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日蓮ってver.1 -1/4-

 

1 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/10/23() 00:16

     今のところ、日蓮から学べたことといえば、

     『法華経』は読む価値があるというのと、

     理想は現実との闘いの中で追求されるべきだ、ということの二点だけ。

 

     彼の議論の立脚点は「『法華経』こそ釈迦の本意を語ったもので、

     残りは全部方便だ!」というところに帰着すると思うんだけど、

     事実問題として、あれは釈迦が語ったものでは全然ないし、

     その時点で、彼の立論のかなり多くが崩れてしまうと思う。

     だから、頭で彼に共感しようとしても全く受け付けない(個人的には)

 

     それに、第三者的に見ると攻撃のための攻撃にしか

     見えないような「折伏」もしているようだし

     (だから「真実のため」というよりは、単に怒りや妬みといった感情を吐き出し

     ているだけのように見えてしまう)

     何より仏教ならではの「寛容性」というのがほとんど感じられない。

     彼の思想に色濃くある呪術性も、釈迦の思想とは相当異質な感じがする。

 

     大体、彼の「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という

     信仰至上主義的姿勢は、浄土系やキリスト教なんかでも強くあると思うけど、

     釈迦の思想にはそうした傾向はほぼ皆無といっていいし、

     その後の仏教の展開でも、(インドにおいては)決して主流になったことはなか

     った。

     むしろ釈迦や竜樹の姿勢は、「物事を安直に信じるな。自分の頭使ってもっと

     徹底的に疑ってみろ!」

     と呼びかけているようにさえ思える。

     そんなわけで、心情的にも彼にはどうも共感できないな…

 

     というのが私の意見。言いっぱなしで悪いけど、

     今まで日蓮を擁護する言葉のなかで「これは!」と思うものに出会ったことが

     ないもので…

     迅速なレスは身辺の都合上できないと思いますが、日蓮ファンの人、

     何か意見あったら聴かせてくださいな。

 

2 名前: 時衆 投稿日: 1999/10/27() 15:34

     一遍>日蓮。

     オカルト野郎日蓮はドキュンの星。

 

3 名前: g 投稿日: 1999/10/27() 16:23

     徹底的に考えることは大切です。じゃあ徹底的に法華経を学び、結果として

     行き着いた南無妙法蓮華経。あなたは法華経を勉強してなぜそこヘ行かないん

     でしょうか

     あなたが日蓮から学んだ法華経を読む価値があるというのは立派なことです。

     じゃあその価値とは何なのかを知らなければ日蓮のことを信じれなくて当たり

     前だと思います。

     そして法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味を知らなければ

     意味がないと聞いたことがあります。

     それを勉強するのにかなりの時間を確か日蓮も費やしたと思いました。

     日蓮はそれまでほかの宗派にも入り勉強していました。今の私たちよりも仏教

     的な思想ができたのはいうまでもありません。

     そんな人でも長い年月をかけなければ解き明かせなかったものを私たちで解こ

     うと思ったらいつまでたっても解き明かせない。

     それどころか間違った読み方から、また違う宗教が出てくるのを防ぐために答

     えを持つ日蓮がみんなに答えだけを教えてると思います。

     それでも納得がいかないのであれば、法華経を学び、ほかの宗教が法華経のど

     の部分を取っているかを学び、それが法華経の真髄なのかどうかを確かめてみ

     ればいいじゃないですか。

     日蓮はそこから南無妙法蓮華経を学んだのですから。私の言っていることは決

     して行動ではない。

     あなたの言っている頭で納得するための、一番の近道なんですから。

     あなたはまだ学べるだけの脳があるのだから、そうすればいい。ただ、日蓮の

     魂を告いだ創価学会の草創期に助けを求めていたのは本当に生きている中で不

     幸の連続、または今その渦中にいる人たちだった。

     そしてその人たちは南無妙法蓮華経を信じきった。そして不幸を幸福に変え、

     現在に至っている。それは変わりようのない事実だ。

     この幸福になった人たちの笑顔を見れば、やはり信じるしかない。そう思って

     しまうものなんだよ。本当に変わってしまってるのだから。

     私はあなたが法華経を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下さい。またそ

     こで答えが出たら教えてください。

 

4 名前: >3 投稿日: 1999/10/27() 18:06

     信じるものは救われる、知らぬが仏、そりゃそうやって殻の中にわざわざ閉じ

     こもれば楽だわな。

     2は自分の頭で考えてない証拠だよ。法華経が全ての解決法じゃない。確かに

     古くからあるがそれがあなたの人生にすべて当てはまる訳ではなかろう。他の

     人々にたいしては尚更だ。それが素晴らしいと思うのはいい。しかし盲信はい

     かがなものか。あなたたちは幸せになったのではない。ただ単に洗脳されたの

     だ。オウムの信者たちを見てバカにしてるだろうが、あなたたちも何ら変わり

     がない。相違点は信じるものが違うか。盲信して他人に押しつけ学会の矛盾に

     は目をつぶる。法華経の絶対を信じるあまり他人を押しつぶし同化させようと

     する。

 

     いい加減独り立ちしろよ。いい大人だろ。信じるしかない等と甘えるなよ。

 

5 名前: 訂正 投稿日: 1999/10/27() 18:08

     誤:2は自分の頭で考えてない証拠だよ

     正:3は自分の頭で考えてない証拠だよ

 

     2さん、謹んでお詫びします。

 

6 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/10/28() 05:20

     >4,5

 

     自分の考えってな〜に?言語も何も分からなくて生まれてきて、

     、いろいろな教育を受けて、また、いろいろな背景をもった

     人に接して、いろいろな人間の書いた書物に目を触れて

     自己形成できたんでしょ?信仰している人だって一緒だよ。

     ただ、道理や、道徳の教科書を持っているかどうかだけだよ。

     >自分で考えていない?信じるしかない等と甘えるなよ?

     えらそうにいいなさんな。あなた親に感謝してる?

     親孝行してる?自分一人で大きくなったと思ってない?

     信仰者を単純に「自分の考えを持たない人」と判断するのは

     おかしいよ。信仰している人は、非信仰者以上に物事を

     深く考えていることも多いよ。あなたも、3さんも

     大差ないよ。

 

7 名前: 煽る様だが 投稿日: 1999/10/28() 06:51

     道徳とは盲従の別称だ>6。

     >言語も何も分からなくて生まれてきて、

     > 、いろいろな教育を受けて、また、いろいろな背景をもった

     >人に接して、いろいろな人間の書いた書物に目を触れて

     >自己形成できたんでしょ?

 

     興味深い事にあなたは俺のいいたい事を上で言っている。単なる盲信といろん

     な事を学び、取り入れるのとは話が違う。あなたのいう所の「教科書」をもつ

     のはいいことだ。しかし盲従はいかん。「自分の頭で考える」というのはそう

     いうことだ。カルトは学ぶ事ではなく盲信を強要する。「信じるしかない」と

     いうのがそれを如実に表している。

 

     それとな、親への感謝と信仰は別問題だ。あんたに言われる筋合いもないし

     な。

 

     3は完全に法華経に溺れている。法華経が正しい、絶対だと先入観を持って入

     り込んでいる。この類の盲信が各所でどれだけの問題を起こしてるか分かって

     るか?個人的な話になるが俺は身内を無理やり学会に引き込まれそうになった

     しね。

 

     以上を持って

     >信仰者を単純に「自分の考えを持たない人」と判断するのは

     >おかしいよ。

     に対する反論とさせて頂く。

 

8 名前: >7 投稿日: 1999/10/28() 07:22

     6です。

 

     親の事に付いては確かに余計なお世話だった。すまんです。

 

9 名前: 7>6 投稿日: 1999/10/28() 07:26

     ご丁寧にありがとうございます。こちらも少々かっとなっており冷静さに欠け

     ていました。こちらこそ失礼しました。

 

10 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/10/29() 01:37

     皆さんレスありがとうございます。特に3の方。

     ただ一つ、どうしても納得できない点(3の方の意見)がありますので書きま

     す。

 

     >本当に生きている中で不幸の連続、または今その渦中にいる人たちだった。

     そしてその人たちは南無妙法蓮華経を信じきった。そして不幸を幸福に変え、

     現在に至っている。それは変わりようのない事実だ。

 

     これは実にすばらしいことです。不幸を幸福に変えたことの意味は重いし、そ

     れについてどうこう言うつもりは全くありません。

     しかし私は同じようなことを、キリストへの信仰を通じて実現した人を知って

     います、阿弥陀仏への信仰をきっかけにして実現した人を知っています。労働

     運動やマルクス主義を通じて生を拾った人もおります。

     また私が直接見聞したわけではないが、そういったことはイスラムでも、シク

     教でも、そしておそらくオーム真理教においてもあることでしょう。

     繰り返して言いますが、日蓮の教えを通じて「不幸を幸福に変え」たというこ

     と自体は、すばらしいことです。でもそれは、信じた教義の「正しさ」を直ち

     に意味するものではないのです。だから、

 

     >この幸福になった人たちの笑顔を見れば、やはり信じるしかない。そう思っ

     てしまうものなんだよ。本当に変わってしまってるのだから。

 

     というところには、歯に衣着せずに言えば、あなたの間違った推理を見てしま

     うのですよ。あなたは人が変わるということのすごさに感動した勢いで、最も

     大切なことを自分で判断して決めるという作業を、他人に預けてしまったので

     はないですか?

     釈迦の言葉に「自己を島(灯明=「より所」の意)にせよ」という言葉がありま

     すが、自己というものがいかに疑わしく思えようとも、とりあえず自分で納得

     できないことは私には受け入れられないのです。ただ釈迦の思想には、この

     「疑わしさ」を力に変える鍵が隠されているように思えます。今の時点でそれ

     を詳しく説明することはできませんが。ただそれは決して「まず信じろ」とい

     うことではない。そう私は思います。

 

     (あと3の方にとってはあまり愉快な話ではないかも知れませんが、私と「学

     会」との出会いは最悪に近いものでした。私の両親が娘(私の姉)を病で亡くし

     たときに、学会員の親戚に「信心がないから仏罰がくだったんだ。学会に入

     れ」と言われてキレた、ということを後年に聞き、それ以来私個人の印象は最

     悪でした。実際彼らのふるまいを見ても、残念ながら3の方のような印象はつ

     いに持ち得ていません。法華経に対する偏見を払いのけるにも苦労しました

     (^^; そんなこともあって、私は自分がたまたま出会った人が私に与えた印象

     によって、その教えや思想の是非を即断しないよう、心がけているつもりで

     す。)

 

     3の方にとってこのレスは非常に攻撃的な発言のように読めるかも知れません

     が、攻撃したり「論破」を試みるのが本意ではありません。感情を害したので

     あれば、あらかじめお詫びしておきます。

     できうれば、あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてくだ

     されば幸いです。私にとっても益するところがきっとあるでしょうから。

 

11 名前: あーあ 投稿日: 1999/11/04() 07:20

     第7の外道さんのような疑問を持つのが普通だと思うんだよね。

     この路線でのまともな議論を期待したいし、そうすれば

     イメージアップにもなるんだろうけど、やっぱ学会さんに

     期待しても無理なんだろうな・・・。

 

12 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/06() 06:04

     gさんへ

 

     >そして法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味を知らなけれ

     ば意味がないと聞いたことが

     >あります。

     法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味って、何でしょう?釈

     迦の入滅に際しての遺言に

     「師の教えに秘密の握り拳は無い」(遺行経・涅槃経)といわれているのです

     が、死の間際に釈迦は嘘を

     ついたのでしょうか?

 

     >日蓮はそれまでほかの宗派にも入り勉強していました。

     お粗末なお勉強だったのはありませんか?天台宗や真言宗について史実とは明

     らかに異なる事を述べている点からも

     解ります。円珍・円仁について、空海については史実を捻じ曲げてまで悪口を

     並べていますよ。

 

     >それどころか間違った読み方から、また違う宗教が出てくるのを防ぐために

     答えを持つ日蓮

     それどころか日蓮は間違った読み方をしてまで悪口を言い募っているではあり

     ませんか。

 

     >ほかの宗教が法華経のどの部分を取っているかを学び、

     >それが法華経の真髄なのかどうかを確かめてみればいいじゃないですか。

     日蓮や創価学会が、ほかの宗教の教義を盗み取っているか、それが法華経の真

     髄なのかどうかを

     確かめてみればいいじゃないですか。

 

     >私はあなたが法華経を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下さい。

     私はあなたが「自分の頭」で仏教を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下

     さい。

 

     >第7の外道 さん

     >あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてくだされば幸い

     です。

     期待してもまともな答えは返ってきませんよ。学会教義の受け売りしか「答

     え」は持っていない

     筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います。

     観世音菩薩普門品(観音経)を読めば、アタルヴァ・ヴェーダとの関連に「唖

     然」とする筈です。

     アタルヴァ・ヴェーダとはバラモン教の聖典(4ヴェーダの一つ)ですが、普

     門品は仏法というより

     ヴェーダに近い教説ですけれど、彼らにはヴェーダと言っても理解できないで

     しょうから。

     そんな人が 『法華経を勉強しきるのを願っているよ』 とは四則計算もできな

     い小学生が、

     微分・積分を勉強して下さいと言っているのと同じようなものです。

 

13 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/09() 15:39

     なんか3の方以外の親日蓮系の人(というか、以下学会の人と言っておきまし

     ょう)から全然反応がないですね。

     他のスレッド見てもここに出入りしているのは明らかなのに。

     学会や池田氏に関連することなら結構敏感に反応しているのに、

     日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては…

 

14 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/10() 04:12

     >第7の外道 さん

     無理ですよ。学会員の人たちは法華経と言っても、方便品第二と如来寿量品第

     十六しか

     読みませんから。方便品第二は十如是までしか読みませんし、第一に法華経が

     「仏説」では

     無いないんて知りもしないでしょう。教えられた事以外は信じません。

     日蓮が久遠元初の本仏で、初めから仏だとか。因果を説く筈なのに、因果倶時

    

     原因と結果がともに存在するんだそうです。初めから仏だと言うのは別に目新

     しいことでは

     ありませんが、キリスト教やイスラム教の神にしても初めから神だったとか、

     言いますし、

     それを「因果が説かれていないから邪宗だ」と罵るですもの。

     「仏法では因果の法則が説かれている」なんて言っていますが、日蓮が久遠の

     仏と為った

     因は説明できていません。

     おそらく、バラモン教の原人(プルシャ)思想や、法身・大日如来のいわれの

     「パクリ」なのでしょう。

     恐ろしいほど似通っていますもの。大日如来の現世の姿を具現したのが「弘法

     大師・空海」

     と高野聖の通説と共通します。正統真言宗では言いませんが・・・。

     即身成仏とか、曼荼羅とか、真言(マントラ)とか、皆、密教の影響です。

     本尊とかって、釈迦の時代には無かったものです。仏である釈迦は何を本尊と

     して

     いたのでしょう?何を拝んでいたのでしょう?何も本尊としていませんでした

     し、何も拝んでは

     いません。ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。時とともに変化

     するものではありません。

     釈迦が死んで何年か過ぎたら滅びるなんて、「真理」ではありません。

 

     >学会や池田氏に関連することなら結構敏感に反応しているのに、

     >日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては…

     どうでも善いのでしょう。選挙や名誉博士・勲章の方が大切なのですよ。

 

15 名前: そういえば 投稿日: 1999/11/10() 09:55

     筒井康隆が短編で皮肉ってたね。あれは笑った。

 

16 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/10() 12:12

     >蓮日さん

     どうも長文のレス有難うございます。たぶんあなたのおっしゃる通りなのでし

     ょうね。

     日蓮が「本仏」だというのは正宗の思想の継承なのでしょうね。なるほど「因

     果倶時」ですか(笑)

     原因と結果が倶にある状態は観念としてはわかりますが、それがどう本仏思想

     を正当化するのか、私には全くわかりません。

     日蓮の思想自体は密教思想のパクリであるというお考えは、私も同感です。叡

     尊や忍性の真言律宗に対する攻撃も、私にはどうも近親()憎悪にしか見えま

     せんし、やたら予言や呪法に頼るところも、密教の(私の意見では)ネガティヴ

     な要素を無批判に借用しているようにしか感じません。唱題が人を仏にする理

     由というのも、この題を受持すれば「自然に」久遠釈迦の因果の功徳を譲り与

     えられるのだ、というのでしょう? この唱題という発想自体、念仏のパクリ

     のように見えますが、(法然についてはよく知りませんが)親鸞が「念仏」に対

     して行ったある種哲学的な解釈に比べれば(受け入れるかどうかはまた別の話で

     すが)、正直、日蓮の「論理」は児戯に等しいように思われます。

 

     ただ私が自分なりに納得したいと思うのは、なぜ今の世の中に日蓮を教主と仰

     ぐ人々がこんなに多いのか、ということです。何かウケる要素があるのは間違

     い無いが、それは何なのか。今の段階で私が言えることは、日蓮の本質はその

     「浪花節」にあるのではないか、ということです。「苦しいのもつらいのもみ

     んな含めて人生なんだ。みんながんばろう」ってな感じ。怒りや悲しみや同情

     なんかの情動的部分をそのまま丸ごと肯定するのでしょう。もしそうだとすれ

     ば、これはウケる。演歌の世界です。地湧の菩薩というイメージに固執するの

     もそれとつながっている気がします。

     が、もしそうだとしたら、私の意見では、それは釈迦の教えとは無縁である。

     そうした情動的部分に対して徹底的な反省的視線を向けることが釈迦の思想の

     根幹にある、と私は思うからです。ところが日蓮では、こうした情動性に対す

     る論理的切り込みが全く見られないどころか、自分の情動を武装するためにの

     み論理を操っている。浪花節ならそれはそれでいい。でもそれを「論理」武装

     して普遍的真理とすり替えることは(私には)どう考えても仏教的ではない、と

     思われます。

 

     >本尊とかって、釈迦の時代には無かったものです。仏である釈迦は何を本尊

     として

     いたのでしょう?何を拝んでいたのでしょう?何も本尊としていませんでした

     し、何も拝んでは

     いません。ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。時とともに変化

     するものではありません。釈迦が死んで何年か過ぎたら滅びるなんて、「真

     理」ではありません。

 

     このお考えにも全く同感です。

 

     あ、あと、法華経とヴェーダとの関連は初めて知りました。法華経も一挙に出

     来た本ではないから、普通に読んでいると本当に混乱させられますね。

 

17 名前: お坊さんの中では 投稿日: 1999/11/10() 17:40

     一休さんがいちばん共感がもてた・・

 

     「仏になろうとするな、仏でいろ」

 

18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11() 04:55

     >日蓮が「本仏」だというのは正宗の思想の継承なのでしょうね。なるほど

     「因果倶時」ですか(笑)

     >原因と結果が倶にある状態は観念としてはわかりますが、それがどう本仏思

     想を正当化するのか、

     >私には全くわかりません。

     同じく私にも理解できません。学会員も理解出来ないのではありませんか。

     教えられた事の他には考えませんでしょうから。

 

     因果とは原因が縁によって結果となって現れる事を言うというのはご存知だと

     思います。

     だから因果とも因縁とも呼ぶわけですが、果が次の因になると言うのが本来の

     「因果倶時」だったと

     思います。

     果は縁に依って様々に変化する。その相依性を「空」と呼ぶのもご存知だと思

     います。

     戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」

     を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れ

     たくなりました。

     ですから久遠の初めから仏であるにはその因が当然無くてはなりません。しか

     し、創価学会では

     「因果倶時」を誤って(恣意的に)使って、初めから「仏であった」と言って

     います。無始無終の

     法身・報身・応身の三身の如来が日蓮なのだそうです。

     これはキリスト教やユダヤ教の神と同じ概念です。(言葉こそ久遠仏とか、因

     果倶時は使いませんが)

     キリスト教などの「外道(仏教以外の宗教)」は因果の法則を説いていないの

     で劣ると言いますが、

     創価学会の久遠仏も同様に久遠仏となった因を説いてはいないのです。

     これについては学会員のご意見をお待ちいたします。

 

     日蓮が法華宗を開く前にいくつかの論(戒体即身成仏義等々)を書いています

     が、密教(真言)第一と

     書いている事からも、密教(真言)の影響は隠せません。

     叡尊や忍性の真言律宗に対する攻撃は、世間に尊敬される高僧に対する嫉妬だ

     と思います。

     叡尊や忍性は持戒の厳しい人だったので、日蓮には真似が出来なかったのでし

     ょう。

     法然も庶民・大衆といった世俗の人には戒律は厳しくはなかったのですが己に

     は厳しく戒律を課して

     いました。

     法然は受戒師としても高名だったのはご存知ないでしょうか?

     易行としての唱題が念仏のパクリですが、唱題は中国天台でも比叡山でも行わ

     れておりました。

     「朝題目に夕念仏」といわれているのはご存知かと思います。

     但し止観業に基づく観仏・懺法・三昧といった難行ですので世俗の人には難し

     い。で、親鸞などの

     専修念仏を真似て唱題を易行として行じる事を思い付いた。というのが真相で

     しょう。

 

     >ただ私が自分なりに納得したいと思うのは、なぜ今の世の中に日蓮を教主と

     仰ぐ人々がこんなに多

     >いのか、ということです。(以下略します)

     多くの法華(日蓮系)の信者の人はそうでしょう。

     でも創価学会の場合は違うような気がします。

     創価学会員の人は日蓮の悪口を言われても余り気にする人はいません。あるい

     は無関心を装います。

     が日蓮を通じての学会批判(池田批判)には敏感に反応します。

     つまり、日蓮批判には他の日蓮系教団も含まれるので、過剰には反応しない

     し、他の日蓮系教団へ

     の批判と受け止めるのではないでしょうか。

     日興門流が他の五老僧門流を口汚なく罵るのは、日蓮自身が弟子と定めた日蓮

     の見識を否定する事と

     同じだと気付いてはいないからです。

     「おいおい、俺の決めた本弟子はそんなに悪い奴等なのか?俺が弟子を見損な

     って後を任せたと

     いうのか?そんなにつまらん奴等を本弟子に指名した俺は、人を見る目が無か

     ったって事?」と。

 

     >が、もしそうだとしたら、私の意見では、それは釈迦の教えとは無縁であ

     る。(中略)

     >浪花節ならそれはそれでいい。でもそれを「論理」武装して普遍的真理とす

     り替えることは(私には)

     >どう考えても仏教的ではない、と思われます。

     仰しゃる通りです。同感です。

 

     >あ、あと、法華経とヴェーダとの関連は初めて知りました。法華経も一挙に

     出来た本ではないから、

     >普通に読んでいると本当に混乱させられますね。

     大乗仏教のみならず、部派以降の仏教にはバラモン教と融合して発展を遂げて

     きました。

     そのほうが世間受け(広めるのに便利)するからです。

     法華経陀羅尼品のダラニ(呪語・咒)などもヴェーダとの関連で発生した(創

     作された)ものでしょう。

     釈迦は少しの護咒(パリッタ)は認めてはいましたが、ヴェーダのような陀羅

     尼は否定していましたから、

     陀羅尼品なんか見たら驚くでしょう。提婆達多品は教団から飛び出した提婆達

     多の教団との関連も

     指摘されていますし。本来は法華経には無かった筈ですが後に加えられたとい

     われていますね。

     法華経って、通読すれば文脈も乱れています。阿弥陀仏の浄土を誉めたり、観

     音の功徳と説いたり、

     久遠の仏だったり、愚か者には法を説くなと言ったり、全く「経典の中の王」

     とは思えません。

     原文は羅什の文ほど華麗ではありませんし。羅什の訳も原文に無いものを加え

     たり削ったりして

     脚色が著しいです。仏(歴史的釈迦ではない)の言葉を人師(羅什)が勝手に

     改定しても許されると

     思っているのでしょうか。

     学会員の方のご意見が伺いたいと思いますが、発言されませんね。嗚呼!

 

19 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11() 06:24

     創価学会員の皆様。

     私の発言に悪意があると思われるのは自由です。思う存分論破して下さい。

     しかし、第7の外道さんに「3」の学会員からのご意見だけというのは普段、

     対話を旨とする池田氏の

     教えに反するのではありませんか?

 

     >3の方にとってこのレスは非常に攻撃的な発言のように読めるかも知れませ

     んが、攻撃したり「論

     >破」を試みるのが本意ではありません。感情を害したのであれば、あらかじ

     めお詫びしておきます。

     >できうれば、あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてく

     だされば幸いです。私に

     >とっても益するところがきっとあるでしょうから。

     とまで言われる人に対して失礼だとは思わないのでしょうか?

 

20 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 06:35

     本願寺顕如

 

     日蓮さんはどんなことしたの。

 

21 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 08:40

     17条の憲法は・・和をもって貴し・・これが一番

              仏教を敬え・・・・これが二番

     宿題・・信長の本願寺焼き討ちの意味は・・・?

     もしかすると、日本が仏教原理主義の国になっていたかもねっ。

 

22 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 08:46

     比叡山もやったみたいよ。

 

23 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/13() 01:16

     >蓮日さん

     またまた長文のレス、そしてフォローありがとうございます。

     しかしまぁ、ほんとにここに来てらっしゃる学会員の方は反応してくれません

     ね。

 

     >創価学会員の人は日蓮の悪口を言われても余り気にする人はいません。ある

     いは無関心を装います。(中略)他の日蓮系教団への批判と受け止めるのでは

     ないでしょうか。

 

     というのには納得しました。これが本当のことなら、ちょっと変ですね。

     当初は私のような者の意見には激しく反応が返って来るのではないか、あるい

     は「折伏」されるのか? などと結構わくわく(?)していたのですが、ちょ

     っと残念です。

 

     ところで、

 

     >果は縁に依って様々に変化する。その相依性を「空」と呼ぶのもご存知だと

     思います。

     戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」

     を読んだときにはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れた

     くなりました

 

     なんですが、割と「空」の概念をこのノリでとらえている人って多いですよ

     ね? いわゆる「虚無」とは違うというのを強調するあまり(なのかどうか

     )、やれ「永遠の命」だとか「宇宙の生命」だとか。そんなこと結論するため

     なら仏教じゃなくたっていいじゃん? というふうに思うのですが。シェリン

     グやベルグソンあたりで十分、というのは失礼ですか。あらゆる実体概念に対

     する批判の中には、「永遠の生命」という実体は含まれないんだと考えてしま

     うのでしょうか? ともあれ「空」概念を、この世のあらゆる矛盾を一挙に平

     坦化してしまう万能概念として扱うのは危険(あるいは知的怠慢)だと思いま

     す。

 

     法華経については勉強途上の身であり、蓮日さんのお話はいろいろと勉強にな

     ります。私が触発されたのは(たぶん法華経びいきの人間は大抵そうなのでし

     ょうが)やはり方便品でしょうか。これがあるから全文ちゃんと読んでみよう

     かと思った次第です。といっても羅什創作の「十如是」や、いわゆる三転読、

     ひいては「三千一念」にいたっては「どうも…」という感じがしてしまいま

     す。

 

24 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/13() 04:55

     >第7の外道 さん

 

     >法華経については勉強途上の身であり、蓮日さんのお話はいろいろと勉強に

     なります。

     ありがとうございます。お役に立てていれば幸いです。

 

     確かに法華経は素晴らしい経典です。それに関しては異論はありません。でも

     決して「経の

     中の王」とは思えません。

 

     >といっても羅什創作の「十如是」や、いわゆる三転読、ひいては「三千一

     念」にいた

     >っては「どうも…」という感じがしてしまいます。

     それについては摩訶止観を読まれる事をお勧めいたします。(岩波文庫版は手

     に入り易いし、安価です)

     で、『羅什創作の「十如是」』 も違います。 出展は龍樹の 「大智度論」 第

     三十二巻・三十三巻

     です。その文を書き込むのは手間取りますから、興味があればご自分でお調べ

     ください。

     三世間は 「大智度論」 四十七巻・七十巻からのインスパイアというか流用で

     す。

     そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれ

     たもので、途中

     で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)

     多くは世親などの「十地経論」 「釈論」 や無着の「摂大乗論」 などの唯識系

     の仏教思想からの

     流用です。この流れは 「華厳教学」 や 「真言教学」 も源を同じにしていま

     すから、当然同様の

     解釈が生まれる訳です。

     それを知らない日蓮は、

     「華厳・真言は法華経の肝心を盗み取り」 と罵倒します。

 

     >当初は私のような者の意見には激しく反応が返って来るのではないか、ある

     いは「折伏」されるのか?

     >などと結構わくわく(?)していたのですが、ちょっと残念です。

     反応は無いでしょう。というのがわたしの感想です。

     学会系出版物でしか仏教を理解していないのでしょうから、真摯に教えを求め

     る人には

     「やってみなくては分からない。仏教は頭で理解するものではありません」 と

     実践を説きます。

     その実践とは 「折伏」 であり、「選挙活動」 だったり、「財務」 といわれ

     る御布施です。

 

     法華経について学ばれたいのであれば、岩波文庫 「法華経」(全三巻)を読ま

     れれば宜しいでしょう。

     ご自分で感じた事、思った事が 「法華経」 の心です。

     釈迦も 「人に依るな法に依れ。己を洲とし法を洲とせよ」 といわれておりま

     す。

     ご自分のお心(感性)を信じなさいというのが、わたしからの忠告です。

 

     大智度論・・・・大正新修大蔵経二十五巻に収蔵

 

25 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/13() 06:07

     「十如是」 について一言追記です。

 

     羅什は 「大智度論」 も訳しています。そのフレーズが気に入ったので、「法

     華経」 にも流用したものと

     考えられます。

     大正新修大蔵経は高価なので、手に入れにくいと思われますので、短い方を簡

     単に記述しておきます。

     三十三巻から

     「復た次に、法相を、諸法の業、諸法の所、作、力、因、縁、果、報と名づ

     く」 と。

     これと三十二巻のちょっと長い「如是」に関する文が合体してできあがったも

     のと思われます。

     もっとも 「大智度論」 のサンスクリット原文が失われているので、羅什の創

     作という説も根強い

     です。

 

26 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/13() 12:11

     蓮日さんありがとうございます。

     私もまだまだ勉強が足りないようでした(当然か)。「大智度論」というと、

     全体が竜樹の作かどうか疑われているヤツでしたよね? それは大正新修大蔵

    

     でしか読めないものなのでしょうか。高価といってもどれくらいするのでしょ

     うか。

     手に入れられるものなら手に入れたいと思っていたのですが。まぁ一般個人で

     は無理かな。

     「摩訶止観」や「摂大乗論」は比較的手にいれやすいはずですから早速探して

     みようと思います。

 

     それともうこのスレッドでは学会の方との議論は望めそうにないですね。

     >真摯に教えを求める人には「やってみなくては分からない。仏教は頭で理解

     するものではありません」 と実践を説きます。

     その実践とは(以下略)

     という反応しかしてもらえないのなら、私には興味は持てません。

 

27 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/14() 03:25

     第7の外道さん

 

     あなたの向学心に頭が下がります。

     しろいろと調べて見ましたが 「大智度論」 単体では書籍が見つかりませんで

     した。

     大正新修大蔵経は一冊経・論部は20000円です。全百巻です。目録と図像

     部は少し高くなります。

     わたしが購入したときは一冊15000円だったのですが・・・。それでも2

     00万円近い金額でした。

     読み下し文であれば、国訳がよろしいかと思います。現在も存在しているかは

     不明ですが、第一書房

     から出版されているようです。昭和五十八年当時で7000円〜9500円で

     した。全三十一巻です。

     分売していると思いますので書店に問い合わせてみられては如何でしょうか?

     大正新修大蔵経は大蔵出版。国訳大蔵経は第一出版です。

 

     >『法華経』は読む価値があるというのと、

     >理想は現実との闘いの中で追求されるべきだ、ということの二点だけ。

     的を射たお言葉です。わたしのように書物に埋もれるだけの人間には、ちょっ

     と無理かなと感じますが。

     本来の仏教とは、かくあるべきなのでしょうね。

     この点でも、わたしには 「第7の外道 さん」 に学ばせていただき、感謝いた

     しております。

 

     ところで、「第7の外道」 という HNは 「六師外道」 のパロディだと推察

     いたしますが、

     第7番目の外道(バラモンから見て)こと、ブッダ・ゴータマの事を指してい

     るのですか?

     ちょっと HN に興味をおぼえました。

 

28 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/14() 04:42

     ひどい・なんか・つかれちゃう。

 

29 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/14() 05:12

     段階を細かくわけて受験料を取るような

 

     日蓮正宗と創価学会とどこが違うのっ・・?

 

30 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/15() 09:58

     >蓮日さん

     わざわざ調べていただいたようで恐縮です。私にはどっちかというと

     「国訳」のほうが近づきやすそうですね。

 

     >学ばせていただき、感謝いたしております

 

     と言われるのは大変光栄ですが、実際は買かぶりをなさっているのであろうと

     思います(笑)

     自分的には、ここ最近まで仏教とは縁もゆかりもない生活をしていたのです

     が、

     現実生活の中で起こってくる様々な問題について正しい見通しを得る上で、

     仏教の智は大変有効である、と察する機会があり、それで今あれこれ勉強させ

     てもらっている次第です。

 

     アルベール・カミュの言葉に「仏教では無神論が宗教になっている。西欧人が

     ここから得るものは大きいはずだ」

     といった言葉があり、よくよく考えてみればそれが仏教との接触の出発点だっ

     たと思われます。

     「絶対」から出発して個別を判断していくいわゆる「宗教」の発想と違って、

     「絶対」への懐疑・疑惑から出発して逆に「絶対」へと到達する、という発想

     が仏教にはあると思います。

     あらゆる権威や価値が相対化され、疑われるような時代だからこそ、釈迦の思

     想には何か尊いものがあるはずだと思えるわけです。それが「まず信じろ」

     「信じる者は救われる」という発想を正面に掲げていては

     まずかろうと思い、例えば学会の方はその辺どう考えておられるのか探りた

     く、こうしたスレッドを立ててみたわけです。

     蓮日さんの丁寧なレスのおかげで、もともとの意図とは違えど、スレッドを立

     てた意味は自分的には十分あったと思えます。感謝しております。

 

     >ところで、「第7の外道」 という HNは(以下略)

 

     御察しのとおり、「六師外道」のパロではありますが、それでいくと第7の外

     道=私が「釈迦」になってしまう

     というのは考えていませんでした(^^; 学会の方からすれば私の意見も十分

     「外道」に見えるのかな? 程度の認識しかありませんでしたが……

 

31 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/11/17() 21:40

     なんか、ここすごいね。宗教用語連発で。

     でも、皆さん、幸福ですか。

     なんだか、俺には、法華経の知識自慢に見えちゃうよ

     法華経を体で感じないとね。

 

32 名前: >18 投稿日: 1999/11/19() 07:35

     体以外のどこで感じるんですか?

 

33 名前: 32です 投稿日: 1999/11/19() 07:43

     >31

     の間違いです。

 

34 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/20() 04:28

     宗教って個人的なことなの。

 

35 名前: 法華経は 投稿日: 1999/11/20() 04:51

     体で感じるためのものではありません.

 

     教学は何の為にやってるか分ってるの?

 

     でも、そういうことにしておいたほうが

     法華経の意味もわからない人にはいいのかも。

     所詮は現世利益のための宗教.

 

36 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/20() 05:17

     もしかすると、日本語を書ける人がいないのかもっ・・?

     すごい子はすごいらしいのねっ・・?

 

37 名前: >31 投稿日: 1999/11/20() 05:36

     ネタかも知らんが一応レス.

 

     宗教語るのに宗教用語(これも変だ)使うの当たり前じゃん.

     理解しようとする行為が自慢に見えるのは個人の資質なので

     もうどう使用もありません.

     体で感じるのはあなたの勝手ですけど、人に説明できないような

     個人レベルでしかわからないものなど宗教でもなんでもありません。

     そこには普遍性がないからです.

 

     多分あなたは法華経と他の何かを勘違いしているのでしょう.

 

38 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/20() 05:48

     やっぱり違う・お勉強してもできない子はできないし

     できる子は、勉強しなくてもできるの。不思議ねっ・・?

 

39 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/20() 05:55

     専門用語を使わないで・・普通の人が普通にわかる

     言葉で伝えてくれるとうれしいの。 でも・・伝わらない。

 

40 名前: >美少女艦隊様 投稿日: 1999/11/20() 06:24

     普通の言葉で簡単に伝えられるのなら、坊主は要りませんし、

     お経も必要ないです.そうではないから、やはりある程度の勉強は必要です.

     ただ、私は美少女艦隊様の仰ることには同感です.(賛成ではない)

 

     それを体で感じるって言う奴もいるんですから.

 

41 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/11/20() 07:29

     日蓮の木像?

     アレみてみるとスゲエ強欲そうなツラしてるよ。

 

42 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/20() 09:25

     本願寺さんは一揆とかやったみたい。

 

     でも・・宗教原理主義よりも・・自由な日本が好きなの。

 

43 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/11/20() 23:09

     あ、釈迦の仏教って哲学と思ったほうが良い.

 

     日本のはまた別.

 

44 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/21() 04:36

     本来、仏教なんて難しい言葉で説かれてはいません。

     弟子と称する人たちが自分を「偉く見せる」ために難しくしていったのでは

     なかろうかと思っています。

     人間がどう生きるか、何をしてはいけないのか、簡単な事ばかりです。

 

     私は本を読むのが好きですから、知識を得るために仏典は読みますが、

     それで悟れるとは思ってもいません。しかし、行動をするには納得はしたいと

     思っています。納得できないモノを信じなさいと言われても、愚か者になれ!

     と言われてとようで自分の主体性まで捨てる事は出来ません。

 

     主体性を捨てた人々が本願寺に操られて一揆を起こしたり、サリンを撒いたの

     だと

     思っています。同様に機関紙でのリンチも同様です。

     自分の嫌がることは人も嫌がるのだと思えば、酷いことは出来ないと思います

     が、

     自分はイヤなことをされると怒るけど、人に対しては平気と(無意識にでも)

     思っている

     人がいるのも事実です。

 

     私のような仏教徒でも無い人間が、偉そうに講釈をたれなくとも良いのでしょ

     うが、

     博愛・慈悲を説く仏教団体には何故、そんな単純な事実に気づかないのか不思

     議です。

 

     >専門用語を使わないで・・普通の人が普通にわかる

     >言葉で伝えてくれるとうれしいの。 でも・・伝わらない。

     専門用語を使わなくとも説明は出来ると思います。しかし、このスレッドは

     「仏教」の

     説明のためのものでは無く、「日蓮って」というタイトルなので、使わせてい

     ただきました。

     ご了承ください。

 

45 名前: 俺さ 投稿日: 1999/11/21() 13:44

     日蓮自体の考え方って嫌いじゃないよ。

     宗教自体、無理矢理学会二世として育てられたせいか抵抗感は少ない。

 

     ただ、それを現在、ああゆう形で具現化してる連中が嫌いなだけなんだ。

     あんなキラキラした目で宗教を表現しなくても良いじゃないか。

     もっと自然にさ、なんてゆうの?浮世離れしたオーラが嫌なのよ。

 

     宗教してるから無理にクリーンに振る舞ってるし。

     人間って宗教やってるからって、もっと汚い面を見せてもオーケーだと思うん

     だ。

     なのに、宗教家=クリーンという妙なイメージを保つところが嫌。

     「小作り以外にはセックスしてませーん!」みたいな顔してね。

 

     俺は俺でホントのイケてる宗教ってやつを実現させてみせるよ。

     どうすれば良いかは分かってるからね。その時、創価の過ちが分かる。

 

46 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/21() 19:25

     みなさんレスありがとうございます。

 

     >専門用語を使わないで・・普通の人が普通にわかる

     言葉で伝えてくれるとうれしいの。 でも・・伝わらない。

     >ただ、私は美少女艦隊様の仰ることには同感です

 

     難しいことを難しく表現するよりも、難しいことを易しく表現するほうがはる

     かに難しいのは確かだと思います。ただここは、日蓮と法華経が話題の中心だ

     ったゆえ、いわゆる「宗教用語」が多発するのはある程度やむをえないものと

     して受け止めてくだされば幸いです。

 

     >弟子と称する人たちが自分を「偉く見せる」ために難しくしていったのでは

     なかろうかと思っています。

     人間がどう生きるか、何をしてはいけないのか、簡単な事ばかりです。

 

     このこともそのとおりではないかと思います。ただよく考えてみると、釈迦の

     説法は基本的には自分と価値観を共有していない人に対して行われたもので

     す。自分と価値観や教養の質が違う人に対して妙な術語やわけのわからない

     「定説」をふりまわしても、メッセージが伝わらないのは明白です。また説法

     を始める前は、釈迦は「自分の考えを語ったところで誰も理解してくれないか

     ら言わずにおこう」と考えていたといいます。以上のような点からして、釈迦

     には常に「自分と価値観の違う他人」と対するのだ、という意識が強くあった

     のではないでしょうか。それが言葉の易しさに通じてくるのではないかと思い

     ます。

     ただ後代の自称「弟子」たちは、自分たちだけで完結した集団をつくり、自分

     と異質の価値観を持った人に対する意識を失って行った(あるいは最初から持た

     なかった)のではないでしょうか。同じ価値観で生きている(と錯覚している)

     であれば、話はいわば「独り言」の世界ですから、いくらでも難しく、いくら

     でも「専門的」に出来たのでしょうね。

     自分(たち)とは一緒にできない他人の存在をどれだけしっかり意識できている

     かが、話し方の難易から初めて、「自分はイヤなことをされると怒るけど、人

     に対しては平気と(無意識にでも)思っている人がいるのも事実」等という集

     団の体質の問題、ひいては教義内容の問題にいたるまで、様々なところに影響

     を与えて行くのではないでしょうか。

     相手の話をよく聴き、決して大上段にものを語ったりせず、相手に伝わる言葉

     で語り、結果的に相手もまた新しいことを発見している。価値観の違いを前提

     にした上での生産的な対話。私が釈迦に感ずるのは、非常にレベルの高いバラ

     ンス感覚です。このバランス感覚こそ彼の言った「中道」の意味なのではない

     かと、私は勝手に解釈しております。

 

47 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/21() 19:42

     >45さん

     もっと自然にさ、なんてゆうの?浮世離れしたオーラが嫌なのよ。

     宗教してるから無理にクリーンに振る舞ってるし。

     人間って宗教やってるからって、もっと汚い面を見せてもオーケーだと思うん

     だ。

 

     上でも書かせていただきましたが、日蓮の持ち味はやはり「人間性全開! 人

     間性丸ごと肯定!」というところなのでしょうね。彼は念仏宗徒に特に敵対心

     を持っていましたが、今ある人間の現実を放棄し、来世に全てをあずけるよう

     に見える彼らの態度が欺瞞的に見えたのでしょう。日蓮がすごいと思うのは、

     自分の正しさは現実との闘いの中でしか得られないとした、その気概でしょ

     う。上でも書いたとおり、彼の主張内容・態度・引き起こした結果などに対し

     ては、個人的には相当疑問を持っています。しかし彼のそういう生き方にひか

     れる人が多いというのは実によくわかる気がします。

 

     >俺は俺でホントのイケてる宗教ってやつを実現させてみせるよ。

     近頃聞くことのできない大変気持ちのいい言葉だと感じました。

     またお考えをどんどんお聞かせください。勝手に楽しみにさせてもらってま

     す。

 

48 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/23() 03:20

 

     45さん

 

     大多数の学会員の方々は、池田氏の「ご指導を」疑いません。

     学会本部の「ご指導」に忠実で、自分で考える事を放棄しているのでは?と

     疑っていました。「自分で考えている」と言われる人も、実は「ご指導」の

     忠実なコピーだと実感していたのですが、あなたのように「ご指導」を咀嚼

     し、

     消化出来る人が学会にいたという事は、私も学会員さんに対する見方を

     変えなければいけないと思います。(直ぐには無理でしょうが)

 

     あなたの発言は、自分の足で踏みしめる力強さを感じます。

     学会に対する批判があると言うのでは無く、ご自分を確立しようとする姿勢が

     読みとれるからです。

     仏教知識の優劣ではなく、仏教の智慧を生かそうとされている(ように思え

     る)

     姿勢には、素直に敬意を表します。

 

     >俺は俺でホントのイケてる宗教ってやつを実現させてみせるよ。

     是非、あなたの行動と勇気で実現させてください。

 

     第7の外道さんの

     >近頃聞くことのできない大変気持ちのいい言葉だと感じました。

     >またお考えをどんどんお聞かせください。勝手に楽しみにさせてもらってま

     す。

     と同意見です。

 

     次の書き込みを期待しています。

 

49 名前: くらくら 投稿日: 1999/11/24() 06:27

     大智度論は「大智度論の物語」三枝充悳 第三文明社レグルス文庫78

     があります。但し大智度論から抜粋したものの意訳です。

 

50 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/24() 10:34

     >49

     ありがとうございます。確かに本屋ではよく見かけたことがありますが、

     不思議と意識したことはありませんでした。なるほど「抜粋」の「意訳」です

     か。

     どうもです。

 

51 名前: . 投稿日: 1999/11/29() 18:19

     .

 

52 名前: あ 投稿日: 1999/11/30() 00:26

    

 

53 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/01() 02:37

     このスレッドも沈没するのがもったいないので挙げます。

 

54 名前: ナランツェツェグ 投稿日: 1999/12/02() 15:46

     蓮日さんという方、宗教板で見かけて、凄い方だとおもってたら、こっちが本

     拠地でしたか・・・。25の法華経の「十如是」に対するレスです。

      えー、チベット訳では、「五如是」しかありません。のこる五つの「如是」

     はいつどこで増えたと思われますか。チベット語の仏典翻訳は八世紀末から九

     世紀初頭にかけて国家事業として一挙に行われたものなので、この前後にイン

     ドに流通していた法華経の原典には、「五如是」しかなかったと推定されま

     す。

 

55 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/02() 23:56

     >ナランツェツェグさん

 

     >こっちが本拠地でしたか・・・。

     どちらが本拠地という事はありませんが、この板でのレスは控えたいと思って

     います。

 

     >チベット訳では、「五如是」しかありません。のこる五つの「如是」はいつ

     どこで増えたと思われますか。

     サンスクリット原典でも同様です。五つの疑問文、あるいは間接疑問文にすぎ

     ません。

     24 のレスに書き込んでありますので、ご参照下さい。

 

56 名前: 松戸 投稿日: 1999/12/03() 03:31

     ハキリとおんなじようなこと言うな!邪宗の教義を見るだけで目が潰れるの

     だ。

 

     創価は創価らしく、強引に折伏しろ!!

 

     方便、ジガケだけよんでりゃいい。他はみんな忘れろ!!それが日蓮仏法だ

     !!

     大商人直結なんだ!!(涙)

 

57 名前: 三須田貧 投稿日: 1999/12/03() 03:56

     実は、日蓮ですら、この世の真理を理解していなかったのでは

     ないのでしょうか。かの、アインシュタインが、最後の方程式を

     完成できなかったように。現代科学を駆使してもなおかつ理解できない

     この世界を、日蓮が、完璧に理解することは不可能でしょう。

     あるいは、釈迦ですらも同じかもしれません。

     まして、、、あのひとは論外でしょう。

     <がちゃぴんとがちゃぴんのみが、よく諸法の実相を極め尽くされて

     いそうです>それが、「五如是」だそうな。

     自らを神とか仏というやつにろくなやつはいないというのが

     わたしの見解ですがいかがなもんでしょうか?

 

58 名前: 松戸 投稿日: 1999/12/03() 03:59

     大聖人は、蒙古襲来を予見した。地球が丸いのも太陽の回りも

     回っているの知っていた。

 

     馬鹿にするな日蓮仏法を!

 

59 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/03() 04:37

     馬鹿にされているのは創価学会。

 

60 名前: あのさ 投稿日: 1999/12/03() 05:35

     >大聖人は、蒙古襲来を予見した。地球が丸いのも太陽の回りも

     >回っているの知っていた。

 

     その程度で威張らんといてくれる?

     もっと現代の何か予想して当ててみろよ!

     だいさく〜

 

61 名前: 日朗門徒 投稿日: 1999/12/03() 11:40

     松戸さんなるお方はいいました

     >方便、ジガケだけよんでりゃいい。他はみんな忘れろ!!それが日蓮仏法

     だ!!

 

     そりゃあ、方便品とお自我偈は大切ですから毎日よんでますけどね、あなたの

     おっしゃるようなかたよった読み方では、せいぜい「創価教」「池田教」でし

     ょ。「日蓮仏法」だなんて、おこがましい・・・。

 

     >大商人直結なんだ!!(涙)

     ・・・・。そうですか。その「大商人」さんとかいう方と、どしどし直結なさ

     って、大いに「経済発展」なさって下さい。私は大聖人のご真意を知ることを

     目指します。

 

62 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/03() 12:02

     蓮日さん、第7の外道さん初めみなさんこんにちは。<学会員です

 

     僕もご多分に漏れず学会系書籍、指導などでしか日蓮大聖人のこと

     仏教のことは知らないからまとまな議論にならないと思いますが、

     自分なりの日蓮大聖人、法華経に関する認識を発言させて下さい。

 

     まず法華経に関する認識の件ですが、当然学会員も釈尊の直接残さ

     れた教典だとは思って無いです。日蓮大聖人に対する意見ですが、

     これは大聖人が立宗された経緯が他の僧達とは根本的に違っていた

     という点が重要ではないでしょうか?立正安国論の冒頭の一説に表

     現されていますが、当時の人々は戦乱、飢饉などにより苦しんでい

     ました。大聖人が仏教を修学していくなかで一番の疑問はこの現実

     だったと思います。どうしてこれほど仏教が興隆しているのに民衆

     は苦しまなければならないのか?仏教には人を救う力が無いのでは

     無いか?そうだとすると釈尊の教えは嘘だというのか?これが大聖

     人の立宗の原点だと僕は思っています。それらの疑問に対する大聖

     人の答えは「否」でした(何故僕が断定してる・・)。だからこそ

     大聖人は立宗された。そこにはどれほどの慈悲があられたか。そう

     いうことの方がよっぽど大切だと思います。お題目、ご本尊、折伏

     など色々書きたいのですが途中ですみません。ここまで・・ちょっ

     と外出です。それにしても仕事中にこんなレスつけるのって法をさ

     げてるよne(^^;

 

63 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/04() 00:14

     >お題目、ご本尊、折伏など色々書きたいのですが途中ですみません。

     真面目なやりとりをやってやろうと、ここに出てくる方が非常にすくないので

     す。続きを書いて下さることを、切にお待ちしています。(=日朗門徒)

 

64 名前: 三須田貧 投稿日: 1999/12/04() 01:12

     モーセは海を裂いたそうです。

     日蓮は目もくらむ光に助けられたそうです、

     私には、まったくの、作り話におもえますが、皆様はどうお感じに

     なりますのでしょうか?

     この世界の法を、完全無視した現象を認めることが出来るのでしょうか?

     もし出来るとするならば、それこそが、法を理解していない証明に

     なるのではないのでしょうか。

 

65 名前: 三須田貧 投稿日: 1999/12/04() 01:32

     もしも、法を変えることが可能であるのならば、釈迦もあのような

     なぐさめのウソをつくこともなかったでしょう。

     方便品16の釈迦滅する時の慰めを。

 

66 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 01:40

     名無しさん学会員

 

     >まず法華経に関する認識の件ですが、当然学会員も釈尊の直接残さ

     >れた教典だとは思って無いです。

     学会の公式ホームページをご覧下さい。

     「釈尊の直接説かれた経典」と記されていませんか?

     信濃町へ問い合わせても

     「法華経は歴史的釈尊の五十年の説法の究極の教えです」

     と答えて頂けるでしょう。

     「創価学会入門」にも

     「インドに出現された釈尊は華厳経を始めに説き(中略)最後に

     出世の本懐として法華経を八年にわたって説いた」(大意)と記載

     されていませんか?

 

     >日蓮大聖人に対する意見ですが、(略)立正安国論の冒頭の一説に表

     >現されていますが、当時の人々は戦乱、飢饉などにより苦しんでい

     >ました。大聖人が仏教を修学していくなかで一番の疑問はこの現実

     >だったと思います。どうしてこれほど仏教が興隆しているのに民衆

     >は苦しまなければならないのか?仏教には人を救う力が無いのでは

     >無いか?そうだとすると釈尊の教えは嘘だというのか?

     日蓮が歴史を学んでいなかったのは、不幸です。

     時代がインドの歴史を正しく日本に伝えていなかったのでしょう。

     日蓮の教えは

     「国が疲弊し、戦乱が続き、人々が苦しむのは『正しい教えが流布していない

     から』」

     ですよね?

     歴史は語ります。釈迦に帰依した「釈迦族」は『釈迦在世中』に滅ぼされてい

     ます。

     阿育王のマウリア王朝も、仏法を手厚く保護していましたが、滅ぼされていま

     す。

     釈迦の教えは「正しく無かった」と云う事ですか?

     正法時代と云われる時の事です。

     西インドの仏教徒も中東に興ったイスラム勢力に根絶やしにされています。

     像法時代と云われる時の事です。

     宗教の正邪が「国に及ぼす影響」とは関係がありません。軍事力の差が「国を

     滅ぼし」

     政治の力が「国を安ずる」のです。

 

     もう一度仏教史・世界史を学んで下さい。

     初歩的な知識から説明するのは、正直に言って「辛い」です。

 

67 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 03:02

     最後です。

 

     >仏教には人を救う力が無いのでは

     >無いか?そうだとすると釈尊の教えは嘘だというのか?

     仏教にキリスト教のような「人を救う絶対者」は存在しません。

     法に従って、正しく歩けば「道は得られる。苦を克服できる」と説いているだ

     けです。

     鎮護国家を説く経典の多くは、為政者に対する「意図的な誤訳」に基づくもの

     です。

 

     仏教経典の何処に「曼陀羅を描いて、曼陀羅を本尊とし曼陀羅に向かってお題

     目を

     唱えなさい」と書かれていますか?そのときに「法華経の方便品と寿量品の自

     我喝を

     唱えなさい」とか、「朝は三座夕は五座でなければならない。」と経典の何処

     に書かれて

     いますか?

 

     釈迦は経典の編集に携わっていません。その携わらない釈迦が「法華経が私の

     本懐」

     と言える訳がないでしょう。

 

     本当に疲れます。

 

68 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/12/04() 03:27

     >62名無しさん

     こんにちは。

     法華経と学会との関係については、蓮日さんがコメントしてくれています。そ

     れに基づくと、あなたの法華経認識は学会公式の見解とはやや違うようです

     ね? しかしこの件についてはここでは触れず、とりあえずあなたのおっしゃ

     る日蓮立宗の意図についてレスします。

 

     人間が宗教たら思想たらを求め出す理由はいろいろありますが、その一つには

     間違いなく「苦の現実」への直面、というのがあると思います。私は仏教はそ

     こを出発点に思考を始めるものだと思っていますし(もちろん、苦の現実を直視

     するから即仏教、というのではなく、仏教の仏教たる所以はそこから反省と行

     動を展開していくときの方法の特殊性にある、というのは当然ですが)、その

     点、

 

     >どうしてこれほど仏教が興隆しているのに民衆は苦しまなければならないの

     か?仏教には人を救う力が無いのでは無いか?そうだとすると釈尊の教えは嘘

     だというのか?これが大聖人の立宗の原点だと僕は思っています。

 

     というのは、心情的には私にもよく分かります。以前このスレッドでも書きま

     したが、日蓮の、そういう目の前の現実から逃げない、むしろ常に立ち向かっ

     て行こうという気概は重いものだと思います。それについて、私はどうこう言

     うつもりは毛頭ありません。ただ、

 

     >他の僧達とは根本的に違っていた

 

     というのは「?」と思いますが。鎌倉各宗派の始祖や忍性やといった仏教者た

     ちにそれが欠けていたとする根拠が私には見出せませんので。

     ともかく次に必要なのは、現状認識、行動の方法や目標の設定といった、論理

     的な省察でありましょう。私が日蓮に対して疑問を感じ始めるのは、そこから

     です。日蓮が当時の日本社会の「苦の現実」の原因と考えたのは、蓮日さんが

     言うように、『正しい教えが流布していないから』、即ち『誤った教えが流布

     しているから』なのですよね? そうした認識に基づいて、彼はその当時はや

     っていた念仏系を始めとして、様々な宗派を「謗法」として攻撃した。御察し

     になっているかと思いますが、日蓮のこうした認識及び行動の目標設定は完全

     に間違っている、と私は思います。正直申し上げて、「悪」の原因を他に帰着

     させてそれを攻撃・排除するという発想は、それが仏教を名乗ろうと何を名乗

     ろうと、私には我慢がなりません。私の思うに、仏教の(というか、人の)とる

     べき認識・方法は、そうであってはならないと思います。

     むろんだから日蓮など学ぶ価値はないとは思いませんし、実際、機会があれば

     もっと詳しく知りたいとは思います。日蓮も自分自身の業の深さを強く意識し

     ていたみたいですし、私は彼を「裁く」つもりはありません。しかし、あくま

     で私にはここのところは譲れないのです。

 

     と、先走ってしまいましたが、62さんには学会あるいは日蓮の教えを(ロボッ

     トのように盲従するのではなく)自ら主体的に取り込んで行こうという姿勢を感

     じます(文体で判断できます)し、牛の首さんのおっしゃるように、とりあえず

     時間を見つけてお思いになられていることをどんどん書き込んでいただけたら

     と思います。こちらも疑問はどんどん書きますが、そちらも遠慮なくどうぞ。

 

69 名前: 名無しさんとは別人 投稿日: 1999/12/04() 03:39

     >蓮日さん

     >歴史は語ります。釈迦に帰依した「釈迦族」は『釈迦在世中』に滅ぼされて

     います。

     >阿育王のマウリア王朝も、仏法を手厚く保護していましたが、滅ぼされてい

     ます。

     >釈迦の教えは「正しく無かった」と云う事ですか?

     >正法時代と云われる時の事です。

     >西インドの仏教徒も中東に興ったイスラム勢力に根絶やしにされています。

     >像法時代と云われる時の事です。

     >宗教の正邪が「国に及ぼす影響」とは関係がありません。軍事力の差が「国

     を滅ぼし」

     >政治の力が「国を安ずる」のです。

 

     それではお尋ねしますが、上記の内容を貴方自身が学んだ出典は何ですか?

     貴方がその時代に生きていた訳ではないのですから、確かな伝聞がなされたの

     でしょう。

     貴方が‘疲れる’とおっしゃるまでの確信はどこから来るのか、無知の馬鹿ど

     もに

     納得のいく様にお教えいただきましょう。

 

     学会員のみんな良く聞いとけよ。

     蓮日さんがお疲れのところ説明してくださる。

 

70 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 03:41

     第7の外道さんは本当に偉いなぁ。と思います。

 

     単に学問的な見地からの私と違って、宗教とまともに向かい合っているんだも

     の。

     本当に頭が下がります。

 

     私の出番は無くなりそうで、或る意味では幸いなのですが、どうか学会員の方

     は、

     第7の外道さんを大切にしてあげて下さい。

     心からお願いいたします。学べる所は多いと思います。

 

71 名前: 名無しさんとは別人 投稿日: 1999/12/04() 04:10

     ごめん、期待した俺がまちがってた。

     蓮日さん逃げます、あ、いや、落ちます。

 

72 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 04:56

     69 名無しさんとは別人

 

     書庫から引っぱり出して調べてみました。

 

     J・ゴンダ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     インド思想

    

     佐藤圭四郎  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・    古代インド

     中村 元   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   インド思想

    

     L・ヌルー/J・フィリオザ ・・・・・・・・・・・・・ インド学大事典

 

     です。

 

     久々に本を開いて見ましたよ。

     たまには本も読まなくてはね。

 

73 名前: 連日@活動ご苦労様 投稿日: 1999/12/04() 05:03

     蓮日さん

     納得のいく解説をお願いします。

     多分、明日にはお話頂けますよね?

     それとも何かな、確かなものでは無かったのかな?

     ただ、知識をひけらかしたかっただけかな?

     歴史の解釈は色々あるわけで・・・

     あれほどまでに断言できるのは、何か理由があるのでしょう。

     本で読んだ、では学会員と同じだもんねぇ。

     それに、蓮日さんやその他の実力者は

     ヒューでも論議すりゃいいのに。

     変なの出てこないし、実力者が多いし。

     ここでは天下取ったようにお話してるけど、

     本当の議論にならんでしょ?

 

74 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 05:20

     69 名無しさんとは別人さん

 

     学会員は本で読んだことを検証されますか?

     私は、故中村元氏の「東洋学院」に足を運び、当時の写本とか、

     その他の資料も拝見させて頂いております。

     当時インドに駐留していたメガステネースというギリシャ人は、

     それらの記述を残しています。

     その他にも様々な写本(写真版)なども拝見させて頂き、「自分の足」で

     確認もとっています。

 

     それらが偽物でなければ・・・・ですがね。

 

     >変なの出てこないし、実力者が多いし。

     「ヒュー」には充分変な人が居るのじゃないですか?

     法華経は釈迦が説いたとか、なんとか云う人とか

     池田大作さんの悪口を書くと怒り狂う人等。

     で、ご遠慮させて頂きます。

 

75 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 05:27

     追記です 73さん

 

     >ここでは天下取ったようにお話してるけど、

     天下を取ると云うのは、池田さんの口癖でしょうが、

     私は天下を取るつもりも、天下を取ったつもりになる気も無いですから。

     天下は池田さんに任せます。せいぜい気張って下さい。

 

76 名前: 連日@追記ご苦労様 投稿日: 1999/12/04() 05:32

     さすが。

 

77 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/04() 11:39

     訂正です。

 

     「東洋学院」

     は「東方学院」の誤りです。

 

78 名前: もんにょ 投稿日: 1999/12/04() 17:41

      ども、ここのやり取り、興味深く見さしてもらいました。

      どーも蓮日氏をやり込めようとしてる人がいるけど、あなたは自分の

     発言に責任とるご用意はおありか。

      「歴史は所詮伝聞にすぎず、書物に書かれている事が歴史の真実

     であるとは限らない。」ってのがあなたの拠り所で、最終的に

     突き詰めて行くと「ほら、蓮日も学会員と同じように本に書いてある

     事を鵜呑みにしてるだけじゃん。」ってところにオチをもっていく

     つもりなんだろうけど、その後あなた自身が(蓮日氏が>72で挙げた

     本の内容より)納得の行く「歴史の真実」を見せない限り、ただの

     横レスだぜ?

      まあ、俺のこれも横レスだ。

 

79 名前: チキンの唐 投稿日: 1999/12/05() 17:58

     あげ

 

80 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/06() 13:38

     >蓮日さん(他レス下さったどうもです)

     62です。初歩的なことからの解説ありがとうございます。最初にも断りました

    

     僕には豊富な知識も教養もありません(卑下する訳じゃないですが)。ただ、

    

     通の学会員として精一杯発言しようとしてるだけです。今後も暇があればレス

    

     ようとは思いますがその時はご容赦頂ければと思います・・

 

     >「インドに出現された釈尊は華厳経を始めに説き(中略)最後に

     >出世の本懐として法華経を八年にわたって説いた」(大意)と記載

     >されていませんか?

 

     おっしゃる通り解答されると思います。しかし、膨大な仏典を掘り返し知識を

     蓄え論破

     するのが仏の心でしょうか?釈尊は今、目の前で苦しんでる人を救うために法

     を説いたと

     思う(その人に対し必用な)。その思想、哲学が体系的にも時系列にも整理さ

     れたのが現

     代の仏教だと思います。仏教とは仏の心から生まれた、人々を救う為の総合的

     な宗教であ

     り、思想であり哲学だと個人的は思います。原文がどうの、鳩摩羅什の訳がど

     うの、誰そ

     れの釈がどうのといってみても人は救えません。不幸な人を救うという宗教本

     来の目的か

     らすればまさに枝葉末節だと思います。まして、自らの宿業に苦しんでる民衆

     を救済しよう

     とする仏の心、慈悲などはそこには介在しないでしょう。

 

     ただ、最近の研究などから蓮日さんがおっしゃるように、

 

     >釈迦は経典の編集に携わっていません。その携わらない釈迦が「法華経が私の

     本懐」

     >と言える訳がないでしょう。

 

     のようなことが解ってきてることぐらいは学会員でも知ってますし、先生の書

     物でも

     触れられています。根本的に観点が違うのだと思います。大聖人ご在世当時に

     そういう

     研究結果も無かったでしょうし、前にも触れた通り、法華経を表したのが釈尊

     か否かと

     いうことと、人々を救いたいという仏の目的とは別の次元になると僕は思いま

     す。

 

     >仏教経典の何処に「曼陀羅を描いて、曼陀羅を本尊とし曼陀羅に向かってお題

     目を

     >唱えなさい」と書かれていますか?そのときに「法華経の方便品と寿量品の自

     我喝を

     >唱えなさい」とか、「朝は三座夕は五座でなければならない。」と経典の何処

     に書かれて

     >いますか?

 

     ご本尊(曼陀羅)については、大聖人に出世の本懐でもあり、日蓮門下にとっ

     て根本的

     な教義ですので、また別の機会にレスできればと思います。

 

     大聖人が法華経、なかでも、方便品と寿量品を読誦されたのは、この二品こそ

     が肝要だと

     されたからです。この二品には画期的な思想が数多く含まれています。生命哲

     学、悪人成

     仏、女人成仏を初め、それまで絶対成仏できないとされた二乗(声聞・縁覚)

     成仏、始成

     正覚を否定した久遠元初の仏の存在(真理の存在と言えばいいのかな?)・・

     と。天台は

     摩訶止観で理の「一念三千」を説きました。大聖人はこの「一念三千」を「南

     無妙法連華経」

     のお題目として現実の中で実践されたのです(事の一念三千)。五座、三座の

     件ですが

     これは、興門流であり大聖人御入滅後の儀でしょう。ただ、五座、三座の勤行

     にはそれぞれ

     ご観念文もあり無意味なもではありません(儀式としても)。

 

     長くなりましたが最後に一言、大聖人は「法華経」を依教とされましたが、本

     意は

     「南無妙法連華経」のお題目、ご本尊を広宣流布することにあり、一切衆生の

     成仏にあります。

     そこで、釈尊とは根本的に違うのです。日蓮大聖人を末法の御本仏として広宣

     流布を目指すの

     が興門流であり、創価学会である以上、大聖人根本、ご本尊根本となるのは当

     然だと思います。

     余談ですが、大聖人仏法では一口に法華経といっても時によって色々あるとさ

     れています。釈尊

     の一部八巻二十八品の法華経、不軽菩薩が唱えた法華経、天台の摩訶止観(一

     念三千)と・・

     そして南無妙法連華経・・要は仏はその時代、人々の境涯などに即して法(法

     華経)を説くとい

     う考えです。

 

81 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/06() 15:12

     >第7の外道さん

     こんにちは。初めに、確かに他の宗派の僧らが好んで民衆を不幸にし

     ようとしたとは僕も思いません(良観などは別ですが)。

 

     次にご指摘のように、大聖人はご自身の結論として現在のあらゆる

     不幸の根本原因を法華誹謗にあるとされました。これは、鎌倉時代

     における仏教を修学された結果の結論であり、依法不依人(法に依っ

     て人に依らざれ)とあるように、それはあくまでも法を根本とした結論

     であり、法華経を用いない限り、現世安穏も立正安国も望めないという

     帰結であったと思います。ただこれには、法華経が釈尊の教えでは無い

     という見解の方には受入れられないのかもしれないですが、大聖人は四

     十余年未顕真実とあるように、釈尊自信が法華経以前の教えは方便であ

     り、以後の教え(法華経のみ)が真実(末法の衆生を救済する上で)の

     法であると説いたという説に従われたのであって、自説を説いたもので

     は無いと思います。

 

     本題の他宗派への破折ですが、大聖人の結論はあくまで釈尊自信の爾前

     の教えは捨てなさい(正直捨方便)との説に従い、法華経(南妙法蓮華経)

     を弘めることにあるのですから、他宗を破折するのは自然だったのでは

     ないでしょうか。当然、迫害は覚悟されての行動です。その結果、ご存じ

     のように悪口罵詈をはじめ、2度に渡る流罪(伊豆、佐渡)、竜の口の法

     難(死罪)と数々の迫害を受けられました。しかし、それによって、真に

     ご自身が末法の法華経の行者であることを証明されたのです(経に説かれ

     る法難を全て受けられ、仏説をご自身で証明された)。

 

     破折とは、法華経の敵を見て破折しないとすると結果的に民衆を苦しめる

     ことに荷担したことになるとの説(与同罪)に従った行動であり、大聖人

     の思想が排他的、独善的であるということでは決して無いと思います。あく

     までも法に従った行動だったのだと思います。

 

     また、初代牧口先生は、「悪を見て放置するのは悪と同じである」と指導さ

     れました。真に大聖人直結の信心をされ、軍部、宗門(日蓮正宗)と戦われ

     その結果、宗門からは破門、国家からは治安維持法違反、不敬罪で逮捕投獄

     され殉教されたのです。

 

82 名前: あげ 投稿日: 1999/12/07() 00:34

     ます。

 

83 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/07() 01:43

     62 名無しさん

 

     私は仏教者でも、信仰者でもありませんので、学問的立場からしか仏典を判断

     いたしません。

     或いは宗教も学問的にのみ捉えています。

 

     >膨大な仏典を掘り返し知識を蓄え論破

     >するのが仏の心でしょうか?釈尊は今、目の前で苦しんでる人を救うために

     法を説いたと

     >思う(その人に対し必用な)。その思想、哲学が体系的にも時系列にも整理

     されたのが現

     >代の仏教だと思います。

     その結果が、大乗は釈迦の説いた本意とは外れている(全てとは言わないです

     が)。

     と云うのが現代の仏教観です。

 

     >仏教とは仏の心から生まれた、人々を救う為の総合的な宗教であ

     >り、思想であり哲学だと個人的は思います。原文がどうの、鳩摩羅什の訳が

     どうの、誰そ

     >れの釈がどうのといってみても人は救えません。

     仏教とは仏の心から生まれたものではありません。「法」に基づいて生まれた

     ものです。

     苦しんでいる人を救うのが目的ではありません。「法」を求める人にのみ説か

     れています。

     「如来は法をもって人を誘う」と説かれていることはご承知でしょうか?

     「毒矢の喩え」にも、「救ってくれないから、疑問を解決してくれないから弟

     子に成らないと

     言う人は、弟子に成らなくても善い。修行をしなくても善い」と切り捨ててい

     ます。

     まして、嫌がる人に「無理矢理」に教えを説くような事は一切していません。

 

     >自らの宿業に苦しんでる民衆を救済しよう

     >とする仏の心、慈悲などはそこには介在しないでしょう。

     宿業とは一体何でしょう?バラモン教と混同していませんか?

     釈迦の教えに「自らの宿業に苦しんでる民衆を救済しよう」と云う言葉があり

     ますか?

     無学故、拝見した事が無いので、宜しかったらご教授ください。

 

     >大聖人が法華経、なかでも、方便品と寿量品を読誦されたのは、この二品こ

     そが肝要だと

     >されたからです。この二品には画期的な思想が数多く含まれています。生命

     哲学、悪人成

     >仏、女人成仏を初め、それまで絶対成仏できないとされた二乗(声聞・縁

     覚)成仏、始成

     >正覚を否定した久遠元初の仏の存在(真理の存在と言えばいいのかな?)

     ・・と。

     日蓮が「なかでも、方便品と寿量品を読誦された」と云うのも初耳です。

     日蓮は「法華経」を読誦していたのでは無いのですか?

     画期的な「生命哲学」とは何でしょう?

     悪人成仏は「提婆達多品」の間違いではありませんか?

     女人成仏も「提婆達多品」の間違いではありませんか?

     方便品と寿量品と断定される箇所は何処でしょう?

     「それまで絶対成仏できないとされた二乗(声聞・縁覚)成仏」と言い切るに

     は他の経典も

     読まれたのでしょうね?

     多くの二乗(声聞・縁覚)の成仏は小乗と吐き捨てられている「阿含経典」に

     も多くの例が

     ありますが、それは「釈迦が嘘をついた。」と云う事でしょうか?

     如来蔵経典に説かれている「全てのものは成仏出来る」と云うのも釈迦の「駄

     法螺」でしょうか?

     浄土経典に説かれる「悪人・女人」への救いはハッタリなのでしょうか?

     法華経にとかれる「悪人・二乗(声聞・縁覚)成仏」は単に記別(将来の保

     証)だけで、裏付けは

     ありません。「女人成仏」も一度男に変じての成仏です。

     あなたが意気込んで書かれたものを拝見して、「法華経を読まれてはいないな

     ぁ」

     と直ぐに分かりました。学会の教科書通りの説明です。

 

     >摩訶止観で理の「一念三千」を説きました。大聖人はこの「一念三千」を

     「南無妙法連華経」

     >のお題目として現実の中で実践されたのです(事の一念三千)

     あなたは、この「事の一念三千」をちゃんと説明出来ますか?

     観心本尊抄に曰く

     「一念三千の仏種に非ざれば、有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」

     と。「事の一念三千」つまり「南無妙法連華経」とは仏種の事だと。

     その「南無妙法連華経」は真言であるのだと。

     その真言(陀羅尼・マントラ)は外道の法であると釈迦は厳しく弟子に禁じて

     いるのを

     ご承知でしょうか?

 

     >余談ですが、大聖人仏法では一口に法華経といっても時によって色々あると

     されています。釈尊

     >の一部八巻二十八品の法華経、不軽菩薩が唱えた法華経、天台の摩訶止観

     (一念三千)と・・

     >そして南無妙法連華経・・要は仏はその時代、人々の境涯などに即して法

     (法華経)を説くとい

     >う考えです。

     余談ですが、釈迦は「法(真理)」は釈迦が世に出ようと出まいと、常に存在

     していると説きます。

     故に過去七仏は同じ「法(真理)」を説いたと云う思想が表れます。

     時代が変われば真理が変わるとするのならば、既に真理ではありません。

     まして、創造者としての「神」や、絶対者としての「仏」と云う概念は仏教に

     はありません。

     お題目を唱えると、「願いが叶う。唱えない者は救われない」と云うのは、キ

     リスト教の

     「信じる者だけが救われ、信じない者は地獄へ堕ちる」と云う思想と変わらな

     いではありませんか。

     それが「慈悲」ならば、私には必要でもないし、学ぶ気も致しません。

 

84 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 01:52

 

     結論 池田大作 は 太ったブタ であり 色魔 であり

 

        地獄へ 堕ちなければ ならない。

 

85 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:01

     40万払わしてやったよ。 大作には。

     スカトロ野郎 池田大作 氏寝

 

     沢 玉金 参上

 

86 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:03

     うぜえ

 

87 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:06

     しね だいさく

     さわたまき と すかとろ ぷれい

 

88 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:08

     Sage

 

89 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:09

     Sage

 

90 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:10

     Sage

 

91 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:12

     sage

 

92 名前: 学会員 投稿日: 1999/12/07() 02:13

     大作は漢字読めるのか?

     英語話せるのか?

     日本語知ってるのか?

 

93 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/07() 02:14

     大作と語るノーベル平和賞

 

94 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/07() 02:18

     すっきししたぜ。

 

                 池田大作は 悪の権化

 

                 脱税するな あほ!

 

95 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/12/07() 02:45

     >81さん

     レスありがとうございます。

 

     さて、私の疑問、というか意見は単純なものです。日蓮は「不幸の根本原因を

     法華誹謗にある」とし、「法華誹謗」をしていると日蓮が見なした人々を「

     悪」として、これを排撃する、というものでした。そこで疑問です。

 

     なぜ「不幸の根本原因」が「法華誹謗」にあるのか。

 

     >仏教を修学された結果の結論

     >法華経を用いない限り、現世安穏も立正安国も望めないという帰結であった

 

     なぜそんな帰結が出たのか。それは日蓮が、法華経こそ釈尊の本懐である、残

     りは皆方便だ、と信じたからですよね?

 

     >釈尊自信が法華経以前の教えは方便であり、以後の教え(法華経のみ)が真

     実(末法の衆生を救済する上で)の法であると説いたという《説に従われたの

     であって、自説を説いたものでは無い》と思います。

     >大聖人の結論はあくまで釈尊自信の爾前の教えは捨てなさい(正直捨方便)

     との《説に従い》

     (《 》は私が強調しました)

 

     あなたのお話に基づくと、日蓮もただ当時の説に従ったまでであり、彼はただ

     当時の説を信じて行動したまでだ、というふうにも読めます。それはよしとし

     ましょう。ただ、その当時の説が間違っている以上、現代の我々は日蓮の説に

     そのまま無批判に従うことはできません。つまり、法華経の、他の教えに対す

     る絶対的な優位というのはこの時点で崩れるわけで、だとすれば「法華誹謗」

     が「不幸の根本原因」であるとする結論も自然と崩れることになります。

     また、

 

     >はあくまで釈尊自信の爾前の教えは捨てなさい(正直捨方便)との説に従

     い、法華経(南妙法蓮華経)を弘めることにあるのですから、他宗を破折する

     のは自然だったのではないでしょうか。

 

     とありますが、当時の説を信じていた日蓮にとっては確かに「自然」だったで

     しょう。しかし我々にとってはもう全く「自然」ではないはずです。いや、当

     時の説が今もって正しいとしても、これは全然「自然」なんかではありませ

     ん。他人の価値観を最初から間違っているものと決め付け、頭ごなしに「破

     折」することのどこが「自然」なんですか? 滅茶苦茶言わないでください。

     どんなに「正しい」思想も、そういう方法で他人に受け入れさせようとする時

     点で正しくありません。ましてその「正しさ」が当時の説に基づいていた、と

     いうだけであってそれ以上の根拠がないものだったらなおさらです。相手の考

     え方が自分から見て誤っている、直してあげたいと思うなら、まずは相手の全

     体を受け入れることから始めなければなりません。相手がどういう経緯で・動

     機で・事情でそういう考え方を身につけるようになったのか、相手が求めてい

     るものは何か、相手は何に苦しんでいるのか。そういうものを理解し、受け入

     れていく中で、自分の考えが正しいかどうかを相手に判断させていく。仏教用

     語ではそういうのを「摂受」というのでしょうが、それで初めて相手も変わろ

     うとするんじゃないですか? 日蓮が「摂受」を第二義的なものとしたのは、

     彼には「摂受」の意義がよくわからなかったのではないでしょうか?

     さらに、

 

     >破折とは、法華経の敵を見て破折しないとすると結果的に民衆を苦しめるこ

     とに荷担したことになるとの説(与同罪)に従った行動であり

 

     とありますが、この「説」は正しいのでしょうか? 民衆を苦しませているも

     のを放置し、結果的に民衆を苦しめるのに荷担するのが罪だというのは、ひと

     ころ実存主義者たちがよく用いた論理です。これによれば私たちは一人残らず

     罪人です。原罪というやつですか? 今は、この評価は甘んじて受けましょ

     う。ただ「法華経の敵」(というか、それまで法華経に対して敵でもなんでもな

     かった人が、法華経を掲げる日蓮に激しく攻撃されたため、いわば日蓮のせい

     で「法華経の敵」になってしまった人たちでしょうが)が「民衆を苦しめる」と

     いうのはおかしいですね。「当時の説」が誤りであることを知っている私たち

     には当然のことですが。「法華誹謗」が「不幸の根本原因」であるという説に

     根拠がないならば、「法華経の敵」にされてしまった人はまさに冤罪を負わさ

     れたわけですね。

 

     >大聖人の思想が排他的、独善的であるということでは決して無いと思いま

     す。あくまでも法に従った行動だったのだと思います。

 

     その「法」というのは日蓮自身が解釈していた法で、しかもそれは当時の誤っ

     た説に基づいた解釈だったのでしょう? 自分で設定した「法」に自分で従

     い、他宗派をそれに基づいて攻撃していたのですから、「排他的」「独善的」

     である恐れは十分に伴われています。というか、この言葉は真面目な宗教者の

     台詞には思えません。宗教が、何か特定の信念に基づき人に働きかけて行く以

     上、それはどんなものであっても「独善」の可能性が伴うものです。だから真

     面目な宗教者は、自分の考えが「独善」に陥ってしまっていないかどうか、常

     に恐れ反省しているものだと思います。「法に従った行動だった」から「排他

     的、独善的であるということでは決して無い」というのでは、自己反省の契機

     がどこかへ吹き飛んでしまっています。この言葉が冗談であることを願わずに

     はいられません。

 

     結局、学会の信仰の意味を今説くというのであれば、日蓮がどうしたというの

     はあまり役には立たないと思います。必要なのは、日蓮の誤りなどはきちんと

     清算したあげく、その上で日蓮の「本懐」を察して、それを現代に相応しくア

     レンジする、ということでしょう? 蓮日さんに対するレスでお話のとおり、

     日蓮の本意は釈迦と全く違うというのであれば、それはそれで結構です。ただ

     あなたが法を現代において説いていきたいと思うのであれば、「日蓮はああし

     た、こう言った」というところから離れて、あなたが信ずる「日蓮の本懐」

     を、あなた自身の言葉でお説きになってください。

 

     あと、おまけですが

 

     >確かに他の宗派の僧らが好んで民衆を不幸にしようとしたとは僕も思いませ

    

 

     ということは、結果的に彼らは「民衆を不幸」にしたということですか? 無

     論、そういう側面もあっただろうことは予測できます。けど、日蓮にしてもそ

     れは同じです。日蓮とその「弟子たち」の行為によって苦しめられた人は、私

     の肉親も含めて数多くいます。その点をもって、日蓮を他の僧よりも優れてい

     ると見なすことはできません。

 

96 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/07() 03:01

     素晴らしいです。第7の外道さん。

 

     私の申し上げる事は、もう御座いません。

 

     長い間お勉強をさせていただき大変ありがとう御座います。

     蓮日、深く感謝をいたします。

 

97 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/07() 03:05

     だからといって

     池田大作が莫迦だということの

     反証にはならんだよ。

 

98 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/07() 03:07

     写真はアホ大作の箇所を切り抜いて,法主様と差し替えたってよ。

     何で400万なんだ。

     10億ふんだくらねば元がとれんって思うけど,

     やっぱアホ大作と違って法主様は偉いな。

 

99 名前: 通りすがりの紋次郎 投稿日: 1999/12/07() 04:15

     このスレッドはむなしいね。

     裁判終わったよ。。。

 

100 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:17

     ad

 

101 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:18

     sage

 

102 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:18

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103 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:18

     ad

 

104 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:19

     さげ

 

105 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:19

     sagete

 

106 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:19

     sage

 

107 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:21

     It is very clean!

     How beautiful this site!

 

108 名前: sage 投稿日: 1999/12/07() 04:22

     写真はアホ大作の箇所を切り抜いて,法主様と差し替えたってよ。

     何で400万なんだ。

     10億ふんだくらねば元がとれんって思うけど,

     やっぱアホ大作と違って法主様は偉いな。

 

109 名前: 通りすがりの紋次郎(再掲です。無断御免) 投稿日: 1999/12/07()

04:28

     このスレッドはむなしいね。

     裁判終わったよ。。。

 

110 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/07() 10:47

     99109は、意図的な荒らしか、ただのバカのどっちかだ。

     このスレッドは、「裁判」とやらは関係なくて、日蓮大聖人の教えそのものを

     学術的に分析した議論がおこなわれている。学会員らしき人の荒らし的書き込

     みのせいで素晴らしい議論が見えなくなっているけれど。

 

     99=109とそのお仲間へ。

     このスレッド沈めようとしても無駄だよ。

 

111 名前: 蓮日 投稿日: 1999/12/08() 04:51

     次の文は、「今まで明確に応えてくれた学会員は一人もいない質問」

     に投稿したものの再掲ですので、 1さんは「第7の外道 さん」ではありませ

     ん。

     ご了承下さい。

 

     日蓮の名誉の為に一言。

 

     学会員と日蓮宗(単称)を一緒に括ってはいけません。

     日蓮宗のご僧侶とお話をする機会があったので、色々とお話を伺いました。

     先ず、日蓮を信じる人も、日蓮にも間違いはある。と云うことらしいです。

     その間違いも含め、「如来使」としての日蓮を信じている。これは当時の文献

    

     とか、歴史学とかが未整備だったので、現在もその「言葉の通り」だとは思っ

     ては

     いない人も居る。(ご僧侶でも)

     また、金言のままだと信じている人も居る、と。

 

     日蓮宗(単称)は、勝劣派も、一致派も、中山門流も受布施派も、包括した教

     団であって、

     日興門流ですら排斥していないそうです。

     日興門流(正しくは一部の日寛教学門流=石山派とでもいいますか)のよう

     に、

     教条的では無いと云う事です。

 

     1 さんのように仰せの人も、或いは違った解釈をする人もいますので、

     「今まで明確に応えてくれた学会員は一人もいない質問」と云うのは学会員に

     「のみ」

     に持たれているものだと思います。

 

     日朗門流さんが「小馬鹿にされているようだ」と考えるのは、少し早計だと思

     います。

 

     ついでに一言申し添えておきますが、

     私が書き込んでいる「日蓮批判」は、学会員と正宗の方々の日蓮観に対するも

     ので、

     日蓮信徒全体を指さしている訳ではありません。

 

     望月先生や茂田井先生などの書籍には大いに得るところがありました。

     1さんもご参照になされてはいかがでしょうか?

 

     とりとめの無い書き込みですが、お許し下さい。

 

     執拗な嫌がらせによって、このスレッドが汚される事を危惧しています。

 

112 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/08() 12:35

     そおれっ、あげ!っと。

 

     >私が書き込んでいる「日蓮批判」は、学会員と正宗の方々の日蓮

     >観に対するもので、日蓮信徒全体を指さしている訳ではありません。

     と、蓮日さんはおっしゃるが、1824あたりなど、大聖人に対する批判は、

     「日蓮信徒全体の信仰内容」とも関連するわけで(ホントは、あなたのHNもイ

     ヤです)、蓮日さんにきちんと反論できる素養は全然ないので黙ってますが、

     もっと勉強しなきゃ・・と思っています。

 

113 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/08() 14:07

     >蓮日さん、第7の外道さん

 

     62です。正直降参です。仏教の勉強なんてしたことないのに

     会話に入り込んだことを申し訳なく思ってます。これからも

     真面目な議論を楽しみにしています。

 

     自分は大聖人門下ですので、大聖人の仰せのままにこれから

     も生きます。日興上人は、まず大聖人の法門を理解し、時間

     が空いたら他の(止観など)を勉強するようにと仰せです。

     あと、もっと勉強しなければと言ってる人で学会員の方いた

     らまず、日興遺誡置文を読みましょう。五老僧のように天台

     沙門とならないことを祈ります。僕たちにはご本尊とお題目

     そして、師弟不二の信心と行学の二道があれば良いのですか

     ら(学会員として正直なとこです(^^)、怒らないで下さい)。

 

     「文証、理証より現象には過ぎず」です。僕はこの信心で本

     当に救われました。ただそれだけで充分ですし、僕にとって

     は真実です。

 

     「教主釈尊の出世の本懐はいかなることぞ、人の振る舞いに候いけるぞ」

 

     これからも良い結果になるよう頑張ります。良き友、善良な

     社会人となれるように・・。

 

     また、機会があれば書き込みします。

 

114 名前: 魔王 投稿日: 1999/12/08() 14:29

     フヒヘハハ!

     創価学会に入り、悪の道を邁進するのも楽しいぞ!!

     すくなくとも本人だけは!

 

115 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/08() 20:18

     今朝、一時的に全てのスレッドが見えなくなったので、このスレッドのミラー

     スレッドを途中まで作りましたが、本物がでてきたので、もうその必要はあり

     ませんな。

 

     113さん宛に独り言。

     私は日朗聖人、日像聖人の法統に属する寺の檀家(信心の無い、点綴的な「葬

     式仏教徒」の家)に生まれました。大学時代にあるラマと知り合いになり、チ

     ベットの人たちが仏教どのように信仰し、いかに仏法を体系化しているかに触

     れて、自らの姿勢を反省して、日蓮聖人が如何に仏法を体系化し、法華経をそ

     の頂点に据えられたのか、そのご思索のあとをたどりたいと思うようになりま

     した。

      蓮日さんとか、第七の外道さんらの一連の論考は、大聖人を否定してやろう

     という立場からのものですが、単なる罵倒や侮辱、誹謗中傷ではなく、仏説

     や、近代文献学の成果を踏まえたものです。おおいに発憤させられるというい

     みで、読み応えのある、大変貴重なご意見であると思っています。

 

116 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/12/09() 00:02

 

     >113 名無しさん

     私はこういう種の議論は、勝ち負けとかは気にせず、平行線のまま終わってい

     いと思います。勝ち負けにこだわれば相手の意見を壊す論法だげが横行し、そ

     れはそれは不毛になります。ただお互い筋を通して、できるかぎり自分の考え

     を明確に語ろうとする姿勢があればいいと思うんですよ。たとえその時は確か

     に「平行線」でも、筋の通った話は後でボディブローのように効いてきて、確

     実にその意見に影響を与えられていきます。それに意味があるように思いま

     す。ちょっとカッコつけすぎですかね? ですから113さんも「降参」なん

     て言わないで、また何か思いついたら書いてください。あなたの信仰が非常に

     真摯なものであることは十分伝わりますし。私だって仏教の勉強始めたのはつ

     い最近で、まだ全然です。蓮日さんをはじめとしてここの皆さんには勉強させ

     られます。またよろしく。

 

     >牛の首さん

     ミラースレッドをつくろうとされていたのですか? ありがたいことです。他

     でも書きましたが、私は出発点は仏教、というか宗教とは全く関係ない、いや

     むしろそれを憎むような地点から出発しています。仏教(釈迦の思想?)は、私

     が自分なりに考えてきたことにドンピシャにはまったので、それでちょくちょ

     く勉強を始めている次第です。だから私の意見は「仏説や、近代文献学の成果

     を踏まえたもの」では全然ありませんが()、それでも刺激になれば幸いで

     す。あなたもどんどん書きこんでください。

 

117 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/09() 00:14

     牛の首さん

 

     蓮日というHNは確かに不届きでした。お詫びして変更致します。

 

     確かに当初は日蓮を少し嘲っていた事は認めます。これも深くお詫び申し上げ

     ます。

 

     しかしながら、日蓮当時の時代背景を考えますと、それも仕方が無いと云う認

     識は

     持ち合わせているつもりです。誤解を招きましたことは私の不徳であるとし

     か、お詫び

     出来ませんが、牛の首さんの判断にまで踏み込む事は出来ません。

     「昼行燈」が許しを告うて詫びたと云う事実を御承知置き下されば幸せです。

 

     私は原始仏教と唯識が専門で、日蓮については「宗学」を専門に学ぶ人に比べ

     れば

     語るほど深くは学んではいません。また日蓮関係のお話も、創価学会を通じて

     の知識が

     遥かに多く、日蓮に対する偏見もそれ故である事もご承知下さい。

     最近、熊谷の立正大学の寮に住まわれる御僧侶の方と話をさせていただき、学

     会を

     通じての日蓮観に揺らぎが生じている。と云うのが正直なところです。

     但し、あくまで信仰観に関するものに限定され、歴史観などでは依然否定的と

     成らざるを

     えません。

 

     私は信仰を持ちませんので、信仰者の方々の心情を理解出来ませんが、学会員

     の方々

     も「信仰者」である事を考慮しまして、その心情を「踏みつけにする」発言が

     無いように

     気を配るよう、努力いたします。

     行き過ぎた発言が在った時には、ご意見をお寄せ下さい。

 

     62 名無しさん

 

     その心意気で頑張って下さい。としか申せませんが、既に日蓮正宗と義絶した

     教団

     なのですから、その教義に縛られる事無く、ご自分でも学ばれる事をお祈り致

     します。

     もし、間違っていたら間違いを認めたうえで、それを「どのように信仰に活か

     すか?」

     を考えて見ては如何でしょう。

     信仰は学問とは違って、もっと融通が効くものでは無いでしょうか。

     近年、学会員のキリスト教式の結婚式や、クリスマスのお祝い、名誉会長の他

     宗教との

     融和関係などは、教条的な宗門の教義とは違う方向への模索ではないでしょう

     か?

 

134 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/09() 04:45

     123-133

     なんだい、こりゃ?でもまあ、ウゼエ118121を引っ込めるために、まあしょ

     うがないか。

 

     気を取り直して、117の昼行燈(元・蓮日)さんのレスに続けて、真

     面目な議論を、頑張ろう!

 

135 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/09() 10:19

     >第7の外道さん、昼行灯さん、牛の首さん

 

     62です。レスありがとうございます。ありがたいレスだなと思いました・・。

     感謝します。また、信仰者としての立場で書き込みさせて頂きます。

 

     昨日の書き込みのご請訓の訂正です。

 

     「教主釈尊の出世の本懐は如何成る事ぞ、人の振る舞いに候いけるぞ」

                     ↓

     「不軽菩薩の人を敬いしはいかなることぞ

                教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いける

     ぞ」

 

     でしたね。お恥ずかしい・・

     >昼行灯さん

 

     >信仰は学問とは違って、もっと融通が効くものでは無いでしょうか。

     >近年、学会員のキリスト教式の結婚式や、クリスマスのお祝い、名誉会長の他

     宗教との

     >融和関係などは、教条的な宗門の教義とは違う方向への模索ではないでしょう

     か?

 

     仏教自体も融通が効きます。もともと仏教は他宗の神も諸天善神として取り入

     れています。

     学会も宗門と離れて世界広布の道が大きくひらきました。その寛容性は厳然と

     した事実です。

     学会は今、青年を中心に動いています。先生も一切を青年に託され指導されて

     います。21

     世紀には古い体質も改善され、より良い面が一般の方々にも認知されていく

     と、また、そう

     するのが僕たちの使命と思います。

 

     ちなみに、みなさんが考えてる以上に学会は自由で明るいですよ。誰でも受け

     入れる組織な

     ので色々あるとは認識していますが、それでも真面目な活動で、その人が人間

     革命できる素

     晴らしい信仰だと確信しています。それでは。

 

136 名前: 佐武誠 江東区支部長 投稿日: 1999/12/09() 10:43

     62です。レス有りがとう御座居ます。有りがたいレスだなと思いま施た・・。

     感謝仕ます。また、信仰者と於ての立場で書き込み佐せて頂着ます。

 

     昨日の書き込みのご請訓の訂正です。

 

     「教主釈尊の出世の本懐は如何成る事ぞ、人の振る舞いに候いけるぞ」

                     ↓

     「不軽菩薩の人を敬いしは如何成る事ぞ

                教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いける

     ぞ」

 

     で施たね。お恥ずかしい・・

     >昼行灯さん

 

     >信仰は学問とは違って、もっと融通が効くモノでは無いでしょう可。

     >近年、学会員のキリスト教式の結婚式や、クリスマスのお祝い、名誉会長の他

     宗教との

     >融和関係等は、教条的な宗門の教義とは違う方向への模索では無いでしょう

     可?

 

     仏教自体も融通が効着ます。も友と仏教は他宗の神も諸天善神と於て取り入れ

     て居ます。

     学会も宗門と離れて世界広布の道が大きくひら着ま施た。其の寛容性は厳然と

     施た事実です。

     学会は今、青年を中心に動胃て居ます。先生も一切を青年に託佐れ指導佐れて

     居ます。21

     世紀には古い体質も改善佐れ、より良い面が一般の方々にも認知佐れて行く

     と、また、其う

     仕るのが僕たちの使命と思居ます。

 

     ちなみに、み無さんが考えてる以上に学会は自由 or Freedom and Operation

     or Nonsense で明るいですよ。誰でも受け入れる組織な

     ので色々有るとは認識於て居ます我、其れでも真面目な活動で、其の人が人間

     革命出来る素

     晴らしい信仰駄と確信於て居ます。其れでは。

 

144 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/09() 13:29

     136>何故そんな面倒なことするの?

     138>最近ご活躍ですね(^^。毎日ご苦労さんです。

 

145 名前: >141 投稿日: 1999/12/09() 17:22

     ったく、こういうバカが必ず出てくる。

     誰かが発言するとどうでも良いようなこと言うやつ。

     コピーしてきてるのは誰でもわかる。

     大体、甘えバカってなに?

     あーくだらねー今回だけおまえの相手してやるけど、ああ情けない。

 

146 名前: あげ 投稿日: 1999/12/09() 20:56

     いん

 

147 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/09() 23:27

     136以降みたいのをみると、情けなくなってくるが・・・。大嵐にくじけるよう

     では、元寇の蒙古軍なみということですから、くじけず、頑張りましょう。

 

148 名前: 現役泡姫 投稿日: 1999/12/09() 23:33

     がんばれ!

 

149 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/12/10() 00:04

     蓮日さん、「昼行燈」さんと改名されたのですね。

     なんかひねりが効いているというのか、ご謙遜してらっしゃるというのか…

 

     最近このスレッドはもちろん、板全体に嵐が頻発していますが、反面昼行燈さ

     ん、牛の首さん、一部の学会の方その他の方のおかげで何とか議論が続いてい

     けていることが有り難い限りです。

 

150 名前: 牛の首 投稿日: 1999/12/12() 08:17

     嵐さんができることは、トップページを壊すことぐらいのようだね。

     それでは、あげっと。

 

151 名前: 現役泡姫 投稿日: 1999/12/13() 02:42

     あ〜げ

 

152 名前: hahaha 投稿日: 1999/12/13() 03:23

     >150

     そんなこと言ってないで

     自分がした約束はやく実行しろバカ

 

153 名前: 現役泡姫 投稿日: 1999/12/13() 04:20

     age

 

154 名前: サ ク ラ 投稿日: 1999/12/13() 04:22

     韓国エステ綺羅羅 で〜す。

     絶対きてね。

     サクラもいま〜す。き・て・ね!

 

     学会員の方 証明していただければ

     うふ 内緒で  ○番 いっちゃおうかな...

     お待ちしていま〜す。

     平日の遅番ですぅ。

 

     あ そうそう 重要なインフォね。

     明日あたりから お印がありますから

     中で出してもいいよ! ただし学会員のみ!

     まってますぅ!

 

155 名前: 平田『笑語』 投稿日: 1999/12/14() 01:32

     昼行燈様

 

     初めまして。

     突然ですが・・・。

 

     日蓮上人の浄土宗批判に、善導上人が 『柳の木で首を吊って狂い死にした』

      と言うのがあったと思いますが、この出典は何に依るものでしょう?

     『唐高僧伝』の記述とは違っていると思いますが・・・。

     最近、日蓮上人や、創価学会に関して急速に興味を失ってしまったので、一寸

     『ズル』をしていますが、

     お解りでしたら教えて頂きたく思います。

 

      

 

156 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/14() 02:19

     >平田『笑語』さんへ

 

     ヒューマニズムの輪で活躍されていた人ですね?

 

     >日蓮上人の浄土宗批判に、善導上人が 『柳の木で首を吊って狂い死にし

     た』

     >と言うのがあったと思いますが、この出典は何に依るものでしょう?

     確か「群書類従(聚)」だと思います。

     「導・この身諸苦に逼迫せられて(中略)寺の前の柳の樹に登って西向し、願

     って

     曰く。(中略)その樹上にいたり自ら身を投じて絶える」(要旨)でしょう。

 

     ヒューで発言されていた菩薩の件で、ご意見を伺おうと思っていた矢先に、お

     姿が

     見えなくなられてしまっていたので、これを機会に質問をさせていただきたい

     のですが、

     三枝充悳氏のバウッダに書かれた見解と、あなたも同じ意見でしょうか。

     どうしても納得出来ません。検証されての上での発言でしょうか。

 

     お返事をお待ちしています。

 

157 名前: くらくら 投稿日: 1999/12/14() 06:58

     宋代、戒珠の『浄土往生伝』が初見かもしれません。その後に

     王古の『新修往生伝』があります。こちらには善導伝と善道伝

     とがあり、安楽に往生した記述と自殺した記述が併用されてます。

 

158 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15() 06:30

     age

 

159 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15() 07:40

     あげ

 

160 名前: あげ 投稿日: 1999/12/15() 08:06

     最新レス100

 

     日蓮って

     1 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/10/23() 00:16

 

     今のところ、日蓮から学べたことといえば、

     『法華経』は読む価値があるというのと、

     理想は現実との闘いの中で追求されるべきだ、ということの二点だけ。

 

     彼の議論の立脚点は「『法華経』こそ釈迦の本意を語ったもので、

     残りは全部方便だ!」というところに帰着すると思うんだけど、

     事実問題として、あれは釈迦が語ったものでは全然ないし、

     その時点で、彼の立論のかなり多くが崩れてしまうと思う。

     だから、頭で彼に共感しようとしても全く受け付けない(個人的には)

 

     それに、第三者的に見ると攻撃のための攻撃にしか

     見えないような「折伏」もしているようだし

     (だから「真実のため」というよりは、単に怒りや妬みといった感情を吐き出し

     ているだけのように見えてしまう)

     何より仏教ならではの「寛容性」というのがほとんど感じられない。

     彼の思想に色濃くある呪術性も、釈迦の思想とは相当異質な感じがする。

 

     大体、彼の「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という

     信仰至上主義的姿勢は、浄土系やキリスト教なんかでも強くあると思うけど、

     釈迦の思想にはそうした傾向はほぼ皆無といっていいし、

     その後の仏教の展開でも、(インドにおいては)決して主流になったことはなか

     った。

     むしろ釈迦や竜樹の姿勢は、「物事を安直に信じるな。自分の頭使ってもっと

     徹底的に疑ってみろ!」

     と呼びかけているようにさえ思える。

     そんなわけで、心情的にも彼にはどうも共感できないな…

 

     というのが私の意見。言いっぱなしで悪いけど、

     今まで日蓮を擁護する言葉のなかで「これは!」と思うものに出会ったことが

     ないもので…

     迅速なレスは身辺の都合上できないと思いますが、日蓮ファンの人、

     何か意見あったら聴かせてくださいな。2 名前: 時衆 投稿日: 1999/10/27

     () 15:34

 

     一遍>日蓮。

     オカルト野郎日蓮はドキュンの星。3 名前: g 投稿日: 1999/10/27()

     16:23

 

     徹底的に考えることは大切です。じゃあ徹底的に法華経を学び、結果として

     行き着いた南無妙法蓮華経。あなたは法華経を勉強してなぜそこヘ行かないん

     でしょうか

     あなたが日蓮から学んだ法華経を読む価値があるというのは立派なことです。

     じゃあその価値とは何なのかを知らなければ日蓮のことを信じれなくて当たり

     前だと思います。

     そして法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味を知らなければ

     意味がないと聞いたことがあります。

     それを勉強するのにかなりの時間を確か日蓮も費やしたと思いました。

     日蓮はそれまでほかの宗派にも入り勉強していました。今の私たちよりも仏教

     的な思想ができたのはいうまでもありません。

     そんな人でも長い年月をかけなければ解き明かせなかったものを私たちで解こ

     うと思ったらいつまでたっても解き明かせない。

     それどころか間違った読み方から、また違う宗教が出てくるのを防ぐために答

     えを持つ日蓮がみんなに答えだけを教えてると思います。

     それでも納得がいかないのであれば、法華経を学び、ほかの宗教が法華経のど

     の部分を取っているかを学び、それが法華経の真髄なのかどうかを確かめてみ

     ればいいじゃないですか。

     日蓮はそこから南無妙法蓮華経を学んだのですから。私の言っていることは決

     して行動ではない。

     あなたの言っている頭で納得するための、一番の近道なんですから。

     あなたはまだ学べるだけの脳があるのだから、そうすればいい。ただ、日蓮の

     魂を告いだ創価学会の草創期に助けを求めていたのは本当に生きている中で不

     幸の連続、または今その渦中にいる人たちだった。

     そしてその人たちは南無妙法蓮華経を信じきった。そして不幸を幸福に変え、

     現在に至っている。それは変わりようのない事実だ。

     この幸福になった人たちの笑顔を見れば、やはり信じるしかない。そう思って

     しまうものなんだよ。本当に変わってしまってるのだから。

     私はあなたが法華経を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下さい。またそ

     こで答えが出たら教えてください。4 名前: >3 投稿日: 1999/10/27()

     18:06

 

     信じるものは救われる、知らぬが仏、そりゃそうやって殻の中にわざわざ閉じ

     こもれば楽だわな。

     2は自分の頭で考えてない証拠だよ。法華経が全ての解決法じゃない。確かに

     古くからあるがそれがあなたの人生にすべて当てはまる訳ではなかろう。他の

     人々にたいしては尚更だ。それが素晴らしいと思うのはいい。しかし盲信はい

     かがなものか。あなたたちは幸せになったのではない。ただ単に洗脳されたの

     だ。オウムの信者たちを見てバカにしてるだろうが、あなたたちも何ら変わり

     がない。相違点は信じるものが違うか。盲信して他人に押しつけ学会の矛盾に

     は目をつぶる。法華経の絶対を信じるあまり他人を押しつぶし同化させようと

     する。

 

     いい加減独り立ちしろよ。いい大人だろ。信じるしかない等と甘えるなよ。5

     名前: 訂正 投稿日: 1999/10/27() 18:08

 

     誤:2は自分の頭で考えてない証拠だよ

     正:3は自分の頭で考えてない証拠だよ

 

     2さん、謹んでお詫びします。6 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/10/28()

     05:20

 

     >4,5

 

     自分の考えってな〜に?言語も何も分からなくて生まれてきて、

     、いろいろな教育を受けて、また、いろいろな背景をもった

     人に接して、いろいろな人間の書いた書物に目を触れて

     自己形成できたんでしょ?信仰している人だって一緒だよ。

     ただ、道理や、道徳の教科書を持っているかどうかだけだよ。

     >自分で考えていない?信じるしかない等と甘えるなよ?

     えらそうにいいなさんな。あなた親に感謝してる?

     親孝行してる?自分一人で大きくなったと思ってない?

     信仰者を単純に「自分の考えを持たない人」と判断するのは

     おかしいよ。信仰している人は、非信仰者以上に物事を

     深く考えていることも多いよ。あなたも、3さんも

     大差ないよ。

 

     7 名前: 煽る様だが 投稿日: 1999/10/28() 06:51

 

     道徳とは盲従の別称だ>6。

     >言語も何も分からなくて生まれてきて、

     > 、いろいろな教育を受けて、また、いろいろな背景をもった

     >人に接して、いろいろな人間の書いた書物に目を触れて

     >自己形成できたんでしょ?

 

     興味深い事にあなたは俺のいいたい事を上で言っている。単なる盲信といろん

     な事を学び、取り入れるのとは話が違う。あなたのいう所の「教科書」をもつ

     のはいいことだ。しかし盲従はいかん。「自分の頭で考える」というのはそう

     いうことだ。カルトは学ぶ事ではなく盲信を強要する。「信じるしかない」と

     いうのがそれを如実に表している。

 

     それとな、親への感謝と信仰は別問題だ。あんたに言われる筋合いもないし

     な。

 

     3は完全に法華経に溺れている。法華経が正しい、絶対だと先入観を持って入

     り込んでいる。この類の盲信が各所でどれだけの問題を起こしてるか分かって

     るか?個人的な話になるが俺は身内を無理やり学会に引き込まれそうになった

     しね。

 

     以上を持って

     >信仰者を単純に「自分の考えを持たない人」と判断するのは

     >おかしいよ。

     に対する反論とさせて頂く。8 名前: >7 投稿日: 1999/10/28() 07:22

 

     6です。

 

     親の事に付いては確かに余計なお世話だった。すまんです。

 

     9 名前: 7>6 投稿日: 1999/10/28() 07:26

 

     ご丁寧にありがとうございます。こちらも少々かっとなっており冷静さに欠け

     ていました。こちらこそ失礼しました。10 名前: 第7の外道 投稿日:

     1999/10/29() 01:37

 

     皆さんレスありがとうございます。特に3の方。

     ただ一つ、どうしても納得できない点(3の方の意見)がありますので書きま

     す。

 

     >本当に生きている中で不幸の連続、または今その渦中にいる人たちだった。

     そしてその人たちは南無妙法蓮華経を信じきった。そして不幸を幸福に変え、

     現在に至っている。それは変わりようのない事実だ。

 

     これは実にすばらしいことです。不幸を幸福に変えたことの意味は重いし、そ

     れについてどうこう言うつもりは全くありません。

     しかし私は同じようなことを、キリストへの信仰を通じて実現した人を知って

     います、阿弥陀仏への信仰をきっかけにして実現した人を知っています。労働

     運動やマルクス主義を通じて生を拾った人もおります。

     また私が直接見聞したわけではないが、そういったことはイスラムでも、シク

     教でも、そしておそらくオーム真理教においてもあることでしょう。

     繰り返して言いますが、日蓮の教えを通じて「不幸を幸福に変え」たというこ

     と自体は、すばらしいことです。でもそれは、信じた教義の「正しさ」を直ち

     に意味するものではないのです。だから、

 

     >この幸福になった人たちの笑顔を見れば、やはり信じるしかない。そう思っ

     てしまうものなんだよ。本当に変わってしまってるのだから。

 

     というところには、歯に衣着せずに言えば、あなたの間違った推理を見てしま

     うのですよ。あなたは人が変わるということのすごさに感動した勢いで、最も

     大切なことを自分で判断して決めるという作業を、他人に預けてしまったので

     はないですか?

     釈迦の言葉に「自己を島(灯明=「より所」の意)にせよ」という言葉がありま

     すが、自己というものがいかに疑わしく思えようとも、とりあえず自分で納得

     できないことは私には受け入れられないのです。ただ釈迦の思想には、この

     「疑わしさ」を力に変える鍵が隠されているように思えます。今の時点でそれ

     を詳しく説明することはできませんが。ただそれは決して「まず信じろ」とい

     うことではない。そう私は思います。

 

     (あと3の方にとってはあまり愉快な話ではないかも知れませんが、私と「学

     会」との出会いは最悪に近いものでした。私の両親が娘(私の姉)を病で亡くし

     たときに、学会員の親戚に「信心がないから仏罰がくだったんだ。学会に入

     れ」と言われてキレた、ということを後年に聞き、それ以来私個人の印象は最

     悪でした。実際彼らのふるまいを見ても、残念ながら3の方のような印象はつ

     いに持ち得ていません。法華経に対する偏見を払いのけるにも苦労しました

     (^^; そんなこともあって、私は自分がたまたま出会った人が私に与えた印象

     によって、その教えや思想の是非を即断しないよう、心がけているつもりで

     す。)

 

     3の方にとってこのレスは非常に攻撃的な発言のように読めるかも知れません

     が、攻撃したり「論破」を試みるのが本意ではありません。感情を害したので

     あれば、あらかじめお詫びしておきます。

     できうれば、あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてくだ

     されば幸いです。私にとっても益するところがきっとあるでしょうから。

     11 名前: あーあ 投稿日: 1999/11/04() 07:20

 

     第7の外道さんのような疑問を持つのが普通だと思うんだよね。

     この路線でのまともな議論を期待したいし、そうすれば

     イメージアップにもなるんだろうけど、やっぱ学会さんに

     期待しても無理なんだろうな・・・。

     12 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/06() 06:04

 

     gさんへ

 

     >そして法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味を知らなけれ

     ば意味がないと聞いたことが

     >あります。

     法華経はただ単に読むのではなくて、裏に隠された意味って、何でしょう?釈

     迦の入滅に際しての遺言に

     「師の教えに秘密の握り拳は無い」(遺行経・涅槃経)といわれているのです

     が、死の間際に釈迦は嘘を

     ついたのでしょうか?

 

     >日蓮はそれまでほかの宗派にも入り勉強していました。

     お粗末なお勉強だったのはありませんか?天台宗や真言宗について史実とは明

     らかに異なる事を述べている点からも

     解ります。円珍・円仁について、空海については史実を捻じ曲げてまで悪口を

     並べていますよ。

 

     >それどころか間違った読み方から、また違う宗教が出てくるのを防ぐために

     答えを持つ日蓮

     それどころか日蓮は間違った読み方をしてまで悪口を言い募っているではあり

     ませんか。

 

     >ほかの宗教が法華経のどの部分を取っているかを学び、

     >それが法華経の真髄なのかどうかを確かめてみればいいじゃないですか。

     日蓮や創価学会が、ほかの宗教の教義を盗み取っているか、それが法華経の真

     髄なのかどうかを

     確かめてみればいいじゃないですか。

 

     >私はあなたが法華経を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下さい。

     私はあなたが「自分の頭」で仏教を勉強しきるのを願っているよ。頑張って下

     さい。

 

     >第7の外道 さん

     >あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてくだされば幸い

     です。

     期待してもまともな答えは返ってきませんよ。学会教義の受け売りしか「答

     え」は持っていない

     筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います。

     観世音菩薩普門品(観音経)を読めば、アタルヴァ・ヴェーダとの関連に「唖

     然」とする筈です。

     アタルヴァ・ヴェーダとはバラモン教の聖典(4ヴェーダの一つ)ですが、普

     門品は仏法というより

     ヴェーダに近い教説ですけれど、彼らにはヴェーダと言っても理解できないで

     しょうから。

     そんな人が 『法華経を勉強しきるのを願っているよ』 とは四則計算もできな

     い小学生が、

     微分・積分を勉強して下さいと言っているのと同じようなものです。13 名前:

     第7の外道 投稿日: 1999/11/09() 15:39

 

     なんか3の方以外の親日蓮系の人(というか、以下学会の人と言っておきまし

     ょう)から全然反応がないですね。

     他のスレッド見てもここに出入りしているのは明らかなのに。

     学会や池田氏に関連することなら結構敏感に反応しているのに、

     日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては…14

     名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/10() 04:12

 

     >第7の外道 さん

     無理ですよ。学会員の人たちは法華経と言っても、方便品第二と如来寿量品第

     十六しか

     読みませんから。方便品第二は十如是までしか読みませんし、第一に法華経が

     「仏説」では

     無いないんて知りもしないでしょう。教えられた事以外は信じません。

     日蓮が久遠元初の本仏で、初めから仏だとか。因果を説く筈なのに、因果倶時

    

     原因と結果がともに存在するんだそうです。初めから仏だと言うのは別に目新

     しいことでは

     ありませんが、キリスト教やイスラム教の神にしても初めから神だったとか、

     言いますし、

     それを「因果が説かれていないから邪宗だ」と罵るですもの。

     「仏法では因果の法則が説かれている」なんて言っていますが、日蓮が久遠の

     仏と為った

     因は説明できていません。

     おそらく、バラモン教の原人(プルシャ)思想や、法身・大日如来のいわれの

     「パクリ」なのでしょう。

     恐ろしいほど似通っていますもの。大日如来の現世の姿を具現したのが「弘法

     大師・空海」

     と高野聖の通説と共通します。正統真言宗では言いませんが・・・。

     即身成仏とか、曼荼羅とか、真言(マントラ)とか、皆、密教の影響です。

     本尊とかって、釈迦の時代には無かったものです。仏である釈迦は何を本尊と

     して

     いたのでしょう?何を拝んでいたのでしょう?何も本尊としていませんでした

     し、何も拝んでは

     いません。ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。時とともに変化

     するものではありません。

     釈迦が死んで何年か過ぎたら滅びるなんて、「真理」ではありません。

 

     >学会や池田氏に関連することなら結構敏感に反応しているのに、

     >日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては…

     どうでも善いのでしょう。選挙や名誉博士・勲章の方が大切なのですよ。

     15 名前: そういえば 投稿日: 1999/11/10() 09:55

 

     筒井康隆が短編で皮肉ってたね。あれは笑った。16 名前: 第7の外道 投稿

     日: 1999/11/10() 12:12

 

     >蓮日さん

     どうも長文のレス有難うございます。たぶんあなたのおっしゃる通りなのでし

     ょうね。

     日蓮が「本仏」だというのは正宗の思想の継承なのでしょうね。なるほど「因

     果倶時」ですか(笑)

     原因と結果が倶にある状態は観念としてはわかりますが、それがどう本仏思想

     を正当化するのか、私には全くわかりません。

     日蓮の思想自体は密教思想のパクリであるというお考えは、私も同感です。叡

     尊や忍性の真言律宗に対する攻撃も、私にはどうも近親()憎悪にしか見えま

     せんし、やたら予言や呪法に頼るところも、密教の(私の意見では)ネガティヴ

     な要素を無批判に借用しているようにしか感じません。唱題が人を仏にする理

     由というのも、この題を受持すれば「自然に」久遠釈迦の因果の功徳を譲り与

     えられるのだ、というのでしょう? この唱題という発想自体、念仏のパクリ

     のように見えますが、(法然についてはよく知りませんが)親鸞が「念仏」に対

     して行ったある種哲学的な解釈に比べれば(受け入れるかどうかはまた別の話で

     すが)、正直、日蓮の「論理」は児戯に等しいように思われます。

 

     ただ私が自分なりに納得したいと思うのは、なぜ今の世の中に日蓮を教主と仰

     ぐ人々がこんなに多いのか、ということです。何かウケる要素があるのは間違

     い無いが、それは何なのか。今の段階で私が言えることは、日蓮の本質はその

     「浪花節」にあるのではないか、ということです。「苦しいのもつらいのもみ

     んな含めて人生なんだ。みんながんばろう」ってな感じ。怒りや悲しみや同情

     なんかの情動的部分をそのまま丸ごと肯定するのでしょう。もしそうだとすれ

     ば、これはウケる。演歌の世界です。地湧の菩薩というイメージに固執するの

     もそれとつながっている気がします。

     が、もしそうだとしたら、私の意見では、それは釈迦の教えとは無縁である。

     そうした情動的部分に対して徹底的な反省的視線を向けることが釈迦の思想の

     根幹にある、と私は思うからです。ところが日蓮では、こうした情動性に対す

     る論理的切り込みが全く見られないどころか、自分の情動を武装するためにの

     み論理を操っている。浪花節ならそれはそれでいい。でもそれを「論理」武装

     して普遍的真理とすり替えることは(私には)どう考えても仏教的ではない、と

     思われます。

 

     >本尊とかって、釈迦の時代には無かったものです。仏である釈迦は何を本尊

     として

     いたのでしょう?何を拝んでいたのでしょう?何も本尊としていませんでした

     し、何も拝んでは

     いません。ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。時とともに変化

     するものではありません。釈迦が死んで何年か過ぎたら滅びるなんて、「真

     理」ではありません。

 

     このお考えにも全く同感です。

 

     あ、あと、法華経とヴェーダとの関連は初めて知りました。法華経も一挙に出

     来た本ではないから、普通に読んでいると本当に混乱させられますね。

 

     17 名前: お坊さんの中では 投稿日: 1999/11/10() 17:40

 

     一休さんがいちばん共感がもてた・・

 

     「仏になろうとするな、仏でいろ」

     18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11() 04:55

 

     >日蓮が「本仏」だというのは正宗の思想の継承なのでしょうね。なるほど

     「因果倶時」ですか(笑)

     >原因と結果が倶にある状態は観念としてはわかりますが、それがどう本仏思

     想を正当化するのか、

     >私には全くわかりません。

     同じく私にも理解できません。学会員も理解出来ないのではありませんか。

     教えられた事の他には考えませんでしょうから。

 

     因果とは原因が縁によって結果となって現れる事を言うというのはご存知だと

     思います。

     だから因果とも因縁とも呼ぶわけですが、果が次の因になると言うのが本来の

     「因果倶時」だったと

     思います。

     果は縁に依って様々に変化する。その相依性を「空」と呼ぶのもご存知だと思

     います。

     戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」

     を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れ

     たくなりました。

     ですから久遠の初めから仏であるにはその因が当然無くてはなりません。しか

     し、創価学会では

     「因果倶時」を誤って(恣意的に)使って、初めから「仏であった」と言って

     います。無始無終の

     法身・報身・応身の三身の如来が日蓮なのだそうです。

     これはキリスト教やユダヤ教の神と同じ概念です。(言葉こそ久遠仏とか、因

     果倶時は使いませんが)

     キリスト教などの「外道(仏教以外の宗教)」は因果の法則を説いていないの

     で劣ると言いますが、

     創価学会の久遠仏も同様に久遠仏となった因を説いてはいないのです。

     これについては学会員のご意見をお待ちいたします。

 

     日蓮が法華宗を開く前にいくつかの論(戒体即身成仏義等々)を書いています

     が、密教(真言)第一と

     書いている事からも、密教(真言)の影響は隠せません。

     叡尊や忍性の真言律宗に対する攻撃は、世間に尊敬される高僧に対する嫉妬だ

     と思います。

     叡尊や忍性は持戒の厳しい人だったので、日蓮には真似が出来なかったのでし

     ょう。

     法然も庶民・大衆といった世俗の人には戒律は厳しくはなかったのですが己に

     は厳しく戒律を課して

     いました。

     法然は受戒師としても高名だったのはご存知ないでしょうか?

     易行としての唱題が念仏のパクリですが、唱題は中国天台でも比叡山でも行わ

     れておりました。

     「朝題目に夕念仏」といわれているのはご存知かと思います。

     但し止観業に基づく観仏・懺法・三昧といった難行ですので世俗の人には難し

     い。で、親鸞などの

     専修念仏を真似て唱題を易行として行じる事を思い付いた。というのが真相で

     しょう。

 

     >ただ私が自分なりに納得したいと思うのは、なぜ今の世の中に日蓮を教主と

     仰ぐ人々がこんなに多

     >いのか、ということです。(以下略します)

     多くの法華(日蓮系)の信者の人はそうでしょう。

     でも創価学会の場合は違うような気がします。

     創価学会員の人は日蓮の悪口を言われても余り気にする人はいません。あるい

     は無関心を装います。

     が日蓮を通じての学会批判(池田批判)には敏感に反応します。

     つまり、日蓮批判には他の日蓮系教団も含まれるので、過剰には反応しない

     し、他の日蓮系教団へ

     の批判と受け止めるのではないでしょうか。

     日興門流が他の五老僧門流を口汚なく罵るのは、日蓮自身が弟子と定めた日蓮

     の見識を否定する事と

     同じだと気付いてはいないからです。

     「おいおい、俺の決めた本弟子はそんなに悪い奴等なのか?俺が弟子を見損な

     って後を任せたと

     いうのか?そんなにつまらん奴等を本弟子に指名した俺は、人を見る目が無か

     ったって事?」と。

 

     >が、もしそうだとしたら、私の意見では、それは釈迦の教えとは無縁であ

     る。(中略)

     >浪花節ならそれはそれでいい。でもそれを「論理」武装して普遍的真理とす

     り替えることは(私には)

     >どう考えても仏教的ではない、と思われます。

     仰しゃる通りです。同感です。

 

     >あ、あと、法華経とヴェーダとの関連は初めて知りました。法華経も一挙に

     出来た本ではないから、

     >普通に読んでいると本当に混乱させられますね。

     大乗仏教のみならず、部派以降の仏教にはバラモン教と融合して発展を遂げて

     きました。

     そのほうが世間受け(広めるのに便利)するからです。

     法華経陀羅尼品のダラニ(呪語・咒)などもヴェーダとの関連で発生した(創

     作された)ものでしょう。

     釈迦は少しの護咒(パリッタ)は認めてはいましたが、ヴェーダのような陀羅

     尼は否定していましたから、

     陀羅尼品なんか見たら驚くでしょう。提婆達多品は教団から飛び出した提婆達

     多の教団との関連も

     指摘されていますし。本来は法華経には無かった筈ですが後に加えられたとい

     われていますね。

     法華経って、通読すれば文脈も乱れています。阿弥陀仏の浄土を誉めたり、観

     音の功徳と説いたり、

     久遠の仏だったり、愚か者には法を説くなと言ったり、全く「経典の中の王」

     とは思えません。

     原文は羅什の文ほど華麗ではありませんし。羅什の訳も原文に無いものを加え

     たり削ったりして

     脚色が著しいです。仏(歴史的釈迦ではない)の言葉を人師(羅什)が勝手に

     改定しても許されると

     思っているのでしょうか。

     学会員の方のご意見が伺いたいと思いますが、発言されませんね。嗚呼!19

     前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11() 06:24

 

     創価学会員の皆様。

     私の発言に悪意があると思われるのは自由です。思う存分論破して下さい。

     しかし、第7の外道さんに「3」の学会員からのご意見だけというのは普段、

     対話を旨とする池田氏の

     教えに反するのではありませんか?

 

     >3の方にとってこのレスは非常に攻撃的な発言のように読めるかも知れませ

     んが、攻撃したり「論

     >破」を試みるのが本意ではありません。感情を害したのであれば、あらかじ

     めお詫びしておきます。

     >できうれば、あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてく

     だされば幸いです。私に

     >とっても益するところがきっとあるでしょうから。

     とまで言われる人に対して失礼だとは思わないのでしょうか?20 名前: 美少

     女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 06:35

 

     本願寺顕如

 

     日蓮さんはどんなことしたの。

 

     21 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 08:40

 

     17条の憲法は・・和をもって貴し・・これが一番

              仏教を敬え・・・・これが二番

     宿題・・信長の本願寺焼き討ちの意味は・・・?

     もしかすると、日本が仏教原理主義の国になっていたかもねっ。

 

     22 名前: 美少女艦隊 投稿日: 1999/11/11() 08:46

 

     比叡山もやったみたいよ。23 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/11/13()

     01:16

 

     >蓮日さん

     またまた長文のレス、そしてフォローありがとうございます。

     しかしまぁ、ほんとにここに来てらっしゃる学会員の方は反応してくれませ

     ん・

 

     ウゼエ!

 

161 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/16() 00:11

     くらくらさんもヒューやSF研で活躍されている方ですね。

 

     >宋代、戒珠の『浄土往生伝』が初見かもしれません。その後に

     >王古の『新修往生伝』があります。こちらには善導伝と善道伝

     >とがあり、安楽に往生した記述と自殺した記述が併用されてます。

     言われる通りです。が、日蓮が『浄土往生伝』等を読んだとは思えません。

     日蓮の書簡には「類従(聚)伝」と引用先を明記していますからね。

     (釈迦一代五時継図だったと思う)

 

     平田『笑語』さん

     菩薩についての見解は、返答いただけませんか?

     別にお答えを義務だとは思いませんが、質問の「しっ放し」は

     失礼だと思いますよ。

 

162 名前: sage 投稿日: 1999/12/16() 00:21

     下げてくれよ。

     ウゼエんだよ!

 

163 名前: 平田『笑語』 投稿日: 1999/12/16() 01:09

     >昼行燈様へ

     私の菩薩についての見解が遅れましたのは、このPCが他人様のネットを

     利用させて頂いていることで何時も利用できない。という理由もご理解下さ

     い。

     菩薩については三枝充悳氏の著作に、その様な記述があった程度の意味で御座

     います。

     わたしの意見でもありませんし、同意するほど勉強もしておりません。悪しか

     らず。

 

     善導上人自殺の件を先にお礼を言うべき所でしたね。ごめんなさい。感謝いた

     します。

 

     >くらくら様へ

     お久しぶりです。しばらくはヒューには伺えませんが、時々ROMさせて頂いてお

     ります。

     昼行燈様同様に、善導上人の件では感謝致します。ありがとうございました。

     学会に関しては何を言っても無駄なようなので、虚しくなってしまいました

     し・・・。

     今後もご活躍をお祈り致しております。

 

       

 

164 名前: くらくら 投稿日: 1999/12/16() 06:02

     昼行燈さん

 

     先に「群書類従」とお書きになられていらっしゃったので、江戸期の

     塙保己一がどうして出てくるのかなと思ってました。確かに日蓮が見

     た資料は一義的なものでなく法然作の「類聚伝」のようです。

 

     平田さん

 

     何を言っても無駄だからヒマ潰しには最適です。

     では。

 

165 名前: >162 投稿日: 1999/12/16() 10:21

     160みたいなカキコが一番ウゼエ。

     大聖人の教えを信奉するものは、こーゆー人たちを、法華経をはじめとする仏

     典や、大聖人のご著作などにもとづいてきちんと論破できるようにならなけれ

     ばならない。

 

166 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/12/16() 11:28

     >165

     同感です。しかし160みたいなことする人に対しては、論破も何も無理ですね。

 

     あ、「こーゆー人たち」というのは160ではなく私のことかな?

     もしそうだとしたら、問題提起していただけたら可能な限り応答するよう努力

     します。ただし「仏典や、大聖人のご著作」に書いてあるから「正しい」とい

     う発想を私はしませんので、そのへんだけ含み置いていただけたら有り難いと

     思います。

 

     私に限って言えば、私の書きこみは概して長いし、好きなこと言い放題だし、

     見る人が見ればウザく感じるのは十分理解できます()

     が、特にここのルールを犯しているわけではないのだし、適当に無視してくれ

     ればいいと思うんですが…

     自分がウザいと思ったら、それを攻撃せずにはいられないのでしょうね。ま

     あ、私がどうこう言うことでもないんですが。

 

167 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/22() 15:55

     創価学会による折伏への対策マニュアルでもありますので

     あげときます。

 

168 名前: ほいさ 投稿日: 1999/12/23() 05:48

     あげとこう

 

169 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/24() 17:23

     学会が教義的に敗北した当スレッドは、消すわけには行かないのです。

 

170 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/24() 17:29

     mawase

 

171 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/13() 10:02

     age

 

172 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/25() 18:43

     健一@無職 氏の発言

     >ば〜か。くだらねえ質問するんじゃねえよ!

     >もっと、仏法を勉強しな!

     >法華経を読んでからおいで、坊や。(笑)

 

     彼のために、このスレッドをあげたいと思います。

 

173 名前: つくね 投稿日: 2000/01/27() 03:57

     ためになるからアゲ↑

 

174 名前: 枇杷彦=165 投稿日: 2000/01/29() 00:13

     「こーゆー人」というのは、外道さんや昼行燈さんみたいな方です。

     ここや「心と宗教」での書き込みでは、勉強させていただいております。

 

175 名前: 枇杷彦=165 投稿日: 2000/01/29() 00:17

     「こーゆー人」というのは、外道さんや昼行燈さんみたいな方です。

     ここや「心と宗教」での書き込みでは、勉強させていただいております。

 

176 名前: 枇杷彦=165 投稿日: 2000/01/29() 00:18

     「こーゆー人」というのは、外道さんや昼行燈さんみたいな方です。

     ここや「心と宗教」での書き込みでは、勉強させていただいております。

 

177 名前: 枇杷彦 投稿日: 2000/01/29() 15:01

     うわー、ひでえことになってる。

     みなさん、失礼しました。

 

178 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/01() 15:10

     age

 

179 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/03() 16:54

     age

 

180 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/26() 15:29

     age

 

181 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/24() 02:48

     アンコウさん、こんばんは。HNは蓮華にします。

 

     ふうっ・・ざっと読みました(と、言っても目を通したって感じですが)。

 

     第七の外道さんの書き込みはとても好感が持てました。もっと、たくさん

     学会員(幹部)も参加すれば良いのにと率直に感じました(笑。

 

     途中で書き込んでた学会員の人可哀想ですね(学会員としての見解です)。

     まあ、「触らぬ神に祟り無し」って気持ちにもなりそうな板ではあるけど。

 

     アンコウさんがこのスレッドでと言う意味も何となく解りました。僕も可哀

     想な学会員になると思いますが、勉強だと思って書き込みしますのでよろし

     くお願いします。ただ、仏教の知識も、御書の知識もとても、第七の外道さ

     ん、蓮日さん、以前発言してる学会員さんの足下にも及ばないのは承知して

     おいて下さい(最初から逃げ腰で申し訳無いけど)。それでもよければとい

     うことでお願いします。

 

     おっと、もう遅いので今日は寝ることにします。アンコウさんの方で何か問い

     かけてくれると書き込み易いです。それでは、、

 

182 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/24() 03:00

     ついでに一言。学会員って、よっぽど困るか、純粋(疑わないという意味)

     じゃなきゃできないし、続かないですね・・しみじみ。

 

183 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/24() 10:48

     蓮華さん。レスありがとうございます。

     きれいなHNですね。まあネーム的にはお互い「泥のなかで生きている」とい

     ったところでしょうか。私もあまり教学について知っているわけではありませ

     ん。ただ、御書に書いてあったことと以前学会員のかたに言われたことにいく

     つか疑問がありましたので、むしろまじめに聞いてみたいなあと思っていたの

     です。徹底的な論破を加えるつもりは全くありません。むしろいろいろご教授

     いただく中で、自分の中で判らなかった日蓮の論理手続きのようなものが明ら

     かになっていけばいいなあと思っています。本当は、「蓮日」さんこと昼行燈

     さんがいらっしゃればすごく詳細に説明していただけるのですが・・・最近は

     いらっしゃらないようですし・・・

 

     >最初から逃げ腰で申し訳無いけど。

     いえいえこちらこそ、どちらかといえば私も学びたいのです。ただ、それが

     かって学会員の知人が言っていたように「信じてみないと判らない」とか

     「お題目を唱えれば御書が自然と判るようになる」という話は受け手受けら

     れなくて・・・。

 

184 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/24() 10:49

     まず、これからのレスのやりとりで明らかにしていきたいことの大枠は以下の

     通りです。

     今後はこれをもとに、御書を引用しながら質問または勉強して参りたいと思っ

     ております。

 

     1. 日蓮は法華経の行者を「誹謗すること」と「信じないこと」を分けた上

     で、「法華経を信じないことも罪」または「罪の因になる」と言っています。

     個人的には前者はある程度「宗教教義を守るための」理としてはあり得るよう

     に思われますが、何故後者も罪になるのか、ここのところを教義的に少し説明

     欲しいと思います。例えば、信仰者の人に対して敵対し迫害を加える人もいま

     すし、「勝手にその信仰をやればいい、自分は関わりません」という無関心者

     もいます。前者と後者とでは全く異なります。しかし、日蓮は「法華経にはそ

     う書いてある」と主張し、後者も糾弾します。これは、日蓮仏法が排他的とい

     われることのおおもとだと思っています。どういう論理をくむと上記のように

     なるのか、ということです。

     2. 第7の外道さんがどこかで書いていましたが、「南無妙法蓮華経」という

     題目を唱えることが何故、特定の宗教団体に専売特許のように独占されるのか

     という疑問です。日蓮に従えば題目は「開かれた」ものであるはずなのになぜ

     日蓮正宗系各派は「閉じられた」ものとしてしまうのか。それを教典を駆使し

     て説明して欲しいです。また、「日蓮仏法を正しく広める」とは何を基準に正

     しいと呼ぶのかどうかと言うことです。

 

185 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/24() 10:51

     つづきです

     3. 第7の外道さんと同じ「日蓮私見」というスレッドで出鬼論さんという方

     が書いていたことに関係しますが、南無妙法蓮華経を唱えると成仏すると言う

     ことの宗教的なロジックをどのようにしているのかということです。勿論宗教

     ですからどこかで論理的な飛躍があることは明らかだと重います。問題はどこ

     でどのように論理的な飛躍がおこるのか個人的には興味があります。大枠です

     が、日蓮の言い方だと「諸経の中で法華経が一番強い」「法華経の真髄は妙法

     蓮華経という5文字に要約される」「南無妙法蓮華経という7文字を唱えれば

     救われる」という説明になるのですが、上記3文は実は、全く独立していま

     す。この独立した文をつなげていく論理はどのようになっているのか教えて下

     さい。

 

     以上大枠ですがこんな感じです。私も御書について知らない部分が多いので教

     えていただければ幸いです。それから、宗教ですから「地湧の菩薩が云々」

     「弥勒菩薩が〜」「苦海が〜」など荒唐無稽な話が多少出てきても構いませ

     ん。そういう場合にはメタファーとしてどのように解釈できるのかつとめま

     す。それぞれの質問に関しては後に細かく書いていきます。仕事(執筆業)の

     都合で時々3日〜4日あいてしまうことがありますが、お許し下さい。

 

186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24() 11:35

     お釈迦様も、

     こんなことになるとは、

     思わなかっただろう

 

187 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27() 03:25

     アンコウさんこんばんは。

 

     レスはお互い空いてる時間ということでいきましょう。やっぱり社会人として

     は仕事が

     最優先なので。それにしても、返事おくれてしまいました。すみません。

 

     第7の外道さん、昼行灯さんなら、仏教教典、御書を巧みに引用しながらアン

     コウさん

     の期待に添う回答があるのでしょうが、、、残念ながら自分にはそのようなこ

     とはでき

     ないですが、僕なりに精一杯お返事させて頂きます。また、学会の書籍が中心

     となる点

     もご理解下さい。

 

     さて、まず1の件ですが、法華誹謗に対する罪業についてはひとまず置き、後

     者の「信

     じないことも罪」について僕なりの解釈を書きたいと思います。

 

     法華経の特徴は幾つかありますが、まず「信じる」ということが前提にされて

     いるとい

     うことがあります。学会員が毎日読誦する方便品第二の冒頭に「諸仏の知恵は

     甚深無量

     なり。其の知恵の門は難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の能わざる所なり」

     とありま

     す。また、釈尊が説法する相手の代表は舎利弗(知恵第一とされた弟子)に対

     するもの

     です。このことからも解りますが、法華経は「信じる」ことをもってしか会得

     すること

     ができないことが解ります。それほど、二乗、また、末法の衆生を救うことは

     難しいの

     でしょう。尚、ここで言う法華経とは、釈尊の法華経ですが、日蓮門下の立場

     では「南

     無妙法連華経」のことです。

 

     先日の書き込みでも言いましたが、これも、対話する相手への思いから生じる

     問題の一

     つでは無いでしょうか?上述の通り「信」をもってしか法華経は理解できませ

     ん(釈尊

     が言うのであるからそうでしょう)。しかし、末法に於いては、法華経以外に

     成仏の道

     は無い。つまり、「信じないと成仏は無い」といことです。それを別の表現で

     言うと「

     信じないことも罪」になるのだと思います。表現の仕方では無いでしょうか?

 

     いきなり質問で申し訳無いですが、御書で具体的に「誹謗すること」と「信じ

     ないこと

     」を分けて論じている箇所を知らないのでできれば教えて頂きたいと思いま

     す。

 

188 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/27() 03:28

     せっかくHN付けたのに名無しでした。すみません。続きです。

 

     また、

 

     >「勝手にその信仰をやればいい、自分は関わりません」という無関心者

 

     を大聖人が糾弾するから「日蓮は排他的」であるとのご指摘についてですが、

     恐らくそ

     れは現在の学会の折伏に対することだと思うのですが・・。その点もできれば

     御書で具

     体的な表現が有れば教えて下さい。とりあえず、排他的という側面についての

     ご指摘に

     ついて考えたいと思います。

 

     立正安国論を始め、多くの御書で引用されていますが、涅槃教の「若し善比丘

     あつて法

     を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法

     の中の怨

     なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」を通され

     「悪を見

     て放置する」することは謗法であると指導されています。また、大聖人ご自身

     がこの教

     文の通り他宗の僧等と戦われました。ここで、誤解が生じると思うのですが、

     大聖人が

     徹底して戦われた相手は、国家であり、権力と結びつき興隆を極めた他宗の僧

     侶です。

     何も知らない民衆を騙し、不幸に陥れてる張本人を攻められました。膨大な御

     消息文を

     拝しても解りますが、民衆に対する大聖人の誠実な対応、慈悲に満ちたお心は

     お解り頂

     けると思います。大聖人を排他的と感じるのは、教文の通り徹して法華経の敵

     を攻撃さ

     れたからであると思います。

 

189 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/27() 03:29

     続き・・

 

     余談ですが、教文の通り法華経を広めたことにより大聖人がお受けになった難

     は数え切

     れません。身をもって法華経を読まれたのは大聖人お一人です。死罪にあって

     も尚、そ

     の民衆救済、法華弘通の精神を弟子門下に示されました。御本仏としての日蓮

     大聖人の

     お姿も是非知って頂きたいと思います。その大聖人のご精神、広宣流布の情熱

     をそのま

     ま命を賭けて実践したのが、創価学会であり、三代の会長です。様々な誤解や

     一部の問

     題だけに目を奪われないで欲しいと心から願っています。

 

     2と3については、また書き込みします。アンコウさんが、これからの進め方

     として提

     示してくれた内容ですので、個々にもっと具体的なご指摘があればどんどん書

     いて下さ

     い。僕も勉強して行きたいと思います。それと「日蓮私感」のスレッドもまだ

     読んでな

     いので明日以降読ませて頂きます。それでは。

 

190 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/27() 05:17

     話の腰を折ってしまって、申し訳ありませんが、

 

     >いきなり質問で申し訳無いですが、御書で具体的に「誹謗すること」と「信

     じないこと 」

     >を分けて論じている箇所を知らないのでできれば教えて頂きたいと思いま

     す。

     十法界明因果抄には次のような文があります。

      『涅槃経に云く「仏の正法に於いて永く護惜建立の心無し」文、此の文の意

     は此の涅槃経

       の大世間法に滅尽せんをおしまざる者は即ち是れ誹謗の者なり、天台大師

     法華経の怨

       敵を定めて云わく「聞く事を喜ばざる者を怨と為す」』云々。

     その他、顕謗法抄等にも、「法華経を信じない者は謗法であり、地獄行きであ

     る(大意)」との

     文は随見出来ます。僧侶や、権力者に対してのみでは無く、一般大衆への恫喝

     とも取れます。

     創価学会もその見解を援用していると思います。その意味では確かに「御書直

     結」ですし、

     「日蓮直結」でしょう。

 

191 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/27() 05:37

     >余談ですが、教文の通り法華経を広めたことにより大聖人がお受けになった

     難は数え切

     >れません。身をもって法華経を読まれたのは大聖人お一人です。

     室町時代の日親上人や不受布施派の日講上人、日奥上人は、日蓮さんより、酷

     い迫害を

     受けている事実を創価学会では、どのように教えられていますでしょうか?

 

     >その大聖人のご精神、広宣流布の情熱をそのま

     >ま命を賭けて実践したのが、創価学会であり、三代の会長です。

     江戸時代の不受布施派と比べる事は、本意ではありませんが、或る意味では創

     価学会への

     「迫害」等は、個人的には「大したことはない」と感じています。不受布施派

     の人は赤ん坊まで

     「問答無用」で虐殺されていますから。裁判を受けらる権利(権力に都合がよ

     くても)はあった

     のですから「3代までの会長さん」は。

 

     chは書き込みを控えていたのですが、つい出しゃばってしまいました。

 

192 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/27() 05:49

     >法華経は「信じる」ことをもってしか会得することができないことが解りま

     す。

     信じる為の具体的な「法」とは何でしょう?

     普門品には「観世音の名を唱えると「苦しみから救われる」だの、「経典を受

     誦」とか、

     「仏塔を供養すれば」、「書写すれば」等々の修行法が書かれていますが、そ

     れが

     どの様なプロセスを経れば「功徳・解脱」に繋がるのでしょう?

     宗教は「理に適っているか?」を理証と言うそうですが、確かに文に依る根拠

     「文証」

     はあります。しかし、「理屈に合わない現証」が出るとは思えません。

     その「理証」を明快にお答え頂けませんでしょうか?

     「信ずる者は救われる」では、仏教以前の外道と同じではないでしょうか。

 

193 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/27() 11:45

     昼行燈さん初めまして。レスありがとうございます。

     蓮華さんへのレスを書こうと日蓮の書文を読んでいたら、あなたからレスをい

     ただけました。アドバイス本当にありがとうございます。勉強になります。

 

     蓮華さん、レスありがとうございます。

     さて、あなたのレスですが、

     >法華経の特徴は幾つかありますが、まず「信じる」ということが前提にされ

     ているとい

     >うことがあります。学会員が毎日読誦する方便品第二の冒頭に「諸仏の知恵

     は甚深無量

     >なり。其の知恵の門は難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の能わざる所な

     り」とありま

     >す。

     これは、法華経はよほどの智者でも修得しがたいほど難解であると言う意味で

     すよね。これが、どのようにしたら「まず信じないと判らない」と言うように

     論理飛躍してしまうのかが判りません。他の御書も仏教教典もそもそも文字情

     報です。全部盲目的に信じなくても、「文章を理解しようとする努力」をすれ

     ばいいだけではありませんか。この論理飛躍につきましては、他に仏典を引用

     して説明いただければ幸いです。また、信じてみないと判らないと言うのであ

     れば、日蓮が経文を引用して長々と御書を書く必要は無かったのはないでしょ

     うか。「法華経(日蓮の場合は題目)は正しい」「その正しさは、法華経(日

     蓮の場合は題目)を信じてみなければ判らない」の2文で十分です。

 

194 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/27() 11:46

     蓮華さん、つづきです。

     「まず信じないと判らない」前提の存在は物事の議論を停止させることにほか

     なりません。なぜなら、上記の前提はこの全世界に存在する全ての文字情報に

     導入させることが可能だからです。例えばかつて、「ナチス政権によるユダヤ

     人ホロコーストは、反ナチ派が後世に生んだ偽りの話である」という忌まわし

     い趣旨の論説がありましたが、蓮華さんが、先ような前提をとる立場であるの

     なら、「ナチス政権による〜」ことも信じて認めざるをえなくなってしまいま

     す。日蓮の書は数々の「地獄・難の描出」により読者を恐喝し、帰依させよう

     とする恐怖の書です。であるならば、「盲目的に信じる」という前に対象を相

     対化し客観的に分析していくほうが正当だし、民主的だと思われませんか。

     「信じないと判らない」とは、その書が「難解だから」という理由では正当化

     されるものではありません。百歩譲って、「法華経の肝要は論理ではなくその

     文字がメタファーとして喚起する数々のイメージなのだから信じた方がイメー

     ジは豊かになるのではないか」という説明が成立します。たしかに法華経には

     「苦海に没する」ことは「実際に溺れることではなく、苦しみに悶えること」

     だったり、「薬を飲まない子供」とは「法華経を信じにくい人」のメタファー

     ですよね。しかし、メタファーに対する共通イメージが重要であるという立場

     をとるのであれば、これには「御書の解釈」「日蓮の法華経解釈」「創価学会

     の正しさ」に新たな問題がつきまといます。

     この仏典解釈とメタファー問題に関しては後日書かせていただきます。

 

195 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/27() 11:48

     蓮華さん、つづきです。

     >御書で具体的に「誹謗すること」と「信じないこと」を分けて論じている箇

     所を知らないのでできれば教えて頂きたいと思います。

 

     これは、日蓮が一カ所でまとめている部分があったかどうか忘れてしまったの

     ですが以下のような御書文の書分け方で明らかです。まず、前者の法華経(及

     びその行者)を誹謗することと地獄について

     「法華経第二の『若し人信ぜずしてこの経をキ謗せば乃至其の人命終わって阿

     鼻極に入らん』」(立証安国論)

     「経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賤憎嫉して憎嫉して而も結恨を懐

     かん、その人命終し阿鼻獄に入らん」(下山御消息)

 

     が代表的でしょうか。後者の「法華経を信じないこと」と罪については、昼行

     燈さんが書いて下さいました。(昼行燈さんありがとうございます)

     他に、「法華経と同時に他の経を学ぶことと地獄」「一端法華経を信じた者が

     法華経を棄てることの罪」などいろいろな種類に分けて日蓮は書いています。

     いずれにせよ、他のスレッドで書いたように、殆ど脅迫としか言いようのない

     文章だと思います。

 

196 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/27() 12:14

     蓮華さん。すみません。あげあしを取るつもりではありません。

     >難は数え切れません。身をもって法華経を読まれたのは大聖人お一人です。

     死罪にあっても尚、そ

     >の民衆救済、法華弘通の精神を弟子門下に示されました。

 

     このような言い方では、時代は違いますがキリシタンの方が迫害を受けたこと

     になってしまい、キリスト教徒の方が偉い(正しい)という方向に議論が進ん

     でしまいはしませんか。宗教の正しさは、権力からの迫害の度合いで量られる

     べきものではないと個人的には思っております。

 

197 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/27() 16:39

     蓮華さん、仕事中に気になってしまい、ついついレスしてしまいました。

     「信じてみなければ理解できない」という論理について、内容を知る前に「信

     じる」とはどういうことなのかがさっぱりわかりませんが、それをとりあえず

     「筆者が正しいことを言っていると仮定して理解に努める」と解釈したとしま

     す。であれば次のようなパターンが存在します。

 

     パターン1

     1.筆者が正しいことを言っていると仮定して読む

     2.文章内容が理解できる

     3.理解した結果、仮定が誤りであることが判る

 

     パターン2

     1.筆者が正しいことを言っていると仮定して読む

     2.仮定して読んでも判らない

 

     他にパターンはあるのですが、僕がここで取り上げたいのは上記二つのパター

     ンです。1のパターンに対しては、日蓮は「地獄に堕ちる」といっていますよ

     ね。2のパターンは、まさに蓮華さんがあげた「一切の声聞、辟支仏の能わざ

     る所なり」になってしまうのでトートロジーに陥ります。この2つの矛盾パタ

     ーンを解決できるような仏法書からの引用解説をお願いします。

     それから、「法華経を信じない者も地獄行き」と言うことに関してもレスをお

     待ちしております。

 

198 名前: さいはて 投稿日: 2000/03/27() 20:58

     横レスですみません

     みなさまご苦労様です。

 

     このスレッドも息が長い貴重なスレッドですね。

 

     3月24日以降の書き込みから新展開を

     迎えているようなのですが

     いまひとつ話の展開が読めません。

 

     他のどのスレッド(または他のBBS)と連繋しているのでしょうか?

     「日蓮私見」というのがどうしても見当たらないのですが…

 

199 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/28() 01:47

     ここで日蓮を庇う訳ではないのですが、大乗仏教が排他的であって、特別に日

     蓮のみが

     排他的では無いのです。

     初期大乗経典では、「二乗不成仏」と二乗を排斥し、浄土宗では「千中無一」

     とも言って、

     独善的な理論を展開し、法相・唯識宗では「五性各別」と、成仏・不成仏の種

     を定めてい

     ますので、「日蓮のみが排他・独善」とは思いませんが。

     小乗と蔑まれる釈迦の教えには「法を以て善男子を誘う」とあり、他宗派を攻

     撃・排斥して

     仏教に導くのではなく、宗教の選択を選ぶ側に任せています。

      

 

200 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/28() 09:31

     昼行燈さん。ご教授ありがとうございます。

     >大乗仏教が排他的であって、特別に日蓮のみが

     >排他的では無いのです。

     >初期大乗経典では、「二乗不成仏」と二乗を排斥し、浄土宗では「千中無

     一」とも言って、

     >独善的な理論を展開し、法相・唯識宗では「五性各別」と、成仏・不成仏の

     種を定めてい

     >ますので、「日蓮のみが排他・独善」とは思いませんが。

     確かに、「二乗を排斥すること」への批判は日蓮の御書にも何度も出てきま

     す。

     勉強不足から、日蓮のみへの偏った批判になってしまいました。法華経も勉強

     中(信仰しているわけではない)なので、以後もう少し、他の経も勉強してみ

     ます。相対化すべきなどと偉いことを言った割には、相対化する枠組みが自分

     のなかで出来ていません。自分は、つい科学との比較で相対化してしまう方な

     ので・・・

     また、いろいろと教えて下さい。

 

201 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/28() 09:43

     それから、蓮華さん。

     「論破するつもりはない」といっていながら、つい興奮して強い文調になって

     しまいました。本当にすみません。以前折伏のときに軟禁されたのと反公明的

     発言をして教育されたトラウマからつい熱くなってしまいました。あくまで自

     由参加の場なので、自分が排他的にならないように以後気をつけたいと思いま

     す。

 

202 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/28() 10:16

     さいはて さん。

     もともと蓮華さんも僕も「名無し」というHNでこちらで一行レスしていただ

     けです。

     http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=950088625&ls=50

 

203 名前: さいはて 投稿日: 2000/03/28() 22:05

     >アンコウさん

     ありがとうございます。

 

204 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/29() 02:58

     アンコウさんこんばんは。昼行灯さん初めまして、御書の引用感謝します。

 

     すいません、レスが遅くなりました。実はここの過去ログと、第7の外道氏の

     「日蓮私見」スレッドを印刷してちゃんと読んだりしてました(と、言っても

     なかなか時間が無かった)。それで、考えてしまったのは、どうしても僕が持

     ってる知識では、過去ログと同じ展開になるなということです。それと、じっ

     くり読んでみて、特に感じたのが、日蓮仏法の捉え方そのものが、学会とは違

     いすぎるなということです。

 

     今後のレスの為に断っておきたいのですが、僕には、ここで法論する気はまっ

    

     く無いです。ただ、学会員(僕)がどういう気持ちで信仰をしているのかが、

    

     われば良いなという思いで、質問にも僕にできる限りの範囲ではあるけど答え

    

     いきたいと思っています。

 

205 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/29() 03:00

     続き

 

     本題のレスに入りたいと思います。

 

     >「まず信じないと判らない」と言うように論理飛躍してしまうのかが判りませ

     ん。

 

     すみません、確かに説明が足りないですね。引用した部分の説明を補足させて

     下さい。

 

     まず、対象を、当時の舎利弗にしたいと思います。舎利弗は、自身に釈尊と同

     じ知恵

     があると知らないですし(自分が仏だと気づいていない)、仏にはなれないと

     思って

     います。それでは、どのようにして舎利弗が成仏できたかたの説明です。

 

     ご存じのように、方便品では、後に諸法実相が説かれ、それまで絶対成仏でき

     ないと

     された二乗にも成仏できると説かれます。つまり、舎利弗にも仏と同じ生命が

     あると

     あかされる訳ですが、ここでは二乗には理解ができないのです。それでは、ど

     うして

     二乗が成仏できたかというと、比喩品に「以信得入(信を以て入ることを得た

     り)」

     とあります。これは、それまでの自分の小さな悟りや、知識では無く「信」に

     よって

     仏の無情の知恵に入れたということです。

 

     この以信得入、つまり、信じることで初めて、二乗が成仏できたのです。

 

     また、天台らも「仏法は海のようなものである。ただ信によってのみ入ること

     ができ

     る」と説いているそうです。

 

     これを、大聖人の仏法では、「知恵とは南無妙法連華経なり」(御義口伝)と

     あるの

     ですが、これは、南無妙法連華経には一切の仏の甚深無量の知恵が具わってい

     るとい

     うことで、その、知恵の門に入る門とは、「信心の門」のことで大聖人は「門

     とは信

     心の事なり」(御義口伝)と仰っています。また、「以信代恵(信心を以て知

     恵に代

     える)」とあり、信心に頑張ることでその仏の無量の知恵が具わると説きま

     す。

 

206 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/29() 03:00

     続き

 

     「信心すれば祈りが叶うよ」と学会で言いますが、これは、以上のような理屈

     になる

     と思います。でも、これを理屈で理解するのはやっぱり難しいので、難解難入

     なので

     しょうね(笑。あと、問題なのは、祈った結果、祈りが叶いましたありがと

     う。以上。

     みたいな信心は、仏の知恵とは言えないですね(笑。やっぱり、苦るんしんで

     る人、

     悩んでる人達を助けていこうという実践がなければたんなるおすがり信仰にな

     ります。

 

     僕の現状ではこの程度のレスしかできません。本来、アンコウさんの「信じ

     る」ことの

     思考パターンにきちんと返答したいのですが、実は、それを考えるとこちらの

     思考がエ

     ンストしてしまいます(笑。そういう人、僕も含めて、結構学会の人の中には

     多いと思

     います。もちろん、宗教学を学んだ方やみなさんの様に個人で学んでる方はそ

     んなこと

     ないとは思いますが。

 

     良く考えると(今更だけど)、僕のような学会員は、多少の疑念が有ったとし

     ても、本

     当に祈りが叶うの?くらいの疑念であって、ご本尊の意味や、お題目について

     そんなに

     深く考えないタイプだと思います(決して馬鹿と言ってる訳じゃないです)。

     ましてや

     仏教や歴史はほとんど考えないです。つまり「以信代慧」しやすいということ

     です。ま

     た、信とは「無疑曰信」とあるように、疑わないことに辿りつきやすいのだと

     思います

     。当然、長い人生でも信仰生活でもあるので不信は起こるでしょうが退転もし

     にくい性

     質なのでは無いでしょうか?

 

207 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/29() 03:01

     続き

 

     以前、御書はなんの為に勉強するかいうことで、「退転しないように」といっ

     てた人が

     いました。本来なら、教義面を学ぶとか言いそうなのですが・・。でも、素直

     に聞けま

     したし、実際、「御書を心肝に染め」ているのは、祈祷抄の一説であったりし

     てます。

     他のレスで教義にも振れられてましたが、日蓮仏法に細かな教義なんて無いと

     思ってま

     す。「ご本尊に唱題して幸せになる」でしょうか。そして、仏の知恵が出たら

     自然と自

     行化他の信心にと行けるのかな。でも、学会の組織抜きでは無理だと思います

     が。

 

     ごめんなさい、睡魔がひどいので続きは後日にさせて下さい。駄レスで本当に

     済みませ

     ん。「信じないと地獄に堕ちる」の件ですが、簡単に考えると、法華経は唯一

     全ての人

     の成仏を可能にする法であるのに、信じ無いと会得できない。つまり、仏にな

     る道(仏

     種)を絶つことになる。といことだと思います。ですから、決して脅迫や恫喝

     という意

     味での御書では無いと思います(少ないレスですみません)。

 

208 名前: 蓮華 投稿日: 2000/03/29() 03:06

     レスが追加されてましたね。

 

     >あくまで自由参加の場なので、自分が>排他的にならないように以後気をつけ

     たいと思います。

 

     気にしないで下さい。

     軟禁ですか。。大変でしたね。どんな理由でも申し訳無い限りです。

 

209 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/29() 04:58

     もう、2Chには書き込まないつもりだったのですが、愛着のあるスレッドなの

     で、

     ロムはしていました。で、お二人の対話を拝見してつい、余計な事も書きこむ

     気にも、

     なりましたが無視して下さっても結構です。

 

     >対象を、当時の舎利弗にしたいと思います。舎利弗は、自身に釈尊と同じ知

    

     >があると知らないですし(自分が仏だと気づいていない)、仏にはなれない

     と思って

     >います。それでは、どのようにして舎利弗が成仏できたかたの説明です。

     釈迦当時の外道と呼ばれたジャイナ教では舎利弗(サーリプッタ)は仏(ブッ

     ダ)と

     して表現されていますし、釈迦自身が「私の廻した(法の)輪はサーリプッタ

     が廻す」

     とも述べています。

 

     >それまで絶対成仏できないとされた二乗にも成仏できると説かれます。

     釈迦が初めて法を説かれた時、五人の比丘のうち、コーンダンニャはたちまち

     悟りを

     得た(成仏した)と経典は記しています。(後に部派仏教では阿羅漢果を得た

     だけとし

     て釈迦の成道と区別をしますが)阿羅漢は「仏の十名」の一つで、本来は如

     来・仏陀と

     同じ意味です。

 

210 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/29() 05:20

     法華経で説かれる「二乗成仏」とは如何なるものかと読み進めば、単に「記

     別」なのですね。

     「お前は将来、●●如来に成る」と空手形を与えているだけで、何時・何処で

     については

     「遠い将来」と云う事でしょう?

     即身成仏とは弘法大師(空海)の使い始めた言葉であろうと思うのですが、仏

     法では「即身

     成仏」は無いでしょう。空海は「梵我一如」と云われるバラモン教の影響の強

     い「密教」に依

     って教義を立てています。日蓮も若い頃は「密教」を学び、「虚空蔵菩薩に願

     を立てて」いま

     すし、「戒体即身成仏義」と云う立宗以前の書には、「真言第一」とその影響

     は及んでいます。

     諸法実相(十如是を開題したもの)も本来、法華経方便品には無いものを、漢

     訳の折りに、

     三蔵法師・鳩摩羅什が創作したものです。(詳しくは岩波文庫版・法華経(

     上)(中)(下)を参

     照して下さい)

 

      

 

211 名前: S・Kファン 投稿日: 2000/03/29() 06:37

     昼行燈さん

 

     こんなところにいらっしゃったんですね。^ ^

     まだ全部読んでいませんので、これから読ませて頂きます。

     とても勉強になります。

 

                       

 

212 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/03/29() 15:23

     実に久しぶりにこの板をのぞいたら、このスレッドが成長していたので驚きま

     した。このように有効利用していただいたなら立てた本人も本望というもので

     す。

 

     蓮華さんはじめまして。

     特に「批判をしよう」という気持ちは毛頭ないのですが、たとえば

 

     >日蓮仏法に細かな教義なんて無いと思ってます。

     >「ご本尊に唱題して幸せになる」でしょうか。そして、仏の知恵が出たら自

     然と自行化他の信心にと行けるのかな。

     >でも、学会の組織抜きでは無理だと思いますが。

 

     という言葉がさらりと出てくるところなどは、私には最も理解しにくいところ

     です。この辺は価値観の根本的相違というやつなのでしょうか。

     一口に幸せといっても、その全てを個人の力だけで獲得できるものだとは、私

     も思っていません。しかしなぜそこで「唱題」なのか。その問題について理論

     で正当化することも、または論破することも自在にできるでしょうか、そもそ

     もそれ以前の段階で、「本尊」「唱題」「幸せ」が結びついてしまうその発想

     が、私にはわからないのです。他意はありません。ただ不思議に感じます。

     また引き続きお話してくだされば幸いです。

 

213 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/03/29() 15:24

     アンコウさん&昼行燈さん

     はじめまして&お久しぶりです。「日蓮私見」の続きを書かねばと思い日蓮の

     書を読みながら、関心が横滑りを起こしてしまい、全く違う方向に気持ちが向

     きっぱなしの状態になっていました(^_^;)。ただどんなに書いても私の主旨は

 

     1、呪術応答的存在としての「久遠本仏」の存在を没批判的に信じなければ、

     日蓮の成仏方法論は成立しえない。

     2、しかし一旦その存在を信じたなら、その成仏方法はすべての信者に平等に

     開かれている。

     3、他方日蓮の思想は全般的に独善的傾向が強く、また「三大秘法」の実践も

     反社会的な方向に流れやすい性格を持っており、総じて非信者に対しては日蓮

     仏法は排他的にならざるをえない傾向を持っている。

     4、創価学会だけが日蓮仏法の正当な継承者である、という旨の主張は、日蓮

     の思想に照らしてすら全く成立の余地がない。

 

     といった感じで、とりあえずは動かないと思います。

     横レスみたくなりましたが、よい方向に議論が流れていくのを期待させていた

     だきます。

 

214 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/29() 18:11

     蓮華さん、レスありがとうございます。

     >僕には、ここで法論する気はまったく無いです。ただ、学会員(僕)がどう

     いう気持ちで信仰をしているのかが、伝 われば良いなという思いで、質問にも

     僕にできる限りの範囲ではあるけど答えて いきたいと思っています。

 

     そうですね、僕も最初に「論破するつもりはない」といっているように、蓮華

     さんを敵視してやっつける意図は全くありません。むしろ創価学会、及び日蓮

     は宗教なのですから、非論理的段階があって当然だと思います。ただ、先日も

     述べましように「どこでどのように論理的な飛躍がおこるのか、個人的には興

     味があります」から、今のままお答え下さって結構です。ところで、

 

     >「以信得入(信を以て入ることを得たり)」 とあります。これは、それまで

     の自分の小さな悟りや、知識では無く「信」によって 仏の無情の知恵に入れた

     ということです。

 

     「以信得入」ですか、昔、折伏してきた学会人が貸してくれた女子部用の教学

     用語の本に「草木成仏」や「三宝」などとともに載っていたと思います(すみ

     ませんが、細部は忘れました)。

     「難信難解」において「信」と「解」とは学会ではどのような状態であると説

     明されていますか。また仏教教典的にはどのように解釈されていますか?先

     日、僕は、その「信」の意味が判らないのでごく一般的な日常言語のレベルで

     「『筆者が正しいことを言っていると仮定して理解に努める』と解釈したとし

     ます。」と言いました。しかし、この「信」の意味は僕のような解釈では絶対

     にあり得ないと思います。なぜなら、先日のレスで僕がパターン分けして示し

     たように、この解釈では、教義と矛盾をきたしてしまうからです。(この意味

     での「信」ですと、「信」じたのに地獄行きが論理的には発生します。)

 

215 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/29() 18:13

     ここからが、まさに宗教の話として面白くなってくるところです。まず、「難

     信難解」において「信」とは「解」の前にくるものなのでしょうか。日常言語

     で「信じる」という意味を「筆者が正しいことを言っていると仮定して文章理

     解に努める」と言う意味を越えるレベルで用いる場合、つまり「内容自体を信

     じることができる」という場合「ある対象とされているものの意味が理解でき

     ている」からこそ、それを「信じる」といえるわけです。しかし、蓮華さんの

     説明だと手続きとしてこれが逆転しているのです。「内容を理解できていない

     もの」に対して、「信じる」とはどういう状態をいうのでしょう。極論します

     が今、僕が次の文章に、ある3つの命題を込めてみました。

 

     jgsdrfgjsdlf、mう゛ぇるjg:え¥:fぁえrgかえr、pg

     じゃえりgkあ¥@えRmんsd;おがじぇrg・

 

     おそらく、この文章を理「解」できる人間は僕以外にはいないはずです。こう

     した意味の理解できない文字列に対して「信じる」という行為がありうるとい

     うわけですよね。この時の「信」とはどういう状態のことをいうのでしょう。

     完全に説明されなくても構わないのでご意見をいただければ幸いです

 

216 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/29() 18:14

     ここからは結論では全くありませんし、あくまで僕の個人的想像ですが、日蓮

     が結局は題目の7文字を唱えるという「呪術」に走った理由の一つとして以下

     のようなものもあったのではないかと考えています。それは、文章を「信じ

     る」「理解する」「筆者に同意する」という行為や意味が「信じなければ判ら

     ない」「信じなければ地獄行き」という命題を論理的に言語で説明しきれない

     こと、つまり「信じても地獄行き」が発生しないようにしながら「信じる」と

     いう単語と論理をくみこめるように「信じる」を定義(説明)した上で上記命

     題を説明し、なおかつそれらを当時の民衆に理解させることが難しいことを日

     蓮が感覚的にしっていたのではないかということです。南無妙法蓮華経という

     題目の7文字で救われるという文脈として、日蓮は、末法においては釈迦の法

     華経(本当は釈迦のものでも何でもないのですが・・・)では救われないとい

     う理由をつけるわけです。しかし、一方でこの7文字で救われるということ

     は、法華経を読まなくても良いということでもあるわけです(論理的には・

     ・・)。これならば読まなくても救われるので、当然、「経文を『信じて』読

     んだのに地獄行き」ということは発生しなくて済みそうです。

 

217 名前: アンコウ 投稿日: 2000/03/29() 18:17

     昼行燈さんこんにちは。ご教授いつも本当にありがとうございます。

     貴殿からは、まだ知識を学ぶということしか今の僕には出来ません。

     本当にありがとうございます。

 

     第7の外道さんこんにちは。あなたのレスのファンの一人です。

     「日蓮私見」楽しみにしています。僕もあなたと大方同意見です。

 

218 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/03/30() 01:18

     第7の外道さん。お久しぶりです。

 

     私はインド哲学の素晴らしい先生(真言宗・豊山派の御僧侶)を得て、

     感化されっぱなしです。信仰の話は無いのですが、サンスクリットや

     外道と呼ばれるインド思想を一から学び直しているところです。

 

     結局、私の主旨も第7の外道さんと同じ所に行き着きそうです。

 

219 名前: 佐伯恭子 投稿日: 2000/04/01() 04:59

     Yahoo!掲示板で、創価学会員のskoyuki氏に対論を申し込みました。

 

     「ところで2chネットに逃げないように。あそこでの宗教談義は意味がない

     ことで有名なのでね。

     私はここでお待ちしておりますよ。または同じ意見をSF研で問うてみたら如何

     かな。」

 

     だそうです。

 

220 名前: Bushed 投稿日: 2000/04/01() 13:44

     第7の外道さん、昼行燈さん、アンコウさんの日蓮についての話

     興味深いです。 佐伯さんと同じくYAHOO掲示板よりやってきました。

     このトピックには意味が無いように感じませんね。

 

221 名前: 佐伯恭子 投稿日: 2000/04/01() 23:12

     Bushedさん。はじめまして。

     この掲示板は、2chでも出色のスレッドだと思います。

     このスレッドを立ち上げてくださった第7の外道さんに感謝して、

     skoyuki氏をお待ちいたします。

 

222 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:25

     アンコウさん、こんばんは。本当、レス遅くてごめんなさい。今日もやっとで

     きた時間

     をこのレス当てられずこんな時間になってしまいました。お互い気長に続けら

     れれば嬉

     しいです。

 

     第7の外道さんはじめまして。「日蓮私見」拝見しました。また、じっくり読

     みます。

     「行学たえなば仏法はあるべからず」。第7の外道さんを見習ってもっと御書

     を学ぶ様

     にしていきたいです。折伏や活動だけでは仏法じゃないですね。

 

     昼行灯さんこんにちは。決して無視してるわけじゃないです。二股が掛けられ

     ないタチ

     なんです。それと、話題が拡大すると自身収拾がつかなくなりそうなので。。

     色々な仏

     典を引いてのコメントも大歓迎です。ただ、僕の姿勢は日興遺誡置文に

 

     「当門流に於いては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間が有らば台家を聞

     く可き事」

     とある通りですので、あまり反応は無いと思って下さい。僕は宗教学や仏教史

     を学ぶ立

     場にはありませんので。

 

223 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:26

     ここからアンコウさんへのレスです。

 

     >「難信難解」において「信」と「解」とは学会ではどのような状態であると説

     明されて

     >いますか。また仏教教典的にはどのように解釈されていますか?

 

     ちなみに僕が引用した箇所は「難解難入」です。まあ、似た表現は何度か出て

     来ます。

     また、「諸仏智慧 甚深無量」などもそうですが、一見すると舎利弗に対し

     て、こんな

     に難しい教えだから、理解できないよと言ってるようですが、実はこれらの表

     現を通し

     て仏の知恵の偉大さを賛嘆しています。また、弟子である舎利弗達に、このよ

     うな偉大

     な智慧を働かせ、幸せになるよう、また、私の様に人々を救っていきなさいと

     いうこと

     を促していると勉強しました。前置きが長くなりましたが、せっかくですので

     「難信難

     解」についてお答えさせて頂きます。僕は概ね以下の様なことだと理解してい

     ます(「

     諸教と法華経と難易の事」参照)。

 

     「難信難解」は「易信易解」に対する言葉なのですが、「難信難解」は法華経

     を言い、

     「易信易解」はその他の教典を指していいます。法華経は仏の心(一切の衆生

     を救いた

     い)をそのまま説いた(随自意)教えであるから、仏では無い凡夫にその意を

     理解する

     のは難しい。それに対し、爾前の教えは、仏が衆生の意に同じて説いた(随他

     意)教え

     であるから信じ易く、理解しやすいと勉強しました。

 

224 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:28

     続き

 

     仏教教典につては良く解らないので、長文になりますが御書を引用させて下さ

     い。

 

     御義口伝の「第一信解品の事」に

 

     「一念三千も信の一字より起こり三世の諸仏の成道も信の一字より起こるな

     り、此の信

     の字元品の無明を切る利権なり其の故は信は無擬曰信とて疑惑を断破する利剣

     なり解と

     は智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一

     字なり智

     慧とは南無妙法連華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解

     の外に信

     無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」中略

 

     「文句の九に云く疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰うと、文句の六に云く

     中根の人

     比喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に名けて信と為

     す進んで

     大乗の修道に入る故に名けて解と為す、記の六に云く大を以て之に望むるに乃

     ち両字を

     分ちて以て二道に属す疑を破するが故に信なり進んで入るを解と名く」

 

225 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:29

     続き

 

     以上の様な考えを前提に以下を考えたいと思います。

 

     >「難信難解」において「信」とは「解」の前にくるものなのでしょうか。

     「信の外に解無く解の外に信無し」を拝す通りです。

 

     >日常言語で「信じる」という意味を「筆者が正しいことを言っていると仮定し

     て文章理

     >解に努める」と言う意味を越えるレベルで用いる場合、つまり「内容自体を信

     じること

     >ができる」という場合「ある対象とされているものの意味が理解できている」

     からこそ

     >、それを「信じる」といえるわけです。しかし、蓮華さんの説明だと手続きと

     してこれ

     >が逆転しているのです。「内容を理解できていないもの」に対して、「信じ

     る」とはど

     >ういう状態をいうのでしょう。

 

     非常に難しいです。御書や教典にも色々たとえがありますが、確かこういうの

     がありま

     した。それは、赤ん坊が母親の乳を飲んで育つことを通され、赤ん坊は母乳の

     成分など

     は理解して飲むわけでは無いが、それを飲むことにより成長します。それと同

     じように

     、法華経(南無妙法連華経)を理解していなくても、ご本尊に唱題していくこ

     とで自然

     と幸せになることができるのですよ。というようなたとえです。

 

     つまり、このくらい純粋な気持ちでしか法華経(南無妙法連華経)は理解でき

     ないとい

     うことになると思います。僕は、みなさんの様に、仏教の知識も無かったです

     が、ただ

     信じ祈ることでのみ功徳を頂きました。また、そのことによって初めて信じる

     こと(確

     信を得る)ができたと思います。色々困っていたので、とりあえず信じて(半

     信)やっ

     て見たら結果が良かった。そのことで、確信を得たということなのですが、そ

     れは理論

     や理屈が理解できたということは違います。なんというのか、体で理解すると

     でもいう

     のでしょうか?生命で理解するというのでしょうかね?うまい表現が出ません

     が、そう

     いうことです。でも、ただ困ってたから信じたわけでは無いのですが・・

 

226 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:30

     続き

     >僕が次の文章に、ある3つの命題を込めてみました。

     >jgsdrfgjsdlf、mう゛ぇるjg:え¥:fぁえrgかえr、pg

     じゃえり

     >gkあ¥@えRmんsd;おがじぇrg・

 

     >おそらく、この文章を理「解」できる人間は僕以外にはいないはずです。こう

     した意味

     >の理解できない文字列に対して「信じる」という行為がありうるというわけで

     すよね。

     >この時の「信」とはどういう状態のことをいうのでしょう。

 

     正に「鰯の頭も信心」でしょうね(笑。人間は困難にぶつかると逃げてしまっ

     たり、神

     などにすがったりします。僕も、そうでした。ただ、信じた結果が良かっただ

     けです。

     でも、友人などが、真剣に「jg〜を唱題すれば幸せになるよ」と言って来た

     として、

     その人を信じることができればやって見るかもしれないです。つまり、この時

     の「信」

     は「jg〜」を信じたのでは無くて、相手を信じたということです。南無妙法

     連華経も

     同じです。大聖人は、「法は一人で広まらない、法を広める人がいるから広ま

     るのであ

     る。だから人も法も尊いのである(大意)」と仰っているのだと思います。

 

     僕にはこれがどういう命題かは理解できないです。ただ、これをお題目にして

     唱えれば

     祈りが叶うとして布教すれば、自ずと答えもでそうですね。およそ、宗教とは

     人を幸せ

     にすることが目的であると思います。ただ、それを教えて行く人がいないと広

     まらない

     。また、おかしなものも広まらないと思います。

 

227 名前: 蓮華 投稿日: 2000/04/02() 05:31

     最後に、アンコウさんの考察につてですが、なるほどと思います。でも、僕に

     はそうな

     のかどうかは解らないですし、答えられません。

 

     ただ、大聖人は法華経をご自身の行動と、その結果お受けになった数々の法難

     で証明さ

     れました。大聖人がいなければ、仏の言葉も誇妄となってしまいました。その

     事は、大

     聖人ご自身が御書で仰っている通りです。また、その難も、死罪にあわれた

     事、また、

     その死罪でも殺されず、二度目の流罪をお受けになったことは、非常に重要で

     あると思

     っています。色々言われますが、全ての民衆を救いたいとの御本仏としての信

     念がなけ

     れば、到底貫くことなどできない御生涯であったと思います。

 

228 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/02() 23:51

     蓮華さん

 

     >三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智

     >慧とは南無妙法連華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く

     解の外に信

     >無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」中略

     智慧が信であるか信ではないのかは分かりませんが、信が智慧であると仮定し

    

     どうして『智慧とは南無妙法連華経なり』に飛躍するのでしょうか。

     信じる事、それが智慧であれば、阿弥陀を信じること「南無阿弥陀仏」も、

     「南無池田大作」も

     「南無麻原彰晃」も、やはり智慧でしょうか?

 

     いきなり、智慧とは南無妙法連華経なりと結論をだされても、その過程は説明

     がありません。

     その過程を理論的に説明して頂けないでしょうか。

 

229 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 00:09

     >「難信難解」は「易信易解」に対する言葉なのですが、「難信難解」は法華

     経を言い、

     >「易信易解」はその他の教典を指していいます。

     これは、他の経典を読まれてのご意見でしょうか?

     単に、法華経に「この経は難信難解なり」とあるから、そのように仰っている

     のでしょうか?

     法華経に「易信易解とは他の経典」との記述はあるのでしょうか?

     法華経で説かれる「難信難解」は、「仏の智恵は」ではありませんでしたか。

     仏の智恵は難信難解であるから、如来にしか理解できない。「唯仏与仏」であ

     るとあったと

     記憶していますが、如何でしょう。

 

     法華経は他の大乗経典と比較すると、「難信難解」ではなく、「易信易解」に

     属する経典だと

     思います。「易信易解」を「難信難解」の経典にしたのは、偏に天台智者大師

     だと思いますが、

     如何でしょう?

        

      

 

230 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 00:47

     蓮華さんどうもです。

 

     >ただ信じ祈ることでのみ功徳を頂きました

     >とりあえず信じて(半信)やって見たら結果が良かった。そのことで、確信

     を得たということ

     >これをお題目にして唱えれば祈りが叶うとして布教すれば

 

     とありますが、私の感じる率直な疑問を書かせていただきますと、

     「信じる」「唱題する」と「功徳」「祈りが叶う」の間に、因果関係が成立し

     ていると果たして言えるのか、ということです。

     無心に祈るという行為が、人間の心理生理に様々な効果を与える、というのは

     私も認めます。ここには説得力のある因果関係が見出し得るでしょう。しかし

     その際祈られるべき対象は、ある人が無心に祈ることができる条件を備えたも

     のであるなら、何であっても構わない、ということになります。たとえそれが

     「南無妙法蓮華経」であっても、「鰯の頭」であってもね。大切なのは、「あ

     る人が無心に祈ることができる条件」のほうであって、決して「南無妙法蓮華

     経」の教義上の内容云々ではないでしょう。

     そこで私はあえて独断するのですが、蓮華さんの仰る信仰の意味とは、蓮華さ

     ん自身がおっしゃった、

 

     >その人を信じることができればやって見るかもしれないです。つまり、この

     時の「信」は「jg〜」を信じたのでは無くて、相手を信じたということで

     す。

 

     に尽きるのではないか、ということです。

 

231 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 00:49

     つまり蓮華さんが「功徳」という結果を得た、という場合、その真の原因は

     「無心に祈る」ことができたからであり、さらにその条件として信じられる人

     が傍にいた、ということなのであって、決して日蓮仏法の正しさとか、「南無

     妙法蓮華経」に実質的な意味があったわけではなかったのではないか、と私は

     思うわけです(はっきり言って私の独断でけれど)。

     少し意地悪な言い方をさせてもらえれば、もし蓮華さんが信じられる人がカト

     リックの人であったとしたら、蓮華さん自身はカトリック教徒になっていたの

     ではないか? と思わせるものが、蓮華さんのレスのうちからは感じられま

     す。もしそうなら、それ自体を批判的に見ようという気持ちは私にはありませ

     ん。人間は、出会った人によって生き方が根本から変わっていってしまうもの

     だということは、私も常々思うところですし。

     しかし人に「功徳」をもたらした真の原因を背景に押しやり、別のもの(日蓮

     思想や唱題など)を原因と見なしてそれを「正しい」ととらえる発想は、(ど

     んな宗教にも広く見られることですが)私は批判的に受け止めざるをえませ

     ん。私に言わせれば、自分に救いをもたらした真の原因を自分で見極めようと

     せず、それを他人の判断に委ねさせたり、「題目」や「神」などの「誤った原

     因」に帰着させようとするのは、既成の「宗教」というものが持っている最も

     欺瞞的な傾向なのではないか、と思うのです。もちろん「真の原因」が常に正

     しく把握できるわけではありませんが、少なくとも誤った因果関係を正解とし

     て無批判的に呑み込んでしまうというのは、私のとりたくないところです。

     ちょっと暴走気味で、「学会批判」というよりは「宗教一般に対する批判」に

     なってしまいましたが、蓮華さんは私のこのような意見についてどうお感じで

     しょうか。また感想などお聞かせくだされば幸いです。

 

232 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 00:53

     佐伯恭子さん、Bushedさんはじめまして。

     お暇ならまたいろいろご意見など書いていってください。

     ヤフーで学会の方と対論なさるとのことでしたが、もしよろしければそこのリ

     ンクをここにはっつけていただけないでしょうか。

 

233 名前: Bushed 投稿日: 2000/04/03() 01:37

     初めまして、第7の外道さん。お返事ありがとうございます

     ちょっと、宗教教義的な知識が無いもので見るだけになってしまって

     いますがYAHOO掲示板でも教義について激しいやりとりがあります。

     佐伯さんは、その教義の事で白黒はっきりつける場所としてここを

     選びました。 僕もそれを見て学会の事を見て行こうと思っています。

 

     YAHOO掲示板のリンクです。

     ●日蓮正宗と創価学会

     http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=275m01&msgid=7fp50p$knv$2@m01.yahoo.co.jp&type=date&first=1

 

     ●どうして、創価学会はこんなに嫌われる?

     http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=342m01&msgid=7i3r53$93t$1@m01.yahoo.co.jp&type=date&first=1

 

     ●恋人が創価学会に入っている人いますか?

     http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=488m00&msgid=7uohs4$562$1@m00.yahoo.co.jp&type=date&first=1

 

     ここが主に発言が多いところです。

 

     ちなみに、YAHOO掲示板に来ている学会員の方は2Chが論議する場所に値しない

     と言ってますが、たしかに酷い中傷も多いでしょうけど、こういうトピがある

     のなら

     大丈夫だと思います。YAHOOサーバー重いし、発言できないし。。

 

234 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 03:51

     このスレッドに書かれている書き込みは、大変紳士的で、

     教義的にも真剣な文章が多いので、僭越ながら多少私見を述べさせていただき

     ます。

     こと、宗教的教義においては内容の正当性(正邪)と、

     その拠り所となる文献なり書物の真偽(出所)がいつも、

     論じられる中心ではないでしょうか?

     この部分は、大変重要な点だとは、思うのですが、

     過去の歴史にある文献の真偽を幾ら突き詰めても、

     その時代にいる人間しか実際の真偽は解らないと言うのが、

     本当のところだと思います。(研究はしなければならないが)

     この部分を幾ら突き詰めても、当事者(釈尊、日蓮、他)

     の真意がこの場で聞けない以上彼らの本意は、判らないのではないでしょうか?

 

     現在の我々が、どんなに難しい学問的な教義を論じ合っても、

     この点を乗り越えない以上黒白(こくびゃく)をつけられないと思います。

     (皆さんどの宗教学者でも信者でもある程度勉強をされたなら教義に、

     それなりの確信がおありだと思いますので・・・・)つづく

 

235 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 03:53

     そこで、ある程度歴史に残る大きな宗教を顕した開祖の方々の根本的理念を考

     えたらどうか?

     と提案するのです、つまり、金儲けや自分の名誉の為だけに興した宗教は除

     き、

     キリスト教や仏教その他色々歴史的にも十分社会的影響力を持っている宗教が

     ありますよね、

     これらの宗教には、教義を超える何か普遍的真実があるような気がするのです。

 

     1、自分、他人の不幸を救済すること。

     2、それをある種の現代科学を超えた方法で実践すること。

     3、そして、それらを信じている人々が、大なり小なり宗教的力を実感している

     こと。

 

     これらは、教義、手段は別にしても歴史に残る宗教には、共通しているように感

     じられます。

 

     人間が興した宗教ですから、沢山の信者が集まれば当然その中には、

     非社会性の人間も出てくると思います。

     教義全体が非社会性の強い宗教であれば、やがて淘汰されるでしょう。

     少なくとも1000年単位で残っていく事は、出来ないはずです。

 

     日蓮仏法の教義についての奥義は、本人不在のため論議不能でしょうが、

     日蓮仏法を基盤として宗教活動されている学会員の方々は、

     社会道徳、規範と相容れない組織なのでしょうか?

     少なくとも、他のスッレドでかなりの学会員の非常識な行動が非難されている

     ようですが、

     その非常識な行動が、果たして創価学会としての意図的教義の中で行われている

     かが

     問題だと思います。

     少なくとも、現在実在している団体ですから、確認の仕方がありますよね。

 

     どの宗教団体にも存在する、ご利益的発想、超自然的現象は、

     その宗教の唯一性を肯定するものでは、無いと思います。

 

     一番大切な事は、今社会を変革できる意識をもった生きた宗教が、

     本当に存在するのか?

     また、その教義は、普遍的でありあらゆる慣習を持った

     国々に受け入れられる寛容性があるか?

     はたして、それが宗教か?イデオロギーか?道徳か?哲学か?

     私は、宇宙の始まりから現在、

     未来永劫に至るまで普遍的心理と言うものを色々な宗教や、

     教義の文面の中に隠されている何かにあると思っています。

     それがわたしのHMです。

 

236 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 04:34

     蓮華さん

 

     あなたへのレスを打ち込んで後、御義口伝を読み返して見ました。

     御義口伝は、日蓮が弟子・日興にに口述したと言う形式をとったものですが、

     弟子には充分通用する理論でしょう。先ず「信有りき」ですから。

     しかし、一般(信者・弟子以外)の人間は「信なき衆生」なのですから、きち

     んと

     理論立てて述べて頂かないと、第7の外道さんの仰る通り、

     >因果関係が成立していると果たして言えるのか

     を問われるのは当然です。

     御義口伝に断定的に結論されている記述は、日蓮(偽書説もあり)の信仰確信

    

     基づく法華論だと感じます。

 

      

 

237 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 05:00

     文底さん

 

     >私は、宇宙の始まりから現在、

     >未来永劫に至るまで普遍的心理(ママ)と言うものを色々な宗教や、

     >教義の文面の中に隠されている何かにあると思っています。

 

     先ずはこの件からですが。

     キリスト教では宇宙の創造は「神の仕事」とバイブルに記され、インド・バラ

     モン教でも

     プルシャ(原人)に依って作り出されたと書かれています。

     仏教では「無記」として論じることを放棄していますが、後にバラモン教の影

     響で、「一天

     四海」の宇宙論を引き継ぎます。

     実際に現代科学でも証明出来ない(推定はされているのですが)宇宙の始まり

     など、言

     った者勝ちの世界です。違うという証明は出来ないのだから。

 

238 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 05:23

     >日蓮仏法の教義についての奥義は、本人不在のため論議不能

     なのは当然ですが、幸いにも日蓮の遺した文書は沢山あります。

     その中から「奥義」を作り出しているのは、後に残された人々の思惑では

     ないでしょうか。

     同じ文を、団体や宗派に都合よく違った解釈を生じる事こそ、宗祖の力量

     不足、言い換えれば不甲斐なさだと感じてしまいます。

     普遍的真理とは、誰もが同じ事柄を、同じように受け取り、同じ答えを見出

     す事だと思います。違った解釈、違った思惑を生みだす思想が「普遍的真

     理」だとは思えません。

 

     「生じたものは滅する」と言うことは、誰もが納得出来る事実です。

     仏教に於いて、普遍的な真理とは本来、この縁起を知る事ではなかったの

     でしょうか。「生じたものは滅する」のであるから、人間が手にした価値に

     「執着するな」 「執着するから苦が生じる」 「生じた苦は執着を離れる

     (制御)

     する事によって、滅する事が出来る」 との哲学が本来の仏教だと思うので

     すが、いつの間にか、 「祈れば願いが叶う」 に変わったのでしょう。

 

      

 

239 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 05:24

     昼行燈さん

 

     早速のレスありがとうございます。

     この他にも私の文面から、何か気が付かれた点がありましたら

     ご遠慮なく御書き込みください。(他の皆様も)

     ご返答は、本日夕方にでもいたします。

     よろしくお願い致します。

 

240 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 06:08

     更にもう一点

 

     >日蓮仏法を基盤として宗教活動されている学会員の方々は、

     >社会道徳、規範と相容れない組織なのでしょうか?

     >少なくとも、他のスッレドでかなりの学会員の非常識な行動が非難されてい

     るようですが、

     >その非常識な行動が、果たして創価学会としての意図的教義の中で行われてい

     るかが

     >問題だと思います。

     「創価学会としての意図的教義の中で行われているかどうか」は不明です。

     しかし、組織としての創価学会には、非常識な行動を戒める教義は無いのでし

     ょうか?

     有るとすれば、その戒めを守れない人にどのような処分なり、訓戒を与えてい

     るのでしょう?

     退会してからの攻撃は目にしますが、在籍中に批判・訓戒を与える事こそ「仏

     法者」のなさ

     る事ではないでしょうか。

     多くの非難が集中するのは、非常識な行動を容認するものがあると判断するの

     のは不思議

     では無いと思います。

     非常識な行動を、是認しているとは思いたくはありませんが、人を救うと謳

     い、善導する事を

     前提とする宗教法人として、税の優遇を受けている団体として、「社会道徳、

     規範と相容れな

     い組織」だと思われてしまうのは、私に限って言えば自浄作用の無い証である

     と受け取って

     います。 

 

241 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/03() 06:17

     そのように思われてしまうのは 「嫉妬である」 とか、「正しいから」と言

     われるのでしょうが、

     そこで、 「本当に反省する事は無いのだろうか?」 「本当に嫉妬だけだろ

     うか?」 と省み

     る努力をされれば、学会に対する見方も変わるのでしょうが、残念ながら一部

     (実は大多数)

     の会員さんは、それすらも放棄しているように思えます。(これは私感ですが

     …)

 

      

 

242 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 19:15

     昼行燈さん

 

     私の書き込みに丁寧にレスを付けて下さりありがとうございます。

     昼行燈さんの質問に私なりの考えを述べてみたいと思います。

 

     >キリスト教では・・・「一天四海」の宇宙論を引き継ぎます。

 

     数々の宗教的宇宙観を教えていただきありがとうございます。

     つまり、それぞれの宗教にも文献学的には、

     時空間的起源の観念が捉えられている訳ですね。

 

     >実際に現代科学でも証明出来ない(推定はされているのですが)宇宙の始ま

     りなど、言

     >った者勝ちの世界です。違うという証明は出来ないのだから。

 

     現在の科学では、宇宙の始まりが、まだ証明できないのであって、やがて、

     科学的に証明される可能性は否定できません。

     私達現代人は、今の時代の科学的証明方で述べる訳ですから、

     当然何百年何千年昔の言葉とは、およそ違う内容になるでしょう。

     しかし、先人の比喩的説明が科学的でないからと言って、

     その本意が、現在や未来の宇宙観、世界観、生命観と相容れないとは思われな

     いのです。

     むしろ、先人の言葉の本意の中に、

     時代を卓越した宇宙観、世界観、生命観が隠されているように思えてならない

     のです。

 

243 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 19:17

     >幸いにも日蓮の遺した文書は沢山あります。

     >その中から「奥義」を作り出しているのは、後に残された人々の思惑では

     >ないでしょうか。

 

     日蓮仏法に限らず、色々な宗教の文献は、それぞれ人々の思惑で利用され、

     変遷を辿ってきたものだと思われます。

     それぞれの開祖の本意が、後の人々の思惑と必ずしも一致しない場合も多々あり

     ます。

     それが、沢山の宗派が乱立する原因にもなっていると思います。

     しかし「奥義」は一つであり後に残された人々が意図的に作り出しているもの

     は、

     あえて言えば「教義」になるのではないでしょうか?

     つまり、文献的事項を幾ら論議しても(決して悪いとは思っていません)

     文献的「教義」は、それぞれの人間の思惑が微妙に絡んでいるので、

     その事項(文面)から宗教の正邪を論じることは、不可能ではないかと思うので

     す。

 

     >同じ文を、団体や宗派に都合よく違った解釈を生じる事こそ、宗祖の力量

     >不足、言い換えれば不甲斐なさだと感じてしまいます。

 

     つまり、それぞれの都合で、同じ文面から色々な宗派が生まれると言う事です

     ね。

     しかし、多宗に分かれてしまうことを宗祖の力量不足としてしまうと、

     現在存在する殆どの宗教の開祖が当てはまってしまう事になってしまいます。

 

244 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 19:18

     >普遍的真理とは、誰もが同じ事柄を、同じように受け取り、同じ答えを見出

     >す事だと思います。違った解釈、違った思惑を生みだす思想が「普遍的真

     >理」だとは思えません。

 

     私もその通りだと思います。

     ただし、「誰もが同じ事柄を、同じように受け取り、同じ答えを見出す事」を

     文献的解釈から、万人に納得させることは無理だと思います。

     「普遍的真理」とは、地球上の人間のみに留まらず、宇宙や未来永劫まで、

     どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     「法則」だと、自分では考えています。

     宗教の普遍的真理が法則ならば、その宗教発生の本質は、

     人間で言えば「苦しみを抜き喜びを与える」ことではないでしょうか?

     その方法論の是非を文献的解釈や、一個人の振る舞いのみで見てしまうと、

     まさに、泥試合になってしまい、それこそ宗教戦争などという、

     およそ宗教の本質とは、正反対の方向に向かってしまうと思います。

 

     >「生じたものは滅する」と言うことは、誰もが納得出来る事実です・・・

     >との哲学が本来の仏教だと思うのですが、

     >いつの間にか、「祈れば願いが叶う」に変わったのでしょう。

 

     「祈れば願いが叶う」と言う言葉は、

     およそ宗教の名のつく全ての根源的定義ではないでしょうか?

     変化したのではなく、文献的解釈からその様な言葉を使ったにすぎないので

     は?

     先ほどから述べているように、

     文献的解釈では、どのようにでも反論できてしまうのです。(私の本意ではな

     い)

 

245 名前: 文底 投稿日: 2000/04/03() 19:25

     >「創価学会としての意図的教義の中で行われているかどうか」は不明です

     ・・・

     >私に限って言えば自浄作用の無い証であると受け取っています。

 

     昼行燈さんの書かれる意味は、よく分かります。

     創価学会の人々に限らず、あらゆる人間は、まずその国、地域の社会的規範にのっ

     とり、

     常識的行動を執らなければならないでしょう。

     私は、組織としてのあり方を考えたとき、国家レベルでも、会社、家庭レベルで

    

     組織を守る方法として、あらゆる理由付けをするのは、人間の防衛本能だと思っ

     ています。

     組織自体の自浄作用が弱いのは、何も創価学会に限ったことではないと思うので

     すが。

 

246 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 22:18

     文底さん、初めまして。

     何点か賛同できるポイントもあったのですが、ここではあえて疑問点について

     レスさせていただきます。

 

     >宗教の普遍的真理が法則ならば、その宗教発生の本質は、

     >人間で言えば「苦しみを抜き喜びを与える」ことではないでしょうか?

 

     この「本質」そのものについて特に異論を挟む気持ちはないのですが、率直に

     言わせていただくと、これではあまりに抽象的過ぎて、それこそ何でもありに

     なってしまうのではないでしようか。オウムで問題になったいわゆる「ポア」

     も、ある人がこれ以上罪を重ね、他人に迷惑をかけるだけでなく、このままで

     は本人も来世でより深い苦しみを受けることになってしまうのを哀れみ、「苦

     しみを抜く」ために、慈悲からなされたことだったはずです。早く別の生命と

     して転生できるよう助けるのだったか、どこかの菩薩のもとに送ってやるのだ

     ったか理屈は忘れましたが、やっていたことは、我々の目から見れば単なる殺

     人でした。

     文底さんのおっしゃる「本質」が有意味のものとして成り立つためには、「苦

     しみ」とは何であり、その原因は何であり、それを「抜く」方法は何であり

     ・・・といった、言わば「救済」方法論をきちっと検証していく作業が不可欠

     なのではないかと私は思います。やたら「信仰」ばかりを重視し、こうした

     「方法論」に対する知的アプローチをしていく視点が欠けている「宗教」団体

     が多いのを目にするにつけ、私はそう思います。ですから、

 

247 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 22:20

 

     >その方法論の是非を文献的解釈や、一個人の振る舞いのみで見てしまうと、

     >まさに、泥試合になってしまい、(以下略)

 

     というのは、やや賛同しかねるところがあります。方法論の是非を問うなら

     ば、私は、誰も絶対的な仕方で理解しているわけでもなく、またもしあったと

     してもあまりに抽象的過ぎてかえって無意味化してしまうような「普遍的真

     理」よりも、「文献的解釈」や「一個人の振る舞い」のほうを、手がかりとし

     て重視したいという思いがあります。それをすると「泥試合」になるかも知れ

     ませんが、それが即「宗教戦争」になるわけではないし、またしてはならない

     でしょう。

 

     また、

     >「祈れば願いが叶う」と言う言葉は、およそ宗教の名のつく全ての根源的定

     義ではないでしょうか?

 

     というのはどうでしょうか? このシンプルな言葉の裏側には、既に「人間の

     祈りに対して応答し、願いをかなえるためにその力を行使してくれる人格的な

     超越者」という、釈迦の教えには本質的に欠けていた要素が、前提として含ま

     れているのではないでしょうか。これを「およそ宗教の名のつく全ての根源的

     定義」とは、私は受け止ることはできません。

 

248 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/03() 22:53

     あと、

 

     >組織自体の自浄作用が弱いのは、何も創価学会に限ったことではないと思うの

     ですが。

 

     ですが、これはまさにその通りだと思います。

     しかし創価学会の場合、それが依拠している教義(とりあえず、日蓮思想)の

     なかには、「強引な勧誘(=折伏)」「排他性」「独善的論理」といった「常

     識的行動」に矛盾する要素を正当化してしまうような思想が、極めて色濃く見

     られるのが問題ではないかと思うのです。言いかえれば、学会の「反社会的」

     行動は、彼らの依拠する教義に「反して」起こっているのではなく、その「延

     長線上に」起こっているのではないかと《疑わせる》性質が極めて強いと思う

     のです。しかも学会は他を圧して巨大な宗教団体である点を鑑みれば、学会の

     問題点を「何も創価学会に限ったことではない」というふうにまとめてしまう

     のはやや適切を欠くのではないか、と私は思います。

     (さらに上では「教義」と言いましたが、別のスレッドでも書きましたが、学

     会の場合「教義」は事実上破綻しており――つまり「人間救済の方法論」が失

     われてしまっており――、それを埋め合わせるために池田氏の個人崇拝を強化

     している、と見ると辻褄が合ってくるところが多いのです。この見方が仮に正

     しいならば、学会の自浄作用の弱さは、「どんな組織にもありがちなことだ」

     という次元で論ずることはできなくなってくると思います。)

 

249 名前: 文底 投稿日: 2000/04/04() 19:45

     第7の外道さん、初めまして。

     昼行燈さんに続き、私の書き込みに丁寧にレスを付けて下さり

     ありがとうございます。

     第7の外道さんの疑問点につきまして、

     私なりの考えを述べてみたいと思います。

 

     >「本質」そのものについて特に異論を挟む気持ちはないのですが、

     >これではあまりに抽象的過ぎて、それこそ何でもありになってしまうのでは

     ないでしようか。

     >(中略)我々の目から見れば単なる殺人でした。

 

     私も、抽象的表現であることは、理解しています。

     しかし、宗教の普遍的真理の本質を、人間の言葉や文章(組織の教義)で表現す

     るならば、

     それこそ、どのようにでも人々の思惑で利用出来るのではないでしょうか?

     何もこれは、宗教に限った事を言っているのではありません。

     殺人は絶対悪と言う基本理念でさえ、時代やその国の状態によって、

     勲章をもらい、賛辞を受ける場合もあれば、死刑の裁きを受ける場合もあるので

     す。

     この人間本来が持っている自己矛盾を正当化しているのは、

     正に人間の思想であり、それを表現する言葉や文章(組織の教義)ではないで

     しょうか?

 

250 名前: 文底 投稿日: 2000/04/04() 19:46

     >「本質」が有意味のものとして成り立つためには、

     >「苦しみ」とは何であり、その原因は何であり、それを「抜く」方法は何で

     あり

     >・・・といった、言わば「救済」方法論をきちっと検証していく作業が不可

     欠なのでは

     >ないかと私は思います。(中略)それをすると「泥試合」になるかも知れま

     せんが、

     >それが即「宗教戦争」になるわけではないし、またしてはならないでしょ

     う。

 

     第7の外道さんがおっしゃる、してはならない「宗教戦争」を人間は、全世界

     的に

     過去の歴史から現在まで延々と繰り返しているのではないでしょうか?

     およそ「戦争」に「思想的理由付けのない」場合などありえないと思います。

     つまり私は、「救済」の方法論をどれだけ教義的検証しても、立場の違う人間同

     士は、

     心(生命)では、納得(理解)してもその「本質」の成り立ちについては、

     言葉や文章(組織の教義)の違いがある場合、相容れ難いと申し上げているの

     です。

     歴史上沢山の宗教者達がその時代その国の言葉や文字を使って、

     「苦しみを抜き喜びを与える」方途を記していきましたが、

     その真髄たる所以は、それを感得した本人(宗祖、開祖)以外には、

     文上では、理解できないのではないでしょうか?

 

251 名前: 文底 投稿日: 2000/04/04() 19:47

     「祈れば願いが叶う」と言う言葉は、およそ宗教の名のつく全ての根源的定義

     との内容に関して、

     第7の外道さんは、

 

     >「人間の祈りに対して応答し、願いをかなえるためにその力を行使してくれ

     る人格的な超越者」

     >という、釈迦の教えには本質的に欠けていた要素が、前提として含まれてい

     るのではないでしょうか

 

     と、仰っていますが

     私はその文の後に「文献的解釈からその様な言葉を使ったにすぎないのでは

     ?」

     と述べ、「文献的解釈では、どのようにでも反論できてしまうのです。(私の本

     意ではない)」

     と、文献的解釈論に疑問を投げかけているのです。

     また、私は教祖や宗祖が「人格的な超越者」とは思っていませんし、

     他力(人格的な超越者)によって自分の願いが叶うとも考えておりません。

     ただ、文献的教義上「人格的な超越者」が救済する宗教が存在することも存じ

     上げています。

     私は、「苦しみを抜き喜びを与える」と言う宗教者の普遍的心理を信じます。

     それは、特定の宗派ではなく、地球上の人間のみに留まらず、宇宙や未来永劫

     まで、

     どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     「法則」だと、自分では考えています。

     それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達ではないのでしょ

     うか?

 

252 名前: 文底 投稿日: 2000/04/04() 19:47

     >創価学会の場合、それが依拠している教義(とりあえず、日蓮思想)のなか

     には、

     >「強引な勧誘(=折伏)」「排他性」「独善的論理」といった

     >「常識的行動」に矛盾する要素を正当化してしまうような思想が

     >極めて色濃く見られるのが問題ではないかと思うのです。(後略)

 

     昼行燈さんにも述べましたが、創価学会の人々に限らず、あらゆる人間は、

     まずその国、地域の社会的規範にのっとり、常識的行動を執らなければならない

     でしょう。

     しかしながら、昼行燈さんにも述べましたが、ある団体の個人の非常識な行動

    

     「団体としての意図的教義の中で行われているかどうか」判断がつかない場

     合、

     第7の外道さんが仰ったように「学会は他を圧して巨大な宗教団体である点」

     を考えれば、

     沢山の会員方の中には、非常識である人間も出てくるでしょう。

     しかし、それをもって、その組織自体が問題であると考えるならば、大人数を抱

     える組織は、

     それが、どんな種類の団体であっても(宗教団体に限らず)

     存在することが出来ないのではないでしょうか?

     どんな宗教、団体、国、に属しても、法律に抵触している人間は、罪を償うべきで

     あり、

     それは、個人の問題ではないでしょうか?

     過去の国々の歴史において、その歴史上の過ちを、それを国全体として償うなら

     ば、

     その国自身の存在すら否定することになりませんか?

 

253 名前: 文底 投稿日: 2000/04/04() 19:48

     >別のスレッドでも書きましたが、学会の場合「教義」は事実上破綻しており

     >つまり「人間救済の方法論」が失われてしまっており、

     >それを埋め合わせるために池田氏の個人崇拝を強化している、(後略)

 

     どこの宗教団体に限らず、その宗教団体に属していない他の団体は、

     自分以外の教義が破綻していると考えているのではないでしょうか?

     宗教的教義は、その点においていつも論争を繰り広げているようにも感じます。

 

     しかし、どの信者も自分の信仰の教義が破綻していると考えて信じていないで

     しょう。

     人間が集団で生活する全ての分野において、その時々の価値観、理念が、

     その時々の人間によって利用され、その結果として過去の歴史が

     「人間は、本質的に過ちを犯す可能性を持った生き物」

     であると証明しているとは思いませんか?

     私は過去から現在までの歴史において、全世界的に「戦争」と言うおよそ人間な

     らば

     誰一人として賛同しないであろう行動が、皆無になった事実を知りませんが、

     如何でしょう?

 

254 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/04() 22:51

     文底さん、ご丁寧なレスありがとうございます。

     文底さんの反問にお応えする前に、話を分かりやすくするために私の「宗教

     者」観をお話しておきます。

     もし「宗教者」というものが成り立ち得る場合、必要なのは、人の心について

     深い理解を持ち、寛容で、忍耐強く相手の話に耳を傾け、地道に筋道立てて話

     をし、説得力があり、態度によっても思想を表し、自己の心をよく制御し、他

     者の心をよく思い計って、己の存在の相対性と有限性をよく自覚しつつ、しか

     も心の平安と幸福とを広く実現していく技量を持つことだと思います。

     それは宗教じゃない、倫理だ、というのならば別に「倫理」であっても構いま

     せん。

     ところでこうした「宗教者」の条件が、宇宙や未来永劫にも適用可能な「普遍

     的法則」に基づいているかどうかなどは、私には興味がありません。そういう

     「法則」など、私には知りようもないからです。また、知ったところでどうし

     ましょう? そもそも仮説すら立てられません。

     「宇宙の永遠の生命の法則」とか「絶対者の御心」とかを「主張」している人

     は大勢います。そういう人は「普遍的法則」を知ってらっしゃるのでしょう

     ね。でもそれが私が納得できないものであれば、相手が「普遍的法則」を知っ

     ており私は全然知らなくても、私は私の思うところを述べてそういう人を批判

     するでしょう。だから、私にとっては「普遍的法則」を「知っている」だけな

     らば、それはどうでもいいことなのです。それに、説得力が全然なく、ただ信

     じてみなくては真だと分からない「法則」なんて、「法則」と呼ぶ意味などそ

     もそもあるのでしょうか?(文底さんの言われるのがそうだ、と言っているの

     ではないです。)

     ですから私はそういう言葉自体、あまり使いたくはないし、そういう言葉を以

     って宗教を語る人がいる場合、即座に批判的な目を働かせてしまうわけです。

     自分が責任を負うべき自説の根拠を、批評不可能に・無謬のものに見せ掛けた

     いがために「神意」だの「永遠」だのと言っているのではないか、とね。性格

     悪いでしょう(笑)。

 

255 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/04() 23:09

 

     さて、議論が「宗教一般」と「学会」の二つに分かれてきたように思いますの

     で、それぞれ別個にお応えしたいと思います。先ずは前者から。

 

     >宗教の普遍的真理の本質を、人間の言葉や文章(組織の教義)で表現するなら

     ば、

     >それこそ、どのようにでも人々の思惑で利用出来るのではないでしょうか?

 

     全くその通りだと思います。それをさせないために、「文献的解釈」はあるの

     です。

 

     >この人間本来が持っている自己矛盾を正当化しているのは、

     >正に人間の思想であり、それを表現する言葉や文章(組織の教義)ではない

     でしょうか?

 

     これも仰る通りだと思います。しかしこうした矛盾の正当化や欺瞞を告発し、

     批判し、変革せしめるものもまた、「人間の思想であり、それを表現する言葉

     や文章」だと思います。「人間の思想」「言葉や文章」には限界があり、弱点

     も疑わしい点も多くあります。しかし私たちが頼りにしなければならないの

     も、その疑わしい「思想」や「言葉」なのです。「思想」によって人は人を殺

     し、「思想」によって人は人の命を守る。それが人間の実際の姿であり、それ

     しか道がないのだと思います。この矛盾を引き受けて生きる以外に道があるの

     でしょうか? 文底さんは、この矛盾を超えておられるのでしょうか?「思想

     や言葉」によって人は人を殺すが、「宇宙の法則」によって人は人を救うので

     しょうか?

 

256 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/04() 23:22

 

     >文献的解釈論に疑問を投げかけているのです。

 

     私の「超越者」云々というのは、特に何かの「文献」によったのではありませ

     ん。ただ、それは言語と論理による、「祈り」等の概念に対する私の「解釈」

     であることは間違い有りません。そうした「個人的解釈」も「文献的解釈論」

     に含めていいのならば、私の主張は確かに「文献的解釈論」であるのは認めま

     す。ところで、

 

     >私は、「苦しみを抜き喜びを与える」と言う宗教者の普遍的心理を信じます。

 

     >それは、特定の宗派ではなく、地球上の人間のみに留まらず、宇宙や未来永

     劫まで、

     >どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     >「法則」だと、自分では考えています。

     >それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達ではないのでし

     ょうか?

 

     というご主張は「文献的解釈論」ではないのですか? なぜ私の主張は「文献

     的解釈論」だとして「疑問を投げかけ」られ、あなたの主張はそうでない(

     ?)とされるのでしょうか。私の主張もあなたのそれも、言語・概念を用い、

     論理に従った言説であるという点で全く同じものだと思います。それなのにな

     ぜ私のは特に根拠の提示もなく「文献的解釈論」=「疑わしい」として一蹴さ

     れてしまっているのでしょうか?

 

257 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/05() 00:11

     さらに

 

     >私は、「苦しみを抜き喜びを与える」と言う宗教者の普遍的心理を信じます。

     (以下略)

 

     について。

     なぜ文底さんはこれを「希望」とか「理想」とか「願い」とか言わずに、「法

     則」と言うのですか?

     「法則」という限り、それは概念規定が可能であり、なぜそれが「宇宙」的に

     現に成り立っていると言えるのか、説得力のある説明が可能だと思うのです

     が、文底さんの今までのレスにはそれがないように思います。率直に言えば、

     それがなぜ「どのような物に対しても存在する法則」なのか、私には全く理解

     できません。私は相対性理論がさっぱり分からない小学生のように、問題に対

     して単に知的能力が劣っているのでしょうか? それとも信じてみなければ分

     からないのでしょうか? しかし、信じてみなければわからないものを「法

     則」と呼ぶべきなのでしょうか?

 

258 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/05() 00:46

 

     結局、私の主張は「文献的解釈論」として、私の与り知らぬ他の説といっしょ

     くたに根本が疑わしいものとされているのが、私にはなぜだかよく分からない

     のです。言葉による解釈ですからいくらでも疑い得るものであることは当然認

     めます。しかしどういう点が疑わしいのかの具体的な説明も特にないままに、

     私のような立場が宗教戦争を引き起こすような他説と一緒にされ疑わしいとさ

     れるのが、どうも納得しがたいわけです。

     「救済方法論の具体的検証」が万能ではないのは当然です。それがかえって対

     立を招くこともあるのも認めます。でもお互いの差異が際立つこと自体は別に

     悪いことではないと私は思っているのです。大切なのは、差異を受け止める寛

     容さ、そしてむしろ他者との差異を楽しむことのできるような心をつくること

     だと思います。

     お互い「信じる」以上の根拠を提示せず、「差異」を「正邪」にすりかえ、相

     手側の言葉による意見や批判を「信じてないからわかっていないだけだ」と無

     効化するのはしばしば「宗教」団体が使っている方法ですが、私はむしろそう

     いう姿勢こそがどちらかというと危険であるような気がします。というのもも

     し私が「そう信じる」としか言えなかったならば、そして相手も「そう信じ

     る」としか言わないならば、もはや相互に相手を無視するか、言葉以外の力に

     モノを言わせるかのいずれかになるでしょう。つまり「法則はこうだと信じ

     る」というだけならば、「こう」には何が入ってもよく、同じ論法で自説を主

     張している人とは「無視」か「泥仕合」しか道がなくなります。というか、ど

     ちらか一方がそういう態度をとるだけで、十分「泥仕合」になりますね。文底

     さんのレスには、遺憾ながら、「あなたの主張は個人的解釈であり疑わしい。

     一方私は〜だと信じる」という、「泥仕合」を招く要素が含まれているように

     感じられてなりません。文底さんが私のそうした印象を払拭してくださると有

     りがたいと思うのですが。

 

     ちょっと今日は疲れてしまいました。「学会」についての応答はまた後日にし

     ます。

 

259 名前: 文底 投稿日: 2000/04/05() 19:53

 

     第7の外道さん

 

     私の意見に対しこの様に真摯的にご返答いただき感謝しております。

     第7の外道さんのご意見に対しすぐにでもご返答しなければならないのです

     が、

     所用のため2,3日の御猶予を下さい。

     第7の外道さんのご意見、私自身真剣に考えさせていただきます。

     御疲れになるほど一生懸命ご返答いただき、ありがとうございます。

 

260 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06() 09:09

     あげ

 

261 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/06() 10:03

     つづきです。「学会」の件について。

     >どんな宗教、団体、国、に属しても、法律に抵触している人間は、罪を償うべき

     であり、

     >それは、個人の問題ではないでしょうか?

 

     一般論としてみても、かなり大胆なご意見だと思います。個人が罪を償うべき

     だというのは確かに当然ですが、個人の違法行為が組織の命令や、組織の意向

     に応えるがためのものであった場合、その組織に対しても責任を追及するのが

     常識ではないか、と思うのですが(学会がどうかというのはさておき)。「戦

     争責任」は現場で敵兵を殺した個人が負うのでしょうか? そういう方向に国

     を持っていったトップの罪は問われませんか? また会社の暗黙の意向や圧力

     に従って違法行為をせざるをえなかった社員を、罪を全てその個人に負わせて

     クビにするようなことがあった場合、そうした「意向」や「圧力」の存在が証

     明できれば、やはり会社の責任も問われるのではないでしょうか? 文底さん

     の意見ですと、どんな違法行為も現場でそれを実行した個人の責任であり、そ

     うするように命令したり圧力をかけたりした組織は常に保護される、という理

     屈が成り立ちそうですが、いかがですか?

 

     >過去の国々の歴史において、その歴史上の過ちを、それを国全体として償うな

     らば、

     >その国自身の存在すら否定することになりませんか?

 

     場合によっては「国全体として償う」ということは、常識的には当然と見なさ

     れていると私は思っていましたが(たとえば日本は中国などに対して賠償責任

     を負っていたと思いますが)・・・ただ責任を追及することと「存在すら否定

     する」こととの間にはあまりに大きな懸隔があります。どうしてこのような飛

     躍が成立するのか、私には分かりにくいです。

 

262 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/06() 10:09

 

     >どこの宗教団体に限らず、その宗教団体に属していない他の団体は、

     >自分以外の教義が破綻していると考えているのではないでしょうか?

     >宗教的教義は、その点においていつも論争を繰り広げているようにも感じま

     す。

     >しかし、どの信者も自分の信仰の教義が破綻していると考えて信じていない

     でしょう。

 

     確かにそうですね。私としても、ただ学会だけが教義破綻をおかしており、他

     のあらゆる宗教組織と比べても最悪である、などと言うつもりは毛頭ありませ

     ん。ただどうも文底さんのお話からすると、「どんな団体だっておかしい所は

     あるのだ。だからとりたてて学会のおかしい所を論じたり批判したりするのは

     不当だ」と仰っているように見えて仕方がありません。卑近な例で恐縮です

     が、スピード違反で捕まって「なぜ自分だけが? みんなやってるんだからい

     いじゃないか!」と言うのは、心情的には理解できますが、やはり正当な論理

     とは言えないでしょう? 学会の教義思想に疑問があるのならば、それについ

     て論じることは問題ないと思います。それに別スレッド(「日蓮私見」)でも

     書きましたが、学会の教義思想上の問題点は、決して宗教団体一般の問題に還

     元できるような質のものではありません。ただそれについてここで論じ出すと

     膨大になるので、その件に関しては「私見」のほうを見ていただければ幸いで

     す。

 

     とりあえず以上です。私も急いでいるわけではないですから、いつでもお手す

     きのときにご返答いただけたら幸いです。よろしくお願いします。

 

381 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/06() 23:45

     いやまぁ派手にやりましたねぇ・・・(^_^;)

     しかし文底さんとの議論が途中なので、文底さんが一言ご返事くださるまで、

     以下の文面を定期的にコピペ続けさせていただきます。あしからず。

 

     文底さん。

     ご覧の通り、荒れ果てています(苦笑)

     246〜252だけは、私のミスで保存できなかったのですが、

     それ以外のレスは全て(1〜262)私が保存しています。

     ですからいつでも議論の再開が可能です。

     ただ場所はこのスレッド・板でもいいですが、2ch「心と宗教」か

     あめぞうあたりに移動したほうが安全ではないかと思います。

     どうなさいますか? 一言ご返事ください。

     よろしくお願いします。

 

     第7の外道

 

382 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07() 11:01

     日蓮は悪魔だ。他教を邪教と言い掛かりをつけ弾圧する手法は

     現代におけるオウムなどとさほど変わりない。

     池田大作も悪魔だ。

 

383 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07() 13:04

     鎌倉時代、法論は仏教において当然だったはず。

     弾圧したのは法論で勝てない他宗、及び、幕府でしょう。

     日蓮に「世間のとが一部も無し」です。

 

     現代におけるオウムと比較するなんて頭悪いの通り越して

     基地外です。そういうことを発言するあんたが悪魔だ。

 

384 名前: あんたが悪魔だ 投稿日: 2000/04/07() 13:16

     で、思い出した。俺、学会員に面と向かって「悪魔!」って

     言われたことがある。(元気かね岩手出身の〇〇君)

     NETとかならともかく、現社会で言うのはスゴイよね。

     ま、学会による「悪魔」の定義は、学会に都合が悪い、って事なんだろうな。

     人気者の俺が反学会じゃ都合が悪かったんだろうな(なんちって)。

 

385 名前: 元会員 投稿日: 2000/04/07() 14:20

 

     私は「包茎!」っていわれたことがある。

 

386 名前: 現会員 投稿日: 2000/04/07() 14:22

     あ ほーけ

 

387 名前: 文底 投稿日: 2000/04/07() 14:27

     第7の外道さんNo381の御心遣いありがとうございます。

     また、第7の外道さんに対する返信が遅くなり申し訳ありません。

     第7の外道さん、および昼行燈さんの私に対するレスは、

     私も全て保存しております。

 

     さて、議論の再開の場所ですが、私としては、このスレッドに愛着を持っていま

     す。

     ただ、このまま続けていくと、大嵐の岸壁の端で、会話をしている様な風情です

     ね。

     お互いの会話も嵐の音にかき消され、論議の推移にに興味を持って見て下さる

     方も、

     一緒に吹っ飛ばされてしまうような・・・・・

     第7の外道さんの仰る通り、他の板に移動したほうが安全だと思いますが、

     逆に、何でもあり(限度もありますが・・)と言うところが、2chの・・

     特に「創価、公明」の板の醍醐味(凄味?)かもしれませんね。

     嵐が来ようが、槍が降ろうが、悠然と論議を続けるのも又、一興だと思います。

     ただ、ここは第7の外道さんが立てられたスレッドですので、

     最終的には、第7の外道さんの御意見に従います。

 

388 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 02:18

     酷いことに成っていますね。

 

     最近、思っていることですが、これは 「383さん」のレスにも関係するかもし

     れません。

 

     >弾圧したのは法論で勝てない他宗、及び、幕府でしょう。

     本当にそうなのでしょうか?

     日蓮は何処の宗派で「得度・受戒」されたのでしょう?

     日本天台宗での正式な「得度・受戒」をされたのかなと疑問に思っています。

     日本天台宗で、正式な僧侶と成っていない「私度僧」だったのでは

     ないだろうか。故に、僧侶という風体をした「怪しげな人物」と見られ、

     権力者や、正式な僧侶に相手にされなかったのでは?と勝手に思っています。

 

     日本天台宗で、正式に僧侶と認められるには、叡山に十二年籠もり、

     山を下りることなく修行して「僧侶となる」のではありませんか?

     律令制度が崩壊していたとしても、最澄が定めた「山家学生式」は崩壊して

     いたのでしょうか?学生式が有名無実化していたのであれば、日蓮も同じく

     最澄の言葉を反古にしてしまったのでしょうか?

 

     日蓮の正式な「得度・受戒」の日時と場所が判ればと思います。

     日本での受戒(戒壇院)は東大寺(総国分寺)・地方の国分寺(筑紫観世音寺

     等)

     と、延暦寺・戒壇院だったと思うのですが、どちらで受戒されたか、私には記

     録が

     確かめる事が出来ません。

 

389 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08() 02:48

     >私には記録が確かめる事が出来ません。

     適当に書いておられるようですが。

     この板らしくて大いに結構!

 

390 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 03:10

     適当?まさか清澄山に戒壇院があったとは言われないでしょうね?

 

      

 

391 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08() 03:16

     私には記録が確かめる事が出来ません。

 

392 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 03:19

     389さん

 

     記録では、貞永二年・清澄入山。

     文暦三年・剃髪・「是生坊蓮長」と名乗ったのは分かりますが、

     何時、受戒されたのか、記録にありません。

 

     御存知でしたら、教えて頂けませんか。

 

393 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08() 03:27

     比叡山にでも電話されたらどうでしょう?

 

394 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 03:46

     叡山にも度牒が無いのだそうです。

     おそらく、信長の焼き討ちで消失したか、

     12年籠山を行っていないから、「受戒」出来なかったのか

     分かりませんが・・・。

 

     やはり、「私度僧」であったと考えるのが普通ではないでしょうか。

 

      

 

395 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08() 05:00

     当時の制度はどうなのでしょう?

 

396 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 05:21

     最澄の山家学生式は、大乗戒の根本ですから、廃れたとは思えません。

     形式だけでも残っていたのではありませんか。

     籠山十二年は無理にしても、受戒師や、教師は必要だったと思います。

     日蓮の遺文には、その記録がありませんね。

     現在でも、形式としては残っているのではありませんか。

 

     又、阿闍梨号は、教師という意味でしょうから、伝法灌頂を受けた人への

     称号ですよね。

     日蓮が伝法灌頂を受けた記録もありません。(遺文集=御書にも)

 

     結局、幕府や他宗派の人が日蓮を無視したのは、正式な僧侶では無い怪しげな

     偽僧侶とみていたのだと思います。

     過去、行基が聖武天皇と奈良六宗に徹底的に弾圧されたように・・・。

 

      

 

397 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 05:35

     なんだか日蓮と行基は同じ様な軌跡を辿っていったような気がします。

     行基は、影響力が無視できなくなった朝廷と、奈良各宗の要請で後に

     大仏開眼の為に大僧都に祭り上げられ、正式に僧侶として認められま

     したが、行基以外の私度僧への迫害は続きました。

 

     律令制度が完全に崩壊するのは、応仁の乱以降ですから(それまでは

     形式的には残っていたが、実質的には崩壊していた)日蓮も、天台僧と

     して、年分度者にも、受戒した官僧としても(つまり、正式な僧)としては

     認められていなかったと思われます。

 

      

 

398 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/08() 05:48

     佐渡流罪を許されて、執権・時宗に一宗の独立を許される機会を、日蓮は

     反骨精神(?)から蹴って身延山に隠遁しますね。

 

     日蓮を認めざるを得ない時に、日蓮自身が拒否したのは「痛快」ではありま

     すが……。既に日蓮は法論を行うという行動を取らず、弟子の育成に力を注

     ぎ、後の事を考えていたのではありませんか。

 

     法論は若い頃の日蓮にとって、メリットはあっても、既成宗派にはデメリット

    

     けの代物だと愚考しています。

     なにせ、既成宗派にとっては「勝って当たり前。負ければ面目丸つぶれ」です

     から。

     逆に日蓮にとっては「負けて元々失うものはない。勝てば名声」ですから・

     ・・。

 

399 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08() 15:07

     日蓮は悪魔

 

400 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/08() 23:59

     文底さん、どうもです。

 

     >嵐が来ようが、槍が降ろうが、悠然と論議を続けるのも又、一興だと思います。

 

     達観しておられますね(^_^;) ではそうしましょうか? まぁ急いて結論を出

     さねばならないようなことでもないですから・・・ただどうも私は特定の人か

     らは嫌われているようで、またすぐ砲火を浴びないとも限りませんが、まぁい

     いですか。

     ただ念のために261&262のレスは、投稿したすぐ後にかきけされた感じ

     なので、もう一度投稿しておきます。ただどうもこのレスの内容が嵐の引き金

     になったのではないかという疑念も否定できないでおります・・・。

 

401 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/09() 00:03

     261 名前:第7の外道 投稿日:2000/04/06() 10:03

 

     つづきです。「学会」の件について。

     >どんな宗教、団体、国、に属しても、法律に抵触している人間は、罪を償うべき

     であり、

     >それは、個人の問題ではないでしょうか?

 

     一般論としてみても、かなり大胆なご意見だと思います。個人が罪を償うべき

     だというのは確かに当然ですが、個人の違法行為が組織の命令や、組織の意向

     に応えるがためのものであった場合、その組織に対しても責任を追及するのが

     常識ではないか、と思うのですが(学会がどうかというのはさておき)。「戦

     争責任」は現場で敵兵を殺した個人が負うのでしょうか? そういう方向に国

     を持っていったトップの罪は問われませんか? また会社の暗黙の意向や圧力

     に従って違法行為をせざるをえなかった社員を、罪を全てその個人に負わせて

     クビにするようなことがあった場合、そうした「意向」や「圧力」の存在が証

     明できれば、やはり会社の責任も問われるのではないでしょうか? 文底さん

     の意見ですと、どんな違法行為も現場でそれを実行した個人の責任であり、そ

     うするように命令したり圧力をかけたりした組織は常に保護される、という理

     屈が成り立ちそうですが、いかがですか?

 

     >過去の国々の歴史において、その歴史上の過ちを、それを国全体として償うな

     らば、

     >その国自身の存在すら否定することになりませんか?

 

     場合によっては「国全体として償う」ということは、常識的には当然と見なさ

     れていると私は思っていましたが(たとえば日本は中国などに対して賠償責任

     を負っていたと思いますが)・・・ただ責任を追及することと「存在すら否定

     する」こととの間にはあまりに大きな懸隔があります。どうしてこのような飛

     躍が成立するのか、私には分かりにくいです。

 

402 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/09() 00:06

     262 名前:第7の外道 投稿日:2000/04/06() 10:09

 

     >どこの宗教団体に限らず、その宗教団体に属していない他の団体は、

     >自分以外の教義が破綻していると考えているのではないでしょうか?

     >宗教的教義は、その点においていつも論争を繰り広げているようにも感じま

     す。

     >しかし、どの信者も自分の信仰の教義が破綻していると考えて信じていない

     でしょう。

 

     確かにそうですね。私としても、ただ学会だけが教義破綻をおかしており、他

     のあらゆる宗教組織と比べても最悪である、などと言うつもりは毛頭ありませ

     ん。ただどうも文底さんのお話からすると、「どんな団体だっておかしい所は

     あるのだ。だからとりたてて学会のおかしい所を論じたり批判したりするのは

     不当だ」と仰っているように見えて仕方がありません。卑近な例で恐縮です

     が、スピード違反で捕まって「なぜ自分だけが? みんなやってるんだからい

     いじゃないか!」と言うのは、心情的には理解できますが、やはり正当な論理

     とは言えないでしょう? 学会の教義思想に疑問があるのならば、それについ

     て論じることは問題ないと思います。それに別スレッド(「日蓮私見」)でも

     書きましたが、学会の教義思想上の問題点は、決して宗教団体一般の問題に還

     元できるような質のものではありません。ただそれについてここで論じ出すと

     膨大になるので、その件に関しては「私見」のほうを見ていただければ幸いで

     す。

 

     とりあえず以上です。私も急いでいるわけではないですから、いつでもお手す

     きのときにご返答いただけたら幸いです。よろしくお願いします。

 

403 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09() 01:49

     >昼行灯さん

     受戒そのものにどれほど意味があるんでしょう?

     仏法者がこだわることじゃないような・・

 

     日蓮大聖人が、流罪を解かれた経緯は、ともかく、更に諌曉して

     身延に入山した。権力や自己の名声等が欲しくて日蓮大聖人の様な

     人生は歩めないと個人的には思っています。流罪といっても死罪

     に等しいのですから・・

 

     あ、通りすがりですのでレスは不要です。

 

404 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09() 01:52

     それとアンコウさん、蓮華さんは消えたのですか?まあしょうが無いですね。

 

405 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/09() 04:08

     403さん

 

     >受戒そのものにどれほど意味があるんでしょう?

     >仏法者がこだわることじゃないような・・

     受戒は「仏教者の原点であり、根本だと」思います。

     日蓮も三大秘法の一つに『本門の戒壇(受戒するところ)』を

     あげているのは、その為なのでしょう?

     日蓮も大乗戒を尊重していたから、妻を娶らなかったのではありませんか?

     飲酒は為されていたようですが、古代インドの飲酒と鎌倉時代の飲酒は、

     酒の質(毒性)や、気候的な条件も異なりますから一概には言えませんが。

 

     大乗の戒律(梵網戒)は緩やかな戒律ではありますが、その戒律を受ける、

     或いは受けたからこそ、僧侶は社会の指導者として認められていたのでは

     ないでしょうか?

 

     日蓮が「権力や自己の名声等が欲しくて」なのか、それは日蓮に聞かないと

     分かりませんが、「名声等が欲しくて」と思わせる記述は遺文にありますよ

     ね。

     自己顕示欲と言葉を換えても良いのですが、(宗教者には多かれ少なかれ

     認められる事です)その覚悟が無いと、変革も難しいのかな?と、或る意味

     では容認できるのですが、権力者には「嫌味」に映ったのでは無いでしょう

     か。

 

      

 

406 名前: 文底 投稿日: 2000/04/09() 04:30

 

     昼行燈さんご無沙汰しております。

     以前昼行燈さんにレスをした者なのですが、

     あの嵐(荒らし)の中で私のレス、御読みになれましたでしょうか?

     もし読まれていないようでしたら、アップしますが如何でしょう。

     (現在この論議の続きは第7の外道さんと行っております。)

 

407 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/09() 04:51

     文底さんへ

 

     私の意見も概ね第7の外道さんと同じです。

     そして、第7の外道さんの書き込みの方が、より分かりやすく、かつ適切であ

     ると

     思います。

     おそらく、文底さんも、私の投稿と第7の外道さんの投稿を比較されて、同じ

     ように

     感じていらっしゃるのではありませんか?

     (私と意見が異なる時には、その旨書き込ませて頂くつもりですが) 

 

408 名前: 文底 投稿日: 2000/04/09() 05:23

 

     昼行燈さんへ

     昼行燈さんがまだ、蓮日さんと名乗っておられた頃

 

     >釈迦の時代には何を本尊としていたのでしょう?何を拝んでいたのでしょ

     う?

     >何も本尊としていませんでしたし、何も拝んではいません。

     >ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     >誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。

     >時とともに変化するものではありません

     >仏教なんて難しい言葉で説かれてはいません。

     >弟子と称する人たちが自分を「偉く見せる」ために難しくしていったのでは

     >なかろうかと思っています。

     >人間がどう生きるか、何をしてはいけないのか、簡単な事ばかりです。

 

     と、仰っていましたが、その考え方と。

 

     宗教の普遍的真理の本質を、人間の言葉や文章(組織の教義)で表現するなら

     ば、

     それこそ、どのようにでも人々の思惑で利用出来るのではないでしょうか?

     何もこれは、宗教に限った事を言っているのではありません。

     殺人は絶対悪と言う基本理念でさえ、時代やその国の状態によって、

     勲章をもらい、賛辞を受ける場合もあれば、死刑の裁きを受ける場合もあるので

     す。

     私は教祖や宗祖が「人格的な超越者」とは思っていませんし、

     他力(人格的な超越者)によって自分の願いが叶うとも考えておりません。

     それは、特定の宗派ではなく、地球上の人間のみに留まらず、宇宙や未来永劫

     まで、

     どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     「法則」だと、自分では考えています。

     それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達だと思うのです

     が?

 

     との相違点をお聞かせください。

     私には、昼行燈さんの意見が良くわかりますし納得できます。

     しかし、昼行燈さんにとっては、私の意見は全く納得できないものですか?

 

409 名前: 文底 投稿日: 2000/04/09() 05:55

 

     第7の外道さん、遅くなりましたがご返信させていただきます。

 

     最初にお断りしておきますが、私たちの論議がかなり深く沈んでしまったので、

     事の推移が、他の方にも判るように引用符を多めに付けます。

     予めご了承ください。

 

     >私の「宗教者」観をお話しておきます。

     >もし「宗教者」というものが成り立ち得る場合、必要なのは、人の心につい

     て深い理解を持ち、

     >寛容で、忍耐強く相手の話に耳を傾け、地道に筋道立てて話をし、説得力が

     あり、

     >態度によっても思想を表し、自己の心をよく制御し、他者の心をよく思い計

     って、

     >己の存在の相対性と有限性をよく自覚しつつ、しかも心の平安と幸福とを

     >広く実現していく技量を持つことだと思います。

 

     まず、第7の外道さんの「宗教者」観ですが、人としての有り方を述べた場

     合、

     私も、取り立てて異議を挟むつもりはありません。

     このような価値観を持った方が、各界のリーダーとして組織を引っ張っていけ

     ば、

     素晴らしい世の中になって行くでしょう。

     ただ、「宗教者」は、それだけでは、十分な条件では無いと思うのです。

     と申しますのは・・・、

 

410 名前: 文底 投稿日: 2000/04/09() 05:56

 

     >それは宗教じゃない、倫理だ、というのならば別に「倫理」であっても構い

     ません。

 

     「倫理」「哲学」「心理学」などでは、論議の是非において、ある程度私がよく

     使う、

     「文献的解釈」論で結論を導き出すことに異議は無いのですが、

     ただ、宗教に付いて言えば、(本当は宗教だけではないのですが)その行為によ

     って、

     「現代科学の常識を超えた超自然的な現象」が起こされる訳ですから、

     事は、「文献的解釈」論だけで、片付けられないと思うのです。

     およそ、信仰を持っている方の大部分は、「現代科学の常識を超えた超自然的な

     現象」を、

     その対象としている信仰に対して、自分で実感したか、実感しようとして、

     実践している方々だと思います。

     なぜなら、宗教を自分の意志によって受け入れようとする場合、

     科学的な方法(例えば医学)などでは、解決できない事例が多いからです。

     逆説的に言えば、そこに付けこんで、さまざまな「文献的解釈」の

     宗教(?)が生まれてくるのではないでしょうか?

     ですから、第7の外道さんの「宗教」観を「倫理」観と同じ土俵で論じてしま

     うと、

     後々の話しが混乱してしまう可能性があるので、仮に「別物である」との前提

     で、

     話しをしたいのですがどうでしょう?

     今日のところは、ここまでです。ご意見がありましたらどうぞ仰ってください。

 

411 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/09() 06:34

     文底さん

 

     >昼行燈さんにとっては、私の意見は全く納得できないものですか?

     良く解っているつもりです。

     しかし、あえて 「しかし」 と言わせていただくと、

 

     >殺人は絶対悪と言う基本理念でさえ、時代やその国の状態によって、

     >勲章をもらい、賛辞を受ける場合もあれば、死刑の裁きを受ける場合もあるの

     です。

     殺人は絶対悪であり、「時代やその国の状態によって、勲章を貰って」はいけ

     ないと思う

     のです。釈迦の教えが後の弟子に依って纏められ、脚色が施されたとしても、

     基本理念

     は『八正道』に基づいき、実践行動すれば、争いは無くなると信じます。

     創価学会では『八正道』を小乗の劣った過去の教えと教えていると思います

     が、(以前

     そのように伺い、或いは『八正道』をも知らなかった人も居た)原始仏典に繰

     り返し説か

     れる基本理念は、普遍的な真理であろうと思います。

 

     >それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達だと思うのです

     が?

     残念ながら、日蓮には『八正道』を実践するという感覚が乏しいと思います。

     五重相対や、四重興廃では、『八正道』の実践を説く原始仏教経典を「小乗」

     と排斥し、

     末法では「役に立たない劣った教え」と切り捨てているのではありませんか?

 

412 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/04/09() 22:17

     文底さんへ

 

     突然の横レス失礼します。

 

     >宗教の普遍的真理の本質を、人間の言葉や文章(組織の教義)で表現するなら

     ば、

     >それこそ、どのようにでも人々の思惑で利用出来るのではないでしょうか?

 

      日蓮聖人や創価学会も、人間の言葉や文章(教義)で表現していませんか?

      その言葉や文章が、間違っているとは申しません。

      ただ、文底さんがおっしゃる通り、”どのようにでも人々の思惑で利用でき

     る”

      のではないでしょうか?

      そう考えると、”御書に書いてあるから”、”創価学会ではこう言ってい

     る”

      というのをそのまま信じてもよいのでしょうか?

      某掲示板に、阪神大震災は、謗法の結果である という論議がありますが、

      やはり、御書に書いてある通り だからでしょうか?

      鎌倉時代に生きた日蓮聖人が、天災の原因を謗法に求めたのは、仕方のない

      ことだと思います。したがって、非難されるべきことではないと思います。

      しかし、現代においても、その理論をそのまま利用するのは如何なもの

      でしょうか?

 

     >どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     >「法則」だと、自分では考えています。

     >それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達だと思うのです

     が?

 

      歴代の宗教者達が感得し表現したものは、それぞれの宗教者の『思惑』

      だったのでは? それが正しいのか間違っているのかは別として。

      

 

413 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/10() 11:01

     文底さん

 

     >第7の外道さんの「宗教」観を「倫理」観と同じ土俵で論じてしまうと、

     >後々の話しが混乱してしまう可能性があるので、仮に「別物である」との前提

     で、

     >話しをしたいのですが

 

     ここのところですが、これは「君(=外道)の考えを『倫理』観ではなく『宗

     教』観として規定した上で、それと私(=文底さん)の『宗教』観と対比させ

     ようではないか」ということを意味しているのでしょうか。つまり『宗教』と

     『倫理』との相違ではなく、二つの『宗教』観の相違をテーマにして議論をし

     ようというご提案なのでしょうか。文脈的には、そのように受け取れるのです

     が。

     もしそうだとしたら、私も賛成です。既に察しておられることと思いますが、

     私は基本的に、

 

     >「現代科学の常識を超えた超自然的な現象」

 

     というのを前提にしなければ成り立ち得ない「宗教」に対しては、どちらかと

     いうと批判的です。例えば釈迦の説いた思想は、必ずしも、「現代科学の常識を

     超えた超自然的な現象」の存在を前提しなければ成り立たないものではない、

     と認識しています。私の「宗教者」観が、一般のそれとはかなり乖離したもの

     であることは私も重々承知しています。しかし一般の「宗教」観を正しいと前

     提した上での議論は私にはできません。それでよろしければ。

 

414 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/10() 11:08

     またやられてますね。時間帯からして、前と同じ人かな?

 

     >ここは創価学会を批判するところだ

 

     このスレッドはずっとそういう内容だったんですが・・・嵐の頻発のせいでそ

     の辺がよくわからなくなっているのは事実ですが。

 

415 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10() 12:43

     さいこ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

416 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/04/10() 12:44

     ここのところですが、これは「君(=外道)の考えを『倫理』観ではなく『宗

     教』観として規定した上で、それと私(=文底さん)の『宗教』観と対比させ

     ようではないか」ということを意味しているのでしょうか。つまり『宗教』と

     『倫理』との相違ではなく、二つの『宗教』観の相違をテーマにして議論をし

     ようというご提案なのでしょうか。文脈的には、そのように受け取れるのです

     が。

     もしそうだとしたら、私も賛成です。既に察しておられることと思いますが、

     私は基本的に、

 

417 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/10() 12:47

     文底さんへ

 

     私の意見も概ね第7の外道さんと同じです。

     そして、第7の外道さんの書き込みの方が、より分かりやすく、かつ適切であ

     ると

     思います。

     おそらく、文底さんも、私の投稿と第7の外道さんの投稿を比較されて、同じ

     ように

     感じていらっしゃるのではありませんか?

     (私と意見が異なる時には、その旨書き込ませて頂くつもりですが)

 

418 名前: 文底 投稿日: 2000/04/10() 12:48

 

     昼行燈さんへ

     昼行燈さんがまだ、蓮日さんと名乗っておられた頃

 

     >釈迦の時代には何を本尊としていたのでしょう?何を拝んでいたのでしょ

     う?

     >何も本尊としていませんでしたし、何も拝んではいません。

     >ただ、法に帰依していただけです。法とは何でしょうか?

     >誰もが納得のゆく「真理」です。そして「真理」は普遍です。

     >時とともに変化するものではありません

     >仏教なんて難しい言葉で説かれてはいません。

     >弟子と称する人たちが自分を「偉く見せる」ために難しくしていったのでは

     >なかろうかと思っています。

     >人間がどう生きるか、何をしてはいけないのか、簡単な事ばかりです。

 

     と、仰っていましたが、その考え方と。

 

     宗教の普遍的真理の本質を、人間の言葉や文章(組織の教義)で表現するなら

     ば、

     それこそ、どのようにでも人々の思惑で利用出来るのではないでしょうか?

     何もこれは、宗教に限った事を言っているのではありません。

     殺人は絶対悪と言う基本理念でさえ、時代やその国の状態によって、

     勲章をもらい、賛辞を受ける場合もあれば、死刑の裁きを受ける場合もあるので

     す。

     私は教祖や宗祖が「人格的な超越者」とは思っていませんし、

     他力(人格的な超越者)によって自分の願いが叶うとも考えておりません。

     それは、特定の宗派ではなく、地球上の人間のみに留まらず、宇宙や未来永劫

     まで、

     どのような場所でも、どのような時でも、どのような物に対しても存在する

     「法則」だと、自分では考えています。

     それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達だと思うのです

     が?

 

     との相違点をお聞かせください。

     私には、昼行燈さんの意見が良くわかりますし納得できます。

     しかし、昼行燈さんにとっては、私の意見は全く納得できないものですか?

 

419 名前: 文底 投稿日: 2000/04/10() 12:48

     第7の外道さん、遅くなりましたがご返信させていただきます。

 

     最初にお断りしておきますが、私たちの論議がかなり深く沈んでしまったので、

     事の推移が、他の方にも判るように引用符を多めに付けます。

     予めご了承ください。

 

     >私の「宗教者」観をお話しておきます。

     >もし「宗教者」というものが成り立ち得る場合、必要なのは、人の心につい

     て深い理解を持ち、

     >寛容で、忍耐強く相手の話に耳を傾け、地道に筋道立てて話をし、説得力が

     あり、

     >態度によっても思想を表し、自己の心をよく制御し、他者の心をよく思い計

     って、

     >己の存在の相対性と有限性をよく自覚しつつ、しかも心の平安と幸福とを

     >広く実現していく技量を持つことだと思います。

 

     まず、第7の外道さんの「宗教者」観ですが、人としての有り方を述べた場

     合、

     私も、取り立てて異議を挟むつもりはありません。

     このような価値観を持った方が、各界のリーダーとして組織を引っ張っていけ

     ば、

     素晴らしい世の中になって行くでしょう。

     ただ、「宗教者」は、それだけでは、十分な条件では無いと思うのです。

     と申しますのは・・・、

 

420 名前: 文底 投稿日: 2000/04/10() 12:49

     >それは宗教じゃない、倫理だ、というのならば別に「倫理」であっても構い

     ません。

 

     「倫理」「哲学」「心理学」などでは、論議の是非において、ある程度私がよく

     使う、

     「文献的解釈」論で結論を導き出すことに異議は無いのですが、

     ただ、宗教に付いて言えば、(本当は宗教だけではないのですが)その行為によ

     って、

     「現代科学の常識を超えた超自然的な現象」が起こされる訳ですから、

     事は、「文献的解釈」論だけで、片付けられないと思うのです。

     およそ、信仰を持っている方の大部分は、「現代科学の常識を超えた超自然的な

     現象」を、

     その対象としている信仰に対して、自分で実感したか、実感しようとして、

     実践している方々だと思います。

     なぜなら、宗教を自分の意志によって受け入れようとする場合、

     科学的な方法(例えば医学)などでは、解決できない事例が多いからです。

     逆説的に言えば、そこに付けこんで、さまざまな「文献的解釈」の

     宗教(?)が生まれてくるのではないでしょうか?

     ですから、第7の外道さんの「宗教」観を「倫理」観と同じ土俵で論じてしま

     うと、

     後々の話しが混乱してしまう可能性があるので、仮に「別物である」との前提

     で、

     話しをしたいのですがどうでしょう?

     今日のところは、ここまでです。ご意見がありましたらどうぞ仰ってください。

 

421 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/04/10() 12:49

     文底さん

 

     >昼行燈さんにとっては、私の意見は全く納得できないものですか?

     良く解っているつもりです。

     しかし、あえて 「しかし」 と言わせていただくと、

 

     >殺人は絶対悪と言う基本理念でさえ、時代やその国の状態によって、

     >勲章をもらい、賛辞を受ける場合もあれば、死刑の裁きを受ける場合もあるの

     です。

     殺人は絶対悪であり、「時代やその国の状態によって、勲章を貰って」はいけ

     ないと思う

     のです。釈迦の教えが後の弟子に依って纏められ、脚色が施されたとしても、

     基本理念

     は『八正道』に基づいき、実践行動すれば、争いは無くなると信じます。

     創価学会では『八正道』を小乗の劣った過去の教えと教えていると思います

     が、(以前

     そのように伺い、或いは『八正道』をも知らなかった人も居た)原始仏典に繰

     り返し説か

     れる基本理念は、普遍的な真理であろうと思います。

 

     >それを、生命で感得し表現しようとしたのが、歴代の宗教者達だと思うのです

     が?

     残念ながら、日蓮には『八正道』を実践するという感覚が乏しいと思います。

     五重相対や、四重興廃では、『八正道』の実践を説く原始仏教経典を「小乗」

     と排斥し、

     末法では「役に立たない劣った教え」と切り捨てているのではありませんか?

 

422 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10() 13:40

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423 名前: 文底 投稿日: 2000/04/10() 20:00

 

     昼行燈さんレス有難うございます。

 

     >殺人は絶対悪であり、「時代やその国の状態によって、勲章を貰って」はい

     けないと思う

     >のです。

 

     多少以前の発言の繰り返しになりますが、この「絶対悪」でさえ、その時々の価

     値観、

     理念(思想、宗教、民族意識など)が、その時代の人間によって利用され、

     その結果として過去の歴史が「人間は、本質的に過ちを犯す可能性を持った生き

     物」

     であると証明しているとは思いませんか?

     最初から、悪意がある場合は論外ですが、人間(生物)の歴史は、意識、無意識を

     問わず

     仲間(国家、組織、家族など)を幸せに導こうとした結果が、

     しばしば、後の人間から見れば「実に愚かなこと」を繰り返しているように

     思われるのですが・・・

 

424 名前: 文底 投稿日: 2000/04/10() 20:02

 

     >釈迦の教えが後の弟子に依って纏められ、脚色が施されたとしても、基本理

    

     >は『八正道』に基づいき、実践行動すれば、争いは無くなると信じます。

     >残念ながら、日蓮には『八正道』を実践するという感覚が乏しいと思いま

     す。

     >末法では「役に立たない劣った教え」と切り捨てているのではありません

     か?

 

     そうしますと、『八正道』の教えに基づかない思想、理念などは、

     逆説的に考えますと、「絶対悪」を無くす事が出来ないことになりますよね。

     『八正道』の教えのみが人類の過ちを無くす唯一の方法とすると、

     それこそ、それ以外の思想、理念を排斥することになり、

     過去の歴史において繰り返された、「惨劇」を誘発する原因になりませんか?

     日蓮仏法が、小乗の教えを否定した理由は、『八正道』の中にある(昼行燈さんも

     仰られた)

     「普遍的な真理」そのものを否定する事とは、少し違うような気がします。

     ただ、「文献の教義的解釈」では、そうなるのでしょうね。

 

     私は、「文献の教義的解釈」に対し、いつも懐疑的立場ですが、

     昼行燈さんの「文献の教義的解釈」は、真摯に拝見させて頂いています。

     これは、御承知おき下さい。