05(木) 10:07:19 ID:???
>>172 法律ヲタさん
>仏教思想の論理的関係や思想史的関係を述べようとしたものではなく

法律ヲタさんのスタンスは理解しましたが、
このスレはROMもやはりいるようですからね、
事実関係に関する突っ込みはあって然るべきはずであるし、
そうした誤解が生じないよう責任ある言動を心がける事も
必要ではないでしょうか。

>問題とされえる点について、滝山さんが高橋さんに分かり易く解説

無駄なことはしたくありませんよ。

>>173
まぁ、本覚思想で問題とされる部分は具体的に言えば、
「何をしてもいいし、何もしなくてもいいし」
というところでしょう(笑
そもそも論点として成り立つのか疑問に思いますね。

176 :滝山:2009/02/05(木) 10:23:03 ID:???
コインを投げて裏か表か出るでしょう。
で、裏が間違っていて、表がいいとか
勝手に当て込んでいるようなものですね。

ビーバーがダムを作り、巣とするように、
人間はそういう当て込み方を脳内に作り、
巣としている。

本覚思想が言わんとすることが
こういうことなのかどうか、
俺はよく知りませんけどね。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 21:08:02 ID:???
>>171
俺の意図する方向へちゃんと進んでいるが?
しかしキレてるねw

178 :ひゃっきまる:2009/02/05(木) 23:14:41 ID:???
>>166 山椒島さん

ROMの人からコメをもらうと嬉しいですね。
固い話が多いですが、気軽にお書き込みください。
日蓮の出生時の話は、子供の頃絵本で読んだのを覚えています。
あんまり突拍子もないと、リアリティがなくておとぎ話みたいに思えてしまいますが…。
創価学会ではその辺の伝説はあまり話に出ないですね。



>>167 高橋さん

どういたしましてw
ついでのついでですが、全角>>だと自動リンクが貼られないので、半角>>を使った方が良いかと…。
口うるさくてすみませんw

179 :ひゃっきまる:2009/02/05(木) 23:15:27 ID:???
>>169 滝山

ああ、そうなの?
真鴈の程度も御書検索で出たら便利なのにねw

日蓮の名前の由来ではだいたいこの御書が出てくるようだから…。

ただ、日蓮とは法華経という意味である、ってのはどうも謙虚さに欠ける言い方だなあ、と少し引っかかったかな。
御書の中の日蓮は、すごく自分を卑下して言ってるときと、すごく尊大に言ってるときがあって、そのブレが何に由来しているのか気になったことはある。文脈による場合もあるだろうけど。



>>174 法律ヲタさん

確かに、何らかの意図をもった書き込みは、議論するつもりがなくても一つの意思表明であるに違いないですからね。
どうせほうっておけばすぐに過疎になるスレですから、存分に使って下さい。

180 :ひゃっきまる:2009/02/05(木) 23:17:59 ID:???
>>170 滝山

ちょっと全体的に何を言いたいのか分からん。ごめん。

他人の評判を気にして自省するような態度は日蓮らしくないって意味かな。

俺が>>162で言いたかったのは、死んだ日蓮が泣くだろう、とかそういうことではないよ。

歴史上の日蓮が実際はどんな人物だったのか、現代では知る由もないけれども、信仰者にとっての日蓮は、自分自身の生活の模範であり、祈りの対象であり、常に心に意識されているという意味で、まぎれもなく実在しているといえる。内なる日蓮とでもいうか。

この世で最も尊く、最も大事なものである、その信仰対象を、馬鹿にされたり卑しめられたりすれば、それは怒って当然のことだ。

世間一般の常識でも、宗教とはみだりにその尊厳を犯してはならないものだということになっている。

例えば、神社に唾を吐いたり、お地蔵さんにいたずらしたり、というのは非常識な行動だ。

(だからこそ俺は、創価学会や日蓮正宗の他宗教への態度がひどいと思っている)

181 :ひゃっきまる:2009/02/05(木) 23:18:34 ID:???
しかし、日蓮を信仰している人に対して、「日蓮は糞坊主」とまで言われなければならないのは、果たして法律ヲタさんが非常識だからなのだろうか?

たぶん、創価学会が、そのような批判を受けやすい行動をとっているからではないか。

信仰対象を侮辱されるのは許されないことだとしても、その因を作っているのは結局創価学会自体である、ということを、もう少し考えるべきなのではないか。

信仰者にとっては、日蓮や、法華経、御本尊を非難することは、大法謗であり、無間地獄に落ちるほどの大罪である、という認識だと思うけども、創価学会がその因を作っているのだとしたら、それを恐ろしいことだと思ったりはしないのだろうか?

創価・公明板で「御本尊を焼くスレ」を見つけたときはびっくりして、全く正気ではないと思った。

軽い気持ちでふざけ半分でやっているというよりは、それだけ強い負の気持ちを向けさせる何かがあるんではないか。精神的な呪縛を断ち切りたい、という思いがあるんではないか。

「御本尊を焼く」ことまでさせてしまったのはいったい誰なのか、本当に創価学会に何も問題がないと言えるのか、少し考えてほしいと思わないではない。

182 :乾闥婆:2009/02/06(金) 00:29:28 ID:???
>>153-156
>法律ヲタさん

>鎌倉時代ではなく我々の生きている今日という時代に存在するはずの
創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません。

だとすれば、日蓮の言動を叩くのではなく、創価学会の日蓮受容を叩けばよいわけです。
日蓮は間違いなく、現代に生きていたのではなく、鎌倉時代に生きていたのですから。
それに現代においても、宗教の現場において、病気平癒を祈願しない、ということはある
のでしょうか。祈りませんか? 普通に。

>創価学会流の理解では、日蓮は単なる仏教(修行)者ではなく本仏なわけであって、曼荼羅も
曼荼羅そのものが本尊だとするわけです。(人法一箇の本尊という理解は、一応おいておきます。)
その本仏たる日蓮が自分の認めた(したためた)本尊たる文字曼荼羅に“病即消滅”と記する事は、
単なる信者が「祈願」するのとは当然意味合いが異なるではありませんか。

それは、日蓮に対する批判ですか、そのように受容している創価学会に対する批判ですか。
よく分かりませんが、日蓮において、それは祈願ではないのですか? 日蓮自身にとって
祈願以上の意味がそれには込められているのですか。だとすればそれはどのような意味な
のでしょうか? 実のところ、私はその病即消滅曼荼羅を見たことがないので、どのよう
に表記されているのか知りません。法華経信仰に基づいて書かれたものなのでしょうね。

183 :乾闥婆:2009/02/06(金) 00:30:28 ID:???
(続き)
>しかも、日蓮は「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とには過ぎず、また道理証文よりも現証には
過ぎず」(三三蔵祈雨事)と主張している人物ですよ。

日蓮は現証において多く外しているわけです。蒙古襲来で、真言の調伏祈祷が行われても
日本は滅びなかったわけですから。当然のことですね。祈り方の違いなどで国が滅んだり
滅ばなかったりするわけがありませんから。病気とて同じことです。祈ったところで病死
する人はします。

>そして、病死と言うのも、創価学会の公認するところの一連のそのような主張をしている人物に起きた
事実なのであって、批判は当然の事ではありませんか。

病気平癒を祈願する中世の僧侶が病死したとして、その僧侶を批判する、というような、
死者に鞭打つような行為はいかがなものでしょうか。現代の視点に立てばそのような事態
は確率として当然高いわけです。祈ったところで病死する人はするのですから。ですから、
そのような中世日本の僧侶が語った言葉を振り回して、現代において絶対に病死しないか
のごとく喧伝する人がいるのであれば、その人を批判すればよろしいでしょう。

>「表面的な薄っぺらな批判」と乾闥婆さんがお考えになるのは御自由です。
ただ、そのような御見解に対して、私が「表面的な薄っぺらな」理解と考える事も、また自由なのです。

歴史的事実とその現代における整合性の破綻を考えるよりも、歴史的背景を無視して、中
世日本の一僧侶を貶めるほうが、より深い洞察ということでしょうか。まあ、そうなると
感性の違いというしかないですね。

184 :乾闥婆:2009/02/06(金) 00:32:14 ID:???
(続き)
>そのような創価学会の主張に対する私の批判の一つを、今回乾闥婆さんが問題としているのです。

それは違いますね。私も科学的宗教というような創価学会の主張に対して強い嫌悪感を過
去において表明してきました。それと歴史的背景というものを捨てて歴史的人物を語るこ
ととは別の話です。私はそれを創価学会批判における禁じ手であると考えています。創価
学会が日蓮の主張を歴史的背景に鑑みることなく現代に持ち込むことと、あなたが現代的
観点を歴史的背景に鑑みることなく鎌倉期に持ち込んで日蓮の非を断ずることとを、同等
であると考えるゆえんです。

>過去を無批判に受け入れるなど
人類の歩みに対する冒涜とでも評すべき事であって、常にその時の見識に基づいた評価を下す以外に
ありえないのです。

私が言っていることは過去を無批判に受け入れるということではなく、過去は過去である
と認識するべきだということです。

>乾闥婆さんのおっしゃっている事を徹底すれば、過去を現在とは一切無縁なものとして独立して
把握しなければならず、一切の批判を許さぬものとして過去を丸のまま受け入れる事を要求される
結果となってしまいかねないのであって、到底許容できるものではありません。

過去の体積の果てに現代はあります。しかし過去は過去です。その時代に生きた人間は過
去にしか生きていないのですから。それを真顔で何の修正もなく現代に通用するとのたま
う人間がいれば、それを批判すればいいだけのことです。

>「同等のレベルの言動」という点については、乾闥婆さんにそのように
感じていただいても一向に構いません。

「乾闥婆さんにそのように感じていただいても一向に構いません」では議論になりません
ので、反論の余地があるとお思いになれば反論すべきでしょう。

185 :乾闥婆:2009/02/06(金) 00:34:12 ID:???
(続き)
>私は批判として創価学会ばりに揶揄しているのですから、ある種同様と言えば
同様であり、理屈の通じない輩に、オマエ等の言っている事はこんなモノだと示しているつもりなのです。

そうですね。ですから同レベルであると言わせていただいたのです。

それと最後にもうひとつ。日蓮は創価学会の占有物ではありません。日蓮を宗祖と仰ぐ宗
派は多くあるわけです。創価学会を叩くために日蓮をあしざまに言ってもいいのだ、とい
う考え方は、創価学会以外の、日蓮を宗祖と仰ぐ教団信者の方々への配慮に、まったく欠
けているといわざるを得ませんね。その点も、創価学会の方と同じですね。

186 :高橋:2009/02/06(金) 01:14:29 ID:???
この前、知り合いの学会人の高1の女の子が自殺したんです。
私はその葬式には行かなかったけれど婦人部のチョト幹部の人が
「あの子はちょと訓練がたりなかったのよねぇ」と裏で言ってたみたいです。
本当に似てきたよ北朝鮮。日蓮涙。しっかりしなさい末端の信者さん達。
>>178ひゃっきまるさんへ
ここはいろいろ勉強になります。そしてみなさんにも。・・





187 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/06(金) 08:59:19 ID:???
>>177
ホ〜ッ??  創価学会(員)のデタラメさ加減を身をもって示すのが、オマエの意図なのか?
御立派な事だなァ。 (藁

188 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/06(金) 08:59:55 ID:???
>>179 ひゃっきまるさん
御迷惑をおかけしかねませんが、ありがとうございます。

189 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/06(金) 09:00:51 ID:???
>>182-185 乾闥婆さん
お書きになっている事について、その全てについて個々具体的に詳細に論じたいところではありますが、
時間の都合で今はそれも叶いません。
特に申し上げたい事に絞って述べさせていただきます。

「私が言っていることは過去を無批判に受け入れるということではなく、過去は過去であると認識するべき
だということです。」(>184)と述べていらっしゃいますが、もちろん私も「過去は過去であると認識」しております。
その上で、過去を過去として批判することは許されないのかを問題としているのです。
乾闥婆さんは、いつ頃からの事実を「過去」として把握するべきだとお考えなのか分かりませんけれど、
歴史的事実を、その行為を行った者・組織のおかれたその当時の状況を前提に、その者・組織の立場に
立脚して考察する事のみ許され、それ以外の視点からする考察を許さないのだとしたら、あらゆる歴史的
事実はそれを肯定するしかなく、批判は無意味で許されないものとなってしまうでしょう。

例えば、第二次大戦における、ヒットラー率いるドイツにおける問題もそのようになってしまうでしょうし、
特に一個人を挙げる事は難しいかもしれませんが当時の日本も同様です。
その他にも考察しやすい例として、後に神とされた乃木希典を挙げる事も有効かもしれません。
日露戦争当時、第三軍の司令官であった乃木を、多数の兵員を戦闘において無益に死なせてしまった
無能な司令官として批判することも許されない結果となってしまいかねません。
必ずしも「しかし過去は過去です。その時代に生きた人間は過去にしか生きていないのですから。それを
真顔で何の修正もなく現代に通用するとのたまう人間がいれば、それを批判すればいいだけのこと」として
済ますわけにもいかないはずです

190 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/06(金) 09:02:05 ID:???
(レス>189の続き)
「創価学会を叩くために日蓮をあしざまに言ってもいいのだ、という考え方は、創価学会以外の、日蓮を
宗祖と仰ぐ教団信者の方々への配慮に、まったく欠けているといわざるを得ませんね。その点も、
創価学会の方と同じですね。」(>185)とのお話ですが、私に言わせていただければ、そもそも日蓮自体が
他宗(それ自体やその信者)に対してまったくもって配慮に欠ける言動・見解を採り続けた人物です。
その点について一遍の反省もなく今日においても日蓮を信奉するなら、その姿勢も「その点も、創価学会
の方と同じ」と評されるべきでありましょう。

それと、このような一連のご批判を乾闥婆さんにいただくこと自体が、乾闥婆さんのお考えは別として、
皮肉にも、私にとって日蓮を「糞坊主」と腐す(くさす)ことが、そうすることの意図・目的を達成しうる効果の
ありうることを如実に示す結果となってしまっているのです。
創価学会員その他の方に、ある種の衝撃を与えるつもりで、そのように書いているのですから。

191 :乾闥婆:2009/02/06(金) 09:48:27 ID:???
>>189-190
>法律ヲタさん

>乾闥婆さんは、いつ頃からの事実を「過去」として把握するべきだとお考えなのか分かりませんけれど、

歴史は大きく、古代、中世、近世、近代、現代に分類されます。それは社会の枠組みの大
きな変化によって、区分されたものでしょう。私は近代以降の歴史には濃密な連続性があ
ると感じています。あなたが例として挙げられた事例はいずれも近代に属するものですの
で、現代における視点からその人物の言動を批判的に検証することにやぶさかではありま
せん。しかし、それとて、時代背景を無視することはできませんでしょう。ただ言えるこ
とは古代や中世といった枠組み自体がまったく異なる時代と比べれば、その時代背景は現
代により近似であるということです。

>その点について一遍の反省もなく今日においても日蓮を信奉するなら、

ですから、日蓮の言動を過去として明確に捉えることが必要なのであり、多くの宗派はそ
のような作業をすでにしているのでしょう。いま、四箇格言を真顔で振り回す日蓮宗派は
おりますでしょうか。それこそ創価学会近辺の方たちだけの問題でしょう。

>皮肉にも、私にとって日蓮を「糞坊主」と腐す(くさす)ことが、そうすることの意図・目的を達成しうる効果の
ありうることを如実に示す結果となってしまっているのです。

創価学会以外の日蓮を宗祖と仰ぐ方たちに対する配慮はしないということですね。そして
あなたはあなたの軽蔑する人たちと同じ振る舞いをして恥ずるところがないということで
すね。

192 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 12:09:39 ID:???
上のほうではひゃっきまるさんにもご面倒を掛けたようで、
そのお礼もまだ申し上げていない内に恐縮ですが、取り急ぎ一点のみ。

>>191 乾闥婆さん
>いま、四箇格言を真顔で振り回す日蓮宗派は
>おりますでしょうか。それこそ創価学会近辺の方たちだけの問題でしょう。

現代においては、日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者が散見されますね。
また私は、四箇格言については日蓮宗僧侶の宗教学者丸山照男氏のご見解↓に賛同しております。

> ……日蓮の四箇格言こそが、諸宗対話の基礎的理念を探りだす契機になるものであろう。
>  時代おくれどころか、現代の仏教こそ、なぜ日蓮は諸宗批判をなさねばならなかったのか、その意味を問うことから始めるべきなのである。…(中略)…
>  現にそれぞれが一堂に会して仲良く話しあっているからいいではないか、日蓮の諸宗批判などもちだすのは
> アナクロニズムで、はなはだ迷惑なことだ、と考えたとするならば、それは目先の現実に迎合しているにすぎない。
【丸山照男、日本人の心をダメにした名僧・悪僧・愚僧(昭和52年)、山手書房】

↑本のタイトルからしておよそ察せられるかと思いますが、丸山氏は日蓮よろしく著作の中で、
自宗も含めた各宗派や仏教関係の著作の有名人たちを、徹底的にこきおろして非難しております。
現代において、これぞ正しく日蓮の後継者の姿であり、仏教者のあるべき一つの姿だと私は感じました。
四箇格言が、創価学会近辺の方たちだけの問題と思うのは、むしろ日蓮のみならず宗教の歴史への決定的な無理解でしょう。
四箇格言を、それは鎌倉時代のことと歴史に埋没させたがる“穏健派”な日蓮信仰者は
確かに多数派ですが、私はそれは恥ずべき信仰の堕落と見ております。

これらについては後日、また詳細に述べさせて頂こうと思っています。
今回は時間がないので、取り急ぎのレスですが申し訳ありません。m(__)m

193 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 12:24:47 ID:???
>>192
“丸山照雄”氏ですね。お名前をミスタイプするとは失礼致しました。m(__)m

あと
> 現代においては、日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者が散見されますね。
↑これは創価学会近辺のことではありません。丸山照雄氏以降のまさに“いま”、ここ最近のネットなどでも
確認出来る、一般からは良識的と見なされる方々の見解に対しての、私が感ずるところです。

194 :単発です:2009/02/06(金) 12:48:39 ID:???
>>186
その婦人部の話が本当なら憤りをおぼえます。
俄かには信じられません、私の経験では励ます事はあっても故人を悪く言ったりしてるのは聞いたことがありません。
学会に問題があるのではなく、その婦人部に問題があるのでは?死因が自殺の場合、遺族の悲しみははかりしれません私ならそのババァを絞め上げますよ。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 15:03:07 ID:???
>日蓮宗僧侶の宗教学者丸山照男氏
丸山は宗教評論家
>現代において、これぞ正しく日蓮の後継者の姿であり、仏教者のあるべき一つの姿だと私は感じました。

左翼暴動・過激派礼賛集【文中敬称略・肩書は当時のもの】
浅間山荘事件の際の発言
・丸山照雄【身延山久遠寺住職】
「(現代という悪に)抵抗し、反抗し、拒絶する全ての行為は『善』であり『正義』であろう。それが私の宗教的立場である。」
出典元:1972年3月20日号『週刊読書人』より



196 :滝山:2009/02/06(金) 20:36:13 ID:???
>>186
他人の自殺をネタに、
>本当に似てきたよ北朝鮮。日蓮涙。
って、どうにもふざけてるように見えるんだけど?

そういうのはどっか他の糞スレで書けばいいよ?

197 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 20:50:17 ID:NGVuF5Dr
>>194 単発ですさん
> 私の経験では励ます事はあっても故人を悪く言ったりしてるのは聞いたことがありません。
> 学会に問題があるのではなく、その婦人部に問題があるのでは?

ええ〜……故人を悪く言うことは普通によくあると思いますが?

“仏罰”や“成仏の相”などと言って故人の人生を一方的に判断する言動は、創価学会自体がそれを煽っている
まさに彼らの本質的な特徴だと思いますし、実名でブログをなさっている創価大学法科大学院生の
バリ学会員氏も、創価学会に不都合な人物の死は普通に喜んで勝利宣言なさってましたよ?

そのような教えや風潮を全面的に受け入れる個人にも、もちろん問題はあると思いますが、
同時にこれは創価学会そのものの問題でしょう。>>186 高橋さんのお話は、創価学会では普通によくあることかと。

198 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 20:53:32 ID:???
sage忘れてました……失礼。

>>195
> 丸山は宗教評論家

↑ここについては、そのほうがより正確ではあるでしょうから特に議論するつもりはありませんが、

> 左翼暴動・過激派礼賛集【文中敬称略・肩書は当時のもの】
> 浅間山荘事件の際の発言
> ・丸山照雄【身延山久遠寺住職】
> 「(現代という悪に)抵抗し、反抗し、拒絶する全ての行為は『善』であり『正義』であろう。それが私の宗教的立場である。」
> 出典元:1972年3月20日号『週刊読書人』より

↑これ、下記のサイト↓のまんまコピペでしょう。(苦笑)

http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/riot.html

私は尊敬しておりますが丸山氏は歯に衣着せぬ発言で毀誉褒貶の多い方ですから、↑についても
前後の文脈が分からないと判断しようがありません。単なるコピペでないなら、前後も含めた文脈の引用をお願いします。

あとレス内容から判断するに、ひょっとすると↓の102-103他を書かれた方でしょうか?

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1233590839/95
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1233590839/102-103

もしもそうでしたら、通りすがりの方にいきなり噛みついて春田の蛙ファン呼ばわりなさった件に、早く謝罪なさることを勧めたいのですが。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 21:01:46 ID:???
身延山久遠寺住職?日蓮宗管長の意味になるよ。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 21:02:32 ID:???
>>186
>知り合いの学会人の高1の女の子が自殺したんです。
>私はその葬式には行かなかったけれど婦人部のチョト幹部の人が
>「あの子はちょと訓練がたりなかったのよねぇ」と裏で言ってたみたいです。
>本当に似てきたよ北朝鮮。日蓮涙。しっかりしなさい末端の信者さん達

私の知っている創価員でも自殺者が3人出ていますし、このような対応が創価では一般的です。
>>194>>197の春田さんのメッセイジに同意しますね。
>これは創価学会そのものの問題でしょう。>>186 高橋さんのお話は、創価学会では普通によくあることかと。

創価の現状は、1993年ニセ本尊販売以後特に 非人間的な組織になっています。

201 :連発です:2009/02/06(金) 21:19:26 ID:???
>>197春田さん
そうでしょうか?聖教などで良くみかけるのは事実ですが、少なくとも私の周り(現場)では有り得ません。
罰論を前面に出すのは私個人としては凄く嫌です。
貴方がどのような立場(どのような経緯)で学会を嫌い、反創価の書き込みをしているのかは分かりませんが、私が同志と思う仲間は非難される様なところなんてありませんよ。


202 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 21:40:58 ID:???
>>199さん
あはは、まぁおそらくコピペで転載してきたんでしょうから。
現在は↓宝聚院のご住職のようですので、
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/minobu/T11_C03_S01_3.htm
当時も身延山のいずれかの坊のご住職を勤められてたのではないでしょうか?

>>200さん
ご同意頂いたのは大変有難く、異論を申し上げるのは些か恐縮ですが、

> 創価の現状は、1993年ニセ本尊販売以後特に 非人間的な組織になっています。

私は↑には全く同意出来ません。
一点申し上げれば日蓮正宗創価学会だったころの折伏は、今よりずっと暴力的で非人間的だったと思います。

また「私の知っている創価員でも自殺者が3人出ています」などという言い方は如何かと思います。
>>186は、人の死さえ手当たり次第に宗教教義の宣揚や正当化に利用しようとする、その非人道的なあり方への疑問ではないでしょうか?
であれば、「私の知っている創価員でも自殺者が3人出ています」という言い方もまた、創価学会が不都合な人物の死を喜ぶ姿勢と変わらないと思います。

もちろん、一般的な倫理感の発露として“バチが当たった”等のおばあちゃんの知恵袋的な表現まで否定する気はありません。
日蓮宗系のみならず他宗教他宗派であっても、時にこうした表現が見られることは承知しておりますし、それについては個々に賛否を申し上げるつもりです。

が、創価学会及びその周辺のそれは、露骨過ぎて些か辟易しますね。こういう在り様ですから、そのまま日蓮その人への非難としてはねかえってくるのだと思います。

203 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/06(金) 21:45:08 ID:???
>>201さん
左様ですか。こちらのスレは創価側の論客さんこそ歓迎のスタンスですから、では日頃あなたが
思われていることをこちらで詳しく話してみられたら如何ですか? 良い機会だと思いますよ。

204 :乾闥婆:2009/02/07(土) 01:28:02 ID:???
>>192
>春田の蛙さん

>現代においては、日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者が散見されますね。
また私は、四箇格言については日蓮宗僧侶の宗教学者丸山照男氏のご見解↓に賛同しております。

そうですか。真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊といった主張が事実であり、法華経に
帰依しないと国が滅びると真顔で主張されている人たちが、富士門流周辺以外にも散見さ
れるのですか。そのような主張が正統性を得ることができるとする根拠とは、一体なんな
のでしょうか。まったく理解できませんが。丸山照雄氏に関してはよく知りません。抜粋
された文章だけでは、どのような主張の持ち主かよく分かりませんね。

>四箇格言が、創価学会近辺の方たちだけの問題と思うのは、むしろ日蓮のみならず宗教の歴史への決定的な無理解でしょう。
四箇格言を、それは鎌倉時代のことと歴史に埋没させたがる“穏健派”な日蓮信仰者は
確かに多数派ですが、私はそれは恥ずべき信仰の堕落と見ております。

そうですか。他の宗派の方々も、真顔で四箇格言を振り回して、いまだに他宗批判をして
いるのですか。驚きましたね。人権侵害団体か何かでしょうか。それが崇高なる信仰とで
も思っている輩こそ、信仰の堕落した姿、いえ、信仰とはそもそも堕落したものなのか、
という事実を我々に突きつけているわけですね。残念な限りです。

>これらについては後日、また詳細に述べさせて頂こうと思っています。

期待しております。

205 :高橋:2009/02/07(土) 02:03:01 ID:???
四箇の格言は日本内だけの事で、これじゃ世界に行けないような・・・・気が。

206 :ひゃっきまる:2009/02/07(土) 02:11:03 ID:???
>>186 高橋さん

あなたは、>>167などの高橋さんと同一人物でしょうか?

ネットでは、特にこのような匿名性の高いところでは、事実無根の非難を目的とした中傷などが多いものです。

僕は、あなたの体験が事実であれば大変失礼だとは思いますが、あなたの書き込みにそのような雰囲気を感じてしまいました。

知人が自殺してしまう、というのは人生においてめったにないことでしょう。

それにしては、あなたの書き込みからはその精神的なショックであるとか、死の重みだとかいうものがあまり感じられないように思ってしまったのです。

もちろん、名前だけ知っていたというだけの関係だったのかも知れません。

しかしそれでも、あなたの書き込みは創価学会への非難の1エピソードとして1人の人間の死を引き合いに出しているようで、軽率な印象を受けます。気分の良いものではありません。


誤解のないように言っておくと、僕は創価学会が人の人生に対して「罰」だとか、逆に「功徳」だとかいうことを「評価」する傾向があることは感じていますし、それを大きな問題と感じています。

そこにはがつがつとした「信心(信仰)の成果主義」とでもいうものが表れていて、まるで商社のセールスマンが売り上げを競うかのような異様な熱気さえ感じることがあります。

それは必ずしも悪いだけではなくて良い面もあり、創価学会という宗教団体の特徴でもあると思います。しかし、人の死や不幸に対して勝手に評価を下す、というようなことはあってはならないことなのでしょうね。


207 :ひゃっきまる:2009/02/07(土) 02:12:17 ID:???
>>192 春田の蛙さん

お久しぶりです。体調を悪くされていたようですが、ご自愛ください。

>これらについては後日、また詳細に述べさせて頂こうと思っています。
>今回は時間がないので、取り急ぎのレスですが申し訳ありません。m(__)m

「四箇格言」の現代における価値、なかなか興味深いトピックですね。
詳細を楽しみにしております。


208 :ひゃっきまる:2009/02/07(土) 02:12:37 ID:???
>>194 単発ですさん
>>201 連発ですさん

はじめまして。
「学会に問題があるのではなく、その婦人部に問題があるのでは?」という言葉がひっかかりました。
ほとんど多くの学会員はまともだが、その婦人部がたまたまおかしい人であった、という意味でしょうか。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 09:00:49 ID:???
>>99
この一念三千すれは面白いですね、リンク先にこんなの
見つけたり、、

偏學知慧不修禪定福徳名之曰狂
(学や知恵にかたよって、禅定福徳を修めないような
やつは、これに名をつけて狂と曰う。)

禅定をしない日蓮さんはこれに該当しますねww

それでちょっと興味あったのは、一念三千のうち 「一念」
の部分は天台としてはどのあたりに誘導目標を置いて
定義してんのかな? ということで、これは法華玄義の抜粋
があって、、

華嚴云・・・觀根塵相對一念心起、於十法界中必屬一界。
(こころのはたらきが起こり現象世界と相対すれば、そのとき
一念という心が起こるのを観ることでしょう、そしてその一念
というこころは十ある法界のうちのたったひとつの法界しか
認識することができません。)

必屬一界はいかにも止観らしい表現だけど、一念ってのは
無意識世界から現象世界へ覚醒した一瞬の境目の状態と
定義したいんでしょね。空即是色にチカいけど、かなり違って
るとも言えるんだなーコレ。

というか色即是空に対応する三千一念っつーものは、天台には
ないのだろうか ? ? ?

210 :滝山:2009/02/07(土) 09:49:57 ID:???
>>180 ひゃっき

>この世で最も尊く、最も大事なものである、その信仰対象を、

まずその前提を疑ってみたい。
本来的な意味において日蓮(凡夫)本仏思想とは
そのようなものなのだろうか。
人格LvMAXたる色相荘厳の釈尊を否定することは
人格崇拝としての信仰形態そのものを否定することに通じる。
人格Lv1の、仏法を聞いて歓喜しただけで何も徳も悟りもない状態の
日蓮をあえて本仏とすることにどういった意味があるのかを
再検討する必要があるのではないだろうか。

また、そうした本仏思想の教義を持っていながら、
人格崇拝をするという矛盾を犯す場合は、
どのような弊害が生じるのかという点についても
少し考えてみたいと思うがどうだろうか。

211 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/07(土) 10:00:24 ID:???
>ひゃっきまるさん
実は、私も自殺した人を知っているのです。
しかも、創価学会員。   いわゆる二世・三世という存在ですね。
高校の同窓生で、他の者からそれを聞いたのは、大学生の時だったか社会にでて間もない時
だったのかよく憶えていないのですが、彼が亡くなったのは、高校を卒業してそれほどの月日が
経ってはいなかったようでした。

確かに、それを知った時は、ショックは受けました。  若かったですし…。
ただ、話をした事はありますが、それほど親しくしていたわけでもなく、どこの大学に進学したのかも
知らないほどの関係なので、それが尾を引くという事はありませんでした。
もっとも、たまに今でもそいつの事を思い出し、死ななければならない程の何があったのだろうかと
漠然と考える事はありますけれど…。

212 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/07(土) 10:01:35 ID:???
(レス>211の続き)
その当時、自殺者がどの程度存在したのかは知りませんが、今では年間3万人もいるとか。
交通事故よりも遥かに多くなってしまっています。
知人にそのような例があっても、おかしくはないと思うのですが…。

ところで、これはどちらかと言うと、ひゃっきまるさんよりも乾闥婆さんに申し上げるべきことかもしれません
けれど、日蓮系の諸宗派は、日興門下以外の立場も含めて、本質的な意味では「四箇格言」を排除する
ことは、できないはずです。
「四箇格言」という形は隠したとしても、立正安国論自体が、少なくとも四箇格言に象徴される考え方
そのものに従っていると言うべきなのですからね。

(今日も、やらなければならない事やしたい事が山積しており、少し出かける必要もあります。 夜には
書き込めるだろうと思いますが、しばらく中座させていただきます。)

213 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/07(土) 10:02:36 ID:???
>>210 滝山さん
>まずその前提を疑ってみたい。

そうですね。
そのような疑問を抱く事なくして信ずるのであれば、それは妄信(盲信)にすぎません。

214 :滝山:2009/02/07(土) 11:49:13 ID:???
>>209
>禅定をしない日蓮さんはこれに該当しますねww

立教開宗以前の日蓮は天台で学んでいたわけですから
色々やっていたかもしれませんね。
また、日蓮に対する評価として「狂」という字自体は
まぁそんなに変だとも感じませんが
学や智慧に偏っているという評価は
あまり当てはまらない感じがしますね。

あと、
>偏學知慧不修禪定福徳名之曰狂
というのは、ここに書き込んでいる人ほとんどに
該当するでしょうから全然面白くないです。
座禅をしていようと別に偉くも糞もないと思いますね。


>というか色即是空に対応する三千一念っつーものは、
>天台にはないのだろうか ? ? ?

空仮中の円融三諦の思想などがパッと思いつく限りでは
出てきますね。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 12:33:48 ID:???
>>209

若偏修禪定福徳不學智慧名之曰愚。
偏學知慧不修禪定福徳名之曰狂。
(小止觀)

考えたり行動したりしても学ばないと馬鹿になる。
学んでも考えたり行動したりしないとトンデモ になる。

一色一香無非中道(一色三千 )

216 :滝山:2009/02/07(土) 12:43:09 ID:???
>>212 法律ヲタさん
>日蓮系の諸宗派は、日興門下以外の立場も含めて、
>本質的な意味では「四箇格言」を排除することは、できないはずです。

その通りだと思います。

日蓮の出自は元々は天台ですが、
天台は総合仏教とも称されるように、
諸々の思想・宗教を統合的な視点から見るような
スタンスであったのだろうと思います。

それは各々の分野やその役割、限界までを見極めた上で
一応尊重していくという包括的なあり方であったのでは
ないかと思います。

しかし各々の宗派に限界を見つめる総合仏教は
総合仏教それ自身に対しても限界を見つめなければ
いけないのが道理であるでしょう。
日蓮は目の前に広がっていた現実に、
それを感じたのではないかと思います。
だからこその四箇格言だったのではないでしょうか。

・・・とまぁ以上は特にソースも何もない俺のただの私見ですが、
四箇格言については排除するしない以前に
これがどのような構造から発生したのかから探っても
いいのではないかと思いますね。

217 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/07(土) 15:29:32 ID:???
>>204 乾闥婆さん
>そうですか。真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊といった主張が事実であり

その全てについて回答を求められると、私には手に余りますが、「念仏無間」につきましては私自身が念仏者ですから、
念仏者の側から日蓮の態度の正当性を述べさせて頂くことは可能だと考えています。
その意味において「念仏無間」が事実かと言われれば、「事実でしょう」とお答えすることになりますね。

ただし、それは日蓮の誤りまで無理やりに肯定したり、あるいは富士門流の解釈をそのまま認めるようなものでは
断じてありません。ですから>>204のごとき申されようには同意出来ませんのでお間違えなく。

私が正当と認めるのは、あくまで広い意味において日蓮の四箇格言の精神――その現代に通じ得る普遍性を、です。
乾闥婆さんは法律ヲタさんの「ここは創価・公明板なのであって」「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません」
「日蓮を一般的に論じたレスという種類のものではないのです。」というご主張に反発されている訳ですよね。

であるなら、私が四箇格言について日蓮宗ご僧侶の主張を元に、より一般的に論じたり、更に広い視野
――即ち念仏側から四箇格言を肯定しようとする試みに対して、“四箇格言を富士門流でいう解釈に限定せよ”
と仰るなら筋違いですし、また>>204のように勝手に限定されても困ります。

それならば、素直に法律ヲタさんのご主張も認めていればよかったのですから。その辺りまで踏まえて、>>192を書かせて頂きました。

218 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/07(土) 15:34:14 ID:???
>>217続き

法律ヲタさんや滝山さんの仰る通り、四箇格言を日蓮仏法から切り離すことは不可能です。これこそが彼の教えの出発点であり根源なのですから。
従って、仮に四箇格言にまったく今日的な価値が無いとするならば、それはとりもなおさず日蓮仏法そのものに、今日的な価値が一切無いと見なすのと等価です。
そう見なすならば日蓮仏法への全否定であって、日蓮仏法を全否定するに等しい言動をしながら
他者にはその信仰への配慮を求めるのであれば偽善であり、また信仰への侮辱でもあろうと現在私は考えております。

>期待しております。

恐縮です。この話題は、以前乾闥婆さんにお約束したきりになっていたものです。
もう少し煮詰めてからと思いつつ、日々の暮らしの中にそのままになっておりました。

今はせっかくこちらの常連さんに加え、法律ヲタさんや山椒島さんも参加なさっておられますし、
滝山さんもずっとパワーアップして戻ってこられたようですので、皆様からのご批正を頂くには
またとない機会かと思い、まだ未熟な論ではありますが書き込ませて頂くことに致しました。

では、詳しくはまた夜か明日にレスさせて頂きます。

219 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/07(土) 15:34:44 ID:???
>>216 滝山さん
ひょっとすると、レスさせて頂くのは初めてかもしれませんね。
ひゃっきまるさんには以前からお世話になっている者です。
ひゃっきまるさんのご友人の方ですよね? どうぞ宜しくお願いします。

> 四箇格言については排除するしない以前に
> これがどのような構造から発生したのかから探っても
> いいのではないかと思いますね。

はい。まさにそうした構造に対する私見を書かせて頂くつもりでした。
長文になりますので、詳しい内容はまた後ほど。失礼致します。m(__)m

220 :乾闥婆:2009/02/07(土) 23:15:16 ID:???
>>217-218
春田の蛙さん

>念仏者の側から日蓮の態度の正当性を述べさせて頂くことは可能だと考えています。
その意味において「念仏無間」が事実かと言われれば、「事実でしょう」とお答えすることになりますね。

非常に興味深いご発言です。以前からそのあたりのことには言及しておられたので、具体
的に論を展開されるのを楽しみに待っております。

>私が正当と認めるのは、あくまで広い意味において日蓮の四箇格言の精神――その現代に通じ得る普遍性を、です。

そうです。大事なことはそういう姿勢なのです。日蓮をただ単に現代的視点から切り捨て、
四箇格言のような無法なことを言い立てた「糞坊主」とこき下ろしていればいいという問
題ではないのですよ。

>乾闥婆さんは法律ヲタさんの「ここは創価・公明板なのであって」「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません」
「日蓮を一般的に論じたレスという種類のものではないのです。」というご主張に反発されている訳ですよね。

いいえ違います。私は「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません」
と言いながら日蓮を「糞坊主」とこき下ろして悦に入っているその姿勢を批判しているの
です。「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎ」ないのであれば、その
ような日蓮観・宗教観を叩けばいいのです。わざわざ日蓮を「糞坊主」と言い募る根性が
気に入らないのですよ。

221 :乾闥婆:2009/02/07(土) 23:17:17 ID:???
(続き)
>であるなら、私が四箇格言について日蓮宗ご僧侶の主張を元に、より一般的に論じたり、更に広い視野
――即ち念仏側から四箇格言を肯定しようとする試みに対して、“四箇格言を富士門流でいう解釈に限定せよ”
と仰るなら筋違いですし、また>>204のように勝手に限定されても困ります。

私は「四箇格言を真顔で振り回す」輩を批判していたわけです。そして、そういう輩は他
宗派にも見られますよ、と春田の蛙さんが言われるので、驚いたわけです。本当でしょう
か、ということを問うべく先の文章を書きました。“四箇格言を富士門流でいう解釈に限定
せよ”ではなくて、私がそういう限定的使用法で先に「四箇格言を真顔で振り回す」輩を批
判していたところに、春田の蛙さんが、そういう人たちは他宗派にも散見されますよ、と
言ってきたのですから、まったく筋違いではないわけです。それを筋違いだといわれると
したら、結局のところ、私の言っているような「四箇格言を真顔で振り回す」輩は他宗派
には散見されないということでよろしいでのしょうか?

私は、「四箇格言について日蓮宗ご僧侶の主張を元に、より一般的に論じたり、更に広い視
野 ――即ち念仏側から四箇格言を肯定しようとする試み」の出発点は過去を過去として明
確に捉えることにあると考えています。「四箇格言を真顔で振り回す」輩とはそのような思
考作業が出来ていない人たち、ということであり、私はそういうカルトな思考をする人が
伝統宗派にどれだけいるのか、ということを言ったのです。私が読んだもので四箇格言に
ついて正面から論じたものとしては『日蓮的あまりに日蓮的な』(太田出版)があります。
伝統的宗派はこのような作業を通して、「四箇格言を真顔で振り回す」輩とは一線を画して
いる存在であると考えております。ちなみに『日蓮的あまりに日蓮的な』には丸山照雄氏
も文章を寄せています。内容は覚えていませんが。

222 :乾闥婆:2009/02/07(土) 23:18:14 ID:???
(続き)
しかし春田の蛙さんはこういわれます。「現代においては、日蓮その人より悪質な形で四箇
格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者が散見されますね」「これは創価学会近辺のことではあ
りません。丸山照雄氏以降のまさに“いま”、ここ最近のネットなどでも確認出来る、一般か
らは良識的と見なされる方々の見解に対しての、私が感ずるところです。」「現代において、
これぞ正しく日蓮の後継者の姿であり、仏教者のあるべき一つの姿だと私は感じました。」
「四箇格言が、創価学会近辺の方たちだけの問題と思うのは、むしろ日蓮のみならず宗教
の歴史への決定的な無理解でしょう」「四箇格言を、それは鎌倉時代のことと歴史に埋没さ
せたがる“穏健派”な日蓮信仰者は確かに多数派ですが、私はそれは恥ずべき信仰の堕落と見
ております」

これらの文章を読むとよく分からなくなるのですが、あなたの尊敬される丸山照雄氏は「日
蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」なのですか? そのよ
うな日蓮信者こそ、「四箇格言を、それは鎌倉時代のことと歴史に埋没させたがる“穏健派”
な日蓮信仰者」と違った崇高なる信仰を維持している人たちと考えているのですか? 非
常にあなたの立ち位置が読み取り難い文章となっておりますので、もう少し具体的に、そ
れぞれの位置関係と自身のそれらに対する評価を記していただけると助かります。いずれ
にしても、私は四箇格言の直接的な内容自体は過去の遺物であると考えています。しかし、
そこに脈打つ精神に何かしらの意義が見出せるのであれば、そのような話には耳を傾ける
者であります。それこそが、過去を過去と認識した上で、現代的視点から、再接近する誠
実な姿勢といえるでしょう。日蓮はこんな馬鹿なことを主張した「糞坊主」だ、と切り捨
てて済む問題ではないのです。

>そう見なすならば日蓮仏法への全否定であって、日蓮仏法を全否定するに等しい言動をしながら
他者にはその信仰への配慮を求めるのであれば偽善であり、また信仰への侮辱でもあろうと現在私は考えております。

よって、この批判はまったく当たらないことが明らかとなりました。

223 :乾闥婆:2009/02/07(土) 23:27:28 ID:???
>>212
法律ヲタさん

>ところで、これはどちらかと言うと、ひゃっきまるさんよりも乾闥婆さんに申し上げるべきことかもしれません
けれど、日蓮系の諸宗派は、日興門下以外の立場も含めて、本質的な意味では「四箇格言」を排除する
ことは、できないはずです。
「四箇格言」という形は隠したとしても、立正安国論自体が、少なくとも四箇格言に象徴される考え方
そのものに従っていると言うべきなのですからね。

私は現代において「四箇格言を真顔で振り回す」のはおかしいといったのです。誰も切り
離せとも、隠蔽しろとも言っていませんね。皆さん誤解しているようですが。四箇格言を
現代ではどう受容するのか、ということでしょう。中世そのままの意味で、現代において
四箇格言を振り回す輩がいれば、それはほとんど人権侵害でしょう。私の言っていること
がお分かりになりませんか?

立正安国論はほぼ法然批判に終始していますね。まあ、天変地異の原因は念仏の流行とは
関係ないでしょうから、そのような観点から読んでも、あまり得るもののない文書ですね。

224 :ひゃっきまる:2009/02/08(日) 03:02:23 ID:???
一念三千てのは正直理解できないし、また理解する努力をする甲斐があるものなのかも若干疑問なんだけど、その発想は面白いと思う。

科学が飛躍的に発展するときというのは、説明しようとする現象の基本的な構成要素を発見するところからはじまるように思う。

物理学だったら、「原子」がまさしくそうで、古典的な物理学では「原子から構成される宇宙」という仮説のもとにありとあらゆる理論が生まれ、それらが実験によって確かめられることで更に理論が精密になっていった。

量子力学、相対性理論の時代になると原子はすでに基本的な構成要素ではなくなるけども、やはりクォークやプランク定数などの基本的構成要素というのが鍵となっている。

生物学では、「DNA」がそれに相当するだろう。分子レベルでの生物の仕組みというのはまるきり手探りだったのが、遺伝子の正体がDNAであるということが分かり、それを操作する技術を得たことで、爆発的に発展した。

数論では「素数」がそれに当たるし、脳神経科学や情報理論(?)ではその実体を見つけていないものの、クオリアとかミームを仮説的に設定している。

一念三千の法理っていうのは、いわば「一念」を心の働きの基本構成要素として、心のメカニズムを解き明かそうとした、かなり科学的な発想のものの気がする。

しかし、なんとなくこれって説一切有部のダルマの理論を連想させるのだけど、仏教は「成仏の方法」を追及する中で、大昔からずっと同じような心のメカニズムの理論追及を繰り返してきたのかな。

駄文ですのでスルーしてくださいね(^−^;

225 :ひゃっきまる:2009/02/08(日) 03:02:47 ID:???
>>210 滝山

>まずその前提を疑ってみたい。
>本来的な意味において日蓮(凡夫)本仏思想とは
>そのようなものなのだろうか。

あまり文脈をくんで読んでもらえてなかったようだけど、俺が>>180で言ったのは、単に信仰者に対して信仰対象を卑しめるような発言をすることは社会的には非常識だ、という宗教一般の話と思ってくれ。

俺は個人的には、日蓮を本仏とする必要はないと思っている。
あくまでも、「九識心王真如の都」を信仰対象とすれば。
で、凡夫の代表としての日蓮ということであるならば、日蓮が本仏ということでいいのだけど、それはあまりに誤解をまねきやすいから、わざわざそれを強調する必要はないと思うんだよね。



226 :ひゃっきまる:2009/02/08(日) 03:04:00 ID:???
>>211-212 法律ヲタさん

確かに自殺者は多いらしいですが、それほどありきたりの出来事というわけでもないと思います。
また、僕は高橋さんの話を頭から嘘だと決めつけているわけでもないんですが、やはり>>186のような書き方は問題があるように思います。

>日蓮系の諸宗派は、日興門下以外の立場も含めて、本質的な意味では「四箇格言」を排除する
ことは、できないはずです。

はい。僕もそう考えています。いわゆる、「唯一性」「排他性」の問題ですね。僕はこのスレで繰り返し、その問題性を指摘してきました。

日蓮仏法信仰者、特に創価学会や日蓮正宗のように原理主義的な信仰をする人にとって、「この信仰は唯一正しい。他の信仰では不幸になる」という思いは信仰心と密接に結びついていて、それがない信仰などはありえない、と感じているのではないでしょうか。

例えば、ここで議論した創価学会員の多くが、「他の宗教でもそう考えているはずだ。宗教とはそういうものだ」と思いこんでいたり、「この宗教が間違いであるならば、その代わりになる宗教を提示して見せろ」と要求したりします。

「唯一性」「排他性」の根拠が現代仏教学の上から否定されてしまい、また社会倫理的にも時代にそぐわない今、どのように日蓮仏法の信仰を捉えなおすことが可能なのか、非常に難しい問題と思っています。
個人的には、法華経を読みなおすことで可能なのではないかと思っています。


227 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/08(日) 03:26:36 ID:???
>>207 ひゃっきまるさん
>お久しぶりです。体調を悪くされていたようですが、ご自愛ください。

これはかたじけないです。このところはだいぶ調子が良いです。ひゃっきまるさんの書き込みには、色々興味深く
レスさせて頂きたい内容があったんですけど、ご無沙汰していてすみませんでした。その辺りも追々また書かせて下さい。

> 「四箇格言」の現代における価値、なかなか興味深いトピックですね。
> 詳細を楽しみにしております。

ありがとうございます。述べたい内容が多岐にわたりますので、少しずつ区切りをつけて書かせて頂きますね。
最初はまず、念仏の歴史と日蓮の念仏批判についてから簡単に述べようと思います。

――さて。皆さんは摂取不捨曼陀羅というものをご存じでしょうか?
法然らを弾劾した興福寺奏状の「新像を図する失」などにその名が見られます。名の由来は観経の一文「念仏衆生摂取不捨」からで、
阿弥陀如来が一切の人間を救いとり、けして捨てることは無いという意味です。が、その図画の内容はというと……。

> 当時、専修念仏者は「中央に阿弥陀如来を描き、その光明は十方を照らしているが、在家の念仏者のみ光が当たり、諸行の修行者を避けている」
> という絵を持参公開していたらしい。当時の民衆(文字を読めない人々)に多大な影響力をもったことは間違いない。
【佐々木正、法然と親鸞、青土社、132ページ】

……つまるところ、当初から“在家の念仏者以外は救われずに地獄に落ちるのだ”と、こういう布教方針があったと思われるのです。

> 宿業という思想は、法然・親鸞以前からあった。しかし、それが民衆に深く浸透していったのは、浄土門が広がって以降といわれる。
> …中略…この考え方に立つなら、現世の悲惨な境遇も、すべて前世の報いということになり、農民が現世で飢餓・貧困に苦しむのも、農民よりいっそう
> 悲惨な境遇にある被差別民が、現世という生き地獄の中で苦しまなければならないのも、すべては己が責任、身から出た錆という結論になる。

228 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/08(日) 03:27:48 ID:???
>>227続き

>  支配者にとって、これほどつごうのよい考え方はない。あらゆる社会悪や矛盾をすべて
> 個人の責任にしてしまい、自分はそれらから目を背けることができるからである。
>  こうした宿業思想は、必然的に差別とも結びついた。
> …中略…浄土門の教勢の拡大は、この宿業、およびそれと連動している堕地獄に対する恐れの深まりと並行して進む。
【浄土の本、学研、97〜99ページ】

そもそも、法然以前の念仏がどのような状態であったかと言いますと、当時の社会体制の変化や価値観の揺らぎによって、
オカルトへの志向が加速されており、念仏もそうしたものの代表的な一つで「二十五三昧会」といった結社↓が存在しました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E4%B8%89%E6%98%A7%E4%BC%9A

結社では、臨終のメンバーを取り囲んで死の瞬間まで質問をし、仏が迎えに来るといった幻覚を期待したようです。裏返せばこれは死後への恐怖であり、
疑念や不安故に、それを晴らそうと必死な哀れさでしょう。現代の創価学会員が“臨終の相”にこだわる姿にも重なりますね。

――社会や価値観が変化すると、従来の世界観に安堵していた拠り所が失われ、不安や疑念がオカルトへと人間を傾倒させます。
科学的世界観によってキリスト教的価値観が揺らいだ19世紀にオカルトブームが起きたことや、
バブル崩壊後にオカルト的な経営コンサルタントが流行ったこととも、私は似ている現象だと思います。

このように、かけ離れた時代であっても、その根底において人間を突き動かす衝動には、ある種の共通性があるのではないでしょうか。

229 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/08(日) 03:30:12 ID:???
>>228続き

> 業の恐ろしさに打ち震え、何としても悪因縁から抜け出したいと願う民衆に対し、阿弥陀こそ、
> いかなる罪悪深重の凡夫でも救ってくれる唯一の仏なのだと教えられれば、彼らは飛びつく。
>  実際、念仏は、「禁裏は悉く以て念仏なり」と興福寺大乗院門跡の尋尊が書いているように、上は没落に脅える皇族・公家から、死と背中合わせの武家、町衆、
> 下は農民、職能民にいたるまでのあらゆる階層に、不安、絶望、恐怖などのネガティブな感情を媒介として広まった。
【浄土の本、学研、99ページ】

↑この学研から出ている「○○の本」シリーズは、値段の割に内容がよくまとまっていて読み易く、入手もしやすいので
初心者向けにはお勧めです。ただ、ここまで引用した文章でも分かる通り、箇所によってはややステレオタイプな解説だったり、
「ムー」の学研らしく(笑)オカルト方面に寄った記事があったりはしますが。

なので幾つか解説に補足しておきますが、「上は没落に脅える皇族・公家から」の例としては、法然の有力な後援者であった
九条兼実辺りが挙げられるでしょう。ただ、彼が“法然の”念仏に触れて恐怖心を煽られたと見なすなら早計であり、事実はむしろ逆です。

今日に残る彼の日記「玉葉」を読むと分かりますが、法然と出会う以前の彼は、権勢を望み没落に怯え、夢占いの吉凶に一喜一憂する日々でした。
法然に対してもまじないを望み、法然は兼実のそうした要求に応えながら、徐々に称名念仏による心の安寧を彼に説いていきます。

――重要なことは、「二十五三昧会」などの説明でも分かる通り、法然以前よりすでに、社会体制や価値観の激変に伴う不安から
人々がオカルトに走る傾向があり、念仏もそれに含まれるものだったこと。そして、法然が如何に教えを説こうが、その内容とは別に、
結局念仏はそうした社会不安に乗じる形で広まった、今で言う“カルト的な社会悪”という側面が確かにあったという点です。

>  ひとたび弥陀に帰依すると、今度は弥陀に見捨てられたらおしまいだという新たな恐怖が、そこに生まれる。
> この心理を巧みについて、浄土門の僧侶の新たな支配が生まれてくる。

230 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/08(日) 03:30:36 ID:???
>>229続き

> …中略…たとえば真宗仏光寺派では、名帳や絵系図と呼ばれる名簿に名を登録したものだけが往生できると唱えて、門徒から金品を貪った。
> 蓮如はこれを異端として弾劾したが、その本願寺教団も、後述するように、世俗的権威を獲得するや、同じような道を歩んだのである。
> …中略…それは堕地獄に対する不安や恐怖からの逃避と結びつき、また他宗に対する排他意識や、差別意識、あるいは選民意識と結びついた。
>  これら抑圧され、屈折した感情や意識は、悲惨な現実に対する憤激と重なり合って一向一揆のエネルギーに結実したが、
> 門徒は弥陀への信仰を貫くために戦ったというより、現実には、今や生き仏となった法主のために戦ったと見ていい。

> ……本願寺を絶対支配者とする門徒の宗教王国も、民衆にとっては、新たな地獄でしかなかった。屍を野山にさらすのはいつの場合も門徒であり、蓄えを収奪されるのも門徒であった。
>  彼らは往生をカタに、自身の生死の権利まで法主に握られた。宿業思想は、差別と結びつき、別種の地獄・餓鬼道が出来していったのである。
【浄土の本、学研、99・97ページ】

↑これはやや一面的な内容ではありますが、実態はまことに陰惨なものがあったのも事実です。
一遍の事跡をご存じだと意外に思われるかも知れませんが、浄土門の僧侶が破門権を取り入れたのは、
時宗が最初と言われています。一遍の思想そのままでは、寺院教団は維持できなかったのかもしれませんね。

破門権――つまり僧侶が、信者の“極楽往生出来るか否か”を一手に握り、それを左右出来るのです。
時宗において、これは寺院僧侶各自の持つ権利であったのですが、本願寺にこれが取り入れられた時、破門権は本願寺のトップである門主一人の専有権となります。
つまり、この地上で唯一、本願寺のトップだけが“人間が極楽往生出来るか否か”を決められる、“阿弥陀如来の地上代理人”となった訳です。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1233590839/85-90

↑で少し触れましたが、このような教義の独占と私物化は、現在日蓮正宗において、“法主だけに本尊開眼の権利がある”と解釈されている事実と重なりますね。

231 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/08(日) 03:34:59 ID:???
>>230続き

……本願寺の支配についてですが、むろんこれだけではありません。門主に直属し、逆らう者を密告するスパイ組織も
存在したようです。現代人に分かり易く言うならあれです、北朝鮮の国内のスパイ組織と密告制度。

これによって密告され、門主の敵と見なされても破門される訳ですが、当時門徒が破門されたら
共同体で生きる手段は無くなります。これによって餓死に追い込まれた被害者もいたと、記録が残されています。
そして死後は地獄落ち決定ですから、本願寺教団でしくじることは“この世とあの世の二世をしくじる”と心底怖れられました。

――破門されてあらゆる生活手段を失い、共同体の誰も手をさしのべず(仏罰への恐怖並びに関わったせいで破門されると困りますから)、自分は地獄に落ちるのだと思わされ、
絶望の極みを味あわされながら死ぬ。まさに“地上の楽園”ならぬ“地上の仏国土”の恐怖政治。そうした一面があった訳です。

http://www.biwa.ne.jp/~terasaki/ikkouikki.htm

「一向一揆」や「破門権」、破門を許す「後生御免」も含めた多面的な解説は↑こちらを参考にどうぞ。
また、浄土研究で知られた故 笠原一男氏の著作などにも詳しいので、
機会がありましたらご一読下さい。確か講談社学術文庫辺りからも出ていたと思います。

……うーん、本当は立正安国論の記述などから日蓮の念仏批判の正当性まで触れておきたかったのですが、
念仏の歴史をざっとさらうだけで連投規制にかかりそうですね。長文なのに申し訳ありません。続きはまた次回に。
>>220-222の乾闥婆さんへのレスは、一区切りついてから返させて頂きますね。こちらもお待たせしてごめんなさいです。

――以上の内容は、前に他スレで山椒島さんにお約束したものの一部にあたります。
一向一揆を支えた“地上の仏国土”のご感想、よろしければお聞かせ下さい。
故 笠原一男氏は、こうした民衆宗教としての本願寺と創価学会の共通点も、古くから指摘されています。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 03:46:31 ID:???
春田の蛙さん。「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」って
誰のことだろうか悩んでいる一人です。ところでちょっとその間に考えたことをまとめてみます。

折伏正意主義者の自説合理化

折伏正意主義者はまず折伏=武力を否定する。個人の思想としては当然だが、日蓮からもともと
そうだったというのは無理がある。武力放棄は天文法乱以後。これを潔く認めたのは優陀那日輝
だが、それはちょっとおいて。

折伏正意主義者は折伏=不軽行(精神)、折伏=批判(実行)であるとする。
今成元昭師によると折伏=不軽行説は折伏正意主義者が開目抄改竄と如説修行抄偽作によって
ひろめた。ただし今成師の立場は日蓮はもともと折伏否定の摂受主義者という変わったもの。

さて折伏正意主義者は立正安国論が当たっていないという事実、四箇格言が当たっていないという
事実をどう合理化するのか。
一つは四箇格言は当時は当たっていたのであるが、日蓮の批判が功を奏し、今日の他宗は邪宗
ではなくなったとするもの。創価学会の最近の四箇格言修正もこの立場。

山川智応博士の慧眼
http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/houmyoukyoukai_/2007/04/post_3c22.html

次に優陀那師の天文法乱以後折伏不可の根拠でもある現在末法第二の五百歳説。折伏有効は
末法の初め五百年に限る。この説は日蓮自身に遡ることができそうだ。

末法初めの五百年と以後の違い
http://www.homyou.hello-work.jp/ron26.html

233 :滝山:2009/02/08(日) 06:08:20 ID:???
>>225 ひゃっき
>あまり文脈をくんで読んでもらえてなかったようだけど、

レスする前に一晩寝かして文脈は十分に読んだつもりだ。
創価学会に対するスタンスは最初の方で明確にしているわけで
俺には大して興味が無い。

>単に信仰者に対して信仰対象を卑しめるような発言をすることは社会的には非常識

そうは思わない。
唯物的な考え方で宗教そのものを否定することは非常識とはとられないだろう。
ひゃっきの言っていうことには、
「自分がされたら嫌だと思うことは他人に対してもするな」
というゴータマにも見られる素朴な倫理観があるのだろうが、裏を返せばこれは、
「自分がされても嫌だと思わないことは他人にしてもいい」
ということになるだろう。
自分と他人が価値観を共有していることを前提にしなければいけないこの理屈は
現実には全く通用しない。「常識」で一縛りにできるものではないだろう。
また、大事なものだから他人は否定するな、というのは甘えの発想だろう。
批判精神もまた大事なものだとひゃっきは認識しているはずだ。

>俺は個人的には、日蓮を本仏とする必要はないと思っている。

だからこそこの発言の矛盾がある。
個人的に、と断ろうと断るまいがこれは否定であり、
ひゃっきはその否定的見解を前提として先の意見を述べてしまっている。
また、必要はないと言っても必要はあると言っても、
既にそうした教義が存在し、それを奉じている人達が
存在しているわけだから、その言葉は何の意味も無いだろう。
臭いものに蓋をしているだけのように感じる。

234 :滝山:2009/02/08(日) 06:39:15 ID:???
>>219 春田の蛙さん
お名前は存じ上げていましたが、
こうして会話することは初めてですね。
こちらこそよろしくお願いします。

235 :滝山:2009/02/08(日) 06:59:06 ID:???
私心。
とりあえず一週間ほど議論から離れます。

236 :滝山:2009/02/08(日) 06:59:34 ID:???
訂正。私心→私信。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 07:55:00 ID:???
>>214-215 一念三千と色即是空

これは自己解決しました、圓頓章(えんとんしょう)なる
ものがあるんですね。たぶん↓この2つで空⇔色の両方向
のプロセスを含んでるみたい、、

一念三千 故成道時
一身一念 遍於法界

解説にもこうあるし、純一實相。實相外。更無別法。
法性寂然名止。寂而常照名觀。
・・・無二無別。これなら真言や禅と言ってることが
ほとんど同じみたい。。

>>214-215 それと禅定について、、

これは天台宗祖の智ぎ大師が、学智恵と禅定福徳は
車の両輪のようなものであるとおっしゃってるわけだから、
毛ギラいしないで話のタネにやってみたらいいのに、
たしか止観と座禅の組み合わせで4段階のステップが
設定されてたような記憶がある。





238 :滝山:2009/02/08(日) 07:58:51 ID:???
>>237
215は俺じゃないから。
別に座禅を毛嫌いしているわけではないよ。
では。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 09:19:03 ID:???
ついでに四箇格言についてもウロ覚えの知識で
書いときますね。。

真言亡国 = 空海が唐から帰ってきたときに天皇
から諮問を受けて答えたのが、一に真言二に華厳
として三番目に法華経を推奨したという、この順番
が気にくわないのと、法華無益と言ったとか言わない。。。

禅天魔 = 仏の教えは経典で示すことはできない、
という教外別伝の考え方が法華経をないがしろに
してて気にいらないそーです。

ところが日蓮さんはお釈迦さまから迦葉へ、そして
歴代大師に伝わった 「末法までは決して口外されない
ヒミツの法門があるのだ」 とさかんに主張してて、コレ自体
が教外別伝であることに本人は気ずいてるはずよww

念仏無間 = 捨閉閣抛につきるというか、法華経を読むな
というのはケシカラン、、、、でしょ。これは安国論から60
年ほど前、日蓮が生まれてもいない時代に書かれた書物
のなかの 「たったの四文字」 なんだけど、これを探し出す
嗅覚とそれに執着する執念がスゴいよねww

さすがに理屈にかなりムリがあって安国論のなかでは
家の亭主がおもわず弁解するくだりがあって楽しめるん
だけど、現在でも題目あげないヤツはこの捨閉閣抛の
謗法にあたりますから、ブツバチに気をつけたほーがいいよ。

律国賊 = 二百五十戒の戒律を修めた坊主が集まってんのに
雨乞いはしたけれど、雨は降らず逆に風が吹いたじゃないか、
が論点。これ逆に律宗が祈祷に成功した話も御書にはあります。

240 :ひゃっきまる:2009/02/09(月) 00:51:02 ID:???
>>232
>>237
>>239

同一の方でしょうか?

リンクも含め大変面白いレスいただいてありがたいのですが、今後も長文の書き込みをされる場合は、コテハンを付けていただくことを強く希望します。

このスレは長文の方が多く、読むのも書くのもかなり時間を割いておられる方が多いと思いますので、どのような立場のどのような考えの方がどのような流れで書いているレスか、というのを把握するのが非常に重要でありまして…。

よろしくお願いいたします。

241 :ひゃっきまる:2009/02/09(月) 01:31:16 ID:???
>>233 滝山

>そうは思わない。
>唯物的な考え方で宗教そのものを否定することは非常識とはとられないだろう。
>ひゃっきの言っていうことには、
>「自分がされたら嫌だと思うことは他人に対してもするな」
>というゴータマにも見られる素朴な倫理観があるのだろうが、裏を返せばこれは、
>「自分がされても嫌だと思わないことは他人にしてもいい」
>ということになるだろう。
>自分と他人が価値観を共有していることを前提にしなければいけないこの理屈は
>現実には全く通用しない。「常識」で一縛りにできるものではないだろう。
>また、大事なものだから他人は否定するな、というのは甘えの発想だろう。
>批判精神もまた大事なものだとひゃっきは認識しているはずだ。


「自分がされたら嫌だと思うことは他人に対してもするな」
→ yes

批判精神もまた大事なもの
→ yes

「自分がされても嫌だと思わないことは他人にしてもいい」
→ no

自分と他人が価値観を共有していることを前提にしなければいけない
→ no

相手が嫌だと思っていることはしない方がいいだろうね。当然。
自分と全く同じ他人はいないのだから、相手の立場をおもんばかり、想像することが大事だと思うよ。

また、大事なものだから他人は否定するな、というのは甘えの発想だろう。
→ no

242 :ひゃっきまる:2009/02/09(月) 01:32:11 ID:???
>>233 滝山 (続き)

他人が大事に思っていることだったら、それがどういう理由であれ、できるだけその気持ちを尊重するべきだと思うよ。だけどそれは、当然なんでもいいってわけじゃない。それは程度の問題。

俺は、「悪口」「蔑み」「罵り」は良くないけど、「批判」「事実追及」「議論」は良いと思っている。
その境界は曖昧なのかもしれないけど、一つ言えるのは、後者に関しては相手の意思や人間性に対する尊重がなくてはならない、ということ。特に、宗教の話をしているのだったら、信仰心に対する尊重はできるだけ配慮されなければならないだろう。

243 :ひゃっきまる:2009/02/09(月) 01:33:02 ID:???
>>233 滝山

>だからこそこの発言の矛盾がある。
>個人的に、と断ろうと断るまいがこれは否定であり、
>ひゃっきはその否定的見解を前提として先の意見を述べてしまっている。

みんないろんな信仰を持ってていいよ、というのが俺の考え。
だから、「個人的にはこう思うけどね」と前提したまで。

これが信仰の問題である以上、それに同意するもしないも勝手。

事実確認に関する議論や、社会的な問題への批判はするけど、その話が信仰の領域に入ってしまったら、そこは相手の意思を尊重するしかない。

鰯の頭を拝むなんて馬鹿馬鹿しい、と言ったって意味がない。

死んだ息子の成仏を願って毎日祈ってる母親に対して、「息子は灰になったんだ、あんたのやってることは無意味だ」と言うことは非道だ。

だけど議論をやってる上で、説得力を持つ意見だったら自然にそちらの方向に気持ちが動くだろう。日蓮はただの一度も自分を本仏だと言ったことはない、と俺が言えば、本当だろうか、と自分で考える契機にする人もいるだろう。

相手の信仰を否定する必要はなくて、単なる事実確認や、自分の信仰観を提示するだけでいいんじゃないか。



244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 01:50:17 ID:???
>>232
山川智応博士の慧眼を読むと山川先生は優陀那院日輝師を日蓮聖人の真の思し召しが解っていないと批判なさっている。
それもそのはず。
山川先生の師である智學居士は優陀那院教学に不満を感じて還俗している。
山川先生と後継教団の考えは四箇格言の精神は継承し批判対象を共産主義などに向けている。

國柱會は派生教団も含み日蓮原理主義教団であり宗教右翼に分類されている。

245 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/09(月) 08:06:46 ID:???
>>216 滝山さん
>しかし各々の宗派に限界を見つめる総合仏教は
>総合仏教それ自身に対しても限界を見つめなければ
>いけないのが道理であるでしょう。
>日蓮は目の前に広がっていた現実に、
>それを感じたのではないかと思います。
>だからこその四箇格言だったのではないでしょうか。

これは、より具体的にはどのような事をお考えになっているのでしょうか?
仮に、日蓮の立場は、「総合仏教」と呼ぶべきもの乃至それを目指しているものだったとしても、日蓮は、
自己の宗教について絶対性を主張していたのであって、そこに自己の宗教的立場の「限界を見つめ」て
いたわけではないと私は思っております。
日蓮のどのような言動から滝山さんがそのようにお考えになったのか、それを知りたいところです。

246 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/09(月) 08:08:41 ID:???
>>220 乾闥婆さん
>いいえ違います。私は「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎません」
>と言いながら日蓮を「糞坊主」とこき下ろして悦に入っているその姿勢を批判しているの
>です。「創価学会における日蓮観・宗教観を問題としたものにすぎ」ないのであれば、その
>ような日蓮観・宗教観を叩けばいいのです。わざわざ日蓮を「糞坊主」と言い募る根性が
>気に入らないのですよ。

『日蓮を「糞坊主」とこき下ろして悦に入っている』としてしか、把握できないとは…。
私は、日蓮を“大聖人”(さらには、“本仏”)と考える「日蓮観・宗教観」を問題とし、批判しているのです。
日蓮の「四箇格言」張りの表現を用いてね。
いわば、“五箇格言”とでも言ったところですかね。 (w
(別に念仏その他を批判したいわけではありませんので、“一箇格言”と言うべきかもしれませんけれどね。)

日蓮を“大聖人”だとか“本仏”だとか考えることは、もちろん御自由です。
しかし、それに万人が従わなければならない理由などどこにも存在しないのであって、それを強制しようと
する事など独善・傲慢以外の何物でもありません。
そして、私が日蓮を“妄想糞坊主”と考える事も、まったくもって私の自由なのです。
それに対して内容的に問題があると言うなら、合理的に納得しうる根拠を示して、日蓮が大聖人・本仏である
との反論を創価学会のこれまでの見解・主張に則って行えば良いのです。
私の側は、日蓮および創価学会の妄想その他の問題点について幾らでも挙げる事ができますよ。(既に
幾つか挙げたはずだと思いましたけれどね。)

247 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/09(月) 08:10:24 ID:???
>>223 乾闥婆さん
>私は現代において「四箇格言を真顔で振り回す」のはおかしいといったのです。誰も切り
>離せとも、隠蔽しろとも言っていませんね。皆さん誤解しているようですが。四箇格言を
>現代ではどう受容するのか、ということでしょう。中世そのままの意味で、現代において
>四箇格言を振り回す輩がいれば、それはほとんど人権侵害でしょう。私の言っていること
>がお分かりになりませんか?

私が『「四箇格言」という形は隠したとしても、・・・』と述べたのは、乾闥婆さんの言うよう「立正安国論は
ほぼ法然批判に終始」しているのか否かは措くとしても、ともかく立証安国論は念仏批判を行っているわけ
ですが、しかし、日蓮の真意としては念仏批判だけを念頭においていたはずではない、という意味なので
あって、「四箇格言」の方から見てみれば、立正安国論で述べている内容はその一部でしかないという
意味にすぎません。
後の“広本”においては、念仏批判のみならず、四箇格言そのものの方向へ一歩踏み出しているわけですし、
略本が念仏だけを対象としているのは、それを提出しようとした北条時頼が禅宗に好意的であった事に
配慮したとする説・見解も存在するところでもあります。

248 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/09(月) 08:13:01 ID:???
(レス>247の続き)
また、「中世そのままの意味で、現代において四箇格言を振り回す輩がいれば、それはほとんど人権侵害
でしょう」とのお話ですが、「振り回す」という比喩的表現の意味するところにもよりますけれど、一般的には
あのような宗教的プロパガンダ用のキャッチコピーを繰り返し述べたとしても、それだけでは人権侵害に
該当するとは考えにくいものと思われます。
名誉毀損に該当するとでもおっしゃりたいのですかね?
それどころか、逆にあのような発言を制約しようとすれば、それ自体が、それこそ人権侵害となりかねない
可能性も存在します。
お分かりですか?

「まあ、天変地異の原因は念仏の流行とは関係ないでしょうから、そのような観点から読んでも、あまり
得るもののない文書ですね。」・・・「そのような観点」ではなくて、他の観点から読めば“得るもののある
文書”だという意味なのでしょうか?
それとも、あのような文書は、御書ならぬ“誤書”だとでもおっしゃりたいのですかね? (私は、そのように
思っておりますよ。)

249 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/09(月) 08:18:16 ID:???
>>226 ひゃっきまるさん
「それほどありきたりの出来事というわけでもないと思います。」・・・それは、確かにそうかもしれませんね。

>「唯一性」「排他性」の根拠が現代仏教学の上から否定されてしまい、また社会倫理的にも時代にそぐわない今、どのように日蓮仏法の信仰を捉えなおすことが可能なのか、非常に難しい問題と思っています。
>個人的には、法華経を読みなおすことで可能なのではないかと思っています。

ひゃっきまるさんのお立場・お考え・御努力を否定するつもりは毛頭ないのですが、私のように信仰と
無関係な無宗教者が外部から眺めさせていただきますと、正直申し上げて、そのように「日蓮仏法の
信仰を捉えなおすこと」は可能なのだろうかと疑問を抱かざるを得ません。
例えば、日蓮宗系の方々は、日蓮の主張について学問としての現代仏教学など客観的見地との整合性を
図ろうとなさっているようですが、それは結局のところ、日蓮の考えを否定するものでしかないように思えます。
はたして、そのような方向性のはてに、日蓮のどのような考えが見るべき価値あるものとして残りうる
のでしょうか…。
お立場が私とは異なるひゃっきまるさんを始めとした様々な方々の御努力を見させていただくほか
ありませんけれど、私としては、そのようなものがもたらす結論は、結局のところ実質的には日蓮
否定というべき内容でしかないのではないかと思います。 (ひゃっきまるさん御自身が日蓮を現代的
視点から肯定しようと努力なさっているという意味ではありません。)

250 :ひゃっきまる:2009/02/10(火) 00:17:58 ID:???
>>249 法律ヲタさん

>無関係な無宗教者が外部から眺めさせていただきますと、正直申し上げて、そのように「日蓮仏法の
>信仰を捉えなおすこと」は可能なのだろうかと疑問を抱かざるを得ません。

非常に難しいでしょうね。

今の時代において伝統的な教義の説得力が圧倒的に欠けており、それを字義どおりに受け取って信仰することは原理主義になってしまい、むしろ日蓮の意図とは真逆になってしまう、そんな問題意識の元、新しく教義解釈しようとしたとします。

そして、新しい教義解釈などいくらでも、それこそ人の数だけ考え付くでしょう。
中には、「私こそが日蓮仏法の本質を理解しているのだ」などと悦に入る人も出てくるかもしれません。
しかし、それらは単なる今の時代・風潮・常識に合うように加工した単なる新興宗教もどきに過ぎません。

やはり宗教というのは、それまでの伝統・文化、歴史の重みというものも必須な要素としてあると思います。

251 :ひゃっきまる:2009/02/10(火) 00:18:27 ID:???


(続き)
それでも僕は法華経は価値あるものだと思っていますし、日本を主体的に引き受けていこうとする日蓮の精神性に感じるところがあります。

法華経に展開される物語の荘厳さや、そこに展開されるテーマの深さ、万人が仏になる可能性を持っていることや、常不軽菩薩の行動の尊さなど、は現代でもなお失われてはいません。

日蓮の考えや行動は現代から見るとオカルトということになってしまいますが、結局彼が目指したのは自分のエゴのためではなく、苦海にあえぐ民衆の救済です。

法華経に自分を捧げ、信仰に徹し、自分自身こそが衆生を救う使命を持っているのだ、という強い確信から生まれる力強い生き方、言葉。そういったリーダーシップが人を惹きつけるのだと思います。

252 :ひゃっきまる:2009/02/10(火) 00:19:02 ID:???
(続き)
もちろん、法華経や日蓮に「何」を見出すかは、結局個人の問題です。法華経は女性差別的である、障害者差別的である、とか、日蓮は攻撃的である、仏教的ではない、自説に都合の悪いことを観ようとしない、などと言う人もいるでしょう。

僕が法華経や日蓮を肯定的に見ようとして善いところを見出すのと同様、否定的に見ようとして悪いところを見出すのもまた自由です。どちらもそれなりの意味を持つでしょう。



最終的に日蓮仏法がどういう道程をたどるのかは分かりません。
しかし、正しく歴史を認識し、今という時代を見据え、いろいろな立場、いろいろな人生を持った人が各人の思いを持ち、協力的に対話を続けること自体が非常に価値的なことであり、その結果日蓮仏法がどうなるか、というのは実はたいした問題ではないような気もします。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 21:08:44 ID:???
ヲタ坊、焼きスレがおろそかになってるぞ。
験体のお前がフラフラすんなよ。
吠えて吠えて吠えてまくりなさいな。

254 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/02/10(火) 23:05:15 ID:???
>>56
ひゃっきまるさんへ
レス遅れて大変申し訳ありません。
また、ご丁寧な説明ありがとうございます。

> これは「自分探し」というとても普遍的なテーマを扱っているように思います。
> 子供は親を選べませんから、良かれ悪しかれ、必ず親の影響を受けて育ちます。>
> 無理やり創価学会の問題と結び付けてしまいますが、創価学会2世3世も、「精神の自立」という部分で百鬼丸と同じような運命を背負っているように思います。


そうですね。
僕は今の親から生まれて、本当によかったと思っていますし、信仰している事もよかったと思っています。

ありがとうございました。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 00:39:05 ID:???
「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」は誰を指すのでしょう?

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 00:54:19 ID:???
現在日蓮主義者を標榜するのは國柱會系と統一団程度



257 :乾闥婆:2009/02/11(水) 01:02:16 ID:???
>>246-248
法律ヲタさん

>『日蓮を「糞坊主」とこき下ろして悦に入っている』としてしか、把握できないとは…。

では、断腸の思いで「糞坊主」と言っていましたか?

>私は、日蓮を“大聖人”(さらには、“本仏”)と考える「日蓮観・宗教観」を問題とし、批判しているのです。

やはり「糞坊主」は余分ですね。日蓮自身は自分のことを本仏とは言っていないはずです。

>日蓮を“大聖人”だとか“本仏”だとか考えることは、もちろん御自由です。
しかし、それに万人が従わなければならない理由などどこにも存在しないのであって、それを強制しようと
する事など独善・傲慢以外の何物でもありません。

同じ意見です。

>そして、私が日蓮を“妄想糞坊主”と考える事も、まったくもって私の自由なのです。

それを私が批判するのも自由ですね。あなたはそう考えることが自分の自由だから批判さ
れるいわれはないとでもお考えですか?

>それに対して内容的に問題があると言うなら、合理的に納得しうる根拠を示して、日蓮が大聖人・本仏である
との反論を創価学会のこれまでの見解・主張に則って行えば良いのです。

なぜ私が、日蓮は本仏であるとの主張に沿って、あなたの「糞坊主」発言を批判しなけれ
ばならないのですか? 私は私の論理に従って批判するまでです。

258 :乾闥婆:2009/02/11(水) 01:02:59 ID:???
(続き)
>私の側は、日蓮および創価学会の妄想その他の問題点について幾らでも挙げる事ができますよ。(既に
幾つか挙げたはずだと思いましたけれどね。)

私は歴史的背景と現代的視点の混濁を批判しているのであって、あなたの挙げているよう
な問題点は当然知り尽くしているわけです。

広本・略本については以下参照
ttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/nakao_001.html

>「振り回す」という比喩的表現の意味するところにもよりますけれど

例えば、一人の念仏信者がいるとして、それを複数の人間が取り囲み、地獄に落ちるぞ、
地獄に落ちるぞ、念仏を捨てよ、と長時間にわたって詰め寄る場合、などを想像してみま
した。

>「そのような観点」ではなくて、他の観点から読めば“得るもののある
文書”だという意味なのでしょうか?
それとも、あのような文書は、御書ならぬ“誤書”だとでもおっしゃりたいのですかね?

歴史的文書は資料的価値が高いでしょうね。当時を知る上での資料であり、日蓮やその周
辺の思想状況を見る資料、ということだと思います。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 07:39:22 ID:???
>>160 明かなる事・日月にすぎんや

これって日光菩薩のことでしょ? 日蓮さんはもと真言だから、
薬師三尊として薬師如来の左右をかためるワキゾナエとして
の日光・月光菩薩なら、蓮の花の座布団に座ってて、合わせ
技で日蓮ってことなんでしょうね。

真言のある一派が薬師如来を拝むなら、その弟子筆頭で
ある日光菩薩に成り代わっとけば、庶民に拝まれるコトまち
がいなし、というリクツはわかるけど、自分は上行菩薩の生ま
れかわりかもしんない、と誘導した手口とおんなじやんけ。。。

そうすると虚空蔵菩薩に日本国第一の知恵者になれ、と誓願
した話も、空海自慢の記憶術、虚空蔵求聞持法のパクリで
「じつはワタシは虚空蔵菩薩の生まれ変わりで、弘法大師と
おなじくらいスゴい知恵者なんよ。」 と誘導するつもりだった
んじゃないの?

とにかくこの手の庶民のハマりやすいつぼを瞬時に見つけ出す
才能はたしかにスゴいけど、逆に言えばこれは日蓮さんの俗物
性を示してるんでしょね、CMことばで言えば、、、

ワタシ、 「菩薩」 って言葉に弱いのよねー

かな ? ? ? ww




260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 08:16:09 ID:???
>>259
ひとこと追加しとくと、ネットでもいいから薬師三尊像を見れば
この手の像は後ろに日輪がつくことが多いんで、

「にちりん」 と 「にちれん」

ということね、音のごろ合わせは印象に残りやすくてMCの基本
テクニックだから、鎌倉時代に認識しているというのは、これは
室町から戦国にいたる過程で多数あらわれる扇動坊主の
さきがけということのようです。いうまでもないことだけど、、

日蓮 → 日輪 → 大日如来

真言にいるときはてってーてきに真言にコビを売り、真言で
はアタマ打ちと見るや、突如とうじのニッチ仏教であった天台
法華宗にくら替えし、天台法華教義にとことんコビを売り始め
る変わり身の早さ、、、

それと同時に、いままでお世話になった真言と天台密教を
どこまでも執拗にポロカスにけなし始める、まるでヘビを
思わせるその執念、、、、、いいですねー、日蓮という人、

たしかに個性的ではあんだけどねww

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 11:25:51 ID:???
「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ」のは
やはり創価学会、顕正会、妙観講、日蓮正宗だけだろうね。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 11:44:47 ID:???

「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」を挙げられないので修正ですね。
わかります。


263 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/11(水) 13:40:44 ID:???
>>250-232 ひゃっきまるさん
>やはり宗教というのは、それまでの伝統・文化、歴史の重みというものも必須な要素としてあると思います。

そのように「必須」と言い切ってしまう事には多少の問題も感じないでもありませんけれど、「それまでの
伝統・文化、歴史の重みというもの」が重要な作用を果たしうるという点については、おそらくその通りで
あろうと、私も思います。

ところで、法華経の評価についてですが、私の場合、基本的には御伽噺の類としか思えません。
それだけならまだ問題も少ないのですけれど、そこに合理的根拠を欠く差別意識が内包されて
いるようにしか思えず、問題の多い経典だと思っております。

264 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/11(水) 13:44:38 ID:???
(済みません。レス>263は、アンカーを間違えておりました。 正しくは“>>250-252”です。)

>>257 乾闥婆さん
>では、断腸の思いで「糞坊主」と言っていましたか?

日蓮は、四箇格言を用いて自己の見解を表明するに際し、「断腸の思いで」そのような発言をしたのでしょうか?

まぁ、このような事は蛇足にすぎないものではあるのですが、もしかすると意識されていないのかも
知れませんので一応触れておきます。
今日でも創価学会員などは、日蓮の四箇格言に象徴されるような類の他宗批判を行いますが、それは
「断腸の思い」を抱いて行っているものなのですかね?   (それ以外の宗教・宗派の場合ももちろん
同様ではありますけれど、特に、彼等の言うところの日顕宗なるものに対する批判を考えた場合に、
どうなのでしょうかね?)

265 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/11(水) 13:46:06 ID:???
(レス>264の続き)
>やはり「糞坊主」は余分ですね。日蓮自身は自分のことを本仏とは言っていないはずです。

いえいえ、とんでもない。  それこそが重要なのです。
既に私は、このキャッチフレーズによって創価学会の見解を批判しているの(であって、日蓮を信奉する
他宗派については、一応は射程外)だと申し上げておりますが(もっとも、理論的には、他宗派であっても
日蓮を本仏と解する立場については、意図せざる攻撃対象となってしまう結果を生むかもしれません
けれど、それは、彼等が自己の責任で日蓮を本仏であると解している以上、止むを得ないでしょう。)、
お忘れでしょうか?
日蓮自身が、己を「本仏」と明言しているかどうかという問題ではないのです。

また、これを単に「坊主」等とした場合との比較についてですが、私としては、日蓮を三宝における僧宝と
解する立場と私の立場とでは決定的に異なることを批判の相手に対して示す意図があるのであって、
更には、一種のキャッチフレーズ・キャッチコピーとしての効果も考えると、これを抜かす事はできない
ものと考えております。

(さらに続く予定ですが、他にやらなければならない事があり、都合により一度中断させていただきます。)

266 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/11(水) 13:57:03 ID:???
>>265の終わりの方で申し上げている「日蓮を三宝における僧宝と解する立場」とは、もちろん、創価学会
その他のように“仏宝”と解する立場の間違いではありません。
そのような日蓮系統内の立場とも、私は無縁だという話です。
“日蓮を三宝における僧宝と解する立場とも℃рフ立場とでは”とでも表現すべきだったかもしれません。



>>262
「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」とは、もしかすると、オマエ様達の事
なのではないのかな?  (藁

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 14:25:01 ID:???
創価学会、顕正会、妙観講、日蓮正宗以外にいるらしいが。

>>192
>>191 乾闥婆さん
>いま、四箇格言を真顔で振り回す日蓮宗派は
>おりますでしょうか。それこそ創価学会近辺の方たちだけの問題でしょう。
現代においては、日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者が散見されますね。

268 :ひゃっきまる:2009/02/11(水) 17:01:51 ID:???
>>254 雪山童子さん

>僕は今の親から生まれて、本当によかったと思っていますし、信仰している事もよかったと思っています。

そう思えるのが何よりでしょうね。

このようなアンチ創価が大多数のような場所でスレを読んだり書き込んだりすることは、雪山童子さんにとってかなりストレスになっているのではないかとご推察しますが、できれば多くの人にご自身の価値観や、信仰の良さなどを語っていって欲しいと思っています。

人の心に平和を築くのが目的のはずの宗教が、争いやいがみ合いの種になっているという状況はどうにもやりきれないものがあります。

269 :ひゃっきまる:2009/02/11(水) 17:53:29 ID:???
>>263 法律ヲタさん

>ところで、法華経の評価についてですが、私の場合、基本的には御伽噺の類としか思えません。
>それだけならまだ問題も少ないのですけれど、そこに合理的根拠を欠く差別意識が内包されて
>いるようにしか思えず、問題の多い経典だと思っております。


僕も、現代においては法華経は物語、つまりフィクションの類としてしか読むことはできないと考えています。
しかし、「物語」だからといって価値がないとは言えず、物語の形をとった教えと捉えることは可能でしょう。

また、その物語が「心的な場」において現実以上の現実なのだ、という考え方もできるでしょう。
絵画において印象派やシュルレアリスムは光学的な意味でのそのままの現実を描いたものではありませんが、現実以上の現実を描こうとするものであると思います。


近代になり大乗非仏説の議論が持ち上がるまでは、「釈尊」は二千年以上もの間、仏教徒の中に絶大な権威であり続け、彼の覚りとは何か、ということを中心に仏教は発展(もしくは変容)し、法華経も多くの信仰者にその意味を読み解かれてきました。

経典は一種のロールシャッハテストのようなもので、どの信仰者も、まるで経典を鏡のように作用させて、自分の内奥を探っていき、いわゆる「文底解釈」として自分自身の覚りを拾いあげていったのだと思います。


270 :ひゃっきまる:2009/02/11(水) 17:54:24 ID:???
(続き)
確かに、現代において、仏教史や宗教に関しての認識が変わった今、諸々の経典を過去と同じように読むことはできません。
また、過去の信仰者の考えをそのまま受け入れることもできないでしょう。

法華経の物語は我々が釈尊を絶大な心的権威と前提するときはじめて十分に効果を発揮する物語であり、また、そのような読み方を前提として築き上げられてきた仏教理論も過去の人と同じように理解することは不可能なのです。


しかし、現代からの視点としてそれらを俯瞰して、各時代における教えを再構築して理解する努力はできると思います。
結局それもロールシャッハテストのようなもので、経典や仏教理論を字義どおりに理解するというよりは、自分自身の覚りを追求する試みといった方が良いのでしょう。

結局、経典といってもそれそのものは単なる字の羅列にすぎません。読み手がそこに価値を見出そうとすれば際限なく何かが立ちあらわれてくるという、そんなものだと思います。
法華経は読み手の中から価値を引きずり出す物語として優れた性質を持っていると思います。

271 :ひゃっきまる:2009/02/11(水) 17:55:58 ID:???
(続き)
法華経の差別意識に関してですが、およそ二千年も前につくられたとされる法華経の内容に、現代の倫理観にそぐわないところがあるのは仕方ないと個人的には考えています。
法華経の主要なテーマはむしろ差別を否定するところにあったことは明白で、その意図を汲み取らず、端々の差別意識ばかりに着目することはあまり建設的ではないと思います。

法華経を原理主義的に受け取り、障害者差別、職業差別、女性差別を正当化するような人間がいたとしたら、そのような人はむしろ法華経の精神を理解していないと非難されるでしょう。

しかしそれでも、差別表現が問題だと考える人がいるのであれば、その声には真摯に耳を傾けるべきなのでしょうね。


272 :乾闥婆:2009/02/11(水) 21:49:01 ID:???
>>264-265
法律ヲタさん

>日蓮は、四箇格言を用いて自己の見解を表明するに際し、「断腸の思いで」そのような発言をしたのでしょうか?

知りませんが。なぜそんなことを私に聞くのですか?

>今日でも創価学会員などは、日蓮の四箇格言に象徴されるような類の他宗批判を行いますが、それは
「断腸の思い」を抱いて行っているものなのですかね?

知りませんが。自分で創価学会員にでも聞いてみたらどうですか?
まあ、大抵、悦に入っていることでしょう。あなたと同様に。

>既に私は、このキャッチフレーズによって創価学会の見解を批判しているの(であって、日蓮を信奉する
他宗派については、一応は射程外)だと申し上げておりますが

何を言っているのですか? 私はあなたが批判しているつもりでなくても、日蓮を「妄想
糞坊主」呼ばわりすれば、それは日蓮を本仏としないけれど宗祖とする他の宗派の人をも
侮辱する行為になる、と言っているのですよ。あなたが射程内であるとか射程外であると
か、自分勝手に決められる問題ではないといっていることが、まったく分かっておられな
いのですね。だから私はあなたのことを創価学会と同等だと言っているのです。

>私としては、日蓮を三宝における僧宝と
解する立場と私の立場とでは決定的に異なることを批判の相手に対して示す意図があるのであって、

そんなことはわざわざ日蓮を「妄想糞坊主」呼ばわりせずとも明々白々でしょう。「決定的」
も何もあなたはどう見たって日蓮信者ではないでしょう。

>一種のキャッチフレーズ・キャッチコピーとしての効果

まるで日蓮みたいですね。

273 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/02/11(水) 23:54:32 ID:???
>>268
ひゃっきまるさんへ
レスありがとうございます。

> このようなアンチ創価が大多数のような場所でスレを読んだり書き込んだりすることは、雪山童子さんにとってかなりストレスになっているのではないかとご推察しますが、できれば多くの人にご自身の価値観や、信仰の良さなどを語っていって欲しいと思っています。



お心づかいありがとうございます。
僕は2ちゃんねるを覗いてからまだ一年も経ちませんが、自分にとってとても勉強させてもらっています。リアルで話すのとは全然違うので、文章能力のない僕にとっては書き込む時にとても苦労します。そんな時にストレスを感じますね。
僕にとっては今だ自分を中心に世界は回っているので全てがプラスに考える事ができますし、プラスに考え直す事ができます。
でもそれは、考えるだけでは意味がなく、現実の中で行動しなければ実感も確信もないでしょうね。
職場でも家庭でも僕を中心に(みんなそれぞれが中心に世界は回っているのですが)回りが笑顔に満ち溢れ
るような人になれるように、また自身の幸せを分かち合える器になれるように信仰を通して行動する事ばかり考えています。

やっぱり相手の喜ぶ顔をみるのが僕にとって一番幸せですね。その為の信仰かもしれません。



> 人の心に平和を築くのが目的のはずの宗教が、争いやいがみ合いの種になっているという状況はどうにもやりきれないものがあります。


本当に同感です。

僕の一日の生活の中には そのような事はありませんが、ひゃっきまるさんの言われるように、この場を通して自分の価値観や信仰の素晴らしさを幼稚な表現ではありますが話していきたいと思います。

温かいレスありがとうございました。

274 :高橋:2009/02/12(木) 01:52:00 ID:???
この世の中には、「神も仏」も居ないと思います。
人の心の中にも、「神も仏」もいないと思います。

聖書にしても仏典にしても、結論のない物語に私達は「神、仏」を探しだそうと
としているような気がします。
知恵の付いた猿達だけに「神、仏」が存在するとは思わないのです。
この地球の中の万物全てが平等でなくてはならないだろうと。
生物として弱肉強食という差別の法の実相の姿を誰が説いてくれたでしょう。
何故に「神、仏」は子孫繁栄についても詳しく説こうと
しないのでしょうか。

「格言」も「謗法」も十如是の「相」にキーワードを入れて
罰論を説いているだけでアタリマエなような気がします。

275 :ひゃっきまる:2009/02/12(木) 02:00:26 ID:???
横レスで申し訳ないですが、乾さんと法律ヲタさんの議論はどうも平行線で、このままえんえんと続いてしまうんではないか、という気がしてならないです。

僕は乾さんの意見はよく分かりますが、法律ヲタさんの意見はよく理解できません。

というか、法律ヲタさんが日蓮を罵倒するのは、単に創価学会を攻撃したいためで、それ以上の意味でもそれ以下の意味でもないのでしょうね。それが理不尽だといくら言ったところで、おそらくお考えを改めるつもりはないのでしょう。

お二人ともかなりの時間をさいて議論されていると思いますが、お身体が心配です。
これ以上のやりとりはあまり意味がないように思いますが、どうでしょうか。

276 :ひゃっきまる:2009/02/12(木) 02:09:05 ID:???
>>273 雪山童子さん

こちらこそよろしくお願いしますね。
僕も雪山童子さんには注目しておりますので、なんでも体験したことや思ったことなどを書いていただければ嬉しいです。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 07:35:24 ID:???
ヲタの書き込む動機がわかりません。ただ学会員を論破するのに終始して“悦”に浸っているのは間違いありません。
粘着に対して(あぁアホの相手は疲れるなぁ)等の表現をよく使いますが、実は嬉しくて楽しくてたまらないのでしょう。
負けず嫌いの堅物ですよ、相手の気持なんて気にしてません。

278 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/12(木) 08:49:42 ID:???
>>275 ひゃっきまるさん
そうですか…。
平行線で延々と続きかねないという点は、おそらくその通りでしょうね。
私もその通りに感じています。
従って、「これ以上のやりとりはあまり意味がない」と言えば、それもその通りという事になるのかもしれません。
ただ、やはり批判を受けた以上、それに対して言うべき事は言っておかなくてはなりません。

ここは、創価・公明板であって宗教板ではないのですから、ここで問題とされる日蓮像・日蓮観も、原則としては
創価学会の示す日蓮像・日蓮観をめぐるものでなければならないはずです。
それ以外の日蓮像・日蓮観が何らかの理由で示されるとしても、本来ならそれが許されるのは、創価学会の
それを批判する限りにおける範囲に限られるはずのものでしょう。

279 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/12(木) 08:51:38 ID:???
(レス>278の続き)
そのような中で、創価学会の示す日蓮像・日蓮観に対する批判として提示した一種の日蓮像・日蓮観を
批判するという事は、もちろん板の趣旨を無視するものではありますがその点はともかくとして、そのような
立場が示す日蓮像・日蓮観には論理的には二つの可能性しかないわけです。
創価学会のそれに同調するものか、または、それは批判するが現に批判を行っている者の示す日蓮像・
日蓮観にも同調しないそれのどちらかであって、後者であれば、また一応は、この板の趣旨との関係が
問題とはなるわけです。

さて、私はその抱く日蓮像・日蓮観について明示的には述べてきておりませんけれど、日蓮を徹底して
人間をして把握する立場のつもりです。
そして、いわゆる日蓮宗系統などの示すそれも、その中でも様々な立場が存するにもかかわらず単純に
まとめられるかは仮に措くとして、どこまでそれを徹底するつもりかは別ですが、人間日蓮なわけです。

280 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/12(木) 08:53:10 ID:???
(レス>279の続き)
その点では共通性もあるわけですが、にもかかわらず、それぞれの想定する日蓮像・日蓮観には
相容れない部分もあるわけであって、私の側からする批判の一つが>>249等のレスでもあるのです。
レス>249は、直接的には創価学会等の見解に批判的な日蓮系他宗派を扱ったものの形をとっておりません
けれど、内容的にはそれらに対する批判となりうるものと考えております。

他スレでよく使っている表現なのですが、時代的制約を受けた日蓮の様々な認識に客観性を欠く部分が
ある事自体は、致し方のない事でしょう。
しかし、その問題点に関して部分的に今日の視点から手当てをしようとパッチワークをすれば、それで
済むものなのでしょうか?
それによって、日蓮の正しさが保証されるものなのでしょうか?
一種の御都合主義にすぎないのではありませんか。

281 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/12(木) 08:57:45 ID:???
>>277
「書き込む動機」も何も、そのような方向に振られたから、それに応じているだけだ。
スレッドを読み直してみろ。
俺にとっては、自分の見解を示す良い機会でもあるしな。
それだけの事にすぎない。

それとな、「相手の気持なんて気にしてません」ってのは、それこそ、一部の宗教者の態度なんだよ。
俺は、それを問題としているだけだ。
分からず屋さんに対して、場合によってはそいつ等と同様の手法を用いてな。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 09:22:36 ID:???
>>277
一部を除き同感。ヲタは「学会員を論破」したことはない。
相手の気持ちは気になるから自分への敵対者にも文章表現を使い分ける。
腹の底では乾闥婆氏への怒りが渦巻いているだろう。
要は常識派対エキセントリック派の論争。



283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 18:07:53 ID:???
281ヲタ
酷い開き直りだな。
目には目をですか?振られたから応えただけ?このスレに至ってはだろ?
焼きスレをロムしだしてから2年位たつかな、あんたの御活躍は目にしてるよ。酷い煽りがほとんどじゃないか学会員?らしき挑発に乗ってやりたい放題だよな。
お前を挑発するような書き込みはアンチによる燃料投下にすぎないだろ。


284 :単発=連発:2009/02/12(木) 21:27:06 ID:???
法律ヲタさん

反響が凄まじいですね。正直私も貴方の発言には嫌味を感じます。一度冷静になられたらどうですか。
『動機がわからない』には同意です、聞かせて頂けませんか?

285 :乾闥婆:2009/02/13(金) 00:28:29 ID:???
>>275
ひゃっきまるさん

お気遣い、ありがとうございます。

書くべきことは書いたし、不毛なので、一度、矛先を収めます。

286 :ひゃっきまる:2009/02/13(金) 00:44:49 ID:???

もし僕の横レスが原因で荒れてしまったのなら申し訳ありません。

どなたも、

>>1
>スレが荒れる原因になりますので、野次や乱暴な言葉遣い、挑発するような言葉遣いはNGです。

に留意していただけるようお願いいたします。

他のスレがどうあっても、ここだけはいつでも真面目な議論ができる場所として守りたい気持ちがあります。

他人の議論に口出しするのは慎重になるべきだと思っていたつもりですが、軽率でしたね。

僕は法律ヲタさんを責めているわけではないのです。

僕は乾さんの意見が理解しやすいですし、実際僕自身が法律ヲタさんと議論をしても良いと思っているくらいなのですが、それは乾さんと立場が似ていることもあるかも知れません。

ただ、僕は法律ヲタさんの考え方を理解するのが非常に難しい、と感じています。


287 :ひゃっきまる:2009/02/13(金) 00:45:22 ID:???
>>285 乾さん

そうですね。僕も乾さんが言うべきことはすべて言ったのではないかと思います。
ただ、確かにこれ以上は不毛かもしれませんが、ここまでのお二人の議論は僕にはいろいろと得るものがありました。
ありがとうございます。


288 :ひゃっきまる:2009/02/13(金) 01:20:30 ID:???
この創価・公明板には、いろいろな立場の人間がいるわけです。

創価学会員である人はもちろん、僕のように創価2世でアンチになった人もいますし、日蓮正宗、顕正会、日蓮宗などの立場からアンチである人、親戚・知人が創価学会員である人、それぞれが様々な経緯で、創価学会と関係している(していた)ということになります。

いずれの人も、創価学会に対してそれなりに強い関心を持っているからこそ、この板に来ているのでしょう。

どういう関心の持ち方、というのはかなり様々のはずです。

教義や日蓮の人物像に強いこだわりを持っている人もいれば、どうでもよいと考えている人もいるでしょう。

法律ヲタさんは、どのような経緯でアンチになったのでしょうか? さしつかえなければ教えていただきたいです。

289 :クルトン丸:2009/02/13(金) 02:13:07 ID:???
創価学会の人って、法律ヲタさんみたいな攻撃的な人が多いですよね。
排他的な宗教は心が攻撃的になるんだと思います。そして巻き込まれた人もおなじく・・・。

宗教を一生懸命行なえば行なうほど、信仰している宗教の教えや学会の場合であれば池田大作さんの教えに照らし合わせて物事を考えるようになります。

それが良い結果をもたらす場合もあれば、悪い結果をもたらす場合もあると思います。

悪い結果が出た場合、その原因が信仰している宗教の教えや教祖の教えが間違っているという事だってあると思います。所詮、宗教も人間が作ったものですし、教祖も人間ですから間違いを冒すことだってあるでしょう。

しかし、自分の信仰している宗教や教祖のことを絶対に正しいと認識している熱心な信者ほど、その事に気付くことができないし、その本質から目を逸らして逃げる事が多い。

これってある意味、思考が停止しているということですし、怖いなって思います。
そして自分の宗教や教祖だけが絶対に正しいと思っているから、他を認めることができず、批判された場合にどんどん攻撃的になっていく・・・。

宗教って教祖やその組織の代表次第でとんでもない事になっちゃうし、神聖視する必要がある宗教団体って本当にあるのかな?って思ってしまいます・・・。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 02:25:06 ID:???
そんなこともないですよ。2chのいろいろな板を見ている人ならそうおもうはず。
創価板がとくにひどいわけじゃないです。だから宗教あんまり関係ないのでは。
ところでほんとうに狂信的な人というのは攻撃的でもないし礼儀正しいです。
ほとんどまともな人に見えます。しかし理論や事実によってその信仰はゆらぎ
ませんので、やはり狂信者なわけです。非狂信者はゆらぎますから。

291 :クルトン丸:2009/02/13(金) 03:05:56 ID:???
>>290さんは私へのレスですよね?

ちょっと表現が分かりにくかったですかね?申し訳ないです。
2ch内という事ではなく、リアルの世界で学会で熱心な活動をしている人は攻撃的な方が多いと感じているので、その感想を率直に述べてしまいました。

>>290さんがいうところの狂信者と、私が思うところの狂信者はお互いに認識が違うと思います。

私としては、「池田先生は絶対的に正しい!間違いは一切無い!批判する団体や敵対する宗教団体は攻撃してしかるべきだ!勝利だ!勝利!」みたいな感じの方々に対して狂信者との印象を受けます。

そういった、私の思うところの狂信者の方々は、選挙の時とか特に、突然の訪問をされたり断った時の態度など、え?と思ってしまうほど礼儀が無い態度をとられる事があります。

292 :クルトン丸:2009/02/13(金) 03:06:35 ID:???
>>290さんへ。つづき。

中には礼儀正しい方々もいらっしゃいますが、そういう方々は池田さん性善説を持っていない、どちらかというと>>290さんのいうところの非狂信者ですね。

例えば、そういった方々は会話の中で池田さんを批判しても突然怒り出したりするような事もなく、絶対的に創価学会が正しいという認識を持っていません。タブーな部分が無く理論的にちゃんと会話をして頂けます。

狂信者の定義はさておき、自分自身の宗教だけが絶対的に正しいという教えのある団体に属している方は、創価学会に限らず、話題や状況によっては突然豹変して結構相手の立場を考えてないだろ?的な礼儀のない態度をとる方って多いですよ。

もとからね、狂信者だと分かっていれば宗教の話題になったときに、できる限りタブー的なところをくみ取って話題に出しませんし、私も敢えてケンカになる様な攻撃をしようとも思いません。

ただ、相手が狂信者であると知らないでそういう話題になってしまったり、他の人が言い出したりすることもある訳なんですよ。

まぁ、あくまでも私の周囲の話ですから、日本全国的に見れば違うのかもしれませんけどね。

293 :クルトン丸:2009/02/13(金) 03:14:02 ID:???
>>290さんへ

ん〜、何か私の文章も攻撃的ですかね?
気分悪くする文章になっていたら申し訳ないですm(_ _)m

私の意見が絶対では無いと思っていますので、おかしい部分をレスして下さいね〜。
私は頭があんまり良くないので難しい話ができませんが、できる限り礼儀正しく、このスレ主の趣旨に乗っ取って会話していこうと思っていますので。
ケンカではなく議論をするように努めたいと思います。

ひゃっきまるさん、突然飛び入り参加してすみません。
スレの進行に邪魔であればその旨ご指摘頂ければ直ちに去ります。

294 :290:2009/02/13(金) 03:32:43 ID:???
わたしのいう狂信者は多くの人を入信させたり、活動家に育てたりする人のことです。
こういう人を狂信者Aとし、クルトン丸さんのおっしゃるのを狂信者Bとすると、
狂信者Bの人は他人を納得させることが出来ないので、害悪もあまりは及ぼしません。

創価学会も発展期には狂信者Aの人がたくさんいたはずです。今あまりいないとすれば
もう動揺期、衰退期に入っているからなのでしょう。もちろん発展期には単にまともな人も
多かったはずで、そういう方は脱会するか、しなくても今は活動せずにじっとしていますね。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 03:53:48 ID:???
法律ヲタって、以前このスレにいた、世界とかお邪魔みたいな感じだな。
同じアンチとしては言いにくいが、主張が理解できんわ〜。

296 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/13(金) 08:34:44 ID:???
昨日の書き込み(だけではないのですけれど)は、時間の余裕がなく見直しも行わずに書き込んだ結果、
分かり難いものとなってしまってしまっているようです。
それを直す余裕もありませんので今は放置させていただくしかありませんが、もしかすると、申し訳ない
のですけれど、今日もそのようになってしまうかも知れません。

また、個々のレスに応答する形で書きたいところなのですが、どういうわけか私の環境下では以前と異なり
連投規制を回避するのに非常に時間を要するようになってしまっており、こちらとして特に述べたいものに
ついて何らかまとまった形で書かせていただかざるをえません。

まず、私が創価学会(員)に対するアンチになった経緯に関してですが、もちろん過去に実生活の中で
創価学会員との様々なやり取りがあったからです。
それらについて具体的に触れる事は、創価学会全体から見れば極小数の者との関与にすぎないとは言え、
可能性の問題として、具体的に明らかにすればするほど私が誰であるのか判明しかねないわけですから、
問題のない程度に抑え具体的に明らかにすることを避けざるをえません。

297 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/13(金) 08:36:08 ID:???
(レス>296の続き)
ただ、その中の一部の者からは、オマエは仏罰によって地獄に落ちるという趣旨のことを何度か言われて
おりまして、こちらとしては、それならば、そのようなインチキを暴いてやりたいと思っておりました。
それ故、そのような相手との単なる個人的関係においてではなく、このように公開された場でアチラ様の
言うところの謗法を行う事ができるようになったにもかかわらずそれを実行しないのは、私としては
選択できない在りようなのです。
もっとも、初めて明確に仏罰を宣言された時から考えて、既にとっくに創価学会が仏罰が生ずるとしている
期間はすぎておりますけれどね。
“現証にしかず”だそうですから、ぜひ法律ヲタ撲滅を祈って仏罰とやらを生じさせていただきたいものです。

このような流れは、私が“本尊焼き”スレで行っている方向と同様のものですね。
2年ほど“本尊焼き”スレをロムしている御仁がいらっしゃるそうですけれど(>283)、ぜひ過去スレも読み
直していただきたいものです。
どなたか様によると『ヲタは「学会員を論破」したことはない』(>282)そうですが、そこには創価学会員の
答えようのない問が、御書なるもの含めて創価学会の文献を引用して示しておりますよ。(“本尊焼き”スレ
以外でも同様の事は行っていますけれどね。)
その問の一つを、ここでも示しておきますので、ぜひ創価学会員様には万人が納得しうる明快なお答えを
頂戴したいものと思います。

298 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/13(金) 08:38:03 ID:???
(レス>297の続き)
日蓮は、「念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひ
にては候なり大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず若大事を真言師・調伏するならば
いよいよいそいで此の国ほろぶべし」(撰時抄)と述べておりますが、日本は、一体いつ蒙古によって
滅ぼされたのでしょうか?

今回は取り上げませんが、撰時抄でこの直前に書かれている内容も、これまた面白いものですね。
(これらと同様のことは、日蓮は他の遺文でも述べていますね。それと、撰時抄は偽書ではありませんよね。)
仏法は勝負だとの事ですから、法律ヲタの反論を許さない明確な御回答をお願いします。
御回答いただけなければ、“妄想糞坊主”日蓮の戯言ということでよろしいですかな?

299 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/13(金) 08:43:35 ID:???
あぁ、書き忘れておりました。
私の書き込みは、ともかくも注目を集める事には成功しているようです。
基本的にsageで書かれているスレであるにもかかわらず、です。
もちろんその事は、このスレ自体が注目されている事の反映でもあるわけですけれど、このような
スタイルで書く事にも、それなりの効果があるという事でしょうね。
(ぜひ、ageたいものです。)

300 :クルトン丸:2009/02/13(金) 16:46:00 ID:???
290さんへ

>わたしのいう狂信者は多くの人を入信させたり、活動家に育てたりする人のことです。
>こういう人を狂信者Aとし、クルトン丸さんのおっしゃるのを狂信者Bとすると、
>狂信者Bの人は他人を納得させることが出来ないので、害悪もあまりは及ぼしません。

この分類は何か変な気がします。

狂信者Bの様な礼儀の無い方々でも、仏罰などの恐怖に陥れる話をしたりして入信させたりする場合もあると思いますし、同じような活動家を育てたりする場合だってありますし一般人からしたら色々と実害もありますよ。

それに、『創価学会や池田さんには絶対に間違いは無いと信じている人』は同じくくりで狂信者だと思います。

でもいずれにしても、創価学会の信者が多くなったり、活動家が増えるという事が世の中にとって害悪であると290さんは認識しているという事ですよね?

ここには同意します。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 01:10:35 ID:???
>>299
あなたのバカさ加減にアンチも層化も驚いているのだと思う。
そろそろ消え時ですよ。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 01:46:56 ID:???
結局、創価学会、顕正会、妙観講、日蓮正宗以外の
「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」
はいないのですね。

303 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/02/14(土) 02:02:29 ID:???
法律ヲタさんへ
多分お久しぶりです。

法律ヲタさんの問いに対しての答えではありませんが一つ僕の体験を話させてもらいます。

僕は昔、車の事故が何度もありました。車のローンだけでも三つありました。
でもそれは避けようのない事故で、信号待ちをしていたら後ろから追突、
駐車場にとめていたら激突、そんな事ばかりでしたので、罰等と思いも知れませんでした。当たり前ですが、相手が悪いからです。
自分は絶対悪くない、それも当たり前ですがその気持ちから、相手に対する態度がわるかったのでしょうね。
修理に出していた時に借りていた代車にも追突してきました。降りて来た運転手以外にも車内には家族乗っていて不安げにこちらをみています。
しかし、自分は悪くないわけです。止まっていたのですから。

それから僕は人身事故を起こしました。(最後の事故です)、しかしそれも止まっていた僕の車の横に自転車でぶつかってきたんです。その方はおじいさんで転倒したのですが、起き上がって来て、たいした事はないから行きなさいと何度も僕に言いいました。

壊れた自転車の籠をなおす、おじいさんを見ながら、ちょっと待てと、おじいさんの言われるままここを立ち去ったら今度は人を跳ねてしまうかもしれないと。
このままおじいさんが家に帰れば当然、家族は心配するし、何故警察をよばなかったのと言われると。

今まで当然自分は悪くないのですが、その自分は悪くないという気持ちが相手も含めその家族までの不安まで感じる事ができなかったのです。
相手は相手で日頃の無茶な運転がたたった、原因と結果かも知れません。
僕の場合も隣の車ではなく、常に僕の車だったと言う事は原因と結果であり、その原因は自分は正しいと言う気持ちから起きる相手への影響などでしょう。
まだまだ原因は沢山あると思いますが。

僕は自分は悪くないと言う事故を通して、例え相手が悪くてもその後ろには心配する家族がいると言う事を学びました。
その事に気付くまで何度も何度も起きたのでしょう。

罰と言われるものは自分では感じず、罰と感じた時は罪障消滅、もう罰ではないと思います。
ですから、僕は人から地獄に落ちると言われたら、僕自身の原因と結果と捉え、その原因に気付くよう相手の話しに耳を傾け努力して行きます。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 03:08:23 ID:???
>>302
問題提議をした人が消えたのだから答えはない。
>「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」
すでに指摘があるように「日蓮主義者」は限られた教団のみが使用している。
>創価学会
これも指摘があるとおり学会は「四箇格言」を否定し地域友好のため祭り参加容認、他宗教との対話をしている。

305 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 05:11:35 ID:???
>>289 クルトン丸さん

はじめまして(でしたっけ?)。
よろしくお願いします。

個人的な体験からの話をしますが、創価学会員の大多数は善良で、しかも自己主張が弱く、大勢の前で積極的に話をしたがらないような人の方が圧倒的に多いのです。

といってもこれは、日本人の特徴とも言えるでしょう。創価学会員といっても、結局そうでない人たちとほとんど変わるところがありません。

1割2割の人は信仰に熱心といえるでしょうが、そのような人はむしろ好ましい性格の人が多いように思います。元気で明るく、自分自身の人生の目標を持ち、他人の幸せも素直に望めるような人たちです。

僕はこの板ではアンチの立場をとっていますが、創価学会の全てが悪いとは思っていません。創価学会の組織に入ることは、大きな家族の一員になるようなものであり、人によってはそれが人生に大きくプラスになるようなこともあると思います。

創価学会とは、いわば「幸せになることを目指すサークル活動」のようなものです。しかも、幽霊部員でもあまりおとがめがあるわけでもありません。

彼らは狂っているわけでもなければ洗脳されているわけでもありません。


306 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 05:12:04 ID:???
(続き)
しかし、「創価学会の中の常識」に常にさらされていれば、意識は世間とずれていきます。

常に日蓮正宗へのバッシング記事を見続けて、その教育をされていれば、日蓮正宗に対してはどんどん口汚くののしって良いんだ、と自然に思うようになります。

そのような考え方が良くない、と思っている学会員でも、どうしても影響は受けざるを得ないでしょう。人間の常識というのはものすごくもろいものですから…。

創価学会の中にいる限り、「創価学会は正しい」「池田先生は素晴らしい」という言葉を常に浴び続けるわけで、それがその人の中の常識になっていきます。

弱い心の人が創価学会にとりこまれるわけではないのだと思います。誰でも、特に真面目な人であるほどに、そうならざるを得ないのです。

熱心な創価学会員の人と話をしていて、異様な感じがする原因は、常識と常識がうまく整合しないことからくる不安感というか、話が通じないもどかしさ、異世界に触れた目眩のようなものなのではないでしょうか。

307 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 05:12:29 ID:???
(続き)
熱心な創価学会員の中には、アンチに対しては非常に攻撃的である、と感じられる人は確かにいます。

個人的にはそういった人は思ったよりもずっと少ないと思っています。結局はもともとのその人の個性におうところが大きいのではないでしょうか。

しかし、創価学会の中ではそのような態度はむしろ積極的に肯定されているので、指導的な役職につきやすいでしょうし、そのような人がだんだん中枢に集まっていくのでしょう。

宗教が「攻撃すること」を肯定することは非常に恐ろしいことだと思います。

正しい行為なんだ、義憤なんだ、という思いから、攻撃の仕方はずっと確信に満ちた、容赦のないものになる可能性があります。

「三類の強敵」という言葉からは、創価学会の敵対者に対して、宗教的なレッテル張りをする悪質さを感じます。

おかしいと感じた人がいたとしても、言いだせず悶々と心の中に抱えるだけになることも多いでしょう。
「創価学会は間違っている」という結論を導きだすことが、組織によってつくられた「良心」によって禁止されてしまっているので、どんなに悩んだとしても最終的には組織を肯定してしまうことになります。

308 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 05:12:53 ID:???
(続き)
まとめますと、

・大多数の学会員はおだやかで善良である
・少数に攻撃的な人もおり、そのような人は指導的立場になりやすい
・攻撃的な指導に対して意義をとなえることは難しい

というのが現時点での僕の考えです。

309 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 05:39:26 ID:???
>>296-298 法律ヲタさん

>まず、私が創価学会(員)に対するアンチになった経緯に関してですが、もちろん過去に実生活の中で
創価学会員との様々なやり取りがあったからです。

確認させていただいてよろしいでしょうか。

・創価学会員と不快な接触があった、もしくは何らかの実害があった
・そのとき関わった学会員の一部から、「仏罰により地獄に落ちる」と言われた
・それに反論するべく、創価学会の教義(具体的には日蓮が何を言ったのか)を調べた

ということでしょうか?


ちょっとよく分からなかったのは、まず、はじめに接触のあった学会員の方々に対し、議論を行ったのでしょうか。その結果、現在どのような関係になっているのでしょうか。

また、現在法律ヲタさんが相手にしているのは匿名掲示板に現れる匿名の学会員ということになりますが、どのような気持ちで相対しているのでしょうか。


かつてひどい目にあったという、怒りが動機なのでしょうか。
相手の間違いを論破したいという、攻略的な楽しみに似た気持ちなのでしょうか。
社会悪を正したいという、義憤なのでしょうか。


あとは、法律ヲタさんは宗教一般や、仏教について、どのような認識をお持ちでしょうか。

しつこいと思われるかも知れませんが、個人的にアンチの心情や動機などは興味がありまして、お答えいただけると嬉しいです。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 09:42:09 ID:???
>>298 いよいよいそいで此の国ほろぶべし・・(撰時抄)

これ追求しても日蓮教団の人からはなんの答えも得られ
ないでしょ、うその上ににうそを塗り固めてできた教義で
はあるわけでね、というか撰時抄のこんなうしろの方まで
読むのはかなりなマニアですなww

じっさい蒙古はボロ負けして逃げ帰り、日蓮予言はハズれ、
しかも弘安の役のときには朝廷から正式に依頼を受けた
律宗の思円上人が祈祷を行い 「律宗の祈祷が大成功」
してて、そのときに病気で伏せっていた日蓮は祈祷など
していなかったので、千葉の市川中山にいる教団経営の
相方である富木常忍から信者の間に律宗はスゴいという
評判がたっているけれど、どうしましょ? と質問が来て
それに日蓮が答えるという御書が存在します。

返事の内容は支離滅裂でかなりヒドい内容なんだけど、
まー妄想クソ坊主のレッテルに恥じない中身ではありますねw

ついでに言うと日蓮さん本人も 「糞」 という言葉が大好きで
御書にも多数書いてあるけど、小さな子供が 「うんこ」 という
言葉をよろこぶみたいに幼稚なかんじがして、あまりアタマの
いい人ではないみたいね、御書全般の誤字脱字の多さも
ちょっと異常で気になるとこだし・・・

(秋元御書)
或は法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経一口は
南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し

(法華経題目はゴハンで、他宗派のその他雑行法はクソだったり
小石みたいなものなのでいっしょに混ぜて食べたらダメだよ。)

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 12:13:10 ID:???
ぴょん基地コテつけろや

312 :滝山:2009/02/14(土) 16:20:59 ID:e3Vu7iUZ
お待たせしました。そしてさようなら。

>>245 法律ヲタさん
「日蓮は目の前に〜」より前の文章は日本天台に対する所感です。
法律ヲタさんのレス内容には違和感を覚えるのですが、
文意を読み間違えられているのではありませんかね。

まぁ法律ヲタさんは基本的に日蓮に対するスタンスも
創価学会批判のために調べたというものでしょうから
土俵が違うと思いますよ。
一度そういう趣旨から離れて日蓮について
虚心坦懐に見てみてもいいんじゃないかと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/
こちらの掲示板などをROMされるのもいいでしょうし、
特に顕正居士氏は非常に学識が深いため彼のレスは参考になると思います。

>>241 ひゃっき
忙しいからとりあえず議論は終了にしようと思うよ。
この手のことはとかく頭の中にいつまで居ついてしまい
他のことに対する集中力を阻害してしまう。
残念だがまた次の機会にでも。

313 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/14(土) 16:47:02 ID:???
>>305 ひゃっきまるさん

これはひゃっきまるさんに限らず、創価学会員・元創価学会員の方の多くに共通する物言いの中で、私が常々度し難いと感じている点なのですが……

> しかも、幽霊部員でもあまりおとがめがあるわけでもありません。

それは正確には、「私個人は幽霊部員でも、あまりおとがめの無い状況でラッキーでした」というだけの話ですよね?
どうして、そのような“個人的体験”を即、“創価学会全体の特徴”みたいに言うんでしょうか?

あなたは前にも私のサイトで同じ主張をされていて、その時も非常に戸惑いました。
ひゃっきまるさんの状況とは違い、活動や会合への参加をしないことを責められている二世三世さんはたくさんおられますよ。
役職やF取りを断るだけでも憔悴しきっておられる婦人部の方とか、私もよくお話を伺ってきました。

ひゃっきまるさん。あなたの発言を裏返せば>>194>>201となるのです。自分の周囲では見られないから、
それが創価学会の全体的特徴であると。その意味で彼の発言のスタンスは、あなたと同じです。

私や法律ヲタさんは、外部のアンチとして長年脱会スレや本尊焼きスレで話をしてきましたが、
自分の体験や思い込みから「こうだ!」と決めつけてくる学会員・元学会員の方には、いつも手を焼かされてきました。

そういう方は創価学会を辞め、たとえば日蓮正宗に復帰しても、自分の体験や思い込みから、物事を他者に対して「こうだ!」と決めつけがちです。
現在あちこちのスレに見られる、学会脱退組による正宗擁護の論調は、その典型です。

314 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/14(土) 16:52:25 ID:???
>>313続き】

私は以前、>>194>>201と同じような主張をされていて、その後引っ越しで違う地域の組織に入って初めて、ネットで言われているような
様々な問題に直面し、「アンチの言ってることは本当だったのか……」と気付かれたと仰る方の話も伺ったことがあります。

――自分の体験や思い込みとは矛盾する内容にも、率直に目を向けることが出来て、初めて本当の意味で、
互いに経験や価値観の異なる人間同士の間でも、尊重と敬意が生まれるのだと私は思います。
これはもちろん、私たちほとんど全ての人間にとって難しいことではありますが、
それにしても創価学会員・元創価学会員さんにはそれが下手くそな方が多いというか、表面上は人当たりよく尊重する態度をとっても、
根底では頑固に自身の思い込みを曲げずに、周りや相手を苛立たせる方が少なからず居ると私は感じています。
これは、創価批判に固執するあまりに時にアンチ側にも、同じく鏡写しのように発現する特徴でもあるでしょう。

世の中のあらゆる物事は、自己の狭い体験や知識から構成される世界観に、都合よく収まるほどに矮小には出来ていないと思いますよ。
そこからはみだすモノに目が向けられないのなら、それは自己に都合の悪いモノを黙殺しているということです。
いくら物分かりの良い態度を装っても、それは本当の意味で他者への尊重に結びつく姿勢ではありません。

315 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/14(土) 17:14:07 ID:???
>>302>>304

予定している長文を済ませてからレスをさせて頂こうと思っているだけで、都合が悪くなったから逃げた訳ではありませんよ。
自説に問題があれば謝罪して撤回すれば済むことですし、そして現状ではその必要がないから撤回していないだけです。(笑)

>現在日蓮主義者を標榜するのは國柱會系と統一団程度

>すでに指摘があるように「日蓮主義者」は限られた教団のみが使用している。

私は、そのような狭義の意味で“日蓮主義者”と言った訳ではありません。既存の教団には属していなくても、
個人的に日蓮に共感して発言しておられる方もいるでしょう。そういう方の場合は、必ずしも一心かつ盲目的に
日蓮を信仰している訳ではありませんから、他に適当な用語も思いつかないので日蓮主義者と呼称したまでです。

キリスト教やイスラム教の“原理主義”と言った場合にも、あなた方の指摘するような言葉の問題は同様に起こりますが、
同様に狭義の定義に当てはまらないからと言って広義の使用法が間違っているわけではありません。
こうした表現は、文脈によって判断されるべきものでしょう。

316 :クルトン丸:2009/02/14(土) 17:55:04 ID:???
ひゃっきまるさんへ

はじめましてです。宜しくお願いいたします。


>・大多数の学会員はおだやかで善良である

学会はそういう善良な人たちを利用して儲けているという印象があります。

>・少数に攻撃的な人もおり、そのような人は指導的立場になりやすい

要するに学会の中出は攻撃的な方が出世?しやすいということですか?
トップが攻撃的ですから仕方がないと思いますが、どうなんでしょうね。この体質は・・・。

>・攻撃的な指導に対して意義をとなえることは難しい

何か北朝鮮みたいですね・・・。とか思ってしまいます(汗

317 :クルトン丸:2009/02/14(土) 17:59:53 ID:???
>>305でひゃきまるさんは、
>彼らは狂っているわけでもなければ洗脳されているわけでもありません。
と書き込んでいますが、

でも洗脳させれているな〜って感じる人が個人的には多いと感じますし、だからこそ創価学会以外の世間の方から創価学会の印象が悪いんじゃないでしょうか?
狂っているとまでは言い過ぎかもしれませんが、「個人崇拝」って洗脳なしにはありえないと思います。

もしも、狂っているわけでもなく洗脳されているわけでもないという人の例を挙げるとすれば、前述の通り、
「創価学会や池田さんにも間違いがある」という事をちゃんと認識している、組織や個人を崇拝していない人ではないでしょうか?

ひゃっきまるさんの言っている事はわかりますよ。
みんながみんなおかしい訳じゃないってこととか。
でも、やっぱり異を唱えにくい環境は思っている事を言えない状態で自分を納得させる、認知的不協和の解消を常に行なわなければなりませんし、精神的に負荷がかかりやすい環境だと思います。

誰でも大なり小なり、現代社会で生きていれば認知的不協和というものを感じますし、おのおのそれを納得させながら生きていると思います。
しかし、個人崇拝などの根本的に納得しがたい事から起こる認知的不協和は人格にゆがみが出てしまっても仕方がないと思います。

その結果、攻撃的になったりするんだと思いますし、私としてはそういう被害を受けている訳なんですよね。
ある意味社会問題だったりすると思うし、そういった人たちを量産する組織は本当に宗教団体として扱う必要があるのかも疑問に感じることすらあります。

318 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/14(土) 18:09:58 ID:???
>>232さん
>春田の蛙さん。「日蓮その人より悪質な形で四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」って
>誰のことだろうか悩んでいる一人です。ところでちょっとその間に考えたことをまとめてみます。

私などの文章をそこまで真摯に受け止めて下さったこと、深く感謝しております。
ネットの発言について、あなたのようにご自身でも調べてみようとされる方は中々いらっしゃいませんし、
そういう方に、私の書き込みが目に留まったのならば大変光栄です。ありがとうございます。m(__)m

レスに便乗される方もいらっしゃるでしょうから、ひゃっきまるさんも勧めておられる通りコテを付けられたほうが良いかもしれませんね。

あなたがそこでまとめられた内容には、私も同意です。特に

>一つは四箇格言は当時は当たっていたのであるが、日蓮の批判が功を奏し、今日の他宗は邪宗
>ではなくなったとするもの。創価学会の最近の四箇格言修正もこの立場。

↑ここは、私も当初から指摘するつもりでした。創価学会関連の近年の書籍などにも、「法然率いる当初の念仏は非常に排他的で、
日蓮はこれをいさめただけ」という主旨の内容が見られます。そして、カルト批判に携わる日蓮宗僧侶などにも同じ立場を取る方が居る↓のが現状です。

http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1cfb0d92b57c19bf23d73c3834b73b73
> □日蓮の四箇格言(しかのかくげん)がある。(四箇格言自体、後世の単語。)

>  念仏無限地獄といった理由の一つに
> まず最初に”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”、経文を捨てなさいと”先に”言ったのは日蓮ではなく法然。法然の思想がこの世の中の現実から目を背けて現実否定論だったので、無限地獄と批判した。

> □”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”など、鎌倉時代は”これだけ””これだけあれば良い”という風潮があったらしい。日蓮は排他主義を否定している。

つまり、四箇格言について創価学会公式の見解と伝統宗派の一部には一致が見られるわけですが、私の言う「日蓮その人より悪質な形で
四箇格言をもてあそぶ僧侶や日蓮主義者」とは、創価学会と一致する形で↑このような日蓮擁護をなされる方々を指しています。

319 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/14(土) 18:23:08 ID:???
横レスですが

>>312 滝山さん
>忙しいからとりあえず議論は終了にしようと思うよ。

そうですか……個人的には滝山さんからもご批正が頂ければと期待していたので残念ですが、

>この手のことはとかく頭の中にいつまで居ついてしまい
>他のことに対する集中力を阻害してしまう。

↑ここには非常に同感です。私もそうなりがちなので、極力自分のペースで、リアルの日常に影響しない範囲で…と書き込みについては心がけていますが、
やはり滝山さんが指摘されるような状態には何度もなりましたし、今でもよく失敗しますから分かります。

現スレでの滝山さんのご意見には、非常に頷ける部分が多く、しばらく書き込みが見られないとすれば残念ですが、
私も遅筆で相手をお待たせしてしまうという点にかけては人のこと言えませんし。(汗)
また機会がありましたら、ご意見が頂けることを楽しみにしております。m(__)m

320 :sew ◆N.LUsk.faY :2009/02/14(土) 18:46:11 ID:???
>春田の蛙
今日はバレンタインデーだから、粘着するのもほどほどに見てくれよ。

今回ここに書いた理由は、お前が要求している内容を私が提示しているにも関わらず、
お前はそれに1レスしか反論せずそのまま放置状態にしたことについてだ。
あのまま放っておくつもり?せっかくお前が欲しがっていた根拠を3つも出している(正確には4つ)のだから、
もう少し反論してくれてもいいんじゃないのか?

それとも反論することができないから焼きの方を放置しているのか?
私はお前が何を考えているのか一切わからない。だから、焼きでもここのスレでもその考えを書いて欲しい。
そうでないと、お前のところに来ているお客さん達にも悪いし、真実をはっきりとしておかないと、
この後堂々巡りの議論をしかねない。
そこら辺も考えて欲しいと思っている。私が誤っていたのなら謝罪するし、お前が誤っていても謝罪を求めるなんて事はしない。

もし、このレスにすら返事をしないのならば、これ以上お前に対して譲歩できない。
どのスレであろうとお前の書き込みを見つけたら即叩く。
そんなことしたくないから、是非上記については返答を願いたい。

321 :sew ◆N.LUsk.faY :2009/02/14(土) 18:48:34 ID:???
>>320の訂正
焼きでもここのスレでも→焼きにでもここのスレにでもどちらでもいいから

322 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 19:36:50 ID:???
>>312 滝山

了解。
掲示板の議論は精神的にも肉体的にも(それにさく時間など)かなり負担であると思っている。
ちゃんと自分の意思で、やる、やらない、を選択できるのはとても良いことだと思う。

俺も議論を続けるのがしんどくなったら、無理せずやめることにしようと思うよ。

323 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 19:37:24 ID:???
>>299 法律ヲタさん

このスレがsage推奨なのは、ageるとどうしても荒らしや単発レスの書き込みが多くなるからです。

また、以前、長文ばかりの書き込みがウザい、と強い反発を招いたことがありまして、板住民に迷惑をかけないためです。

僕としては、落ち着いて真面目に議論できる場を保つことが最優先と考えております。ご了承いただければありがたいです。

とはいえ、たまにはageないとこのスレの存在自体が目に触れないことになりますから、過疎化したときにはageてほしいですが…。

324 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 19:38:01 ID:???
>>316 クルトン丸さん

おおむね同意です。
こうしたことは強権的な会社などでも起こり得ることだと思います。
そのような状況を想像していただければ、実感がわくと思います。

>>317

一応、僕は「洗脳」と「マインドコントロール」という言葉を使い分けています。
創価学会員は「マインドコントロール」されているとは思います。

=================
wikipediaより

マインドコントロール(英 Mind control)とは、強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術、またその行為のこと。

洗脳はマインドコントロールとは違い、主に物理的暴力(拷問のほか、薬物の利用や電極を埋め込む手術を含む)あるいは精神的圧迫(罪の意識の植え付け)などの強い外圧があるとされる。
=================

>でも、やっぱり異を唱えにくい環境は思っている事を言えない状態で自分を納得させる、認知的不協和の解消を常に行なわなければなりませんし、精神的に負荷がかかりやすい環境だと思います。
>
>誰でも大なり小なり、現代社会で生きていれば認知的不協和というものを感じますし、おのおのそれを納得させながら生きていると思います。
>しかし、個人崇拝などの根本的に納得しがたい事から起こる認知的不協和は人格にゆがみが出てしまっても仕方がないと思います。

そのとおりだと思います。
僕が創価学会アンチになったのは、そうした認知的不協和を解消するためであります。

>その結果、攻撃的になったりするんだと思いますし、

創価学会の教義によるところも大きいでしょう。僕はこのスレでは、主にそのような問題のある教義をとりあげています。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 19:40:46 ID:kXRnXuRx
テスト

326 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 19:42:00 ID:???
>>313-315 春田の蛙さん


まず弁論させていただくと、

僕は、はじめに

>>305
>個人的な体験からの話をしますが、

とことわった上で書き始め、

最後にも、

>>307
>というのが現時点での僕の考えです。

で終わり、この創価学会の実態にたいするおおまかな考え方が自分の個人的な体験に基づく主観的なものであることを強調したつもりです。


この類の話は見聞きしたことも含めて、自分の体験から話すしかないと思います。

また、僕は東日本、西日本と4カ所の住所に住んでおり、そのうち一カ所では創価大学の学生部に所属していましたし、そのうちの一カ所(現在住んでいるところ)では完全なアンチとして認識された状態でいます。
個人的な体験ではありますが、ある程度は異なる環境も経験しているということです。

327 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 19:42:44 ID:???
(続き)
しかし、春田の蛙さんのおっしゃるように、

>活動や会合への参加をしないことを責められている二世三世さん
>役職やF取りを断るだけでも憔悴しきっておられる婦人部の方

という方がおられるのも確かに十分ありうることです。

僕の印象は、僕が主に一人暮らしをしているということや、僕の性格的なものも影響しているでしょう。

僕は「部員さん周り」(役職者が活動に参加しない学会員を個人訪問すること)は、不快に思うことはあっても、それほど大きな精神的負担とは感じませんでしたが、それが耐え難いほど嫌だという人もいるでしょう。

創価学会の非活動者への組織の対応、非活動者自身の心理状態などは大変興味深いトピックですので、掘り下げてみても良いと思いますが、スレ違いになるかもしれませんね。


328 :乾闥婆:2009/02/14(土) 21:00:48 ID:???
創価学会と一口に言っても、時代によって大きな変貌を遂げていることは事実でしょう。
私も幼少の頃より、すでに40年近く、創価学会を内部から見続けているわけで、その年月
のあいだに、7つの地域を経験してきました。時代によっても違うし、地域によっても違う。
そういう組織ですね。むしろ、組織というよりも「村落」といったほうが実状に近いかも
しれません。求心力が薄れているのは事実でしょう。昔ほど未活動の人間に対する批判が
きつくないということは肌で感じられます。言っていることも随分ゆるくなりましたしね。
訪問してくる学会員には、私は大抵家に上がってもらい、最近の創価学会のこと訊きます。
ゆるゆるですね。20年前、私が怒りに駆られて眦を吊り上げて批判した、あの創価学会青
年部の姿は、今となってはどの地域に行っても見られません。でも、心の根のところには
昔の創価学会の残滓が残っているな、と感じる瞬間があります。今の未来部ってどうなの
でしょうね。そういうところでは、昔ながらの創価学会が息づいているのでしょうかね。

329 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 22:45:18 ID:???
>>313-315 春田の蛙さん

>私や法律ヲタさんは、外部のアンチとして長年脱会スレや本尊焼きスレで話をしてきましたが、
>自分の体験や思い込みから「こうだ!」と決めつけてくる学会員・元学会員の方には、いつも手を焼かされてきました。
>
>そういう方は創価学会を辞め、たとえば日蓮正宗に復帰しても、自分の体験や思い込みから、物事を他者に対して「こうだ!」と決めつけがちです。


学会員・元学会員とは「こうだ!」というレッテル張りを、「自分の体験や思い込みから」述べ立てているのは春田の蛙さんの方ではないでしょうか?

もちろん僕は元学会員ではありますし、僕の人生と創価学会とは、今の状態も含めて、不可分といえます。
しかし、「あなたは元学会員だからこのような性格的欠点を持っている」と、議論内容に反論するのではなく、性格を批判するのは、いかがなものかと思います。

そういうやり方で批判されるのはかなり不快に感じた、というのが正直なところです。

例えば、家庭内暴力をする親の元で育った人が、何かの話し合いをしているとき、「あなたの判断はゆがんでいる。それは、あなたの生い立ちに原因がある」云々と性格分析をはじめられたら、普通は腹が立つのではないでしょうか。

330 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 22:45:59 ID:???
(続き)
春田の蛙さんは実際に深刻な悩みを抱えている創価学会の方と直に接してきたということもあり、創価学会を安易に肯定的にとらえる発言が軽率で許し難いものであった、という感情を抱かれたということも、分からないではありません。

しかしそれでも、議論の場においてこのような返し方はフェアではないと僕は思います。

僕は、創価学会員はこのような傾向がある、と言うことはあっても、当の議論相手に対して、議論内容ではなく、性格を分析して批判するようなことはフェアではないし、それをしてしまったら議論は決して良い方向へはいかないと思っています。
もちろんアンチであっても、どんなにやっかいな議論相手に対してでも、です。

それは、そのような行為が大変に失礼だということもありますし、たかだか掲示板の議論で相手の人間が分かるとは思っていないからです。
自分が上の立場に立った物言いの仕方もしないように気をつけているつもりです。

331 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 22:46:28 ID:???
>>328 乾さん
そうですね。僕も、創価学会はどんどん変わっていると思います。

しかし、過去を反省的に見る視点があるわけでもありませんし、根底にある教義からすれば、本質的に変わらない部分があるのかも知れません。「時代」ですまされている、しかし本当は決してそれだけで片づけてはいけない問題が多くあると思います。

約10年ほど前の話になりますが、創価大学の学生部は相当に激しかったです。

「学生部に入ったら、必ず折伏しなければならない」という号令のもと、無理やり活動をやらされたのは、今でもトラウマですね。


332 :ひゃっきまる:2009/02/14(土) 22:48:42 ID:???

(続き)
僕はやられませんでしたが、中学・高校の卒業アルバムを持ってこさせられて、半ば強制的に順番に電話をかけさせるとかいうことも普通に行われていたらしいです。

知人をファミレスに呼び出して複数で囲む、というのも2回ほど参加したことがあります。知人の脂汗ににじんだ焦り顔は、悪夢に見るくらい嫌な光景でした。

そこまで激しい創価大学学生部でも、未活動者に対しては部員さん周りくらいで、激しい言葉で批判するということもなかったと記憶しています。本気の人間だけが本気になればいい、という考え方ですね。


333 :クルトン丸:2009/02/14(土) 22:53:49 ID:???
>>324 ひゃっきまるさん

>おおむね同意です。
>こうしたことは強権的な会社などでも起こり得ることだと思います。
>そのような状況を想像していただければ、実感がわくと思います。

会社との違いは、宗教という点で「生き方や生活」に関わるジャンルで強権的という事になると思うので、他に逃げ場を見つけることが難しくなる点ですよね。
そういった意味では苦しんでいる人の苦しみは会社等が起因する苦しみとは比べものにならないと思います。
少しでも被害者が減ると良いですね。

334 :クルトン丸:2009/02/14(土) 22:58:09 ID:???
>>324 ひゃっきまるさん

>一応、僕は「洗脳」と「マインドコントロール」という言葉を使い分けています。
>創価学会員は「マインドコントロール」されているとは思います。

知識が乏しく意味をはき違えておりました。勉強になります。

例えば宗教を信仰して幸せになった人も居ると思いますが、会員に巧妙に隠していても、
本質が宗教を組織の拡大や利潤のために利用している団体であるならば、その幸せという感情すらマインドコントロールから生まれた感情である可能性もあると思います。

私は幸せだ幸せだと良いながら、もの凄く生活を切り詰めて新聞を何部も取り、そして年間の収入のほとんど(年金)を寄付に回している年配の方を知っています。
寄付の金額が減っては申し訳ないと言い、病気をしても病院へ行こうとしないのでいつも体調が悪そうです。

集会みたいな集まりに行くと、みんなの鏡だと言って褒められるそうで、その事を話している時はとても幸せそうです。周りの人は本当にこういう姿を理想的だとして褒め称えるのでしょうか?
人の幸せはそれぞれであることは分かりますが、ちょっとあんまりではないかと思います。

こういう、個人より組織を尊重するマインドコントロールの犠牲になっている人を見る度に、何とも言い難い複雑な気持ちになります・・・。

335 :高橋:2009/02/14(土) 23:00:20 ID:???
>>327ひゃっきまるさん
私は非活動者と云うよりも、去年の秋頃脱会しました。ほとんど活動は、
してなかったので、そんなに抵抗なく罰とか気にする事なく辞められました。
その事考えると活動家じゃなくて良かったと思ってます。もし活動家だったら
辞めれかったような気がします。私は多分単純な性格で学会歌をみんなで歌う
ときが一番感動してました。ただ今はなつかしく感じます。
>>328:乾闥婆さん
わたしも幼少の頃から学会組織の座談会に親と一緒に行ってました。古い記憶が
なつかしく浮かんできます。もうかれこれ40年位い経ちますかね。裸電球の頃
の思いでです。よく周りから仏子?みたいな事言われてました。福子だったかな?
そんな事考えてたら又、今の学会の姿に少しは興味だけ持って居ようかなと思います。

336 :滝山:2009/02/14(土) 23:48:01 ID:5cLzgx6F
>>319 春田の蛙さん
いやぁ、過分な評価ですよ。
恐縮です。
今週は議論を控えるつもりでしたが
アップしなかっただけで実はレス自体は
大量に書いてしまっていたのです。
そのように自分自身を統制できないことは
自分自身に対して苛立ちを憶えますし、
それが内容にも反映されてしまっていましたので
もう駄目だと、ひとまず今回は限界を感じました。

また機会がありましたらこちらこそよろしくお願いします。

>>322 ひゃっき
まぁ、創価学会の信仰に対する自分のスタンスをちゃんと
他人に伝えられるよう、考えをある程度文章化しつつ、
何か他に詰めるべきところがないかということも確認したい、
というのが久しぶりにここに書き込んだ動機だったんだけど、
その初期の目的はかなり早い段階で達成できてたからね。
ある意味ひゃっきを利用させてもらっていたわけだけど(笑
感謝しているよ。

ところで元創価学会と書いてあったけど、退会したの?

337 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/15(日) 01:15:21 ID:???
>>329 ひゃっきまるさん
>学会員・元学会員とは「こうだ!」というレッテル張りを、「自分の体験や思い込みから」述べ立てているのは春田の蛙さんの方ではないでしょうか?

それは違いますよ。
春田の蛙さんも『自分の体験や思い込みから「こうだ!」と決めつけてくる学会員・元学会員』と限定を
付けているのであって、すべての学会員・元学会員がそうだと言っているわけではないではありませんか。
そのように我々が思うのは当然と言えば当然なのであって、そのようなタイプの学会員・元学会員が一番
目立ち、かつ、我々にとって手を焼いて困る存在なのです。
いわば、“創価学会における望まれる人間像”とでも言った役を演じきってしまっている人達ですね。
そこにすべてが包摂されるかは問題もあるでしょうが、敢えて名付ければ、“狂信的折伏教典型学会員”
とでもいう事になるのかもしれません。

様々なタイプの学会員がいる事は、当然の事ですが承知しています。
私は、相手の態度によって、こちらの応じ方も変えているつもりです。
春田の蛙さんも、型に嵌まった見方しかしていないはずではない、と思いますよ。

(その他、御質問にもお答えしたいのですが、今は時間が時間ですので止めておきます。 また、申し分けない
のですが、明日もやらなければならない事があり、レスするとしても、たぶん夕方以降になると思います。)

338 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 01:49:41 ID:???
ひと通り、創価大学文学部教授の宮田 幸一先生の論文を読んでみました(英語以外)。

宮田幸一のホームページ
http://hw001.gate01.com/miya33x/

いずれも非常に面白かったです。

宮田先生は創価学会の信仰者の立場から創価学会の教義を検討していますが、みたところ必ずしも創価学会よりの見方をしているわけでもなく、学問的に客観的であることに留意した、自由な論説である印象を受けました。

創価学会教学部とどういう関係なのかは知りませんが、今後の創価学会を考える上で非常に参考になりました。

(引用)
====================
私の個人的関心は創価学会の思想的意義を現代の文化、社会の中で解明するということにあるが、
創価学会がその母教団である日蓮正宗の伝統的教義に固執していることに関しては、以前から疑
問を持っていた。特に明治以降の仏教学や日本仏教の学問的成果と、それらの学問が成立する
以前の室町、江戸時代に形成された宗学の間には大きなギャップが存在することを、創価学会が
無視しつづけることは困難であろうと思っている。

今後創価学会が独自の教義を再構築するにあたって、私は、仏教、日蓮思想、歴代会長による
現代的解釈の3つを統合する必要があると考えている。その場合に、現代の仏教学、歴史学の
成果をある程度踏まえて現代の学説に大きく離反しないようにすべきだと考えている。
====================

上記引用のような問題意識はこのスレの中心的な話題でもあり、僕が最も関心をもっていることでもあります。




339 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 01:50:12 ID:???
(続き)
宗教における原理主義と改革主義一牧口常三郎の挑戦一
創価教育研究第2号 2003
http://hw001.gate01.com/miya33x/paper1.html

という論文では、牧口初代会長の宗教観を中心に、日蓮正宗と創価学会の差異について教義の面から検討を行っています。

宗教を「伝統主義」「原理主義」「改革主義」の3つに区分し、それぞれ「日蓮正宗」「顕正会」「創価学会」が当てはまるとしています。若干問題があるような気もしますが、分かりやすく創価学会の優位性を解説しているようです。

個人的に気になったところとしては、牧口初代会長、戸田二代会長に見られる、「科学的に宗教の良し悪しを決める」という考え方です。

論文の最後では、創価学会の課題として以下の3点をあげています。

・国内と海外でのダブルスタンダード
・他の仏教教団との付き合い方
・宗教団体が政治活動をすることについて

個人的にはもっと重要な創価学会の問題点はいくらでもあるような気がします。例えば、

・大乗非仏説の議論にまつわる、教義の正当性の問題
・池田名誉会長をカリスマとする人物崇的傾向
・全体主義的、情報統制的な組織運営(=マインドコントロール的であること)

といったことがあると思いますが、これらの話題を意図的に避けているのか、それとも全く問題に思っていないのかはよく分かりませんでした。




340 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 01:50:41 ID:???

(続き)
この論文の他にも、以下のような興味深い教義上の問題について論じたものがありますので、興味のある方は読んでみてください。

・日蓮の思想について
 五時説
 末法理論
 法然批判
 唱題理論
 本仏思想
 法華経至上主義

・創価学会は、日蓮正宗のどの教義を継承し、どの教義を否定するべきなのか
・日蓮の思想と日興の思想
・「血脈相承」「経巻相承」「信心の血脈」について
・日興教学と日蓮正宗教学
・日蓮思想と武力肯定、国家建設について

341 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 02:12:12 ID:???
>クルトン丸さん

>>333
同意です。
特に、2世、3世の信仰者は生まれた時から宗教教育を受けているわけで、そうした人の信仰に関する悩みは、自分の意思で入信を決めた人とは性質が異なり、よりたちが悪いと思っています。

>>334
実際に信仰して良い結果になったのか、というのはなかなか難しい問題ですね。



>>335 高橋さん
かなり昔からの会員だったのですね。
先入観から、若い女性の方ではないかと思っていました。



>>336 滝山
まあ感謝されるいわれもないけど、素直に喜んでおくよw
元というのは言葉のあやで、退会はしてないよ。
まあ、生活の必要性が生じない限りは退会しないだろうね。


>>337 法律ヲタさん

まあ、端的に言えば、僕は春田の蛙さんに頑迷な人間だと決めつけられたようで腹を立てた、というただそれだけのことです。僕が学会員だから云々とか、はたして言う必要があるの?ってことです。

子供っぽいかと思われるかもしれませんね。若輩者ですみません。


342 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 06:54:36 ID:???
以前滝山が話題に出していた、大乗仏教運動がどのような団体から生じたのか、という問題ですが、おそらく↓これではありますまいか。


日蓮って 第5章
http://hyakkimaru.nukenin.jp/nichiren_ver5.htm

91 名前: 名無し ◆QY3UtxFI 02/06/02 02:46
むしろ、決定的なのは、大乗の担い手の問題でしょう。以前「バウッダ」をめぐって多少議論したように、小乗は「歴史上の釈迦の作った比丘の僧迦(サンガ)に起源を持つ」が一方大乗は、「釈迦滅後の在家の仏塔信仰に起源を持つ」(平川説1968)
から釈迦と断絶があるから非仏説という批判。


92 名前: 名無し ◆QY3UtxFI 02/06/02 02:47
たしかに「バウッダ」を含め巷の概説書・入門書には、いまだに、そのような見解が述べられております。しかし、もはや現在のスタンダ−ドとは言えないみたいです。(^_^;)

紀元前後からおびただしい大乗経典が出現しますが、その主体者である大乗教団の存在を示す資料や碑文が紀元4〜5世紀まで存在しないというミステリ−(゚゚)。

平川説の予想するような大乗教団「菩薩ガナ」が、空白の数百年間、仏塔周辺に止住して教団を作っていた、ということを証明するに足る証拠は皆無といえます。(これが仏塔起源説の最大の難点)


343 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 06:55:07 ID:???
93 名前: 名無し ◆QY3UtxFI 02/06/02 02:47
それでは、膨大な大乗経典群の作者達はどこに居たのでしょう?。

1975年以来、一貫して平川説を批判してきた米国のG・ショペンは、
@ 「大乗教団」はすくなくとも4世紀までは存在しなかった。
A 4〜5世紀まで、大乗経典の作者達は、小乗の各部派内に存在していた。
というショキングな内容の見解を発表しました。

つまり、部派内部の比丘が大乗的な思想を持ち、大乗経典の作成を始めるようになった(゚o゚)。
ということは、大乗と小乗という二元的把握の消滅を意味します。現在の研究者達が、いまだに平川説をスタンダ−ドと見ているかは大いに疑問です。

近年の研究図書を紹介します。

グレゴリ−・ショペン  大乗仏教興起時代 インドの僧院生活 春秋社(2000/7)      http://www.shunjusha.co.jp/book/11/11202.html

下田正弘   大乗涅槃経の研究  大乗経典の研究方法試論 春秋社(1997/2)
http://www.shunjusha.co.jp/book/11/11193.html


344 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 07:00:20 ID:???
名無し ◆QY3UtxFI 02/06/02 02:47

さん(前スレでのみさきさん)は熱心な創価学会員のようでしたが、この辺の仏教研究に大変詳しい方のようで、このレスの前後でも面白いやりとりがされていました。

ver.1〜3の初期のコテハンさん達(第7の外道さんなど)が活躍していた時代も面白かったですが、

ver.4〜6あたりはこのスレが最も活発だった時代ですかね。荒れ気味ではありましたが、菩薩チャンやゆりさんなどの元気な学会員さんたちも多く、面白い議論ができていたと思います。

345 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 07:04:07 ID:???
失礼。

>>344が転載のように見えてしまっているかも知れませんが、僕の文章です。

346 :超弦道士:2009/02/15(日) 08:10:21 ID:???
>>318 春田の蛙さん。
>>232はわたしです。
折伏(四箇格言)について方便説と正意説があります。方便説は一宗を建てるには既成宗派の
批判が必要であるからで、正意ではない。宗外の一部の人が言う。正意説は宗内に多い。
日蓮にとって方便だったのか正意だったのかということなので、その人の立場は本来は関係ない。

でも日蓮の研究者はたいがい日蓮諸派の僧侶なのでこのたてわけが実際はかなりごっちゃです。
ただし信仰上も正意説をとる人の場合も、今日それを他宗に向けるわけでもないのは述べました。
日蓮の批判は法然や大日能忍に対するもので、これが仮に当たっていたとしても、親鸞や道元
にはあてはまらないからです。

>>342 ひゃっきまるさん
平川説は今日ではほとんど放棄されたようです。もともと「大乗の戒」というものはなく、菩薩僧は
部派の戒をたもっていた。戒=教団既定なので「大乗の教団」という概念はそもそも変なのです。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 08:50:54 ID:???
>>338
日蓮教義の学者さんは、日蓮を決して批判することなく
むしろ悪いとこには目をつぶって美化しつづければ三度
のメシに食いっぱぐれることがない人種だから、基本は
七割引ていどに見るのが妥当かなw

.>>342
大乗の発展は西暦105年に中国で世界初の紙が蔡倫
によって発明されて、それが庶民に安く提供され普及
する過程と完全にシンクロしてんでしょ。

だからただのインド思想の伝統を紙に書いただけで
「新たな運動」 と呼べるものはじっさいにはないん
だろなー、とワタシは思う。

>>324 マインドコントロール

MCの有力ツールのひとつが四箇格言ですよね、あと
切り文を多用する御書の手法とか、さらにその御書の
切り文で意味を捻じ曲げながら利用する興門流の手法
は宗教マルチとしてはなかなか優れてんだろね。

これは人間は長文を覚えられず、四文字から多くても
十文字以内がもっともアタマにはいりやすいという
能力の限度があるので、短文コピペを繰り返しながら
たたみかける御書の口調は、催眠術師としは超一流
のスゴ腕と評価しておきましょう。

348 :ひゃっきまる:2009/02/15(日) 15:57:52 ID:???
>>346 超弦道士さん

なるほど。
部派と大乗経典の関係は、平川説に代表されるような旧来の単純な枠組みの中では捉えられないということですね。
結局はっきりしたことは分からないのでしょうが、いろいろなモデルが提唱されているのでしょうね。

ところで、もしかして超弦理論の研究者の方でしょうか?



>>347

>基本は七割引ていどに見るのが妥当かなw

宮田先生は元来の目的が創価学会教義の再構築にあるわけですから、創価学会に対してはかなり好意的な論説が目立ちました。
ただ、日蓮に対してはそれほどバイアスがかかっているようには思いませんでしたね。都合の悪いこともちゃんと書いている印象です。

>だからただのインド思想の伝統を紙に書いただけで
>「新たな運動」 と呼べるものはじっさいにはないん
>だろなー、とワタシは思う。

大乗仏教運動という呼び方はもう古いんでしょうね。
といっても大乗経典と呼ばれるものが伝統的な仏教の思想とは隔たっているというのは事実で、それがどのようにして起こり、どのようなグループの中で受け継がれてきたのか、というのは気になります。

>短文コピペを繰り返しながらたたみかける

御書にそれほど短文コピペがありましたかね?
それよりも、仏典によく見られる繰り返し表現を連想しました。
あれは、暗唱するためであるとか、リズムを持たせるためであるとか、いろいろな表現で同じ意味を言うことによって意味を正確にするためであるとか言われているようですが。

349 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/16(月) 00:21:43 ID:???
>>309 ひゃっきまるさん
>・創価学会員と不快な接触があった、もしくは何らかの実害があった
>・そのとき関わった学会員の一部から、「仏罰により地獄に落ちる」と言われた
>・それに反論するべく、創価学会の教義(具体的には日蓮が何を言ったのか)を調べた

細かいことを気にしたら、そのように言ってしまって良いのかなと思う点がないでもないのですが、
ごく大雑把に言うのなら、そうまとめても良かろうと思います。
まぁ、もっとも気になるのは三番目にある「それに反論するべく」という点なのですが、時間的にも“仏罰に
より地獄に落ちる”という趣旨のことを何度か言われたのは、後の事と言うべきでしょうね。

当初から私は批判的ではありましたが、今ほどのアンチだったわけではなかったのです。
それ故に、創価学会員との接触・交流も可能だったのだとも言えると思います。
そのような過程で、例えば“五時八教”といったような一部の創価用語・概念、日蓮仏法用語・概念も
知るところとなりました。

350 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/16(月) 00:24:16 ID:???
(レス>349の続き)
彼等との付き合いや議論を経るうちに、“では、仏教(創価学会員の言う仏法ではなく、仏教一般)とは、
どのようなものなのか”という点に関心を抱き、学者等が一般人向けに書いたものを読むようになったの
ですが、その初期に、釈迦の生没年から生ずる正法・像法・末法という時代区分の問題ですとか、特に
天台の五時八教という考え方そのものが扱われていたわけではない部分を読んだ時だったのですけれど、
今日の仏教学的見地からすれば、五時八教などという釈迦在世における時代区分は根本的に疑問しか
抱けないものである事に気付いたのです。
そのようにして、それまで彼等との議論や彼等を通じて得られた文献などから生じていた漠然とした宗教
理論的疑問が、有機的まとまりをもった論理的疑問(更には批判)へと変わっていったわけです。

また、教義的な問題意識の形成過程はそのようなものものでしたが、それを並存する形で創価学会という
組織の社会性に対する疑問も当然有しておりまして、私がアンチとなるには、もちろんそれも重要な
問題ではあったのです。
こんなところですかね…。

351 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/16(月) 00:27:18 ID:???
(レス>350の続き)
>はじめに接触のあった学会員の方々に対し、議論を行ったのでしょうか。その結果、現在どのような関係になっているのでしょうか。

もちろん、相手が創価学会員であれば誰彼なしに「議論を行った」というわけではありませんけれど、
一応は、議論もしたと言ってよかろうと思います。

現在は、その原因はともかくとして、大部分の人と音信不通ですね。
しかし、二度と会いたくないと思う相手もいますが、また会ってみたいと思っている相手もいます。

>現在法律ヲタさんが相手にしているのは匿名掲示板に現れる匿名の学会員ということになりますが、どのような気持ちで相対しているのでしょうか。

この板に来る私の目的は、もちろんアンチとして創価学会を批判するためではありますけれど、実際に
この掲示板の中で相対した創価学会員にどのように接するかは、その相手(と状況)次第です。
一般的には、わざわざ書き込んでくるような学会員と言うのはいわゆる“バリ”が多いでしょうから
相手もそれなりの態度でアンチたるこちらに対する事が多いようであって、私の方でも、そのような相手の
態度に相応しく応ずるようにしております。

352 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/16(月) 00:29:19 ID:???
(レス>351の続き)
>かつてひどい目にあったという、怒りが動機なのでしょうか。
>相手の間違いを論破したいという、攻略的な楽しみに似た気持ちなのでしょうか。
>社会悪を正したいという、義憤なのでしょうか。

そのすべてが含まれていますね。

>宗教一般や、仏教について、どのような認識をお持ちでしょうか。

今現在の時点では、私自身は何らかの宗教を信仰しようとは思ってもおりません。
ですが、私もごく普通の弱い人間にすぎないわけであって、宗教に頼りたいと思うような事態が
将来到来しないとも限りません。
ですが、今の時点でそれを想像しても、はたして私に信じられる宗教が存在するのかは疑問です。

また、“宗教は阿片である”というような具合に考えているわけではありませんけれど、阿片の如くに
作用する事も現実に多々あるのが宗教だとも思っております。

仏教に関しては、もちろんそれだけではないにしても、他の宗教に較べて理性的傾向の強い宗教だと
思っております。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 00:33:32 ID:???
磯部君

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 09:19:42 ID:???
>>351法律ヲタ

>一般的には、わざわざ書き込んでくるような学会員と言うのはいわゆる“バリ”が多いでしょうから

違いますよ、逆です。
バリの方達は匿名の掲示板などには来ません、存在はしっていても端から興味ないみたいです。



355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 14:31:08 ID:???
>>354

>違いますよ、逆です。
>バリの方達は匿名の掲示板などには来ません、存在はしっていても端から興味ないみたいです。

そりゃぁ、バリの全体数から見たら掲示板に書き込む人は少ないでしょう。
”あなたの周りのバリ”は存在はしっていても端から興味ないのでしょう。

学会の人はネットが使えない人が多いですから、噂では聞いていても2chを見たことが無いという人も多いですね。またネットを使えてもごく一部のサイトしか見ないとか。

でもネットが使えて掲示板を見てしまったら、バリの心理としては闘いたくなるんですよ。そういう指導受けていますからね。勝利!(笑)

だからわざわざ書き込んでくるような学会員と言うのは、ネットが使える“一部の狂信者、もしくは一部のバリの人たち”だと思いますよ。

一般的に考えて、バリでもなく学会にそれほど固執していない会員が目の色変えてアンチに挑むとは考えにくいと思います。

こういう私も元バリで、2chでアンチから論破されまくったという過去があります。
当時のコテは恥ずかしいので晒せませんwww

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 15:07:09 ID:???
幾年も前のことはよく知らないが、現状は

学会員とわかる投稿の大半は批判的2、3、4世。
学会擁護のまともな投稿はほぼ見ない。
決まり文句みたいのはほぼ単なる釣りだとおもう。

だからバリはほとんどいない。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 15:38:22 ID:???
>>356
あ、そうだね。書き方が悪かった。
アンチに挑む書き込みはバリか狂信者、もしくは釣りだろうね。ってことでどう?

しかし、私が書き込んでいた時代のバリと今の釣りの区別がほとんど付かない。
バリの書き込みは元々学会擁護のまともな投稿が出来ていなかったと思う。
バリが論破されたのは多数見てきたが、逆は一度も見たことがない。

最後はブチ切れて罵るような書き込みをして消えてしまうケースが多かった。

悲しいかな、学会を擁護するための書き込みは理論的な方向に話が進むと、まともには成り得ない。

あ、話変えてごめんね。今はバリはほとんどいないんだね。分かったよ。



358 :ひゃっきまる:2009/02/17(火) 01:54:43 ID:???
>>349-352 法律ヲタさん

詳しくお答えいただきありがとうございます。
かなりよく分かってきました。

法律ヲタさんはアンチの中でも話しやすいですね。胸襟を開いた話し口が。

このような掲示板に継続的に来て議論するというのは、相当なエネルギーを必要とするはずで、そのモチベーションがどこから来ているのか、素直に疑問があるのです。

僕の場合は、様々な立場の人との会話を通じて、自分の心を整理する、という意味合いが強いです。

あとは、僕はアンチになる以前の時点から、どうしても創価学会の風潮になじむことができなかったので、創価学会員を理解したい、という気持ちも強いです。

更にもう少し質問させていただきたいのですが、法律ヲタさんは創価学会の「実害」ということについて、どのような考えをお持ちでしょうか。

個人的にどういうレベルの被害をこうむったのか、ということでもよいですし、社会的にどのような影響を与えているか、ということでもよいです。

できれば、個人から社会までさまざまなレベルに渡った包括的なご意見をお願いしたく思います。

ところで、そこで一つ問題になるのが、創価学会員自身は被害者なのか、という点です。

この問題は先にクルトン丸さんとの話(>>334)でも出てきましたが、なかなか難しいと個人的には思っています。

実際に信仰に喜びや生きがいを感じて、生活を改善して幸せを掴んだと思える人も多く僕は観てきたからです。

僕が現在個人的な考えとして持っているのは、創価学会の諸問題というのは、実はほとんどが中枢の指導内容などの問題に還元できるものなのではないか、ということです。


359 :ひゃっきまる:2009/02/17(火) 01:56:24 ID:???

>>354-357

僕はこの掲示板を見に来る学会員自体はけっこう多いと思っています。

創価学会の人口自体が多いですし、2ちゃんねるは最も有名な巨大掲示板なので、ネット環境があれば必ず一度は見に来ると思いますよ。

ただ、ぱっと見の印象ではほとんどのスレッドが悪口で埋め尽くされていたり、荒れていたりするので、「バリ」の人のほとんどは内容を詳しく見ず、「アンチは程度が低い」、と決めつけて二度来ることはないような気がします。

創価学会の考え方からしても、ネットでアンチの相手をするより、現実で一人でも多くの人間を折伏した方が良しとしそうですし。

ただ、やはり多くの人がいるものですから、たまにアンチにつき合ってくれる「バリ」も出てくるのでしょう。

360 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/17(火) 08:45:16 ID:VsK/n6TE
>>354
なるほど…。
“バリ”の定義の問題なのでしょうけれど、一般的には、そのように理解・把握するべきなのでしょうかね?
ただ、私としては、アナタの言うような人々は“バリ”どころか“バリバリ”とでも言うべき存在に思えます。
アナタの指摘は、“バリ”と言ったとき、普通は“バリバリと創価学会活動をする者”を意味するという事
なのであろうと思いますが、私は、現実の創価学会活動の程度に着目して“バリ”と言ったわけではなく、
信仰そのものという精神的側面について“バリ”信者と言ったつもりなのです。

おそらく、内部アンチと呼ばれる人々は基本的には私と争おうとしないのではなかろうかと思われますし、
未活と呼ばれる人々も同様の方が多いのではないかと想像するところですが、そのような方々でも、
立場は異なるにせよこのスレに於ける乾闥婆氏のように私のレスが信仰を冒涜するものと捉え反発を
感じレスをする事もあるのではなかろうかと思っております。
内部アンチ・未活といっても、必ずしも信仰そのものを否定していると言うわけでもないのですからね。
仮にそのような方々が私に批判的内容のレスをくれたとしたら、私には、そのような方々も“(精神的)バリ”
として判断せざるを得ないのです。

361 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/17(火) 08:48:11 ID:???
アリャリャ、間違えて上げてしまった。 済みません。
IEで書き込んだもので、他スレへの書き込みで上げていたのを忘れ、そのようになってしまいました。


362 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/17(火) 08:49:30 ID:???
>ひゃっきまるさん
実は、私としても説明不足だと思う点はいろいろとあるのですが、ともかくも、あのようにまとめてみました。
どのような人物を二度と会いたくないと思っているかや会いたいと思っているかについて、ある程度
具体的に書いたのですが、掲載するのはやめました。
書いた内容から想像できるのではなかろうかとも思いますが、今では創価学会の書籍も、おそらくは
少なくとも並の創価学会員程度には(批判用として)備えておりますが、そのような書籍より、一般的な
仏教関係の書籍の方が、私の蔵書暦では古いのです。(これをしまっておく場所には困ります。簡単に
他人の目に付くようにはしたくありませんし…。)
もっとも、創価学会関係の書籍の大部分は、今では創価学会(員)が処分しようとしている正宗時代のもの
がほとんどであって、それも池田氏が会長となってそれほど経っていない頃のものが中心ですけれどね。
また、仏教を理性的宗教と捉えるなど、例えば禅家からは、頭で捉えてどうするのだと批判を受けそうですが、
私としては、そう言わざるをえないのです。

363 :福本博士が池田ニセ博士を断罪:2009/02/17(火) 11:13:31 ID:???
>>338
宮田教授は、公明党参議院議員だった福本議員と東大入学は1968年(昭和43年)で同じです。
東大紛争突入で昭和44年の入試がなくなり、入学者がいなくなった時、

東大法華経研究会、総体革命のために 駒場キャンパスに 宮田教授と福本博士の二人は残って
駒場に4年間いることを選択して、東大生会員の400名増加に貢献したそうです。

公明党を脱党した福本博士が言っておられました。「東大生信者400名の中で最も信頼できる同志だ」
フクモト本も参考に紹介
創価学会・公明党「カネと品位」 著者:福本潤一  講談社
http://www.amazon.co.jp/dp/4062150352/
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32153358

福本博士が池田ニセ博士を断罪! 福本博士が池田ニセ博士を断罪
誰にでもわかる創価学会の誤り
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/daredemo/contents01.htm


364 :乾闥婆:2009/02/17(火) 13:22:04 ID:???
>>360
法律ヲタさん

>おそらく、内部アンチと呼ばれる人々は基本的には私と争おうとしないのではなかろうかと思われますし、
未活と呼ばれる人々も同様の方が多いのではないかと想像するところですが、そのような方々でも、
立場は異なるにせよこのスレに於ける乾闥婆氏のように私のレスが信仰を冒涜するものと捉え反発を
感じレスをする事もあるのではなかろうかと思っております。
内部アンチ・未活といっても、必ずしも信仰そのものを否定していると言うわけでもないのですからね。
仮にそのような方々が私に批判的内容のレスをくれたとしたら、私には、そのような方々も“(精神的)バリ”
として判断せざるを得ないのです。

「(精神的)バリ」とはなかなか愉快な造語ですが、私の場合は、創価学会の教義も、日蓮
の教義も、まったく支持していませんので、「(精神的)バリ」ではありませんね。ただ単
に家の宗教が創価学会だったというだけのことです。私が反発しているのは、私の信仰を
冒涜しているからではなく(そもそも冒涜されるような信仰を私は持っていない)、あなた
が歴史的認識を持って語るべき事項に対して、そのような認識を却下して語るその態度で
あり、創価学会や富士門流の日蓮需要を批判するといいながら、日蓮その人の個人攻撃を
歴史的認識を却下した上で繰り広げ、日蓮を宗祖と仰ぐ他の宗派の信仰者たちへの配慮を
欠いて省みるところがない、その態度です。

365 :乾闥婆:2009/02/17(火) 13:25:31 ID:???
(続き)
>>313(春田の蛙さん)
>自分の体験や思い込みから「こうだ!」と決めつけてくる学会員・元学会員の方には、いつも手を焼かされてきました。

>>337(法律ヲタさん)
>そのようなタイプの学会員・元学会員が一番目立ち、かつ、我々にとって手を焼いて困る存在なのです。

こういう発言を見ると、何を言っているのだろうと思います。「手を焼く」などとぼやくく
らいなら、手を引けばいいではないですか。誰かに頼まれてこういった書き込みをしてい
るわけでもないでしょう。自分の意志で書き込んでいるのでしょう。当然相手がどのよう
なタイプの人間であるかは承知しているはずでしょう。嫌ならやめればいいのです。やめ
ない以上、あなたたちは好きでこういった議論をしているのだろうと私は考えます。春田
の蛙さんとはかなり前に、この手の行き違いがありましたが、私は春田の蛙さんに対して
は、念仏の立場から日蓮をどのように読んでいくのかという、明確な立脚点がありますの
で、批判することはあっても、心のうちで少なからず敬意を払っております。自身の出自
である念仏に対しての相対化作業にもしっかりと取り組んでいるわけですから。しかし、
法律ヲタさんの態度には、まったく敬意を払う気がしません。「手を焼く」といった言葉か
ら感じられるのは、相手をさげすむ姿勢です。それは相手を自分よりレベルの低い人間と
見下している人の言葉でしょう。私があなたのことを「悦に入っている」と評したのは、
このような態度が端々に見受けられるからです。私は創価学会の所謂バリ活動家に見受け
られる態度にも同様の嫌悪感を覚えます。彼らが「あの人は境涯が低い」だとか「それで
は相手と同じ境涯だ」などという言葉を得々と吐くのを見るとき、あなたたちは何様のつ
もりなのだ、と思います。私が繰り返し言ってきたのは、あなたのやっていることは創価
学会のバリ活動家と同じではないか、ということです。ですので、創価学会のバリ活動家
に抱く嫌悪感をあなたにも抱くのです。

366 :乾闥婆:2009/02/17(火) 13:26:44 ID:???
(続き)
私はもう、創価学会や日蓮を信仰の面で語ることにあまり関心がありません。創価学会は
社会学のようなアプローチで、日蓮は歴史学もしくは宗教学のような見地から読むべきで
あると思っています(そういった読み取りにさえほとんど関心がなくなりつつあるのです
が)。しかしあなたは信仰の面でのみ、日蓮を読もうとしています。それも現代の視点で。
現代の視点で日蓮を読んでも、通用するようなものは、ほとんど何もないでしょう。何も
ありませんよ。もしそこになんらかしらの意義を見出すことができるのであるとしたら、
あの鎌倉期における日蓮の言動を通して、何かしらの精神的な姿勢を学ぶことができるか
どうか、ということに尽きるのではないでしょうか。そういう人たちがいたとしても、い
いでしょう。私は何も言いませんよ。それこそ自由ですから。むしろ自分の出自からいえ
ば、大いに関心があるとも言えます。しかし、日蓮が言ったことが、そのまま現代に一文
一句間違いなく通用する、などといった原理主義的な言動をとる人があるのだとすれば、
その人たちの日蓮受容は批判するべきでしょう。そういうことを私は繰り返して言ってき
たのです。

367 :乾闥婆:2009/02/17(火) 13:27:34 ID:???
(続き)
いま、ひゃっきまるさんがいろいろとあなたに質問をしています。そのようにしてあなた
の立脚点を明らかにするという作業が行われているわけですが、このような作業は有効で
しょう。批判者は批判相手に似てきます。日蓮がそうでした。日蓮は立正安国論の中で、
法然の排他性を攻撃しているのですが、おかしなことは、当時の念仏の多くはすでに伝統
宗派との融和を始めていたのであり、むしろ日蓮その人こそが排他性を強めていくのです。
そういう点では法然と似ています。法律ヲタさんは自身の立脚点を明らかにすることから、
創価学会の活動家と同じ姿を映し出している合わせ鏡状態から脱却するべきではないでし
ょうか。まず、自分の確固とした立ち位置を示すべきではないでしょうか。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 15:19:45 ID:???
>>367
私も過去に別のスレッドでどういった経緯でアンチになったのかヲタさんに質問したことあります。
その時は『使命』だとか『天職』だとか言ってたっけな。
アホ相手にいちいちレスするのが大変だとか、うんざりだとかね。大きなお世話だよって思うね。
趣味なのよ、悪趣味。長文連投するのに結構時間を費やすと思うけど、それを何年も続けてんだものなあ。
ひゃっきまるさんがモチベーションがどうとか訊いてたけどさ、趣味だからモチベーションもなにもないがな。
趣味じゃなかったら職業だね職業アンチ。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 15:25:43 ID:???
>>299
>>361


わざとだな…

370 :滝山:2009/02/17(火) 23:09:14 ID:+o5xwJpJ
原始仏教系の某コテ二名のこともあるでしょう。
自己の怒りを他人のそれのように認識し
放置することは非常に危ういことです。
病理的な衝動は身体を蝕むでしょう。

批判する上で最も大切なことは論理性より、
自己の精神状態ですからお気をつけください。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 01:05:37 ID:???
>>281
>分からず屋さんに対して、場合によってはそいつ等と同様の手法を用いてな。

↑マジ?
本当なら、お前も層化と同等とみなして、攻撃する。

372 :ひゃっきまる:2009/02/18(水) 02:35:20 ID:???
>>360 法律ヲタさん

僕が「バリ学会員」といった場合、「バリバリとした活動家である学会員」というイメージですね。聖教新聞に昔連載されていた、「バリバリ君」のイメージです。

>内部アンチ・未活といっても、必ずしも信仰そのものを否定していると言うわけでもないのですからね。
>仮にそのような方々が私に批判的内容のレスをくれたとしたら、私には、そのような方々も“(精神的)バリ”
>として判断せざるを得ないのです。

法律ヲタさんは、「日蓮を信仰する人」をすべて否定するということでしょうか?

内部アンチ・未活の中には、創価学会の信仰に疑問を抱き、歴史や教学を学び、自分なりの日蓮信仰をしている人もいるでしょう。法律ヲタさんはそのような人も認めないということでしょうか?

373 :ひゃっきまる:2009/02/18(水) 02:35:40 ID:???
>>361 法律ヲタさん

まあ、常時sageですと全く人目につかないということになりますから、ときどき間違ってageるくらいが良いのではないかと思います。



>>362


>ある程度具体的に書いたのですが、掲載するのはやめました。

せっかくの大作らしいので、もしさしつかえなければ、以下まで送っていただけるとありがたいです。

hyakkimaru49@hotmail.co.jp

>仏教を理性的宗教と捉えるなど、例えば禅家からは、頭で捉えてどうするのだと批判を受けそうですが、

仏教関係には昔から興味があるご様子ですので、法律ヲタさんの中でこだわりがあるのですね。
その視点から、信仰至上主義的な日蓮の仏教を嫌うのでしょうか?



374 :ひゃっきまる:2009/02/18(水) 02:36:36 ID:???
掲示板で議論をする理由ですが、僕は個人的にこんな風に考えています。

人間は他人と意見を交わしたい、コミュニケーションをとりたい、自分の気持ちや考えを表現したい、という基本的な欲求を持っているのだと思います。

それらは、普通は家族や友人、仕事仲間などと会話することで満たされますが、人によっては文学や芸術などの原動力になることもあるでしょう。

しかし、通常の生活で満たされない場合、ネットという場にその欲求が向かうのではないでしょうか。

僕の場合は、創価学会のことに関して、徹底的に人と話し合いたい、という欲求が強くありました。しかし、現実では、教義上の疑問や、組織的な問題について議論できる学会員に合うことはできませんでした。
というよりは、どうしても精神論になってしまって、僕が納得するような話はできなかったのです。

そのようにして現実で解消されない欲求をネットに向けていると言って良いと思います。

このような自分の気持ちを参考にして、創価学会アンチの心理というものを想像したとき、一つの仮説が思い浮かびました。

アンチたる強い動機を持つアンチは、現実で創価学会員と、なんらかの直接的な接触をしているはずだと思いました。最も起こり得るのは、折伏(布教活動)や、新聞勧誘、公明党への選挙依頼でしょう。

接触のあった創価学会員というのは、おそらく、それまで全く何の関わりもなかった人ではなく、学生時代の友人であったり、親戚であったり、職場の同僚であったりというものなのではないでしょうか。

僕はそこで、何らかの感情的なもつれを経験しただろうと想像するのです。
知人がおかしな宗教に入っていて、しつこく勧誘してくる、といった単純な話では説明しきれない何かがあったのではないかと思うのです。

結局そこで満たされなかった何かを求めて、アンチは書き込みをしているのではないか、というのが僕の仮説です。

表面的には、怒りをぶつけたい、論破したい、間違いだと認めさせたい、ということですが、そのような一見攻撃的な感情の根源には、相手と分かり合いたい、気持を共有したい、という気持ちがある気がします。

375 :ひゃっきまる:2009/02/18(水) 02:37:14 ID:???
>>363

福本博士という方をよく知らないのであまり興味が持てませんでした。
リンクもちょっと意味不明でしたし。
しかし、わざわざ呼び名に「博士」をつけるというのは日本では珍しいですね(というよりは普通は滑稽とみなされてしまいます)。
池田名誉会長が学位をもっていないのに博士と呼ばれていることに対する皮肉なのでしょうか。



>>364-367 乾さん

乾さんのお怒りももっともですが、ここ(2ちゃんねる創価・公明板)はそもそもアンチ創価の巣窟というか、罵詈雑言が普通という異常な場所なのですよね。
アンチのほとんどは、創価学会や創価学会員を極端に見下した視点での発言しかしていないと思います。
もちろん僕も、皆がやってるからやっていい、などとは思っていませんし、せめてこのスレだけは普通の議論ができる場所でありたい、と思っています。
しかしある程度はあきらめの気持ちを持たないと、きりがありません。
誤解なきように付け加えますと、乾さんは全く正しいことを言っていると僕は思いましたし、なんとか法律ヲタさんも、乾さんの気持ちを理解してほしいな、と思っています。



>>368

いや、僕は法律ヲタさんは善い人だと思いますよ。

376 :ひゃっきまる:2009/02/18(水) 02:38:19 ID:???
>>370 滝山

たかが掲示板の議論なのに、自分でもびっくりするくらい激しい感情になることがあるけども、あまり良くないことなのだろうね。
顔を突き合わせての議論と、やはりどこか違う気がする。

ちょっと話がずれるかも知れないけど、自分の論理を相手に押しつけて、無理やり頭を縦に振らせようとしても意味がない、と俺は思っている。むしろ大事なのは、相手と共通に理解できた項目を地道に増やしていく作業だと思う。

議論辞めたのにレスしてしまってすまん。レス不要なので。

377 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/18(水) 08:54:36 ID:???
>>364 乾闥婆さん
誤解を与えかねない表現をしたのかもしれませんけれど、私は、乾闥婆さんが日蓮や創価学会の教義を
支持すると言う意味で創価学会員と同様の“バリ”だとか述べたわけではありません。
レス>360においては、形式的には学会員であるところの「内部アンチ」や「未活」と呼ばれる存在の人達に
ついて述べているわけですが、アナタが彼等と同じだと言っているのではなく、「そのような方々でも、
立場は異なるにせよこのスレに於ける乾闥婆氏のように私のレスが信仰を冒涜するものと捉え反発を
感じレスをする事もあるのではなかろうかと思っております」と述べているのであって、ここで言う「立場は
異なるにせよ」とは、乾闥婆氏は創価学会員とは異なると言う意味なのです。 
(もっとも、アナタが形式的にも創価学会員ではないのかどうかは存じ上げませんけれど、それは私にとって
ここにおける問題ではないのです。)

そして、私は、“私のレスが乾闥婆氏自身の$M仰を冒涜するものと捉え反発を感じレスをする事もある”
と言っているのではなくて、乾闥婆氏の場合には、“私のレスが信仰一般≠冒涜するものと捉え反発を
感じ”ているのであろうと述べているにすぎません。
その点でも、乾闥婆氏と創価学会員とは「立場は異なる」わけであって、類似しているのは、個別的信仰で
あるか信仰一般であるかは別として、信仰を冒涜していると考えているのであろうと言う事です。

378 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/18(水) 08:56:00 ID:???
(レス>377の続き)
「私が反発しているのは、・・・、あなたが歴史的認識を持って語るべき事項に対して、そのような認識を
却下して語るその態度であり、創価学会や富士門流の日蓮需要を批判するといいながら、日蓮その人の
個人攻撃を歴史的認識を却下した上で繰り広げ、日蓮を宗祖と仰ぐ他の宗派の信仰者たちへの配慮を
欠いて省みるところがない、その態度です」とのお話ですが、繰り返しになりますけれど、そのような事は
ありません。
私は歴史的事実は歴史的事実として把握しているつもりでし、歴史的事実に関する認識に間違いがあると
され、それに納得しうる根拠があるのなら、もちろん事実認識を改める姿勢でいるつもりです。

そして、乾闥婆氏が「歴史的認識」と言っているところのものも、あくまでも今日からする歴史的認識の問題
なのであって、それが表面に現れるかどうかは別として、歴史的事実に関する認識の問題にとどまるもの
ではなく、それがどこまで表出するかは別として、今日の視点からする歴史的評価の問題が常に存する
ものと言うべきでしょう。
単に事実認識の問題にとどまるなら、歴史学的にはともく、「歴史的認識」として価値をもちうるものではないでしょう。
(時間の都合で中断します。)

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 17:58:45 ID:???
>>377-378
まったく噛み合ってないし、全然答えになってない。
おそらく、乾闥婆もあなたと議論しても全くの無意味だと思っているよ。

380 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 00:46:56 ID:???
法律ヲタさんのスタンスを僕なりに理解してまとめてみました。
もし間違いがあればご指摘ください。

法律ヲタさんは、「創価学会では日蓮を大聖人・本仏というが、私は糞坊主だと思う。それに反論があるならしてみなさい」というスタンスで議論されているということですよね。

法律ヲタさんは、「日蓮が実際はどのような人物であったのか、ということには実際のところは興味がない」。
いいかえれば、創価学会を批判するために、「日蓮は糞坊主」というスタンスをとっているに過ぎない。

このようなスタンスをとる理由としては、創価学会員の感情を刺激することができる、ということがある。

それに対して、「創価学会の日蓮理解や歴史認識は間違っている」という方向での批判ももちろん可能なわけですが、法律ヲタさんはそのような「マイルドな」方法はとらない、ということですね。

このような法律ヲタさんの態度に対して、乾さんの批判として正当だと僕が思うのは、「それは創価学会以外の日蓮の信仰者に対する配慮に欠けている」というものです。

僕もこれは正論だと思います。ここは確かに「創価・公明板」ですが、創価学会以外の日蓮の信仰者はいるわけですから。

381 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 00:47:57 ID:???
(続き)
ただ、法律ヲタさんはそのような人から「あなたの日蓮理解は間違っている」と非難されても、もともと創価学会を批判するために仮にとっているスタンスにすぎませんから、
「あなたがそう考えるならご自由に。歴史認識は各人自由です」と受け流すだけで、反論するつもりはない。

春田の蛙さんであれば、「念仏の立場から日蓮をどのように読んでいくのかという、明確な立脚点がある」のに対して、法律ヲタさんは、自身の立脚点を明らかにせず、
ただ批判のために「日蓮」という信仰のシンボルをもてあそんでいるようで、乾さんには我慢ならないのでしょう。


今までの経緯のまとめは以上です。ここからは僕の意見です。

僕はどうも、法律ヲタさんは「無宗教」という立場から批判をしているように思えるのですよね。
宗教を現代人の立場から批判することや、教祖や聖人の言動が矛盾していると指摘することは容易です。
例えば聖書だって矛盾する記述はいくらでもありますし、全部が合理的である信仰など、むしろ探す方が難しいと思います。
それをもって、「自分は論理的である」というのはちょっと違うんではないかと…。

そのようなやり方で創価学会員を批判することに意味があるのか、というのは僕には疑問です。

ただ、法律ヲタさんがあくまでそのスタンスで学会員を批判するというのであれば、それはご自由に、としか言えないのですが。

382 :乾闥婆:2009/02/19(木) 01:19:58 ID:???
ひゃっきまるさんの整理されたとおりの構図ですね。私は法律ヲタさんのような態度には
我慢がなりません。しかし滝山さんも言われているとおり、このような状態は、身体にも
精神にもよくないようなので、以下を示して手を引きましょう。

歴史学について。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6
そこから一部引用。
>しかし過去を安易に今日の基準でみることは過去を色眼鏡でみることになりかねないため、注意が必要である。
>自分の時代の価値観や倫理感を機械的に過去へ適用し、批判することは、しばしば歴史の実相を見誤ることになりかねない。

私が歴史についての一定の見解を形成したのは、E・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新
書)を読んだことによります。法律ヲタさんにも一読をお勧めします。歴史学の入門書と
しては古典です。多くの人がこの本を読んで歴史について語っていますので、検索してみ
てください。

383 :乾闥婆:2009/02/19(木) 01:30:46 ID:???
『歴史とは何か』から有名な一文だけ引用しておきましょう。

>歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。(P40)

法律ヲタさん、歴史に対して、現代からの一方通行では、ことの実相はつかめませんよ。
歴史の、当時の社会的背景やその人物の置かれた様々な状況に耳を澄ませてみてください。

384 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 01:55:23 ID:???
> ひゃっきまるさん

あなたの意見にも乾闥婆さんの意見に対しても、色々と反論はあるのですが、
とりあえずやりとりを拝見していて、どうにも気になった部分を二点のみ申し上げます。

1.
掲示板において、相手が個人的な体験を具体的に綴るのをやめたからといって、拙速にメールでくれと申し出るのは些か非常識です。
もしも、私や法律ヲタさんが常駐している相談スレで、我々がスレ来訪者に同じ態度を取れば、格好の非難の的となるでしょう。

また逆に、相手からそのような態度を取られれば、私は相手を「興味本位で踏み込んでくる信用ならない人間」だと判断します。
たとえ、それがあなたであっても、ここでのような経緯からの申し出であれば、私ならそう判断してメールはお断りするでしょう。

相手とのやりとりの積み重ねや経緯によっては、もちろんこの限りではありませんが、ここでのあなたの
一連の態度は、議論相手の個人的体験をせっついて聞き出しているようにしか見えませんでした。
これを言うとまた不愉快になるのでしょうが、実に“創価学会的なお節介”の相似形だと思います。

私も法律ヲタさんも、2chでやりとりをさせて頂く場合、まずは相手が自発的に話された範囲に対して理解しようと努力します。
“相手の望む返答のために不足している情報”について促すことはあっても、ことさら個人的な話を得ようとは致しません。
それが、何処の誰かも分からない人間同士が集う匿名掲示板においての、基本的な誠意の表し方だと思います。
……ひゃっきまるさんが昨日今日2chデビューされたのであれば、よくある失敗です(私にも昔覚えがあります)から、ここまでは言いませんが。

また現実に、以前創価被害者の方で、書き込み内容からリアルで特定されてしまった方がおられました。
ネットでのやりとりの場合、自衛のために用心するのは当たり前だと思います。
「だったらメールでならいいだろう」「僕は他言するような人間ではないから信じてもらえるだろう」……拙速にそうした姿勢で臨むのは
相手への親切の押し売りであり、マインドコントロールの一つの方法も、このような“好意を纏った心理的圧力”を応用しています。

385 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 01:57:14 ID:???
>>384続き】

2.
他スレを十把一絡げに悪口ばかりと決めつけ、それと比較して、このスレ“だけ”が大切であるかのような言動は排他的です。

……実生活に直結するせっぱつまった相談をするが故に、意見が対立したり荒れる場合もあるのです。
そのような場所で、スレの空気を保つためにスレ住人各位が払っている有形無形の努力。
それらに目を向けることなく、度々かような表現を用いる姿勢には、些か失望しました。

――このような言動を認めるのであれば、同時に、“他者への悪口と幼稚な自己顕示と暴力の肯定
(だと少なくとも表面上は読める)日蓮の言動”を、“糞坊主”と評されるのも認めるべきでしょう。
それが日蓮信仰者への配慮に欠けていると言うなら、あなたの言動は、
“日蓮ってスレ”以外の“全ての創価板参加者”へ対して、配慮に欠けています。

“糞坊主”という過激な表現さえ使わなければ良い、言葉を表面上丁寧にすれば良いというものではありません。
事実、あなたは“表現自体はさして過激でもない”私の言葉に腹を立てたし、おそらくこのレスにも腹を立てるでしょう。
であれば、あなたの配慮に欠ける言動も、日蓮に対する“糞坊主”という評価と、本質的な問題は同じなのです。

――その意味で、この点をもって法律ヲタさんばかりを追及なさるのはフェアではありません。
また、私のスタンスが、法律ヲタさんのそれより優れているように評価されるのも困ります。

私は自己のスタンスを、法律ヲタさんのそれより明確だとも、より適切だとも考えてはいません。
むしろ真逆の立場から似たようなことを言っていると、私自身は考えております。

386 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 02:03:49 ID:???
> 法律ヲタさん

何ていうか……大変ですね。
私はざっと読んだ範囲で、概ね法律ヲタさんのご意見に納得していますが
(違和感を感じたのは、滝山さんも反論しておられる>>245と、>>278の板違い云々の部分でしょうか)。
しかしこうなってしまうと、異なるスタンスの方に分かってもらうのは本当に難しいと思います。

私としては、“信仰者としてのスタンス”で読んでも法律ヲタさんのお話のほうがより分かり易いのですが、
行き違うのはおそらく、相手の感情の根っこに触れてしまってるんでしょう。
読んでいて色々と書きたいことはあるのですが、それらはどうしても長文になりますし、中々余裕がありません。

たぶん法律ヲタさんも、こちらにレスをされながら同様のジレンマを抱えておられることと思います。
様々な制限のある中で、時間の許す限りレスを書いておられるご心中をお察し致します。

……私も予定していた日蓮についての私的な考察は、しばらく日を置いてから投下しようと思います。
結局のところ私の考察も、ある意味、真逆の立場から法律ヲタさんの姿勢を肯定するような内容ですし、
今はスレでそれを冷静に受け止めてはもらえないでしょうから。改めて投下の折には、また宜しくお願いします。

387 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 02:45:20 ID:???
>>春田の蛙さん

どうにも誤解されているようで残念です。

>>384-385

>掲示板において、相手が個人的な体験を具体的に綴るのをやめたからといって、拙速にメールでくれと申し出るのは些か非常識です。

一応僕は常識的なふるまいをしようと努力してきたつもりですが、蛙さんの感覚での常識とずれがあったようですね。
無理に要求したわけではありませんが、法律ヲタさんが不快に感じたのだとしたら、大変申し訳ないことです。


>他スレを十把一絡げに悪口ばかりと決めつけ、それと比較して、このスレ“だけ”が大切であるかのような言動は排他的です。

そうですね。そのように受け取られても仕方のない書き方をしてしまったので、ここは素直にお詫びいたします。申し訳ありませんでした。


蛇足かも知れないと思いつつも一つ言いたいのは、蛙さんは若干「気がはやりすぎ」ではないか、ということです。

蛙さんはとても頭が回る方だと思います。ですから、文章を考えながらどんどん気持ちが大きくなって、書きたいことが次々と浮かんできてしまうのではないか…。

しかし、他人を批判するときは格別にそのようなご自分の性質をよく把握されて、言うべきこと、言うべきでないことを慎重に見極めた方が良いのではないかと思うのです。

子供を叱ることは大事ですが、そこであまり強く叩きすぎると、子供は逆に親を恨むようになります。

誰しも決めつけられるのは嫌なものです。思ってもいないことを、「思っているだろう!」と言われれば反発心が芽生えます。

僕はどちらかというと自制心がある方だと思いますから、今回のことも「喉元過ぎれば」と思っていますが、蛙さんがこのような経緯を多くの人に対して繰り返しているとすれば、どんどん敵を増やしてしまっている気がして、それはとても恐ろしいことだと思いますよ。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 02:55:39 ID:???
オタさんや蛙さんは、現代の価値観でしか物事を判断できないのですね。
当時の社会情勢や価値観、定義などは、一切考慮しない。
例えば、昔の日本は中国を侵略したとか…。
まるで、層化や公明党のようです。

389 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 03:08:05 ID:???
面白いHPを見つけたので紹介しておきます。

http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/literature/shimoda/top.html
仏教学者・下田正弘先生(東京大学大学院人文社会系研究科及び文学部助教授)の著作のいくつかが読めます。

最近のこのスレの話題にも直接関わる主題があり、大変面白く読めました。
紹介までに少しだけ引用しておきます。

=========================
 西洋に起こった近代仏教学は、仏教を外から、学の対象として認識することを目指して進みました。
その研究素材として選び出されたものは文献でありました。その文献をもとに再構成されるべき認識の
中心点に立てられたのは、過去に存在した歴史的人物であり、理性的哲学者としてのブッダでありまし
た。この起源の確定は仏教学誕生の要であり、その後の仏教世界は、この仏教学の至り着いた起源と
そこに集約されるべき認識の枠内において意味付けをなされてきました。
(略)
実際にブッダ研究を行おうとするなら、中村元が模範を示したように、神話的な仏伝類を意図的に遠
ざけて行わねばなりません。そうなればブッダに歴史的人物より以上の意味を持たせ、それを神話的
表現に託して語る大乗経典類は研究の対象とすることが困難になります。
(略)
実際の仏教世界において、〈法〉も〈僧〉も〈仏〉と共に成り立ってきたものであり、その〈仏〉は過去の歴史で
存在が完結したゴータマに限定されているのではなく、仏教が存在している以上何らかの形で現に機能
し、はたらき続けている性質のものです。
 この〈仏〉のはたらきが実感されるのは、認識としての〈仏教〉学の場においてよりも実際の仏教内部に
おいて、つまり仏教徒の世界においてでありましょう。実は近代仏教学において抜け落ちていた視点は、
この〈仏〉を相手として仏教世界を生み出す〈信仰者の視点〉と言えるのではないでしょうか。
=========================

390 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/19(木) 08:54:27 ID:???
このようになってしまうのではないかとは思っておりましたが、私が追いつけないでいるうちに、話は
どんどん進行してしまいますね。
どう対応すべきか悩むところですが、新たに書かれたレスに応答する事とさせていただきます。
そこで、私から見て、ここで問題となっている事に関し象徴的意味があると思えるレス>388から問題と
することにいたしましょう。

>>388
>オタさんや蛙さんは、現代の価値観でしか物事を判断できないのですね。
>当時の社会情勢や価値観、定義などは、一切考慮しない。

ハァ?  アナタは、“昔の価値観”?? に従って物事を判断し、現代を生きているのですね?
私には理解しがたい事です。

“当時の社会情勢や価値観、定義などを一切考慮しないで”批判できるわけなど、ないではありませんか。
私の歴史認識はそのようなものを無視し、客観的に歴史的事実に反すると考えられる内容があると
言うなら、それを具体的に指摘してください。
私は、事実(場合によっては、事実であるか否かの蓋然性を考慮する場合もあるでしょうけれど、)を基として
判断しているつもりです。
歴史的過去においては、当該行為者における諸事情を当該行為者が受け取った通りに把握する事のみが
許され、一切の批判的把握が許されないのだとしたら、そのような歴史認識に価値などありませんよ。

391 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/19(木) 08:55:49 ID:???
ところで、このスレの本題とは異なりますが、書かれた以上反論させていただきます。

「例えば、昔の日本は中国を侵略したとか…。」・・・(少なくとも、その一方当事者である中国を基準とすれば、)
その通りではありませんか。
当時の帝国主義的状況など、日本側の言い訳にすぎません。
軍事的問題に限るべき話ではないのだが分かり易くするためにそれに限って言えば、第二次大戦にいたる
過程のなかで中国における日本側のさまざまな軍事的行動に関して、当時の中国にどのような責任が
あると言うのですか?
日中戦争の大きなキッカケとなった盧溝橋事件にしたところで、言ってみれば関東軍の謀略と考えるべき
でしょうし(共産党の謀略だと主張する人々もいますけれど、根拠薄弱といわざるを得ないと思いますよ。)、
そこまでに到るさまざまな事件(例えば柳条湖事件、張作霖爆殺など、幾らでも挙げる事ができるでしょう。)
も、日本側の謀略ではありませんか。(これらの事件に関しても共産党・コミンテルンの謀略と解する人々が
いますが、確かな証拠を出していただければ、その示すところに従って私も考えを改めますよ)

一体、中国が侵略されなければならないどのような責任が、中国自体にあると言うのですか?

392 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/19(木) 08:57:42 ID:???
>>379
だから何だと言うのですか?
噛み合っていようとなかろうと、私は、私が述べるべきと思ったことをレスするだけです。
乾闥婆氏が私と議論しても全く無意味だと思うのなら、彼自身の御見解に従って、議論しなければ
良いだけではありませんか。 (>>365等参照)
別に私は、乾闥婆氏に議論を強制などしていませんよ。

393 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/19(木) 08:59:26 ID:???
>>380 ひゃっきまるさん
お書きになっている事には、問題が多すぎます。
まず「糞坊主」と言う件ですが、どのような事実があるからそのように評価するのかこそが問題なのです。
「“妄想”糞坊主」なのですよ。
日蓮の妄想の一端については既に示しているつもりですし、それに関して(創価学会員に対して)問い掛けても
何の返答もありません。
もちろん、私が問うた内容は客観的事実に反する日蓮の認識に過ぎないわけですから、彼等が答える事など
そもそもできませんけれどね。

私が日蓮の“妄想”と考えている事には、客観的事実に反する事に関して内容的に判断の微妙なものも
あるにせよ、明白なものもあるのであって、妄想を抱いたとする事自体は客観的事実と言うべきものでしょう。
私が過去を無視していると言うなら、まずはこの点に答えるべきです。
その上に立っての糞坊主なる評価なのですよ。

394 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/19(木) 09:02:42 ID:???
>例えば聖書だって矛盾する記述はいくらでもありますし、全部が合理的である信仰など、むしろ探す方が難しいと思います。
>それをもって、「自分は論理的である」というのはちょっと違うんではないかと…。

全部が合理的である信仰など探す方が難しいと言う点は、その通りでしょうね。
しかし、創価学会は、自己の宗教についてさんざん科学的宗教だと主張してきているのですよ。 
(この点については、私は他スレにおいて何度も創価学会の出版物から引用してきております。)

時間の都合でいったん終わらせていただきますが、一言だけ。
ひゃっきまるさんのレス>389における「信仰者の視点」こそが問題なのです。
それでは後ほど…。

395 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 10:24:00 ID:???
>法律ヲタさん

だんだんスレの雲行きがあやしくなってきましたので、さすがに今度は気分を害されるのではないかな、と心配していましたが、さすがは法律ヲタさんですね。常に泰然自若でいられるのが法律ヲタさんの持ち味だと思います。

>>390-392

個人的には本題を優先してもらって、単発レスや野次は後回しにしてほしかったですね。
どんどん議題が増えていきそうで怖いです。
まあ、あくまで個人的な希望ですので。


396 :ひゃっきまる:2009/02/19(木) 10:24:27 ID:???
>>393 法律ヲタさん

まず誤解しないでいただきたいのですが、>>380-381は、法律ヲタさんと乾さんの議論を自分なりの理解でまとめたもので、法律ヲタさんへの反論として出したものではありません。

このまとめに対して、乾さんは

>>382
>ひゃっきまるさんの整理されたとおりの構図ですね。

とおっしゃるのに対して、

法律ヲタさんは、

>>393
>お書きになっている事には、問題が多すぎます。

と異なる感想を出されているので、お二人の議論がすれ違っているということになりましょう。

僕はこのまとめが正しいという前提で、最後に自分の見解を述べましたが(「ここからは僕の意見です以下」)、まとめは正しくなかったということですから、最後の部分は撤回しますね。ですから、>>394はちょっと後回しにさせてください。

さて、すれ違いの原因を探っていきたいのですが、まず、

>>393
>私が日蓮の“妄想”と考えている事には、客観的事実に反する事に関して内容的に判断の微妙なものも
>あるにせよ、明白なものもあるのであって、妄想を抱いたとする事自体は客観的事実と言うべきものでしょう。

から、法律ヲタさんは「仮のスタンス」として言っているとか、歴史的認識を外して言っているとかいうことではなく、実際の客観的事実として、どの角度から判断しても、日蓮は妄想糞坊主だと判断できる、そのように主張しているということですね。

このほかには、>>380-381にどのような認識の違いがあるとお考えでしょうか。


397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 13:08:55 ID:???
あのなぁ…ヲタは話し相手欲しさに妄想坊主とか相手の感に触る様な事をわざといってるのよ、燃料投下ね。
現に燃料切れの焼きスレッドは過疎ってるだろ?んでもってヲタが久しぶりに燃料投下すると当然の如くレスが付くわけよ。
そこでヲタの一言が『あぁアホさんの相手は疲れるナァ』と来るわけよ。
たまんないよまったく。
もう一回言うけど“趣味”だから、相手がレス付けてくるような文章にしてるわけで、釣れればいいのよ。
家の近所に煙草をポイ捨てするオヤジが居てね、そこらじゅう吸い殻が落ちてんの。
そのオヤジが突然何を思ったのか知らんが、朝早く箒で近所を掃除して回ってるのよ。
その時丁度家の前で煙草を吸っていたら(おいオマエ煙草の吸い殻そこら辺に捨てんなよ!)だってよ…俺は5年も前からお気に入りの携帯灰皿使ってる男だぜ!
んで、近所のオバ様達に(いやぁ煙草の吸い殻がねぇ)とか紳士ぶるわけよ、こんな酷い自作自演は2ちゃんねるなら殿堂入りだよ。
俺、あのオヤジがヲタじゃねえかと睨んでんだよね。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:29:56 ID:???
>>391
盧溝橋事件の最初の一発はどっちが撃ったのかな?
あなたが使っている「侵略」の定義はどの時代のもの?

参考程度に…。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/chugoku_shinryaku.html

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 14:47:25 ID:???
>“当時の社会情勢や価値観、定義などを一切考慮しないで”批判できるわけなど、ないではありませんか。

>当時の帝国主義的状況など、日本側の言い訳にすぎません。

矛盾。

400 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 15:24:01 ID:???
>>398
デマサイトの提示乙。

盧溝橋事件 中国共産党陰謀説
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html

↑こちらをどうぞ。

私は「中国における日本側のさまざまな軍事的行動に関して」「当時の中国に」一点の責任もないかのような言説には
賛同出来ませんが、日本側の行動は明らかな過剰防衛であり、「侵略」と見なされるのが当然だと思います。

401 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 15:30:52 ID:???
>>399
矛盾ではありません。“当時の社会情勢や価値観、定義などを”考慮すればするほど、
“当時の帝国主義的状況など、日本側の言い訳”に過ぎないことが明らかになるからです。
よって、それらを考慮した上で、かの戦争に対して“帝国主義的状況など、日本側の言い訳”だと
断ずるのは、的確な歴史への評価と言えるでしょう。

402 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 15:57:05 ID:???
>>400
記述として問題があると思うので以下を訂正。

>日本側の行動は明らかな過剰防衛であり、「侵略」と見なされるのが当然だと思います。



どれほど日本側を擁護するとしても、“あまりに酷すぎる過剰防衛”とでも呼べるのが
せいぜいであり、それは「侵略」と見なされるのが当然だと思います。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 16:03:32 ID:???
板違い。スレ違い。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 16:10:50 ID:???
>>400-402
>↑こちらをどうぞ。
蛙さん、ありがとうございます。
>>398に引用したサイトは私も問題があると思っていましたので、「参考程度に」と書きました。

現代の国際法や価値観から言えば、私も間違いなく「日本は中国を侵略した」と言えると思いますよ。
しかし、そういう捉え方でいいのかということを言っています。
当時、「侵略」という概念や定義がどうであったかも問題です。
法律ヲタさんは法律の専門家だそうですので、現代の法律で昔の事件などを裁いたりするのかなという
ことなどもお伺いしてみたいですね。
現代の感覚でいうと日蓮は僧侶としてどうかと思いますが、当時の社会情勢の中で日蓮がどう考え
どう行動したかを考慮したほうが、本当の日蓮像が見えてくるのではないかということです。

>>403
ごめんなさい。

405 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 16:43:01 ID:???
>>403
では>>388がふっかけて来たみたいに、関連させて述べましょう。>>388は、

> オタさんや蛙さんは、現代の価値観でしか物事を判断できないのですね。
> 当時の社会情勢や価値観、定義などは、一切考慮しない。

と決めつけ、その傍証として、法律ヲタさんと私が、共に「昔の日本は中国を侵略した」と判断しているだろうことを
述べて、それを「まるで、層化や公明党のよう」だと評している訳です。

つまり、ここでの論点は、法律ヲタさんの日蓮に対する評価が「現代の価値観でしか物事を判断できない」
「当時の社会情勢や価値観、定義などは、一切考慮しない」不適切なものか、それとも妥当なものかということです。
そして私は概ね妥当だと捉えていますが、乾闥婆さんなどは極めて不当だと捉えているようです。

そこで日中戦争と通称される一連の戦争への評価に戻りますが、当時の社会情勢、つまり当時の列強の帝国主義的風潮云々を
考慮したとして、当時の価値観や定義に従っても日本の行動は異常だったために、当時も批判されたし、
現在も“あれは侵略だった”という国際的な評価に落ち着いているわけです。
日蓮の言動にしても同様、当時としてもあれは度を過ぎています。特異な言動です。だから当時も弾圧を招いたんですから。

要は、その特異さを理解出来るものとして捉えるか否か、好意的に評するか批判的に見るかということであって、
日蓮を“妄想を抱いた糞坊主”と評価することが、直ちに“現代の価値観でしか物事を判断できない”とは言えません。
それこそが、あまりに不当極まる決めつけであり思い込みでしょう。当時にあって日蓮を批判した人たちは、
我々の今生きる、この現代の価値観に縛られてるとでも言うのでしょうか?(苦笑)

“日本の侵略戦争”は、当時の価値観に従っても異常であり、現在なお批判されています。これは極めて妥当な評価です。
それに比べれば程度も全く異なりますし賛否も分かれる問題でしょうが、“日蓮の言動”も
当時の価値観に従っても特異であり、現在なお理解し難い異常性だと見なされるのも、妥当な評価の一つと言えるでしょう。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 16:57:47 ID:???
擦り寄り乙

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 17:11:25 ID:???
>>405
>“日本の侵略戦争”は、当時の価値観に従っても異常であり、現在なお批判されています。これは極めて妥当な評価です。

当時の価値観に従えば、異常ではないでしょう。
欧米列強はどれだけ植民地を持っていましたか?
なぜ日本だけ異常なのでしょうか?

スレ違い板違いになりますので、この辺にしておきます。
申し訳ありませんでした。

408 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/19(木) 17:19:14 ID:???
>>404
本当はちゃんと書籍で勉強したほうが良いのですが、仮に…ということで、
>>407の人も併せて↓こちらをどうぞ。

http://mltr.ganriki.net/faq08h.html
http://mltr.ganriki.net/faq08d06.html

>現代の国際法や価値観から言えば、私も間違いなく「日本は中国を侵略した」と言えると思いますよ。
>しかし、そういう捉え方でいいのかということを言っています。
>当時、「侵略」という概念や定義がどうであったかも問題です。

他人にそうして議論をふっかける前に、なぜ少しは当時の歴史や事実について勉強というものをしないのでしょうか?

先に示したリンク先をそのように読むとしたら不可解な態度ですし、私が上記に示したリンク先にあるような
基本的な歴史的事実を知っていれば、あなたのような決めつけから議論が始まることはないと思うのですが。
「そういう捉え方でいいのか」と仰っていますが、一体どこの誰がそんな捉え方をしているというのですか?

あなたのような人を見るたびに、私はいつも不思議です。なぜ、全く調べたこともないまま培われた“自分の思い込み”を
検証なさらないまま、それに基づく疑問を他人や社会に投げ掛けられるのかが理解出来ません。

他人に否定的な見解を投げ掛けて議論を求める以上、自ら持ち出した議題についての無知が許されるのは限度があります。
まずは他人にあれこれ言うまえに、自らの決めつけや思い込みが正当かどうかを検証する癖を付けましょう。
でなければ不誠実な態度ですし、議論の相手に対して失礼です。

もちろん、そのような決めつけや思い込みを頑迷に固持したいという意図でなければ、
純粋に疑問点を尋ねたり初心者的な質問はどんどんなさるべきかと思うのですが。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 17:29:53 ID:???
あのな〜、糞サヨインチキ弁護士と擦り寄り基地蛙が偉そうに調子に乗って
大日本帝国を引き合いに出し日蓮を批判しているようだが、
「侵略」って非難されてた〜?笑わせんなよ基地蛙〜!
「侵略だ」などと非難しているのは今も昔も、特亜のお前らくらいのもんだぞ?w
アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダなどが「侵略だ」などと批判などできる立場にあるわけもなければ、
西欧列強も清国を侵略していたがいまだに批判されていないシナ〜。w

それから、(もちろん日本にその責任がないとは言わないが)
関東軍は日本の陸軍省の戦略から外れ暴走していた。
満州国を建国する経緯をもう一度勉強してみろよw
お前らの歴史認識では、中国を侵略するため、
あるいはせっかく引いた満鉄の線路を爆破するために、
日本人の血を流して203高地でロシアと戦ったということにならないか?w

また清国の政治体制は当時すでに腐敗しており、
中華思想や冊封体制など封建的な制度に固執していた。
日本にエゴは無かったと言えば嘘になるだろうが、
中国を近代化させて西欧列強に立ち向かえる国を建設しようとしただけだ。

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 17:31:47 ID:0sfh17Ms
>>407
日本よりも虐殺人数の多いアメリカは当時の戦争に勝ったから正義。
どんなに正当な理由で動いていたとしても、負けた国は悪者になる。

歴史はそうやって作られてきたし、戦後、敗戦国である日本は、
国民に捏造された歴史と、罪悪感を植え付けて愛国心が芽生えないよう、
徹底的なまでにプロパカンダされ続けてきた。

どんな嘘の歴史でも、大多数の人が指示する事が事実として認識される。

たとえ真実ではなかったとしても、日本人はそういう教育をされてきたし、
蛙さんが侵略戦争であったと認識していても仕方がないと思うよ。

一般的な日本人で真実を知らない人はみんなそう思っているんじゃないの?
ほら、学会の人が学会だけが唯一正しいとマインドコントロールされているのと同じ事だよ。
マインドコントロールされている部分の認識については、何を言っても話が通じない場合があるし、
特に歴史認識については通じない人が多いし、蛙さんもその一人だと思う。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 17:49:26 ID:???
>>388はどうせゴーマニズム板あたりから流れてきた重度のコヴァだろ
さもなくば無用の火種を放り込みたい愉快犯

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 18:17:14 ID:???
何で春田っていつも人の意見を勝手に代弁したり、
自分の意見を他人の意見であるかような表現をすんだ?
気持ち悪い奴だ。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 18:56:22 ID:???
荒れてるなw

ピョン吉とヲタはどこでも荒らすんだなw

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 19:08:57 ID:???
>>411
愉快犯に便乗するヲタと擦寄り春田が悪い。
小林よしのり以前から脈々と大東亜戦争肯定論はある。
東京裁判の弁護陣は弁護の為とはいえ大日本帝国と大東亜戦争の正統性を訴えた。

もう春田が採用する歴史観は時代錯誤もいいところだ。
春田の論理は中韓と白人諸国の歴史認識であり日本と日本人の名誉と誇りを傷つけている。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 19:16:21 ID:???
また春田か

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 19:27:41 ID:???
>>414
いや、その主張がゴー宣に取り上げられる前からあるのは知ってる
ただ、>>388がゴー宣の受け売りみたいに見えたからチョイと言葉が悪くなった
個人的な感情で、小林はあまり好きじゃないんでね

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 20:14:31 ID:???
なんだよ。春田は矛盾点突かれて論破される度に
他スレに逃げてまたツマラン毒を吐くな〜

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 20:25:17 ID:???
本尊焼きから仏罰が伝染して来た。仏罰払いが必要だ。

Ab insidiis diaboli, libera nos, Domine.
Ut Ecclesiam tuam secura tibi facias
libertate servire, te rogamus, audi nos.
Ut inimicos sanctae Ecclesiae humiliare digneris,
te rogamus, audi nos.

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 21:17:54 ID:???
以下の9つの項目のうち5つ以上が当てはまる方は、URLをクリック!

□見捨てられることを極端に恐れ、見捨てられまいとなりふりかまわずしがみつくような努力をする。

□他人に対する評価が、最高と最低の間を極端に揺れ動く。理想的な人と思っていた人を、あるとき手のひらを返したように突然、最低の人間として軽蔑・攻撃するようなことが頻繁にある。

□アイデンティティの障害。すなわち、自分がどういう人間であり、どのように生きていきたいかが定まらない。

□自殺をほのめかして他人を脅す。大量に薬をのんだり手首を切ったりするなどして自殺しようとする。自分を傷つける程度のこともある。これを繰り返す。

□衝動的・自己破壊的行為。たとえばドラッグの使用、無謀な運転、カネの浪費、過食、普通でない性行為。これらのうち2つ以上を行う。

□感情がひどく不安定。2、3時間から2、3日にわたって、不安・いらいら・不快感が続く。このため「躁うつ病」と思われていることもある。

□いつも虚しいと感じている。

□些細なことに対してひどく怒る。それを自分では抑えられない。

□一時的に精神病状態になることがある。すなわち、妄想が出て来たり、解離状態になったりする。

http://kokoro.squares.net/borderexm.html

420 :滝山:2009/02/19(木) 22:30:34 ID:blupNkfq
>>376 ひゃっき
レスくれるのは別に構わないよ。

>むしろ大事なのは、相手と共通に理解できた項目を地道に増やしていく作業だと思う。

そのために必要なのは、
相手の意思や考えなどの確認をとることを怠らないことだね。
それが最も現実的で有効な議論の方法だろうと思う。
まぁそうは言っても議論の参加者全員がそれをやるっていう
状況はなかなか難しいだろうけどね。

まぁそれじゃあまたね。

421 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/20(金) 08:36:56 ID:???
>>386 春田の蛙さん
レスが遅くなってしまいましたが、まことにありがとうございます。
春田の蛙さんに対する不当な攻撃を呼び込む結果となるにもかかわらず私に関して
レスをいただきまして、申し分けなく思っております。

422 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/20(金) 08:38:44 ID:???
>>395 ひゃっきまるさん
“まさに”と言うべきか、“別な意味で”と言うべきか問題ですけれど、確かに粘着アホさんのお陰で「スレの
雲行きがあやしくなってきました」ね。
「常に泰然自若でいられるのが法律ヲタさんの持ち味」とのお話ですけれど、けしてそのような事はなく、
このようなアホさん達と童心に返ってアホさん達のアホなレスを肴にお遊戯するのが大好きなのですよ。 (w
心ならずもくっ付いて来てしまうアホさん達がこのスレに御迷惑をおかけするのは申し訳ない事とは
存じますが、いかんせん私の意志で彼等がレスするのを止める事もできず、私に可能なのは彼等の
書き込みについてお遊戯するが如く批判・反論する事だけなのですが、それ自体が更なる御迷惑でも
あるわけでして、私としてもどうすべきか悩むところです。

423 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/20(金) 08:40:37 ID:???
(レス>422の続き)
ところで、「個人的には本題を優先してもらって、単発レスや野次は後回しにしてほしかったですね」との
お話であって、私自身レス>391には「このスレの本題とは異なりますが」と書いており、それ自体は確かに
その通りなのですけれど、そこで中国侵略の問題を採り上げたのも、実は私としてはスレの本題の流れと
無関係なことを書いたつもりではないのです。
“妄想糞坊主日蓮”なる認識に関して問われている点を要約すれば、法律ヲタにおける歴史的事項に
関する事実認識と評価の問題とでも言えましょうが、私としては、乾闥婆氏が言うところの「歴史の、当時の
社会的背景やその人物の置かれた様々な状況」を把握せず無視して「歴史に対して、現代からの一方通行」
の評価を下すと言う批判(>383)は該当しないということの一例を、今回の中国侵略の件においても示した
つもりでもあるのです。

424 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/20(金) 08:41:58 ID:???
>>397
>あのなぁ…ヲタは話し相手欲しさに妄想坊主とか相手の感に触る様な事をわざといってるのよ、燃料投下ね。
>現に燃料切れの焼きスレッドは過疎ってるだろ?んでもってヲタが久しぶりに燃料投下すると当然の如くレスが付くわけよ。
>そこでヲタの一言が『あぁアホさんの相手は疲れるナァ』と来るわけよ。
>たまんないよまったく。
>もう一回言うけど“趣味”だから、相手がレス付けてくるような文章にしてるわけで、釣れればいいのよ。

呆れた妄想だが、仮にその通りだとしても、燃料投下とやらによってもオマエさん達が釣られなければ
良いだけなのではないのかね、アホさん?
(人の変換ミスはよく目に付くものだが、“癇に障る”の間違いだろう。)

>俺、あのオヤジがヲタじゃねえかと睨んでんだよね。

さすが、妄想野郎君に相応しい妄想ではないか。  感心したよ。 (w

425 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/20(金) 08:43:53 ID:???
>>398
あのねェ、その点に関する決定的証拠はないと言うべきものと思っているのだが、「最初の一発」が日本を
含めたどの勢力によるものであっても(中国側は統一された勢力によって日本に対していたわけではない。)、
結局のところ、日本はその一発なるものを中国国内における軍事侵攻へのキッカケとして利用しただけでは
ありませんか。
日本に侵略的意図がないと言うなら、その一発に対して、正当防衛の範囲に限った反撃だけをすれば済む
はずであって、現に事件の当事者である現地の日中両軍は直ちに停戦に向かったにもかかわらず、日本
政府は紛争を拡大する方向に動いており、結果的には日中戦争に突入する事となってしまったわけですよ。
何の為に、日本が事態をそのような方向に持って行ったと言うのですか?
しかも、後に行われようとした講和において、日本は領土的要求をしようとしていたのですよ。(日本共産党
が今日主張しているところから見ると、おそらく根拠のないものではなかろうと思っております。)
こうした事に疑問をもたないというその姿勢そのものが、俺には疑問ですよ。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 09:52:13 ID:???
>>424
最後の一行は釣り餌だとわかっていて、わざと食い付く辺りがヲタなのよ。

誤字の指摘ありがとな。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 12:15:31 ID:???
>>425
日本共産党が根拠?
左翼のマインドコントロールの成果がヲタと蛙。
所詮、層化とレベルは一緒。
ヲタ自身がそれを認めてるし。
マインドコントロールされてる者同士が、潰し合えば日本は平和になる。

428 :ひゃっきまる:2009/02/20(金) 19:21:18 ID:???
法律ヲタさんが、例として中国侵略の話を出したことは了解しました。

僕としては本題のレスが全て終わるのを待っておりますので、本題の方を先にお答えいただけるとありがたいです。

どうしても中国侵略の議論を続けたい場合は、別スレでお願いします。

ROMして下さっている方々も、法律ヲタさんが本題のレスを書き終わるまで、いましばらくしんぼうのほどお願いいたします。

429 :乾闥婆:2009/02/20(金) 20:09:59 ID:???
>>390-394
法律ヲタさん
>歴史的過去においては、当該行為者における諸事情を当該行為者が受け取った通りに把握する事のみが
許され、一切の批判的把握が許されないのだとしたら、そのような歴史認識に価値などありませんよ。

社会を構成する枠組みが根本的に違う中世の時代の歴史的事実や歴史的人物を評するとき
は、その当時の時代背景やその人物の置かれている状況に鑑みなければ正確な判断はでき
ないと言っているのです。あなたの主張は、日蓮は病即消滅を祈りながら病死した、「日蓮
が積極的に 批判した念仏・禅・真言など、今もって大きな勢力を誇っているが、それにも
かかわらず今では日本は国際的に それなりの地位をえている」、だから「立正安国論その
他で日蓮が言っている事など、妄想にすぎないではないか」というものです。では中世の
日本において僧侶の多くは祈祷を行っていたわけですが、病気平癒でも雨乞いでも敵方調
伏でも、その祈祷した事柄が成就しなければその僧侶はすべて「妄想糞坊主」ですか。そ
もそも加持祈祷とその成就とのあいだには何の因果関係もないことが現代では明らかです。
そのような加持祈祷を国家を挙げて行っていた中世の日本は「妄想糞国家」ですか。日蓮
が立正安国論を執筆するに至る経緯は、当時の度重なる飢饉や社会不安に対して仏教者
として(天台沙門として)、為政者に対して仏典に書かれてあることを引用しながらの勘文
であったわけですが、当然そのような仏典の多くは現代では実在のブッダとの直接的な関
係は否定されており、そこに描かれている三災七難などは仏教のおかれている状況と何の
関係もなく起きることが明らかなのです。しかし当時はそのような仏典に書かれている事
柄は、現代とはまったく違った重要度を持って世の中に存在しました。そうであるから加
持祈祷もまじめに行われたのでしょう。それらは当時においても妄想ですか? 日蓮を含
む、当時のすべての僧侶や為政者たちはすべて「妄想糞人間」ですか? 中世日本とは「妄
想糞まみれ」ということでしょうか。あなたの歴史認識とはそういうレベルなのです。現
代の歴史学者で、そのようなことを真顔で主張する人はいるのですか?

430 :乾闥婆:2009/02/20(金) 20:11:00 ID:???
(続き)
ではどのようにして当時の事柄を批判的に把握すればいいのかということですが、簡単な
ことです。当時の常識は現代では通用しない。それだけのことです。「歴史認識の価値」に
ついてあなたは触れていますが、歴史認識とは私がこれまで述べてきたように時代背景を
把握することによって生じ、その価値とはそのように認識された歴史と現代とを比較する
ことによって生じるでしょう。あなたは歴史的事実といったことを言いますが、歴史的事
実とは歴史上の文脈におかれることによってその性質を明らかにするものなのです。歴史
という文脈から切り離してひとつの事柄を取り出したところで、それは事実ではあっても
歴史的事実ではありません。あなたは歴史上の事実判断において歴史的背景に鑑みること
薄く、さらにそのような事実判断をもとにして価値判断までしている。「妄想糞坊主」とい
う言葉は、「妄想」というあなたの事実判断と「糞」というあなたの価値判断がない交ぜに
なった言葉です。価値判断なら、それこそご勝手にという話ですが(その価値判断を生み
出した歴史的事実の認識に対しては今後とも発言させていただきますが)、歴史的事実を語
るというのでしたら話は別です。今後私は手を引くことなく議論を進めようと思います。

それとひゃっきまるさんの>>380-381は正確に今の状況を説明していると思いますが、ど
のような点が違っているのか、このような行き違いを修正する糸口になるかもしれません、
ひゃっきまるさんも促されていますし、ぜひ、お聞かせください。

431 :乾闥婆:2009/02/20(金) 20:13:12 ID:???
>>405
春田の蛙さん
>日蓮の言動にしても同様、当時としてもあれは度を過ぎています。特異な言動です。だから当時も弾圧を招いたんですから。

特異であることは同意します。しかし、弾圧を招いたことから、その特異性や異常性を指
摘することには反対です。その理論では弾圧を加える側は常に正常であることになります
が、それはいかがなものでしょうか。権力機構は相手が特異・異常だからという理由だけ
で弾圧を加えるわけではないでしょう。過去に為政者たちは様々な弾圧を行ってきました
が、それらはすべて正常なことでしたか? 異常な弾圧といったものがなかったといえま
すか? 中世日本において何が正常で、何が異常なのですか? 権力者による弾圧とは、
得てしてその権力機構にとって不都合なものに対して為されるのでしょう。日蓮への弾圧
も、当時の鎌倉の権力機構にとって不都合だったことによる処置であると思いますが。

432 :乾闥婆:2009/02/20(金) 20:14:14 ID:???
(続き)
>日蓮を“妄想を抱いた糞坊主”と評価することが、直ちに“現代の価値観でしか物事を判断できない”とは言えません。
当時にあって日蓮を批判した人たちは、我々の今生きる、この現代の価値観に縛られてるとでも言うのでしょうか?(苦笑)

私は当時の日蓮批判者たちも、結局は日蓮が生きた時代の同じ世界観の中で生きていたの
であり、ただ自分の寄って立つ教義や既得権益と相違する日蓮を批判していたのであり、
そのような自分のポジションを脅かす存在として日蓮を攻撃したのだと思いますが。結局
鎌倉幕府は日蓮の佐渡流罪を赦免して、鎌倉に呼び戻した上、蒙古襲来の時期を尋ねたわ
けです。彼らが同じ世界観に立った上で相争っていたということでしょう。朝廷にしろ、
幕府にしろ、蒙古に対する調伏は当然行わせたのであり、そのような当時の常識から考え
て、日蓮が病気平癒を祈願したとして、それを責める人があるでしょうか。中世の日本の
人たちにとって、そのような世界観はきわめて当然のものだったはずです。法律ヲタさん
が日蓮を「妄想糞坊主」と批判することと、当時の仏教者や為政者たちが日蓮を批判し弾
圧することとは次元が違います。苦笑している場合ではないでしょう。

>“日蓮の言動”も 当時の価値観に従っても特異であり、現在なお理解し難い異常性だと見なされるのも、妥当な評価の一つと言えるでしょう。

日蓮のような行動を起こした僧侶が他にいなかったという点では、日蓮は間違いなく特異
な存在であったと思います。それゆえに、保守反動からスタートして、新興勢力として、
後の世にあれだけの教線を張ることができたのではないですか。また、町衆などを含め、
ある程度規模の人たちの支持を集めることができるぐらいの整合性は、当時としてもあっ
たということではないでしょうか。特異ではあっても異常とは言えないと思いますが。い
ずれにしても凡百の僧でないことだけは確かです。「現在なお理解し難い異常性」というの
は現代の視点から見れば当然のことであり(現代から見れば中世社会そのものが“異常”
でしょう)、歴史的背景を基にした考察を行うのでなければ、そのような異常性を取り上げ
ることにさほどの意義はないでしょう。

433 :乾闥婆:2009/02/20(金) 20:33:13 ID:???
>>423
法律ヲタさん
>私としては、乾闥婆氏が言うところの「歴史の、当時の 社会的背景やその人物の置かれた様々な状況」を把握せず無視して「歴史に対して、現代からの一方通行」
の評価を下すと言う批判(>383)は該当しないということの一例を、今回の中国侵略の件においても示した つもりでもあるのです。

既に私は時代区分について述べました。近・現代に関して私はどのような判断も示してい
ません。中世日本社会において当時の社会的背景やその人物の置かれた様々な状況を把握
した上での歴史的事実の検証を行ってください。「歴史に対して、現代からの一方通行」と
の私のあなたに対する評価は、中世日本社会に関して、まだ継続しています。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 00:19:43 ID:???

            ∧_∧
           ( ・∀・) ←春田の蛙
           (    .|⌒| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|⌒|
           | |/|  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.|  |\
           (_//|  |∧_∧ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |  |\\
           /// ̄( ´∀`)←法律ヲタ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\\
          ///  (    )                \\\
         ///   | | |                  \\\
        ///    (__)_)                  \\\
       ///                              \\\
      ///                                \\\
     ///                         ∧∧       \\\
    ///                          (゚Д゚,,)←乾闥婆 \\\
   ///                          ⊂  つ        \\\
  ///                             |  〜         \\\  ∧∧
|⌒| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|⌒|ヽ(゚ω゚=)
|  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  | (  x)〜
|  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |  U U
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ひゃっきまる↑

どっちが勝つかな?           ↓投票

春田&ヲタ  宇宙一キベンコンビ    (0)
ひゃっき&乾 はぐれガカーインコンビ   (1)

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 04:20:25 ID:???
>>425
日本共産党が主張していることは正しい=私は日本共産党にMCされています

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 08:07:43 ID:???
>>348 >宮田先生は・・それほどバイアスが・・

「末法と歴史年表は計算が合ってない」 だとか
「哲学の議論では『絶対に』や『永遠の』という言葉は、
定義できない言葉であって」 みたいに公平中立
をアピールする言葉はたしかにありますね。

でもこの人は基本的に子供のころからの刷り込み
を抜け出せてないみたいで、日蓮さん本人がオカ
シイことは承知しながら、鎌倉時代と今はジョーシキ
が違うという日蓮教団の標準的な逃げ口上でゴマ
かして、問題に真摯に対応してなかったり・・・

結局やってることは日蓮の弟子以下のへんなとこは
ネチネチとつついてみせるけど、日蓮さん本人の
おかしな部分は決して手をつけず・・・なんじゃない?
といいつつ論文事態はワリと面白くて興味深い内容ではあるねw

>短文コピペを

これは日蓮御書に多数ある 「なんとか大師は
こう言った・・云々」 を繰り返す表現のこと、原文
がなかなか見つからないから、とりあえずそんな
ものかで頭に入ってしまうけど、原文が見つかっても
まずかなりの高確率で御書とは違う意味です・・

日蓮さんは有名な坊さんや経典のネームバリューと
文章だけ利用してその意図を改ざんしてる疑いが強いと
思うよ、つまりそれは↓こんな錯覚を演出してるわけで、、

「過去の経典や有名な大師は、すべて日蓮教義の
正しさを証明・支持しています。(なるほどっ!)」

437 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/21(土) 09:58:08 ID:???
土日は普段もゆっくりしている事が多いのですが、今朝は完全に寝坊しました。
用事があり、これから出かけなくてはなりませんので、レスは夕方以降とさせてください。

438 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 08:28:41 ID:???
>>428 ひゃっきまるさん
必ずしも御意向に沿えず申し訳ないのですけれど、中国侵略関連の問題について、もともと私ではなく
アチラ様が出してきた話題であるわけですが、ここで書かれた内容に関しては、私としてはここで反論
せざるをえないのであり、今現在も続きとして書きたい事はあるのです。
このスレで続いてしまうのかどうかは、アチラ様の出方次第です。

439 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 08:33:51 ID:???
>>429 乾闥婆さん
>社会を構成する枠組みが根本的に違う中世の時代の歴史的事実や歴史的人物を評するとき
>は、その当時の時代背景やその人物の置かれている状況に鑑みなければ正確な判断はでき
>ないと言っているのです。

乾闥婆さんは、事実認識(法律分野の用語風に言えば“事実認定”ですかね。)の問題と、それに基づく
評価の問題を混同しているのではありませんか?
そうではないとおっしゃるのなら、私の事実認識のどこに誤りがあると言うのでしょうか?
ぜひ、具体的に御指摘いただきたいものです。

もちろん、事実を確定する事には常に困難が伴うのであって、実際のところ判断がつきかねる事など
ざらにあるでしょう。
必ずしも、歴史の彼方に存する事実ではなくとも、そうなのですからね。
例えば、先に問題となった盧溝橋事件における「最初の一発」(実際には、“最初の攻撃”も一発では
なかったとされていますけれど)を誰(どの勢力)が撃ったのかすら判っていないわけです。
もちろん、それが判れば事件の全容を理解するに大いにプラスとなる事は間違いないでしょうけれど、
しかし、それが判らないからと言って、そこから先何の判断もできないと言うものでもありません。
事件の後に、それぞれの勢力がどのように動いたか、事件そのものをどのように利用しようとしたのかが
理解できるなら、遡って誰が売ったのか、その可能性を検討する事も一応はできるでしょう。
もちろん、可能性にすぎず、断定する事はできないとしてもです。

440 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 08:36:57 ID:???
(レス>439の続き)
>あなたの主張は、日蓮は病即消滅を祈りながら病死した、「日蓮
>   (一部省略)
>あなたの歴史認識とはそういうレベルなのです。現
>代の歴史学者で、そのようなことを真顔で主張する人はいるのですか?

私には、まったくもって乾闥婆さんが見当違いの事を問題とし、述べているとしか思えません。
当時の日蓮以外の僧に関して、必ずしも私は日蓮程度にすら事細かにその言動を把握していると
言えるわけではありませんから、その言動のすべてが「妄想」であるのか否かを断定するわけにも
いきませんが、おそらく乾闥婆さんがそこに挙げている範囲で言えば、アナタ自身が認めているように
客観的には「妄想」と言うべきものであるのでしょう。
従って、“客観的事実の問題として”妄想であるのか否かを問われるのなら(この点においてすら、
私達には考え方の相違があるようですけれど…)、妄想と言わざるをえません。
しかし、日蓮以外の当時の僧の場合にまで、それを捉えて「(妄想)糞坊主」と評する必要があるのか
否かは、まったくの別問題です。

441 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 08:40:37 ID:???
(レス>440の続き)
彼等は日蓮のように、そのような彼等の妄想に従わなければ日本が滅びるとか、三災七難が起こるとか、
地獄に落ちるとかの、更なる妄想を振り撒いたのでしょうか?
そのような点において、日蓮は特異だったのではないですか?
そして、最も問題なのは、そのような日蓮の妄想を、今日においてすら客観的真実であると盲信してしまう
人々が存在することなのであって、その人々が今日の日本の社会においてすら様々な大きな影響を
与えているわけであり、結果的には、それほどの影響を日蓮は与えているにも等しいわけですけれど、
はたして、その点に日蓮の責任はないのでしょうか?

これに対して、他の「当時のすべての僧侶や為政者たち」の抱いた妄想の責任を今日において問い、
「中世日本」社会自体の有した妄想を今日において問題とし批判しなければならない理由と言うのものが、
どこに存するのでしょうか?

これは前にも申し上げた事ですけれど、アナタの歴史観に従えば、おそらく過去のすべての歴史的行為は、
当該行為の行われた当時における行為者の立たされた状況においては、すべて止むを得ないものとして
許容せざるをえない事になってしまうのではないでしょうか。
日本がアジアの国々に大きな迷惑を及ぼした事も、当時の日本の指導者が日本国民自体に大きなマイナスを
与えた事も…。

442 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 08:44:49 ID:???
>>430 乾闥婆さん
「ではどのようにして当時の事柄を批判的に把握すればいいのかということですが、簡単なことです。
当時の常識は現代では通用しない。それだけのことです。」・・・私も、そのように認識しておりますよ。
それがどうかしましたか?

『「歴史認識の価値」についてあなたは触れていますが、歴史認識とは私がこれまで述べてきたように
時代背景を把握することによって生じ、その価値とはそのように認識された歴史と現代とを比較する
ことによって生じるでしょう。』・・・これも、もちろん同感であり、そのようにしているつもりでおります。
先にも書きましたが、私の歴史における事実認識自体に問題があるとおっしゃるなら、具体的に何が
どのように客観的に間違っていると言うのか御指摘ください。

なお、この点に関連するであろうものとして乾闥婆さんが続いてその後でお書きになっている内容について、
二点述べさせていただかなければなりません。
まず、「妄想」と言うものについてですが、一般に“嘘”と言うものは、本人が事実と異なる事を認識して
いなければ、“その言動の時点では”嘘を吐いたとしては扱われにくいものではなかろうかと思いますが、
「妄想」は明らかに異なるのであり、本人に妄想である事の認識がある場合も無い場合も存在するのです。
つまり、妄想を抱く事自体は主観的な領域のことであるわけですが、それが妄想であるのかどうは、
その抱いた思いが客観的事実に合致するのかどうかと言う客観的な問題であるわけです。
そして、もちろん日蓮の場合には、妄想であるとか事実と異なると言う認識はなかったわけです。

(続きますが、まもなくで用事で出かけなければなりません。連投規制との関係で、済みませんけれども、
続きを書き込むのが遅くなってしまうかもしれません。)

443 :ひゃっきまる:2009/02/22(日) 09:06:47 ID:???
皆さま、いましばらく、法律ヲタさんが全てのレスを終わるまでごしんぼうください。

444 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 15:43:00 ID:???
>>443 ひゃっきまるさん
そのような制限の必要はないと思うのですけれど…。

それでは、帰ってまいりましたので書き込みたかった残りの部分を貼り付けさせていただきたいと
思いますが、その前に、変換ミスの訂正をさせてください。
レス>439の終わりから2行目に「遡って誰が売ったのか、」と書いている箇所がありますけれど、
これは、“遡って誰が撃ったのか、”の間違いです。

(レス>442の続き)
しかし、事実と異なると言う認識が日蓮にはなかったとしても、そして更には、日蓮の認識が客観的事実に
合致しない(合致し得ない)ことは、その時代的な制約故に致し方のない事なのだとしても、日蓮に嘘を
吐く気はなかったという事になるだけであって、妄想というものの有する性質から考えて、認識内容が
客観的事実と異なるところの妄想ではなくなるという事ではないのです。

445 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 15:44:59 ID:???
(レス>444の続き)
そして、乾闥婆さんが御質問のように(レス>429)、そのような妄想自体は世の中に幾らでも存在しうるわけ
ですが、ただ、そのような個々の妄想が直ちに何らかの社会的批判をあびなければならない類のもので
あるか否かは、また別問題でしかありません。
その妄想が社会に与えた影響の質と程度から、遡って考えるしかないのではありませんか。
そして、乾闥婆さんが挙げた他の例と日蓮の場合とでは、その点で大きな相違があるものと私は考えます。
(もちろん、日蓮を創価学会の想定する姿に限定しても、そのように言えるものと思っております。)

次に、乾闥婆さんが『あなたは歴史上の事実判断において歴史的背景に鑑みること薄く、さらにそのような
事実判断をもとにして価値判断までしている。「妄想糞坊主」という言葉は、「妄想」というあなたの事実判断
と「糞」というあなたの価値判断がない交ぜになった言葉です。』とお書きになっていますが、その内の
「歴史上の事実判断において歴史的背景に鑑みること薄く」と言う点については全くもって同意できません
けれど、それに続く部分は乾闥婆 さんのおっしゃる通りです。

446 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 15:47:01 ID:???
(レス>445の続き)
その点について既に私は、『そして、乾闥婆氏が「歴史的認識」と言っているところのものも、あくまでも
今日からする歴史的認識の問題なのであって、それが表面に現れるかどうかは別として、歴史的事実に
関する認識の問題にとどまるものではなく、それがどこまで表出するかは別として、今日の視点からする
歴史的評価の問題が常に存するものと言うべきでしょう。 単に事実認識の問題にとどまるなら、歴史学
的にはともく、「歴史的認識」として価値をもちうるものではないでしょう。』(>378。 なお引用文中に存する
「歴史学的にはともく」なる部分の「ともく」は、“ともかく”のタイプミスです。 また、この部分を今読み返すと、
申し訳ない事に分かり難い表現となってしまっていたと思います。)ですとか「“妄想糞坊主日蓮”なる認識に
関して問われている点を要約すれば、法律ヲタにおける歴史的事項に関する事実認識と評価の問題とでも
言えましょうが、」(>423)などの書き込みによって、明確にしてきているつもりです。
(私には、本来ならわざわざそのような事を示す必要などない問題だとしか思えないのですけれど、
どうやら誤解があるようだと判断して、そのような点に触れておく事にしたのです。)

447 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 15:50:31 ID:???
(レス>446の続き)
そもそも、創価学会の“大聖人”だとか“御本仏”だとか言う表現自体が、客観的事実の問題ではなく、
「評価」・「価値判断」の問題にすぎないと言うべきものなのであって、私が「糞坊主」と言うのも、
日蓮に関するそのような評価・価値判断に対する反論的評価・価値判断でもあるのです。
あのような妄想を抱く日蓮を、どうして「大聖人」だとか「御本仏」だとか評する事ができるのでしょうか?
私には、信じ難い事です。
日蓮を信奉する創価学会員諸氏が「大聖人」だとか「御本仏」だとか言う点は事実の問題だと主張するのなら、
何故であるのかを論証し、更に、事実である事の確たる証拠を示していただきたいものだと思います。
                                            (以上。)

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 16:16:12 ID:???
論証は「六巻抄」です。
以上

449 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 16:33:21 ID:???
>>448
ホ〜ッ??  「六巻抄」とやらの中では、日本は蒙古に滅ぼされた事にでもなっているのかな?
すごいんだね、妄想が。 (w

450 :ひゃっきまる:2009/02/22(日) 17:40:34 ID:???
>法律ヲタさん

レスは以上で終わりでしょうか?

451 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 18:48:26 ID:???
>>450 ひゃっきまるさん
ハイ、そうです。
当初、最低限述べるべきと考えていた事は、一応述べ終わりました。
「以上」と書く事でそれを示したつもりであったのですが(本来は、カッコは付けませんけれど…)、
狭い世界では通用しても一般的ではなかったかもしれませんね。
“以上、この項終わる。”とでもしておけば良かったのかもしれません。

452 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/22(日) 18:57:04 ID:???
レス>>425に書いた内容について補足説明させてください。
そこで、「しかも、後に行われようとした講和において、日本は領土的要求をしようとしていたのですよ。」と
述べておりますが、単純にこれだけだと、両国が合意の上で講和しようとしていたかのように受け取られ
かねませんね。
そのような意味ではなく、“日本が画策し、後に行うつもりであった講和”と言う意味です。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 21:19:56 ID:???
荒らし専用スレと化したね。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 22:44:11 ID:???
ヲタの話しはいつ読んでも 納得できんが、感動もない 何にもない

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 22:52:05 ID:???
ヲタの長文はめんどくさいから読み飛ばす。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 01:26:46 ID:???
乾闥婆の20日のレスがあった時点でもう勝負がついてるじゃん!!
両者のレスには雲泥の差がある。
ヲタは自分が論破されたということも理解できてないんでしょ?
なんというか、イタイ。

457 :乾闥婆:2009/02/23(月) 01:36:14 ID:???
>>439-447
法律ヲタさん
>乾闥婆さんは、事実認識(法律分野の用語風に言えば“事実認定”ですかね。)の問題と、それに基づく
評価の問題を混同しているのではありませんか?
そうではないとおっしゃるのなら、私の事実認識のどこに誤りがあると言うのでしょうか?

混同しておりません。私は歴史的事実を取り上げる場合は、その歴史の文脈の中で読まな
ければ、読み違えると言っているのであり、ただの事実をその歴史的背景から切り離して
きても、それは歴史的事実とはならないといっているのです。病気平癒を祈願することが、
中世の一僧侶として、おかしなことなのか、そのような祈願をしたところで、本人が病死
する確率など、当然高いわけです。なぜそれが妄想と呼ばれなければならないのか。正法
誹謗による三災七難を仏典から読み取ったとして、なぜ当時においてそのことを妄想と呼
ばれなければならないのか、経典の存在は現代とまったく異なる重さを持って当時はあっ
たわけです。あなたはただの事実を歴史的文脈から切り離して現代のまな板に乗せ、そこ
へ現代の認識による価値判断を加えるという歴史的事実の歪曲を行っているのです。私が
指摘し続けていることは事実認識の誤りではなく歴史的事実の検証を怠っているあなたの
態度です。あなたは自分がこき下ろしたいと考えている人物をこき下ろすために都合よく
歴史的事実の検証過程を却下している。すなわちあなたは自分に都合のいい価値判断を導
くために歴史的事実から“歴史”という色を脱色し、ただの客観的事実という、現代人に
都合よく解釈できる無色の事実を抽出し、それを弄んでいる。それを私は批判し続けてい
るのです。

458 :乾闥婆:2009/02/23(月) 01:37:00 ID:???
(続き)
>彼等は日蓮のように、そのような彼等の妄想に従わなければ日本が滅びるとか、三災七難が起こるとか、
地獄に落ちるとかの、更なる妄想を振り撒いたのでしょうか?
そのような点において、日蓮は特異だったのではないですか?

日蓮が特異な存在であることは、春田の蛙さんへのレスにおいて述べましたので、そちら
を参照してください。地獄落ちは日蓮のオリジナルではなく、仏教で古くから五逆罪によ
って地獄に落ちることは言われています。念仏もまた念仏誹謗を持って堕地獄を言います。
日蓮においては法華誹謗が堕地獄でしょう。誹謗正法はすなわち仏教において堕地獄なの
であり、何が正法かという点での違いがあるだけでしょう。結局、中世日本とはそういう
時代であったということです。仏典の重要度が現代と当時では違うのです。そこを見過ご
しては歴史的事実を見誤るとはこういうことを言っているのです。

>そして、最も問題なのは、そのような日蓮の妄想を、今日においてすら客観的真実であると盲信してしまう
人々が存在することなのであって、その人々が今日の日本の社会においてすら様々な大きな影響を
与えているわけであり、結果的には、それほどの影響を日蓮は与えているにも等しいわけですけれど、
はたして、その点に日蓮の責任はないのでしょうか?

日蓮に責任が取れるのですか? 責任を取る能力のないものにどう責任を取ってもらうの
ですか? 責任を取ってもらうとしたら、現代では通用しない中世日本の一僧侶の言葉を
真顔で振り回す原理主義者にではないのでしょうか。

459 :乾闥婆:2009/02/23(月) 01:38:30 ID:???
(続き)
>これに対して、他の「当時のすべての僧侶や為政者たち」の抱いた妄想の責任を今日において問い、
「中世日本」社会自体の有した妄想を今日において問題とし批判しなければならない理由と言うのものが、どこに存するのでしょうか?

日蓮はその「中世日本」が生み出したのです。日蓮の血肉にはその時代の様々な思想や社
会状況が流れ込んでいるのです。そのような歴史的背景を括弧に括って日蓮だけ取り出し
てもその実像は浮かび上がってきません。現代から見れば中世という時代は“異常”であ
ると私も思っていますが、それを批判すべきだ、などとは全然考えていません。それは日
蓮を「妄想糞坊主」と批判しないのと同じことです。あなたは日蓮のことを「妄想糞坊主」
と罵るのですから、その日蓮が生きた中世の“異常”に対して、同じように罵らなければ
筋が通らないでしょう。その日蓮を生み出したのは他ならぬ「中世日本」なのですから。

>これは前にも申し上げた事ですけれど、アナタの歴史観に従えば、おそらく過去のすべての歴史的行為は、
当該行為の行われた当時における行為者の立たされた状況においては、すべて止むを得ないものとして
許容せざるをえない事になってしまうのではないでしょうか。
>「ではどのようにして当時の事柄を批判的に把握すればいいのかということですが、簡単なことです。
当時の常識は現代では通用しない。それだけのことです。」・・・私も、そのように認識しておりますよ。

上の質問に対する答えは下のあなたの文章の中に引用されています。止むを得ない、では
なく、歴史的事実としてそうだった、ということであり、その当時の状況に立って自分が
当該行為を価値判断するつもりはありません。ただ現代では通用しないということです。
私はそれで充分だと思っています。なお、近現代史については別の見解であることは前に
も述べました。「それがどうかしましたか?」との問いには「それで充分でしょう」と答え
ておきましょう。

460 :乾闥婆:2009/02/23(月) 01:39:30 ID:???
(続き)
>しかし、事実と異なると言う認識が日蓮にはなかったとしても、そして更には、日蓮の認識が客観的事実に
合致しない(合致し得ない)ことは、その時代的な制約故に致し方のない事なのだとしても、日蓮に嘘を
吐く気はなかったという事になるだけであって、妄想というものの有する性質から考えて、認識内容が
客観的事実と異なるところの妄想ではなくなるという事ではないのです。

日蓮が生きた時代において、仏典が持っていた重要度、仏教の当時における存在の大きさ、
そういったものから考え合わせれば、仏典を引用しながら、自身の思索を突き詰めてゆく
過程は、単純に現代から見て客観的事実に合わないから妄想だと切り捨てて済むようなも
のではないと言っているのです。いまだから妄想だといえるのでしょう。当時与えられて
いた情報で考えなければならない日蓮に対して、現代の知識を有するあなたが、妄想だ、
妄想だ、と騒いだところで、あまりにナンセンスでしょう。大人気ないとでも言いましょ
うか。サンタクロースを信じている子供に向かって、妄想だ、妄想だ、と言い立てている
大人のように見えます。

>法律ヲタにおける歴史的事項に関する事実認識と評価の問題とでも
言えましょうが、」(>423)などの書き込みによって、明確にしてきているつもりです。

そして、私はその歴史的事実の把握の甘さと、その甘い歴史的認識によって行われる評価
を、批判してきたのでした。

最後に「大聖人」「御本仏」に対し、私は、あなたのいう「妄想糞坊主」同様に支持してい
ませんので、私に対するレスポンスでその批判をする必要はまったくありません。

461 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/23(月) 02:50:34 ID:???
>法律ヲタさん
お疲れさまです。m(__)m

>>440
>当時の日蓮以外の僧に関して

そこに関しては、後日、私からも幾つかの事例と歴史の流れを提示して、乾闥婆さんに対し反証しておこうと思います。
ただ、私みたいな無知な人間が書く前に、他の方から様々なツッコミがあるかも知れませんね。
>>310>>347>>430を書かれた方(同じ方かと推察しますが……)のご意見など、いつも感心しています。

――ここまでを読む限りでは、乾闥婆さんは日蓮を相対化したいと言いつつも、結局どこまでも日蓮を中心にしてしか、
こうした歴史を読み取ることの出来ない方なのかな?と疑問に思います。

日蓮史観とでも言いますか、当時の仏教経典の社会的な重要性を口にしながら、日蓮と同時代の仏教他宗派の事例や
各派のその前後の思想的な流れなどにはあまり目を向けておられないようです。
その呪縛的な視点が、法律ヲタさんへの感情的な非難を正当化し、その見解に固執なさる一因ではないかと思えます。

こうした呪縛的な視点への反証はなかなかに大変ですが、ここまでこじれたものを放置するのも
後々返って遺恨が残るかと思いますし、非才ではありますが
いずれ後日の屈託ない円満なやりとりのためにも、今はお手伝いの一端が担えれば……と思います。

462 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/23(月) 02:53:45 ID:???
>>461のリンクミスを訂正

× >>310>>347>>430を書かれた方(同じ方かと推察しますが……)



>>310>>347>>436を書かれた方(同じ方かと推察しますが……)

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 03:06:56 ID:???
虐殺扇動、蒙古外れ、チクリ根性、病治せぬ狂人日蓮
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1233060727/l50

1-10まで続いた 日蓮は殺人教唆、世界大戦の戦犯、死因は病死 の後継スレッド。
題はあれなんですが、良スレでした。日蓮は各宗の祖師を、いや自宗の祖師をすら
悪口誹謗していますが、それがいかに事実無根であるかというような記事もあった。

まとめサイトはないので専用ブラウザでしか見れませんが。

464 :乾闥婆:2009/02/23(月) 07:34:58 ID:???
>>461
春田の蛙さん
>そこに関しては、後日、私からも幾つかの事例と歴史の流れを提示して、乾闥婆さんに対し反証しておこうと思います。

期待しております。
他宗派の事例に関し、日蓮ほどには詳しくないことは事実です。
ご教示お願いします。


465 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/23(月) 08:37:51 ID:???
>>457-460 乾闥婆さん
「歴史的事実を取り上げる場合は、その歴史の文脈の中で読まなければ、読み違えると言っているのであり、
ただの事実をその歴史的背景から切り離してきても、それは歴史的事実とはならない」とおっしゃりながら、
今に続く歴史の中において、歴史の文脈の中で読まず、ただの事実を歴史的背景から切り離して論じて
いるのは、乾闥婆さん、アナタなのですよ。

サンタクロースの風習も、その淵源をキリスト教(の聖者)に捉える事ができ(更に、キリスト教以前の
宗教にまで遡れるようですけれど)、多少大袈裟に言えばキリスト教を含めヨーロッパの様々な歴史や
社会構造の影響の中で形成されてきたものでしょうし、今日ではそれがヨーロッパの枠を超えて
他の地域にまで広まろうとしているわけです。
そしてここで重要なのは、仮にサンタクロースなる概念自体は妄想なのだとしても、今日、それを基礎とする
サンタクロースの風習にはマイナスなど認める事ができずプラスしか存在しないのであって、妄想だとして
問題視する必要性など存在しないと言う点でしょうし、それどころか、その妄想を積極的に評価すべきでしょう。
しかし、日蓮の場合にはどうでしょうか?

466 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/23(月) 08:39:46 ID:???
(レス>465の続き)
アナタのレス>457その他を読ませていただくと、つくづく歴史というものそのものに対する捉え方が違う
ものだと、驚嘆させられます。
乾闥婆さんはレス>382-383などで「E・H・カー」を取り上げ、彼の「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用
の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」という言葉を紹介して
いますが、歴史家と言うべき立場ではありませんけれども歴史を見る者の一人として私が行っている事も、
私自身における「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」なのですよ。

そして、乾闥婆さんはレス>457で「あなたはただの事実を歴史的文脈から切り離して現代のまな板に乗せ、
そこへ現代の認識による価値判断を加えるという歴史的事実の歪曲を行っているのです。私が指摘し
続けていることは事実認識の誤りではなく歴史的事実の検証を怠っているあなたの態度です。あなたは
自分がこき下ろしたいと考えている人物をこき下ろすために都合よく歴史的事実の検証過程を却下している。
すなわちあなたは自分に都合のいい価値判断を導くために歴史的事実から“歴史”という色を脱色し、
ただの客観的事実という、現代人に都合よく解釈できる無色の事実を抽出し、それを弄んでいる。それを
私は批判し続けているのです。」としていますけれど、私に言わせていただければ、そして多少の強調的
表現が許されるなら、乾闥婆氏こそが「現代の認識による価値判断を加えるという歴史的事実の歪曲」を
行っているという事になりかねないと思います。

467 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/23(月) 08:41:49 ID:???
(レス>466の続き)
日蓮在世当時において、あのような認識が致し方のないものであるのか否かという事は、歴史的事実自体の
客観的な認識ではなく、当時の諸事情を勘案した上で行われる今日からする歴史的評価と言うべきものです。
あくまでも客観的判断をすべきであるはずの事実認識の過程そのものと、それによって得られた事実認識
の具体的内容に対する評価の問題を、混同しているとしか思えません。
事実とそれへの評価というものが常に截然と区別できるものであるのかどうかという事は問題だとしても、
理念としては区別すべきものなのです。

それを区別せず混同しきってしまった姿の一典型が、創価学会などの日蓮認識・評価であるのでしょう。
例えば“本仏”などという評価を問題としようとしてどのような客観的事実に基づく評価なのかを問おうとした
時に、客観的であるべきはずの事実認識そのものが相手方には存在しないのですからそもそも対話も何も
成り立たないのであって、乾闥婆さんも、そこまでの問題はないとしても、そちらの方向に一歩踏み出して
しまっているように思えます。

468 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/23(月) 08:43:51 ID:???
(一応、レス>467の続き)
なお、話の本筋とは離れますが、乾闥婆氏が近現代史だけを別扱いする意図・根拠が私には理解できません。
歴史とは、単なる過去の事実の羅列ではなく今日に連なる過去の事実であり、質的・量的に濃淡はあっても、
本質的な意味では今日を説明するためになされる過去の事実の(因果関係に基づく)整理なのだと思います。
決して近現代だけが今を導いているわけではなく、それ以前の過去にも意味があるのであって、それぞれを
見る姿勢を変えなければならないなどということ自体が理解できません。
(その他、述べたい事はあるのですが、時間の都合で今は終わります。)

469 :ひゃっきまる:2009/02/23(月) 09:28:45 ID:???
>法律ヲタさん

乾さんへのレスだけだったのが残念ではありますが、今は一段落するまで僕はROMさせてもらいますね。

僕は議論以前にすれ違いがなぜ起こっているか確認する作業が必要と思っているのですが、後ほどまたあらためて議論内容を整理させていただいて、質問を提出し直させていただこうと思います。


470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 12:21:27 ID:???
>>461
>いずれ後日の屈託ない円満なやりとりのためにも、今はお手伝いの一端が担えれば……と思います。
ま〜、Bwr5をアク禁にしたお前の今更遺恨だなんだと誰かに擦り寄ったところで、
それに引っかかり自尊心を充足させている者がいるとすれば、それはよほどの阿呆だと思うのだがw
空気を読み、お前が引っ込んでいる方がよりお手伝いとやらになることに少しは気づいたらどうなんだよ?w

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 14:47:22 ID:???
>>429
ちょっとだけ気になったので・・・。
> そこに描かれている三災七難などは仏教のおかれている状況と何の関係もなく起きることが明らかなのです。
衆生世間・五陰世間・国土世間は、決してかけ離れた存在ではない。
つ「依正不二」「身土不二」

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 18:10:11 ID:???
>>蛙殿

同じ敵をもって仲良くつるんでみるのもいいが、宗教否定のヲタはおたくの信仰にも唾を吐くよ〜
真言だっけ?その宗教やると幸せになれんの?

473 :乾闥婆:2009/02/24(火) 00:01:56 ID:???
>>465-648
法律ヲタさん
>今に続く歴史の中において、歴史の文脈の中で読まず、ただの事実を歴史的背景から切り離して論じて
いるのは、乾闥婆さん、アナタなのですよ。

歴史的文脈とは、その社会共同体がある程度共有しうる世界観をもって形成された塊のよ
うなものを指すのであって、ただ単に時間の連続ということを言うのではありません。古
代、中世、近世、近代という歴史学上の区分は、そのような塊として、区分されているの
でしょう。世界観は変更される、ということであり、その時代の世界観ごとに歴史的事実
は検証されなければならないということを言っているのです。ですから、私は現代と中世
を区分しています。単純に切り離しているのではありません。歴史を語る上では当然のこ
とでしょう。

>そしてここで重要なのは、仮にサンタクロースなる概念自体は妄想なのだとしても、今日、それを基礎とする
サンタクロースの風習にはマイナスなど認める事ができずプラスしか存在しないのであって、妄想だとして
問題視する必要性など存在しないと言う点でしょうし、それどころか、その妄想を積極的に評価すべきでしょう。
しかし、日蓮の場合にはどうでしょうか?

そこにあなたの恣意性を感じます。批判する妄想と批判しない妄想がある、ということで
すね。そもそも過去から連綿と続く伝統的な事柄に対して現代から妄想と断定して切り捨
てるあなたの態度には歴史的背景を考慮しない悪意を感じます。日蓮は現実に様々な宗派
の宗祖です。その信仰をプラスとしている人もいるでしょう。もちろん私のようにマイナ
スとした人間もいるわけです。あなたのやっていることは日蓮という歴史的人物から様々
な影響を受けている様々な人たちを十把一絡げにして侮辱するという行為ではないでしょ
うか。日蓮や創価学会員がそのようにやったから自分もそのようにやっていい、というこ
とではいけないでしょう。そのような矜持のかけらもない行為を私はしたくありませんね。

474 :乾闥婆:2009/02/24(火) 00:03:14 ID:???
(続き)
>私自身における「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」なのですよ。

コミュニケーションは一方的に自分がしゃべるだけでは駄目なのです。相手の声にも耳を
傾けてください。私は私なりに日蓮とその周辺の人たちの声に耳を傾けるべく、それらを
研究し解説している人たちの本を読むようにしました。今度、春田の蛙さんもおそらく私
が読んできた本とは違う視点から書かれた本(春田の蛙さんの出自から言えば浄土系の視
点から書かれたものでしょうか)から得られた知識を持って、中世日本のまたもうひとつ
の声を聞かせてくれるのだろうと期待しています。しかし、あなたは私に中世日本のどの
ような声を聞かせてくれましたか。ただあなたの一方的なおしゃべりしか聞かせてもらえ
ていないではありませんか。

>日蓮在世当時において、あのような認識が致し方のないものであるのか否かという事は、歴史的事実自体の
客観的な認識ではなく、当時の諸事情を勘案した上で行われる今日からする歴史的評価と言うべきものです。
あくまでも客観的判断をすべきであるはずの事実認識の過程そのものと、それによって得られた事実認識
の具体的内容に対する評価の問題を、混同しているとしか思えません。

では問いますが、日蓮が事実として与えられていた情報は、現代と比べて極めて少なくし
かも誤った情報であるということは、客観的事実ではないのですか? そのような少ない
うえに誤った情報しか与えられていない日蓮に、あなたはどう向き合うのですか。「妄想糞
坊主」とコケ下ろして終わりですか? あなたは日蓮以上に正確な情報をふんだんに仕入
れることができる立場にあるのでしょう。それより少なく誤った情報しかなかった日蓮を
コケ下ろして悦に入っているあなたを見ていると、なんだか情けなくなります。ナンセン
スです。

475 :乾闥婆:2009/02/24(火) 00:04:34 ID:???
(続き)
言っておきますが、私は日蓮に対して、今回のあなたとの遣り取りで何の評価もしていま
せん。春田の蛙さんとの遣り取りで若干評価らしいことを述べましたが。私は日蓮が生き
た時代に僧侶が祈祷することがなぜ妄想と呼ばれるのか、仏典に書かれていることを事実
と受け止めて勘文の書を起こすことが、なぜ当時において妄想と呼ばれなければならない
のか、をあなたに問うているだけです。あなたはそれらの行為に対して「妄想糞坊主」と
の評価を下しています。そうであるなら私の問いに答えなければならないでしょう。どの
ように答えるのか。それは当時において加持祈祷は妄想であるという社会的通念がすでに
成立していたことを当時の文献から立証すればいいわけです。また仏典に書かれているこ
とは虚構であることが当時に社会通念としてすでに成立していたということを、やはり文
献によって証明すればいいわけです。歴史学における客観的事実とは文献などの史料に他
なりません。そのような史料に基づく検証が客観的事実による歴史的事実の検証というも
のでしょう。「歴史的事実自体の客観的な認識ではなく、当時の諸事情を勘案した上で行わ
れる今日からする歴史的評価と言うべきものです」などとは言うに事欠いた詭弁に過ぎま
せん。「歴史的事実自体の客観的な認識」とはなんですか? 歴史的事実とはさまざまな史
料に基づいてあぶりだされた類推の堆積でしょう。さまざまな学者の間で論争が闘わされ
て成立する通説であり、それもまた覆ってゆくのです。今現在において、歴史的事実の検
証や、その評価を行うのは、現代の人間です。それはあまりにも当たり前のことです。も
ちろん同時代人による歴史的事実の追及やその評価もあるわけですが、それも現代の歴史
学者は史料として活用するわけです。問題はそのときの姿勢です。対象となっている時代
や人物に向けて耳を済ませてその時代の声を聞く姿勢があるのかないのか。あなたにはそ
の姿勢がまったく見られません。もちろん私は歴史学者でも宗教学者でもありませんし、
あなたもそうでしょう。しかし、そのような学者によって書かれた書物を読むことによっ
て、今ここであなたと私は議論を交わすことが出来ます。一次史料の提示は難しくとも、
読んだ書籍の中から考えたことを語ることはできます。

476 :乾闥婆:2009/02/24(火) 00:05:19 ID:???
(続き)
>それを区別せず混同しきってしまった姿の一典型が、創価学会などの日蓮認識・評価であるのでしょう。
例えば“本仏”などという評価を問題としようとしてどのような客観的事実に基づく評価なのかを問おうとした
時に、客観的であるべきはずの事実認識そのものが相手方には存在しないのですからそもそも対話も何も
成り立たないのであって、乾闥婆さんも、そこまでの問題はないとしても、そちらの方向に一歩踏み出して
しまっているように思えます。

どこがでしょうか。意味が分かりません。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 00:19:05 ID:???
>>461
>そこに関しては、後日、私からも幾つかの事例と歴史の流れを提示して、乾闥婆さんに対し反証しておこうと思います。
また後出しジャンケンか?

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 01:50:08 ID:???
法律ヲタさんや春田の蛙さんって円周率を割り切れるまで計算する人みたい
てっ言うか自己顕示欲のためには創価学会を出汁に誰彼かまわず吹っかける
俺が俺がの世界チャンピョンだな。

479 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/24(火) 08:44:50 ID:???
>>478
ハァ?  俺がこのスレに書いた最初のレスは、>>102だぞ。
それは、滝山氏に、その発言の裏付けとなる資料を教えて欲しい旨、教えを請う内容のものだ。
その後の展開をきちんと読んでみろ。
乾闥婆氏も、関連するであろう資料について御教示くださっている。(>>107
攻撃的内容のレスを書いた最初は>>140と言うべきであろうが、それは、このスレッド自体に対する批判の
在り方を批判したレス(ひゃっきまる氏と滝山氏などとの間の私信の如きスレであって、公開された掲示板に
書かれるべきものではないと言う趣旨の批判)に対し、思うところを反論したものだ。
そして、レス>>145において、オマエのような粘着さんに>>141で売られたケンカに反論したわけだが、同時に
そのレスでは、おそらくは他スレからの俺に対する粘着がここにも湧いて出た故に迷惑を掛けかねないもの
として書き込むのを遠慮する旨も伝えている。(これに関しては、ひゃっきまる氏のレス>>161も見よ。)
その俺の反論の内容に関して、乾闥婆氏は批判を抱いたわけであって、そこから今回のやり取りは始まった
と言えよう。
俺としては思わぬ方向に話が進んでいるのだが、これも流れであって、それに応じないわけにもいかない。
それだけの事であって、「自己顕示欲のためには創価学会を出汁に誰彼かまわず吹っかける」などと言う
事実は存在しないのだよ、事実を捻じ曲げる妄想信者君。

480 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/24(火) 08:45:41 ID:???
>>473 乾闥婆さん
>歴史的文脈とは、その社会共同体がある程度共有しうる世界観をもって形成された塊のよ
>うなものを指すのであって、ただ単に時間の連続ということを言うのではありません。・・・
>・・・
>・・・単純に切り離しているのではありません。歴史を語る上では当然のこ
>とでしょう。

そもそも、そのような時代区分自体が今日からする視点に基づいて行われたものであるわけですが、それでは、
その時代区分をするに際して最初から時代別に異なる見方をしてなされたものと言うべきなのでしょうか?
「世界観は変更される、ということであり、その時代の世界観ごとに歴史的事実は検証されなければならない」との
御見解ですけれど、中国において、その時代ごとに正史とされた歴史観を思い起こさせます。
その時代の覇者をあくまでも中心に価値付ける歴史観です。
各「時代の世界観」を貫く歴史観こそが重要なのではありませんか。

481 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/24(火) 08:47:13 ID:???
(レス>480の続き)
日本に限定し、敢えて精神的影響・物質的影響という分類で各時代の特徴を炙り出すべく大胆に今日に対する
その影響を考察してしてみますと、物質的(有形的)影響と言うものは、確かに現代に近いほどその影響が大きいのかもしれませんけれど、精神的(無形的)影響は必ずしもそうではないと見るべきでしょう。
ここで問題とする宗教などもそうですが、仏教で言えば鎌倉時代に登場した複数の祖師によって生み出される
結果となった各宗派が今日でも大きな影響力をもっているわけです。
それに遡るものとしては、真言・天台の影響を無視する事はできませんけれど、それ以前から存在した仏教は
今日ではさほど大きな力をもっていないものと言えましょう。
また、民間伝承・民俗芸能・習俗・慣習といった事を中心に扱う民俗学の世界では、二大巨匠と呼ぶべき
学者が存在しますが、確かその内の柳田国男氏だったと思いますけれど、今日の日本文化への室町期に
おける影響を重視するようです。
(もっともこれは、柳田氏や民俗学だけに限定された事ではないと言うべきかも知れませんが…。)

そのように、今から見れば遥かな昔の今日の日本への影響を無視する事などできないのであって、見ように
よっては、日本においてはここ百年ほどの間の方が、敗戦によってもたらされた大きな変革による、精神的に
大きな断然があると見る事も可能なのではないでしょうか。
そのような中で、乾闥婆さんがなぜ統一的に歴史を見ようとしないのかは、私にとっては不思議な事です。

482 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/24(火) 08:49:15 ID:???
(レス>481の続き)
>そこにあなたの恣意性を感じます。批判する妄想と批判しない妄想がある、ということで
すね。・・・
>・・・
>・・・。日蓮や創価学会員がそのようにやったから自分もそのようにやっていい、というこ
>とではいけないでしょう。そのような矜持のかけらもない行為を私はしたくありませんね。

「恣意」的だとおっしゃるなら、具体的にどのようにしい的なの果を明らかにすればよいだけです。
それどころか、私の側から見れば、乾闥婆 さんの方が恣意的な判断をしているようにしか見えません。
歴史上の人物・出来事などの今日に対する影響と言うものは、当然の事ですが同一ではありません。
その影響の質・量を考慮し、人物等をその差異に応じて評価するのは当然の事ではありませんか。

乾闥婆さんも日蓮が特異であった事はお認めですが、日蓮の場合は、単に本人が特異であっただけではなく、
今日に生じた影響も特異なのです。
牧口氏も所属していたと言う話が出ている戦前の国柱会一つをとっても、そうではありませんか。
もちろん、そのような影響は、影響を受けた人々の問題として考察するも重要ですが、しかし、日蓮その人は
無関係であって何らの責任も問うべきではないのでしょうか?
(時間の都合で、ここでいったん終わらせていただきますが、これはどうやら、夜も書かなければならないのかも
知れませんね。)

483 :乾闥婆:2009/02/24(火) 13:09:11 ID:???
>>480-482
法律ヲタさん
>そもそも、そのような時代区分自体が今日からする視点に基づいて行われたものであるわけですが、それでは、
その時代区分をするに際して最初から時代別に異なる見方をしてなされたものと言うべきなのでしょうか?

これはひゃっきまるさんや春田の蛙さんにもお聞きしたいのですが、私は法律ヲタさんへ
のレスを書きながら、最初は世界観の変更という言葉ではなく、パラダイムシフトという
言葉を使っていたのですが、科学史に関する用語を歴史学に用いることに躊躇して改めま
した。この場合にパラダイムという言葉を援用することは適切でしょうか。

もとより時代区分は後の歴史学者によってなされたものです。それはその時代を形成する
大きな思考の枠組みの変更により区分されるものでしょう。それはその時代がどのような
世界観によって成り立っていたのかを知る上で大事な前提となります。もちろんそれらの
時代の様相や時代を画する時期なども歴史学内の論争によって変遷します。中世の始まり
をいつにおくのかということも、平氏政権成立以降か、鎌倉幕府成立をもって、との見解
もありますが、もう少し遡って、院政が成立したあたりとの見解もあります。いずれにし
ても古代から中世への移行は突然起こったわけではないでしょう。

484 :乾闥婆:2009/02/24(火) 13:11:12 ID:???
(続き)
>中国において、その時代ごとに正史とされた歴史観を思い起こさせます。
その時代の覇者をあくまでも中心に価値付ける歴史観です。
各「時代の世界観」を貫く歴史観こそが重要なのではありませんか。

先にも述べましたとおり、歴史学においては、そのような同時代人による当時の事件の記
述やその評価は、ひとつの史料として用います。様々な史料を摺り合わせて歴史的事実を
絞り込んでいく上でのひとつの史料に過ぎないのです。史料批判は歴史を語る上での大前
提です。時代を貫く歴史観とは進歩史観や唯物史観などが有名でしょうが、そのような大
きな枠組みとしての歴史観も結局時代によって変遷しています。おそらく現代においては、
歴史学といっても、その中には社会学的な考察や、民俗学、文化人類学、といった要素も
入り込んでいるのが実情ではないでしょうか。経済学の側面から考える視点もあるでしょ
う。歴史的な宗教者を語る場合も、宗教学、宗教史、民俗学のような複合的な視点が求め
られると思います。

>物質的(有形的)影響と言うものは、確かに現代に近いほどその影響が大きいのかもしれませんけれど、
精神的(無形的)影響は必ずしもそうではないと見るべきでしょう。

そうですね。ですので、私はそのような精神的影響に制限をかけるべきだと考えています。
中世日本での宗教的主張がそのまま現代に通用するものではない、という規制です。現代
と中世の世界観の相違はあまりに明らかなのですから。

485 :乾闥婆:2009/02/24(火) 13:12:11 ID:???
(続き)
>そのように、今から見れば遥かな昔の今日の日本への影響を無視する事などできないのであって、見ように
よっては、日本においてはここ百年ほどの間の方が、敗戦によってもたらされた大きな変革による、精神的に
大きな断然があると見る事も可能なのではないでしょうか。
そのような中で、乾闥婆さんがなぜ統一的に歴史を見ようとしないのかは、私にとっては不思議な事です。

私は歴史を統一的に見ています。「敗戦によってもたらされた大きな変革による、精神的に
大きな断然があると見る事も可能」という法律ヲタさんの見解は私と同じものであり、私
はそのような断絶が、中世と現代のあいだにもあると言ってきたのです。例えば明治に吹
き荒れた廃仏毀釈の運動は本地垂迹・神仏習合を推し進めた中世的メンタリティの全面否
定です。近世という時代をあいだに置きますが、これは決定的な断絶であると考えます。
私は古代も中世も近世も近代も、すべて現代と同じ世界観によって成り立っているとは考
えていませんし、すべて同じ世界観によって成り立っていると考えることが歴史を統一的
に見るということではないと思います。世界観の相違、断絶、変遷を見ることこそが歴史
を統一的に見ることであると考えます。

>「恣意」的だとおっしゃるなら、具体的にどのようにしい的なの果を明らかにすればよいだけです。

日蓮が生きた時代の、現代から見た特異性を考慮することなく、日蓮を「妄想糞坊主」と
罵る点です。法律ヲタさんは補陀落渡海という中世に行われた捨身行をご存知でしょうか。
南方にある浄土に向けて、行者が単身小型船に乗り込み、沖へ流されるという行です。も
ちろん、生きて帰ってはきません。艪も櫂も帆もありません。ただ流されるだけです。南
方にあるといわれる補陀落という浄土に向かって。当然そのような浄土は南方にないので、
遭難死するか、どこかに漂着するか。そういう修行が行われる時代が中世なのです。

486 :乾闥婆:2009/02/24(火) 13:12:56 ID:???
(続き)
>それどころか、私の側から見れば、乾闥婆 さんの方が恣意的な判断をしているようにしか見えません。
歴史上の人物・出来事などの今日に対する影響と言うものは、当然の事ですが同一ではありません。
その影響の質・量を考慮し、人物等をその差異に応じて評価するのは当然の事ではありませんか。

私はただ単に当時の社会が持つ世界観に立った場合、日蓮を「妄想糞坊主」と罵ることは
妥当ではないのではないかといっているだけです。そこに恣意が入り込む余地はありませ
ん。先にも述べたとおり、法律ヲタさんは私に対して、当時の世界観に立っても日蓮は「妄
想糞坊主」であると罵るに足ると断定できる史料をもって反論すればいいのです。もしそ
のような主張がしっかりとなされるのであれば、私は法律ヲタさんの恣意性についての発
言を撤回いたしましょう。現代における影響は、そのような影響を受けている人間に対し
て、その非合理性を指摘するべきでしょう。

>もちろん、そのような影響は、影響を受けた人々の問題として考察するも重要ですが、しかし、日蓮その人は
無関係であって何らの責任も問うべきではないのでしょうか?

先にも述べたとおり、日蓮は死んでおり、死人に口なし、です。責任を取れない人に責任
を追及しても意味がないでしょう。日蓮の経典に基づいた具体的主張は、現代の仏教学の
知識に照らして、ほぼ通用しないことが明らかである、それで充分でしょう。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 15:17:29 ID:Ut7+Jw9e
はじめて書き込みします。
以前に、何かの本で、精神科医の分析として、

「日蓮上人の御書や、史実とされる彼の言動などから分析して、
日蓮上人は、いくつかの心の病(おそらく躁鬱病および統合失調症)
を患っておられたと分析できます。その顕著な例として、たとえば
『立正安国論』を著して国家諌暁をされた時には、躁状態。
佐渡流罪後『観心本尊抄』『種種御振舞御書』などを著して、
自分こそが仏。自分こそが末法の本仏。だと示し、諸宗を異常
なほど徹底的に排撃した、自己中心的な狂気の言動は、
統合失調症(旧名:精神分裂病)の最も典型的な症状です」

と記されてありました。

要するに、キチガイ坊主を信仰するから、キチガイじみた人たちが、
創価学会のような、キチガイ集団を形成するわけですよね。
類は友を呼ぶ。ということでなんしょうね。


488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 15:24:19 ID:???
「何かの本」って。著者も題も忘れたのにそれだけ長い文章を暗記しているわけ?

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 15:42:59 ID:???
>>478
オマエも呼ばれてここに来たわけだが?

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 17:52:04 ID:???
>>487
>いくつかの心の病(おそらく躁鬱病および統合失調症)を患っておられたと分析できます。
精神疾患の分類がおかしいと素人でもわかる。
>自分こそが仏。自分こそが末法の本仏。だと示し
御書からそう読み解くのは素人にはできない。
>自己中心的な狂気の言動は、統合失調症(旧名:精神分裂病)の最も典型的な症状です
分裂病の典型として「自己中心的」を挙げる精神科医はいない。
従って>>487は妄想を書いていると断定できる。

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 18:11:31 ID:???
日蓮の気質はクレッチマーの三類型(分裂、循環、粘着)では3番目の粘着だろう。
この気質の人にある精神病はパラノイアやてんかんといわれている。

偏執病(パラノイア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%9F%B7%E7%97%85

日蓮にはパラノイアの傾向は認められるが、てんかんの発作があったという話はない。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 19:12:34 ID:???
「妄想糞坊主」だとか「キチガイ坊主」だとか「精神病」だとか?
その様な認識ならば諸々宗祖がその類になるねぇ〜。日蓮だけじゃないよね。


493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 20:20:44 ID:???
精神病の教祖らしき人は今もいるが、そういう人は多くの信者を集めてはいないし、
また精神病は伝染するものではないから、多数の人の異常な行動の原因を歴史上の
人物の精神病に求めることはできないね。
現に今、所属している教団のマインド・コントロールに原因を求めるべきだろう。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 23:35:13 ID:???
『日蓮を現代の視点から「妄想糞坊主」と批判するのは不適切』?
当時において批判されていなかった人物は、現代から見ても批判されるべきではい、という主張に見えるのだが。
スターリニズムを、現代的視点で批判するのは不適切な訳だな。


ナンセンスなことこの上ない。

495 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 00:10:49 ID:???
>>469 ひゃっきまるさん
「乾さんへのレスだけだったのが残念ではありますが」とは、当然>380-381による「まとめ」の件なのでしょう。
他のレスに追われて答えるのが難しかったのですが、今簡単に答える事にします。(簡単に済むか問題ですけれど。)
ただですね、ひゃっきまるさんの「まとめ」の内容は、もちろん意図したものではないのでしょうけれど、
微妙に私の思うところから外れているような点があって、真正面から違うとも言いにくいのですけれど、
肯定するのも引っ掛かるという具合に、どう答えれば良いのか困るようなところがあるのですよ。

『「創価学会では日蓮を大聖人・本仏というが、私は糞坊主だと思う。それに反論があるならしてみなさい」
というスタンスで議論』しているという点については、一応そのように言って構わないでしょう。
ただし、想定している議論の相手は、あくまでも創価学会員(及び、創価学会員と同様の見解・立場を
主張する者)ですけれど。

>法律ヲタさんは、「日蓮が実際はどのような人物であったのか、ということには実際のところは興味がない」。
>いいかえれば、創価学会を批判するために、「日蓮は糞坊主」というスタンスをとっているに過ぎない。

これは、少し違います。  私の中には、間違いなく日蓮を「(妄想)糞坊主」と評価している部分がありますよ。
もちろん今まで述べてきたように今日の視点からするものではありますけれど、日蓮にはそのように
評されても致し方のない側面があると思っています。
この点に関してもう一言述べておきたいのは、日蓮は絶対の真理(法)を問題としたつもりなわけですよね。
(これは、日蓮を本仏とする立場・見解とも関係してゆくものだと思います。)
そうであるならば、その主張は当然時代を超越したものであるはずであって、批判に合理的・論理的根拠が
存するならば、その批判に対して何らかの内容的制約を主張するのはオカシイとしか思えません。

496 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 00:12:53 ID:???
(レス>495の続き)
ただ、人間についての“全体的”評価と言うのは、それほど簡単ものではないではありませんか。
人間として負の側面しかなかったのかと言うと、それも違うのでしょう。
少なくとも、情熱の人である事は私も認めますし、能力も高い人であったのでしょう。
しかし、その能力も、時代的制約を免れず、とんでもない方向で発揮されてしまったわけです。

ひゃっきまるさんも同じなのかもしれませんけれど、乾闥婆さんは、私流に表現すれば“時代的制約”故に
日蓮の妄想も致し方のないものだとするのでしょう。(それとも、“致し方ない”どころではなく、もっと積極的に
“当然である”とでもいった具合の評価なのですかね?)
でも私は、自らが絶対性を主張する以上(更に、その絶対性に反した場合にマイナスを蒙るとまで言う以上)、
時代的制約を免責のための理由とする事は許されない、と思うのです。

>このようなスタンスをとる理由としては、創価学会員の感情を刺激することができる、ということがある。

これも、個人的にそのような思いの欠片も無いとは言わないけれど、そのような事に、さしたる意味など
ないではありませんか。
これも他スレで何度も述べてきている事なのですけれど、そうではなく、創価学会員の非合理的な姿・見解を
第三者の目につくように晒し上げる事に意味があるのだと思っているのです。
学会員と議論して、相手の論理的弱点を問題とし反論不能の状態に追い込んでも、盲信・妄想に裏打ち
されてしまっていて、まず、その見解・立場を改める事など無いと言っても過言ではありませんよね。
ネットなどの場ではなくて現実の場でさんざん味わって来た事ですけれど、議論そのものが、相手との関係
だけを考えるならば無駄なのですよ。
私は、そのように思っています。

497 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 00:16:22 ID:???
(レス>496の続き)
>それに対して、「創価学会の日蓮理解や歴史認識は間違っている」という方向での批判ももちろん可能なわけですが、法律ヲタさんはそのような「マイルドな」方法はとらない、ということですね。

これも微妙に違うと思います。
「創価学会の日蓮理解や歴史認識は間違っている」という方向での“具体的な”批判は、大前提なのですよ。
ですから、それを効果的に問題としうる機会があれば、もちろん、そのようにしてきているつもりです。
ただ、それだけに拘らなくてはならない理由はないと思いますし、そこでおっしゃる“「マイルドな」方法”ではない
方法の方が、一般的には耳目も集め易く効果的であろうと判断しているだけです。

>このような法律ヲタさんの態度に対して、乾さんの批判として正当だと僕が思うのは、「それは創価学会以外の日蓮の信仰者に対する配慮に欠けている」というものです。
>僕もこれは正論だと思います。ここは確かに「創価・公明板」ですが、創価学会以外の日蓮の信仰者はいるわけですから。

これについては、もちろんおっしゃっている事それ自体が分からないわけではありません。
ただですね、私が「創価学会以外の日蓮の信仰者」に対してどのような態度を採るべきだと判断するかは、
本当のところ、その方の御見解を或る程度広範囲かつ詳細にお聞きしなければ決せられない事だと
思っておりまして、形の上では創価学会員ではなくとも実質的には同様の見解を有するのなら、結局は
同様の批判の対象ですし、そうではないとしても、一般的に言えば、批判の内容的には異なる点はあっても、
まず批判の対象である可能性の方が高いのではなかろうかと思います。

498 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 00:19:03 ID:???
(レス>497の続き)
それは、日蓮そのものが他の立場の存在を許さない独善性を有するからなのであって、仮に、そのような
要素が存在しない日蓮信仰というものがあったとした場合、一応それ自体は許容できるのかもしれません
けれど、私としては、それって日蓮と無関係ではないのと揶揄したくなるような信仰でしかないとしか思えない
のではないでしょうかね。
そして、日蓮の独善性を捨てない限り、自分達の立場を尊重しろなどと主張する事は矛盾も甚だしく、
厚かましいだけではありませんかね。

>春田の蛙さんであれば、「念仏の立場から日蓮をどのように読んでいくのかという、明確な立脚点がある」のに対して、法律ヲタさんは、自身の立脚点を明らかにせず、
>ただ批判のために「日蓮」という信仰のシンボルをもてあそんでいるようで、乾さんには我慢ならないのでしょう。

もちろん、ひゃっきまるさんがその後でお書きになっているように、私は“無宗教”の立場空批判しております。
なお、乾闥婆さんがどのようにお感じになり、お考えであったとしても、それ自体は特に申し上げることもない
ですが、具体的に私に対する御批判をいただいて、それに対して反論があれば、私は反論するだけです。

更に以下に書かれている事については、既にお答えしましたので、これで終わります。
今回乾闥婆氏に対しては時間の都合でレスできませんが、翌朝も普段より早く出かけなければならず、
申し訳ありませんけれどもレスできないかもしれません。

499 :乾闥婆:2009/02/25(水) 00:35:24 ID:???
>>498
法律ヲタさん
>申し訳ありませんけれどもレスできないかもしれません。

了解しました。このような議論を、今のようなペースでやっていては、他に仕事を抱えな
がらの身では負担が大きすぎますね。私も大分疲弊しました。少しペース・ダウンしまし
ょう。


500 :俺馬鹿かも知れんがこんな感想:2009/02/25(水) 00:47:52 ID:???
エジソンは凄いね、松下幸之助や本田宗一郎も偉人だ。彼等のお陰で生活が楽になり、めまぐるしい文明の進歩にも貢献したね。
結果としては地球の寿命を急速に縮めただけだが。
現代ではEcoと称した偽善がまかりとおる世の中になってる。外回りの営業マンがアイドリングしながら車で昼寝し、リサイクル限界なコンビニ弁当の容器やペットボトルで昼食。
近い将来地球の危機が必ず来る、我々現代人は理解している。
では、文明を棄てる事は出来るか?出来る訳がない。Eco?間に合うもんか!いつの時代も利権や欲望にまみれた人間が幅をきかせ弱者を騙しのうのうと暮らしている。
今も昔も根本は変わらないんだよ。鎌倉時代の人々もそんなに馬鹿じゃない。
100年後の子孫達は21世紀の我々を教科書でこきおろすだろうな、容易に想像がつく。
特にヲタの子孫が吠えまくるだろう、(何故昔の人はガソリンなんぞ燃やしながら車を走らせたんだ!馬鹿か?)といった具合だ。(電気だろJK)なんて死語を使ってるのも想像できる。
遺伝子組み換えやクローン技術もそう、現代では科学の最先端だが100年200年後にはどのように思われているか分からない。

時代背景は重要だ。

501 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 00:53:49 ID:???
>>483 乾さん

>最初は世界観の変更という言葉ではなく、パラダイムシフトという
>言葉を使っていたのですが、科学史に関する用語を歴史学に用いることに躊躇して改めま
>した。この場合にパラダイムという言葉を援用することは適切でしょうか。

結論から言うと、適切ではないと思われます。

wikipedia「パラダイム」より
>クーンは自然科学に対してパラダイムの概念を考えたのであり、
>社会科学にはパラダイムの概念は適応できないと発言している。

パラダイムという言葉はあまりに拡大解釈されすぎていることや、人によって考え方がまちまちであること、
また、科学史におけるパラダイムにしてもあまりにいろいろな問題を含みすぎていて、どうしてもこの言葉を
使わなければいけない事情があるということでなければ、使わない方がよいと思います。


502 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 00:54:30 ID:???
>>420 滝山
そうだね。本来は議論は議長が必要なんだよね。
それがない状態では参加者の良識にゆだねるしかないんだろうけど。



>>436
どうしても創価学会に味方する書き方になってしまうのは、ある程度仕方ないと…。
他の日蓮研究者にとって、宮田先生の話がどこまで説得力があるのか、というのはよくわかりませんが。
ただ、積極的に日蓮信仰を素晴らしい、と言っているというよりは、現代においてどんな逃げ道(言い訳)があるか、みたいな言い方している印象のところがある気がします。
無意識的かどうか分からないですが、どこかでやはり、信仰と学問は別のものだ、という意識で研究しているような。
客観的にも日蓮信仰が最高である、ということを主張したいはずの、本当のバリバリの創価学会的な人とはウマが合わないでしょうね。

503 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 01:45:06 ID:???
>>495-498 法律ヲタさん

お答えいただきありがとうございます。
今回のレスでだいぶ見通しが良くなってきた気がします。

法律ヲタさんと乾さんの議論は大変興味深いです。お二人ともお疲れのようですが、スローペースでも良いので行方を見

守りたいと思います。

直感的にですが、お二人の議論の根本に横たわっている問題として、日蓮信仰、広くは宗教というものに対する考え方の違い、というものがあるように思いました。

例えば、日蓮信仰全般が創価学会以外においても基本的な部分で否定されるようなものであるならば、その元凶たる日蓮は、どのような見地からしても「糞坊主」と言われるにふさわしいでしょう。

しかし、乾さんはどうか分かりませんが、少なくとも僕は、日蓮信仰が全部否定されるべきものだとは思っていません。

それは、創価学会においても、そのように思っています。種々の問題があるにしても、信仰それ自体が悪いことだとは僕は思っていないのです。

例えば、キリスト教は、イエスのみが救い主であるという、排他的な教義を持っています。これは日蓮信仰に似た信仰といえます。そして、やはり似た問題を内包していると思います。

しかし、キリスト教の全てが否定されるべきかといえば、そうではないのではないでしょうか。

504 :超弦道士:2009/02/25(水) 01:45:35 ID:???
ひゃっきまるさん。

>他の日蓮研究者にとって、宮田先生の話がどこまで説得力があるのか

常識的なことをまとめた内容で特に変わったことは言っておられないですね。
ただし短く要約してあるのでかなり有益です。

>日蓮信仰が最高である、ということを主張したいはずの、本当のバリバリの創価学会的な人

バリバリの創価学会的な人はたいがいは池田教徒で日蓮にはそんなに思い入れが
ないようにわたしはおもいます。

大石寺の上代の歴史については破門後、日蓮正宗をたたくために奨励されるようになった。
日蓮自身の思想については大石寺教学というローカルな視点をぬけるのが先決であるし、
脱日蓮・法華経直結という方向も密かにはないわけではないので、あるていどの批判は可。
ただし池田氏と創価学会組織への批判は一切不可能という状況での発言でありますね。
今の宮田氏がそれをまだ信じているか否かは知りませんが。

なおわたしは別に超弦理論の研究者ではありません。「霊幻道士」からおもいつきました。

505 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/25(水) 01:58:11 ID:???
>>494さん
そうですね、同感です。

>>498 法律ヲタさん
>>499 乾闥婆さん
何せ私は自分勝手な人間でして、断りもなく一人でペースダウンしちゃってますがすみません。m(__)m
この数日、少し体調も崩していますので、落ち着いてからゆっくりレスしようと考えていました。

なので私も、議論のペースダウンは助かります。
保留してる部分に加えて新しい内容がどんどん増えていくと、レスが追いつかないですしね。(汗)
>>483のご質問も、“パラダイム”という観点から議論するとしたら、より適切だろうと言えるのは法律ヲタさんのお立場や
論の組み立て方であって、それに比すれば乾闥婆さん(及びひゃっきまるさん)のご主張には問題があります
(あくまで法律ヲタさんに比べればダメというだけであって、“意味が拡散しきって殆ど無意味になってしまっている通俗的な内容”としての
“パラダイム”“パラダイムシフト”という用語を、その範囲で乾闥婆さんが用いたとしても、この場合は仕方ないと思います)。

しかし真面目に答えると結構長くなる話ですので(最低限、“ゲシュタルトスイッチ”と“共約不可能性”について、
分かり易く例を挙げながら説明しなくてはなりませんし、ここが分からないと何を言われてもピンとこないでしょう)、
少し私に時間的・体調的に落ち着いて解説をまとめる余裕が出来るまで、猶予を頂けると有難いです。

506 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/25(水) 02:04:20 ID:???
>>501 ひゃっきまるさん
ああ、それはクーン自身が“パラダイムという言葉の受け取られ方の混乱”にうんざりしていたから、そう言ったのだろうと思います。
と言っても、そもそもクーン自身がパラダイムを何通りにも定義していることが混乱の元凶でもありますから、ある意味自業自得ですがね。(笑)
しかし、その指すところの意味をここでの議論に援用することは十分に可能ですし、適切な解説を加えた上でであれば、
むしろ議論を分かり易く整理するために有益な概念であると思いますよ。

あとWikipediaから引用するのであれば、その文章の直前にある以下の記述のほうが、乾闥婆さんへの指摘としてはふさわしいでしょう。

>最大公約数的に言うと、パラダイムは“時代の思考を決める大きな枠組み”などと解されていることが多いが、
>これは誤った(拡大解釈しすぎた)理解であり、そのような“大風呂敷を広げて”いる概念ではないことにまず注意しなければならない。

ただ、通俗的には↑で否定されているような意味に受け取られているのもまた事実ですから、
乾闥婆さんがそのような通俗的な意味で“パラダイム”という用語を解釈されていても、その点は致し方ないと思います。

それから、パラダイム論でいうところの共訳不可能性という概念を、哲学でいうクオリアなどと絡めて、これを批判的に論じることは十分に可能です。
こうした視点は倫理学や法哲学、それから法律という社会科学的な問題に大きな示唆を与えてくれますが、決して不適切な議論ではありません。

そしてこうした考察は、法律や倫理というものが主体的に、自然科学を“道具として用いる”ことはあっても、
決して“自然科学に従属・隷属”しているものではないと示す有力な根拠となるのです。
またこれは、法律ヲタさんへの“春田の蛙に比べれば明確な立脚点を示していない”という難癖に対する強力な反証となります。
むしろ、明確な立脚点を常に示しておられるのは法律ヲタさんであって、私ではないのですよ。

――以上のことについての、このスレの議題に則した分かり易い説明は、また後日とさせて下さい。
↑はとりあえずの予告編ということで。では、おやすみなさい。

507 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/02/25(水) 02:14:10 ID:???
>>504
超弦道士さんへのレスもずっと後回しになっておりますね……本当に申し訳ありません。m(__)m


508 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 07:44:10 ID:???
>>499 乾闥婆さん
はい、すみません。  よろしくお願いします。

509 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 07:45:22 ID:???
>>500 オリコウさん
そうだね。  俺も昔から、そのような方向で我々自身である人間の営為を見ているよ。
(このスレの中のレスにおいても、今現在のものの見方が絶対なのではないという趣旨の事には触れた記憶が
あるのだが、今簡単に読み直しても、残念ながら見つからない。時間がないのでそれを捜すのは諦める。)

510 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/25(水) 07:46:10 ID:???
>>503 ひゃっきまるさん
いえ。 遅くなり、すみません。 なかなか追いつけないもので…。 それでは、また…。

511 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 22:21:45 ID:???
>>504 超弦道士さん

>>347, >>436は超弦道士さんですか?
霊幻道士とは、似たような世代かも知れませんね。

>ただし池田氏と創価学会組織への批判は一切不可能という状況での発言でありますね。

ささやかにではありますが、批判が皆無というわけではないようですね。

例えば、

==================
日本仏教と平和主義の諸問題 (創価大学人文論集第16号  2004)
http://hw001.gate01.com/miya33x/paper7-2.html

創価学会のホームページに掲載されている「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」という池田名誉会長の講演論文には、(略)とあり、絶対的非暴力を主張しているかのようである。
しかし他方では2003年1月26日の「SGIの日記念提言」では、(略)と述べて、ガンジー主義の非暴力路線とは整合しない条件付きの平和主義を主張している。
(略)
なお池田名誉会長は武力行使のためのさまざまな条件を挙げており、今回のアメリカのイラク攻撃がその条件を満たさないことは明確であると筆者は考える。
したがって創価学会が戦争を容認した公明党を支持することには、平和主義という点からは、問題が多いと筆者は考えている。
==================

などと述べられています。

宮田先生の権力が強いためなのか、それとも創価学会上層部の締め付けがそれほど強くないのか、いずれなのかは分かりませんが、
公明党がイラク戦争に反対の姿勢を示さなかったことの創価学会への影響はわりと大きかったのかもしれません(当時、友人がそのことで本気で悩んでいたことを思い出しました)。

聖教新聞では、そういった会員の動揺を受けて、創価学会としてのスタンスの意思表明を出していた気がしますが、何を言っていたのか忘れました。

今の創価学会は傍目から思われているほど一枚板ではないように思っているのですが、イラク戦争はその亀裂をはっきりと顕在化させた一つの象徴的な事件だったように思います。


512 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 22:22:56 ID:???
>>505-506 春田の蛙さん

>それに比すれば乾闥婆さん(及びひゃっきまるさん)のご主張には問題があります

一応断わっておきたいのですが、今回僕は乾さんや法律ヲタさんに対し、「乾さんの意見は僕にとって理解しやすい」くらいの意思表明しかしていません。
僕は僕としての考えはありますが、それが乾さんと同じであるかは分かりません。

>しかし真面目に答えると結構長くなる話ですので(最低限、“ゲシュタルトスイッチ”と“共約不可能性”について、
>分かり易く例を挙げながら説明しなくてはなりませんし

本来であればそのご説明を聞いたあとに言うことなのかもしれませんが、パラダイム論、ゲシュタルトスイッチ、共約不可能性といったことの説明が今回の議論に必要なのかはかなり疑問に思います。

>>501で乾さんに述べた、「適切ではない」という意味は、語法として適切ではないということ以上に、以下の点からです。

(1)
「パラダイム」のような、その概念の理解・解釈自体が議論の対象になってしまうような言葉を使うべきではない。
※ これは、先の「日本軍の中国侵略」の例でも感じたことです。

(2)
今回の議論では、パラダイムの概念を使う必要がない。

乾さんがおっしゃりたいことは、異なる文化圏、異なる時代においては、同じ言葉・行為が異なる意味を持つ、ということでしょう。

即ち、「仏典の金口直説が信じられ、信仰や経典による国家守護が信じられ、最先端の知識人が仏僧であるという中世」と、
「現代仏教学によって大きく仏教に対する見方が変わり、科学的な意味での客観性が最も信頼をおかれ、民主主義的な政治形態をとっている現代」では、同じ言葉・行為に対する見方が全く異なる意味を持つ、ということです。

そしてこの点では、法律ヲタさんも同意しているはずです(と、僕は思ったのですが、違ったでしょうか?)。
このことについてお二人の間で了解がとれているならば、時代区分はたいした問題ではないように思います。

お二人の間で意見が割れているのは、現代の視点から中世の仏僧の行動を批判できるのか否か、ということだと思いますが、どうでしょうか。

513 :ひゃっきまる:2009/02/25(水) 22:51:14 ID:???
>>495 法律ヲタさん

>この点に関してもう一言述べておきたいのは、日蓮は絶対の真理(法)を問題としたつもりなわけですよね。
>(これは、日蓮を本仏とする立場・見解とも関係してゆくものだと思います。)
>そうであるならば、その主張は当然時代を超越したものであるはずであって、批判に合理的・論理的根拠が
>存するならば、その批判に対して何らかの内容的制約を主張するのはオカシイとしか思えません。

これにはレス不要です。
上記引用の法律ヲタさんの言葉に僕は同意します。
ただ、「だから日蓮信仰はおかしい」ということではなく、現代にも通用する普遍性を追及する姿勢が信仰者に必要なのではないか、と思っています。
言い換えると、中世に生きた日蓮が見て表したものをそのまま受け取るのではなく、今生きている信仰者自身が自ら再発見することが必要なのではないかと思います。
当然それは原理主義的に日蓮の言葉を信じることでもなければ、現代仏教学を無視することでもなく、オカルトや神秘主義に逃げ込むことでもありません。

514 :超弦道士:2009/02/25(水) 22:57:12 ID:???
>>511
> >>347, >>436は超弦道士さんですか?
別人です。
この方がおっしゃっている日蓮遺文の引用は原典を見よは大賛成です。インターネットに
大蔵経全部ありますから。いろいろ発見があります。

>ささやかにではありますが、批判が皆無というわけではないようですね。
創価学会には反対の声もあるというパフォーマンスはむしろ望ましいからとおもいます。
非戦以外にも創価学会の立場から公明党を批判するのは政教分離しているみたいでよい。
創価学会批判も幹部がダメとか、組織が非効率とか、そういうのはかまわないでしょう。
紅衛兵は大歓迎。池田批判、創価学会そのものの相対化、会計の透明化、運営の民主化
とかはダメであっても。

515 :超弦道士:2009/02/26(木) 00:01:05 ID:???
原典を見ると発見がある。

これは宮田さんがサイトの記事で触れておられることですが、
守護国家論に
「法華経第七に云く 我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」とあります。
で、薬王品を見ると

「是故宿王華。以此藥王菩薩本事品。囑累於汝。我滅度後。後五百歳中。廣宣流布於閻浮提。
無令斷絶。」とある。
「後五百歳中」は仏滅後500年、つまり法華経作者にとっての「現代」ですが、日蓮は第5番目の
500年という。そう解釈するならば、末法は宿王華菩薩が薬王菩薩本事品を広宣流布する時です。
そしてその教えは
「聞是藥王菩薩本事品者。亦得無量無邊功徳。若有女人。聞是藥王菩薩本事品。能受持者。
盡是女身。後不復受。若如來滅後。後五百歳中。若有女人。聞是經典。如説修行。於此命終。
即往安樂世界。阿彌陀佛。大菩薩衆。圍遶住處。生蓮華中。寶座之上。」です。
天台宗ではこの経文によって天台大師以来、西方願生しますが、日蓮の立場ではそれは困る
はずです。でも「後五百歳中 広宣流布」のキャッチフレーズ捨てがたく矛盾した解釈をしました。

516 :滝山:2009/02/26(木) 04:43:52 ID:yzehCRv1
規制解けたかテスト。

517 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/26(木) 08:16:45 ID:???
>>503 ひゃっきまるさん
おそらくは、おっしゃるように“宗教”だとか“信仰”だとか言うものに対する考え方の大きな違いが存在し、
結局のところ、その相違が表出ているのであろうと私も思っています。

日蓮信仰であれ、キリスト教信仰であれ、それ以外の信仰であれ(一部例外的に社会で対処しなければ
ならないようなカルトは除いて。もっとも、そのようなものは宗教・信仰の名に価しないであろうと思われます
けれど。)、社会がそれを否定したり、強制したりする事は許されない事であって、個人の選択に委ねられる
べき事でしょう。
そのような意味において、日蓮信仰も「全部否定されるべきもの」だとは思っておりませんけれど、全部否定を
考える個人が存在しても、それも許されるべきだと思います。(第三者に対し現実に何らかの全部否定の
行動をする事は、また別問題でしょうね。)

私自身としては、全部否定しようと思っているわけではありませんけれど、しかし、見るべきものも少ないと
思っておりまして、結果的には、全部否定そのものではなくともそちらの方向に近いのかもしれません。
あげられた例で比較するなら一般的に言えば、日蓮信仰よりはキリスト教信仰の方が、見るべき点が
あるのかと思うところです。
信仰そのものというよりも、どちらかと言うと対社会的問題において、という事なのですが、この点については、
機会があれば、また続けたいと思います。

518 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/26(木) 08:17:46 ID:???
>>513 ひゃっきまるさん
(信仰の部外者として言えば)そういう事になるであろうとは思うのですが、しかし、それは同時に、信仰
そのものを否定する方向にも作用するものですから、簡単な事ではないでしょうね。

519 :滝山:2009/02/26(木) 23:10:16 ID:BP7ggd8Q
>>502 ひゃっき
議長はいればいいかもしれないけど、不可欠ではないと思う。
また、いたとしても必ずしもそれが有意義な議論を約束はしない。
(国会見ればわかるようにw)

議論に必要不可欠なのは基本的に同じ目的だろうと思う。
目的が異なれば解釈や認識も異なる。
解釈や認識が異なれば当然言葉が通じなくなる。
(A国の利益を上げようという人と、B国の利益を上げようという人、
目的が異なっている限り、議論は意味をなさないだろう。
A国とB国両国の利益を上げようと言う目的があって初めて議論は成立する)

あと期限もあったほうがいいだろうね。
期限をあらかじめ決めておけば、
とりあえずの合意もはかることができるだろう。
ダラダラ続ける会議ほど無駄なものはない。

520 :ひゃっきまる:2009/02/26(木) 23:52:40 ID:???
>>514-515 超弦道士さん

創価学会批判はメディアも頑張ってほしいですね。
研究者や宗教学者も、積極的に発言して欲しいと思っています。

>でも「後五百歳中 広宣流布」のキャッチフレーズ捨てがたく矛盾した解釈をしました。

日蓮は意図的な経典の読み替えも行っていたという一つの証拠でしょうね。
歴史をほりおこしていくのは面白いでしょうね。



>>519 滝山

議長はいたほうがいい、程度のものかな。
ここでの目的は、俺は基本的にコミュニケーションのためだと思ってるよ。
だから期限も必要無いw

521 :ひゃっきまる:2009/02/26(木) 23:53:46 ID:???

>>517-518 法律ヲタさん

>私自身としては、全部否定しようと思っているわけではありませんけれど、しかし、見るべきものも少ないと
>思っておりまして、結果的には、全部否定そのものではなくともそちらの方向に近いのかもしれません。

前にも似たようなことを書きましたが、創価学会が自然に人から尊敬されるような行動をとっていれば、
「やはり信仰には何か良い作用があるのだな」と自然に納得させることができるのだと思います。

勝手に軽蔑されるような行動をしておいて、「末法では法華経の信仰者は非難される」などとオカルトを
言っていては、いつまでたっても評価は変わらないでしょうね。


>(信仰の部外者として言えば)そういう事になるであろうとは思うのですが、しかし、それは同時に、信仰
>そのものを否定する方向にも作用するものですから、簡単な事ではないでしょうね

普遍的な真理を追究した結果、最後に信仰を否定することになってしまうのであれば、それも一つの結論なのでしょう。
ブッダも「信仰を捨て去れ」と言ったらしいですし。
重要なことは、宗教が大事なのではなく、信仰が大事なのではなく、ましてや組織が大事であるはずがなく、その人がより良く生きるということであったり、苦しみから救われるということであったりするはずです。

逆にそこで、「やはりどうしても信仰が必要なんだ」ということになるかどうか。
もしそう言えるのであれば、信仰の役割はまだあるということになると思います。


522 :滝山:2009/02/27(金) 00:32:41 ID:JA05O3ZI
>>520 ひゃっき
>ここでの目的は、俺は基本的にコミュニケーションのためだと思ってるよ。

まぁ知っているよ。
俺の議論の目的は基本的にはお互いの成長(発展)のためだな。
(リトマス紙的な、他者の反応を見てみるのが目的であることもあるが。)

問題とすべき事柄を具体的に解決するための
議論であればなおいいとも思っている。
勿論ここはそういう場ではなく、
それらが不可能なことを知っているし、
それをしようとも思わないけどね。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:05:10 ID:???
>>521
>ブッダも「信仰を捨て去れ」と言ったらしいですし。

その経典はどこにありますか。教えてもらってもいいですか?

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:08:11 ID:ub9VTT2G
田舎くさい名前。。。wI.K

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:09:07 ID:ub9VTT2G
I.D

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 01:11:33 ID:ub9VTT2G
田舎くさい顔だし。思想も田舎もん丸出し!!w

527 :滝山:2009/02/27(金) 01:31:04 ID:2HT5+lS6
>ブッダも「信仰を捨て去れ」と言ったらしいですし。

中村元訳ではそうだが、宮元啓一はその翻訳に
否定的な見解を示している。
宮元の批判に対する反論を見たことがないので
どちらが妥当なのかはわからないが。

528 :ひゃっきまる:2009/02/27(金) 02:28:49 ID:???
>>522 滝山

具体的に解決といっても、ここで議論することによって創価学会をどうこうできるはずもないわな。
しかし知識や議論を求めている人にはある意味での解決は与えられることがあると思うね。


>>523
http://fallibilism.blog69.fc2.com/blog-entry-7.html
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul01.html
↑パッと検索した結果です。

ここで言っている「信仰」の意味は、自分で考えてみた方がよいでしょうね(できれば、「スッタニパータ」全体を読んだ方が良いと思います)。
しかし少なくとも、「祈祷や呪文や神への捧げものや宗教儀式や運命判断」などを否定したことは確かだと思います。

529 :超弦道士:2009/02/27(金) 02:40:44 ID:???
何を信じてはいけないのかはKalama Suttaに十項準則というものがあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kalama_Sutta

現代中文訳 Kalama Sutta
http://myblog-joe-joe.blogspot.com/2009/01/kalama-sutta-avguttara-nikaya.html

530 :超弦道士:2009/02/27(金) 03:11:34 ID:???
この10項です。これらを信念の根拠としてはいけない。

1 伝承 2 伝統 3 ニュース 4 経典 5 論理 6 哲理 
7 常識 8 自己の見解 9 権威 10 教師(ブッダを含む)

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 05:01:52 ID:???
>>527
法灯明ってことでしょ
法=この世の法則、つまり縁起の法こそがあなたの師であるということ。

教条主義否定やグルイズム否定は繰り返しブッダはことあるごとに説いているので
そういう意味だと思います
あくまでそれは法を知る一つの方便や方法論であって、それに盲信して
己で考えるベクトルを忘れちゃいかんよってこと。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 05:15:20 ID:???
>>529-530
まあ阿含自体が「伝承」だけどね
Kalama Suttaは増支部で、アーガマでなく部なので
経典解釈みたいなもんだし
そういう解釈を教団ではしたくらいの受け取り方でいいんじゃないのー

533 :滝山:2009/02/27(金) 08:43:59 ID:/SGMhRfr
>>528 ひゃっき
俺はそもそも問題とすべき事柄だと考えていないよ。

>>531
それはあなたのただの解釈であり信仰です。
翻訳は翻訳です。別です。

個人的には多くの人はゴータマを理想化しすぎていると思います。
自分の理想をゴータマに都合よくはめこんでいるように感じますね。
まぁそれが宗教なのですが。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 15:36:47 ID:3HK3kgWB
>それはあなたのただの解釈であり信仰です。

いや、信仰でなく翻訳だと思いますが?
その部分の前後の文脈読めばおのずと意味合いはそうなるでしょう。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 15:48:02 ID:3HK3kgWB
むしろ日蓮・創価的妄信的法華経信仰を正当化するために
信仰によるバイアスで翻訳を歪めてるのはアナタかと。

まず大前提として、経典は、阿含含めそれぞれの教派内で
後世の仏教者が己の仏教理解において書いたものでありブッダの言葉ではない。
(阿含すら数百年後のアショカ王治世の前提の説話がほとんどを占め、
ブッダが語った話ではありえないものばかりなのです。安易に原始仏典、ブッダの言葉とするのは考古学的にはおかしい。
テラワダの人らみたいに信仰としてそう信じるのは勝手ですが)
仏教という宗教は己で考えるベクトルがあるし、当然それでいいのでしょうが。

法華経はジャータカなどの説話寓話を法華経支持集団がまとめていったものと考えられます
一方阿含も当然編纂時代に主導した僧侶のバイアスの入ったものです。
どちらが正しい間違ってると言ってるわけではありません、しかし、
阿含記述に関して言えば、その文章は経典などの教条主義批判の意味のものです。

ここを「仏教」というあたかも1つの教団、1つの学派のような前提で読もうとすると
当然それぞれで異なった食い違う見解はそれぞれに出ますよ。
阿含内ですらそのような点はいくらでもある。
ただ阿含について言えば、非教条主義はひとつのテーマになってます。
編纂時の教団(恐らくアショカ王に重用された一団)ではそういう理解だった。

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:06:45 ID:???
日蓮は法華経を理解するにおいて、法華経という経典への信心の功徳を読み取った。
確かに法華経には法華経自体を褒め称え、信仰すればこんないいことが!という美辞麗句が書いてある部分がある。
当時の経典は全てブッダの言葉そのままであるとの前提で読み取った日蓮(そして天台の解釈)は
当時としてはアリだったと思うけれど
現在の考古学発展した我々の立場としては、これらは法華経成立後、弾圧された支持団体の中で
付け加えられた部分でさほど重要視するべき部分ではないと分かるわけです。

単に法華経といっても地域や時代ごとにアレが入ったりソレが抜けていたりと
別バージョンのサンスクリット文が発見されています
法華経各部分は時代を追って増えて今に至ったのであって、
実は法華経自体を褒め称え法華経信仰(そして題目信仰のような)の御利益は
彼らの正当性主張であり歴史を知る資料でも、法華経理解としては大事な部分ではないのです。
別に日蓮が悪いとかアホとか言うわけではないが、考えることを要求する仏教なのですから
現代の知見でさらに過去の先人の考えを発展させていいのではないでしょうかね。
法華経内の重要性順位は見直されていいと思います。
その中で、法華経自体の功徳という部分はじょじょに重みを減らしていってもいいのではないでしょうか。

勝劣派と一致派というものも、最新の天台も含めた当時の仏教学会での法華経研究シーンにおける
教相判断の結果を取り入れたものであるわけです。
現代仏教は高めようと言うベクトルが失われ硬直化し、活きた仏教たりえてないですが
本当はそういう教学の進展は常にあるべきじゃないでしょうかね。




537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:21:24 ID:???
現ダライ・ラマはチベット仏教に含まれていた
後期密教的なおどろおどろしい迷信儀式の類を取り払って近代化を進めた
活仏すら自分の代で終わらせたいとの意向を言っている。
だからこそ現代に通用して最近ヨーロッパでも信者増えてるわけです。
ところが日本仏教と言えば、江戸期の幕府の檀家システム、要は葬式屋のパーツにしてしまう愚民政策で
宗教としての仏教の活力が失われてしまった。
けど時代に応じて発展していかないと、現代に通用しない仏教になっていってしまう。
単に祖師崇拝をするのでなくダライラマを見習う部分があると思う。
祖師憧憬をするからこそ、さらに発展させるのが後世の弟子の務めではないかと。
あまりカチコチに硬直化、教条主義になってはいかんのではないですかね。

538 :乾闥婆:2009/02/27(金) 18:14:35 ID:???
>ひゃっきまるさん
>春田の蛙さん
パラダイムの用語の件、ありがとうございます。
Wikipediaは事前に読んではいましたが、いまひとつ拡大解釈をしての使用にどのような問
題があるのかが分かり難かったのでたずねてみました。まあ、そのような用語を使わなく
とも、歴史の話はできると思いますので、使用は避けたいと思います。

539 :乾闥婆:2009/02/27(金) 18:15:39 ID:???
端的に言えば、私は信仰心を失ったのですね。おそらく気づいている方もいると思います
が、以前私がこのスレッドで積極的に書き込んでいた頃は、4年ほど前でしょうか、自分の
中で崩壊している信仰を、どう立て直すのかが大きな課題であり、日蓮擁護もそのような
姿勢が根底にありましたが、今はもう何もなくなってしまいました。富士門流信徒の掲示
板に書き込んでいた頃が最後です。あの頃、あそこで書き込んでいたあたりが自分の限界
で、そのあとは日蓮のこと創価学会のこと、すべてがどうでもよくなってしまいました。
凧の糸が切れたようなものです。後に残ったものは底なしの虚無感だけでした。日蓮のこ
とは自分にとっては歴史の一コマに過ぎなくなり、現在の自分に何かしらの意味を持つ存
在ではなくなりました。無理ですね。日蓮の言っていることなど、何も心に響きません。
日蓮の信仰を維持している人には申し訳ありませんが、私にはさっぱり理解できなくなっ
てしまいました。間違った情報を根拠にあそこまで熱くなることはできませんでしょう。
間違っているとは思わないからこそ、熱くなれるわけで。法律ヲタさん同様、私も日蓮の
主張に見るべきものをほとんど感じられません。私にとっては、鎌倉時代という大昔に、
魑魅魍魎が跋扈する、そういう時代に、そういう主張を熱くする人がいた、それだけの存
在です。だから法律ヲタさんには歴史という観点だけでレスをつけ続けてきたわけですが、
そんなことに熱くなるのも、心のどこかで、つまらない、と感じていました。いえ、そう
いった自分がつまらないということですが。別に日蓮など、妄想糞坊主でもかまいません
から。幼少の頃から信仰心を植え付けられた人間にとって、その信仰を失うということは、
そういった虚無を抱え込んで、その後の人生を生きていかざるを得ないということですね。
ただ、日蓮をめぐって、いろいろな思いの人たちがいるということは、パソコン通信から
はじめて、ネット掲示板の世界をいくつか出入りしてきたこの十数年間で、知っています。
だから私は日蓮のことをどうでもいいとは思いこそすれ、妄想糞坊主とは言わないでしょ
う。でも、そのようにいう人がいたとしても、それはそれで日蓮をめぐってのいろいろな
思いの中のひとつなのだろうと、いまは思っています。以上です。

540 :滝山:2009/02/27(金) 20:49:50 ID:vSo+8Ct1
>>534-535
535の最初の2行まで読みました。
まず、日蓮・創価的妄信的法華経信仰を正当化していません。
俺はひゃっきまると違い、日蓮や法華経はおろかスッタニパータ等、
ゴータマの教説に関しても現代人が特別学ぶ価値は無いと考えています。
時間の無駄ですから別段お勧めはしないという立場ですね。
少なくともあなたはゴータマの教説に価値があるとか思っているのでしょう。
認知バイアスがかかっているのはそちらのほうではないでしょうか。

>いや、信仰でなく翻訳だと思いますが?
一つ質問します。
あなたはインド哲学の専門家で
パーリ語を翻訳できるのですか?
出版するほどのレベルで?

俺は>>527で専門家である宮元啓一が中村訳に
批判していると書いたまでですね。
見て分かるように、私見を交えてはいないでしょう。
中村元の翻訳だからといって、
それだけを信用していいということにはならないでしょう。
しごく当然のことだと思いますがいかがですか?

541 :滝山:2009/02/27(金) 21:14:16 ID:vSo+8Ct1
>>乾闥婆さん

法律ヲタさんとの議論は
あまり深くは読んでいませんが、
「妄想」というものについての共通見解が
得られていなかったように思われます。

宗教において「病気が治る」
という触れ込みは洋の東西を問わず、
現代に至っても未だ存在しています。
日蓮特有の事象ではありません。
ですからこれは「病気が治る」という信仰が
妄想にあたるのか否かをまず議論したほうが
よかったのではないでしょうか。

そこで共通の見解が得られてから、
他の根拠についても一つ一つ検討していけば
よかったのではないかと思いました。

基本的にお二人のご主張にはそれぞれ
一理あると思います。
しかしどちかが正しく、どちらかが間違っているとするなら
どちらも共に間違いであると言えるのではないでしょうか。

542 :滝山:2009/02/27(金) 21:24:27 ID:???
それと「パラダイム」とよく似た用語で
フーコーの「エピステーメー」があります。
これは歴史に主眼を置いているはずですから
パラダイムよりも適しているかもしれません。

しかし構造主義的見解は議論の目的を合わせておかなければ
ツールとして用いる意味はあまりないと言われています。
お二人とも日蓮に意味を見出してはいないわけですから
議論する必要性は特になかったんじゃないかと思いますが。

543 :乾闥婆:2009/02/27(金) 22:04:37 ID:???
>滝山さん

お互いがお互いの土俵に引っ張り合っていた、という感じでしょうね。

>お二人とも日蓮に意味を見出してはいないわけですから
議論する必要性は特になかったんじゃないかと思いますが。

その通りであったと思います。

544 :ひゃっきまる:2009/02/27(金) 23:08:20 ID:???
>>539 乾さん

>幼少の頃から信仰心を植え付けられた人間にとって、その信仰を失うということは、
>そういった虚無を抱え込んで、その後の人生を生きていかざるを得ないということですね。

そんなふうに「これから」のことを決めつける必要はないと思いますよ。
信仰を失ったからといって、乾さんという人間の価値が損なわれたということでは決してないのですから。

我々は結局、人類史におけるイベントを一代の中で追体験したということになると思うのですが、それは貴重なことなんだと思います。

僕も乾さんのように強く思っていた時期があったのですが(また、全く解決したわけではありませんが)、信仰に代わる生き甲斐を見つけたら良いんじゃないですかね。


>だから私は日蓮のことをどうでもいいとは思いこそすれ、妄想糞坊主とは言わないでしょう。

僕はそういった思いやりこそが大切なのだと思います。

価値の基準や生きる目的を与えてくれた神話はもう現代では失われてしまいました。

かといって、哲学や知といったものがそれを与えてくれるかといえばそれもあやしい。

しかし、「当たり前の思いやり」「他者への共感」が結局、常識の基盤となり、我々の生活の足場になっていくのだと思います。





545 :ひゃっきまる:2009/02/27(金) 23:15:07 ID:???
このスレはsage推奨(荒らし防止のため)、コテハン推奨です。

特に、長文を継続的に投稿している方は、できるだけコテハンを使うようにしてください。

長文は書くのも時間がかかるでしょうが、読んで内容を理解するのもまた時間と労力を要するものです。
コテハンを使うこと、できるだけ読みやすいように文を推敲するなどの工夫することをお願いいたします。

546 :雪山童子 ◆XHM5n0AhgA :2009/02/27(金) 23:41:13 ID:???
乾?婆さんへ

なんて読むのかわからなかったので申し訳ありません。


妄想糞坊主、この言葉をみて見ぬふりをせず、いっぽも引かず闘った姿は、ロムらせてもらってましたが
勇気を頂きました。
リアルの世界でも、ささいな事ではあっても、そのような事はたくさんありますよね。
あなたはリアルの世界でもそうだという事が伝わってきました。

ありがとうございました。

547 :滝山:2009/02/28(土) 00:17:34 ID:???
横レスだけど。

>>544 ひゃっき
>我々は結局、人類史におけるイベントを一代の中で追体験したということに
>なると思うのですが、それは貴重なことなんだと思います。

なんのことを言っているのかよくわからんのだが、
解説よろ。

548 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/28(土) 00:30:37 ID:???
>>546 雪山童子さん
読み方は、“ケンダツバ”さんです。
どのような人物(?)なのかは、調べてみてください。(しかし、正直に言わせてもらうと、アナタのような
立場の方が知らないとは…。)
もともとは、仏教そのものではなく、他の宗教に存在したキャラクターのはずだったと思いましたが、
それを仏教がとり入れたのですね。

「妄想糞坊主、この言葉をみて見ぬふりをせず、いっぽも引かず闘った姿は、ロムらせてもらってましたが
勇気を頂きました。」・・・レス>539を読ませていただくと、乾闥婆さんにはそれなりの事情・背景があって
議論をなさっていたようであって、雪山童子さんとは異なる立場・お考えと思われますね。
何なら、雪山童子さんに、御自分のお立場からする“妄想糞坊主”批判を展開していただいても構いませんよ。

549 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/28(土) 00:32:57 ID:???
皆さんにレスをさし上げたいところなのですが、既に眠くなってきております。 (申し訳ございませんけれど、
明日も、夜は可能かもしれませんけれど、用事で少なくとも日中は朝からレスをする時間的余裕がない
であろうと思います。)
ただ、乾闥婆さんに一言だけ…。

>>539 乾闥婆さん
遠藤周作氏の小説である“沈黙”をお読みになった事があるでしょうか。
もしお読みになっていないようでしたら、ぜひ一読をおすすめしたいと思います。
今の長崎県の平戸を舞台とし、キリスト教が禁止された江戸時代に時代設定をした小説だった思いますが、
今の乾闥婆 さんのお役に立つような気がいたします。

550 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/02/28(土) 00:35:34 ID:???
>>547 滝山さん
おそらく、仏教が発生し、発展し、さらには、今日のように学問的・客観的・批判的把握がなされるようになった
という事を言っていらっしゃるのではないでしょうかね?

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 00:40:19 ID:41Crp+6j
>>540
宮元啓一氏は考古学者というより哲学者です。
翻訳というよりも、ブッダ思想について己の経験も踏まえ論述するかたです。
対して中村元氏は哲学者ではなく考古学者寄りの存在です。
素直にそのまま読めば中村氏の読解になると思いますよ。
前後の文脈踏まえてもそうなるのは必然でしょう。
宮元氏の著作を読むと、あくまで彼は仏教思想を構築しようとしているのであって
それに添って記述の意味を解釈しているように思います。
一般書レベルではなく中村氏の海外の研究者の論文などを引用しまくりの書を見ていけば
中村訳は文句付けられないと思います。

あなたの場合、創価学会信者ゆえに、題目信仰を正当化させたいだけに見えるんですよね。

552 :滝山:2009/02/28(土) 00:52:48 ID:???
>>551
>あなたの場合、創価学会信者ゆえに、

ご自分で認知バイアスにかかりまくってることを
お認めになるというわけですね。愉快な方です。


あなたは何か色々書いていますが、
551では何も語られていません。
そのことをご自身で理解されているのでしょうか?
私は宮元と中村、どちらが妥当かはわからないと書いています。
宮元の批判に対する反論を見たことが無いからだと書いてもいますね?
あなたが書くべきことはそれ以外に何があるのですか?

権威からの論法は無駄です。
それを有効だと考えていること自体が、
あなたにとってそれが信仰である証拠でしょう。
クリティカルな思考がないことをあなたは
言葉を重ねる毎に自ら証明してしまっていますよ。

553 :滝山:2009/02/28(土) 00:58:32 ID:???
それと何故、
>あなたの場合、創価学会信者ゆえに、題目信仰を正当化させたいだけに見えるんですよね。

と考えるのか理由を確認したいですね。
説明してください。

554 :滝山:2009/02/28(土) 12:32:59 ID:???
>>550 法律ヲタさん
うーん、
「一粒で二度美味しい」みたいな感じですかね。
本人のレスを待ちたいところです。

乾闥婆さんの
「虚無感を抱え込んで人生を生きていかざるを得ない」という見解を
俺は個人的には別に悪いともいいとも、帰る必要があるともないとも
言おうとは思わないですね。
生きているのか死んでいるのかわからないような人生に対して
肯定的に捉える見方があってもいいのではないかと思っています。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 18:43:52 ID:???
>>551
文献学と考古学はまるきり別の学問なんだが。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 21:12:00 ID:???
>>555
ゆえにここで論じても(ましてや長文連投する輩においては)失笑を禁じえずネタスレと思えばよし。

557 :滝山:2009/02/28(土) 22:48:34 ID:???
>>555
正確ではなくても意味は伝わるので、それはいいと思います。
問題なのは「信仰を捨てよ」ということ、
「信仰を捨てよ」といったゴータマを信仰しているところにあります。

私は「信仰を捨てよ」とは言いません。
そんなことを言っていたら、世界の多くの人と仲良くなれませんし、
信仰を捨てること自体がそんなに楽なことではないからです。

ゴータマがどう言ったかなんて本当はどうでもいいことなんですが、
>>544のひゃっきまるが言っているようなことは
551の人も同じようなものなのかもしれませんが、
結局は本質論であるわけですから、信仰しているも同然でしょう。
実はあまり変わって無いわけです。

信仰を批判しようとは思いませんが、
自分が何を言っているのかは分かっていてほしいと思います。

558 :滝山:2009/02/28(土) 23:41:13 ID:???
訂正。
>信仰を批判しようとは思いませんが、
 ↓
信仰を否定しようとは思いませんが、

559 :523:2009/03/01(日) 02:12:10 ID:???
>>528ひゃっきまる
「スッタニバータ」読ませてもらいました。有り難うございます。

この経は今に言う折伏みたいな物ですね。(バラモン教に対する)。
南伝仏教の解釈、北伝仏教解釈などなど有りまして、よくよく仏教は難解な
学習と思います。

560 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/01(日) 14:45:57 ID:???
>>554 滝山さん
「一粒で二度美味しい」ですか…。
まァ、私の理解が美味しいのかどうかは分かりませんけれど、>544でひゃきまるさんが述べているように
(もともとは、ひゃっきまるさん御自身ではなく、あくまでも乾闥婆さんの問題であるわけですが)「信仰心を
植え付けられ」・「その信仰を失」い・「虚無を抱え込」む「人生」という事を「結局、人類史におけるイベントを
一代の中で追体験したということになる」と見るのだとすると、そのような事なのではないかと私は思うの
ですけれど…。   (必ずしも“仏教”に限定する必要はないでしょうが、キリスト教などの場合も類似した
流れを見る事は可能だと思います。)

561 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/01(日) 14:48:17 ID:???
>>556
そのレスって、この“スレッド”全体を「ネタスレ」として問題としたものと解されますが、そうだとすると、
アンカーを付けているレス>555の内容と、どうして「ゆえに」とつながるのですか?
本来なら、(個人的には、歴史学とした方が良いのかもしれないと思っているけれど、)「文献学」と
「考古学」の区別をしていないレスだけの問題ではありませんか。
“なぜ”それが、スレ全体の問題となるのか説明してください。
それ無くしては、アナタのそのレスこそが、“失笑を禁じえないネタレス=hにすぎないという事になるでしょう。

562 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/01(日) 14:51:53 ID:???
このスレの話題にとっては余談ですが、昨夜NHKが白洲次郎氏の人生を題材としてドラマを放送しました。
白洲次郎氏は、先にこのスレで採り上げる結果となってしまった日中戦争当時にも、あまり表に登場する
事はなかったわけですけれど政界の裏で活躍した人物でもあり、そのような意味では、このスレともまんざら
無縁でもなくなっていると強引に関連付ける事で雑談をお許しください。

ドラマを見ていて幾つか気になった事があったのですが、その内の最大のものに明らかな時代考証の
間違いであろうと思われるものがあって、家庭において白洲次郎氏の子供が出てくるシーンがあるのですが、
時代は戦前であるはずなのに、子供の玩具として座れるように作られた木製のジェット旅客機と思われる
ものが出てきたのです。
機体前部や翼にプロペラと思われるものは存在せず、機体の後部に四発のジェットエンジンを模したと
思われる円柱状のものが付いており、翼も一般的なプロペラ機とは異なって後退角(と言うのかな?)が
つけられたように見えるものであって、更に、水平尾翼が直接機体からではなく垂直尾翼に取り付けられた
ものだったのです。

563 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/01(日) 14:53:31 ID:???
(レス>562の続き)
その他にも、そもそも正誤として扱うべきものであるのかは問題があるのですけれど、白洲氏の妻である
白洲正子さんが“仕舞”を舞うシーンがあるのですが、この流派(と表現すべきか問題ですが)は、おそらく
本来ならば幼くして正子さんが師事したはずの観世流(の傍系である)梅若派によるべきなのではないかと
思うのですが(なお、後に喜多流の能楽師と関与しますが、この頃は、梅若派のはずです。)、曲目が“羽衣”
である事は分かりまして、それ以上には私の知識では明確かつ断定的な判断はできませんが、ただ、ドラマ
のあのシーンは違う流派による可能性が高いのではないかと疑問は感じました。 (疑問に何の根拠も
ないと言うわけではないのですけれど、外部に表明するほど明確なものでもありません。)
(白洲正子さんは能に関する数々の著作を行っており、私は、彼女が白洲次郎氏と御夫婦である事よりも
先に、そちらの分野で白洲正子さんの存在を知りました。)

細かい点ではそのように気になる点がないわけではないのですけれど、ドラマ全体としては面白いですし
(確か3回続くドラマのはずで、まだ第1回目にすぎませんが)、ドラマの筋として実際の歴史を無視している
わけでもないと思われ、続きに期待もしていまして、今後、終戦(敗戦)から戦後を扱う事で、白洲次郎氏の
活躍は輝きを更に増して描かれることでしょう。
何と言っても、白洲氏の活躍で一番の光を放つのは、終戦後に行われたGHQなどとの折衝の過程です。
そして、その中の日本国憲法制定に到る過程においても(この点でも、表面上彼の名前があがってくる事は
少ないと思いますが)、GHQとの関係で白洲次郎氏の関与を忘れる事はできないものと思われます。

564 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/01(日) 14:56:27 ID:???
(レス>563の続き)
ところで、押し付けられた憲法と評されることの多い現行の日本国憲法ですが、その点に関しては、(今後
ドラマの中でどう描かれるのは不明ですけれど)白洲氏も忸怩たる思いを抱いていたようです。
ただ、それでは、いわゆる改憲論者じゃなのかと言うとそう言うわけでもなく、評価すべきは評価するという
立場であって、戦争放棄を定めた第9条など、制定の過程がどうであれ良いものは良いとしています。
白洲氏の言うところの“principle”なるものを重視し、それに従って現実を判断する、という事なのでしょうね。

さて、ここら辺を次への伏線として、いったん中断し、続いて前に述べていた日蓮信仰とキリスト教などの
問題(レス>517)について述べたいと思ってはいるのですが、どうなりますか…。
(少しやらなければならない事がありますので、ともかく終わります。)

565 :ひゃっきまる:2009/03/01(日) 15:51:39 ID:???
>>546 雪山童子さん

>なんて読むのかわからなかったので申し訳ありません。

もしかしたらあまり興味ないことかも知れませんが、ちょっと解説します。

乾闥婆(ケンダツバ)というのは、法華経には釈尊の説法を聞きに来た人以外の種族の一つとして登場します。
法華経は(というより仏教は)人だけではなく、この世のあらゆる存在に対して説かれたものとして描かれています。
乾闥婆は香を食べる音楽の神様ということですから、法華経の華やかな雰囲気を演出するのに一役かっているかもしれませんね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ガンダルヴァ
============
ガンダルヴァは、ヒンドゥー教の神の一柱。
(略)
梵語では「変化が目まぐるしい」という意味で魔術師も「ガンダルヴァ」と呼ばれ、蜃気楼の事をガンダルヴァの居城に喩え「乾闥婆城」と呼ぶ。
(略)
仏教では乾闥婆(けんだつば)と呼ばれ、天竜八部衆、また四天王眷属の八部鬼神の一つである。
============

http://ja.wikipedia.org/wiki/八部衆
============
八部衆とは8つの種族という意味である。
(略)
天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩?羅伽衆の8つを指す。
(略)
法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆を「非人」として名が連ねられている。
============

566 :ひゃっきまる:2009/03/01(日) 15:52:24 ID:???
>>547 滝山
>>550 法律ヲタさん
>>560 法律ヲタさん

おおまかには法律ヲタさんの解釈されたようなことが言いたかったわけですが、一応僕の言葉で言い直すことにしましょう。

神話的な世界観に基づく信仰というものが、近代の知や合理主義といったものによってそのままの形の信仰として存続していくことが不可能になり、強い葛藤や思索を余儀なくされた。

そして、今現在、信仰無き世界において人がどう生きるのか、大きな課題を突き付けられている。

こうしたことは、法律ヲタさんがおっしゃるように仏教に限定された話ではなく、むしろ西洋史における科学革命以後から現代に至る数百年の間におこった世界観の変化、哲学の発展などに似ているとみなすことができると思っています。

僕が「貴重な体験」と言ったのは、かつて味わった「葛藤」の部分であったり、現在直面している「虚無感」の部分を指しています。


567 :滝山:2009/03/01(日) 22:26:10 ID:???
>>546 雪山童子さん
テキストをコピー&ペーストすれば
読めない文字でも打てますし、
googleなどで検索すれば読みや意味を
自分で調べることもできます。


>>566 ひゃっき
なるほどね。
解説してくれてありがとう。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 00:03:10 ID:???
なあ、日蓮って本当に正しいのかな?

569 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/02(月) 09:34:27 ID:???
>>568
日蓮の「想い」や「人となり」が正しかったのか、間違っていたのか、
私にはわかりませんが、日蓮の「教え」の多くの部分は間違っています。
その意味で日蓮は正しくありません。呪文を唱えても、それが原因で病気が
治ったりはしません。特定の経典や僧侶を非難したことが原因で手足が曲がったり、
歯が抜け落ちたりもしません。それらの教えは原因と結果の捉え方に大いなる誤りを
抱えており、その誤りは「教え」の根幹に深く突き刺さっています。

日蓮が生きた時代精神を鑑みれば、人々はそういった「妄想」を現代よりも
信じ込みやすい状況にあったと評価できますが、その内容は当時においても
現代においても、この世界の真実・事実を表してはいないのです。

570 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/02(月) 09:35:30 ID:???
(>>569からの続き)
私は日蓮の人となりをあまりよく知りませんが、もし日蓮がこの現代に生きていたら、
それでも日蓮は法華経を強く推すのだろうかと思わずにはいられません。
私は日蓮は「熱い」人だったのではなかろうかという印象を持っています。
もし日蓮が現代に生きていたら、法華経ではなく科学体系の啓蒙に励んでいたかも
しれません。特定の呪文を唱えれば病は消滅するというのは気休めにすぎないと、
法華経の名前と身命を捧げるという言葉(南無)を合わせて唱えるべきだという考えの
根幹が真実・事実としては間違っていると断じていたかもしれません。
五時八教説ではなく、二重盲検法の重要性を説いていたかもしれません。
神秘主義的な考え全般をある種の合理主義的立場から強く批判していたかもしれません。
その批判がいきすぎて、とても排他的で偏った内容の宗教全般に対する非難に発展し、
辻説法ならぬ、宗教非難の街頭演説をしていたかもしれません。

571 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/02(月) 09:36:26 ID:???
(>>569からの続き)
もちろん、これは戯れの想像にすぎませんし、個人の人生の内容は様々ですが、
人とはそういうものではなかろうかと私には思えます。この戯れの想像にすぎない
日蓮「もまた」いろいろな「想い」を抱いて行動し、いろいろな側面を持った
「人となり」を滲ませています。関連する情報が残り続けるという意味において、
日蓮はこれからもこの世界に強く生き続けるのでしょうけれど、
「絶対に正しい日蓮」なる人物に私はあまり魅力を感じませんし、
好人物だとも思えません。

アメリカ原住民の教えに、生まれる時はあなたが泣いて周りが笑っていたが、
死ぬ時はあなたが笑って周りが泣くような、そんな人生を生きなさいというものが
あるそうです。私はこうも想像します。業病思想を説いた日蓮は病に倒れ死に臨み
「本当は」いったい何を想ったのだろうかと。

572 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/02(月) 13:47:31 ID:???
>>541 滝山さん
>「妄想」というものについての共通見解が
>得られていなかったように思われます。

妄想というのは、根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念のことです。

>ですからこれは「病気が治る」という信仰が
>妄想にあたるのか否かをまず議論したほうが
>よかったのではないでしょうか。

民間療法であっても医学的に大きく間違っているわけではないものもあります。
経験則として「正しい」内容で真実・事実としての知識が積み重ねられてきた場合は、
(基本的に)現代の医学的な知識とそう変わらないものだと評価することができますし、
医学的に見直され、医学体系に取り入られるものもあるでしょう(逆に大きな問題を
抱えている場合が多いので、安易に支持する趣旨ではありません、念のため)。

他には、ストレス性の病気の場合、信仰によって心が(一時的にであれ)安定し、
それが治癒に繋がることもあります。ですが、「病気が治る」というのが
「信仰」であるとすれば、それは妄想の可能性が高いと思われます。

573 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/02(月) 13:52:39 ID:???
(>>572からの続き)
人は真実・事実を「信仰」したりはしないのです(もっとも、そもそも「信仰」とは
いかなるものなのかという点について大いに議論の余地はあるでしょうけれど)。
先験的な議論(或いは啓示や権威に頼った議論)には懐疑的であれというのは、
一般的な認識論の原理・原則の一つです。

信仰とは、経験や知識を越えた存在を信頼することです。神や仏を信じ崇め、
心の安らぎを得ることです。「全知全能」という矛盾を抱えた人格的存在や
超自然的存在や、「完全な」真理を会得している存在を現実的なものとして
信ずるに足る根拠はありません。そういった存在(や、それに依拠した体系)に
自覚的に身を委ねるのは自由ですが、そのことによって病気が治るという判断内容
(或いは命題)は真実・事実を表したもの(或いは物事の理解)としては誤りです。

「病気が治る」という「信仰」が妄想でないのだとすれば、個人的な趣味というような
ことを別にして、いったい医学に(真実・事実についての理解という点において)
どんな意味があるというのでしょうか。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 17:04:04 ID:???
諦めるよりは希望をもったほうが幾らかはよい効果が期待できる。
また癌でも自然退縮、自然消滅はある。発見した癌をわざと放置することはないから、
自然治癒率は現在推定されているよりは高い可能性もある。
自然治癒した人の一部には何らかの信仰や根拠がないとされる民間療法を行っていた
人がいるはず。するとこの人たちは信仰や民間療法によって治癒したと信ずるだろう。
新興宗教の顕著な体験談はそれが真実であればこうした珍しいケースと考えられる。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 17:45:34 ID:???
>>573
> いったい医学に(真実・事実についての理解という点において)どんな意味があるというのでしょうか。
こんな単純なこともわからんのか?
病気になるのが自分なら、病気を治すのも自分。
医学は、その手助けをするに過ぎない。

576 :滝山:2009/03/02(月) 21:22:38 ID:???
>>573
信仰が妄想だという認識の者同士であれば議論として成立し、
信仰が妄想だという認識とそうではないという認識の人達が
議論しようとしても、それは成立しません。
私はそういうことを言っているだけですね。

577 :乾闥婆:2009/03/02(月) 22:59:33 ID:???
>>544
ひゃっきまるさん

>そんなふうに「これから」のことを決めつける必要はないと思いますよ。

現段階での実感ですね。そのようなありありと感じられる虚無は自分でコントロールでき
るものではないので、決めつけているというよりも、いかんともしがたい事実です。ただ、
悲観してはいないのです。このような虚無感に寄って立ち、生きていられることはある種
の強さですから。それは誰にでも経験できることでは確かにありませんね。虚無ほど強い
精神状態はないのかもしれません。どちらにしても後戻りはできないところにまで来てい
るので、それを悔いることもありません。ただふと信仰を持っていた頃の自分に懐かしさ
を覚えるくらいでしょうか。

>>546
雪山童子さん

>妄想糞坊主、この言葉をみて見ぬふりをせず、いっぽも引かず闘った姿は、ロムらせてもらってましたが
勇気を頂きました。

言葉は誰でも平等に使うことができます。私は私の中の想念と整合性が保てない発言に対
して、言葉を使って批判をしただけです。雪山童子さんも思うところがあれば、言葉を使
って述べていけばいいと思います。

578 :乾闥婆:2009/03/02(月) 23:00:11 ID:???
>>549
法律ヲタさん

遠藤周作は『白い人・黄色い人』『海と毒薬』『沈黙』を読みました。『沈黙』は逆説的に神
を肯定してゆく筋書きではないでしょうか。私はそういうところはもう通り過ぎていると
思います。

>>554
滝山さん

>「虚無感を抱え込んで人生を生きていかざるを得ない」という見解を
俺は個人的には別に悪いともいいとも、帰る必要があるともないとも
言おうとは思わないですね。
生きているのか死んでいるのかわからないような人生に対して
肯定的に捉える見方があってもいいのではないかと思っています。

まあ、いい悪いではなく、それが事実であり、私に帰るところはありません。
このような虚無こそ、私なりの人生肯定です。

579 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/02(月) 23:35:58 ID:???
>◆Bwr5tJDUMcさん
“有朋自遠方来 不亦楽乎”   (論語 学而篇より)

  申し訳ない事に疲れておりまして、今日はこれをもって御挨拶とさせてください。

580 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/02(月) 23:45:24 ID:???
>>578 乾闥婆さん
そうですか、既にお読みになっていらっしゃいますか。
「『沈黙』は逆説的に神を肯定してゆく筋書き」と表現するなら、遠藤周作氏の意図としては、その通りでしょうね。
私としては、そのような意図でおすすめしたわけではないのですけれど…。
力強く生きるだけが人生ではないですよ。
人それぞれ、様々なことがありますからね。

581 :滝山:2009/03/03(火) 02:04:41 ID:???
>>578 乾闥婆さん

「帰る」は誤変換で「変える」でした・・・(滝汗

582 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 02:44:13 ID:???
>>576 滝山さん
庭に緑色の妖精がいるというのが妄想だという認識の者同士であれば
議論として成立し、庭に緑色の妖精がいるというのが妄想だという認識と
そうではないという認識の人達が議論しようとしても、それは成立しません
(或いは成立しないことが多い)。私もそう思います。

その大きな理由の一つは、客観的・合理的に物事の在り様を理解できる者と、
事実よりも願望に基づいて考える強い傾向をもつ者とでは話が
かみ合わないからです。

鎌倉時代の人達が妄想を真実・事実を表したものだと信じていたとしても、
日蓮が呪文を唱えれば病が消滅するという信仰(これは信仰内容の一部ですが)を
持つことが「道理」として正しいことだと判断していたとしても、
当時においても現代においても、その根幹には大きな誤りが含まれています。

583 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 02:45:26 ID:???
(>>582からの続き)
呪文はプラシーボ(「偽」薬)にはなり得ますが、「呪文で病気が治る」
わけではありません。また、その昔、多くの人が根拠があるかのように思って
いたから、当時においては妄想ではないということになるわけでもありません。
当時においても現代においてもそれは妄想なのです。

大地は平らで海の端は滝になっているという「誤った」信念を昔の人が
持っていたとしても(それは致し方ない側面が多分にあるでしょうけれど)、
当時においても現代においてもそれは妄想であり大地は丸いというのが
真実・事実なのです。もし、私がその昔に生きており、そう信じ込んでいる
大人達に育てられていたとしたら、私もその妄想を真実・事実を表した
ものとして受け入れていたかもしれないとは思いますが、現代に生きる私は
現代の知識をもとに(そして幸運にも幼少時にある種の強い教化を受けている
わけではないので)歴史上の人物の主張内容が妄想なのかそうではないのかを
判断することができます。

584 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 02:46:28 ID:???
(>>582からの続き)
「病気が治る」というのが「信仰」であるならば、それは妄想でしょう。
私は、信仰(或いは宗教体系)というものは有用なものが誤作動をした結果の
副産物という考えを支持しています。

それが妄想ではない(或いは妄想と表現してはいけない)という議論を
展開すれば、医学に真実・事実としての意味がなくなってしまいます。
極端な相対主義が頭をもたげることになるでしょう。なんでもあり、
なんでも正しいという。或いは、その裏返しの極端な懐疑主義、虚無でしょうか。

ともかく宗教は「病気が治る」ことについての客観的で合理的な判断基準を
提供してはくれないのです。だから私は病気になったら近所の寺社仏閣に
「診察」を目的に行ったりはせずに、病院へ行きます。

585 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 02:47:31 ID:???
>>579 法律ヲタさん
お久しぶりです。そう法律ヲタさんに言って頂けるのは、
私にとってとても嬉しいことです。

「友人の自由な会話は、いかなる慰めよりも私を喜ばす」
(デイヴィッド・ヒューム、「ラムジィ宛の書簡」より)

586 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2009/03/03(火) 08:47:43 ID:???
>>585 >◆Bwr5tJDUMcさん
こちらこそ、嬉しいです。

しかし、ヒュームですか。  >◆Bwr5tJDUMcさんらしいと感じますよ。
このスレは、そもそも私にとって敵対的にレスをするような内容のスレではなく専らROMをしていただけ
だったのですが、少し書き込ませていただいたら思わぬ方向に話が展開しまして…。

ともかくも、今後ともよろしくお願い申し上げます。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 11:23:19 ID:???
あ、蛙に勘当されたB君じゃないか
お久しぶり〜^^

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 12:18:06 ID:???
友人の自由な会話、だったら嬉しいんだけどな。
蛙さんは焼きスレでBwr5は俺様の掲示板に多大な迷惑をと言い放ち
会話が成立しないからアクセス禁止の処分のペナルティを与えたってさ。

Bwr5さんもお客さんなんだからあの調子でダラダラ長文貼り付けたら
蛙さんの迷惑になるって考えなくちゃ(藁   な?

589 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 13:56:58 ID:???
>>586 法律ヲタさん
「妄想」という批判を気にする人がちらほらいるのが私には気になります。
昔であろうが現代であろうが信念・判断の内容に明らかな誤謬が含まれている
(つまりは妄想)と評価すること自体は特におかしなことではないですし、
信仰(宗教体系)の根幹は妄想によって(もちろん熱狂・熱情・その他によってとも
言えますが)支えられているものですが、「その点において(そういった妄想を
人々がより信じ込みやすい状況にあったかどうかというような点ではない)」
真実・事実であると断じられていた内容が、実は「妄想にすぎないものだ」と
評価することは、歴史的背景を鑑みない表面的で薄っぺらな批判に堕するわけは
ないですね。なのに、妄想という批判を気にする人が、熱狂・熱情(人の感情
ということなのでしょうか・・・)を重んじろとでもいいたげな、明後日の方向へ
ボールを投げるのはどうしてなのか、少々首を傾げてしまいます。
(たぶん「糞坊主」という部分が気になったのでしょうけれど、もしそこに
重点をおきたいなら、妄想という批判についての反論部分はこじつけも
いいところです。)

590 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 13:58:16 ID:???
(>>589からの続き)
時に社会を大きく変動させることもある宗教的熱狂という点に注目するのも
一つの視点ではありますが、そこに注目したからといって(或いは人の感情を
考慮したからといって)地「球」が平らになるわけでもないわけで、
(そして日蓮の業病思想の内容が正しいということになるわけでもない)
真実・事実なのか否か(その真偽は?)という点においては、やはり妄想に
すぎません(或いは「すぎない」という表現が癪に障るのかもしれませんね、
妄想も人の「想い」であり云々ということなのでしょうか・・・私には
よくわかりませんが)。

また「病気が治る」という「信仰」が妄想にあたるのか否かをまず議論する必要が
あるのではという提案は、つまるところ提案主は「信仰」の根幹に妄想が横たわって
いない場合が十分あり得るとでも思っているのだろうかと、ここでも少々首を
傾げてしまいます(信仰という概念について議論の余地はあるとは思いますけれど)。

病気の診断・治療について、客観的・合理的な判断基準を宗教体系は提供できないが、
医学体系は提供できることの意味について(つまり科学の合理性について)まずは
議論しましょうというのと同じような提案になっていることに気付いていないのか、
それとも「本当に」まずはそこを議論すべきだと信じて(?)いるのか。

と、まぁ、私はそのようなことが気になったもので、久しぶりにレスをしてみた
次第です。そういった私のレスもひょっとすると「敵対的」ということになる
(或いはそう受け取られかねない)のかもしれませんが、もしそうであれば
私としては残念なことです。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 14:20:47 ID:???
>◆Bwr5tJDUMc

・自分が悪文であるという自覚を持ちましょう
・悪文は読み手に苦痛を与えることを知りましょう
・書き終えてから三回は読み返して推敲しなさい
・()をできるだけ使わずに文を作りなさい
・長い文は複数の文に分けなさい
・主張内容をはじめに箇条書きにして提示することをおすすめします

592 :乾闥婆:2009/03/03(火) 14:21:35 ID:???
>>582-584
>◆Bwr5tJDUMcさん

何度も法律ヲタさんへの批判として述べてきたことなので繰り返しとなりますが。

>また、その昔、多くの人が根拠があるかのように思って
いたから、当時においては妄想ではないということになるわけでもありません。
当時においても現代においてもそれは妄想なのです。

妄想であるとの判断が成立するためには、社会通念からの逸脱という観点は不可欠なので
はないでしょうか。社会とはその時代の人間が現に生きたその場です。その社会の中であ
る程度の規模での共通認識が成立していて、その共通認識から何の根拠もなく逸脱した主
張をくり返すから妄想と呼ばれるはずです。では、日蓮が生きた時代において、病気平癒
祈願が当時において妄想と判断されなければならない根拠はどこにあるのでしょうか。ま
た経典が釈迦一代の説法であるとされ、仏教が当時の宗教上の権威的存在であったことを
考え合わせて、経典から文言を引用しつつ主張がなされることが当時において妄想と判断
される根拠はなんなのでしょうか(もちろん経典は釈迦一代の説法ではなく、その経典間
の整合性は当時においても破綻してはいますでしょうが)。現代において、鎌倉時代の社会
通念は通用しませんから、それらの主張が今なされれば当然妄想です。鎌倉時代において
も妄想と判断される社会通念が当時において成立していたとする根拠を示してください。
示していただければ、それらの宗教的主張が当時においても妄想であったことに同意いた
します。

593 :乾闥婆:2009/03/03(火) 14:22:19 ID:???
(続き)
>鎌倉時代の人達が妄想を真実・事実を表したものだと信じていたとしても、
日蓮が呪文を唱えれば病が消滅するという信仰(これは信仰内容の一部ですが)を
持つことが「道理」として正しいことだと判断していたとしても、
当時においても現代においても、その根幹には大きな誤りが含まれています。

この文章に関しては概ね支持します。ただしより正確を期するのであれば「鎌倉時代の人
達が(現代から見て)妄想(である事柄)を真実・事実を表したものだと信じていたとし
ても」と書くべきでしょう。しかし「その根幹には大きな誤りが含まれて」いることには
違いありません。

>それが妄想ではない(或いは妄想と表現してはいけない)という議論を
展開すれば、医学に真実・事実としての意味がなくなってしまいます。
極端な相対主義が頭をもたげることになるでしょう。なんでもあり、
なんでも正しいという。或いは、その裏返しの極端な懐疑主義、虚無でしょうか。

鎌倉時代の社会通念は現代とは違うので妄想というに妥当しないといっているだけであり、
現代からすれば妄想ですから、医学に意味がなくなることなどありませんね。日蓮にした
ところで当時の医療を否定したわけではないでしょう。いずれにしても、この文章が私の
法律ヲタさんへの批判に対する反論ではないのでしたら、スルーしようと思いましたが、
「極端な相対主義」「極端な懐疑主義、虚無」といった言葉も散見され、それが私に対する
批判であるとするのであれば、誤解を説くべき必要もあろうかと書かせてもらいました。

594 :乾闥婆:2009/03/03(火) 14:22:55 ID:???
>>573
>◆Bwr5tJDUMcさん
>人は真実・事実を「信仰」したりはしないのです(もっとも、そもそも「信仰」とは
いかなるものなのかという点について大いに議論の余地はあるでしょうけれど)。
>信仰とは、経験や知識を越えた存在を信頼することです。神や仏を信じ崇め、
心の安らぎを得ることです。

信仰を持つ人はその対象となる教えを真実であると思うのではないでしょうか。ですから、
現代において、多くの信仰は不可能な段階にきていると思います。もし、その信仰を真実
として支持することに急となればカルトとなるほかないでしょう。真実ではないと思って
信仰を維持しようとすれば、そのような信仰はいずれ解体されてゆくことでしょう。少な
くとも私はそうなりました。

595 :乾闥婆:2009/03/03(火) 14:23:22 ID:???
>>576
滝山さん
>信仰が妄想だという認識とそうではないという認識の人達が
議論しようとしても、それは成立しません。

そういう観点で言えば、私は、信仰は現代において妄想であると考えていると思います。
ただ信仰が妄想ではなかった時代もあると言ってきたに過ぎません。私が法律ヲタさんに
主張していたのは、歴史的事項や歴史的人物は歴史的に見なければならない、ということ
に尽きます。

信仰を現代において維持することの困難は想像を絶します。私にはできませんでした。そ
のことを実践できる人には畏敬の念を覚えます。日蓮を妄想糞坊主と呼ばない所以です。

>>581
>「帰る」は誤変換で「変える」でした・・・(滝汗

創価学会の世界観に帰る、ということを言われているのかと思いました。それは無理です、
という意味で、「私に帰るところはありません」と書いてしまいましたが、まあ、「変える」
であっても、同じことかもしれませんね。変えられないところに来てしまいました。

596 :乾闥婆:2009/03/03(火) 14:27:56 ID:???
>>580
法律ヲタさん
>力強く生きるだけが人生ではないですよ。
人それぞれ、様々なことがありますからね。

強さというものは、一概には測れないものではあります。『沈黙』で描かれた棄教もある種
の強さといっていいかもしれません。信仰を捨てる強さも、維持する強さも、それぞれあ
ることでしょう。

597 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 15:44:31 ID:???
>>592 乾闥婆さん
そこで乾闥婆さんが展開しておられる議論は概ね精神疾患か否かといったような方向の
議論になると思われます。

私が確認したのは日本語と英語ですが、双方共に、誤った信念という意味と、
精神障害の一症状という意味が辞書に記載されています。妄想という概念は
精神疾患の症状を表す専門用語だと受け止めている人もいますが、そうでは
ありません。前者の一般的な意味もあり、そして、精神疾患の一症状でも
あるのです。(乾闥婆さんが明確に精神疾患ということを気にしているという
話をしているわけではありません。議論の方向性が似ているということです、
念のため。)

>妄想であるとの判断が成立するためには、社会通念からの逸脱という観点は不可欠なので
>はないでしょうか。

社会通念から逸脱した妄想は精神疾患として診断される場合も多いことでしょう。
(それだけで、即座に精神疾患と診断されたりはしませんよ)ですが、一般的で
伝統的な信仰・宗教体系に見られる妄想は、精神疾患と診断されることは
(あまり)ありません。それがなんと呼ばれるかはご存知ですよね?
既にすぐ前で述べているように、信仰・宗教と呼ばれるのです。

「ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。
 多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる」
(ロバート・M・パーシグ「オートバイと修理技術」より)

598 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 15:46:00 ID:???
(>>597からの続き)
>その社会の中である程度の規模での共通認識が成立していて、その共通認識から
>何の根拠もなく逸脱した主張をくり返すから妄想と呼ばれるはずです。

残念ながらそうではないのです。妄想という概念は、社会の中である程度の規模での
共通認識自体に根拠がない場合にも当てはまります。本当は、判断・推論としては
成り立たないが、その昔、十分に成り立つと多くの人に信じられており、しかも
社会通念としても広まっていたからその信念に「誤り」などないとは言えません。
そういう状況下においては、そういった誤った内容の信念を持つのも致し方ないし、
その当時は正しい(特に誤りは含まれていない)と広く信じられていたということと、
その信念にきちんとした根拠があるか否かは別の話です。

乾闥婆さんは自身が提示しておられる意味に限定される「はず」だと論点を
先取りしておられますが、既に何度も「一般的な」定義として通用する内容を
紹介しているように、妄想とはそういった意味に限定されるものではありません。

599 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 15:47:12 ID:???
(>>597からの続き)
>鎌倉時代においても妄想と判断される社会通念が当時において成立していたとする
>根拠を示してください。示していただければ、それらの宗教的主張が当時においても
>妄想であったことに同意いたします。

既に説明したように、「社会通念が当時において成立していたとする根拠」が必要に
なるわけではありません。そういった「誤った内容の信念(つまり妄想)」を
信じるのも当時の時代精神を鑑みれば致し方ないでしょう。乾闥婆さんは致し方ないのに
何が誤りだというのだ?という方向で妄想という評価に異を唱えておられることに
なるわけですが、その信念の内容が真実・事実としては誤りだと、その根拠が
根拠足り得ないと、そういう問題なのだと、こちらは指摘しているのです。

もし、この論点において多くの人が信じているからということが根拠として
通用するという反論を展開するのであれば(既にそういった反論を展開しておられる、
或いは片足を突っ込んでおられますが)真実・事実は数の論理によって
決定されるものであるという趣旨になってしまいます。科学的素養に大きな
問題ありということにもなってくるわけです。昔、大地は平らだったけれど、
多くの人が実は丸いと信じるようになった「から」、それが真実なのだということには
なりません。

乾闥婆さんは、「妄想」(たぶん「誤り」も)といった表現を一般的な意味よりも
限定した内容で使用しておられるようです。辞書や実際の使用例を調べてみて下さい。
私は無理に言葉の取り合いをしているわけではありません。

600 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 16:14:13 ID:???
>>593 乾闥婆さん
>「極端な相対主義」「極端な懐疑主義、虚無」といった言葉も散見され、それが私に対する
>批判であるとするのであれば、誤解を説くべき必要もあろうかと書かせてもらいました。

乾闥婆さんの見解が明確な形でそうであると批判しているわけではありません。
先に述べたように真実か否か(その真偽・内容の正誤)の問題として、妄想という表現の
意味の捉え方とも関係して、仮に多くの人が信じている「から」「誤った」信念とは
言えないというのであれば、極端な相対主義にどっぷり浸かっていることを意味して
きます。(たぶん「誤り」という概念について見解の相違があるだけで、極端な
相対主義を支持する趣旨ではないのだろうと私は受け止めています。)

私が述べている「虚無」というのは、たぶん乾闥婆さんがおっしゃる「虚無感」とは
違うものだと思います(多少は重なる部分もあるかもしれませんが)。

信仰と恋愛には多くの類似性があります(乾闥婆さんは日蓮に恋をしていたと断じる
趣旨ではありません、念のため)。恋人に裏切られたら、或いは(大)失恋をしたら、
きっと何らかの「虚無感」や「喪失感」が尾を引くことも多々あるでしょう。
この世界には何の意味も価値もないと感じることもあるでしょう。こういった感情と
多少は重なる部分があるにせよ、(実は)この世界には何も存在せず空虚というのが
真理だと哲学的な思索に耽るのとは違うものであろうと私は考えています。そして、
乾闥婆さんがおっしゃる「虚無感」とは、前者に近いような感覚なのでは
なかろうとかというのが私の想像です。

極端な相対主義と極端な懐疑主義は裏と表の関係であり、懐疑主義を徹底すれば
虚無(論)に行き着くことも多いのです。そして信仰(或いは宗教)というものの
合理性が問題となる論点において、不合理とは言えないという論を展開する場合、
極端な相対主義に陥る場合が「多い」(必ずというわけではありません)のです。
そういうお話です。

601 :超弦道士:2009/03/03(火) 16:22:53 ID:???
妄想
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%84%E6%83%B3
は精神病などの原因によって生じる不合理な信念をいいますから、
古代人の世界認識には「誤謬」があったというべきでしょう。

古代には洋の東西を問わず、人事と自然がマジカルに相関しているという思想が
ありました。古代の宗教には呪術が含まれていました。近世になると呪術は科学と
して独立し、宗教は「信仰のみ」(sola fide)の神学に移行して行きます。

「信仰のみ」の仏教は日本では法然、親鸞によって唱えられました。対して日蓮は
鎮護国家を復興しようと志し、彼の思想にはマジカルな自然観が含まれています。
しかし日蓮の場合でも『四信五品抄』には「信仰のみ」の思想があらわれており、
宮田教授が述べているように、大石寺日有などは更に純粋な浄土教的sola fideへと
日蓮教を再解釈しました。
「信仰のみ」の神学は宗教と世俗を分離し、文明の「世俗化」を進行させました。

602 : ◆Bwr5tJDUMc :2009/03/03(火) 16:49:49 ID:???
>>601 超弦道士さん
精神疾患の特徴に限定する言葉などという趣旨のことは、そのページには書かれて
いませんよ。辞書や同じような内容の議論が紹介されている書籍からの引用など
羅列してもかまいませんが、私は信仰に関して妄想という概念を適用すべきでは
ないという見解には賛同しかねます。そういった主張は、一般的に妄想という言葉が
使用される場合(つまり精神疾患というわけではない非現実的な空想に対してなど)
差別だということにもなりかねません。私は言葉狩りには賛同できないのです。

603 :乾闥婆:2009/03/03(火) 21:00:19 ID:???
>>597-600
>◆Bwr5tJDUMcさん
>辞書や実際の使用例を調べてみて下さい。

では、広辞苑から。「もう‐そう【妄想】@〔仏〕(モウゾウとも)みだりなおもい。正し
くない想念。徒然草「所願皆―なり」A〔心〕根拠のない主観的な想像や信念。統合失調
症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることが
ない。「誇大―」「被害―」「関係―」」

>そこで乾闥婆さんが展開しておられる議論は概ね精神疾患か否かといったような方向の
議論になると思われます。

まず、私はこの議論において「妄想」という言葉を精神疾患の用語として使っていません。
「根拠のない主観的な想像や信念」として使いました。日蓮が生きた中世の時代において、
「根拠のない主観的な想像や信念」に対すべき「想念や信念」とは、当時の知識人層が依
拠した仏教に基づいた「想念や信念」であったことでしょう。ですので、日蓮は妄想を抱
いたとは当時の状況において言えないと主張したのです。

>本当は、判断・推論としては
成り立たないが、その昔、十分に成り立つと多くの人に信じられており、しかも
社会通念としても広まっていたからその信念に「誤り」などないとは言えません。

私は「「誤り」などない」などとは言っていません。誤っているとは言いましたが。

604 :乾闥婆:2009/03/03(火) 21:01:26 ID:???
(続き)
>そういう状況下においては、そういった誤った内容の信念を持つのも致し方ないし、
その当時は正しい(特に誤りは含まれていない)と広く信じられていたということと、
その信念にきちんとした根拠があるか否かは別の話です。

私は、日蓮は現代から見て誤った情報に基づいて主張したので間違っている、と言ってき
たのです。ただ当時の状況において、それは妄想とは言えないと主張しているのです。

>乾闥婆さんは自身が提示しておられる意味に限定される「はず」だと論点を
先取りしておられますが、既に何度も「一般的な」定義として通用する内容を
紹介しているように、妄想とはそういった意味に限定されるものではありません。

広辞苑から引用した定義の中で、私は「妄想」という言葉を使用しています。おそらくあ
なたが「妄想」という言葉を拡大解釈しているのでしょう。その原因は歴史的観点の欠如
にあります。

>既に説明したように、「社会通念が当時において成立していたとする根拠」が必要に
なるわけではありません。

必要になります。なぜなら「妄想」という言葉は「根拠のない主観的な想像や信念」だか
らです。日蓮は中世日本社会の精神世界において大きな影響力を持った仏教によりながら
自身の主張の根拠を探ったのですから、そのような当時において根拠足りえた仏教を中心
とした精神世界に照らして、日蓮の言っていることが「妄想」であると判断されなければ、
当時の日蓮の言動が「妄想」であると判断することはできません。もう一度要求します。「鎌
倉時代においても妄想と判断される社会通念が当時において成立していたとする根拠を示
してください」。

605 :乾闥婆:2009/03/03(火) 21:02:48 ID:???
(続き)
>信じるのも当時の時代精神を鑑みれば致し方ないでしょう。乾闥婆さんは致し方ないのに
何が誤りだというのだ?という方向で妄想という評価に異を唱えておられることになるわけですが

あなたは私の主張が分かっていないのです。私は、日蓮は間違っている、と再三言ってい
るのです。「何が誤りだというのだ?」などとは言っていないのです。ただ単に妄想という
評価は妥当しないと言っているだけです。その理由は「妄想」とは「根拠のない主観的な
想像や信念」だからです。この行き違いはどうもあなたが「妄想」という言葉をただの「誤
り」という言葉に拡大解釈しているゆえに生じているのではないでしょうか。

>もし、この論点において多くの人が信じているからということが根拠として
通用するという反論を展開するのであれば真実・事実は数の論理によって
決定されるものであるという趣旨になってしまいます。

何度でも書きますが、日蓮は間違っている、のですよ。私のその主張が、なぜ、あなたに
おいて見落とされてしまうのか不思議です。故意に見落としていますか?

>乾闥婆さんは、「妄想」(たぶん「誤り」も)といった表現を一般的な意味よりも
限定した内容で使用しておられるようです。

それは「妄想」という言葉が「根拠のない主観的な想像や信念」であるということが、あ
なたにおいて充分に理解されてないゆえに起こる錯覚です。日蓮の主張に関しては、超弦
道士さんの言われるとおり、「誤謬」があったという表現が極めて妥当でしょう。これは言
葉狩りなどとは違います。言葉の適切な使用というべきです。宮田氏の論文など読む限り、
当時においても日蓮の主張には整合性の破綻した点があるようです。五時説と無量義経と
の矛盾など、非常に面白い観点からの日蓮批判でしょう。

606 :乾闥婆:2009/03/03(火) 21:07:57 ID:???
>>590
>◆Bwr5tJDUMcさん
>そういった私のレスもひょっとすると「敵対的」ということになる(或いはそう受け取られかねない)
のかもしれませんが、もしそうであれば私としては残念なことです。

このような掲示板で何を言っているのでしょうか。論争をしている人間が、ある程度は相
互に敵対的になるのは当たり前のことではないでしょうか。ここで言葉を交わしている人
たちの多くと、かつて私はそれこそ「敵対的」でありましたが。しかし議論の相手に対し
て敵対的であるからといって、その相手に不誠実な面がないのであるならば、私はその相
手を排除したい・邪魔だと思うような姿勢はございませんので、「残念」がることもないで
しょう。「敵対的」と思われることが「残念」であるのなら、このような掲示板に文章を書
くことはお止めになったほうがいいでしょう。

607 :滝山:2009/03/03(火) 21:38:46 ID:???
>>582
>その大きな理由の一つは、客観的・合理的に物事の在り様を理解できる者と、
>事実よりも願望に基づいて考える強い傾向をもつ者とでは話がかみ合わないからです。

あなたに釣られて書き方を間違えてしまいましたが、
そういうことではないのです。

>>595 乾闥婆さん
>ただ信仰が妄想ではなかった時代もあると言ってきたに過ぎません
そうですね。
「鎌倉時代において」という前提をつける必要がありました。

>そのことを実践できる人には畏敬の念を覚えます。
>日蓮を妄想糞坊主と呼ばない所以です。

以前、その点であなたには非常に不快な言葉を浴びせられました。
思い出すと今でもとても不愉快になります。
それはそうと、矛盾したことを言っているように思います。
日蓮を妄想糞坊主と呼ばない所以ということに関してです。
それは歴史学の問題ではないでしょう。
科学、医学、宗教、全部的外れです。

>変える」であっても、同じことかもしれませんね。
>変えられないところに来てしまいました。

いえいえ、前向きなことを言って励ますかどうかということです。

608 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/03/03(火) 22:13:53 ID:???
>>603-606 乾闥婆さん
予告した私のレスは長文になりますし、それを現状のような長文のやりとりに差し挟むのは
混乱の元ですから、◆Bwr5tJDUMc氏の投稿が落ち着くまでは控えます。
お待たせしている状況で、大変申し訳ありません。以下、横レスで二点のみ。

>>605
>あなたは私の主張が分かっていないのです。

>何度でも書きますが、日蓮は間違っている、のですよ。私のその主張が、なぜ、あなたに
>おいて見落とされてしまうのか不思議です。故意に見落としていますか?

乾闥婆さんの↑上記の◆Bwr5tJDUMc氏への反論は的確だと思います。私もそこは乾闥婆さんに同意です。
◆Bwr5tJDUMc氏は、ある種の予断を持ってあなたのレスを読み取っているのでしょうし、
であれば、◆Bwr5tJDUMc氏の決めつけや思い込みが、その議論の行き違いを生んでいるのだと思われます。

――ただ、その上で一連のご自身の言動も振り返って頂きたいのですが、あなたの法律ヲタさんへ対する感情的な反論も、
それと似たような決めつけや思い込みから、予断を持って行われたものではありませんでしたか?

◆Bwr5tJDUMc氏が、おそらくは「信仰者やそれを擁護する人間はこういう奴だ」といったカテゴライズであなたの言動を解釈しているように、
乾闥婆さんも、法律ヲタさんの言動を「こういう批判をする人間は、歴史的観点が分かってない奴だ」と決めつけて、感情的になっていたように思います。

そして◆Bwr5tJDUMc氏が、あなたの言動の中の“◆Bwr5tJDUMc氏の思い込みにとって不都合な部分”が目に入っていないように、
あなたも法律ヲタさんのレスの不都合な部分は見落とし、また「そうではないんですよ」という趣旨の反論部分を適切に考慮しないまま、
感情的な批判を繰り返してはいなかったでしょうか?

――以上のことに、もし乾闥婆さんは身に覚えがないと思われるようでしたら、後日の投稿の折りにでも具体的に例を挙げて指摘します。

609 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/03/03(火) 22:22:39 ID:???
>>601 超弦導士さん
「信仰のみ」の仏教・思想・神学についての、簡潔ながら要点を得た的確な考察に同意致します。
あなたのような方のレスを読み、またやりとりをさせて頂けるのは、個人的にも大変楽しみです。m(__)m

610 :乾闥婆:2009/03/03(火) 23:08:34 ID:???
>>607
滝山さん
>以前、その点であなたには非常に不快な言葉を浴びせられました。
思い出すと今でもとても不愉快になります。

申し訳ないことをしたと、深く反省しております。私が逆の立場であったとしても、不愉
快と感じるであろうと、今は、そう認識しております。そう言っても、もう取り返しはつ
きませんでしょう。今私がここに書き込むことであの頃の不快感を甦らせてしまうようで
したら、姿を消そうと思います。

といいますか、ここに書き込むような資格のある人間ではありませんでした。
議論の途中ですが、これにて私は身を引きます。
滝山さん、法律ヲタさん、春田の蛙さん、◆Bwr5tJDUMcさん、そしてひゃっきまるさん、
不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 23:29:05 ID:???
                       .|ミ|
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   ::        /   ,,.-'"      ヽ  ヽ、    ::
   ::     ,,.-'"_  r‐'"     ,,.-'"`     ヽ、 ::     じゃあ、俺の間違いだな。
   ::   /    ヾ (    _,,.-='==-、ヽ         ヽ、   
   ::   i へ___ ヽゝ=-'"/    _,,>         ヽ 
   ::   ./ /  > ='''"  ̄ ̄ ̄               ヽ  ス  マ  ン  か  っ  た  
  ::   / .<_ ノ''"       ヽ               i
  ::   /    i   人_   ノ              .l
  ::  ,'     ' ,_,,ノエエエェェ了               /
    i       じエ='='='" ',              / ::
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