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続・日蓮って
1 名前: 転載@第7の下戸 投稿日: 2000/06/05(月) 12:06
第7の外道さん
勝手に、スレッド継続させてしまいました・・・。
----------------------------------------------------------------------
日蓮って
1 名前: 第7の外道 投稿日: 1999/10/23(土) 00:16

今のところ、日蓮から学べたことといえば、
『法華経』は読む価値があるというのと、
理想は現実との闘いの中で追求されるべきだ、ということの二点だけ。

彼の議論の立脚点は「『法華経』こそ釈迦の本意を語ったもので、
残りは全部方便だ!」というところに帰着すると思うんだけど、
事実問題として、あれは釈迦が語ったものでは全然ないし、
その時点で、彼の立論のかなり多くが崩れてしまうと思う。
だから、頭で彼に共感しようとしても全く受け付けない(個人的には)。

それに、第三者的に見ると攻撃のための攻撃にしか
見えないような「折伏」もしているようだし
(だから「真実のため」というよりは、単に怒りや妬みといった感情を吐き出しているだけのように見えてしまう)、
何より仏教ならではの「寛容性」というのがほとんど感じられない。
彼の思想に色濃くある呪術性も、釈迦の思想とは相当異質な感じがする。

大体、彼の「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という
信仰至上主義的姿勢は、浄土系やキリスト教なんかでも強くあると思うけど、
釈迦の思想にはそうした傾向はほぼ皆無といっていいし、
その後の仏教の展開でも、(インドにおいては)決して主流になったことはなかった。
むしろ釈迦や竜樹の姿勢は、「物事を安直に信じるな。自分の頭使ってもっと徹底的に疑ってみろ!」
と呼びかけているようにさえ思える。
そんなわけで、心情的にも彼にはどうも共感できないな…

というのが私の意見。言いっぱなしで悪いけど、
今まで日蓮を擁護する言葉のなかで「これは!」と思うものに出会ったことが
ないもので…
迅速なレスは身辺の都合上できないと思いますが、日蓮ファンの人、
何か意見あったら聴かせてくださいな。
-------------------------------------------------------------------------
★過去ログ★ ←そのうち無くなってしまうかもしれないが・・・。

レスを全部読む ↓
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372

最新レス100 ↓
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372&ls=100


2 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 13:30
日蓮は悪魔


3 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 14:44
喪家バカは宗教語る資格無し。


4 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/06(火) 00:48
1さん
どうもお手を煩わせて申し訳ありません。
ただ以前のこのスレッドは内容があまりに膨張し過ぎてしまっていたため、
日蓮及び学会の「教義・思想」面における問題の議論にポイントを絞って、
新規にスレッドを立ち上げようかと考えていたところでした。
これを機に、ちょっと考えをまとめてみたいと思っています。


5 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/06(火) 19:33
 すいません。ブックマークから行っていたもので、移転したのに気づかず、昔の掲示板にカキコしてしまいました。
 第7の外道さんとメディスンさんへのレスです。お手数ですが、↓からとんでくれませんか。(ここで再度カキコすると問題あるかもしれないので)
 1さんどうもありがとうございます。

http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372&ls=50


6 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/07(水) 03:45
あれっ?
暫く席を外している間に、スレッドが大量に減ってる。
いったい何が起こったんですか?


7 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/07(水) 12:22
>ZEGAさん
 掲示板が変わってしまったのです。昔の掲示板を見るには、1もしくは5にあるところに飛んで下さい。いずれなくなってしまうものだと思うので、データを保存しておいた方がいいと思います。


8 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/07(水) 16:42
ひゃっきまるさん、レスありがとうございました。
結局私は、彼を脱会させる時にお世話になったお寺にその友人を紹介しました。
私自身は宗教団体が苦手なので、どこの信徒になるつもりもないのですが
こちらのお寺の方々は、おだやかに仏法を説く方ばかりなので、時々心を休めるために
訪問しています。
これは横レスですが、ひゃっきまるさんの文中にあった「御本尊に祈るとき、人格的存在に祈っているという意識は全くありませんでした。学会的な表現をするなら、
宇宙の不可思議な法と、自分の生命を同調させる(させよう)、という意識です。」
というのは、本当に学会的な独自の教義であり、お寺では750年前から「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
という教義であり「南無妙法蓮華経は仏身である」 という教義です。
学会はお寺の信徒団体として始まり、教義や本尊はすべてお寺と同じだったはずなのに本当に今は
別の教義なんですね。
でも少なくともそれは興門派の考えとはまったく異端だと思います。
私は日蓮自体の世界観には疑問がたくさんあり、排他的な教義は人をさらなる地獄に
落とすだけだと思っていますが、ことお寺と学会の問題に関してはまったく学会のほうに
部がないと考えています。
学会は750年の歴史を持つお寺の信徒団体として発足し歴史は50年あまり。
破門されて10年たつ今もお寺に執着しているのは、もともと独自の教義も本尊も持ち合わせていない団体だからです。
しかし時の流れとともに学会教義の変質はいちじるしく、お寺よりも学会のほうが信徒数も多く
有名なため、異端の教義のほうが「日蓮仏法」「興門派」だと誤解されているのが現状です。
そこのところを、ひゃっきまるさんにも、このスレッドの方々にも理解していただきたいと思います。

それからこれも横レスですが第7の外道さんは「私は世間一般でいうところの「信仰心」というのを全く持ち合わせない人間なので、
「なぜ信仰心を呼び起こさなくてはならないのか?」というのがそもそも疑問になってしまいます。」
とおっしゃっていますが、少し驚きました。
信仰心とは、理屈とは無関係なもので古代から自然への畏怖と憧憬というような形で
人間社会に存在していたものだと思います。
だからといって必ず信仰心を持つべきだとも、持つのが普通だとも思いませんが信仰心を
まったく持ち合わせていないというような人が、本当にいるのだとしたら驚きです。
第7の外道さんは、例えばすごくピンチな時に「ああ、神様!」と無意識に祈ってしまった
事すらないですか?
初詣に行って手をあわせて、今年1年の幸せを無邪気に祈った事もないですか?
ちょっと論旨とはズレてしまいますが、信仰心とは理で検証しつくせるものではないと思います。
もちろん、だからと言ってまるで理屈にあわない信仰に妄信的になると危険ではありますし、
信仰を学術的、科学的に検証することはとても大切な事だと思ってもいます。

しかし人間が自然を観察して得た科学も、物理学も、医学も、哲学もまだまだ自然すべてを
観察しつくし、把握できているとも私は思いません。
そもそも人は必ず死に、死んでどこへ行くのかさえ判明していなくて、人の持つ自然治癒力という方向性が
どこからやってくるのかさえわかっていません。把握も出来ず、わかってもいない事に対しては人は謙虚になり、
畏怖や憧憬の感情から「信仰心」が芽生えてくるのだと思うのですが?
ほんとに横レスですみません。
このスレッドが存続する事を願っています。




9 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/07(水) 18:44
 少しだけ。外道さんやメディスンさんに誤解を与えてしまったようですが、僕は以前のような態度で信仰を続けているわけではありません。
 お寺と学会とどちらが正当性があるか、という問題では、学会は確かに独自な教義解釈をしていると思いますが、だからといってお寺の方が正しいとも思っていません。


10 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/08(木) 01:31
日蓮と学会の教義についての問題提起は、改めてスレッドを立てなおしたいと思っていますが、もう少しお待ちください。もちろん、どなたかが立ててくださっても私は極力参加いたします。
しばらくは、ここに書きたいことを書きます。

メディスンさん

>信仰心とは、理屈とは無関係なもので古代から自然への畏怖と憧憬というような形で人間社会に存在していたものだと思います。
>把握も出来ず、わかってもいない事に対しては人は謙虚になり、畏怖や憧憬の感情から「信仰心」が芽生えてくるのだと思うのですが?

「自然への畏怖と憧憬」というのは勿論私にもあります。ここでいう「謙虚」さについても、当然あるつもりではいます。ただそれと、「世間一般でいうところの『信仰心』」というのとは別だと考えています。

>例えばすごくピンチな時に「ああ、神様!」と無意識に祈ってしまった事すらないですか?

昔はあったと思いますよ。ただある年頃から、宮本武蔵じゃないですがそういう風に感じる自分を恥だと思うようになってしまいました。それにピンチの時に何かに我知らず何かに呼びかけたりするのを、果たして「信仰心」と直結させていいものなのかどうか、私には疑問です。

>初詣に行って手をあわせて、今年1年の幸せを無邪気に祈った事もないですか?

これもありますよ。もっともそれも頑なに拒否した時代がありました。今では家族を連れて初詣にも行きますが、もう敢えて拒否の姿勢を人に示すこともないと思うようになったからです。

ただメディスンさんの言われる「畏怖の感情」についても、世間一般の人と比べれば希薄になってきているのは確かかも知れません。自分にとって未知であるから「畏怖」を感じる、という感情的反応には極力流されないように心がけているからです。



11 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/08(木) 02:51
>7
何と、そうでしたか。
教えてくださって有難うございます。

ところで、前の書き込みから大分間が空いてしまったので、以前の発言へのレスをするのが
なんとなく決まり悪いのですが、やっぱり書き込んだほうがいいでしょうか?


12 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/08(木) 03:29
ひゃっきまるさん
>お寺と学会とどちらが正当性があるか、という問題では、学会は確かに独自な教義解釈をしていると思いますが、だからといってお寺の方が
正しいとも思っていません。

お寺が、間違っているのはどのあたりなのでしょうか?
ぜひ教えていただきたいのですが?もちろん対学会でという限定の中でですが。
創価学会という信徒団体を野放しにし、指導しきれなかった事以外に何か間違った事があるのでしょうか?
私は1年かけて調べましたが、教義的な事でお寺が逸脱した痕跡はまるで見出せませんでした。
だからこそ、民衆にわかりやすいセックススキャンダルを打ち出すしかなかったのだと思います。

それに、はっきり言ってどちらが正しいとか言う問題ですらないと思っています。
なぜなら、学会はお寺の信徒団体として宗教法人を取得しており、教義と本尊はすべてお寺と同一だったからです。
そこから逸脱し、破門された今はまったく独自の新興宗教であり、少なくともお寺とは無関係。
なのにいつまでもお寺に執着し、いやがらせを繰り返している。
まったくもって理解不能、いったい学会にどういう部があるのか、教えていただきたいものです。


13 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/08(木) 20:24
>ZEGAさん
>ところで、前の書き込みから大分間が空いてしまったので、以前の発言へのレスをするのが なんとなく決まり悪いのですが、やっぱり書き込んだほうがいいでしょうか?

 ZEGAさんは唯一の創価学会側の意見者なので、もちろんZEGAさんを中心としてスレッドをすすめていくのがよいと思います。しかし、話題が非常に広くなってしまっているし、ひとつの議題を出すとそれからどんどんいろいろな議題に展開していってしまうことも考えられますので、まず第7の外道さんらと相談して、どのようにスレッドをすすめていくか決めていったらいいのではないかと思います。
 以前ZEGAさんが提案されていたように、箇条書きになるまで議題をまとめておいて、順番にやるか、もしくは複数のスレッドを作る、という方法がよいのではないかと思います。

>メディスンさん
>お寺が、間違っているのはどのあたりなのでしょうか?
ぜひ教えていただきたいのですが?もちろん対学会でという限定の中でですが。

 外道さんは日蓮の思想自体に疑問を投げかけているので日蓮系の宗門は全て批判の対象になっていますよね?(そうでもないのでしょうか?) 僕の考えは、大乗仏教自体も、本当に素晴らしいと言えるのか、検証してみる必要があると思っています。どちらにしろ、伝統がある、ないで判断すべき問題ではないと思います。『私は1年かけて調べましたが、教義的な事でお寺が逸脱した痕跡はまるで見出せませんでした。』、という言葉が出ましたが、仏教は釈迦が登場して以来、常に変化し続けているはずです(日本に伝来してからも常に)。そういう意味ではどこにも「正統」は存在しないのではないでしょうか? また、だからといって釈尊が直接説いた(今となっては推測するしかない)経が最も優れている、と決めつけるのもどうかなと思います。(外道さんのことではありません)
 日蓮正宗と創価学会の抗争については、ZEGAさんに説明してもらうのがいいかなと思います。(でも長くなりそうだし、やって有意義な結論が出るとも思えないので、なるべくやりたくないと僕は思ってます) どんな場合でもそうなのですが、意外と、両方ともそれなりの言い分があって、どちらが正しいとはなかなか言えないものです。誰にも客観的判断のできない教義解釈に話が及べば、泥沼化することは必至でしょう。


14 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/09(金) 00:59
ZEGAさん

私が早くきちんと問題提起すればいいのでしょうが、遅れましてすいません。その際は別スレッドにする予定で、できるだけ学会系の方も参加しやすいように工夫するつもりでいます。もう少しお待ちください。

ひゃっきまるさん

>外道さんは日蓮の思想自体に疑問を投げかけているので日蓮系の宗門は全て批判の対象になっていますよね?

そういうことになりますが、特に学会からは日蓮のネガティヴな面を拡大しているような印象を受けているので、とりあえず学会以外の日蓮系宗派については積極的に疑問を投げかけようとの意図はありません。

>僕の考えは、大乗仏教自体も、本当に素晴らしいと言えるのか、検証してみる必要があると思っています。どちらにしろ、伝統がある、ないで判断すべき問題ではないと思います。

全く同感です。その件については「心と宗教」のほうがいいのかも知れませんが、何か提起していただければ議論にはできるだけ参加させていただきます。


15 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 01:13
宗教なんて、基地害がつくったものさ。
頭が逝ったヤツが、神の声を聞いたとか、
悟ったとか下らないね。
しょせん、神様なんて存在しないし、人
間が勝手に作った迷信だ。
この科学の発達した世の中で、まだ迷信
に苦しんだ人が多く居るんだね。
君たちは、創学会にはいる前に子供相談
室か、命の電話で悩み事を聞いて貰った
方が良いよ。


16 名前: >15 投稿日: 2000/06/09(金) 01:47
創価もお寺もどうでもいいんだが。

ウチは仏教徒なんだ。
やはり、先祖や亡くなった家族を敬い、
供養をしていこうと言う気持ちは、
大切にしたいと思うんだが。

悪いのか?

大切な家族が死んだんだから、
ちゃんと供養したいと思ってるんだが。

悪いのか?



17 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/09(金) 01:51
ひゃっきまるさん、第七の外道さん、了解です。
方向が定まるまで見に回ることにします。
それではまた。


18 名前: >15 投稿日: 2000/06/09(金) 03:01
>君たちは、創学会にはいる前に

このスレッドの誰のことを煽ろうとしているのかさっぱり分かりませんけど(該当者はどう考えてもいないと思いますが)。

誰かを「基地害」呼ばわりする前に、まずご自分の振るまいがそうなっていないか確かめてみてください。


19 名前: >15 投稿日: 2000/06/09(金) 04:12
宗教は逢っても良いと思うけど
普段の人間生活に関わってくると
わずらわしいのよね

お金(財務)とか選挙(F作戦)とか



20 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/09(金) 04:34
ひゃっきまるさん

>外道さんは日蓮の思想自体に疑問を投げかけているので日蓮系の宗門は全て批判の対象になっていますよね?(そうでもないのでしょうか?) 僕の考えは、大乗仏教自体も、
本当に素晴らしいと言えるのか、検証してみる必要があると思っています。どちらにしろ、伝統がある、ないで判断すべき問題ではないと思います。『私は1年かけて調べましたが、
教義的な事でお寺が逸脱した痕跡はまるで見出せませんでした。』、という言葉が出ましたが、仏教は釈迦が登場して以来、常に変化し続けているはずです(日本に伝来してからも常に)。
そういう意味ではどこにも「正統」は存在しないのではないでしょうか? また、だからといって釈尊が直接説いた(今となっては推測するしかない)経が最も優れている、
と決めつけるのもどうかなと思います。(外道さんのことではありません)

誤解を与えてしまったようですが、私が言ったのはお寺と学会の問題でどちらが筋が通っているかという事だけで
どちらが仏法としてすぐれているかとか、どちらが真理だとかいうつもりはありません。
仏教は変化しつづけるものなのだから、人の宗派に入り込み教義と本尊と信徒をすべて盗み
めちゃくちゃにした上に、破門されてもいやがらせを繰り返すというような事が、仏教の発展であり
仏教の変化だとしたら世の中に倫理も道徳もないと思います。
変化するとしても、最低限のルールすらないのでしょうか?
客観的には、誰も判断出来ないと言いますそれはこの問題の本質をまるでご存知ないから
そういう事をおっしゃるのです。世間の方はたいていそういう風に考えているようですが
問題はまるで違います。
もちろん私はお寺の信徒でもないですし、日蓮仏法に対しても大疑問がありますから
ことさらお寺を擁護する立場でもありません。
でもその私から見てもこの問題は理不尽で、あきらかに学会は筋が通っていないのです。
はっきり言ってめちゃくちゃです。
この問題を学会のほうの資料だけでしか知らない人が多いので、同レベルの紛争だろう
くらいにみんな思ってしまっているので、あえて言わせていただきました。
そしてこの事は、日蓮仏法を論じるこのスレッドの趣旨とはズレてはいないはずです。
創価学会は50年もお寺の信徒だったのです。学会の根元は日蓮正宗にあるのです。
日蓮正宗を語らずして、学会の日蓮信仰を語ることは出来ません。



21 名前: 文底 投稿日: 2000/06/09(金) 05:42

メディスンさん

文底と申します。
いつも、メディスンさん御意見興味深く拝見しております。
宜しくお願い致します。

横レスになりますがチョッと失礼致します。

>誤解を与えてしまったようですが、私が言ったのはお寺と学会の問題でどちらが筋が通っているかという事だけで(後略)

これは、現在の宗門(日蓮正宗)と創価学会の問題の事だと了承しても宜しいのでしょうか?
それであれば、私はその問題について、若干検証してきた人間ですので、両者の対立に関して、一言私見を述べさせて頂きます。
事の発端は、私の知人が法華講と創価学会に在籍している人間だったので、両者から「折伏」をしっかりと受けてきました。(とても人間的に魅力のある熱心な信者です)
昔の、彼らの折伏のスタンスは、日蓮正宗に入信するのであれば「法華講・創価学会どちらでも良いですよ」と言うもので、決してお互いを誹謗中傷するような状態ではありませんでした。
ただ、この宗教だけが絶対であると言う一点は、両者とも一致しておりました。
私の性格は、このスレッドで私の発言をご存知の方はもうお分かりだと思いますが、基本的に、ある一点の結論をもって事の推移を見る事には、何時も懐疑的スタンスを取っております。
お二人とも、人間的には大変良識を弁えた方々でいらしたので、私も真摯な気持ちでに両者の話しを夫々伺っておりました。
ところが、宗門問題が起きてからの両者の立場は、今までと全く違い、お互いが邪教としての相手の宗教批判に終始するようになったのです。

続きます。



22 名前: 文底 投稿日: 2000/06/09(金) 05:43

これからの文章は、他の掲示板でも述べた事が入っておりますので、若干重複する所がありますが、日蓮正宗と創価学会の「思想的行動」や「文献的教義解釈」どれをとっても、外部の人間からすれば、ハッキリと黒白が付いているとは、とても思えません。
以下にその文章を書いて見ます。

そして、メディスンさんが明確に私の誤解を解いて頂けることを期待しております。

さて、事の詳細な推移は分かりませんが。
創価学会は、大石寺から破門になられたとの認識で宜しいのですね?
その上でのご質問ですが、平成二年十二月あたりから、日蓮正宗宗務院と秋谷栄之助会長との間で、名誉会長のスピーチに対する「お尋ね」の文書が出され、その後あたりから、創価学会と日蓮正宗に確執が生じ、平成三年十一月に「創価学会解散勧告書」を経て、平成九年十二月一日以降創価学会員の方々も日蓮正宗檀信徒としての資格を失われたのですね。
そこで、私なりに、昭和五二年から五十五年に至る、宗門と学会問題とその次に起きた平成二年十二月十三日から平成四年八月十一日池田氏除名処分通知書までの経緯を双方の機関紙および書籍等から、拝見させて頂きました。
まず、この推移が間違っていない事を前提にご質問したいのですが。
ここに至る経緯について、私なりに双方の機関紙に発表された見解を、拝見させて頂きました。
少なくとも、宗教の正邪に関わる中心点な議論を展開する下りは、どちらも仏教用語を駆使し、それぞれの立場について、教義的解釈から、自分の正当性を主張されていたように感じます。
また、私のような立場の者には、どちらの教義が文献的に正当であるかなどとは、とても結論づけられません。

続きます。



23 名前: 文底 投稿日: 2000/06/09(金) 05:43

その両者の文章の交換内容を私なりに論ずるならば、事の発端は、それぞれ、化義的動機付けにおいてであり、事の真意を伝えるため教義的文献解釈により、宗門の方は、指導され、学会の方は、それに対し、御書を拠り所とし、反論されていたように推察されます。
決して、どちらも我見により事の真意を決め付けるような感じでは、無かったように感じます。
そして、私の持ち得る知識でも、宗門方のご意見も、学会の方のご意見もそれぞれ反証し得る教学的知識を持っております。
何もこれは、私が博学であるという訳では全く無く、それぞれの機関紙の対象になりえる、論点の教学的知識を逆の形で提示するれば、全く持って、水掛け論的決着を見られるからです。
つまり、教義的文献知識なるもの、その方途がある意識の上で、意図的に利用されれば教義なるものは、正に、自分にとって都合のよい文面のみを引用し、その反論は、その対極にある文献を引用すれば事足りるわけです。

ただ私の目(第三者的)から見ると、どちらもその持ち得る、本来ならば同じ教義(双方蜜月時代は、少なくとも同じ教義の上で共存されたのでしょう)から、自分の都合の良い部分を引用し自己の正当性を主張されていたように感じられるのです。
当然文献的教義ですから、取り方次第で、それぞれ教学的にも最高の方々でしょうから、如何様にも自分の都合の良いように解釈できる力量をお持ちなのでしょう。
したがって、教学的結論は、どう見てもお互いが納得できるような結果にならなかったのではないかと推察されます。

続きます。



24 名前: 文底 投稿日: 2000/06/09(金) 05:44

従いまして、私の思考的回路では、教学的文献解釈において、どちらが正しく、どちらが間違っているかは、判断不可能と言う結果が出ました。
その後、双方の方々が取られた手法は、正に宗教的教義とは、程遠い双方の最高実力者の人格攻撃他ならないと思うのです。
この点第三者から拝察するには、事、世論に対し、あまりにも道義的には得策では無いような気がするのですが・・・
人格批判は、週刊誌等の反学会記事等を引用されで「低レベルな人格批判をする人間・組織は最低である」と散々誹謗しておられた「創価学会公式」の趣旨とは、異なるような気もするのですが、如何でしょうか?
そして、学会機関紙での日顕氏に対する人格攻撃は、一時期にせよ、日顕氏の御本尊をその信仰の対象とし祈ってきた学会員の方々にとっては、その信仰の根幹の絶対的対象物だったはずです。
その人間を、人格的に最大限に侮辱することは、自分たちの信仰である御本尊の書写をされた方を人間的に貶めることで。
貴方、そのものの信仰のレベルまで懐疑的に見られる事になると思うのです。
何故なら、第三者の目から見れば、
「そんな(愚かで醜い)人間すら見破るこのできない団体であるのかと・・」
「創価学会が散々持ち上げたこの宗教(日蓮正宗)は、最高責任者でさえこの程度のなのか?」と、

続きます。



25 名前: 文底 投稿日: 2000/06/09(金) 05:45

次に日蓮正宗に関してですが、阪神大震災はもとより、数々起きる災害などを例にあげ、これがあたかも、創価学会の法に反する行いによるとの見解は、第三者から見れば、これほど、慈悲の無い独善的傾向の強い、およそ、人を救済することを本義とする宗教者の発言とは、感じられないのです。
また、血脈論を中心とされる日蓮正宗の創価学会に対する「邪教説」も事末端の会員が日蓮正宗の御本尊を受け取り、何も知らぬ「アフリカ」辺りで一生懸命仏道修行に励んでいても、上層部の対立により破門されれば、彼は何も知らぬ間に「邪教の信心に変化している」ことになりませんか?
これは、論理的に見ても少し変なような気がするのですが・・・

以上が私の宗門問題に対する私見ですが、私はどちらの肩を持つものではありません。
しかし、第三者的に見ると上記に挙げただけでもこれだけの矛盾を双方が抱えております。

もし私の意見が間違っているのであれば、文献的、論理的にも私の分かり得る知識で、お答えいたします。
教義の文献的解釈方は、双方の教義における文章をその論証とさせて頂きます。

この問題に関してこの問題に関してメディスンさんのご感想などをお聞かせください。
また、ZEGAさん、ひゃっきまるさんなど、学会に属している(いた?)方のご意見も伺えればと思います。
第7の外道さんや昼行燈さん若葉マークさんなど、第三者的に何かこの文章で気が付いた点が御座いましたら申し述べてください。

以上久々の長文失礼しました。

追伸

一体、この板どうなってしまうのでしょう・・これだけこのスレッドに常連さんが居られるのですから、何かあった時の集合板などを決めておくと論議が切れないと思うのですが?
皆さん如何でしょうか?



26 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/09(金) 18:01
文底さん、お久しぶり?です。
旧「日蓮って」のNo.870の”名無しさん”は、私でした。^^;

今更ではありますが、日蓮や法華経を語るには、あまりにも知識不足なので、しばらくはROMしていようと思っていたのですが・・・(笑)学会と宗門問題に関しては、下記のHPを参考にしたくらいで、詳しいことはわかりません。細かく見れば、いろいろとあるとは思いますが、大体、正解じゃないかと思うのですが・・・。

http://www.tk.xaxon.ne.jp/~yuugeki/nitiren-kiso.html

メディスンさんと、ひゃっきまるさん、文底さんとでは、視点が違うような気がします。メディスンさんの仰りたいことは、「お寺の教義には、問題になるようなことがなかった」ということだと思います。つまり、日蓮正宗の「教義」には、今回のような問題を引き起こす原因を見出すことができなかった ということなのではないかと思います。しかし、実際にはそれが起きているわけで、原因を作ったのは、学会だったのではないかと思います。そして、学会が宗門を批判して、宗門が学会を批判して・・・というカタチになった。 現状を見ると、どっちもどっちだ! と私も思いますが・・・。ケンカにおいて、先に手を出した方が悪いとすれば、それは学会なのでしょう。 学会の「排他性」「独善性」が身内(宗門)にも向けられた結果であるような気もします。 これで、「正しい」のは学会だけになりましたから、学会にとっては、「勝利」なのだと思います。


27 名前: ] デェーバダッタ三世 投稿日: 2000/06/09(金) 18:26
>若葉マーク
あれほど言ったのに、まだそんなカキコするですか!もう許さんです!
あんたを許すわけにはいかんです!こんなカキコでレスたくさん付くとでも
思ってるなんて頭おかしーよです!あんたみたいなバカ初めて見たです!
あんたみたいなバカ、ゴキブリ以下です!あんたみたいなバカ、ウジ虫以下です!
死んでほしーです!つーか、死ぬべきです!あんたは絶対に許されないです!
勘違いしたバカを許すわけにはいかんのです!面白半分にいい加減なカキコ
するヤツなど許さんです!キャラメルコーンのピーナッツをケツの穴に詰めて
死ねよです!!!
今まであんたがどんな生き方してきたか知らんけど、どーせひどい生き様
だったと想像出来るです!あんたのカキコから読みとれるです!バカ特有の
匂いがするです!あんたのことが全く理解出来んです!あんたは絶対許さんです!
死んでも許さんです!地獄で苦しめよです!それでも足らんくらいです!
豆腐の角に頭ぶつけて死ねよです!!!
あんたもっと現実を知れよです!いつまでも引きこもってネクラなことしてる
場合じゃないよです!でも、もー手遅れです!あんたは何をやってもダメです!
この世に生まれてきたことを後悔してもダメです!あんたは生まれ変わっても
どうせダメ人間に決まってるです!絞め殺したいけどあんたに触るのが嫌なので
やめるです!でも、あんたみたいなカスは死ねよです!風呂の排水口に吸い込まれて
死ねよです!!!




28 名前: 私こそ正真正銘のとのさまバッタ三世だ 投稿日: 2000/06/09(金) 18:41
>デェーバダッタ三世

あれほど言ったのに、まだそんなカキコするですか!もう許さんです!
あんたを許すわけにはいかんです!こんなカキコでレスたくさん付くとでも
思ってるなんて頭おかしーよです!あんたみたいなバカ初めて見たです!
あんたみたいなバカ、ゴキブリ以下です!あんたみたいなバカ、ウジ虫以下です!
死んでほしーです!つーか、死ぬべきです!あんたは絶対に許されないです!
勘違いしたバカを許すわけにはいかんのです!面白半分にいい加減なカキコ
するヤツなど許さんです!キャラメルコーンのピーナッツをケツの穴に詰めて
死ねよです!!!
今まであんたがどんな生き方してきたか知らんけど、どーせひどい生き様
だったと想像出来るです!あんたのカキコから読みとれるです!バカ特有の
匂いがするです!あんたのことが全く理解出来んです!あんたは絶対許さんです!
死んでも許さんです!地獄で苦しめよです!それでも足らんくらいです!
豆腐の角に頭ぶつけて死ねよです!!!
あんたもっと現実を知れよです!いつまでも引きこもってネクラなことしてる
場合じゃないよです!でも、もー手遅れです!あんたは何をやってもダメです!
この世に生まれてきたことを後悔してもダメです!あんたは生まれ変わっても
どうせダメ人間に決まってるです!絞め殺したいけどあんたに触るのが嫌なので
やめるです!でも、あんたみたいなカスは死ねよです!風呂の排水口に吸い込まれて
死ねよです!!!



29 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/09(金) 18:43
デェーバダッタ三世  様

ご声援ありがと!



30 名前: >27,28 投稿日: 2000/06/09(金) 18:45
双方、逝って良し!



31 名前: 文底 投稿日: 2000/06/10(土) 04:21

若葉マークさん

早速のレスありがとうございます。

>旧「日蓮って」のNo.870の”名無しさん”は、私でした。^^;

若葉マークさんでしたか・・・あの後、この板自体が混乱していたので、レスを付けられずに申し訳ありませんでした。
No.870の御意見に対し私も同感です。
人間の思考は、その本質において、自分が属している事象には、ともすれば自己中心的に物事を理解する傾向がありますので、どの視点から見ても、中々客観的な判断は、出来ないと思います。
ですから

>学会の言動から「日蓮仏法」を捉えることは、フィルターを通して見ているようなものではないでしょうか?

正に仰るとおりです。
逆に考えれば、何もフィルターを通さない思想自体を見極める事の方が、難しいと思います。
ですから、色々なお立場の方々の発言の推移を見ながら「日蓮仏法」を推考できればと思っています。

続きます。



32 名前: 文底 投稿日: 2000/06/10(土) 04:22

>メディスンさんと、ひゃっきまるさん、文底さんとでは、視点が違うような気がします。

それはそうなのですが、メディスンさんが「この問題を学会のほうの資料だけでしか知らない人が多いので・・」とのくだりを見て、両方(宗門と学会)の機関紙を読む機会にあった私の意見として、No.21からの意見を述べさせて頂いたのです。

>ケンカにおいて、先に手を出した方が悪いとすれば、それは学会なのでしょう。

はたして、学会の方から先に手を出したのでしょうか?
むしろ、最初に池田氏のスピーチに「お尋ね」の文書を出して、論争するきっかけを作ったのは、宗門の方だと思うのですが・・・
ただ、先に手を出した方が悪い、と簡単に決め付けるわけにもいきませんし、両者はこの時点(平成二年十二月)で爆発寸前の状態であったのだと考える方が自然だと思うのです。
それは、若葉マークさんに教えていただいたHPの内容を見ても明らかだと思います。
つまり、どちらかが決定的に悪い事(教義的な背信行為)をしたと言うのではなく、両者の関係が少しずつ拗れて行って、ある時点で決裂したのではないかと・・・
その後は、両者自分の立場の正当性をお互いに自分の言葉で論じていて、第三者から見るとその内容は、双方矛盾だらけ(教義の正否そのものが原因ではないので)であるにも関わらず、一歩も歩み寄らない状態が続いているわけです。
逆に、この出来事を通して「日蓮仏法」を信仰する団体が持つ、一種の特異性を検証する事が出来るのではないでしょうか?
ただ、この特異性を「悪」と断ずる事は簡単ですが「何故そうなるのか?」と懐疑的スタンスで見る事で、逆に「日蓮仏法」の内面に迫る事が出来ればと思います。

以上です。



33 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/10(土) 07:57
文底さん

>はたして、学会の方から先に手を出したのでしょうか?
>むしろ、最初に池田氏のスピーチに「お尋ね」の文書を出して、論争するきっかけを作ったのは、
>宗門の方だと思うのですが・・・

 提示したHPを記述が間違っていないとすれば、「池田名誉会長の宗門批判的発言の真意をただす」ための「お尋ね」だったわけで、それに対して、「お伺い」を突きつけたことによって、均衡が破られたような気がします。

>ただ、先に手を出した方が悪い、と簡単に決め付けるわけにもいきませんし、両者はこの時点
>(平成二年十二月)で爆発寸前の状態であったのだと考える方が自然だと思うのです。
>つまり、どちらかが決定的に悪い事(教義的な背信行為)をしたと言うのではなく、両者の関係が
>少しずつ拗れて行って、ある時点で決裂したのではないかと・・・

 文底さんの仰る通りだと思います。 「ある時点」というのが、「お尋ね」「お伺い」を出した時期なのではないでしょうか。「お尋ね」に対して、学会が謝罪していれば、この時点では決裂しなかったのでは? と思います。いずれ決裂するのは時間の問題だったとは思いますが・・・。

>その後は、両者自分の立場の正当性をお互いに自分の言葉で論じていて、第三者から見るとその内容は、
>双方矛盾だらけ(教義の正否そのものが原因ではないので)であるにも関わらず、一歩も歩み寄らない
>状態が続いているわけです。
>逆に、この出来事を通して「日蓮仏法」を信仰する団体が持つ、一種の特異性を検証する事が出来る
>のではないでしょうか?

 私としては、始まりは信仰団体の特異性に基づくものではなく、日常生活で目にする、どこにでもある”ケンカ”の類だと思っています。 喩えは悪いですが、嫁(学会)・姑(宗門)の関係みたいなものと同じだと思っていますが・・・同居していた嫁が、我慢しきれなくなって別居してしまった。(笑)
その後学会は、この宗門問題のゴタゴタを逆に利用して組織の結束を固めているのではないか? とも考えています。つまり、意図的に宗門批判をしているのではないか? ということです。



34 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/10(土) 13:09
 僕は詳しく創価学会と日蓮正宗のケンカを検証していたわけではありませんが、端々から漏れてくる情報を聞くと、「子供じみた幼稚なケンカ」というように見えてしまいます。少なくとも今の状況は、どちらも異様に感情的になっていて、とても宗教者どうしであるとは思えません。
 これは宗教自体の無力を証明しているように見えるのですがどうでしょう? つまり、宗教の分野であっても、他の世界と同じようなどろどろの人間関係や腐敗、慢心、嫉妬、攻撃性、自尊心、利得、といったものによって人の心が支配されてしまっているという・・・。
 創価学会に関して言えば、「敵を想定する」ことによって組織の結束を固めている、ということは確かにいえると思います。

>ZEGAさん
 このスレッドはここまで進んでしまったので、他の議題はまた後で考えるとして、今こそZEGAさんは反論するときであると思います。


35 名前: 文底 投稿日: 2000/06/10(土) 18:21

若葉マークさん
ひゃっきまるさん

>提示したHPを記述が間違っていないとすれば、「池田名誉会長の宗門批判的発言の真意をただす」ための「お尋ね」だったわけで、それに対して、「お伺い」を突きつけたことによって、均衡が破られたような気がします。

「池田名誉会長の宗門批判的発言の真意をただす」ための六項目「お尋ね」の内容ですが、
池田氏のスピーチの内容に対しての下記の疑問点です。

1、御法主上人・宗門に関する件
2、創価学会創立五〇周年当時の回顧の件
3、僧侶軽視の発言に関する件
4、宗門の布教と平和文化活動に関する件
5、「真言亡国・禅天魔」の発言に関する件
6、「歓喜の歌」合唱についての疑問

ある意味、日蓮正宗の宗教的特徴である日蓮仏法における絶対純粋主義から考えれば、この「お尋ね」文章は、無理からぬ疑問点であったと拝察されます。
ただ、この後、両者のやり取りの中で、スピーチの一部が歪曲されて宗門側に流れていた事も事実になりますが、なぜ、この様な少し怪しげなスピーチを宗門側が入手し、また、それを全面的に信じ、学会に対し不信感を持ったかに、この一件の流れの重要な鍵があると思います。
つまり「意図的思惑で事件が流れて行ったのではないのだろうか?」と言う事です。

続きます。



36 名前: 文底 投稿日: 2000/06/10(土) 18:22

これに対し学会側は、宗門側が尋ねた六項目に対しては「文書ではなく話し合いで解決していきたいとの旨」で一蹴し、逆に九項目の「お伺い」の文面を持って、反論した訳です。

1、「きょう慢謗法だ!」と怒鳴られ、叱責された件
2、お目通りの席で詰問されたような事は名誉会長には全く身に覚えのない件
3、**教学部長の発言についての件
4、庫裡増改築落慶法要の席上での**尊師の話に対する法義疑問の件
5、「お目通り」の際に出た「懲罰云々」の件
6、「正信会が血脈を否定してまで法主を批判した原因は学会にある」との発言の件
7、学会が「柔軟になった、折伏、破折をしなくなった」点に付いての反論
8、マスコミの記事が全く間違いであることを、理解して頂きたい件
9、二百か寺建立寄進計画に対する件

文章自体は、誠に慇懃ではありますが、内容は明らかに「宗門に対しての不満」であり「学会の業績を認めろ」と言わんばかりの内容であります。

これでは、宗門が激昂する事を予め「覚悟」していたかのごとくの内容であり、この後、宗門問題が起きる事を承知で、回答していた節が見られます。
ではなぜ、この様な態度を学会がとったのか?

そこには、やはり、ある意図的思惑が画策されていたのではないでしょうか?
つまり、この時期、両者はある意図的思惑によって(それが双方了解していたかは不明)それぞれ「別れたい」と思っており、その規定事実として、この事件が「意図的に生み出されたのではないのだろうか?」と言う疑念です。

続きます。



37 名前: 文底 投稿日: 2000/06/10(土) 18:22

そして別れた後に対する重要な点は、信者の獲得です。
お互いが、血眼になって夫々の機関紙で「攻撃的批判」をするのも、どんなに理由を述べようと「信者獲得」が目的であり、その為の方法として「相手の人格批判」なるものが飛び交っていると思うのです。

これでは、若葉マークさん・ひゃっきまるさんが仰る

>日常生活で目にする、どこにでもある”ケンカ”の類だと思っています。 喩えは悪いですが、嫁(学会)・姑(宗門)の関係みたいなものと同じだと思っていますが・・・

>「子供じみた幼稚なケンカ」というように見えてしまいます。少なくとも今の状況は、どちらも異様に感情的になっていて、とても宗教者どうしであるとは思えません。

とのご指摘も無理からぬ事でしょう・・
しかし、事の本質を単純に「けんか」と決めてしまうのもある意味正しいと思うのですが、なぜ、双方が「絶対的利害関係」(宗門は信者を学会によって増やしてもらうメリット・学会は信者獲得のための教義的バックボーンが必要)であるにも関わらず、あえてデメリットを覚悟でこの様な事(分裂)を行ったのかが疑問に思います。
この点に、もしかすると「日蓮仏法」に対する信仰者は、第三者には計ることの出来ない独特の「文献的・体験主義的要素があるのではないか?」と懐疑的にさせる所以ですが、如何でしょうか?

以上です。



38 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/10(土) 19:06
 ZEGAさんが「日蓮って」スレッドにきてからの論点をまとめなおしてみたのですが、枝葉の話題(空論についてなどの興味本位のもの)を除いて、4つに分類してみました。一応、優先した方がよいと思われる順に並べました。

『1・創価学会の教義の正当性について』
・創価学会以外の、日蓮正宗を含む日蓮系の宗派の中で、なぜ創価学会だけが正しいといえるのか(716、718、754、755、765)
・創価学会の仏法解釈がバラモン教と酷似していることについて(655、658、659、671)
・法華経は釈迦によって説かれていないこと、釈迦の本来の思想について(783、784〜788、791、794)
・日蓮の法華経解釈について(815、824、832)

『2・創価学会は正しい行動をした団体といえるかどうかについて』
・創価学会員の中に異常な考え、行動をする人がいるのはなぜか(684、716、805、823、836、839、844、849、851)

『3・何によって宗教の真贋を見極めるか』
・ZEGAさんの、身近な学会員を見て創価学会が正しいと判断する、ことに対して(611、613、611、639、689、640、651、652、657、719、720、851)

『4・功徳、罰について』
・功徳は超自然的な力であるかどうか(694、754、782、804)

 提案なのですが、このスレッドでは引き続き『1・創価学会の教義の正当性について』を、今までの経過をふまえてZEGAさんに反論していただき(というのは、アンチ創価学会側の意見はすでに出尽くしていると思われるので)、もし余力があれば『2・創価学会は正しい行動をした団体といえるかどうかについて』の新しいスレッドをたててみたらよいのではないかと思います。
 ただ、最終的には、ZEGAさんがどのように議論を進めていくかを完全に決めてほしいです。みなさん、この案でどうでしょうか?


39 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/11(日) 04:39
文底さん

>なぜ、この様な少し怪しげなスピーチを宗門側が入手し、また、それを全面的に信じ、学会に対し不信感を持ったかに、この一件の流れの重要な鍵があると思います。
つまり「意図的思惑で事件が流れて行ったのではないのだろうか?」と言う事です。

学会のほうは学会が主、宗門が従という関係になれないのなら宗門とは別れるほかはない
と思っていた事は事実です。
でもこの問題となったスピーチ自体は、私の元彼が中継で実際に聞いたものでもあり、あやしげでも創作でもない
平成2年11月16日第35回本部幹部会における、れっきとした池田会長のスピーチです。

でも、破門となったのはもちろんこのスピーチだけが原因ではありません。
これはとどめだっただけで、学会の問題はこれに始まった事ではありません。

まず創価学会は宗教法人を取得する時、宗門から出された次の3か条を承認しました。
1、折伏した人は信徒として各寺院に所属させる事
2、当山の教義を守ること
3、三宝(仏法僧)を守ること
もともと信徒団体であったはずの創価学会がなぜ個別に宗教法人を取得したかというと、
法華経をひろめる人には難が多く、激しい折伏をするため社会的にも弾圧を受けるかも知れないが
そういう責任は創価学会がすべて取り、宗門をお守りするためという戸田城聖会長の意向だったわけです。
池田名誉会長自身も「広布と人生を語る」第3巻の中で
「この代々の御法主上人に御奉公していく信心が、創価学会の根本精神なのである。」と書いています。

ここからは一般の方にはわかりにくいと思うのですが、日蓮正宗という宗派の特異性があるのです。
まず、正宗は仏教界では異質なほどストイックな宗派です。
この大石寺の始まりからして、日蓮宗身延の地頭の他宗他教容認路線が、日蓮上人のほう法厳戒という
教義に反すると言って監守の日興上人が下山した事から始まっています。
私は日蓮宗のお寺に行ったことがありますが、確かに天照大神がまつってあったりして
他宗他教に潔癖な日蓮正宗の寺院とは大きな違いがあります。
神棚、お守りは焼き払え、神社に参詣すると罰があたるなどと指導し、この法に帰依しないものは
すべて成仏出来ないとまで説く宗派は、おだやかな仏教の中では本当に特異です。
私はこの排他性には大きな問題があり、とても抵抗があって決して好きにはなれませんが、
同時に、このストイックさこそが日蓮正宗を日蓮正宗たらしめている部分なわけです。

続きます。



40 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/11(日) 05:07
私には浄土真宗の住職をやっている飲み友達がいますが、彼などは世襲制で親がやっていた家業をついだ住職で、
仏教の事もほとんど知らずただなんとなくやっている人です。
その彼に「日蓮正宗にでも行って修行し直せば?」と冗談でも言うと震え上がります。
「正宗なんてとんでもない!あそこは仏教界でも厳しくて有名なんだ。あそこで勤まったらどこででもやっていけると有名だ。」と言います。
正宗は世襲制ではなく、僧侶は代々の法主の権能で「任命」という形で寺院に配属されています。年収支を毎年都庁にきちんと
提出しているほど几帳面で、あまり知られていませんが宗教法人法改正の論議が出た時、賛成したのは仏教界で正宗だけです。
まぁ、何が言いたいかというとそれほど厳しくてストイックな宗派であるという事です。これをまず理解して下さい。

とにかくいい意味でも悪い意味でもこの宗派は融通がききません。
ひゃっきまるさんが言う「仏教の変容」なんて絶対許さないのがこの宗派の特徴であり
他の宗派のように時代の変容で教義を少し変えたり、他経を容認したり「絶対」しないのです。(注:もちろんそれが良いって言ってるわけじゃないですよ。)
だから、私にしたら創価学会に50年もよく我慢したなという感じです。戸田さんの頃は宗門に御奉公する姿勢が
徹底していたからいいようなものの、池田会長になってからは様々な教義逸脱があったようです。

続きます。


41 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/11(日) 05:50
でも、まぁ逆に言うとこんなに厳しく融通のきかない正宗に池田会長のほうも我慢出来るわけもいないのです。そういう意味では両者の決裂は時間の問題だったといえます。

まず、正宗には三宝を守るという根強い教義、三大秘法という核となる教義があり、三宝とは
仏・・・・日蓮上人
法・・・・南無妙法蓮華経
僧・・・・日興上人をはじめとする歴代の法主 です。
僧になぜ歴代の法主が加わるかというと、正宗には血脈相承という独特の教義があり、日蓮から日興へと託された法華経の神髄と
本尊の権能を含む極理があり、これが代々法主にだけ伝わってゆくという伝統があるわけです。
これは目に見えないだけに本当かどうかまったく判断できないものですが、750年間そういうしきたりできているのですから
他からとやかく言う筋合いもないでしょう。それから、三大秘法は順番忘れましたが
1、本門戒壇の本尊
2、本門の題目
3、本門の戒壇
というものであり、戒壇の本尊は日蓮が出生の本懐として書写した弘安2年の大本尊を指すわけです。
ようするに日蓮正宗は徹頭徹尾この弘安2年の本尊に対する信仰をしている宗派であり、これ以外に帰依すると地獄行きだよという宗派なわけです。
そして、宗旨建立以来750年、この本尊に対する権限は血脈ゆえに歴代の法主にあり、正宗の方針、教義に関するいっさいの権能を託されています。
だからといって法主を信仰の対象には絶対せず、血脈を受けた法主という事で尊敬し、教えを受けるという伝統です。
歴史じゃない、伝統じゃないと言ったってこれは徹頭徹尾一貫してきたある宗派の教義でもあります。
ここを「違う」といえば、もうその宗派の信仰自体を否定するのと同じ事で、それをしたのが他ならぬ創価学会だというわけです。

続きますが、大量になってしまったのでまた明日にします。


42 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:27

ひゃっきまるさん

このスレッドに対する方向性は、ひゃっきまるさんがお考えになった方法で私は、良いと思います。(さすがひゃっきまるさんならではの論理的構築力ですね!)
ただ、ZEGAさんがはたして、このスレッドで、何処までご発言できるだけの時間的・精神的余裕があるかが問題だと思います。
そして、最近特に感じる事なのですが、この板自体があまりにも「反創価」一色であり、その内容も論理的論議のスレッドが存在しない現在、創価学会の問題については、どこか違う板(SF研あたり)http://whiteangel.tonet.ne.jp/room_01/room.bbs
で創価の方と論じるのも一興ではないかとも思っておりますが、ひゃっきまるさんはその気はありませんか?(第7の外道さんのご意見も伺いたいです)
もう、この板は創価学会員のいない創価学会板みたいで・・・・・日蓮仏法に関しても、私たち常連だけでは煮詰ってしまっているような気がしています。



43 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:28

メディスンさん

大変詳しく御丁寧なレスありがとうございます。

今までのメディスンさんのレスにおいて、私の見解と若干の相違がありましたので、レスさせて頂きます。

>この問題となったスピーチ自体は、私の元彼が中継で実際に聞いたものでもあり、あやしげでも創作でもない平成2年11月16日第35回本部幹部会における、れっきとした池田会長のスピーチです。

このスピーチ自体の概要は正に仰る通りなのですが、宗門側が入手したテープ自体の内容がすべて事実であるかどうかは、平成3年1月12日の宗務院からの返信の中で「宗務院として、この回答を一読し、改めて池田名誉会長のスピーチを聞き直しましたところ、確かに当方のテープの反訳に相違がありました」とテープの反訳に相違のあるところを認めております。
つまり、明瞭な音声のテープではない事を宗門側も認めており、事の発端において、この反訳の意図的(?)聞き違いにより言い掛かりを付けてきたのは、宗門側にあるわけです。

続きます。



44 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:29

>正宗は仏教界では異質なほどストイックな宗派です。
>この大石寺の始まりからして、日蓮宗身延の地頭の他宗他教容認路線が、日蓮上人のほう法厳戒という 教義に反すると言って監守の日興上人が下山した事から始まっています。

この純粋日蓮主義は、勝劣派と呼ばれ、日蓮正宗限らず、本門法華宗、法華宗、本妙法華宗、顕本法華宗、本門宗、などある事をご理解ください。
現在の正宗のイメージは確かに仰るように「異質なほどストイック」に見えますが、過去の宗教史において、はそれほど唯一性があった訳ではありません。

>「正宗なんてとんでもない!あそこは仏教界でも厳しくて有名なんだ。あそこで勤まったらどこででもやっていけると有名だ。」と言います。

お知り合いの方はそう仰っているようですが、戒律の厳しさ修行の厳しさにおいては「天台宗」を始め他の宗派にももっと厳格な所もあります。
まして、戒律の厳しさにおいては、大乗経の宗派は小乗(最近はこの言葉は適切ではないが・・)の修行の足下にも及びません。

続きます。



45 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:30

>他の宗派のように時代の変容で教義を少し変えたり、他経を容認したり「絶対」しないのです。(注:もちろんそれが良いって言ってるわけじゃないですよ。)

メディスンさんが上記のように思われているのは、正宗の情報のみを信じられているのではないでしょうか?
歴史上の正宗の変遷は、正宗自体の名称の変更を始め、御本尊受戒における作法、勤行における五座三座の取り扱い、戦時中の神札容認など、それこそ、時の法主の考えにおいて、かなりの変遷を見ているのが実状です。
ただ、創価学会がその点を、過去の歴史上(蜜月時代は)あまり宗門に対し突っ込まなかったので、その様なイメージが出来ているのでしょう。
逆にそのイメージを逆手にとって現在、宗門が学会を攻撃しているのも事実です。
しかし、学会は日蓮正宗に帰依してから、その本質(実際はそれほど厳格な宗派ではない)を過去の歴史の中で徐々に気付いてきて、段々と宗門の指導に反発するようになっていったのではないでしょうか?
私は、法華講・創価学会・日蓮宗の方々の話しを夫々の立場で伺うと、皆さん主観的(仕方が無いのですが・・)にしか自分の立場を判断せず、都合の悪い所は、お互いの弱点を攻めるという事に終始しているように感じられます。
教義そのものが持っている寛容性から見ると、身延山久遠寺を総本山とする単称の日蓮宗のほか、日蓮宗不受不施派、日蓮宗不受不施講門派の方々の方が柔軟ですが、それが日蓮仏法の「本質」かと言うと、受難と迫害を受けてでも自分の信念を貫き通した彼の歴史から見れば少し懐疑的になります。

続きます。



46 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:30

>仏・・・・日蓮上人
>法・・・・南無妙法蓮華経
>僧・・・・日興上人をはじめとする歴代の法主です。
>僧になぜ歴代の法主が加わるかというと、正宗には血脈相承という独特の教義があり、日蓮から日興へと託された法華経の神髄と本尊の権能を含む極理があり、これが代々法主にだけ伝わってゆくという伝統があるわけです。

基本的にはその通りなのですが、日蓮正宗の「仏」の呼称は日蓮上人ではなく「日蓮大聖人」となり、その後の、歴代猊下の呼称が上人となり他の宗派と異なります。
これは、日蓮自身が「人」でありながら、同時に「仏」を具持しているとの独自の教義であり、これが勝劣派教義の特長にもなっています。
また「僧」の位置付けですが「日興上人をはじめとする歴代の法主です」としているのは、現在の日顕氏独自の教義であり、日蓮正宗の教義から述べれば、前猊下(日達氏)の文面(昭和52年5月26日の寺族同心会)を見ても「我が宗の三宝は、御本尊が法主、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人以降はは座主である」とあり、三宝には歴代の法主は含まれておりません。
ですから「代々法主にだけ伝わってゆくという伝統があるわけです」との血脈論において、現在、宗門と学会が教義論争をしているのですが、これが、メディスンさん仰る所の学会主張が教義逸脱になるかは、検証の余地があり結論付けられません。

その点を踏まえると

続きます。



47 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:31

>1、本門戒壇の本尊
>2、本門の題目
>3、本門の戒壇
>というものであり、戒壇の本尊は日蓮が出生の本懐として書写した弘安2年の大本尊を指すわけです。

この三つは創価学会も全く同じ教義的解釈であり、

>日蓮正宗は徹頭徹尾この弘安2年の本尊に対する信仰をしている宗派であり、これ以外に帰依すると地獄行きだよという宗派なわけです。

この点も正宗と何ら変わりありません。
ただ違うのは、

>宗旨建立以来750年、この本尊に対する権限は血脈ゆえに歴代の法主にあり、正宗の方針、教義に関するいっさいの権能を託されています。

そんな文献は、日蓮直筆の書簡の何処にも記されておらず、

>だからといって法主を信仰の対象には絶対せず、血脈を受けた法主という事で尊敬し、教えを受けるという伝統です。

法主を侮辱した教義的文献が学会の書籍にある訳でもなく(少なくとも破門前までは)


続きます。



48 名前: 文底 投稿日: 2000/06/11(日) 11:31

>歴史じゃない、伝統じゃないと言ったってこれは徹頭徹尾一貫してきたある宗派の教義でもあります。

創価学会は、その歴史伝統を否定して成り立った宗派でもなくその教義を否定した事実も存在しない以上。

>ここを「違う」といえば、もうその宗派の信仰自体を否定するのと同じ事で、それをしたのが他ならぬ創価学会だというわけです。

創価学会が「違う」といっているのは、日蓮正宗自体の教義ではなくその代表者である現法主の言動に対し、異議を唱え、反感を買い、そして破門させられたのが現実だと思います。

つまり第三者的に見れば、創価学会は教義を逸脱して破門させられたのではなく、両者の「意図的な思惑より分裂した」と見るのが、どちらの立場でも無い、私の所感です。

ただ、これが事実かどうかは判りません、あくまで私見です。
そして、これによりメディスンさんのお考えを全く否定するものではなく、むしろ、私の宗門・学会に対する偏見が拭い去れる事を期待しての疑問提起です。
メディスンさんはまだ続きがおありのようなので、お待ちしております。

以上です。



49 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/11(日) 16:44
>文底さん、ZEGAさん
 文底さんは、非常に詳しく検証されていることや、信徒自身でないと分からないであろう微妙な感情の動きなど、本当によく理解されていると感心します。元信徒ではないかと疑うほどです。
 僕が前スレッドをまとめなおしたものは、急いでいたので、番号などあまり正確でないかも知れません。(しかし、このままここが方向付けのないまま進んでしまうのは避けたかったので)

 また、まとめ方も少々問題があります。ZEGAさんが以前おっしゃっていた、「態度決定のプロセス」に関するのですが。
 論議の仕方が、『1・創価学会の教義の正当性について』と『3・何によって宗教の真贋を見極めるか』を往復しているようなところがあり、まずZEGAさんが、「宗教の真贋の方法はまずおいておいて、客観的、歴史文献的事柄のみから、創価学会の正当性を立証する」という立場を了承してもらわねばならないのです。この了解の確認のないまま議論を続けると、議論が煮詰まってきたところで、また『3・何によって宗教の真贋を見極めるか』という話題にすり変わってしまう可能性があります。

>ただ、ZEGAさんがはたして、このスレッドで、何処までご発言できるだけの時間的・精神的余裕があるかが問題だと思います。

 確かにその点で非常に不安を感じていますし、ZEGAさんにも悪いと思っています。

>そして、最近特に感じる事なのですが、この板自体があまりにも「反創価」一色であり、その内容も論理的論議のスレッドが存在しない現在、創価学会の問題については、どこか違う板(SF研あたり)で創価の方と論じるのも一興ではないかとも思っておりますが、ひゃっきまるさんはその気はありませんか?

 全面的に賛成なのですが、僕が2chでこのような議論をしていることの理由に、「匿名」でいたいということがあるのです。ネットは初心者に近いので仕組みはよく分からないのですが、他の掲示板だと管理人にどこのパソコンからアクセスしたのか分かるのですよね?(ここもそうなのでしょうか?) 僕は創価大生なので、近隣の人に(ネットを通じて)、僕が誰であるかばれる可能性もあるし、その場合折伏活動をされるかも知れません。また、仲の良い知人などに、僕がこういう考えを持っていることを知られることも避けたいです。
 一番贅沢なことを言えば、ZEGAさんが知人に助っ人を頼むとか、SF研などの常連さんらに呼びかけてここに来てもらうとかが僕としては良いのですが。
 とはいえ、SF研で論議して頂いても、僕はロムしてその経過を見るので、全然かまいません。創価学会に関しては僕よりも文底さんの方がずっとお詳しいので、僕が発言する必要はあまりないでしょう。


50 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/12(月) 01:51
みなさん
いろいろな書きこみありがとうございます。特に文底さんとメディスンさんによる「学会」と「正宗」との具体的な絡みや、ひゃっきまるさんの論点整理など私にとってはめちゃくちゃ情報価値が高いものと思え、ありがたいと思っています。

私個人としましては、「新規スレッド作成」のため日蓮の主要著作を読みなおしているうちに、以前「日蓮って」や「日蓮私見」で書いたことを訂正したいと思うところが出て来たりして(日蓮に対する私の価値判断ではなく、その思想の要約に関して、ですが)、仮に場を変えて議論をするにしても(それ自体は反対ではありません。ただ板の性格にもよりますが)、私自身もう少し準備が必要かな、と思うところがあります。
できればひゃっきまるさんのまとめられた論点に従って整理してみたいと思っているのですが・・・

ところで文底さんに質問したい点があるのですが、よろしいでしょうか?

>>日蓮正宗は徹頭徹尾この弘安2年の本尊に対する信仰をしている宗派であり、これ以外に帰依すると地獄行きだよという宗派なわけです。
>この点も正宗と何ら変わりありません。
>日蓮正宗自体の教義ではなくその代表者である現法主の言動に対し、異議を唱え

ですが、学会は今でも一応大石寺にある曼荼羅を「本尊」と認めているのでしょうか? 自分たちの用いる紙の曼荼羅は、大石寺の「楠の板曼荼羅」の写しである、という位置付けが今でもあるのでしょうか?だとすれば、大石寺の法主に代わって曼荼羅を信者に下布し、それに有効性を与える「権限」を、学会はどう正当化しているのでしょうか?
文底さんの私見で結構ですから、ご存知のところをお教えいただければ幸いです。




51 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/12(月) 02:16
そうそう毎晩接続するわけにも行かないので、返答が遅れてしまうことをご了承ください。
>文底さん

本当にお詳しくて、全く脱帽です。
様々な角度からの検証、大変参考にさせて頂いています。

>49
ああ、ひゃっきまるさんは創価大生でしたか。
僕も創価大卒です。

>『1・創価学会の教義の正当性について』
この点に論点を絞るという提案、とりあえず了解です。
ただ、論議の皮を被った、基底にある感情のぶつけ合いになる可能性が否めないので、
少々不安ですが……。

>ZEGAさんが知人に助っ人を頼むとか、SF研などの常連さんらに呼びかけてここに来てもらうとかが僕としては良いのですが

知人に助っ人を頼んでしまうと、その知人の時間をかなり拘束してしまわざるを得ないし、
多くの人を連れてきて、内容でなく数で圧倒するようなことになったら誠意を欠く結果に
なりかねないかもしれないという危惧がありますので、この方法は出来れば避けたいです。


52 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/12(月) 05:31
文底さんレスありがとうございます。

>改めて池田名誉会長のスピーチを聞き直しましたところ、確かに当方のテープの反訳に相違がありました」とテープの反訳に相違のあるところを認めております。

これはたった1個所であり、内容的にはたいして変わりのない部分で
誤「全部教条的にね、やれおかしいよって言うんだ。おかしいよ。」
正「全部ね教条的にね、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。そう書いてあるのに」
話言葉であるし、このくらいの聞き間違いは有り得ると思うのですが?

>しかし、学会は日蓮正宗に帰依してから、その本質(実際はそれほど厳格な宗派ではない)を過去の歴史の中で徐々に気付いてきて、段々と宗門の指導に反発するようになっていったのではないでしょうか?

確かに5座3座の勤行の数などの細かな化義の変化はあるものの、弘安2年の大御本尊に対する信仰、そして他宗排斥の教義であるほう法厳戒という主骨となる部分はまったく変わっていません。
学会が正宗の厳格でない部分によって反発したとはどう考えても思えない。実際私の見たお寺は厳格そのものです。
お寺に行った時ですが、お賽銭をと思って袋にお札を入れて渡すと信徒でない者からの供養はほう法からの供養となるので受けられないと、
突き返されたのですよ?確かに天台宗や小乗教も厳格なのでしょうが、私が知る京都、奈良のお寺では賽銭をうけとらないなんて事はまず有り得ません。

>宗旨建立以来750年、この本尊に対する権限は血脈ゆえに歴代の法主にあり、正宗の方針、教義に関するいっさいの権能を託されています。
そんな文献は、日蓮直筆の書簡の何処にも記されておらず、

あります。弘安5年の日蓮一期弘法附属書
「日蓮一期の弘法、白蓮阿梨日興に之を附属す。本門弘通の大導師たるべきなり。(略)血脈の次第日蓮日興
これは日興上人に対しての血脈付属書ですが、その日興上人が日目上人に血脈相承され「日興跡条々事」を残され、それが代々続いている以上
血脈と附属というものは、厳然と存在しているのです。


続きます。



53 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/12(月) 06:00
>だからといって法主を信仰の対象には絶対せず、血脈を受けた法主という事で尊敬し、教えを受けるという伝統です。
法主を侮辱した教義的文献が学会の書籍にある訳でもなく(少なくとも破門前までは)

法主の侮蔑以外にも学会は破門までにたくさんの教義逸脱を行ってきています。代表的なものでは
1、御本尊は幸福製造機
2、先生と自分との関係を忘れない信心こそ功徳がある。
3、大宇宙の生命リズムと小宇宙である自分が合致するために唱題する。
4、人間革命は現代の御書、会長に帰命する、寺院は単なる儀式法要の場、などの指導を行った有名な昭和52年路線。のちに指導されて謝罪。
5、本尊模刻事件 (昭和48年頃より池田会長個人に下付された紙幅本尊やお守り本尊を創価学会が無断で7体も板本尊に模刻し
学会会館で会員に拝ませていた。これは大問題となり、ただちに総本山に納められた。このことは学会も公式な場で謝罪している。)

これはほんの一部であり、宗門ではなく学会が主なのだという指導は文献にもたくさん残っています。
一般の方にはよくわからないでしょうが、法主の権能である本尊謹刻を信徒が無断でやるなどというのは宗史上初めての大問題であり、
学会はもう昭和48年の時点で、すでにこんなにも宗門を軽んじているのは明白です。
僧侶を学会本部に呼び付けつるしあげたり、学会幹部が本山で所化さんにタバコを買いにいかせたり、法主と会長が並びの席じゃないといって
式典を幹部全員が途中退出したり、学会の増上慢はひどくなる一方でした。

続きます。



54 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/12(月) 06:50
もちろんそのような学会の驕慢、教義逸脱を指導しきれなかったのは正宗の責任ですが
度重なる、逸脱の繰り返しそして、ついには最後のとどめとなったあのスピーチ。そしてそれに対するお尋ねの返答の反省のなさなどから
このままでは、宗門の教義が大きく歪められてしまうという危機によって破門されたのです。
あの当時、正宗の信徒は8割がた学会員だったのですから、それは大変な英断だったと思います。
学会は金のなる木です。普通に考えて正宗が学会を破門してどんな徳をするのでしょう?そこまでしても守るべきものがあったと考えるのが普通じゃないですか?

その後の宗門対学会の問題を、人格攻撃しあう同レベルの紛争とみんな見てらっしゃるようですがそれは大きな間違いです。
学会と正宗は紛争をしているのではありません。その後の正宗は学会から恐ろしい報復を受け続けています。
法論ではなく、攻撃なのです。
法主のセックススキャンダルから始まる裁判の数々、電話のいやがらせなど日常茶飯事、寺の行事の時に青年部が大勢押しかけて奇声をあげる。
大石寺には弾丸が撃ち込まれ、右翼の街宣カーの徘徊。法主を呪うはがき何万通、僧侶への集団リンチ、脱会者への執拗ないやがらせ。
ここにとても書ききれるものではありません。
事実、私の元彼は脱会後毎日「明日殺しに行くからな」とか「殺すぞ」とかいう電話が相次ぎましたし、家に大勢で訪ねてきて「裏切り者!」とののしられ、知り合いの元学会幹部だったお寺の信徒は
法主の悪口をわめく男に刺されました。
もし仮に100歩譲ってお寺の法主が最悪の法主だったとしても、関係のないお寺の信徒にまで普通仏教者が物理的な攻撃を加えますか?
その後の宗門の学会への抗戦は(それとて新聞1枚くらいのものです。)攻撃というより身を守るためであり、誹謗への反論という形で
始まったものにすぎません。





55 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 12:34
>そこまでしても守るべきもの
法主の権威とか。


56 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 12:39
>異議を唱え、反感を買い、そして破門させられたのが現実

この点はあっていますね。現法主の短気な性格は超有名。


57 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 12:42
>大体、彼の「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という
>信仰至上主義的姿勢は、浄土系やキリスト教なんかでも強くあると思うけど、
>釈迦の思想にはそうした傾向はほぼ皆無といっていいし、
>その後の仏教の展開でも、(インドにおいては)決して主流になったことはなかった。
>むしろ釈迦や竜樹の姿勢は、「物事を安直に信じるな。自分の頭使ってもっと徹底的に疑ってみろ!」
>と呼びかけているようにさえ思える。

根本義じゃないってことですよ。
疑い深い人があれこれ疑ったって疑ったままで終わってしまっては
何も得られないということですね。

「疑え」というのは、真実を見極めるための手段であって、
ひとたび見極めたなら疑わず信じなさいよということでっしゃろ?



58 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/12(月) 12:45
>あります。弘安5年の日蓮一期弘法附属書
>「日蓮一期の弘法、白蓮阿梨日興に之を附属す。本門弘通の大導師たるべきなり。(略)血脈の次第日蓮日興」(以下略)

いわゆる『身延相承書』のことですね? ただこれは『池上相承書』『三大秘法稟承事』などともに「偽撰」という説があるようですが。

私見ですが、日蓮の成仏方法論は、万物に仏性(仏になる可能性)が宿るという「真実」(一念三千、十界互具の思想によって表される)を明らかにした法華経に帰依し、題目を唱えることによって、己の仏性が開花し成仏が可能になる、というところにそのエッセンスがあるはずです(正しいのかどうかは別として)。だとすれば法華経を信じ題目を唱えればいかなる人も成仏可能ということになるはずで、日興の系統に帰依しなければダメだ、というのはそのロジックからして成り立たないはずです。
仮に『相承書』等が真書だったとしても、日興おまえは「本門弘通」の中心となってがんばれ、というのならわかるのですが、日興の系統に帰依しなければ「非法の衆たるべきなり(池上相承書)」というのは明らかに行き過ぎで、そこには日蓮自身の思想の混乱か、あるいは自己の存在の過大評価といった問題があるのではないかと思っています(「日蓮本仏論」を導入すれば辻褄はかなり合わせられるとはいえ、やはり日蓮の本来の開放的な「成仏方法論」との矛盾は依然として残るように思われます)。
ただ正宗の場合は、己の宗教思想や教義の「正しさ」に賭けて行動している、宗教としてのアイデンティティを決して譲り渡そうとしない、というところはあると思えるのですが(その客観的な評価などはまた別の話になりますが)、学会の場合は組織の利益が常に優先され、それに応じて「思想」や「教義」を都合の良い方向へところころ変えていくという、いかにもご都合主義的な性格が強過ぎるように思えます。私などは、学会はそもそも果たして「宗教団体」と言えるのか、「宗教団体」としてのアイデンティティがそもそもあるのか、とさえ考えたりするほどです(個人レベルではまた別だと思いますが)。

すいません、完全に横レスでした。



59 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/12(月) 13:47
>ZEGAさん
>ただ、論議の皮を被った、基底にある感情のぶつけ合いになる可能性が否めないので、少々不安ですが……。

 信仰に関する議論ですから、メンタルな部分には気をつけるようにしようと思います。また、ここのスレッドの常連さんは、今までの経過を見れば分かるように、そうした部分には気を使ってくれているし、そうなった場合にも素直に反省する心構えを持っていると思います。
 ですから、不確かなことを根拠にして感情的な応酬をするのではなく、お互いに「何が、誰にとっても確かな事実なのか」ということを確認しながらスレッドを進めていきたいと思います。

>名無しさん@1周年さん
>「疑え」というのは、真実を見極めるための手段であって、ひとたび見極めたなら疑わず信じなさいよということでっしゃろ?

 創価学会の方でしょうか? 『ひとたび見極める』にしても、僕としては、あらゆる方向から検証しても創価学会に有利な結論にはなりません。できれば、前スレッドをある程度読んで頂いてから(大量にあり大変ですが、38に内容をまとめたものが参考になるでしょう)、意見をなさった方がよいと思います。


60 名前: 小川 投稿日: 2000/06/12(月) 14:21
ひゃっきまるへ
ではあなたはどの宗教がよいとお考えですか?
お教え下さいm(__)m




61 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 15:03

>私見ですが、日蓮の成仏方法論は、万物に仏性(仏になる可能性)が
>宿るという「真実」(一念三千、十界互具の思想によって表される)
>を明らかにした法華経に帰依し、題目を唱えることによって、己の仏性
>が開花し成仏が可能になる、というところにそのエッセンスがあるはず
>です(正しいのかどうかは別として)。


>だとすれば法華経を信じ題目を
>唱えればいかなる人も成仏可能ということになるはずで、日興の系統

>帰依しなければダメだ、というのはそのロジックからして成り立たない
はずです。

>仮に『相承書』等が真書だったとしても、日興おまえは「本門弘通」
>の中心となってがんばれ、というのならわかるのですが、日興の系統
>に帰依しなければ「非法の衆たるべきなり(池上相承書)」というの
>は明らかに行き過ぎで、そこには日蓮自身の思想の混乱か、あるいは
>自己の存在の過大評価といった問題があるのではないかと思っていま
>す(「日蓮本仏論」を導入すれば辻褄はかなり合わせられるとはいえ
>、やはり日蓮の本来の開放的な「成仏方法論」との矛盾は依然として
>残るように思われます)。

「法華経(という法)を信じ題目を唱えればいかなる人も成仏可能」
ということが、「日蓮に帰依」「日興の系統に帰依」するという
ことです。

「日蓮に帰依」「日興の系統帰依」しなければ成仏できない、
という事ではありません。非法とは、法にあらずということです。
法に依らない思想全般をさします。
当時の状況を見て、権力者にこびるような宗教が
はびこっていたのを指して「非法」という事をいったものとおもわれます。
なにも、宗門に入らなければ非法であるという意味合いではないでしょう。




62 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 15:17
>>「疑え」というのは、真実を見極めるための手段であって、
>>ひとたび見極めたなら疑わず信じなさいよということでっしゃろ?

> 創価学会の方でしょうか? 『ひとたび見極める』にしても、
>僕としては、あらゆる方向から検証しても創価学会に有利な結論
>にはなりません。できれば、前スレッドをある程度読んで頂いてか
>ら(大量にあり大変ですが、38に内容をまとめたものが参考になる
>でしょう)、意見をなさった方がよいと思います。

検証しようと言う姿勢だけでは、疑いしか残らないでしょう。
時間の浪費です。既に思考の迷路に入っているのではないですか?

学会に有利とか、反学会に有利とか、そういう視点からばかり
みていたのでは、決して学会のことは理解できませんよ。

まず、あなたが命を掛けて信ずるに値するものが、この世にあるかどうか
を探ることが先決ではないですか?
自分の生活がどうで、どうしたくて、うまく行かなくて、
一生懸命になって、また何を信じてよいかわからなくなって、
さて日蓮仏法とは?となるのではないですか?

「>>」の「見極める」というのは、文献や理屈や証拠や噂
などから得られる物ではありません。

あなたが生活している中で発見されるものなのですよ。
貴方が社会でもまれながら生活している中で発見されるものなのですよ。
これを「確信」というのです。


63 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 15:37
気にしないで。

38より

・創価学会員の中に異常な考え、行動をする人がいるのはなぜか

「創価学会員の外に異常な考え、行動をする人がいるのはなぜか」
「日本の中に異常な考え、行動をする人がいるのはなぜか」

という議論もした方が、よっぽど社会性のある議論に思える。

・何によって宗教の真贋を見極めるか

今までの疑問が払拭できるパラダイムを持つことが出来るようになれば、
見極めは簡単。





64 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/12(月) 15:46
38より。
独り言。こんな風に思っている。

>功徳は超自然的な力であるかどうか

ナンセンスにかんじるなぁ。
功徳ってうれしいものじゃん。自分が信じて行動したら、
出てきた結果のこと。超自然的に見えるかもしれないけれど、
信じたら、実際に良くなったんだから、決して非科学的でもなんでもない。




65 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:25

メディスンさん

本当に誠意のある内容の濃いレスありがとうございます。

このやり取りを通して、私も宗門と学会の認識に対し、謙虚に事の推移を見極めたいと思っております。
また、私は宗門・学会どちらに対してもなるべく客観的立場で論議を進めたいと思います。
(引用符が多くなることを予め御了承ください)

>>確かに当方のテープの反訳に相違がありました」とテープの反訳に相違のあるところを認めております。
>これはたった1個所であり、内容的にはたいして変わりのない部分で
>誤「全部教条的にね、やれおかしいよって言うんだ。おかしいよ。」
>正「全部ね教条的にね、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。そう書いてあるのに」
>話言葉であるし、このくらいの聞き間違いは有り得ると思うのですが?

上記の文は、宗門側が正式に誤りを認めお詫びし、撤回した部分です。
逆に考えれば、この部分は、どうにも言い逃れの出来ない所であり、それ以外にも学会側はいくつかの問題点を宗門に指摘しております。(私から見れば、その態度自体が宗門にしてみれば気に入らないのでしょう・・・)

続きます。



66 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:26
「お尋ね」文書中での

「真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう」

と述べた文面に付いて学会は

「どうしたら今の時代に即した折伏ができるか・・現代の四箇の格言も何も知らない相手に、いきなり闇雲に、真言亡国!禅天魔!と話すだけでは返って誤解を受けて法を下げるだけでしょう」

との全体の文脈を宗門は曲解していると指摘しています。

他にも「お尋ね」文書中で

「工夫して折伏するのがないでしょう、ね。日蓮正宗でいなかったんですよ。それを学会がやってるから、学会は絶対にすばらしい」

との発言に対して、学会はスピーチの中で

「工夫して折伏する以外ないでしょう。ね、日淳上人が一番よく分かっていますよ。それを学会がやってるから、学会は絶対にすばらしい」

との引用文から「日淳上人が一番よく分かっていますよ」との一番重要な下りを削除していると指摘しています。

このように、いくつかの例をあげただけでも「お尋ね」文書は、不正確な引用、もしくはすりかえと誤解され得る引用にもとづいて作成されているもので、メディスンさん仰る所の「このくらいの聞き間違いは有り得る」とは、とても思えないほどの「ある意図」による改竄が行われたと考える方が自然だと思います。

続きます。



67 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:26
そして、学会側は、宗門側が上記の重要な文章を何故削除したか? その他にも「名誉会長の親鸞を賛嘆」の件に付いての出所等を伺っておりますが、それに対する明確な回答は出しておりません。

いづれにしても、単なるイージーミスによる聞き間違えで等では無く「ある思惑に向かわせる為」の意図的改竄である事は濃厚であり、若葉マークさんが「学会の方から問題を起こした」と考えるよりは、「ある思惑のため」宗門から「言い掛かり」を付け、この時点において「ある決心を既に固めていた」学会がその件に乗じて自体を推移させたと見ています。

>確かに5座3座の勤行の数などの細かな化義の変化はあるものの、弘安2年の大御本尊に対する信仰、そして他宗排斥の教義であるほう法厳戒という主骨となる部分はまったく変わっていません。

逆に学会は上記の教義に対し当初から現在までその教義は正宗と全く同一のものと感じられます。
したがって、宗門から邪教と認識され得る論理的根拠は見当たりません。

>学会が正宗の厳格でない部分によって反発したとはどう考えても思えない。実際私の見たお寺は厳格そのものです。

教義の根幹に関わる厳格さは、宗門・学会どちらも同じであり、学会はその点に対し「教義上の異議」を唱えたと言っているのではありません。
学会が宗門の厳格さに対し反発した点は、日蓮仏法の教義に存在しない「信徒に対しての法主絶対主義」に対する反発であり、メディスンさんも仰っているように、宗門自体も過去の歴史において行ってきた「化義的教義の変遷」に対する独占性をまるで「絶対的教義の根幹」であるかのごとく「厳格・神格化して」学会に対し押し付けた事が原因だと思われます。

続きます。


68 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:27

>お寺に行った時ですが、お賽銭をと思って袋にお札を入れて渡すと信徒でない者からの供養はほう法からの供養となるので受けられないと、突き返されたのですよ?確かに天台宗や小乗教も厳格なのでしょうが、私が知る京都、奈良のお寺では賽銭をうけとらないなんて事はまず有り得ません。

それは布施行に対する教義上の認識の違いであり、沢山の宗教の中には「妻帯」「飲酒」「肉食」などを禁止しているものもあり、当然それらの教義を信じている人々は、お酒や肉食を勧めても断るであろうと思います。
ですから、ある一点(布施)のみを持って、厳格かそうでないかを論じる論証には残念ながらなり得ません。


>>宗旨建立以来750年、この本尊に対する権限は血脈ゆえに歴代の法主にあり、正宗の方針、教義に関するいっさいの権能を託されています。
>>そんな文献は、日蓮直筆の書簡の何処にも記されておらず、
>あります。弘安5年の日蓮一期弘法附属書
>「日蓮一期の弘法、白蓮阿梨日興に之を附属す。本門弘通の大導師たるべきなり。(略)血脈の次第日蓮日興これは日興上人に対しての血脈付属書ですが

申し訳ありませんが、これは他の日蓮宗の文献的教義解釈からは「偽書」扱いされている物です。
また、これを仮に日蓮直筆の書簡としても、この内容は日興上人一人対しての血脈付属書であり、日目上人以降の歴代法主が三宝にあたるとしての記述はどこにもありません。

続きます。



69 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:28

>その日興上人が日目上人に血脈相承され「日興跡条々事」を残され、それが代々続いている以上 血脈と附属というものは、厳然と存在しているのです。

「日興跡条々事」を出されるのであれば、もう既に日蓮直筆の文献ではないので、私は、日寛上人の

「僧宝とは唯授一人の血脈相承である」

と言う文献にて反証させていただきます。
ここには、明確に「唯授一人」と言う一文が残されておりますが?

また、現法主日顕氏自身も、昭和58年3月31日、第4回非教師指導会の席上

「歴代法主は僧宝以下の立場である」と述べられておりますが?

日達上人も

「三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である」

と明確に日興上人とそれ以降の法主との立場の違いを述べられていますが?

メディスンさんのご存知の文献で結構ですので、上記の文献を否定し日目上人以降の法主が「僧宝」である文献的証拠を挙げてください。

続きます。



70 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:28

つまり、学会が宗門に対して異議を唱えているのは血脈の附属に関する行為は、あくまで日目上人以降は「座主」としての立場であり、それを「絶対的教義の根幹」であるかのごとく「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体」であるから「戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人は不二である」と「一体化」してしまうと、歴史上の流れにおいても、文献的教義解釈においても問題があるのではないか?
と問題提起しているのです。

この様に、第三者的に見れば以上の文面を見ても、必ずしも創価学会が無茶苦茶な論理で宗門を非難したのではない事が分かります。
ただ、この様な、やり取りを一般信徒の機関紙や会合の席で大々的にやれば、事の是非は別にしても宗門としては、面目丸つぶれでしょう・・・私はその点に、学会のやり方に「和解」する意図が最初から無いような気がします。
まあ当然ですが、この様な事を一信徒(創価学会)が申し立てれば宗門として示しが付かなくなるでしょうね・・・
当然「破門」です

続きます。



71 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:29

>法主の侮蔑以外にも学会は破門までにたくさんの教義逸脱を行ってきています。代表的なものでは
>1、御本尊は幸福製造機
>2、先生と自分との関係を忘れない信心こそ功徳がある。
>3、大宇宙の生命リズムと小宇宙である自分が合致するために唱題する。
>4、人間革命は現代の御書、会長に帰命する、寺院は単なる儀式法要の場、などの指導を行った有名な昭和52年路線。のちに指導されて謝罪。
>5、本尊模刻事件 (昭和48年頃より池田会長個人に下付された紙幅本尊やお守り本尊を創価学会が無断で7体も板本尊に模刻し
学会会館で会員に拝ませていた。これは大問題となり、ただちに総本山に納められた。このことは学会も公式な場で謝罪している。)

1、3、に関して

宗門は「日蓮正宗要義」のなかで、

「一念三千とは本仏の悟りと活動に名づけるのである。宇宙間の一切の現象と実在を直観によって通暁され、混沌より万象に至る事理を了解し、一切の分立と統合の原点となる不思議な法を覚知されたのである。それは存在の本質であり、しかも一切に通じ遍満する普遍的な法であり、大霊であった。つまり宇宙が混沌の時代においても、また天地開闢以来森羅の差別相にあっても一貫して存在する法理、即ちまたその間のあらゆる事象、あるいは星雲の凝縮と発熱の相より、十界十如三世間の歴々たるまでの、すべてを具える不思議の大生命体である。これを聖人は妙法蓮華経と名づけられた」

と、「宇宙」やら「星雲」やら「大生命体」など、
およそ日蓮直筆の文献から出てきそうも無い比喩的例えで「妙法蓮華経」を表現されていますが、その表現と1、3、の学会の表現の具体的な文献的教義解釈の違いはどこにありますか?
私には全く同じような比喩にしか見えません。

続きます。



72 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:30

2、に関しては「信心こそ」とは言っていますが「信心のみ」とは言っていません。
「こそ」は文法的には「これとかかわりをもつ文末活用語」であり、「のみ」は「唯一のものとして指示強調する」ものです。
創価学会(池田氏)との「かかわりをもつ」事により「功徳がある」と述べた事は、日達上人が創価学会に対し
「創価学会は仏意仏勅の団体であり、あなた(池田氏)のその死身弘法の決意、学会の猛折伏の精神は崇高であり、感激です」

と述べたくだりを見ても「かかわりをもって」信仰する事に何の問題があるのでしょう?

4、5、に関しては謝罪しているのでその時点で問題は無いのではないのですか?(本当は謝りたくなかったのでしょうが・・・下記の理由で)

>法主の権能である本尊謹刻を信徒が無断でやるなどというのは宗史上初めての大問題

これは、日蓮正宗のみの情報しか知らされていなければ無理もありません。
しかし、日蓮正宗の歴史を見るとそんなに純粋潔癖なものでは無いと考えます。
本尊謹刻自体にしても、既に日蓮在世の時から他の弟子達に模写させていた事実があり、交通事情の不便な鎌倉時代に一々日蓮自らが日本中に本尊を書写する事自体に物理的無理があります。
現代でも、日蓮正宗・創価学会の御本尊は「印刷物」であり、科学的に見て何も違いはありません。
印刷所から直接末寺に御本尊が輸送されていたのは事実であり、本山で何か特別な「入仏儀式」があった訳ではありません。
また、末寺で行われた「受戒の儀」も日蓮直伝の儀式ではないのです。
その他、あらゆる歴史上の流れから考えても、日蓮正宗の述べる「純粋潔癖主義が維持出来ない」と見るのが第三者的に見る私の歴史観です。
67代にもわたって純粋に宗門が述べるところの「血脈」が受け継がれてきた事には、歴史上幾つもの矛盾があります。
大体「江戸時代」の「将軍」でさえ単純な「血統的親子」としての後継ぎさえ維持出来なかったではありませんか?それが「秘伝の奥義」なるものを伝授するに値する人間が67代間違えなく続くと考える方が、非論理的だと考えます。
それとも、メディスンさんは67代全ての「血脈」の「秘伝の奥義」が伝えられた文献的証拠でもお持ちですか?
その様なある意味「いい加減」な歴史を知ってしまった創価学会が「自分でも出来る」と思っても、私のような第三者から見れば全然変な事ではないのです。
現実主義の創価学会に対し神秘主義の日蓮正宗とでも申しておきます。

続きます。


73 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:31

>僧侶を学会本部に呼び付けつるしあげたり、学会幹部が本山で所化さんにタバコを買いにいかせたり、法主と会長が並びの席じゃないといって式典を幹部全員が途中退出したり、学会の増上慢はひどくなる一方でした。

その辺りは、学会側も全く逆の論証を持っておりますので、水掛け論になると思います。
そして、私はどちらの側の主張の場にも居合わせた事がありません。
私は、その点に付いては、その人間性に問題があると考えております。

>もちろんそのような学会の驕慢、教義逸脱を指導しきれなかったのは正宗の責任ですが 度重なる、逸脱の繰り返しそして、ついには最後のとどめとなったあのスピーチ。そしてそれに対するお尋ねの返答の反省のなさなどからこのままでは、宗門の教義が大きく歪められてしまうという危機によって破門されたのです。

「度重なる、逸脱の繰り返し」は学会としては「逸脱」と認識していなかったのでしょう、ですから度重なって行われたと思います。
ただ、学会としては、表向き、穏便に済ませるため「謝罪」した事実はあったのだと思います。
「お尋ねの返答の反省のなさ」は、学会が「ある決心を既に固めていた」との既定事実から確信的に行われたと考えます。
ただ「宗門の教義が大きく歪められてしまうという危機」に関して言えば、今まで述べたように第三者的に見て日蓮正宗自体の教義を大きく歪めてしまうとは思えません。
逆に日蓮教学的(他の日蓮宗)に見れば、どちらも日蓮仏法を自分の都合で歪めているに過ぎないと考えます。

続きます。


74 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:31

>学会は金のなる木です。普通に考えて正宗が学会を破門してどんな徳をするのでしょう?そこまでしても守るべきものがあったと考えるのが普通じゃないですか?

その金のなる木を「宗門に付かないと御本尊を下付しないぞ!」と脅して「独り占めしよう」としたと見るのが学会の立場のようです。
少なくとも、私の立場からしてみれば宗門問題の原因が「双方上層部の問題」であるにも関わらず、一般信徒の「御本尊下付停止」や「本山登山禁止」と言う「信仰の根幹」を武器にしたのは、宗門側であり、宗教者としては懐疑的に見ざる得ません。
何も宗門に対し誹謗していない一般信者に対して行った(少なくともその様な学会員は私の周りにもいました)「御本尊下付停止」や「本山登山禁止」の行動が、宗教家として「守るべきもの」以上のものであったとすれば、もうそれは「信仰者を救う宗教」として、すでに本末転倒していると思います。

>その後の宗門対学会の問題を、人格攻撃しあう同レベルの紛争とみんな見てらっしゃるようですがそれは大きな間違いです。(中略 )攻撃というより身を守るためであり、誹謗への反論という形で始まったものにすぎません。

メディスンさんは、この部分でかなり創価学会の「攻撃的」「反社会的」例証を数々挙げていらっしゃいますが、メディスンさんから見ると「創価学会のみ」がその様にされていると感じられますが、第三者的・客観的に見ますと、正に日蓮正宗の信徒団体特有の過激性であると感じられます。
刑事事件にまで発展した日蓮正宗系の他の信徒団体(ここではあえて名前は出しません)は他にもあります。
何も創価学会のみに限った事ではないのです。
逆にメディスンさんが一生懸命弁護されている日蓮正宗自体の教義的体質そのものに「過激性」「攻撃性」「反社会性」があるのではないでしょうか?
ここに、日蓮宗の中でも正宗が「特異的な位置付け」とされている原因があると思います。

最後に


75 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:32

私はメディスンさんの御意見に対し反証する形でこの様に述べましたが、これは私の私見でありメディスンさんの人格否定では絶対ありません。
その辺りの所を何卒ご理解ください。
私のスタンスは、いつも「絶対的に何々である」と結論付けることに対し「逆にこの様にも見られるのではないか?」と懐疑的問題提起をしているのであり、メディスンさんと逆のご意見の方(ZEGAさんなど)にも同じようなスタンスで反証します。(ただ、ZEGAさんは現在、私が問題提起を起すまでもなく皆さんが「結構厳しいご質問」をされているのでご遠慮していますが・・・・)

私にとっては、日蓮正宗も創価学会も独自の教義を持った日蓮宗の一派であり、それは、どちらかを是とする立場ではなく、仏教における日蓮仏法の特徴的団体の一つとして検証しているだけです。
むしろ私は、世界宗教における仏教の特異性を考える事によって、より一層宗教自体が本質的に持っている「慈悲の心」を検証できたらと願う「二乗」の心をもった愚者にしか過ぎません。

以上です

長文及び讒言申し訳ありませんでした。



76 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:33

ひゃっきまるさん

>文底さんは、非常に詳しく検証されていることや、信徒自身でないと分からないであろう微妙な感情の動きなど、本当によく理解されていると感心します。元信徒ではないかと疑うほどです。

私の知人に法華講の方と創価学会の方がいらっしゃって、私自身しっかり「折伏」されました。
どちらの方も強信者であり、祈りに対する「体験的現象」も数多く教えていただきました。
また、宗教的教義解釈論も無知の私には反証するには難しく、どちらも繰り返し仰っていた「僧俗一致は世界にも類の無い宗教だ」という言葉も斬新でした。

ですが・・・その時、例の宗門問題が起こったのです。

今まで、同じ宗派の信徒であった者同士が、まるで人が変わったかのように、相手の宗教を一方的に非難する姿を見て・・・・ましてそれが尊敬している人間であったので一層ショックでした・・・
現在の私の懐疑的スタンスは、この辺りが原点になっているかも知れません。

>僕が2chでこのような議論をしていることの理由に、「匿名」でいたいということがあるのです(中略)僕がこういう考えを持っていることを知られることも避けたいです。

ひゃっきまるさんのお立場は理解いたしました。
此処での論議も盛んになって来たようなので、私も、もう少しここで様子を見ます。



77 名前: 文底 投稿日: 2000/06/12(月) 16:34

第7の外道さん

>学会は今でも一応大石寺にある曼荼羅を「本尊」と認めているのでしょうか? 自分たちの用いる紙の曼荼羅は、大石寺の「楠の板曼荼羅」の写しである、という位置付けが今でもあるのでしょうか?だとすれば、大石寺の法主に代わって曼荼羅を信者に下布し、それに有効性を与える「権限」を、学会はどう正当化しているのでしょうか?

私の完全に私見ですが・・・・
学会は一応大石寺にある曼荼羅を「本門の本尊」と認めています。
しかし、日蓮正宗の位置付けとは若干違うように感じます。
正宗は、大石寺にある曼荼羅を「本尊」=「日蓮」=「仏」と同義で「物質的にも絶対的」です。
学会は弘安2年に顕された本尊の体形(曼荼羅の書式等)そのものが「本尊」=「日蓮」と同義にしているようです。
この考えは、初期の学会の頃からあったと推察されます。(正宗は薄々最初から感じていたのでしょうね・・・)
そうでなければ、単なる印刷物を「楠の板曼荼羅」の写しとしては、理解できなかったでしょう。
また、学会は曼荼羅その物の物体的絶対性よりも「日蓮」自身の振る舞いに「血脈」があると定義して、学会活動そのものに日蓮仏法の「本意」があると解釈しています。
つまり、正しい振る舞いにおける上での、弘安2年に顕された本尊の体形(曼荼羅の書式等)を書写した物であればそれは「本尊」であると言う事です。
逆に日蓮直筆の「本尊」を持っていても、正しい振る舞い(創価学会的定義では仏意仏勅となるが・・)をしなければ「それは本尊ではない」と定義付けます。
ですから、現在の創価学会の教義において「大石寺の法主」は、御本尊に何かの有効性を与える「権限」を持つ人間とは見ていません。
事の推移を見るにつけ、学会は最初から「法主と御本尊を繋ぐ為の神秘性など無い」と言う事を、昔からの宗門を見て知っていたのでしょう。


78 名前: 文底さん< 投稿日: 2000/06/12(月) 16:43
すごいですねぇ、いっぱいべんきょうされてますねぇ。

理解されているかもしれませんが、
「血脈」っていうのは、正しい信仰が行き渡っている様を
表したものなのですよ。
ですから、本来、伝承などの儀式があったかどうかという
ことは、枝葉末節のお話なのです。化義ってことね。

そうでなければ日蓮大聖人が釈迦の流れを汲むというような「表現」
などすら、成り立たなくなってしまいますからね。



79 名前: 文底さん< 投稿日: 2000/06/12(月) 17:59
>より一層宗教自体が本質的に持っている「慈悲の心」を検証できたら
と願う「二乗」の心をもった愚者にしか過ぎません。

謙虚な方ですねぇ。すばらしい!
できれば、「慈悲の心」を検証(文上)するだけではなくて、
持ち行動できるよう(文底)にがんばりましょうよ。


80 名前: 文底様< 投稿日: 2000/06/12(月) 18:13
>相手の宗教を一方的に非難
お気持ちお察しします。

難しい問題だと思いますが、
やはり、外堀をいくら調べたところで解決は出来ないのではないですか?
その人どんな想いで「非難」ととれる行動をとったのかなんて、
文献からは解りませんよ。



81 名前: 文底様< 投稿日: 2000/06/12(月) 18:18
こういった長文をしっかりと書くのもたいへんでしょうに。
その事自体も慈悲の現れだ。

まあ、この辺のスレッドをあれこれご覧なさいな。
学会がこんなに根拠も無しに中傷誹謗されて。
少なくとも、宗門と学会が一緒だった頃は、我慢していたのは
学会の方なのだし、情報が行き渡らず誤った情報に流されて
しまうことも有るだろうし・・


82 名前: 1<差し入れ 投稿日: 2000/06/12(月) 19:02
(入れるところ間違えた〜^^;)

>あれは釈迦が語ったものでは全然ないし、
>その時点で、彼の立論のかなり多くが崩れてしまうと思う。

釈迦が語ったかどうかが重要なのではなくて、
その中身がどうかが大事なのではないでしょうか?

「大乗経典にこう書いてあった」というのを、もっと、信者などに
わかりやすくするため、
「釈迦が言った」という表現でも差し支えはないと思います。
当時の人々が、「大乗経典に書いてあること」=「釈迦の言ったこと」
と捉えていたならば、そう書いた方がわかりやすいでしょう?

時代背景を研究されてみてはいかがでしょう?



83 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/12(月) 19:08
>小川さん
>ではあなたはどの宗教がよいとお考えですか?

 まず宗教の定義というのも難しいです。そこから考えなければなりませんが、僕は、何か神秘的存在(現象)を信じるとかが宗教の全てではないと思っています。実際、歴史的釈迦が説いたものは、現代から見れば哲学としかいえないものであったのではないかと思っています。
 そして、必ずしも宗教がなければ人は生きていけない(幸せになれない)とは考えていません。

>名無しさん@一周年さん
>まず、あなたが命を掛けて信ずるに値するものが、この世にあるかどうかを探ることが先決ではないですか?

 そういったものがあるとは思いますが、それが創価学会のような特定の団体だとか、特定の人物だとは全く思いません。「我が宗教が唯一」という主張は、どの宗教でも叫ばれているし、それぞれでまた、「理屈や証拠ではない、生活の中で発見されるもの」という主張をしているでしょう。あなたが創価学会が唯一であると思う理由はなんですか? それは、他の宗教団体に比べて、特別優れた判断基準なのでしょうか?
 「文証、理証、実証」という言葉がありますが、日蓮大聖人は実証のみが大事で、あとは意味がない、とは言いませんでした。むしろ、他人を説得させるためには文証や理証を用いたし、法論も積極的に挑んでいます。

 38にまとめたものは、単にカキコ群の内容をひとくくりにした題名をつけただけで、その題名が不適当というなら変えてもかまわないものです。ですから、もし反論があるのでしたら、旧「日蓮って」スレッドで読んでから、その内容に対して反論していただけませんか。


84 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/13(火) 00:57
どうもです。私宛てにレスを書いてくださっている複数の「名無しさん@1周年」さん&「1<差し入れ 」さんはどこまでが同一人物なのか分かりませんので、一応別人扱いさせていただきます。

57さん

>「疑え」というのは、真実を見極めるための手段であって、
>ひとたび見極めたなら疑わず信じなさいよということでっしゃろ?

そのことと、1にある「信仰至上主義的姿勢」とは別ものです。誤解を招きましたか?

61さん

おっしゃることの後半は納得できます。ただ

>「法華経(という法)を信じ題目を唱えればいかなる人も成仏可能」
>ということが、「日蓮に帰依」「日興の系統に帰依」するということです。

というところは今一つ理解できません。どうしてそういう命題が成り立つのでしょうか? またご説明くだされば幸いです。

続きます。




85 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/13(火) 00:57
82さん

>釈迦が語ったかどうかが重要なのではなくて、
>その中身がどうかが大事なのではないでしょうか?

勿論です。その中身についての私の暫定的な意見は、旧「日蓮って」や
http://nagoya.cool.ne.jp/a_killer/gedou/g7Index.html
に書かせていだきました。若干、その内容に自分でも不満を感じつつありますが。
もしよろしければ、ここで議論しませんか? その際は、学会に対する現在のお立場をはっきりしてくださると助かります。

>「大乗経典にこう書いてあった」というのを、もっと、信者などに
>わかりやすくするため、
>「釈迦が言った」という表現でも差し支えはないと思います。
>当時の人々が、「大乗経典に書いてあること」=「釈迦の言ったこと」
>と捉えていたならば、そう書いた方がわかりやすいでしょう?

歴史的事実としてはそういうことだった、というのはよく承知しています(というか、現代人の大乗経典についての「常識」は、そういうものでしょう)。しかしその考え方を真とするなら、日蓮の思想は丸ごとその正当性を失う「恐れ」があります。実際に成仏を果たしている釈迦が、実際にああした法華経を説いた、ということを信じるところから日蓮仏教の体系は成り立つと思います。勿論「内容」重視で法華経把握をすることは十分可能で、むしろ法華経の内容を象徴的にとらえることは私自身としてもあるべきアプローチであると思うのですが、その立場を厳格に貫けば、日蓮の宗教的思想や実践についても現代人が字義通り受け入れることは難しくなります。そうなると、日蓮への「共感」ならまだしも、日蓮に「帰依」することは限りなく「妄想」に近いものになってしまうと思われるのです。

>時代背景を研究されてみてはいかがでしょう?

ご忠告ありがとうございます。今後も精進は続けます。




86 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/13(火) 00:58
真に恐れ入りました。
もはや言葉がありません。


87 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/13(火) 01:21
ところで、これは独り言みたいなものですが、

62
>検証しようと言う姿勢だけでは、疑いしか残らないでしょう。
>時間の浪費です。既に思考の迷路に入っているのではないですか?

57
>疑い深い人があれこれ疑ったって疑ったままで終わってしまっては
>何も得られないということですね。

といった発言が登場していますが、発言されている方は創価学会の方なのでしょうか? 私の経験では、信仰は持っているがどちらかというと「心の狭い」方にこの種の発言が多いようです。どうも信仰を持っていない者は疑いに明け暮れ、心貧しいという一種の偏見がそこにはあるようです。57・62さんがそういう偏見をお持ちなのかどうか、これだけでは判断しかねる所もありますが。

また78〜81のレスには、文底さんをちゃかしているように感じさせる文言が散見されます。
そのつもりがあってなさっているのであれば是非止めていただきたいし、そのつもりがないのであれば、発言の仕方にはお気をつけになったほうがよいかと思います。かなり下品なものに見えてしまいます。横から僭越ですが。



88 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/13(火) 10:07
文底さん、丁寧なレスありがとうございました。
心配なさらずとも人格攻撃とはまったく思っていませんので安心して下さい。私はもともと文底さんのファンでこのスレッドにちょこちょこ参加させていただいていた者ですから、文底さんの誠実な議論の展開や問題提議の姿勢は理解しているつもりです。
それに私自身、正宗の信徒でもないですし、毎日2,3時間かけてここまでお寺を擁護している自分に笑えてきます。
しかしこの件に関しては1年がかりの付き合いでしたし、私が調べこの眼で見てきた私なりの「真実」があるのでそれが正しいのか間違っているのか、はっきりさせたいのです。私はお寺に義をたててかばいだてしているわけではなく、「真実」に対して義をたてている事をご理解下さい。
それは、きっと文低さんも同じだと信じています。


>「日興跡条々事」を出されるのであれば、もう既に日蓮直筆の文献ではないので、私は、日寛上人の 「僧宝とは唯授一人の血脈相承である」
と言う文献にて反証させていただきます。 ここには、明確に「唯授一人」と言う一文が残されておりますが?


唯授一人の血脈相承とは、「代々相伝はたった一人に伝えられていく」という意味の正宗独特の言い回しです。一般の方にはわかりにくいでしょう。学会に古くからいる方なら誰でも知っているような事です。


>また、現法主日顕氏自身も、昭和58年3月31日、第4回非教師指導会の席上 「歴代法主は僧宝以下の立場である」と述べられておりますが?


それは自らを謙遜して言っただけでしょう。

>日達上人も 「三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対して日目上人は座主である」 と明確に日興上人とそれ以降の法主との立場の違いを述べられていますが?

もちろん、日興上人と歴代法主の立場は全然違います。ここがややこしいのですが「化導」の宝僧は日興上人一人ですが、「伝持」の上の宝僧には歴代の法主も入るのです。

日寛上人の「当家三衣抄」にも「南無僧とは南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無いちえん浮提座主、伝法
日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師」とあります。
日蓮上人も「四恩抄」に「仏宝、法宝は必ず僧によりて住す」と書いています。


続きます。



89 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/13(火) 10:15
文底を低と打ってしまったようです。大変失礼いたしました。

>つまり、学会が宗門に対して異議を唱えているのは血脈の附属に関する行為は、あくまで日目上人以降は「座主」としての立場であり、それを「絶対的教義の根幹」であるかのごとく「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体」であるから「戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人は不二である」と「一体化」してしまうと、歴史上の流れにおいても、文献的教義解釈においても問題があるのではないか?
と問題提起しているのです。

これは、日顕上人が突然言い出した事ではありません。正宗には昔からある教義です。文献はたくさんありすぎて書ききれないくらいです。
「本因妙抄」にも「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承のほん承唯授一人の血脈なり」とかなり古い加筆があり、
日蓮の「御本尊七箇相承」にも「代々の聖人ことごとく日蓮なり」とあり、日寛上人もこの文の注釈を「日蓮在御判と嫡嫡代々と書くべしとの給う事如何。師の曰く、深秘なり、代々の聖人ことごとく日蓮なり」と書いています。
56世日応上人も「たとえ広布の日といえども別付血脈相承なるものは他に披見せしむ可きものに非ず」 (研教27)「弁惑観心抄」にも「この金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝うるものなり。これを真の唯授一人と云う」とあります。その他にもたくさんありますよ。
池田さん自体もかつては「広布と人生を語る」の中で「以来七百星霜、法灯連綿としてほう法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡嫡の御歴代の御法主上人によって伝持せられてまいりました」
「日蓮正宗における根本は唯授一人の血脈である。血脈相承の御法主に隋順していくことこそ僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。」と書いています。この頃は、なぜ問題提起しなかったんですかね。

ようするに血脈というのは、日顕の考え出した法主絶対主義でもなんでもなく日蓮正宗の教義そのもなのです。これを否定するという事はもう日蓮正宗の信徒ではないのです。問題提起どころの騒ぎじゃありません。

続きます。


90 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/13(火) 10:20
>ZEGAさん、その他創価学会の方々

 歴史的見解について、確認をとらせてもらってもよろしいでしょうか。創価学会の公式の見解では、

1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである
2・法華経は(歴史的)釈迦の本意である教えである
3・ 日蓮大聖人は法華経に予言された仏であり、唯一法華経を真に理解している
4・ 日蓮大聖人の弟子の中では日興上人が唯一正統な後継者である
5・今では日蓮正宗は堕落してしまったので、創価学会が唯一の正しい団体である

 ということになると思いますが、僕の考えでは、1〜5の考えは全てNOとなります。 ZEGAさん、その他創価学会の方々は、全てYESとなる見解をお持ちでしょうか? 文面に問題があるかもしれないので、その点についても注意して下さると有り難いです。
 これはあくまで立場の確認のためで、これを直接に議論のネタにしようとするものではありません。


91 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/13(火) 11:06
>これは、日蓮正宗のみの情報しか知らされていなければ無理もありません。
しかし、日蓮正宗の歴史を見るとそんなに純粋潔癖なものでは無いと考えます。
本尊謹刻自体にしても、既に日蓮在世の時から他の弟子達に模写させていた事実があり、交通事情の不便な鎌倉時代に一々日蓮自らが日本中に本尊を書写する事自体に物理的無理があります。

もちろんそうです。ただし、必ず法主の許可を得てやっていた事です。学会のように無許可ではありません。それから
>法主の権能である本尊謹刻を信徒が無断でやるなどというのは宗史上初めての大問題 と書きましたが日興上人の時代に日蓮の他の門下の者が日蓮直筆の本尊を勝手に板に刻むという事件はありました。これについて日興上人は「富士一跡門徒存知事」に「御筆の本尊をもって形木に刻み不信の輩に授与して軽賎する由・諸方にこれ聞こえあり」と書いています。
また第59世日亨上人は「有師化儀抄註解」に「授与する人は金口相承の法主に限る」と言っています。


>現代でも、日蓮正宗・創価学会の御本尊は「印刷物」であり、科学的に見て何も違いはありません。
印刷所から直接末寺に御本尊が輸送されていたのは事実であり、本山で何か特別な「入仏儀式」があった訳ではありません。
また、末寺で行われた「受戒の儀」も日蓮直伝の儀式ではないのです。

本山では本尊の開眼供養は必ず行われいるようです。しかし見たわけじゃありませんので事実かどうか知りません。印刷所から輸送云々は文底さんはごらんになったのですか?そうでないならなぜ学会の言う事のみを信じるのでしょう?私はこの問題に関してはどうも文底さんは学会の方の
資料をことさら多く信じられているのを感じるのです。気のせいでしょうか?
受戒の儀式云々にしたって前に彼の家にきた学会員の人が必ず言う事でしたが。受戒の儀は日蓮の頃からありました。その頃は「授職藻頂」と呼ばれています。「得受職人功徳法門」に「釈迦すでに妙法の智水をもって日蓮の頂にそそいで口決せしめ給う。日蓮又日浄に受職せしむ」とあります。

続きます。


92 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/13(火) 11:36
>「日蓮一期の弘法、白蓮阿梨日興に之を附属す。本門弘通の大導師たるべきなり。(略)血脈の次第日蓮日興これは日興上人に対しての血脈付属書ですが 、申し訳ありませんが、これは他の日蓮宗の文献的教義解釈からは「偽書」扱いされている物です。

あたりまえです。この書を認めたら日蓮宗の存在を否定する事になるからです。

>このように、いくつかの例をあげただけでも「お尋ね」文書は、不正確な引用、もしくはすりかえと誤解され得る引用にもとづいて作成されているもので、メディスンさん仰る所の「このくらいの聞き間違いは有り得る」とは、とても思えないほどの「ある意図」による改竄が行われたと考える方が自然だと思います。

なぜでしょう?そう考えるほうが私にははなはだ不自然です。いくら聞き間違いがあってもスピーチの大筋にわたってまで聞き間違えるわけもないし、内容的に宗門批判が行われていた事は否めないでしょう。それより「ある意図」とか考え出すほうが不自然だと思います。もちろんもういいかげん学会の逸脱や批判はピークだったのでしょうが。

>それが「秘伝の奥義」なるものを伝授するに値する人間が67代間違えなく続くと考える方が、非論理的だと考えます。
それとも、メディスンさんは67代全ての「血脈」の「秘伝の奥義」が伝えられた文献的証拠でもお持ちですか?

そんな証拠は必要ありません。なぜならそれが宗教だからです。血脈という教義があり、代々の法主が法の権能を持つというのが教義なのだから仕方ありません。それが科学的でもないし信じてもいないから私と文底さんは信徒ではありません。ただそれだけの事です。
しかし信徒団体がその宗門の教義(血脈は教義ですし、法主罵倒は正宗ではほう法です。)に難癖をつけ攻撃するというのは私にははなはだ筋が通らないように見えるのです。気に入らないならその信仰を辞めればいいのです。

続きます。


93 名前: 文底さん<N 投稿日: 2000/06/13(火) 11:45
レスへのレスです。対話がしたいので、私からは自分なりの感じ方を
話したいです。
議論の主流とは外れていると思いますが、
他人がどのように感じているかを知ることが、
とても大切なように思います。
周りの人が、貴方を茶化しているようにみえると行っていましたが、
そのような積もりはありません。非礼があったならお詫びします。

Nと名乗ります。

お互いに交換することで新しい発見が有るものとおもいます。
私はそれを期待します。

>疑いに明け暮れ、心貧しいという一種の偏見がある。

私は偏見で見ているのではなくて、
そうやって疑問がふえていって、信ずることに踏み込めない
のは、心が狭いとかそういうことではなくて
何か大事なものを見落としているのではないかと、おもうのです。

例えば、泳ぎを憶えるのに、水の掻きかたや、浮力の計算などを
一生懸命勉強しても、本人が本当に泳げるのかなどは分からない。

実際に水の中には行って体を浮かせてみれば、解ること。

これを、難しい言葉で言えば、「実証」が大事、「理論も文献も」必要
ということですよね。

泳ごうとしない子どもに泳ぎを教えようとして、その理論を勉強
している子どもを見たときの気持ちって解りますか?

学会が信仰を勧める時の気持ちによく似ていますよ。



94 名前: <N 投稿日: 2000/06/13(火) 12:02
>>「法華経(という法)を信じ題目を唱えればいかなる人も成仏可能」
>>ということが、「日蓮に帰依」「日興の系統に帰依」するということです。

>というところは今一つ理解できません。
>どうしてそういう命題が成り立つのでしょうか?
>またご説明くだされば幸いです。

「どんな人でもこの正しい法に帰依するならば、
それは、日蓮が門下でありますよ」

という事で、何か団体に入らなければ幸せになれないとか、
自分達の宗教だけが正しいという偏狭な考えではないと
いうことです。

それを、大聖人や池田名誉会長が言ったことを代弁して、
学会の幹部などがいうと、すぐに「偏狭な宗教」などという
誤解を招いているから、舌足らずに見えるけれども、
含んだ意味を理解してもらいたいなとおもったのです。




95 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/13(火) 12:04
第7の外道さん、みなさん、おひさしぶりです。

さてさて >Nさん

たまに泳ぐのは楽しいことですよね。

ところで、
あるスイミングスクールがあったとします。
そこでは、確かに実際の水泳を教えてくれます。
しかし、そのスイミングスクールの会則に
「いったん入会した以上、水からあがった奴は地獄に堕ちる」
という条文がたくさんあるとしたら・・・

僕は、他のスイミングスクールがいいなあ。





96 名前: 第7の外道さん<N 投稿日: 2000/06/13(火) 12:17
>勿論です。その中身についての私の暫定的な意見は、旧「日蓮って」や
http://nagoya.cool.ne.jp/a_killer/gedou/g7Index.html
>に書かせていだきました。若干、その内容に自分でも不満を感
>じつつありますが。

どういう風になれば満足なのですか?
どういった点が不満なのですか?
具体的でなくてもよいのでよろしかったらお聞かせ下さい。

よりましたが、使い方がよく分からないので戻ってきてしまいました。(^^;)


97 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/13(火) 12:26
続きです。

そして日蓮上人の御書根本にまったく別の正しい日蓮仏法教団を作り、本尊も「大聖人直結」である池田会長が書写すればいいのです。最近の学会は「もはや御本尊はどれも同じ」という指導になっているのですから簡単な事でしょう。僧侶はいらないというならそこまでするのが筋です。
なぜ出来ないのか?実はここのところにツボがあると思います。
それは先程文底さんが偽書と断罪した「相伝書」にも関係します。相伝書こそが正宗と他の日蓮教団を明確に分けているところなのです。だからこのことは学会は今のところ絶対否定できないのです。日蓮宗の本尊も使えないし、書写も出来ないのです。
正宗では、御書の読み方も相伝によって他の日蓮教団とはまったく違います。学会の御書解釈も大半は相伝にもとづく正宗の解釈です。ですから相伝も血脈も大切な教義のうちなのです。破門前に本尊模刻をやったのは文底さんの言うように謝ってすむ問題では全然なく、そのくらい本尊と血脈への軽視があるという事。しかしこれはあの時点では池田さんや幹部だけであり、他の信者は違います。
だから破門したのは信徒ではなく平成9年までは、創価学会という組織に対してのみでした。学会さえ辞めれば信徒はいつだって本山に行けたし
本尊も下付してもらえたので、慈悲のないひどい措置とは思えません。

おっしゃる通りある意味両者は決裂するのは必至だったでしょう。でも学会(池田)は教義云々じゃなくようするに好き勝手やりたかったのです。しかし「せいせいした!」とも言ってられない。学会には根本の大本尊も相伝書もありません。信徒が宗門に戻らぬよう正当化しないといけなかった。だからまず法主を人格攻撃し、血脈を否定し、伝統を否定し、最近は大御本尊まで否定しつつあるわけです。少しづつ少しづつ違和感のないように学会教に転向するためです。ようするに池田さん自体にはもう信仰はないのです。

これは正宗のほうの情報だけで言ってるんじゃありません。学会の昔の指導書から現在のものまで順番に読んでいってもその事がわかります。昭和26年くらいの本や新聞から順番に見て行って下さい。それだけで、はっきり見えてくるものがあるはずです。




98 名前: 通りすがりさん<N 投稿日: 2000/06/13(火) 16:11
>そこでは、確かに実際の水泳を教えてくれます。
>しかし、そのスイミングスクールの会則に
>「いったん入会した以上、水からあがった奴は地獄に堕ちる」
>という条文がたくさんあるとしたら・・・

例えの意味を理解されていないみたいですね。
心情をわかりやすく説明しただけなのに。


99 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:03

メディスンさん

>心配なさらずとも人格攻撃とはまったく思っていませんので安心して下さい。

御心遣いありがとうございます。

>「真実」に対して義をたてている事をご理解下さい。
>それは、きっと文低さんも同じだと信じています。

全くその通りです。
私も創価学会の代表者では別にありませんし、日蓮正宗を無用に非難する気もありません。
ただ、両者の事の推移の「真実」をお互いの持ち得る知識を述べて検証できればと思う立場です。

>唯授一人の血脈相承とは「代々相伝はたった一人に伝えられていく」という意味の正宗独特の言い回しです。
>ここがややこしいのですが「化導」の宝僧は日興上人一人ですが、「伝持」の上の宝僧には歴代の法主も入るのです。

つまりメディスンさんが仰りたいのは、表現の差こそあれ「僧宝」は歴代の法主にも当てはまり、その「僧宝」である法主のみが「代々相伝はたった一人」に伝えられていく「血脈相承」可能な人間だと言う事ですね。

続きます。



100 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:03

>日寛上人の「当家三衣抄」にも「南無僧とは南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無いちえん浮提座主、伝法日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師」とあります。
>日蓮上人も「四恩抄」に「仏宝、法宝は必ず僧によりて住す」と書いています。

これらは「法主一人血脈相承」の正当性を上記の文献を例に挙げられたと理解いたします。

>ようするに血脈というのは、日顕(氏)の考え出した法主絶対主義でもなんでもなく日蓮正宗の教義そのもなのです。これを否定するという事はもう日蓮正宗の信徒ではないのです

これが、教義逸脱にあたり、日蓮正宗の信徒としての資格を失うぐらいの重大な行為と言う事ですね。

以上の点をまとめます。

1、三宝の一つである「僧宝」には日興上人以外の歴代の法主も含まれる。
2、文献的論証はある。
3、血脈相承は「僧宝」のみに限られた「特権事項」である。
4、故にそれを否定する者は日蓮門下の信徒とは言えない。

それでは以上の点に付いて反証させていただきます。

1について、

メディスンさんは、日顕氏自身の昭和58年3月31日、第4回非教師指導会の席上の「歴代法主は僧宝以下の立場である」発言を「謙遜である」と述べられておりますが・・

まず「謙遜である」その論理的根拠を挙げてください。
又何故その様な場所(非教師指導会)で「僧宝以下」と具体的事例を持って日蓮正宗の根幹的「三宝」の一つである「僧宝」の定義づけを「謙遜」して歪曲する必然性があったのか、お教えください。

続きます。


101 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:04

2、3について、

これが正に私が、宗教の論理的根拠を「教義」のみに頼る「文献的解釈論」のいつも懐疑的立場をとる、所以なのですが・・・
そして、ある文献のみを挙げて「血脈相承は僧宝のみに限られた特権事項である」と結論付けた所に、普遍的宗教論争の根本的命題を見ることが出来ます。
上記に反証する「日蓮教義」は(あくまで日蓮正宗の文献を偽書としないならば)幾らでも挙げられます。

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」

「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」

上の二文を見ると何処にも「血脈相承は僧宝のみに限られた特権事項である」と読めませんが・・・
むしろ明確に「弟子檀那等・自他彼此の心なく妙法蓮華経と唱え奉る処」の一文に日蓮の述べる所の「血脈とは云うなり」の本意があるとも理解できます。

日蓮仏法の持つ僧・俗の宗教的平等性は

「仏法は自他宗異ると雖も翫ぶ本意は道俗・貴賎・共に離苦得楽・現当二世の為なり」

「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」

この二文を見れば明らかだと思います。

続きます。


102 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:05

4、について

上記の反証する教義的解釈が、少なくとも正宗の「御書」の中に歴然と存在する以上「血脈相承は法主のみに限られた特権事項」であるから「日蓮門下の信徒とは言えない」と結論付け「断罪(破門)」する事に、論理的克つ合理的正当性が認められないと思われます。

>「富士一跡門徒存知事」に「御筆の本尊をもって形木に刻み不信の輩に授与して軽賎する由・諸方にこれ聞こえあり」と書いています。
>また第59世日亨上人は「有師化儀抄註解」に「授与する人は金口相承の法主に限る」と言っています。

この文献には「化儀抄」の

「末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々」

との文献にて反証させていただきます。

>本山では本尊の開眼供養は必ず行われいるようです。しかし見たわけじゃありませんので事実かどうか知りません。

この点においては、以前法華講の方が「印刷した紙の曼荼羅を一体一体、本山の大御本尊に向かって広げて題目を送るのだよ」と仰っていました。
しかし、一枚の御本尊に題目三唱するだけでも約5秒、現在まで1800万枚以上の御本尊にそれを行っていたら、24時間それを行いつづけても1000日以上かかります。
これは「非論理的」な事ですね・・・・・
それとも、大御本尊の前に山のように積み上げて題目でもあげるのでしょうか?
これだと「理論的」には可能かと思われます。
たしか本山ではマイクを使って法主の声をスピーカーから流しているはずですが・・・・
それならば、一々本山まで御本尊を持って行かなくても、法主の題目を各末寺へ流せば「開眼供養」は済んでしまう理屈になりますが、そんな事は正宗の歴史的経緯を見てもあり得ません。
それよりも元日蓮正宗の僧侶の「御形木御本尊は、法道院で一括して作製され、貫首の開眼などないままに全国の末寺に郵送され、下付されていたことも事実です」との論証の方が「具体的」克つ「論理的」であると述べるしかありません。
(私も、実際検証したわけではありませんから、断定した記述は謝罪いたします)

続きます。


103 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:06

>そう考えるほうが私にははなはだ不自然です。(スピーチについて)

この論点に付きましては、現在までの論議の推移を、問題となった「スピーチ」が私とメディスンさんとの論証の見解の相違に対する客観性として、第三者のご判断に従います。

>証拠は必要ありません。
>なぜならそれが宗教だからです(後略)

その様に結論付けられては、この論議自体の意味付けが無意味なものとなってしまいますが・・・
少なくとも、このスレッドにおいては、皆さん、出来得るだけ「客観的資料」(文献的教義解釈だけに留まらず理論構築性においても)をもとに論議する前提で意見を唱えられていると思うからです。

>信徒団体がその宗門の教義(血脈は教義ですし、法主罵倒は正宗ではほう法です。)に難癖をつけ攻撃するというのは私にははなはだ筋が通らないように見えるのです。
>気に入らないならその信仰を辞めればいいのです。

異議を唱えているのは、宗門の教義そのものではなく、現在の法主の言動が日蓮仏法から逸脱しているのではないか?と文献学的及び宗門史学的に反論しているのではないでしょうか?
少なくとも教義の本質(三大秘法・三宝など)そのものを気に入らないと言ってはいないと思います。
繰り返しになりますが、異議を唱えている最大の教学的論点は、日蓮仏法の教義に存在しない「信徒に対しての法主絶対主義」に対する反発であり、宗門自体も過去の歴史において行ってきた「化義的教義の変遷」に対する独占性をまるで「絶対的教義の根幹」であるかのごとく「厳格・神格化して」押し付けた事です。
これを悪用されれば、信者は全員法主の「奴隷」となり、何も意見を述べられなくなります。

続きます。


104 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:06

>日蓮上人の御書根本にまったく別の正しい日蓮仏法教団を作り、本尊も「大聖人直結」である池田会長が書写すればいいのです。

事実、宗教法人としては全く別の宗教団体ではないのですか?
ただ、創価学会の教義理念が日蓮仏法にある以上、日蓮正宗と同じ教義的解釈のものがあってもそれが直ぐに「池田会長が書写」とする必要は無いはずです。

>最近の学会は「もはや御本尊はどれも同じ」という指導になっているのですから簡単な事でしょう。

「もはや御本尊はどれも同じ」との具体的発言の根拠をお教え下さい。

>僧侶はいらないというならそこまでするのが筋です。

僧侶不要論は学会の教義には無いはずですが・・・・
学会の主張は日蓮仏法に違背する「僧侶」を糾弾しているのであり「日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟」と言う僧侶の団体を支持しているのが現実です。

>相伝書こそが正宗と他の日蓮教団を明確に分けているところなのです。

相伝書を根本とした「振る舞い」が「他の日蓮教団を明確に分ける」のであり、

続きます。



105 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:07

>だからこのことは学会は今のところ絶対否定できないのです。

否定していない点は、先ほどから述べている通り教義自体には異義が無いからであり

>日蓮宗の本尊も使えないし、書写も出来ないのです。

日蓮宗の本尊を使わないのは、必然性も教義的論理性もないためであり、

>正宗では、御書の読み方も相伝によって他の日蓮教団とはまったく違います。
>学会の御書解釈も大半は相伝にもとづく正宗の解釈です。

大半の相伝にもとづく正宗の解釈を学会は否定していないので、御書解釈も今までどおりのスタンスになる訳です。

>ですから相伝も血脈も大切な教義のうちなのです。

この結論付けには異議を唱えているのでしょう。
これが現法主との意見の相違であり、日蓮正宗自体の教義そのものを否定する事では全く無いと思います。

>だから破門したのは信徒ではなく平成9年までは、創価学会という組織に対してのみでした。学会さえ辞めれば信徒はいつだって本山に行けたし本尊も下付してもらえたので、慈悲のないひどい措置とは思えません。(後略)

池田氏自体に信仰があるか無いかは私にもわかりません。
だからと言って、最終的には、何も異議を唱えていない末端の信者まで一緒に「破門」しても良いとは思えないのです。

最後に


106 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 17:08

宗門にとって、日顕・日達上人の御本尊を保ち、以前からの正宗の経本を読んでいる「創価学会」の人間を「創価学会」と言う組織に属しているだけで「血脈」の切れた「邪教の信者」と定義付けている事が私には理解できません。
逆に、これをもって「破門」の理由にするには「非論理的行為」であり、何も知らない一般信徒に対しあまりにも「無慈悲な仕打ち」だと重ねて申し上げます。
もし慈悲ある宗教者であれば、双方どちらかの教義的理論が完全に「破綻」している事を、夫々自分達が持ち得る「文献的教義解釈」や「その振る舞い」により第三者(此処では法華講・創価学会の一般信徒)が客観的に納得できるまで「破門」などする事無く「粛々」と何年でも続けるべきです。
メディスンさんは創価学会員の方で、本山に行きたくても行けなくて、本山の直ぐ近くまで来て御参りしていらっしゃる方をご存知ですか?(かなりいらっしゃいますよ)
私が考えるにこの創宗問題は「教義上の是非」は如何様にでも「歪曲」出来る事の典型的事例であり「宗門・学会」双方が正当である論理的証拠は何一つ証明されていません。

私は宗門のその「破門」にする論理的根拠があまりにも非論理的なのでこの様に述べているだけです。(ですから、メディスンさんを責めているのでは決してありません)

少なくとも、双方(法華講・創価学会)の一般信徒にとっては、御本尊は一番の信仰の根幹であり、大切なものであったはずですから、私のような第三者から見れば、一番の被害者は(法華講・創価学会)の一般信徒だったと思います。

以上です


107 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/13(火) 17:58
Nさん=98へ

あなたの発言が譬えだからこそ、私もひねった譬えで返しているのですよ(笑)。
「心情」ですか・・・わたくしのも心情の表現です。



108 名前: 第7の外道さん<N 投稿日: 2000/06/13(火) 17:58
>今まで日蓮を擁護する言葉のなかで「これは!」と思うものに出会ったことが
>ないもので…
>迅速なレスは身辺の都合上できないと思いますが、日蓮ファンの人、
>何か意見あったら聴かせてくださいな。

これは、文底さんにも聞いてもらいたいお話です。

日蓮大聖人の御書には、いわゆる法門について表されたものと、
信者に対するお礼や激励などを書いた消息文も多く残されています。

ファンとかおっしゃいましたが、どちらかというと、そういった
お手紙などを読んで、大聖人が好きになったという人がほとんど
なのではないでしょうか。(当時の人もそうだけど、今の人も、
時代背景などを鑑みたうえで自分に当てはめて読むのです)

私も多くは読んでいませんが、そういったものを読んでみて、
日蓮大聖人の信者に対する想いを感じるにつけ、すばらしい
人だと思うわけで、その振る舞いに共感するわけです。

大聖人が最終的におっしゃったことは「南無妙法蓮華経」
しか無いわけで、法門といっても、その一部や説明でしかないのです。
ですから、お互いに矛盾があることも出るかもしれません。

ですが、日蓮宗興門派第26世日寛上人が教義を体系的にまとめて
いるので、その著書の六巻抄が、参考になるはずです。
法華経の位置づけなども明確にしています。

演繹的に最高のものを「南妙法蓮華経」とし、そこから
その側面を展開しているところが教義としては特徴的です。
この読み方が出来ず、文面にとらわれると思考の迷路に
陥いってしまうことは否めません。
最初は私もよく分からなかったですよ。その捉えかたが。


109 名前: <N 投稿日: 2000/06/13(火) 18:13
>だから破門したのは信徒ではなく平成9年までは、創価学会と
>いう組織に対してのみでした。学会さえ辞めれば信徒はいつだ
>って本山に行けたし本尊も下付してもらえたので、慈悲のない
>ひどい措置とは思えません。

「それまでは、学会をやめなくても本尊下付をしてくれた。
もらうためには、恩ある学会をやめなくてはならない。
何とか僧俗和合してもらえないだろうか。」

板挟みですね。辛かったと思いますよ。そういう人たち。

学会と言う組織を破門。信者はこっちへ来なさい。
ちょっと虫が好すぎるようにみえますよ。


110 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 18:42

Nさん

初めまして文底です。

>対話がしたいので、私からは自分なりの感じ方を話したいです。
>貴方を茶化しているようにみえると行っていましたが、そのような積もりはありません。非礼があったならお詫びします。

お気持ちは了解いたしました。

それでは、Nさんの現在のお立場(活動家としての学会員・懐疑的学会員・アンチ学会派・日蓮正宗系信者・その他の宗教者・無信仰の客観的第三者など)を明確に定義付けて下さい。

その上で、私(文底)が今まで述べてきた論証に対し、何か御感想等ありましたら、御遠慮無く仰ってください。

色々都合(見ての通りです・・・)もありますので、直ぐにレス出来るかどうか分かりませんが、真摯的御意見に関しては、誠意を持ってお答えさせて頂きます。

宜しくお願い致します。



111 名前: 文底 投稿日: 2000/06/13(火) 18:59

Nさん

追加レスです。

今までのNさんの御意見を拝見させて頂いていると、ここの常連さんからは「思いっきり突っ込まれる」要素が多すぎると思いますので、老婆心ながら今一度御自身のお考えを「論理的」に「再構築」される事をお勧めします。



112 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/13(火) 23:56
>Nさん、その他?の創価学会員の方
 この「日蓮って」のスレッドは、かなり昔(99/10/23)からあったもので、過去ログも大量にあります。客観的に創価学会の正当性を検証するというスタンスに対して、だいたいの創価学会員はNさんのような態度をとります。僕も昔は信仰していましたから、そのように反応するのもよく分かるのですが、とりあえずこのスレッドでは、「文証」のみを扱うということになった(のでしょうか?)ので、もしNさんが徹底的に対話したいというのなら、新しくスレッドを立ててみてはどうかと思うのですが。
 その場合、38で過去ログの内容をまとめたものにしたがえば、

『3・何によって宗教の真贋を見極めるか』
・ZEGAさんの、身近な学会員を見て創価学会が正しいと判断する、ことに対して(611、613、611、639、689、640、651、652、657、719、720、851)

を議題とすることになります。そうするとこちらのペースになってしまうのではないかと不満に思うかもしれませんが、かといって頭がこちこちになっている我々を説得するのに、同じ主張を繰り返すというのも不毛な結果に終わるように思います。
 創価学会の価値観から言えば、正しい団体を誹謗する我々は今まさに地獄に落ちようとしているわけですね?(僕から見ればNさんは今まさに理性が破壊されている状態だと思っているのですが) 皮肉っぽく聞こえてしまうかも知れませんが、慈悲ある行動を示していただけると嬉しいです。


113 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/14(水) 02:50
>90
公式見解、ですか。
こうしたものは、質問状など、何らかの折に出されるのが普通だと思うのですが、
現在のところは見たことがありません。
創価学会のHP
http://www.sokagakkai.or.jp/
にも、これらについての記述は見つかりませんでした。
1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである
2・法華経は(歴史的)釈迦の本意である教えである
3・ 日蓮大聖人は法華経に予言された仏であり、唯一法華経を真に理解している
4・ 日蓮大聖人の弟子の中では日興上人が唯一正統な後継者である
5・今では日蓮正宗は堕落してしまったので、創価学会が唯一の正しい団体である

僕の見立てでは、学会の見解は(「公式」ではありませんが)、
少なくとも2、4,5についてはYES、
1については不明(疑う意見を見たことがない)、
3は「唯一」という点においてNO(天台大師など)です。

横レスながら、Nさんへの、「理性が破壊されている」とは流石にキツイ表現です。
創価大学の学生部や学内組織だけを見ていれば、そのように思っても仕方がないかも知れませんが。



114 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:04
文底さん。

学会対宗門の件に関しては、私達のあいだには意見の一致を見る事はなさそうですね。
今回のレスも、すべての事に関して反対の意見を私は持っていますので、一応反証いたしますが、他の方もいらっしゃる板なのでそろそろこの問題について論じるのはひかえたいと思います。
元彼が脱会してからたくさんの学会の方がうちに尋ねてこられて、私は過去何度もそういう方々と議論をいたしました。
これは気を悪くされないでいただきたいのですが文底さんの問題提議は、偶然とは思えないほど学会員の論証と酷似しています。生死一代事血脈抄までが出たのでちょっとびっくりしてしまいました。組織をあげてそういう論議を指導しているようで、誰が来ても同じ事を言います。もう、この事に関しては話疲れているほどです。これは私の憶測ですが、文底さんは現在はおやめになっているにしても過去には学会に在籍されていたか、非常に学会の友人の方と親しくされていて学会の宗門観の本をたくさんお読みになってそれを信じられたかどちらかだと思います。そのどちらでもないとはちょっと考えづらいです。そこを信じてしまっておられるのでは、もう議論のしようがない。何を言っても平行線です。私は今まで文底さんのご意見で「?」と思った事は一度もなくほとんど賛同してきたので、あなたと世界観は多分近いと思うだけに、この事に関してだけなぜこんなに一致を見ないのか不思議でしたが理由がやっとわかったように思います。人間、真に客観的になるという事は本当に難しいのですね。学会員の方がなぜ脱会しないのか、ちょっとわかったような気がします。私とて客観的であろうと努力していますがまったく不完全なのでしょう。でも最後に私の知る限り、信じる限りの事ですが、反証してみたいと思います。


>これが、教義逸脱にあたり、日蓮正宗の信徒としての資格を失うぐらいの重大な行為と言う事ですね。
1、三宝の一つである「僧宝」には日興上人以外の歴代の法主も含まれる。
2、文献的論証はある。
3、血脈相承は「僧宝」のみに限られた「特権事項」である。
4、故にそれを否定する者は日蓮門下の信徒とは言えない。


まとめてくださってありがとう。まったくその通りです。ただ4だけは日蓮門下ではなく日蓮正宗門下です。こんな教義は日蓮門下の中では正宗にしかないと思うので。


>まず「謙遜である」その論理的根拠を挙げてください。
又何故その様な場所(非教師指導会)で「僧宝以下」と具体的事例を持って日蓮正宗の根幹的「三宝」の一つである「僧宝」の定義づけを「謙遜」して歪曲する必然性があったのか、お教えください。

正宗には「理」と「事」とか「総」と「別」とか同じ事柄でも2種類の側面があるという複雑な教義があります。例えて言うと事の一念三千だの理の一念三千だのという感じです。僧宝にも2種の側面があり、別体三宝の僧宝と伝持の上の僧法とあるのです。謙遜でもあったでしょうが、僧法には歴代も入るけどその中では日興上人が隋一であるというのが教義ですから、その別体三宝の意味あいからの発言でしょう。

続きます。



115 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:10
2,3
>「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
>「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり
上の二文を見ると何処にも「血脈相承は僧宝のみに限られた特権事項である」と読めませんが・・・

この切文の仕方が!怒らないで下さいね。学会の文献そのものですね。「生死一大事血脈抄」はタイトルからもわかるように、生死、臨終正念のための教示が主意をなす御書です。血脈には総じての信心の血脈と別しての法体の血脈があるのをご存知でしょうか?この2文は共に信心の血脈についてのべられた御書ですので、だからといって法体の血脈が存在しない文証にはなりません。もし法体の血脈が存在しないのであれば、そもそも日興上人への血脈相伝もしないはずです。日蓮の「一代聖教大意」に「この経は相伝なくば知りがたし」ともあり、日興の「日興遺戒置文」にも「当門流においては、御抄を心肝に染め極理を師伝して」とあります。それに法体の血脈が存在しないなら、もう日蓮の本尊だったら何でもいい理屈になります。学会はなんで血脈ないはずの日寛上人の本尊なんてわざわざコピーして会員に拝ませているのでしょう?矛盾しています。
「化儀抄」にも「手続の師匠の所は三世の諸仏高祖己来の代々上人のもぬけられたる故に師匠の所をよくよく取り定めて信を取るべし。」とあります。

4、
>上記の反証する教義的解釈が、少なくとも正宗の「御書」の中に歴然と存在する以上「血脈相承は法主のみに限られた特権事項」であるから「日蓮門下の信徒とは言えない」と結論付け「断罪(破門)」する事に、論理的克つ合理的正当性が認められないと思われます。

今まで見てきたように、御書は教義集ではなくあくまでもその時々に日蓮が信徒の方に書かれたお手紙ですので、状況や相手に応じていろんな書き方をしていますし、現代文でもないので見る人によって様々な解釈が出来ます。水掛け論です。
それを血脈相伝によって解説するのが正宗流です。学会や私達には相伝なんてないので自己流で読みます。それだけの事です。だから学会が登場する前は御書を一般に出版する事はありませんでした。信徒は本尊を拝み、お寺で法話や講習を受け極理を師伝してもらっていたわけです。ようするに御書の拝読すら昔は僧侶の特権だったわけですね。信心の励みにと出版された御書は今や自己流で拝読されて「御書根本」とか宗門否定の材料に使われています。ようするに、増上慢なのです。

続きます。


116 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:18
>この点においては、以前法華講の方が「印刷した紙の曼荼羅を一体一体、本山の大御本尊に向かって広げて題目を送るのだよ」と仰っていました

そんな話は聞いた事ありません。

>それとも、大御本尊の前に山のように積み上げて題目でもあげるのでしょうか?

そうです。積み上げて儀式をやるそうですよ。

>これだと「理論的」には可能かと思われます。
たしか本山ではマイクを使って法主の声をスピーカーから流しているはずですが・・・・
それならば、一々本山まで御本尊を持って行かなくても、法主の題目を各末寺へ流せば「開眼供養」は済んでしまう理屈になりますが、そんな事は正宗の歴史的経緯を見てもあり得ません。

は?マイクの題目だけをスピーカーで流せば開眼供養になるのでしょうか?そんな開眼供養はそれこそ邪道でしょう。このあたりの理屈は文底さんらしくなくめちゃくちゃですよ。否定のための否定になっています。

>それよりも元日蓮正宗の僧侶の「御形木御本尊は、法道院で一括して作製され、貫首の開眼などないままに全国の末寺に郵送され、下付されていたことも事実です」との論証の方が「具体的」克つ「論理的」であると述べるしかありません。
(私も、実際検証したわけではありませんから、断定した記述は謝罪いたします)

離脱して学会側に雇われている僧の言う事がはたして客観的な真実であるかは疑わしいと私は思います。

続きます。


117 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:23
>証拠は必要ありません。
>なぜならそれが宗教だからです(後略)
その様に結論付けられては、この論議自体の意味付けが無意味なものとなってしまいますが・・・ 少なくとも、このスレッドにおいては、皆さん、出来得るだけ「客観的資料」(文献的教義解釈だけに留まらず理論構築性においても)をもとに論議する前提で意見を唱えられていると思うからです。

今、存在する宗教の中でまったくスキのない「客観的資料」が存在している教団があれば教えて下さい。知らないのでこのように書きました。例えばキリストが復活したという「客観的資料」は?

>異議を唱えているのは、宗門の教義そのものではなく、現在の法主の言動が日蓮仏法から逸脱しているのではないか?と文献学的及び宗門史学的に反論しているのではないでしょうか? 少なくとも教義の本質(三大秘法・三宝など)そのものを気に入らないと言ってはいないと思います。 繰り返しになりますが、異議を唱えている最大の教学的論点は、日蓮仏法の教義に存在しない「信徒に対しての法主絶対主義」に対する反発であり、宗門自体も過去の歴史において行ってきた「化義的教義の変遷」に対する独占性をまるで「絶対的教義の根幹」であるかのごとく「厳格・神格化して」押し付けた事です。 これを悪用されれば、信者は全員法主の「奴隷」となり、何も意見を述べられなくなります。

「信徒に対しての法主絶対主義」「奴隷」この言葉こそが慢心です。なんのための信仰なんでしょう?「感謝」とか「謙虚」とかいう姿勢はないのでしょうか?宗旨以来700年以上大御本尊を守っている法主に従うのは信徒として当然の事です。それから「悪用」という言葉が出ましたが
具体的に破門以前に、どんな悪用があったのでしょう?「何も意見を述べられなくなります」どころか、学会は最大級の意見のオンパレードですが?

>ですから相伝も血脈も大切な教義のうちなのです。
この結論付けには異議を唱えているのでしょう。 これが現法主との意見の相違であり、日蓮正宗自体の教義そのものを否定する事では全く無いと思います。

相伝書があり、血脈があるというのが正宗教義の一番根幹になる部分です。なぜならそこから大石寺が始まっているのですから。現法主の血脈を否定する事はまさに「日蓮正宗自体の教義そのものを否定する事」になります。

続きます。



118 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:27
>大半の相伝にもとづく正宗の解釈を学会は否定していないので、御書解釈も今までどおりのスタンスになる訳です。

先程の生死一大事血脈抄をはじめ、日女御前御返事等々、破門以降は相伝による御書解釈を離れ、血脈否定のために学会に有利な独自の解釈をしています。でも、その他の大部分は相伝の恩恵を受けている御書解釈を保っているわけです。自ら相伝の恩恵を受けながら相伝を否定するというのは矛盾しています。

>宗門にとって、日顕・日達上人の御本尊を保ち、以前からの正宗の経本を読んでいる「創価学会」の人間を「創価学会」と言う組織に属しているだけで「血脈」の切れた「邪教の信者」と定義付けている事が私には理解できません。

これがひどい事なら、日興上人が身延を捨てて大御本尊を背負って下山した時点でひどいのです。大聖人の真筆の本尊を信仰している人々なのに、地頭が神を祭ったり、ほう法があるという理由だけで「邪宗の山」と断罪して下山して大石寺を建てたのです。そもそも始まりからしてそういう宗派なのは学会員もわかっているはず。
ちなみに学会員の数珠はもうこの頃から正宗のものではなく学会三色が入った数珠に変えられていました。経本の観念文も正宗の歴代法主の名前が消え、変わりに学会の3会長の名前が入り、彼らへの感謝を念じさせています。

> もし慈悲ある宗教者であれば、双方どちらかの教義的理論が完全に「破綻」している事を、夫々自分達が持ち得る「文献的教義解釈」や「その振る舞い」により第三者(此処では法華講・創価学会の一般信徒)が客観的に納得できるまで「破門」などする事無く「粛々」と何年でも続けるべきです。

それを何十年も続けた結果、どうしようもないので破門したのです。いくらなんでもあのスピーチだけでいきなり破門したわけではありません。
それに、何度も言うように破門したのは組織のみであり、しばらくは会員は添書の形で登山できました。その後も辞めれば登山も本尊下付もしてもらえました。平成9年についに信徒までが破門になったのは、本尊までもが離脱寺院にあった日寛上人の本尊を改ざんしてコピーしたものを日顕上人の本尊と総入れ替えを行った事が大きい。そして宗門のたびかさなる説得にも応じなかったからです。ご存知ないでしょうが宗門は学会のように攻撃はせず、説得するために家庭訪問などを地道にやっていただけです。

続きます。


119 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 06:40
>メディスンさんは創価学会員の方で、本山に行きたくても行けなくて、本山の直ぐ近くまで来て御参りしていらっしゃる方をご存知ですか?(かなりいらっしゃいますよ)

そこまで大御本尊に信仰があるなら即学会を辞めて正宗に入ればいいだけです。簡単な事です。正宗は大歓迎でしょう。そういう意味では会員は今でも完全なる破門ではないのです。他宗教と同じになっただけです。

>私が考えるにこの創宗問題は「教義上の是非」は如何様にでも「歪曲」出来る事の典型的事例であり「宗門・学会」双方が正当である論理的証拠は何一つ証明されていません。

そもそも宗教は目に見えない世界を扱っているものです。正当である論理的証拠があるのか?と私は思います。哲学ではなく信じる信じないの世界に論理が大きな意味を占めるとも思いません。私個人は21世紀の宗教は論理的科学的なものであるべきだと考えていますが20世紀の宗教にそれは存在しません。
ですからあえてこのように論じているのは、所詮20世紀の理屈です。普通に考えて元祖は正宗です。学会よりも700年も前から大御本尊を守り信仰してきた団体です。伝統=正義ではないにしろ学会にとっての元祖であるのは間違えありません。この団体がなければ学会信仰も存在しません。だからそもそも始まりからして血脈などという法主一人に権能がある宗派に自分の意志で入った以上選択肢はそこに従うか、辞めるかです。なのにどちらでもなくそこに難癖をつけ学会色に変えて行こうという会長を持つ団体はもう信徒団体ではないし、わかっていながらそこに所属している信徒も破門されて当然なのです。

以上です。



120 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 08:02
追伸ですが、日蓮正宗仏法にはそもそも「排他性」「暴力性」「攻撃性」「政治性」が内在しているという文底さんのご意見には賛同しています。(ちょっと違いましたっけ?)
ただし、刑事事件を起こしたのはなぜか学会が登場してからのこの50年です。それが不思議でなりませんが。
立正安国論がなければ公明党は存在しませんし、いったん敵とみなした後の攻撃性などは「真言亡国!!」などの激しい他宗排斥の日蓮上人の姿勢から来るのでしょう。
私はこの3日くらいやけに宗門を擁護しましたが、それは宗教上のすばらしさとかではなくそもそも現在の宗教団体に対する絶望からきているのかもしれません。現在の宗教団体には教義を信徒と共に検証するなんて姿勢はまずないでしょう。教祖、またはリーダーが「こうだ」と言えば信者に残されているのはそれを検証する事ではなく
「信じるか信じないか」という2択です。その上正宗においては法主信仰はないにしても実際問題法主に異を唱える事はほう法になるのだから「絶対主義」と言えば言えるのです。
でもね、それは日顕法主が突然言い出した事なんていうのは全然まったくの学会の嘘です。正宗は昔からずっとそのスタイルなんです。学会はその昔からあるスタイルを辞めさせたかったんでしょうね。
もっと信徒や池田さんと談合して教義にも厳格じゃなく、やわらかーくなってほしかったんだと思います。そのほうが学会にとっても有利だし、つきあいやすいからね。
それが失敗したから破門されたし、逆に破門された事で被害者ずら出来て、宗門を悪にして内部の結束をかためられるからよかったんですよね。
そのためにはドラマが必要だったんです。法主が悪く教義をねじまげたというドラマ。私はそのドラマをずるいと思った。企業なら許すけど、宗教団体ですからね。
私が文底さんにこんなに反論したのは、文底さんがまさにその「学会が作ったドラマ」にはまっちゃってたからです。それをわかってほしかった。それだけです。
みなさまには長々とすみませんでした。




121 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/14(水) 09:56

文底さん

毎度のトンデモ質問?なのですが・・・(^^ゞ
私は、「血脈相承」「御本尊」の問題があったので、学会は、日蓮正宗から
簡単に離脱することができなかったのだろう・・・と思っていたのですが。

文底さんの仰る通り、「血脈相承」を否定的に捉え、

>現代でも、日蓮正宗・創価学会の御本尊は「印刷物」であり、科学的に見て何も違いはありません。
>印刷所から直接末寺に御本尊が輸送されていたのは事実であり、本山で何か特別な「入仏儀式」が
>あった訳ではありません。

 という、「御本尊」に対する認識であれば、学会は、なぜ「正宗」に拘ったのでしょうか?




122 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/14(水) 14:04
>ZEGAさん
>1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである
>2・法華経は(歴史的)釈迦の本意である教えである
>3・ 日蓮大聖人は法華経に予言された仏であり、唯一法華経を真に理解している
>4・ 日蓮大聖人の弟子の中では日興上人が唯一正統な後継者である
>5・今では日蓮正宗は堕落してしまったので、創価学会が唯一の正しい団体である>僕の見立てでは、学会の見解は(「公式」ではありませんが)、
> 少なくとも2、4,5についてはYES、
>1については不明(疑う意見を見たことがない)、
>3は「唯一」という点においてNO(天台大師など)です。

 では、3は、後半部分の「唯一法華経を真に理解している」を削除すればよろしいですか? ただ、そうなると少々疑問が残ります。法華経の内容は素直に読めば(文上?)、日蓮正宗、もしくは創価学会の主張とはかなり異なる部分があります。
 例えば、釈尊と大聖人の位置づけなど、天台大師などがそんなことまで言ったとはちょっと思えないのですが。また、天台宗などは、天台自身は創価学会の方を正しいものと判断するであろうとすれば、天台の本意を理解していない宗教ととらえればよいのでしょうか?

 1以外については、ZEGAさんは学会の見解と同じとみなしてよいのですね? では、1は学会の公式な見解がないとすれば、ZEGAさんはどのように考えますか?
イ・Yes
ロ・NOかも知れないが、信じることによって幸せになれる、というもの
ハ・物質的、歴史的な領域を越えたところでYESといえるもの
ニ・自分の精神世界の中でYESといえるもの
ホ・NO
 とりあえずこれだけ予想してみました。

>横レスながら、Nさんへの、「理性が破壊されている」とは流石にキツイ表現です。
>創価大学の学生部や学内組織だけを見ていれば、そのように思っても仕方がないかも知れませんが。

 僕は、一般の信徒にはまともな人がかなりいることも知っています。信仰を糧にして、実際に豊かな人生を送っている人も知っています。しかし、創価学会の組織に入り込んでしまった人ほど頭がおかしくなっていると思っています。創価大学の学生部や学内組織というのはそういう存在だと思うのですが。同時中継や聖教新聞でも同じことを思います。(決して攻撃性の面だけから判断しているわけではありません)
 ZEGAさんはどの程度この考えに賛同して頂けるでしょうか?

 自分の価値観が絶対だと信じる人間は傲慢になります。それは、この板の全域を見渡しても分かると思います。創価学会が正しいと信じる人間も、創価学会が間違っていると信じる人間も、ほとんどの場合、ひどく傲慢な態度をとっています。僕自身も気をつけなければならないと思っていますし、自分でも知らずに他人にそのような印象を与えているかもしれません。
 しかし、創価学会と他の人との決定的な違いは、他の人では自分の判断によって自分の考えをつくっているのであり、そこには責任もあるし、反省もあるし、いずれは謙虚な態度を学ぶこともできるでしょう。
 創価学会員は組織を絶対として、自分はそれに従っているだけなのだ、という態度を決め込んでいますから、そういった、自分の判断力を育てるための、人間の生長に必要な過程が存在しないのではないかと思うのです。
 完全に創価学会に同化してしまったような、もはや兵隊としか言えないような人たちは、おそらく組織の言うことならばどんなひどいことでも疑問なくやってしまうのではないかと思います。


123 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:12

メディスンさん

長々と私のような者に対し、真摯的にお答え下さりありがとうございます。
本当に感謝しております。

>他の方もいらっしゃる板なのでそろそろこの問題について論じるのはひかえたいと思います。

私もその意見に従います。(これで終わりに致します)

>元彼が脱会してからたくさんの学会の方がうちに尋ねてこられて、私は過去何度もそういう方々と議論をいたしました。

私も以前から申しているように知人に「法華講」の方と「創価学会」の方を存じ上げていたので、双方の御意見をかなり詳細に拝見した一人です。

>偶然とは思えないほど学会員の論証と酷似しています。

偶然ではありません。
創宗問題をメディスンさんと逆の立場から反証する材料として、学会の主張を参考にさせて頂いただので、そのように思われるのも無理はありません。

続きます。



124 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:13
>これは私の憶測ですが、文底さんは現在はおやめになっているにしても過去には学会に在籍されていたか、非常に学会の友人の方と親しくされていて学会の宗門観の本をたくさんお読みになってそれを信じられたかどちらかだと思います。

それは違います。(どちらの意見も信じておりません)
以前にZEGAさんにも申し上げた事ですが、私が「創価学会」を「絶対の善である」と主張する方がいらしていれば、私の持ち得る論証を持って(この場合メディスンさんと全く同じの内容になるでしょう)反証します。
これが私のこのスレッドに対する、変わらないスタンスです。

私が以前、昼行燈さんや第7の外道さんと論議を交わしたときも「文献的教義解釈論」に対する「文献的絶対性への懐疑的定義としての「普遍的真理論」でありました。
私は、ある事象を持って「何々は何々である」と結論付けようとされる方には「それ以外にも何か他の方途があるのではないか?」と自分の持ち得る論理的意見で問題定義しているに過ぎません。

メディスンさんが創宗問題に対し、メディスンさんの客観的意見として「本尊と信徒をすべて盗みめちゃくちゃにした上いやがらせを繰り返す」との結論が「論理的」に納得していれば、私は何も申しません。
私は、私の私見として「創価学会側主張」(無論宗門側の主張もです)を知っておりました。
ですから、このスレッドに「創価学会の主張」を提示させて、第三者の方々に「本当にその様(めちゃくちゃな理論)に決め付けれるのか?」と問題提起しただけです。

この推移をもって「やはり創価学会はめちゃめちゃだ」と思われる方がいらしても結構ですし「宗門にもこの様な問題点があったのか?」と思われる方がいらしても結構です。
逆に、この様な論争の推移により、ひゃっきまるさんが仰った「誰にも客観的判断のできない教義解釈に話が及べば、泥沼化することは必至でしょう」との推論を証明出来ただけでも「創宗問題」を論じた価値があったと思っています。(メディスンさんには感謝しております)

続きます。


125 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:14

>そこを信じてしまっておられるのでは、もう議論のしようがない。何を言っても平行線です。

私はどちらの意見も信じていません。
ただ「話しが平行線」になる事象により「この問題は、決してどちらかが(善)でどちらかが(悪)だと言う事では無い」と言う事は、論証したいと思いました。

>私は今まで文底さんのご意見で「?」と思った事は一度もなくほとんど賛同してきたので、あなたと世界観は多分近いと思うだけに、この事に関してだけなぜこんなに一致を見ないのか不思議でしたが理由がやっとわかったように思います。

メディスンさんの御意見に、私は今まで異議を唱えた事は無いと思います。
どの御意見も真摯的に拝見させていただき、勉強させていただきました。
また、メディスンさんが私の色々な讒言に対し「賛同」していただいた事も承知しております。(感謝しております)
ただ、私が今まで論議した内容を再検証していただければお分かりになるかもしれませんが、私は、一つの方向性に対しいつも「懐疑的」です。(これを世間では天邪鬼といいますが・・・)
これが私の「哲学」であり「信念」です。
私は、時代や世の中がある方向性に向かって進んだとき「これで良いのか?」と異議を唱える事を私の常とします。
何故なら、それが私の今まで学んだ「歴史観」であり「善とは絶対的に何々である」と断定した歴史が如何に多くの過ちを生んだか知っているからです。

以上の点を踏まえていただいて、以下の反証を御理解下さい。

続きます。



126 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:15

>正宗には「理」と「事」とか「総」と「別」とか同じ事柄でも2種類の側面があるという複雑な教義があります。

文献学的教義解釈として「2種類の側面」なるものを論理的な証明(宗教にそんなものがあるはずも無いですが・・・)を持たずに「複雑な教義」との言葉のみで結論付けされてしまう事は危険です。
メディスンさんのご発言には「何々でしょう」との推測的論述が多く見受けられます。
ですから、それがあくまで「推測」であれば私も何も言いませんが、その「推測的論述」をもって「教義的正当性」を「結論」付ける事は「懐疑的」です。

>「生死一大事血脈抄」は学会の文献そのものですね(後略)

これは、日蓮正宗の文献そのものです。
日蓮正宗の文献にその様に書いてある下りがある事実を述べただけです。

>今まで見てきたように、御書は教義集ではなくあくまでもその時々に日蓮が信徒の方に書かれたお手紙ですので、状況や相手に応じていろんな書き方をしていますし、現代文でもないので見る人によって様々な解釈が出来ます。水掛け論です。

仰る通りです。
メディスンさん自身「様々な解釈」と仰っていらっしゃいますように、それは「教義理解の方法論」だけであり、決して創価学会の「様々な解釈」を反証するものではなく、メディスンさんが述べられた文献も「日蓮正宗の立場での様々な解釈」に過ぎないと言う事です。
そして、事の本質上(文献的教義解釈)この論証は永久に反証できます。(詭弁的論証になり危険です)
私はその「愚」はやめたいと思います。(メディスンさんも同じでしょう)
少なくとも事の推移(水掛け論)において、如何に「文献的教義解釈」が「自分の都合により歪曲できるか」の典型的事例を証明したとお考え下さい。

続きます。



127 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:16
>それを血脈相伝によって解説するのが正宗流です。学会や私達には相伝なんてないので自己流で読みます。それだけの事です(中略)ようするに、増上慢なのです。

私の立場から申せば、どちらも「自己流」です。
否、他の日蓮宗から見ても正宗・学会とも「自己流」となるでしょう。
また、宗教学者から見ても正にその教義解釈は「自己流」以外の何ものにもあり得ません。
ですから、それをもって一方を「増上慢」と断罪する事に私は懐疑的立場をとります。

>このあたりの理屈は文底さんらしくなくめちゃくちゃですよ。否定のための否定になっています

私は否定などしておりません。
「スピーカー」と言う科学的には本人の音声では無い波形で「開眼供養」出来るなら・・と推論しただけであり、その後(私も、実際検証したわけではありませんから、断定した記述は謝罪いたします)と断定した下りは謝罪しています。

>今、存在する宗教の中でまったくスキのない「客観的資料」が存在している教団があれば教えて下さい。知らないのでこのように書きました。例えばキリストが復活したという「客観的資料」は?

私は、誰にも客観的判断のできない「宗教」などの教義解釈を一方的に「何々である」とする意見には、いつも「懐疑的スタンス」です。
逆にメディスンさんは学会を「教義と本尊と信徒をすべて盗みめちゃくちゃである」と断定した以上、その理論を正当とする客観的資料を提示する必要性があると考えたので、あのようなご質問をいたしました。
私は学会(宗門に対しても)をある一つの方向から物事・推移を断定する立場ではありません。
私が行ったのは「ある方向性」に対する「別の方向の可能性」の論理的な問題提起だけです。

続きます。



128 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:16

>「信徒に対しての法主絶対主義」「奴隷」この言葉こそが慢心です。なんのための信仰なんでしょう?

私にとっての信仰性とは、他の人間に対する慈悲救済であり、自己の幸福実現のための一手段であると思っています。(ですから、今の宗教全体において懐疑的なのです・・・・)
もし、自己の信仰において「教義的絶対服従」を強制されたなら、私はそれを「奴隷的」と表現します。
まあ私はその時点で日蓮正宗からは「慢心」で「破門」という事になるでしょう。

>「感謝」とか「謙虚」とかいう姿勢はないのでしょうか?宗旨以来700年以上大御本尊を守っている法主に従うのは信徒として当然の事です。

「感謝」とか「謙虚」の姿勢があったからこそ、今まで学会は「謝罪文」や「お詫び登山」をしてきたのだと思うのですが・・・
そしてこれは、私見ですが、私は人間である「法主」には従おうとは思いません(尊敬や感謝はしますが)
もし仮に、従うとすれば自分が納得できる「法」(自分自身が論理的に納得できる事象)であり、その「法」によって客観的に現れた「現象」だけです。
では何故「法主」には従わないか?
それは「人間」であるからです。
人間は間違いを起こさない生き物ではありません、縁に触れその時々で「豹変」し「過ち」を犯します。
その様な「ファジー」なものに対し全面的に「帰依」する考えを私は持ち得ません。

続きます。



129 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:17

>具体的に破門以前に、どんな悪用があったのでしょう?「何も意見を述べられなくなります」どころか、学会は最大級の意見のオンパレードですが?

「意見のオンパレード」をした学会を、具体的に相手を納得させる論理的根拠も無く(私たちの意見の対立が証明だと思います)「破門」した事を「悪用」だと認識します。
これで、宗門には「法主には何も意見を言ってはいけない」との「法主絶対服従性」証明した「論理的根拠」になると考えます。

>相伝書があり、血脈があるというのが正宗教義の一番根幹になる部分です。なぜならそこから大石寺が始まっているのですから。現法主の血脈を否定する事はまさに「日蓮正宗自体の教義そのものを否定する事」になります。

正宗教義の一番根幹となる「血脈」の文献的論証が双方決着していないのは、私たちの論議の推移で立派に証明しているではないのでしょうか?
学会は「血脈の法主絶対服従性」に付いて異義を述べているように見受けられますが・・・
「現法主血脈否定論」を述べたのは違う団体だと認識しています。

>自ら相伝の恩恵を受けながら相伝を否定するというのは矛盾しています。

ですから「相伝」その物は否定していないと思います。

続きます。



130 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:18
>「地頭が神を祭ったり、ほう法があるという理由だけで「邪宗の山」と断罪して下山して大石寺を建てたのです。日顕・日達上人の御本尊を保ち、以前からの正宗の経本を読んでいる「創価学会」の人間を「創価学会」と言う組織に属しているだけで「血脈」の切れた「邪教の信者」と定義・・

メディスンさんはこれらを同列に定義付けられていますが、日興門流の僧侶・信者が「神を祭った」場合は日蓮正宗独自の「文献的教義解釈」で明確に問題がありますので、この論議の場では理解いたします。
しかし、メディスンさん仰るように「日顕上人の本尊と総入れ替えを行った事」が個人破門の原因なら、日顕・日達上人の御本尊を保ち、以前からの正宗の経本を読んでいる「創価学会の人間」は日蓮正宗の「文献的教義解釈」の何処に違背するのでしょうか?

実際メディスンさん仰るように「創価学会」という団体を「破門」しても個人の信者は数年間「破門」しませんでした。
もし「創価学会」という団体そのものが邪教の団体であるならば、その時点で個人も「破門」と定義するのが日蓮正宗の「厳格さ」だと認識致します。
逆に破門猶予の数年間に個人の信心がどのように「破門」に値する変遷をとげたのでしょうか?
メディスンさん仰るように「日顕上人の本尊と総入れ替えを行った事」が原因ならその人間のみを「破門」すれば道義上論理的であると思います。
現に日顕・日達上人の御本尊を持っている学会員は現存します。
数年間破門しなかったのは「慈悲」でしょうか?
ならば現在、日顕・日達上人の御本尊を持っている学会員を「破門」する道義的・論理的必然性が無いと思います。

>大御本尊に信仰があるなら即学会を辞めて正宗に入ればいいだけです。簡単な事です。正宗は大歓迎でしょう。

その正宗にある「法主絶対服従性」に懐疑的であるから創価学会を脱会しないのではないでしょうか?
また、そのような信心深い人間を「文献学的」「論理的」「人道的」に「創価学会は邪教である」と認識させられなかった宗門にも責任があると考えます。
やはり宗門の創価学会全員の「破門」は私には理解できません。

最後に


131 名前: 文底 投稿日: 2000/06/14(水) 16:19
私は、メディスンさんとの文献的教義解釈や宗門に対する論理的御説明を検証しても「どちらかに分があるとは」結論付けられませんでした。
また、人格攻撃の推移を法律学的に検証すれば、今までの判例の決着の是非を見ても「どちらとも結論付けられない」と思います。(勝訴の多さではなく、どちらも敗訴があると言う点で)
メディスンさんは私を「学会が作ったドラマにはまった」と仰っていますが、私はメディスンさんの「日蓮正宗の教義的・行動的考察による私見」に対し「創価学会の主張するところの日蓮正宗に対する反証」を基本として、論じただけです。

したがって私のこれまでの考察における最終的推論は・・・・(勿論私見です)

「日蓮正宗」も「創価学会」もお互いの立場での「独善的理論」の展開に終始しており、何れの両者も「文献的教義解釈」・「人格的人間性」において、相手を論理的、克つ、決定的に「否」とする「客観的証拠が無い」と推理いたします。

メディスンさんが心情的に、どのように思われようと無論御自由です。
しかし、これだけ反証する文献及び論理的提示が出来る得のも、又事実です。
それを持ってしても「お寺に分がある」「やはり創価学会はめちゃめちゃだ」と論理的に考察されても
、私はメディスンさんの人間性を尊敬し、これからもメディスンさんと真摯的に論議させて頂きたいと思っております。
メディスンさんには、長い間、私のような讒言を戯れる愚者と、論議をして下さり、本当に感謝しております。
また、メディスンさんのお気持ちは、謹んで汲み取らせていただきます。
この件に関しては、この全文を持って私の意見とさせて頂きます。

長い間本当に有り難う御座いました。
又宜しくお願い致します。(他の皆さん、長文を本当に失礼しました)


132 名前: 文底さん<N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:05
>その正宗にある「法主絶対服従性」に懐疑的であるから創価学会を
>脱会しないのではないでしょうか?
>また、そのような信心深い人間を「文献学的」「論理的」「人道的」に「創価学会は邪教である」と認識させられなかった宗門にも責任があると考えます。
>やはり宗門の創価学会全員の「破門」は私には理解できません。

ここは本質を突いています。そのとおりです。
経典に「依法不依人」とあるでしょう?

日蓮大聖人が言われた法「南妙法蓮華経」に依るか
「法主」に依るか。
現存する学会員は、「現法主」に正しい信仰のあり方を見出せなかった訳です。



133 名前: 文底さん<N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:08
>「善とは絶対的に何々である」と断定した歴史

「善とは、悪を憎む心」と断定した歴史はありましたでしょうか?
「善とは、人間本来持っている心」と断定した歴史は?



134 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/14(水) 18:16
きりがないので、ひとつだけ。

>では何故「法主」には従わないか?
それは「人間」であるからです。
人間は間違いを起こさない生き物ではありません、縁に触れその時々で「豹変」し「過ち」を犯します。
その様な「ファジー」なものに対し全面的に「帰依」する考えを私は持ち得ません。

日蓮正宗には法主に帰依するというような教義は過去にも未来にもありません。日蓮上人の仏としての内証を墨に染め流した大御本尊に帰依するというのが教義です。
法主の位置づけは、血脈相伝によりその御本尊に対するいっさいの権能を持つというにすぎません。いわば日蓮から日興、その他代々伝わってきた相伝仏法の師匠として
師事し、尊敬していくというスタンスです。ここから先は水掛け論でしょうが、学会は法主の指導にことごとく従わず、法主から見て教義逸脱が多く、反省もないことから破門されました。
法主絶対主義とかいう言葉は、その後出てきた言葉でようするに破門するな!という事でしょうか。学会や文底さんに言わせてみれば、破門する権限を持っている事自体が「法主絶対主義」なんでしょうね。
日興上人も、落ち葉を見ていて法話を聞いてなかったという理由だけで弟子を破門しています。その後その弟子は全国を折伏の旅にまわり寺を何か寺か建立した功績を認められて数十年後に破門をとかれています。
破門も、また慈悲なのです。でも私に言わすと破門がそんなにいやならそもそも破門などという事がまったく出来ないという規約がある宗派に入れ!という事。
そういう宗派に自分の意志で入ったのだからガタガタ言うな、と。簡単に言うとその意味において、はなっから筋が通ってないと言う事です。だから断定しました。


135 名前: <N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:17
>それをもって一方を「増上慢」と断罪する事に私は懐疑的立場

「増上慢」には、
俗衆、道門、僭聖、の3種があります。けっこう客観的です。
同じ教義を持つならば、どちらが正しいのかを判断することが
出来るはずです。

学会は「現法主」が「僭聖増上慢」にあたるとしています。


136 名前: <N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:20
わたしには、文底さんが、学会の代弁者ようにみえてきましたよ。


137 名前: <N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:35
>日蓮正宗には法主に帰依するというような教義は過去にも未来にもありません。
>日蓮上人の仏としての内証を墨に染め流した大御本尊に帰依するというのが教義です。

墨に染め流したっていうのは、魂を込めたという意味の一つの表現ではないでしょうか?
教義というのとはちょっと違うような気がします。

>法主の位置づけは、血脈相伝によりその御本尊に対するいっさいの権能を持つというに
>すぎません。いわば日蓮から日興、その他代々伝わってきた相伝仏法の師匠として
>師事し、尊敬していくというスタンスです。

それは良いことではないでしょうか。

>ここから先は水掛け論でしょうが、学会は
>法主の指導にことごとく従わず、法主から見て教義逸脱が多く、反省もないことから
>破門されました。

法主という人間から見たものを基準にすること自体、ファジィな信仰ではないでしょうか?

>法主絶対主義とかいう言葉は、その後出てきた言葉でようするに破門するな!という事
>でしょうか。学会や文底さんに言わせてみれば、破門する権限を持っている事自体が
>「法主絶対主義」なんでしょうね。

その事だけではないようですよ。

>日興上人も、落ち葉を見ていて法話を聞いてなかったという理由だけで弟子を破門し
>ています。その後その弟子は全国を折伏の旅にまわり寺を何か寺か建立した功績を認
>められて数十年後に破門をとかれています。

多分その事が理由ではないでしょう、普段の振る舞いを見ていて、
たまたま、法話を聞いていなかったというきっかけがあったと言うのが本当のところでは
ないかな。そう考える方が自然だし。

>破門も、また慈悲なのです。でも私に言わすと破門がそんなにいやならそもそも破門
>などという事がまったく出来ないという規約がある宗派に入れ!という事。
>そういう宗派に自分の意志で入ったのだからガタガタ言うな、と。簡単に言うとその
>意味において、はなっから筋が通ってないと言う事です。だから断定しました。

でも、多くの学会員は破門されてよかったと言っています。
というより、始めは戸惑っていた人たちも、「ああ、そういうことか」
と納得したというのが現状です。
無慈悲と言うのは、受け止め方の問題でしょう。


138 名前: <N 投稿日: 2000/06/14(水) 18:39
>「現法主血脈否定論」を述べたのは違う団体

そのとおりです。学会は儀式的血脈については、
事実確認に留まっています。



139 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/14(水) 20:31
>Nさん

>「善とは、悪を憎む心」と断定した歴史はありましたでしょうか?
>「善とは、人間本来持っている心」と断定した歴史は?

 いったいどういう意図でこのかきこみをされたのか分かりかねるところがありますが、上記の二つが創価学会に蔓延している思想であることを考えると、それが創価学会独自の(もっと言えば唯一の)考えである、と言いたいのでしょうか?
 歴史的に見れば、「善とは、悪を憎む心」という、「憎むことへの正当化」が数々の宗教戦争を起こしたように僕は思っています。子供の読む漫画なんかにも堂々とまかり通っている、恐ろしい思想だと思います。こうした正当化が人間の心理としてあまりに安易におこりやすいからこそ、キリスト教に代表されるような「許す」という思想が宗教の持つひとつの役割としてあったのではないかと思います。
 いまどき「憎しみ」を肯定するような宗教とは・・・。憎しみは人間の持つ自然な感情のひとつでありますが、それを利用して組織の団結をはかったり、他人を攻撃するような宗教は最低です。他人に罪があるとしても、それが他人を蔑んで良い理由にはならないし、心理的においつめて良い理由にはなりません。しかし、現に創価学会は堂々とそのような活動をしています。不軽菩薩の精神を創価学会は忘れているのではないでしょうか?
 「善とは、人間本来持っている心」というのは、いわゆる「性善説」というもので、これと反対のこと(性悪説)を言った思想家は荀子ぐらいしか僕は知りません。それほど性善説というのは普遍的に各時代、各地域で言われていたことです。

 Nさんは僕から見ると非常に卑怯な態度をとっているように思えます。自分の考えに都合のよい部分だけはレスするけれども、全体を読むということをまるでしていません。文底さんは決して学会を養護する意味で今までの貴重なやりとりをしていたわけではないはずです。それは全文を読めば誰にでも分かることです。

>「善とは絶対的に何々である」と断定した歴史

というくだりにしても、おそらく文底さんの意図は、ある存在を絶対的な善と決めれば、それ以外が「悪」ということになるからこそ、反論しているのですよね?(違ってたら申し訳ありません)
 創価学会は創価学会を認めない存在はなんでもかんでも悪と決めつける、極めて恐ろしいスタンスを持っています。(宗教一般に生じやすい傾向ではありますが)


140 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/14(水) 20:52
Nさん、どうもです。今後ともよろしくお願いいたします。

一応確認しておきたいのですが、Nさんのおっしゃる「信仰」とは創価学会におけるそれ、と受け止めておいてよろしいですか? 「信仰」なら何でもよく、どんな宗教も可ということではありませんね?

>>疑いに明け暮れ、心貧しいという一種の偏見がある。
>何か大事なものを見落としているのではないかと、おもうのです。
>例えば、泳ぎを憶えるのに、水の掻きかたや、浮力の計算などを
>一生懸命勉強しても、本人が本当に泳げるのかなどは分からない。
>実際に水の中には行って体を浮かせてみれば、解ること。

比喩というものの持つ限界を知りつつお話されているのはよくわかっているつもりですが・・・
Nさんの出された例は、「理論」等に耽って「実践」へと踏み出さない人について喩えるのには適切かも知れませんが、特定の信仰体系(創価学会)の実践をしている人と、それに対して疑問等を呈している人との関係を喩えるにはあまりにも適切を欠くのではないですか?
学会の信仰についてNさんのようにおっしゃられる方もおられれば、「共産主義は理論だけいくらこね回していても分からない。労働者の権利拡大のため汗を流して闘ってこそその真髄が理解できるのだ」という人もいます。そうした宗教・イデオロギーに頼らず、試行錯誤しながら一所懸命自分の道を切り開いている人もいます。皆さんそれぞれの仕方で「水」の中を「泳いで」いるのです。NさんにはNさんの泳ぎがあるでしょうが、私もまたそうなのです。別の立場から見れば、「信仰」などに依存している人は自分の力で泳ごうとしない連中だ、という見方も成り立つでしょう。その是非はともかくとして。
はっきり申し上げれば、私とNさんとの関係は、「泳ごうとしない子ども」と「泳ぎを実践している大人」との関係ではないと思うのですが。それぞれ別の泳ぎ方をしている対等な個人の関係なのです。少なくとも私はそう思っています。もっとも、私としては「やっぱガキっぽいよ」と言われれば強く否定できないところはありますがね(笑)



141 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/14(水) 20:52
>「どんな人でもこの正しい法に帰依するならば、
>それは、日蓮が門下でありますよ」
>という事で、何か団体に入らなければ幸せになれないとか、
>自分達の宗教だけが正しいという偏狭な考えではないと
>いうことです。

「正しい」という基準はさておいて、このこと自体は非常に大切なことだと私も思います。ただ「日興の系統に帰依」というのはやはり疑問に思いますが。

>どういう風になれば満足なのですか?
>どういった点が不満なのですか?
>具体的でなくてもよいのでよろしかったらお聞かせ下さい。

すいませんが、もう少しお待ち願いませんか?
もう少し自分の頭の中で整理したいので。申し訳ありません。




142 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/14(水) 20:53

>そういったお手紙などを読んで、大聖人が好きになったという人がほとんど
>なのではないでしょうか。

多分そうなのだろう、と私も思います。最初に教義から、という人はほとんどいないでしょう。

>日蓮宗興門派第26世日寛上人が教義を体系的にまとめて
>いるので、その著書の六巻抄が、参考になるはずです。
>法華経の位置づけなども明確にしています。

ありがとうございます。それは一般でも入手しやすい(販売状況、価格とも)ものなのですか?

>演繹的に最高のものを「南妙法蓮華経」とし、そこから
>その側面を展開しているところが教義としては特徴的です。
>この読み方が出来ず、文面にとらわれると思考の迷路に
>陥いってしまうことは否めません。
>最初は私もよく分からなかったですよ。その捉えかたが。

またの機会に、その気があればで結構ですから、Nさんなりの「捉えかた」というのをお教えいただければ幸いです。




143 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/15(木) 01:54
>122

>>3・ 日蓮大聖人は法華経に予言された仏であり、唯一法華経を真に理解している
>>3は「唯一」という点においてNO(天台大師など)です。

> では、3は、後半部分の「唯一法華経を真に理解している」を削除すればよろしいですか? ただ、そうなると少々疑問が残ります。法華経の内容は素直に読めば(文上?)、日蓮正宗、もしくは創価学会の主張とはかなり異なる部分があります。
 例えば、釈尊と大聖人の位置づけなど、天台大師などがそんなことまで言ったとはちょっと思えないのですが。また、天台宗などは、天台自身は創価学会の方を正しいものと判断するであろうとすれば、天台の本意を理解していない宗教ととらえればよいのでしょうか?

概ねその通りだと思います。御書に、

「叡山天台宗の過時の迹を破し候なり、設い天台伝教の如く法のままありとも今末法に至ては去年の暦の如し何に況や慈覚自り已来大小権実に迷いて大謗法に同じきをや、然る間・像法の時の利益も之無し増して末法に於けるをや」

とあります。天台大師の説いた法華経は像法時代にしか効果がなく、末法の現在に於いては、功徳がないとしています。
また、比叡山は真言宗を交わったらしく、天台・伝教大師の法を正しく継いでいないそうです。

続きます。


144 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/15(木) 02:32
> 僕は、一般の信徒にはまともな人がかなりいることも知っています。信仰を糧にして、実際に豊かな人生を送っている人も知っています。しかし、創価学会の組織に入り込んでしまった人ほど頭がおかしくなっていると思っています。創価大学の学生部や学内組織というのはそういう存在だと思うのですが。

創大学生部は、どうも信心は強いが、盲目になっている人が多いように見受けられます。
どうも創大学生部周辺には、「指導には盲目であるほどよい」みたいな変な風潮が蔓延っているように感じられます。
理屈ばかりこねて、学会活動が及び腰になってしまう人より、盲目に突っ込む人のほうが遥かにパワーがあるので、如説修行の人としては優れています。それが後々問題になってくるのですが……。
でも、自分より遥かに活動している人に、「もうちょっと論理的になった方が……」とはいい辛いです。

大分前の話になってしまい恐縮ですが、僕が「純粋培養」という言葉を持ち出したことがありました。
純粋培養とは、創価小学校から大学まで一直線に上がってきて、なおかつ頭から信じることを教わってきた人たちを指します。そのまま本部職員になるコースが考えられます。こうした人は強力な独善的傾向を持ってしまうようです。
こうした人が作られる過程は、

二世誕生
→体験を持つ親が、「学会は正しい!」と教える
→親の言うことを素直に信じる
→既に「正しい!」と決定付けられた事象を検証しない
→論理構築力が養われない
→意見を丸呑みにしてしまう

といった流れだと思います。
更に、創価一貫教育の中では、同じ育ち方をしている人間が少なからずいるわけで、この傾向は修正されません。

続きます。


145 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/15(木) 02:36
御書は自分では読まず、池田先生の指導から孫引き、教学も任用試験前の、エッセンスだけの詰め込みでは、到底「信・行・学」の「学」を修めているとは言えません(自分も含め)。
こうした学び方は、高校生の歴史年表や英単語の暗記に近いものがあり、「何故そうなるのか?」というロジックの追求がスコーンと抜けています。

これが「頭がおかしい」とひゃっきまるさんが思われる人間のでき方だと思うのですが、これをして「組織に深入りしている人間ほど〜」と受け取られるなら、それは僕には悲しいことです。
親が築いてきた足場の上に立つ二世は、自分で築いてきたものではないが故に、基盤を持たず弱体化する……。二世の教学の空洞化は恐ろしいものがあります。もっとも、二世が駄目なのは学会だけに止まりませんが。

ひゃっきまるさんは元学会員ということらしいので、仏法用語は使っても構いませんよね?



146 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/15(木) 02:44
この書きこみは142の続きです。
前後してしまって失礼!

> 1以外については、ZEGAさんは学会の見解と同じとみなしてよいのですね? では、1は学会の公式な見解がないとすれば、ZEGAさんはどのように考えますか?

釈尊が直に説いたものではないが、仏意を全く反映しているもの、と考えています。
仏教そのものが、後の学者や仏教者により分析・解釈されています(九識論など)。釈尊の法を聞き、釈尊と同じ境涯に至った人々が、「上乗せ」的に説いたものが少なからずあるのでは、と。
御書の中にも、正法、像法時代に成仏した人についての記述があったのですが、場所を忘れてしまいました。探しておきます。
何故そう考えるかというと、釈尊の「悟り」とは、人間の至りうる最高状態であり、それは世界の森羅万象の根本を直感で覚知することの出来るものなのではないか、そしてそうなることをして「成仏」というのではないか、というのが僕の考えです。



147 名前: 投稿日: 2000/06/15(木) 12:32
ひゃっきまるさん<

>上記の二つが創価学会に蔓延している思想であることを考えると、それが創価学会独自の
>(もっと言えば唯一の)考えである、と言いたいのでしょうか?

ちがいます。まあ、話を続けましょう。

> 歴史的に見れば、「善とは、悪を憎む心」という、「憎むことへの正当化」が数々の宗教
>戦争を起こしたように僕は思っています。

>子供の読む漫画なんかにも堂々とまかり通っている
>、恐ろしい思想だと思います。こうした正当化が人間の心理としてあまりに安易におこりやす
>いからこそ、キリスト教に代表されるような「許す」という思想が宗教の持つひとつの役割と
>してあったのではないかと思います。

ほら、ごらんなさい、ちゃんと、「憎むことへの正当化」というように、
悪いのは、「正当化」とご理解できていらっしゃるではないですか?
その正当化する心をどうにかしようとは、思いませんか?

> いまどき「憎しみ」を肯定するような宗教とは・・・。憎しみは人間の持つ自然な感情のひ
>とつでありますが、それを利用して組織の団結をはかったり、他人を攻撃するような宗教は最
>低です。他人に罪があるとしても、それが他人を蔑んで良い理由にはならないし、心理的におい
>つめて良い理由にはなりません。

善悪を見極めて下さい。組織の団結自体は悪でも何でもありません。

また、「他人を蔑む」ということと、「正当化する心を憎む」というのは別物ではないですか?

>しかし、現に創価学会は堂々とそのような活動をしています。

少なくとも私は貴方の言われるような心理的に追いつめる様なことはしていません。

泳ぎの例で言うと、
どうやったら泳ぎを憶えさせられるかを真剣に考えているわけです。
人それぞれ、教える側や教わる側のそれぞれの状態により、
違ったやり方がでてくるのは当然だとは思いませんでしょうか?


148 名前: 投稿日: 2000/06/15(木) 12:36
ひゃっきまるさん<

>不軽菩薩の精神を創価学会は忘れているのではないでしょうか?
>「善とは、人間本来持っている心」というのは、いわゆる「性善説」というもので、
>これと反対のこと(性悪説)を言った思想家は荀子ぐらいしか僕は知りません。
>それほど性善説というのは普遍的に各時代、各地域で言われていたことです。

これが性善説に見えるのですね。

「善とは、人間本来持っている心」

であるが、悪が無いとは言っていませんよ。
大乗仏教では性善説も性悪説のどちらの立場も取りません。
「縁」により善にも悪にもなると言っているのです。
ですから、相手が悪いことをしても、許すとか許さないとかではなくて
そうなった「縁」を重視して解決を図るのです。
貴方の言う「許す」という思想は、仏教には無いのではなくて、思想として必要が無いのです。
「許したくないものを無理矢理許す」という不自然な感情を持つこともありません。
はじめから「善も悪もある」として受け入れようとしているのですから。

> Nさんは僕から見ると非常に卑怯な態度をとっているように思えます。自分の考えに
>都合のよい部分だけはレスするけれども、全体を読むということをまるでしていません。

次の日覗いてみたら、自分の書き込みまで戻れない状態です。レスがあったことも分かりません。
探すのに苦労しています。見つけ次第答えるつもりです。
あの膨大な量を読んでいるうちに話が終わってしまいます。
また文章が長いのでどこに取り付いてよいのかわからない状態です。
貴方へのレスが無かったのならば、誤ります。

で質問ですが、「非常に卑怯な態度をとっているように思えます」
とおっしゃいましたが、人によっては「おまえは卑怯だ」といわれたとうけとめて、
貴方のことを卑怯者呼ばわりする人間だと言われたら。

逆にその事を誇張してそれを吹聴する「Nは卑怯だ」と決めてしまう人がいたとしても
ふしぎではないのでは。

>いまどき「憎しみ」を肯定するような宗教とは・・・。憎しみは人間の持つ自然な感情のひ
>とつでありますが、それを利用して組織の団結をはかったり、他人を攻撃するような宗教は最
>低です。他人に罪があるとしても、それが他人を蔑んで良い理由にはならないし、心理的におい
>つめて良い理由にはなりません。

これが学会だと言うのであれば、貴方はそういう誤解をされているのですよ。

>文底さんは決して
>学会を養護する意味で今までの貴重なやりとりをしていたわけではないはずです。
>それは全文を読めば誰にでも分かることです。

私は、文底さんが学会擁護しているとは言っていません。
「見えてきた」と言ったのです。
それは、学会の主張との共通点が多く見られるからです。

>「善とは絶対的に何々である」と断定した歴史

>というくだりにしても、おそらく文底さんの意図は、ある存在を絶対的な善と決めれば、
>それ以外が「悪」ということになるからこそ、反論しているのですよね?(違ってたら申
>し訳ありません)

違います。過去の歴史を表層的に捉えることを避けたかっただけです。
あなたが、「正当化」という言葉を出して頂いたので、より明確になったでしょう?
それがねらいです。

>創価学会は創価学会を認めない存在はなんでもかんでも悪と決めつける、
>極めて恐ろしいスタンスを持っています。(宗教一般に生じやすい傾向ではありますが)

恐ろしいといわれるのならば、こう言われた時どう反論しますか?

『「ひゃっきまるは、ひゃっきまるを認めない存在は何でもかんでも悪と決め付ける
きわめて恐ろしいスタンスを持っています。」
(人間一般に生じ易い傾向ではありますが)』

どう否定しますか?


149 名前: 投稿日: 2000/06/15(木) 12:38
申し訳ないけれど、ここまで書くので精いっぱいです残りのレスは今しばらくお待ち下さい。
もし書けたら、夕方にでも投稿しますm(__)m


150 名前: 投稿日: 2000/06/15(木) 12:56
第7の外道さん<

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

>一応確認しておきたいのですが、Nさんのおっしゃる「信仰」とは
>創価学会におけるそれ、と受け止めておいてよろしいですか? 「信仰」
>なら何でもよく、どんな宗教も可ということではありませんね?

私が「信仰」と言った時には一般の信仰をさします。
創価学会の信仰のばあいは、「学会の信仰」「妙法に帰依」また「御本尊に南無」などと
いったような、その場に応じた表現を使うようにしますので混乱は無いはずです。

立場として、信仰なら何でもよいとは考えていません。あなたの仰せの通りです。

>>疑いに明け暮れ、心貧しいという一種の偏見がある。
>何か大事なものを見落としているのではないかと、おもうのです。
>例えば、泳ぎを憶えるのに、水の掻きかたや、浮力の計算などを
>一生懸命勉強しても、本人が本当に泳げるのかなどは分からない。
>実際に水の中には行って体を浮かせてみれば、解ること。

>Nさんの出された例は、「理論」等に耽って「実践」へと踏み出さない人について喩えるのには
>適切かも知れませんが、

そうですね。端から見ていて学会のやり方が強引だとか言う批判
をする構図を示すのにもわかりやすいともおもいます。

>それぞれ別の泳ぎ方をしている対等な個人の関係なのです。少なくとも私はそう思っています。
>もっとも、私としては「やっぱガキっぽいよ」と言われれば強く否定できないところはありますがね(笑)

わかります。要するに貴方は相手に認められていないなと感じていらっしゃるのでしょう。

泳ぎかたの例えって良いかもしれませんね。

貴方はどこに向かって泳いでいるのか?と問われた時、

「いや、わからない。」

では端からみて困るのです。見ていてかわいそうになります。
そういう人たちに
「どこに向かっているの?どんなに一生懸命泳いでいても、こちらに向かわなきゃだめだよ。」
と教えるのが一つ。
あなたは、どこに向かって泳いでいますか?

また、
「その泳ぎかたでは、真っ直ぐ泳げず、いくら泳いでも目的地に着かないよ。こうやってごらん」
と言うのも一つですね。
貴方は自分の泳ぎかたがベストだと信じているのでしょうか?

第7の外道さん<

>>「どんな人でもこの正しい法に帰依するならば、
>>それは、日蓮が門下でありますよ」
>という事で、何か団体に入らなければ幸せになれないとか、
>自分達の宗教だけが正しいという偏狭な考えではないと
>いうことです。

>「正しい」という基準はさておいて、このこと自体は非常に大切なことだと私も思います。
>ただ「日興の系統に帰依」というのはやはり疑問に思いますが。

宗教者が自分の宗教に自信を持たなくてどうするのでしょうか?
自分の宗教は正しくないかも知れないが、やってみなさい。
なんて、無責任なことではいけないでしょう。その言い回しではないでしょうか。
自分の宗教が正しいと言えてこそ、本物の宗教としての要件が備わっているとは
思いませんでしょうか?

>>どういう風になれば満足なのですか?
>>どういった点が不満なのですか?
>>具体的でなくてもよいのでよろしかったらお聞かせ下さい。

>すいませんが、もう少しお待ち願いませんか?
>もう少し自分の頭の中で整理したいので。申し訳ありません。

ええ、これは大事な問題ですので、結論をいそがないようにしてください。


151 名前: 文底 投稿日: 2000/06/15(木) 17:16

メディスンさん

>>他の方もいらっしゃる板なのでそろそろこの問題について論じるのはひかえたいと思います。(注・メディスンさんの御意見 )

>私もその意見に従います。(注・文底である私の意見)
>この件に関しては、この全文を持って私の意見とさせて頂きます(注・私のメディスンさんへの創宗問題に付いての意見)

このように申し述べましたので、メディスンさんのNo134に対する、反証は差し控えさせていただきます。
無論、No134の御意見に対してメディスンさんの御許可が頂ければ、No134全文おいて反証する事は、吝かではありません。

以上、宜しく御理解の程、お願い致します。



152 名前: 文底 投稿日: 2000/06/15(木) 17:17

若葉マークさん

>毎度のトンデモ質問?なのですが・・・(^^ゞ

いえいえ、若葉マークさんの御登場、心よりお持ちしておりました。(レスが送れてスミマセン)

>私は、「血脈相承」「御本尊」の問題があったので、学会は、日蓮正宗から簡単に離脱することができなかったのだろう・・・と思っていたのですが。

それは仰る通りだと思います。
基本的に学会は、学会の存在意義を否定されない限り、日蓮正宗から離脱する気は無かったと思います。(破門はされましたが・・・)

>文底さんの仰る通り、「血脈相承」を否定的に捉え、

きっと私の論じ方が稚拙なためその様に感じられたかも分かりません。

私は日興門流における定義の(あくまで日興門流の定義上ですよ・・)「血脈相承」自体の教義を否定した訳ではなく、その教義解釈の「差異」と「曖昧さ」をメディスンさん仰る所の「宗門側の解釈」である
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体」であるから「戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人は不二である」

との御意見を、私が挙げた「学会側の解釈」である
「あくまで座主である法主を三宝の中の僧宝として、本尊不二と定義する事は日興門流の教義解釈とは違うのではないか?」
と比較して論証しただけです。

そして、その「文献学的教義解釈」が「双方どちらにもいかに都合良く解釈できるか」を「日興門流の御書」や「双方の言動」を論証として、メディスンさんとの創宗問題の論議の推移において例証しただけです。

続きます。


153 名前: 文底 投稿日: 2000/06/15(木) 17:18

>>現代でも、日蓮正宗・創価学会の御本尊は「印刷物」であり、科学的に見て何も違いはありません。
>>印刷所から直接末寺に御本尊が輸送されていたのは事実であり、本山で何か特別な「入仏儀式」があった訳ではありません。
>という、「御本尊」に対する認識であれば、学会は、なぜ「正宗」に拘ったのでしょうか?

これは私見ですが「学会は正宗に拘った」のでは無く、あえて「離れる教義的理由が無かった」と見ています。
私が検証した限りにおいては学会・宗門の「日興門流」の根底にある「三大秘法」や「三宝」の「本義」における教義的差異はありません。(ただ「法主唯一の血脈」を化儀か本義とするかで、教義論争になりました)
過去の歴史においても、学会は宗門に対し(メディスンさんも仰っていましたが)結構「言いたい事を好き放題」に言っております。
二代会長の「戸田氏」などもかなり具体的に僧侶に対し「辛辣な言葉」を述べています。
しかし、現在の法主以前までは、学会が(苦言)を述べても「破門」にしませんでした。
これは「破門」とするだけの「文献学的教義解釈の論証が出来なかった」と類推しています。
まあ、単に「金銭上絶好の得意先を失いたくなかった」と僻見する事も出来ますが・・・

ですから「学会は正宗に拘った」と見るよりは「正宗の現法主が学会の言動に拘って破門した」と見る方が事の推移として妥当であると考えます。

以上です。


154 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/16(金) 04:54
文底さん。
終わりにしようと言ったのに蒸し返して悪いんですが、気づいた事があるので書きます。
文底さんのスタンスである「「何々は何々である」と結論付けようとされる方には「それ以外にも何か他の方途があるのではないか?」と自分の持ち得る論理的意見で問題定義しているに過ぎません。 」
という姿勢を忘却して、まるで文底さんを学会の意見に洗脳されてしまった方のように論じてしまった事を深くお詫びいたします。本当にごめんなさい。
偶然ではなく、文字どおり学会の方の主張を別の見方として提示なされて「この問題はこういう考え方も出来るのでどちらが正しいかとは結論ずけられない」とおっしゃりたかったのですね。きっと学会のほうの主張に対しては正宗の主張をもって反論されるのでしょう。
でも私も学会のほうがそのように主張している事は十分承知しており、何度も議論しているし本の読んでいますで、そういう見方が出来るのはわかっているつもりです。でもひとつの物事をひとつの見方しか出来ないなんて事が有り得るとは思いませんし
100人いれば100通りの主張が可能かと思われます。私は2つの意見を聞き、どちらがが比較的筋が通っているかという事を検証して宗門の方の見解を選びました。所詮は比較論で、どっちが悪とか善とかそこまでの話では、はなっからありません。
そのあたりで論点がズレている事を今日発見しました。私はすべてにおいて客観的になる事の出来ない人間かもしれません。私には「選ぶ」という性質があります。たくさんの情報があった時、真実はたくさんあると判断するのではなくどれか比較的真実と思われるものを「選ぶ」のです。
私はたまに瞑想するくらいで、とりたてた信仰はありませんが信仰をされている方もきっと選んだ方ではないでしょうか?信仰するという事と客観的であり続けるという事は相容れないものがあると思います。
こんな事をいうとこのスレッドの存在を否定してしまいそうですが、そういう意味では、どんなに客観的に論じてみても「信仰」そのものを認識することは出来ないと思いました。
信ずるに値するものとは何でしょう?人は物心ついた時から膨大な情報の中から信じられる何かを選びとって生きています。本当に何も信じれなくなった人は発狂します。今の日本人は特にドラマに飢えていて「夢のようなドラマ」や「壮大なドラマ」をバカにしつつ
どこかでそれにはまりたい、という欲望はあるのかもしれません。今日アムウェイにはまっている友人と議論して、つくづくそう思いました。そのドラマにそこまではまりきれる友人をすごいなと半ばあきれと共に感心しました。
私は文底さんの足元にはおよびませんが、物事をすぐ客観的に分析してしまい何かに「はまる」という事が出来ません。ただこんな私でもたくさんの信じるに値するものは選びとってきたつもりです。しかし物事にはどんなものにも陰と陽があり、完全に悪とか完全に善とかいうものが存在するとは
私は思っていません。キリストでもアラーでもなく、仏教を比較的好きなのも仏教が善悪ではなく縁という思想を持つからでしょうか。
信仰はそもそも検証する事の難しいものです。しょせん私が宗門に部があると論じても、それはしょせん「元祖だから」という理由にすぎません。例えば家の離れを人に貸してその人が大金持ちになったとします。
そして何を思ったかその人が「あなたはこの家の家主としてふさわしくない!」とか声高に叫び始め隣近所の人に言いふらし始めたので「立ちのいてくれ!」と言いました。そうすると居住権は言い出すわ、不当だとわめくは
家主に呪いの手紙を送りつけるは、近所の人も使っていやがらせするわ大迷惑。この場合、どっちが比較的正しいでしょうか?と。間借り人をちゃんと面接しなかった責任は家主にはあるけど、ちょっとひどいしめちゃくちゃなんじゃないの?と。
私の主張は、その程度の事なのです。深淵な教義の事など実は枝葉でした。どうもすみません。




155 名前: メディスン 投稿日: 2000/06/16(金) 05:29
人々が人の作った大がかりなドラマにはまりたいのは、それに代わるドラマが自分の中にないからなのかもしれないですね。
大掛かりなドラマには麻薬性があり、交感神経を刺激してドーパミンが大量に出るのでしょう。それに自分と同じ事を信じている集団の中にいるのは相乗効果があって心地よくもあります。
でも真のドラマは自分の中にあるのだと私は思います。真実が、何か限定されたものの中にあるとはどうしても思えない。真実は目にも見えず、とらわれのないものです。
釈迦は徹頭徹尾、その事を説いていると私には思えるのです。なのに、なぜ「本尊」や「題目」や「宗」や「会」や「法主」に成仏が制限されるのでしょうか?
この問題を通してこの事がすごく疑問です。





156 名前: 文底 投稿日: 2000/06/16(金) 10:11
メディスンさん

連日の誠実な、そして、真摯的レス本当に感謝しております。
お体の方は大丈夫でしょうか?

>私は2つの意見を聞き、どちらがが比較的筋が通っているかという事を検証して宗門の方の見解を選びました。

私は、メディスンさんの「お気持ち」自体を否定するための論議ではありませんでした、もし、私がこの論議の推移によって、メディスンさんの「お気持ち」を傷つけてしまっていたら本意ではありません。
申し訳ありませんでした。

>人は物心ついた時から膨大な情報の中から信じられる何かを選びとって生きています。本当に何も信じれなくなった人は発狂します。

仰る通りだと思います。
私は「何も信じれなくなった人」に対しても、問題提起を投げかけますが、同時に「信じるものはこれしかない」と結論付ける方に対しても同様のスタンスで問題提起します。

>物事をすぐ客観的に分析してしまい何かに「はまる」という事が出来ません。

メディスンさんは私の事を指してこの様に仰っていると思いますが・・・・
私自身のこの態度が「客観的に分析」しているつもりであっても、何時の間にか、相手のお立場を「非難」し「心証を害する」ような誤解を生み出す事も、自分自身の反省とせねばなりません。

>真実は目にも見えず、とらわれのないものです。
>なぜ「本尊」や「題目」や「宗」や「会」や「法主」に成仏が制限されるのでしょうか? この問題を通してこの事がすごく疑問です。

私も全く同様の意見です。
そして、このスレッドで論議されている様々な方々の、御意見を拝見させていただき、自分自身、右顧左眄しながらも「何か自分では気付かなかった方向性の一端」を、見出せればと思っております。

メディスンさんには色々ご迷惑をお掛けいたしました。
そして、心より感謝しております。
有り難う御座いました。


157 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 11:31
Nさん
ご丁寧なレスありがとうございます。ではいくつか疑問を書かせていただきます。

>>それぞれ別の泳ぎ方をしている対等な個人の関係なのです。少なくとも私はそう思っています。
>>もっとも、私としては「やっぱガキっぽいよ」と言われれば強く否定できないところはありますがね(笑)
>わかります。要するに貴方は相手に認められていないなと感じていらっしゃるのでしょう。

どうも「もっとも〜(笑)」という方に引きずられた解釈をなさったようですね。随分強引な「要するに」だと思えます。
各人別の泳ぎ方がある、というのは、各人それぞれ正しさの基準というのがあり、一方が正しさを教える側であり、一方が教わる側である、ととらえることは適切でないということです。正しさの内容について双方に共通の了解があるなら別です。しかしNさんは何をもって正しいとするのか、はっきりとした提示は何もされていない状態ですし(ただ私の意見を批判的に扱っている、というのは分かりますが)、当然Nさんの言う正しさがどういうものなのかも、私ははっきりは知りません。はっきり言えば、お互いに相手の考えているだろう「正しさ」が疑わしいと思いあっている関係です。そうした関係を「教える―教わる」の関係で喩えるのは不適切であり、その限りで両者は対等なものとして把握されるべきだ、と主張したわけです。ただNさんはそちらの方向に対するレスは全くなさらずに、私がその適切さを疑っている「泳ぎ」の比喩を何の裏づけも提示せずそのまま繰り返しておられますね。
もう少し詳しく言います。



158 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 11:32
>貴方はどこに向かって泳いでいるのか?と問われた時、
>「いや、わからない。」
>では端からみて困るのです。見ていてかわいそうになります。

もちろん、困ったりかわいそうに思ったりするのは端で見ている人の勝手でしょう。ただその「勝手」に基づいて、他人の人生に介入したりそれを引っ掻き回したりするようなマネは遠慮願えたらと思うだけです。因みに私は「いや、わからない」というのは特に悪い返答だとは思いません。その人が自分で答えを探そうとしているなら、それはそれでいいと思います。

>そういう人たちに
>「どこに向かっているの?どんなに一生懸命泳いでいても、こちらに向かわなきゃだめだよ。」
>と教えるのが一つ。

「こちら」とはどちらでしょうか? 創価学会に入会することですか?

>また、
>「その泳ぎかたでは、真っ直ぐ泳げず、いくら泳いでも目的地に着かないよ。こうやってごらん」
>と言うのも一つですね。

「目的地」とはどこでしょうか? 創価学会に入会して妙法に帰依することですか?




159 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 11:33
例えば私がおぼれており、何かを求めている。それに対してNさんがその「何か」を的確に把握しているが、おぼれて苦しんでいる私はそれが気づかない。それなら「泳ぎ」の比喩は成り立つでしょう。しかしNさんと私の間で共有されている「何か」はまだないのです。同じ一つの海を、同じ目的地目指して泳いでいる、Nさんはすいすい泳いでいるが私はおぼれそうだ。それなら「泳ぎ」の比喩は有効でしょう。しかしNさんが泳ぎを教えようにも、私はNさんの考えておられる「海」で泳いでいるとは限りません。目的地も同じとは限りません。
その段階で、Nさんが私に具体的な説明もなく「目的地」「こちら」と言っても何の意味もありません。
比喩が有効であるためには、それなりの条件がそろわなくてはなりません。今の場合、その条件はそろっていません。
「目的地」等の比喩をこうして出されるのなら、せめてもう少し「目的地」等の内容を具体化してください。

>あなたは、どこに向かって泳いでいますか?

旧「日蓮って」の中でいくらか書いてきました。そちらを御覧ください。

>貴方は自分の泳ぎかたがベストだと信じているのでしょうか?

ベストかどうか分かりません。ただ「私にとっては、これしかなかろう」という確信はあります。私は自分が「宗教者」である、とは思っていませんが、ちょうどNさんのおっしゃるところの

>宗教者が自分の宗教に自信を持たなくてどうするのでしょうか?

に似たところなのかも知れません。




160 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 11:34
ところで

>自分の宗教は正しくないかも知れないが、やってみなさい。
>なんて、無責任なことではいけないでしょう。

「やってみなさい」と宗教を人に勧めるのなら、「自分の宗教は正しい」と思っていなければできないでしょう。しかし宗教の勧誘など誰もがする必要はないし(ですからそんな問いかけを私にしている時点で、何か相当勘違いをされているな、という印象を受けます)、自分が正しいと思っても、相手にとってもそれが正しいのかどうかは分かりません。ひょっとしたら、その正しさとは独善的な妄想であるかも知れません。問題は、あくまで「正しさ」の具体的基準であり、その説得力です。
それに「自分の宗教は正しくないかも知れない」という疑問を持つのもまたそれはそれでいいんじゃないですか。そういう人は「やってみなさい」などとは言わないでしょうから、無責任であることもないでしょう。

>自分の宗教が正しいと言えてこそ、本物の宗教としての要件が備わっているとは
>思いませんでしょうか?

全く思いません。浅原や福永のおぢさん達が「自分の宗教が正しい」と言えていれば、その「宗教」は「本物の宗教」としての要件が備わっていると言えるのですか? どだい、「本物の宗教としての要件」とは何ですか? ここで言う「本物の宗教」とは創価学会のことを指していると思ってよろしいのですか?
そして仮に「本物の宗教」の中に創価学会が入っているとして、その「正しさ」とは何ですか? もう少し具体的にお願いします。




161 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 11:34
さらに

>ただ「日興の系統に帰依」というのはやはり疑問に思いますが。

という疑問にはやはり答えていただいていませんが、Nさんには答える意思はない、と受け取ってもよろしいのですか? それとももう少し待っていればよろしいのですか?

>ええ、これは大事な問題ですので、結論をいそがないようにしてください。

お気遣いありがとうございます。できるだけ早く意見をまとめられるように努力はします。



162 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 12:20
>ZEGAさん
 誠意のこもった長いレス、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
 他の以前の話題のレスでも、僕はずっと気にしているし覚えているので、気にせずレスしてくれると嬉しいです。(その場合番号をつけていただければ、すぐに過去ログを検索できてありがたいです)

>釈尊が直に説いたものではないが、仏意を全く反映しているもの、と考えています。

 では、
2・法華経は(歴史的)釈迦の本意である教えである
をYesとしているので、
1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである
はNOということでよろしいでしょうか? この点は非常に重要な部分なので、はっきりと確認をとりたいです。分からなければ「分からない」としても結構です。

 ということは、釈尊が悟った「普遍的な何か」は、延々と継がれて、2〜4の項目によって、今は創価学会のみに継承されている、ということですね?

 歴史的検証を全ての時代に渡ってやるのは非常に時間がかかるし、大変なので、僕は最も重要な部分に論点をしぼりたいと思っています。創価学会の教義(この呼び方は気にくわないかもしれません、「法」と呼んでも結構です)は、本当に(歴史的)釈迦の本意であるかを検証すれば、創価学会の正当性を証明できると考えるのですが、いかがでしょうか?
 釈迦が悟ったものとは「何」で、それから後の時代に上乗せ的につけ加えられていったものが「何」か、歴史的見地、文献的見地から探っていくということでよろしいでしょうか?

>どうも創大学生部周辺には、「指導には盲目であるほどよい」みたいな変な風潮が蔓延っているように感じられます。

 そこのところが僕にとっても、このスレッドの他の方にとっても不思議なところだと思うのです。一概に創価学会に入信するにしても、頭がおかしくなってしまう人とそうではない人がいる、というように見受けられます。また、正しい指導をする幹部と、そうではない幹部がいる、というようにもとれます。また、信心があればいっそう頭脳明晰になるというわけでなく、むしろ何も考えずに盲目的になったほうが信心がある、というようにも思えます。
 また、ZEGAさんが問題視するような問題を、なぜ組織は警告したり、改善しようとしたりしないのでしょうか? 誤った指導をする幹部は、本当に我見のようなもので暴走しているということなのでしょうか? 僕は、そもそも創価学会という組織がそれを信者に求めているから、というように思えてしまうのですが・・・。
 それは、仏法の教えがどうこうというよりも、あまりに学会が個人の中身ではなく、組織の拡大に重点をおいているから、というように思います。


163 名前: 投稿日: 2000/06/16(金) 12:21
第7の外道さん< 投稿日: 2000/06/14(水) 20:53

>>日蓮宗興門派第26世日寛上人が教義を体系的にまとめて
>>いるので、その著書の六巻抄が、参考になるはずです。
>>法華経の位置づけなども明確にしています。

>それは一般でも入手しやすい(販売状況、価格とも)ものなのですか?

気にかけて頂いてうれしいです。勉強家なのですね。
そういう書物もありますよっていう意味で紹介したつもりだったのですが、
もう少し詳細にお知らせします。

第26世日寛上人は日蓮興門流では「中興の祖」と呼ばれています。「六巻抄」は、当時の他宗
からの批判への回答になっているものです。ですから、現代に適していない表現などもふくまれ
ますが、・・・
六巻抄自体は発売されたとは聞いていませんのでないと思います。

ですが、「六巻抄講義・創価学会教学部編」1〜6(聖教新聞社)
が10年くらい前に一冊5、6百円くらいでした。
現在も販売されているかどうかは不明です。もし、学会員の知り合いが
いらっしゃいましたら確認して見てください。
でも、すこし古い学会員なら持っているかも知れませんよ。

なにぶん、江戸時代の学者が書いたものだから、理解に苦しむ表現もあったりで大変ですが。
講義で解説されているので少し助かります。
わたくしごときは、必要な部分だけ参考にして後は読んでいないのが現状ですが。
第5巻の当流行事抄で、儀式的意義について参考にした程度です。

学会の教学も日寛上人の述作を重視してそれに基づいていますので、
(信心は御書です。お間違えのないように。)
「教学の基礎」(聖教新聞社)という本ならば、前述の位置づけなど
をおおよそ理解するには十分だと思います。これも1000円程度で
今も発売されているはずです。


164 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 12:22
>純粋培養とは、創価小学校から大学まで一直線に上がってきて、なおかつ頭から信じることを教わってきた人たちを指します。そのまま本部職員になるコースが考えられます。こうした人は強力な独善的傾向を持ってしまうようです。

 この辺のくだりは、僕の考えとほぼ同じです。しかし、その状況は組織の意図しないところであるというのがZEGAさんの考えであるのに対し、僕は組織の意図するところであると考えるところが違うわけですね。
 擬似的な状況は、創価系の学校に行っていない人にも起こっていると思いますし、大学ではじめて創価色に染められる人も多いように思っています。(僕の経験では、高校まではZEGAさんのように学会に反発を持っていたような人は少なくないように思います。大体において、学生部活動、クラブ活動を通して考えが変わるようです)
 そもそも牧口初代会長は、「教育」という観点から「創価教育学会」を創設されたのであり、今でも学会の中では「教育」を重視する声が高いです。しかし、それを理想的に行うべく仏法を基調にして建てられたという創価系の学校で、牧口会長の構想と似ても似つかぬ洗脳教育、無思考教育、あげくの果てに自分の人生の目標を創価学会のために尽くすこと、との考えを吹き込まれ、本部職員になるのでは、一体何のための学校なのでしょうか?
 創価系の大学には多額の寄付金が送られています。それゆえに他の私立の大学に比べ、教授陣にしても、施設にしても、すこぶる豊かな状況といえるでしょう。寄付金の出資者は、心から創価大学が比類ない素晴らしい大学だと信じています。また、入学者の両親親族も、そう信じているからこそ、子供の入学を喜びます。聖教新聞には連日のように創価大学は最もすばらしい大学である旨が報じられていますが、実際卒業されたZEGAさんなら、どれだけ報道と実態がかけ離れているか実感されたことでしょう。
 こういった状況は、避けがたい仕方のない状況なのでしょうか? 僕は決してそうは思いません。組織の指導の方向性がこのような状況を生み出していると思っています。

 ところで、以前ZEGAさんは、「創価学会の全てが正しいとは思っていない」と言われましたが、どこからどこまでが正しくて、どこからは間違っているのでしょうか? 末端信者は基本的に上層部の意向に従うし、出版物などの仏法を解説するものも上層部から来ているわけですから、上にさかのぼるほど正しさが増す、というのが自然な考え方だと思います。自分の判断で仏法を理解することは独見、我見と呼ばれますよね? 例によって(^^)これだけ予想してみました。

1・仏法は正しい
2・池田名誉会長は正しい
3・秋谷会長は正しい
4・本部直属の幹部は正しい
5・部長クラスの幹部までは正しい
6・池田名誉会長以外は全て間違っている可能性をもっている
7・あくまで御書を自分なりに理解するしかない
8・部分的に間違っているところがあるにしても、「全体の目的」としては正しい
9・行為自体は間違っているかも知れないが、何をやっても結果的に正しくなる

>ひゃっきまるさんは元学会員ということらしいので、仏法用語は使っても構いませんよね?

 もちろんです。しかしなるべく分かりやすい言葉を使ったほうがよいかも知れません。ここのスレッドはロムのみの人もけっこういるようですから。


165 名前: 投稿日: 2000/06/16(金) 12:26
>>最初は私もよく分からなかったですよ。その捉えかたが。

>またの機会に、その気があればで結構ですから、Nさんなりの
>「捉えかた」というのをお教えいただければ幸いです。

現在では、その捉えかたが当たり前で、現実とマッチしているので、
話すと、「当たり前じゃないか」と言われるのがオチです。(^^*)

とりあえず、たたき台として言ってみます。暇があったら考えてみてください。

「南妙法蓮華経」とは最高の法。
総ての法をも含む。一切の法の集大成と言ってもよい。
だから世の中の森羅万象総てが、この「南妙法蓮華経」に含まれる。
漏れるものはない。とする。

この捉えかたに違和感があるならば、
出発として、この世の全てを包含する最高の法は必ず存在する。(と信じたことが出発です)
そしてその名前は「南妙法蓮華経」という。
としてもよいでしょう。

まず、他と比較して絶対唯一と捉えるところから、
誤解が始まります。「高低浅深」があると言うことです。
思想にも宗教にも「高低浅深」があります。
また、「一」という漢字をみると、「それだけ」という意味に捉えがちですが、
「一」には、「全て」という意味も持っています。
仏教的概念では、この「全て」という意味をふくめて使用しているケースのほうが多いようです。
たとえて言うならば、この宇宙は「一」ですが、どちらの意味も包含していますよね。

ですから、自分がこれが最高だと思っているものよりも、良いものが
でてきたとしたら、今までの法は間違いなく「南妙法蓮華経」ではありません。
そして、出てきたより良いものが、今までのものを排除しなければならない場合も
その良いものというのは「仮」のものであって「南妙法蓮華経」ではありません。

自分はこっちが良いとおもう、あんたはそっちが良いと思う。
どっちが良いか分からんが、まあ良いじゃないか人それぞれあるのだから。

という言い方がありますが、それぞれも、「南妙法蓮華経」を指していっているのではありません。
しかしそれらのことは、両方とも「南妙法蓮華経」に含まれています。

懐疑論者というのは、この演繹的捉えかたよりも、帰納的捉えかたに
重点を置きます。この両者は、互いに反目するものではありません。
両方を補うために存在します。求めるべきものを見失ってしまうと、
懐疑の意味を成さなくなってしまいます。
ですから、「何を信じるか」ということは、懐疑するうえでも非常に重要なことなのです。

その頃のわたしは、「最高の法が存在する」ことをまず信じてみたと、いってよいかもしれません。

で、「大乗経」も「小乗経」もその外の思想も、もともと、人間の生活を
良くしようとして存在したはずですよね。ですから、根っこは一つのはず。
日蓮大聖人は、その根本を「南妙法蓮華経」と位置づけたのです。

・・・・・

ひえぇ追いつきませぇん・・・


166 名前: 文底 投稿日: 2000/06/16(金) 12:28

第7の外道さん

貴重なスレッドを長文にて、汚してしまい、申し訳ありませんでした。(無論メディスンさんに責任はありません)

これ以後の、私のこのスレッドでの発言に対する位置付けを、より慎重(相手に失礼にならない為)にするにも、今回の私とメディスンさんとの議論の推移において、私の反証した定義付けの御感想を、第7の外道さんご自身の私見で結構ですから、お聞かせ頂けると嬉しいのですが・・・・(第7の外道さん自身お忙しくなりそうですが・・・)

無論、昼行燈さん(まだ見ていらっしゃっているかな?)や若葉マークさん・ひゃっきまるさん・ZEGAさん等の夫々の御立場としてのご感想をお聞きかせ出来れば、なお嬉しいです。


Nさん

私のNo110&No111のレスを見て頂けたでしょうか?
一応、確認のため今一度書いておきます。

>>Nさんの現在のお立場(活動家としての学会員・懐疑的学会員・アンチ学会派・日蓮正宗系信者・その他の宗教者・無信仰の客観的第三者など)を明確に定義付けて下さい。

>>その上で御自身のお考えを「論理的」に「再構築」される事をお勧めします。



167 名前: 文底 投稿日: 2000/06/16(金) 12:46

Nさん

>>その上で御自身のお考えを「論理的」に「再構築」される事をお勧めします。

この文面は、現在のNさんの書き込みを拝見させて頂いている限り、Nさんなりのきちんとした理論的展開をされておられる様なので、お詫びして、撤回させていただきます。

ただ、Nさんは、私とメディスンさんとの論議の展開を含めて、Nさんの御感想を、その時々の発言の一部分のみの事象で述べられている傾向が見受けられます。
ですから、Nさん御自身のお考えで結構ですので、今一度まとめられて、再掲示して頂くと、論点・争点が明確になると思うのですが・・・

宜しくお願い致します。



168 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 12:55
(>164の内容はZEGAさんへのレスの続きです。念のため)

>Nさん
 長文のレス、ありがとうございました。誠意をもってレスさせて頂きます。僕は普段丁寧語を使っていないし、どちらかというと粗雑な人間なので、相手の意見を否定する場合には必要以上に攻撃的だと感じられるかも知れませんが、その際には遠慮なく注意して下さい。議論に参加して頂いているNさんには感謝しているし、今後とも有意義なやりとりを期待しています。

>> 歴史的に見れば、「善とは、悪を憎む心」という、「憎むことへの正当化」が数々の宗教戦争を起こしたように僕は思っています。(私)
>ほら、ごらんなさい、ちゃんと、「憎むことへの正当化」というように、悪いのは、「正当化」とご理解できていらっしゃるではないですか?
>その正当化する心をどうにかしようとは、思いませんか?

 では、Nさんの主張は、創価学会の「憎しみ」は正当なもので、正当化されたものではない、という考えなのですね? しかし、正当化を終えた人間は自分の行動を正当だと言うものだと思うのですが。人を憎む、醜い心を、さも正義感であるかのように理屈付けするのが、「正当化」だと思っています。

 誤解を与えたようですが(正直なところ、このような誤解をする人はめったにいないと思います)、確かに「悪」を正当化することはいっそう「悪」ですが、僕の勝手な信念として、「人を憎むこと自体、悪」だと思っています。そして、それは醜い心だと思っています。人を憎むことは悪なのか、という議論をしたいのであれば、受けて立ちましょう。

 僕は、人を憎むことは苦しみであると考えています。自分の大切な人を殺された、というような状況では、とても相手を許せないと思うし、それは社会的にも容認されるものだと思います(個人的な報復は許されないが)。しかし、それを宗教が肯定することには疑問を持ちます。

 創価学会の場合、「憎む」というのはちょっと違う気がして、「怒る」という方が近いような気がするけれどもまだちょっと違う・・・。確かに僧侶などに直接的な被害を受けた人は、「憎む」し、「怒る」し、その被害に対しての憎しみ、怒りは、まっとうなものだと思います。裁判などで罪状を明らかにして、法によって裁かれるべきでしょう。(なかなかそれも難しい現状です。被害にあわれた方は泣き寝入りするしかないとすれば、同情を禁じ得ません) また、日顕猊下に指導力の不備を刑事的に問うことも、個人的には勇気ある行動であると思います。

 しかし、創価学会の日蓮正宗への非難には、「馬鹿にする発言」がかなり含まれています。別な言い方をすれば、「差別的」な印象を受けるのです。日顕猊下に法罰が下り、死んでくれたらいい、と思っている人はたくさんいるでしょう。被害に対して怒るのは当然のことです。しかし、それをことさらに醜い方向に煽っているところに、僕は違和感を感じます。宗門を差別した発言を、まるで嬉々として楽しんでいるような人も少なくありません。公然と差別してよい対象、攻撃してよい対象をみつけて喜んでいる人達(いじめ、人種差別、階級差別など)と、同じ様な印象を持ちます。

 もしNさんが、憎むのは「人」ではなく、「悪の行為」である、と考えているのなら、僕とNさんには意見の相違はありません。その場合は、創価学会員が憎んでいるのは、果たして「人」なのか、「行為」なのか、という部分が論点になると思われます。

 また、僕が創価学会に対して誤解をしているのなら、ぜひともNさんに誤解を解いてもらいたいと思います。「蔑んでいる」「差別している」「死を願っている」のではないか、というのはあくまで僕の判断に過ぎませんから。



169 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 12:57
>Nさんへ(続き)

>善悪を見極めて下さい。組織の団結自体は悪でも何でもありません。

 もちろんそうです。しかし、「憎む」という、人間に安易に生じやすい感情を利用して目的を達しようとしたとき、それは悪になると思います。僕は、「善」を遂行するためにはどんな手段を使ってもよいとは思っていません。ましてや、宗教は会社経営や政治とは違います。「広宣流布」という目的を掲げていようと、それを達成するための行動の中に目的が含まれていると僕は考えます。その行動を通して、豊かな人生を送ることが目的とすれば、行動に不純な部分があってよいとは思いません。

>また、「他人を蔑む」ということと、「正当化する心を憎む」というのは別物ではないですか?
>少なくとも私は貴方の言われるような心理的に追いつめる様なことはしていません。

 「憎む」「蔑む」は確かに別の感情でしょう。しかし密接な関係があると思います。僕は、学会員は学会反逆者である元幹部であったような人間や、宗門の人間、日顕猊下などを憎み、蔑んでいるように見えるのですが、違っているでしょうか?

>泳ぎの例で言うと、
>どうやったら泳ぎを憶えさせられるかを真剣に考えているわけです。
>人それぞれ、教える側や教わる側のそれぞれの状態により、 違ったやり方がでてくるのは当然だとは思いませんでしょうか?

 確かに思います。では、創価学会は、彼らを憎み、蔑み、人格攻撃することで、彼らを改心させ、正しい信心に導こうとしているのですね? この質問には是非答えて頂きたいと思います。

>「許したくないものを無理矢理許す」という不自然な感情を持つこともありません。
> はじめから「善も悪もある」として受け入れようとしているのですから。

 Nさんの考える大乗仏教の思想というのがいまいち理解できませんでした。再度、詳しく解説していただけませんか。善、悪の位置づけが、他の「性善説」とは異なる、という事ですね。しかし、そもそも「善の心も悪の心も持っています」というのは当たり前のことではないですか? 「性善説」とは、おおざっぱに捉えてしまえば、「本来は善だが、環境により悪になってしまう」と僕は理解しています。創価学会で言う「仏性」と全く同じ考え方だと思うのですが。
 では、憎むにしても、愛するにしても、それはどちらも良いことだ、ということでしょうか? 仏法を基調として思うように感情を働かせれば、自然にものごとは解決すると言うことですか?


170 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 12:59
>Nさんへ(続き)
>貴方へのレスが無かったのならば、誤ります。

 「卑怯」という言葉を使ったのは、文底さんのかきこみに対して、あまりに文底さんの意図を読みとっていないから、と思ってのことです。今では過ぎた表現だと反省しています。感情を害して申し訳ありませんでした。しかし、文脈から切り放されたところを取り出して対話しようとしてもそれは対話にはなりませんよね? まず自分の意見を主張する前に、相手の考えを本気で理解しようとする姿勢が大事だと思うのですが。勝手に文底さんの考えを推測してNさんへの反論とするのはおこがましいので、この件に関しては僕のレスは以上とさせてもらいます。

 それはそれとして、僕のNさんへのかきこみにレスしていただけるのならありがたいです。(以下)

 Nさんは名無しさん@1周年さんと同一人物でしょうか? そうだとすれば、過去ログ
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372&ls=100
をある程度読んでから議論してほしいということをお願いしました。その際、38に僕が内容の一部をまとめたものが参考になると思います(もはや「レスを全部読む」でしか見れませんが)。このスレッドは流れが速いので、要所要所で掲示板の記録を残しておいた方がよいと思います。
  名無しさん@1周年さんには、83でもレスしています。(一部にはレスしてもらいましたが、やはり部分的にしか答えて頂けませんでした)

 90では、ここの掲示板に来ている創価学会員全員に、歴史的見解の確認をとらせてもらっています。できればNさんもご自分の立場を明確に示して下さると、議論がスムーズになります。

 112では、議論の混乱を避けるために、ここでは文証のみを扱うことにして、他の議題は他のスレッドをたててみてはどうか、と提案致しました。


>逆にその事を誇張してそれを吹聴する「Nは卑怯だ」と決めてしまう人がいたとしてもふしぎではないのでは。

 ちょっとおっしゃる意味が分かりませんでしたが、もし僕が「卑怯だ」、と言われたら、僕は僕の行為を振り返って、自分で卑怯な行為をしたと思えば反省してあやまるし、そうでなかったら卑怯だと言われた行為について弁明します。誤解を与えたと思えば表現を言い直すでしょう。
 僕はこうした行程を経ることが一般的にも当然だと思っていましたが、Nさんは違うのでしょうか?


171 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/16(金) 13:02
>Nさんへ(続き)

>これが学会だと言うのであれば、貴方はそういう誤解をされているのですよ。

 是非、以上までのレスに返答して頂いて、誤解を解いて欲しいと思います。

>こう言われた時どう反論しますか?
『「ひゃっきまるは、ひゃっきまるを認めない存在は何でもかんでも悪と決め付けるきわめて恐ろしいスタンスを持っています。」(人間一般に生じ易い傾向ではありますが)』
> どう否定しますか?

 なぜそのようなスタンスを感じるのか、相手に聞き、もし本当にそうであれば、僕は反省するでしょう。僕は人を、彼(彼女)のもっている思想によって「悪」とする考えをもっていません。自分の考えが間違っている可能性を充分に理解した上で、自分の意見を主張し、しかし相手の主張も出来る限り理解につとめ、その主張のぶつけあいのなかで相手の考えを知り、自分の考えを確かめ、お互いに新しい認識が生まれ、お互いに成長することを、少なくとも理想とするものです。自分と考えが違うからといって相手を憎むことは、(そういう心が生じたとしても、)僕は僕自身に許していません。
 「創価学会は創価学会を認めない存在はなんでもかんでも悪と決めつける、極めて恐ろしいスタンスを持っている」というのは僕の考えです。Nさんがそれは違うと思うのなら、それに対して、具体的事例をもって反論して頂きたいと思います。

 Nさんに皆のレスが集中してしまったようで、大変かと思われるので、レスは遅くともかまいません。しかし、なるべく全ての疑問に、Nさんなりの考えを述べてもらえれば有り難いです。以上です。


172 名前: N 投稿日: 2000/06/16(金) 13:40
>「正しい」という基準はさておいて、このこと自体は非常に大切なことだと私も思います。
>ただ「日興の系統に帰依」というのはやはり疑問に思いますが。

宗教者が自分の宗教に自信を持たなくてどうするのでしょうか?
自分の宗教は正しくないかも知れないが、やってみなさい。
なんて、無責任なことではいけないでしょう。その言い回しではないでしょうか。


173 名前: N 投稿日: 2000/06/16(金) 13:45
↑第7の外道さんへのレスです。失礼しました。


174 名前: >172 投稿日: 2000/06/16(金) 15:11
自信があるなら強引な勧誘やらなきゃいいじゃん


175 名前: にっけんちゃん 投稿日: 2000/06/16(金) 16:40
 オウム新法つくったみたいに学会新法つくって、
まとめて石鹸の刑にすべし。


176 名前: >174、175 投稿日: 2000/06/16(金) 19:57

ここと脱退のスレッドは荒らすのやめたら?
突っ込むときは、ある程度考えてからにしたら。




177 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 20:30
Nさん

日寛上人の著作等についてのアドバイス、ありがとうございます。記憶に止めておき、機会があればぜひゲットしておきたいと思います。

>とりあえず、たたき台として言ってみます。暇があったら考えてみてください。
>「南妙法蓮華経」とは最高の法。
>総ての法をも含む。一切の法の集大成と言ってもよい。 (以下略)

それをこそお待ちしていました。もう少し考えてみますのでお待ち願えますか?

あと、172は、前に出たものをそのまま反復する内容ですが、これはNさんの「真筆」ですか?
それと「南妙法蓮華経」に「無」が抜けているのは意図的なものですか? それとも単なる脱落ですか?


文底さん

大変な力作、どうもありがとうございます。お疲れ様でした。

>今回の私とメディスンさんとの議論の推移において、私の反証した定義付けの御感想を、第7の外道さんご自身の私見で結構ですから、お聞かせ頂けると嬉しいのですが・・・・

少々お待ち願えますか? 概して、非常に勉強になることが多かったという感想を持っていますが、具体的にコメントするほど整理が今はできません。申し訳ないです。



178 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 22:29
Nさん、「たたき台」についての私の感想です。
いろいろ率直に疑問をぶつけさせていただきますが、それらはNさんの人格や「信仰の自由」を否定しようという意図はなく、あくまでここに発表される「思想」に対する私の立場からの批評である、ということを先ず確認しておきます。

>「南妙法蓮華経」とは最高の法。
(13行分中略)
>たとえて言うならば、この宇宙は「一」ですが、どちらの意味も包含していますよね。

こうした種の存在を設定することは、それほど特異な考え方ではない、というのが第1の感想です。他と比較した上で成り立つものではなく、あらゆる差異・対立をそのうちに包含する、一なる存在。例えば新プラトン主義のプロティノスはそうした存在を「to hen」、即ち「一者」と仮に呼びましたが、その場合の「一」の扱いはNさんがなさるやり方とほぼ同じです。新プラトン主義の影響を多分に包摂しているキリスト教神学の諸派においても、こうした存在の概念は「神」と同一視されかなり広範に根付いていると学んだことがあります。
哲学においても、ヘーゲルの「絶対者」「絶対精神」などは、そうした「あらゆる対立を内包する一」という性格をはっきり持っています。ベルクソンの言う「生命」の概念も、ヘーゲルとは全く立場は異なるとは言え、結果的にはそうした存在だと理解できます。
大乗仏教や密教の発想でも、「法身仏」「大日如来」といった概念はそうした性格を持つもの、と私は理解していますし、旧スレッドでも、主に文底さんとそうした最高存在者の概念をめぐってかなり議論をしてきました。
そんなこともあって、私は一般の方よりはそうした発想についてかなり理解力を持っているつもりです。(同調している、ということではありません。)



179 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 22:29
そこでそういう立場から言わせていただくと、Nさんがそんな存在を「南無妙法蓮華経」と呼ぶことについては、ややピンとこない点があります。
そこで質問ですが(A)、
Nさんはそれを「南無妙法蓮華経」と「仮に」呼ぶが、「阿弥陀仏」でも「法身仏」でも「大日如来」でも「絶対精神」でも別に何と読んでもかまわないものだ、そもそもそれは名で呼べないものであり、それを何と呼ぶかは自由だ、と考えておられますか? それともそれは他の呼び名に優先して「南無妙法蓮華経」と呼ばれなければならないものだとお考えですか?
もし後者なら、「南無妙法蓮華経」と呼び、定義するのはNさんはそう信じるからそう呼ぶという以上に説明のできないものですか? (つまりNさんの個人的信心に基づくというより他に説明しようのないものですか?) それとも「南無妙法蓮華経」と呼ばなければならない理由は説明可能ですか?(最終的には「信心に基づく」ということであっても。)
もし後者ならば、その理由を説明してはいただけませんか?




180 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 22:30
上の質問が私にとってとりあえず第一義的なもので、以下の疑問もそれに対するNさんのご返答と無関係には展開できないわけですが、一応続けます。(B)

>ですから、自分がこれが最高だと思っているものよりも、良いものが
>でてきたとしたら、今までの法は間違いなく「南妙法蓮華経」ではありません。

つまり現時点で「自分がこれが最高だと思っているもの」は常に「南無妙法蓮華経」と名づけられ、定義されるわけですね? だとすれば、「南無妙法蓮華経」自体は全く具体的な規定を持たない、空虚な概念になり、単に「自分が最高に思っているもの」を呼ぶときの「名」に過ぎない、ということになりますね。それとも、現時点で「自分が最高だと思っているもの」は常に「南無妙法蓮華経」と呼ばなければならない、とする必然的な理由があるのでしょうか? あるいは「南無妙法蓮華経」こそ常に最高のものである、といいうる必然的な理由があるのでしょうか?
前者であれば、議論は基本的に無意味になります。結果として出てきた良いもの、「最高」のものは、理由もなく全て「定義」としてあなたにとって「南無妙法蓮華経」になってしまうのですから。因みにそれは独善の論理です。都合の良いことは全部、結果論的に「自分のもの」と「定義」してしまうのですから、そういう人とまともに対話してもムダだということになるのは、Nさんも分かっていただけると思います。
後者ならば、是非ともその理由を説明していただけたらと思います(これは(A)の最後の問いと重なります)。



181 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 22:30

>自分はこっちが良いとおもう、あんたはそっちが良いと思う。
>どっちが良いか分からんが、まあ良いじゃないか人それぞれあるのだから。
>という言い方がありますが、それぞれも、「南妙法蓮華経」を指していっているのではありません。
>しかしそれらのことは、両方とも「南妙法蓮華経」に含まれています。

このくだりにも、同じことが言えます。どんなものも「南無妙法蓮華経」に含まれる、とするなら、その概念は完全に空虚なものになるでしょう。しかしそれを認めると、同じ手続でどんなものも「大日如来」/「神」/「絶対精神」などに含まれる、という言い方が成り立ち、「南無妙法蓮華経」はそうした空虚で意味のない単なる「名」の無数の群れの中の、ただ一つであるに過ぎない、となります。「南無妙法蓮華経」はそれらと同じではない、ということなら、その理由の提示がどうしても必要となります。




182 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/16(金) 22:31
続いて(C)

>ですから、根っこは一つのはず。日蓮大聖人は、その根本を「南妙法蓮華経」と位置づけたのです。

ですが、これも(A)(B)と論点が重なるのですが、あえて言うと、
「一つの根っこ」を日蓮は「南無妙法蓮華経」と位置付けたのでしょうが、道元は道元なりの仕方で、親鸞は親鸞なりの仕方で・・・それぞれ固有の位置付けをしたのだ、ということができるでしょう。Nさんがとりわけ日蓮を選択なさる理由は何ですか?


あと、

>ですから、「何を信じるか」ということは、懐疑するうえでも非常に重要なことなのです。

ですが、基本的にこの考え方には賛成です。あらゆるものを、同時的に懐疑するということは不可能で、名にかを信じるという契機があって初めて懐疑は可能になると、私は思います。その「何」をNさんは「最高の法」と呼ばれたのでしょうが、何かを懐疑する際の基点にすべき観念は必ずしもそうした「最高存在者」である必要はない、というのが私の考えです。もちろん、Nさんもその点はご賛同いただけると思いますが・・・。



183 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/16(金) 23:35
>Nさん

遅れ馳せながら、初めまして。現役学会員のZEGAと申します。

>六巻抄自体は発売されたとは聞いていませんのでないと思います。

六巻抄は、1960年に聖教新聞社より出版されています。今手元にあるものは、1991年、第76刷で、価格は546円になっています。
というわけで、第7の外道さん、よろしければこちらもゲットして下さい。信濃町に行けば多分手に入るでしょうが、宗門問題の勃発の為、
正宗の本はもしかしたら置いていないかも……。


184 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/17(土) 00:41
>ひゃっきまるさん
>162

>1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである
>はNOということでよろしいでしょうか? この点は非常に重要な部分なので、はっきり>と確認をとりたいです。分からなければ「分からない」としても結構です。

これは正直言って分かりません。仏教史については僕も調べてみたことがあるのですが、インドでは、物事の推移を重視せず、歴史を記述する習慣がなかったらしく、その所為で説法の伝承が混濁しており、何がどうなったのか専門の研究家でもない僕には判断がつけられませんでした。

> ということは、釈尊が悟った「普遍的な何か」は、延々と継がれて、2〜4の項目によ>って、今は創価学会のみに継承されている、ということですね?

釈尊が悟った「普遍的な何か」をして「法」「仏性」と呼び、「南無妙法蓮華経」とするわけですが、この仏性は全てに内在されるもの、とするので、「継がれてきた」という表現だと違和感があります。

>釈迦が悟ったものとは「何」で、それから後の時代に上乗せ的につけ加えられていっ>たものが「何」か、歴史的見地、文献的見地から探っていくということでよろしいでしょう>か?

議論の前提となる歴史、文献が、後代の編纂によるものであり、どうしても厳密性を欠いてしまう上、釈尊の「悟り」という主観を、他者の視点から解析したものになるので、議論するための足場が定まらないことを恐れます。
文献解釈がループしてしまうということは、先の文底さんとメディスンさんの議論で明らかになっていますし。
そして、僕の無知浅学から、答えられない問いも出てくると思います。
でも、始めてみないことには理解が進まないので、とりあえず試みてみましょう。


185 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/17(土) 01:54
>ZEGAさんが問題視するような問題を、なぜ組織は警告したり、改善しようとしたりしないのでしょうか? 誤った指導>をする幹部は、本当に我見のようなもので暴走しているということなのでしょうか? 僕は、そもそも創価学会という組>織がそれを信者に求めているから、というように思えてしまうのですが・・・。
> それは、仏法の教えがどうこうというよりも、あまりに学会が個人の中身ではなく、組織の拡大に重点をおいているか>ら、というように思います。

学会は盲目性を要求しているわけではありません。
学会員の折伏は、外からは「拡大のための拡大」と見られがちですが、その目的は、あくまでも「相手を幸せにしてあげたい」との一念あってのことです。
また、組織は活動家が大事です。僕は口だけ達者で活動が弱腰なのですが、やはり活動家の方を尊敬しています。

創大の学生部について、手前勝手な考察を述べますと、
まず、活動にのめりこむことで、一心に一つのことに打ち込むことの楽しさが得られます。気の合う友人とも会えるし、功徳も積むことが出来ます。
また、真剣に考えるということは多大な労力を要します。学生ですから、本分である勉強が第一ですし、教学のポイントは大白蓮華、先生のスピーチ、幹部指導などでつまみ食いすることで代替出来ます。僕は興味があったから教学を齧っていますが、面白くなければやりたくないのが人情でしょう。
こうして、「考えることはしないが、活動は真剣にやる」学生部員が出来てしまうのではないか、というのが持説です。

活動は一途だが、言動にいい加減なところがあったり、過激な行動に及んだりしてしまうタイプの人というのは確実に存在すると思います。しかし、こうした人が一番折伏をしたり人を引っ張る力があるという面もあります。
まずいところもあるが、頑張っているのも事実、しかしやっぱりまずい……こうした人に注意や警告を与えれば、活動全体が失速する……痛し痒しだと思います。以前、プチダノンのCMで、「アッタマばっかりでもカッラダばっかりでもダメよね」という宣伝文句があったのですが、けだし名言だと思うのです。

ただ、教学を学び、人格を陶冶し、題目をしっかりとあげてから活動を……なんてやっていたら埒が開きません。
いわゆる「見切り発車」です。頭で分かっていなくとも、活動することにより功徳が現れる(功徳の是非についてはまたいずれ)ので、それは正しい方向付けと思っています。



186 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/17(土) 02:03
> そもそも牧口初代会長は、「教育」という観点から「創価教育学会」を創設されたのであり、今でも学会の中では「教>育」を重視する声が高いです。しかし、それを理想的に行うべく仏法を基調にして建てられたという創価系の学校で、>牧口会長の構想と似ても似つかぬ洗脳教育、無思考教育、あげくの果てに自分の人生の目標を創価学会のために尽>くすこと、との考えを吹き込まれ、本部職員になるのでは、一体何のための学校なのでしょうか?

創価大学はやはり崇高な理念を持ち、教育を施していると思います。「創価大学が」学生を盲目化させるような方向付けを行っているとして、それは例えばどのようなことなのでしょうか?僕の通った4年間で、そうしたことは一度も目にしたことがありません。「創価大学学生部」と、「創価大学」を混同されているのではないでしょうか?
学生が質を下げるような行動をしているのは残念ですが……。
学生個人としてのあり方は、本質的には実にその個人によってしか決定されません。こうした傾向に危惧を抱くものではありますが、これが創価大学のせいであるとされてはたまりません。同じ信心をしている学生でも、非常に理知的かつ精力的に学会活動をしている人間もまた確かにいますよ。


187 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/17(土) 02:25
>1・仏法は正しい
>2・池田名誉会長は正しい
>3・秋谷会長は正しい
>4・本部直属の幹部は正しい
>5・部長クラスの幹部までは正しい
>6・池田名誉会長以外は全て間違っている可能性をもっている
>7・あくまで御書を自分なりに理解するしかない
>8・部分的に間違っているところがあるにしても、「全体の目的」としては正しい
>9・行為自体は間違っているかも知れないが、何をやっても結果的に正しくなる

あくまでも程度の問題なので、Yes or Noで答え切れる性質のものではありませんが、一応参考まで。

僕の見解としては、
1、8がYes、
2、3、6は100%ではないもののYes(人間ですから)
4、5も人による(「幹部」でひとくくりにされても困ります)
6はNo、
7は最終的にはYes、但し、信行学の実践が磐石であれば、の話で。
9は、「大善は小悪に勝る」との見地からすればYesですが、ケースによるでしょう。

しかし、本来、学会員に上も下もありません。人数が多すぎて統括できないので、便宜的に役職を設けているだけで、人としての価値は役職では量れません。
上層部といっても、最初は役職がない普通の学会員ですし、教学の解釈に関しても、「上の人間が納得するから自分も納得する」などということは有り得ないでしょう?


188 名前: のりか 投稿日: 2000/06/17(土) 03:05
 このスレうざい



189 名前: アルフ 投稿日: 2000/06/17(土) 03:45
ZEGA さん。

“見切り発車もOK”というのは、「創価学会の信仰が
絶対的に正しい」という前提から発せられるのだと思いますが。
私はそれはものすごい危険なことだと思いますよ。

・・・といっても、私の、この危機感は、
「この世に絶対的に正しいモノは存在しない」ということを
前提としていることをお断りしておきます。

あ、お邪魔しました。どうしてもひとこと言いたかったもので。
(^_^;)


190 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/17(土) 16:09
>ZEGAさん
 レスありがとうございます。

>>1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものであるはNOということでよろしいでしょうか?
> これは正直言って分かりません。仏教史については僕も調べてみたことがあるのですが、インドでは、物事の推移を重視せず、歴史を記述する習慣がなかったらしく、その所為で説法の伝承が混濁しており、何がどうなったのか専門の研究家でもない僕には判断がつけられませんでした。

 これについては、過去ログで少し議論されました。これらに目を通してから、これからの方向を考えていきたいと思いますが、どうでしょうか?

・創価学会の仏法解釈がバラモン教と酷似していることについて(655、658、659、671)
・法華経は釈迦によって説かれていないこと、釈迦の本来の思想について(783、784〜788、791、794)
・日蓮の法華経解釈について(815、824、832)

 個人的な感想では、確かに「仏教史研究」というものは、推測に推測を組み立てていく部分が多く、年代も学説により大きな開きがあり定まらない、というところがあるようです。ただそれでも、確かに言えることはある、と僕は考えます。その一例を挙げると、法華経の内容から考えて、釈迦が直接法華経を説いたことはありえない、ということです。(これは感想というだけで、これを議論のネタにしようと出したわけではありません)

>釈尊が悟った「普遍的な何か」をして「法」「仏性」と呼び、「南無妙法蓮華経」とするわけですが、この仏性は全てに内在されるもの、とするので、「継がれてきた」という表現だと違和感があります。

 僕は、「普遍的な何か」を、教えの内容(例えば三乗方便一乗真実であるとか)という意味で使ったので、「継ぐ」という表現にしたのですが。創価学会が、「我が宗教が唯一正しい」と主張する由縁は、「教えの内容」の純血性を、釈迦の時代から守ってきた、とするものではないのでしょうか? それとも、それは宇宙に内在された真実であるが故に、誰であっても見出しうるものなのでしょうか? それだと殊更に創価学会が、「唯一」を主張することはできないと思うのですが。(これらは確認作業としてのもので、批判ではありません。念のため)

>議論の前提となる歴史、文献が、後代の編纂によるものであり、どうしても厳密性を欠いてしまう上、釈尊の「悟り」という主観を、他者の視点から解析したものになるので、議論するための足場が定まらないことを恐れます。

 そうですね。僕も無謀にもこんなことをはじめてしまい、正直なところ、どうしようかと思っています。知識もあるわけではありません。ただ、分からないこと、客観的に決定できないことは無数にあるにしても、「最低限言えること」「最もありえそうなこと」の確認ぐらいまではできそうではないかと思います。できれば、第7の外道さん、昼行燈さん、文底さん、若葉マークさん、メディスンさんなど、仏教史について詳しい人達がこの議論に参加して下さると、いっそう議論が確かなものになっていくので、よいと思います。確認作業が終わり次第、参加して頂けないでしょうか?


191 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/17(土) 16:11
>ZEGAさん(続き)

>学会は盲目性を要求しているわけではありません。 (以下省略)

 創価学会の活動方針については納得しました。また、ZEGAさんのように、創価学会についてきちんと説明できる人がまだいることに、安心しました。多くの問題点はあるが、今の方向性でベスト、ということですね? ただ、この方向性が正しい、といえるためには、創価学会という宗教が絶対的に(誰にとっても)正しくなければなりません。ですから、正しいか否か、という検証作業は一層重要となります。

>創価大学はやはり崇高な理念を持ち、教育を施していると思います。「創価大学が」学生を盲目化させるような方向付けを行っているとして、それは例えばどのようなことなのでしょうか?僕の通った4年間で、そうしたことは一度も目にしたことがありません。「創価大学学生部」と、「創価大学」を混同されているのではないでしょうか? 。(以下省略)

 では、創価大学の、他の大学とは違う、優れた点とはなんでしょうか? 僕は、大学の具体的方針(これはつい最近決まりましたね。今までなかったのはなんだったのでしょう)、講義、などは、他の大学に比べ、際だって特徴的なところはないと思います。(学生の不真面目さなどはおそらく他の大学でも同様と思います)
 創価大学の特徴は、明らかに「創立者(池田名誉会長)への思い」という一点です。事務、経営者側ではそれを利用して(というと嫌な言い方になってしまいますが)学校をよくしていこうとしているし、実際それが(良くも悪くも)創価大学の、他の大学には見られない特徴ではないでしょうか?
 そして、多くの教授らは、その部分で眉をひそめています。学校の種々の催しが、宗教的意識によってなされているからです。これが良いことか、悪いことか、というのは意見の分かれるところだと思いますが、僕は、少なくとも「大学」として誇れるものではないと思っています。何かの間違いで創価学会員でない人が入学してしまったとして、創価大学を大学として評価できるとはとても思えないのですが、どうでしょうか。
 宗教的意識の中で大学生活を送ることは、「学問の目的」を見失わせることになる、というのが僕の考えです。なんのために、と聞かれたとき、「池田先生のために」と答える人は、けっこういるのではないでしょうか。(これが創価大学の三指針と異なってしまうのは奇妙な現象ですが)

>学生個人としてのあり方は、本質的には実にその個人によってしか決定されません。こうした傾向に危惧を抱くものではありますが、これが創価大学のせいであるとされてはたまりません。同じ信心をしている学生でも、非常に理知的かつ精力的に学会活動をしている人間もまた確かにいますよ。

 結局己の生き方は己次第である、というのは正論でしょう。そして、信心も学問も、僕には及びもつかないほど立派な人が創価大学にいる、ということも知っています。しかし、それはそれとして、大学が正常に機能しているか、というのを見過ごして良いという理由にはなりません。

>しかし、本来、学会員に上も下もありません。人数が多すぎて統括できないので、便宜的に役職を設けているだけで、人としての価値は役職では量れません。
上層部といっても、最初は役職がない普通の学会員ですし、教学の解釈に関しても、「上の人間が納得するから自分も納得する」などということは有り得ないでしょう?

 このお答えでは、やはり創価学会のどこまでが正しくて、どこからが間違っているのか、というのが見えにくく思います。人間だから誰しも間違いはある、というのは、それはそうでしょうが、では、正しいか否か、という判定はどこに存在するのでしょうか?
 僕は、「考えることはしないが、活動は真剣にやる」という学会員がどんどん上の役職にまでのぼりつめて、下を指導する立場になった場合、非常に恐ろしいと思うのですが。(実際、幹部の中にそのような人がいるとは思えませんか?)
 「上の人間が 納得するから自分も納得する」ということはありませんが、「上の人が言ったことがそれらしく聞こえ、自分の考えや経験による検証なしに信じ込んでしまう」という現象は容易に起こりうると思うのです。

 以上です。



192 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/17(土) 17:52
>文底さん

>れ以後の、私のこのスレッドでの発言に対する位置付けを、より慎重(相手に失礼にならない為)にするにも、今回の私とメディスンさんとの議論の推移において、私の反証した定義付けの御感想を、第7の外道さんご自身の私見で結構ですから、お聞かせ頂けると嬉しいのですが・・・・
>無論、昼行燈さん(まだ見ていらっしゃっているかな?)や若葉マークさん・ひゃっきまるさん・ZEGAさん等の夫々の御立場としてのご感想をお聞きかせ出来れば、なお嬉しいです。

 本当に感想だけに留めておいて(^^)、述べさせて頂きます。
 メディスンさんの「家主」の話は分かりやすくて面白かったです。僕なりにこのたとえを言い直すと、

 昔から建っていた家(日蓮正宗)には古くから伝わる「巻物」があって、その巻物には、「どんどん家に人を招き入れて、家を大きくしなさい」と書いてあった。家主はその巻物に従って、家を存続させていたのだが、そこに協力者(創価学会)が訪れた。「この家は素晴らしいから、是非協力させて下さい」、と。 協力者の働きはめざましく、家はとんでもなく大きくなっていった。しかし、家が大きくなるにつれ、次第に家主と協力者の間には意見の相違が出てきた。家主は、「あくまで私の方針に従ってもらおう」、と言うが、協力者は、「巻物の真意は私が最も理解している」、と言う。ついには、協力者の方は、「あなたはこの巻物の持ち主としてふさわしくない」と言い出した。そこで家主は「家から出て行け」と言ったので、協力者は他のところに新しく家を建て、自分こそが正統な家主である、と主張した。「巻物」と言っても内容は文字であるから、新しく同じものを作ることもできる。

といったところでしょうか。(あまりうまいたとえじゃありませんね。すみません)

 文底さんが以前言っていた、「文献的解釈論」について、かなり意図するものが分かりました。といっても微妙なところで、まだ自分の考えを変えるまでには至らないのですが。
 宗教というものが、聖書、コーラン、経典、御書、といったものを絶対的な信仰の指針とする場合、
1・文献の正統性
2・文献を解釈する人間の正統性
が必要と言うことになります。2は、文章への捉え方が人によって違ってしまう以上、これをきちんと定めておかないと、どのようにもとれてしまう、ということが、メディスンさんと文底さんのやりとりの中で分かりました。
 創価学会は、完成された人間、悟った人間が読めば、正しく解釈できる、という立場をとっているのでしょう。(そういう意味では文底さんの考えに近いと言えるでしょうか?) しかし考えてみれば、日蓮大聖人にしても、ロックにしても、宗教改革者は常にそういう立場をとっていたと言えると思います。
 僕個人としては、以前にも申しましたとおり、教義解釈のやりとりの裏には、損得勘定、自尊心、などがあると思っています。逆に言えば、文献、教義、といったものは、よほどうまく作られていないと、損得が原因の勝手な教義解釈(例えば免罪符とか、魔女裁判、宗教戦争)を許してしまうものである、というように思っています。(勝手な、というのは僕の判断に過ぎませんが)


193 名前: 文底 投稿日: 2000/06/17(土) 18:46
第7の外道さん

>少々お待ち願えますか?

ええ、第7の外道さんの現在の御立場は、了解しておりますので、御手隙の時で構いません。

今は、第7の外道さんとNさんとの論議の推移を楽しみにしております。


ひゃっきまるさん

御丁寧なご感想、ありがとうございます。
ひゃっきまるさんの比喩、大変適切で理解しやすかったです。

>「文献的解釈論」について、かなり意図するものが分かりました。

少しでも御理解頂ければ、感謝感激です。

>といっても微妙なところで、まだ自分の考えを変えるまでには至らないのですが。

ひゃっきまるさんのお考えを変える事が、私の目的ではありませんし、逆に、ひゃっきまるさんの色々な論議の推移を拝見させて頂き、私自身の考えも変化したと思っております。
これからも、色々論議の方、宜しく御付き合い願います。

>第7の外道さん、昼行燈さん、文底さん、若葉マークさん、メディスンさんなど、仏教史について詳しい人達がこの議論に参加して下さると、いっそう議論が確かなものになっていくので、よいと思います。確認作業が終わり次第、参加して頂けないでしょうか?

私は「仏教史」には疎いので、詳しく述べられる立場にはありませんが、これは「文献学的教義解釈」の是非を「仏教史」において考察し、検証していく事で宜しいのでしょうか?

ZEGAさんの御賛同も得ねばならないので、その御発言次第ですが・・・
私自身の私見を述べることは吝かではありません。

以上です。


194 名前: 文底 投稿日: 2000/06/17(土) 18:48


上記の文面の内容自体は省略されていませんのでそのままで結構です。


195 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/18(日) 00:51
ひゃっきまるさん、ZEGAさん

>できれば、第7の外道さん、昼行燈さん、文底さん、若葉マークさん、メディスンさんなど、(中略)参加して頂けないでしょうか?

実はZEGAさんとひゃっきまるさんとの絡みには、是非参加したいと思っていたのです。その内容からして、まさにこのスレッドで探究するべきテーマだと思っていましたし、論点を明確に分けて進めていく手法にも優れたものを感じていました。
今Nさんと議論をしようという状況ですが、結局行きつくところはそこであろうと思っています。私も「詳しい」というほどの知識はありませんが、是非参加したく思っています。それがうまく回るのであれば、あえて新スレッドに拘る必要性もなくなるかも知れない、と私は思っています。
ただ、今の時点で一言だけ口を挟んでもよろしいでしょうか?



196 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/18(日) 00:51
>本当に(歴史的)釈迦の本意であるかを検証すれば、創価学会の正当性を証明できると考えるのですが、いかがでしょうか?

というところは、創価学会の教義以上に、日蓮の思想を理解する上でも決定的に重要であると考えています。
「法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである」という考えは、同時に「法華経の神話的な内容は、文字通り、現実にこういうことが起こっていたのであり、法華経自体はそれを記録したものに過ぎない」という立場に立つことだと思います。これを便宜上、「原理主義的解釈」と呼んでおきます。
日蓮自身はそう考えていた、と考えて間違いないと思います(この点については、学会の方はいかが思いますか?)
これは現代の仏教の常識としては否定されている、といってほぼ間違いないのではないでしょうか? ただ「信仰」の立場からはありえることです。まず創価学会がこの立場に立っているのかどうかは、非常に重要なポイントです。(Nさんらしき書きこみには、「釈迦が語ったということにしておいたら分かりやすかろう、大切なのはその「内容」だ」という旨のものがありましたし、また他の学会員の方からも「法華経を歴史的釈迦が説いたものではないということは、学会員も知っている」というコメントをいただいたことがあります。学会では、その点について組織として統一的な見解を持っていないのでしょうか?)



197 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/18(日) 00:52
ついで、「法華経は(歴史的)釈迦の本意である教えである」ですが、勿論そうなると、歴史的釈迦の思想と法華経の思想をある程度確定し、それを比較するという作業に入るでしょう。当然そこには解釈者の立場も入ってきます。またその場合は、法華経の内容は文字通りに、「記録」として受け止められるべきものではなく、「象徴」として、脱神話化したかたちで理解されることになるでしょう。法華経をこうしたスタンスで読むのを、便宜上「脱神話的解釈」と呼んでおきます。

「脱神話的解釈」の方向で議論を進めると、ZEGAさんがおっしゃるように

>議論の前提となる歴史、文献が、後代の編纂によるものであり、どうしても厳密性を欠いてしまう上、釈尊の「悟り」という主観を、他者の視点から解析したものになるので、議論するための足場が定まらないことを恐れます。

ということがどうしても生じてくるでしょう。困難ではあるが、その方向を進むのも非常に大切なことと思います。ただ、実は「脱神話的解釈」の先まで進まなくても、「原理主義的解釈」を許容するかしないかが明確になるだけで、日蓮仏法の根幹の把握に決定的に重大な変容が生じてくる、というのが今の私の意見です。



198 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/18(日) 02:27
>文底さん、第7の外道さん

どうぞご発言なさって下さい。
Nさんとの議論も気になっていて、そちらにも参加したいけれども……と思っていたところです
僕も本当に何も知らないものですから、皆さんの知識やご意見に恃むところが大です。

大いに勉強させて頂こうと思います。

>ひゃっきまるさん
申し訳ありませんが、レスはまた後日します。僕は聖教新聞を配っているため、もう寝なくてはいけないので。


199 名前: となりの池田くん(破門編) 投稿日: 2000/06/18(日) 06:58
おお・おれの載ってる新聞だ。



200 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/18(日) 07:58

文底さん

レスを頂いたままで、コメントもせず申し訳ありません。ここのところ忙しいこともあり、皆さんのカキコを拝見しているだけで精一杯という感じでした・・・(^^ゞ
”アンチ学会”の私としては、どうにかして学会を悪者にしたいと思っていますが(笑)、文底さんの御意見を参考にすると、宗門側に問題があったという考え方も”なるほど”と思ってしまう部分もあります。 いろいろと質問したいこともありますが、スレッドの流れもありますので、とりあえず、保留しておきます。また機会がありましたらよろしくお願い致します。
昼行燈さんに教えて頂いた日蓮関連などの書籍をネットで注文しておいたのですが、やっと届くようです。一部の書籍が取り寄せになってしまい、入荷を待って発送することになっていましたので、注文より20日余り掛かってしまいました。 分納送料¥100をケチったために、こんなことになるとは・・・ネットも上手く使わないと思わぬ落とし穴があるものです。 ちなみに入荷待ちだったのは、「日蓮大聖人御書全集」、日頃の学会批判のおかげで、功徳があったのかもしれません・・・(^_^;)



201 名前: 文底 投稿日: 2000/06/18(日) 12:19

若葉マークさん

御感想ありがとうございます。

又色々ご質問ください。(お手柔らかに・・・)

>ちなみに入荷待ちだったのは、「日蓮大聖人御書全集」、日頃の学会批判のおかげで、功徳があったのかもしれません・・・(^_^;)

これは、私も少し読んだ事があるのですが、現代人には「読むだけでも難解」です。(たしか、注釈がありません)
学会版の「日蓮大聖人御書全集」の翻訳版(部分ごと)があるとは思うのですが・・・・
日蓮正宗や他の日蓮宗(この場合は日蓮上人御書全集?)の翻訳版などと比較検討すると、類似点・相違点が明確になると思います。(この場合日蓮宗には「身延相承書」や「池上相承書」「三大秘法稟承事」等に類する御消息文は無いと思います。)



202 名前: 文底 投稿日: 2000/06/18(日) 12:20

ZEGAさん

>どうぞご発言なさって下さい

了解いたしました。
私の意見はあくまで私見ですし、それをもって、ZEGAさん御自身の信仰や思想の自由さを非難するものでは、全くありませんので、その辺りのところを御理解下さい。

先ずは、第7の外道さんが提示された「法華経の定義」を創価学会の教義として「原理主義的解釈」と「脱神話的解釈」のどちらのスタンスにウエイトを置いて、ZEGAさん御自身、理解されているか御伺いしたいと思います。

もし、どちらにも定義付けられないのであれば、御自身のお考えでも構いませんから、創価学会の教義としての「法華経の定義」お聞かせください。

そして、その考えに至る、文献的「教義書」の一文とその「教義書」の御自身が考えうる「歴史的正当性」をお聞かせください。

とりあえず、上記の点においてのZEGAさんのお考えを、お聞かせ願えればと思っております。

それから、私自身、ZEGAさんの実際の御人柄は、拝見させて頂いておりませんが、

>プチダノンのCMで、「アッタマばっかりでもカッラダばっかりでもダメよね」

等と言う、ユーモア溢れる比喩を提示されるあたり、好感を持って拝見させて頂いております。
(無論、その前後の真摯的御意見を踏まえての発言としてですが・・・・)

>僕は聖教新聞を配っているため、もう寝なくてはいけないので。

大変ですね・・・色々な方々のレスは、大変だと思いますので、ZEGAさんのペースで構いませんから、どうかお体を大切にされて下さい。


203 名前: 文底 投稿日: 2000/06/18(日) 12:21

ひゃっきまるさん

追加レスです。

>創価学会は、完成された人間、悟った人間が読めば、正しく解釈できる、という立場をとっているのでしょう。(そういう意味では文底さんの考えに近いと言えるでしょうか?)

この部分は私に対する質問も込められていたと思いますので、お答えします。

創価学会がひゃっきまるさん述べる所の「完成された人間、悟った人間が読めば、正しく解釈できる」立場にあるとすれば、私の立場は懐疑的です。
逆に「完成」「悟り」「正しく解釈」などの「定義付けの曖昧さ」を、それこそ私の持ち得る全ての言葉のよって反証させて頂きます。

したがって、上記のご質問に対するお答えは「私の考えとは異なります」となります。

ただ、ひゃっきまるさんと私との以前のやり取りの間で「生命論」に対する「定義付けの解釈」においては、見解の相違があった事は事実ですので、その様にお考えになったのかも知れません。
それは、私の論証能力の稚拙さを露呈しています。(スイマセン)

続きます。



204 名前: 文底 投稿日: 2000/06/18(日) 12:21

>僕個人としては、以前にも申しましたとおり、教義解釈のやりとりの裏には、損得勘定、自尊心、などがあると思っています。

正にひゃっきまるさんが仰る通りなのです。
ただ「思惑」(損得勘定、自尊心)のみで、宗教の「存在意義」を結論付けてしまうには、尚、検証の余地はあるでしょう。

>文献、教義、といったものは、よほどうまく作られていないと、損得が原因の勝手な教義解釈(例えば免罪符とか、魔女裁判、宗教戦争)を許してしまうものである、というように思っています。

その様な意味では、現在の世界宗教の「開祖」の方々の文献は、あまりにも「抽象的表現」が多すぎます・・・これが後の歴史においての悲惨な結果(魔女裁判、宗教戦争など)を生み出す要因にもなっていますが、私はこの歴史の本質に「人間の本質的な業」(普遍的真理・生命論)のようなものを感じている一人です。
まあ、これに付いて述べだすと、又スレッドが荒れますので、このスレッドでは、本来の定義である「日蓮仏法における創価学会の宗教的位置付け」を検証して行きたいと思っています。

以上です。



205 名前: 参考にして下さい 投稿日: 2000/06/18(日) 13:46
創価学会のホームページ
http://www.sokagakkai.or.jp/
公明党のホームページ
http://www.komei.or.jp/




206 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/19(月) 08:49
>文底さん
>ひゃっきまるさんのお考えを変える事が、私の目的ではありませんし、逆に、ひゃっきまるさんの色々な論議の推移を拝見させて頂き、私自身の考えも変化したと思っております。
>これからも、色々論議の方、宜しく御付き合い願います。

 まさしくこちらこそ、ありがとうございますと言いたいです(^^) 実際、僕も文底さんや外道さんと議論する中でかなり得られるものがありました。感謝してます。まさか2chでこんな内容の詰まったやりとりができるとは思いませんでした。それというのも文底さんが僕をここのスレッドに誘ってくれたからで、「よくぞ!」という気持ちです。今後ともよろしくお願いします。

>創価学会がひゃっきまるさん述べる所の「完成された人間、悟った人間が読めば、正しく解釈できる」立場にあるとすれば、私の立場は懐疑的です。
>逆に「完成」「悟り」「正しく解釈」などの「定義付けの曖昧さ」を、それこそ私の持ち得る全ての言葉のよって反証させて頂きます。

 文底さんと同様、この議題であまり深入りしたくないのですが、ちょっと確認のためレスさせて頂きます。僕の発言の意味するものとして、実は「完成」「悟り」「正しく解釈」という言葉はあまり重要ではありません。創価学会にしても、御書を正しく理解するための必要条件として、「私は悟ったから」ということを主張しているわけでなく、あくまで普通の人の理解力として、解釈している、という立場をとっていると思います。(その他の預言者的存在以外の宗教改革者にしても)
 もし「普遍的真理」なるものがあるとして、それは誰にとっても認知されるものであるから、数々の宗教聖典のフィルターを通して、各時代の人間がその時代・状況の角度から、「真理」を見るのではないか、と文底さんは考えているのではないか、と思ったもので。


>その様な意味では、現在の世界宗教の「開祖」の方々の文献は、あまりにも「抽象的表現」が多すぎます・・・

 全く同感です。ただ、これも微妙な問題をはらんでいて、抽象的でない教えがあったとしたら、それはおそらく、すぐに時代についていけなくなるんではないか、と思うからです。法華経は、僕が今まで見た宗教書の中では、最大級に抽象的なものだと思っています。イスラム教のように、普遍的な聖典と、時代によって変わる聖典の2種類あればうまくいくのでしょうか・・・? 創価学会の、日蓮大聖人(御書)と、池田名誉会長(同時中継のスピーチ)はそれと似ているかもしれません。

>これが後の歴史においての悲惨な結果(魔女裁判、宗教戦争など)を生み出す要因にもなっていますが、私はこの歴史の本質に「人間の本質的な業」(普遍的真理・生命論)のようなものを感じている一人です。

 以前、外道さんと「空」の論議の中で出てきましたが、僕は「法」が世の中で絶対的なものであると考えています。そういう意味で、(結論的には)文底さんと同じ考えかもしれません。


>ZEGAさん、文底さん、第7の外道さん
>>できれば、第7の外道さん、昼行燈さん、文底さん、若葉マークさん、メディスンさんなど、(中略)参加して頂けないでしょうか?

 三人共の了解、ありがとうございます。僕のねらいとしては、文底さん、外道さんのおっしゃる通りの意図で進めていこうと思っていました。特に、「原理主義的解釈」と「脱神話的解釈」については、僕も外道さんと全く同様に考えておりました。

>ZEGAさん
>僕は聖教新聞を配っているため、もう寝なくてはいけないので。
 今は選挙活動でも多忙な毎日を送っていることと思われます。どうぞ、お体に気をつけて下さい。レスはなるべくZEGAさんのペースに合わせるようにします。


207 名前: 投稿日: 2000/06/19(月) 19:23
こんにちは。超カメレスで申し訳ありません。
混乱を避けるため、一人ずつのレスに致します。
他の方は、今しばらくお待ち下さい。

ZEGAさん<
こんにちは。お忙しいところご苦労様です。

こんにちは。なるたけ簡潔にたいのですが(^^;)長くなっちゃいました。
口が悪いように聞こえても許して下さい。悪意や攻めるつもりは全くありません。
補足程度と思って聞いていて下さい。言っている意味が分からなくとも、それはそれで良いです。

ーーーーーーーーーーー

>何故そう考えるかというと、釈尊の「悟り」とは、人間の至りうる最高状態であり、それは世界
>の森羅万象の根本を直感で覚知することの出来るものなのではないか、そしてそうなることをし
>て「成仏」というのではないか、というのが僕の考えです。

「成仏」を説明するのってほぼ不可能と思われますよね。
人間の最高の状態としか言いようがない。

日蓮大聖人は成仏の方途を示されました。どのような人にも仏性があり、
どんなに仏教のことを知らずとも、成仏出来るのだと。

『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経
とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ
鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが
如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の
仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば
「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、
されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の
出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く
心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』
(法華初心成仏抄 建治三年 五十六歳御作 与岡宮妙法尼)

「成仏」っていうのは、「仏に成る」と誤解されている方がおおいようですが、
本当の意味は「仏を成(ひら)く」という意味なのです。
つまり、人間が本来持っている「仏性」という善性を「成(開)く」ことが「成仏」であって、
なにか特別なものになるという意味ではありません。
その仏性というのをもう少し具体的にすると、どなたかがおっしゃっていた、
「不軽菩薩の実践」に見出せます。その方途を示されたのが、日蓮大聖人で、
現代において実践している団体が、創価学会です。


208 名前: 投稿日: 2000/06/19(月) 19:32
(命を掛けて信ずるに値するもの)

> そういったものがあるとは思いますが、それが創価学会のような特定の団体だとか、特定の
>人物だとは全く思いません。
>「我が宗教が唯一」という主張は、どの宗教でも叫ばれているし、
>それぞれでまた、「理屈や証拠ではない、生活の中で発見されるもの」という主張をしている
>でしょう。あなたが創価学会が唯一であると思う理由はなんですか? それは、他の宗教団体
>に比べて、特別優れた判断基準なのでしょうか?

おっしゃられる判断基準というのはどういう意味でしょう?
創価学会の優位性を示せば良いのですか?教義的基準のことですか?

ええと、そうすると、いまだ、信ずるに値するものが見つかっていないということですね。
創価学会を信じるということと、信仰の対象である御本尊を信じるということでは
意味が違いますよね。また、「信ずるに値するもの」というのともなにか少し違うような
きもしますね。ううむ。

それから、その主張とやらは、「主張」をしているのではなくて、対称とするもが、
どのようなとらわれかたをするものなのかを、説明しているに過ぎないとおもうのですが・・。

学会が主張をしている「現証」というのは、「大聖人の言われるように」したら生活上や事実と
して現れた結果をさして「証拠をみよ。大聖人の仰せの通りではないか。(文証、理証)」
ということです。
また「現証」とは、「文証」「理証」から導き出された結果というのとも違います。

ですから「理証」「文証」のみを組み立てて正当性を証明することはできません。
「理証」あるいは「文証」に限界があると言うことです。「理証」とはなぜそうなるのかを
説明したもので、「文証」とは、それを補うものなのです。
また、歴史上正当であったかどうかを検討するならば、日蓮大聖人の御生涯を
学ぶのがまず第一ではないかと考えます。

(>「「あれこれ分別する前にとにかく信じろ!」という信仰至上主義的姿勢」という誤解
 への回答)

>「文証、理証、実証」という言葉がありますが、日蓮大聖人は実証のみが大事で、あとは意
>味がない、とは言いませんでした。むしろ、他人を説得させるためには文証や理証を用いたし、
>法論も積極的に挑んでいます。

法論ですから、「信じられる、信じられない」という次元の話ではないでしょう。
宗教上の「正邪」を決するためのものです。
どちらの言い分が「釈迦の本意」に叶っているかということを決するのが目的です。
ただ、次のような捉え方は出来ます。

たとえば、日蓮大聖人が佐渡流罪中、法論を挑んだ僧侶などがいましたが、
その人柄に触れながら、あるいは言い分の正しさに納得して帰依したものもいたということです。
理屈で相手に理解させたと言うものではなくて、御自身のその姿、すなわち「現証」によって
法論を挑んだと言うことです。

★日蓮大聖人の主張を「正しい」とするためには、
★御書を通して日蓮大聖人の境涯に触れ、自分自身を高めていく以外に方法はないと考え、
★正当性を主張するためには自分自身の成長以外にはありえないと結論づけられます。

この方式によれば、日蓮大聖人の真意を疑えば疑うほど、その真意から遠ざかっていってしま
うものとおもわれます。

>その題名が不適当というなら変えてもかまわないものです。

そうですか。分かりました。ありがとうございます。



209 名前: 投稿日: 2000/06/19(月) 19:38
文底様<

>お気持ちは了解いたしました。

ありがとうございます。


210 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/19(月) 21:26
>Nさん
レスありがとうございます。

>おっしゃられる判断基準というのはどういう意味でしょう?
>創価学会の優位性を示せば良いのですか?教義的基準のことですか? (以下略)

 これは、僕への解答ということでよろしいのですね? 繰り返すことになりますが、僕のカキコの意味は、「あなたが創価学会が唯一であると思う理由はなんですか?」ということだけです。これについてはすでに第7の外道さんと同じ主旨のことについて論議されているようですし、議題が際限なく末広がりに増えてしまうのを恐れるので、こちらから質問しておいて誠に勝手で恐縮なのですが、ここで終わりという事にさせてもらってよろしいでしょうか?(不服ならば続けてもかまいませんが)

>ええと、そうすると、いまだ、信ずるに値するものが見つかっていないということですね。

 このレスも深い問題と関わるだけに、込み入った話になりそうですので、一応中断という形にさせてもらってよろしいでしょうか(また、加えて、同様に第7の外道さんとの議論と無関係ではないと思われるので)。
 少しだけ返答しておきますと、自分なりの人生観、価値観というものは持っています。それなりに自分の行く先に迷いながら、苦しんで人生を歩んでいるわけですが、それなりに日々を楽しく過ごしております。(それなりに、という部分をつっこまれそうですが)

>ですから「理証」「文証」のみを組み立てて正当性を証明することはできません。
>「理証」あるいは「文証」に限界があると言うことです。「理証」とはなぜそうなるのかを説明したもので、「文証」とは、それを補うものなのです。

 「文証、理証、現証」についての考えは概ねNさんと同じ考えです。(現証を実証と間違って書いてしまってました。すみません・・・) このスレッドでは、まさに

>法論ですから、「信じられる、信じられない」という次元の話ではないでしょう。
>宗教上の「正邪」を決するためのものです。
>どちらの言い分が「釈迦の本意」に叶っているかということを決するのが目的です。

 ということに沿って、文証での議論をしようという流れになっています。

 信仰ということにおいて、最終的にはやはり現証というのが決定的に重要になってくると思うのですが、では、もし文証だけの状況証拠でも創価学会という宗教の正統性が明確に否定されてしまうとしたらどうでしょうか? 僕はそのように考えています。
 この問題についても第7の外道さんと今現在行われている議論と同様の主旨となっていくと思いますし、過去ログで議論された内容でもありますから、とりあえず中断という形にさせて頂きたく思います。といっても非常に重要な問題ですから、これについてだけは新規にスレッドを立てるということでもよいと思います。(すでに外道さんと議論が進んでおりますので、今となってはあまり必要でないかもしれませんが・・・)


211 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/19(月) 21:28
>Nさん(続き)

>★日蓮大聖人の主張を「正しい」とするためには、
>★御書を通して日蓮大聖人の境涯に触れ、自分自身を高めていく以外に方法はないと考え、
>★正当性を主張するためには自分自身の成長以外にはありえないと結論づけられます。

 創価学会員として信仰をするに当たって、このような方式を採用するのならば(場合によりますが)問題はないと思うのですが、創価学会にも、日蓮仏法にも納得していない人間にこの方式を採用しろ、というのはかなり無茶がある気がします。これも第7の外道さんとの議論の中で出てきた、プールでの泳ぎ方の例えの話と全く同じ主旨のことであると思われるので、僕との間での議論はこれで終わりということにさせてもらえませんでしょうか。

 自分でレスして欲しいと言っておきながら、はなはだ失礼な結果になってしまって申し訳ありません。こういう結果になることは予測できただけに、はじめから気づいておけば良かったと後悔しています。お忙しい中、貴重な時間を割かせてしまって申し訳ありません。それでも、真摯に全ての質問にレスして下さったNさんのお人柄には感謝するところであります。
 今のところ、第7の外道さんと僕の考えが完全に一致してしまう以上、同じ主旨の議題を重複して同時進行させるのは、皆にとって時間と労力を無駄に費やしてしまう結果となるのではないかと思う故なので、どうかお許し下さい。

 それから、以上のようなわけで、112の、新規にスレッドを立ててみてはどうか、という意見は(今は状況が変わりましたので)一応は撤回という形にさせてもらいます。

 168、169、170の内容は、外道さんとの議論とは重ならないし、個人的にも詰めていきたい部分なのでお答え頂きたいと思います。また、90からはじまる歴史的見解についての確認についても、ZEGAさんと同様に答えて頂いて、162での議論に参加して頂けたら嬉しいです(もしこの議論への参加を希望なさるのであれば、ですが)。
 おそらくZEGAさんとほとんど同じ見解になるのではないかと思うので、ZEGAさんと考えの違う部分があれば、そこだけを示すようにすれば話が簡潔になると思います。

 以上です。不手際申し訳ありませんでした。


212 名前: 文底 投稿日: 2000/06/19(月) 22:08

ひゃっきまるさん

>まさか2chでこんな内容の詰まったやりとりができるとは思いませんでした。それというのも文底さんが僕をここのスレッドに誘ってくれたからで、「よくぞ!」という気持ちです。

いえいえ、ひゃっきまるさんがこのスレッドにいらっしゃって、色々問題提起して頂いたお陰です。
また、このスレッドを立てられた、第7の外道さんにも感謝しております。

>確認のためレスさせて頂きます。(中略)それは誰にとっても認知されるものであるから、数々の宗教聖典のフィルターを通して、各時代の人間がその時代・状況の角度から、「真理」を見るのではないか、と文底さんは考えているのではないか、と思ったもので。

基本的には仰る通りです。(「唯一絶対性論者」への「懐疑的スタンス」の定義付けとして)
ただ、この「真理」なるものの定義付けは、現在再考証中なのです。
少し、論理的に無限ループに陥ってしまいそうなのですが・・・(哲学には良くある事なのです)
私が「ある事象」について、常に「唯一絶対性論者」への「懐疑的スタンス」を論証するためには、自分の考えの中に「唯一絶対性論者」を論破するための「論理的絶対性」を必要とする事になってしまうのです。(これに関しては第7の外道さんがNさんとのやり取りの中で、さりげなく仰っていました)
つまり「絶対性」を反証するための「絶対性」です。
「唯一絶対性論者」への反証は比較的簡単ですが、その反証となる「論理的絶対性」への「信頼(確信)」となると、これはもやはり、私自身のフィルターを通した、各時代の人間がその時代・状況の角度から見た「一真理になってしまうのではないか?」と懸念しているのです。

ですから、


213 名前: 文底 投稿日: 2000/06/19(月) 22:09

>以前、外道さんと「空」の論議の中で出てきましたが、僕は「法」が世の中で絶対的なものであると考えています。そういう意味で、(結論的には)文底さんと同じ考えかもしれません。

これも、ある約束事項(論議する上での定義付けとして)の上であれば、ひゃっきまるさん仰る所の「絶対的」「法」と、私の推論は同義だと思います。
ただ、ある約束事項(定義付け)をどのように「普遍的」と捉えるかが、又一つの論議の対象となるので、その辺りは慎重に検証せねばなりません。

>抽象的でない教えがあったとしたら、それはおそらく、すぐに時代についていけなくなるんではないか・・・

これはひゃっきまるさんの仰る通りですね・・・
その様に考えれば、歴代の宗教家の抽象性も理解できます。
ただ「抽象的文献」は曲解する危険性を常に包含する事になり、一層「文献的解釈」においての慎重さが必要でしょう。(宗教の多くは信者に盲目的忠誠心を要求しますから・・)

何れにしろ、これに付いて論じ合ってしまうと、又スレッドが荒れますので「愚者の讒言」と言う事でで、お聞き流しください。(と言いながらレスする私でありました)



214 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/20(火) 00:08
これは完全に横レスです。適当に黙殺してください(^_^;)

文底さんのお考えに対する、全く私的な感想です。

>私が「ある事象」について、常に「唯一絶対性論者」への「懐疑的スタンス」を論証するためには、自分の考えの中に「唯一絶対性論者」を論破するための「論理的絶対性」を必要とする事になってしまうのです。(これに関しては第7の外道さんがNさんとのやり取りの中で、さりげなく仰っていました)
>つまり「絶対性」を反証するための「絶対性」です。

「唯一絶対性論」は、それが言葉によって表現される限り、それを「論破」するのに必ずしも「論理的絶対性」は要らないと思っています。そこで用いられているロジックをよく分析し、そこに誤謬推理や仮定の恣意性、正当でない問題設定などを見出し、そうした論法の「からくり」を指摘できれば、「唯一絶対性論」は十分相対化できる(あるいは、条件づきにできる)と思います。ただしその場合は、こちらの主張もまた相対的で、「唯一絶対性」を名乗ることはできなくなると思いますが、私個人としてはそれでいいと思っています。様々な種の「思い込み」から解放されることが、「心の平安」と他者との平和的共存を実現する最善の道だと思っていますので。
先ず「絶対」ありき、から始めると、その「絶対」を相対化しうる別の「絶対」が定義上排除され、結局特定の「思いこみ」の暴走を許す可能性も生まれてきます。
もちろん文底さんがそういう方向に行くということはありえないことは、

>ただ、ある約束事項(定義付け)をどのように「普遍的」と捉えるかが、又一つの論議の対象となるので、その辺りは慎重に検証せねばなりません。

といった文底さんの姿勢からも明らかだと思います。ただ

>「ある事象」について、常に「唯一絶対性論者」への「懐疑的スタンス」を論証するため

には、文底さんがおっしゃった方向とは別のスタンスもありうる、ということを付け加えたかっただけです。
失礼しました。



215 名前: 文底 投稿日: 2000/06/20(火) 19:06

第7の外道さん

>>「ある事象」について、常に「唯一絶対性論者」への「懐疑的スタンス」を論証するため

>文底さんがおっしゃった方向とは別のスタンスもありうる、ということを付け加えたかっただけです。

またまた、トンチンカンな解釈をしてしまいまして、申し訳ありませんでした。
第7の外道さんの仰る意味は理解致しました。

ところで、今日SGさんと仰る学会員の方と「被告 池田大作」でのスレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960226452&ls=100
にて論議いたしまして、その論議の方向性が「被告 池田大作」の主旨と異なって来たと判断しましたので、こちらのスレッドを紹介させて頂きました。
SGさんの述べられている主旨は「創価学会の正当性」であり、現在ZEGAさんやNさんと論議しているに内容と類似していると判断したので、その様にお誘いしました。
ただ、このスレッドは第7の外道さんが立てられたものなので、此処に「SGさんを御招待しても良いか?」の御判断をお願い出来ればと思います。
(ちなみに、SGさんは真摯的で真面目な御発言をされる方です)

宜しくお願い致します。



216 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/21(水) 00:14
文底さん

私は全く構いません、というより、別に私の許可などお求めいただかなくても結構ですよ。
SGさんもご興味がありましたらどうぞ。


217 名前: 外文靴底 投稿日: 2000/06/21(水) 01:16
http://asyura9.hypermart.net/bd7/msg/596.html
次に自治省に、日本青年社の場合、銀行からの借入残高はどうなっているん
でしょうか。
▲説明員(斉藤信行君)
 平成5年分の収支報告書を確認いたしましたところ、お尋ねの日本青年社に
つきましては、さくら銀行からの借入残高が、172,269,766円と記載
されております。
▲有働正治君
警察の方にお尋ねします。日本青年社の最高顧問西口茂男なる人物は、住吉
会とはどういうかかわりがありますか。
▲ 説明員(植松信一君)
お尋ねの件につきましては、日本青年社最高顧問西口茂男と
住吉会会長の西口茂男については同一人物と見ております。
▲有働正治君
 きょうは時間がありませんから具体的にお尋ねする時間はありませんけれど
も、私どもの調べによると、例えば住友銀行名古屋支店が岐阜市内の指定暴力
団稲川会系中島組の組事務所ビルを担保に、この組の関連企業に対し多額の融
資を行っている事実等々もあるわけであります。こういう銀行、金融機関が、
暴力団あるいはそれと深く結びつく右翼との資金的なかかわりがあるというこ
http://www2.kitanet.ne.jp/~mail/2ch/test/read.cgi?bbs=youth&key=959514592&ls=50
http://www.ohayou.com/2ch/test/read.cgi?bbs=mayors&key=961429158&ls=50





218 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 01:43
>ZEGAさん、その他

 創価学会のホームページを調べたところ、「仏法理解のために」から「法華経」へ飛ぶと、以下のような説明がありました。多少長いですが引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人間が遭遇する様々な苦しみを解決する道を求め、出家した釈尊は、悟りを開いてから生涯を終えるまでの約50年間に衆生の機根に合わせて種々の説法を行い、八万法蔵といわれる膨大な法門を残しました。中国の天台は残された数多くの経典を分類・分析し、法華経こそが最高の教えであり、成仏(仏の境涯を開く意)の真実の法が説かれていると判じました。仏には、この世に本懐は法華経(妙法蓮華経)を説くことにありました。

釈尊は、40年以上の間、爾前経(にぜんきょう)と総称される仮の教えを説き、人々が真実の法を受け入れられるよう準備を進めました。その事実は、釈尊自身の言葉として法華経の序文にあたる無量義経(むりょうぎきょう)の中で、「四十余年には、未だ真実を顕わさず(これまで説いてきた爾前経には、成仏の根源の法を顕わしていない)」と示されています。また、法華経の方便品(ほうべんぼん)の中でも、「正直に方便(仮の教え)を捨てて、ただ、無上道(最高の教え)を説く」等と説き、法華経以外の教えへの執着を捨てるように戒めています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 明らかに歴史的釈尊が法華経を説いたという主旨の文章であると思うのですが、どうでしょうか? また、この文章のほとんどの内容が、現代仏教史学の見地からいうと、明らかに否定されるものです。これは創価学会の公式見解としてよいと思います。
 ただ、これは(教義の破綻を防ぐための)創価学会の表向きの体裁ということも考えられます。創価学会員は、法華経が釈尊によって説かれていないと知っていたとしても、信仰がゆらぐことはない、ということも考えられます。
 ですから、ZEGAさんは今まで通り、「わからない」というスタンスをとってもらってもかまいません。


219 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 02:16
>ZEGAさん、文底さん
 まだ議論にはいるための確認作業が終わっておりませんので、

> 先ずは、第7の外道さんが提示された「法華経の定義」を創価学会の教義として「原理主義的解釈」と「脱神話的解釈」のどちらのスタンスにウエイトを置いて、ZEGAさん御自身、理解されているか御伺いしたいと思います。 (文底さんからZEGAさんへのカキコ)

には(確認作業の一環として)ZEGAにお答え頂きたいのですが、

>そして、その考えに至る、文献的「教義書」の一文とその「教義書」の御自身が考えうる「歴史的正当性」をお聞かせください。 (文底さんからZEGAさんへのカキコ)

にはもう少しお待ち願えませんか。一度議論が始まってしまうと、全体を概観することが難しくなると思われるので。

 今後の流れとしては、ZEGAさん(その他の学会員の皆さん)に歴史的見解の確認をとった後、それをもとに、釈尊在世時代から現代にいたるまでの歴史的見解の「相違」(これは僕が代表して進めてもいいのですが、より史実に詳しい人にやってもらった方が確実でしょう)を箇条書きになるまでにまとめ、それを議題「群」として提示したいと思っています。
 僕も、第7の外道さんと同様、

>ただ、実は「脱神話的解釈」の先まで進まなくても、「原理主義的解釈」を許容するかしないかが明確になるだけで、日蓮仏法の根幹の把握に決定的に重大な変容が生じてくる、というのが今の私の意見です。 (外道さん)

 と考えるのですが、議論を進めていくにつれ、後代の話もからんでくることも考えられるし、なにしろ現代仏教史学の歴史観と創価学会の歴史観はほぼ全域に渡って異なっているわけですから、まずこういった作業が必要と思うし、それはおそらく今しかできないと思うのです。


>第7の外道さん
 遅ればせながら、「日蓮私見」スレッド読まさせて頂きました。今まで読もう、読もうと思っていたのですが、先延ばしになっていたのです。大変論理的に読みやすく、洗練された文章であると感じ入りました。あのようにまとまった場所に自分の考えを連ねておくというのは、議論をする上でとてもよいやり方だと思います。新しい板でもやらないのでしょうか?(労力の問題で辛いですね・・・)
 中で提示されていた外道さんの疑問には、元学会員としていくつか答えられるものがありますが、また後の機会に致します。
 ところで、内容が中途で終わっているようでしたが、続きはあるのでしょうか? 面白いので続きを楽しみにしています。(今までの議論をふまえた上で、考えを再構築している途上なのかもしれませんが)
 それから、旧「日蓮って」スレッドの最初の方を少し読んでいたのですが、蓮日さん(現、昼行燈さん)との掛け合いの中で、今の外道さんの考えと違う考えが読みとれましたが、それは議論の推移の中で考えが変わったのでしょうか?(差し出がましい印象を受けたのならすみません。ちょっと気になっただけなので、お答えにならなくてもかまいません)


220 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 02:37
>Nさん、SGさん(その他の創価学会員の皆さん)

 おそらく、このスレッドで進められている、「歴史的・客観的立場から創価学会の正当性を立証する」、というやり方には納得できていないのではないでしょうか? それに対するフォローをしたいと思います。

 今、ZEGAさんとこのような流れになっているのは、旧「日蓮って」スレッドの議題が多肢に渡り過ぎてしまったので、議題を区画整理したためです。ですから、他の、「何によって宗教の正邪を見極めるか」といった内容の議題は残されています。

 文献や学者の意見など、宗教の正邪には関係ない、客観的立場からは知り得ない、とのお考えをお持ちでもかまいません。もし仮に、歴史的見解からは創価学会の主張は間違っている、という結論が出たとしても、それがすなわち創価学会全体を否定することにはなりません。(現実に功徳が出ている以上、当然学会員はこうした意見を持つと思います)

 この議題を終えた後、それを議題としましょう。

 ただ、「客観的立場のみから、創価学会の正しさは立証できるのか」というのは(少なくとも組織としては)極めて重要な問題のはずです。また、本当に創価学会が正しいのなら、悪い結果にはならないはずです。

 どうかよい返事をお待ちしております。僕も知識はあまりないので、お互いに確認しながらやっていきましょう。



221 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/21(水) 03:14
あぁ、何だか僕の書き込みが遅れているせいで、論議が滞っているようですね。スミマセン。
時間の関係上、大事なところだけ。

僕の法華経に対する考え方は、「脱神話的解釈」です。
また、創価学会の見解も、脱神話の方向で間違いないでしょう。学会がそのような解釈をしているであろうという文献的証拠としては、
「法華経の智慧」の3巻あたり(ちょっと手元になくて確認が取れません。分かり次第書き込みます)で、池田名誉会長が、霊鷲山会で数万もの仏が登場する事について、「釈尊己心の仏であるから、何人いてもよい」(意訳)とする発言をしているからです。
学会の立場は、池田名誉会長の意見に従うとみてよいと思われるので、これを学会の見解と考えます。


>明らかに歴史的釈尊が法華経を説いたという主旨の文章であると思うのですが、どうでしょうか? また、この文章のほとんどの内容が、現代仏教史学の見地からいうと、明らかに否定されるものです。これは創価学会の公式見解としてよいと思います。
>ただ、これは(教義の破綻を防ぐための)創価学会の表向きの体裁ということも考えられます。創価学会員は、法華経が釈尊によって説かれていないと知っていたとしても、信仰がゆらぐことはない、ということも考えられます。
>ですから、ZEGAさんは今まで通り、「わからない」というスタンスをとってもらってもかまいません。

釈尊もキリストと同様、自分の言葉をそのまま文献として残してはいません。ですから、仏説と呼ばれるものの内、どこまでが直説であるか分からないので、僕の意見は引き続き「分からない」です。
ですが法華経の成立年代から考えても、釈尊直説の経文である可能性は低いと言ってよいと考えます。
前述した事を踏まえた上で、僕は日蓮仏法への信仰にさほどの揺るぎを生じません。
この点について、必ず話が及ぶ事と思いますので、そのときに詳述します。
慌しくて申し訳ありません。


222 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 04:36
>ZEGAさん

>僕の法華経に対する考え方は、「脱神話的解釈」です。
>また、創価学会の見解も、脱神話の方向で間違いないでしょう。

 結論から言うと、僕としてはZEGAさんの「原理主義的解釈」「脱神話的解釈」に関する、221のレスは矛盾しているように思います。この部分でこじれるようだったら、確認作業としてではなく、むしろ議論の中身としてやりたいところですが、今は簡潔に確認だけしておきます。

 218に引用した、創価学会のホームページの内容は、ZEGAさんは「全て」正しいと思っていますか? もしそうだとすると、やはり釈尊在世の時代に法華経の内容(原型とよんでも結構です)は説いていたという事になりそうですが。つまり、先の

1・法華経は(歴史的)釈迦が説いたものである

には、ZEGAさんとしてはYESになると思うのです。

 ポイントとしては、

1・歴史的釈尊の「はっきりと自覚された」意図として、法華経を説くために爾前経を説いていた、ということ
2・歴史的釈尊は「正直に方便を捨てて、ただ、無上道を説く」等と説き、法華経以外の教えへの執着を捨てるように戒めたこと
3・『仏には、この世に本懐は法華経(妙法蓮華経)を説くことにありました 』というところから、釈尊は在世で法華経を説いていること

の三点です。

 ご多忙のことと思いますので、こちらのことは気にせず、ZEGAさんのペースでレスして頂ければ結構です。今が一番忙しい時期と思われるので、どうぞご自愛下さい。最も恐いのは、急ぐあまりに納得のいかないまま議論展開してしまったり、途中で放棄せざるを得ない状況になることです。


223 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 11:37

第7の外道さん

>私は全く構いません

ご賛同ありがとうございます。

>別に私の許可などお求めいただかなくても結構ですよ。

いや、私が思いの丈のを述べだすと「新手の荒らし」の様に見えてしまうので・・・
御確認を取らせて頂きました。


ひゃっきまるさん

>にはもう少しお待ち願えませんか。一度議論が始まってしまうと、全体を概観することが難しくなると思われるので

ZEGAさんに対する件、了解致しました。

後「被告 池田大作」でのフォローカキコ有り難う御座いました。(多謝)
SGさんと論議をすると若干(多分に?)五月蝿くなるとは思いますが、その辺りの此処、御了解ください。



224 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/06/21(水) 13:31
文底さん・・・亀レスです・・。

>これは、私も少し読んだ事があるのですが、現代人には「読むだけでも難解」です。(たしか、注釈がありません)
学会版の「日蓮大聖人御書全集」の翻訳版(部分ごと)があるとは思うのですが・・・・

 ご指摘の通りです。(^^; 私の頭では、「真意」の理解なんて無理のようです。
 英訳版を買った方が良かったかもしれません・・・(笑)

 本棚を整理していたら、「となりの創価学会」(宝島社)という本が出てきました。
 昔、購入して一度は読んでみたものの、何が書いてあったかも忘れていました。この中に「宗門問題」について述べている箇所があったので、再度読んでみました。記事の内容としては、学会出身を含む正宗僧侶だった人(正宗を離脱)の意見が書かれています。(つまり学会寄りですが・・・)
これによると、日顕現法主は、かなり前(戸田会長時代)から反学会であったようで、当然、池田氏の発言についても反感を持っていたものと思われます。学会的に言えば、「嫉妬」ですか・・・。(笑)
宗門問題が、「破門」にまで発展してしまった原因には、正宗の絶対的権力者である日顕法主の「感情的」な判断が多分にあったのかもしれません。 宗門は、「金のなる木」である学会を破門したわけですが、日蓮正宗の寺では創価学会のおかげで、十分な蓄財があったようです。(他宗の寺に比べたら檀家の数が、1〜2桁違ったのだそうです) このような経済的バックボーンがあったからこそ、「宗門は、心置きなく破門することができた」と離脱した僧侶は、述べています。

ひゃっきまるさん

>できれば、第7の外道さん、昼行燈さん、文底さん、若葉マークさん、メディスンさんなど、仏教史について詳しい人達がこの議論に参加して下さると(略)

 私のHNまで入っておりますが、HN通りで、このスレッドにカキコしている中では一番知識なないと自負?しています。(^^; 仏教には、かなり疎いです。 皆さんのカキコを見ながら勉強させて頂き、たまには、質問などをしてみたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。

ZEGAさん、横レスです。

>池田名誉会長が、霊鷲山会で数万もの仏が登場する事について、「釈尊己心の仏であるから、何人いてもよい」(意訳)とする発言をしているからです。

 「法華経の智慧」1巻 p85、p111 にも記載があります。


225 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 15:43
ひゃっきまるさんへ<

ぜんぜん怒っていませんから、心配しないで下さいね。
れす、おそくてすみません。


226 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 18:05
ひゃっきまるさん< 2000/06/16(金) 12:55

こんにちは。普通でよいですよ。

>では、Nさんの主張は、創価学会の「憎しみ」は正当なもので、正当化されたものではない、
という考えなのですね?

お願いですが、学会というときは団体総体としての。固体としての構成員を指すときは
学会員、あるいは、ある幹部とかいう表現にしてください。空論になる恐れがあります。
わたしもそういう表現を用います。貴方の意見を差して、「ひゃっきまる家」の意見
とは言わないでしょ?

学会はある種の「怒り」の元に行動しているように見えますが、「憎しみ」を元に
行動しているとは思っていません。

貴方が問題にされているのは個々の会員や幹部などの一ケースを問題としてるのでは?
これは、学会の問題と言うよりも現場あるいは現場組織の問題ではないかと思うのですが。

学会員それぞれの「憎しみ」というものがあるのは、人間だから当然だと思っています。
その憎しみを上手に処理できず、正当な怒りへと昇華できない人もいるとは思います。

>しかし、正当化を終えた人間は自分の行動を正当だと言うものだと思
>うのですが。人を憎む、醜い心を、さも正義感であるかのように理屈
>付けするのが、「正当化」だと思っています。

私も全く別物と認識しております。正当化は一種の狡さですね。


227 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 18:13
> 誤解を与えたようですが(正直なところ、このような誤解をする人はめったにいないと
>思います)(>>いえ、誤解する人がいるから、学会批判という形に現れてくるのです。)
>、確かに「悪」を正当化することはいっそう「悪」ですが、僕の勝手な信念として、「人を憎む
>こと自体、悪」だと思っています。そして、それは醜い心だと思っています。人を憎むことは悪
>なのか、という議論をしたいのであれば、受けて立ちましょう。

以前の私の書き込みで、大乗仏教では「許す」という思想を持っていないと申し上げました。
ご覧になられましたか?
これは、「許す」という概念がないということではありません。
「人を憎むこと自体が悪」とは思いません。誰だって、ひどい仕打ちにあったら、
その人を憎むものだと思います。ですが、この憎しみのエネルギーを正しい方向に
向かわせることが出来るならば、それは「正当化」ではなくて「昇華」といいます。
この場合本人は、「許す」などと言う気持ちはありませんが、結果的に許しています。

例を挙げましょう。
勉強が出来ない子どもを憎らしく思い、殴ったりする親がいたとします。
しかし親には逆らえず、その親を憎むような気持ちになってしまているかも
しれません。
その子どもが、将来その事が基で、子どもの教育の時に
同じように憎らしく思ってしまい、「殴る」方法(憎しみの転嫁)をとるか
意志を固くして「決して子ども殴るまい」(憎しみの抑制)と思うか。で差があります。
「殴るまい」とした人はただ「殴らない」それだけでは親への憎しみは解消出来ません。
ぐっと感情をこらえているだけです。

しかし、深く物事を考え、なぜあんなに殴らなければならなかったのかと
問い直したり、
「勉強が出来ないことが問題なのではない。この子はこの子なんだ。」と教わったり、
何らかの方法で得したとして、
元の親を考えた場合、「ああ、あの親の気持ちが解った。致し方ないことでもあった。
私の親はこんな方法を知るすべもなかった。親って言うのはこんなものなんだ。」といった
ようにかんがえるようになったり、
「うちの親も哀れだなぁ」「暴力ってまずいよなぁ」などと思い、
「この子にはもっとのびのびとやってもらおう」などと考え、
「そのために自分はがんばろう。暴力のない世界を創ろう。」
「また、私や孫はこんなに立派になったぞと親に見せてあげよう」

などと強く決意すれば、憎しみは「昇華」され、暴力を容認する社会に対して、
正当な「怒り」になっていゆきます。
こういう人は、暴力を以って暴力を駆逐すると言う方法を取りません。
人そのものを憎むことは出来なくなっていくのです。


228 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 18:16
ひゃっきまるさん<

思想面から話しましょう。
「人を憎むのは悪」という思想があったとします。
ひどい仕打ちに会った人は、憎むことを止めなくてはなりません
無理矢理許せば心に無理が生じます。
「憎いんだけれど、憎んではだめ。」この葛藤から抜け出る方法は
意識の奥に追いやり、表面的には憎んでいないように振る舞うことになります。
この憎しみのエネルギーを心の奥にしまい込んでおいたらどうなるでしょうか?
自分の本来の姿を隠して「偽善的」に振る舞うのではないでしょうか?

学会や大乗仏教には、「人を憎むのは悪」という思想はありませんが。
「善(人)を憎むのは悪」というのならあります。
また、「悪を放置するのも悪」というのもあります。


229 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 18:22
ひゃっきまるさん< きょうは、これくらいにします。

>僕は、人を憎むことは苦しみであると考えています。自分の大切な人を殺された、というよう
>な状況では、とても相手を許せないと思うし、それは社会的にも容認されるものだと思います
>(個人的な報復は許されないが)。しかし、それを宗教が肯定することには疑問を持ちます。

貴方は宗教と言うものを誤解しています。
貴方の持っている考え方、思想とういのは、貴方の行動の規範になるものです。
宗教も同じです。その宗教を信じるひとの行動の規範になるものです。
その事においてまったく差はありません。
言ってみれば、貴方の考え、「そういうときは容認されるもの」というのも一つの宗教又は
教義となりうるものなのです。貴方の言う「憎みを肯定」と言うのと違うのではないですか?

社会的良識というのも、一つの宗教の様なものと考えられます。

宗教の場合、そのとおりに実践できる人出来ない人、さまざまです。
学会の場合も修行の段階において、さまざまな人がいます。それを差して、
学会全体が悪いように思ってしまうのは、早計な判断と思います。

また、学会は「人を憎むこと」ことを肯定しているというのとはちょっと違って、
「受け入れている」のです。この違いは大きいです。
さきほどの例のように、何かされた場合「人を憎」んでしまうのは人間として当然と
おっしゃいました。それを心に無理することなく、正しい「怒り」へと昇華してゆくためには、
最低でも、「人を憎む」というステップを踏まなければならないのです。
また、憎むことを受け止める受け皿も必要なものなのです。

それを、学会が憎むことを「肯定」というように積極的に勧めているように言われるのは
誤解甚だしいと言わざるを得ません。

>創価学会の場合、「憎む」というのはちょっと違う気がして、「怒る」という方が近いような
>気がするけれどもまだちょっと違う・・・。

憎んでいる対象が「善(人)を憎む悪」だから、そのように見えるのではないでしょうか?


230 名前: >229 投稿日: 2000/06/21(水) 19:02
簡単に「学会は人を憎むこと受け入れている」と書けば済む事でしょ。
知人の学会員が見せた、憎々しげは表情は一生忘れないでしょう。


231 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 19:10

SGさん
それでは、No195のレスです。

>どこの宗派が文献的にみて正しいかという議論は、いろいろできるとおもいますが、究極的にはナンセンスであることが、今回の宗門の問題で証明されました。

私もSGさんのお考えには同意いたします。
「文献学的教義解釈」のみを持って宗派の「正邪」を論じる事は、その時代背景や文献の「抽象的表現」の曖昧さから如何様にも判断できると思います。

>現在において、堕落していれば、それはその時点で正しくないし、悪の存在です。

仰る通り、もし「堕落」(ここでは法主と宗門の僧侶)し「正しくない事」が客観的に立証されたならば「悪の存在」と仮に定義付けられるかも知れません。
しかし、貴方の「堕落」「正しくない事」の判断は

>それは、日顕そして、坊主たちの異常な行動で判断できることです。

とSGさん御自身述べられているように「異常な行動」と言う極めて曖昧な表現です。
「異常な行動」をある程度客観的に見る方法として、裁判と言う方法があります。
そして、学会も宗門もその客観的方法の裁判を実際に行っております。
しかし、結果はどうでしょう?
「異常な行動」と断定するには、余りにも裁判の判例の勝訴の数において、学会はその優位性を主張できますか?
SGさんは日本での「シアトル裁判」の事を「異常な行動」と断定される一つの認識としてお考えだと思いますが、この「シアトル裁判」がアメリカでの裁判として、宗門側が勝訴した事実を御存知ですか?

続きます。


232 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 19:11

それとも他の裁判の訴訟の是非にて客観性を見出しますか?
過去、全国各地で創価学会員が宗門に対し80件以上の訴訟を起こしましたが(逆もあります)、両者の機関紙も自分の負けた訴訟についてはあまり報道せず、勝ったことばかり大きく掲載しています。
客観的勝訴事例を比べると学会より宗門の方が勝訴の数が多いのは、どのようにご説明なさりますか?
裁判は「異常な行動」を客観的に見る機関としては、ご不満でしょうか?

1、私は、SGさんが「異常な行動」を判断する民主主義国家ならば当然考え得る、具体的事実として「裁判」を例に挙げて検証しましたが、SGさんが「日顕そして、坊主たちの異常な行動」を御判断する「具体的例証」を挙げてください。

もし無いのならば、何故SGさんが「その様な結論を導き出したか」をSGさんのお考えで構いませんので「具体的」に、私に教えて下さい。
SGさんは2chで「日顕そして、坊主たち」と「具体的」に誹謗・中傷された以上、その根拠を私達のような「第三者」に「2chでご説明できるご確信の元で発言された」と思っております。

>正しい血脈とは、信心の心のなかにあるという意味の御書があり、またそれ以外にはないのです。

2、SGさんは「御書の一文」の中の「正しい血脈」の「正当性」として文献的な一文「信心の心のなかにあるという意味の御書」を挙げ「それ以外にはない」と結論付けられています。
しかし、これは貴方が先に述べられた「究極的にはナンセンス」の文献解釈の一つだと思いませんか?
「究極的にはナンセンス」の文献解釈をもって「正しい血脈」と理由付けたその根拠を「具体的事例」を持って教えて下さい。

続きます。


233 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 19:12

3、尚、これ(御書の一文)は学会の方が主に主張される「生死一大事血脈抄」の事を指していらっしゃるのだと思いますが、この文献に対する反証は「一代聖教大意」「日興遺戒置文」「化儀抄」等にも述べられており、貴方の主張される「それ以外にはない」事の立派な反証になりますがこれに付いてどのようにお考えでしょうか?
SGさんが「信心の心のなかにあるという意味の御書があり、またそれ以外にはない」と結論付けられている以上それらを反証できる「具体的事例」を挙げてください。

>現実にだれが、どこの団体が広宣流布のために戦っているのか、また、民衆救済の慈悲を持っているのか、そこにしか判断基準はありません。

4、創価学会が「現実にだれが、どこの団体が広宣流布のために戦っているのか、また、民衆救済の慈悲を持っている」団体と結論付け得る「具体的事例」を教えて下さい。

また「そこにしか判断基準はありません 」の「そこにしか」とは前段の「現実にだれが、どこの団体が広宣流布のために戦っているのか、また、民衆救済の慈悲を持っている」と言う文にあたりますが、そうなると、それに該当する団体はSGさんにとっては「創価学会のみ」となり、その後の「判断基準はありません」と結論付ける事により「創価学会のみ」が「善悪の判断基準」を持っているかの文となってしまいます。

5、私がもし、上記の推論が文法的克つ、客観的に間違っているならば、上記の引用文(>現実にだれが、どこの団体が広宣流布のために戦っているのか、また、民衆救済の慈悲を持っているのか、そこにしか判断基準はありません)との私の推論を否定し得るだけの「具体的例証」を挙げてください。

続きます。


234 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 19:13

>宗教は現実社会のなかで、生きているものであって、文献学ではありません。

文献学だけで宗教を論じる事を私は「是」とは致しません。
しかし「宗教は現実社会のなかで、生きているもの」を具体的に説明するには、現在から過去に至るまでの「歴史的文献」「科学的客観性」「その国における価値観」などあらゆる事象を客観的に「万人」に納得させるものでなければならないと思います。
少なくとも、第三者に対して「何々である!」と結論付ける以上、第三者がある程度納得できる「具体的」克つ「客観的」事例が必要であると思います。

6、SGさんが「現実社会のなかで、生きているもの」と第三者がある程度、納得出来得る「具体的」克つ「客観的」事例を挙げてください。

>常に、今現在の姿で判断されなければいけません。

今の姿を判断する事は大切な事だと思います。
しかし、何をもって「判断」の材料とするかが重要なのです。
その基本的「判断材料」が、第三者に「納得出来ない物」であれば、その当事者(SGさん)が私のような第三者にも、納得出来得る「具体的」克つ「客観的」事例が必要なのです。
それを踏まない手順であれば、それは、決して第三者に対し事の是非を「結論付ける」ものではないし、又、第三者は永久にその発言者(SGさん)の心情を理解できないでしょう。

7、SGさんは、何をもって「今現在の姿で判断」の材料とするか「具体的」克つ「客観的」事例を挙げてください。

最後に。


235 名前: 文底 投稿日: 2000/06/21(水) 19:14

今回は此処までに致します(新手の荒らしと誤解されてもいやなので)

>>私のような第三者にも理解できるような「具体的事象」

に対するSGさんが述べられた「三障四魔」に対する反証は、SGさんが此処までの反証された後、後日致します。(お望みであれば)

以上私もSGさんの誠実なレスに対し精一杯誠実に問題提起させていただきました。
都合の良い所を抜き出した「揚げ足取り」と思われないよう、全文にて反証させていただきました。
私は、SGさんの信仰・思想を否定する立場ではありません、また、その様な考えは一切ありません。
私が、SGさんに問題提起したのは、第三者(ここでは私)の私見です。
SGさんもお忙しい事とは存じ上げますが、私が番号を付けました疑問点において、夫々、全て番号を付けて、全てレスを頂きたいと思います。(全体的な印象を主観的に述べられないようにお願い致します)
その事象の推移を拝見させて頂き、SGさんの御返答の誠意と解釈いたします。

長文大変失礼致しました。


236 名前: 投稿日: 2000/06/21(水) 19:28
>客観的勝訴事例を比べると学会より宗門の方が勝訴の数が多いのは、
>どのようにご説明なさりますか?

あれ?変ですね。宗門の勝訴って損害賠償程度
ではなかったでしたっけ?それは、別のところで見た記憶がある
し、学会も認めていたようだったけれど。
宗門のには、「勝訴」とはあったが、訴状、判決文等々は
無かったけど、・・・・?
学会は訴状から判決に至る文面まで押さえていたはず。

記憶違いかな?この件については事実確認が必要でしょうかね。




237 名前: 230<N 投稿日: 2000/06/21(水) 19:32
そ、そうですね。なんか長文の方が多いので引きづられたみたい(^^;)

その方は相手を憎んでいるみたいですね。


238 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 19:41
>Nさん
 誠意のこもった長いレス、ありがとうございます。
 とりあえず全てのNさんが(僕に対する)全てのレスを終えるまで、僕からの返事はひかえさせてもらいます。ご了承下さい。


239 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 19:41
>Nさん
 誠意のこもった長いレス、ありがとうございます。
 とりあえずNさんが(僕に対する)全てのレスを終えるまで、僕からの返事はひかえさせてもらいます。ご了承下さい。


240 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 19:47
 すいません。二重カキコしてしまいました。238の文章は間違いです。投稿者名も変になってるし。

>若葉マークさん
 僕もあまり知識はないと、自負(^^)しております。どうぞご自由に発言して下さいね。


241 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/21(水) 22:13
 新しいスレッド立てたいと思うのですが、何故か「エラー・スレッドの立てすぎです」となってしまう。
 どうすればいいんでしょうか。


242 名前: >241 投稿日: 2000/06/21(水) 22:41
創価大学からアクセスしてるのなら、他の創大生が
スレッド立ち上げてるってことじゃないの?


243 名前: 試し書き 投稿日: 2000/06/21(水) 23:52
サーバーの調子がよろしくないようですね。



244 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/22(木) 01:22
 スレッドのたてすぎです。。。は、同じプロバイダからスレッドがたてられた場合、他から新しいスレッドが五つ立ち上がってない場合、出る仕組みのようです。
 匿名を守るためとはいえ、同じプロバイダ、というのは枠が大きすぎると思ったのですが、身近にこの板に来てる人がいるかと思うと、ぞっとしました。僕の使ってるプロバイダはかなり範囲がせまいはずなので・・・。

>242.243
 お気づかいサンキューです。

 このスレッドには、ロムのみの人(一応全文読んでて、内容を把握している人)はどれくらいいるのでしょうか? よろしかったら、返事だけしてみてくれませんか?

>文底さん
 どういたしまして(^^) 僕は他のスレッドは全く見ていないので、文底さんが話のできそうな創価学会員さんを見つけてきてくれるのは嬉しいです。もっといろいろなスレッドで、学会員もアンチの方も、建設的に議論して、板全体がよいものになればよいですね。


245 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/22(木) 05:15
>若葉マークさん

「法華経の智慧」に関するご指摘、どうもありがとうございます。


>ひゃっきまるさん
>222

>218に引用した、創価学会のホームページの内容は、ZEGAさんは「全て」正しいと思っていますか?

答えはNOです。時代が下るにつれて書き加えられたという法華経の全文が、釈尊の直説とは思いません。

このあたり、僕の仏教観としても大事なところなので、ちょっと文章を纏める時間を下さい。「創価大学の優れた点」についてもレスしたいのですが…。



246 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/22(木) 05:19
>創価学会における「憎しみの肯定」について

お節介な横レスです。スミマセン。

衛星中継などで、青年部の代表が、日蓮正宗との裁判においての経過を述べる事がよくあります。勢いと熱気に満ちた青年部は頼もしく思えますが、その発表の中で、悪ノリした皮肉を言ったり、それを聞いて馬鹿にした笑いをする人が少なくありません。こうした人を見ると、「オイオイ、それは違うんじゃないの」と思ってしまいます。

僕は学会の主張を信頼し、法主の退座を要求し、宗門の清流の復権を望むものです。しかし、衷心から相手を正さんとするのがあるべき姿であり、今の路線には賛同し難いものがあります。会員の憎しみを煽り立てるようなやり方に、学会員の中でも飽き飽きしているとの声が少なくありません。
悪は厳として正さなくてはならない!と信じて止みませんが、その根底には相手に対する慈悲がなくてはならないと思います。宗門を攻撃するのは、「誤った宗教が人を不幸にする」という理念に基づくべきであり、それと普通の折伏の精神と何の違いがありましょうか。

創価の中に、盲目と傲慢とがじわりと水嵩を増しているような……。そんな気がします。



247 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/22(木) 09:05
>ZEGAさん

 実は新しく立てようと思っていたスレッドとは、牧口初代会長についてのスレッドでした。
 ZEGAさんが学会の全てを正しいとは思っていないのと同様、僕も学会の全てが悪いとは思っていません。しかし、今現在、僕は日蓮仏法そのものの正当性を疑っている以上、立場としては懐疑的アプローチになってしまいます。
 とはいえ、創価学会の悪い側面のみを追求するというのも公平さに欠けると思います。日蓮仏法が他の宗教と比べて、正当性ということにおいて格別優れているのでないとしたら、なぜ哲学者であった牧口会長が、日蓮仏法を選んだのか、ということに関心が沸きました。
 恥ずかしながら、僕は牧口会長の著作を読んだことがありません。もしZEGAさん(その他の学会員の方も)牧口会長について詳しいのならば、新しいスレッドが立ったとき、ぜひお考えを伺いたいと思います。


248 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/22(木) 12:20
ひゃっきまるさん

私、ちょっと体を壊してしまいました。とりあえず私が答えなくてはならないレスがあまりないのでいいんですが、完全復帰には今しばらくかかりそうです。

>釈尊在世時代から現代にいたるまでの歴史的見解の「相違」(これは僕が代表して進めてもいいのですが、より史実に詳しい人にやってもらった方が確実でしょう)を箇条書きになるまでにまとめ、それを議題「群」として提示したいと思っています

それは興味深いことです。ただ、結局それは「法華経中心の歴史構成」かそうでないかに分かれ、つまるところ「原理主義的解釈」をとるかそうしないかの問題へと還元されそうですね。
しかし学会がHPにて天台‐日蓮の仏教史解釈をそのまま公表しているのには驚きました。しかもその認識が、学会員で教義にも関心を深く持つ方々(ZEGAさんなど)の間で必ずしも共有されていないというのにも、改めて驚きました。大宗派であればこういうことはあっても不思議ではないと思いますが、こと「唱題」の位置付けに直結するような問題であるだけに、この点のアバウトさは驚きです。

なお、旧「日蓮私見」ですが、自分でも若干不満に思う点があって、書きなおしたいと思っているところでした。根本的な考え方には変更はないのですが、もう少し違う整理の仕方があると今では思っているのです。従って、あの「続き」という形で書くことは今の私にはできません。あしからず。

>今の外道さんの考えと違う考えが読みとれましたが

変わっていると思いますが、自分でも具体的にどこがどう変わったのかは指摘できません。多分私の立場の根幹に関わるところではないと思いますが、今後議論を進めていく上で障害になりそうだとおっしゃるのであれば、詳しく説明させていただきます。




249 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/22(木) 15:28
>第7の外道さん

 ごゆっくり養生なさって下さい。このレスへの返事はつけなくても結構です。

 創価学会における、「法華経原理主義的解釈」「脱神話的解釈」の位置づけについて、私見を述べさせてもらいます。以下の僕の予想が当たっているかどうかは、今後の議論によって明らかになっていくと思います。

 まず、伝統的な日蓮正宗の教義では、間違いなく原理主義的解釈をとっているはずです。しかし、現代人はこの見方に抵抗があると見えて、重要な部分(つまり法華経に展開されるストーリーが現実に起こったのかどうか、など)をぼかして説明するか、「部分的に」脱神話的解釈をとるか、という方法を採っています。もちろん、部分的に解釈を変えれば、全体としては矛盾が出ます。

 僕のねらいは、釈尊在世の時代から、現代に至るまでの、歴史観の相違を並べ、全体として見ることで、「法華経原理主義的解釈」「脱神話的解釈」の、どちらを創価学会は採用しているのか、ということを分析することです。これを自覚するかしないかだけで、信仰への意識はかなり変わるはずです。具体的に言えば、「脱神話的解釈」をしているように見えて、実は「原理主義的解釈」をしていた、ということを自覚することです。

 日蓮正宗と離脱した創価学会は、もはや無理に「法華経原理主義的解釈」をする必要はないわけですが、それも難しいのです。というのは、教義は「御書」を根本にするからです。未だに天台の仏教史観を採用しているのは、御書にそうあるからです。

 外部者からの視点では、「日蓮も人間であるから、間違いを犯してもおかしくない。当時の世界観では法華経は釈迦によって説かれなかった、ということは知り得ないわけだから・・・」と考えます。しかし、創価学会にとっては日蓮は仏であり、特別な存在であるので、間違いは犯さない、とします。(そうでないと御書は根本としての資格をなくしてしまいます) 個々の信徒にとっては、この見方は必ずしも納得のいくものではないでしょう。(ZEGAさんは、大聖人であっても間違いは犯す、との考えをもっているのではないでしょうか) これを解決するためには、御書をなんとか現代風に解釈し直して、双方の意見がかち合わないようにする工夫が求められます。「書かれた内容ではなく、書いた大聖人の精神をくみ取る」という見方は、その一例ですが、教義の根幹となる部分にまでこの方法を使うと、如何様にでも勝手に解釈できる、極めてあやふやな信仰になっていくという危険性があります。

 そういう意味で、学会員の意識の構造として、「法華経原理主義的解釈」の背後には、「御書原理主義的解釈」があると僕は思っています。しかも、それは現代的世界観にも矛盾しない、としているので、表面的には「脱神話的解釈」の風を装わなければならない、といったところなのではないでしょうか。アバウトさが出るのはこのためだと思われます。

 以上のことについて、創価学会員の皆さんは大いに異議があると思いますが、これはあくまでも現時点での僕の予想に過ぎず、根拠はないものなので、もうしわけありませんが反論にお答えすることは出来ません。ただ、僕がこのような考えを持っている、ということは頭の隅にでも留めておいてくれると、今後の僕の発言の意図が推測しやすくなると思われます。


250 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/22(木) 15:31
>第7の外道さん
>>今の外道さんの考えと違う考えが読みとれましたが

 僕が勘違いしてとったのだと思うので、気にしないで下さい。いずれ、「空」についての議論を再開するときにでも、またお話しします。


251 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/22(木) 15:44
 ようやく新しいスレッドを立てることができました。

『牧口初代会長の思想を教えて下さい』
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=961655665&ls=50

というものです。
 ここの常連さんにはぜひのぞいてもらいたい内容なので、一度来てみて下さい。
 特に、学会員の皆さんには自由に書き込んでいってもらいたいと思っています。


252 名前: 文底 投稿日: 2000/06/22(木) 18:46

第7の外道さん

>私、ちょっと体を壊してしまいました。

何よりも、健康あっての論議ですので、先ずは御体を一番大切に御自愛されて下さい。
御元気になられましたら、又、宜しくお願い致します。
尚、上記の文にレスは不要です。

ひゃっきまるさん

>学会員もアンチの方も、建設的に議論して、板全体がよいものになればよいですね。

仰る通りですね、私もその様に思っております。
まぁ、この荒れ具合も2chならではの醍醐味ですが・・・・
私は「煽り」「一見」「荒らし」の方々にもその価値を見出している一人なのですよ(限度にもよりますが・・)
つまり、人夫々の「表現の仕方」があるのだと、そう思って(割り切って?)この板におります。
私の文体だってある人から見れば「文章を羅列する荒らし」に見えて「ウザイ」でしょうし・・・

ZEGAさん

貴方のような「客観的」に組織を述べられる方を見て、少し、認識を改めました。
大多数の方が、貴方のような、お考えを持たれる事を期待しております。
とは言えども、ZEGAさんの論点にはまだ「突込みどころ」が無い訳ではありませんので、興味を持って、レス拝見させて頂いております。
くれぐれも、お体を大切にされて、色々頑張ってください。

若葉マークさん

「日蓮大聖人御書全集」難しいでしょう?
若葉マークさん仰る「心置きなく破門することができた」との下りは「なるほど」と納得させられました。
また、色々問題提起して下さい。


253 名前: 赤がらす 投稿日: 2000/06/23(金) 00:51
 「日蓮って」(第七の外道さん)に私の意見を述べさせてください。「法華経は読むに値する」との指摘に感動しました。外道の人にもわかる人はいるのだ、と。ちなみに私は‘内‘です。
日蓮の拠って立つ法華経そのものが釈尊の直説ではないとの指摘ですが、私は「法華経を著したその人もまた、ある種のブッダ(覚者)だ」と認識しています。釈尊は「私が悟った法は、私がいようといまいと現として存在するのだ」と言っています。(不勉強でどの経典に載ってるかはわかりません)。つまり仏教は釈迦が造ったと言うより釈迦が見つけた、と言うべきものです。そしてその釈迦が‘見つけた‘法(ダルマ)は、時空間を超えて存在するもので、もしあなたが望めばいつでもどこでもそこへ到達することができる、と言うのが法華経の主要なメッセージなのです。法華経では過去未来宇宙の彼方にまたがる無数の国土で無数の仏とその弟子たちが登場しますが(しつこいくらいに!)、それを表現しようとしたのでしょう。
つまり釈尊滅後500年後のインドでも、鎌倉時代の日本でもそして現代でも悟りを得ることが、理論的には可能なのだ、と。これが法華経を著した誰かの立場であり、日蓮の立場だと思います。そして第七の外道さんが「読むに値する」と言った法華経の思想の恩恵を具体的に万人に分け与えようと尽力したのが日蓮なのだと思います。それが七文字の法華経を生んだのだと思います。大型書店の宗教のコーナーにある難解で長い法華経は、かなり読む人が限定されるでしょう。いわゆる「お題目」の単純さを「呪術的」と言われているのでしょうか。私にはとても普遍的なものに感じられるのですが。それに遺文集を読んでいると、高潔な人格と慈悲深さが行間からにじみ出ています。きっと誰かを破折するときも、とうとうと諭すように言ったのではないかと想像します。「非寛容」・「独善」からはおよそかけ離れているように見えます。厳しい折伏についてですが、私は見たことがないので何ともいえません。外道さんは実際に見たことがあるのでしょうか? もし生き過ぎがあったとしたら非難されるべきだと思います。
 日蓮のあの徹底した主張は、精緻な経典の検証に支えられています。「あれこれ分別した結果」たどり着いた結論だと思います。「安直に信じるな、疑ってかかれ」には私も全面的に賛成です。私も結構疑い深い方です。でも私の場合、疑ってかかってたどり着いた結論は「疑っていたらきりがない。一生かかっても結論でない」でした。釈尊は厳しい修行の果てに法を悟った言われています。前世でも想像を絶する過去からずっと過酷な修行をしていたと言われています。結局、私はただの人なのだ、と。釈迦でも竜樹でもないのだ、と。本当は法を得る、なんてごく限られたひとのみが得られるものなのでょう。でもたった一つ、ごくごく普通の人間でも悟りの道に入ることができる。それは「信じること」だ、と。これが日蓮の言う「信」だと私は考えています。いわゆる「常識」と「信仰」との間には長くて深い川が流れています。きっと男と女の間のよりも長くて深いでしょう。私はかつてどうしたら向こう岸に行けるのかと悶々としていました。今考えるとそれこそ経典にある地獄に棲む人のようでした。結局地獄に我慢しきれなくなってというのが本音ですが、思い切って目を閉じて飛び込んでみた(信じた)のです。今私は向こう岸に渡ったとは言い切れませんが、でもそれまでにない穏やかな気分を味わっているのは事実です。それに疑いが全部晴れたとは言い切れません。私にもまだ学ぶことはたくさんあります。でもそれは疑うために疑うのではなく、「動執生疑」としてですが。
釈尊や竜樹は「徹底的に疑った」後、何かを生み出していることも事実です。



254 名前: 愚者 投稿日: 2000/06/23(金) 03:16
>244 ひゃっきまるさんの問いかけに対して。
旧「日蓮って」からROMしています。常連の皆さんの
理知的な意見のやり取りに感銘を受けています。今後とも
楽しみにしています。また、お体に気をつけられますよう
願っています>ALL


255 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/23(金) 03:30
>ひゃっきまるさん

「原理主義的解釈」は文章を額面通り受け止める立場、
「脱神話的解釈」は文章の真意を解釈しようとする立場である、ということでよろしいですよね?
もし違ったら、以下の説明は全く無意味になってしまいますが……

それでは、脱神話的解釈の部分のみ先に述べておきます。

御本尊には、八幡大菩薩や天照大神、四天王の名前が大書きされています。特に八幡大菩薩や天照大神は神道の神であり、あったりまえですが法華経にちっとも現れないものです。それが、尊極とする御本尊に書かれている意味は超重大です。
「諸天善神」について、御書を引用すれば、

「元品の法性は梵天・帝釈等と顕れ元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」(「治病大小権実違目」997ページ)

生命の根源に備わる智慧をして梵天や帝釈などと呼び、同時に備えている愚かさをして第六天の魔王と呼んでいます。つまり、生命の性質を擬人化(擬神化?)したものであることを説いている御文と拝してよいと思われます。従って、御書にいう「神」とは、現代では「システム」若しくは「働き」と解釈してよいと思います。祈りにより環境がよい方向へ傾いてゆく(いわゆる功徳ですね)、その働きをして諸天善神の加護、と称しているのであり、諸天善神もまた譬えであると考えるべきでしょう。霊鷲山会もまた然りです。
法華経の行者を守る「働き」として「神」をとらえているのであり、当時の日本ではその「神」の頂点が天照大神であるから御本尊に書かれたのでしょう。ですから、法華経の行者を守護する働きとしての象徴として、8万だろうが8000万だろうが、もう何柱あっても構わなかったのだと思います。

先の「治病大小権実違目」は、富木常忍というお弟子に与えられた御書です。この人は日蓮大聖人より2歳年上で、幕府の役人であり、教学面においても力のある人でした。
他に、御書の中でも最も重要な五編(五大部といいます)の一つである「観心本尊抄」を与えられているところからも、理解力の高い人であったことが伺えます。

また若葉マークさんがご指摘下さった通り、「法華経の智慧」1巻 p85、p111 に、
「何十万と集まったのは釈尊己心の声聞であり、釈尊己心の菩薩なのです。何十万いたってさしつかえない」とあります。
例え話を鵜呑みにするのが愚かなように、相手の理解レベルにより表現を変えるところを読み取らなくてはなりません。(えっと、「対機説法」でしたっけ?)
従って、法華経に展開されるストーリーが現実にそのまま起こったと考えるのは非合理的ですし、日蓮大聖人のお考えとも一致しません。
ですから、学会は一種の人格神として釈尊や日蓮大聖人をとらえているのではありません。

まだ、ひゃっきまるさんのご質問に答えきっているわけではありませんが、とりあえずここまでにします。


256 名前: 学会ROMの学会員 投稿日: 2000/06/23(金) 03:35
この板には初めて書きこみします。
愚者さんと同じく私も旧「日蓮って」からROMしつつ、皆さんの
常識ある意見交換に読んでいて心の平安を感じています。
つまらないレスで申し訳ありませんが、このスレッドへの
ファンレターのようなものと受け取ってくだされば幸いです。
皆さんお体にはくれぐれもお気をつけください。


257 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/23(金) 03:38
>若葉マークさん

「法華経の智慧」に関するご指摘、どうもありがとうございます。

>第7の外道さん

どうぞお体を大事にして下さい。ご回復をお祈りしております。
信心されていない方には余計なお世話になってしまうかもしれませんが(苦笑)。
僕の文章もまたレス不要です。お大事に。

>文底さん
>少し、認識を改めました。

そうであれば幸甚の至りです。
僕は、創価学会員という人種の考えを、納得はせずとも理解はしてもらいたいものですから。



258 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/23(金) 03:45

あ、そうだ、皆さん、選挙の際は公め…
ゲフンゲフン、何でもありません(選挙違反なので)。


259 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 03:56
>258 めそ(ぼそっ)
    


260 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/23(金) 09:25
第7の外道さん、驚きました。大丈夫なんですか。
今は、ゆっくり休んで体のほうを治して下さい。


261 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/23(金) 11:37
皆さん
迅速にレスれるような状況でないので言い訳じみたことを書いたわけですが、顔も知らない間柄なのに心配の言葉までいただいて、正直感謝の気持ちを抑えられません。どうもありがとうございます。
調子を崩したといっても寝込んでいるわけではないので、できるだけのレスはいたします。

赤がらすさん、初めまして。熱いレスありがとうございます。おっしゃること、概ね賛成です。ただちょっと感想を加えさせていただくと、

>日蓮のあの徹底した主張は、精緻な経典の検証に支えられています。「あれこれ分別した結果」たどり着いた結論だと思います

その検証過程の中に承服しがたいものがあるのならば、そこに目をつぶって「信じる」ということは私にはできません。また仮にその過程に承服できるのであれば、あえて「信仰」せずとも「理解」し「納得」すればすむことです。仏教で言う「信」の概念は、我々がいうところの「知的確信」「納得」に近いものがあり、「どうしてそうなるかは分からなくとも、先ずはこれを正しいと受け入れよ」という意味での「信じる」を必ずしも意味しない、というのを読んだことがあります。私は前者の「信」を否定するものでは全くありませんが、後者の「信」については常に批判的な男です。勿論それは後者の道を歩むものに対する「攻撃」を意図するものではありませんが。
法華経にしても、なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えることが「悟り」を得るための方法論となるのか? なぜそれが勉強したり人と交わったり働いたり自分を抑制したり人の気持ちを理解できるようになったり・・・といった地道な努力よりも、成仏方法としては上と見なされるのか? 私の率直な疑問はそこです。勿論日蓮とその支持者とてそうした地道な努力を否定することはないと思います。しかしなお成仏方法論としては唱題をそうした努力よりも上と見るからこそ成り立つのが日蓮の思想です。私はそれが承服できません。確信とは自分の責任において自分や世間と格闘していく中で徐々に得ていくべきものです。そうした努力を励ますために、「先ず信じろ」なら意味はわかります。しかしそのとき、「信仰」とは自分各自の道を進むよう励ますための方便にしか過ぎないものになるでしょう。

もう少しあれこれ書きたかったのですが、すいませんがここでとめます。赤がらすさん他の皆さんもどんどん参加してください。


262 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/23(金) 13:42
学会員です。偶然この板をみつけまして、一気に読まさせて
いただいきました。
確かに、日蓮大聖人(学会員だもので)も創価学会も、法華
経にささえられていますので、(もちろん文上ではなくその肝
心によってですが)もし法華経が正しくないとすると、基盤を
失うと思います。
日蓮大聖人も厳しい研鑚の結果絶対的な確信を持たれた上
で、もしこの義が破られるようなことがあれば直ちに捨てると、
仰せになっておられます。
法華経は、仏説でないとか、文上には非合理的な記述が多い
とかあるようですが、しかしその根本は現在の学問でも否定で
きないのではと考えています。(もちろん正しいことを学問的に
証明することもできないとは思います)
それで、信ずるという学問ではない宗教の要素が入ってくる
んだと思っています。
日蓮大聖人も理論だって法華経の正しさを解説して後、ここま
での正しさを認められたなら後は信じなさいと信ずることの重要
性を解かれていると思います。
釈迦も、生老病死の4苦を克服するために修行を始められ、悟
りを開かれたという風に聞いております。
そして、人間は死と言う最大の苦へ向かって突き進んでいるの
にそのことを解決しないで、毀誉褒貶に一喜一憂していることを
諌めておられます。
(矢に射られた人が、その矢について全てが解かるまで抜いて
はならないといって死んでしまった例を思い出しました。)
私達は、所詮全てを検証することなどできなくて、取り敢えず矛
盾を起こさない様々なことを信じて生きているわけで、(おそらく
自覚している以上に膨大に多いと思います)、私は、創価学会
を今、信じているんだと思います。
ですので、ここで(ここに限らず)誤りが明らかになればこの信を
捨てることになると思います。(根本的なことで、ですが・・・)


263 名前: 文底 投稿日: 2000/06/23(金) 15:18

SGさん

貴方へのレスはNo231−No235に書いてありますので、もし御覧になれない時は下記のをクリックして御確認してください。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960174403&ls=100

本文自体の御返事は御手隙の時で構いませんので、私のレスをお読みになられたかどうかの、確認のレスだけでも頂けると幸いに存じ上げます。

宜しくお願い致します。



264 名前: SG 投稿日: 2000/06/23(金) 15:31
文底さん、遅くなりました。
PC未熟のため長文が苦ですので、勝手ながら簡潔にレスします。

アメリカのシアトル裁判は、名誉毀損の訴えが却下されたものです。
買春したか、しなかったかの事実認定はされていません。
日本で争うのが適当だとしたはずです、そして日本では事実が認められました。
その他の裁判とは、いろいろありますが、ここでは僧侶の堕落について問題にしていますので、
それに関わる裁判はないとおもいます。

1 本山内の建築物破壊、贅沢な遊蕩などです。これらは創価新報などで何度も報道済みです。

2 たしかに、御書はいかようにも読めるでしょう、信心で読むものですから、
  未入信の貴殿のような人に対しては説明不能かもしれません。

3 2と同様です。

4 国内812万世帯、海外156国136万人、これは日蓮系教団では最大です。
  また日々対話を続けています。

5 戦うこと、つまり布教していること、そして慈悲をもって人々を励ましていること。
  この二つによって善悪が判断されるべきだという意味です。

6 文献的な正当性のみではなく、現在の行動で判断されるべきだという意味の文です。

7 4であげた事実、自身の信仰の姿勢です。

以上はなはだ簡単ですが、他の人にもフォローしていただければ、幸いです。
また貴殿の文にくりかえし出てくる「具体的」克つ「客観的」という
言い回しが気になりました。貴殿はいつもこういう言い方をされるのですか?
そういう姿勢では貴殿は永久に宗教の本質がつかめないのでは、という気がいたします。
これは蛇足です、ご勘弁を。





265 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/23(金) 16:17
急に大量のご意見を読んだため、混乱していて失礼があるかも
しれませんが・・・

SGさん<
 具体的に?という質問に「それでは宗教が解からない」と切り
 返すのでは対話になり得ないと思うのですが・・・
 (SGさんが具体的にお答えの上ならそれもあると思いますが
  文底さんの質問にはお答えしてるんですよね?)

文底さん<
 具体的には?と質問する理由として
  1.具体的に述べられないと概念が把握できない
  2.具体的事実で検証して概念(意見)の正当性を評価したい
  3.具体的な根拠を持たない観念論であることに気づかせたい
  4.具体例を挙げられなかったら、そこから攻撃(?)したい
 などが考えられますが文底さんの意図は?(2.でしょうか?)


266 名前: 投稿日: 2000/06/23(金) 17:17
ひゃっきまるさん< 2000/06/16(金) 12:55

長文でごめんなさいでした。「昇華」の話しはあくまでも私の考えうる一例
ですので、読み飛ばして頂いて構わない部分です。

>「創価学会は創価学会を認めない存在はなんでもかんでも悪と決めつける、
>極めて恐ろしいスタンスを持っている」

わたしは、「ひゃっきまる」の存在を認めない存在は、人の中に潜む
「悪」であると決めたいと思いますが、こういうスタンスは極めて恐ろしいですか?

創価学会も社会の一部です。
また貴方の言う「そういうときは容認されるもの」というのや
社会的良識というのも、一つの宗教の様なものと考えられます。

宗教の場合、その教え通りに実践できる人出来ない人、いろいろいるでしょう。
個々の学会員も修行の段階において、うまく出来る人、出来ない人いろいろいて当然でしょう。
学会に限らず社会でも、良識から外れた行為をする人はいっぱい居ます。犯罪も多発しています。
ですから、一部を差して、学会全体が悪いように思ってしまうのは、早計な判断と思います。

>創価学会の場合、「憎む」というのはちょっと違う気がして、「怒る」という方が近いような
>気がするけれどもまだちょっと違う・・・。

憎んでいる対象が「善(人)を憎む悪」だから、そのように見えるのではないでしょうか?

>確かに僧侶などに直接的な被害を受けた人は、
>「憎む」し、「怒る」し、その被害に対しての憎しみ、怒りは、まっとうなものだと思います。
>裁判などで罪状を明らかにして、法によって裁かれるべきでしょう。(なかなかそれも難しい現
>状です。被害にあわれた方は泣き寝入りするしかないとすれば、同情を禁じ得ません) また、
>日顕猊下に指導力の不備を刑事的に問うことも、個人的には勇気ある行動であると思います。

「指導力の不備」を刑事的に問うことは出来ません。憲法により宗教には国家が介入できません
から、犯罪を犯したのでなければそれは無理です。

>しかし、創価学会の日蓮正宗への非難には、「馬鹿にする発言」がかなり含まれています。
>別な言い方をすれば、「差別的」な印象を受けるのです。日顕猊下に法罰が下り、死んでくれ
>たらいい、と思っている人はたくさんいるでしょう。

たくさんいる、というのがどれくらいあるのかは、わかりませんが、
その非難が際立っているからそう見えるのではないでしょうか?

現法主を中心とした一部坊主らの行状、言動、信仰の有り様などを非難している、
というのが私の所見です。

どういうことかと言うと、
宗教的規範(御書や経典)や事実(実証)から見て、「法罰」が下ることは
間違いないと判断して言っている過ぎません。「悪いことが起こるように」と
言っているのとは少し違うようです。
あと「馬鹿にする発言」というだけでは具体性がないので、ここでは申し上げられません。

>被害に対して怒るのは当然のことです。
>しかし、それをことさらに醜い方向に煽っているところに、僕は違和感を感じます。宗門を差
>別した発言を、まるで嬉々として楽しんでいるような人も少なくありません。公然と差別して
>よい対象、攻撃してよい対象をみつけて喜んでいる人達(いじめ、人種差別、階級差別など)
>と、同じ様な印象を持ちます。

なるほど、差別して攻撃することを喜んでいる人がいるっていうことですね。
そういう心根の人は幸せにはなれないでしょう。
供養を貪りとって私腹を肥やすような坊主がいたとしたら、声を上げないと騙されたりする人
がどんどん出てきますよね。
勇気を出さずに黙っていたら、「悪の行為」がのさばってしまうとは思うとおもうのですが
どうでしょうか?


267 名前: 投稿日: 2000/06/23(金) 17:23
ここのスレッドが消えてしまったかと思いましたよ。復活してよかったですね。(^-^)


268 名前: 投稿日: 2000/06/23(金) 17:46
>もしNさんが、憎むのは「人」ではなく、「悪の行為」である、と考えているのなら、
>僕とNさんには意見の相違はありません。その場合は、創価学会員が憎んでいるのは、
>果たして「人」なのか、「行為」なのか、という部分が論点になると思われます。

その論点ならば、憎むべきは人ではないはずである、と申し上げておきます。
実際個々の学会員がどうかと問われたら、それは「わからない」としか言いようがありません。
私の知っている学会員はどうかととわれたら、「人」ではありません。

宗教的表現になりますけれど、お話します。以下興味がなければ読み飛ばして頂いても結構です。

「「行為」ならしめた人間の奥にひそむ「魔」の存在を攻めている」というのが、一番近い表現
と思われます。その魔さえ打ち破りさえすれば、その人の行動は自然と良いものになるからです。
「魔」とは、人の心に悪心を呼び起こさせ、周りのひとたちまで不幸の方向へと導く存在のことです。
外から見ると、学会の人は坊主を攻撃しているようにみえますが、
内面でいえば自分自身の中に存在する「悪い心を呼び起こす魔の存在」をせめているということです。

>また、僕が創価学会に対して誤解をしているのなら、ぜひともNさんに誤解を解いて
>もらいたいと思います。「蔑んでいる」「差別している」「死を願っている」のではないか、
>というのはあくまで僕の判断に過ぎませんから。

>(一部にはレスしてもらいましたが、やはり部分的にしか答えて頂けませんでした)

貴方の質問の意図を汲み取りきれず、応えてたつもりになっているかもしれません。
語義解釈の違いをこちらから指摘したりしたばあい、あなたの質問の前提が崩れて
しまう可能性があるので、あえて応えなかった場合もあるかもしれません。
とりあえず書きおわってから、「質問をどうぞ」とたずねたら
申し訳ないけれども、今一度簡潔な文章で質問をお願いします。

>Nさんもご自分の立場

私の立場はただの人間です。それ以上でもそれ以下でもありません。「N」は
人間のNです。
学会の内部事情と学会の信仰についてある程度よく知っていて、
日蓮大聖人を敬う者、としておいてください。
御不満ですか?



269 名前: 投稿日: 2000/06/23(金) 18:38
>名誉毀損の訴えが却下
>買春したか、しなかったかの事実認定はなし。
>日本で裁判、日本では事実認定。

そうでした。思い出しました。たしかそのとおりだったです。

1 本山内の建築物破壊、贅沢な遊蕩などです。これらは創価新報などで
 何度も報道済みです。

 聖教新聞社、第三文明社などの出版に対して、名誉毀損を訴えれば良いはず
 なのに、なされていないのは、その記事自体が事実であるという可能性が非常に高い。

2 御書はいかようにも読める信心で読むものですから、
  説明不能かも。

 そうかも。でもいつかは必ずわかる時が来るだろうと思います。

4 国内812万世帯、海外156国136万人、これは日蓮系教団では最大。
  また日々対話を続けている。

 しかも増え続けているようです。
 学会を支えてきた池田名誉会長を始め、初代、2代会長らは、各国から賛嘆されて
 います。

 他にこのような教団があるでしょうか。

★ 私も「創価学会が唯一」といえるのはこれらの実証
★ 以外にははっきりいえることはありません。

教学がすばらしいとか、尊敬できる人がいるというのもありますけれど。


270 名前: 投稿日: 2000/06/23(金) 18:52
: 第7の外道 投稿日: 2000/06/23(金) 11:37

>法華経にしても、なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えることが「悟り」を得るための方法論
>となるのか? なぜそれが勉強したり人と交わったり働いたり自分を抑制したり人の気
>持ちを理解できるようになったり・・・といった地道な努力よりも、成仏方法としては
>上と見なされるのか? 私の率直な疑問はそこです。

だいぶ整理がついていらっしゃるようですので、今までの貴方へのレスはとりあえず省略
します。

>勿論日蓮とその支持者とてそうし
>た地道な努力を否定することはないと思います。

その通りです。(^-^)

>しかしなお成仏方法論としては唱題を
>そうした努力よりも上と見るからこそ成り立つのが日蓮の思想です。私はそれが承服で
>きません。確信とは自分の責任において自分や世間と格闘していく中で徐々に得ていく
>べきものです。そうした努力を励ますために、
>「先ず信じろ」なら意味はわかります。

その意味もわかります。(^-^)

>しかしそのとき、「信仰」とは自分各自の道を進むよう励ますための方便にしか過ぎな
>いものになるでしょう。

わかりません(;_;)
その論に従えば、信仰が無ければ、励ませないってことになってしまうではないですか?
方便というのなら、必要が無ければ捨ててよいということでしょう?
励ますものが無くなったら、どうして努力が出来ましょうか?どっちか選べといわれたら
どっち?↓

「励ますもの:励ましによって得られる努力」


271 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/23(金) 20:45
>Nさん

 お返事ありがとうございます。じっくりと読んでからレスしたいと思うので、少しお待ち下さい。 まだ通して読んだ程度なのですが、僕の問題提起に対する、誤解やすれ違いが多いような印象を受けました。今言えることだけ言っておきたいと思います。僕が最低限確認したいのは、Nさんが外部者や、宗門に対してどう思っているか、ということと、Nさんが創価学会に対してどう思っているか、ということです。具体的な部分で、「事実はどうなのか」ということを詰めるほどの知識も能力も僕にはないので。


>ZEGAさん

 いそがしい中、お返事ありがとうございます。ユーモアのある意外な一面に、ZEGAさんのおおらかさを感じます。とりあえずZEGAさんが全てのレスをするまで、待つことにします。


>文底さん
>まぁ、この荒れ具合も2chならではの醍醐味ですが・・・・
>私は「煽り」「一見」「荒らし」の方々にもその価値を見出している一人なのですよ(限度にもよりますが・・)

 そうですね。掲示板はいろいろな使われ方をしてよいと思います。ただ、僕がはじめてここに来たときは、板の全域が「キンマンコ」一色で、これではまともな学会員はよりつきもしないだろうな、と危惧したのです。また、真面目な話題がしにくい雰囲気になっていることも確かだと思います。今はかなり良い雰囲気になりましたね。第7の外道さん他、理論派の方々の地道な活動のおかげでしょう。多謝です。


>愚者さん、 学会ROMの学会員さん

 返事、ありがとうございます。議論がかなり大がかりになっているので、議論展開に分からないところがあれば気軽に質問して下さい。仏教用語なども分からなければ質問して下さい。


>愚乱破さん
 はじめまして。もし興味があれば、旧「日蓮って」スレッドも読んでみて下さい。(こちらは古い掲示板にあるので、いずれなくなってしまうものだと思います。今のうちしか読めないかも知れません)
 今はちょっと無理なのですが、いずれ愚乱破さんともお話したいと思います。


272 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/24(土) 00:44
Nさん、最小限の言葉で返答する非礼をお許しください。ちょっと元気がないもので。

>今までの貴方へのレスはとりあえず省略します。

後回しということでしたらOKです。次の機会にお願いします。

>>しかしそのとき、「信仰」とは自分各自の道を進むよう励ますための方便にしか過ぎな
>>いものになるでしょう。 (A)

これを敷衍すると、「『信仰』とは、自分各自の道を進むよう励ますための様々な方便のうちの、ただ一つにしか過ぎません」です。(B)
ですから

>方便というのなら、必要が無ければ捨ててよいということでしょう?

というのは分かります。その通りです。しかし、

>その論に従えば、信仰が無ければ、励ませないってことになってしまうではないですか?

「方便」として考えられるものが「信仰」しか存在しないのであれば、そうでしょう。しかし上の私の言葉(A)はそう解釈するのは少し無理があるように思います。「信仰とは方便である」という私の命題は、通例の解釈からすれば、「信仰」は「方便」の十分条件であると見ることはできるが、「信仰」と「方便」を同値と見ることはできないと思います。ただ後者のように誤解されたのなら、上(B)のように訂正します。
なお、

>励ますものが無くなったら、どうして努力が出来ましょうか?どっちか選べといわれたら
どっち?↓
>「励ますもの:励ましによって得られる努力」

というのは、問としては無茶なのではないか、と思います。両方要ります。後者は前者なくては成り立たないが、前者だけでは何の意味もありません。勿論、「励ますもの」は「信仰」に限りません。



273 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 05:27
>269
ROMは学会員による毎度毎度の同じ手法によるスリカエ話には飽きてます。



274 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/24(土) 12:13
横レスですが、ちょっと気になったもので。

>聖教新聞社、第三文明社などの出版に対して、名誉毀損を訴えれば良いはず
>なのに、なされていないのは、その記事自体が事実であるという可能性が非常に高い。

こういう「論法」はあまり適当ではないのでは? 記事自体が事実なのかどうか、私は知りません。しかし相手方が、学会の出版物にどう書いてあろうと学会外部の人間に対する影響は極めて小さい、と判断すれば(つまり学会の出版物の内容は、学会外部の人間には基本的に信用されていない、という認識があれば)、その記事が仮に偽り・誇張であったとしても、それ対して「名誉毀損」を訴えるとは限りません。裁判には莫大な労力がかかりますから、メリットが小さければただ黙っている、ということもありえます。

>国内812万世帯、海外156国136万人、これは日蓮系教団では最大。
>また日々対話を続けている。
>しかも増え続けているようです。
>学会を支えてきた池田名誉会長を始め、初代、2代会長らは、各国から賛嘆されて
>います。
>他にこのような教団があるでしょうか。

数が正確なものなのかどうかはここではさておくとして、学会員の方には「数」を学会の正当性を示す一つの材料としてあげることが多いようです。しかし単に「数」、そして「増え続ける」という点で見るなら、創価学会はイスラム教の足元にも及びません。また全く規模は違いますが、オウム真理教も犯罪の後ですら数が増え続けている、という報告もあるようです。また「仏教」という宗教を全体として見ると、それはインドではほぼ駆逐された状態であり、特に大乗系が熱心に信仰されている領域は世界でもかなり限られます。もう世界宗教としては滅びつつある、といってもいいのではないか? とすら感じることがあります(チベット仏教の動向は要注目ですが)。宗教の正当性は、「数」とは全く関係ないでしょう。ですから学会員の方は「数」を引き合いに出されるのはお止めになったほうがよいのでは? と個人的には思います。要らぬ誤解を引き起こす種になる、と思います。



275 名前: SG 投稿日: 2000/06/24(土) 12:56
>274
創価学会は戦後ほとんど壊滅的な打撃を受けてから再出発しました。
ほとんどゼロからのスタートという状態でした。
爾来50余年、また創立からでも、70年。この短期間にこれだけ発展した
教団は稀ではないかとおもいます。
私は現実にどこの団体が戦っているのか、布教しているのかの証左として、
また現実に社会や民衆のなかに生きて、発展している証として、この数を挙げたものです。
宗門の信徒団体だった時代も、布教は学会の手でおこなってきました。
不思議にも、僧侶が布教したという話しは聞いたことがありません。



276 名前: 文底 投稿日: 2000/06/24(土) 15:12

学会ROMの学会員さん

初めまして、文底と申します。
これを機会に、これからも宜しくお願い致します。

学会ROMの学会員さんのカキコは他のスレにて、色々拝見させて頂いております。
また、その御発言の内容や誠実さには、何時も敬意を持っております。

処で・・・

学会ROMの学会員さんはその名の通り「学会員」の方だと認識させて頂いておりますが、このスレッドでご発言されているZEGAさん(バリバリの活動家の方)やひゃっきまるさん(脱会を考えていらっしゃるが一応二世学会員さん)や貴方(学会ROMの学会員さん)とNさんやSGさんや他のスレでご発言されている創価学会青年部代表さんとは、私などの立場(第三者)から見て何か「違和感」を感じるのですが、どのように思われますか?

「違和感」とは、

*「ZEGAさん」「ひゃっきまるさん」「学会ROMの学会員さん」が夫々、御立場の違う学会員さんであるにも関わらず、常に自分置かれているスタンスを「絶対的」と決め付けず、自分の持っていらっしゃる考えに対し、他の方との問題提起の推移を、ある程度客観的に見られて自分のお考えを主張されていらっしゃる。

のに対し・・・


続きます。


277 名前: 文底 投稿日: 2000/06/24(土) 15:12

*「Nさん」や「SGさん」や「創価学会青年部代表さん」は、まず「絶対的結論」が先にあって、その正当性を述べるにあたって、結論ありき事象をある一部分の解釈により、自分の思惑の意図する方へ、私などから見れば、かなり強引な論理展開で「絶対的結論」を正当化されているように感じられる。

のですが・・・(無論私の勘違いかもしれません)

「ZEGAさん」「ひゃっきまるさん」「学会ROMの学会員さん」はご発言内容から、別の人格者としての判断がつきますが「Nさん」や「SGさん」や「創価学会青年部代表さん」のご発言は、私のような愚者から見ればまるで「同一人物」であるかのようにさえ思えてきます。(実際に同一人物だと結論付けるのではなく、発言内容の類似性において)

学会ROMの学会員さんは多くの学会員さんを御存知かと存じ上げますが、NさんやSGさんや創価学会青年部代表さんのご発言は「創価学会員」の大部分を占める共通の認識なのでしょうか?

このスレに折角お書き込みされたのですから、これを機会に、これからも是非、ご意見等をお聞かせ頂けると感謝感激です。

以上 もしお手隙でしたら、学会ROMの学会員さんの所感等を述べて頂けると幸いに思います。


278 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 15:51
>ZEGAさん
 ZEGAさんの全てのお返事を待っているところですが、あらかじめ言っておいた方がよいと思うことだけ、触れておきます。

 「脱神話的解釈」「原理主義的解釈」に関することなのですが、まず、法華経に展開される神話的な現象が現実に起こったのか、ということを考える前に、「釈尊は法華経を説いたのか?」ということを考えて欲しいのです。

 創価学会の公式見解では、それはYesで良いですね? そして、ZEGAさんも、今残っている法華経そのままではないにしても、《原型のようなもの》は説いただろう、と考えるのであれば、YESになります。

 しかし、この原型である法華経は、222で挙げた以下の三つの特徴を「最低限」持っていなければなりません。

1・爾前経は法華経を説くために説いた方便であること
2・法華経以外の教えは捨てなければならないこと
3・釈尊の出世の本懐は法華経であること

 それとは別に、後世の人物が、釈尊の言葉や生涯を基にして、法華経を創作したのなら、NOとなります。(そうなると、創価学会の見解とは根本的に異なることになりますが)


279 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 16:17
>通りすがりさん
 過去ログを見直していて気づいたのですが、ずっとロムしていてくれたんですね。
 今後ともよろしくお願いします。


280 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 19:15
>Nさん(続き)

>お願いですが、学会というときは団体総体としての。固体としての構成員を指すときは学会員、あるいは、ある幹部とかいう表現にしてください。空論になる恐れがあります。

 僕が創価学会(員)というときは、団体と、その団体を《特徴づけている》構成員(多数を占める、という意味でないことにご注意下さい)の両方を指します。中には、ZEGAさんのように良識のある学会員に対しても言及することがありますが、その場合は分かるように書いているつもりです。

>貴方が問題にされているのは個々の会員や幹部などの一ケースを問題としてるのでは?
>これは、学会の問題と言うよりも現場あるいは現場組織の問題ではないかと思うのですが。

 Nさんがおっしゃりたいのは、よい学会員と悪い学会員がいる、ということですね。これについては旧「日蓮って」スレッドでZEGAさんとも論議になりました。しかし、僕の創価学会の体質についての判断は、「聖教新聞他、学会の出版物」「同時中継放送」「今までに会った学会幹部の方々」から得ています。ですから、創価学会の公式の場での雰囲気、あるいは方針、発言からのものが大部分なのです。決して「現場」から判断しているわけではありません。むしろ、直接に接する学会員は、上の方の幹部などよりもずっと良識があり、常識的な判断のできる場合の方が多いです。
 僕としては、僕とNさんの感じ方の違い、というのを言い合っていても、結局水掛け論にしかならないと思うので、まずはNさんの考えを確認したいと思っています。正直、Nさんの「憎しみ」「悪」に対する説明は、僕の質問に答えているとは思えません。以下に最低限答えてほしいものを箇条書きにしますので、ぜひ答えてもらいたいと思います。

1・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもっていますか?

2・Nさんは、創価学会の会員のうちの何割が、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもっていると思いますか?

3・Nさんは、聖教新聞などの機関誌や、同時中継放送で、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもったような内容の話を聞いた(読んだ)ことがありますか? あるとすれば、どれくらいの頻度ですか?

4・Nさんは、創価学会の体質の中に、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつような傾向があると思いますか?

5・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつことによって、彼らが改心すると思いますか?

6・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつことは、彼らに対する慈悲の行動であると思いますか?

7・Nさんは、今の創価学会の行動は、概ね(おおむね)正しいと思っていますか?
(憎しみと蔑みを区別してお答えしてもよろしいです)



281 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 19:23
>Nさん
 以下からは、誤解されているな、と思う部分に対し、レスします。返事はつけなくてもかまいません。

>貴方は宗教と言うものを誤解しています。
>貴方の持っている考え方、思想とういのは、貴方の行動の規範になるものです。
>宗教も同じです。その宗教を信じるひとの行動の規範になるものです。
>その事においてまったく差はありません。
>言ってみれば、貴方の考え、「そういうときは容認されるもの」というのも一つの宗教又は教義となりうるものなのです。貴方の言う「憎みを肯定」と言うのと違うので はないですか?
>社会的良識というのも、一つの宗教の様なものと考えられます。

 僕も、宗教も社会ルール(法律)も、行動の規範となるものだと思っています。しかし、上記に挙げた例は、「今の社会では」とでもいう意味です。これは、集団で生活するにあたって、「こうしよう」、というように約束したから、という以上のものではありません。しかし、宗教はその人の「生き方」そのものの深い根本となるものです。そういう意味で、決して同義に扱ってよいものだとは思いません。

>わたしは、「ひゃっきまる」の存在を認めない存在は、人の中に潜む「悪」であると決めたいと思いますが、こういうスタンスは極めて恐ろしいですか?

 正直、この手の、質問に対して質問で返す、というやり方はあまり感心できません。もちろん相手の質問形式の誤謬を示すときにはかまわないのですが(その場合でも、解説がつかなければ意味をなさない)、僕の発した質問はそうした性質のものではなかったと思いますし、Nさんの上記の言葉も、多くの人にとって意味不明なのではないでしょうか?

>個々の学会員も修行の段階において、うまく出来る人、出来ない人いろいろいて当然でしょう。
>学会に限らず社会でも、良識から外れた行為をする人はいっぱい居ます。犯罪も多発しています。
>ですから、一部を差して、学会全体が悪いように思ってしまうのは、早計な判断と思います。

 僕は個々の会員や、一部の事件をさして学会全体が悪い、というような論法はとっていません。

>供養を貪りとって私腹を肥やすような坊主がいたとしたら、声を上げないと騙されたりする人がどんどん出てきますよね。
>勇気を出さずに黙っていたら、「悪の行為」がのさばってしまうとは思うとおもうのですがどうでしょうか?

 僕は、不正に対して抗議するのは当然であると、以前申し上げました。今論点にしているのはそういうことではなく、相手を蔑んだ行動をしているのではないか、ということです。


282 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 19:27
>Nさん

 僕は第7の外道さんとNさんの議論と論点が重なると思ったからこそ、210、211にて、あのようなお願いをしたわけです。しかし・・・

261(外道さん)
>法華経にしても、なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えることが「悟り」を得るための方法論となるのか? なぜそれが勉強したり人と交わったり働いたり自分を抑制し たり人の気持ちを理解できるようになったり・・・といった地道な努力よりも、成仏方法としては上と見なされるのか? 私の率直な疑問はそこです。

をもって、

270(Nさん)
>だいぶ整理がついていらっしゃるようですので、今までの貴方へのレスはとりあえず省略します。

とおっしゃるのは、かなり、どころかまるっきり意味不明ではないでしょうか。外道さんは『後回しということでしたらOKです(272)』と好意的に解釈してくれましたが、僕には単なる放棄のように見えます。

 厳しいことを言わせてもらうと、長々と議論してきた中で、Nさんは「肝心なこと」を避けて発言している傾向が見られます。


283 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/24(土) 19:31
>Nさん
82(Nさん)
>釈迦が語ったかどうかが重要なのではなくて、その中身がどうかが大事なのではないでしょうか?

94(Nさん)
>「どんな人でもこの正しい法に帰依するならば、それは、日蓮が門下でありますよ」
>という事で、何か団体に入らなければ幸せになれないとか、 自分達の宗教だけが正しいという偏狭な考えではないということです。

108(Nさん)
>大聖人が最終的におっしゃったことは「南無妙法蓮華経」しか無いわけで、法門といっても、その一部や説明でしかないのです。
>ですから、お互いに矛盾があることも出るかもしれません。

167(Nさん)
>「南妙法蓮華経」とは最高の法。
>総ての法をも含む。一切の法の集大成と言ってもよい。
>だから世の中の森羅万象総てが、この「南妙法蓮華経」に含まれる。
> 漏れるものはない。とする。(以下略)

というNさんの発言からは、当然、

179(外道さん)
>そこでそういう立場から言わせていただくと、Nさんがそんな存在を「南無妙法蓮華経」と呼ぶことについては、ややピンとこない点があります。
>そこで質問ですが(A)、Nさんはそれを「南無妙法蓮華経」と「仮に」呼ぶが、「阿弥陀仏」でも「法身仏」でも「大日如来」でも「絶対精神」でも別に何と読んでもかまわないものだ、そもそもそれは名で呼べないものであり、それを何と呼ぶかは自由だ、と考えておられますか? それともそれは他の呼び名に優先して「南無妙法蓮華経」と呼ばれなければならないものだとお考えですか?
>もし後者なら、「南無妙法蓮華経」と呼び、定義するのはNさんはそう信じるからそう呼ぶという以上に説明のできないものですか? (つまりNさんの個人的信心に基づくというより他に説明しようのないものですか?) それとも「南無妙法蓮華経」と呼ばなければならない理由は説明可能ですか?(最終的には「信心に基づく」ということであっても。)
>もし後者ならば、その理由を説明してはいただけませんか?

という疑問がわくのではないでしょうか。
 まずはこれだけでも説明して頂けませんか?

(第7の外道さん、差し出がましいまねをしてしまったとしたら、申し訳ありません)


284 名前: 文底 投稿日: 2000/06/24(土) 19:42

SGさん

No264のレス有り難う御座いました。
私が問題定義した、No1−No7に対する「お答え」確かに拝見させていただきました。
SGさんのお答えそのものにレスを付けると、又長文になってしまいそうなので、最後にSGさんが私にされた疑問に対してレスします。

>また貴殿の文にくりかえし出てくる「具体的」克つ「客観的」という言い回しが気になりました。貴殿はいつもこういう言い方をされるのですか?

私はある事象(特定の宗教に限らず)を「具体的」克つ「独善的」に「絶対的」と「断定される方」に対し「具体的」克つ「客観的」な見地において、問題提起させて頂いています。
これは「愚乱破」(初めまして宜しくお願い致します)さんへのレスにもなるのですが、私は「人格攻撃」の為に上記のような問題提起は、決して、いたしません。
逆にそれほど「絶対的である!」と確信される方のお話しを伺い「具体的事実で検証して概念(意見)の正当性を評価したい」と思っている人間です。
そして、第三者に対し具体的な事象をもって説明できないならば「具体的な根拠を持たない観念論であることに気づかせたい 」とも思っております。
 
続きます。



285 名前: 文底 投稿日: 2000/06/24(土) 19:42

>そういう姿勢では貴殿は永久に宗教の本質がつかめないのでは、という気がいたします。

日蓮仏法を御存知のSGさんなら、申し上げるまでも無いのですが、日蓮自身は、その自分の思想(日蓮仏法)の正当性を証明するため、その時代におけるあらゆる宗教的教義(主に天台教学)や思想、政治などのバックボーンを検証し、その上で、人々を納得させる為に「平易な平仮名混じり文」での手紙を書きました。
また「立正安国論」などに見られる様に、政府を諌める時などは、数々の法華経以外の経典などを駆使して「具体的」克つ「客観的」(その当時の歴史的解釈において)に自身の教えの正当性を何度となく訴えています。
私は、日蓮自身が「懐疑的精神」(既成の宗教に対して)を持っていたからこそ、日蓮仏法が生まれたのだと思っています。
逆に日蓮自身が既存の宗教に対し「無批判」「無検証」的であったならば、日蓮仏法は生まれなかったはずです。
人間はその生理的限界性として「過ち」から逃れられません。
ですから、私がSGさんに申し上げたいのは「具体的」克つ「客観的」な理由も無く、第三者ん対し「絶対的に何々である」と決め付けないで頂きたいのです。
私はSGさん自身のお考えにおいて「創価学会」に対し「無批判」「無検証」的で無い事を願います。
「批判」「検証」が必要な事は、鎌倉時代に「新興宗教」としての「日蓮宗」を打ち立てた「日蓮仏法」の「正当な継承者」であると自負される「創価学会」ならば当然の事だと推察されますが、如何でしょうか?

以上です。



286 名前: 学会ROMの学会員 投稿日: 2000/06/24(土) 21:22
>文底さま
初めまして。紳士的かつ丁寧でレスをありがとうございました。
とてもうれしく思います。
できればこのスレッドにも参加できれば、などとおこがましいことを
思ってもみるのですが、私にはまだ皆さんのように論理的に対話を
進めていける知識も自信もありませんのでしばらくお時間を
いただければ、と思います。
実はまだ私は旧「日蓮って」スレッドを読解している最中なので、
このスレッドでの皆さんの対話には(こここそが本当の対話だと
思いますよね)まだまだ勉強不足であることを否めません。

というわけで、私の学会に対してのスタンスをここで言わせて
いただいてもよろしいでしょうか?
(長文レスがうざい方は流しちゃってください)
私は学会活動をROMする前はいろいろな学会員さんと接する機会が
ありましたが、大半は「池田先生はすばらしいです!」と
お目目きらきらにしている方でした。つまり自分で考えると
いうことを、盲信するということで放棄しているといえば
お分かりになりやすいのでは、と思います。
ですから時たま私が会合などで自分の疑問を幹部と呼ばれる方に
投げかけても、ほぼうやむやにされて終わっていましたね。
今の「青年部代表さん」が立てられたスレッドにもそれは如実に
現れているように感じますが(笑)
ですから私の姿勢としては、「自分にとっていいものは取り入れ、
不必要なものは無視する」。簡単ですがこれにつきます。

私はおそらく立場としては、ひゃっきまるさんに近いのではと
思います。ただ、学会の内部に埋もれているより世間は圧倒的に
広いのだということを学べる機会があったことが幸いしている
というだけで。

またこのスレも読ませていただき勉強させていただきたいと
思う次第でございます。
そのうえで私にも何らかの考えや疑問が浮かんだらその時は
どうかお願いいたします。

本当にこのスレは心が洗われますね。皆様、ご無理はなさらず
今後もがんばってください。



287 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 00:38
253 名前: 赤がらすさん
255 名前: ZEGAさん

最近は2chへ来ていないので、全体の流れが良く判りませんが、「253 赤がらすさん」及び
「255 ZEGAさん」の発言に疑問を持ちます。
先ず「赤がらすさん」へ

>日蓮の拠って立つ法華経そのものが釈尊の直説ではないとの指摘ですが、私は「法華経を著し
>たその人もまた、ある種のブッダ(覚者)だ」と認識しています。釈尊は「私が悟った法は、
>私がいようといまいと現として存在するのだ」と言っています。(不勉強でどの経典に載って
>るかはわかりません)。つまり仏教は釈迦が造ったと言うより釈迦が見つけた、と言うべきも
>のです。
現代では大乗仏教は、「大乗経典を著したその人もまた、ある種のブッダ(覚者)だ」との共通
の認識の上に立っています。特に密教系(日本では真言宗)等は、平安期に空海が開宗した時か
ら「密教経典」を『ある種のブッダ(大日如来など)』の説いた経典だとと位置づけています。
<本当は秘密金剛主が説法しているのですが・・・・>
しかし、日蓮はこの見解を否定しています。「釈迦とは関係の無い仏が釈迦を押しのけている」
と。故に『師敵対』であると真言宗批判には何度も繰り返し述べています。

>日蓮のあの徹底した主張は、精緻な経典の検証に支えられています。
これも、些か疑わしい問題です。
日蓮の立場は天台大師の「五時教判」と無量義経中の「四十四年未顕真実」の文に依って「法華
経優位(最勝)を述べているに過ぎません。(これは日蓮遺文から検証出来ます)

 

  


288 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 00:44
日蓮が「法華経だけ」に説かれていると述べる「一切成仏(女人成仏・草木成仏・悪人成仏)」
などは、如来蔵経典には数多く説かれています。
では何故、そんらの経典を「依経」としなかったか、と云えば、天台大師の「五時教判」と無量
義経中の「四十四年未顕真実」の文を歴史的存在としての釈迦が説いたと信じていたからに
ほかなりません。(それも論証可能ですが、煩瑣になるので省略致します)

 


289 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 01:03
ZEGAさん

255で述べられている事は、真言(密教)教理と全く同じです。
宇宙の根本存在としての「大日如来」が「南無妙法蓮華経」に置き換えられているだけです。
金・胎両部の曼陀羅に描かれる、諸尊(仏・菩薩・諸天等々)はZEGAさんの仰られる働きだと
密教では説いています。事象面での金剛界・理象面での胎蔵界です。
全く同じ事なのに、それらを「亡国の教え」と述べたのは日蓮ではなかったのでしょうか?
それは、密教経典が「歴史的存在としての釈迦」の説いたものでは無い!と云う理由からです。

 


290 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 01:18
第7の外道さん

具合が宜しくないとの事ですが、お身体を労って下さい。
梅雨時から夏にかけては、体調が崩れやすくなりますので、食事には特にご注意なさい
ますよう、老婆心ながら申し上げます。

 


291 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/25(日) 03:39
>昼行燈さん
>宇宙の根本存在としての「大日如来」が「南無妙法蓮華経」に置き換えられているだけです。

これは逆でしょう。法華経は4〜500年、密教は600年頃の成立であり、法華経の後に成立した経典であるはずです。
密教についての知識は無いに等しいので、なんとも答えようがありませんが。
昼行燈さんは仏教史の研鑚にあたり、どのような本がお勧めでしょうか?

>密教経典が「歴史的存在としての釈迦」の説いたものでは無い!と云う理由からです。
>日蓮が「法華経だけ」に説かれていると述べる「一切成仏(女人成仏・草木成仏・悪人成仏)」

これらが御書のどこに書かれているのか、少々探しただけでは見つかりませんでした。
うーん、御書は非常に厚いので、昼行燈さんが日蓮大聖人の主張としているところの御文及びページ数を書いて下さると助かるのですが。

ところで、正しくは「四十四年」ではなく、「四十余年」です。
二度使われているところを見ると、誤変換ではなさそうなので。


292 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/25(日) 04:02
291の、法華経の成立の年代は「西紀前1世紀〜西紀150年」の間違いでした。
お詫びして訂正いたします。


293 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 04:54
ZEGAさん

>法華経は4〜500年、密教は600年頃の成立であり、法華経の後に成立した経典であるはずです。
歴史的には「正当なご意見」です。が日蓮は「密教経典」を爾前経として扱っています。
法華経に、「密教経典」で述べられている『宇宙の根本存在』としての存在はありません。
久遠仏としての「釈迦」は書かれていますが・・・・。『宇宙の根本存在』として具象化されている訳では
無いです。
密教経典では(多くをウパニシャッドからの影響に依りますが)法身毘虞遮那仏(大日如来)を『宇宙の
根本存在』と説いています。(バラモン教のブラフマン<梵>と同一概念)
その働きを金剛頂経では諸仏・諸菩薩と名付け具象化しています。また、人間の心の働きなどを大日経
では諸仏・諸菩薩と名付け具象化しています。
これが両界曼陀羅です。
日本天台宗が最澄に依ってもたらされた折、最澄は円密融合を図るため、法華経に密教の概念を持ち
込みました。やがて円仁(慈覚大師)や円珍(智証大師)に依って完成を見るのですが、少なくとも最澄は
未完成のまま亡くなっています。(つまり法華経に依っては完成していません)
日蓮は当然天台密教(台密)も学んでいます。「戒体即身成仏義」などでも明らかなように・・・・。
日蓮の「法華経観」は円仁や円珍に依って完成された天台学に基づいていることは明白です。
なぜならば、最澄は未完のままでしたし、中国天台の時代には密教はもたらされていなかったのですから。
日蓮の法華経観は「天台智」や「伝教大師最澄」に依存しながらも、一部は空海や円仁・円珍に近い
解釈です。 



294 名前: そもさん! 投稿日: 2000/06/25(日) 04:59
長い文章は読みたくない。
一言で言って!
宗教とは何ぞや?


295 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 05:06


>密教経典が「歴史的存在としての釈迦」の説いたものでは無い!と云う理由からです。
>>日蓮が「法華経だけ」に説かれていると述べる「一切成仏(女人成仏・草木成仏・悪人成仏)」

>これらが御書のどこに書かれているのか、少々探しただけでは見つかりませんでした。
>うーん、御書は非常に厚いので、昼行燈さんが日蓮大聖人の主張としているところの御文及びページ数を書いて
>下さると助かるのですが。
学会版御書472ページ〜473ページ「女人成仏抄」
「法華巳前の諸経の如きは縦(たと)い人中・天上の女人なりというとも成仏の恩絶たるべし」云々
675ページ「一代五時継図」に曰く「一、四十余年の諸の経論に女人を嫌うこと」等々
他にも有るのですが、面倒なので省略します。後はゆくりとお調べ下さい。

  


296 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 05:09
>ところで、正しくは「四十四年」ではなく、「四十余年」です。
>二度使われているところを見ると、誤変換ではなさそうなので。
申し訳有りません。「よんじゅうよねん」と打ち込むと、「四十四年」と変換してしまいました。
辞書登録をしておきます。

 


297 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 05:15
>法華経の成立の年代は「西紀前1世紀〜西紀150年」の間違いでした。
原型は「西紀前1世紀〜西紀150年」だと言う説が有力ですが、全てが完成されたのは
それより後の事だとも言われています。
確認する事は不可能ですね。





298 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/25(日) 05:27
長文は読みにくいとの事だったのですが、短く切りすぎてしまいましね。

>昼行燈さんは仏教史の研鑚にあたり、どのような本がお勧めでしょうか?
仏教史より、「大正新脩大蔵経」をお薦め致します。
一部はネットで閲覧出来る筈です。

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/index.html

ではダウンロード(一部ですが)出来ます。

  


299 名前: 文底 投稿日: 2000/06/25(日) 19:22

学会ROMの学会員さん

御丁寧なレス有り難う御座いました。
学会ROMの学会員さんの御立場了解致しました。

>世間は圧倒的に広いのだということを学べる機会があったことが幸いしているというだけで。

私も常に自分の見識を「絶対的」と決め付ける事無く「世間は圧倒的に広いのだ」との謙虚な姿勢を失わない様、これからも色々な方々の御意見を伺わせて頂きたいと思っております。

>私にも何らかの考えや疑問が浮かんだらその時はどうかお願いいたします。

このスレにも是非気軽にお書き込みください。
又、学会ROMの学会員さんの、他のスレでの御活躍も楽しみに拝見させて頂きます。
此方こそ、これからも宜しくお願い致します。


昼行燈さん

お久しぶりです、お元気でいらっしゃいましたか?

現在、論議の中心的課題は、ZEGAさんとひゃっきまるさんが中心となり進められている日蓮仏法の「脱神話的解釈」「原理主義的解釈」の定義付けとその解釈です。(No196で第7の外道さんが提示されました)
何れにせよ、どちらの解釈にもかなりの仏教的知識と素養が必要なので、私自身少し手詰まり状態でもあります。
昼行燈さんの冴え渡る「文献学的教義解釈」期待しております。


300 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/25(日) 23:30
(有権者の)皆さん、投票お疲れ様でした。

ひゃっきまるさん

>(第7の外道さん、差し出がましいまねをしてしまったとしたら、申し訳ありません)

いえ、どうもありがとうございます。例の「泳ぐ者」のたとえから始まって私はNさんの問にはできるだけ答えてきたつもりですが、私からの問いかけにはまだほとんど解答らしい解答をいただいておりません。(泳ぎの喩えも、議論をする者同士の態度確認のような意味があって私なりに重視していたのですが、Nさんからはまったく反応をいただけません。もういいですけど。)「次の機会」には、と思ってはいるのですが、まぁ待つしかないですね。



301 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 00:13
ZEGAさんこんにちは。昼行燈さんお久しぶりです。
ZEGAさんの235のレスはかなり重要な問題提起をなさっていて何かコメントしたいと思っていましたが、昼行燈さんのレスの尻馬に乗って私も少し意見を言いたいと思います。

>御本尊には、八幡大菩薩や天照大神、四天王の名前が大書きされています。特に八幡大菩薩や天照大神は神道の神であり、あったりまえですが法華経にちっとも現れないものです。

たぶん梵天・帝釈天などの延長にある者として、法華経には表記していないがあの場にはいたもの、と日蓮は考えていたのではないでしょうか? 例えば『慈覚大師事』(学会版御書P1019〜)を見ると「梵釈・日月・四天・天照大神・正八幡大菩薩の〜」といった並列が見られます。

>生命の性質を擬人化(擬神化?)したものであることを説いている御文と拝してよいと思われます。従って、御書にいう「神」とは、現代では「システム」若しくは「働き」と解釈してよいと思います。祈りにより環境がよい方向へ傾いてゆく(いわゆる功徳ですね)、その働きをして諸天善神の加護、と称しているのであり、諸天善神もまた譬えであると考えるべきでしょう。霊鷲山会もまた然りです。

ZEGAさんの解釈にはそれ相応の正当性があると思いますが、日蓮がそういう解釈をしていた、というのは難しいと思います。理由は、

1、同じ『治病大小権実違目』では、近頃はやる疫病の原因を、法華経本門をあだむ者に対する諸天善神の罰なのだ、と日蓮は解釈しています。「実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈・日月・四天等・其の国を罰する故に先代未聞の三災・七難起こるべし」(学会版御書P997)。法華経信者を非法華経信者が軽んずるからといって疫病がはやる、というのは、とても「生命の性質」「システム」ゆえ、と理解することはできないでしょう。諸天善神を実体視していないと成り立たない解釈だと思います。



302 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 00:14

2、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕れ元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」ですが、日蓮は「十界互具」の思想により、実体としての「善神」「悪鬼」が(もちろん「種」「可能性」という形でですが)人間の心の中に内臓されている、と見ていたと思います(『観心本尊抄』の最初の部分を参照のこと)。ZEGAさんの引用された箇所の続きを見ると、そうした「魔王」=「悪鬼」が末法になり国中に充満して、疫病を引き起こすといったことが書いてあります。ZEGAさんのおっしゃるような解釈ならば、「生命の根源」が備えている「愚かさ」が国中に蔓延して「疫病」を引き起こす、といった不合理が生じてしまいます(「愚かさ」が「疫病」の原因になる、というのは明らかに変ですよね?)。
日蓮の考え方はかなり魔術的だという印象で、日蓮は「悪鬼」などを生命の様相の「象徴」「喩え」としてではなく、あくまで意志と魔術的な力を持った実体的なものとして把握していたと思われます。

従って、

>法華経に展開されるストーリーが現実にそのまま起こったと考えるのは非合理的ですし、日蓮大聖人のお考えとも一致しません。

というZEGAさんのご意見ですが、やはり日蓮は「法華経に展開されるストーリーが現実にそのまま起こったと考え」ていた(言いかえれば、日蓮は法華経に対して〈脱神話的解釈〉・象徴的解釈はとっていなかった)、と考えるのが適当なのではないかと思います。ZEGAさん自身の解釈がおかしい、と言うのではありません。ただ日蓮は、ZEGAさんのようには考えていなかったでしょう。



303 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 00:20
明日やんな


304 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 00:23

追っ払いますか




305 名前: テポ丼 投稿日: 2000/06/26(月) 00:25
横レスで済みません。
釈迦は、宇宙が.....等に対しては、戯論(けろん)として、
ただの好奇心だとして強く戒めていたのでは?
しいて、仏教における宇宙の法則(宇宙観)を語るなら古代インド史にある、
スメールが源となっているのでしょうね。多分!

勉強不足で申し訳ないんですが、歴史的な視野から仏教における「宇宙観」
を、最初に説きはじめたのは誰(何処)なのですか?
皆さんの、見解をお聞かせ下さい!


306 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 00:55

ZEGAさん

日蓮が「南無妙法蓮華経」を仏教実践の中核に据え、「仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」(『選時抄』同P288)とまで言えたのは、法華経を文字通りに、つまり「原理主義的」に解釈していたからこそだと思います。ZEGAさんの言われる解釈は日蓮に比するとずっと合理的で、現代に相応しいものかと思う所もあるのですが、もしそのようにとると、『「システム」若しくは「働き」』『生命の根源』などをどうして「南無妙法蓮華経」で表さなければならないのか、その理由が全くわからなくなってしまいます。別に他の方法でもよくなるのではないですか?
仏教的脈絡ならむしろ、それを「大日如来」と表したほうが、まだ体系としての一貫性は確保しやすいでしょう(密教では、そういう方向での理論的追究が極度に洗練されていると聞きます。チベット密教などについて学ぶと、「神」「天」「魔」というのも、実体的にとらえられているように見えて、これら一切を象徴的にとらえる視点も同時に用意されており、是非はともかく思想としても非常に奥が深いのは確かなようです)。
まして、我々は仏教的脈絡に拘らなければならない必然性もないでしょう。様々な立場から『「システム」若しくは「働き」』『生命の根源』について探究することは可能です。(もちろん、そうしたものの存在を否定する方向を進むこともまた可能です。)どうしても「南無妙法蓮華経」でなければならない理由はないように思います。
いや、どうしても「南無妙法蓮華経」の方向でとらえてみるんだ、というのならそれもいいでしょう。しかしその場合、「折伏」というのはどういう位置付けを持つのでしょうか? どうして他の教えを「謗法」とすることができるのでしょうか? 「原理主義的解釈」に基づかずに「仏になる道は此れ(南無妙法蓮華経)よりほかに又もとむる事なかれ」ということがどうして言えるのですか?




307 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 00:57
なげーし、誰も読んでねー!!


308 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 01:03

テポ丼さんこんにちは。

>歴史的な視野から仏教における「宇宙観」
>を、最初に説きはじめたのは誰(何処)なのですか?

私も詳しくは知りません。ただ部派仏教教団(釈迦の直弟子たちの系譜を継いだ諸団体、「小乗」と呼ばれる)の一つ、「説一切有部」というグループの書物には、当時のインド思想を背景にした「宇宙観」の詳しい展開が見られます。その「宇宙観」は結構様々な仏教団体に共有されていたらしいですよ。




309 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 01:06

今日は迷惑に感じます。




310 名前: 学会ROMの学会員 投稿日: 2000/06/26(月) 01:10
今回の選挙の惨敗をきっかけにこのスレッドを見てくれて
目を覚ませる学会員が一人でも増えることを願いage


311 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 01:14
>309
確かに「今日は」場違いな感じですね。まあ暇人のやってることだと思って大目に見てください。



312 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 01:18
学会ROMの学会員さん
どうもです。今回、学会員でも公明に入れなかった、という人って
結構でたんでしょうか? すいません、横レスですね(^_^;)


313 名前: >309 投稿日: 2000/06/26(月) 01:21
同意


314 名前: 学会ROMの学会員 投稿日: 2000/06/26(月) 01:21
>文底さま
丁寧なレス、重ね重ねありがたく思います。
私はしばらくは他のスレッドでいろいろな、知らなかったことを
勉強させていただこうかと思います。
そこで疲れたり行き詰まったらここへ相談として書きこみをさせて
いただくかもしれません。どうかその時はよろしくお願いします。
簡略ですがすみません、横レスでした(^_^;)


315 名前: 学会ROMの学会員 投稿日: 2000/06/26(月) 01:24
>第7の外道さま
こちらこそどうもです。他の方がどうなのかは分かりませんが、
私は公明には入れるつもりは最初からなかったです。
こちらこそ横レスで失礼いたしました(^_^;)


316 名前: SG 投稿日: 2000/06/26(月) 11:27
文底さん No284.285 おっしゃる通りだとおもいます。概ね了解です。しかし、

>私がSGさんに申し上げたいのは「具体的」克つ「客観的」な理由も無く、
>第三者ん対し「絶対的に何々である」と決め付けないで頂きたいのです。

決めつけているつもりはないのですが、そう感じられたのであれば、反省します。
また、私がいいたかったことは、そういったいわば傍観者の立場では、
宗教について本当に大事なことはわからないのではないか、という意味なのです。
しかし、貴殿の今の立場を否定するつもりは毛頭ありません、真摯に探究する貴殿の姿勢は素晴らしいとおもっています。

>私はSGさん自身のお考えにおいて「創価学会」に対し「無批判」「無検証」的で無い事を願います。

私も、そうおもっておりますし、現にいろいろな葛藤もあります。

ご意見ありがとうございました。



317 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 12:37
>>「励ますもの:励ましによって得られる努力」

>というのは、問としては無茶なのではないか、と思います。両方要ります。
>後者は前者なくては成り立たないが、前者だけでは何の意味もありません。勿論、
>「励ますもの」は「信仰」に限りません。

もともと、そういうお話をしているわけじゃないでしょ。
貴方がしりたいのは、なぜ日蓮大聖人が、南無妙補蓮華経と唱えることが、
努力することよりも重要視されているのかってことじゃないの?
そのヒントを出しているのですよ。貴方との共通の目標があるじゃないですか。

意味があるかどうかって言うのは、貴方が第三者的に見たときの話しではないか。
本当の意味で信仰を理解しようとしたら、一度信仰するものの立場でものを見ないと
理解など出来る分けない。どっちかを選べというなら貴方ならどっちを捨てるかってことだ。

「励ますもの」が無くなったら、どんなに努力しても「努力」は苦しいものになってしまうでしょう。
そうして努力することを投げ出してしまうかも知れない。

貴方も誰かに励まされたらうれしいでしょう?
「励ますもの」には、エネルギー「力」があるのよ。
その力が本人自身を奮い立たせたり、また自分を励ますきっかけになったり、
努力してゆくパワーを得ることが出来るのよ。

「励まし」っていうのは、「南無妙法蓮華経」のことよ。(厳密に言えば「一つの側面」だけれども。)
だから、励ます人は仏様なんだよ。仏の心をもっているんだよ。尊い人なんだよ。
励ましなんて口先では出来ないんだよ。「仏の心」がないとね。
それを、あなたは「励まし」を自分の努力と「同列」に論じるから、
仏を軽くみていることなるんだよ。
仏って言うのは生命なんだ。力なんだ。「南妙法蓮華経」なんだ。


318 名前: 題目三唱 投稿日: 2000/06/26(月) 12:46
南無妙補蓮華経
南無妙補蓮華経
南無妙補蓮華経

そうか〜




319 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 12:51
文底さんへ

>*「Nさん」や「SGさん」や「創価学会青年部代表さん」は、まず「絶対的結論」が先にあって、
>その正当性を述べるにあたって、結論ありき事象をある一部分の解釈により、自分の思惑の意図
>する方へ、私などから見れば、かなり強引な論理展開で「絶対的結論」を正当化されているように
>感じられる。

>のですが・・・(無論私の勘違いかもしれません)

物事を悲観的に捉えないから、そう見えるんじゃないですか?
理想を求める姿勢がそのようにみえてしまうこともありますよ。

あと、南妙法蓮華経は、「南無妙法蓮華経」の間違いです。(粗末な漢字変換ゆえ)


320 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 13:06
>ですから学会員の方は「数」を引き合いに出されるのはお止めになったほう
>がよいのでは? と個人的には思います。要らぬ誤解を引き起こす種になる、
>と思います。

多い、増えている、ということは、
受け入れられていることだと捉えられます。
イスラムにしたって、その地域性、生活様式などから受け入れられるから増えるので、
仏教として受け入れられているかぎり、その正当性を保っていると見るべきでは?
多くの人が受け入れているって言うのは、すごいことなんですよ。


321 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/26(月) 13:08
301において

>ZEGAさんの235のレスはかなり重要な問題提起をなさっていて

と書きましたが、それは

『ZEGAさんの「255」のレスはかなり重要な問題提起をなさっていて』

の誤りです。訂正いたします。

ZEGAさんへのレスの補足ですが、法華経のみならず日蓮仏法全体を「脱神話化」して解釈しようという試みには確かに意義があると思います。そういう意味でZEGAさんの解釈自体を否定しようという意図は私にはありません。しかしそれをすると、どうしても日蓮が正しいと考えたことを我々が捨てなければならない、という部分が出てきます。そして問題は、それをすると日蓮仏法の核心に当たる部分、例えば「成仏の本因としての『南無妙法蓮華経』」や、「謗法がはびこっているのが社会不安の原因だ」といった考え方までが危機にさらされる、ということです。そして「折伏」というのも、相手が「謗法」にとらわれている、ということが前提されていて初めて成り立たつものだと思いますから、この場合、「折伏」という実践方法の意義自体が失われることになりかねないのです。つまり、「唱題」「折伏」といった行為の宗教的意義自体が疑わしくなるのです。
もちろん「折伏」に宗教的意義があるから、といってそれが全面的に社会で是認されるべきだ、とは思いません。とにかくこれは相手に甚だ苦痛を与えるやり方ですから、それはそれで問題です。しかしそこに宗教的意義すらない(あるいは、疑わしい)のであれば、なおさらこれは問題です。学会員の方が自分を宗教者だと自認しておられ、かつ「折伏」といったことをなさるのであれば、この点については一人一人がきちんと答えられるようになっておくべきであると思います。ただ私の知る範囲では、「なぜ正しいのか自分では分からないが、とにかく正しいんだ」という態度をとられる方が、学会員の中にはかなりおられます。そういう人はいかなる意味においても「宗教者」とは呼べないでしょう。組織の命令に従順であるロボットに過ぎません。そういう方がやっている「折伏」とは、もはや宗教的行為とは呼べず、悪質な勧誘やセールスと何ら変わらないものだと思います。私の考え方はおかしいでしょうか?



322 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/26(月) 13:11
ブッダ(釈迦)の言葉
「独座と禅定を捨てることなく、諸のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には
患いのあることを知って、犀の角のように だだ独り歩め」
「今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさ
ない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のように だだ独り歩め」

Nさんの言葉
本当の意味で信仰を理解しようとしたら、一度信仰するものの立場でものを見ないと
理解など出来る分けない。
「励まし」っていうのは、「南無妙法蓮華経」のことよ。
だから、励ます人は仏様なんだよ。仏の心をもっているんだよ。尊い人なんだよ。

更にNさんの言葉
貴方も誰かに励まされたらうれしいでしょう?

重ねて釈迦の言葉
「義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽り怠っている人に、
みずから親しむな。犀の角のように だだ独り歩め」




323 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/26(月) 13:28
ある人間の暴言に対して思ったこと・・・
「やってみないと解らない」
としか言いようのないものならば、掲示板で書き込む意味などはない。


たとえ話
ある果物AにはビタミンCが豊富に含まれている。
まだ、科学が発達せずにビタミンの存在が解らなかった頃
その果物を食べたa氏は、その果物で病気が治り「果物Aは体に良い」と
言いだした。
そのうち、そのうわさが広まり、同様に集まった人々が「果物Aを食べ
ないと死んでしまう」と言いだした。「果物Aを食べなければ体を壊す」
云々とまで・・・

やがて科学が発達し、「果物B」にも「果物C」にもありとあらゆるとこ
ろにビタミンCが存在していることが示された。

しかし、その状況でも尚 aの弟子であるmと言う男は「果物A以外は体
に悪い」と主張した。周りの良識者は「その根拠は」と言った。mはう
まく答えることが出来なかった。やがてmは「果物Aを食べなきゃわか
らないんだよ」と言い出した。良識者はだんだんmを煙たがるように
なった。

とさ。


324 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 13:35
>「なぜ正しいのか自分では分からないが、とにかく正しいんだ」という態度を
>とられる方が、学会員の中にはかなりおられます。そういう人はいかなる意味に
>おいても「宗教者」とは呼べないでしょう。組織の命令に従順であるロボットに
>過ぎません。そういう方がやっている「折伏」とは、もはや宗教的行為とは呼べず、
>悪質な勧誘やセールスと何ら変わらないものだと思います。私の考え方はおかしい
>でしょうか?

両者の違いは、あるのではないかな?

学会員は「正しい」と信じて努力している。
正しいことは分かるが相手に説明は出来ないのかもしれない。

悪徳セールスは、「正しいかどうか」は問題ではなく、自分の業績が目的である。

この違いぐらいはあるでしょう。


325 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 13:48
他人の立場になって考えるということと、やってみなけりゃわからない
というのとでは、意味が違うような気がするけれど。


326 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 14:08
なぜ、「南無妙法蓮華経」に重きを置くか、
というのと、なぜ「南無妙法蓮華経」という言葉でなくてはならないか、
は別々の問題。

主題とする疑問は前者。後者はそれが十分解けてからの方がわかりやすいでしょう。
そのものがあるていど認識できなければ、他を論じても、空論に陥ったりします。


327 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 15:06
>たぶん梵天・帝釈天などの延長にある者として、法華経には表記していないが
>あの場にはいたもの、と日蓮は考えていたのではないでしょうか? 例えば『
>慈覚大師事』(学会版御書P1019〜)を見ると「梵釈・日月・四天・天照大神・
>正八幡大菩薩の〜」といった並列が見られます。

これは、日蓮大聖人が、「他を認めない」のではなくて、もろもろの仏菩薩神などの
主従関係を「きちんと位置づけ」していると言うことです。



328 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/26(月) 16:55
ここで、真剣に議論されている人達へ

なんのために議論をされているのでしょうか?
単に創価学会を批判するためだけでは無いようですが、
そもそも宗教についてどう考えておられますか?
宗教否定または宗教無用としているのですか?

それなら、創価学会の存在価値を評価したほうが良いと
思いますが・・・
無論、そのためにはどんな教義に従っているかも重要な
ことでしょうが、宗教を必要としない人が教義自体を正
しいとか間違っているとか言うのはどうなんでしょうか?
危険であるとか有害であるとかなら解かる気もします
が・・・

もし、宗教が必要であると考えておられるなら、貴方の
信仰する宗教と比較して評価すべきでは無いでしょうか?

創価学会では唯一最高の宗教であるとは言っても、絶対
であるとは言ってないような気がします。(言ってるか
な?)
創価学会は宗教団体ではないというご意見もあるようで
すが・・・


329 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 17:17
まだやってたのね・・


330 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/26(月) 17:52
>328さん
宗教自体は存在していてもいいと思ってますよ。また、いろいろと宗教によって
悩みが解決した人も知っています。ですが、「南無妙法蓮華経しか救われる道は
ない」とは全く思っていません。それだけです。
ここでも南無妙法蓮華経の正当性を「演繹的」に証明できるとする方があらわれ
たので、期待していましたが、全然非論理的なものだったのでがっかりしました。

議論自体の意味は大いにあると思いますよ。
「折伏」という名のもとに泣いた多くの人が存在します。
「聖教」という名のもとに新聞等が強要された事実があります。
「公明」という名で政治の主導権が握られています。

これだけされるのですから、南無妙法蓮華経の絶対有意性を疑いたくなる私ども
一般人の気持ちをお察し下さい。


331 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 17:55
長文やだなぁ。

といいつつ長文申し訳ない。

ひゃっきまるさんへ<

1・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもっていますか?

 その人や宗門そのものにはない。
 法主の行状、反逆者の陰謀には怒りを憶えることもあります。

2・Nさんは、創価学会の会員のうちの何割が、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、
  蔑みの感情をもっていると思いますか?

 ごくわずかでしょう。1%にも満たないのでは。
 大抵のひとは、「馬鹿なことをしてるな。」「よせばいいのに」
 ぐらいにしか思っていないでしょう。

3・Nさんは、聖教新聞などの機関誌や、同時中継放送で、宗門や学会反逆者に対し、
 憎しみ、蔑みの感情をもったような内容の話を聞いた(読んだ)ことがありますか?
 あるとすれば、どれくらいの頻度ですか?

 ありません。貴方がそう捉えたものがあってもおかしくないとは思いますが。
 「憎らしいねぇ。」なんて口にだして言っていたおばさんがいたけれど、
 単なる憎悪でなく、悪しき行状をするその態度に対して言っていることは直ぐに分かります。

4・Nさんは、創価学会の体質の中に、宗門や学会反逆者に対し、
 憎しみ、蔑みの感情をもつような傾向があると思いますか?

 団体組織の体質に感情があると言う意味が分かりませんので、応えられません。
 感情というのは個々の人間が持つものだと思います。

 ただし、学会がそのように仕向けているのではないかというのでしたら、
 誤解です。同時中継、聖教新聞他は、かなり堅実な「事実」に基づいて
 発表されています。
 それを個人がどう思うかは人なりに異なるものと思います。
 それをご覧になった貴方が、憎しみの感情を煽り立てていると捉えてしまうのでしたらば、
 それは誤解です。

5・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつことによって、
 彼らが改心すると思いますか?

 憎しみだろうが、正義の怒りだろうが、感情だけで
 そのまま改心する理由にはならないだろうと思います。

6・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつことは、
 彼らに対する慈悲の行動であると思いますか?

 思いません。宗教的、あるいは社会的規範に照らし合わせて、間違っている、おかしいじゃないか、
 と言い続けることが慈悲の行動だと思います。学会の基本的スタンスはそれです。

7・Nさんは、今の創価学会の行動は、概ね(おおむね)正しいと思っていますか?
(憎しみと蔑みを区別してお答えしてもよろしいです)

 思います。


332 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/26(月) 17:55
330の 「有意」を「優位」に訂正


333 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 18:06
281 ひゃっきまるさん<

> 僕も、宗教も社会ルール〜
>僕は、不正に対して抗議するのは当然であると、以前申し上げました。今論点にしているのはそ
>ういうことではなく、相手を蔑んだ行動をしているのではないか、ということです。

はい、よくわかりました。

不正をする人を、蔑んだり、怒りを向けたり、憎んでみたりすることなんてことは
学会員に限らず、人であれば誰でもそういうことはあると思います。

逆にその不正を知らされていない(特に非学会員)ならば、憎しみや怒りなどといった
感情は出るはずも無いだろうとおもわれます。
学会員は不正や悪を知ったから、それに対して怒っているのです。
なぜ、学会員だけが問題視されるのでしょうか?それが不思議でなりません。

282 名前: ひゃっきまる さん<

261(外道さん)
>法華経にしても、なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えることが「悟り」を得るための方法論となるのか? なぜそれが勉強したり人と交わったり働いたり自分を抑制し たり人の気持ちを理解できるようになったり・・・といった地道な努力よりも、成仏方法としては上と見なされるのか? 私の率直な疑問はそこです。

>とおっしゃるのは、かなり、どころかまるっきり意味不明ではないでしょうか。外道さんは『後回し
>ということでしたらOKです(272)』と好意的に解釈してくれましたが、僕には単なる放棄のように
>見えます。

> 厳しいことを言わせてもらうと、長々と議論してきた中で、Nさんは「肝心なこと」を避けて発
>言している傾向が見られます。

肝心なことは、「なぜ日蓮大聖人が、唱えることを重要視したか。」の答えを見つけることでしょ?

「その方法が妥当であるかどうか。」
を検討することも大事かもしれませんが、

「悟り」とか「仏」の意味の認識、実体の把握

が、みんなバラバラであるうちから検討しても意味が無いんじゃないの?

「方法論となりうるかどうか」の問題に入る以前に上記の問題を先送りにして良いはずが無い
でしょう?
第7の外道さんが、「悟り」とか「仏」の意味を正確に知っているなら全く問題はないのですが、
そうでなければ、正しい方法論であると証明することも出来ないし。
なぜ?に応えることも出来ないのでは?


334 名前: 投稿日: 2000/06/26(月) 18:07
ひゃっきまるさん< 投稿日: 2000/06/24(土) 19:31

>Nさんがそんな存在を「南無妙法蓮華経」
>と呼ぶことについては、ややピンとこない点があります。
>そこで質問ですが(A)、Nさんはそれを「南無妙法蓮華経」と「仮に」呼ぶが、
>「阿弥陀仏」でも「法身仏」でも「大日如来」でも「絶対精神」でも別に何と読んでもか
>まわないものだ、そもそもそれは名で呼べないものであり、それを何と呼ぶかは自由だ、
>と考えておられますか?

釈迦の一代聖経を読まれて、釈迦の本意を汲み取りもっともふさわしい名で
呼べるようにしたのが日蓮大聖人です。どれでもよいと言うことはありませんよ。
各人が何と呼ぶかは自由かも知れませんが、そこには確りとした裏付けはなく、
漠然とした物になってしまう可能性があります。

「阿弥陀仏」はもともと架空の仏です。ですから、×
「絶対精神」のような多様な意味を包含しているものでは、その言葉の意味に捉えられてしまう
恐れがあります。
「法身仏」では、応身、報身がぬけていて、無機的な存在になりがちです。
「大日如来」については、他の方のやりとり(昼行燈さん等)に見られますので
省略します。(実はよく憶えていない)

日蓮大聖人の「南無妙報蓮華経」は「一身即三身、三身即一身」といって、それぞれ
がバラバラで存在するのではなくて、一つの存在なのだという考えです。
眼鏡やコップにも「法身、報身、応身」の三身が備わっていますが、それは一つです。
バラバラではありません。南妙法蓮華経にも「三身」が備わっています。

>それともそれは他の呼び名に優先して「南無妙法蓮華経」と呼
>ばれなければならないものだとお考えですか?

優先どころか、他に適当な名前が見つかりません。

>もし後者なら、「南無妙法蓮華経」と呼び、定義するのはNさんはそう信じるからそう呼
>ぶという以上に説明のできないものですか?
>それとも「南無妙法蓮華経」と呼ばなければな
>らない理由は説明可能ですか?(最終的には「信心に基づく」ということであっても。)
>もし後者ならば、その理由を説明してはいただけませんか?

>という疑問がわくのではないでしょうか。
>まずはこれだけでも説明して頂けませんか?

妙法蓮華経は「法華経」のタイトルです。法華経の内容がどんなものかを表しています。

妙法とは、不可思議なる法という意味です。
蓮華とは、因果具時(原因と結果が同時に起こる)ことを比喩として表したものです。
経とは、仏が説いた。仏の言葉という意味です。

南無とは、帰命、つまり、「南無妙法蓮華経」には、
その大法に自分自身をゆだねるということで、
南無妙法蓮華経には、そういう意味をしっかりと包含しているということがいえます。

また、最高の法だということは、教判によって明らかにされます。
南無妙法蓮華経に至るまで、日蓮大聖人が五重の相対、宗教の五綱といった教判も
納得の行くところです。

もっとも、中国の天台により、法華経が最高とされたから、その最高の名前がふさわしいという
ような言い方も出来ますが、それがわたしの主眼ではありません。

その他の「語」にそのような教学体系でも蓄積されているというのであれば、肩をはることも出来ま
しょうが、他の宗教でそれを聞いたことはありません。

他には、その語感(リズム)が良いというのが私の実感です。

最後に、まず「信じた」そして「やってみた」そしたら、「よかった。」
そしたら、なぜだろう?という疑問が湧く
それに答える為に「教学」や「理論」があって納得すればよいものとおもいます。
普通の会員はそういうプロセスを踏みます。


335 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/26(月) 18:08
>通りすがりさん

>ある人間の暴言に対して思ったこと・・・
>「やってみないと解らない」
>としか言いようのないものならば、掲示板で書き込む意味などはない。

……?これ、本気で言ってます?だとしたら吃驚です。
先の言葉はそっくりそのまま僕の使った言葉ですし、あまりに多く使われる言葉でもあります。それは、そのことが本当だからです。
あなたに好きな本があるとします。それがとぉっても面白くて、それを人に薦めたけれど、どうも相手は乗り気でない。そんな時、「いいから読んでみろって!」とは言いませんか?
「ミケランジェロは一見の価値アリ」とか、「モバイルギア超オススメです」という書き込みは否定なされないことと思いますが。
別に仏教徒の言葉ではないですが、「蜂蜜を食べた事のない人に蜂蜜の味を教えることは出来ない」です。

ところで、以前もお見受けしましたが、あなたのお名前は「名無しさん@1周年」と同じですか?それとも固定ハンドルですか?




336 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/26(月) 18:09
>第7の外道さん

諸天善神をシステムや働きの人格化と考える僕としては、霊鷲山会において、これら諸天善神もまた連なっていたとする御文が無い限り、そのように拝する事は出来ません(それは文献的解釈の基本的態度にも反します)。また、引用された「自覚大師事」にも、

「釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月・四天・天照大神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ」

と、霊鷲山会で登場する諸仏と、諸天善神の二つを文で区切っているところを見ても並列に扱っているとは考えにくいです。

>法華経信者を非法華経信者が軽んずるからといって疫病がはやる、というのは、とても「生命の性質」「システム」ゆえ、と理解することはできないでしょう。諸天善神を実体視していないと成り立たない解釈だと思います。

ここは諸天善神及び祈りと環境の関係、功徳と罰論に重なってくるところであり、僕としても是非意見交換をしたいと思っています。以前議論された暗在系の話にも足を突っ込んでしまい、収集がつかなくなる惧れがあります。あまり手を広げると僕が自滅するので、この問題については一先ず置かせてください。後でこってり論じるつもりです。



337 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/26(月) 18:12
>『「システム」若しくは「働き」』『生命の根源』などをどうして「南無妙法蓮華経」で表さなければならないのか、その理由が全くわからなくなってしまいます。別に他の方法でもよくなるのではないですか?
伏」というのはどういう位置付けを持つのでしょうか? どうして他の教えを「謗法」とすることができるのでしょうか?

南無妙法蓮華経の含む意味については、ちょっとやそっとでは語れないのですが、字義からすると、妙法蓮華経に帰命することです。とりあえず学会の書物を援用しますと、「日蓮大聖人の仏法の本義においては、一切万法の帰趣する究極・所詮の法体とする。」(『仏教哲学大辞典』聖教新聞社)
大日如来は華厳経および真言宗の本尊で、宇宙の実相を仏格化したものとされます。しかし、本来の「法」は人のような姿をし得ません。
仮の姿で無い、森羅万象の千変万化の本質を説き明かしたものが法華経であるから、「法華経に帰命する」という意味で「南無妙法蓮華経」でなくてはならないのです。尊ぶのは飽くまでも「法」です。ですから日蓮大聖人の教えでは仏像は存在し得ません(なぜかある所もあるのですが、それは教義に違背しています)。
この観点から、仮の姿をした仏は本尊たり得ず、釈尊という人物を崇拝したり、仮の形である擬人化された仏を本尊とする経は全て仮の教えとなります。

「仏」とは仏性をひらいた人間の意と、理想的に擬人化したものの意があります。(一つの言葉で幾つもの意味を表そうとするので、解釈が難解になってしまうのだと思います。でも、一つ一つに別の言葉を当てはめて厳密化すると、やっぱり難解になってしまいます。トレードオフです)

まだまだまだまだあるのですが、ちょいと分量が多いので、詳しくは「御義口伝」をお読みください。



338 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/26(月) 18:13

>「原理主義的解釈」に基づかずに「仏になる道は此れ(南無妙法蓮華経)よりほかに又もとむる事なかれ」ということがどうして言えるのですか

説法の対象になる衆生の機根という考え方があるのですが、御書がお手元にあるようなので、とりあえず十法界事(420ページ)を調べてみてください。「日蓮正宗教学小事典」などがあると参考になるのですが。

不図思ったのですが、1に、
>『法華経』は読む価値がある
とありましたが、それはどのようなところをしてそのように思われたのでしょうか?
また、159において「私にとっては、これしかなかろう」という思想をお持ちであると伺っていますが、それはどのようなものなのでしょうか?不躾ですが、よろしければお教え下さい。



339 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/26(月) 18:13
>ALL
やっぱりここはペースが早くて、自分が何に答えて、何に答えてないのか再びワケが分からなくなりつつあります(僕が「先入先出法」を用いているのが悪いのですが)。
僕に質問やコメントを下さった各々の皆さん、真に申し訳無いのですが、もう一度論点を整理していただけないでしょうか?序でに新しい疑問などもどうぞ。


340 名前: 亀仙人 投稿日: 2000/06/26(月) 18:17
>なぜ、学会員だけが問題視されるのでしょうか?それが不思議でなりません。
学会員だけが問題視されてると思うアナタは視野が狭いという事でございますな。

学会員だけではない、世の中には問題視される人間は多い
エホバの証人や統一教会の会員やオウム真理教も然り
創価学会は“公称”10000000人の信者がいる団体であり
その分社会に対する影響力もオウム真理教などより遥かに大きい。
その巨大な宗教組織でしかも今の時代にマッチしない日蓮原理主義
というかファナティックな行動指向に陥り易い信者が数多くいるのから
多くの人々により問題視されてるくらいおぬしも気づいてはいるだろう?

学会という巨大組織に対して牙を向けた内部の人間に対して
私たち外部の人間は賞賛する。誹謗中傷、嫌がらせを受けるのを
知りながら学会内部の腐敗を正そうと忠告した人々を
(大本営発表を鵜呑みにして)悪として陥れようとする行為こそが
問題視される。 まぁ、いくら言っても聞いてはくれないかな


341 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/26(月) 18:47
>ZEGAさん お久しぶりです

別に僕のレスは、あなたに対して向けたわけではないのです。
ただ、あなたの335のレスに気がかりな部分はありますね。

>あなたに好きな本があるとします。それがとぉっても面白くて、
>それを人に薦めたけれど、どうも相手は乗り気でない。そんな時、
>「いいから読んでみろって!」とは言いませんか?
>「ミケランジェロは一見の価値アリ」とか、「モバイルギア超オスス
>メです」という書き込みは否定なされないことと思いますが

この譬えは、日蓮の教えを喩える際にはふさわしいとは思われません。
何故なら、日蓮は「法謗」と称して、一度法華経に帰依した人間が、疑問
を持ったり信じるの辞めることを「地獄行き」であるとしているからです。
これは、御書のあちらこちらに出て来るではありませんか。日蓮のロジッ
クに一度入ったら、そこから出ることは非常に難しいのですよ。

以前にも書いたことですが、これは、譬えで返すと「ミケランジェロをいっ
たん観たら観続けない奴は地獄行き」や「他の彫刻を観たら地獄行き」
とうい掟を守ってミケランジェロを観続けなければならないようになっ
ていると言うことなのですよ。

ですから、私は何度も繰り返しますが、「水泳」とかこのような「名作鑑賞」
等に日蓮の教えを譬えてしまう事自体に、大変な無理があると思ってしまうので
す。最初から諸々の地獄が設定されている恐怖の場所に「興味半分で」入るわけ
には行かないのですよ。この恐怖のために辞めるに辞められない人が結構いるで
はありませんか。

追記:筑波センタービルの広場は面白い。(ミケランジェロの反転・・・)





342 名前: 文底 投稿日: 2000/06/26(月) 18:48

SGさん

>決めつけているつもりはないのですが、そう感じられたのであれば、反省します。

決め付けていらっしゃらなければ結構です。
また、その様に誤解した事に付きましては、私も反省いたします。

>傍観者の立場では、宗教について本当に大事なことはわからないのではないか、

そうかも知れません、私自身本当に「大切な事」は常々知り得たいと思っています。
しかし、日蓮仏法の本質的教義の特質性なのかも知れませんが「独善的」「排他的」「唯一的」な姿勢は、私を「懐疑的」「検証的」な行動に動かせる動機付けにもなっているのです。
私のような俗に言う「二乗の人間」を納得し得るだけの「理論的」克つ「具体的」な例証を、他の色々な御立場の方々から数々伺う事により、自分自身の無意識下に巣食っている「独善的」「排他的」「唯一的」傾向を自分自身の中で再検証できるかが私自身の命題です。

>私も、そうおもっておりますし、現にいろいろな葛藤もあります。

その一言を伺って少し安心致しました。
一番大切な事は、私のような第三者があれこれ推論するよりも、創価学会の内部の方々によって、功罪の「罪」の部分に対し謙虚に「検証される事」だと思います。

>ご意見ありがとうございました。

此方のスレッドには、ZEGAさんやNさんと仰る「学会員」の方が、夫々の御立場で「熱く語って」いらっしゃいますので、SGさんも論議の推移を見て頂き、思う事が御座いましたら、遠慮無く書き込んで下さい。
これからも私は、SGさんのご意見に対し、真摯的に答えさせて頂きます。
此方こそ、ありがとうございました。


343 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 18:50
>340
反カルト運動の関係者とみるが、あんたたちもカルトだよ。
学会も法華講も嫌いだけど、反カルトの正義の闘志ぶってる連中も俺は嫌いだ。
キチガイ


344 名前: SG 投稿日: 2000/06/26(月) 19:06
文底さん、当方の不完全きわまるレスについては申し訳なくおもっております。
ところで、なぜかなくなってしまったようですが、被告池田大作スレッドNo195での、
最後の三障四魔についての部分、文底さんに反論がありましたら、よろしければ簡潔におきかせください。
それから、Nさんと青年部代表さんと私(SG)とが、同一に感じられるとの指摘がありましたが、
お二方の一部の書き込みを読む限り、私は少なからず違和感を感じていることを一応言っておきます。


345 名前: 文底 投稿日: 2000/06/26(月) 19:40

Nさん

Nさんは以前から、私のカキコにも色々な御意見を述べて頂いており、Nさんの熱い思いは文面から伝わって来ております。(ありがとうございます)
私もSGさんとの論議の推移において、若干の思い違いもありましたのでNo319のレスは良く考えてからお答え致します。


SGさん

了解致しました。
「最後の三障四魔についての部分」に付きましては、後日レスさせて頂きます。

>Nさんと青年部代表さんと私(SG)とが、同一に感じられるとの指摘がありましたが、お二方の一部の書き込みを読む限り、私は少なからず違和感を感じていることを一応言っておきます。

これに付きましても、私自身再検証させて頂きます。
もし宜しければ、私自身の反省材料になりますので、SGさんが「Nさんと青年部代表さん」との違和感を感じられている処を申し述べて下さい。
御手数ですが、宜しくお願い致します。

本日の私のレスはこれまでとさせて頂きます。(SGさんがお待ちになっていらっしゃると申し訳ないので・・この様に書きました)



346 名前: 赤がらす 投稿日: 2000/06/26(月) 20:24
>第七の外道さんへ(261)
 ご返事を頂けて嬉しく思っています。確かに「盲信」は恐ろしいと思います。今の世の中「とりあえず信じて」しまった人々の悲劇で満ち溢れています。外道さんは信じる事の重大さを痛感なさっているのだと思います。「盲信」は人を破滅にさえ導きます。外道さんのように信じる事にもっと敏感になっていれば防げた悲劇も山ほどあります。日蓮はそういった世の不幸の根源を間違った信にあると見抜き、信じるに値するものを探求した聖者です。その姿勢は「諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師にはよるべからず専ら経文を詮とせん」と徹底したものです。この姿勢は外道さんの「信」に対する態度に相反するどころか、共通しているようにも思えるのですが。
私は信仰者ですが、すべてを信じきっているわけではありません。「揺れ」はあります。「おまえ本当に仏教徒か」というようなことを考えたりもします。でもそれをどこか見えないところに追いやったり、実物より小さく見ないように心がけています。狂信者にはなりたくないのです。闇で囁いているものの姿をまっすぐ見つめて、しかるべき対応をしようと。こうやって掲示板でやり取りしたり読んだりすることは、自分の内面での対話でもあると考えています。
 揺るぎない部分もあります。唱題した後の爽快感・充実感・高揚感は口では言い表せません。あえて言うなら「音楽」に近いと思います。誰も優れた音楽を言葉で言い尽くす事はできないし、また否定する事もできないのです。「音楽」という価値観も確かにあるのです。「言葉」は時として曖昧です。「表」があれば「裏」がある。言葉で組み上げたどんな堅牢な城にも影はあるのです。でも「音楽」には影がありません。もちろん言葉を否定するわけではありません。日蓮は当時としては世界的にも特筆すべき量の文章を残しています。
 何といっても日蓮の思想を実感するためには実際に「うたってみる」のが一番!だと思うのです。
 体調を崩されていると聞きました(いや、読みました)。お大事に!



347 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/26(月) 20:56
 短時間に大量のカキコがあったようで(様々な方が活発に参加して議論しているのは、とても嬉しいと思っています)、少々混乱しているのですが、とりあえずレスします。

>ZEGAさん、第7の外道さん、昼行燈さん
 255でのZEGAさんの問題提起(「脱神話的解釈」としてとらえようという立場)は確かに非常に重要なものなのですが、まずは『歴史的釈尊が法華経を説いたのかかどうか』、というところを論点にした方がよいと僕は思っています(278の内容)。というのは、第7の外道さんもご指摘の通り、結局の所、日蓮仏法の正当性や教義の根幹というのはそこに行き着くからです。(あくまでも僕の考えです。論点が増えすぎてしまっていることを危惧するものですから)

 今のところ、確認しておきます。
1・日蓮大聖人
2・日蓮正宗
3・創価学会
4・ZEGAさん
 の全てにおいて、「脱神話的解釈」をしているというのがZEGAさんの現時点での考えなのですね?

>愚乱破さん(328)
>なんのために議論をされているのでしょうか?
>単に創価学会を批判するためだけでは無いようですが、
>そもそも宗教についてどう考えておられますか?
>宗教否定または宗教無用としているのですか?

 第7の外道さん、文底さん、メディスンさん、僕(ひゃっきまる)、に関しては、このスレッドで議論することの動機や、宗教についてどう考えているか、などは、過去ログでかなり触れられています。また、皆「宗教を必要としない」とは考えていません(と思います)。まだ模索中ながらも、それぞれで宗教に対する理想を持っていますが、それは少なくとも創価学会のような性質・特徴を持った宗教ではありません(それゆえに批判的・懐疑的意見となるのでしょう)。

>Nさん
 お返事ありがとうございます。今度は明確に答えて頂いて、満足しています。じっくりと読んでからまた後ほどレスします。しかし333、334のレスはもともと第7の外道さんとの論議ですから、僕からレスするのは控えたいと思います。


348 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 01:50
今日1日ですごい量が増えましたね( ゜_゜;)。レス数が飛躍的に増えているので最初嵐かと思いました。皆さんありがとうございます。
全部一遍には無理だと思うので、とりあえず私の最近レスがZEGAさんあてだったのでZEGAさんのレスからいきます。他の皆さんについても、私あてのレスには必ず答えますので、少々お待ち願えますか?

>諸天善神をシステムや働きの人格化と考える僕としては、霊鷲山会において、これら諸天善神もまた連なっていたとする御文が無い限り、そのように拝する事は出来ません

日蓮は「諸天善神」もまた法華経の説法に立ち会っていた、と考えているようですよ。例えば『開目抄』学会版御書P210、下巻の第1文には「又今こそ諸大菩薩も梵帝・日月・四天なども教主釈尊の御弟子には候へ、・・・」(またP214もそういうことが示唆されています。)とあります。また、

>「釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月・四天・天照大神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ」
>と、霊鷲山会で登場する諸仏と、諸天善神の二つを文で区切っているところを見ても並列に扱っているとは考えにくいです。

諸仏と諸天善神を区別するのは不思議ではありません。ただ私が「並列」といったのは「梵天・帝釈天など」と「天照大神」といった日本の「神」です。上記引用文では確かに並列されてますよね?  日蓮は「梵天・帝釈天」が霊鷲山会に連なっていたと考えていたのは確かです。そして日蓮は「梵天・帝釈天」と「天照大神」らを並列させています。従って日蓮は「天照大神」といった日本の神も法華経の説法に立ち会っていた、と考えていたのではないでしょうか? それに「天照」かどうかはともかく、日本の神もまた法華経を聞いて釈尊の弟子になっていた、と考えなければ『立正安国論』の思想はそもそも成り立たないと思います。



349 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 01:52
ZEGAさん

>ここは諸天善神及び祈りと環境の関係、功徳と罰論に重なってくるところであり、僕としても是非意見交換をしたいと思っています。以前議論された暗在系の話にも足を突っ込んでしまい、収集がつかなくなる惧れがあります。あまり手を広げると僕が自滅するので、この問題については一先ず置かせてください。後でこってり論じるつもりです。

そうですね。では後回しにしましょう。しかし私見を述べさせていただくと、そういう方向で論を進めても仮説に仮説を重ねた、「絶対」には程遠い解答しかでないのではないでしょうか。学的認識としてはそれでいいのでしょうが、日蓮の唱題の絶対性の裏付けには程遠いものになりそうな感じがします。

>大日如来は華厳経および真言宗の本尊で、宇宙の実相を仏格化したものとされます。しかし、本来の「法」は人のような姿をし得ません。

「大日如来」もまた、比喩として人型をしているに過ぎません。「法身仏」は仏を法そのものとして扱う場合の名称です。ですから大日如来は「法」そのものです。密教におけるこの辺の議論は精緻を極め、とても詳細はここでは論じられませんが。

>仮の姿で無い、森羅万象の千変万化の本質を説き明かしたものが法華経である

法華経のどこに、「森羅万象の千変万化の本質」が解き明かされているのですか? 「方便品」ですか? 「十如是」ならクマラジーヴァが「付加」したところですね。しかしそれ以外にどこかありますか?



350 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 01:53
ZEGAさん

>ですから日蓮大聖人の教えでは仏像は存在し得ません

これは脱線ですが、『観心本尊抄』で日蓮は仏像を拝むことの意義について肯定的に考察しています。「十界互具」の思想が仏像にも仏性があることを肯定させているようです。

>この観点から、仮の姿をした仏は本尊たり得ず、釈尊という人物を崇拝したり、仮の形である擬人化された仏を本尊とする経は全て仮の教えとなります。

ここでは日蓮仏法以外の仏法はすべて「仮の教え」であることを論証なさろうとなさっているのですか?それは他の仏教を余りに浅くとらえた見方です。
あなたがたも「本尊」という「紙」(失礼な言い方であるのは重々承知していますが、ここはあえてこう言わせてください)に向かって唱題されているようですが、あれは何なのですか? 見方によれば「物」を「本尊」化している「物神崇拝」「呪物崇拝」にも見えますよ。もちろんZEGAさんは「そうじゃない、そういう見方こそ浅い見方だ」とおっしゃるでしょう。でもZEGAさんの他宗派に対する今の見方はそういうレベルです。私の見るところ。



351 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 02:09
ZEGAさん

根本的な疑問ですが、
「南無妙法蓮華経」を「一切万法の帰趣する究極・所詮の法体とする」と「定義」し、「南無妙法蓮華経」を提唱する宗派(学会)の立場を「真」のものと「定義」し、「南無妙法蓮華経」を本尊としていない他宗派を全て「仮」と「定義」する。そう「定義」する理由はさておく。・・・そうとらえなければZEGAさんのご主張には辻褄が合わないように見えます。というのも、なぜそう「定義」しなければならないのか、その理由が学会外部の者からは全く見えてこないからです。私のような者からすれば、どうして「南無妙法蓮華経」を「一切万法の〜」といきなり定義しなくてはならないのか、それは単なる「仮定」か、さもなくば単なる「決め付け」か、としか見えないわけです。

上にも言いましたが「仮の姿で無い、森羅万象の千変万化の本質を説き明かしたものが法華経である」もそうです。法華経のどこに「森羅万象の千変万化の本質を説き明かし」ているのか、そしてそれは法華経を絶対視せざるをえないほどに他と隔絶したものであるのか、その説明がなければ、私はZEGAさんの「説明」には承服しかねます。(それとも、学会の信仰を持ち、その「心」で読まなければわからないものなのですか?)
ただその説明があったとしても、法華経は「優れた書物だ」となるだけで、それに「帰依」しなければならないということにはならないし、ましてその名を唱えることが「成仏」の因になるとは私には思えません。因みに日蓮も、「法華経が優れた書物」だからその名を唱えれば成仏できる、と考えたわけではなく、「久遠本仏」を中心とする法華経コスモロジーとでも言うべきものが実在していることが、唱題が成仏の因となる前提である、と考えていたようです。



352 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 02:09
ZEGAさん

>>『法華経』は読む価値がある
>とありましたが、それはどのようなところをしてそのように思われたのでしょうか?

主に「方便品」、そこの一乗思想です。自己増殖的、とでも言えそうな独特の構成にも面白みを感じます。ただ信仰の対象として見たことはありません。

>また、159において「私にとっては、これしかなかろう」という思想をお持ちであると伺っていますが、>それはどのようなものなのでしょうか?不躾ですが、よろしければお教え下さい。

それは今までにもいくらか触れてきましたが、いずれもこのスレッドの枠組みから甚だ脱線するもので、ここで書くのは最近ではやめているのです。ここでの議論が一段落したらまた議論いたしましょう。



353 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 02:19
ひゃっきまるさん

>>ZEGAさん、第7の外道さん、昼行燈さん
> 255でのZEGAさんの問題提起(「脱神話的解釈」としてとらえようという立場)は確かに非常に重要なものなのですが、まずは『歴史的釈尊が法華経を説いたのかかどうか』、というところを論点にした方がよいと僕は思っています(278の内容)。というのは、第7の外道さんもご指摘の通り、結局の所、日蓮仏法の正当性や教義の根幹というのはそこに行き着くからです。(あくまでも僕の考えです。論点が増えすぎてしまっていることを危惧するものですから)

あぁ、そうですねぇ・・・。やっぱりそこから出発するべきですね。Nさんのレスについても、やっぱりその辺が焦点になってきそうですし。

一旦、この点について議論を集中させて、参加者の立場を仮に決定しておく、その後そこから出てくるテーマについて議論、という風にすすめましょうか? 無論、これ以前の私に対するレスについては私は答えるつもりではいますが・・・。ただそういう展開の中でおいおい扱えそうなものに関しては、正直そこに組み入れたい気持ちです。
他の皆さんはどうでしょう?



354 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/27(火) 09:38
通りすがりさん<
 ご意見、重く受け止めさせていただきます。
 通りすがりさんは南無妙法蓮華経を信仰されているのですか?

ひゃっきまるさん<
 ・貴方「ご自身」が理想の宗教を求めているということでよろしいですか?
 ・模索中とのことですが、およそどのような性質・特徴を求めておられますか?
 ・それは「既成宗教の中には無い」とお考えのように思われるのですが、
  どのようにしたら、そのような宗教が求められるとお考えですか?
 ・「創価学会のような性質・特徴」とはどのようなことを指しておられますか?
   (ここで色々批判・評価されていますが、それら全てだということですか?)
 ・また、既に創価学会に対する評価を決定しておられるようですが、
  なお、議論を重ねる意図はなんでしょうか?
   (議論することに反対しているわけではありませんが・・・)


355 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 10:08
Nさん
長大なレスどうもです。お待ちしていました。上でも書きましたが、「南無妙法蓮華経」についての議論は、ZEGAさんやひゃっきまるさんたちとの議論へと一本化していきませんか? Nさんがお望みならレスへの応答はいたしますが、今まで書いてきたことを繰り返すことが多くなりそうなので、できれば他の方も加わりやすい形で議論を統合していきたいと思っているのです。いかがですか? これに関しては他に優先してご返事いただけないでしょうか。

あと、「南無妙法蓮華経」に直接絡まないところのレスをします。

>317「本当の意味で信仰を理解しようとしたら、一度信仰するものの立場でものを見ないと理解など出来る分けない。」他

317は一部を除いて到底受け入れがたい内容と私には思われますが、失礼ながら、このレスは他のNさんのものと比しても、かなり感情的になっておられるような印象を与えられます(それゆえ、Nさんの根本姿勢のようなものもうかがえるようにも感じられますが・・・)。そこで私としてはとりあえず317についての返答は控えることにします。Nさんがこれについて私に返答を求められるようであれば、其の時はお応えします。それでよろしいですか?

>320
>多い、増えている、ということは、受け入れられていることだと捉えられます。
>多くの人が受け入れているって言うのは、すごいことなんですよ。

このこと自体は否定しません。ただそれと「その正当性」とは別だということを申し上げています。このことの例として、ワイマール時代のドイツにおけるナチスの躍進をあげておきます。詳しい説明をお求めならばいたします。



356 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 10:09
>324
>両者の違いは、あるのではないかな?
>学会員は「正しい」と信じて努力している。
>正しいことは分かるが相手に説明は出来ないのかもしれない。
>悪徳セールスは、「正しいかどうか」は問題ではなく、自分の業績が目的である。
>この違いぐらいはあるでしょう。

この「正しい」ことが、価値観の相手への一方的な押し付けになっていたとしたら、「この違い」はさほど大きなものではなくなるでしょう。私から現状を見れば、相違点より共通点のほうが目立ちます。それをふまえた上でならば、この点(違いがある、ということ)には同意いたします。

>326
>なぜ、「南無妙法蓮華経」に重きを置くか、
>というのと、なぜ「南無妙法蓮華経」という言葉でなくてはならないか、
>は別々の問題。

「南無妙法蓮華経」に関わりますが、
私はNさんの「たたき台」(165)の書き方に従って話をすすめたつもりです。そこでNさんは

>出発として、この世の全てを包含する最高の法は必ず存在する。(と信じたことが出発です)
>そしてその名前は「南妙法蓮華経」という。
>としてもよいでしょう。

と仰っています。常識的に見れば、これは 「なぜ「南無妙法蓮華経」という言葉でなくてはならないか」という問いを引き起こすと思いますよ。私には、Nさんが論題を急に摩り替えたように感じられます。
ただ、「たたき台」についての私の問(178〜182)には答えていただきたいとは思いますが、Nさんが「なぜ、「南無妙法蓮華経」に重きを置くか」のほうから先に論じたい、という提案を新規になさる、ということでしたら、それはそれで結構です。ただ本格的な議論に入る前に、「議論の一本化」の提案にのっていただけたら、と思います。

>333・334
は「南無妙法蓮華経」の位置付けに関わることで、「議論の一本化」についての確認を皆でしてから、改めて順を追って論じられたらと思います。先ずはNさんのこの点についての態度をお教えください。それとは関係なく、「これについてすぐレスせよ」ということでしたら、レスさせていただきますが。



357 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/27(火) 10:09
赤がらすさん、どうもです。

>確かに「盲信」は恐ろしいと思います。今の世の中「とりあえず信じて」しまった人々の悲劇で満ち溢れています。外道さんは信じる事の重大さを痛感なさっているのだと思います(以下略)

そうとっていただけるとうれしいです(^-^) ちょっとくすぐったい気もしますが・・・。私としては、人がどんなことを「正しい」と信じるかはその人次第で、別に他人がそれをとやかくいうことはない、と思っています。ただおっしゃるような「闇で囁いているものの姿をまっすぐ見つめて、しかるべき対応をしよう」という姿勢を忘れ、自分を絶対の正義だと規定し、それによって他人の生活や心に干渉しようというものに対しては、疑問を呈さずにはいられません(自戒の意味ももちろんあります)。日蓮の思想にはそうした「独善」「押し付け」にあたる要素が多分にあるのも確かです。そして学会の活動に外部から接すると、そうした要素がやたら目立つということも確かです。
ここに来られる学会の方は、その論理において承服しがたいと思えるもの(つまり、「独善」の正当化をもたらす論理)もあるのは確かですが、こうしてそれについて議論をできるというだけでも、かなり違っているなと思います。失礼ですが、私の周囲の学会員の方はひどいものです。子どもを亡くして悲しんでいる家(私の実家ですが)にいって、「信心してないから死んだんだ。学会はいれ」なんて平気で言いますもんね。学会がまっとうな宗教団体だというなら、そういう人に「折伏」させる前に、それこそしっかりとその人を導いてやってもらいたい。「学会にも悪い人がいる」「一部の人が悪い」とトカゲの尻尾きりをするのではなく、組織としてしっかりとそのあり方を見なおし、「悪い」構成員を教育していただきたい。娑婆ではどんな組織でも、構成員がヘマしたらその組織の責任が問われるのが常識です。ところがその組織のあり方について疑問を出せば、「学会自体は正しいのだ」という、外部にとっては信じがたい解答が帰ってくるのが常です。だとしたら、その「正しさ」の根拠って何? と問いたくもなっくる。アンチの立場に立っている人のほとんどは、根底にそういう気持ちがあるのだと思っています。

音楽の喩えは面白いと思いました。私が音楽が好きなせいもあるかも知れません。学会も、外部の人間を「折伏」するのではなく、進んで関心を持ってやってくる人に居場所を与えられるような組織に徹してくれるのなら、私なんぞが教義の話など出してとやかく言うこともないのでしょうけどね・・・。


358 名前: 池田 大臭 投稿日: 2000/06/27(火) 10:31

久しぶりだね。
どうも、こいつらがきっかけとなって、カルトキチガイを呼び寄せている気がする。
このスレで、葬家のカルト教義について話し合うだけならば何ら害は無いし、2chの多様性から考えるといいことだと思っていたが、しょせん学会員はキチガイ。
類は友を呼ぶで、キチガイが増殖されていく。
いいかげんウザッタイ。




359 名前: 池田 大臭 投稿日: 2000/06/27(火) 10:32
久しぶりだね。
どうも、こいつらがきっかけとなって、カルトキチガイを呼び寄せている気がする。
このスレで、葬家のカルト教義について話し合うだけならば何ら害は無いし、2chの多様性から考えるといいことだと思っていたが、しょせん学会員はキチガイ。
類は友を呼ぶで、キチガイが増殖されていく。
いいかげんウザッタイ。


360 名前: >359 投稿日: 2000/06/27(火) 10:57
こらこらやめんか、ここは聖地ぞよ


361 名前: >360 投稿日: 2000/06/27(火) 11:02

おれも、発言を慎んできたけれど、他の学会員の発言を見てみなよ。
このスレッドがきっかけとなって、SF研のキチガイが多数参加してるんじゃないの?



362 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 11:09
SF研のクレイジー学会員でも何でも、外道さん、文底さん、ひゃっきまる
さん、メディスンさん、若葉マークさんのような論客の前では恥をさらすだけ
だよ、冷静に書込みしてる人が残る、それだけでしょう。
と、スレッドを汚してる事に気が付いた、ROMに戻ろうっと


363 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 11:10
昼行燈さんも・・・(失敬)


364 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:14
第7の外道さん<

こんにちは。お体の具合が悪いとうかがいましたが、元気でやりましょうね。

あれは、過去に捉えかたとして言ったのだから、論理構成としてとってもらっても、
困るんです。そういう反論は予測していましたけれど。

> 255でのZEGAさんの問題提起(「脱神話的解釈」としてとらえようという立場)は
>確かに非常に重要なものなのですが、まずは『歴史的釈尊が法華経を説いたのかかどうか』、
>というところを論点。

というのなら、私の答えは「どっちでもいいよ」になってしまいますが、
関連する本の拾い読みによると、大乗非仏説が有力であるので、それを取ります。

ただ、歴史的釈迦が、法華経にあるような心と行動があったであろうことは、
推測可能であるし、そうであるならば、釈迦が法華経を説いたのだとしてもあながち
嘘とはいえないのではないかとおもいます。

   ・・・・・・・・・・・・

こちらは別です。

(宗門が聖教新聞社などに裁判に訴えないことについての反証)

では、なぜ宗門はシアトルで裁判など起したのでしょうか?
勝てると踏んだからではないでしょうか?
結果は日本の裁判で負けたのではなかったでしょうか。

(学会の世帯数についての反証)

学会は70年しか歴史がありません、ここ40年で10倍を超えています。
他の宗教でこれだけの発展をしつつある宗教団体が他にあるでしょうか。



365 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:16
亀仙人さん< 投稿日: 2000/06/26(月) 18:17

>>なぜ、学会員だけが問題視されるのでしょうか?それが不思議でなりません。

>学会員だけが問題視されてると思うアナタは視野が狭いという事でございますな。

意味を履き違えないでくださいませ。

怒りや憎しみについて、だれしもそういう感情があるのに、
学会員だけがそういう感情を持つことに、なにか問題があるという論調が不思議だと申し上げました。

>多くの人々により問題視されてるくらいおぬしも気づいてはいるだろう?

多くの誤解や無理解もかなりあると思われます。宗教に対する偏見も間々見受けられます。
それを学会全体が悪いように言うのは、おかしいのではないかと思っています。

確かにいろいろな面でご指摘があり、行き過ぎが昂じて、いろいろな場所で問題を起すことも
あるなどして、いろいろと言われるのは、いたしかたがないことであろうとは思いますが、
そういうことは本来、当事者が話し合えばよいことで、周りで騒ぐこととは思いません。
いまだに、「香典は学会が持ってゆく」なんて噂があることが、信じられません。

オームにしろ、あの追求の仕方は行き過ぎのような気がします。
まるで一般信者まで犯罪者扱いではないでしょうか。
犯罪であれば犯罪として取り締まれば良いことだと思っています。


366 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:18
文底さん<

>Nさんは以前から、私のカキコにも色々な御意見を述べて頂いており、Nさんの熱い思いは文
>面から伝わって来ております。(ありがとうございます)

いえいえ、そんなかしこまって頂かなくとも良いですよ。
稚拙な文章であるのに想いを感じられて頂いただけでもありがたいことです。

>私もSGさんとの論議の推移において、若干の思い違いもありましたのでNo319のレスは
>良く考えてからお答え致します。

7がつから、インターネットに入れないかもしれませんが、
皆さんの書き込みを見るところ、だいぶ整理もついている様ですので、
特に思い残しはありません。それぞれ時が来れば解決する問題だと思っています。


367 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:19
(門底さんの意見より)

>しかし、日蓮仏法の本質的教義の特質性なのかも知れませんが「独善的」「排他的」「唯一的」
>な姿勢は、私を「懐疑的」「検証的」な行動に動かせる動機付けにもなっているのです。
>私のような俗に言う「二乗の人間」を納得し得るだけの「理論的」克つ「具体的」な例証を、
>他の色々な御立場の方々から数々伺う事により、自分自身の無意識下に巣食っている「独善的」
>「排他的」「唯一的」傾向を自分自身の中で再検証できるかが私自身の命題です。

ううむ。私には、仏法が「独善」「排他」「唯一(それだけが優れているといういみ)」
にはぜんぜん見えないのですよ。
仏法に適っていれば、他の経典も生かされてくるということであって、
他が取りたててまずいという訳じゃない。

「法華経が幹ならば、他経は枝葉。」(本迹、権実相対)
これならば、枝葉だけでもだめだし、幹だけでも木とは認めらない。
さらに木の下には根がある。その根とは仏法。
「根からみれば、幹も枝葉も似たような物。」(種脱相対)
根なくして木なし(余経も詮無し)じゃないかな?

>一番大切な事は、私のような第三者があれこれ推論するよりも、
>創価学会の内部の方々によって
>功罪の「罪」の部分に対し謙虚に「検証される事」だと思います。

これは言えますね。
悪いところはどんどん言って下さいませ。
ただし噂や想像によらずに。と言いたい今日このごろです。


368 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:20
(赤がらすさんの意見) 投稿日: 2000/06/26(月) 20:24

> 揺るぎない部分もあります。唱題した後の爽快感・充実感・高揚感は口では言い表せま
>せん。あえて言うなら「音楽」に近いと思います。誰も優れた音楽を言葉で言い尽くす事

同意。


369 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:23
ひゃっきまるさん<投稿日: 2000/06/26(月) 20:56

>お返事ありがとうございます。今度は明確に答えて頂いて、満足しています。

そうでしたか。それはよかった。
貴方の誤解が解けると良いのですが。


370 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:28
第7の外道さんの意見について

>日本の神もまた法華経を聞いて釈尊の弟子になっていた、と考
>えなければ『立正安国論』の思想はそもそも成り立たないと思います。

その前提は正しいとおもう。
ここでの釈尊の意味は、「法華本門の釈尊」という意味でよいですね。
たしか、釈迦には6通りの意味があるそうで、これを立て分けないと混乱します。

>仮の姿で無い、森羅万象の千変万化の本質を説き明かしたものが法華経である

>法華経のどこに、「森羅万象の千変万化の本質」が解き明かされているのですか? 「
>方便品」ですか? 「十如是」ならクマラジーヴァが「付加」したところですね。しか
>しそれ以外にどこかありますか?

十界互具、十如是、三世間が、法華経にありますよ。

>これは脱線ですが、『観心本尊抄』で日蓮は仏像を拝むことの意義について肯定的に考察して
>います。「十界互具」の思想が仏像にも仏性があることを肯定させているようです。

草木成仏って奴ですか?


371 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:29
(SGさんとの違和感についての私見)
そりゃ人格もちがうし生活環境も違うだろうし、対話をしている相手も違うし、
違和感があって当然だと思います。
私が感心するのは、SGさんの示す内容に正確性がみられることです。
わたしはアバウト。何せ手元に資料が無いから、ある意味記憶に頼らざるをえない。
また比喩的表現も多い。だから、学会の見解とは若干ニュアンスが異なるかも知れない。
それから、問題にしている焦点もSGさんとはすこし異なっています。


372 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 12:36
十界互具ね。

経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云。地獄界所具の仏界なり。
経に云く「一を藍婆と名け、乃至、汝等但能く法華の名を護持する者は福量るべからず」等云云。是れ餓鬼界所具の十界なり。
経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云。此れ畜生界所具の十界なり。
経に云く「婆稚阿修羅王、乃至一偈一句を聞て阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云。修羅界所具の十界なり。
経に云く「若し人仏の為の故に、乃至皆已に仏道を成ず」等云云。此れ人界所具の十界なり。
経に云く「大梵天王、乃至我等も亦是くの如く、必ず当に作仏することを得べし」等云云。此れ天界所具の十界なり。
経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云。此れ声聞界所具の十界なり。
経に云く「其の縁覚を求むる者比丘比丘尼、乃至合掌を以て敬心し具足の道を聞かんと欲す」等云云。此れ即ち縁覚界所具の十界なり。
経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云。此れ即ち菩薩所具の十界なり。
経に云く「或説己身 或説他身」等云云。即ち仏界所具の十界なり。


373 名前: 投稿日: 2000/06/27(火) 14:38
第7の外道さん<

>これに関しては他に優先してご返事いただけないでしょうか。

その様に進めて頂いて結構です。

>317「本当の意味で信仰を理解しようとしたら、一度信仰するものの立場でものを見ないと
理解など出来る分けない。」他

>317は一部を除いて到底受け入れがたい内容と私には思われますが、失礼ながら、このレスは
>他のNさんのものと比しても、かなり感情的になっておられるような印象を与えられます(それゆ
>え、Nさんの根本姿勢のようなものもうかがえるようにも感じられますが・・・)。

あまり人を詮索するような態度はしない方が良いかと。
美味しいりんごを食べたとして、それを他人にどうやって説明するのか。
一度そういう立場でものを見ないと理解は出来ないでしょう。ということですよ。
どっちも大事という貴方の論はわかります。どちらが根っこかという物の見方を示した物です。
理解できませんでしたでしょうか。ひゃっきまるさんへの返答の中に、「根と木」の関係の
例でも述べました。
また、仏法といっても生活が基本です。
本人が幸せになる。世の中が良くなってゆく。そういう基本的なことを感じ取って頂けたら
とおもい、あのように書いてみましたが。

>このこと自体は否定しません。ただそれと「その正当性」とは別だということを申し上げ
>ています。このことの例として、ワイマール時代のドイツにおけるナチスの躍進をあげておき
>ます。詳しい説明をお求めならばいたします。

学会がナチスと同じであるとおっしゃるのでしょうか。
現代人ならばナチスの愚かさぐらい、細かいことを言わずともみな知っているでしょう。
学会員は馬鹿でその様な行為がおろかだと言うことがわからないと
おっしゃっているみたいに聞こえます。

>なぜ、「南無妙法蓮華経」に重きを置くか、
>というのと、なぜ「南無妙法蓮華経」という言葉でなくてはならないか、
>は別々の問題。

>「南無妙法蓮華経」に関わりますが、
>私はNさんの「たたき台」(165)の書き方に従って話をすすめたつもりです。
それは、演繹的捉えかたを示したに過ぎませんので、理解されているようでしたから
とくに言及しませんでした。

>常識的に見れば、これは 「なぜ「南無妙法蓮華経」という言葉でなくてはな
>らないか」という問いを引き起こすと思いますよ。

それについては、貴方の疑問に代問されたひゃっきまるさんへのレスを参考にして下さい。

>ただ、「たたき台」についての私の問(178〜182)には答えていただきたいとは思います

いえ、貴方が演繹的捉えかたを十分承知していらっしゃるのでしたら、
私はとくにその事にはこだわりません。

>「なぜ、「南無妙法蓮華経」に重きを置くか」のほうから先に論じたい、という提
>案を新規になさる、ということでしたら、それはそれで結構です。ただ本格的な議論に入る前に、
>「議論の一本化」の提案にのっていただけたら、と思います。

先の発言の意味は、私の発言をごっちゃにして捉えていたようなので、分別しただけです。
私がそうしたいとかいうことではなく、「別の問題ですよ」。といったのです。
慌てないで下さいまし。


374 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:05

Nさん

連日の熱い書き込み、大変御苦労様です。
私はNさんに対し、具体的にレスを付けると他と方とのレスと重複して、一層このスレが混沌としてしまいそうでしたので、Nさんに対して直接的な内容のレスを付る事を御遠慮させて頂いておりましたが
>7がつから、インターネットに入れないかもしれませんが、皆さんの書き込みを見るところ、だいぶ整理もついている様ですので、特に思い残しはありません。

Nさんが間もなくお書き込み出来ないかも知れないと伺い、私自身、Nさんに今まで感じていた事を、述べさせて頂きます。(不適切な発言などあるかも知れませんがお許しください。)

NさんはNさん自身の論法を持ってレスを付けられていらっしゃるかも分かりませんが、Nさんが正にされている事は、ある部分の意図的曲解であると危惧せざる得ません。

確かに問題定義など交錯して、論議の推移が混沌としているのは分かりますが、Nさんはその論議の混沌さに付けこみ、その問題定義の本質を一層混沌とさせております。

その懐疑的理由は下記の論議の推移から印象付けられました。
申し訳ありませんが、これから申し述べる質問に対し、Nさん自身自分の言葉を持って御説明ください。

続きます。



375 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:06

No93から貴方はNさんと名乗り、私(文底さん)に対し、対話を求められました。
しかし、

>疑いに明け暮れ、心貧しいという一種の偏見がある。

問1
この文はNo87の第7の外道さんのご発言ではないのですか?

問2
何故、私に対話を求めながら、No87の第7の外道の引用文を使われるのですか?
これは第7の外道さんにレスすべき内容でしょう。

問3
なぜ、この様な他人の発言を、私へのレスへ引用されたのですか?

続きます。



376 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:06

No110において私は貴方のお気持ちを理解し

>>それでは、Nさんの現在のお立場(活動家としての学会員・懐疑的学会員・アンチ学会派・日蓮正宗系信者・その他の宗教者・無信仰の客観的第三者など)を明確に定義付けて下さい。

と具体的な貴方のお立場を御伺いしているにも限らず、貴方は私に対し一度もそのスタンスを明かす事無く、その後も延々と私の論議に横レスを入れていらっしゃいます。
No166、167で今一度Nさんに貴方のお立場を私は再確認していますが、貴方はNo209にて

>>お気持ちは了解いたしました。

との一部分のみにて「ありがとうございます」とNo110 No166、167のレスを付けたかのように書いてありますが「貴方のお立場」は現在に至るまで、明確にお答えになっていません。

問4
「貴方のお立場」を明かせないような、何か意図するところがあったのですか?

問5
私の問題提起に対し無視を続け、その間、ずっと横レスを入れ続ける、貴方の姿は貴方自身どう思われますか?

続きます。



377 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:07

No219のひゃっきまるさんの

>まだ議論にはいるための確認作業が終わっておりませんので(中略)もう少しお待ち願えませんか。
>一度議論が始まってしまうと、全体を概観することが難しくなると思われるので。

の問い掛けに対し、私はNo223にて「ZEGAさんに対する件、了解致しました」と、論議の推移を乱さないように答えております。
しかし、NさんはNo220にて明確に「Nさん、SGさん(その他の創価学会員の皆さん) 」と固有名詞を挙げ

>文献や学者の意見など、宗教の正邪には関係ない、客観的立場からは知り得ない、とのお考えをお持ちでもかまいません。(中略)この議題を終えた後、それを議題としましょう。

と問題提起しているのにも関わらず、No225からNo229までのレスは、No220のひゃっきまるさんの問い掛けは全く無視して、論議していらっしゃいます。

問6
なぜNさんはNo225からNo229までのレスで、ひゃっきまるさんの問い掛けに対し無視をされたのですか?

問7
このNo225からNo229までのレスが論議の推移を一層、混沌とされた責任とはお感じになりませんか?

続きます。



378 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:08

No339にてZEGAさんが
>ALL
>僕に質問やコメントを下さった各々の皆さん、真に申し訳無いのですが、もう一度論点を整理していただけないでしょうか?

No355にて第7の外道さんが
>Nさん
>長大なレスどうもです。お待ちしていました。上でも書きましたが、「南無妙法蓮華経」についての議論は、ZEGAさんやひゃっきまるさんたちとの議論へと一本化していきませんか?

など論議の整理を何度となく呼び掛けていらっしゃいますが、その後のNさんのレスは上記の問題提起に対して明確なご返答がありません。

問8
何か論点を整理する事によりNさんが困る事でもあるのですか?

問9
困る事があるならその事情を、無いなら何故、上記の問題提起を無視した理由をお聞かせ下さい。

質問はこれ位にしておきます。

最後に



379 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:09

Nさんが述べれらた個々の事象は確かに、ある意味、その時々の論議の流れにおいては、その時々のレスともなり得るでしょう。
しかし、Nさんのように、Nさんと関係の無い、夫々の立場の方同士の論議の最中、余りにも横レスを入れすぎると当事者の方がその横レスに答えようとする余りに、本当に最初に問題定義し、確認しなければならなかった論旨が見えなくなってしまいます。
Nさんはとりあえず、Nさん自身に向けて「他の方がNさんに問題提起された事のみ」をまず、全てお答えになってから、その後、気になる論議の事象において、横レスを入れられる事を望みます。

>皆さんの書き込みを見るところ、だいぶ整理もついている様ですので、特に思い残しはありません。

Nさんの発言にて「皆さん整理が付く」どころか、Nさんの発言の一貫性が曖昧なため、このままでは、皆さん、Nさんに対して、何の疑問点も片付かないままの「不毛の論議」になる事を危惧しています。
Nさんにとっては論点の曖昧なまま、述べたい事を好む場所で御自由に仰って「思い残しはありません。」となるのでしょうが、皆さんが問題定義している根本的命題に、Nさんは全てお答えしていらっしゃらないと思います。(その内容は過去レスから良くお汲み取りください)

不遜な意見だとお感じになるかも分かりませんが、あくまで私見として述べさせて頂きました。

以上です。
  


380 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 17:45
SGさん

>ところで、なぜかなくなってしまったようですが、被告池田大作スレッドNo195での、最後の三障四魔についての部分、文底さんに反論がありましたら・・

「なぜかなくなってしまった」のではなく、No235に

>>SGさんが述べられた「三障四魔」に対する反証は、SGさんが此処までの反証された後、後日致します。(お望みであれば)

と私が書いてあるにも関わらず、SGさんが「望まれなかった」から書き込まなかったのです。

>よろしければ簡潔におきかせください。

簡潔で良ければ簡単にします。私は「被告池田大作スレッド」のNo189で

>>(創価学会)は、絶対的幸福(仏界)を具現する、唯一無二の団体であるとの認識を持っておりますが、先ず、それを前提とした上でのご質問をさせて頂きます。(この前提が違っていたら仰ってください)

と確認させていただきその定義付けに対する反証が無かったので「被告池田大作スレッド」のNo194で

>>私のような第三者にも理解できるような「具体的事象」(この場合、創価学会が唯一無二の団体と結論付ているので、他の宗教団体では絶対ありえない事象)

と問題提起させて頂きましたが、SGさんが反証された「具体的事象」は

*「他の宗教団体では絶対ありえない事象」ではありません。

以上です(詳細がお望みであれば、又申し述べて下さい)


381 名前: SG 投稿日: 2000/06/27(火) 18:50
文底さん

なぜかなくなってしまった、といったのは「被告池田大作スレッド」のことです。
一時期いくら探してもみあたりませんでした。そして今はみつかってます。
誤解をあたえて、失礼いたしました。
私が希望しなければ、貴殿の反論に続きがないことは、もとよりわかっておりました。

以下内容に入りますが、

>*「他の宗教団体では絶対ありえない事象」ではありません。

そうですか、これは一応承りました。

>(創価学会)は、絶対的幸福(仏界)を具現する、唯一無二の団体であるとの認識を持っておりますが

こういう認識をもっているということは、ふつうに考えて貴殿は学会に入っていていいはずです。
なぜならふつうに考えて、人はだれでも幸福を求めるものだとおもうからです。
(それとも、貴殿は違うのでしょうか? その場合はまたご指摘ください)
しかし、入会していないということは、つまりここでいう「認識」を検証するために、貴殿はここで議論や思索をしている。
そして、そのための具体的かつ客観的な事実を貴殿は求めている、と考えていいのでしょうか?

以上また質問になってしまいました。





382 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/27(火) 19:12
 かなりスレッドが込み入ってしまっているので、全体を読み直してみて、後ほど整理した形で、「放置されている議題」「現在進行している議題」を提示しようと思っています。
 ただ、同じスレッドで行うにはかなり無理が来ている気もします。僕としては新規にスレッドを立てた方がよいのでは?、と感じています。

 早急にレスすべきものだけレスしておきます。

>文底さん、Nさん
>問6
>なぜNさんはNo225からNo229までのレスで、ひゃっきまるさんの問い掛けに対し無視をされたのですか?
>問7
>このNo225からNo229までのレスが論議の推移を一層、混沌とされた責任とはお感じになりませんか? (377)

 220にての、僕のNさんへの問いかけは、僕とZEGAさんとの議論にNさんも加わっていただけませんか?、という程度のものですので、225〜229のNさんのレスは220を無視したわけではないと僕は思っています。

 ただ、それはそれとして、Nさんは、

1・問われたことに対して、別のことをもって答える(結果的にどんどん論点を増やすことになる)
2・横レスが多い

という二点において、確かにスレッドを混乱させているところが見受けられます。
 といっても、僕はあまりNさんを責めるつもりにはなれません。1は、おそらくNさんは無自覚のものであると思うし、2は、愛する創価学会の事を中傷されて、何か言わずにはいられない、という気持ちがさせたものでしょうから。

 7月からネットができなくなるかも、との事ですが、復帰しましたらぜひお立ち寄りください。このスレッドでの議論がNさんにとって、幾漠かの糧になりましたら幸いです。(反創価学会にしてもいろいろいるんだなあ、という程度の感想は持ってもらえましたか?)


383 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/27(火) 20:10
愚乱破さん、こんにちは。
僕のような、横レスを重く受けとめていただいて、感謝していま
す。
僕は、創価学会員でも日蓮系仏教の信者でもありません。しかし、
親戚には創価学会員さんが何人かいます。昔、強烈な折伏に会っ
たことがあります。御書をもっています。また聖教新聞も数ヶ月
ではありますが、読んだことはあります。また、好例の投票依頼
(?)も毎度のようにお見舞いされています。そんなわけで、入
ってはいませんが、信仰者が「各信者の体験談」と「御書」をど
う折り合いをつけているのかが興味があり、時々ここを覗いてい
るのです。

個人的には、
地獄の苦しみを味わう者が南無妙法蓮華経を唱えて、人生を
開いていく事実に感動しつつも、法華経が最高という論理に
はなかなか至らないのです。何故なら、他の理論や信仰方法
にも信者の信仰体験レベルでは「今日の発心(だったかな)」
と同様の体験をしている人は身近にいたからです。




384 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/27(火) 21:13
>Nさん
 382を一部訂正して、お詫びいたします。
 よく考えてみれば、横レスすること自体は別に悪いことではないことに気がつきました。(382のレスで他の方も横レスすることを恐れるようになってしまったらまずいと思いまして)
 ただ、横レスするにしても、やはり「違うことをもって答える」傾向があるようなので、そこは今後ともご注意なさったほうがよいのではないかと思います(といっても、おそらく、注意する、しないの問題ではないのかもしれません)。
 傲慢な言い方になってしまい申し訳ないのですが、相手の問うていることは何か、ということを、ちょっと時間をおいて考えてみるだけでも大分違うと思いますよ。以前にも申しましたが、対話というのは、自分の考えを主張する前に、相手の考えを理解することだと僕は考えています。

 しかし、根本的な原因としては、このスレッドでの話題が広すぎてしまっている、ということだと思います。


385 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/27(火) 22:52
>皆さん
・以下、このスレッドで進行中の議題です。なお、どの議題もはじめの方は横レスのような形ではじまっているので、一番はじめのカキコまで突き止めていません。かなり急いでまとめたので、間違いが多いと思われますが、ご容赦下さい。(HNは略して記します。題名は僕が勝手につけました。話題が多肢に渡る場合はあまり当てはまらないかもしれません)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1・Nさんと第7の外道さん、文底さん・・・『泳ぎのたとえ、なぜ南無妙法蓮華経か?』
84.85(外)、62(N)、87.(外)、93.94(N)、95(通りすがりさん)、96(N)、98(N)、107(通)、108(N)、110(文)、132(N)、140〜142(外)、150(N)、157〜161(外)、
165(N)、172(N)、178〜182(外)、261(外道さんから赤がらすさんへのレス)、270(N)、272(外)、282.283(ひゃっきまる)、300(外)、317(N)、326(N)、333.334(N)、355.356(外)、364(N)、373(N)、

2・Nさんと私(ひゃっきまる)・・・『創価学会は憎しみを肯定しているのか』
62(N)、83(ひ)、133(N)、139(ひ)、147.148(N)、168〜171(ひ)、208(N)、210.211(ひ)、226〜229(N)、246(ZEGAさん)、266(N)、268(N)、280.281(ひ)、331(N)、333(N)、369(N)、

3・ZEGAさんと私(ひゃっきまる)・・・『創価学会は組織として正常か、創価大学は正常か』
113(Z)、122(ひ)、144.145(Z)、162(ひ)、164(ひ)、185〜187(Z)、186(Z)、189(アルフさん)、191(ひ)、

4・ZEGAさんと私(ひゃっきまる)+第7の外道さん、文底さん、・・・『創価学会の教義の文証的証明』
90(ひ)、113(Z)、122(ひ)、143(Z)、146(Z)、162(ひ)、184(Z)、190(ひ)、195〜197(第7の外道さん)、202(文底さん)、218.219(ひ)、221(Z)、222(ひ)、245(Z)、248(外)、249(ひ)、255(Z)、278(ひ)、347(ひ)、353(外)、

5・昼行燈さん、第7の外道さんとZEGAさん・・・『日蓮は脱神話的解釈をしたか?』
287〜290(昼)、291.292(Z)、293.295〜297(昼)、301.302(外)、306(外)、321(外)、327(Nさん)、336〜338(Z)、347(ひ)、348〜351(外)、353(外)、364(N)、370(N)、372(N)、

6・赤がらすさん、愚乱破さんと第7の外道さん・・・『1に対しての感想』
253(赤)、261(外)、262(愚)、346(赤)、357(外)、368(N)、

7・SGさんと文底さん・・・『宗門と学会のどちらが裁判で勝っているか/信徒数が正しさの根拠になるか』
231〜235(文)、236(Nさん)、263(文)、264(S)、265(愚乱破さん)、269(N)、274(第7の外道さん)、275(S)、284.285(文)、316(S)、320(N)、342(文)、344(S)、355(外)、364(N)、380(文)、

8・愚乱破さんと、通りすがりさん、私(ひゃっきまる)・・・『何のために議論しているのか』
328(愚)、330(通)、332(通)、347(ひ)、354(愚)、

9・ZEGAさん、Nさん、と通りすがりさん・・・『やってみないと解らない、について』
323(通)、325(N)、335(Z)、341(通)、

10・亀仙人さんとNさん・・・『なぜ学会員だけが問題視されるのか』
340(亀)、365(N)、

11・その他
324(Nさん>外道さん/折伏は悪徳セールスか)、367(Nさん>文底さん/学会は独善的か)、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


386 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/27(火) 22:58
>皆さん(続き)
 4、5は一応区別させてもらいました(4での確認作業が中断中のため)。それぞれは流れに沿って分類したので、同じカテゴリーでも議題が多数になっているものがあります(長く続いているものは特に)。
 もし、Nさんが今後ネットに来られない、となると、Nさんの進行中の議論(1、2、10、11、)は、一時中断と言うことになります。といっても、もしずっと来れるとしても、ここまで膨大に膨らんでしまった議題を処理するのは、おそらく無理なのではないか、と思います。ZEGAさんとの議論(4)でこのような事態に陥るのは絶対に避けたいので、皆さんの協力をお願いします。
 僕の希望としては、このスレッドでは3、4、5をメインとして進めていきたいと思っています。他の議題で、今後長く続けていきたい、あるいは続きそうだ、というものは新規スレッドを立ててみてはどうかと思うのですが、どうでしょうか?(7、8、9)。6はこのスレッドの目的に沿うものなので、このままでもよいと思います。
 なんだか仕切っているような感じになってしまいましたが、もちろん、第7の外道さん、及び皆さんの意向に従おうと思っていますから、この提案に対するお返事をお待ちします。

>ZEGAさん
 現在保留されている、僕との議論は、3、4の末端から順に見ていけば思い出せると思います。5については、以前提案しましたが、とりあえず凍結しておいて、4の確認作業の続きからはじめたいと思っています。



387 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 23:33

Nさん

ひゃっきまるさんの御発言(ひゃっきまるさん多謝です)によって、多少自分自身反省する点があり、No377、378の問6から問9までは、私とは直接関係のない事象においての私見になっておりましたので、お詫びして撤回させて頂きます。
ただ、問1から問5までは私自身直接関係のある事柄ですので、その点に付きましては、Nさんのお考えを伺わせて頂きたいと思っております。

また、私は横レスそのものを全て否定する立場ではありません。
しかし、一つの論議においてもかなりの洞察力が必要である「宗教問題」を色々な論議と平行して「観想的」私見を述べるのはやはり慎重であらねばならないと考えます。
Nさんの論理的展開が全て的外れであるとは申しません。
しかし、時として、その論議の事象が相手の意図とは、異なる場合があります。

Nさんの本意を理解できず、論議が空転する事象は

続きます。



388 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 23:34

>Nさんは僕から見ると非常に卑怯な態度をとっているように思えます。自分の考えに都合のよい部分だけはレスするけれども、全体を読むということをまるでしていません。(No139)

>Nさんの出された例は(中略)あまりにも適切を欠くのではないですか? (No140)

>Nさんはそちらの方向に対するレスは全くなさらずに、私がその適切さを疑っている「泳ぎ」の比喩を何の裏づけも提示せずそのまま繰り返しておられますね。( No157)

>僕の問題提起に対する、誤解やすれ違いが多いような印象を受けました。今言えることだけ言っておきたいと思います。(No271)

>正直、Nさんの「憎しみ」「悪」に対する説明は、僕の質問に答えているとは思えません。(No280)

>厳しいことを言わせてもらうと、長々と議論してきた中で、Nさんは「肝心なこと」を避けて発言している傾向が見られます。 (No282)

>私はNさんの問にはできるだけ答えてきたつもりですが、私からの問いかけにはまだほとんど解答らしい解答をいただいておりません。(No300)

>私には、Nさんが論題を急に摩り替えたように感じられます。 (No356)

続きます。



389 名前: 文底 投稿日: 2000/06/27(火) 23:34

ざっと挙げてもこれだけの数に上ります。
無論この後、Nさんの本意を相手が理解できた部分もありますが、それを除いても、これらの誤解の量は、かなりの数になると思います。

Nさんにとっては挙げ足取りのように見えるかも知れませんが、少なくとも、Nさんの問題定義に対してひゃっきまるさんと第7の外道さんは、精一杯誠実にお答えになっていらっしゃいます。
Nさんも他の方の、色々な論議は無論気になるでしょうし、それに付いての横レスも全く否とする訳ではありません。
しかし、少なくとも、ひゃっきまるさんと第7の外道さんが御納得されるまで、私はNさんの本質的問題定義にはレスを控えさせていただきます。

そして、

>皆さんの書き込みを見るところ、だいぶ整理もついている様ですので・・・

との一文は如何しても承服しかねます。

ひゃきまるさんのNo385をもう一度再考され、以上の点を今一度御検討ください。
宜しくお願い致します。



390 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/27(火) 23:50
>Nさん(331)
 もうネットに来られないかもしれないとのことで、返事をしてもらえるかどうか解らないのですが、一応レスをつけます。

>>1・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもっていますか?
>その人や宗門そのものにはない。
>法主の行状、反逆者の陰謀には怒りを憶えることもあります。

 Nさんにとっては、「行為」と「行為者」の区別が明確についていて、行為の方に怒りを感じるのですね? 少なくともNさんがそうであることに安堵します。

>2・Nさんは、創価学会の会員のうちの何割が、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもっていると思いますか?
>ごくわずかでしょう。1%にも満たないのでは。
>大抵のひとは、「馬鹿なことをしてるな。」「よせばいいのに」ぐらいにしか思っていないでしょう。

 1%かどうかは分かりませんが、僕も「わずか」、少なくとも大多数ではないのではないか、と考えています。

 しかし、3〜4に関してはかなり僕と感じ方が違うと感じます。

>ただし、学会がそのように仕向けているのではないかというのでしたら、誤解です。同時中継、聖教新聞他は、かなり堅実な「事実」に基づいて発表されています。
>それを個人がどう思うかは人なりに異なるものと思います。それをご覧になった貴方が、憎しみの感情を煽り立てていると捉えてしまうのでしたらば、それは誤解です。

僕の考えはズバリ、「学会がそのように仕向けている」というものです。学会側は、事実を報道するだけでなく、明確に意図的な情報操作、感情操作をしている節があります。

>>6・Nさんは、宗門や学会反逆者に対し、憎しみ、蔑みの感情をもつことは、彼らに対する慈悲の行動であると思いますか?
>思いません。宗教的、あるいは社会的規範に照らし合わせて、間違っている、おかしいじゃないか、と言い続けることが慈悲の行動だと思います。学会の基本的スタンスはそれです。

 上記と重なる内容ですが、学会側は、まずもって、「おかしいという事実だけを主張する」というスタンスをとっていません。《もし》学会側のスタンスに、「憎しみ、蔑み」の要素があれば、5の問いで、「憎しみだろうが、正義の怒りだろうが、感情だけでそのまま改心する理由にはならないだろうと思います。」と答えてらっしゃるので、学会の行動が慈悲の行動でないことを、Nさんは認めますね?(あくまでも《もし》です)

 3〜4に関しては、僕の認識とかなり違っています。僕とNさんの見ているものが違うという可能性も否定できないので、聖教新聞などの読み合わせをすれば、なぜ両者でこんなに視点が違うのか分かると思うのですが、今後Nさんが来られないとすればそれもできないですね・・・。ここで新聞の内容を列挙してもいいのですが、それだと他のスレッドのあらしと同レベルになってしまうことを危惧するのでやりません。

 最後に質問させて頂きます。Nさんは、創価学会員と、創価学会員でない人、または反創価学会の人、の事実認識に違いがあることの原因は、何だと思いますか?

以上です。返事お待ちしています。


391 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/28(水) 00:44
>ZEGAさん(335)

>>ある人間の暴言に対して思ったこと・・・
>>「やってみないと解らない」
> >としか言いようのないものならば、掲示板で書き込む意味などはない。
> ……?これ、本気で言ってます?だとしたら吃驚です。
>先の言葉はそっくりそのまま僕の使った言葉ですし、あまりに多く使われる言
>葉でもあります。それは、そのことが本当だからです。

 この議題に対して言及するのは、(スレッドを混乱させないために)はばかれるのですが、この極めて重要な問題は新規にスレッドを立てるだけの価値のある問題提起であります。それを示すためにも、あえて横レスさせていただきます。

 「やってみないと分からない」というのは、創価学会(または他宗教でも)の葵の御紋のごとく使われていて、しかもこれは究極的なグローバルセオリー(何でもこれで説明できてしまう)です。しかし、この主張には決定的な欠陥がある、と思っています。

 まず、「何が解るのか」が問題となりますが、大きく分けて、

1・信仰に力のあることが解る(功徳を体験する)
2・この信仰が唯一であることが解る
となるでしょう。ここで注意しなければならないのは、1と2は、《絶対に》直結しないと言うことです。それを説明します。

 まず第一に、《これを主張するのは創価学会だけではない》ということです。キリスト教も主張するし、オウム真理教だって主張するし、法の華だって主張するでしょう。そして、それぞれで、1と2に対して「確信」を持つのです。これは何を意味しているのでしょう? もし2が正しい方法で導き出されるのであれば、諸宗教のうち、ただ一つがこれを達成できるはずで、他の宗教は、「やってみた結果、この信仰は誤りであることが解った」となるはずです。しかし実際にはそうなりません。
 これは単純に考えて、「こういったことを主張する宗教は、入信することによって、その宗教が唯一であることを、間違った方法によって思いこまされる(いわゆる洗脳ということです)」といえるでしょう。
 べつにこれは宗教に限ったことではありません。ZEGAさんがパソコンをはじめて買おうというとき、ウィンドウズフリークの人と、マックフリークの人と、両方の友達がいたとして、両者に説得されている、という状況を思い浮かべれば、充分僕の言った意味が分かるはずです。
 「他の宗教はそうかもしれないけど、創価学会は違う」といわれるかもしれませんが、それを証明するためには、「やってみる」以外の方法によらなければならない、ということは御理解頂けると思います。



392 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/28(水) 00:49
>ZEGAさん(続き)
 第二に、「やってみないと解らない」という主張そのものによって、まさに他宗を批判することが絶対に不可能になるのです。なぜなら、他宗も「やってみないと解らない」からです。これは、宗教でなくとも、(以前第7の外道さんが挙げていましたが)「共産主義」や、「無宗教主義者」にも同じことが言えます。
 しかしZEGAさんはこう言うかもしれません。
「自分は昔、無宗教主義者だったが、創価学会の方が優れた生き方であると判断している」
 つまり、無宗教主義を体験しているから、少なくともそれだけは批判できる、ということですが、実はその論法も無理です。それに対して、僕は全く同じやり方でZEGAさんに反論できます。
「自分は昔、創価学会だったが、無宗教主義者の方が優れた生き方であると判断している」(これはあくまで説明のための例えですので)
 しかし、ZEGAさんはこういうでしょう。「それは本気で信仰していなかったからだ」
 それに対して、僕はこう言い返せます。「ZEGAさんは、仏教に対する検証を怠っていたのだろう」
 実際、キリスト教から創価学会に改宗した人もいれば、創価学会からキリスト教に改宗した人もいます(僕の友達なので間違いありません)。

 念を押しますが、僕は1を主張するぶんには「やってみなければ解らない」はいいだろうと思いますが、それで2を主張することは絶対にできないのです。

 ここからは私見であり、推測です。僕は、1の効果を挙げるためには、2を信じ込む、という過程が絶対に必要であると思っています(少なくとも創価学会の場合は。教義の根幹ですから)。論理的には絶対に2を主張できない筈なのに、学会員がこれを主張するのは、このためであると思います。であるとすれば、1と2は極めて複雑な関係にあるといえそうです。

 とりあえず今日は疲れたので、ここまでにしておきます。


393 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/28(水) 01:20
>愚乱破さん

>・貴方「ご自身」が理想の宗教を求めているということでよろしいですか?

 多少ニュアンスが違います。これは宗教の定義というものからからんでくるので、ひとくちで説明するのは難しいです。

>・模索中とのことですが、およそどのような性質・特徴を求めておられますか?
>・それは「既成宗教の中には無い」とお考えのように思われるのですが、どのようにしたら、そのような宗教が求められるとお考えですか?
>・また、既に創価学会に対する評価を決定しておられるようですが、なお、議論を重ねる意図はなんでしょうか?
   (議論することに反対しているわけではありませんが・・・)

 これらについても長くなるので、ひとまず待ってもらえますか。

>・「創価学会のような性質・特徴」とはどのようなことを指しておられますか?
   (ここで色々批判・評価されていますが、それら全てだということですか?)

 ()について。愚乱破さんがどこまでスレッドを読み込んでいるのか解らないし、もしかしたら他のスレッドの発言も合わせて考えてみなければわからないのですが、概ねそのように受け取ってもらって結構です。

 過去ログ(旧「日蓮って」)と、
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372&ls=50

僕が2chに来たときにはじめて立てたスレッド「学会二世なのですが、脱会しようか揺れています」と、
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=953930492&ls=50

ある程度論議したスレッド「他の宗教は邪教だそうですが、具体的にどんなところが邪教なんですか?」というスレッド
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=956552406&ls=50

の三つを読んでもらえれば、愚乱破さんの全ての質問のお答えになると思います(でも大変ですよね;) 今は、多少昔の考えとは違っているのですが、大きくは変わってないと思います。


394 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/28(水) 07:46
>ひゃっきまるさん
>391.392

そうですね。それでは別スレッドを立てる事にしましょう。
参加される方も増え、論議が交錯して困惑していたところです。
僕としても以前保留した「態度決定のプロセス」そのものを論議できますし、他の議題とも絡んでくるところなので、お互い大変ですが始める事にしましょう。個人的に非常に語りづらい点を含むので、躊躇していたところでもありますが、腹を割って話すとハラを決めているので、我々だけでなく、全ての方に有益な板にしたいですね。
日蓮仏法に限らず、「〜は正しい!」という主張に説得性を持たせようとするなら、比較検討が必須である事はよくよく承知しています。僕もまた日蓮仏法やその他の多様な事象の模索の途上にある者ですし。

つきましては、391と392は僕向けの発言になっているので、これを一般の方向けに敷衍した文章に直し、新たなスレッドの1番にするのがよいと思うのですが、如何でしょうか?

僕が自分の思想に興味があるように、皆さんの思想にも実に興味があります。
この板を読んでいる方、学会の方もアンチの方も、自分の思想と、その正当性、そしてそれを検証する方途について是非お聞かせ下さい(スレッドが立ってから、ですが)。

今日は読むだけで精一杯だったので、この辺で。




395 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/28(水) 09:15
こんにちは。私も今回は読むのに精一杯だったため、最小限のレスだけします。

まずNさんとの議論の件ですが、

>> 255でのZEGAさんの問題提起(「脱神話的解釈」としてとらえようという立場)は
>>確かに非常に重要なものなのですが、まずは『歴史的釈尊が法華経を説いたのかかどうか』、
>>というところを論点。

>というのなら、私の答えは「どっちでもいいよ」になってしまいますが、
>関連する本の拾い読みによると、大乗非仏説が有力であるので、それを取ります

というご返事をいただいていることもあり、議論の統合という提案にはのっていただいたもの、と受け取らせていただきます。だとすれば、お答えせねばならない&お尋ねしたいこともとりあえず保留させていたたせいて、このスレッドか整理できた段階で、必要があれば再度とりあげさせていただきます。それでよろしいでしょうか?(Nさんがそろそろここには出入りされなくなる、ということが気がかりではありますが・・・)

とりあえず緊急に答えるべき2点のみとりあげると、

>あまり人を詮索するような態度はしない方が良いかと。
>美味しいりんごを食べたとして、それを他人にどうやって説明するのか。

そう詮索したのには私なりの根拠があるわけですが、気持ちを害されたというのであればお詫びします。
ただその後の「りんご」の比喩は、私とNさんの間では「泳ぎ」の件で十分論じたはずです。

>学会がナチスと同じであるとおっしゃるのでしょうか。
>現代人ならばナチスの愚かさぐらい、細かいことを言わずともみな知っているでしょう。
>学会員は馬鹿でその様な行為がおろかだと言うことがわからないと
>おっしゃっているみたいに聞こえます。

私は「数」と「正しさ」とは無関係だ、ということを主張したまでです。Nさんの前提では短期間で恐るべき成長をとげたナチスもまた「正しい」ということになってしまいます。それはNさんにとっても本意ではないはずです。「数」と「正しさ」は切り離して論じるべきです。従って私の発言に「学会員は馬鹿で・・・」という意図は全くありません。そうとられたのであればお詫びするとともに、主旨を汲んでいただけたらと思います。



396 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/28(水) 09:25

ひゃっきまるさん、文底さん
困難な論点の整理、本当にありがとうございます。私も流れをいったん止めて、論点整理し、新規スレッド開設、という方向で動かねばならないという思いが強まっています。今のままでは第三者の方はおろか当事者にさえ、全貌がつかみにくくなってしまっています。ただその際は板を変える、という選択肢も考慮すべきなのかも知れません。とりあえず今はひゃっきまるさんの386の提案に同意する、ということをお伝えしておきます。
私はどちらかというと全体を整理せずにひっかきまわしてばかりいるので・・・大変ご迷惑をおかけしてますm(_ _)m

ZEGAさん
ご提案感謝です。別スレッド化、各人の立場・思想の検証、内容的には大賛成です。しかしその際には板の変更も含めた検討が要りそうに思います。2ちゃんねるなら「心と宗教」もいいかも知れません(最近尋ねてませんが・・・)。
何分にも、今はレスの展開が早くかつ大量になりすぎて、私も結構辛い状態です(自分にも大いに責任があるんですが)。もう少しテンホを落として、じっくり進むような感じにできるといいんですが・・・。




397 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/28(水) 09:31
>ZEGAさん
 ありがとうございます。今は急いでいるので要点だけ。

3・ZEGAさんと私(ひゃっきまる)・・・『創価学会は組織として正常か、創価大学は正常か』

ですが、僕がこないだ立てた、「牧口会長の思想を教えて下さい」スレッドにこの議論を引っ越しさせたいと思っているのですがどうでしょうか?
内容的にも合っていると思いますし、今のところあらしなどもないのでよいのではないかと思います。


398 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/28(水) 12:22
通りすがりさん<
 なかなか厳しい環境のようですね!
 きっと、鍛えられて強い人になりますよ。
 いつか入信されたとき、その強さに加えて、今まで経験したこと
 を活かして周囲の人への暖かい思いやりや気配りができる優しさ
 を兼ね備えたすばらしい人になることでしょう。

ひゃっきまるさん<
 ご紹介のスレッドを全て読ませていただきました。
 まだ、私の中で整理がついていませんが、ひゃっきまるさんのスタ
 ンスはおよそ理解できた気がします。私自身も真剣に考えてみたい
 と思います。
 整理がついたらまた書きこみさせていただきます。


399 名前: 投稿日: 2000/06/28(水) 12:49
こんにちは。

第7の外道さん<
>「りんご」の比喩は、・・・
そうでしたね。ごめんなさい。私の発言が理解されていないように感じてしまいました。
素朴な疑問が解決したのかどうか、
解決の糸口があるのかどうかだけが気になります。それ以外に私の興味は
本質的にはありません。

ひゃっきまるさんへ<
感情だけではだめです、という意味で申し上げました。何らかの行動が
必要、そして、その感情の根底には、本質的な悪への正当な怒りでなくては
ならないという意味で、その捉えかたは誤解です。

文底さんへ<
私は余計な混乱を避けるため、自明のことや、容易に答えがでそうな
もの、話が進展していて誰かが答えを出しているものには答えていなかったようです。
(手前の判断ですが)
過去のログは申し訳ないけれども、毎日削除しています。(メモリ不足のため)

以降は書き込みを控えることにします。



400 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/28(水) 15:32
「やってみないと解らない」について

ひゃっきまるさん、ZEGAさん。レス有り難うございます。
ひゃっきまるさん、392にて僕の言いたいことを論理的に代弁
してくださいました。ありがとうございます。
ZEGAさん、僕のこの間の発言は、あなたの信仰自体を妨害する意図は
まったくありませんので、誤解されたら申し訳ない。
今後議論をする時には、参加できる範囲でレスしますのでよろしく
おねがいします。




401 名前: 文底 投稿日: 2000/06/28(水) 16:28
Nさん

>以降は書き込みを控えることにします。

この思いを誘発させる原因が私の書き込みであったならば、それは、私の本意ではありません。(どうか今一度私の書き込みをご確認ください)
私が述べたかったのは、取り合えずNさんは、現在の、第7の外道さん、ひゃっきまるさんへのレスに専念されて

>私の発言が理解されていないように感じてしまいました。 (第7の外道さんへのレス)
>その捉えかたは誤解です。(ひゃっきまるさんへのレス )

に代表される様な「無理解」「誤解」を粛々と相手の立場を思いやりながらも、Nさんの思う所を述べられて、Nさんの本意を皆に納得させて頂きたかった事です。
Nさんは私が、第7の外道さん、ひゃっきまるさん、と同じスタンスで事象を述べているかのように感じていらっしゃるかも知れませんが「第7の外道さん」「ひゃっきまるさん」「私」は、皆夫々、独自の思想意見をもち、お互いかなり深い所まで「徹底的」に論議した、それぞれ別のスタンスの人間です。

そして、その論議を経て私が感じたのは、第7の外道さん、昼行燈さん、ひゃっきまるさん、若葉マークさん、メディスンさん、ZEGAさんなど、皆、私とは意見の異なる方々であっても「徹底的に論議」する事の推移により、その「真摯的文体」「論議に対する誠実さ」などを通し、お互い「立場は違っても、相手の「気持ちは真摯的に受けとめ」そして、お互い「思想、理念は尊重しよう」との共通認識が確立できた事だと思うのです。(そう思っているのは私だけかも知れませんが・・・・)
私は、Nさんが論議の推移において、やがて「創価学会」に対する偏見などを払拭出来得ればと期待する一人でもありました。
今となっては、それも叶わぬ事かも知れませんが・・・・
何れにせよ、私はNさんが又、議論に御参加下さる事をお待ちしております。


402 名前: 文底 投稿日: 2000/06/28(水) 16:29

SGさん

>>(創価学会)は、絶対的幸福(仏界)を具現する、唯一無二の団体であるとの認識を持っておりますが

>こういう認識をもっているということは、ふつうに考えて貴殿は学会に入っていていいはずです。

仰る通りですね、この様な文体であればその様にも考えられます。

もう一度、前言の表現をご説明します。

*私は、創価学会及びその信者の方々は「絶対的幸福(仏界)を具現する、唯一無二の団体」であると主張される「宗教団体である」との認識を持っております。

これで御理解出来ましたでしょうか?

そして私は「創価学会及びその信者の方々の認識」に対し、

*「唯一無二」と言う点において懐疑的です。

如何でしょう?

それと、
>>もし宜しければ、私自身の反省材料になりますので、SGさんが「Nさんと青年部代表さん」との違和感を感じられている処を申し述べて下さい。 (No345)

のご意見も伺えると嬉しいのですが・・・・


403 名前: 文底 投稿日: 2000/06/28(水) 16:30

ひゃっきまるさん

色々フォローレス頂きありがとうございます。

スレッド新規設立に関しては、Nさんの状況もありますので、少し、時間の猶予があればと思うのですが・・

現在、この板の状況を見ていますと、このスレッド(続・日蓮って)は他の方々から見て「ウザイ」長文のやり取りを「ROM」「一見」「煽り」さん方々から「大目に見て」貰っている感があります。
新規にこの様な「長文」スレッドを乱立すると「他の方々」から顰蹙を買う恐れもありますので・・・


第7の外道さん

お体大丈夫でしょうか?
くれぐれも御無理をなさらない様にして下さい。

>何分にも、今はレスの展開が早くかつ大量になりすぎて、私も結構辛い状態です

私もそう思いますが、これもこのスレッドの成熟の為せる技のような気もします。
色々、論議を分けてしまうと論点は明確になりますが、逆に簡素になり過ぎて「一見さん」「新参者さん」「横レス」などが減ってしまうような気もします。
Nさんのこれからのお気持ちもありますし・・・レスの展開が今後どのようになるかは、若干時間を置いてからの方が良いような気もしますが・・・・
何れにせよ、皆さんの御意見に従います。
SGさんと私の論議も長引いて御迷惑なようであれば新規スレッドを立てます。


404 名前: 赤がらす 投稿日: 2000/06/29(木) 00:14
昼行燈さん(287)>
 はじめまして。仏教に対する広範な知識に感銘しました。私は小乗教=一仏説、大乗教=多仏説くらいの大雑把な認識しかなかったのでためになりました。昼行燈さんは「普遍的な仏」が説かれている経として密教の経典を挙げておられますが、法華経にも同じ思想を見いだすことができます。そしてその思想を体系付けたのが天台大師です。日蓮大聖人は「墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門下と成りぬ」と言われています。つまり真言にパクられた、と。詳細はわかりません。昼行燈さんの方が詳しいかも知れません。私としてはぱくったモノだとはいえ、本物とそっくりだったらどうなんだろう?という疑問は残ります。卑近な例を挙げれば、任天堂の3Dスティックとプレステのアナログコントローラーみたいなものなのか、と。これは保留事項です。
 大聖人は普遍的な仏を否定されているとの事ですが、具体的な文証を挙げていただければ嬉しいのですが。私は真言宗に対しては「真言亡国」くらいの知識しかありません。昼行燈さんの文章を借りて言えば「釈迦とは関係のない仏(=爾前権教の仏)が釈迦(=法華経本門文底の仏)を押しのけている」と、私なら拝するのですが。このあたりに先ほどの「盗作問題」解決の糸口があるとも思っています。
 最後にもうひとつ。私が「精緻な経典の検証に支えられている」と言ったのは、大聖人の足跡を踏まえての事です。大聖人は立宗を宣言されるまでに一切経を精読なさっています。ただ単に「天台は良い!」と言われているわけではありません。すべての経に目を通されて、高低浅深・優劣を見極められた上での結論です。では。
 


405 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/29(木) 01:07
>第7の外道さん
>とりあえず今はひゃっきまるさんの386の提案に同意する、ということをお伝えしておきます。

 ありがとうございます。僕もようやく掲示板の使い方が解ってきたところです(いまさらながらですが(^^))。実を言うとこの「日蓮って」スレッドは非常に居心地がよいので、なるべく分岐させたくはなかったのですが、そうも言ってられないようですね。
 居心地がよい、というのは、第7の外道さんが控えていてくれるので、議論におかしいところがあれば注意してもらえるし、また、豊富な知識によって議論が確かなものになるし、「あらし」がない(外道さんの人徳の故だと思うのですが)ことなどです。(「聖地」とまで捉えられていることには驚きました)
 しかしいつまでも外道さんに迷惑をかけるわけにもいきませんので、なるべく「日蓮」関係以外のものは分岐させようと思っています。そちらもたまにはのぞいてくれると嬉しいです。

>愚乱破さん
>ご紹介のスレッドを全て読ませていただきました

 本当に全部読んでくれたのですか!@@ 大変だったでしょう。ありがとうございます。
 僕も久しぶりに「学会二世なのですが、脱会しようか揺れています」スレッドを読み返してみたのですが、かなり恥ずかしいことを書いてますね。初々しいというか、迷いの心境が中心になって述べられていて、昔と今は随分変わったな、と思いました。言葉遣いも粗雑で、平気で学会員の方に暴言を吐いてましたね。
 僕も愚乱破さんには興味があるので、いずれやりとりしたいです。進行中の議論にはどんどんご参加下さい。

>Nさん(399)
>感情だけではだめです、という意味で申し上げました。何らかの行動が必要、そして、その感情の根底には、本質的な悪への正当な怒りでなくてはならないという意味で、その捉えかたは誤解です。

 もしこれでレスが終わりだとしたら、あまりに言葉が少なすぎると思います。(そのためいろいろな解釈ができてしまい、Nさんの意図が分かりづらい)
 (再度の質問ですが、これだけは答えて頂きたいのです)Nさんは、創価学会員と、創価学会員でない人、または反創価学会の人、の事実認識に違いがあることの原因は、何だと思いますか?

>文底さん
>そして、その論議を経て私が感じたのは、第7の外道さん、昼行燈さん、ひゃっきまるさん、若葉マークさん、メディスンさん、ZEGAさんなど、皆、私とは意見の異なる方々であっても「徹底的に論議」する事の推移により、その「真摯的文体」「論議に対する誠実さ」などを通し、お互い「立場 は違っても、相手の「気持ちは真摯的に受けとめ」そして、お互い「思想、理念は尊重しよう」との共通認識が確立できた事だと思うのです。(そう思っているのは私だけかも知れませんが・・・・)

 僕もそう思っています。立場や考え方が大いに異なる人同士が、しかしお互いを尊重しあい、ここまで建設的に議論を展開していることに大きな満足感と喜びを感じています。それだけに、Nさんが最後まで我々との間に誤解やすれ違いをかかえたままになってしまっていることを残念に思います。

>新規にこの様な「長文」スレッドを乱立すると「他の方々」から顰蹙を買う恐れもありますので・・・

 そうですね。それに、労力から考えても、五つも六つも同時にスレッドを進めるのは大変でしょう。ただ、スレッドを立てるタイミングはかなり重要だと思っています(早いほど良い)。充分な了承を得ていないかもしれませんが、「やってみないと解らない」スレッドは、今はZEGAさんと通りすがりさんだけしか関与していないこともあり、立てさせてもらいます。

>通りすがりさん
 ZEGAさんの了解が得られたので、「やってみないと解らない」スレッドをたてるつもりです。よろしければ参加していただけませんか? この問題はおそらく、思ったよりも込み入った話になると僕は考えています。


406 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/29(木) 01:33
>ZEGAさん、その他の皆さん

『「やってみないと解らない」はおかしい!』
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=962209644&ls=50

を新規に立てました。どしどし意見お寄せ下さい。題名が気にくわないかもしれませんが、学会員の食いつきを良くするためにあえて挑発的な題にしました。気に障ったら申し訳ありません。


407 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/29(木) 01:34

赤がらすさん

お返事を頂き有り難う御座います。本題に入ります。
>普遍的な仏」が説かれている経として密教の経典を挙げておられますが、法華経にも同じ思想を
>見いだすことができます。そしてその思想を体系付けたのが天台大師です。日蓮大聖人は「墓ないか
>な天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門下と成りぬ」
>と言われています。つまり真言にパクられた、と。詳細はわかりません。
さて、何度も法華経を読んでは見たのですが、「法華経にも同じ思想を見いだすことができま」せん。
私の読み落としでしょうか?宜しかったら該当個所を提示して頂けますと幸いです。如来寿量品に於ける
「久遠仏」を指すのでしょうか?だとすると、久遠仏の働きが森羅万象として現れると云う表現が見出せる
とは思うのですが、「法華経」自体には御座いませんね。
智の「一念三千説」は胎蔵界(大日経)に似ているとは思いますが、より唯識に近い思想だと思います。
「一念三千」そのものが、実践としての「止観」の解説として説かれていることからもお解り頂けると思います。

  


408 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/29(木) 02:12

続きです。

>大聖人は普遍的な仏を否定されているとの事ですが、具体的な文証を挙げていただければ嬉しいのです
>が。私は真言宗に対しては「真言亡国」くらいの知識しかありません。昼行燈さんの文章を借りて言えば
>「釈迦とは関係のない仏(=爾前権教の仏)が釈迦(=法華経本門文底の仏)を押しのけている」と、私な
>ら拝するのですが。このあたりに先ほどの「盗作問題」解決の糸口があるとも思っています。
日蓮が「普遍的な仏を否定」していると書いた覚えは無いはずですが・・・・。説明が足りなかったようですので、
もう一度、言葉を換えて書き直します。
「大乗経典を著したその人もまた、ある種のブッダ(覚者)だ」との見解で、真言宗や浄土系の宗派は成立して
います。日蓮はこれに対して次のように書いています。
「華厳宗・真言宗は釈尊を下げて廬舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法主の
 ごとくなるに・つけり、」云々(開目抄・下)
前後の文も、釈迦以外の教説は認めないが如き言葉の羅列です。これは「大乗経典を著したその人もまた、
ある種のブッダ(覚者)だ」との教えに反していると感じませんか?
『「釈迦とは関係のない仏(=爾前権教の仏)が釈迦(=法華経本門文底の仏)を押しのけている」』
とは、天台の教判に基づく日蓮の見解に過ぎません。大乗経典中の「ある種のブッダ(覚者)」は釈迦の名を
【僭称】 しているのですから・・・・。(法華経も同様です)
日蓮が
「天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門下と成りぬ」
と記した言葉は、おそらく一行禅師の「大日経疏」を指しての事と思われますが、果たしてどの箇所が「盗み
取った」箇所なのでしょう?日蓮はその該当個所に当たる文言を揚げていませんね。
逆に、最澄(伝教大師)は空海(弘法大師)に教えを乞う最、何度も「秘密の法門を盗み取る気はありません」
と言い訳しながら「筆受」を願っています。

 


409 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/29(木) 02:23

>最後にもうひとつ。私が「精緻な経典の検証に支えられている」と言ったのは、大聖人の足跡
>を踏まえての事です。大聖人は立宗を宣言されるまでに一切経を精読なさっています。ただ
>単に「天台は良い!」と言われているわけではありません。すべての経に目を通されて、高低
>浅深・優劣を見極められた上での結論です。では。
それも疑問です。
無量寿経や、観無量寿経、等の自分にとって都合の悪い箇所は「目をつぶって」います。
或る意味では、「法華経」中でも具合が悪い箇所には触れていません。
そして、最澄の論を引用しての文にも、曲解が見られます。

 では・・・。

   


410 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/29(木) 02:43
>ひゃっきまるさん、

牧口初代会長のスレッド引越しの件、異義ありません。のんびりやりましょう。

余談ですが、「他の宗教は邪教だそうですが、具体的にどんなところが邪教なんですか?」のスレッド読ませて頂きました。完全に創価と決め付けられて、災難でしたね……。同情せずに居れません。
議論における最強の方法とは、相手の意見に耳を貸さずに自分の主張を声高に叫ぶ事だと聞いた事がありますが、あの板は正しくそうでした。

>第7の外道さん

僕も論を急ぎすぎていると感じているので、ここらで少々ペースダウンすることにします。

>通りすがりさん

いえ、とくに誤解はありません。議論と人格攻撃を混同するようなことはありませんので、ご安心を。
こちらこそよろしくおねがいします。


411 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/29(木) 02:55
「やってみないと解らない」スレッドを覗いてみましたが、早くも短レスや荒らししか書きこまなさそうな雰囲気になっています。
僕としては、創価学会以外の方々の意見も拝聴したいので、宗教や思想について真剣に希求している方の多そうな「心と宗教」の方に立て直した方が有意義かと思うのですが、どうでしょう。
無論、ひゃっきまるさんのご意見によりますが。


412 名前: 投稿日: 2000/06/29(木) 12:23
最終になりそうです。今までありがとうございました。
既に議題が整理されていて進んでいる途中かと思いますが、
割り込みをお許し下さい。

  ・・・・・・・

釈迦も厳しいことを言われていますね。
「おめーのよーなやつは一人で歩け!」・・って、意味違ったかな(^^;)?

多分皆さんの中で、大きな誤解をされている方がいらっしゃると思いますが、
私が、日蓮大聖人やその他、尊称などでよぶのは、そう呼ぶにふさわしいと思っているからで、
学会から、「そう呼べ!」と言われたからではありませんからね。

  ・・・・・・・・

絶対性については、「この信心をすれば幸福になる」という意味において絶対
なのであって、
成仏の方法論については、妥当性、合理性、といった相対的なものを
脱することはないと考えています。あくまでも、より優れているか、どんな人にも通用する
ものなのか、という観点以外からは論じることは無意味と判断します。

・・・・・・

(人数と正当性)

人数だけでは正当性は判断できないって言うことは十分解っております。
ですが、人数も学会が正当性を保っている証拠の一つと言えることは間違いなのです。
 既に、この違いぐらいは皆さん知っていらっしゃるだろうと思っていたので
「正当性は判断出来ない」「他のほうが多い」「ナチスも多い」などという反論
がこんなところで出てくるなどとは予想もしていませんでした。(唯一と思うことは、何だという
問いに対する回答だったから)
そもそも、「正当性」といっても、仏教としての正当性のことを論議しているのだから、
ここでイスラムやナチスを持ち出すのは全くの筋違いです。横やり発言者ならともかく、
中心であるべき第7の外道さんなればこそ、その辺をわきまえて欲しいと思います。

もともと、皆さんから見て具体的にわかるだろうと思うものはこの事や、
その他の実績、歴代会長のこと、聖教新聞発行部数、というものしかないと判断したまでです。
それ以外のことは議論中ですから、そのまま進めてもらえればよいとおもい、紛らわしいので
書かずにおりました。

・・・・・・

横やりについては、周りをみて、ここの掲示板では許されているものなのだと思っていましたが、
横やりは禁止ということでよろしいのでしょうか?

一人ずつと言うことで、ZEGAさん、ひゃっきまるさん、そして次に第7の外道さん
というように進めてきましたが、お二方までは終わったと判断してこれから、だい7の外道さん
へのレスを初めて行こうとしているところだったのですが、時間不足ゆえ残ってしまった
レスは失礼させて頂きたい。(いずれ機会があればゆっくりね)

・・・・・・

(仏像を本尊にすることについて)

仏像を拝むのも紙に書かれた曼荼羅をおがむのも「同じ」だと言うのは、
少々乱暴な見方と思われます。少なくともそこに顕されているものには、
大きな差があります。
既に見たことがあるというのならば、
信仰の対象物ですので発言する際には慎重になされたほうが良いと思います。

『草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。 』(観心本尊抄)

無益とすることについては、『草木の上に色心の因果を置かずんば』との但し書きがあります。
仏像では「色心の因果」が置かれて無いから本尊とするのは不適切ですよ、と日蓮大聖人は仰せで、
仏像を本尊とする可能性はここで否定されました。御本尊を拝まれている方は、どうか
安心して頂きたい。

共通性があるからといって、否定的に軽んずるような姿勢であると、
たとえば「呪術」を否定するとすると、「声を出す」という共通点から、
「歌を歌う」ことの「楽しさ、効用」なども否定することになり兼ねません。
日蓮大聖人の顕された曼荼羅には文字がかかれています。
これを仏像と同じだというのでは、現代社会における「文字文化」をも
否定することにもなり兼ねません。
疑問があるのはわかりますが、同じだと決め付けるのではなく、
もう少しその「差違」を認めるような慎重さがあっても
良いのではないかと思います。


413 名前: 投稿日: 2000/06/29(木) 12:25
(前のつづき)

(立証安国論について:これは主に第7の外道さんへかな?)

立証安国論の内容を、日蓮思想を掌握するために検討するのは不適切と思われます。
というのは、この書は、時の執権北条時頼に対して、諌暁の書としてつくられたもので、
そこに書かれている「思想観」は必ずしも日蓮大聖人のものではありません。
どちらかと言うと当時の鎌倉武家社会層で広まっていた思想を背景に書かれたものだからです。
しかも、まだその時は「観心本尊抄」も「開目抄」を著されていません。

ですから、立証安国論を提出した動機については、その思想が反映しますが、
書いてある思想的内容(神天上の法門など)については、日蓮仏法思想を検討構築する場合に
おいては、一度考察から外した方がすっきりすると思います。

また、この時に顕されていた「一乗」も深い意味としては「南無妙方蓮華経」を指すと思われますが、
理論的構築を目ざすならば当時の「法華経」(観)(つまり読み手がわかるような意味の)を指すものと
考えた方が良いでしょう。
この様に他の書物についても、著された年代、誰に与えたのか、社会的状況を踏まえた上で
ないと、混乱をするのは免れないと思います。

日蓮大聖人の根幹となる思想としては、次の書については避けられないと考えておりますので、
概要を示しておきます。

★開目抄:「日蓮大聖人が末法における御本仏」であるということを示されています。
     宗教を選別する時の教判も述べられています。

★勧心本尊抄:「南妙法蓮華経こそが根本として信ずべきもの」であると言うことを示されています。

(だいぶ難しい言葉を使われていたので、これらの内容や書物の位置づけについても皆さん
周知していらっしゃったものなのかと勘違いしておりました。)
    
 ・・・・・・・・・・・・・

皆さま、これまでお相手をして下さり、どうもありがとうございました。
申し訳ないですが、わたしには、とても他のスレッド等で議論したりするような余裕はございません。
このペースで皆様への満足の行く返答を書き込んでいったら、恐らく1年以上かかるでしょう。
手前の書き込みペースも考えずに割り込んでしまい、ご迷惑お掛けしましたことお詫びします。

ここに来て、皆様の成仏観、信仰観の違いを感じました。
また、学会に対する皆様の見方も聞けてよかったとおもいます。
もし、皆様のハンドルを見かけることがありましたら、
お声をお掛けします。その時にでもいろんなことをゆっくりとお話したいと思います。

最後に、皆様におかれましては、充実した日々を送られますようお祈りし、
ここに私の好きな「山本伸一」(人間革命より)の詩をお送りし
ご挨拶に代えさせていただきます。

  旅びとよ
  いずこより来り
  いずこへ往かんとするか

  月は沈みぬ
  日  いまだ昇らず
  夜明け前の混沌に
  光  求めて
  われ  進みゆく
  
  心の  暗雲をはらわんと
  嵐に動かぬ大樹を求めて
  われ  地より湧き出でんとするか

 ・・・・・・・・・・・・

それでは、またね。長い間ありがとう。グッドラック!


414 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/29(木) 22:05
>Nさん
 再開を心待ちにしております。
 でも結局最後まで僕の問いには答えてもらえませんでしたね・・・。なぜでしょう?


415 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/29(木) 22:09
>ZEGAさん

>「やってみないと解らない」スレッドを覗いてみましたが、早くも短レスや荒らししか書きこまなさそうな雰囲気になっています。
>僕としては、創価学会以外の方々の意見も拝聴したいので、宗教や思想について真剣に希求している方の多そうな「心と宗教」の方に立て直した方が有意義かと思うのですが、どうでしょう。

 あらしや短レスは、議論が安定してくれば自然になくなるものだと思っているのであまり気にしていません。それに、この板では、はじめて立ったスレッドに一言感想を書いていくのが慣例となっているということもあるようです。それでもあらしが不安ならば、E-mailの欄に「sage」と書くと、スレッドをあげずに書き込めるので、他人にばれずに議論することができます(もちろんあらかじめブックマークしておかないとスレッドが捜せなくなるが)。これは、文底さんが危惧していた、長文だと他の人に迷惑をかける、というのを解決する方法でもあります。
 「心と宗教」の板の方が良いのであれば、そこに新たにスレッドを立てるつもりでいますが、僕としては、この板で議論することに意味があると思っているので、なるべくここでやりたいと思っています。


416 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/29(木) 23:21
>ZEGAさん

>牧口初代会長のスレッド引越しの件、異義ありません。のんびりやりましょう。

 準備を終えましたので、どうぞお書き込みください。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=961655665&ls=50

 僕も最近、掲示板に時間をかけすぎて、肝心のテスト勉強ができなくなっています。さすがにペースダウンしないとまずいです。

>余談ですが、「他の宗教は邪教だそうですが、具体的にどんなところが邪教なんですか?」のスレッド読ませて頂きました。完全に創価と決め付けられて、災難でしたね……。同情せずに居れません。
議論における最強の方法とは、相手の意見に耳を貸さずに自分の主張を声高に叫ぶ事だと聞いた事がありますが、あの板は正しくそうでした。

 相手がそうだったのでしょうか? 僕がそうだったのでしょうか?(相手の意見に耳を貸さずに自分の主張を声高に叫ぶ事) もし僕のことだったとしたら、反省せざるを得ません(しかしあの時点で最善を尽くそうとは思っていました) なんだか、それは悪口の強い人のことのような気がします。勝つ手段ではあっても、それでは実際に価値的な結論はでないと思いますので。

 ここで議論をはじめて気付いたのですが、議論がプライド合戦になってしまったらおしまいだと思います。僕は、これは所詮文字だけのやりとりなのだから、どんなに恥をかいてもかまわない、という覚悟で議論することにしています。相手の意見にも自分の意見にも真摯であろう、と思っています。


417 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/30(金) 01:38
Nさん
もう発言されないとは残念ですが、いたし方ありません。また機会があればよろしくお願いします。

Nさんとの議論の総括ということで書かせていただきますが、412のレスを読むと、ああ、結局ずっとすれ違いだったなぁと思いが残ります。以下は反論というよりは、感想です。

>そもそも、「正当性」といっても、仏教としての正当性のことを論議しているのだから、
>ここでイスラムやナチスを持ち出すのは全くの筋違いです。横やり発言者ならともかく、
>中心であるべき第7の外道さんなればこそ、その辺をわきまえて欲しいと思います。

「筋違い」ではないのです。私のスタンスは「仏教としての正当性」だけを論議しているわけではなかったのです。あくまで「一宗教思想家としての日蓮の思想のはらむ問題点」と「その創価学会との関係」そして「創価学会の宗教思想の正当性」でした。つまり、問題は「思想としての正当性」です。創価学会の方がキリスト教などをも比較に出して自宗派の優位を主張することが多かったものですから、議論する際の比較対象も仏教に限らず、それこそ私にできることは何でもやってきました。ただ「先ずはそこから」ということで議論を集約しようとしていたわけです。
しかし私のそういう立場を知るには、これまでのレスを全部見なければならなかったでしょうし、私もそういう立場の説明をするのを怠りました。ですから「その辺をわきまえ」る必要性は全く感じません(むしろなぜ「この」スレッドで、Nさんの考えて得られる基準(しかも今になって初めて明示された)に合わせて私が「わきまえ」るべきだとされるのか、やや納得しかねます)が、Nさんに誤解させてしまった責任は感じています。

>横やりについては、周りをみて、ここの掲示板では許されているものなのだと思っていましたが、
>横やりは禁止ということでよろしいのでしょうか?

そんなことは全くありません。今後また発言の機会があれば大いにしてください。ただ、ある程度つっこんだ議論をするおつもりなら、対する者の議論のスタンスや思想的立場をある程度は見極めていただけたらと思うだけです。



418 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/30(金) 01:38
>(立証安国論について:これは主に第7の外道さんへかな?)
(以下略)

まさにここでNさんがおっしゃっているようなことをこそ、ここでは議論すべきだったと感じます。なぜなら、ここでのNさんの認識は、それを自明の前提として議論をできるようなものでは(少なくとも私にとっては)全くないからです。
詳細は省略しますが、Nさんが「これらの内容や書物の位置づけについても皆さん周知していらっしゃったものなのかと勘違いしておりました」とおっしゃるのを見て、やはり根本にズレがあったのだということをはっきり知りました。それは、まさに「泳ぎ」の話で既に見えていたことです。
Nさんが「皆さん」が「周知」しているだろうとおっしゃっていることこそ、おそらく、私たちにとっては逐一論証されるべきものだったわけです。たとえばNさんは

>ただ、歴史的釈迦が、法華経にあるような心と行動があったであろうことは、
>推測可能であるし、そうであるならば、釈迦が法華経を説いたのだとしてもあながち
>嘘とはいえないのではないかとおもいます。

とさらっとおっしゃっていますが、私たちにとってはそここそ議論せねばならぬと思っていたテーマでした。私や他の人がそういうところを議論しようとあれこれ書きあっていたのはこの新スレッド立ち上げのころからずっとであって、Nさんが上のようなのを書いておられるのを見たとき、「この人は私たちが議論の対象としていることを「議論」として全く見ていないのだな」ということを痛感しました。

私たちが議論しようとしていることを、Nさんは自明の前提にしておられる。Nさんは私たちがどうしてこんな厄介な言葉のやりとりを延々と続けているか、あまり理解しようとはしなかった(ご自分は答えをかなり明確に持っていると自覚されていたからでしょう)。私たちはNさんが何を基準にして私たちの意見にレスするのかよく見えていない。たまにそれらしいのが出てきてそれにコメントすると、「誤解するな」という旨の警告のみ出てそれからが続かない。やっと共通の議論の出発点が確立できると思いきや時既に遅し。そんな経過ではなかったかと思います。

いずれにせよ、今回の件はもう終わってしまったことです。すれ違いもまた人生の本質たることを思えば、そこでじりじりしたりしても始まりません。Nさんもお元気で。いずれまたお会いする機会を楽しみにしています。



419 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/06/30(金) 02:00
ひゃっきまるさん

テスト勉強がんばってください。私も仕事がんばらなくてはいけません(笑)。待ったなしの状況が刻一刻と近づいています f(^^;) タイヘンナンデスカラ、モゥ。

>「あらし」がない(外道さんの人徳の故だと思うのですが)ことなどです。

お言葉を返すようですが、これは間違いです(^^; 昼行燈さんや文底さん(お二人とも、お気遣い痛み入ります。全開ではありませんが今はほとんど問題はありませんm(_ _)m)はよくご存知でしょうが、かつてはいやそれはもぅトコトンあらされました。ただ気取って言うなら、それもまた自分の忍耐を試す一つの機会とみて、極力感情的な姿勢をとらないよう努めてきたつもりではあります。最近あらしがなくなっているのは、偶然か、あるいは参加者が増えてきてあらしにくい雰囲気ができてきたからかも知れません。いずれにせよ、これからのことは分かりませんが。

スレッドについては、適当にテーマが定まり次第、ZEGAさんとの間で既になされているように、徐々にやっていきましょう。

ZEGAさん

そうですね。特に御書解釈については、腰を据えてじっくりやってみたいと切望しています。ぜひ今後ともよろしくお願いします。255のZEGAさんのレスを出発点にして内容をまとめ、新規スレッドを立ち上げるのがよいのでしょうか? その際は「心と宗教」のほうがいいのかな?



420 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/06/30(金) 03:02
http://www.aaacafe.ne.jp/free/support/test.bbs
無料掲示板のサンプルと

http://www.aaacafe.ne.jp/join/
ユーザー登録

です。
お節介ながら、一応お知らせまで・・・。


421 名前: ZEGA 投稿日: 2000/06/30(金) 03:17
>Nさん

ご都合もあることでしょうが、もう来られないとは残念です。
僕はまだまだここで粘ることにします。またいずれお会いしましょう。


>ひゃっきまるさん
>「他の宗教は邪教だそうですが、具体的にどんなところが邪教なんですか?」について

相手のことです。殆ど野次になっていて、読むに絶えないものがありました。

>なるべくここでやりたいと思っています。

では、この板で論議を続けることにしましょう。
ところで、「心と宗教」を覗いて見たのですが、予想以上に面白そうなところだったので、ひとつスレッドを立ててみようかなと思っています(まだ未定)。新規スレッドを建造したら、暇なときに覗いてみてください。

>議論がプライド合戦になってしまったらおしまいだと思います。僕は、これは所詮文字だけのやりとりなのだから、どんなに恥をかいてもかまわない、という覚悟で議論することにしています。相手の意見にも自分の意見にも真摯であろう、と思っています。

まず自分の中に感情やわだかまりがあって、それを後から理屈付けて相手を攻撃する……こうした議論は不毛になりますね。僕も少なからず経験があります。
僕も自分の無知を承知でここにいるわけですし、大いに恥をかくことにしましょう。


>第7の外道さん

このスレッドの趣旨に重要な示唆を与えるものと思いますので、御書の解釈については引き続きこのスレッドでいいのではないでしょうか。

皆さん、くれぐれもレスは無理なさらずに。義務化するとツライし、勿体無いです。


422 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/30(金) 09:57
ひゃっきまるさん<
 過去ログからひゃっきまるさんの疑念をまとめてみました・・・
  1.法華経が釈迦の説でないことは仏教学者の間では常識化しており、
   創価学会の上層部ではそのことを認めているようなのに、なお釈
   迦説を採用しているのはなぜか?
  2.法華経が非釈迦説なら日蓮仏法の教義の根幹が崩れるのではない
   か?
  3.リーダーなどにそのことに関して疑問を投げかけても、耳を貸さ
   ないのは、組織運営上では学を軽視しているのではないか?
  4.非常識と非難される活動をする会員が多いのに、自浄作用が働か
   ないのは学会の指導理念に誤りがあるのではないか?
 …大きくは以上の4点のようですが、これでよいですか?

 ご返事をいただく前に…
  私は次のように理解しています。
  日蓮大聖人は仏道修行には、信・行・学が重要だと説かれています。
  根本は信であり、以信得入、以信代慧などと示されています。
  また、行学絶えなば、仏法あるべからずとも仰せです。
  行・学は信を強化するための修行方法であり、行について言えば、
  やってみなければ解からないというのは誤りではないでしょうか?
  やって体験しなければ信は深まらないというのなら一面では正しい
  と思います。
  しかし、学の伴わない信は盲信になる危険があります。
  正信を得るために学は不可欠なものでしょう。


423 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 11:57
>愚乱破さん

 だいたいよいのですが、

>3.リーダーなどにそのことに関して疑問を投げかけても、耳を貸さないのは、組織運営上では学を軽視しているのではないか?

 学を軽視している、というよりも、創価学会が日蓮仏法の教義を独自に解釈していく方向性をとりはじめたのではないか?と考えています。

>4.非常識と非難される活動をする会員が多いのに、自浄作用が働かないのは学会の指導理念に誤りがあるのではないか?

 むろん自浄作用が働かないというのも異常な事態ですが、非常識な会員がうまれる土壌を作っている、また、そういう会員を許容しているところに異常性を感じています。

>しかし、学の伴わない信は盲信になる危険があります。正信を得るために学は不可欠なものでしょう。

 僕の考えと一致するように思っていますが、愚乱破さんは創価学会に対しては懐疑的立場なのでしょうか? 僕は、創価学会員にとって信仰の正しさとはいかなるものであるか、ということに問題提起したいと思っています。これは「牧口初代会長の思想を教えて下さい」スレッドでやろうと思っていますので、今はやりませんが、ごく簡単に触れておきます。
 まず、とにかく創価学会を信じていれば・とにかく唱題すれば、正しい人生になるのか・正しい判断ができるのか、といったら、違うと思います。現実の人生の中での試行錯誤や努力、思案が不可欠なはずです。仏法とは、世の法を説くものであれば、そもそもそういった方途に道を示すものでしょう。そして、創価学会という組織そのものも、この世のルールを免れることはありませんから、やはり、腐敗する危険性を持っていますし、それを防ぐための恒常的な努力が必要であると思います。(これに対してはレス不要です)

 現在、三つの議論を同時進行していて、申し訳ありませんが新たに議論の流れを作る余裕がありません。しかし、現在行われている議論に参加していただけるのならば歓迎いたします。

1. 2. に関してだったら、この「日蓮って」スレッド(確認作業から愚乱破さんの見解をまとめて示して下さい)

3. 4. に関してだったら、「牧口初代会長の思想を教えて下さい」スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=961655665&ls=50

僕の考え方の方途自体に対する問題提起であれば、「「やってみなければ解らない」はおかしい!」スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=962209644&ls=50

でお願いします。



424 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 11:59
>ZEGAさん
>ところで、「心と宗教」を覗いて見たのですが、予想以上に面白そうなところだったので、ひとつスレッドを 立ててみようかなと思っています(まだ未定)。新規スレッドを建造したら、暇なときに覗いてみてください。

 そのときは是非参加させていただきます。いずれ第7の外道さんとも、「空観」についてそこで議論する予定なので楽しみです。

>皆さん、くれぐれもレスは無理なさらずに。義務化するとツライし、勿体無いです。

 そうですね。でもレスがつくと返事をかかずにはいられない気性というのもやっかいなものです(^^)。本当はこんなことをしている場合ではないのですが;。


>愚乱破さん、ZEGAさん

 ところで、最近驚くべきスレッド

「もう我慢の限界です」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=961778718&ls=50

を発見したのですが(すでに知っているかもしれませんが)、こういう会員に対してはどう思うのでしょうか? 創価学会青年部代表さんの言っていることの真偽はともかく、客観的視点をもつことが不可能になっているという時点で充分に頭がおかしくなっていると僕は判断します。
 こうした会員に対しても、やはりZEGAさんは、「行動している人には何も言えない」となってしまうのでしょうか?
 僕から代表さんを説得しようとしても耳を貸してくれないようなので、これ以上創価学会に対して必要以上の誤解を与えないためにも、同じ会員として、彼になんらかの注意を言ってあげたほうがいいと思うのですが・・・。


425 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/06/30(金) 12:15
>ひゃっきまる さん
「やってみなければ解らない」スレッドには今日レスを入れますから
待っていて下さい。しかし、2日間PCを空けただけで、新スレに30
以上もレスがつくとは驚きました。ちょっと読んできましたが、殆どが
感情レベルでのレスが多いですね。おそらくこの「感情の世界」こそが
「やってみなければ解らない」を生み出す根源だと思っています。
後で、レスいれます。後れて本当にすみません。



426 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/30(金) 15:18
ひゃっきまるさん<
 私は、懐疑派ではありませんが行も学も中途半端なため、信が
 しばしばぐらつく学会員です。
 3.4.に対する訂正でひゃっきまるさんへの理解が深まりました。
 ありがとうございました。

 もうすこし、質問させていただきたいこともありますが、取り
 敢えず、1.2.関して私の考えを述べさせていただきます。
 まず、法華経非仏説ですが、…
 やはり、法華経が仏説でないと困ったことになると思います。
 法華経が仏説だとして、日蓮大聖人が存在し創価学会があるの
 は否定しようが無いと思います。
 ところで、非仏説に関しては、確かに以前にも耳にしておりま
 すが、「これはほとんどの仏教学者の間では常識となっており、
 異議を唱えると多くの学者を敵にまわします。」という言い方
 で正しさを主張するのには疑問があります。
 例えは悪いのですが、「天動説は常識であるから地動説を唱え
 るのは多くの敵を作りますよ」に近い感じがしませんか?
 仏教学者の研究を否定するわけではありませんが、なぜ非仏説
 という「推定」をしたのかくらいは押さえて置く必要がありま
 すね。
 天台の5時8経の立てわけの誤りは何処か?
 法華経を説いたとされている時期、釈迦は何処で何をしていた
 のでしょうか?

 いずれにせよ、日蓮大聖人は法華経を本尊にたわけではなく、
 仏説としての法華経を拠り所にして、南無妙法蓮華経を確立さ
 れたのですよね。
 つまり、法華経の予言の通りに末法で妙法を広めている事実。
 また、久遠の仏が菩薩道を行じて仏に成ったという記述。
 から、その菩薩道が南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人が妙法
 を受け継いだ上行菩薩であり、末法の御本仏であるという確信
 ですね。
 そしてそのストーリーのように創価学会が今世界156ヶ国に
 妙法を広めることができた。
 これらのことから、逆に法華経はやはり仏説であったと確信す
 るのですが… どこか変でしょうか?

 「もう我慢の限界です」は目を通しました。すごい勢いで書き
 こみが進んでますね、佐渡の塚原問答もこんな状況だったので
 しょうか、大聖人は雑草を刈るごとく全てを切り伏せたようで
 すが、あの状況は心配な気がしますね。
 やはり仏法対話は面と向かって、それこそ身命をかけて行う必
 要があるかもしれませんね。
 新しいメディアを使って彼が始めた実験を暖かく見届けてみよ
 うと思うのですが、無責任、無慈悲でしょうか?
 「創価学会青年部代表」というハンドルにはかなり疑問があり
 ますが…


427 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 19:04
>愚乱破さん

>やはり、法華経が仏説でないと困ったことになると思います。
>法華経が仏説だとして、日蓮大聖人が存在し創価学会があるのは否定しようが無いと思います。
>ところで、非仏説に関しては、確かに以前にも耳にしておりますが、「これはほとんどの仏教学者の間では常識となっており、異議を唱えると多くの学者を敵にまわします。」という言い方で正しさを主張するのには疑問があります。

 もちろん、常識を盾にして、「法華経は釈尊が説いたものではない」ということを主張するわけではありません。僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないという根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。(本式の仏教研究になってしまうので、第7の外道さん、昼行灯さんの協力が不可欠だとは思いますが)

 実をいえば、僕がこのような主張をしたとき、当然愚乱破さんのような反応が返ってくるはずだと思っていましたが、今までの学会員は全て、「法華経が釈尊に説かれていなかったからといって、それがなんなんだ。創価学会の正しさとは関係ない」という反応でした。

 ですから、まず、なぜ法華経が釈尊に説かれていなければ、創価学会は教義の正当性を失うのか、というというところを説明せねばなりません。

 また、その前提として、お互いの歴史認識の違いや、教義に対するとらえかたの違いを確認せねばならないのです。創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。(愚乱破さんは反論されるかも知れませんが、それは今後の議論によって明らかにすべきことなので、とりあえず待っていただけますか?)

 この作業は、今後の議論の説得力を持たせるため、同じ議論をするための土壌づくりでもあります。426の愚乱破さんの言説には実はいくらでも突っ込みどころがあるのですが、それをただちに僕が言ったところで、おそらく納得されないでしょう。というのは、僕の信じているものと、愚乱破さんの信じているものの、どちらが正しいのか、ということは、今の時点では判明していないからです。そのために、両者が共通の歴史認識をもつというのは非常に重要なことです。

 昼行燈さんなどは僕のやり方に対して、悠長だとの感想をもたれるかも知れませんが、相手の反論に対してただちに反論して、結果的に水掛け論になるか、または一方的に知識量で相手を圧倒してしまうより、徹底的な現状認識と把握、相手との共通の土台づくりの後、それを踏まえた上での対策を練った方が、真の相手の理解につながると思っています(自分自身が洗脳されていたので、それを抜けるのが如何に困難か実感として分かる故です)。これは法華経では声聞の修行法である、四諦に僕が学んだものでもあります。

 ですから、僕は愚乱破さんの問いにただちには答えません。前にも言いましたが、今、ZEGAさんと議論している流れに加わってほしいと望みます(つまり、愚乱破さんはZEGAさん側にまわって)。
 ちなみに、法華経の予言が当たっているから、法華経は正しい、とする論法にもいろいろなところで突っ込みどころがあります。キリスト教の信者も、イエスの予言(「私の名はあまねく世界中に広がるだろう」)があたっているから、聖書は正しい、とする論法をとります。


428 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 19:20
>愚乱破さん

>「もう我慢の限界です」は目を通しました。すごい勢いで書きこみが進んでますね、佐渡の塚原問答もこんな状況だったのでしょうか、大聖人は雑草を刈るごとく全てを切り伏せたようですが、あの状況は心配な気がしますね。やはり仏法対話は面と向かって、それこそ身命をかけて行う必要があるかもしれませんね。
> 新しいメディアを使って彼が始めた実験を暖かく見届けてみようと思うのですが、無責任、無慈悲でしょうか?
> 「創価学会青年部代表」というハンドルにはかなり疑問がありますが…

 この言説からは、愚乱破さんは青年部代表さんの行動を肯定しているということでしょうか? 割と冷静に学会を見れている愚乱破さんの言葉とは思えませんが・・・。ましてや、佐渡の塚原問答と並べてみるなど、僕には到底不可能に思えるのですが。大聖人在世の時代は、大聖人の説はある程度の説得力を持っていたはずで(この点昼行燈さんは意義があると思いますが)、相手によって説明の仕方は変えるにしても、筋の通った説明をしていたはずです。しかし、青年部代表さんは、ただ「正しい」の連呼のみで、なぜ正しいのか、ということを全く説明していないどころか、仏法に関しても全く触れていません。また、相手を見下した言動、感情的な言動も目立ちます(相手が無礼である場合もありますが、真摯に代表さんと論議したいと言う、幾人かの人間に対しても、あからさまな蔑視と攻撃心を示しています)。よく学会では、「人格」によって相手を折伏する、というような価値観がありますが(僕はこの考えには詐欺性があると思っていますが)、彼の行動は明らかに逸脱しています。彼のような人間が創価学会にいることを恥ずかしいと思いこそすれ、仏法対話などとは到底呼べないものだと思うのですが。
 しかし今まで知らなかったのですが、創価学会青年部代表さん以外にも、明らかに「カルト」と呼べるような人が多数この板にいるようです。僕は今まで、信者の大半は善良な人間だろう、と思っていたのですが、それは僕が創価学会を悪く思いたくない、という気持ちが、そう思わせていたのではないか、と、考え方の変更をせまられています。


429 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 19:22
誤:この点昼行燈さんは意義があると思いますが

正:この点昼行燈さんは異義があると思いますが


430 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/06/30(金) 19:59
ひゃっきまるさん<
 予言の的中だけで正しさの証明にはならないのは当然ですね。
 説かれている内容が道理に適っていると思われることの方が
 勿論、重要でしょう。その上でその証拠を求めるとすれば、
 その一つとして、予言の適中もあるかなと思います。
 本当に適中しているかは、判定が困難ですが・・・
 (占いのようなこともありますから)
 ともかく、非仏説についてはひゃっきまるさんが確信を持た
 れているなら、私にそれを覆す知識はありません。
 私は「そう推定して間違いないであろう。」という認識でし
 たし、仏教学者で少数派かもしれませんが仏説派もいるので
 はと思っています。

 塚原問答を持ち出したのはちょっと不用意でしたね。あの板
 が問答とは思えません。質問や非難、攻撃の激しい様だけで
 塚原問答を思っただけです。むしろ大聖人ならどう問答され
 るのか、そのころネットがあったとしてそういう場では行な
 わないのではないか? ということだけ思ったわけです。



431 名前: エイリアン 投稿日: 2000/06/30(金) 21:49
内容をよく読んでないので議論の腰を折る事になるかもしれないが
日蓮程度(法華経)の予言は私にもできるぞ!

たとえば

一年以内に新宿で大雨が降る。とか

あす日本のどこかで人が死ぬ。とか

一年以内に東京で地震がある。とか

条件付けをあまくすれば的中率100%の予言なんて簡単だ。

また、
災害等の予言をして外れたら外れたで信者の祈りが天に届いたとかいってしまえば済む。

昔の予言なんて何処の予言も所詮その程度だよ。

坊主の堕落や災害、内乱、飢饉。そんなものは当時の時代背景からも簡単に推測できる事だ。
釈尊存命中から人類が繰り返してきた歴史だからね。



432 名前: ロック 投稿日: 2000/06/30(金) 22:20
>426さん。
日蓮は日本に遍く法華経が行き渡った後、仏教の伝来経路の
逆を辿ってインドに至る、という予言ではなかったですかね?
何と無く世界に散らばって行く様子と重ねるのは我田引水
な気がします。さらに言えば、人間日蓮を「現世に現れた仏」と
するところに胡散臭さが漂っています。私はビックバンを引き合いに
出されて教わりました。まるで「神」です。神であるなら法華経が
釈迦のものでないくらいは見抜くべきで、それすら出来ない日蓮は
まさに人間だったわけで、間違いを犯す可能性を認めないと独善
なのではないでしょうか?


433 名前: 文底 投稿日: 2000/06/30(金) 23:56

Nさん

この様な事態は、途中から予想が出来ましたが、やはり残念な結果になってしまいましたね。
私は、Nさんと論議の「真意」に付いては何一つ、具体的に交わす事はありませんでしたが、概要にレスしただけでも、これ位「論点」が外されるのですね・・・(ひゃっきまるさん・第7の外道さんには同情いたします)

私(文底)のNさんに対するレスの内容

*質問を箇条書きにしてお答えをお願い。(No375からNo379、387)

Nさんの私に対するレス

*無視


Nさんの「横レス」に対する姿勢の意見

>気になる論議の事象において、横レスを入れられる事を望みます。 (文底No379)
>横レスすること自体は別に悪いことではないことに気がつきました。(ひゃっきまるさんNo384)
>横レスそのものを全て否定する立場ではありません。 (文底No387)
>横レスも全く否とする訳ではありません。(文底No389)

Nさんのこのスレ全員に対するレス

>横やりは禁止ということでよろしいのでしょうか? (NさんNo412)

もはや何と申してよいのやら・・・・・・

そして、私はこの上記二点しかNさんとは直接関わっておりませんが、以上の事象を持ちまして、Nさんのこのスレに対する認識を私なりに了解致しました。

Nさん本当にお疲れ様でした。


434 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/01(土) 01:54
愚乱破さん

私も基本的には427のひゃっきまるさんの提案に賛成です。
法華経についての議論は、第三者の方がはじめて見ても説得力を発揮できるような内容にできたら、というのが私の願いです。
そのためには誰かがたたき台をつくるのがいいと思いますが、一応私がつくろうかなとは思っていましたが、他の誰かが先につくられても私はそれにのらせていただきます。

ただ「予言」の話についてはその方向ではなかなか触れられそうにないので、感想だけ書かせていただきます。
日蓮の予言は「未来事象の予測」というにはあまりにも漠然としていて、それこそロックさんの仰る通りどうにでもとれるもの、という性格を拭えません。特にひどい(と私は思う)のは、彼自身に対する迫害を「法華経の行者は必ず難を受ける」という法華経の予言の裏付けと見て、ますます自分の立場への確信を深めた、というものです。難を受けなかったら法華経が受け入れられている(従って法華経は正しい ? )ということになりますし、受け入れられなかったら「予言が当たったから法華経は正しい」ということになってしまうわけで、日蓮はこの「反証を受け付けない無謬論法」に見事にはまってしまった、という印象を私は持っています。

また「謗法の国・日本を懲らしめるために外国の軍隊が攻めてくる」という「予言」は確かにモンゴルの襲来によって「当たった」形になったのはよかったんですが、モンゴル軍が暴風雨(「神風」?)で壊滅して日本は守られてしまったために、逆に苦しい立場に立ってしまったことも晩年にあったようです。

これらについて、「こういう『予言』に頼ること自体、宗教者として胡散臭い」という見方をされても仕方ないという面が日蓮にはあると思います。そんなわけで、彼の思想や法華経の正当性をいうにあたって「予言」を引き合いに出すのは「?」という風に私は感じます。



435 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/01(土) 02:26
>434
ロックさんではなく、エイリアンさんでした。
すいませんッm(_ _)m


436 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/01(土) 06:28
ひゃっきまるさん<
 少し誤解があるようですので・・・

 > ですから、まず、なぜ法華経が釈尊に説かれていなければ、
 > 創価学会は教義の正当性を失うのか、というというところ
 > を説明せねばなりません。
 私は前に「法華経が仏説だとして、日蓮大聖人が存在し創価
 学会があるのは否定しようが無いと思います。」と述べてい
 ます。
 表現が下手だったのですが、法華経が仏説でなければ日蓮
 “大聖人”も創価学会も存在できないと考えますと言う意味で
 申し上げました。
 “法華経が仏説であることは否定できない”と受け取られたよ
 うな気がしますので・・・

 また、私の“言説には実はいくらでも突っ込みどころがある”
 とか“納得されないでしょう”といわれる意図がわからないの
 ですが・・・
 私の考えに矛盾や誤認がありましたらご遠慮なくご指摘して下
 さい。また私のまだ認識していない事柄についてどう考えるか
 というご質問もお受けします(ひゃっきまるさんにとって意味
 があればですが)
 私を説得したり、突っ込み(攻撃的表現ですよね)したりはお互
 いの目的ではないと思います。
 私はひゃっきまるさんを説得しようなんて思ってません。

ロックさん<
 仏法がインド(=西、月氏)に還えることと全世界に広まること
 を仰ってます。ので世界に広がってというのは後者のことです。
 (何となく世界に散らばってと言われてることですが)
 「現世に現れた仏」が胡散臭いですか、私の感じでは仏とは、
 とても立派な“人間”というような感じなんですが・・・
 ロックさんは釈迦についてはどう感じられますか?
 ビッグバンとの関係は面白そうですね、どんなことか教えてい
 ただけませんか?



437 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 06:43
  北越寒風夜四更
  門前雪臥若情
  思衣烈々救生願
  数珠浪々念仏声
  当時枕石今猶在
           長仰南無六字城  




438 名前: 赤がらす 投稿日: 2000/07/01(土) 10:33
昼日燈さん
 私には昼日燈さんには語るべき言葉はないようです。「それは日蓮の見解に過ぎない」と言われましたが、私が言えること、言おうと努力する事はまさにそれだからです。そう言われては元も子もない、という感じです。お手上げです。このやり取りは意味がないと思います。ここは「日蓮って」という掲示板だと思うのですが・・・。興味を失ってしまいましたので、降りたいと思います。別に板を立てて自説を開陳された方がいいのでは? 「大日経万歳!」とか。


439 名前: 赤がらす 投稿日: 2000/07/01(土) 10:56
第七の外道さんへ
 心ない会員のお話を拝見しました。ごく近しい方のご体験とのことで、説得力もあると思いました。言葉の捕らえ方は主観的なところもあると思うのですが、傷つかれた事は揺るぎない事実のようです。この掲示板では語り尽くせない内容を含んでいる話だと感じました。

 外道さんはロック音楽はお聞きになりますか? 私に音楽の絶対性を気づかせてくれたのはレッド・ツェッペリンの「天国への階段」でした。歌詞もさることながら、ジミー・ペイジのギターソロそのものが「音楽の絶対性」を表現しています。よければ一度聞いてみてください。

 さて赤がらすは山に帰る時間になりました。家では子がらすが腹をすかせて鳴いています。しばらくは子育てに専念しなければなりません。では、かあかあ。
 追伸。どこかでまた「歌ってみなくちゃわからない」としつこく迫る誰かがいたら、それは私かも知れません。


  


440 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/01(土) 18:48
第7の外道さん<
 理論的に検証してみようというところに、“予言”のことを言
 い出したのは不適切でしたね。
 学問に疎い人が、例えば日食が予測(予言)通りの時間に起こる
 ことを見て、天文学、物理学の正しさを認めるというようなこ
 とに相当するような面があるかなとか思いまして・・・
 蒙古襲来とか内乱の予言よりも、法華経が仏の説いた正しい教
 えだとすれば、末法で法華経の心通りに広めた人は日蓮大聖人
 お一人であり、現代では創価学会であるということを私は信じ
 られるということを言いたかったのです。



441 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/01(土) 18:59
新参者です。
学会員です。

>436 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/01(土) 06:28

>私は前に「法華経が仏説だとして、日蓮大聖人が存在し創学会があるのは否定しようが無いと思います。」と述べてい
 ます.表現が下手だったのですが、法華経が仏説でなければ日蓮 “大聖人”も創価学会も存在できないと考えますと言う意味で
 申し上げました。
 “法華経が仏説であることは否定できない”と受け取られたような気がしますので・・・

 わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と、解釈できます。
ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき。でしょう?。

>表現が下手だったのですが、法華経が仏説でなければ日蓮“大聖人”も創価学会も存在できないと考えますと言う意味で
 申し上げました。

このような、思考も学会員の平均的理解とは異とするところかと、考えます。
 


442 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/01(土) 22:37
赤がらすさん

>私に音楽の絶対性を気づかせてくれたのはレッド・ツェッペリンの「天国への階段」でした。

私も好きですよ。「音楽の絶対性」とおっしゃることは、こういう例でなら大変よく(感覚的には)わかります。この曲を最高とする人は多いですね。
ただ私はどっちかというと、同じZEPなら『プレゼンス』の「アキレス最後の闘い」がいいですね。あれ聞いてると背筋がゾクゾクします。赤がらすさんと議論するには、音楽板の方がいいのかも!?

昼行燈さんですが、この人は決して何かに対して「万歳!」という立場に立とうという人ではありません。ただ経典の解釈には厳密であろうと常に努められている方なのです。決して赤がらすさんをやりこめようという意図があったのではないと思います。その辺は察していただければと思います。

お子さんがおられるようですが、お互いがんばりましょう。また気が向いたらよろしくお願いします。

愚乱破さん

>蒙古襲来とか内乱の予言よりも、(以下略)

おっしゃるところはよく承知しました。ではお互い、「予言」については一旦議論から外すことにいたしましょう。


443 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/02(日) 00:08
 
>427 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 19:04

>もちろん、常識を盾にして、「法華経は釈尊が説いたものではない」ということを
主張するわけではありません。僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないと
いう根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。(本式の仏教研究になってしまうので、第7の外道さん、昼行灯さんの協力が不可欠だとは思いますが)

>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませるこ
とによって、教義に正当性を持たせているので。(愚乱破さんは反論されるかも
知れませんが、それは今後の議論によって明らかにすべきことなので、
とりあえず待っていただけますか?)


上記の言説の詳細な研究は、何時頃、御開陳頂けるのでしょうか?
自信が、御有りのようですので楽しみにしているのですが・・・。




444 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 01:46
みさき23区さん

>上記の言説の詳細な研究は、何時頃、御開陳頂けるのでしょうか?
>自信が、御有りのようですので楽しみにしているのですが・・・。
この件に関しては、宗教板の方が宜しいかと思います。

 


445 名前: 裏切り幹部 投稿日: 2000/07/02(日) 01:49
        (\
         \\
          (\\
           \\\
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  ̄ ̄( ̄ ̄//// ̄\ ∧ ∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ̄(//// ̄\\( ゜Д゜) < 氏ねやカス共 ゴルァ !!
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446 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/02(日) 01:56
ああ、大事なテーマを放ったらかしにしてしまいましたね。失礼。
「大乗非仏説」についての論議を進めることにしましょう。

僕としては、「釈尊直説ではない可能性あり」と考えています。
その事を承知した上で、大乗仏教は仏の教えを継いでいるものと考えます。
そう考える根拠などはまた近々。

自分で自滅するなどと言っておきながら、結局手を広げてしまいました。手短ですがとりあえずこんな所で。
好奇心に負けるというのは、人間ゆえの愚かさですね……。


447 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 01:57

みさき23区さん

確かに大乗も根本経典も同様に「仏説であり、また非仏説」だと思います。
ですが、インドに残された幾つかの外典等に依っても検証すれば、根本経典は釈迦の教えを
「かなり残している」と考えられます。
大乗経典を仏説としながらも、非仏説と云うのは、「非釈迦説」と申し上げた方がご理解出来る
かと思います。
手がかりは、信解品をお読みになれば掴めると思いますよ。


448 名前: 裏切り幹部 投稿日: 2000/07/02(日) 02:01
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      ̄(//// ̄\\( ゜Д゜) < 無視すんじゃねぇ ゴルァ !!
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449 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/02(日) 02:02
>444 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 01:46
>みさき23区さん

>>上記の言説の詳細な研究は、何時頃、御開陳頂けるのでしょうか?
>>自信が、御有りのようですので楽しみにしているのですが・・・。

>この件に関しては、宗教板の方が宜しいかと思います。

「宗教板」って、何のことでしょうか?
私、2チャンネルは「AV系」以外は不案内なもので・・。

「ゆきぞ」さんのところかな?





450 名前: 裏切り幹部 投稿日: 2000/07/02(日) 02:09
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      ̄(//// ̄\\( ゜Д゜) < お願いだからかまってよ ゴルァ !!
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451 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/02(日) 02:11
>447 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 01:57

>ですが、インドに残された幾つかの外典等に依っても検証すれば、
>根本経典は釈迦の教えを 「かなり残している」と考えられます。

ずいぶんと、大胆な御主張をなされますなぁ。
ほんとうに、そのように、「言明」して、よろしいんですか?
 ↑       ↑     ↑ 
確認。



452 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 02:16

第7の外道さん。

>昼行燈さんですが、この人は決して何かに対して「万歳!」という立場に立とうという人ではありません
               (中略)
>決して赤がらすさんをやりこめようという意図があったのではないと思います。
>その辺は察していただければと思います。
フォローを有り難う御座います。余り深く考えない人間なので、余計な事まで書き込んでしまったようです。
経典はトータルで読まないと、釈迦(仏教)の思想の把握は難しいと思います。それを言いたかったので
すが、筆力の乏しさ故と反省しています。

第7の外道さんや赤がらすさんもZEP(ジミー・ペイジ)フリークでしたか。
私はセッション時代の彼が好きなのですが・・・・。
ギタープレイヤーとしては、ロイ・ブキャナンと、ジョニー・ウインターの方がもっと好きだけど。




453 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 02:23

みさき23区さん

宗教板のURLです。
http://www.2ch.net/psy/index2.html

 


454 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/02(日) 02:25
>452 名前: 昼行燈 殿へ

「ゆきぞ」さんのところ
あるいは
「SF研」
で、論戦するなら、いつでも「お相手」いたします。

お越しを、お待ちしております。

みさき23区



455 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/02(日) 02:35

みさき23区さんへ
>論戦するなら、いつでも「お相手」いたします。
論戦などする必要がありません。
勝ち負けを競う意義は全くありませんよ。



456 名前: ロック 投稿日: 2000/07/02(日) 06:36
>愚乱破さん。
レスありがとうございます。私は基礎教学程度の知識しかなく、とても
ここの論議に加われるような者ではありません。横レスでした。しかしおフザケ
のつもりではありませんので、私なりにもう一度だけ書きます。
>仏法がインド(=西、月氏)に還えることと全世界に広まること
 を仰ってます。ので世界に広がってというのは後者のことです。

これについては、私の我見でしかありませんが、日蓮さんは「世界」へ
広がるというニュアンスで語っているとは感じません。インドに至り
そこで終結すると感じました。現代人の拡大解釈だと思っています。

ビックバンの件ですが、私はそう教わったというに過ぎないという前提を
御承知おきください。ただし私に教えてくれた方は学会の中でもかなり上
の方に、現在います。いわゆる「日蓮本仏論」?のくだりで、日蓮こそ仏法
そのものであり自受用報身如来であると。またこの宇宙の誕生からの存在
なのだということでした。私が「まるで神様ですね」と言うと、
「そう考えてもいいよ」という返事でした。私の仏法の捉えかたは
法があり何人たりともその法に下に生きていて誰かがその法をいじる事は
出来ないという考えでしたが、唯一人日蓮大聖人様だけは違う、法の上に
立つ者であるというわけです。私はそれは仏教なのかどうか疑問に感じ
今に至っています。
まわりくどくてすみませんが、そこで前の書き込みのように書きました。

ついでですが前に池田氏は、「国立戒壇」「王仏冥合」を破棄する
発言をされましたが、一信徒が、宗祖の考えを捨て去るのは、特にこの日蓮正宗
にとっては許されない事だと思うのですが、如何ですか?

日蓮さんが、いわゆる「唯一の絶対神」であるならば、その導く法は
「唯一の絶対」でしょう。しかし私はそれは違う宗教だとしか感じられない
ので、学会はやめました。仏教哲学が好きですから。

今後も皆さんのやりとりを楽しみにしています。愚にもつかない話しを
失礼致しました。



457 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/02(日) 13:19
みさき23区さん<
 私は学会員の平均的理解を代弁しているわけではりませんが・・・
 一学会員の意見でも読んだ人に“学会は・・・”と評価されてしまう
 ことが多いので心しなければいけないですね。
 ここで、釈迦説といっているのは、釈迦の説法や教えを表した経典で
 あるかということで、直筆だとか写本だとかなどを問題にしているわ
 けでは無いと理解しています。
 ところで、このことに関して学会員の平均的理解はどうなっているん
 ですか?
  1.法華経は釈迦の教えではない
  2.法華経が釈迦の教えではなくとも創価学会の活動には関係が無い
 と、いうのが平均的理解だと主張されているように、読み取れるので
 すが?
 (平均的理解って、多くの学会員の理解って意味だよなぁ・・・
  創価学会で指導していることとは違うってことかなぁ?・・・・)

ロックさん<
 法華経薬王菩薩本事品第二十三に「我滅度の後、後五百歳の中に広宣
 流布し閻浮堤に於て断絶せしめること無けん」とあるのを世界広布の
 予言ととらえているのですが、予言というにはちょっとあいまいかな
 という気はしますけどね。
 ビッグバン、学会の人の説だったんですね! 皆それぞれ、自分で理解
 したことを何とかして伝えたくて、色々な譬を使うみたいですね。
 その譬で意をうまく伝えられると良いんですが、返って、誤った認識を
 与えてしまうことがありますね(自身でも誤ってたりしてね)

 > 一信徒が宗祖の考えを捨て去ることが許されるか?
 私個人としては、都合の良いところを使って都合悪い所を捨てるなんて
 ことをごく普通にやっちゃってます(意識的ではないつもりですが)
 多くの人に指導するとき故意にそんなことをしたら駄目でしょう。
 でも、誰が許したり禁じたりするのかという、別の問題がありますね。


458 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/02(日) 16:02
>457 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/02(日) 13:19

残念だが学会員である君とここで議論はしない。

仏教は、体系的理解が必要。通史的理解が大事ってことさ。
せめて「倶舎」「中観」ぐらいはおさえておくべきだろう。


459 名前: >457さん 投稿日: 2000/07/02(日) 16:21
私個人としては、都合の良いところを使って都合悪い所を捨てるなんて
 ことをごく普通にやっちゃってます(意識的ではないつもりですが)

一般的にはそれでいい、間違ってないというか正しいと思います。
でも「唯一」だの「絶対正しい」だのという言葉で他宗を攻撃する
宗教が「適当な解釈」で良いとは思えないんですけど・・。
何をもって「絶対正しい」と言い切れるのか?は「思い込み」で
しかない、というのが私の結論です。私は日蓮正宗が西洋的な唯一神
を基礎にしているとは思っていません。ただそういう教え方受け取
をり方を是認する仏教集団は危険だと感じました。
 ただし愚乱破さんの思想や考え方を否定する気はないし
 勝ち負けをきそう意図ではないので気を悪くされたらお詫びします。
本当にこれで最後にします。失礼致しました。


460 名前: エイリアン 投稿日: 2000/07/03(月) 00:03
また横レスで申し訳ない。
このスレッドはたいへんいろいろな意味で勉強になる。
誰かいずれ本として出版してもらいたいもんだ。


461 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 02:06
学会員の荒らし(自作自演と叫ぶ人達)さん まともに反論してみませんか?1に


462 名前: おぢさん 投稿日: 2000/07/03(月) 02:43
待ってるぞぉ。無理だと思うが わはははは


463 名前: SG 投稿日: 2000/07/03(月) 10:56
文底さん、遅くなりました。

>*私は、創価学会及びその信者の方々は「絶対的幸福(仏界)を具現する、唯一無二の団体」
>であると主張される「宗教団体である」との認識を持っております。
>これで御理解出来ましたでしょうか?
>そして私は「創価学会及びその信者の方々の認識」に対し、
>*「唯一無二」と言う点において懐疑的です。

この部分了解です。
それから、Nさん青年部代表さんに対する私の違和感については、あまりコメントしたくないのですが、
あえてひとつだけ言うとしたら、質問に対して真直ぐに答えようとする姿勢に欠けているようにみえる、
とだけ言っておきたいとおもいます。

文底さん、このスレッドでの私の書き込みは、一応これぐらいで終わらせてもらいたいとおもいます。
貴殿の誠実に議論しようする姿勢には敬意をもちました。
またそれに対してこちらが、貴殿の満足する対応をできなかったことは、こちらの力不足を感じています。
しかし、私としては話し合いすることでいろいろと勉強になりました、本当にありがとうございました。


464 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 16:01
>愚乱破さん

>説かれている内容が道理に適っていると思われることの方が勿論、重要でしょう。

 僕もそう思っています。また、それと共に、創価学会の教義の正当性への持たせ方に道理があるかどうかを検証しようと思っています。つまり、宗教と言うものは「教えそのものが道理にかなっているかどうか」だけではないので。むしろ、そうした方法のみによって宗教を検証しようとすれば(愚乱破さんが「のみ」と思っていないのは分かっていますが、念のため)、結局はどの考えにも決め手がない、ということになると思います(最低限、道理の矛盾を突くことぐらいはできるが)。

>塚原問答を持ち出したのはちょっと不用意でしたね。あの板が問答とは思えません。質問や非難、攻撃の激しい様だけで塚原問答を思っただけです。むしろ大聖人ならどう問答されるのか、そのころネットがあったとしてそういう場では行なわないのではないか? ということだけ思ったわけです。

 この内容でも青年部代表さんではなく、質問者の方を避難していますね。『この言説からは、愚乱破さんは青年部代表さんの行動を肯定しているということでしょうか? (428)』という質問にぜひ答えていただきたいと思っています。僕は無意識にアンチ側に肩入れした考え方をしているのだとは思いますが、やはりおかしいものはおかしいと言いたいです。もちろん、膝を突き合わせての対話とネット上の対話は全く違うものでしょうが、実際に会った場合でも、創価学会について、ただ「正しい」のみで説明がないとしたら、それは狂信者と言われてもしかたがないのではありませんか?

> 私の考えに矛盾や誤認がありましたらご遠慮なくご指摘して下さい。

 426での「突っ込みどころ」としては以下のようになります。(突っ込みどころ、というのは表現に過ぎないので、お気を悪くされましたら申し訳ありません)

1・天台の5時8経の立てわけの誤りは何処か?
2・法華経を説いたとされている時期、釈迦は何処で何をしていたのでしょうか?
3・日蓮大聖人は法華経を本尊にたわけではなく、 仏説としての法華経を拠り所にして、南無妙法蓮華経を確立されたのですよね。
4・法華経の予言の通りに末法で妙法を広めている事実。
5・久遠の仏が菩薩道を行じて仏に成ったという記述から、その菩薩道が南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人が妙法を受け継いだ上行菩薩であり、末法の御本仏であるという確信

 これらの一つ一つについてやっていると、多量の時間・労力が費やされるだけでなく、今の議論の流れをさまたげることになると思うので、今はやりたくないと思っています。しかし、これらの疑問に答える内容は、今までの過去ログでかなり触れられています。ちなみに、どんな些細なことでも、ひとたび議論が始まれば、それは(共通の足場が固まっていない限り、)えんえんと続き、しかも結局お互いが相手の考えを理解しないまま終わる、ということはおこりやすいのです(それは過去ログを読んだならば分かるはずです)。4、5は予言にも関することで、(予言についてだけは)もう議論は集結したようですが、たいていはこうはなりません。
 これらのこと、もしくは、これ以外の多くの創価学会員の「勘違い」も、単に歴史認識の違いからおこっていると思っています。


465 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 16:03
>愚乱破さん


>また私のまだ認識していない事柄についてどう考えるかというご質問もお受けします(ひゃっきまるさんにとって意味があればですが)

 ですから、僕としては、ZEGAさんと議論していること(現在は確認作業中)に加わっていただくのが一番早道だと思っているのですが。個々の問題を解決していくよりも、体系的に、全体的視野で見なければ、すれ違いの原因を突き止めることはできないと感じています。

>表現が下手だったのですが、法華経が仏説でなければ日蓮“大聖人”も創価学会も存在できないと考えますと言う意味で申し上げました。

 すみません。誤解してました。ということは、やはり愚乱破さんも、「釈尊が法華経を説いてないということはあまり重要ではない」という立場なのですね。それはそれとして、やはり法華経は「仏説」には違いないと。ただ、これも「予言」を根拠にした考えですね。(これが根拠にならないことはもう納得済みのことと思います)

 もしかしたら誤解されているかもしれませんが、僕は大聖人を、(少なくとも法華経に説かれるような)仏とは考えていません(そもそも大乗仏教における仏と言う概念自体を考えてみなければならないのですが)。大聖人の行動には功罪あるとは思いますが、純真で、真剣に民を、国を救おうとした意志をもたれたお方だったと思います。もちろん、だからといって「正しさ」がそれに直結するわけではないと思っています。(創価学会の価値観ではそうなるのでしょうが)

 ところで、「相手を説得するために議論しているのではない」といった主旨の内容がありました。僕もそういう前提で議論しようと思っていたのですが、しかしどう考えても、僕の行動は「説得するため」ということからは離れられない、ということに気がつきました。やはり、僕は相手の考えを変えるために議論しているし、それがなかったら議論している意味さえもなくなる、と思っています(決してそれだけではありませんが)。この点、文底さんや外道さんとはスタンスが違うでしょう。
 はじめは、創価学会の独善性、排他性や、組織の体制にたいしてだけ、問題提起の形で批判し、相手の信仰そのものは否定するつもりはなかったのですが、日蓮仏法が「唯一性」を教義の根幹としている以上、それは免れないことではないかと思います。
 つまり、僕の行動は「折伏」であると思っています。僕は相手の過った考え方を「破折」するつもりでおります。僕は、自分の考えが概ねにおいて正しいと思っていることを隠しはしません(これは独善的姿勢であると避難されるとは思いますが)。ただし、自分が間違っている可能性を認めるし、実際間違っていれば素直に認めます。きちんと議論の中で結論を導こうと思っています。
 余談ですが、僕は相手を説得するとき、摂受ではなく折伏でなければならないと考えます。ただし、それは強制的に神棚を焼き払う(強制的手段)だとか、「これは正しい、お前は間違ってる」とただ連呼する(洗脳)ことではありません。相手の考えに間違いがあれば正直にその間違いを指摘し、あくまで話し合いで相手を納得させることです。



466 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 16:04
>みさき23区さん

>上記の言説の詳細な研究は、何時頃、御開陳頂けるのでしょうか?
>自信が、御有りのようですので楽しみにしているのですが・・・。

 現在ZEGAさんとの議論の延長線上でやろうと思っています。ただ、これらのことは、高度な知識を必要とするものではありません。今までの僕の議論を見ていただけたら分かると思うのですが、僕は仏教に関しては、創価学会員と同じ程度(詳しく知っている学会員;例えばZEGAさんやNさんのような、よりはずっと知識量は少ない)しか知りません。
 実は、「偏見を取り除きさえすれば、」創価学会の教義だけでも、どうしても説明のつかない、矛盾点、懐疑点は充分に浮かび上がってくるのです。そして、更に法華経を読み、ごく初歩的な現代仏教学の研究書でも読めば、かなりのところ、こうした矛盾、懐疑の由縁は突き止められます。
 ただその前に、僕の場合は、創価学会の体質の部分で疑問をもったのが先でした。そういう意味で、僕は理論だけで学会に異義を立てているわけではありません。


>ZEGAさん
 >あ、大事なテーマを放ったらかしにしてしまいましたね。失礼。
>「大乗非仏説」についての論議を進めることにしましょう。

 議論の推移を理解していないかもしれないと思い、念のため説明させてもらいます。現在、確認作業は終わっていません。まだ、お互いの歴史認識は確認されていない状況です。具体的には、190の質問にもまだお答えしてもらっていません。
 また、これは確認作業ですので、「なぜそう思うのか」という説明はしなくてもよいのです。
 確認だけであればレスは10往復でもすればすぐに終わるはずですが、ここまで進行が滞っているのは、いちいちその場で議論になってしまうからです。

 385にまとめたものを参考にして、過去ログを御参照ください。190の以下にもお答えいただきたいと思います。

>>釈尊が悟った「普遍的な何か」をして「法」「仏性」と呼び、「南無妙法蓮華経」とするわけですが、この仏性は全てに内在されるもの、とするので、「継がれてきた」という表現だと違和感があります。

>僕は、「普遍的な何か」を、教えの内容(例えば三乗方便一乗真実であるとか)という意味で使ったので、「継ぐ」という表現にしたのですが。創価学会が、「我が宗教が唯一正しい」と主張する由 縁は、「教えの内容」の純血性を、釈迦の時代から守ってきた、とするものではないのでしょうか?
>それとも、それは宇宙に内在された真実であるが故に、誰であっても見出しうるものなのでしょう か? それだと殊更に創価学会が、「唯一」を主張することはできないと思うのですが。(これらは確認作業としてのもので、批判ではありません。念のため)

掲示板の便利な使い方なのですが(知ってる方も多いと思いますが)、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960174403&ls=1&to=100
の、1をはじめの番号、100を終わりの番号として、すきな範囲の番号を見ることができます。
例えば、385のみを見たい場合は、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960174403&ls=385&to=385
とすればよいわけです。


467 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 16:23
 すみません! 間違いました! &ls が、 &st になります。

掲示板の便利な使い方なのですが(知ってる方も多いと思いますが)、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960174403&st=1&to=100
の、1をはじめの番号、100を終わりの番号として、すきな範囲の番号を見ることができます。
例えば、385のみを見たい場合は、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=960174403&st=385&to=385
とすればよいわけです。


468 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 16:36
>最近議論に参加されている学会員の皆さん

 最近たくさんの学会員の方が参加されているようで、大変嬉しく思っているのですが、議論の内容で、かなり昔の議論の内容と重複している部分が見受けられます。昔の内容を出されてももちろん結構なのですが、その場合は昔の内容を把握した上で、それに対する問題提起なり、反論なりにしていただけるとよいのですが。

 過去ログ旧「日蓮って」
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=940605372&ls=50
も含め、膨大な量があるのですが、内容はそれなりに濃いので、見て損はないと思います。また、第7の外道さんがまとめた、「日蓮私見」
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=951578201
も読んでいただけると、共通の足場をつくる助けになると思います(これは非常によくまとまっており、見やすいです。量も70ぐらいと少ないので、こちらを先に見ることをお勧めします)。

 もちろん、途中参加された方には、はじめから説明する、というのが筋であると思っています。ただ、一人、二人ならよいのですが、けっこう続々とくる感じなので、常連さん方は対処にとまどっているようです。よろしくお願いします。


469 名前: 文底 投稿日: 2000/07/03(月) 18:18

SGさん

>文底さん、このスレッドでの私の書き込みは、一応これぐらいで終わらせてもらいたいとおもいます。


最後まで御付き合い頂き、此方こそありがとうございました。

正直申しまして、最後の書き込み以降、SGさんからレスを頂けるとは思っていませんでした。
しかし、SGさんは最後まで誠意を見せて頂きました。
私の愚見に対して、論点を外す事の無く最後までご自分の意見を述べて頂いた、SGさんの真摯的人間性に敬意を持ちます。

また、何かご質問等ありましたら、何時でも気軽に書き込んで下さい。

お体を大切に、そして、貴方は貴方の信じる道を誠実に謙虚に進んでください。

(上記の文にレスは不要です)



470 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/03(月) 19:01
再確認。

>427 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/06/30(金) 19:04

>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないと
いう根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。

↑  ↑  ↑  ↑  ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑

君は自分の発言に責任をもつべきだとおもうよ。「証拠」の提示は当然だよね?。


>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませるこ
とによって、教義に正当性を持たせているので。

↑   ↑   ↑   ↑   ↑

「創価学会は、○○○○ である。」という「全称命題」形態の「言明」をする以上
、正統な根拠が必要ですから、「中傷」でないなら、根拠をきちんと提示してくださ
いね。

しばらくは、静観しておりますよ。



471 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/03(月) 19:39
>みさき23区さん
 466にてレスしています。みさきさんは良識のある方だと思いますので言いますが、このスレッドではなるべく「荒らし」もしくは「荒らしのような誤解をまねく」書き込みは控えてもらいたいと思います。こちらも誠意をもって発言しようと思っています。ですから、そちらも誠意を見せていただけませんか? また、できれば468へのレスもいただきたく思います。

 また、みさきさんのおっしゃる議題について、ただちに説明しない理由は、464,465の愚乱破さんへのレスで述べています。また、今までの過去ログで、それらに触れている箇所は何箇所もあります。とりあえず、過去ログを読んでいただけますか?


472 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/04(火) 01:31
ひゃっきまるさん、ちょっと横レスになってしまいますが・・・

>つまり、僕の行動は「折伏」であると思っています。(中略)余談ですが、僕は相手を説得するとき、摂受ではなく折伏でなければならないと考えます。ただし、それは強制的に神棚を焼き払う(強制的手段)だとか、「これは正しい、お前は間違ってる」とただ連呼する(洗脳)ことではありません。相手の考えに間違いがあれば正直にその間違いを指摘し、あくまで話し合いで相手を納得させることです。

「説得」を「折伏」と重ねてしまうと、今後の議論に支障をきたしてしまうのではないか、と危惧します。というのも、「折伏」とは日蓮仏法の根幹と深く関わった概念であり、これ自体議論の対象になってしかるべきものであって、仮にそれを「説得」一般と重ねてしまうと、何かと問題が生じそうに思えるのです。

日蓮は、自分の法華経信仰と対立する立場を「謗法」とし、これを信じている限りその者は地獄に落ちる、としています。こういう人を地獄落ちから救い、「正しい」道を歩ませるためには、どうしても法華経信仰をさせなければならない。相手に「誤った」考え方を捨てさせるのは慈悲からの行いであるのだ・・・日蓮のいう「折伏」とは、こうした思想を前提にして初めてそれ独自の意味を持ちます。
自分と異なる思想を「謗法」とするのは、日蓮の場合、法華経信仰をしていなければ定義上「謗法」となるのであって、相手の具体的な発言や行動に対する疑問からそう言うのではありません。相手がどんなことをどんな根拠から主張しようと、その者が日蓮思想(法華経信仰)に同調していなければ、その時点で「謗法」なのです。ここには、自分と違っていることを理由に相手を誤りと規定する、というかなり危険なロジックも内臓されています。従って日蓮の場合、「自分が間違っている可能性を認めるし、実際間違っていれば素直に認めます」という契機は介在できない可能性すらあるわけです。おそらくひゃっきまるさんも以上のことはよくご承知でしょう。

日蓮の言う「折伏」概念は、こうした背景と切り離して論じることはできないと思います。従って議論をできるだけ厳密に進めるのであれば、「折伏」と「説得」は切り離して扱うべきで、決して後者を前者で喩えたりすべきではない、と思います。

以上のレスは、ただひゃっきまるさんのみに対するものです。



473 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/04(火) 01:48
みさき23区さん

横レスですのでご返答は不用ですが・・・。

>「創価学会は、○○○○ である。」という「全称命題」形態の「言明」をする

これは「全称命題」なのですか? 確かに主語である「創価学会」を「全ての創価学会員」と読みかえればそうなります。「全称命題」ならたった一つの反証があればその命題は反駁されたことになるでしょう。が、あくまで文面では「創価学会」は単称で、「一つの」組織として扱われています。「創価学会」が烏合の衆でない限り、それを固有の性質や傾向性を持っている一つの主体と仮定するのは何ら不都合なことではないでしょう。またこれまでのひゃっきまるさんの発言を一通り見られるなら、ひゃっきまるさんが「全ての創価学会員」を主題に議論しようとしているわけではないのは明白です。
この発言は「ちゃんと根拠を示し説明せよ」ということを言い換えただけのものだと私は読むことにしますが、他の方はどう読まれるでしょうか? 「全称命題」と「単称命題」では議論の展開が全く変わってしまうものだけに、また「すれ違い」が起こってきやしないかと危惧してしまいます。




474 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/04(火) 02:48
>473 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/04(火) 01:48


>「全称命題」ならたった一つの反証があればその命題は反駁されたことになるで
しょう。
>「全称命題」と「単称命題」では議論の展開が全く変わってしまうものだけに
、また「すれ違い」が起こってきやしないかと危惧してしまいます。


なにを、チマチマと、予防線張って居るんだい?。
正当な根拠を提示するか、撤回するか、どちらにするかは、彼の判断だろう。

私はアラシではないから、彼が、きちんと回答すれば、こんな所に用はないんだよ。


475 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/04(火) 04:43
分かりました。では確認から進めましょう。
それでは190への回答から。

>創価学会が、「我が宗教が唯一正しい」と主張する由縁は、「教えの内容」の純血性を、釈迦の時代から守ってきた、とするものではないのでしょうか? それとも、それは宇宙に内在された真実であるが故に、誰であっても見出しうるものなのでしょうか? それだと殊更に創価学会が、「唯一」を主張することはできないと思うのですが。

日蓮仏法は法華経の拡張・発展形であり(というより大乗仏教そのものが)、純潔性を「守って」いるかというとそうとは言いにくいと思います。
「唯一」という点に大変強い拘りを感じておられるようですが、僕としても複数の情報の検討の結果、「どうやら日蓮仏法は正しいとしか思えない」と考えているのであり、全ての可能性を検証し尽くしているわけでは到底ありません。

ところで仏性についてはひゃっきまるさんはどのようにお考えなのでしょうか。何れ暇なときにお伺いしたいと思います。
(混乱のもとかな……)



476 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/04(火) 04:54
注意:この文章は言い訳です。従ってレス無用です。
このところちょっと仕事が忙しくて、自分で読んでいてもかなーり短くて投げやりな文を読み返しもせず書き込んでいます。そのことを不真面目と捉えられた方も居られると思うので、先に謝っておきます。ごめんなさい。


477 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 06:02
  北越寒風夜四更
  門前臥雪若為情
  思衣烈々救生願
  数珠浪々念仏声
  当時枕石今猶在
  長仰南無六字城



478 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/04(火) 09:40
>第7の外道さん

 申し訳ありません。確かに軽率に「折伏」という仏教の用語を使ってしまったのは軽卒でした。いたく反省しております。

>みさき23区さん
 レスは読んでいただけましたか?


479 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/04(火) 10:25
>ZEGAさん

 短レスでのやりとりだと、後でまとめなおす時に苦労するのではないかと危惧するのですが、まあのんびりやっていきましょう。

>日蓮仏法は法華経の拡張・発展形であり(というより大乗仏教そのものが)、純潔性を「守って」いるかというとそうとは言いにくいと思います。
>「唯一」という点に大変強い拘りを感じておられるようですが、僕としても複数の情報の検討の結果、「どうやら日蓮仏法は正しいとしか思えない」と考えているのであり、全ての可能性を検証し尽くしているわけでは到底ありません。

 では、ZEGAさんの考えとは、今、仏教とよばれている、あらゆるものは釈尊から展開されてきたもので、その意味では正統はどこにも存在しない、と。そして、創価学会を、「唯一」とまでは判断していなくて、「正しい」と判断している、ということでよろしいでしょうか。
 もしそうだとすると、僕としては腑に落ちません。以前ZEGAさんに確認したときは、「唯一」ということになっていましたし、日蓮仏法では、「唯一」は教義の要中の要で、日蓮仏法が正しい、ということと、日蓮仏法が唯一だ、ということは同義であると思うのですが。

 法華経で主張されている内容、または、日蓮大聖人が主張されている内容を見てみれば、「正しい」けれど「唯一ではないかもしれない」、ということは非常に不自然に思えます。


480 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/05(水) 02:53
>ひゃっきまるさん
>479

>今、仏教とよばれている、あらゆるものは釈尊から展開されてきたもので、その意味では正統はどこにも存在しない

フランスには日本の料理であるスキヤキが伝わっているそうですが、その姿は日本人から見れば似ても似つかないものです。赤ワインをいれて、汁がなくなるまで煮込んであります。仏法もまた釈尊滅後から直ぐにバラモン教や六師外道の思想の影響が入っているでしょうし、沢山の人の手を経て、中国、日本に渡る段階で、その国特有の宗教・哲学的要素が混交していますから、その意味で「あらゆるものが」という風には考えていません。

>そして、創価学会を、「唯一」とまでは判断していなくて、「正しい」と判断している、ということでよろしいでしょうか。
 もしそうだとすると、僕としては腑に落ちません。以前ZEGAさんに確認したときは、「唯一」ということになっていましたし、日蓮仏法では、「唯一」は教義の要中の要で、日蓮仏法が正しい、ということと、日蓮仏法が唯一だ、ということは同義であると思うのですが。

僕自身がこの世にある全ての思想・宗教・哲学を吟味した結果、「唯一」であると断ずるほど、沢山の経験や情報、思索の蓄積があるわけではない、ということです。僕は「唯一正しい」と信じていると思ってくださって構いません。
同じ目的地に着こうとして、真っ直ぐ目的地に向かうのと、曲がりくねった道を通ったり、山河を渡ったり、地球を裏から回ったりして目的地に向かうのとでは大きな開きがあります。こうした観点において、日蓮仏法は超厳密に言うと「唯一」とはならなくなります。理論面においては五時八教の教えや教判から、現実面においては自分や他の会員の功徳の様相から、僕は「日蓮仏法は最強かつ最良」と考えています。細かなことを言い出すときりがないのですが。
諸経と法華経の功徳の違いはいくつかの御文にあったのですが、どこにあるのか良く覚えていません。「確かこんな御文があったな」とか、「これについてはこういう答えだった」という、漠然とした情報は沢山あるのですが、どこにあるのかを明確に覚えていません。これだから日ごろ御書を読んでおけばブツブツ……(愚痴)


481 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/05(水) 14:10
ひゃっきまるさん<
 末法の本尊は南無妙穂蓮華経であり、修行法は唱題であるというのが、日蓮大聖
 人が法華経を基に建てられた法門ですね。
 ですから、法華経が仏説でなければ、基が崩れる訳ですので、現実に実証がある
 と言っても、唯一最高の保証にはならないですね。
 これは、ひゃっきまるさんと多分同じ意見だと思いますが、違うように受け取ら
 れていませんか? もっともこれは学会員の平均的理解では無いそうですが…

 仏説についてですが、これは釈迦説(原型のみを含む)ではなくても、後に悟りを
 開いた仏陀の説でも良いか? と言う点はどうでしょうか?
 私は否と思います。法華経は明らかに釈迦の教えとして展開され、虚空会で正し
 いことが諸仏によって証明されたとなっていますので、これも方便であるとは解
 釈できないでしょう。(再誕して説いたということでも私は駄目だと思ってます)

 ZEGAさんも同じ考えのように思われるますので、ひゃっきまるさんの非釈迦
 説のご説明をしていただいてよろしいかと思われますが、いかがですか?

 その前にお断りして置きますが、少しでも釈迦説の可能性が残っているならば、
 私はそれを信じることを捨てることは無いと思います。
 それと、ひゃっきまるさんはもし釈迦説が証明されれば、唯一最高であることを
 認めるというお考えはあるのですか? (私が証明できるわけではないのですが…)

 別件ですが、“もう我慢の限界です”の「創価学会青年部代表」の言説を肯定す
 るか?
 に関してですが、彼の信念はともかく、対話法としては殆ど肯定できません。
 それどころか、彼は学会員かどうか疑わしく思ってます(根拠なしですが)
 これまでの私の意見でこの程度は伝わっていると思ってましたが、考えを伝える
 って難しいものですね。


482 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:36

みさき23区さん

初めまして、文底と申します。

私は「法華講」と「創価学会」に在籍している知人に持ちながら、両者主張される、教義の正当性の懐疑的印象付けを払拭出来ず、現在どちら側にも属していない「日蓮仏法に興味を持つ二乗の愚者」です。(決して宗教や日蓮仏法そのものの必然性を否定している人間ではありません)

確認なのですが、(違っている点は御指摘下さい。)

>441 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/01(土) 18:59
>新参者です。
>学会員です。

みさき23区さんはこの番号からこのスレッドに参加されたのですね。
そしてこの番号において、みさき23区さん御自身のお考えとして、

>>436 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/01(土) 06:28
>わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
>釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と、解釈できます。
>ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき。でしょう?。
>このような、思考も学会員の平均的理解とは異とするところかと、考えます。

との御意見を述べられ、愚乱破さんにレスを付けられました。
しかし、No457の愚乱破さんの、みさき23区さんへのレスに対し、みさき23区さんは

続きます。


483 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:40

>残念だが学会員である君とここで議論はしない。

と結論付けられ、此処での学会員の方との議論を拒否なさっています。

その一方で、昼行燈さんが具体的に宗教板のURLを提示している事象に対しても

>「ゆきぞ」さんのところあるいは「SF研」で、論戦するなら、いつでも「お相手」いたします。

との一文にて、昼行燈さん(非学会員)との議論も2chにおいて、避けていらっしゃいます。
つまり、貴方は「学会員」「非学会員」の両者とも此処(2ch)での議論は望まれないのですね。
そして、ひゃっきまるさんの

>釈尊が法華経を説いていないという根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。

との一文に拘っておられ、ひゃっきまるさんの具体的意見が聞ければ

>彼が、きちんと回答すれば、こんな所に用はないんだよ。

という事ですね。

続きます。


484 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:42

本当は、ひゃっきまるさん御自身がご回答なされば一番なのでしょうが、このまま放って置くとこのスレッドの価値自体が問われかねませんので、愚見ですが横レス致します。
また、このレス自体も一私見ですので、無論間違い等あるかと思います。
その時は皆さんご遠慮無く御指摘ください。
それにより、このスレッドの意義付けが一層「内容のあるもの」になる事を期待します。


法華経の文献学的歴史における一考察

まず、「法華経」には六訳三存といって、古来6種の漢文への訳があります。

しかし、現在伝わっている代表的なものは、

*正法華経(286年訳) 竺法護訳
*妙法蓮華経(406年訳) 鳩摩羅什訳
*添品妙法蓮華経(601年訳) 闍那崛多・達摩笈多訳の

3種類であり、その中でも、鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」は貴方(学会員)が指す所の「法華経」であると位置付けられます。

続きます。


485 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:46

それでは、梵本法華経(サンスクリット原典)と羅什訳「妙法蓮華経」の主な相違点を論じておきます。

*羅什訳には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の偈文はありません。
*羅什訳の{妙法蓮華経薬草喩品第五」には譬喩が欠落しています。
*天台仏教にとって大切な方便品の十如是が梵本には揃っていません。
*方便品の四仏知見「開」がありません。

他にも色々ありますが、此処では、一番分かりやすい「法華経二八品」に対する論証を致します。
そもそも、羅什訳には「妙法蓮華経提婆達多品第十二」は存在しません。

1、
羅什自身が「江東所傳止得二十七品」と述べている

2、
「正法華経」にも提婆品に相当する章が現存しない。(全部で二十七品)

3、
日聖徳太子による「法華義疏」もまた、二十七品のみである。

(逆に法華経が「二八品」であった、具体的事例をお聞かせいただけると、これからの論議の参考になります)

続きます。


486 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:47

以上の事象に起きまして推考する所、鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」は現存する「梵本法華経」(サンスクリット原典)とは、明らかに内容が変わっているという事です。
しかし、その「梵本法華経」ですら、チベット語の翻訳ですから、チベット語訳そのものが、かなり後のものであり、羅什訳以前の梵本法華経(サンスクリット語)の姿を証明する文献とも結論付けられ無いのも又事実です。

現存する「法華経」が釈尊自身の教えの内容の改竄とまでは呼べなくとも、少なくとも時代の推移において「変容性」が見られた事は紛れも無い事実であり、逆にこの事象を持って、現存する「法華経」そのものが、釈尊の「本意」である事を「断定」するには、慎重であらねばならないと愚考いたします。

ひゃっきまるさんが述べられた

>必要とあらば考古学的検証

とは、正にこの事であり、私自身は「釈尊が法華経を説いていないという根拠」とまでは、断言できませんが「釈尊が法華経を説いたかどうか慎重に論議する必要性がある」とは思います。

私は、みさき23区さんがこのスレッドを「アンチの為の日蓮論破スレッド」と結論付けられる事を危惧し、また、出来得れば、みさき23区さんにも此処で論議に加わって頂き「日蓮仏法」における「事の本意」を色々な御立場の方々の発言を伺い、参考に出来たらと思っている一人であります。

ひゃっきまるさんのレス対する横レスになり、失礼かと存じ上げましたが、みさき23区さんに、このスレの意義付けを了解して頂きたく、一言述べさせて頂きました。

以上です。


487 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/05(水) 21:37
 最近忙しくなってきて、あまり議論にかまけてもいられなくなってきました。とりあえずZEGAさんが、全ての保留してある質問に答えてもらうのを待つのと(お手数ですが、過去ログを順に見ていって確認してみて下さい)、文底さんが法華経について説明し終わるのを待つことにします(文底さん感謝です)。
 ZEGAさんとみさき23区さん、愚乱破さんとの議論を一本化する方向ですすめましょう!(この点に関してずっと返事がいただけないままなのですが、よろしいでしょうか?)。


>ZEGAさん
 スキヤキの例えで何を言いたかったのかよく分からなかったのですが、今仏教とよばれているものでも、他の宗教などが混じってしまって、仏教でなくなっているものがあるということでしょうか? もしそうだとすると、まさに「大乗非仏説」とはそういう主張をするもので、僕もその考えをもっています。そして、釈尊の説を伝えている仏教はあると思っています。(もちろんそれは大乗仏教ではありません)
 今、何を確認するためのやり取りをしているかというと、「法」は釈尊から継がれてきたものなのか(またはそういう性質をもつものなのか)、誰にでも見い出しうるものなのか、という点です。

>僕自身がこの世にある全ての思想・宗教・哲学を吟味した結果、「唯一」であると断ずるほど、沢山の経験や情報、思索の蓄積があるわけではない、ということです。

 ZEGAさんが「唯一」というのは、思考判断としてではなく、信仰上の信念として、ということでよろしいでしょうか?

>理論面においては五時八教の教えや教判から、現実面においては自分や他の会員の功徳の様相から、僕は「日蓮仏法は最強かつ最良」と考えています。

 「最強かつ最良」というのは、唯一と同意であると思うのですが、違うのでしょうか。また、「理論面においては五時八教の教えや教判から」というのが「唯一」の説明になっているようですが、これは前半部分の文章とは矛盾しないのでしょうか?

 「五時八教の教えや教判」の理論から、ZEGAさんは「唯一」だと判断しているのでしょうか、それとも、単に信念として信じているのでしょうか?(この場合だと理論的な意味の根拠はなしに信じていると言うことになりますが)
 ちなみに、世界のあらゆる思想を知っていなければ、「唯一」とは断言してはいけない、ということはないと思います。「唯一」と主張する、裏づけとなる論理を誰も破れなければ、間接的には一つの証明といえるでしょう。少なくとも、大きな説得力にはなるはずです。(僕は裏づけとなる論理がおかしいという主張なのですが)


488 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/05(水) 21:38
>愚乱破さん(481)
>ですから、法華経が仏説でなければ、基が崩れる訳ですので、現実に実証があると言っても、唯一最高の保証にはならないですね。
>これは、ひゃっきまるさんと多分同じ意見だと思いますが、違うように受け取られていませんか?

 その通りです。どうやら勘違いに勘違いを重ねたようですね。大聖人は、釈迦が法華経を説いたということを、自説の正しさの根拠としているので(A)(これには学会員のほとんどがが賛同していただけないようですが)、法華経を釈迦が説いていないとすると、日蓮仏法は理論での正当性を失うと思います。

>ZEGAさんも同じ考えのように思われるますので、

 ZEGAさんにはまだその点の確認はとっていません。しかし、法華経を釈迦が説いたか、「分からない」との答えですので、まず(A)の議論を終えてから、と考えていました。また、愚乱破さんにしても、「原理主義的解釈」でなければ日蓮仏法としては矛盾する、ということには同意していないのではありませんか?

>それと、ひゃっきまるさんはもし釈迦説が証明されれば、唯一最高であることを認めるというお考えはあるのですか?

 答えはNOです。それは、法華経の内容にも関係しますので、今は詳しく述べられないのですが、あくまで、「法華経が釈迦によって説かれなければおかしい」というのは日蓮仏法の理論の整合性としてそうだということであって、それが証明されるのと、日蓮仏法が正しい、というのは別問題ということです(それが否定されれば日蓮仏法が間違っている、ということははっきりしますが)。
 このような立場はアンフェアである、というお叱りを受けると思いますが、僕は結して、どのような宗教も正しくない、という考えではありません。ただ、「超越者・人物崇拝」「呪術的」「オカルト的」要素の強い宗教には警戒心をもっています。
 ただし、法華経に描かれる話が、現実に(現実を超えた領域でも可・妄想では不可)展開された、という意味での、「釈尊が法華経と説いた」となれば、話は別です。ただ、それを証明する方法があるかは分かりませんし、証明できなくても信じるべきもの、だとも思いません。

>別件ですが、“もう我慢の限界です”の「創価学会青年部代表」の言説を肯定するか?に関してですが、これまでの私の意見でこの程度は伝わっていると思ってましたが、考えを伝えるって難しいものですね。

 そうですか、これは失礼しました。批判的意見がなかったので、つい誤解してしまい、愚乱破さんの気持ちを察することができませんでした。ところで、あそこのスレッドは「一会員さん」のおかげでずいぶん良くなりましたが、もしかしたら彼は愚乱破さんですか?


>みさき23区さん
 僕が、「他にも根拠」といったのは、法華経の内容についてです。もしみさき23区さんが法華経を読んでらっしゃらないのであれば、僕がネットに復帰するまでに、できれば読んでおいてくれませんか。意味をさっと通す程度でかまいません。法華経の解説本は、文章の意味以外に、訳者の長い解説がつく場合が多いのですが、意味だけわかればけっこうです。


489 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/05(水) 21:57
>484 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:42

>本当は、ひゃっきまるさん御自身がご回答なされば一番なのでしょうが、
このまま放って置くとこのスレッドの価値自体が問われかねませんので、
愚見ですが横レス致します。上記の一連のレスを以て、「ひゃっきまる殿の論証も終了した」と理解してよろし
いのですか?。

もう一つの私の質問の方は、どうですか?
これも、代理の方でもかまいませんけどね。

ひゃっきまる 殿
文底     殿ちなみにおすすめ過去ログ、ザ−っと拝見しましたよ。



490 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/05(水) 22:03
訂正


>484 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:42


>本当は、ひゃっきまるさん御自身がご回答なされば一番なのでしょうが、
このまま放って置くとこのスレッドの価値自体が問われかねませんので、
愚見ですが横レス致します。


上記の一連のレスを以て、「ひゃっきまる殿の論証も終了した」と理解してよろし
いのですか?。


もう一つの私の質問の方は、どうですか?
これも、代理の方でもかまいませんけどね。


ひゃっきまる 殿
文底     殿

ちなみにおすすめ過去ログ、ザ−っと拝見しましたよ。



491 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 00:28

みさき23区さん

>上記の一連のレスを以て、「ひゃっきまる殿の論証も終了した」と理解してよろしいのですか?。(みさき23区さん )
>僕が「他にも根拠」といったのは、法華経の内容についてです(中略)僕がネットに復帰するまでに・・・(No488 ひゃっきまるさん)

以上の文から類推すると私見ですが、ひゃっきまるさんの論証はまだ終了していないと思います。

>もう一つの私の質問の方は、どうですか?

この御質問は、

>>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。

>「創価学会は、○○○○ である。」という「全称命題」形態の「言明」をする以上、正統な根拠が必要ですから、「中傷」でないなら、根拠をきちんと提示してくださいね。

の事でしょうか?

>これも、代理の方でもかまいませんけどね。

やはり、最初に書き込みされた、ひゃっきまるさんがレスするのが、一番だと思いますが、あまりお忙しいようであれば、時の推移を見て他の方が、横レスをするかも知れません。
何れにせよ、中々レスが付かなかったり、横レスが入ったりして、みさき23区さんもイライラされるかもしれませんが、私自身の意見としては、このスレッドの常連の一人である「文底」が

続きます。


492 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 00:30

>なにを、チマチマと、予防線張って居るんだい?。

ではない事をNo482からNo486にて具体的に論証した推移を見て御理解ください。

また、みさき23区さんが、私の愚見を読んで頂いたようなので、

1、羅什訳には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の偈文はありません。
2、羅什訳の{妙法蓮華経薬草喩品第五」には譬喩が欠落しています。
3、天台仏教にとって大切な方便品の十如是が梵本には揃っていません。
4、方便品の四仏知見「開」がありません。

これらを反証する何か文献等お持ちでしょうか?

5、法華経が二八品である論理的根拠を御提示願えませんか?

全て、番号を付けて具体的事例を掲げ御反証ください。
私は貴方の疑問に対し「横レス」ながら、誠意を持って「具体的事例を掲げ」お答えさせて頂きました。
私自身の貴方に対する認識は、そのお答えの推移にて判断させて頂きます。

*この論議の推移を見て、他の常連(そうで無くても)の方のご意見も是非伺いたいと思います。



493 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/06(木) 01:37
文底殿
、以下反論させていただきます。


>441 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/01(土) 18:59
>わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
>釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と
、解釈できます。
>ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき。でしょう?。


>470 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/03(月) 19:01
>再確認。

>>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないと
いう根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。

という、驚くべき主張がなされており、
その根拠をもとめたものです。
あわせて、「差別」発言と思われる記述があり、根拠を求めているものであります。

ですから私は法華経が、28品の形式で一度に成立したなどとは、一言でも主張しましたか?。
ですから、文底氏の書き込みには、本来回答する理由も義務もないのであります。 でしょう?。


しかし、あえて言うならば文底氏の、「考察」と称する内容も、岩波文庫本(法華経)の末尾の「解題」と同レベル
の内容とおもいます。数十年も前からの、既知の内容にすぎません。  

続く



494 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/06(木) 01:39
 
>>1、羅什自身が「江東所傳止得二十七品」と述べている
>>2、「正法華経」にも提婆品に相当する章が現存しない。(全部で二十七品)
>>3、日聖徳太子による「法華義疏」もまた、二十七品のみである。
>>(逆に法華経が「二八品」であった、具体的事例をお聞かせいただけると、これからの論議の参考になります)

上記の内容について。
提婆達多品が、中国で天台の頃の編入である。という指摘も、おおむね既知のことです。
逆に、学会がこの説を否定しているというのでしたら、例証をお示しください。

文底氏の、「釈迦は法華経を説いたのか?」という「考察」は、結局、既知の内容羅列であり、
なんら「新しい証拠」の提示はありません。御本人が

486 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:47
>>必要とあらば考古学的検証
>とは、正にこの事であり、私自身は「釈尊が法華経を説いていないという根拠」とまでは、断言できませんが「釈尊が法華経を説いたかどうか慎重に論議する必要性がある」とは思います。


というように、あくまで推察であり「蓋然性」しかないものと考えます。当然
「釈迦が法華経をとかなかった。」という驚異の新説の「確証」とはならないことは明らかでしょう。

続く



495 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/06(木) 02:23


文底殿

<本題>

ひゃくきまる氏
>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないと
いう根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。


@釈迦の「法華経説法」説を明らかに証拠ずける文献が存在するか?否か?という問題。

A文献的資料の有無だけで、釈迦が在世に事実として「法華経」を説いたか否か判断できるか?という問題。

ひゃくきまる氏はこの、二つの問題が、分離できていない。(あるいは、文底氏も、?)
@Aの項目を、検討すれば、上記のような、彼の言明は、無理であることは明らかではないですか?。

実際、「釈迦が法華経を説かなかった」ことが「証明」できるるとすると、考えうる理由は

@釈迦は、実在の人物ではない事が立証された。
Aひゃきまる氏はタイムマシンを、所有していて、釈迦在世と現在を、往復できる。

このような事が無い限り、証明不可能なことです。


496 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/06(木) 03:41
おねがい。

>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、
教義に正当性を持たせているので。

↑  ↑   ↑   ↑   ↑

上記のような根拠の明示なき、「差別的」 発言の論証も、要求いたします。
(こちらの問題の方が、重大と考えております。)

文底    殿
ひゃきまる 殿




497 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 06:09
   
北越寒風夜四更

門前臥雪若為情

緇衣烈々救生願

珠數琅々念仏聲

当時枕石今猶在

長仰南無六字城


498 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/06(木) 09:11
みさき23区さん

 大乗非仏説について。

 釈迦が教えを説き、弟子(声聞/声を聞いた人)がその教説を記憶し、各々が読誦して持ち、
釈迦滅後、その教えが散逸する事を怖れたマハー・カッシャパ(摩訶迦葉)は、ラージャグリハ
(王舎城)に500人の弟子と共に集まり、各々が伝持していた教えを提示し合い、確認し合っ
たと「パーリ律蔵中の小品」は伝えています(五百 けん(牛+健)度)です。
 次の漢訳律蔵経典も同様です。
 1.五分律
 2.四分律
 3.十誦律
です。
 4.摩訶僧祇律
は五百結集けん度に相当する章はありませんが、他の三つの律蔵は同じ内容が述べられています。
 この第一回経典結集は創価学会でも認めています。(池田大作/原島崇著・「仏法を語る」参照)
 創価学会の本部への電話でも、御書講義と称する「教学研究会」でも同じ説明を何度も伺って
もいます。

ここまでは宜しいですね?

違う箇所があればご指摘下さい。

同じ前提で話さなければ、水掛け論になりますので。

 


499 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/06(木) 09:52

釈迦が説法した地域は、主にマガタ国を中心にしていたと云われています。
 そして使用した言語は、マガダ語か、それに近いプラークリット(方言)であったことは同じ
頃、同じ地方で活動していたニガンダ・ナータプッタ(マハー・ヴィーラ)の経説がマガディで
残されている事などから、間違いは無いと思われます。雅語であるサンスクリットでは無いこと
は、釈迦の弟子の多様な顔ぶれからも「法を求める人に、理解できない言葉で説法をした」とは
到底思えないからです。
 パーリ語(聖典語と後に呼ばれる)は、マガダ語に近いと云われるプラークリットですが、パ
ーリ語で、残された大乗経典は現在「何一つ」有りません。勿論、マガダ語の経典もです。
 経典結集には、釈迦の教えを「初めて聞いた」とされるコンダンニャーも参加していますが、
(天台によれば、華厳経を説かれたとか)大乗の経説に関して、何も語ってはいません。法華経
で「記別を与えられた」長老も同様です。
 「記別を与えられて目覚めた」筈の迦葉も同様です。また、あまたの長老も法華経に関して沈
黙しています。
 何故、二乗も成仏できると云われ、感激した迦葉や、他の長老は法華経を無視して経典結集を
行ったのでしょう。

 二度目の経典結集は、その後100年後と島史や異部宗輪論等にも記載が有りますし、アショ
ーカ王碑文も同様の事を述べています。
 アショーカ王勅詔には釈迦の教えの一部が(シンガーラの教えとほぼ同じ)書かれていますが、
大乗仏典の引用は全くありません。
 また、釈迦と同時代の宗教家(六師外道の一人)であるマハー・ヴィーラの開いたジャイナ教
聖典(アンガ2、シューヤガダ)には釈迦の教え(シャーリプッタに帰している)をかなり詳細
に説明し、批判を加えていますが、大乗経典に説かれる教説は何も触れられていません。
 ブラフマ・スートラ(未読)にもU.2.18〜25では仏教攻撃を行っていると書かれています
が大乗経典には触れられていないそうです。




500 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/06(木) 09:55

 書籍の整理のため、しばらくはレス出来ないかも知れません。
 とりあえず序文として、ここまでです。

 


501 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/06(木) 10:54
文底さん、ひゃっきまるさん、昼行燈さん

ざっと読みましたが、みさき23区さんとの「議論」が始まっているのですね。ただ、議論の推移について気になるところがあるので申し上げます。

みさき23区さんは第1の質問において、「法華経非仏説は是か非か」というところをテーマとしているのではありません。むしろみさき23区さんは、ご自身も

>わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
>釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と、解釈できます。
>ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき

とおっしゃっているところからも、立場としては「法華経非仏説」でらっしゃるようです。そしてそれはあくまで蓋然的に言えることである、という旨のこともおっしゃっています。従って、この点に関してはみさき23区さんと(例えば)文底さんの「法華経」への立場は、決して対立しあうものではないのです。
続きます。




502 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/06(木) 10:55

みさき23区さんが論点としているのは、ひゃっきまるさんの言われた

>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないと
>いう根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。

の、「根拠」の部分、これ一点です。みさき23区さんはこの「根拠」を、「蓋然的な正しさを裏付けるもの」ではなく、「確実にそうだと証明できるもの」として受け取ってらっしゃいます。例えば、

>というように、あくまで推察であり「蓋然性」しかないものと考えます。当然
>「釈迦が法華経をとかなかった。」という驚異の新説の「確証」とはならないことは明らかでしょう。

というくだりからもそれが分かります。
従って、

(ひゃっきまるさんの言葉について)
>という、驚くべき主張がなされており、
>その根拠をもとめたものです

ですが、ここで言う「驚くべき主張」とは、「法華経が非仏説である」というのを指すのではなく、法華経非仏説に「根拠=蓋然的でない絶対的確証があると主張する」、というのを指していると思われます。
ですから、皆さんが法華経非仏説についていかに説得力ある主張をなさろうと、それが蓋然的なものである限りみさき23区さんは受け入れないでしょう。99%ではダメで、100%でないとダメなのです。ところで学問の成果というのは常に蓋然的なものです。従ってこの「議論」は最初から結論が見えており、みさき23区さんの論法は「敵」の主張を最小限の労力で破壊しようとする(それだけが目的の)よくある論法の一つ、というわけです。
続きます。




503 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/06(木) 10:56

ですから、ひゃっきまるさんは「根拠を持っていますし」という表現を撤回するか(みさき23区さんがこれを「100%の確証」ととらえたのは、ここだけとれば曲解、というわけでもないと思います)、あるいはここでいう「根拠」は、「法華経仏説に比べて法華経非仏説のほうが可能性がはるかに高いし、信頼できるとするべき理由」という風に規定しなおすかすれば、一応みさき23区さんの「第1の問いかけ」に対する「議論」は終息すると思います。ひゃっきまるさんが後者のように修正しても、「ずるく」はないと思います。今までの議論の中からも、ひゃっきまるさんが何かを「100%絶対確実だ」というスタンスで議論されていたわけではないのは確かめられるはずですから。
ただ、以上の「論点」はこのスレッドの議論の核心からは逸脱するものです。その点は注意なさってください。

またみさき23区さんの第2の問いかけ、つまり

>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、
>教義に正当性を持たせているので。

についての証拠提示の件ですが、どなたも、これを始める前には注意してください。もう「ちまちま」とではなく「堂々と」予防線を張りますが、みさき23区さんはこれを「全称命題」としてとらえておりましたが、この点きちんと確認しないと、みさきさんと議論する場合は「100%例外なく」を論証しなければならないという、第1の「議論」と同じ問題が再発します。第1の「議論」から推察すれば、みさき23区さんがそういう方向で対者の主張の「破壊」のみを目的とした論法を駆使する可能性が十分あると見えます。またそれについてもこのスレッドの議論の核心からは逸脱していく可能性が大きいです。




504 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/06(木) 11:12
また、「差別的」という語の意味についても同様です。
この場合の「差別」という語の意味をみさき23区さんにきちんと
説明していただく前に「議論」を始めると、やはり同じような問題が生ずるでしょう。

とりあえず以上です。


505 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/06(木) 14:05
ひゃっきまるさん<

488の書きこみで“「原理主義的解釈」でなければ日蓮仏法は矛盾する”に同意す
るかという問いがありました。

日蓮大聖人は法華経に説かれた[真意]を解釈して日蓮仏法の正当性をご説明されて
います。日蓮大聖人の解釈を正しく伝えるため相伝ということを重要視されており
ます。(これの重要性を学会では師弟といっているのではないかと思います)

また、歴史的事柄についても当時真実と考えられていたことをそのまま採用して御
書に取り入れておられます。(後世に覆された事柄も有ったのではないかと思います
が…)

法華経にあっても、例えば宝塔とか地湧の菩薩などは釈迦の説法の内容ではなく、
聴聞した弟子の言葉となっているので、弟子がそのように認識したということで、
これが事実であったかどうかは釈迦の説法の内容と同次元には扱えないと思います。
ただ、釈迦が現じたことなので、あるいは集団催眠のような状態だったのかもしれ
ません。(譬としては悪いとは思っていますが…)


506 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/06(木) 14:06
これらから、再度考えてみると、あるいは法華経は当時、仏説として信じられてい
ましたので、ひょっとしたら日蓮大聖人もあえて否定せずに用いたのではないかと
いう考えも有り得る気がしてきました。
末法の御本仏、日蓮大聖人が当時の人に南無妙法蓮華経を信じさせようとしたら法
華経を用いるのが妥当と思われたということも考えられると思うのです。
そのような観点にたてば、後に法華経が非釈迦説ではなかったということが解かっ
たとしても日蓮仏法が確立してしまっていれば、それによって崩れることは無いと
思い出してきました。

これは、末法の御本仏を先に認めてのことなので、これでは議論にならないと思い
ます。
つきつめれば、釈迦が仏であることを証明できないことと同じかもしれません。
従って、ここでの議論には加わらないことを決意しました。
(それに皆さんのような深い知識もありませんので <= こちらの方が大きい)
今まで、議論の場を乱したり、今となっては無用のお手間をおかけしたことを、深
くお詫び致します。
ご健康に留意され稔り有る議論が展開されることをお祈りします。
どうも、すみませんでした、そしてありがとうございました。


507 名前: >506 投稿日: 2000/07/06(木) 14:13
アルフ、自作自演ご苦労!


508 名前: 1〜507 投稿日: 2000/07/06(木) 14:15
自作自演ご苦労!アルフ


509 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 15:48
507、508、ただの馬鹿。一日中おんなじことを
あちこち書いている。初めからちゃんと読むことさえ
できない「差別主義者」なので常連のみなさんには
馬鹿はほっといてより有意義な議論を続けてください。
『2chの良心』とまで言われているこのスレッドを
荒らさないでくださいよ。創価のひとよ。


510 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 15:50
アルフは自作自演でしかも長文が得意。


511 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 15:52
ここを見ている同志諸君!恐れずに書き込もう
反創価は遁走を開始した!悪は必ず滅びる!!!!
全国の賢明なる同志よ!反創価のこの無様なありさまを見て
ここを正義の言論の場としよう!


512 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:01
ここを見ている同志諸君!恐れずに書き込もう
反創価は遁走を開始した!悪は必ず滅びる!!!!
全国の賢明なる同志よ!反創価のこの無様なありさまを見て
ここを正義の言論の場としよう!




513 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:02
菱村の馬鹿もきてるんじゃねーのか(藁)
反創価の自作自演スレッドだろ、これも


514 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:10
>513

遁走した大江だったりしてね(藁)


515 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:11
ここを見ている同志諸君!恐れずに書き込もう
反創価は遁走を開始した!悪は必ず滅びる!!!!
全国の賢明なる同志よ!反創価のこの無様なありさまを見て
ここを正義の言論の場としよう!




516 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:12
反創価自作自演軍団指名手配!
アルフ、溝鼠、福永、エセ人権団体野村、糞飯者中田聡、キチガイ菱村、脳乱佐田
妄想松永、ヒステリー小山田

反創価ってこんなのばっか




517 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:12
反創価自作自演軍団指名手配!
アルフ、溝鼠、福永、エセ人権団体野村、糞飯者中田聡、キチガイ菱村、脳乱佐田
妄想松永、ヒステリー小山田

反創価ってこんなのばっか




518 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:13
>515

福永君、自作自演やらなくてもいいよ。
分かるよ、しっかりね(藁)


519 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:15
反創価、ついに自ら露呈した自作自演。
既にこの板には自作自演しか存在しない。
真実などどこにも存在しなかった。
デマ、自作自演、一人芝居、謀略等々・・・
今までのことはすべて自作自演である
終結宣言を出すしかない。





520 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:19
福永って悪質
一度書き込んだものを何度もコピペしていかにも学会が
やったと思わせる。最悪の退転者だね。


521 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 16:39
時々、反創価はなりすましてコピペするんだよね。
「匿名でも分かってるぞ!」なんて自分でコピペしたくせに、
「学会ってこんなやつらばっかり」なんて言い出す。
自作自演しているのがバレバレなんだな。




522 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:07

みさき23区さん

>>全て、番号を付けて具体的事例を掲げ御反証ください。

に対して、みさき23区さんのレスには、番号を付けての御回答はありませんでしたが

>文底氏の書き込みには、本来回答する理由も義務もないのであります。

にも関わらず

>あえて言うならば文底氏の、「考察」と称する内容も、岩波文庫本(法華経)の末尾の「解題」と同レベル の内容とおもいます。(後略)

と、私に対する愚見に対し、御意見を頂いた事感謝いたします。

私は、みさき23区さん御自身のお考えが、

>わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
>釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と、解釈できます。
>ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき。でしょう?。

「と考えています」「解釈できます」「考えるべきでしょう?」
との主張から、みさき23区さんは蓋然的判断主義の方と存じ上げましたが、違いますか?

続きます。


523 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:09

蓋然論は古くは新アカデミー派等と言われ、近代ではパースのプラグマティズムなどが有名ですが、何れにせよ、みさき23区さんのような、理知的な創価学会の方は蓋然的判断主義における、実践活動(折伏やそれに伴う功徳など)を観念(主観的教義解釈)の上位に置き、日蓮仏法の真実は「その行為によって評価されるとする立場」であると言う認識を持っていました。

もし、みさき23区さんが絶対唯一主義の「全称命題」にその力点が置かれ、その論述的根拠を「全称命題」における論議の正当性に求めているのであれば、御自身の御立場である、創価学会の「教義」対しても絶対唯一主義の「全称命題」の団体としての認識で宜しいのでしょうか?

みさき23区さんが創価学会の「教義」対して、絶対唯一主義の「全称命題」の団体としての認識では「無い」事は上記の文面「と考えています」「解釈できます」「考えるべきでしょう?」から、類推できます。
この類推に誤りが無いのならば、自分自身の思想、及び、自分の属する団体が、絶対唯一主義の「全称命題」で論破されるのも「本意」ではないはずです。
したがって、他人(この場合ひゃっきまるさん)の意見

>>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないという根拠をもっていますし、必要とあらば考古学的検証も行いたいと思っています。

に付いても「全称命題」ではなく、蓋然的判断の一つであると御理解いただけると思います。
たしかに、ひゃっきまるさんの上記以外の論議の主旨からも、みさき23区さんが懐疑的になるような「全称命題的傾向」が見られますが、あくまで「全称命題的傾向」であって、創価学会やその信者の方々を「全称命題」において、誹謗中傷するのが目的だとは思われません。

続きます。


524 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:10

此処を御理解いただくため、

>という、驚くべき主張がなされており、その根拠をもとめたものです。

この反証材料として、創価学会の教義に基づいた信者の「驚くべき主張」における功罪の行動規範の「罪」の部分を殆ど全ての会員が「全称命題」ではなく「蓋然的判断」の一つとして、弁明されている事象をお考え下さい。
私は、みさき23区さんの信念である「創価学会の教義」やその「信仰」そのものを「全称命題」として「否定」する事を目的で、法華経に対する一考察を論じた訳ではありません。
あくまでこのスレッドの存在意義を顕す為の「蓋然的判断」の一つであると御理解下さい。
しかし、ひゃっきまるさんの論法・論述が「全称命題」であると断定されるならば、その同じ論法・論述で、創価学会の公の機関紙等で発表されている文言を同じ論述で掲示し、みさき23区さんにその反証(この場合当然「全称命題」による答弁)を求めます。
そして、この場合「団体と個人の思想は別である」との詭弁は御容赦願います。
なぜなら、一個人が団体の固有に持ち得る教義を「了解」の上入会したならば、その固有に持っている教義によって、もたらされた事象の責任の所在は、その当事者は元より、団体・個人おいても「その意志を誘発した原因もが何であるか?」同時に検証されなくてはならないからです。
某サリン事件が一個人の思想ではなく、ある「特定の宗教的教義の上での行動」であると「団体」「個人」夫々にも責任能力が問われた事を認識ください。

続きます。


525 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:11

いづれにせよ、みさき23区さんが望まれている「根拠とは」の回答は、何処まで述べても「蓋然的判断」です。
しかし「蓋然的判断」が「全称命題」に対する「回答では無い」からと言ってその論議の推移をもって、この定義(蓋然的)が「否」であるとは、結論付けられません。
みさき23区さんが望まれている「根拠とは」の回答は、私や昼行燈さんが述べた「蓋然的判断」です。

「蓋然的判断」の一つとして、

>提婆達多品が、中国で天台の頃の編入である。という指摘も、おおむね既知のことです。
>逆に、学会がこの説を否定しているというのでしたら、例証をお示しください。

これを 「提婆達多品が、中国で天台の頃の編入である」との注釈をせずに「法華経は二八品である」と、解説した文章が存在したら、貴方のスタンスで「全称命題」として捉えると、その文章は「驚くべき主張がなされており、その根拠をもとめたくなるもの」となるのではありませんか?

ちなみにその注釈(提婆達多品が、中国で天台の頃の編入である)も無く「法華経は二八品である」と述べている文章は

*創価学会の公式なホームページの中に厳然と存在します。

みさき23区さん、これは「蓋然的判断」ではないですか?
それとも「全称命題」と解釈しても良い文章でしょうか?

続きます。


526 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:14

この見解を述べて頂き、みさき23区さんが私達が述べる論議が「蓋然的判断」に基づくものであるとの了解を得られたならば、
No495の<本題> は「蓋然的判断」で論ずるかぎり、幾つかの回答が得られるでしょう。
しかし、それらの回答が「全称命題」でない以上、みさき23区さんが御納得できるか懐疑的です。

また「全称命題」における反論を要求されるならば、御自身の思想・属する団体の言動が「全称命題」に耐え得る論述をお持ちであると解釈し、

*創価学会の公式なホームページの中の一文にある「法華経は二八品である」

と創価学会が断定された理由を、その団体の会員である貴方自身の「全称命題」として、その事実を具体的克つ客観的にお答えください。
(提婆達多品が、中国で天台の頃の編入であると言うのは立派な「蓋然的判断」ですので悪しからず)
その反証内容が「全称命題」として皆が納得でき得れば、No495の<本題>に付いても、その立場において皆「全称命題」を持って答えなければならないと認識致します。

もし貴方が「全称命題」としての回答を望まれるならば、まず、御自分が範を示してください。

以上です。


527 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:17

第7の外道さん

御助言本当にありがとうございました。

私が、みさき23区さんに対し論じた点で何か問題等ありましたら、また、御発言ください。

私は、みさき23区さんが

>対者の主張の「破壊」のみを目的とした

方ではないと信じ、精一杯のレスを致しました。

後は、みさき23区さんのレスを待つだけですが、その事象に付きましても、どうかお気付きの点が御座いましたら、遠慮無く述べてください。

そして、私の論議の内容に不適切な点があれば、このスレッドでのひゃっきまるさんとみさき23区さんの論議に付いては以降の発言を控えます。


528 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:23

第7の外道さん

御助言ありがとうございました。

私が、みさき23区さんに対し論じた点で何か問題等ありましたら、是非御発言ください。

私は、みさき23区さんが

>対者の主張の「破壊」のみを目的とした

方ではないと信じ精一杯のレスを致しました。

後はみさき23区さんのレスを待つだけですが、その事象に付きましても、どうかお気付きの点が御座いましたら、遠慮無く述べてください。

そして、私の論議の内容に不適切な点があれば、このスレッドでのひゃっきまるさんとみさき23区さんの論議に付いては以降の発言を控えます。



529 名前: 文底 投稿日: 2000/07/06(木) 20:25
上記文章

二重カキコになってしまい申し訳ありませんでした。


530 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/06(木) 21:53

文底 殿

長レスごくろうさまです。

確認すべき事があります。

@今後私に対するレスを要求ならば、私の、<ひゃくきまる氏>に対する2件の質問に、彼にかわって文底氏が、回答責任を持つ。
この要求は、私の立場としては、正当なものと考えます。

A私は、複数の方と同時に議論を進める能力も余裕もないので、あなた以外の方の、私に対する発言(この件に対する)を拒否できる。

B上記Aに関連して、双方代理に依る発言はみとめない。

以上を合意されるのであれば、できうるかぎりのお相手いたします。


あなたからの条件提示があれば、それも考慮する余地はあります。


531 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 00:17

みさき23区さん

>長レスごくろうさまです。

此方こそ、駄文をお読み頂きありがとうございました。

>あなたからの条件提示があれば、それも考慮する余地はあります。

このお言葉に甘えさせて頂き、No522からNo526における、みさき23区さんの所感をお書き込み願えないでしょうか?

その所感の内容を拝見させて頂いた上で、

@からBに関する、みさき23区さんの御提案を思案させて頂きたいと思います。

以上宜しくお願い致します。



532 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/07(金) 01:53
>483 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:40
>との一文にて、昼行燈さん(非学会員)との議論も2chにおいて、避けていらっしゃいます。
>つまり、貴方は「学会員」「非学会員」の両者とも此処(2ch)での議論は望まれないのですね

>484 名前: 文底 投稿日: 2000/07/05(水) 19:42
>本当は、ひゃっきまるさん御自身がご回答なされば一番なのでしょうが、このまま放って>置くとこのスレッドの価値自体が問われかねませんので、愚見ですが横レス致します。

私は、上記の発言をうけてあなたに対し一定の譲歩していると考えます。
文底氏の提案は、仮に受け入れると以下の危惧が想定されます。

続く



533 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/07(金) 02:15

1.文底氏の522〜526の内容は、1〜2回の、やりとりでは収まらない内容です。
ある程度の期間に亘ると予想されます。その間、現在迄のように私に対する断続的横レスが入り、
議論は、私の質問からそらされ、撹乱されるおそれがあります。

2.その結果、私の求める誠実な回答が担保されることなく、議論が終わるとするならば、私は文底氏との議論の目的を失います。
私はそのため、なんらかの形で当初質問に対する回答の「担保」を要求します。
正当な要求だと思います。

> 創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、 教義に正当性を持たせているので。

この発言は、推測による「中傷」であると考えます
客観的にみても乱暴な決めつけとしか思えません。
あなたは冷静に読んで、学会員を侮辱しているように感じませんか?
(よく読み直してみて下さい。)

上記考慮の上あらたな条件の提示を求めます。




534 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 02:36
文底さん

>私は、みさき23区さんが
>>対者の主張の「破壊」のみを目的とした
>方ではないと信じ、精一杯のレスを致しました。

文底さんらしい、誠意あふれる姿勢だと感じます。私は、「この人とは対話できない」と感じてしまうとさっと一線引いてしまうところがありますから、ちょっと真似ができません。議論が第三者にとっても有意義なものに展開し、私の「予想」が外れてくれるのであればそれが一番です。
ただ、文底さんがみさき23区さんと議論を始められるおつもりならば、せめてひゃっきまるさんの了承があるまでお待ち願えませんか? 最初の当事者はひゃっきまるさんでしたし、文底さんが始められるとひゃっきまるさんも口出しできない約束になってしまいます。それは彼にとっても不本意なことかも知れません。

>後は、みさき23区さんのレスを待つだけですが、その事象に付きましても、どうかお気付きの点が御座いましたら、遠慮無く述べてください。

文底さんと私との会話、ということならいいのでしょうか? ただ、一旦議論が終息するまでは、この件についてはできるだけ文底さんにお話するのは控えたほうがいいのかなと思います。みさきさんには、私が加勢しているように見えてしまうかも知れませんし。




535 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 02:38

>509さん

ご支持ありがとうございます m(_ _)m ただ個人的には、「自作自演」には笑えました。これだけの内容を自作自演できるのなら、ある意味これは自分を誉めてあげてもいいかな、と(笑)。


愚乱破 さん

ご意見拝見しました。日蓮に対する見方として関心を引かれます。

>「原理主義的解釈」でなければ日蓮仏法は矛盾する

というのは私の意見でもありますが、日蓮仏法が全面的におかしくなるとは思いませんが、かなり重大な修正を余儀なくされるだろう、と現段階では思っています。これについてはできるだけ近い将来ちゃんと意見をまとめるつもりでいます(と言いつづけて随分経ちましたが・・・(^^;) また是非のぞきに来てください。お元気で!


536 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:04

みさき23区さん

>私は、上記の発言をうけてあなたに対し一定の譲歩していると考えます。

仰る通り私に対し、このスレッドで論ずる気持ちの持ち得ない場所(論ずるに値しない場所?)でもあるに関わらず、みさき23区さんの御発言は私に対する誠意、譲歩の表れと受け取り、感謝しております。

>1.文底氏の522〜526の内容は、1〜2回の、やりとりでは収まらない内容です。
>ある程度の期間に亘ると予想されます。

私もその様に思います。

>その間、現在迄のように私に対する断続的横レスが入り、議論は、私の質問からそらされ、撹乱されるおそれがあります。

横レスの実態が「議論の貴方の内容・質問をそらすもの」「撹乱されるもの」であれば、その都度仰っていただければ、私も注意いたしますし、みさき23区さんもその旨仰って頂ければ、私はその真意を汲み取る気持ちはあります。
第7の外道さんの横レスは、私にとっては、みさき23区さんへの私が誤解している点を客観的に指摘して下さる点もあり

>この点に関してはみさき23区さんと(例えば)文底さんの「法華経」への立場は、決して対立しあうものではないのです。 (第7の外道さんの横レス)

続きます。


537 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:05

この点において言えば、論議の整理を目指しているものだと認識しています。
無論、貴方が危惧されるような発言も無い訳ではないので、その辺りの内容に関しては、その都度、みさき23区さんの真意と私の真意を確認する事で誤解が解けると考えます。

>2.その結果、私の求める誠実な回答が担保されることなく、議論が終わるとするならば、私は文底氏との議論の目的を失います。
>私はそのため、なんらかの形で当初質問に対する回答の「担保」を要求します。
>正当な要求だと思います。

「担保」とは具体的には何の事でしょうか?
貴方の求める「誠実な回答」が私の論証において為されなければ、貴方の望みであれば私はそれを「担保」として構いません。
私は貴方が仰った「誠実な回答」を今までしてきたつもりです。
論点がずれているならば、私が謝罪し貴方が望む論点での議論を致しましょう。
そして、その逆の場合も又同様にお願い致します。
最後に、貴方も私が判断する「誠実な回答」の「担保」を要求いたします。
それが、何をもって「担保」とするかは、みさき23区さんの御意見を伺った後にします。

続きます。


538 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:07

以上、私の私見ではありますが、みさき23区さんが危惧されている点に対しての、私の精一杯の「真摯的誠意」です。
この事象をもってしても、まだ、みさき23区さんがNo522〜526のレスに対し危惧され、躊躇されるなら、それも、貴方のご意見として、尊重させて頂き無理強いは致しません。
No522〜526のレスに対しての私の意見は此処までです。
そしてそれ以降の論議の推移につきましては、そのこの論議の当事者である「ひゃっきまるさん」のご発言内容により、かなり事態が変化する事が予想できますので、ひゃっきまるさんの登場を待ちます。
ですから、あくまでNo522〜526のレスに対しの意見のみで結構です。


>>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、 教義に正当性を持たせているので。

>この発言は、推測による「中傷」であると考えます客観的にみても乱暴な決めつけとしか思えません。
>あなたは冷静に読んで、学会員を侮辱しているように感じませんか?

続きます。


539 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:09

どんなに私が、蓋然的判断によるひゃっきまるさんの擁護の立場とはいえ学会員の方が気分を悪くされ「学会員を侮辱」したと感じたならば、その時点で潔く謝罪し蓋然的判断の論述に再考の余地が発生する事は、吝かでは無いと思います。(実際ひゃっきまるさんの言動には、彼の本意は別としてやや過激な発言が目立つ事も事実だと私は思います。)

しかし、推測による「中傷」をどのように定義するかで、又立場が逆転してしまう事も御了解ください。
「天魔」「亡国」「無間地獄」「国賊」等という固有名詞を使い、他の宗教の信者を「折伏」するのは
他の信者に対し決して心地よい気持ちを持たせさせません。
むしろ日蓮仏法の教義を拠り所した「中傷」と捉えるでしょう・・
そして日蓮仏法の拠り所の教義も、みさき23区さんも感じられている「蓋然的判断」に基づく「一つの推論です」(全称命題と結論付けると自滅されますよ)
その他にも「この信心をしないと罰があたる」との結論で「病気で亡くなった方、事故で亡くなった方」の家族に対し「ほら仏罰が当たった」と糾弾する事は「非学会員を侮辱」した事になりはしませんか?

それとも、その様に論ずる学会員は、その日蓮仏法の教義に踏まえ、折伏行を上記のように解釈し「非学会員」に上記のような事象を述べていないと断言できますか?

続きます。


540 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:11

私は、ひゃっきまるさんの代弁者ではなく、私の意見としてでさえ、学会員の方が気分を悪くされ「学会員を侮辱」したと感じる事象があったなら、その時点で潔く謝罪し蓋然的判断の論述に再考の余地が発生する事は、吝かではないと明言しましたが・・・
みさき23区さんは、私が上記に述べたように、日蓮仏法の教義が持つ一方向性として「折伏」された結果「非学会員」の方々が「侮辱」「中傷」を感じた場合、私のように「潔く謝罪し蓋然的判断の論述に再考の余地が発生」するとお考えでしょうか?
この場合「日蓮仏法自体の蓋然的判断の論述に再考の余地があると推測されますが・・」

以上が

>あなたは冷静に読んで、学会員を侮辱しているように感じませんか?

に対する私の「真摯的克つ誠実な」お答えです。

この件は、私自身に対してレスを望まれた、みさき23区さんのご質問と解釈いたしましたので、前文のNo522〜526に対するレスとは別の位置付けでの御意見を御待ちしております。

以上宜しくお願い致します。



541 名前: アルフ 投稿日: 2000/07/07(金) 04:15
ここは歴史に残すべきスレッドですな。
日蓮教学はよくわかりませんが、思考法・論理学・哲学の
とても良いケーススタディって感じです。


542 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:56

第7の外道さん

>文底さんらしい、誠意あふれる姿勢だと感じます。

相手が善人か悪人かの区別の出来ない愚者です。
しかし、私はどんなスタンスの方でもある独自の思想を述べらるかたがいらっしゃれば、自分の思う所を述べて、自分の知識・思想の無知さ・愚かさを再認識し、新たなる自分の指針としていきたいと思うのです。
その意味においては、第7の外道さんの的を射た御発言、何時も本当に感謝しております。
決して独善的にならず、かといって追従的・盲目的にもならない、そのバランス感覚は私の目標でもあります。

>議論が第三者にとっても有意義なものに展開し、私の「予想」が外れてくれるのであればそれが一番です。

それは全く分かりません、私は全ての手の内をさらけ出し、誠心誠意真摯的に述べましたが、ある意味「全くの無防備な状態」です。
みさき23区さんのお考えの根底には未だ、未知の部分が多すぎます。
ですから、愚者である私にはまだ、彼の本意が理解できません。

>文底さんがみさき23区さんと議論を始められるおつもりならば、せめてひゃっきまるさんの了承があるまでお待ち願えませんか?
>最初の当事者はひゃっきまるさんでしたし、文底さんが始められるとひゃっきまるさんも口出しできない約束になってしまいます。
>それは彼にとっても不本意なことかも知れません。

続きます。


543 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:57

この点は私も了解しています。
みさき23区さんがNo530でご提案された事例は、あくまでみさき23区さんの御立場であり、少なくともその事例を了承するには、このスレッドの創立者である第7の外道さんと、みさき23区さんとの最初のきっかけとなった、ひゃっきまるさんの了承を得ない限り、

>@今後私に対するレスを要求ならば、私の、<ひゃくきまる氏>に対する2件の質問に、彼にかわって文底氏が、回答責任を持つ。>A私は、複数の方と同時に議論を進める能力も余裕もないので、あなた以外の方の、私に対する発言(この件に対する)を拒否できる。

>B上記Aに関連して、双方代理に依る発言はみとめない。

このような事は結論付けませんからご安心下さい。

>文底さんと私との会話、ということならいいのでしょうか? ただ、一旦議論が終息するまでは、この件についてはできるだけ文底さんにお話するのは控えたほうがいいのかなと思います。
>みさきさんには、私が加勢しているように見えてしまうかも知れませんし。

この点は私と第7の外道さんが個人的に会話をするのであれば、第7の外道さんが、みさき23区さんに直接横レスされない限りおいては全くの自由であると考えます。(又発言を封じる権利もありません)

続きます。


544 名前: 文底 投稿日: 2000/07/07(金) 04:58

その上で重ねてお願いがあります。
今回のような事例は私には稀な事例ですし、みさき23区さんも論述に長けた方だと拝見しております。(少し嫌な予感がします)
私は、気が付かない間に彼の「術中」はまり、このスレッドの存在意義を根底から覆される事を大変危惧しております。(それはひゃっきまるさんにも大いに言えます)
ですから、この論議の推移を詳細にご覧頂き、少しでも不穏な動きがあれば私に対し警告して下さい。
私自身の論述の甘さ、間違い、等は幾らでも反省し謝罪する覚悟は出来ております。
しかし、このスレッドの存在意義が私の言動により歪曲されるのは本意ではありません。
上記の@からBの定義は私の「外堀」を埋める作戦とも受け取られます
彼が一番敏感に反応したのは、第7の外道さんのご発言のみです。
少なくとも、この論議は第7の外道さんの監視下から離れたら「非常に危険です」
以上の点を御理解頂き、このスレッドの存在意義を保つ上でもどうか詳細に御協力ならびに、御意見を賜りたいと存じ上げます。

宜しくお願い致します。


545 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/07(金) 06:37

 文底さんとみさき23区さんのお話が終了するまで、静観させて頂きます。
 別に望んだものでもありませんし・・・・。

 



546 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/07(金) 06:44

文底殿

丁寧なレス拝見いたしました。
新たに条件を提示します。(これ以上の譲歩はむりかもと、かんがえます。)

1)私は以下の発言を撤回する。

>470 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/03(月) 19:01
>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませるこ
とによって、教義に正当性を持たせているので。

↑   ↑   ↑   ↑   ↑

「創価学会は、○○○○ である。」という「全称命題」形態の「言明」をする以上
、正統な根拠が必要ですから、「中傷」でないなら、根拠をきちんと提示してくださ
いね。


2)ひゃくきまる氏も

>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませるこ
とによって、教義に正当性を持たせているので。

この発言を撤回する旨、を書き込む。


3)今後の議論の際は、

「創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませるこ
とによって、教義に正当性を持たせているのか?」

というテ−マで議論する。

4)彼には、現時点では謝罪を求めない。

5)その他、いかなる、条件も双方とも要求しない。

以上が、確認できれば、対等な関係で議論ができるとおもいます。



547 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/07(金) 10:45
 実は全てきちんと読んでいないので、おおまかなことしか把握していないのですが、僕の不用意で軽率、かつ攻撃的な文章のせいで、皆さんに不快な思いをさせ、またこのスレッドを混乱させてしまったことを深くおわびします。

>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。

 の文章は撤回いたします。この文章の中には、創価学会の「意図的な悪意」ともよめる表現が含まれており(これは論議を重ねても断定できない内容です)、これは推測ともよべぬ、決めつけの意見です。これを創価学会、およびみさきさんを含む創価学会員全てに対する、侮辱であることを認め、謝罪いたします。申し訳ありませんでした。

 これを言い直して、

1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある
3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる
4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、おそらく意図的に、信徒に与えていない

※ 「一般的」という言葉には問題がありますが、客観的な根拠、証拠、考察が充分にある、という意味に捉えて下さい。

 というのを僕の主張内容(結論ではありません)とします。1に関しては、「釈尊は法華経を説いた可能性がある」ということで、みさきさんは納得されると思いますが、もし上記の2が真となるならば、創価学会(及びみさきさん)は「釈尊は法華経を説いた」ということを主張することはできなくなります。
 もしみさきさんが、「釈尊は法華経を説いた」ことを主張するつもりはなく、「釈尊は法華経を説かなかった」ことは100% 完全には言い切れない、ということのみを主張するつもりであるなら、そのような議論は無意味であるのでやるつもりはありません。それは結果的に、何も主張していないのと同じだからです。

>「創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているのか?」

というのは、あいまいな表現が含まれており、議論する際のテーマとしては不適切であると思います。

 実は7月の終わり頃まではなかなか時間がとれそうにないので、誰かに議論を代わってほしいというのが正直なところです。ですので、もし誰かがやってくれるというのなら、全面的に依託します(議題内容として、4を除けばあまり問題はないと思うので)。しかしその際、僕が上記に挙げました1〜4に沿う必要は全くなく、新たに議題を提示しなおしてもらって結構です。
 文底さん、昼行燈さんには、(その気がなかったとしても)僕の稚拙な発言を養護してもらう形になってしまって申し訳なく思うとともに、深く感謝の念を表します。また、第7の外道さんには毎度のことながら適切な注意をしていただき、ありがとうございました。


548 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 11:45
文底さん
夜遅く(朝早く?)までご苦労さまです。くれぐれもお体壊さないように・・・。

>この論議は第7の外道さんの監視下から離れたら「非常に危険です」

「監視」などということができるほどフェアな人間でもないんですが、ただ一点、ここで申し上げておきたいことがあります。それは、みさき23区さんによる「差別」発言規定です。
ご承知のとおり、「差別」問題は極めて重大なテーマです。これは発言の当事者同士が納得しあえばそれですむ問題ではなく、そこで使われた言葉が文脈とは関係なく「一人歩き」して、社会問題へと発展することも多いという意味で、その扱いに十分な配慮を要するテーマであります。
私はひゃっきまるさんの発言が「差別」的だとは全く考えておりません。ただ、その発言が学会員の方から「差別」的だと規定されて、それについて何の反応もスレッド参加者がしなければ、このスレッド自体として「差別」を容認しているかのように第三者には見られる恐れがあります。これは絶対に避けなければならない、と私は思います。
従ってみさき23区さんと(仮に)文底さんの議論の中で、お二人の間では納得のいく議論が進行していたとしても、第三者的に見て「差別を容認しているかのように見える」発言がそのままほっておかれたりするような場合は、私は私の立場から徹底的にこの問題について論ずるつもりでいます。その際は、お二人の間の「約束」も何も関係なくさせていただきます。議論の参加者の都合を一旦脇においてでも、はっきり態度表明をしておかなければならない、それだけの差し迫った重大性が「差別」問題にはあると思うからです。
ただそうなると文底さんのおっしゃるように創価学会による「差別」的発言等の検証など、論点が膨大に膨れ上がることにもなりかねません(既に膨れ始めています)。そうなると、みさき23区さんと文底さんとの問題ではなくなってしまうでしょう。




549 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 11:46
ただ、こういう方向への議論は、正直いうと私はしたくありません。できれば、文底さん(あるいはひゃっきまるさん)とみさき23区さんとの間で相互理解が成立し、ひゃっきまるさん側が「これには差別的意図は全くない。そういう風に見えるのであれば対処したい」旨一言くださるか、みさきさん側が「差別」規定を撤回してくださるか(あるいはその両方)、という結論に落ち着いてくれればいいのだがと思っています。
しかしみさき23区さんは当初は「差別」という語を用いず、一旦それを使われてから今度はそれを「中傷」と言っている(無論、「差別」と「中傷」とを同一視することはできません。もちろん「物事を根拠なく決め付ける」ことと「差別」も同じものではありません。)ところを見ると、どうも態度に揺らぎ、というか曖昧さがあるようです。私は、みさき23区さんは、ひゃっきまるさんに「根拠を示せ」と要求すればそれですむことで、ここで「差別」という言葉を使わなければならない必然性を感じないのです。「差別」という単語の重みを、どうもきちんと意識しておられないのではないか、という懸念があります(「差別」というテーマでまじめに議論したことのある方なら、多分私の気持ちは察していただけるかと思います)。
私はこの点を曖昧に議論を始めてほしくないと感じます。撤回するなり何なり、それはそれとしてきちんと片付けておいてから、あくまで発言の「根拠」の問題へと集中して議論を進めていただきたく思います。
以上の点についてのみきちんとしていただけるなら、私は基本的にはお二人の議論には口を出さないようにします。



550 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 11:49
と書いたところで、ひゃっきまるさんのご発言が出ましたね。ひゃっきまるさん、お疲れ様です。



551 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 11:51
550は私です。
あとはみさき23区さんの対応次第、ということになりそうですね。


552 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/07(金) 11:59
>549
>当初は「差別」という語を用いず、一旦それを使われてから今度はそれを「中傷」と言っている



「当初は『差別』という語を用いず、のちに『中傷』という語を『差別』とおきかえ、またそれを『中傷』と言い直している」

と訂正します。


553 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/07(金) 19:05
文底殿


>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。

 の文章は撤回いたします。この文章の中には、創価学会の「意図的な悪意」ともよめる表現が含まれており(これは論議を重ねても断定できない内容です)、これは推測ともよべぬ、決めつけの意見です。これを創価学会、およびみさきさんを含む創価学会員全てに対する、侮辱であることを認め、謝罪いたします。申し訳ありませんでした。ひゃくきまる氏は上記のような表明をされました。

私は、二件の質問及び関連する全ての発言を撤回します。
文底氏の一連の真摯な対応に感謝いたします。




554 名前: 文底 投稿日: 2000/07/08(土) 01:05

みさき23区さん

>私は、二件の質問及び関連する全ての発言を撤回します。
>文底氏の一連の真摯な対応に感謝いたします。

此方こそ、貴方の真摯的対応に感謝します。
みさき23区さんに対し、色々愚見を述べた事、お許し下さい

>>創価学会、およびみさきさんを含む創価学会員全てに対する、侮辱であることを認め、謝罪いたします。(ひゃっきまるさん)

ひゃっきまるさんに限らず、私も、意図せず、論議の推移において、その対象となる全ての方々に対し、不快なる気持ちにさせる事象があるかも知れません。(事実、私はひゃっきまるさんに対し全面的に謝罪した事例があります)
このスレッドの常連さんの方々は、少なくとも自分の発言には皆「責任」を持ち、過ちがあれば、それを素直に認め「謝罪」する潔さ、謙虚さを兼ね備えております。
また、このスレッドはある対象の方を「論破」する事が目的では無いと考えます。
少なくとも私の私見では、夫々の御立場の人々が、皆で色々な意見を交え、その論議の推移において自分自身に「認識の誤解」「新たな発見」が見出せる事を「善」とします。

みさき23区さん
私の論述により、少しでもこのスレッドの意図する所が御理解頂けたら幸いです。
お体を大切にされ、みさき23区さんのお立場においての御活躍、御健闘を期待しております。

(この文にはレスを付け無くとも結構です)


555 名前: 文底 投稿日: 2000/07/08(土) 01:09

ひゃっきまるさん

私が、ひゃっきまるさんとみさき23区さんの論議に横レスを入れた為に、余計な御手間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。

昼行燈さん、

お忙しい中での文献の論述、心苦しい限りです。
しかし、昼行燈さんの文献的教義解釈は私の「認識の誤解」「新たな発見」に多大なる影響を与えており何時も感謝しております。
また、御手隙の時は色々御講釈下さい。ありがとうございました。

第7の外道さん

全ての面において、御指導、御心配、御迷惑をお掛けして・・・適当な言葉が見当たりません「感謝」の一語に尽きます。
この一連の出来事で、私自身色々勉強させていただきました。
散々御迷惑をお掛けして、こんな事を述べる立場ではありませんが・・・
くれぐれもお体を大切にされ、御無理をなさらないようにして下さい。
また、御迷惑をお掛けするとは思いますが、宜しくお願い致します。
本当にありがとうございました。



556 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/09(日) 22:10
文底さん

双方丸く収まるような形で決着がついてよかったです。
今回はたまたま私が客観的に見る立場になりましたが、
私が当事者に回る立場になったらその際はよろしくお願いします。


557 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/07/10(月) 01:58

文底さん

連日の書き込み、お疲れ様でした。
いろいろと勉強させてもらいました。
法華経の蓋然性を論ずるならば、日蓮仏法、そして学会教義も蓋然性を持つわけで
すが、それを肯定してしまったら、信心が成り立たなくなるのではないか?と思う
のですが・・・。
蓋然的判断に基づく学会教義の「絶対性」を主張する学会員の方に折伏されそうに
なったら、「蓋然性」を盾にしてみようと思います。(^^ゞ





558 名前: 文底 投稿日: 2000/07/10(月) 19:13

第7の外道さん

>双方丸く収まるような形で決着がついてよかったです。

これも、第7の外道さんの的確なアドバイスのお陰です、改めて、感謝申し上げます。
「本当にありがとうございました」

>私が当事者に回る立場になったらその際はよろしくお願いします。

私で良ければ、何時でも喜んで御協力いたします。(協力しているつもりが、逆に足を引っ張ってたりして・・・)

若葉マークさん

このスレではお久しぶりですね。

>連日の書き込み、お疲れ様でした。

論証の仕方が不適切で、長文、駄文になり、かえって論議を拗らせてしまった気もしています。

>いろいろと勉強させてもらいました。

此方こそ反省と勉強の日々です。
これからも宜しくお願い致します。


559 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/10(月) 20:48
>愚乱破さん

 505,506のレスありがとうございます。

>末法の御本仏、日蓮大聖人が当時の人に南無妙法蓮華経を信じさせようとしたら法華経を用いるのが妥当と思われたということも考えられると思うのです。そのような観点にたてば、後に法華経が非釈迦説ではなかったということが解かったとしても日蓮仏法が確立してしまっていれば、それによって崩れることは無いと思い出してきました。

>これは、末法の御本仏を先に認めてのことなので、これでは議論にならないと思い ます。 つきつめれば、釈迦が仏であることを証明できないことと同じかもしれません。

 可能性としてはあり得ると思います。しかしこれも、仏教が釈尊以来、どのように発展(変化)してきたのか、というところに注目することによって、この可能性の是非を検証できると思っています。日蓮大聖人という仏がぽっと現れた、とするのは不自然に思えるので。
 愚乱破さんとは有意義なやりとりができたと思うので、また考えるところがありましたら、気軽にお書き込みください。


>みさき23区さん

 「丸くおさまった」ところ申し訳ないのですが、まだ事態がよく把握できていません。もう議論は集結してしまったのでしょうか? みさきさんが、『創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。』発言の・撤回のみ・を目的にして今まで議論されていたのでしたら(則ち、僕が撤回したことで、この議論が終わってしまったということなら)、少々早まったことをしてしまったなあ、と思いました。

 僕は、学会員を侮辱しているような誤解を受ける言い方をしたことについては認め、また、文章そのものに問題がなかったとしても、そう誤解された時点で、謝罪する義務が生じるものであると考え、撤回しましたが、新たに、

>1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある
>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる
>4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、おそらく意図的に、信徒に与えていない

と言い直しました。 1〜4は、ほぼ、『僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないという根拠をもっていますし、』『創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。』を、誤解を与えないように言い換えただけの内容です。ですから、今までの議論の経過を鑑みて、なぜみさきさんが、1〜4に対して納得できるのか、不思議に思います。
 それとも、単に「根拠」「虚偽の」と言った言葉のイメージによって誤解されていただけで、1〜4はみさきさんにとって同意できることなのでしょうか? もちろん同意できないとしても、必ず答えなければならない、という義務があるわけではありませんが、この「混乱」の原因がどこにあったのか確認する意味でも、1〜4に同意できるか、できないかはお答えいただけないでしょうか。
>文底さん
 なんだか僕のために(というとあまりにずうずうしいのですが)徹底的な論述を行ってくれたようで、感謝しています。学会員がここに書き込みされるのも、文底さんの人柄によるものが大であると思います。

>第7の外道さん
 差別に関してはあまり深く考えていませんでした。このスレッドでいろいろと学ばせてもらうことができて、ありがたいです。


560 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/10(月) 23:56
皆さん、ご無沙汰です。

>ひゃっきまるさん

時節柄、仕事が忙しすぎて読むのも厳しい状態なので、申し訳ありませんが8月に入るまで席を外します(追い付くのが大変そうですが)。
ひゃっきまるさんも前期試験頑張ってください。


561 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/11(火) 02:30
>実は7月の終わり頃まではなかなか時間がとれそうにないので、誰かに議論を代わってほしいというのが正直なところです。ですので、もし誰かがやってくれるというのなら、全面的に依託します(議題内容として、4を除けばあまり問題はないと思うので)。しかしその際、僕が上記に挙げました1〜4に沿う必要は全くなく、新たに議題を提示しなおしてもらって結構です。


議論をあなたは、投げ出してしまつたようにうけとめました。

わたしに、議論を求める、あるいはここでの議論に参加をもとめているのですか?。



562 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/11(火) 03:28
>みさき23区さん

>議論をあなたは、投げ出してしまつたようにうけとめました。

 これは明らかに僕に対する、憶測に基づいた侮辱の内容です。謝罪および、全面撤回を要求いたします。

 な〜んてね・・・(^^)。冗談です。しかし、みさきさん自身が差別、中傷を訴える論旨を掲げていたすぐあとに「これ」というのは、少々配慮に欠けるのではありませんか?

>わたしに、議論を求める、あるいはここでの議論に参加をもとめているのですか?

 僕は、裏でなにか企むとか、すごく苦手な人間です。また、嘘をつくのも苦手(というかポリシーとして嫌い)なので、手の混んだ言い訳なんかしません。そうやって本心を探ろうとしなくてもよいです。今までの文章そのままの意味です。

(559)
>この「混乱」の原因がどこにあったのか確認する意味でも、1〜4に同意できるか、できないか、お答えいただけないでしょうか。

ということです。みさきさんはあまり議論が好きではないようなので、これに答えてもらえるだけで結構です。(その答えに対して感想ぐらいは言うと思いますが)
 もちろん議論に応じてくれるのなら、それが一番良いのですが。(ただ、真に勝手ですが、その場合、レスは遅くなると思います)


563 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/11(火) 05:06
>ということです。みさきさんはあまり議論が好きではないようなので、これに答えてもらえるだけで結構です。(その答えに対して感想ぐらいは言うと思いますが)
 もちろん議論に応じてくれるのなら、それが一番良いのですが。(ただ、真に勝手ですが、その場合、レスは遅くなると思います)


君達が、意図的な、アンチのプロパガンダを、混ぜこまないというのなら、誰とでも、議論することは拒まないよ
非戦闘モ−ドで対応するよ。

まず、あなたの「根拠の開示」からどうぞ。(主観でかまわないよ。)


564 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/11(火) 05:39
>みさき23区さん
 議論は了承したと言うことでよろしいのですね。ありがとうございます。

>まず、あなたの「根拠の開示」からどうぞ。(主観でかまわないよ。)

 ですが、その前にまず、みさきさんが559の、1〜4に同意するか、しないか、しないとしたらどんな考えを持っているか、確認したいのですが。みさきさんと僕の間に意見の相違がないとしたら、そもそも議論する意味自体がないわけですから。また、今までの論点の整理を行う意味でも、お答えいただきたいと思います。(僕の発言を差別・中傷ととったのは、文章の読み違いによる単なる誤解なのか、それとも内容自体に問題があるのか、というのは、やはり気になりますから)


565 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/11(火) 08:55
>ですが、その前にまず、みさきさんが559
の、1〜4に同意するか、しないか、しないとしたらどんな考えを持っているか、確認したいのですが。みさきさんと僕の間に意見の相違がないとしたら、そもそも議論する意味自体がないわけですから>1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある
>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる
>4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、おそらく意図的に、信徒に与えていない


1.~4.全てに、同意できない。
ひゃっきまるさんが、なぜそういう、判断に立っているのか、聞きたい。
とりあえず項目1.& 2.からはじめましょう。

まず理由を述べてください。レスは交互を原則としましょう。
(厳密な根拠でなくても、「こう思う」という表現でも結構です。)

横レスもかまいませんよ。


566 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/11(火) 13:14
ひゃっきまるさん<
 途中から、議論を投げ出してしまって、さぞお怒りかと思いますが、暖かく受け
 止めていただき感謝しています。

> 可能性としてはあり得ると思います。しかしこれも、仏教が釈尊以来、どのよ
> うに発展(変化)してきたのか、というところに注目することによって、この可
> 能性の是非を検証できると思っています。

 ここの議論の展開には大変期待しています。

> 日蓮大聖人という仏がぽっと現れた、とするのは不自然に思えるので。

 また、議論のじゃまになるといけないのですが、ちょっとこれに刺激されたので
 すが・・・
 では、仏とはいったい何か? 歴史上の釈迦は仏に成るために修行をしたのか?
 であるなら仏の概念自体は仏教以前に存在していたのか? 歴史上何人の仏が現
 れているのか? 釈迦は仏なのか? 日蓮大聖人は仏ではないのか? 等々次々と
 疑問が湧いて来ました。“疑い”ではありませんが・・・


567 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/11(火) 13:15
 20年も信心していて、いまさら何をと言われるかも知れませんが・・・
 私は2世ではなく入信する前に各宗派の第1人者の仏教解説を一通りは目を通し
 ましたが、在家の人にとってはいずれも精神修養の域を出ないような感想を持ち
 ました。
 そんな中で、学会教学に魅力を感じたのですが、唱題についてはやはりさっぱり
 解りませんでした。智慧第一の舎利佛ですら、信によって記別を与えられたよう
 ですので、私ごときに解かるはずが無いと思い入信したんです。
 (法華経非釈迦説についてもぼんやりとした知識を得ていました。)

 学会の組織活動では、このようなことを考えると「どうしても頭で考えちゃうん
 だね、命で感じなければだめだよ」と気の毒そうな眼差しで見られてしまいます。
 ですので未だに仏の境涯からははるか遠いところに居る訳です。(笑)

 ここの議論で、少しでも仏に接近できるヒントでも得られたらよいなと思います。


568 名前: 文底 投稿日: 2000/07/11(火) 17:41
愚乱破さん

直接レスするのは、初めてかも知れませんが、愚乱破さんの御意見、いつも拝見させて頂いておりました。
御挨拶を申し上げる間もなく愚乱破さんがこのスレを降りられてしまわれたので、残念に思っておりましたが、論議の再開歓迎いたします。

>ここの議論で、少しでも仏に接近できるヒントでも得られたらよいなと思います。

そうですね、私も「何か(愚乱破さんのとっては仏ですか?)接近できるヒント」を見つけられたらと思っております。
愚乱破さんも色々とご不満な点もありましょうが、あくまで論議の為の私見ですので、その辺りの所を御了承下さり、今後とも宜しくお願い致します。

ひゃっきまるさん

>文底さんてワイルドな面もあるのですね。ちょっと恐かったです。

「なにか質問があればお答えしましょう」見て下さったのですね・・・
あれをワイルドと表現いただけると善意的解釈ですが・・・まぁ単なる「乱心」です・・
何れにせよ、あのスレッドにおいて、私のウザイ「長文の羅列」で論証すると、他の方に迷惑が掛かる事が明確になりましたので、あちらでの発言は少し遠慮させて頂くつもりです。
ひゃっきまるさんや第7の外道さんも御発言されているようですし、Aさんの論じ方も随分「具体的例証」を挙げられるようになっていらっしゃる様なので、論議の推移を興味深く拝見させて頂きます。

みさき23区さん

>横レスもかまいませんよ。

ひゃっきまるさんとこのスレでの論議を再開されるようですね・・
このお言葉に甘えるかも知れませんが、先ずは、ひゃっきまるさんとの論議、楽しみにしております。
時々「乱心」を起こすかも知れませんが、基本的には自分の非は謙虚に反省いたしますので、これからも宜しくお願い致します。


569 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/12(水) 03:22
活動家(?)の学会員です。
レス全部読ませていただきました。
とりあえず、感想。
文底さんも、ひゃっきまるさんも、第7の外道さんも、
別に学会員に対する、侮辱は感じませんでした。
それよりも、みさき23区さんの方が、なんかあれこれ注文を
つけている気がしました。議論する条件をどうこうより、
疑問に対する応答が、まず第一なのではないでしょうか?
正直言ってあまり教学がないので、難しい議論はできないと思いますが、
自分もなにかお答えできることがあれば幸いです。
難しい議論には入れないかも知れませんが。


570 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/12(水) 07:42
いきなり登場した上,横レスですみません。
もう終わってしまった論議,長く続いている論議等に,突然横レスでは、
失礼かと思いまして、とりあえず、直前の質問に対する答えを述べさせて
ください。

>1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある

以上,2点とも同意できません。
まとめて答えて申し訳ありませんが、上の2点について、特に1.については、
成立年代が釈尊滅後であるならば、確かにYesということになりますが、日蓮大聖人が
釈尊が法華経を説いたという前提で,五重の相対の中の種脱相対にて、
釈尊=脱益の仏法とし、日蓮大聖人=下種の仏法として,大聖人の法華経を真として
おります。大聖人の仏法を基底としている創価学会としましては、
釈尊が法華経を説いたとされるなら、その点について誤りは無いという見解では
ないでしょうか?

続きます。


571 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/12(水) 07:43
>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、
妥当と思われる歴史認識とは異なる

先ほども述べたように大聖人の教えを基底としているので、その立場からみれば、
異なるか異ならないかの次元で考えることはないと思います。

>4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、
おそらく意図的に、信徒に与えていない

意図的に与えていないということはありません。信徒がその知識を得たいとしているかどうか
は別ですが・・。現に私は,この掲示板を拝見する前から、法華経の成立年代については、
知っていました。教学において、未だに釈尊が説いた法華経という下りは出てきますが、
そこに隠そうという意図はないと思われます。

以上、質問の意図にそぐわない回答かもしれませんが、私なりに答えさせて
いただきました。

続きます。


572 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/12(水) 07:44
最後にこちらから質問させていただきたいことがあります。
上記質問をされたひゃっきまるさんを始め、文底さん、第七の外道さん、昼行燈さん
(他にもたくさんのかたがいらっしゃるでしょうが,ごめんなさい)
"法華経が成立された年代が釈尊滅後の事であるため、
日蓮大聖人が説いていることには、矛盾がある。
従って大聖人の言ってることは間違いである。"
というお考えを多かれ少なかれもっていると私は感じております。
ところで、鎌倉時代において、法華経の成立年代を記した文献はあったのでしょうか。
また、あったとして、それを大聖人が目にすることは可能だったのでしょうか?
現在のように,出版物も交通も発展していない過去において、
法華経が釈尊が説いたかどうかということを証明することは
できないのではないでしょうか?
現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気
がします。
この点について、どうお考えになりますか?



573 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/12(水) 08:55
ROMGさん、初めまして。これからもよろしくお願いします
ただ今、私には詳しくご返答をする余裕がないので、最低限のご返事だけさせていただきます。どうかご了承ください。

>"法華経が成立された年代が釈尊滅後の事であるため、
>日蓮大聖人が説いていることには、矛盾がある。
>従って大聖人の言ってることは間違いである。"
>というお考えを多かれ少なかれもっていると私は感じております。

この点に関してですが、私としては少し違う風に考えております。日蓮の思想は、法華経を釈迦(しかも法華経によれば、それは単なる歴史的個人ではない)が説いた、という前提で構築されていると思います。あるいは、法華経を「実際に起きたこと(霊鷲山の説法)を記録するもの」として受け取り、これを前提に思想が構築されている、といったほうが、私個人の認識としてはぴたりときます。
ですので、この前提が壊れると彼の思想にかなり重大な影響がある、とは思っています(もっとも、この点自体議論の余地はあります)。その影響は、「南無妙法蓮華経」を「成仏」の「因」とする考え方にも影響を与える、かなり大きなものだと考えています。
しかし、以上の前提を取り去れば日蓮の説いたことが全て無意味になるとは思いません。少なくとも彼の「仏性」に関連する思想は、上の意味で法華経をどう位置付けるか、という問題からは比較的独立したものだと私個人は考えています。
従って、日蓮は現代の目から見れば「誤った」歴史認識に基づいていたから、直ちに彼の思想は「間違いである」、と結論するつもりは毛頭ありません。そんなわけで、「現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気がします。 」ということ自体には、私は同感です。
ただ、創価学会の実践活動を外部から見ておりますと、現代の目(私の目?)から見ると受け入れがたい前提に基づいた思想に基づくものが多いと感じられるので、最終的にその辺りについて議論できればと思っています。
私はこういう立場ですが、おそらくここの常連さんもこれに近い立場なのではないか、と私は勝手に思っておりました。この点については参加者各人から立場の表明がいずれあると思います。




574 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/07/12(水) 12:37

 ROMGさん

>現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気
>がします。

 現在の知識をもって、過去の人の知識の間違いを指摘することには何ら問題はないと
 思います。それが、誹謗中傷的であればフェアではないかもしれませんが・・・。
 そして、現代の知識によって、過去の知識による記述が「間違い」であると認識された
 ならば、それを受け入れるべきであると考えます。
 学会において、日蓮は「御本仏」であり、「完全無欠の存在でなければならない」という
 理屈はよくわかります。 しかし、”仮に”その日蓮が、現代の知識に照らし合わせて間違った
 知識を持っていたと認識できるならば、”日蓮は間違っていた(真実を知らなかった)”という
 ことを認めるべきだと思います。




575 名前: 文底 投稿日: 2000/07/12(水) 12:51
ROMGさん

初めまして、文底と申します。
私は、私の知人が法華講と創価学会に在籍している人間だったので、両者から「折伏」をしっかりと受けてきました。(とても人間的に魅力のある熱心な信者です)
昔(創宗問題以前)の、彼らの折伏のスタンスは、日蓮正宗に入信するのであれば「法華講・創価学会どちらでも良いですよ」と言うもので、決してお互いを誹謗中傷するような状態ではありませんでした。
ただ、この宗教(日興門流日蓮正宗)だけが「唯一絶対」であると言う一点は、両者とも一致しておりました。
ところが、宗門問題が起きてからの両者の立場は、今までと全く違い、お互いが「邪教」としての相手の宗教批判に終始するようになったのです。
私は私の性格上、基本的に「何々は何々である」との断定的結論を「第三者もある程度納得出来得る」「論理的具体的事例」を掲示されない方には、何時も「懐疑的スタンス」を取っております。
とは言え、論議の方の「人格」「人間性」「思想・宗教」を否定する事が目的ではありませんので、その辺りの所を御理解頂き、私の論体をお読み下さい。

>1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある
>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる
>4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、おそらく意図的に、信徒に与えていない

1から4に対しての具体的私見は私自身が提案した問題定義ではないので、この場では現在、自分の立場を明確に結論付けておりません。
他の方の色々なご意見等を拝見させて頂き、又思う所があれば意見を述べさせて頂くつもりです。

続きます。


576 名前: 文底 投稿日: 2000/07/12(水) 12:53
此処ではROMGさんのご質問の部分に私の名前がありましたので、私見を述べさせて頂きます。

>"法華経が成立された年代が釈尊滅後の事であるため、日蓮大聖人が説いていることには、矛盾がある。

「矛盾」があるとは、結論づけてはおりませんが、少なくとも「当時の歴史的事実」と「現在の歴史的事実」には、変遷があります。
当時は分からない事が、現在はかなり詳細に見えてきた事実もあるでしょう。
その過去と現在の「論理的な文献的・具体的解釈」がはたして現在の時代の学術的研究・常識においても「その教義の基盤」が現在の次元においてもある程度「普遍的」事象かどうか「検証」する必要があるのではないでしょうか?
つまり、過去の歴史と現在の歴史における教義そのものの変化を全て「否」とするのでは無く、変遷してきた教義の中に明らかに「見直さなければならない事象があるかどうか」を皆で検証しようとしているとお考え下さい。

ある具体的行動(自行化他)には「人の心身を幸福にする力が含まれている」と仮定します。(論議をするための仮定条件です)
まだ、科学が発達せずにプラシーボ効果の存在が解らなかった頃(鎌倉時代など)、ある文献(法華経)通り実践した実践者Aは、その実践により幸福感が得られ「この文献どおり実践すれば幸福になる」と結論づけました。
つまり、体験的現象・文献的教義解釈(功徳や、文献(此処では法華経)に予言されている数々の難)により「立宗宣言」に至ったと思われます。
そして彼はその事象を持って「この教え以外には幸福にする力が無い」と結論づけ「この教え以外を実践すると不幸になる」と断じました。(その宗派の教義の完成)
しかし、科学が発達し「宗教B」にも「心理学C」にも同様の幸福感が得られる事(プラシーボ効果など心理的な要因でも免疫力が高まったり、カウンセリングやヒーリング等で幸福感が得られたり、前向きに物事を捉え仕事・勉強等が上手く行ったりする等)が明らかになってきました。
そして、時代の推移により「実践者A」「宗教B」「心理学C」のも共通の効能「人の心身を幸福にする力が含まれている」があることが類推されるようになって来ました。

続きます。


577 名前: 文底 投稿日: 2000/07/12(水) 12:54

以上の点から推論すれば、
実践者Aの行動そのものは「人の心身を幸福にする力が含まれている」為の慈悲救済の行為であり「実践者A」の行動自体を否定する事は出来得ないと思います。(宗教存続の是非は否定しない)
しかし、実践者A「のみ」にその「人の心身を幸福にする力が含まれている」との「断定」を時代の変化、科学の変化と共に「唯一性」を具体的・論理的に証明できなくなれば、実践者Aの命題は「普遍的絶対的命題」ではなく「ある事柄を変化させる一つの事例に過ぎ無い」と推理出来ます。
つまり「この教え以外を実践すると不幸になる」(自信の宗派のみ絶対的に正しい)との教義を「この教えも人を幸福にするための一つの方途である」との「教義の変更」は決して、その教えを説いた実践者Aの根本的命題である「人の心身を幸福にする力が含まれている」との慈悲と救済心を「否定するものではない」事は明らかだと思うのです。
この様に考えると「この教え以外を実践すると不幸になる」との教義に拘ると、逆に、他の価値観の人間との軋轢は、その「人の心身を幸福にする力が含まれている」A氏(実践者)の根本的命題=慈悲と救済すら、第三者に誤解を与える事があると危惧するのです。

>従って大聖人の言ってることは間違いである。"

以上の点から分かっていただけると思いますが私は、全て「大聖人の言ってることは間違い」とは結論付けてはおりません、しかし、全て「大聖人の言ってることは正しい」とも思いません。

最後に


578 名前: 文底 投稿日: 2000/07/12(水) 12:55

>現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気がします。

現在の科学やその他の事象から、過去の人の知識(私の立場では知見だと思います)を再考察し、論証し直す事は、決してアンフェアではありません。
むしろ、日蓮仏法自体が「過去の人の宗教的知識を間違っている」と感じたからこそ、自身が日蓮仏法を打ち立てたと考えるのが妥当だと思うのですが如何ですか?
そして、現在に生きる人々が過去の人々の知識を再検証し、その上で改める点は改め、尊重する点は尊重し、より一層充実した知的理解を得る事が大切だと考えます。

以上、長文にはなりましたが、私の愚見を述べさせて頂きました。
気になる点等ありましたら、どうぞ申し述べて下さい。

これからも宜しくお願い致します。



579 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/12(水) 16:55
ROMGさん<

私の名前は挙がっていなかったのですが・・・

他の方は、日蓮大聖人が間違いを犯したとは思わないが、間違いが解かった時点で
は改めるべきだし、それはアンフェアではないと言う意見だと思います。

私は日蓮大聖人が思想家とか政治家ならその通りだと思いますが、仏であればそれ
はないと思ってます。
私の仏のイメージは「三世を見通して誤りをおかさない、ただし慈悲のためには
方便として真実でないことを行うことがある。」なので・・・

法華経でも方便現涅槃と良医の譬がありますよね。他の経典でも例があるのでしょ
うか? 虚妄は厳しく禁じているようですが・・・

もし、法華経が釈迦説でなかったのなら、方便としてそういうことにしたのか、日
蓮大聖人は仏ではなかったということになってしまうのです(私の中では)
それで、あくまで「法華経は釈迦説なのだ」か、「方便だったのだ」かのどちらか
と考えてます。
「方便だった」とするには総合的に理論的な検証が必要だし、心を汲み取って教義
を修正する必要も有るかもしれませんので・・・私の妄想のようなものです。


580 名前: 文底 投稿日: 2000/07/12(水) 18:02
愚乱破さん

横レス失礼致します。
一応御挨拶はNo568で致しましたので、直接、本題に入らせて頂きます。

>私は日蓮大聖人が思想家とか政治家ならその通りだと思いますが、仏であればそれはないと思ってます。

この「思想家とか政治家」との一文は「人間」と同義的定義付けで、良いと思いますが如何でしょうか?

つまり

*「私は日蓮大聖人が人間ならその通りだと思いますが、仏であればそれはないと思ってます」

と同様の文で了解しても宜しいでしょうか?(そうしないと「文学者」「科学者」「普通のサラリーマン」「主婦」「学生」等色々定義付けが出来てしまうので・・・ )
御異議があれば、愚乱破さん御自身が「思想家とか政治家」以外の「人間」に対し、具体的定義付けをして頂ければそれはそれで良いと思います。

その上で愚乱破さんの私見を伺うと「末法」における「仏」の定義は「日蓮大聖人唯一人」と捉えているように感じられますが私の誤解ですか?
それともその通りなのでしょうか?

その辺りのお気持ちを愚乱破さん御自身の私見で構いませんので、もう少し詳細に論じて頂けると光栄なのですが如何でしょうか?

御意見御待ちしております。


581 名前: 愚乱破さん 投稿日: 2000/07/12(水) 22:59
>愚乱破さん

 またやり取りできるということ、ありがとうございます。しかも非常に面白い議題を提示していただいて、うれしく思います。

>では、仏とはいったい何か? 歴史上の釈迦は仏に成るために修行をしたのか?
>であるなら仏の概念自体は仏教以前に存在していたのか? 歴史上何人の仏が現れているのか? 釈迦は仏なのか? 日蓮大聖人は仏ではないのか? 等々

 『日蓮大聖人という仏がぽっと現れた、とするのは不自然に思えるので』という表現はちょっと不適切だったなあ、と思ったのですが、愚乱破さんが来てくれたと言うことで、結果オーライ、というところでしょうか。

 僕の私見ですが、「仏」とは「仏陀」のことですよね。これは、(真理に)目覚めたもの、悟ったもの、という意味で、バラモン教にすでにあった概念だと思います。バラモン教における「目覚めたもの」の意味は、「我」(アートマン)と「梵」(ブラフマン)が一体であることを認識することなのでしょうか(??) どちらにしても、修行によって特別な状態に至った人間のことを指すのは間違いないと思います。この価値観は六師外道などにも共有されていたようで、ジャイナ教でもブッダという言葉を使うそうですよ(うろ覚えです。誤認かも知れません)。

 この仏の概念が、大乗仏教、密教においてはどんどん変化していったように思います。端的に表現してしまえば、キリスト教でいう「神」のようなイメージが付加されていったのではないでしょうか。法華経にとかれる釈尊もそうですし、日蓮仏法でいう大聖人もそうです(以前ビッグバンの話題がでましたね)。僕がこの辺のことを考えるときいつも思うのが、キリスト教の三位一体の考え方と似ている、ということです。仏というのが、生死や現実世界(娑婆)を超えた普遍的な領域にいるとしながら、現世には完全な個人として生涯を過ごしていて、それでも信仰者は、自然にこの二つの存在を同一視しています。

 もともとは修行によって悟る(成仏する)ことが目的であった仏教が、大乗仏教においては、絶大な救済力をもつ仏に救われるための信仰になっているようです。法華経ではその救済の方法自体が、法華経によって成仏することなのですが、やはり、釈尊という仏と、他の仏は完全に違う存在として書かれています。

 話題がそれてしまうのですが、「末法の御本仏」と「上行菩薩」というのは、全く違う概念だと思います。大聖人自身は御自分を後者だと思っていたと思いますが、前者だとしたのは、後世の人間ではないでしょうか?

 仏という概念だけでなく、「声聞」「縁覚」「菩薩」「阿羅漢」という言葉の意味の変化について注目しても面白いです。「声聞」はもともと仏教修行者のことを指す言葉で、「阿羅漢」も仏の別名だそうです。

 法華経において注目すべきは、「地湧の菩薩」という存在、考え方、だと思っています。私見ですが、もともと現世否定的な風合いの強い仏教が、現世肯定的な全く新しい仏教になるためのロジックがここにあると思っています。それについてはまた後ほど。


>私は2世ではなく入信する前に各宗派の第1人者の仏教解説を一通りは目を通しましたが、在家の人にとってはいずれも精神修養の域を出ないような感想を持ちました。そんな中で、学会教学に魅力を感じたのですが、

 非常によく分かりますし、極めて重要なテーマにつながるものであると思いました。いずれ、じっくりと議論したい内容です。


582 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:01
>ZEGAさん

>時節柄、仕事が忙しすぎて読むのも厳しい状態なので、申し訳ありませんが8月に入るまで席を外します(追い付くのが大変そうですが)。
>ひゃっきまるさんも前期試験頑張ってください。

 スレッドの方、かなりてんてこ舞いな状態になっておりますので、むしろZEGAさんとの議論が一時中止となって、多少息がつけます。「牧口会長」スレッド、「やってみなければ」スレッドの方はずっと底に沈めたままなので、そちらの方の議論の再開はやりやすかろうと思います。
 ちょっとさきほどZEGAさんとの議論を見直していたのですが、若干流れに混乱があるようなので、整理しなおしたいと思っています。
 テストの方はもうあきらめました(ハハ・・・)

>ROMGさん
 書き込みありがとうございます。後ほど、きちんとレスしたいと思います。僕は第7の外道さんとほぼ同じ考えです。ただ、法華経直説という前提が破れても、それとは別個に保存されるであろう大聖人の思想については、まだぼんやりとしかイメージしていません。しかし、おそらくそれは(現在の創価学会のようなやり方の)「信仰」の動機付けになるには難しいものなのではないかと思います。


583 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:02
>みさき23区さん

>1.~4.全てに、同意できない。
>ひゃっきまるさんが、なぜそういう、判断に立っているのか、聞きたい。
>とりあえず項目1.& 2.からはじめましょう。
>まず理由を述べてください。レスは交互を原則としましょう。
>(厳密な根拠でなくても、「こう思う」という表現でも結構です。)

 『1.~4.全てに、同意できない。』だけではなく、みさき23区さんの主張をはっきりと提示してもらえなければ、僕は議論をはじめることはできません。『レスは交互を原則としましょう。』とおっしゃいますが、みさきさんは今までに相当な量のレスを無視してきています。また、それらはほっておかれてもよいような類のものではなく、議論をする上でどうしても必要な情報です。

<差別・中傷に関して>
 1〜4の内容に、創価学会に対しての差別・中傷を感じるか、もし感じるとすれば、それはどんな理由によってか? もし感じないとしたら、

>僕はそれ以外にも、釈尊が法華経を説いていないという根拠をもっていますし、
>創価学会は釈尊在世から現代に至るまで、虚偽の歴史認識を信徒に信じ込ませることによって、教義に正当性を持たせているので。

を差別・中傷と感じたのはどんな理由によってか、説明して頂きたいと思います。これが、単に「言い方」に問題があったとされるのなら、僕は直ちに納得しますが、「差別」という重要な問題に関わるだけに、一応は確認をとりたいのです。


584 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:03
<みさきさんの主張内容について>

(441) みさきさん
> わたしは現在、学会は大乗非仏説を否定はしていない。と考えています。
>釈迦は直言として、文字経典を残さかった以上、現存の全ての文献が、「文献として非仏説」と、解釈できます。
>ですから、大乗が非仏説なら原始経典も、非仏説と考えるべき。でしょう?。

 まずここで、【みさきさんと創価学会の見解は一致するのか】、という確認がされていません。
 少なくとも創価学会のホームページでは、釈尊が法華経を説いたと言うことになっていますし、大百蓮華、任用試験でもそうなっています。もし【みさきさんが創価学会の見解を誤認している】のであれば、そもそもみさきさんは創価学会の見解を代表すること自体ができなくなり、

>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある
>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる

を否定する立場に立つ資格自体がないということになります。

 また、これ以後も、みさきさんの主張内容はずっと提示されず、僕や文底さんの発言に対する「否定」ばかりがなされています。こうした態度をみれば、 第7の外道さんが

(502)
>ここで言う「驚くべき主張」とは、「法華経が非仏説である」というのを指すのではなく、法華経非仏説に「根拠=蓋然的でない絶対的確証があると主張する」、というのを指していると思われます。
>ですから、皆さんが法華経非仏説についていかに説得力ある主張をなさろうと、それが蓋然的なものである限りみさき23区さんは受け入れないでしょう。99%ではダメで、100%でないとダメなのです。ところで学問の成果というのは常に蓋然的なものです。従ってこの「議論」は最初から結論が見えており、みさき23区さんの論法は「敵」の主張を最小限の労力で破壊しようとする(それだけが目的の)よくある論法の一つ、というわけです。

とおっしゃっているような危険性(まともな議論をするつもりはなく、相手を攪乱すること自体が目的であるような)を考慮せざるをえないことになります。こうした疑いをもつのは甚だ失礼になると存じ上げていますが、今現在もかたくなに自分の主張を述べることをなさらないことからも、どうしてもそういった疑念を持たざるを得ません。
 ですから、みさきさんがご自分の主張内容をはっきりとした形で(他人の主張を否定する形でなく)提示することが、議論に入る前の必須な条件になります。あらかじめ言っておきますが、「いかなる意見も、断定することはできない」ということであれば、僕も同じですし、それが主張内容だとしたら、議論をする意味・価値はないと思っています。(「断定することはできない」、ということを心に留め置いておくのは非常に重要なことだと思っていますが)


585 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:05
<みさきさんの議論態度について>
 文底さんの、

(522-525)    ※ 要点だけ編集して引用します
>もし、みさき23区さんが絶対唯一主義の「全称命題」にその力点が置かれ、その論述的根拠を「全称命題」における論議の正当性に求めているのであれば、御自身の御立場である、創価学会の「教義」対しても絶対唯一主義の「全称命題」の団体としての認識で宜しいのでしょうか?

>みさき23区さんが創価学会の「教義」対して、絶対唯一主義の「全称命題」の団体としての認識では「無い」事は上記の文面「と考えています」「解釈できます」「考えるべきでしょう?」から、類推できます。
>この類推に誤りが無いのならば、自分自身の思想、及び、自分の属する団体が、絶対唯一主義の「全称命題」で論破されるのも「本意」ではないはずです。

>いづれにせよ、みさき23区さんが望まれている「根拠とは」の回答は、何処まで述べても「蓋然的判断」です。
>しかし「蓋然的判断」が「全称命題」に対する「回答では無い」からと言ってその論議の推移をもって、この定義(蓋然的)が「否」であるとは、結論付けられません。
>みさき23区さんが望まれている「根拠とは」の回答は、私や昼行燈さんが述べた「蓋然的判断」です。

>この見解を述べて頂き、みさき23区さんが私達が述べる論議が「蓋然的判断」に基づくものであるとの了解を得られたならば、No495の<本題> は「蓋然的判断」で論ずるかぎり、幾つかの回答が得られるでしょう。
>しかし、それらの回答が「全称命題」でない以上、みさき23区さんが御納得できるか懐疑的です。

>また「全称命題」における反論を要求されるならば、(略)まず、御自分が範を示してください。

に対して、みさきさんは、

>1〜2回の、やりとりでは収まらない内容です。
>ある程度の期間に亘ると予想されます。その間、現在迄のように私に対する断続的横レスが入り、議論は、私の質問からそらされ、撹乱されるおそれがあります。

という理由でレスを拒否していますが、僕は、こうした議論態度への確認は非常に重要なもので、「ひとまずそれは置いといて」という類のものではないと考えています。それは、第7の外道さんの、Nさんへのレス(417,418)を読めばよく実感なさることができるのではないかと思います。
 僕は、(522-525) の・言わんとしているところ・は、「ものごとの真偽、判断をするための議論における前提としては」、普遍性の高いものだと思っており、今までは当然と考えていただけに、これにみさきさんが同意しないとしたら、かなり隔絶した意識の差がある、ということになります。このような者どうしはまともな議論はできないであろうと僕は思います。


586 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:06
 はじめからみさきさんは、僕の主張を裏付ける根拠をただ知りたかっただけである、ということから考えますと、以上のような「やっかいな前提」をクリアしなければ議論できない、ということにはうんざりしているのではないかと思います。ですから、無理に議論を求めはしません。ただ、<差別・中傷に関して>だけはお答えいただきたいと思います。

 長々と書いてきましたが、僕がずっと「根拠」を説明せずにいるのは、「実はそんなものはないのではないか?」、という疑いをもたれる危険性をおかすことになります(僕もさっさと議論に入りたいのですが、毎回「前提の確認」で手こずります)。
 ので、次にみさきさんが以上の内容について誠実なレスをつけてくれるのなら、その内容の如何に関わらず、根拠の輪郭だけでも説明しようと思います(といっても、なにも新しいことを言うわけでなく、すでに述べているようなことですが)。ただ、どんな状況の変化があるかは予測できませんので、確約はしません。

 独り言ですが、僕は今まで、意見の食い違いというのは、両者に与えられる情報・体験の差によって生じると考えていましたが、最近、その人の考え方の「前提」に由来するのではないか、と思えてきました。少なくとも、「前提への確認」は、客観的事実検証と同等なぐらいには重要である、と思っています。


587 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/12(水) 23:09
 失礼! 581の投稿者が「愚乱破さん」になっていますが、これは僕です。


588 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/13(木) 00:55
 割り込み御免。
板落ちてたので、サルベージさせていただきます。




589 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/13(木) 01:58

570 ROMG さん

>ところで、鎌倉時代において、法華経の成立年代を記した文献はあったのでしょうか。
>また、あったとして、それを大聖人が目にすることは可能だったのでしょうか?
鎌倉時代に法華経年代成立を記した記録はありません。しかし日蓮は釈迦生涯の「四十余年後」
と断じています。(中国作成の偽経典である『無量義経』に依って)
有るとすれば、これ位でしょうか。

>現在のように,出版物も交通も発展していない過去において、
>法華経が釈尊が説いたかどうかということを証明することは
>できないのではないでしょうか?
>現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気
>がします。
>この点について、どうお考えになりますか?
江戸時代に「富永仲基」と云う人が、日蓮と同じ条件で検証しています。一切経の検証です。(出定後語)
仲基の「大乗非仏説」はその後、違う方面(考古学や文献学、インド学等)からのアプローチ
で行き着いた結論と同じものです。(若干の誤りはありますが、論自体を覆す程のものではありません)
近代の経典研究が進むほど、その正しさが証明されています。

個人的には「末法の御本仏」より市井の一商人の方が、的確に物事を観ていたと、感じております。

お節介は此位にして、今後の推移を見守らせて頂きましょう。

  


590 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/13(木) 02:02

訂正

日蓮は釈迦生涯の「四十余年後」
         は
日蓮は釈迦生涯中の「四十余年後」 に法華経を説いた
         です。

 



591 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/13(木) 03:58
ひゃっきまる さんへ

<文底氏と私との、議論の推移についての言及部分について>
私は、文底氏との一連のやりとりに際して、少なくとも、氏と同程度の誠意で対応したと思っています。
あなたの言うように、氏との議論を拒否するような態度は最後まで、とらなかったと考えます。

<あなたとの再議論について>
>>とりあえず項目1.& 2.からはじめましょう。
>>まず理由を述べてください。レスは交互を原則としましょう。
>>(厳密な根拠でなくても、「こう思う」という表現でも結構です。)

さらに、他の方の参加の同意も、明示しておきました。
このように、あなた一人に過度の負担が、かからないよう、配慮して、発言したつもりです。

あなたの発言及び態度には、ブレがありすぎます。
あなたは、自身の「4項目の主張」について、再度対論を、求めたのですよね?。

あなたの発言の、真意がわかりません。 



592 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/13(木) 06:10
たくさんのレスを返していただき、ありがとうございます。
私自身としましては、非常に考えをまとめるのが遅い人間でありますので、
レスの遅い事をどうかお許しください。
また、私事ながら、来週まで用事がありPCの前に座ることができません。
決して,遁走するわけではありませんので、重ねてご容赦くだされれば
幸いと思っております。
また、一通りレスを読み、一部学会公式の見解云々という表記がありました。
私の述べている意見は私見であるということで,ご了承ください。

> 第7の外道さん

時間的余裕の無い中で、私の質問に答えていただき、ありがとうございます。
"前提を取り去る"="前提の真偽は問わず"という解釈をしてもよろしいでしょうか?
第7の外道さんに同感していただけたとすれば、このような解釈をされていると
考えてもよろしいかと思うのですが。(誤りがあるようでしたら,ご指摘ください)
その上で"創価学会の実践活動について,受け入れがたい前提に基づく"というのは、
どのような前提であるのかを,教えていただけますか?

>若葉マークさん

>しかし、”仮に”その日蓮が、現代の知識に照らし合わせて間違った
>知識を持っていたと認識できるならば、”日蓮は間違っていた(真実を知らなかった)”という
>ことを認めるべきだと思います。

レスありがとうございます。個人的には短いレスの方が読んでいて,楽です(笑)。
それは、長文が苦手と言う意味ですので、どなたに対する否定でもありません。
他の方の誤解がないように,述べておきます。
さて、いかの答えは,決してあげ足とりではないことに,留意して、お読みください。

"認めるべき"という表現には,若葉マークさんの真偽を判断する方法への主観に基づく
ものと思われます。私は、"事実がAであるならば、真実もAである。"という方法は
正しいとは思えません。
私は意義的な面から正しいか間違っていたかを判断する方法論を支持します。
事実としての一つの間違い,(しかもそれはその時点で検証できなかったもしくは、する意義がなかった)
をもって、すべてを間違いとする事はいかがでしょうか?
日蓮大聖人が読んだ法華経は釈尊が書いたものではなかった、それを持って日蓮は間違いであったと
認める意義(必要)はない=認めないべきだと思います。
水掛け論的になってきたでしょうか・・・・。

続きます。



593 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/13(木) 06:11
>文底さん
新参者にこのような長いレスをいただき、ありがとうございます。
上で長文が苦手といっておきながら、このようなことを言うのは何ですが・・(笑)
この掲示板の過去レスを見ていく上で大変文底さんに興味をもってしまいました。
以下の点についてよろしければ、文底さんにお聞きしたいのですが。
「第三者もある程度納得出来うる」「論理的具体的事例」
との事ですが,
1.第三者とは文底さん自身ですか?それとも文底さん以外の方ですか?あるいは両方と言う意味で
第三者ですか?
2.論理的具体的事例の価値基準,すなわち"ここまで説明されれば納得するよ"のここまでには、
個人差があると思うのですが、文底さんはどこまでなら論理的具体的事例と認定できるでしょうか?
1.の答えと絡めて,教えていただければ幸いです。

普遍的であるかどうかの検証についてですが、
そのためには、検証する人々の普遍的な価値というものの統一がなされていなければ、
これは普遍的であるとの結論がでないのではないでしょうか?
とりわけ宗教に関しての普遍的価値とは、この信仰を行い,どのような幸福が得られるのか
であると思います。
この点につきましても、どのようなお考えかお聞かせください。
以上の質問のお答えをきいてからの方が良いのかも知れませんが、
後に述べられている例えに対する私の見解を述べさせていただきます。

結果として得られる幸福が唯一であるとの前提ならば、
文底さんのたとえのA,B,Cどれであっても得られる幸福が同じなので、
Aが唯一とはいえません。これは結果のみが幸福であるとの
立場から見たのであって、人間の幸福における普遍といいきれるのか
疑問に思います。
つまり、幸福とは結果のみならず、その過程も含めると言った前提ならば
どうでしょうか?

続きます

ちょっと例えさせていただきます。
命に関わる病に冒されたとします。
結果として得たいことは、病気による苦しみから脱けだすこと。
1.宗教を信仰しているだけで治った。
2.手術や投薬をして治ったが,後遺症が残り違う苦しみが発生した。
3.違う原因により死亡することで、苦しまなくなった。
苦しみから抜け出したので、1も2も3も同じである?
私はどれを選ぶのかと言えば、1の方法を選びます。
そして”唯一”という言葉を用いて、同じ病気にかかっている人に
1の方法を勧めます。私の言葉が足らず(論理的具体的事例に欠ける)
2.3の方法を用いた方が論理的具体的事例をもって文底さんを納得
せしめたなら、文底さんは2.3の方法で結果(幸福)を得たことになりますね。
私から見ても幸福であろうという普遍的な検証を用いて得た結果です。

以上の記述について、もちろん文底さんの人格を否定,誹謗、中傷したわけではありません。

もう一度A.B.Cの例えに戻らせていただきますと、私の立場として、
同じ心身的な幸福が得られるのであっても、宗教Bの活動内容が合わないので嫌だ。
心理学Cは何を言っているのか理解できない。実践者Aのやり方なら、自分もできる。
だから,実践者Aの方法を用いた場合、私にとって実践者Aの方法が唯一であるという
事になりますが。

聞いてばかりで申し訳ありませんが、最後に質問させてください。
歴史的事実,文献的教義、論理的具体的例によってのみ、
普遍性、唯一が100%証明できる可能性を教えてください。



594 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/13(木) 06:12
最後に

>ひゃっきまるさん
すいません、一言だけ。
仏の概念について述べられておりますが、
十界論における仏の概念がすでにバラモン教で述べられており、
キリスト教のような「神」のようなイメージが付加されているという
いみでしょうか?

以上,私の述べた論述で,おそらく間違いも矛盾もあると思われます。
ご容赦、ならびにご指摘ください。
他にも、私に対する問いかけがあるかとも思いますが、
本日はこの辺にて,失礼させていただきます。
それでは。


595 名前: ROMG 投稿日: 2000/07/13(木) 06:13
昼行燈さん、レス間に合わなくてすみません。
あと、レスが長すぎたようです。見苦しいと
思われますが、よろしくお願いします。


596 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/07/13(木) 07:59
ROMGさん

レスありがとうございます。

>レスありがとうございます。個人的には短いレスの方が読んでいて,楽です(笑)。

 単にボキャ貧と文章作成能力がないだけだったりします・・・(爆)

>私は意義的な面から正しいか間違っていたかを判断する方法論を支持します。
>事実としての一つの間違い,(しかもそれはその時点で検証できなかったもしくは、
>する意義がなかった) をもって、すべてを間違いとする事はいかがでしょうか?

 事実としての一つの間違いをもって、すべてを間違いとしようとは思っていません。
 事実と異なることが、多数存在したとしても、日蓮に対する私の評価はあまり
 変わりません。 なぜならば、無信仰の私にとって、日蓮は一人の「人間」であり、
 「御本仏」ではありません。 「完璧な人間」など存在しないと思っていますので。

>日蓮大聖人が読んだ法華経は釈尊が書いたものではなかった、それを持って日蓮は間違い
>であったと 認める意義(必要)はない=認めないべきだと思います。

 たとえ、法華経は釈尊が説いたものではなくても、日蓮の思想を否定する気はありません。
 それは、日蓮による「法華経」の文献的解釈だと思っているからです。

 私が言いたいのは、愚乱破さんが仰ったような

 >私は日蓮大聖人が思想家とか政治家ならその通りだと思いますが、仏であればそれ
 >はないと思ってます。

 という御意見のように、日蓮は「仏」だから「絶対に」正しいというのは、おかしい
 のではないか? ということです。
 これは、私のように日蓮を「タダの人間」と捉えるか、「仏」と捉えるかの問題かも
 しれませんが・・・。
 もしも、現代の知識をもって、ある一つの事柄について「日蓮は間違っていた」と
 認識されるのであるならば、それは間違いとして認めましょう!ということです。
 それを以って、日蓮のすべてが間違いである などと言うつもりはございません。





597 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/13(木) 08:03
沖縄少女レイプ事件
1 名前: ヽ(`Д´)ノ 投稿日: 2000/07/07(金) 03:37

自宅ですやすや寝ていた中学生が、鍵がかかっていなかったという理由で
勝手に入ってきた米兵に犯された事件、どうしてもっと騒がれないのですか?

こう言うときこそウヨは騒いで暴れないのですか?
右翼ポピュリズムにはもってこいの事件でしょ。
それとも韓国や中国みたいな国相手じゃないと吠えられないの?

こう言うときこそサヨは騒いで暴れないのですか?
憎き米帝が我が国人民を蹂躙したんですよ。

サミットなんて潰すくらい筋の通った左


598 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/13(木) 11:44
文底さん<
私の稚拙な文を読んでいただきありがとうございます。
ご指摘の件ですが、私も書いた時点でちょっとおかしいとは思っていたのですが、適
切な表現ができなくて・・・“仏でなければ”と書くべきでした。
“人間”では仏も人間に含まれる可能性が有るような気がして使えませんでした。
さらっと“宗教家”くらいに書けば良かったかもしれませんが、この言葉が思い付き
ませんでした(笑)

「末法」における「仏」の定義を「日蓮大聖人唯一人」と捉えているか?
・・・は、これって定義ですか?・・・というのは置いておいて・・・
私は、信仰の対象としての仏は「日蓮大聖人唯一人」と捉えています。
衆生を仏に導くために法を説く仏はその世界その時に一人しか現れないということに
なっているようですので、但しその教えに従って仏に成れた人はおおぜいいないと矛盾が生じますよね。


599 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/13(木) 11:45
ひゃっきまるさん<

仏(仏陀)の解説ありがとうございました。

> もともとは修行によって悟る(成仏する)ことが目的であった仏教が、大乗仏教
> においては、絶大な救済力をもつ仏に救われるための信仰になっているようです

大乗仏教は皆そうですか? 私の理解では浄土宗のような他力本願でない宗派は修行によって悟ることを目的にしていると思うのですが?

> 法華経ではその救済の方法自体が、法華経によって成仏することなのですが、や
> はり、釈尊という仏と、他の仏は完全に違う存在として書かれています。

法華経の他の仏というのは? 「完全に」違う存在とは?
私には仏すら良く解かっていないので、もう少し説明していただけるとありがたいの
ですが・・・
ここで釈尊と釈迦は同義に使っておられますか? 日蓮大聖人は久遠実成の釈尊の師
を教主釈尊と仰せられたりするようで、良く理解できていないのです。


600 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/13(木) 12:07
>みさき23区さん
>私は、文底氏との一連のやりとりに際して、少なくとも、氏と同程度の誠意で対応したと思っています。
>あなたの言うように、氏との議論を拒否するような態度は最後まで、とらなかったと考えます。

 「拒否」という表現は撤回します。失礼しました。僕が585で言いたかったことは、文底さんの問いかけに対し、みさきさんがまだ答えずにいる、という点のみです。それは文面を見れば分かると思います。

>あなたの発言及び態度には、ブレがありすぎます。
>あなたは、自身の「4項目の主張」について、再度対論を、求めたのですよね?。

 議論をするための必要な前提をクリアしなければ、議論ははじめられない、ということです。その理由は、すでに書きましたが、議論というのが、お互いの言いたいことを単に悪口合戦のように言い合うというものでなく、互いに相手の言うことを理解しながら行われなければならないものだとしたら、僕の提示する前提は、必要なものだと思います。
 だから、僕は、「ブレ」はないと思っています。

 みさきさんは、なぜ 583~586に対して、一言もコメントしてくれないのでしょうか? 中には、それ自体が議論の内容となってしまうようなやっかいなものもありますが、当然答えていなければおかしいものもあります。特に、みさきさんが自分の主張を表明しない限りは、議論もなにもないと思うのですが。
 これをもって、

>あなたの発言の、真意がわかりません。

 とはみさきさんに返させていただきます。


>ROMGさん
>仏の概念について述べられておりますが、
>十界論における仏の概念がすでにバラモン教で述べられており、キリスト教のような「神」のようなイメージが付加されているといういみでしょうか?

 創価学会で使われている仏の概念は、もともとの意味(悟った人間)からすると、かなり複雑になっていると思います。

十界論でいう、「最高の生命レベル」に至った人間を指す、仏
九識論でいう、生命の中心に座す仏
末法の御本仏という、唯一の存在である仏
歴史的個人である、日蓮大聖人という仏

 これらの概念の違いや、関係性、(あるいは僕の犯している勘違いなどの指摘)、などを誰かまとめてくれると嬉しいです。

 なにをもって、「悟った者」とするかは、宗教によって違うだろうと思います。ですから、「十界論における仏の概念がすでにバラモン教で述べられており」ということはないと思います。大乗仏教において、仏に「神」のイメージが付加されていった、というのは、その通りです。ただ、キリスト教のような、というのは僕の主観的な感想ですが。


>愚乱破さん
 法華経を読みなおして確認してみますので、しばらくお待ちください。


601 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/13(木) 13:09
ひゃきまるさん へ

>600 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/13(木) 12:07

>>みさき23区さん

>「拒否」という表現は撤回します。失礼しました。僕が585で言いたかったことは、文底さんの問いかけに対し、みさきさんがまだ答えずにいる、という点のみです。それは文面を見れば分かると思います。


文底氏に対するレスの「義務」は、それがあるとするなら、私が、氏との一連のやりとりの中で、発生したものであり、氏との議論の中でのみ有効なのであり、本来議論の当事者である、あなたの代わりに議論なされた
文底氏が、主張でき、要求できる「権利」では、ありませんか?。

あなたは理由はどうあれ、一連の議論の最中には、発言されませんでした。

私が、文底氏に対し、私の「二項の質問」及び関連する発言を全て撤回する旨を書き込み、この件には文底氏も、7の外道氏も同意されたと理解しています。その際、522〜526の文底氏のレスに対する、回答履行を、条件として求められておりません。

私が「二件の質問」に関する、発言を、撤回した後、あなたが、文底氏の522〜526の発言に対するレスを私に要求する事は、私には正当な要求とはおもえません。

世の中の常識として、「○○○は◇◇◇である。」という、主張、言明をするなら、
その言明に対し<真><偽>の検証が発生します。
「真」を、証明するのは、その言明を、した人自身の側にあるのであって、根拠・理由を尋ねる側でない事は自明の事ではありませんか?。


602 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:34
ROMGさん

>新参者にこのような長いレスをいただき、ありがとうございます。
>上で長文が苦手といっておきながら、このようなことを言うのは何ですが・・(笑)

いえいえ、読むだけでも嫌になってしまうような駄文に逆に誠意的なレス頂き、ありがとうございます。

>1.第三者とは文底さん自身ですか?それとも文底さん以外の方ですか?あるいは両方と言う意味で
第三者ですか?
>2.論理的具体的事例の価値基準,すなわち"ここまで説明されれば納得するよ"のここまでには、
個人差があると思うのですが、文底さんはどこまでなら論理的具体的事例と認定できるでしょうか?まず「第三者」の定義付けですが、この論議の場合、当事者(創価学会を定義する場合は創価学会及び学会員の方、日蓮仏法日興門流である場合はその該当の信者の方)以外のあらゆる価値観を持つ方々という事です。
当然その中(第三者)には私も入りますし、他の宗教・思想を持つ方も入ります。
そして「論理的具体的事例の価値基準」に付いては、その後に述べられた

>普遍的であるかどうかの検証についてですが、そのためには、検証する人々の普遍的な価値というものの統一がなされていなければ、これは普遍的であるとの結論がでないのではないでしょうか?

この定義とも密接に絡んでおり、必ずある「約束上の上」でしか「普遍的」「論理的具体的事例」と言うものは、定義できないと考えます。
ですから、此処で述べる「論理的具体的事例」に付きましては、万人(大多数)がある約束上了承でき、また、その定義付け及び論証に反対するならば「不都合が生じる事項」です。

続きます。


603 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:35

簡単に例を挙げておきます。(あくまで事例です)

「論理的具体的事例の価値基準」

1、「生物はその生の保存・存続に維持の為には他の物質を搾取する」と命題し定義付ける。
そして、その命題中、保存・存続に維持における搾取のみ「許諾」と定義付けられるが、その命題を超えての搾取は「奪取」と定義付けるとする。
2、この定義における生物の主体・客体の関係は常に流転・逆転せしめる行為であるので、どちらにおける立場でもその搾取そのものを「否」と断定しない。

上記定義付け及び論証に反対するならば「不都合が生じる事項」

*生物はその存在自体を維持せしめる事が出来得ない。

次に

「普遍的」定義の設定基準

1、この場合の普遍的基準はあくまで、過去から現在までの経過を検証し、その経過において明らかに例外無くその基準を満たすものを「普遍的」と定義する。
2、未来や他の惑星における定義はその物理的性格上(タイムマシンや高速を超えるロケットが発明された時点で検証の対象)「検証」の対象とはなり得ないので「除外」する。
(無論、この設定自体に「普遍的」定義上の問題点が無い訳ではないが、あくまで考察する上での基準として定義する事を前提とする)

続きます。


604 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:36

上記の「普遍的」定義の設定基準における事例

*生物はその物理的存在自体が無限に維持される事はあり得ない。

この様な感じと捉えてください。

何れにせよ「絶対的」な定義など私は存在しないのではないかと「推論」」していますし、絶対的に事象を捉えるとその対象となる方の「人格」「思想」等を否定する場合もありますので、あくまで「論議上」の「一約束事」とお考え下さい。

ですから、

>人間の幸福における普遍といいきれるのか疑問に思います。

ですから「言い切っているのではなく」前回挙げた例証は「普遍的」定義の証明を目的としたものではなく、立場によって如何様にも変遷出来得る「前提的」例証だとお考え下さい。

>幸福とは結果のみならず、その過程も含めると言った前提ならばどうでしょうか?

確かに、過程における幸福の定義は、私の論体にはありませんでしたし、それ自体は、検証の価値があります。

>1.宗教を信仰しているだけで治った。
>2.手術や投薬をして治ったが,後遺症が残り違う苦しみが発生した。
>3.違う原因により死亡することで、苦しまなくなった。

続きます。


605 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:37
この推論には多少無理があると考えます。
上記の検証の結果を見れば分かるように2、3の定義付けでは「誰しも納得できない」であろうと類推できるからです。
もし、問題定義をされるのであれば

1.宗教を信仰しているだけで治った。
2.宗教を信仰せずとも手術や投薬をして治った。
3.両方を実践して治った。

この辺りの答えとしてROMGさんの

>私はどれを選ぶのかと言えば、1の方法を選びます。

との問題提起はそれ自体に検証の妥当性があると思います。
私自身のスタンスとしては、3が一番治療効果が上がると類推します。(どの宗教が良いかは別の定義として)

>私の立場として、同じ心身的な幸福が得られるのであっても、宗教Bの活動内容が合わないので嫌だ。
>心理学Cは何を言っているのか理解できない。実践者Aのやり方なら、自分もできる。
>だから,実践者Aの方法を用いた場合、私にとって実践者Aの方法が唯一であるという事になりますが。

最後に。


606 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:38
このROMGさんの御発言も
*「同じ心身的な幸福が得られる」命題として提起すれば

1、宗教Bの活動内容が合わないので嫌だ。
2、心理学Cは何を言っているのか理解できない。

は理解できますが「同じ心身的な幸福が得られる」との前提条件で、

3、私にとって実践者Aの方法が唯一

と結論付けるのは如何でしょうか?むしろ

3、私にとっては実践者Aの方法が好きなのでこれを選んでいる。

との結論付けの方が私などの人間には理解しやすいのですが・・・・

>歴史的事実,文献的教義、論理的具体的例によってのみ、普遍性、唯一が100%証明できる可能性を教えてください。

多分あり得ないのではないのでしょうか?
人間は「過ち」を犯しながらも「反省」し、その上で少しずつでも「前進」していく事が大切だと愚考しています。
ですから、歴史的事実,文献的教義、論理的具体的例を真摯的に検証する姿勢は、必要不可欠な条件だと考えます。

また、長文になってしまいましたね・・・・申し訳ありません。



607 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:39
愚乱破さん

>私の稚拙な文を読んでいただきありがとうございます。

いえいえ、此方こそ「変な突っ込み方」で、お気を悪くされたのではないかと危惧しています。
悪意はありませんので、御了承ください。

>・・・は、これって定義ですか?・・・というのは置いておいて・・・

スミマセン、すぐに定義付けをしたがる正確なもので・・・

>私は、信仰の対象としての仏は「日蓮大聖人唯一人」と捉えています。

愚乱破さん御自身そのプロセスに至るまでのそれは、体験的(功徳)確信でしょうか?
文献等で愚乱破さんが、納得し得る表現が使われていたのでしょうか?
若しくはその両方でしょうか?

>衆生を仏に導くために法を説く仏はその世界その時に一人しか現れないということになっているようですので、但しその教えに従って仏に成れた人はおおぜいいないと矛盾が生じますよね。

この矛盾自体を愚乱破さんはどのように御納得されて、現在の境地(ちょっと大げさでしょうか)に立たれていらっしゃるかを御説明いただけると嬉しいのですが・・
何れにせよ、愚乱破さんの私見で構いませんし、内容が内容ですので、御手隙の時で構いません。
ゆったりとしたテンポで、お互いに楽しい意義のある論議にしたいですね。


608 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:41
ひゃっきまるさん

>テストの方はもうあきらめました(ハハ・・・)

ひゃっきまるさんの御発言、何時も楽しみにしておりますが、くれぐれも、テストの方あきらめず頑張ってください。

ひゃっきまるさんのみさきさんに拘っていらっしゃる内容に、私がみさきさんに述べた論旨の内容の見解を要求されていらっしゃるようですが、もし、私に対する常連としての「義理・人情」(ちょっと古いかな)が包含されているのでしたら、そのお気持ちだけで良いですから、私事に御専念ください。
私が述べた論旨は誰が答えようと、答えまいと、このスレッドに厳然と存在するその「事実」で良いのです。
その文章を読んだ方々が賛否「色々な御感想」を持って頂けるだけで、私はその「思いの丈を述べた甲斐」があります。
みさきさんはこのスレッドは時々御覧になっていらっしゃるようですので、ひゃっきまるさんが御手隙になりましたら、新たにみさきさんに問題定義をされたら良いかと思います。
ただ、ひゃっきまるさん御自身が一連の事象の推移を御納得頂けないのであれば、余計なお世話になってしまいますが・・・・

(くれぐれもお体大切にしてください。)


609 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 15:43
愚乱破さん

記述ミスです

誤 すぐに定義付けをしたがる正確なもので
正 すぐに定義付けをしたがる性格なもので

スミマセンでした・・・



610 名前: 文底 投稿日: 2000/07/13(木) 16:26
*申し訳ありませんNo604とNo605の間に下記の分の入れてお読みください。

>苦しみから抜け出したので、1も2も3も同じである?

私が述べた事象とは、ちょっと意味合いが違いますが誤解されましたでしょうか?
私の論じ方が不適切であったかも知れません。

ROMGさんの定義された1から3の事象の1は確かに「抜苦与楽」の一定義として尊重しますが、その定義付けの為に2、3、の論述は誤解を与えてしまいかねません。
2の定義は基本的に苦しみから開放されていない状態でありますし、3の定義は、その死人自体から苦しみの概念を検証する事は不可能です。(霊媒師は非論理的と定義してですが)
よって、

>私はどれを選ぶのかと言えば、1の方法を選びます。

選択肢の定義付けに若干の無理があると考えますが・・・

>そして”唯一”という言葉を用いて、同じ病気にかかっている人に1の方法を勧めます。

言葉尻を取るようで申し訳ないのですが「唯一」と言う言葉に拘らなくとも「私の信念ではこの方法で
、抜苦与楽できるよ」との進め方でも良いと思うのですが・・
「唯一」という言葉を使ってしまうと、他の治療方法を暗に「否定」していると「誤解?」されかねません。

>私の言葉が足らず(論理的具体的事例に欠ける) 2.3の方法を用いた方が論理的具体的事例をもって文底さんを納得せしめたなら、文底さんは2.3の方法で結果(幸福)を得たことになりますね。


611 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/13(木) 21:40
文底さん<

なんか、そろそろ網を絞って来られたみたいで怖いなぁ(笑)

> 愚乱破さん御自身そのプロセスに至るまでのそれは、体験的(功徳)確信でしょ
> うか?
> 文献等で愚乱破さんが、納得し得る表現が使われていたのでしょうか?
> 若しくはその両方でしょうか?

私自身が明瞭な体験をもっているわけではありません。主な文献はとしては、学会
教学です。勿論、完全に理解できたわけではありませんが、解かる範囲での矛盾は
見い出せませんでした。検証不能なことは多かったとおもいますが。
ただ、苦しみに立ち向かって行く勇気と姿勢に魅せられたような気はします。
(苦しみの根源を知って、受け入れて安心を得るような消極的な姿勢でなく)
しかも、それがより良い方向に転換して行く因となるというプラス思考に!

> この矛盾自体を愚乱破さんはどのように御納得されて、現在の境地(ちょっと大
> げさでしょうか)に立たれていらっしゃるかを御説明いただけると嬉しいのです
> が・・

たしかに、同じ時に多くの仏が違う教え説いたら混乱するだろうと思って素直に信
じました。 一人の教えに従って成道した仏がいくら大勢いても、当然同じ教えを
説かれるはずですから、矛盾はないと思います。(本当に仏に成ったのなら)

> ゆったりとしたテンポで、お互いに楽しい意義のある論議にしたいですね。

そうですね、私には大変意義があります、既に多くのことが得られたと感じてます
文底さんにとっても意義があると良いのですが・・・


612 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/14(金) 01:47
ROMGさん

>"前提を取り去る"="前提の真偽は問わず"という解釈をしてもよろしいでしょうか?
>第7の外道さんに同感していただけたとすれば、このような解釈をされていると
>考えてもよろしいかと思うのですが。(誤りがあるようでしたら,ご指摘ください)

ちょっとおっしゃる意図がよく分かっていないので、的確な応答にはなっていないかも知れませんが・・・日蓮の仏性思想は、「法華経は釈迦が説いた」のかどうかは確認できなくても(つまりその命題の真偽は保留しておいても)、一応一貫性のあるものとして把握できると思う、という意味で言いました。
ただ私個人はこの「仏性思想」自体にも疑問を持っていますので、そういう意味では日蓮の思想に対しては全面的に批判的に立場にいるのですが、とりあえずこの板では日蓮の「成仏方法論」の問題点の検討がメインであり、それを論ずることが創価学会の対外活動の問題点を検討することにも繋がると思っていますので、とりあえず「法華経は仏説かいなか」(あるいは「法華経解釈のスタンス」)に議論を集中できたら、と考えています。

>その上で"創価学会の実践活動について,受け入れがたい前提に基づく"というのは、
>どのような前提であるのかを,教えていただけますか?

この「前提」は、私にとってはまさに日蓮の法華経解釈の立場と直結するものです。ただそれを簡明にここで記す余裕がちょっとないもので、もう少しお待ち願えたらと思います。本当はそうした議論をするためのたたき台をつくるつもりでいるのですが、それが遅れに遅れてしまっているので、多くの方に迷惑をかけています。まことに申し訳のないことです m(_ _)m
もし何でしたらご参考までに、

http://nagoya.cool.ne.jp/a_killer/gedou/g7Index.html

の「読者」さんのページに私の以前の駄文を掲載させていただいています。修正したいと思うところが多々有るのですが、私の基本的な考え方がどういうものかを知っていただくには都合がよいかと思います。またお暇なときに御覧くださいませ。




613 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/14(金) 02:34
>all

しかしこのスレッドは進行が早いですね(^^; ちょくちょく発言はしたく思っていますが、これからしばらくは一層ペースが落ちてしまいそうです。
愚乱破さんが「復帰」されたのはうれしい限りです。仏の定義の話は実に面白いと思います。ただそれについては別スレッドを立てたほうがゆっくり進めやすいかも知れませんね。もちろん、ここの方がやりやすいということでしたら、それでも結構です。

>ひゃっきまるさん(そしてみさきさん)

テスト諦められたのですか? 留年経験者として、そのお気持ちご察し申し上げます(笑)。くれぐれも私と同じ道を歩みなさいませんよう。
みさきさんとの議論のことでちょっと横レスなのですが、みさきさんの言うとおり、みさきさん自身が最初の「二件の質問」に関する発言を撤回した時点で、一応のこの議論は終結したものだと私は思っていました。多分みさきさんもそういうつもりであったろうと思います。ですから「一旦終結」以前の発言はとりあえずはなかったことにして議論を(始めるなら)始められるほうがすっきりいくのではないかと思います。その後のみさきさんの態度も、特にアンフェアなものには見えませんし。

ただ、これはみさきさんに対するお節介でもあるのですが・・・、
ひゃっきまるさんが釈然としない心情でおられるのもよく分かります。「学会員です」ということでご登場され、以前は「学会は大乗非仏説は否定していない」とおっしゃったのに、後で「『1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い』には同意できない」 とおっしゃられると、「みさきさんの立場は何なんだ?」という疑問が生じても仕方ないと思うのです。相手の立場がわからない(矛盾しているようにすら見える)のでは、「根拠の開示」をするにも骨が折れるのではないかと思います(相手の立場に合わせて、説明方法なども変わってくるでしょうから)。
みさきさんもこの先「非戦闘モード」でいかれるのなら、せめて学会との関係や立場くらいはご説明されたほうがよいのではないか、と余計なお節介をやいてしまいます。



614 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/14(金) 06:02

7の外道 氏へ

>ひゃっきまるさんが釈然としない心情でおられるのもよく分かります。「学会員です」ということでご登場され、以前は「学会は大乗非仏説は否定していない」とおっしゃったのに、後で「『1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い』には同意できない」 とおっしゃられると、「みさきさんの立場は何なんだ?」という疑問が生じても仕方ないと思うのです。相手の立場がわからない(矛盾しているようにすら見える)のでは

「釈尊は法華経を説いたか否かは知り得ない」
「学会は大乗非仏説は否定していないと思う」

私の上記のような立場自体は、矛盾していませんよね?。
この前提と以下の

「釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い」
「創価学会の、釈尊が法華経を説いたとする根拠には誤りがある」
の二項の主張には同意できない

の結論に、

「矛盾」があるとする立場→7の外道氏、ひゃっきまる氏
「矛盾」とは言えないとする立場→みさき

私は99%の蓋然性に目をつむり、1%の未知の可能性のみを「唯一の根拠」として上記を否認している訳ではありません。

このことについて、「オイ、オイ、短絡的に結論するまえに、少しは自分の頭で考えてみてくれよ〜。」ということです。




615 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/14(金) 08:47
みさきさん、ここのくだりをよくお読みください。

>「みさきさんの立場は何なんだ?」という疑問が生じても仕方ないと思うのです。相手の立場がわからない(矛盾しているようにすら見える)のでは(以下略)

ここからどうして

>「矛盾」があるとする立場→7の外道氏

となるんですか? ひゃっきまるさんが「疑問」を感じているのは確からしいから、それを解いて見られては? と言っているだけです。どうしてこうもポイントがずれていくのでしょう?
あと、

>このことについて、「オイ、オイ、短絡的に結論するまえに、少しは自分の頭で考えてみてくれよ〜。」ということです。

ひゃっきまるさんはまだ「根拠の開示」を行っていないはずです。なぜ「短絡的に結論」「少しは自分の頭で考えてみてくれよ」と言えるのかなぁ。

私はみさきさんと議論するつもりは毛頭ないので、上記の「質問」に答えてくださる必要は全くありません(仮に返答していただいても、たぷん私は応答しないでしょうし)。ただ第三者的に見ていると、これではいつまでたっても議論は始まらないだろうな、と感じるだけです。



616 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/14(金) 11:56
なんかおかしい


617 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/14(金) 12:31
7の外道さんへ

>615 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/14(金) 08:47

>みさきさん、ここのくだりをよくお読みください。

>「みさきさんの立場は何なんだ?」という疑問が生じても仕方ないと思うのです。相手の立場がわからない(矛盾しているようにすら見える)のでは(以下略)

>ここからどうして

>>「矛盾」があるとする立場→7の外道氏
(以下略)


<614 みさき発言>、気に障られたなら、撤回します。

でもね・・。
以下のような発言は、どうなんでしょうかね?。(蓮日氏と7の外道さんの発言)

↓   ↓    ↓    ↓   ↓

>14 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/10(水) 04:12

>第7の外道 さん
無理ですよ。学会員の人たちは法華経と言っても、方便品第二と如来寿量品第十六しか
読みませんから。方便品第二は十如是までしか読みませんし、第一に法華経が「仏説」では
無いないんて知りもしないでしょう。教えられた事以外は信じません。

>学会や池田氏に関連することなら結構敏感に反応しているのに、
>日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては…
どうでも善いのでしょう。選挙や名誉博士・勲章の方が大切なのですよ。



618 名前: 文底 投稿日: 2000/07/14(金) 13:59
愚乱破さん

>なんか、そろそろ網を絞って来られたみたいで怖いなぁ(笑)

大丈夫ですよ、私の問題定義は、ある結論(特に自分自身の論証)を導き出すための誘導的問題定義ではありませんから、その点御心配無用です。

>私自身が明瞭な体験をもっているわけではありません。

そうですか・・私が知り得ている「法華講」「創価学会」の皆さんの中には、意外と「功徳」によって確信を得られている方が多かった(ZEGAさんもそうらしい)もので・・・
また、その体験的現象(功徳)を得た後、その団体の持ち得る教義の「文献的解釈」の内容(教義の矛盾とか間違いとかではなく)を論理的検証をされる方もいらっしゃいました。
愚乱破さんは上記の方とは少し違う御立場なのですね。

>ただ、苦しみに立ち向かって行く勇気と姿勢に魅せられたような気はします。
>しかも、それがより良い方向に転換して行く因となるというプラス思考に!

これは「創価学会」の「教義解釈」の中にあると言う事ですよね?
具体的にどの辺りが、愚乱破さんにとって「良い方向に転換して行く因となるというプラス思考に!」なり得る一説があったのでしょうか?
出来得れば教えて頂けると、有り難いのですが・・・
また、その一文はその教義のみに存在するような特殊性があったのでしょうか?

>一人の教えに従って成道した仏がいくら大勢いても、当然同じ教えを説かれるはずですから、矛盾はないと思います。

その一人と言うのは、釈尊の事でしょうか?日蓮の事でしょうか?
歴史上の時間軸では、その時点で一人しかいないと考えて宜しいのでしょうか?
色々伺ってばかりでスミマセン。

>文底さんにとっても意義があると良いのですが・・・

愚乱破さんの御意見は大変参考になりますし、その文体から滲み出る御人柄には敬意を表しております。(逆に私の論体で愚乱破さんの気分を害される事は無いか、その点を危惧しております)
これからも色々御教授ください。


619 名前: 文底 投稿日: 2000/07/14(金) 14:01

第7の外道さん

>しかしこのスレッドは進行が早いですね(^^;

この原因の多くは私の「ウザイ長文駄文」にあります。
申し訳ありません。

>ちょくちょく発言はしたく思っていますが、これからしばらくは一層ペースが落ちてしまいそうです。

先ずは「私事」「お体」を一番大切にされて「ゆったりと」しかし「粛々」と進められるのが一番かと存じ上げます。

>愚乱破さんが「復帰」されたのはうれしい限りです。仏の定義の話は実に面白いと思います。ただそれについては別スレッドを立てたほうがゆっくり進めやすいかも知れませんね。

愚乱破さんの「仏の定義の話」に付いては、私自身色々学ばせて頂いております。
結構激しい議論が多いこのスレの中で、愚連覇さんとの一連のやり取りは、何だか心がゆったりとします。
愚乱破さん御自身のお気持ちは、分かりませんが私としましては、このスレッドにおいて「のんびり」と「誠実」に愚乱破さんと「論議出来得たら」と考えております。
この推移において「問題」等御座いましたら何時でも仰って下さい。


620 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/14(金) 17:44
文底さん<

> 愚乱破さんは上記の方とは少し違う御立場なのですね。

そうですね、体験を実感できないのは信心が弱いためかと、反省しています。

> 具体的にどの辺りが、愚乱破さんにとって「良い方向に転換して行く因となると
> いうプラス思考に!」なり得る一説があったのでしょうか?

全体を私なりに理解した結果ですので、どの一説でということを記憶していないの
ですが、後で特に感じたところを2,3探して見ますのでお待ち戴きたいと思いま
す。

> その一人と言うのは、釈尊の事でしょうか?日蓮の事でしょうか?
> 歴史上の時間軸では、その時点で一人しかいないと考えて宜しいのでしょうか?

私見ですので、あらたまって訊ねられても参考になるとも思えませんが、私は日蓮
大聖人を教主と考えております。
教主は、そのお一人でないといけないと思います。
教主釈尊=日蓮大聖人であり釈迦は弟子であるというのが学会教学だと捉えている
のですが・・・

> 愚乱破さんの御意見は大変参考になりますし、その文体から滲み出る御人柄には
> 敬意を表しております。(逆に私の論体で愚乱破さんの気分を害される事は無い
> か、その点を危惧しております)
> これからも色々御教授ください。

ありがとうございます。ご教授なんてとんでもないです。こちらこそ色々勉強させ
て戴いています。
みさき23区さんとの一連のやりとりで一時緊張がありましたが、みさきさんも後
には「非戦闘モ−ドで対応するよ。」と態度を変えられたのは、偏に文底さんが誠
実にかつ対等に論議されたからだと、尊敬するとともに、みさきさんをも尊敬いた
しました。
学会(員)は色々非難、中傷されていますので、私は多少のことに不感症になってい
ましたが、みさきさんが未だ鋭敏に感じとられていることに、私も考えさせられま
した。
これからも、論議の結果をあまり心配せず、率直に話し合われるとよいなぁと思い
ます。


621 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/14(金) 20:24
文底さん<

プラス思考の件ですが・・・

始聞仏乗義に“竜嬬菩薩・妙法の妙の一字を釈して譬えば大薬師の能く毒を以って
薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何
物ぞ法身・般若・解脱なり、能く毒を以って薬と為す何物ぞ三道を変じて三徳と為
すのみ。”

四条金吾殿御返事に“普賢経に云く「煩悩を断ぜず五欲を離れず諸根を浄むること
を得て諸罪を滅除す」止観に云く「無明塵労は即是菩提生死は即涅槃なり”

御義口伝上に“…煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり煩悩即菩提と開覚する
を焼則物不生とは云うなり”

などをそのように理解しました。



622 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/15(土) 00:08
みさき23区さん。
恐らく応答しないと言っておいてなんですが・・・

><614 みさき発言>、気に障られたなら、撤回します。

確かにカチンと来るものがあったのは確かですが、それが文面に表れ、「気に障った」という印象を与えてしまったのであれば、それは本意ではありません。私の忍耐力の無さのなせるわざだということです。お詫び申し上げます。
ただ、おそらくご承知でしょうが、私はみさきさんに発言の撤回を求める意図は全くないので、その点はご承知おきください。



623 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/15(土) 00:20
文底さん

>結構激しい議論が多いこのスレの中で、愚連覇さんとの一連のやり取りは、何だか心がゆったりとします。

同じ印象を持っています。実際、「仏の定義」等のテーマは純粋に面白いものだと思います。私は単純に、「仏」とは「覚った人間」としてとらえ、それ以上の「仏」を求める気持ちはないんですが、仏教における「仏」観の推移は非常に面白いテーマであるとも思っています。自分としても直ぐには無理ですが、話に参加したいという気持ちがあります。
ただちょっとジレンマも・・・一応この板にあるスレッドとしては、「学会」をめぐる議論はやはり重要だと思うのですが、反面「学会がどう」というのを離れて上のような話を進めたい気持ちもあり・・・。そのバランスをどうとるべきか、よく見きれないまま「なるようになれ」という具合になってしまっています(個人的には)。
結局、「なるようになれ」にしかならないと思うんですが。すいません。独り言でしたね。



624 名前: な足 投稿日: 2000/07/15(土) 01:03
仏義も良いけれど
創価学会が行っている悪行の数々を分析してください。
こうしている間にも幸せな家庭が学会員によって壊されています。


625 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/15(土) 01:19
 行動分析、脱会助言などその他の問題・活動については、
当創価・公明板では別スレにて承ってますんで。 (^^; > 624



626 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 02:16
617 みさき23区さん

 蓮日こと昼行燈です。

 私の発言に間違いは有るでしょうか?

  学会員の人たちは法華経と言っても、方便品第二と如来寿量品第十六しか
  読みませんから。方便品第二は十如是までしか読みませんし、第一に法華
  経が「仏説」では 無いないんて知りもしないでしょう。教えられた事以外は信
  じません。
 先ず、此の指摘は間違っていますか?
 私は疑問に答えて下さると言われて、靖国神社近くの学会の会館まで出向いたことが有ります。
 教学に詳しい方と友人は紹介して下さいました。
 「えっ?法華経は釈尊が説いたものでは無い?では誰が説いたのですか?
  学会では釈尊の真実の教えだと教えています。大聖人もそのように仰せです。
  勿論、学会員はその様に信じています」
 と。
 「大乗非仏説は聞いたことが無いですか?」と私。
 「御書講義では聞いたことはありません。教学試験でも、そのような事は出たこ
  とがありません。」と学会の【教学に詳しく分かる方】のお答え。
 「必ず、お調べして納得のゆく説明を差し上げます。」
 と言われて、役二年ですが、何度か催促してもお返事は頂いておりません。
 学会書籍で「大乗非仏説」についての記述は、池田大作氏と原島崇氏の対談中で
 一度だけ読んだ記憶はありますが、
 『大乗経典を他の弟子が伝えていた可能性はありますね。』
 の一行だけです。可能性の根拠の提示もないままに・・・・。(後に廃刊)

 でも、選挙の時は「公明党をお願いします」と連絡は入ります。
  聖教新聞を贈呈するから、読んで下さい。と三ヶ月間購読させて頂きました。
  (勿論、代金は支払いました)
  連日聖教新聞の一面は「名誉会長に『どこそこから』名誉博士号」とか、「世界
  の英知が絶賛」
 という記事のオンパレードで、うんざりした記憶があります。

  どうでも善いのでしょう。選挙や名誉博士・勲章の方が大切なのですよ。
 は私が素直に感じた事です。

 この書き込みに間違いや、事実誤認は有りますでしょうか?

 



627 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/15(土) 05:40
昼行燈 氏へ

>蓮日こと昼行燈です。
>私の発言に間違いは有るでしょうか?

たとえば、以下のような発言もあります。


>12 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/06(土) 06:04

期待してもまともな答えは返ってきませんよ。学会教義の受け売りしか「答え」は持っていない
筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います。

ヴェーダに近い教説ですけれど、彼らにはヴェーダと言っても理解できないでしょうから。
そんな人が 『法華経を勉強しきるのを願っているよ』 とは四則計算もできない小学生が、
微分・積分を勉強して下さいと言っているのと同じようなものです。


>18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 04:55
(笑)
>原因と結果が倶にある状態は観念としてはわかりますが、それがどう本仏思想を正当化するのか、
>私には全くわかりません。
同じく私にも理解できません。学会員も理解出来ないのではありませんか。
教えられた事の他には考えませんでしょうから。


これらの発言内容についても、真実というわけですね?。




628 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 06:23
627 みさき23区さん

>これらの発言内容についても、真実というわけですね?。
  真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。
  納得できましたら、いつでも撤回し、謝罪申し上げます。

  具体的に、何が言いたいのか仰っていただけませんか。
  何処がどう違うのか仰らず、
  「ですか?」 「ですね?」 の羅列では迷惑です。

 626の発言に対しても、お返事の無いまま、
>たとえば、以下のような発言もあります。
 と話を切り替える。 何が仰りたいのでしょう。
 先ず私の発言が間違っているのか、間違っていないのかお答え下さい。
 その場合は、「此の部分は違う」と違うと言う根拠と理由と証明もお願いします。 
 
 


629 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 06:36
続きです。

 大乗非仏説についても、私は根拠の一つとして、アショーカ王碑文や、ジャイナ教
聖典を提示しました。根拠のない話はしていないつもりです。

 いつでも宗教板でお相手いたすと申し上げているはずです。

 http://mentai.2ch.net/psy/index2.html
 までいつでもどうぞ、お越し下さい。

  


630 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/15(土) 06:39
宗門は同信の喜びに結ばれた人々の同朋
教団であって、信者はつねに言行をつつし
み、人道世法を守り力を合わせて、ひろく世
の中にまことのみ法をひろめるように努め
る。また、深く因果の道理をわきまえて、現世
祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信
にたよらない。


631 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/15(土) 07:22
>いつでも宗教板でお相手いたすと申し上げているはずです。

ここでの発言は、ここで決着つけさせて、いただきます。
あなたの、認否とは関係なく、やらせてもらいます。


>626の発言に対しても、お返事の無いまま、

この件も、含めきちんと、全て反論、及び、質問させて頂くつもりでいます。

>627 みさき23区さん
>>これらの発言内容についても、真実というわけですね?。
>真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。
 
627で、提示された、内容についても、正しいと、あなたが主張されたと、理解させていただきます。 



632 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 12:14

 みさき23区さん

  「真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。」
 と申し上げている筈です。

 
 


633 名前: 文底 投稿日: 2000/07/15(土) 18:35
愚乱破さん

>後で特に感じたところを2,3探して見ますのでお待ち戴きたいと思います。
>プラス思考の件ですが・・・ (後略)

No621にてわざわざ、具体的事例を挙げて頂きありがとうございます。
愚乱破さんの誠実な御人柄改めて拝見させて頂きました。

No621御指摘の教義の一節や

>教主は、そのお一人でないといけないと思います。
>教主釈尊=日蓮大聖人であり釈迦は弟子であるというのが学会教学だと捉えているのですが・・・

この辺りの御意見に対し、私自身も私見を述べたい所なのですが、このスレッドの雰囲気が、みさき23区さんと昼行燈さんが「戦闘モ−ド」で論争されるような状態になっており、私自身としては、大変危惧しております。
少しこのスレの推移を拝見させて頂いてから、愚乱破さんにレスをさせて頂いて宜しいでしょうか?

第7の外道さん

みさき23区さんと昼行燈さんが論争をされるようですが、険悪な雰囲気にならないか、大変危惧しております。(週明けには「ROMGさん」も戻られるでしょうし・・・一層スレッドの混乱が予想されます)

>ただちょっとジレンマも・・・一応この板にあるスレッドとしては、「学会」をめぐる議論はやはり重要だと思うのですが、反面「学会がどう」というのを離れて上のような話を進めたい気持ちもあり・・・。

私と愚乱破さんの論議が上記の定義に当てはまるのならば、この辺りに問題定義付きましても、私自身今一度再考してみます。


634 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 01:54
みさき23区さん、昼行燈さん

この論争に関しては、直接のきっかけは明らかに私(615)にあるようですね。
617を見ると本来の論争相手は私のように見えますが、私は応答するのを控えました。みさきさんの意図がよくわからなかったからです。しかしよく読みなおしてみると、みさきさんは「第7の外道は昼行燈さんの発言には突っ込まないのに、なぜ自分のには突っ込むんだ? フェアじゃないじゃないか」という気持ちだったのかも知れません。(ただ、あの時の昼行燈さんと私の関係を引き合いに出して、みさきさんと私の関係をどうこう言われるのも ? な気がしますが、今はやめます)。
また、ひゃっきまるさんが「自分の頭で考え」ずに「短絡的に結論」を出しているのかどうかは、ひゃっきまるさん自身が証すべきことであり(といっても、これまでのひゃっきまるさんの発言を検討すれば、それはとっくに証されているとは思うのですが)、私が横から言うようなことでもないでしょう。
もし以上の推察が正しければ、一応622で詫びを入れた形にしましたが、ここで615(後半部)を撤回すると同時に、改めてみさきさんにはお詫び申し上げます。もし以上の推察が正しくなくても、一応上記部分は撤回させていただきます。

ただ昼行燈さんとみさきさんの論争自体は、このスレッドにとっては本質的なテーマが扱われる可能性が大いにあり、私としてはお二人さえよければ続けてもらえればと思います。個人的には「戦闘モード」でも結構ですが、議論の進行には私は注視させていただくとともに、場合によっては発言させていただければと思います。



635 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 02:03

文底さん

>このスレッドの雰囲気が、みさき23区さんと昼行燈さんが「戦闘モ−ド」で論争されるような状態になっており、私自身としては、大変危惧しております。
>みさき23区さんと昼行燈さんが論争をされるようですが、険悪な雰囲気にならないか、大変危惧しております。(週明けには「ROMGさん」も戻られるでしょうし・・・一層スレッドの混乱が予想されます)

私がきっかけをつくってしまったことでもあり、反省しきりです。確かに不毛な方向に論争が進む可能性も大きく、私も懸念するところがありますが、とりあえず私も推移を見守るしかありません。内容濃い方向に話が進むのを期待するしかありません。文底さんに心配をかけさせて申し訳無いです。

昼行燈さん

論争に巻き込むきっかけと、昼行燈さんが動かざるをえないような状況をつくってしまい、申し訳無く思います。



636 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/16(日) 02:13

熱いファイトは2チャンネルの花と言いたいが、荒れると面白がってまた変な奴が乱入してくるよ。

そんでもいいの?



637 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 02:53
>636
「そんでもいいの?」
いえ、よくありません(笑)
ただ、「面白がって乱入する」だけの人なら
たぶんお二人(昼行燈さん&みさきさん)は無視することと思いますが・・・。
コテハンで登場する人がいたら、
その時は私が応対することになりますか・・・。



638 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/16(日) 02:58

 第7の外道さん、文底さん

 今回は「大乗非仏説」以外には、議論するつもりはありません。
 その他の件に関しては、「真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。」
と云う立場です。あえて反論は致しませんし、するのも面倒なのです。
 結局は水掛け論に始終するのは、いつもの事ですから。

 ですから、宗教板へとお願いしたのですが、此処で論陣を張りたいのでしたら、ご自由に
おやんなさい。としか言えません。
 そのうえで、「納得できましたら、いつでも撤回し、謝罪申し上げます。 」
と申しているのですから決して「戦闘モード」でもありません。

 ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。ご厚意、感謝いたします。

 
  


639 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 03:04
昼行燈さん

>今回は「大乗非仏説」以外には、議論するつもりはありません。
(以下略)

お気遣い感謝いたします。
重ねてお詫び申し上げます。



640 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/16(日) 06:18
>628 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 06:23

>先ず私の発言が間違っているのか、間違っていないのかお答え下さい。
>その場合は、「此の部分は違う」と違うと言う根拠と理由と証明もお願いします。


とりあえず 昼行燈 氏の<NO.1〜20の発言>内容より。


分類(1)

「憶測に基ずく断定」にすぎない発言のため、「論証」・「論破」を必要としないケ−ス。


>12 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/06(土) 06:04
学会教義の受け売りしか「答え」は持っていない 筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います

>14 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/10(水) 04:12
第一に法華経が「仏説」では 無いないんて知りもしないでしょう。教えられた事以外は信じません。

>どうでも善いのでしょう。選挙や名誉博士・勲章の方が大切なのですよ。

>18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 04:55
学会員も理解出来ないのではありませんか。
教えられた事の他には考えませんでしょうから。


上記の一連の発言は、昼行燈氏の求める、「論証」は必要としない。
発言自体が、当人の間違いを露呈しているのだから。

(意味がわからないのなら、お友だちに解説してもらうことをすすめる。)



641 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/16(日) 06:20
分類(2)

自身の発言に「矛盾」があるため、(1)同様「論証」を必要としない。当人の言葉を並べるだけで、「自爆」しているケ−ス。


14 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/10(水) 04:12
>易行としての唱題が念仏のパクリですが、唱題は中国天台でも比叡山でも行われておりました

>「仏法では因果の法則が説かれている」なんて言っていますが、日蓮が久遠の仏と為った
因は説明できていません。
>おそらく、バラモン教の原人(プルシャ)思想や、法身・大日如来のいわれの「パクリ」なのでしょう。


さかんに「パクリ」と主張しているが、つっこみが、入ると以下のように


>117 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/09(木) 00:14
>確かに当初は日蓮を少し嘲っていた事は認めます。これも深くお詫び申し上げます。

前言をいとも簡単に謝罪。その程度の、軽い発言なのか?。

>ついでに一言申し添えておきますが、
>私が書き込んでいる「日蓮批判」は、学会員と正宗の方々の日蓮観に対するもので、
>日蓮信徒全体を指さしている訳ではありません。

日蓮に「パクリ」と言っておきながら、学会・宗門以外は批判していないという「自爆の論理」。



642 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/16(日) 06:22
分類(3)

 「虚偽」に対する論及が多少必要なケ−ス。

>18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 04:55

>戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」
を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました

>19 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 06:24

>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)


18,19の発言は、まれにみる「珍説」。
次回の反論で、明らかにするつもり。


643 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/16(日) 12:23
 「日蓮スレッド」参加者の皆様に、ご協力のお願い申し上げます。

 このスレッドとは関係が有りませんし、この場所に於いて申し上げるべき事では無いとは思いますが、
以下の文は、友人からのメールを無断転載させて戴きました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> こんにちは!

> 私の友人(依頼人)の友人の子供がこの希少難病「ゴーシェ病」との こ
> とでした。
> 友人の依頼で署名運動を手伝って欲しいとお願いがありました。
>
> その子供さんは、現在14歳で、18才になったら国から医療費の補 助
> が受けられな くなるとの事。
> 18才を超えると実費払い(毎月20万円程度の出費)になるそうです 。
> 議員や福祉事務所などいろいろあたってみたそうなんですが、今の制度
>ではどうにも出来ないと門前払いであったそうです。
> 何とかしてあげたいという気持ちがこみ上げてきました。
>
> 今回以下の内容で署名活動を展開しているとの事。ホームページもわか
> りましたので 下記に記します。
> ゴーシェ病についての詳細も出ています。私も協力しようと思ってい ま
> す。
>
> 協力していただけるならお願いできませんでしょうか?
>
> ご自身の署名と、ご友人にも協力をお願いしていただけませんでしょう
> か?
>
> ゴーシェ病患者および親の会H.P
> http://plaza20.mbn.or.jp/~megapon/index.html/
>
>
> 以下の内容がゴーシェ病患者および親の会H.Pの中のWebにありま
> したのでのぞ いて見てください。

> 酵素補充療法を長期高額療養費の指定にしてもらうための署名活動を行
> っています。
>
>
> ホームページをお持ちの方でリンクしていただける方は宜しくお願い致
> します。
>
>
> 署名活動 http://plaza20.mbn.or.jp/~megapon/syomei/s2.html
>
>
> 期日 9月末を予定してます
>
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 どうか、思想・信条を問わず、ご協力を賜りますよう、お願いいたします。


644 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 20:56
昼行燈さんは「大乗非仏説」に関するのもの以外は何も反論しないという姿勢でいらっしゃるようですから、640〜642のレスにはおそらく応答されないのではないでしょうか。しかしでは何の応答もなされないのでは、みさきさんの発言を単に黙殺・放置しているだけにも見えます。それもなんですので、この議論を始めさせたきっかけをつくった者の責任として、「大乗非仏説」関連以外のところでは、できるだけ私が応えましょう。みさきさんが私の発言を無視するか応答するかは、無論みさきさんの自由です。
まず640。

>「憶測に基ずく断定」にすぎない発言のため、「論証」・「論破」を必要としないケ−ス。
上記の一連の発言は、昼行燈氏の求める、「論証」は必要としない。
>発言自体が、当人の間違いを露呈しているのだから。

みさきさんが「憶測」だと思うのは自由でありそう言う理由もあるでしょうが、昼行燈さんがそう思うのも理由のあることで、それ以上のものは何もないと思いますよ。確かに「論証」「論破」もホントに必要ないケースですね。
ただ「発言自体が、当人の間違いを露呈しているのだから。」というのは意味不明ですね。率直に言うと、私も学会員の方には昼行燈さんの言われるようなパターンは多いと思いますから、「発言自体が、当人の間違いを露呈している」ようには全然見えません。無論昼行燈さんが「全ての学会員は〜」という言い方をしているのなら別ですが(それでも反例は必要でしょうが)、そうでもなく、あくまでこれらの発言は「特称命題」として扱うか、「一般的傾向」について述べたものとするべきでしょう。ですから640は議論の題とするものではなく、昼行燈さんの発言に対するみさきさんの「感想」として受け取るべきなのでしょうね。



645 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 20:58

641。

>前言をいとも簡単に謝罪。その程度の、軽い発言なのか?。

みさきさんも、私も、ここでした発言を「撤回」してきたことがあるでしょう? 例証の必要はあるでしょうか? 昼行燈さんが特に「軽い」わけでもないでしょう? 間違いであった等の理由で発言撤回するのは、そうしないよりははるかにいいと思います。間違えないのが最善ですが。

>日蓮に「パクリ」と言っておきながら、学会・宗門以外は批判していないという「自爆の論理」。

学会員であるみさきさんのお気持ちは御察しできます。そりゃあ「他の日蓮系宗派だって同じだろ、何で学会だけを?」という気持ちは当然だと思います。しかしとりあえず批判の範囲を限って議論する方法自体は間違いではないし、何よりここは「公明・創価学会」板です。学会と、その母体であった正宗以外の団体をとりあえず外して論ずるのはおかしくないと思います。そうした背景については御察しください。





646 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/16(日) 20:59

642。

>>「虚偽」に対する論及が多少必要なケ−ス。

>>18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 04:55

>>戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」
を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました

>>19 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 06:24

>>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)


>18,19の発言は、まれにみる「珍説」。
>次回の反論で、明らかにするつもり。

昼行燈さんがここに意見するかどうかはわかりませんが、私としては大変興味深く感じます。「次回の反論」を期待させていただきます。



647 名前: 文底 投稿日: 2000/07/16(日) 22:08
あまり長くなるとスレッドを乱すので今日の発言はこの投稿のみです。

>学会教義の受け売りしか「答え」は持っていない筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います

みさき23区さんはこの文を「憶測に基ずく断定」のケースの「憶測」と捉えていらっしゃいますが、逆にこれを憶測の定義と捉え、次のNo14、No18での断定文体の一部分と繋げる事に、意図的思惑を感じます。
少なくとも同一発言番号においてか、その次の発言番号における文章を持って上記事象が「憶測」からの「断定」と見る方が自然的です。
確かに、昼行燈さんの文体のNo14、No18の発言自体は、学会員のみさき23区さんにとっては「不愉快」であり「不適切」な表現とも取り方によっては捉えられますが、私は、あえて昼行燈さんが、そのように「憶測」する事象自体(No12)の発言内容に拘ります。

>学会教義の受け売りしか「答え」は持っていない筈です。

はたしてこの言葉自体が宗教者としての「根本的信仰姿勢」を位置付けるものとして「不適切」であるか考えてみてください。
ある信仰対象を「真摯的」に「実践」しようとする中で「疑う心を捨てなさい」との教義ある宗教ならば、当然取り得る姿勢ではありませんか?
これを「真剣に実践」していると捉えるか「受け売りしか答えは持っていない」と捉えるかは、その立場の違いであり、逆にみさき23区さんは「信仰姿勢の真摯的実践」を位置付けるものとしての正当性を述べられた方が、私のような「第三者」に対しての偏見・誤解を解きやすいと考えます。

>そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います

これに付いても、みさき23区さんの御立場では何も拘る事象ではないでしょう?
日蓮仏法における「法華経」の位置付けは、末法の「御本仏」である「日蓮」を顕在化するための「方便」であり、末法における「創価学会の方々」が「法華経の全文」を読む必要性も無ければ、読んでいなくとも「日蓮仏法」の根幹に関わるような命題ではないと思います。
この点に付いても「憶測に基ずく断定」のケースとして論証するのでは無く、教義的解釈における「不必要性」の論証で答えられた方が説得力があり得ると思います。

ですから、上記No12に定義づけ自体が「立場による認識の違い」であり、ある「断定の為」の「必要推定事項」とは結論付けられないと思います。

*この調子で全文やると完全に荒らしになりますので、本日はこれまでとします。


648 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/16(日) 22:37

第7の外道氏、 文底 氏ほか、昼行燈のお仲間の方々へ

>分類(3)

 >「虚偽」に対する論及が多少必要なケ−ス。

>>18 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 04:55

>>戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」
を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました

>>19 名前: 蓮日 投稿日: 1999/11/11(木) 06:24

>>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)


>18,19の発言は、まれにみる「珍説」。
>次回の反論で、明らかにするつもり

↓    ↓    ↓    ↓

みなさんの友情の証に、私に代わり昼行燈氏に説明してあげてください。

そして、わからない、部分が、ありましたら、彼に教えてもらいましょう。
彼は、間違いなくスラスラと答えられるはずです。



649 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/17(月) 09:19
<<都合が悪くなると、遁走してしまう、情けない、昼行燈 氏へ>>

>632 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/15(土) 12:14

 >みさき23区さん

 > 「真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。」
 と申し上げている筈です。

>638 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/16(日) 02:58

 > 今回は「大乗非仏説」以外には、議論するつもりはありません。
 その他の件に関しては、「真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。」

   ↑   ↑    ↑
論破・論証してあげましたよ〜。


>638 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/16(日) 02:58
 そのうえで、「納得できましたら、いつでも撤回し、謝罪申し上げます。 」
 ↑   ↑       ↑       ↑      ↑    ↑

どうすんの〜?。
逃げ回ってないで、苦しい弁解、きかせてよ−。


>を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました
         ↑     ↑       ↑    ↑
ウパニシャド、とかさぁヴェ−ダ、ほんとに、読んだことあんのかなぁ、・・・・この人。

>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)
  ↑     ↑     ↑       ↑    ↑

天台の著作さぁ、読んだことないの?。 


逃げないで、反論してよぉ。



650 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/17(月) 11:01
>第7の外道氏、 文底 氏ほか、昼行燈のお仲間の方々へ
>>分類(3)
>>「虚偽」に対する論及が多少必要なケ−ス。

>みなさんの友情の証に、私に代わり昼行燈氏に説明してあげてください。

どうして「友情の証」にみさきさんに代わって私(たち)が昼行燈さんに説明しなくちゃいけないのでしょう?
これは、みさきさんは自分で説明することを放棄した、と見なしてよいのでしょうか?
みさきさんの使われる言い方で言うと、これは一種の「遁走」なのでしょうか。

>次回の反論で、明らかにするつもり。

この「反論」には大変興味を持っています。期待しております。




651 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/17(月) 11:03
あと、昼行燈さんが「遁走」したと思われるのはみさきさんの自由ですが、第3者的に見ると、みさきさんは「論破・論証してあげましたよ〜」と言ってはいるが、その実まるで「論破・論証」になってませんよ・・・。

640 本人が「論破・論証」を必要としていないと言っているし、実際していない(644参照)。
641 本人が「論証」を必要としないと言っているし、昼行燈さんの発言に「矛盾」があるとする正当な根拠が提示されていない(645参照)。
641 「論破」も「論証」もなにも、昼行燈さんの発言を「珍説」といっているだけで、「反論」は「次回」にするつもりといって実際まだしていない。

というわけで、みさきさんがどうして「論破・論証してあげましたよ〜。 」と言えるのか、さっぱり分かりません。これでは昼行燈さんも「弁解」もなにもしようがないでしょう。
ですから、何の根拠もなくただみさきさんは

>情けない、昼行燈 氏

と、昼行燈さんを愚弄しているように見えます。ということは、みさきさんの発言は限りなく「誹謗・中傷」に近いと思われますが、いかがですか?
そしてみさきさんの発言が単なる「誹謗・中傷」であり、それを打ち消すような態度をみさきさんがとられないなら、私としてはみさきさんを「荒らし」と規定するしかないように思いますが、この点についてはいかがですか?

以上の件については、私以外の第3者の方のご意見も聞きたく思います。よろしくお願いします。




652 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 11:23
 (旧)日蓮てにはじめて書きこんだgさんに対し第7の外道さんが

「あなた自身の言葉で法華経の「裏に隠された意味」を伝えてくだされば幸いです。」

 …と言われたのを受けて蓮日さんは

「期待してもまともな答えは返ってきませんよ。学会教義の受け売りしか「答え」
 は持っていない筈です。そもそも「法華経」の全文を読んではいないと思います。」

  …と応えられ、さらに第7の外道さんの感想(?)

「日蓮とか法華経についてはどうでもいいんですかね、学会の人にとっては… 」

 …に対しては

「無理ですよ。学会員の人たちは法華経と言っても、方便品第二と如来寿量品第十
 六しか読みませんから。方便品第二は十如是までしか読みませんし、第一に法華
 経が「仏説」では無いないんて知りもしないでしょう。」

 …と応じておられます。

最初のgさんは学会員を名乗ってはいませんが、まず学会員であることは間違いな
いと私にも思われます。
それで、蓮日さんは学会員に対する連日さんのイメージを前提にgさんに対してこ
のような評価をされたのでしょうね。

次は明らかに“学会員の人たちは”と言われていますから、全員とはいえないまで
も多くの学会員に対する評価ですよね。

この板は学会(員)への非難・中傷の多いところですから、この程度はむしろ穏やか
な方でしょうが、“まともな答”、“受け売り”、“無理ですよ”、“知りもしな
い”などの表現に嘲笑している雰囲気を感じるのは私だけでは無いと思います。

ですので、私には「学会員は自分の信仰の拠り所であるはずの法華経の全文を読ん
でいないどころか、法華経の成立の経緯などについて無関心であるのはお笑い種で
ある。」と言われているように思えます。

蓮日さんが学会(員)にどのようなイメージを持たれるかは自由ですし、そのような
イメージを持たれた正当な理由もお有りなのでしょうが、それを公の場で表明する
ことにより、傷ついたり不快に思う人も確かに存在することにご留意いただければ
と、宗教全般にお詳しい蓮日さんであるからこそ期待したいのですが…

 … 独り言でした by 愚乱破 …


653 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/17(月) 11:41
愚乱破さん

率直なご意見ありがとうございます。昼行燈さんの発言は昼行燈さんが責任を持つことですから、私が代わっていうのは何ですが、私としても反省の契機にしたいと思います。

ただ、上での「みさき23区」さんの発言、そしてそれについての私のコメント(650・651)はどうでしょうか。愚乱破さんから見て、私の態度はアンフェアに見えますか? みさきさんの態度はどう思われますか?
できれば常連さん(コテハンでここの議論に参加されている方々)の意見を伺ってみたいのです。コテハンで参加される方を「あらし」規定しようとするのは、ここでは初めてのことですので。

これからちょっと席を外しますので、早くとも深夜までご返答はできませんが・・・。


654 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 11:43
第7の外道さん<
649はみさき23区さんをなりすました人の煽りじゃないんでしょうか?
今までの、みさきさんとは別人のような気がするのですが…


655 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/17(月) 12:21
愚乱破さん  へ

>654 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 11:43

>第7の外道さん<
>649はみさき23区さんをなりすました人の煽りじゃないんでしょうか?
>今までの、みさきさんとは別人のような気がするのですが…


みさき・本人の発言です。

私は、誠実な人には、誠実に。
そうでない方には、それなりに。

をモット−としております。


第7の外道 氏へ

冷静な、あなたらしくない、はつげんですね?。
私は、昼行燈さんと、議論をしている最中です。
昼行燈さんの代理を、彼自身が「あなたに託す。」と何時表明されました?。
ですから、昼行燈さん以外の方に、とりあえず、レスを、控えているわけですネ。

どうですか?。



656 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 13:00
第7の外道さん<

みさきさんの「日蓮に「パクリ」と言っておきながら、学会・宗門以外は批判して
 いないという「自爆の論理」。」 についてですが…
日蓮大聖人をご本仏として尊敬していることを批判しているのであれば、学会・宗
門への批判ということでしょうが、「日蓮」へのパクリ等の批判は当然学会・宗門
以外への批判ともなるのは明らかであり、牛の首さんもそのことを指摘されてまし
たよね。

その矛盾に気付かない(?)、とか「学会教義の受け売りしか「答え」は持っていな
い筈です。」という表現・内容を立場の違いとして簡単に看過することは、今まで
冷静に論議しておられたのに“友情”によって論理が曇ってしまったのかと、私に
も感じられました。
みさきさんもさぞ残念だったのではと推察されます。
そういう場で反論することの虚しさをみさきさんが感じたとしても、私には当然の
ように受け止められました。…私の思いこみかも知れませんが…
「差別」問題にもご造詣の深い第7の外道さんはどう思われますか。

そのお気持ちが
>みなさんの友情の証に、私に代わり昼行燈氏に説明してあげてください。
に表れているのかと思うのですが…


657 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/17(月) 13:16
7の外道 氏へ
<追加>

>これは、みさきさんは自分で説明することを放棄した、と見なしてよいのでしょうか?
みさきさんの使われる言い方で言うと、これは一種の「遁走」なのでしょうか。

>>次回の反論で、明らかにするつもり。

>この「反論」には大変興味を持っています。期待しております。


この件にかんしては、昼行燈氏の、「私との議論に対する意志確認」
及び、他の「代理の方」との議論継続の意志確認が、確定され次第、掲載するつもりです。

あえて、この件(分類3の内容)を、「さらしたまま」にしているのは、他にも、理由がありますが、いずれ、議論が継続されるなら、明らかになるとおもいます。




658 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 13:16
みさき23区さん<

649はご本人でしたか、みさきさんへの敬意で曇ってしまったのは私でしたね。

「非戦闘モード」は解除されてしまったんですか?
まさに「一念三千」ですね、残念に思います。(使い方が違うかな)


659 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/17(月) 13:39

愚乱破 さんへ

>「非戦闘モード」は解除されてしまったんですか?
>まさに「一念三千」ですね、残念に思います。(使い方が違うかな)

人間性が未熟なもので。

学会自体を批判するのは、がまん、ができます。
しかし、学会員を、侮辱されると、がまんできないのです。




660 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 15:17
みさき23区さん<

誹謗・中傷・侮辱に対して率直に怒れることは、私がみさきさんを尊敬するところ
でもあります。
私は怒る前に悲しくなる方で、入会しさえすれば全員が常識豊かに冷静に行動がで
きるようになるわけではありませんし、非難されるような行動をとる人も残念なが
ら居るのは間違いないと思います。ただ、学会の信仰と組織での訓練により豊かな
人格が形成されて行くことを信じています。
学会の信心のすばらしさを強調すればするほど、一般の方達は現実の学会員の行動
とのギャップを見て非難をしたくなるのでしょうね。
大人であれば行動の責任は、その個人に帰することが大きいのですが、学会員であ
るということで学会が批判されるのは、逆に言えば学会が期待されているのかもし
れませんよ(笑)
私は相手の仏性を心の底から敬っていける人間になりたいと願っています。


661 名前: >660 投稿日: 2000/07/17(月) 15:22
話に割り込んでしまいますが、私の好きな学会員さんと同じ考えしてますね。
私の嫌いな学会員さんは「何が何でも正しい」と猪突猛進な方です。
失礼しました。
>私は相手の仏性を心の底から敬っていける人間になりたいと願っています。
期待しています、創価学会と学会員さんに


662 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/17(月) 16:15
661さん<
あっ、ありがとうございます。
業が深く、いつになるか分かりませんが、励みとさせていただきます。


663 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/17(月) 18:31
>みさき23区さん、および皆さん

 ちょっと見ない間になにかとんでもないことになっていますね・・・。僕のせいだとしたら、何とおわびしたらよいのか言葉がみつかりません。
 まださっと目を通した程度なのでなんとも言えないのですが、今のところの僕の態度を表明しておきます。

 日にちをおいて少々頭を冷やしてみたのですが、実際、僕の中に、みさきさんに対する不快感と攻撃心が芽生えているのに気付きました。ただ、今までそうした気持ちを文章にしたことはないと思ってます。そうした気持ちがある以上は、議論は僕にとって苦痛で不毛な作業になってしまいます。
 正直なところ、みさきさんとの議論は非常に疲れます。肝心な点に論点を集約することができず、「誤解説き」に終止してしまうような疲労感があるのです。読むのも疲れるし、自分の考えを説明するのも疲れます。
 ただそれは、みさきさんのせいだというわけでもないかも知れません。論点が創価学会の沽券に関わる問題である以上、みさきさんとしては「勝負」という心構えになってしまうのは当然だし、そう考えれば、「義務」「条件」という言葉を持ち出してくるのも納得がいきます。しかし、僕はそういう形の議論をするのに慣れていませんし、そうした類いの議論をしようとは思いません。
 今現在の誤解は説いておきたいと思いますが(後に説明しますが)、これ以上のみさきさんとの議論は、放棄したいと思います。別に遁走(?)と見てくれても結構ですが、同じ主旨の議論はZEGAさんと行う予定ですので、僕の「根拠の開示」が見たければ、そのときにおいでください。

 現在の僕がどこまで客観的な視点にたてているかは自信がないのですが、一応感想を(あくまで感想です)。
 みさきさんも、第7の外道さんも、どちらも言い分はあると思いますが、だからこそ誤解を説く作業が必要なわけです。はじめから、考え方が全く同じという前提に立つことはできません。僕との議論にしても、この点をみさきさんはよくわきまえていないのではないか、という気がします。
 みさきさんは、ある意味、ちゃきちゃきとしていて、気持ちのいい感じの人だとお見受けしましたが、自分の意見を絶対として、相手の意見や考え方には耳を貸さない、という態度を決め込んでいるように見えます。そして、自分の中でかなり勝手にくだした判断(昼行燈さんに対してのような)を絶対としているような感じがします。
 話し合いましょう、という態度をとっているのは外道さんで、それに対して、聞く耳持たないよ、という風に見えます。これでは、(僕の間でそうであったように、)いつまでたってもすれ違うままでしょう。


>第7の外道さん

>ですから、何の根拠もなくただみさきさんは
>>情けない、昼行燈 氏
>と、昼行燈さんを愚弄しているように見えます。ということは、みさきさんの発言は限りなく「誹謗・中傷」に近いと思われますが、いかがですか?
>そしてみさきさんの発言が単なる「誹謗・中傷」であり、それを打ち消すような態度をみさきさんがとられないなら、私としてはみさきさんを「荒らし」と規定するしかないように思いますが、この点についてはいかがですか?

 論点がずれるかもしれませんが、『「荒らし」と規定すること』については、ちょっと疑問をもちます。ある一定の基準を超えた発言は「荒らし」とし、それには対応する必要はない、ということと解釈しましたが、発言者本人が「荒らしではない」と思っている以上は、「荒らし」扱いはやめた方がよいと思います。
 ただそれとは別に、 もちろん「誹謗・中傷」があれば、取り消す、謝罪する、というのは当然だと思います。でも、このスレッドも、そういう言葉がとびかう殺伐とした場所にはしたくないですね・・・。


>愚乱破さん

 660の御発言には本当に感動しました。ただ、経験から考えると、愚乱破さんのような人は、活動家である学会員であるほどいないのではないか、というのが正直な感想です。
 656の「矛盾点」ですが、僕はこれは単なる勘違いと思っています(いずれ説明があるでしょう) 。こうした誤解は無数に発生するもので、だからこそ、相手の言葉をすぐさま決めつけることはいけないと思っています。


664 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/17(月) 21:04
>みさき23区さん
 これは後始末のようなものですから、レスは不要です。また、みさきさんを攻撃する意図でこのようなことを書くわけでもありません。

 みさきさんの、

(553)みさきさん
>私は、二件の質問及び関連する全ての発言を撤回します。

を僕が正しく理解しなかったことが、おそらく一番悪かったのだと思います。これは、みさきさんが今までの発言をなかったことにする、という意味だったのですね。僕はこういう考え方に慣れていません。一度発言したことは、その意見を否定する考えを述べない限りは、なかったことにする、ということはできないと思っていましたから。

583~586の内容は、今までの経過が全てなかったとしても、議論の前提として必要なものとして上げていました。それでみさきさんは、なぜそんな前提が必要なのか、と思って、

>世の中の常識として、「○○○は◇◇◇である。」という、主張、言明をするなら、その言明に対>「真」を、証明するのは、その言明を、した人自身の側にあるのであって、根拠・理由を尋ねる側でない事は自明の事ではありませんか?。

とおっしゃったのだと思います。確かに、1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高いに関しては単独で説明できるものですが(といっても、仏教研究の成果を説明するだけになりますが)、他の2〜4に関しては確認が必要であったと思っています。

 僕としては、614であったような説明をもっと早い段階で提示してほしかったです。自分が当たり前だと思っていることは、他人にとっても当たり前であると思いがちですが、全然そうではないのです。

1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠は誤っている
3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる

 に同意できない理由が、

釈尊は法華経を説いた可能性が高い
創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠は正しい
創価学会が組織として流布している歴史認識は正しく、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識は誤っている

 ではなく、

>「釈尊は法華経を説いたか否かは知り得ない」
>「学会は大乗非仏説は否定していないと思う」

というのは、僕には非常に分かりにくいです。「釈尊は法華経を説いたか否かは知り得ない」と同じ主旨のことは僕も以前に述べましたし、もし 「学会は大乗非仏説は否定していない」のならば、僕がここで 「釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い」ことを論じても全く意味がないのですから。あまりに不可解なので、たぶん、この僕の「感想」も、誤解なのだろうと思います。


665 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/17(月) 21:16
>第7の外道さん

 本当は「なにか質問があればお答えしましょう」スレッドに載せようとしたのですが、どうもそういう状況でないようなので、こちらに載せます。

 議論とは全く関係なく、単なる独り言ですが、「相対的幸福」「絶対的幸福」について、私見を述べたいと思います(とくに言うほどのものでもないのですが・・・)。創価学会の価値観の中では、僕はこういう風に理解していました。

 人間が幸福感を感じるときはどんなときなのか? お金がある、容姿が優れている、仕事ができる、毎日おいしい御飯がたべられる、友だちがたくさんいる、とか、まあいろいろあります。しかし、それらの条件と言うのは、例えば、年収いくら以上なら幸福、とか、どの程度生活が豊かなら幸福、とか決められるわけではありません。それに、一時幸福感を感じたとしても、その恵まれた状態を当然と思ってしまうと、あまり幸福とは意識しないようになる、むしろ、だんだん不満が出てくることさえあります。

 それで、じゃあ幸福の正体は何なのか、と言ったら、「前よりも良い状態になる」とか、「他人よりも良い状態である」というような、「比較」の結果生まれる感情、ということになります。この幸福を、創価学会では、「相対的」というように呼んでいるのだと思います。

 相対的幸福を追い求めている限り、人はいつまでたっても本当の満足感を得られないことになります。どんなに努力しても、心から自分の境遇に満足できないのですから。

 それに対して、「絶対的幸福」という言葉があるのだと思います。(だから、「絶対」という言葉は、単に「相対」の反語で使われているということです)
 これはどんな状態かというと、よく使われる説明では、「生きているということ自体が楽しく、どんな困難があっても、楽しく悠々と乗り越えていけるような境涯」とでも言われてます。確かに、「生きている」こと自体が幸福の条件ならば、どんなに苦しくても、どんなにめぐまれてなくても、幸福な状態であるわけです。僕は、「ポジティブ・シンキング」とか、「吾唯足ることを知る」というように理解してます。

 こうした考え方は、もちろん創価学会特有の考えではありません。諸宗教が似たような考えを持っているでしょうし、哲学や人生訓にも似たようなものはいくらでもあるでしょう。物質的な富み、財産、名声などを追うのは空しいことだ、精神的な充実を計ろう、そうすれば、確固たる幸福の基盤が作られるのだ、という。
 キリスト教でも、他人の評価などを求めてはいけなくて、ひたすら神との個人的な関係を求めることを、信仰の内容としています。(余談ですが、僕が昔、「池田名誉会長をどのように思えばいいのか分からない」、ということを学生部の先輩に相談したところ、師弟という個人的な関係を自分の中で作り上げていくことを教えられました)


666 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/17(月) 21:17
(続き)
 創価学会の場合では、信仰によってそれが実現できる、ということなのでしょう。そして、学会でも、他の宗教などがそれを目指している、ということはおそらく認めていて、でも、本当の絶対的幸福を実現できるのは、この信仰だけなんだ、としているのだと思います。ということは、程度・完成度の問題ということですが、これを検証するには、方法論などの比較が必要でしょう。例えば、個人の意志だけで実現できるのか、とか。また、「幸福」というものに対し、どの考えがもっとも本質を捉えているのか、という理論的な面など。

 ところで、創価学会の中では、絶対的幸福と相対的幸福は、必ずしも無縁とは考えられていないようです。というのは、「功徳」というのは、相対的幸福として現れますから。実際の生活の中での、様々な困難に直面して、そして祈るのは、やはりそういうことへの解決ですから、祈っている内容は相対的幸福なわけです。ややこしいのですが、おそらく、絶対的幸福と相対的幸福とは、同時に実現される、ということではないかと思います。

 上記の僕の、「絶対的幸福」の説明だと、これは、単に「心のあり方を変えた」というだけです。カウンセラーと同じ程度のものです。しかし、「祈り」は、実際に世界に働きかける力を持っていて、同時に「相対的幸福」をも実現させる、と考えられています。

 これはどういうことかというと、あくまでも信仰を外側の視点から見た場合の私見ですが、「祈ることで相対的幸福が叶うはずだ、と思うこと自体が、絶対的幸福ということ」なのではないかな、と思ってます。自分が唯一正しい信仰をしている、という心のよりどころをもつことが絶対的幸福なのだと思います。確かに、自分の意志で保つポジティブ・シンキングよりか、組織の集団の中での常識(幻想?)に支えられている ポジティブ・シンキングの方が磐石といえるかもしれません。
 あるいは、「相対的幸福」は顕益(すぐに顕われる、仮の功徳)で、「絶対的幸福」は冥益(見えないところで積まれる功徳)だ、という見方もできるかもしれません。

 以上、勝手なことずらずら書いてしまいましたが、終わりです。


667 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/17(月) 21:56
ひゃきまる 殿

>614 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/14(金) 06:02

>私は99%の蓋然性に目をつむり、1%の未知の可能性のみを「唯一の根拠」として上記を否認している訳ではありません。


この発言は、「仏説」及び「法華経」をどう解釈・位置ずけるか?に関しての
ひゃくきまる氏や、昼行燈氏とは事なる「観点」があることを示唆したものです。

その内容は、いずれにせよ、最終的には、きちんと「提示」するつもりでいます。




668 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/17(月) 22:30
>みさき23区さん
>この発言は、「仏説」及び「法華経」をどう解釈・位置ずけるか?に関してのひゃくきまる氏や、昼行燈氏とは事なる「観点」があることを示唆したものです。
>その内容は、いずれにせよ、最終的には、きちんと「提示」するつもりでいます。

 非常にびっくりしたと共に、大変嬉しく思います。今まではとにかくみさきさんを捕らえ所のない人物かと思っていたのですが、具体的な主張があるのですね。
 楽しみにしています。(失礼ですが、今までの学会員でこうした類いの主張をなさる際、あまり説得力のあるものはありませんでしたから)

 感情のいざこざ(こちらが勝手に感じているだけかもしれませんが)は白紙に戻して、気持ちよく議論していけたらな、と思っています。


669 名前: 文底 投稿日: 2000/07/17(月) 23:22

私は、この論議の推移にて「ある文章」を書いておりましたが、

ひゃっきまるさんの

>感情のいざこざ(こちらが勝手に感じているだけかもしれませんが)は白紙に戻して、気持ちよく議論していけたらな、と思っています。

との一文において「ある文章」を掲示するのを見合わせておきます。

ただ、一言だけ申しておきます。

>学会自体を批判するのは、がまん、ができます。
>しかし、学会員を、侮辱されると、がまんできないのです。

この文体は、みさき23区さんの今までの論証を根底から覆す一文が入っております。
(みさき23区さんならお分かりでしょう・・・)
有意義な論議の推移期待しております。
みさき23区さんがこの意を汲み取ってくだされば何も申し上げません。
しかし、今までどおりの文体を使うならば

>しかし、学会員を、侮辱されると、がまんできないのです。
  ↑   ↑     ↑         ↑   
 本当に この様に 定義するのですね  !!!!!

この様な文体にて、これに拘ります。



670 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 01:10
みなさん
いろいろ貴重なご意見ありがとうございます m(_ _)m
先ずもって、みさきさんに対する「荒らし」規定は撤回させていただくとともに、みさきさんに深くお詫び申し上げます。

愚乱破さん

「牛の首」さんとは懐かしい名前です。しばらくこの板には見えていないようですが、個人的には再登場を期待している方の一人です。
というのはさておいて、656の件ですが、

>その矛盾に気付かない(?)、とか「学会教義の受け売りしか「答え」は持っていな
>い筈です。」という表現・内容を立場の違いとして簡単に看過することは、今まで
>冷静に論議しておられたのに“友情”によって論理が曇ってしまったのかと、私に
>も感じられました。(以下略)

みさきさんや愚乱破さんがそうお思いになるのは当然かも知れません。ただこれはやはり「立場の違い」と言わざるをえない点があるのは確かなのです。少なくとも私について言えば、今こうしてこの板に書きこみするに至った原因の大きな一つは、やはり創価学会の活動に対する疑問からなのです。実際に日蓮の思想の検討についても、その疑問点についての追究からたどり着いたものです。日蓮を批判的に見れば他の日蓮系宗派に対してもまた批判的になるのは当然のことで、実際は私はそういう立場です。しかしそこまで輪を広げて議論を展開するだけの個人的熟成がいまだなく、また今までの生活の中でも、他の日蓮系宗派から受けた疑問は、創価学会から受けた疑問と比べれば圧倒的に切実でないので、簡単に言おうと思えば、どうしても645のように言わざるをえないのです。それが不愉快に感じられるのであれば、それが私の現時点の「器」なのだとお考え頂くより他ありません。
ただ、私は「学会員」だったら十把一からげにして、必ず批判的に接する、というのは正しくない、ということを学びましたし、「立場が違う」から出発しても、最後もそのまま「立場が違う」で終わってしまうのは虚しい、ということも今はわきまえているつもりです。でもやはり、私は私の立場なり信念なり、能力の限りというのがあります。ご意見や批判をいただくのはありがたいです。それについてはできるだけ誠意をもって応えていきたいと思います。ただそれが愚乱破さんなど学会員の方を常に納得させるものではありえないだろうと思います。その際は、「この男もここまでか」と見ておいていただくより私には何も言えません。

ところで、学会がどうというのはおいといて、あくまで「日蓮の思想」というのにテーマを絞って議論を行うということは、私の望むところでもありますし、実際少し前まで、そういう方向にこのスレッドは動いていたと思います。このスレッドの表題でもあることですから、その方向にまとまっていくのがとりあえずの目標とできるのでは? と勝手に思っています。



671 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 01:11

みさき23区さん

上で書いたとおり、「荒らし」規定は撤回すると同時に深くお詫びいたします m(_ _)m
その後の発言を見て、私のあなたに対する見方がかなり短絡的であったことがわかり、深く恥じ反省しております。重ね重ねお詫び申し上げます。

ただ今後のことを考えると、あれこれちまちました仕方で何か言うよりも、先ず感じていることをはっきり、ざっくばらんに言ったほうがお互い分かりやすいと思うので、ちょっといろいろ喋ります。感情的に見えると思いますが、これはもう本音と受け取って頂いて、先ずはお聞きいただきたいと思います。

>私は、誠実な人には、誠実に。
>そうでない方には、それなりに。
>をモット−としております。

そのモットー自体には共感できますが、その結果が649ですか? 私はそのやり方については断じて否を言います。侮辱されたからといって侮辱で返したら、そこに一体何が生まれるのか、よくご承知でしょう? ただ「憎悪」のみです。それで誰か幸せになったり態度を調和的なものに変えたりするでしょうか? これも否です。そういうやり方によって、人生が無茶苦茶になっていく様など世間を見ればいくらも発見できます。これは、立場がどうあれ、決して許してはいけないことです。私の信念からすれば、あなたの649のような発言は間違っている。相手が不誠実だと思えば、あなたはなおさら冷静になって、その「不誠実」たるところを落ち着いて指摘すべきです。無論これは自戒の言葉でもあります。私自身がそんなことをしたらば、やはり徹底的に批判されるべきだと私も信じます。それはこの上なく恥ずかしいことだと、私は信じていますから。くれぐれも649のようなことはなさらないでください。「情けない」とかだけでなく、「〜したことないの?」というのも、十分侮辱表現になりますね(相手がしたしないは別としても)。以上、切にお願い申し上げます。
続きます。



672 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 01:12

後、やはりみさきさんの「議論」の進め方は、ちょっと問題を感じるところがあります。651の前半は、やはり今も撤回する気にはなれません。いくらあなたにとっては「それなりに」のつもりでも、他の者にとってはそんなあなたしか知らないわけです。実際こういう場では、発言内容が全てであって、その積み重ねで対論者との信用を築いていくわけです。別に信用など築くつもりはないのならそれでも構いませんが、それなら周りが「みさきとはそういう人だ」と思っても仕方がないのではないでしょうか。少なくとも、昼行燈さんとの絡みでは、あなたは論証・論破ではなく侮辱を目的としていた、としか見えませんでしたよ。
例えば

>この件にかんしては、昼行燈氏の、「私との議論に対する意志確認」
>及び、他の「代理の方」との議論継続の意志確認が、確定され次第、掲載するつもりです。
>あえて、この件(分類3の内容)を、「さらしたまま」にしているのは、他にも、理由がありますが、>いずれ、議論が継続されるなら、明らかになるとおもいます。

という真意があったとしても、他人はそう言われなければわかりません。あなたの議論の仕方は他人に誤解を招くものがとても多い。だから他人はあれこれ当て推量して、結果ムダレスを書かされるはめになる。議論が必要以上に混乱してきた責任の一担は、あなたにもあります。例えば昼行燈さんの絡みについても、「あなたは学会員を侮辱している。撤回せよ」と最初にいい、昼行燈さんがそれに応えなければ、「私はあなたを許さない。発言を求む。」といえばそれで済むことのように思えます。大乗非仏説がどうたら、ヴェーダがどうたら何て関係ないでしょう? それでもなお昼行燈さんが何も応えなければ、何も侮辱発言などせずともあなたが正当だ、ということは誰にも分かりますよ。「真意」や「手の内」があるなら、ストレートにそう仰ってみては?
続きます。




673 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 01:18

あと、

>私は、昼行燈さんと、議論をしている最中です。
>昼行燈さんの代理を、彼自身が「あなたに託す。」と何時表明されました?。
>ですから、昼行燈さん以外の方に、とりあえず、レスを、控えているわけですネ。

確かにそうですが、この件は私も半分当事者のようなものでしょう? 私に対する発言から始まったものですから。また第3者は口を出すな、という条件もなかったと思うので口を出しました。それに率直に言って、このとき私はあなたに不信感を持っていたので、ただほおっておくのはよくない、という浅慮もありました。

提案ですが、このまま昼行燈さんと「議論」をしてもあまり生産的な方に行くとは見えないので、改めてみさきさんの率直に思うところをぶつけることで仕切りなおしをするか、別テーマで議論してみるか、とりあえず流れをリセットしてみてはいかがでしょうか。もしこのままこのスレッドにい続けることをよしとするなら、ですが。




674 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 01:32

第7の外道さんはまだ起きていらっしゃるのでしたら、申し述べたい事があります。
その辺りの、状況をお聞かせください。
また、何時位までであればレス可能かも教えて頂けると幸いです。


675 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 01:55

これは独り言のようなモノですが・・・。主に愚乱破さん当てになるのかな?

>“友情”によって論理が曇ってしまったのか

という言葉が愚乱破さんにありましたが、そのつもりはなくとも、そういうことを感じさせるにはそれ相応の理由があったかも知れません。
昼行燈さんはこれの旧スレッド(去年の10月頃立ち上げたと記憶してます)立ち上げ時から参加された方で、それこそ幾多の「嵐」も共に乗り越えてまいりました(笑)。このスレッドのみならず、別板別スレッドでもいろいろ議論をしてきました。別スレッドでは彼のプライベートな苦しみ等も垣間見ることがありました。そんなわけで、あっちはどうだか分かりませんが、少なくとも私は彼に「同志的連帯」を感じています。それでも、以前彼が罵倒されているとき、私は特に何もしようとはしませんでした。こういう匿名の場では、話に参加する筋がなければむやみに「応援」したりするのは慎むべきだし、彼もそれは望まないだろうと思っていたからです。筋がないのに罵倒合戦に口を挟むと、自分も罵倒に走ってしまうのではないかと恐れたせいもあります。純粋な匿名の議論の場に、あまりウェットな心情に基づくものを持ち込むのはどうかとも思っていました。
ただ、このスレッドで、しかも私絡みで彼が罵倒されるような場ができてしまって、ちょっと我慢ができなかったのは事実です。極力そうした心情が出るのは抑えたつもりでしたが(実際、そんな不公平な論理を用いたとはいまだに思わないのですが)、見る人が見れば隠せないものなんですねぇ・・・。
そんなわけで、みさきさんが「学会員を、侮辱されると、がまんできないのです」という通り、私も昼行燈さんが侮辱されるのは我慢できないのですよ・・・でもどっちにしろ、「侮辱」というのが無いのが一番ですがね・・・。

以上、独り言です。




676 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 02:01
文底さん

遅くまでご苦労様です。
>第7の外道さんはまだ起きていらっしゃるのでしたら、申し述べたい事があります。
>その辺りの、状況をお聞かせください。
>また、何時位までであればレス可能かも教えて頂けると幸いです

うーむ。そろそろ寝なければと思っているんですが、眠くありません。
もう少しなら可能です。「その辺り」とは何でしょうか?


677 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 02:20

第7の外道さん

遅くまでお付き合いさせて、申し訳ありません。

私のNo647及びNo669における私の発言に対しての、第7の外道さんなりの私見をお聞かせ願えないでしょうか?

その上で、

>提案ですが、このまま昼行燈さんと「議論」をしてもあまり生産的な方に行くとは見えないので、改めてみさきさんの率直に思うところをぶつけることで仕切りなおしをするか、別テーマで議論してみるか、とりあえず流れをリセットしてみてはいかがでしょうか。もしこのままこのスレッドにい続けることをよしとするなら、ですが。

私に対する位置付けを第7の外道さんに定義付けて頂きたいのです。
みさき23区さんの

>「論破・論証してあげましたよ〜」
>「都合が悪くなると、遁走してしまう、情けない、昼行燈 氏へ」
>逃げ回ってないで、
>読んだことあんのかなぁ、
>天台の著作さぁ、読んだことないの?。
>逃げないで、反論してよぉ。

続きます。


678 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 02:21
ひゃっきまるさん

いろいろありがとうです。

>感情のいざこざ(こちらが勝手に感じているだけかもしれませんが)は白紙に戻して、気持ちよく議論していけたらな、と思っています。

私も、望むはこれだけです。

しかしさすがにちょっと疲れました。本日仕事でも対応に急を要する事態が勃発し、明日のことを考えると憂鬱極まりないっす。
2・3日ここをリタイアさせていただくかも・・・



679 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 02:24

この様な文体を乱発する人間に対し「真摯的」「誠実」等の対応(勿論謝罪・反省等も)は、もはや必要ないと私自身は考えます。
然しながら、全面論争になれば、第7の外道さんの立てられた、スレッドを今度は本気で荒らす具合の内容になるかも知れません。
そうなると私自身論証における「第三者」の「忠告」を黙殺する可能性も否定できません。
自分の思う所を自分自身の持ち得る情報と知識で徹底的に論破する可能性があります。

特に、みさきさんが「学会員を、侮辱されると、がまんできないのです」との下りは「私も昼行燈さんが侮辱されるのは我慢できないのですよ」等と言うレベルを完全に超えております。
私も具体的に法華講の方や創価学会の方から「折伏」と言う名の「具体的な恐怖的罵詈雑言で」「侮辱され、人間として「耐えがたい苦痛」を与えられた体験的事実があります。
今まで、これをこの場で述べなかったのは、全ての学会員の方の例証ではなく「一部分の非常識な学会員だと」善意的解釈をしていたからです。(実際知人の学会員は人間的尊敬できる人です)


680 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/18(火) 02:26
おっ!
おはよう文低!


681 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 02:35

しかし、みさきさんが「学会員を、侮辱されると、がまんできないのです」との一文において「みさきさん個人の侮辱ではなく「学会員」とはっきりその侮辱されている対象を明言されました。
そうなれば、「非学会員」との立場ではっきりその侮辱されている対象を掲示し、その事象について、キッチリみさきさんに見解を述べていただく事になります。
そして、みさきさんが望むが望むまいが、聖教新聞・創価新報等機関紙で、非学科員に対して、非学会員を侮辱されると一文を掲示し続けます。
そして「侮辱」の定義を徹底的に論証します。

第7の外道さんがその対応を望まないのであれば、

*みさき23区さんはこのスレッドにおいては「荒らし」と定義付けられる内容の「品性・品格に欠ける」発言なので、文底は以後このスレッドの発言においては、みさき23区さんの発言を無視する事を希望する。

との一文を下さい。以降は放置しておきます。
また、そうで無いならば、

*みさき23区さんはこのスレッドにおいての発言は、徹底的に論証してもらいたいので、文底の発言を許す、また、その発言の推移がこのスレッドの本意とかけ離れたとしても、みさき23区さんとの論議に限り全ての権限を譲渡する。

との一文を下さい。以降、みさき23区さんの御発言の推移によっては「完全戦闘態勢でのぞみます}

以上御考慮願います。


682 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 03:31

第7の外道さん

>しかしさすがにちょっと疲れました。本日仕事でも対応に急を要する事態が勃発し、明日のことを考えると憂鬱極まりないっす。
>2・3日ここをリタイアさせていただくかも・・・

お疲れの所を一層、第7の外道さんに困惑させる内容のレスを書いてしまい恐縮しております。
レス自体は、御手隙の時で構いません。
無論もう書いてしまわれたのであれば、午前4時くらいまでは、起きております。
何れにせよ、第7の外道さんの御考えをお聞かせ願ってから、私の今後のこのスレにての発言のスタンスを再検討しようと思います。
それまでは、私自身の発言は控えます。


683 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 03:32
文底さん

>これを「真剣に実践」していると捉えるか「受け売りしか答えは持っていない」と捉えるかは、その立場の違いであり、逆にみさき23区さんは「信仰姿勢の真摯的実践」を位置付けるものとしての正当性を述べられた方が、私のような「第三者」に対しての偏見・誤解を解きやすいと考えます。
>末法における「創価学会の方々」が「法華経の全文」を読む必要性も無ければ、読んでいなくとも「日蓮仏法」の根幹に関わるような命題ではないと思います。
>「立場による認識の違い」であり、ある「断定の為」の「必要推定事項」とは結論付けられないと思います。

649のご意見は、確かにそうだと思います。というか「なるほど、こういう見方もあるか」と気づかされました。

>この様な文体を乱発する人間に対し「真摯的」「誠実」等の対応(勿論謝罪・反省等も)は、もはや必要ないと私自身は考えます。

この点についても、同様の感想を持ちました。

>そして、みさきさんが望むが望むまいが、聖教新聞・創価新報等機関紙で、非学科員に対して、非学会員を侮辱されると一文を掲示し続けます。
>そして「侮辱」の定義を徹底的に論証します。

みさきさんが「差別」というテーマに拘るのであれば、そこを論点とせねばと、私も考えていました。この場合、「侮辱」でも同じ事になるかと思います。



684 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 03:33

さて、文底さんの提案に対する私の意見です。
みさきさんに対する私の「本音」は、上で書きました。ただその上でなおこれから侮辱発言を繰り返したり、相手の誤解を誘発するような書き方を続けるようであれば、他の方が何と言おうと、私個人はもう彼を「荒らし」と思うしかないでしょう。
ただ、最初の登場のときは「回答さえもらえれば、こんな所に用はない」と言い、実際彼は一時退場しましたが、ひゃっきまるさんに呼び出され再び議論、しかしひゃっきまるさんもその後の議論展開は放棄されました。そして昼行燈さんとやりあおうと多分新規展開は望めない、流れをリセットしようとしても、昼行燈さんがそれを望むかどうかは疑問です。そして私も彼と特に議論しようという意志はありません。
だとすると、みさきさんには、今後ここにい続ける意味があるのでしょうか?

彼は学会員に対する侮辱をテーマに議論を継続しようとするかも知れません。ただそれがこれからも続くと、文底さんのおっしゃるとおり、機関紙での非学会員に対する派手な侮辱の件も脇においておくことはできなくなるでしょう。彼はそのとき「学会員による非学会員の侮辱は正義だ」と言い出すでしょうか? それはわかりません。ただ昼行燈さんの発言を引っ張り出してきたのも、私の発言に対して急に引っ張ってきたもの、という感も否めませんので、「侮辱」等をテーマにこのスレッドであくまで粘る、というのも考えにくいのです。




685 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/18(火) 03:37

ですから、私としてはみさきさんがどう対応するのか見よう、というのが私の考えです。
ただみさきさんがあくまで「侮辱」をテーマにするのなら、たとえその発言スタイルに侮辱発言がなくとも、私はみさきさんの態度には疑問を持つでしょう。「学会員による侮辱」の事実も勿論そうです。それと、この板は学会員に対する侮辱が残念ながら満ち満ちています。が、「学会員を、侮辱されると、がまんできないのです」と言われる方が、このスレッドでのみずっと粘るのは率直に言ってどんな意味があるんだ? という疑問も個人的には持ってしまいます(というか、既に心情的には感じています)。今までに、このスレッドも含めた少数のスレッドにのみピンポイント嵐が吹き荒れることもあったので、正直言って他のスレッドに比して侮辱発言が極度に少ない(ない、と個人的には思ってきましたが)このスレッドに、あえて「学会員を、侮辱されると、がまんできないのです」とおっしゃる方が何の用があるのか? 今までのこのスレッドの議論を中断させることに意味があると考えた行動なのか? と疑わざるをえなくなってくると思います。
というわけで、みさきさんが今後提起される議論がやはり「侮辱」に関するテーマなら、文底さんにもご協力いただきたいと思います。その際は、新規スレッドにうつった上で、ということになるでしょう。このスレッドの上でだと、どうしても個人的に上記の疑問が膨らんでくるものですから。ただその際も、少なくとも文底さんはみさきさんに対して、どんな「戦闘」状態になっても、侮辱発言だけはやめてください・・・というのは蛇足ですね。
そうでなければ、しばらく様子を見ようではないですか。正直、「戦闘」は見たくはないのです。文底さんには、極力、そうはしてほしくありません。

今日はこれで寝ます。文底さんにもいろいろ気を使わせてすいません。この一件が無事に落ち着いたら、また楽しくやりましょう。




686 名前: アルフ 投稿日: 2000/07/18(火) 04:05
第七の外道と、文底さん、以前のスレッドから読ませていただいて
いました。もちろん、読むだけで、理解できたかは、別です。(笑)

さて、なにやら、ややこしい話しになっていますね。
このスレッドのファンは、意外と多いと思います。
お互いの発言姿勢についての摺り合わせは別のスレッドを立てて、
そちらでやったらいかがでしょうか?

といっても、こういう類のスレッドの存在自体が気にくわない人も
いるでしょうから、荒らしに似たかき回しは消えることは
ないのでしょうけれども。

「気にくわない」のであれば、どう気にくわないかを考えて、
誤解や、理解度の未熟さが原因であれば、それに対して、
発言を封じることなくどのような手が打てるかを考えるのが、
言論の場での態度でしょう。
発言者を貶めたり、発言を封じたり、発言する場を奪ったり、
そういう発想をする人は、自らの依って立つ場が
とても不安定であることを露呈しているに過ぎません。

どうか、これまでのような議論を重ねて、私のような者が
発言をためらってしまうレベルの高さを維持して下さい。
成り行きを見守っています。


687 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 04:05
第7の外道さん
御疲れの所をレス頂き本当にありがとうございました。

>「侮辱」等をテーマにこのスレッドであくまで粘る、というのも考えにくいのです。

これに関しては、みさきさんがどんなに矛先を変えようと無視しようと、この「一点に」しぼり「延々と」「現実にある事象を掲示していくのみ」です。
それ以外の論点も関心は、もはや私には、みさきさんに対してありません。
相手の反応は、私は必要とはしません「侮辱と述べた」この一文の検証を徹底的に提示検証するだけです。

>みさきさんには、今後ここにい続ける意味があるのでしょうか?

この点も考慮しますが、みさきさんが居ようが居まいが「侮辱」との一文は徹底的に当事者の機関紙・教義の出版物等の具体的一文を持ってこのスレッドにおいて反証する事も考えています。
(この後のみさきさんの対応次第ですが・・・)

>少なくとも文底さんはみさきさんに対して、どんな「戦闘」状態になっても、侮辱発言だけはやめてください

御心遣いありがとうございます。心しておきます。

>そうでなければ、しばらく様子を見ようではないですか。正直、「戦闘」は見たくはないのです。文底さんには、極力、そうはしてほしくありません。

第7の外道さんの御意見尊重させて頂きます。
私自身、事の推移をじっくり拝見させて頂き、その上でもう一度、第7の外道さんの御意見を伺います。
それまでは、みさき23区さんの御発言に対し直接レスをする事を控えます。

>今日はこれで寝ます。文底さんにもいろいろ気を使わせてすいません。この一件が無事に落ち着いたら、また楽しくやりましょう。

此方こそ御疲れの所をなんと感謝してよいのやら・・・毎度の事ながらお手を煩わせてしまい申し訳ありません。
重ね重ねありがとうございました。
どうかお体を大切に御慈愛ください。


688 名前: 文底 投稿日: 2000/07/18(火) 04:18

アルフさん

初めて直接レス致します。
文底と申します宜しくお願い致します。

>どうか、これまでのような議論を重ねて、私のような者が発言をためらってしまうレベルの高さを維持して下さい。アルフさんの常に客観的・論理的発言は何時も敬意の念を持って拝見させて頂いております。
「私のような者が発言をためらってしまう」などと仰らずに是非論議に加わってください。

>成り行きを見守っています。

何れにせよ、アルフさんのお心を痛める発言等お許しください。
アルフさんの御気遣い・御心配を謙虚に反省し、このスレッドが少しでも有意義になるよう努力致します。

御助言、本当にありがとうございました。


689 名前: アルフ 投稿日: 2000/07/18(火) 04:23
まあ、大げさな言葉遣いになってしまいましたけど、
『もったいないな』というのが言いたかっただけです。

>文底さん


690 名前: メディスン 投稿日: 2000/07/18(火) 05:34
お久しぶりです。しばらく議論には参加しませんでしたがずっと経緯は見守ってきました。横レスですが最近の状況はなんだかとても悲しいです。
みなさんの本音(?)が露呈したというか、結局どんなに議論を重ねてみても学会員の思想と相容れる可能性は極めて低いという事が議論前からこんなに見えていては前からいらっしゃる誠実な学会員の方々も議論する意欲をなくすように思えます。
もちろん、ここまで来るまでの皆様はいつものように、かなり忍耐強く冷静に対処されていたとは思いますが、昼行燈さんへの個人攻撃以降は皆さんも少し「客観性」というバランスを崩してらっしゃるように感じられました。
このスレッドの意味合いは何でしょう?答えが決まっている議論なのですか?
みさきさんも、去年の昼行燈さんの発言を侮蔑だとかおっしゃっていますが、議論は論じていくうちにいろいろな事が見えてきて絶えず変化してゆくものです。
始める前と後で、何も変わらないならみんな個人で日記でも書いていればいいのです。
特に仏教では「縁」を説きます。掲示板といえども「縁」です。発言という「縁」、発言からにじみ出るその人の魂の「縁」にふれて自分のその次の発言も変化してゆきます。だから私は議論が好きなのです。
ここの常連の方々の文からにじみ出る魂を私は尊敬しています。大丈夫だとは思いますが、どうか「憎しみ」や「罵倒」の「縁」にふれて同レベルに落ちる事はなさらないで下さい。
それは、双方に言える事だと思います。学会の方もレベルの低い罵倒ではなく自らの清浄な魂でもって自説を語っていただきたいと私は願っています。
横から、勝手な事を言ってすみませんでした。



691 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/18(火) 07:43

649 みさき23区さん。

>> 今回は「大乗非仏説」以外には、議論するつもりはありません。
その他の件に関しては、「真実で無いと思われるのでしたら、是非「論破」して下さい。」

   ↑   ↑    ↑
> 論破・論証してあげましたよ〜。

 どの箇所が「論破・論証」でしょうか?私には みさき23区さんが未だ何も論証しているようには
思えないのですが、ひょっとして、

>18,19の発言は、まれにみる「珍説」。
 と云う箇所がそれにあたるのですか?

>次回の反論で、明らかにするつもり
 の次回とはいつでしょう?

 逃げ回ろうにも、何も提示されたものは見出せないのは、「文の底に秘し、沈めて」いるから
なのでしょうか?

 私の発言の「何処が」「どのように」珍説なのか文字にしていただけませんと、お返事のしようが
ありません。


692 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/18(火) 08:29

続きです。

 参考までに、

>>戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」
を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました
 空の概念については、第7の外道さんと「宗教板」でも語り合いましたが、
 「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」 (折伏教典・第3版より)
とは程遠いものだったと記憶しています。私の発言は、辻直四郎氏「バガバッド・ギーダ」(刀江書院刊)
を参考に述べました。

>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)
 大正新脩大藏經四十六巻及び、関口真大氏「摩訶止観(上)」(岩波文庫)よりの考察です。

 論破・論証なさるときは、是非とも万人の納得のゆく理論を以て、お願いいたします。
 「珍説」であるとか、「自身の発言に「矛盾」があるため、(1)同様「論証」を必要としない。」等と
仰らず、どこが矛盾なのか自己完結しないで是非論証して下さい。

 是非お願いいたします。

 



693 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/18(火) 14:34
7の外道氏へ

>650 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/17(月) 11:01
>みさきさんの使われる言い方で言うと、これは一種の「遁走」なのでしょうか。
>この「反論」には大変興味を持っています。期待しております。分類(3)の

>>戸田二代会長の「死後に生命が宇宙に溶け込む事を『空』というのです」
を読んだとき、にはそれはバラモン教の「祖霊の道」だって、突っ込みを入れたくなりました

に対する、論及を以下述べます。

1.バラモンの−−−「祖霊の道」の出典


チャ−ンド−ギヤ.ウパニシャド 第五章 第十節
(服部正明 訳)  (バラモン教典・原始仏典p110〜p111)

(略)....この道が「神の道」である。
他方、村落において、祭祀・徳行とは布施であるとみなす人々は、(火葬に付されると)、煙におもむき、煙から夜に、夜からのちの半月(月の欠ける半月)に、のちの半月から(太陽が)南行する六ケ月におもむく。彼らは歳には到達しない。
(その6ケ月)月から祖霊の世界に、祖霊の世界から虚空に、虚空から月におもむく。これ(月)はソ−マ王である。それは神々の食物である。神々はそれを食べる。そこ(月)に(祭祀・徳行の)果報があるあいだとどまったのちかれらは来たときと同じ道を再び虚空へともどり、虚空から風におもむく彼らは風となり、そして煙となる。 煙となつた後、雲となり、 雲となったのち霧となる。霧となったのち雨となって降る。彼らは米、麦、草、木、胡麻、豆としてこの世に生まれる。(中略)
さてこの世において素行の好ましい人々は、好ましい母体に(中略)しかしこの世において素行の汚らわしい人々は、汚らわしい母体に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賤民の母胎にはいるとと予測されるのである。また何度でも生きかえってくるこれらの下等動物たちは、この二道(神の道と祖霊の道)のいずれも通つて行かない。
(引用ここまで)

続く



694 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/18(火) 14:37
引用のように「祖霊の道」は「神の道」と対で「二道」と呼ばれ、これに「五火説」が組み合わされて、「五火二道説」となり、業思想と輪廻思想、として、仏教思想に組み込まれていく。
一般仏教書では輪廻思想に関連して、バラモンの「五火二道説」という言葉で言及されているからこの言葉を知らない人のほうが、珍しいのではないか。

「二道説」は、ほかにも「カウシ−キタ・ウパニシャド」や「ブリハツド・ア−ラニヤカウパニシャド」にもでてくるという。(輪廻と転生 石上玄一郎 第三文明社p158〜p159)

「祖霊の道」は概略すると以下のような、プロセスで輪廻を語っている。

(中村元選集第9巻ウパニシャッドの思想より)
P696〜P701参照)
以下(要旨)

1.火葬の煙
2・夜
3.月の欠ける半月
4.太陽の南行する6ケ月
5.祖霊界
6.虚空を経て月
7.雨
8.地上
9.食物
10.ひとの体内
11.人の精子
12母胎・再生

「祖霊の道」とは概略このような輪廻循環を意味する用語である。

これが、戸田会長の「生命観」と酷似している。というのは、「珍説」といわなくて、何というのでしょう・。
戸田会長が、人間は、「死ぬと月にいく」「雨となつて地上に戻る」「食物となって人に食われる」といったのでしょうか。
戸田会長の生命観については、必要があればアップします。



695 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/18(火) 14:49
7の外道 氏へ、

693、694書き込みに対する、反論があれば、もう少し詳しく言及できるとおもいます。(戸田会長の生命観等。)

分類(3)
>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中 で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)


この発言に対する、論及についても、上記異論がなければ、時間が取れ次第、書き込みます。





696 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/18(火) 23:54

 戸田氏の生命観について。

 更に戸田氏は述べる。
 我らが死ねば肉体の処分にかかわらず我らの生命が大宇宙の生命へとけこむのであって、宇宙はこれ
一個の偉大な生命体である。この大宇宙の生命体へとけこんだ我々の生命は、どこにもありようがない、
大宇宙の生命それ自体である、これを空というのである。空とは存在するといえばその存在を確かめる
事ができない、存在せぬとすれば存在としてあらわれてくるという実態を指しているのである。「有る」「無
い」という二つの概念以外の概念である。(中略)我らの死後の生命もこの空の状態のそんざいである、
されば縁にふれて五十年、百年又は一年後に再びこの娑婆世界に、前の生命の連続として出現してくる
のである、(中略)空の状態において業を感じつつ変化して、【何らかの機縁】によって又生命体として発現
すれう・・・・・・・・・・・・・・永遠に連続するのが生命の本質である。(39ページより)

そして続けて

 しからば成仏とはいかなる事か。・・・・永遠の幸福を獲得するということである。我々の生命というものは
この世限りのものでは絶対ない。永遠に生きるものである。永遠に生きるのに生まれてくるたびに、草や木
や犬や猫や、または人となっては貧乏・病気・孤独・馬鹿の生活をくり返す事は、考えてもとうてい忍びえ
ない事である。(折伏教典42ページ)

 これが偉大な仏教哲学と言い切る戸田氏の「生命論」です。
読み比べて見られれば、戸田氏の「生命論」が仏教の経説に基づくものか、「祖霊の道」に近いかは
判断できると思います。

 


 


697 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/19(水) 00:53

 戸田氏の生命観の要旨

 1.死ねば生命は大宇宙にとけ込む。(月も大宇宙に当然含まれる)
 2.業を感じつつ、何かの縁起によってこの地上(娑婆世界)に生まれる。
   当然その縁には雨を経る(含まれる)と考える事ができる。
   当然その縁には食物を経る(含まれる)と考える事ができる。
   【何かの縁起】を限定していない以上、あらゆるものが当てはまる。
 3.犬や猫や、草木に生まれることもある。
 4.人間に生まれて、幸せに成るには「大御本尊」に題目を唱える他にない。(50・96頁)
 5.「大御本尊」に題目を唱えない者は、人間に生まれても貧乏・病気・孤独・
    馬鹿の生活をくり返す。

 これが、「仏法の根幹」(30頁)であり「悟りの極底」(23頁)なのだそうです。

 私がヴァカヴァッド・ギーダやタカ・ウパニシャッドと仏典(阿含経典)を読み比べて
感じたことは、仏典よりバラモン教の教えに近いと云うことです。

 さて、今回はレスする予定は無かったのですが(論証を待った後と考えていましたので)
みさき23区さんが私のみ成らず、第7の外道さん始め、文底さんにまでいわれない言動
を行っているように思えましたので、緊急で書き込ませて頂きました。

 私がレスを返さない旨、申し上げ、みさき23区さんが「昼行燈の意思に関わらず、論破
論証をおこなう」と云われたとき、私がレスをしない事は了承されたと思っていました。
 第7の外道さんは私の意を理解して下さったようです。皆様も不満は残っているとは思い
ますが同様に「戦闘モード」とならないよう配慮して下さっているものと思っておりました。
にも関わらす、「遁走した」「逃げ回っている」との言葉は、「誠意には誠意」とか「真摯な態度
には真摯な姿勢」とは到底思えぬものだと感じています。
 私が一部学会員の方を信じ切れない、信じられないのは、何度となく同じ思いを味わってき
たからに他なりません。
 発言の訂正・撤回について、重いと感じるか、軽いと感じるかはご自由ですが、少なくとも
「あきらかな誤解」であると思えば、いつでも訂正・撤回する事に躊躇は致しません。
「あきらかな誤解」である事を知りつつ、訂正・撤回しない事こそ怖れます。

 


 


698 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/19(水) 01:49

 みさき23区さん

 我らが死ねば肉体の処分にかかわらず我らの生命が大宇宙の生命へとけこむのであって、宇宙はこれ
一個の偉大な生命体である。この大宇宙の生命体へとけこんだ我々の生命は、どこにもありようがない、
大宇宙の生命それ自体である、これを空というのである。

 という戸田氏の思考が「空」であると云う、根拠の提示はお願い出来ますでしょうか?
 また学会で盛んに使用される「色(肉体)心(生命)不二」を戸田氏の『生命論』でご説明いただけますか。
「我らが死ねば肉体の処分にかかわらず我らの生命が大宇宙の生命へとけこ」んだ心(生命)と、滅んだ色
(肉体)は、やはり不二なのでしょうか。

  本日は、これまでです。

  


699 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/19(水) 07:51
>という戸田氏の思考が「空」であると云う、根拠の提示はお願い出来ますでしょうか?

わからないなら、いくらでも、答える用意は、あるが、、ズルズルとこのまま、なんの前提も決めずに、議論に入るわけにはいきません。議論に名を借りた「意地」の張り合いに、なるのは、あきらかでしょうから。7の外道氏の反論がある時は、きちんと答えるつもりなので、それまでは、あなたへの、応答は控える。


700 名前: >697 投稿日: 2000/07/19(水) 08:23
なるほど、目も、鼻も、口もあるねぇ、おっと耳は? あっ、これか。
う〜ん、そっくりだ!!!


701 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/19(水) 13:22
みさき23区さん

693・694のあて先が私のみになっていますが・・・
私は、あなたと昼行燈さんが中傷合戦でなく、きちんとした論理と説明で対論されることをさしあたっての目標としていました。昼行燈さんがしばらく発言されず、みさきさんの発言に侮辱発言があったので、私が過剰に間に入る形になったわけですが、今みさき23区さんがきちんと意見の提示をされ、昼行燈さんも応答を始めたので、とりあえず私の役目は終わったと認識しています。
私はあなたに早く説明を提示してくれ、と言いましたが、確かにあなたはご説明を提示してくださいましたので、私の要求は一応これで満たされたことになります。実際とても興味深い話をお聞きできたと思っています。どうもありがとうございました。また私の「介入」を非礼と思われたのならお詫びします。
それと私は、『祖霊の道』と戸田氏の発言との類似性についての命題を、撤回したり修正したりできる立場ではないので(それは昼行燈さんのご発言ですから)、一旦あなたの説明が提示されたならば、そして昼行燈さんが対応を開始されたら、もう私の出る幕はなく、私はただそれらのご説を聞き入れ、せいぜい疑問が生ずれば質問させていただく(横レスになりましょうが)位のことしかできません。「決着」はお二人の間でつけていただくしかないと思います。

ですので、

>693、694書き込みに対する、反論があれば、もう少し詳しく言及できるとおもいます。(戸田会長の生命観等。)

特に反論・異論はありません。ただ私個人の希望としては、戸田氏の生命観についてもご説明がないと、その点我々の間で理解の食い違いがあるやも知れぬので、ぜひお聞きしたいと願うのみです。「一念三千」の件についても同様です。




702 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/19(水) 13:23

というわけで、一旦私はお二人の議論からは席を外します。正常に動き出したようなので私が口を出す必要もないでしょう。それに同時に2者に応対するのはみさきさんにとっても大変だろうと思います。今は昼行燈さんとの議論に集中なさったほうがよいでしょう。

どうしてもみさき23区さんが私を名指すのであれば、もちろん対応しますが、上にも言いましたように私は「『祖霊の道』と戸田氏の発言との類似性」の発言自体をどうこうできる立場でないので、そもそも何をめぐって議論すべきか、という所から始めなければならないし、せいぜい私からは「私=第7の外道はどうして昼行燈さんの上記発言を簡単に納得したのか」を語ること位しかできません。しかしそれはあなたと昼行燈さんの議論の流れを中断することになりますから、あなたと昼行燈さんの議論が終結してから、特に求められれば記そうと思っています。




703 名前: 文底 投稿日: 2000/07/19(水) 15:11

メディスンさん

お久しぶりです。

創宗問題の論議の後、メディスンさんのお書込みがありませんでしたので、一連の論議がメディスンさんの御発言を「躊躇させてしまう結果になってしまったのではないのか?」と危惧しておりました。

>特に仏教では「縁」を説きます。掲示板といえども「縁」です。発言という「縁」、発言からにじみ出るその人の魂の「縁」にふれて自分のその次の発言も変化してゆきます。だから私は議論が好きなのです。

この御発言は、メディスンさんならではの御発言ですね、これは、この一連の論議の核心を突いた御発言であり、この「縁」の意味付けを良く心して、論議せねばならない事を再確認させられました。
メディスンさんの心のこもった御発言、感謝の気持ちを表させて頂きます。

又御手隙の時は、このスレッドにて、御発言下さい。
メディスンさんの御登場楽しみにしております。



704 名前: 文底 投稿日: 2000/07/19(水) 15:12

愚乱破さん

一連の論議を中断したままで申し訳ありませんでした。
それにしても、他の方の「戦闘モ−ド」を危惧しておきながら、メディスンさん述べる所の「縁」に触れて、自身が「完全戦闘態勢に入りかける」などと述べるのは、御恥ずかしい限りです。(と言いながらも臨戦体制は解除していなかったりして・・・)
これも、愚乱破さんが述べられた一念三千の「ある」状態なのでしょうか?
そうなると、愚乱破さんの御立場では「文底下種の一念三千」と言うところでしょうか?
ちなみに十界で定義すると「修羅界」でしょうね・・・・
本当は「声聞界」を極めて「縁覚界」である「自然や事物の真理の一側面」を悟る状態になりたいと思っているのですが、中々難しいです。(私の命では仏界にはいけませんので・・いけても菩薩まででしょう?)

さて、話しが前後いたしますが・・・・

>教主は、そのお一人でないといけないと思います。
>教主釈尊=日蓮大聖人であり釈迦は弟子であるというのが学会教学だと捉えているのですが・・・

これは、大通覆講から見た、大通智勝仏の第十六番目の王子を「釈尊の過去世」と定義し、五百塵点劫の久遠の成仏を説いて、釈尊の本地を明かした事象(経典)を「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」の一文から最も優れた経典は「法華経である」と定義づけ、その定義づけの全称命題を満たしているのが末法の法華経の行者と自負する「日蓮」であるから「教主は、そのお一人」と述べられたのですか?

一応上記命題ご確認ください。


705 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/19(水) 18:49

7の外道氏 へ

701~703の件 了解しました。


昼行燈 殿

あなたの696〜698の書き込みからは、単発レスなのか、或は、議論を進めていく「意志」があるのか、判読できません。もし議論を継続されるつもりならば、その旨の意思表示をして下さい。


706 名前: 反創価ウォッチャー 投稿日: 2000/07/19(水) 20:37
どうやら、みさき23区さんの正義が証明されたようだな。
世の中、くだらんヤツばかりでこまるよ。
ところで、いくつか前のレスに議論にも参加しないくせに、
自己顕示欲満載のレスをつけているヤツがいるな。
徒党を組まないと宣言しているヤツが。(笑)


707 名前: >みさき23区 投稿日: 2000/07/19(水) 20:45
同じ創価学会員として恥ずかしくないですか?
>>706 の書き込み、まっ、恥ずかしくないならそれでいいですけど


708 名前: 反創価ウォッチャー 投稿日: 2000/07/19(水) 20:55
>707

俺は創価学会員じゃないぞ。


709 名前: 佐田和成@馬鹿のお相手つかまつります 投稿日: 2000/07/19(水) 21:00
シラケ川、いや元・中立派君。
・・・ちゃんと病院、通ってるか?


710 名前: Arex 投稿日: 2000/07/19(水) 21:31
世の中「正義」って言葉使う人間って決まっている。

それは子供か創価学会。

「正義」「勝利」って子供が使う言葉なんだよね。
どちらも自分の事しか考えていない言葉。


711 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/19(水) 21:34
>710

おまえ、アルフのくせに、きどってんじゃねーよ。
文体でバレバレなんだよ。
文学部の学生がいるんだよ。
その特徴ある体言止め。バレバレだぜ。(笑)


712 名前: ししろう 投稿日: 2000/07/19(水) 21:41
↑学会員のまともにやってる人なら、大学行ってる時間ない筈だ。
だから、アルフさんの特徴をつかめない。
アルフさんの癖、 教えてあげよう!
学会員にも優しく答える事。わかったかな。


713 名前: Arex 投稿日: 2000/07/19(水) 22:06
にがわらい


714 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/19(水) 22:28
>712
あいつが、優しく答えるだって?
そいつは違うだろーよ。
慇懃無礼。もしくは、心の底から学会員を嘲り笑っているからこそ、
あのようなソフトな話ができるんだろうな。
人間に対する尊厳がないんだよ。差別主義者ってこと。
非人間主義とも言えるな。
アルフの真意を見抜けない、おまえはきっとIQが低いな。
サル並か?それとも、鼠並か?(笑)


715 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/19(水) 22:31
>文体でバレバレなんだよ。
>文学部の学生がいるんだよ。
>その特徴ある体言止め。バレバレだぜ。(笑)

1.バカ決定 ×
2.!!!!の多用していたものをバカにした、今日の経験を
  生かしてはいますね。 ○


716 名前: 岸朝子 投稿日: 2000/07/19(水) 22:35
ここは、日蓮について語るところであって、中立派さんの
独壇場ではありません。

大変不味ぅございました。


717 名前: Arex 投稿日: 2000/07/19(水) 22:40
かわいそうに・・・。


718 名前: ししろう 投稿日: 2000/07/19(水) 22:41
>714
盲目な学会員である前に常識人であれ!
度々見る。居ない人間を罵倒するやり方。アルフさんを少しはみているようだが、自分で朝型人間だといっている。ここで批判するのは即刻やめなさい。池田のずる賢さと似ててウザイ。


719 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/19(水) 22:47

だれがどういう立場の人かよくわからない?

みさきとZEGAが創価で、後の人は他の宗教の人?

どの宗教の人なんだろ?



720 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/19(水) 22:48
文底さん<

文底さんの激しい一面を垣間見させていただきました。人間の幅の広さだと受け止
めました。(笑)・・・仏界ばかりは現じ難しですか?

法華経は文底さんはじめここの常連さんの方がはるかに詳しいですよ、さては私が
どれ位理解してるかチェックをいれてますね。ま、頑張ってみましょう。
確かに法華経最第一はご指摘の通り、法師品の已今当説最為難信難解です。補強と
して妙楽の疏に「たとい経ありて諸経の王というとも已今当説最第一といわざれば
兼但対帯その義知んぬべし」とあります。
化城喩品は迹門ですので第十六番目の王子は始成正覚の迹仏の釈迦の過去世の姿と
理解してますが違いますか?
で、本門の如来寿量品の如来を大聖人は御義口伝下で「・・・今日蓮等の類の意は
惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身と
は末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」と仰せ
ですので、この文から教主は日蓮大聖人と思っています。


721 名前: 719 投稿日: 2000/07/19(水) 23:02

教えてくれー!




722 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/19(水) 23:50
719さん
過去ログを見ればわかりますが、みさき23区、ZEGA、愚乱破さん以外は基本的に宗教団体には属していないと思いますが、
みんなそれぞれ仏教を独自に勉強されてる方ばかりです。
ひゃっきまるさんは、学会を辞められたか辞める瀬戸際の方だったと思いますよ。


723 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/20(木) 00:18

みさき23区さん

>もし議論を継続されるつもりならば、その旨の意思表示をして下さい。
何を今更仰るつもりなのでしょう。

>ここでの発言は、ここで決着つけさせて、いただきます。
>あなたの、認否とは関係なく、やらせてもらいます。
 のでしょう?
 私は「ご自由に」と申し上げたはずです。

>議論に名を借りた「意地」の張り合いに、なるのは、あきらかでしょうから。
 同様の事を申し上げたはずです。無視なさったのは、みさき23区さんでしょう。
あまつさへ、第7の外道さんや文底さんまで巻き込み、揶揄する言葉まで使って
私の意見を黙殺されたではありませんか。
 「誠意」 「真摯に」と言われても、その場その場で発言の変わるあなたの言葉は
到底信ずるに値するとは思えません。

 学会員を侮辱されたくないのでしたら、人に苦情を言うより不信感を持たれたり、
侮辱されないような言動をなさっては如何ですか。

 第7の外道さん・文底さん・その他の皆様
 ご心配をお懸けましたことをお詫び申し上げます。

  


724 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/20(木) 00:34

  愚乱破さん

 確かに「652」に引用された私の言葉は学会員の皆様の神経を逆撫でするような
発言でした。が基本的に間違っているとは思っていません。
 不愉快な思いをさせたことはお詫びいたしますが、現時点での撤回は「留保」させ
て頂きたいと思います。学会員の皆様の今後の言動で私の発言の撤回と、謝罪が
出来る日が来ることを私自身、望みます。

  


725 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 00:38
昼行灯よ。おまえ、学会員にやりこめられてくやしいか?
宗教界のチャンピオンである学会に立ち向かおうというのが
そもそもの間違い。うまく説明できなかったりするのは、
その学会員の技量次第で、池田先生のせいではない!
ましてや、創価学会の信仰が劣っているわけでもない。
少しばかりの頭の良さをひけらかしている、お前らは人を
救ったことがあるのか?実践もなしに、具にも付かないこと
やってんじゃねーぞ!


726 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 00:44
>725
同じ学会員として申し上げます。
人を救った事があるかどうか解るはずもありません。
口の聞き方から改めて一生懸命学会への誤解を解こうと
してる人もいるのです。どうか挑発したりするのやめませんか?
私は議論を見守っていたいだけです。あなたは議論が終わって
ほしいのですか?


727 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 00:44
>725
やめな。あんたのでる幕じゃない。


728 名前: 池田 大臭 投稿日: 2000/07/20(木) 00:50

>725

>宗教界のチャンピオンである学会に立ち向かおうというのが
>そもそもの間違い。
オウムを超えた、カルト宗教のチャンピオン???

>ましてや、創価学会の信仰が劣っているわけでもない。
劣ってるのは学会員の人間性???

>少しばかりの頭の良さをひけらかしている、お前らは人を
>救ったことがあるのか?
あんたら散々迷惑をかけてるんじゃないの???




729 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 00:52
>726
おまえこそ、学会員か?
獅子身中の虫だろ?
口の効き方のどこがおかしいんだよ!
俺はきちんと成果をだしている。
世間に迎合して、仏法の厳しさを見失ってはだめだ。
今は、末法なんだ!闘って勝たなければ仏法は滅びる危険性が
ある。創価学会だって、いつ、潰されるかわからないんだ!
世の中の悪意とはそれほど強いんだよ。
あんたみたいな偽善者が、学会を弱体化させて、
なめられてしまうような印象を与えてしまうことに気づけ!
あんたは、最近のインターネットで、池田先生がどんなに
ひどいこと言われているのか、自分のこととしてとらえているのか?
異体同心じゃないのか!?


730 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 00:56
丁寧な言葉で、反創価の悪意をうち破れるのかよ?
偽善者やってんじゃねーぞ。
池田先生を守る気合いが無いヤツは引っ込みな!


731 名前: Arex@3 投稿日: 2000/07/20(木) 01:00
人が議論しているスレッドに下らないレス付けて茶々いれる馬鹿が何か言ってるよ・・・。

「自分達が良ければそれで良い。」

この思考が見え隠れしますな・・・。
人に迷惑かけるのやめたら?(苦笑)


732 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 01:02
>729,730
一つだけならスレッド立ててもいいからマジスレ荒らすのはやめて。


733 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 01:03
そろそろ、佐田のアホがガマンしきれずやってくるぜ。
そういうところが、アルフなんだよ。
何にでも顔を突っ込んで目立つことが目的。
そして、中途で遁走。


734 名前: 池田 大臭 投稿日: 2000/07/20(木) 01:06

>729、730

頑張れキンマンコ!
己の馬鹿さで、このスレッドを叩き潰せ!!!



735 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 01:07
>733
ちょっと、本当にやめて。このままだとあなた、創価の人にも攻撃されるよ。
他に行ってくれたらいくらでも相手してあげるから、他行って。


736 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 01:14
さんざん、池田先生について悪口の限りをつくしている馬鹿ども。
そして、その馬鹿どもに注意もしない、もっと、大馬鹿ども!
お前らに、人のことを注意する資格があるのか!

反創価は都合が良すぎるんだよ!


737 名前: 医毛陀 投稿日: 2000/07/20(木) 01:19
>736
もう少し詳しくお聞かせください
私が変わりに答えますので


738 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 01:21
>これ以上あなたにはここではレスしません。ここを荒らしたくないので。
あなたへの質問を佐田さんのスレに書いておきました。よろしければお答えください。


739 名前: >736 投稿日: 2000/07/20(木) 01:23

>さんざん、池田先生について悪口の限りをつくしている馬鹿ども。
>そして、その馬鹿どもに注意もしない、もっと、大馬鹿ども!

馬鹿はお前だよ



740 名前: 726ですが 投稿日: 2000/07/20(木) 01:26
>729の方へ
幹部にも貴方のような人います。池田先生への悪口は
たしかに悲しいですが、やめろと言ってやめるものではないと思います。
上から押し付けるような言い方をされると反感が湧きます。
それにいきなり獅子身中の虫って酷くありませんか?

私はただ、ここでの話を静かにみていたいだけなのに・・・


741 名前: ZEGA 投稿日: 2000/07/20(木) 02:22
>ALL
皆さんお久しぶりで。
まだ繁忙期の最中ですが、ピークを過ぎたのでとりあえず8月まではROM復活しようと思って覗いてみました。
ちょっと覗くだけ……のつもりがこの時間なので、基本的に来月まではROMでいます。

しかし何だか混沌としている様子。
皆さん、真に申し訳ないが、本筋と大きく外れた書き込みは勘弁して下さい。



742 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/20(木) 04:34
ん?



743 名前: メディスン 投稿日: 2000/07/20(木) 05:21
文底さん
私のようなものを、気遣って下さり感謝しています。
議論に参加しないのは言うべき事がないからです。私の言いたい事はたいてい文底さんか第七の外道さんがもっと豊富な知識でもって発言されているので。

前回の議論は大変勉強になりました。基本的な考えは変わりませんが、宗教というもののもつ非論理性、非客観性についていろいろと考えさせられました。
日蓮は、正しいものがひとつであるという考えの宗祖です。唯一とか絶対正義というものが根幹にあるので、それ以外のものはすべて悪となってしまうロジックがあります。
そこがまた、はまると甘美なのでしょうが、最近のこの板での議論にも言える事ですが「正しいものはひとつで、それ以外は悪」となってくると「それ以外」に対して常に戦闘態勢
になってしまうのは仕方ないのでしょうね。そういうところから学会がよく言う「仏法は勝負」などという不思議な言葉が出てくるのだと思います。
私の考えでは仏法は、勝負とはもっとも縁遠いものに感じます。勝ったり負けたりする主体はなんなのでしょう?無我を説く仏法に、勝負があるわけありません。
このあたりが、前から大変不思議です。



744 名前: 池田 大臭 投稿日: 2000/07/20(木) 09:30
>741
>皆さん、真に申し訳ないが、本筋と大きく外れた書き込みは勘弁して下さい。

カルトが偉そうなことを言うな。
実社会で周りの迷惑を気にせずに、似非宗教活動にばく進している奴が立派なことを言っても、説得力は一切無い。

何が日蓮だ。
カルトにとって日蓮など、自分の迷惑活動を正当化する免罪符にすぎない。
カルトはレイパー大作の盲信のために日蓮を利用しているだけ。

ZEGA他学会員よ。
日蓮と大作の関係を言ってみな?
あんたらには大作の方がお似合いだ。




745 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/20(木) 10:35

昼行燈さん<

論議のお相手でもないのに、蓮日さん時代の古い書きこみに対して、フレーミング
の元ともなりかねない書きこみして申し訳ありません、冷静に受けて止めていただ
きありがとうございました。
ご指摘のように私を含め大多数の学会員が法華経の全文を読んでいないのは事実だ
と思いますので、内容について撤回を、私は要求するつもりはありません。あのよ
うな表現に対する私の気持ちは正直に申し上げました。
私も気付かずに他人を傷つけるような発言をしていることがあると思います、ご指
摘いただければ幸いです。


746 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/20(木) 17:27
「正常に動き出した」とかいった途端に急に荒れ模様になってきましたね。
ただその中に、立場の違いと関係なく、このスレッドの議論進行をかばってくださるような発言もあり、いちいちお名前は挙げませんが、お礼を言わせていただきます。

>719
>だれがどういう立場の人かよくわからない?

722さんが答えてくださった通りです(722さんどうもありがとう)。ただ学会サイドの方も特に歩調を合わせているわけでもなく、スタンスにもかなりの違いがあると思います。まして非学会サイドの立場の者はスタンスの差がかなり甚だしいです。例えば私と文底さんは、以前相当長期にわたって議論し、今でも「宗教」というものに対する態度にはかなりの違いがあると思っています(どっちかというと私が無神論的・反神秘主義的・唯物論的っす)。ですから初めてこのスレッドを見る人にはホント分かりにくいでしょうね・・・(^^;



747 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/20(木) 17:39
>ZEGAさん

お久しぶりです。ZEGAさんもお忙しいようで。私もこれから1ヶ月ほどは仕事優先で、ちょっと書きこみのペースは落とそう(というか、落とさざるをえない・・・)と思っています。今ここはみさき23区さんと昼行燈さんの対話が軸になり、そこにちょいちょい愚乱破さんと文底さんの話が絡む、といった状況です。ひゃっきまるさんの提起された「日蓮の法華経解釈・・・」はまだ始動していません。私のせいでもあります。

>メディスンさん

お久しぶりですね。私も今回の件はいろいろ教訓になりました。今はみさきさんと昼行燈さんの議論が無事に進行するのを願うのみです。



748 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/20(木) 23:51
>ROMGさん
 ずいぶん前のレスになってしまいますが、お答えします。

(570、571)
>>1・釈尊は法華経を説かなかった可能性が高い
>>2・創価学会の、釈尊が法華経を説いたと主張する根拠には誤りがある

>以上,2点とも同意できません。
>まとめて答えて申し訳ありませんが、上の2点について、特に1.については、成立年代が釈尊滅後であるならば、確かにYesということになりますが、日蓮大聖人が釈尊が法華経を説いたという前提で,五重の相対の中の種脱相対にて、釈尊=脱益の仏法とし、日蓮大聖人=下種の仏法として,大聖人の法華経を真としております。大聖人の仏法を基底としている創価学会としましては、釈尊が法華経を説いたとされるなら、その点について誤りは無いという見解ではないでしょうか?

>>3・創価学会が組織として流布している歴史認識は、一般に通用している、妥当と思われる歴史認識とは異なる
>先ほども述べたように大聖人の教えを基底としているので、その立場からみれば、異なるか異ならないかの次元で考えることはないと思います。

 日蓮大聖人の言ったことは全て正しい、とする立場(御書原理主義)ならば、ROMGさんのおっしゃることは正しいと思います。また、実際創価学会はそのような立場をとっていると思います。しかし、これはあくまでも信仰のあり方、という問題であって、「真実」はどうなのか、という視点に立っているものではないと思います。
 ある特定の人物の考えが全ての基準となって正しい、という考え方は、少なくとも一般的には受け入れられない考え方です。僕は、そうした信仰の仕方は、「オカルト」的であると思います。「仏法は道理」だと言われます。道理の基準は、世界に備わっている「法」によるもので、御書を大聖人の精神を学ぶために用いることはあっても、それを絶対の基準にすることはおかしいと僕は思います。
 おそらく、僕とROMGさんとでは「考え方」にずれがあると思われるので、これですぐに納得はされないと思いますが、とりあえずレスを待ちます。

(571)
>>4・一般的歴史認識には充分な妥当性があり、それにも関わらず創価学会はそうした知識を、おそらく意図的に、信徒に与えていない
>意図的に与えていないということはありません。信徒がその知識を得たいとしているかどうかは別ですが・・。現に私は,この掲示板を拝見する前から、法華経の成立年代については、知っていました。教学において、未だに釈尊が説いた法華経という下りは出てきますが、そこに隠そうという意図はないと思われます。

 4に関してだけは、Yes,Noで答えが出るものとは思っていないのですが、もう少し詳しく僕の考えを述べたいと思います。
 大乗非仏説が少なくとも一般的な常識になっている以上、仏教を信仰する団体は、それは知っておくべく知識だと思います。創価学会の出版物などにおいて、徹底的にそのことに触れられていないのは、少しおかしいと思います。ROMGさんが学会のメディアによって 法華経の成立年代を知ったのならば、僕は多少考えを改めなければなりません。


749 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/20(木) 23:54
>ROMGさん(続き)

(572)
>ところで、鎌倉時代において、法華経の成立年代を記した文献はあったのでしょうか。
>また、あったとして、それを大聖人が目にすることは可能だったのでしょうか?
>現在のように,出版物も交通も発展していない過去において、法華経が釈尊が説いたかどうかということを証明することはできないのではないでしょうか?
>現在の知識をもって,過去の人の知識を間違っているというのは、フェアじゃない気がします。

 勝負をしているわけではないので、フェアという言葉を持ち出された意図が分かりかねます。信仰する人間にとって重要なのは、「真実」か「真実でないか」という点だと思います。現代の知識で過去の知識が間違いだと分かることに、何の問題もないと思います。
 昔は、日食は不吉の徴候とされていたけれど、今では、それは単なる天体現象である、ということが分かっているのに、「いや、それでも、日食がおこると、悪いことが起こるに違いない」ということは、変だと思います。

若葉マークさんへのレスで、

>私は、"事実がAであるならば、真実もAである。"という方法は正しいとは思えません。
>私は意義的な面から正しいか間違っていたかを判断する方法論を支持します。

 というものがありました。僕は、「真実」は「事実」への個個人の捉えかただと思っているので、必ずしも「事実=真実」とは思っていませんが、真実が事実に反するのであれば、それは「誤り」と言ってよいと思います。
 『意義的な面から正しいか間違っていたかを判断する方法論 』は、正しいか間違っていたかを判断する方法論とは呼べないものです。それは「不可知な」事象に対して、「選択」する態度としてはよいと思いますが、「判断」ではないと思います。
 ROMGさんは、『「事実」と異なるとしても、そう考えることによって幸せになれるのなら、それを「真実」とする』という考えなのでしょうか? 僕はそういう考え方を否定はしませんが、「仏法」というのがそういうものだとしたら、正直に申し上げて、幻滅です。有象無象の多くの宗教はそうしたものだと思います。
 事実の底に秘し沈められている真実を明らかにするのが仏法だと思うのですが。これは愚乱破さんの、「方便」と解釈することへの感想でもあります。


750 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/20(木) 23:58
>愚乱破さん
>大乗仏教は皆そうですか? 私の理解では浄土宗のような他力本願でない宗派は修行によって悟ることを目的にしていると思うのですが?

 法華経以外の大乗仏教は知らないので述べられませんが、法華経について説明しようと思っています。しばらくお待ちください。

>ここで釈尊と釈迦は同義に使っておられますか? 日蓮大聖人は久遠実成の釈尊の師を教主釈尊と仰せられたりするようで、良く理解できていないのです。

 僕は釈迦と釈尊は同じ意味で使っています。 釈尊と教主釈尊という概念の違いは、方便品と寿量品の違いに由来するものでしょうか? これについても調べてみます。


>文底さん、第7の外道さん
 試験の心配をしてくれたようで、ありがとうございます。一応無事乗り切れました。しかしなんというか、現実生活でこんな親切で丁寧な人たちに会うことはめったにありません。複雑な気分・・・。
 もしかしたら夏休みで実家に帰るかも知れないので、一時議論を継続できなくなるかも知れません。
 ところで、外道さんと昼行燈さんが議論したスレッドを見たいのですが、よろしければ教えてくれませんか。


>ZEGAさん
 お久しぶりです。議論の再開楽しみにしていますが、のんびり待っているので無理はなさらないでください。お仕事大変そうですが、お体に気をつけてください。


751 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/21(金) 00:35
 新しいスレッドを立てました。

『2chの創価学会員のモラル・ハザードに危惧』
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=964106045&ls=50

というものです。

反創価ウォッチャーさん、711さん、714さん、715さん、725さん、730さん、736さん、

は、ぜひお越しください。
 また、その他の創価学会の皆さんにも、一度目を通してもらいたい内容です。ここの常連さんたちにも、感想を伺いたいです。

 「侮辱」等についての議論で、もしよろしければこのスレッドをお使いください。


752 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/21(金) 09:40
ひゃっきまるさん<

試験は無事に終了されたようで良かったですね。

> 「真実」は「事実」への個個人の捉えかただと思っているので、必ずしも
> 「事実=真実」とは思っていませんが、真実が事実に反するのであれば、それは
> 「誤り」と言ってよいと思います。

これ、面白そうですね。
 「事実」:釈迦が説いたと書かれている経典が存在する。
 「真実」:その経典は釈迦が説いたものではない。
「真実」が「事実」に反するので、“それ”は「誤り」と言ってよい。
“それ”って「真実」の方ですよね。勿論冗談ですが、過去の「真実」は今残ってい
る「事実」から推定されるだけで、“正しい”「真実」って解からないのかも知れま
せんね。・・・釈迦のみぞ知るかも・・・(笑)


753 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 09:46
法華経は釈尊が説いたものではない

そんな妄説で、創価学会の正義を潰そうとするのは魔の所為。
法華経が真実だからこそ、創価学会の信仰で何百万もの人々が
救われ境涯を開き、幸せを築き上げている。
現証にまさる証拠はない!


754 名前: 通りすがり 投稿日: 2000/07/21(金) 11:01
>753
そう言う書き方をするから、一般の方から創価学会は警戒されるのですよ。
厳しいことを言わせていただきますが、あなたの書き込みは洗脳され
た人間そのものを露呈しているだけで、何の説得力ももっていません。
ただ、暴力的なだけです。
せいぜい、「創価学会ってやっぱり怖いなー。753みたいな思考になる
んですもの」って印象を与えるのがオチでしょうね。
僕は、学会サイドの書き込みの方では愚乱破さんが一番安心できる。
ああいう方が多い団体ならば信用できるけど、残念ながら・・・





755 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/21(金) 11:43
通りすがりさん<

お久しぶりです!
このスレッドで“法華経は釈尊が説いたものではない”は前からのテーマになって
いたのですが、私がそれを「真実」の例に使ってしまったので、753さんは学会員の
私が「法華経が真実でない」と考えていると思われてしまって怒られてちょっと感
情的になったのではないでしょうか?
私はむしろ釈迦が説いたかどうか解からないということだけを例としてあげたつも
りだったのですが、私の文章が下手なもので誤解を与えてしまったようです。
753さんにはお詫びいたします。


756 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 12:06
>このスレッドで“法華経は釈尊が説いたものではない”は前からのテーマになっていたのですが

法華経は釈迦の死後、何年もの時間をかけて弟子たちが語り継いだり、書き残したりしてきたものが、
仏典結集などのきっかけにもより纏められたものだと理解しています。
学問的にもそれが定説のはずですが、少なくともここでそれを覆すだけの根拠のある議論がされているとはおもえません。



757 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/21(金) 12:24
>愚乱破さん

 お分かりだとは思いますが、念のため。
 「事実」とは、歴史的考察、文献的証拠によってせまろうとする、客観的事実、という意味で使いました。現在では、法華経は釈尊が在世に説いていた思想とは無関係の、他者の創作である、という見方をされています。この見解がどのようなプロセスによって導かれてきたのか、また、釈尊が法華経を説いた可能性があるとすれば、それはどんなばあいか、というのはまだ議論の対象になっていないので、これからの話となります。


758 名前: >757 投稿日: 2000/07/21(金) 12:33
>現在では、法華経は釈尊が在世に説いていた思想とは無関係の、他者の創作である、という見方をされています。

だれがそんな見方をしているのですか?
(あなたたちが勝手にそういう見方をしているのなら、そう書くべきです、なぜなら第三者に誤解を与えます)
またここでいう他者とはだれですか?
それを明らかに示さなければ、このような議論は仏教の歴史に対する愚弄であり、噴飯ものです。


759 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 12:49
>758

過去ログ読め。アホ。


760 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/21(金) 13:13
>758さん

 そんな見方をしている人→仏教研究者です
(僕の知っている範囲では、法華経を釈迦が説いたとしている研究者はいませんでした。どなたか、そういう学説をとっている研究者がいたら、教えてくれませんか)

 他者→不明となっています

 「大乗非仏説」は、大乗仏教の各宗派では受け入れられています。


761 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/21(金) 13:14

ひゃっきまるさん<

分かっているつもりでしたが、ちょっと言葉に拘らせてもらってよいですか?
文献的証拠(=事実ですね)によって客観的に認められる事柄をも事実としましょう。
というのはOKですが、では「真実」の概念はどう定義されるのですか?

・・・というのはまだ議論の対象になっていない・・・ですか?
まだ議論をしていない、ではないのですか? だとすると今の議論の対象を再確認さ
せていただきたいと思いますが・・・


762 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/21(金) 14:41
>愚乱破さん
 「事実」、「真実」への僕の考えは、ROMGさんの意見に沿って出したもので、それ以上の意図はないつもりでした。実際、日本語の意味として、事実、真実というのは明確に区別できるものではないと思います。
 ただ、「客観的事実」というのは、立場の違いに関わらず、誰にとってもそうであるようなことを指すので、まずそこを確認して、答えを出してから、「真実とはなにか?」という議論をするのが、順番としてもよいのではないかと思います。


763 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/21(金) 16:11
ひゃっきまるさん<

そうですね、誰にも認められる事柄かどうかというのがが先ず大変なことだと思い
ますね。私も事実と真実をあまり使い分けてはいないのですが、事実が真実とは限
らないと仰られていたので、ちょっと不思議に思ってお尋ねしてみました。

2番目の質問はいかがですか?

> 現在では、法華経は釈尊が在世に説いていた思想とは無関係の、他者の創作であ
> る、という見方をされています。この見解がどのようなプロセスによって導かれ
> てきたのか、また、釈尊が法華経を説いた可能性があるとすれば、それはどんな
> ばあいか、というのはまだ議論の対象になっていないので、これからの話となり
> ます。

現在の議論の対象は「この見解がどのようなプロセスによって導かれてきたのか、
また、釈尊が法華経を説いた可能性があるとすれば、それはどんな場合か」ではな
いとおっしゃってるんですよね。


764 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:12
法華経は説いていません。


765 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:13
思想の流れとして法華経はあります。


766 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:14
であるから仏説です。


767 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:15
ハイ!これジョーシキ。


768 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:18
法華経が釈尊の説いたおしえを元にして作られた教典であることは常識である。
どのような仏教の解説書をみてもそう書いてある。一体ここの議論はどうなっているのか?


769 名前: 弥勒 投稿日: 2000/07/21(金) 16:24
>法華経が釈尊の説いたおしえを元にして作られた教典であることは常識である。
しかし結集の時に 言葉ゲームのように意味が違って解釈された可能性もある。
例えば、本当に釈迦が宝塔を地中から出したり、眉間から出した光で国土を照らした
のか、寓話とかたずければそれでおしまいですが。
私自身としては、釈迦があのような物語的な口調で経を説いたのか。
また、自画自賛的な考えが何を呼ぶか、デメリットを考えていたのか。対上座部仏教
としての何かしらの思惑が大乗の方々から加味されているのではないか。

結集である限り、疑惑は晴れない。


770 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:28
>769

だから法華経は思想の流れなんです。
これ以上は感性の問題になりそうですね。


771 名前: 弥勒 投稿日: 2000/07/21(金) 16:30
ちなみに私は仏教あまり詳しくないです。間違いであろう部分ありましたら
しっかり怒って訂正してください。
私的には、創価学会は ヒンズーのシヴァ派的な部分があると思うのですが。
日蓮の教えに、価値創造(価値論)を加味した独特な教義であるのかなとも
思いますし。よくわかりません、正直。



772 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 16:35
>771
よくわからないのなら、しっかり勉強してください。
それが基本ではないでしょうか?
その上での論議であると思います。
よろしくね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!



773 名前: 弥勒 投稿日: 2000/07/21(金) 16:36
>>770殿
>だから法華経は思想の流れなんです。
釈迦の思惑なのでしょうか?

>これ以上は感性の問題になりそうですね。
以前どこかのスレッドでアウフヘーベン
(止揚:あるものをそのものとしては否定するが
契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。)
という弁証法を創価学会は使用していると聞きました。
私は、ヘーゲルには詳しくないのですが、力で感性を統一させようと
する事には反対であり「法華経絶対、最高」と言われるとますます
「はて?ではあら捜しでもしようかの」となってしまいます。
感性の問題なら絶対とするのは無理な話ではないでしょか
まさか思想を統一させるとかそういう話は無しですよね?


774 名前: 弥勒 投稿日: 2000/07/21(金) 16:38
>>772殿
では、あなたは答えてくれるのでしょうか。勉強不足なら
議論に参加してはいけないというルールがあるのでしたら提示願います。
私は私の知識(ヒンズー教等)を提供いたします、あなたは私にどういう
知識を提供してくれるのですか? また議論の中でお互いの考え・記憶間違いを
修正するのも「勉強」なのではないでしょうか?
あなたの言われる勉強とは「本を読んで、ノートに書いて、試験を受ける」
といったものですか?


775 名前: 弥勒 投稿日: 2000/07/21(金) 16:43
あ、私は勘違いしていました。
ここは「勉強が足りない人は参加してはならない」というものであって
創価学会からすれば素人の意見は邪魔でしかないのですね。失礼しました。
あと、学会員からすれば法華経=非仏説 という議論の流れになること自体が
不愉快で見たくもないということで宜しいのですね。

それがアウフヘーベンを利用する故なのかもしれませんね。
失礼しました、もう少し勉強してから投稿しましょう。
いちおう岩波文庫の「法華経 上・中・下」、「代表的な日本人」内村鑑三
の「日蓮」の部分を読んではみたのですが、サンスクリットの原典等も
読んだほうが宜しいのでしょうかね。クラマジュウ等の訳は意訳になっている
とも聞きますし。


776 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/21(金) 16:59
>愚乱破さん

>現在の議論の対象は「この見解がどのようなプロセスによって導かれてきたのか、また、釈尊が法華経を説いた可能性があるとすれば、それはどんな場合か」ではないとおっしゃってるんですよね。

 いえいえ(^^)。このスレッドの主旨として、そこにこそ論点が集約されるべきです。ただ、この一番大事なことについて、まだ周辺的な所でいろいろな意見が飛び交っている状態ですよね。今までの過去ログをみても、解決してないことはたくさんありますし。例えば、仮に釈尊が法華経をとかなかったとしても、大聖人の主張は正しいといえるのか、とか。僕ははじめ、ZEGAさんとの議論の中で、慎重にその「核心となる点」へ話を持っていこうとしていたのですが。


 なんだか荒らしのような雰囲気になってしまい、僕のせいだとしたら申し訳ないです。真面目に議論するつもりがあれば、コテハンで、自分の立場や考え方を明確に示してから参加してくれませんか?


>弥勒さん
 これからも頻繁にかき込まれるおつもりでしたら、膨大にあり、お手数ですが、 過去ログ(旧「日蓮って」も含めて)を全て読んでからの方がよいと思います(このスレッドは一つ一つの議題を真剣にとりあげるので、それだけに混乱が生じやすいためです。決して中傷する意図でこのようなことを言っているわけではありません) 。よろしくお願いします。


777 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 17:04
鳩摩羅什は「私が死んだ後死体を焼いて舌だけが残ったら、私の残した言葉はすべて真実だと信じるように」
と弟子に語ったとされている。
はたしてそのとおり、他はすべて焼けても舌だけが不思議にもきれいに残ったそうであり、
弟子たちは、師の言葉はやはりすべて真実だったのだと悟ったということである。
鳩摩羅什も仏なんです。



778 名前: ちょっとだけ質問 投稿日: 2000/07/21(金) 17:20
鳩摩羅什は法華経のほかに浄土三部経も翻訳したのでは?
創価学会や日蓮からすると謗法者であり仏と認めるのは辛いとかは
ないのでしょうか


779 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 17:32
>弥勒さん

「非仏」の「仏」が問題になるんでしょうね。
「仏」=「釈迦」、「仏」=「諸仏」。
この辺が分かれ目でしょう。
あとは信じるか信じないか、感性の問題です。
何しろ、学問ではなく、宗教のことですから。


>773
>ますます 「はて?ではあら捜しでもしようかの」となってしまいます。

それは相手の問題というより貴方の問題ではないでしょうか?



780 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/21(金) 17:34
>778
べつにもんだいない


781 名前: 文底 投稿日: 2000/07/21(金) 17:48
愚乱破さん

レスが遅くなりスミマセン。
所用が重なり昨日はレスが付けられませんでした。

>文底さんの激しい一面を垣間見させていただきました。人間の幅の広さだと受け止めました。

いえいえ・・・「生命論」で定義付けるならば、やはり「修羅界」の命が出てしまったのだと思います。
「修羅界の命」を「人間の幅の広さ」と真摯的解釈をされるのは、愚乱破さんの「心の幅の広さ」だと、感謝しております。

(笑)・・・仏界ばかりは現じ難しですか?

「現じ難し」(実際、現じ難しでしょうが・・・)と言うよりも、愚乱破さんの定義(御立場)であれば「仏縁」に触れない人間(非学会員)は「仏界に到達できない」との前提で述べたものです。

>さては私がどれ位理解してるかチェックをいれてますね。

その様なつもりではなかったのですが、愚乱破さんの以前の御発言の中で、教義一文の提示が原文のままなされていたので、愚乱破さんであれば、具体的教義の一文を提示した方が、御理解頂けると思い、あえてあのような文体にて御伺い致しました。

>化城喩品は迹門ですので第十六番目の王子は始成正覚の迹仏の釈迦の過去世の姿と理解してますが違いますか?

これは「本已有善」の事を仰っていらしていますね、仰る通り本迹相対法で考えれば、化城喩品第七は迹門です。

続きます。


782 名前: 文底 投稿日: 2000/07/21(金) 17:49

しかし、此処での定義づけの確認は、大通智勝仏の第十六番目の王子は、三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏が説いた法華経を、再び十六の王子が教えを説き大衆に結縁したとされている「大通覆講」上での定義です。
この定義上であれば「覆講」上は第十六番目の王子は釈尊の過去世(始成正覚の迹仏の釈迦の過去世)となりますが「大通」上の定義である「三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏」は釈尊の過去世とは別の人間(仏)と類推できます。(今回は五百塵点劫ではなく、少し思う所がありまして、三千塵点劫としてあります)
ちなみに、撰時抄では「過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一経も説き給はず」と書いてあります。
愚乱破さんは、大通智勝仏は一体誰だと思いますか?
文献でも私見でも結構ですので、御意見をお聞かせください。

>本門の如来寿量品の如来を大聖人は御義口伝下で「・・・今日蓮等の類の意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり(後略)

上記文章にもあるのですが、日蓮仏法の文献学的教義解釈において、しばしば、さらりと「惣じて」「別して」との表現が多用されます。
愚乱破さんは、同一文章における二種類の解釈法である「惣じて」「別して」との表現(文底と文上?)をどのように御理解され、定義付けていらっしゃいますか?
また、その二種類の判別法の具体的拠り所となる御見解を、文献学的解釈方法の根拠となる文献等、もし御座いましたら、御教授頂けると、より一層「惣じて」「別して」との表現を理解しやすいのですが・・・・何か具体的根拠をお持ちでしょうか?
無論私見でも結構ですので、思う所を御自由に述べて下さい。
(ちょっと文体が専門的で硬いですが、決して「戦闘モード」ではないですから安心して下さい)


783 名前: >778 投稿日: 2000/07/21(金) 17:50
鳩摩羅什は膨大な量の教典を翻訳してます。
そして法華経が最高の教えであると、その教典自体に書いてあります。


784 名前: 文底 投稿日: 2000/07/21(金) 19:09
*昼行燈さん
色々御苦労様です、そして、私にまで色々お気遣い下さり、ありがとうございました。
これからのみさき23区さんとの論議の推移、興味深く拝見させて頂いております。(何れにせよみさき23区さんの今後の対応次第でしょうが・・・)

*ZEGAさん
お久しぶりです。
ZEGAさんがお見えになられていない間に本当に色々ありました。
又お時間が御座いましたら是非お書込みください、ひゃっきまるさんとの論議、楽しみにしております。

*メディスンさん
又レスを頂けて、大変嬉しく思っております。

>私の考えでは仏法は、勝負とはもっとも縁遠いものに感じます。勝ったり負けたりする主体はなんなのでしょう?

一体何なのでしょうね?(これも一念三千でしょうか?)
少なくとも「勝負」に拘りすぎると、色々摩擦が生じると思います。

*ひゃっきまるさん
試験の方は大丈夫でしたか?
新しいスレッドを立ち上げたりなさって、又御活躍のされていますね、新規スレッドの方も機会がありましたら是非伺わせて頂きます。
くれぐれも御無理をなさらない様、季節柄体調には十分ご配慮ください。

*弥勒さん
何時ぞやは他のスレッドで大変お世話になりました。
このスレッドでも色々御意見等お聞かせください。
宜しくお願い致します。


785 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/22(土) 00:06
ひゃっきまるさん

>ところで、外道さんと昼行燈さんが議論したスレッドを見たいのですが、よろしければ教えてくれませんか。

「空」についてのスレッドのことですか?
「心と宗教」板でやってたのですが、今どこにあるのかよく分かりません・・・ただ、テキスト形式で保存して個人的に持っているヤツならありますが・・・。

弥勒さんこんにちは。

>以前どこかのスレッドでアウフヘーベン
>という弁証法を創価学会は使用していると聞きました

そんなことを言ってるんですか? どんな脈絡でそう言うのでしょうね。



786 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/22(土) 05:57
文底さん<

> レスが遅くなりスミマセン。

いえいえ、ゆったりテンポでやりましょう。

> 撰時抄では「過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一経も説き給はず」と
> 書いてあります。

撰時抄は私にとって懐かしい御書です。入信5年目の頃、約1年間毎月信濃町まで
通って教学部長の講義を受けました。(殆ど理解できなかったですが)

> 愚乱破さんは、大通智勝仏は一体誰だと思いますか?

面白いご質問ですね。考えたこと有りませんでした。過去世譚ってどうしても架空
の話に聞こえてしまうのであまり真剣に考えていなかったです。
・・・でも誰なんでしょうねぇ?・・・ってやはり大通智勝仏ですよねぇ(笑)

> 二種類の解釈法である「惣じて」「別して」との表現(文底と文上?)をどのよ
> うに御理解され、定義付けていらっしゃいますか?

教学部発行の辞典によりますと・・・
「総別の二義」総判と別判との二義である。「総じて」とは、一応の表面的立ち場
であり、別してとは再応の更に深く突っ込んで考えた場合の立ち場である。
ゆえに総判は劣り別判は優れるのである。
総別は相対的なものであるから、別判のなかにも、さらに総別が論ぜられて、究極
の別判は三大秘法の大御本尊に到達するのである。・・・
・・・とあります。私は総じては「理論上は、一般的には」別しては「実際上は、
厳密には」という様に読み替えて考えてみてます。


787 名前: もともと 投稿日: 2000/07/22(土) 08:42
ふいー、やっと全部読ませて頂きました。いやー、為になりますな。
宗門史をあんまり勉強しなかった私には非常に楽しく読めました。
 私は、日蓮正宗や、創価学会の人間ではなくて、んー創価学会の人
に言わせれば、身延派とでもいうことになるのでしょうかね。
 で、ここまで読んで出てこなかったように思うのですけど、「南無
妙法蓮華経」の、解釈についてです。まぁ、ここまで詳しい勉強をな
さっている皆さんですから、常識なのかもしれませんが「南無」は帰依
する、「妙法蓮華経」は蓮華のごとく生きる方法って事ですよね。
 で、いわゆる「法華経」についての大まかな解釈もなんか違ってい
るように感じたので、具体的な引用は今はちょっとできませんが、日蓮
宗(つまりオーソドックスな)の信者が持っているであろう、考えをとり
あえず、レスしてみようと思いました。(私のってことになりますか゛)
 端的に、僕の考えを言うと「法華経」は、人間が次のステップに進む
ための教えなのです。つまり、ぶっちゃけていうと「悟り方指南」とでも
言いましょうかね。人間(というか全てのもの)には、仏性があり悟るた
めのすばらしい要素を持っている。永遠に近い時を輪廻によって越え、い
つか悟りを得ることができる。そのための、教えが「法華経」なんだと
思うのです。
 だから、大作ちゃんでも、法源くんでも、いつかは悟りを得る事ができ
る。その修行を重ねている最中だって事です。つまり、一人一人がいつか
違う仏になるわけで、仏陀になった人は生まれ変わるって事はないんです。
 そのための参考にするためにあるのであって、誰かにひたすら疑うこと
なく、付き従っていてはなにしにこの世界にきたのかわからないって事で
す。
 ま、もっといろいろ書き込みたいのはやまやまなんですが、眠いので
あとは、次の機会にさせて頂こうと思います。ご意見を聞かせていただ
ければ幸いです。因みに、日蓮は「自分は菩薩の生まれ変わりかもしれ
ない」とは言いましたが、「仏の生まれ変わりだ」とは言ってないはず
です。


788 名前: ナランツェツェグ(私も身延派) 投稿日: 2000/07/22(土) 10:42
>760ひゃっきまる さん
>「大乗非仏説」は、大乗仏教の各宗派では受け入れられています

チベット仏教の四大宗派はいずれも大乗仏教ですが、一般信者は「大乗非仏説」など知りもしないだけでなく、各派の学僧たちは外国の文献学者たちによる「大乗非仏説」という結論を知ってもなお「大乗仏説」を堅持しています。

ある博識な方による簡明な説明の抜粋

仏説の定義
「四無礙を備えている勝者の教説」

四無礙とは何か
(1)「意義があること」
(2)「法を備えていること」
(3)「煩悩を尽すもの」
(4)「涅槃の利楽を説示するもの」

仏教の信者にとっての仏説の基準は、いわゆる「歴史上の釈尊の存命時期に成立していたか否か」とは別のところにあります。




789 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/22(土) 11:24
>ナランツェツェグさん

大変お久しぶりです。お元気でおられましたか?
チベット仏教についての研究もお進みのようですね。またいろいろお教えください。

>>「大乗非仏説」は、大乗仏教の各宗派では受け入れられています

ですが、ひゃっきまるさんの立場を代表すると、ここでいう「仏説」は、きちんと規定すれば「歴史的個人としての釈迦牟尼の説」ということになると思います。決して「覚者一般」の「説」というのではないと思います。しかしどうも「大乗非仏説」という便利な言葉に頼ってしまって、誤解を招くことが多いみたいです。従って

>仏教の信者にとっての仏説の基準は、いわゆる「歴史上の釈尊の存命時期に成立していたか否か」とは別のところにあります。

というのは、おっしゃる通りだと思います。

ただ日蓮の説を理解するに当たって、法華経が「非釈迦説」であったなら、(たとえそれが「仏一般の説」であったとしても)そのまま彼の思想(の根幹)は是認されるのだろうか、と考えるとき、いくつか大きな疑問点がそこに生ずるのではないかとも考えられるでしょう(というか、ひゃっきまるさんや私はそう思っています)。
言いかえれば、法華経が「仏説」であっても「釈迦説」でない場合、日蓮の教学や実践の体系にはかなり重大な影響が出ざるをえないのではないか、というのが私やひゃっきまるさん(おそらく)の立場です。
私個人としては、法華経を誰が説こうとその「思想的価値」自体を疑うわけではありませんし、それが「仏一般の説」だとしても特にそれを否定する理由を持ち得ません。ただそれは、法華経を「象徴」として解釈する場合においてです。私は法華経を「象徴でなく、実在した出来事の記録」ととることはできないと思っていますが、日蓮はまさにそういう立場に立っていたのではないか、と思われるのです。

ただ今後の議論のためには、「大乗非仏説」という曖昧な言葉を用いないほうが、新規に参加されるであろう方の誤解を防ぐ上でも大切かも知れませんね。というわけで、ひゃっきまるさんはどう思われますか?




790 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/22(土) 11:24

もともとさん

初めまして。このスレッドは既に「恐竜化」しており、議論もあちこちで逸脱しているので読むのは大変だったと思いますが・・・どうもありがとうございます。

>端的に、僕の考えを言うと「法華経」は、人間が次のステップに進む
>ための教えなのです。つまり、ぶっちゃけていうと「悟り方指南」とでも
>言いましょうかね。人間(というか全てのもの)には、仏性があり悟るた
>めのすばらしい要素を持っている。永遠に近い時を輪廻によって越え、い
>つか悟りを得ることができる。そのための、教えが「法華経」なんだと
>思うのです。

というと、法華経の中心主題を「仏性」思想におかれるわけですね。ついで言うと「法華経方便説(?)」を主張なさっているかのようにも見えます・・・。

>「南無」は帰依する、「妙法蓮華経」は蓮華のごとく生きる方法って事です

という場合、「南無妙法蓮華経」が「成仏の本因」である、という日蓮の考え方はどう正当化されるのか、というのが私にとってはどうしても疑問になるのですが、もともとさんはその点はどうお考えですか? 法華経が万人の成仏を説くというのはわかるにしても、それと「南無妙法蓮華経」と唱題することが成仏の本因になるというのは、直ぐには結びつかないと思うのですが、私の日蓮に対する疑問をごく簡略に言うと、そこなのです。またお暇なときで結構ですからご感想をお聞かせください。
これからもよろしくお願いします。




791 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/22(土) 11:47
身延派の溝鼠の多重ハンドルは見苦しいですね。
そんなに身延を大きく見せたいのですか?(苦笑)


792 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/22(土) 16:44
>692 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/07/18(火) 08:29
>そもそも 「一念三千」 は第七正観章で十境十乗の観法を説明する中で説かれたもので、途中
で放棄されたものです。(というより説明がつかなくなった)
 >大正新脩大藏經四十六巻及び、関口真大氏「摩訶止観(上)」(岩波文庫)よりの考察です。「摩訶止観」は途中で、説明ができなくてなり、放棄されたものなのか?
以下調べたところを提示する。


一念三千とは何か(「摩訶止観」・(正修止観章)現代語訳p28〜p30)
(菅野博史 第三文明社)

<以下引用>
「摩訶止観」は実は第八章が説かれていないだけでなく、第7章の途中で終つているのである。

楽説窮まらずと雖も、わずかに見境に至って転ずる事を停め、後分は宣せず。(大正新修大蔵経四六巻・一上)

と指摘されている。文中の「見境」とは正観章で説かれる十境の中の第七の境であるから、第八の境以降、第十章まで説かれていない事になる。このことはやや奇異な印象を与えるかもしれない。
<引用ここまで>

止観は、中断され未完で終えたという説もあった、ということらしい。実際、以下の著作のように、


天台学概論(福田尭○・文一出版p86〜p92)
<以下引用>

第八章果報以下、第九起教、第十旨帰の三章は、第七の正修章の下、十境を明かす中の第八上慢境、第九二乗境、第十菩薩境の三境と共に欠いて説かれて居らぬ。その理由は、前述の如く本書は、高祖天台が開皇十四年四月二十六日より荊州の玉泉寺に於いて夏安居を結び、その安居中に説かれたものであるが第七正修章に説き至って、此の時、既に夏安居が終わった為め、後の章は説かれずにおわつたのである。
<引用ここまで>

続く



793 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/22(土) 16:47

ようするに九十日間の夏安居(雨期の屋内行)が終わったので、講義も中断、未完というのである。
しかし、菅野氏(前出)は次のように、語る。


<以下引用>
天台みずから「四教義」巻第五に 「所以に一家、講読説法するに、必ず須らく委しく初心を釈すべし。賢聖の深位の若きは但だ章を点ずるのみ」 (大正新修 四十六・七三九上)と述べていることを参照すべきだろう。

つまり天台家では初心者の修行を詳しく論じ、高い位は名目を記すだけで、その内容については説かない。という方針が明確に宣言されているのである。そこで「摩訶止観」・「次第禅門」には高い位、修行の果報などが説かれないままになっているのである。夏安居の三ケ月の説法という時間的制限からではなく、上述の明確な方針に、基ずくことに注意すべきである。
(前出・菅野博史p29〜P30)
<引用ここまで>

同様の見解は次の著作にも、ある。


仏教の思想5 天台(田村芳郎・梅原猛p188〜p189)

<以下引用>
残りの増上慢・二乗・菩薩の三境と第八章「果報」、第九章「起教」、第十章「旨帰」は、説かれないままに終わっている。そのゆえに古来、「摩訶止観」は未完結の書としておしまれたが、さきにあげた、最も初期の「次第禅門」においても全く同様に不説のままで終わっている。したがって、不説は時間がなかつたからでなく、天台智Oが、わざわざそうしたものと考えられる 。
<引用ここまで>

続く





794 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/22(土) 16:49
昼行燈氏が上に掲げた「摩訶止観」(上)関口真大・岩波文庫(P17〜P18)
においてすら、同様に、以下のように語られている。

<以下引用>
「しかし実際には、摩訶止観10巻はこの十境のなかの第七の諸見境の十乗観法まででおわっている。これについて、この摩訶止観は、その冒頭にもいっているように天台大師の一夏九旬の説法の筆録であるが九十日の期日が過ぎたために中断したものであろうといい、したがって摩訶止観は未完結なのであると見て慨いた者もあった。けれども天台大師の若い時代の撰述である禅門修証一〇巻が、摩訶止観と全く同様な組織の十章から成り、しかもまた摩訶止観と全く同様に 第七章の「修証」 までで終わっていることが、強く注意されるべきであろう。すなわち修行の結果等について論及する、後三章のごときは、このようにただ、章名を示しておくだけにとどめ、敢てこれを省略のままのこしてまで、ひたすらに初心者のために、真正なる発心のあり方、及び座禅実修の方法や人間生活に応じての実際を懇切しているのが、天台大師の始終一貫した方針だったのである。
<引用ここまで>


その他、「大乗仏典6・摩訶止観」(村中祐生 訳)も、参照したが、昼行燈氏の「説明できず」、「投げ出した」等の「説」は、私の調べた範囲では発見することができなかったと結論しておく。

上記に参照した書籍は、私のような「普通の学会員」が読む、ごく一般的なものであるから、昼行燈氏のような専門的・研究者の読む本には、また、異なる見解が、あるのかもしれないし、在るのなら披歴されたい。





795 名前: 文底 投稿日: 2000/07/22(土) 19:02
愚乱破さん

>撰時抄は私にとって懐かしい御書です。入信5年目の頃、約1年間毎月信濃町まで通って教学部長の講義を受けました。

信濃町まで出向かれると言う事は、バリバリの学会教学を学んだのではないのでしょうか?
大変な向学心でいらっしゃいますね。
私の方は、もっぱら雑学的好奇心から、哲学・倫理学等に手を出し、その延長線上にて「宗教」と言う命題における、仏教的の価値の定義付けを伺いたくて、このスレッドを汚している愚者です。
特に日蓮仏法においては、知人に「創価学会」「法華講」の両者がおりましたので、否応なくと言いますか・・(彼らにとっては慈悲の心)折伏された経緯において「創宗問題」や「日蓮教学」を討論・検証させて頂いたので、この板には興味を持っているのです。

>>愚乱破さんは、大通智勝仏は一体誰だと思いますか?

>考えたこと有りませんでした。過去世譚ってどうしても架空の話に聞こえてしまうのであまり真剣に考えていなかったです。
>・・・でも誰なんでしょうねぇ?・・・ってやはり大通智勝仏ですよねぇ(笑)

愚乱破さんはお考えになりませんでしたか・・しかし、以前

>>教主釈尊=日蓮大聖人であり釈迦は弟子であるというのが学会教学だと捉えているのですが・・・

と、愚乱破さんがこの様に述べられたので「教主釈尊=日蓮大聖人の弟子が釈迦である」との認識から、三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏の教えを受けたのが、始成正覚の迹仏の釈迦の過去世であり、それを五百塵点劫の後(現在から見て)大通智勝仏が説いた法華経を始成正覚の迹仏の釈迦が教えを説いて大衆に結縁せしめたのではないかと私は考えたのです。

続きます。


796 名前: 文底 投稿日: 2000/07/22(土) 19:03

すると釈迦の師に当たるのが教主釈尊であるならば、教主釈尊が大通智勝仏に相当し、愚乱破さんの仰る学会教学(日興門流?)に該当する大通智勝仏は最終的には「日蓮」と言う結論になるのですが如何でしょうか?
この論法は学会教学にはありませんか?
上記の推論が違っているのであれば、学会教学では「教主釈尊=日蓮大聖人の弟子が釈迦である」事をどのような教義として、定義付けていらっしゃるのでしょう?
これは「一致派」である身延山久遠寺を総本山とする「日蓮宗」と「勝劣派」である日興門流の「創価学会」の教義と根本的に教義解釈が分かれる所なので、宜しければ詳しく教えて頂けませんでしょうか?

>教学部発行の辞典によりますと・・・
>「総別の二義」総判と別判との二義である。(後略)

具体的に愚乱破さん拠り所とされる文献及び、愚乱破さん御自身の私見も合わせて教えて頂き、ありがとうございました。
この点に付きましても、謙虚に検証させて頂きます。
何れにせよ愚乱破さんの真摯的論体は私にとって大変有意義なものですので、何時も感謝しております。

以上です。


797 名前: 文底 投稿日: 2000/07/22(土) 19:05
もともとさん

初めまして、このスレッドを「恐竜化」させてしまった一人です。
私は、知人に「創価学会」「法華講」の両者(勝劣派)を知り得る「二乗の愚者」ですが、もともとさんは「一致派」である身延山久遠寺を総本山とする「日蓮宗」の方と存じ上げました。
それとも「不受不施派」「不受不施講門派」に属する方ですか?
私の認識では「身延派」なる定義は知り得ないのですが(創価学会の方はよく使われますよね)もともとさんにとっての自身の御立場ではどの様な定義でしょうか?
やはり「日蓮宗」で宜しいのでしょうか?
それとも御自身が述べられた「身延派」の方が宜しいですか?
これからの論議の上で失礼になってはいけないので、御確認させて頂きました。

>端的に、僕の考えを言うと「法華経」は、人間が次のステップに進むための教えなのです。
>つまり、ぶっちゃけていうと「悟り方指南」とでも言いましょうかね。
>人間(というか全てのもの)には、仏性があり悟るためのすばらしい要素を持っている。
>永遠に近い時を輪廻によって越え、いつか悟りを得ることができる。
>そのための、教えが「法華経」なんだと思うのです。

もともとさんの法華経における定義付け、大変明瞭で分かりやすかったです。
ところで、この論法から推察すると「悟り方指南」である「法華経」は別に「法華経」に拘らなくとも「悟り方指南」的な「文献」を基にした「宗教」であればどの宗教でも良いと思うのですが(例えば禅宗など)如何お考えですか?
そして具体的に「法華経」が他の「悟り方指南」の教義と異なる点・優れている点はどの辺りでしょう?
もっと極論を述べれば、それ(悟り方指南)は「宗教」と言う「命題」を必ずしも必要としない手順においても手に入れられると考えるのですが如何でしょうか?
その辺りの所、もともとさんの御立場のご意見を伺えれば幸いに存じ上げます。


798 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/22(土) 20:15
もともとさん<

はじめまして愚乱破と申します。
もともとさんのご意見を要約させていただきますと・・・
日蓮宗の信者は・・・
 1.誰でも輪廻によっていつかは悟りを得る(仏陀になる)ことがでる。
 2.その参考にするための教えとして法華経がある
 3.法華経は、人間が次のステップに進むための教えである。
 4.仏陀になった人は生まれ変わってこない。
と考えており、「日蓮」も自分からは仏の生まれ変わりだと言ってはいない。
・・・と言うことでよろしいでしょうか?

そこで、教えていただきたいのですが、これは日蓮宗の教えと合っているんですか?
もうひとつ、必ずしも法華経を参考としなくとも悟りを得ることは可能であるとお
考えなのでしょうか?


799 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/22(土) 21:26
文底さん<

> 三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏の教えを受けたのが、始成
> 正覚の迹仏の釈迦の過去世であり、それを五百塵点劫の後(現在から見て)大通
> 智勝仏が説いた法華経を始成正覚の迹仏の釈迦が教えを説いて大衆に結縁せしめ
> たのではないかと私は考えたのです。

寿量品で釈迦は 我實成仏已来 無量無辺と久遠実成を明かされました。そしてその
因は我本行菩薩道と菩薩道であると仰られています。この久遠が五百塵点劫ですね
従って、迹門の化道の始まりの三千塵点劫より遥かに昔のことになります。
そして久遠に本地の釈迦が修行した菩薩道こそが南無妙法蓮華経でこの法を所持さ
れる師がそれより遥か昔の久遠元初の無作三身如来であるというのが学会教学です。
日蓮大聖人は無作三身如来は末法の法華経の行者であると仰せですので日蓮大聖人
こそ、すべての根本の師だと信じております。


800 名前: もともと 投稿日: 2000/07/22(土) 23:49
 んー、レス早いですねぇ。嬉しいですね。

 まず、「悟りへ至るための教えなら法華経でなくても良いか?」
という、ご質問ですが根本的には良いのではないかと思います。きちんと
順序立てて、試行錯誤しながら進んでいくのなら。ただ、法華経を実践す
るのが一番の近道なのではないかと思います。私としては。
 で、私の立場ですがここの板は、正宗にしても、学会にしても、その辺
を通して日蓮系の宗教に触れた方が多そうなので、わかりやすく「身延派」
と言った方がいいかと思っての事だったのですが。更に言うと、普通の日
蓮宗の方には、その檀家になっているお寺が意識している場合以外には、
不受布施派とかの派閥的考えは無いはずです。更に言えば、池上派とか身延
派とかもです。
 南無妙法蓮華経が成仏の本因とされる考え方については私は、「蓮の花が
泥に染まらず素晴らしい花を咲かせるように、生きとし生けるものが世間に
染まらず、自分の仏性を見事咲かせる為の教えが妙法蓮華経であり、その教
えを拠り所に、進んで生きます。」という、覚悟が成仏つまり悟りを得るた
めには不可欠だ、と言いたいのではないでしょうか?。
 あと、基本的だったような気もするのですが、確か一つの世界に仏はただ
一人、そして一回だけ現れて教えを広める。とされていませんでしたっけ?。
そう考えると、菩薩は生まれるとしても、以後仏はこの世界では生まれない
はずで、その点でも、学会とか正宗は破綻していますよね。
 まぁ、この考え方はおそっさま万歳の人にはあんまり理解してもらえませ
んが、身延山大学や立正大の人達と話す分には、好意的に受け取ってもらえ
てます。あと、私のHNですが、他の板に「もともとの日蓮宗の、、、、、」
と、書き出したレスが初レスだったので、そのまま使っています。2ちゃんね
るでこんなこと言ってもしかたありませんが、多重HNじゃありません。まし
てや、学会員じゃありませんので(笑)よろしく。
 あと、本来助けてもらうという姿勢で佛教は実践されるとはおもいません。後
の人は、「師」と呼ぶでしょうが、釈尊は参考にしなさいていどだったのではな
いでしょうかね。
 なにか舌足らずな感じがします。的確なつっこみをおねがいいたしますね。


801 名前: もともと 投稿日: 2000/07/23(日) 00:07
 付け足しです
身延に住んでいるといつも思うのですが、もともとの日蓮宗には、大きく
なろう、とか、もっと布施(お金ね)もってこーい!とかっていう意識が
他に比べるとかなり淡白なきがします。とくに、あのさびれかたを見るに
つけ。私の知っている住職さんは、お葬式があっても施主の人が経済的に
大変だという申し出をされると、自分が負担してお葬式されてます。
だから、ものすごくカツカツの生活をされてます。うそ臭いとは、自分で
書いてても思いますが、実話です。


802 名前: ナランツェツェグ 投稿日: 2000/07/23(日) 01:15
>第7の外道さん
ご無沙汰しておりました。
さして進歩してませんが、ぼちぼちと勉強はすすめております。

>ただ日蓮の説を理解するに当たって、法華経が「非釈迦説」であったなら、

釈迦が久遠の昔より様々な手段(方便)で衆生を救ってきたと信じるものにとっては、釈迦が法華経を説いたのが「方便として涅槃を示して見せた」時期より後となるか前となるかは、法華経が「非釈迦説」であるかどうかとはつながらぬ問題かと思いますが。


803 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 01:40
愚乱破さん&文底さん

私はここしばらく「どうして『南無妙法蓮華経』が成仏のための唯一絶対の方法論とされるのか?」について疑問を持ち、そんな視点で日蓮の著作を見てきたわけですが、最近少々手詰まりになってきてました。そんなときにお二人の密度の濃い対話が契機になって、「ここは法華経自体をもっとよく読んでみよう」という気になり、再び読みなおしている次第です。

しかし法華経を読むたび思うのですが、ここには「阿耨多羅三藐三菩提(この上なく正しい完全なさとり)」は具体的にどういうものなのか、ということについての示唆は極めて少なく、どうも私のような人間にはフラストレーションが感じられてしまうということです。法華経は、「阿耨多羅三藐三菩提」の中身はおいといて、とにかくそれは「ある」、大切なのはそれを知っている者(仏)が知らない者をどう教化し導いてきたかということと、その導きを信じて従うことだ、というスタンスで全編が塗り尽くされているように見えます。仏は慈悲をもって「衆生をして仏の知見を悟らしめん」とするのだから、「仏の知見」の中身はともかく(聞いても分からない?)、先ずは信じよ、という姿勢ですね。無論そうなると「方便品」の登場となるのかも知れませんが、衆生の成仏の根拠についても、仏は衆生とともに同じ世界にいて、師として衆生を導こうとしているのだから、信じてそれに従っていれば間違い無い、というロジックがあるようにも思います(化城喩品、寿量品など)。こう見ると、日蓮の唯一絶対な成仏方法としての「南無妙法蓮華経」は、こうした仏の実在(ひいては、「法華経的世界」の実在)を前提にしなければ成り立ち得ない、という印象が深まります。
もっとも、上は現時点での主観的感想に過ぎません。もっと丁寧に読んでいけば新たな発見もあるやも知れません。

ところでお二人に素朴な質問があるのですが・・・。今話題になっている「大通智勝仏」ですが、この人(?)が十六人の王子に説いた「法華経」や、その王子たちが「無量億」の人々に説いていた「法華経」の中身とは何なのでしょうか? 私の拙い読解力では、それは結局「唯、仏乗をもってのみ滅度することをえ、更に余乗なければなり」という「方便品」の内容と重なるものになると思うのですが・・・。そこには、少なくとも「化城喩品」は含まれていないですよね(笑)。



804 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 02:01

ナランツェツェグさん
お久しぶりです。またしばらくここには出入りしていただけるのでしょうか? よろしくお願いします。

>釈迦が久遠の昔より様々な手段(方便)で衆生を救ってきたと信じるものにとっては、釈迦が法華経を説いたのが「方便として涅槃を示して見せた」時期より後となるか前となるかは、法華経が「非釈迦説」であるかどうかとはつながらぬ問題かと思いますが。

ううむ。私が「非釈迦説」といえば、それは当然「歴史的個人としての釈迦=ゴータマ・シッダールタ」ということに自然になってしまうのですが、法華経を信ずる立場からすれば、もうその時点で認識が食い違ってしまうわけですね。
となると問題は、法華経が上で言う「釈迦説」か「非釈迦説」かで論ずるのではなく、法華経の記述を『象徴』として把握するか、あるいは法華経的世界は実在しており、「法華経」自体はその実在する世界を報告し伝えるものととるか、の違いになりますか?
前者の立場は、法華経はゴータマが説いたわけではなく、「釈迦牟尼」の名を借りつつ神話的な形式で誰か他の者が説いたものであるが、その思想的内容には真実性があり、神話的要素を差し引いてその「思想性」をとらえるべきだ、ということになろうかと思います。この場合「釈迦牟尼」はあくまで歴史的個人としての「ゴータマ・シッダールタ」であり、我々と同じ人間だったという見方と矛盾はしません。私が法華経に対してとりうる立場は、これです。
後者の立場は、法華経に書かれた出来事は文字通り真実であり、クシナガラで入滅した「ゴータマ・シッダールタ」も実は「方便として涅槃を示して見せた」だけのものであって、実際は「久遠実成の仏」として現在もなお実在している、ということになろうかと思います。つまり、「釈迦牟尼」は我々が考える「人間」とは違うものだ、ということになるでしょう。
ナランツェツェグさんは、上で言うならどちらの立場に近いですか? それとも、上記二つの立場以外の姿勢をおもちなのでしょうか? 不躾な質問で恐縮ですが、よろしければご返事お願いします。




805 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 02:51
殺意を抱いてしまうのは、仏法的に言うとどのような問題が
ありますか?池田先生を殺そうとしたと開き直る恐い人が
この板にも出没しています。そのような人に対して取るべき態度と
いうのはどのようなものでしょうか?


806 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 02:54
もともとさん

ありがとうございます。「的確なつっこみをおねがいいたしますね」という言葉に甘えさせていただいて、的確かどうかはともかく、とりあえずつっこまさせていただきます。おっしゃることの主旨はわかるつもりですが、あえて出させていただく疑問です。

>南無妙法蓮華経が成仏の本因とされる考え方については(中略)
>覚悟が成仏つまり悟りを得るためには不可欠だ、と言いたいのではないでしょうか?

一応「仏性」「如来蔵」の概念の「辞書的」な意味はある程度は分かっているつもりではありますが、ちょっと「教義的」アプローチはおいといて、生活実感的なところで少しお聞きしたいのですが。
例えばもともとさんが「仏性」と言う場合、「人の心を慮れる」「常に穏やかで優しくいられる」「慈悲の心が豊かだ」等といった、世間一般で言う「善良な性質」をさして「仏性」といわれるのでしょうか。そして「仏性を咲かせる」とは、そうした性質が人格全体に具現することを指すのでしょうか。
もしそうだとすると、「南無妙法蓮華経」はそうした方向での人格陶冶を目指すぞ、という「決意表明」あるいは「信仰告白」的なものになってくると思うんですが、だとすると「南無妙法蓮華経」が「成仏」の「因」であるとは、(定義のしようにもよりますが)あまり言えないような気がするんです。あくまで重要なのは人格陶冶のための個人の努力、ということになるでしょう。また、「法華経」は「みんな必ず悟れるよ」ということを言うので、「励まし」の意味を強く持つということになるでしょうが、努力の具体的方策についてはあまり書いていないものであるので、率直に言うと「悟り方指南」としては決して最重要なものではない、と感じてしまいます。
この辺の疑問は、文底さんのおっしゃる

>もっと極論を述べれば、それ(悟り方指南)は「宗教」と言う「命題」を必ずしも必要としない手順においても手に入れられると考えるのですが如何でしょうか?

というのとほぼ同内容になると思います。
こういう所はきっともともとさんも普段からよく考えておられると思うんですが、その一端を「感想」という形でも書いていただけるとうれしいです。決して「議論」をしようというわけではありません。ただ私のような無信仰者の陥りがちな一つの疑問として受け取っていただければと思います。




807 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 02:55
>>805サクラちゃん、よちなちゃい。仏法知らないからって。も〜
迷惑かけないで、いいこだから。あっちいってなちゃい。おかしあげるから

このスレッドの皆ちゃん。創価学会員ちゃんの一部のしつけの悪い子が
迷惑かけまちた。ごめんなさい、二度とないように叱っておきまちゅ。('ー'*)


808 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:11
殺意を抱くっていうのは仏法的にはどうなの?
殺意を抱かれた人が本物だからこそだと思いますけどね。


809 名前: >808 投稿日: 2000/07/23(日) 03:34

しかし、カルトキチガイは醜い。
心の芯まで腐りきってる。
これが宗教者か?




810 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:45
>809
殺そうと本気で思った人(本人の証言付き)を擁護する反創価の
方が醜くて心の芯まで腐っているのだと思います。


811 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:49
喧嘩する時なんか「殺してやろうか」とよく思いますけどね。
こういうのもいかんのかな?口汚くののしるのはよくても。


812 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:51
あと
「殺してやろうか」

「殺してやる」

微妙に違う気がします。

どない?



813 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:52
>喧嘩する時なんか「殺してやろうか」とよく思いますけどね。

うわっ、出た!反創価の開き直り。
恐いなあ。反創価の人とは現実には論争できませんね。
殺されてしまいますよ。



814 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:56
犬策が殺人を示唆したのはどうなったの?


815 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 03:57
幼稚園児の学会員ちゃんはもう寝ようね('ー'*)
先生とこのスレッドの常連さんが眉間に皺よせちゃうわよ☆


816 名前: Arex 投稿日: 2000/07/23(日) 04:00
ありとあらゆるスレッドに個人攻撃のネタを脈絡無く書き込む・・・。

こういう行動を創価学会の人間がとったと聞けば、
例のビラ撒きも「さもありなん」で納得出来てしまうだろうね。

せめてマトモにやってるスレッドに手を出さない程度の自制心は無いのか?



817 名前: >813 投稿日: 2000/07/23(日) 04:06
マジで?
ほならもう家こんといてな?

ひつこうてこまっとるンや。

前に一度退治したのに しらんのか こりんとまた来よるねん。
ほんま たのんまっせ。



818 名前: もともと 投稿日: 2000/07/23(日) 04:14
むぅ、、は、早い(笑)。なるほど、なるほど。
なんいうか、物事を考える時に画一化して考えてしまうからからでは
ないでしょうか?。つまり、「宗教」として、一括りにしてしまうと
いうか。たしかに、「宗教」と定義づけられたもの、と言う視点から
かんがえれば、どの宗教にも類似性がみられます。そういう意味なら
私は、宗教を使わなければ悟りに至る事はできないとは、思いません。
佛教の中に書いてある八正道は、別に宗教を信じていなければ、心が
ける事が出来ないわけでは、ありませんから。絶えず、己を客観的に
見る事を(しょせんは主観という事になってしまいますが)つねに、心
がけながら己を磨いていけば良いだけの事ですからね。それを、どん
な人でも、悟りに至る事が出来るといってるのではないでしょうか?。
 きっと、日蓮関連の書物を読まれたなら、出てきたと思うのですが
「行学の二道」という言葉が出てきます。これは、私が思うに「常に
理解する知恵を付ける事を心がけながら、仏の道を歩みなさい」とい
う意味が篭ってるのだとおもうのです。つまり、「妄信的に唱題しな
さい」とは、言ってないと。ご存知でしょうが、唱題(いわゆるおつ
とめ)は、毎日します。それは、つねに妙法蓮華経を懐いて、生きて
いると、確認する作業という事だと思うわけです。それによって、
反省し次に生かす。この事が重要なのではないでしょうか?。その事を
忘れない為に、唱題を重く位置付けたのではないかと思います。
 そして、仏性についてですが、今回の第七さんのいっているのは、
ごく表層的な仏性だと思います。まず、悟るという状態ですがよくいわ
れるように、この世の中すべて(正直どう表現すべきか解りませんが)の
法則を、理解することが出来た状態が第一段階らしいです。この世の全
ての基本的法則を理解する、というのはつまり宇宙と一体となる事と、
(宇宙と一体であったことでもいいですが)を正しく認識する、状態のよ
うです。仏性とはつまり、まえに書いたように人が次、あるいは最後の
段階へと進むための何かだと思うのです。それは、他人にすがって開く
ものではなく、あくまで自分で開くべきもの。逆にいえば他人が開ける
ものではないのです。
 うまく考えが文章になりませんが解答になってますでしょうか。ここ
らへんの板では、創価学会のおかげで日蓮も、法華経も不当にひくく評
価されてて、悲しくおもっていました。まぁ、安易に現世利益をうたっ
てしまった(うたっていると思われてしまった)事が、原因でもあります
が、ね。これからも、この板のように意見が交換できることを、楽しみ
にしています。



819 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/23(日) 04:16
813って
いつぞやオウムの早川が報道陣にたいして押されてもいないのに
「いたい!いたい!いたい!」と絶叫しているのを思い出させるな。
コントじゃん。


820 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/23(日) 09:23
第7の外道さん<

法華経はやはり難信難解ですね、私は第7の外道さんと比べたら法華経を読んでい
ないに等しいので、第7の外道さんの疑問には到底答えることができそうにありま
せんね。第7の外道さんのここまでのご理解に誤りがあるという印象は持っていま
せん。
ご質問への解答に次の一文はヒントになりませんか・・・
「その化道の方法は五仏(十方諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏)同道である
ことを示し、必ず三乗をもって衆生の機根を調熟し、最後に一乗の法を説いて、仏
の出生の功徳を示しているのである。」
化城喩品の内容(因縁周への正説)も固有名詞を替えるなどして説かれるのではない
でしょうか・・・



821 名前: やーっぱり〜カルトは〜ぁぁ 投稿日: 2000/07/23(日) 09:33

日蓮宗〜♪

そうかそうか

全員死ね〜♪





822 名前: ナランツェツェグ 投稿日: 2000/07/23(日) 11:55
えと、私は日朗上人の系統の末寺の檀家の者ですが、仏教の教えにふれる入り口としては チベット仏教から入り、また、モトモトさんとは異なり日蓮宗の教えそのものの知識には乏しいので、日蓮宗一般で信じられている内容とは違うことをいうかもしれませんが、あらかじめご承知ください。

>第7の外道さん
このテーマを議論するのに、ある程度は参考になりそうな観点を紹介できそうなので、しばらくおじゃましたいと思います。

以下は、文献学者の「大乗非仏説」説を熟知してなお動じない人々の理屈を「私はこのように理解した」という立場で述べます。

第7の外道さんが挙げられた二つの立場を整理すると、

○「法華経の記述を『象徴』として把握する」立場
 >法華経はゴータマが説いたわけではなく、「釈迦牟尼」の名を借りつつ神話的な
 >形式で誰か他の者が説いたものであるが、その思想的内容には真実性があり、神
 >話的要素を差し引いてその「思想性」をとらえるべきだ、ということになろうかと
 >思います。

○法華経的世界は実在しており、「法華経」自体はその実在する世界を報告し伝えるものとみなす立場
 >法華経に書かれた出来事は文字通り真実であり、クシナガラで入滅した「ゴータマ・シッ
 >ダールタ」も実は「方便として涅槃を示して見せた」だけのものであって、実際は「久遠
 >実成の仏」として現在もなお実在している、ということになろうかと思います。つまり、
 >「釈迦牟尼」は我々が考える「人間」とは違うものだ、ということになるでしょう。

前者は、自分の浅薄な基準で経文を勝手に「真・偽」に弁別するということですから、「法華経」に限らず、他の経典に説かれたものも含めて、仏の教えを「信仰する者」としては、それぞれの経典に対して後者のような立場をとることになるでしょうね。

>「釈迦牟尼」は我々が考える「人間」とは違うものだ、ということになるでしょう。
はい。「覚者」と衆生・有情・凡夫・・・とは当然ちがいます。ただしそれは、「釈迦牟尼」がある時期のインドに方便として出現させた
「ゴータマ・シッダールタ」が生物学的に人類の一員であったこととは矛盾しない。


823 名前: ナランツェツェグ 投稿日: 2000/07/23(日) 12:04
「自分の浅薄な基準で」
ああっ!
この部分、第7の外道さんの今までの議論を「浅薄だ」といおうとしたのではなくて、信仰者にとっては、覚者の深く深奥な教えは、その生涯限りで消滅してしまう程度の凡夫の知識で弁別しようとすることなどは、僭越なだけだ・・・といおうとしたものです。


824 名前: 文底 投稿日: 2000/07/23(日) 13:14
愚乱破さん

色々な御立場の方々が現れて、このスレも一層充実(混沌?)してきましたね、これも、愚乱破さんの真摯的御説明の賜物だと感じ、感謝しております。

>寿量品で釈迦は 我實成仏已来 無量無辺と久遠実成を明かされました。(中略)
>釈迦が修行した菩薩道こそが南無妙法蓮華経でこの法を所持れる師がそれより遥か昔の久遠元初の無作三身如来であるというのが学会教学です。 (後略)

久遠実成と久遠元初が出て来ましたね・・・・
「久遠実成」が「寿量品」で明かされたと言うのは、文献的に「法華経」を論議上の一定義として認識すれば、納得できます。
しかし「久遠元初」の「無作三身如来」が「日蓮」である定義となる文献は、どの辺りの文献を拠り所とすれば、定義付けられるのでしょう?
私は、この定義付けこそ「文底」から読み取った「一判断」だと類推するのですが如何でしょうか?
それとも「文上」に具体的定義付けとなる経典がありますでしょうか?
日蓮自身の文献では「主観的」となってしまいますので「天台」辺りまでの経典の中で、その定義付けとなリ得る一文を挙げて頂けると非常に日蓮仏法が「明確化」されますので宜しくお願い致します。

後、報恩鈔の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」との文献的「人本尊」に対する「法本尊」の文献的教判はどの辺りの経典を拠り所とすれば良いのでしょうか?(なるべく客観的文献にてお願い致します)
この定義付けも又「文底」から読み取った「一判断」だと類推するのですが如何でしょうか?
これは、以前愚乱破さんが述べられた、

>総別は相対的なものであるから、別判のなかにも、さらに総別が論ぜられて、究極の別判は三大秘法の大御本尊に到達するのである。

との御説明の中にもさらりと述べられている「相対的」なものを拠り所とした「究極」の別判を下す理由付けとも密接に結びついております。

ただ、上記のような伺い方は「文底」から読み取った事象を「全て間違いである」と「誘導している」との誤解を招きやすいのですが、愚乱破さんの信ずる「日蓮仏法」を否定するためではなく、自分自身の認識を再検証したい為であると御理解ください。


825 名前: 文底 投稿日: 2000/07/23(日) 13:16

第7の外道さん

何だか第7の外道さんに直接レスをつけるのは、久しぶりのような気がします。
猛暑(場所にも寄りますが)が続いておりますが、お元気でしょうか?
このスレは本当に多岐に渡る論議があり、本当に為になります。(若干第7の外道さんの仰るように「恐竜化」しつつありますが・・これは私の愚見が原因でもあります)
愚乱破さんのお陰で、学会教学の本質を教えて頂き、私自身勉強をさせて頂いている所です。

>今話題になっている「大通智勝仏」ですが、この人(?)が十六人の王子に説いた「法華経」や、その王子たちが「無量億」の人々に説いていた「法華経」の中身とは何なのでしょうか?

いやぁ、これは私も最も知りたいところでして、現在、愚乱破さんと文献的教義解釈における定義付けの擂り合わせを行っている所です。
出来得れば「私見」ではなく、客観的事象において、何らかの「定義付け」が出て来れば有意義だと思っておりますが、愚乱破さんが私のウザイ質問に辟易して、文献的教義を「文底」で「身読」されたと結論付けられるのが一番危惧する点です。

大通智勝仏さん(様)に会って伺うのが一番なのですが・・・・
なんせ久遠の昔の方なのでちょっと無理ですね・・

何れにせよ、第7の外道さんもご遠慮無く横レス下さい。大歓迎です。



826 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 14:58
もともとさん

レスありがとうです。おっしゃることの主旨はわかるつもりですが、個人的には「日蓮」を相当に柔軟にとらえてらっしゃるなぁと思います。もともとさんのおっしゃるところからすると、他宗派や他宗教を「謗法」とするような発想は出てきそうにないですね。

ただ

>まず、悟るという状態ですがよくいわれるように、
この世の中すべて(正直どう表現すべきか解りませんが)の
法則を、理解することが出来た状態が第一段階らしいです。この世の全
ての基本的法則を理解する、というのはつまり宇宙と一体となる事と、
(宇宙と一体であったことでもいいですが)を正しく認識する、状態のよ
うです。

ですが、私のような者はここにつまずきます。この種の話題については以前文底さんと相当長期にわたって議論したことがありました・・・「この世の全ての基本法則」というのは、たとえ分かったところでそれを概念によって表現することはできず、結局本人が「わかった」と信ずるか、既に確実に知っている(と信じられる)人が「おまえは分かっているね」と承認するかしかないものだ。だとすれば、ここでいう「法則」とは「思いこみ」「妄想」との区別が本質的につけられず、事実上意味のない、全く空虚な言葉になる・・・というような主旨のことを私は言ったと思います。ここでその議論を繰り返すことはできませんが、私には「仏性」という概念は概して、「意味はよく分からないし、また『凡夫』には分かり得ないものだが、とにかく『それはある』と信じなさい」という論理と相関的なものである、という印象を持っています。つまり「仏性」概念と「信仰第一主義」とは関連が深い、という感想です。しかしこれは今だ「感想」の域を出るものではなく、つっこまれると困るのでつっこまないでください(笑)。




827 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 14:58

ナランツェツェグさん

>第7の外道さんの今までの議論を「浅薄だ」といおうとしたのではなくて

ふふふ(笑)。いえ皮肉ではなく、別にそう見られても結構ですよ。ただこの件については、やはり私は望んで「浅薄な」立場に固執することになりそうです。

>前者(=象徴的解釈)は、自分の浅薄な基準で経文を勝手に「真・偽」に弁別するということですから、

私は、たとえ結果的に「浅薄」になり、「その生涯限りで消滅してしまう程度の凡夫の知識」に終わろうとも、人は自分の頭で、自己責任において物事を問い、答えを見つけ、理性を通じて自己の主張の説得力を獲得していくべきだという立場です。もちろんその時に言う「自分」とは、有限の寿命と能力しか持たない、「凡夫」としての自分です。そういう私が仏教に対して持つ最大の関心事は、ゴータマ自身が我々と同じ有限な人間でありながら、しかもなおその有限の人生の中で「涅槃寂静」を達成した、というところにあります。そして私は、仏教を「有限の存在である人間が、その有限性を前提としながらも『苦』を滅して『心の平安』を達成するための思想である」と個人的に定義しています。この点に仏教の、他の「宗教」に対する決定的な違いがあると思っています。それを捨てるのなら、私は仏教に対してそもそも好事家的関心以上のものは持つことがなかったでしょう。
「釈迦牟尼」が我々人間と違った、一種「超人」的な存在であることを信じられるようであれば、私はとっくに「イエスはキリストである」とか「宇宙は神が創造した」とかを信じる立場になっていたことでしょう。それをせずに(できずに?)ふらつきまわり、果てはマルクシズムまで経由しながら、やっとやってきたのが仏教、いわゆる「初期仏教」「根本仏教」だったわけです。

こうした者が相手では話しても仕方ない、と思われるのであればやむを得ませんが、そうでなければ今後もしばしお付き合いください。少なくとも私は、自分には納得できないからといって、他人の信仰を「妄想」等と断定する立場はとりませんし、立場が違うから対話しても無意味だ、とも思っていません。




828 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/23(日) 14:59

愚乱破さん

>「その化道の方法は五仏(十方諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏)同道である
ことを示し、必ず三乗をもって衆生の機根を調熟し、最後に一乗の法を説いて、仏
の出生の功徳を示しているのである。」

ということですと、主旨はやはり「唯、仏乗をもってのみ滅度することをえ、更に余乗なければなり」という感じなのでしょうか? すると「仏乗」あるいは「一乗の法」の中身自体は、やはり説いていないと見るべきなのでしょうか・・・?

>化城喩品の内容(因縁周への正説)も固有名詞を替えるなどして説かれるのではない
でしょうか・・

というふうにとらえるのが筋だろうと私も思ったのですが、するとたとえば「寿量品」も、当然「釈迦牟尼」ではなく「大通智勝仏」が「久遠実成」の仏である、として説かれたのでしょうか…? むぅ。頭が破裂しそうだ・・・。

文底さん

こうして休みの日だと余裕もってレスもつけられるのですが、ウィークデイは結構悲惨です。返答が不定期になると思いますが、よろしければ参加させてください。

>いやぁ、これは私も最も知りたいところでして

同感です。結構ここを突き詰めていくと、事の本質が見えてきそうな気配すら感じます。




829 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/23(日) 21:01
文底さん&第7の外道さん<

日蓮仏法の核心に迫ってきている気がしますね・・・

> しかし「久遠元初」の「無作三身如来」が「日蓮」である定義となる文献は、
> どの辺りの文献を拠り所とすれば、定義付けられるのでしょう?
> 私は、この定義付けこそ「文底」から読み取った「一判断」だと類推するので
> すが如何でしょうか?

私もそのように思ってはいますが、三世諸仏総勘文教相廃立に「釈迦如来・五百
塵点劫の当初・凡夫にて御座せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に
悟を開き給いき、後に化他の為に世世・番番に出世成道し在在・処処に八相作仏
し・・・妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して其の中に四十二年の方
便の諸経を丸かして納れて一仏乗と丸し人一の法と名く一人が上の法なり」とあ
るので、この前後にご説明がなされているのでしょうか・・・

> 後、報恩鈔の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」との文献的「人本尊」に対す
> る「法本尊」の文献的教判はどの辺りの経典を拠り所とすれば良いのでしょう
> か?(なるべく客観的文献にてお願い致します)

観心本尊抄が法本尊開眼の書と言われているのはご存知だと思いますが、送り状
に「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及
ぶとも三人四人座を並べて之を読むことなかれ」とありますので、ここでのべる
のが適切かどうか判断できないのですが・・・

・・・この辺まできますと私には説明が困難です・・・それに私が拙い説明をし
て良いのかという迷いもあります。


830 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/24(月) 11:55
 少しかき込まない間に、非常に面白く、内容の濃い議論が展開されたようですね。法華経に関しては僕も留保しているところですし、一番の関心はそこですから、いろいろとレスしたいのですが、今は読んでいく内に思った疑問点・感想だけあげておこうと思います。後ほど、詳しくかき込むつもりです。


>弥勒さん
>しかし結集の時に 言葉ゲームのように意味が違って解釈された可能性もある。
>結集である限り、疑惑は晴れない。

 大乗教典は教典結集によるものでなく、基本的に歴史的な出所が不明のものであると思っていたのですが・・・。
 部派仏教までは、釈尊の思想の展開とみなせると思うのですが、大乗教典の内容から考えても、従来までの経を「深読み」した程度の飛躍ではありえないと思っています。


>ナランツェツェグさん
 はじめまして。仏教に関して博識な御様子ですね。僕はこのスレッドでは最も知識のない方なので、よろしくお願いします。
 「大乗非仏説」という言葉は、「大乗教典は釈尊の説いたものではないという説」を意味する用語で、確かに誤解をまねきやすいものであるので、今後は必要性のある場合をのぞいては使うことを控えようと思います。昔は(一部の例外を覗いて)基本的に仏典は釈尊の金口直説であると信じられていたので、こうした用語が使われていたのでしょう。
  ナランツェツェグさんの説明してくださった、「仏説の定義」や、釈尊の方便現涅槃に対する説明こそ、僕は「止揚」といえるのではないかな、と思っています。


>愚乱破さん
>私は総じては「理論上は、一般的には」別しては「実際上は、厳密には」という様に読み替えて考えてみてます。

 僕も基本的には愚乱破さんの考えと同じなのですが、「宗教の五綱(経・機・時・国・教法流布の先後)」によって、場合によって正しい宗教は変わることを認識していた大聖人のことですから、「別して」は、「今の場合は」という意味なのではないかと思っています。

総じて:重力加速度は、その星の半径の二乗に反比例し、その星の質量に比例する
別して:地球においては、9.8 m/s^2 である

 「宗教の五綱」は非常に分析的なとらえ方であり、感心する点なのですが、それだけに、「日蓮仏法は、末法の世である今においては、全世界、未来永劫に正しい」という創価学会の考え方に違和感を抱いています。


831 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/24(月) 11:58
>もともとさん
>「南無妙法蓮華経」の、解釈についてです。まぁ、ここまで詳しい勉強をなさっている皆さんですから、常識なのかもしれませんが「南無」は帰依する、「妙法蓮華経」は蓮華のごとく生きる方法って事ですよね。

 はじめまして。様々な立場の人が加わるごとにより有益な議論になると思いますので、大変嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
 僕は、 「南無妙法蓮華経」は、「法華経に帰依いたします」という意味に思っていましたので、もともとさんの解釈には多少違和感を感じます。「妙法」は「正しい法」の意味で、「蓮華」は、悪世に、人々を救うため、自ら請願して世に現れた、釈尊や地涌の菩薩を象徴した言葉と思っています。


>みさき23区さん
 大変詳しく徹底的に調べられているようで、本当に感心します。昼行燈さんとの有意義な議論を期待しております。


832 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/24(月) 13:55
ひゃっきまるさん<

> 「宗教の五綱(経・機・時・国・教法流布の先後)」によって、場合によって
> 正しい宗教は変わることを認識していた大聖人のことですから、「別して」は
> 「今の場合は」という意味なのではないかと思っています。

たしかに、そのほうがしっくり来るケースが有りますね。ありがとうございます。

> 「蓮華」は、悪世に、人々を救うため、自ら請願して世に現れた、釈尊や地涌
> の菩薩を象徴した言葉と思っています。

私見ですが、南無妙法蓮華経は御本尊の固有名詞なので言葉の意味を考えること
が重要とは思わないのですが、敢えて考えてみると・・・

 妙法蓮華経は法華経の題目で、ここには法華経の一切が含まれている。
 また妙法蓮華は因果具時の不思議な法に付けられた名前である。
 或る草花がこの妙法蓮華に似て、泥の中にあって清浄な花と実を同時に持つこ
 とからその草花を蓮華と名付けられたのである。

・・・というように理解しています。


833 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/24(月) 19:39
>愚乱破さん

 ずいぶん遅くなりましたが、レスします。

>> もともとは修行によって悟る(成仏する)ことが目的であった仏教が、大乗仏教においては、絶大な救済力をもつ仏に救われるための信仰になっているようです

>大乗仏教は皆そうですか? 私の理解では浄土宗のような他力本願でない宗派は修行によって悟ることを目的にしていると思うのですが?

>> 法華経ではその救済の方法自体が、法華経によって成仏することなのですが、やはり、釈尊という仏と、他の仏は完全に違う存在として書かれています。

>法華経の他の仏というのは? 「完全に」違う存在とは?
>私には仏すら良く解かっていないので、もう少し説明していただけるとありがたいのですが・・・
>ここで釈尊と釈迦は同義に使っておられますか? 日蓮大聖人は久遠実成の釈尊の師を教主釈尊と仰せられたりするようで、良く理解できていないのです。


 天台大師の法華経の「分科」(教典の構成を序分、正宗分、流通分の三つに分け、仏の説法の意図を理解すること)では、御存じだと思いますが、「一経三段・二経六段」という独特な分け方になっています。これは、法華経全体を三つの部分に分ける(一経三段)と共に、前半十四品と後半十四品をそれぞれ三つに分ける、というやり方です。なぜこんなことが必要だったのでしょうか。

  前半十四品は、釈尊は他の仏から迹(あと)を垂れた迹仏であることを明かしているから、「迹門」、後半十四品は、釈尊が久遠の本仏であることを明かしているから、「本門」となっています。
 単純に化城喩品(迹門)と如来寿量品(本門)の内容をくらべると、矛盾が出てきます。

 化城喩品で、「釈尊は三千塵点劫という遥かな過去にいた、大通智勝仏の十六人目の王子であり、このとき修行して成仏した」ことが明かされているのに、

 如来寿量品の冒頭で、
「あなたたちは私(釈尊)が今世ではじめて釈迦族の宮殿を出て、ガヤーの町の近くにある道場に座して、成仏したと思っているが、実は、遥か過去にすでに成仏しているのですよ」(すごく端折ってしまってますが、ご了承下さい)
 と言っているのはかなり奇妙です。
 そして、釈尊が成仏してから経過した時間は、五百塵点劫という、三千塵点劫とは及びもつかない長遠な時間で、これも、化城喩品の内容とは異なっています。ここで、 五百塵点劫が、文字どおりの有限な数字であるか、または、「永遠」を表現した数字なのか、という議論があると思いますが、日蓮大聖人は「永遠」という解釈をとっていたと思います。釈尊は未来においても、過去の時間の二倍も寿命をもつというので、釈尊は過去においても、未来においても、永遠にあり続ける、ということです。

 おそらく、天台は、本門と迹門は、別々の教典として理解した方がいいのではないか、と思って、分けたのではないかと思います。化城喩品では、釈尊と衆生の過去世の因縁を説く、という文脈で、如来寿量品では、(僕なりの言い方をすれば、)「神としての釈尊」を説く、という文脈で、過去が語られています。どちらが正しいか、というよりも、「何が言いたいのか」に注目するべきなのでしょう。日蓮仏法においては、迹門と本門の関係はややこしかった気がするのですが、どうなのでしょう?
 「教主釈尊」とは、如来寿量品で説かれる、「久遠実成」の釈尊のことだと思うのですが、日蓮大聖人= 教主釈尊 というのはどこからきた解釈なのでしょうか? 少なくとも大聖人自身はそう思っていたとは思えないのですが・・・。


834 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/24(月) 19:43
(続きです)
 法華経には、とにかく無数の仏が登場しますが、僕が、「釈尊は他の仏とは完全に違う存在である」ということを言ったのは、まさにこの如来寿量品の部分です。

1・過去にも未来にも、永遠の寿命をもつこと
2・常に娑婆世界で説法教化して、衆生を救ってきた(救っている)こと
3・真実には滅しないが、衆生を救う手段として、涅槃に入るようにみせかけること
4・信仰のない者には、神通力で釈尊の姿が見えないようにするが、真実の信仰のある者には、釈尊と弟子達が霊鷲山にいて、常に説法している姿を見る事ができること

 また、様々な譬喩では、仏が父親役、衆生が子供役となって、父親が様々な巧みな手段で、子供を救う話になっています。こうしたことで、僕には、法華経で説かれる釈尊は「神」のような存在で、衆生を「救う」という役割をもっている、という風に思います。もちろん、救う手段は、単に与える、という類いのものではなく、子供(衆生)に自発的な成長を促すというようなものですが(だから他力本願というのとはちょっと違います)。

 あと、「地涌の菩薩」と「仏」の関係について、書きたいのですが、今日は疲れたのでまた今度にします。難しい内容になると舌足らずになってしまうので、うまく説明できたかどうかわかりませんが、御容赦下さい。ところで、疑問なのですが、法華経で釈尊は永遠の存在だと捉えられているのに、日蓮仏法では釈尊に帰依してはならず、日蓮大聖人に帰依しなければならないのはなぜなのでしょうか? この辺も以上に述べていった内容に関係しそうですね。


>私見ですが、南無妙法蓮華経は御本尊の固有名詞なので言葉の意味を考えること が重要とは思わないのですが、

 僕も、信仰者の立場では名前に重要性はないと思っています。もしあったとしたら、もしかしたらサンスクリット語で唱えなければならないかもしれませんし(^^)。


835 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/24(月) 19:44
ここで、こういう知識をひけらかしている輩って、
信仰を実践ととらえていないんだろうな・・・
人生に生かさねば、その信仰も無意味だろう。
つまり、このスレッドは意味無し!


836 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/24(月) 19:47
>第7の外道さん
 「法華経」という言葉が、何を指しているのか、難しい問題ですね。
 僕ははじめ、

序品では、日月灯明如来が六十小劫かけて法華経を説いていたとされているし、
化城喩品では、大通智勝仏が八千劫かけて、恒河沙(ガンジス川の砂の数ほど多い数の意)の偈の法華経を説いていたとされているし、
常不軽菩薩品では、威音王仏が、二十千万億の偈の法華経を説いたとされているので、

 僕らが法華経と呼んでいる、二十八品は法華経ではなく、「法華経を讃えた経」ではないかと思いました。本当の法華経は、長遠な時間、膨大な偈で説かれるはずですから。また、 二十八品に、成仏する方法について、内容らしい内容がないのも、そんな感じがします(一応、菩薩乗だということだけは分かるのですが)。
 しかし、序品は、これから法華経が説かれるぞ、という内容だし、普賢菩薩観発品では、法華経が説き終わりました、という内容が結びにあるので、やはり二十八品も法華経と考えなければいけないようです。
 如来寿量品では、今でも釈尊は霊鷲山で説法をしているということなので、実は法華経は今でも完了しておらず、釈尊は説き続けている、という見方もできるかもしれません。


837 名前: 文底 投稿日: 2000/07/24(月) 20:31
愚乱破さん

沢山のレスが付いて大変になってしまいましたね・・・・
ひゃっきまるさんのレスの方が、以前の問題定義ですので、そちらを優先して頂いて構いません。
私との論議は御手隙の時で構いませんので、愚乱破さんご自身無理をなさらないペースで、あくまで有意義に楽しく進めましょう。

一応、前回の愚乱破さんレスの所見を述べておきます。

>三世諸仏総勘文教相廃立に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御座せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世・番番に出世成道し在在・処処に八相作仏し・・・(後略)
>この前後にご説明がなされているのでしょうか・・・

私自身も「三世諸仏総勘文教相廃立」の全文を見直してみましたが「久遠元初」「無作三身如来」との一文は、如何しても見つけ出す事が出来ませんでした(見落としていたら御指摘下さい)。
愚乱破さんが掲示された文献は確かに「本覚の如来は我が身の中に有りけり」や「三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり」等の如来・仏に対する一定義付けは拝察されます。
しかし、具体的一文にて「久遠元初」の「無作三身如来」が「自分自身」(日蓮)であるとの明言は確認出来ませんでしたが如何でしょうか?
逆にこの辺りに文献的教義解釈の「曖昧」「汎用」さが出てしまい、同じ日蓮仏法においても、主義・主張の違う「宗派」が生まれてしまう要因とも推察され得ます。
何れにせよ「三世諸仏総勘文教相廃立」に限らず日蓮仏法の教義全般を見ても、彼が「何か」を感じ「何か」を主張しようとしていた意図は十分類推できます。
しかし、上記事象でも見られるような「抽象的」論体では、日蓮の本意は「絶対何々である」と断言するには、あまりにも危険過ぎるような気がするのですが・・・如何でしょうか?

>「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人座を並べて之を読むことなかれ」とありますので、ここでのべるのが適切かどうか判断できないのですが・・・

日蓮仏法を信じていらっしゃる方なら、この一文を知りながら私見を述べるのは、躊躇われる事が理解できます。
ですから、観心本尊抄の教義の内容に付いての論議は差し控えましょう。
ただ「法本尊」の定義付けにおける「観心本尊抄」以外の文献等御座いましたら、御掲示下さい。
無論私見でも結構です。


838 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/25(火) 01:43
救急救命


839 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/25(火) 05:09
文底さん<

なんだかいそがしくなってきてしまいました。(笑)

> 具体的一文にて「久遠元初」の「無作三身如来」が「自分自身」(日蓮)であ
> るとの明言は確認出来ませんでしたが如何でしょうか?

ひゃっきまるさんとの論議にも関係しますのでこれだけ・・・
最初のご質問で日蓮大聖人の言葉でない文献がありますか?ということでしたの
で、答えられなかったのですが、私が信じている根拠ということなら・・・

御義口伝下「・・・されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の
宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」から無作三身如来=末法の法華経の行者です
ね。
で、御書の「末法の法華経の行者の先駆け=日蓮大聖人」を御謙遜であるとして
日蓮大聖人こそ末法の法華経の行者であるとするのが学会教学です。

三世諸仏総勘文教相廃立「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御座せし時我
が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世
・番番に出世成道し在在・処処に八相作仏し・・・」を解説して・・・
学会教学部辞典に「日蓮宗各派は天台に準じて五百塵点の当初を本果第一番の釈尊
であると立てている。しかし、当流の意は久遠元初名字凡夫位の御時をさして、
五百塵点の当初という。」とあります。
これから、釈迦如来=無作三身如来であり教主釈尊ということになりますので、
確かに御書に明言はないのですが、学会教学だとこういうことになると思います

ひゃっきまるさん<

より深い解説ありがとうございます。本当に難解ですねぇ・・・
「地涌の菩薩」と「仏」の関係がどうも核心になってきそうですね。

> 日蓮大聖人= 教主釈尊 というのはどこからきた解釈なのでしょうか?
> 少なくとも大聖人自身はそう思っていたとは思えないのですが・・・。

上で文底さんにご説明した通り、学会教学ではそのように解釈していると思いま
すが・・・。


840 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/25(火) 09:20
ひゃっきまるさん<

> 法華経で釈尊は永遠の存在だと捉えられているのに、日蓮仏法では釈尊に帰依
> してはならず、日蓮大聖人に帰依しなければならないのはなぜなのでしょうか?

仏教では永遠の命を説いてると思いますが、ひゃっきまるさんはこれを信じてい
ますか?
縁によって生じた身体は生死を繰り返している。従って歴史上の釈迦も生まれて
死ぬことを免れるわけではない。
久遠実成の釈尊の命は永遠で、過去世に法華経に縁をしているが得道できなかっ
た衆生を成仏させるために、インドに釈迦として生まれて教え(脱益仏法)を説い
た。
この教えは法華経に縁をしたことのない本未有善の末法の衆生には無益である。
末法には下種仏法が必要である。この教えは久遠元初に「大聖人」が悟ったもの
である。この教えを持って「大聖人」は日蓮としてお生まれになられた。
したがって、末法の私達は日蓮「大聖人」に帰依することにより得道することが
できる。
・・・というのがおおまかな学会教学の骨子になっていると思います。


841 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/25(火) 17:42
>第7の外道さん

>「空」についてのスレッドのことですか?
>「心と宗教」板でやってたのですが、今どこにあるのかよく分かりません・・・ただ、テキスト形式で保存して個人的に持っているヤツならありますが・・・。

 う〜ん、是非読みたいのですが、メールは恐くて使えませんしねえ(外道さんが恐いという意味ではありません)。ブックマークはしてないですか?
 昼行燈さんはどうでしょう?


>愚乱破さん
 レス、しばらくお待ち下さい。


842 名前: 文底 投稿日: 2000/07/25(火) 19:53
愚乱破さん

>なんだかいそがしくなってきてしまいました。(笑)

折角ですから、ゆったりと楽しくやりましょう。
それに、愚乱破さんにとりましては、大切な信仰ですので、私の突っ込み方に不適切な表現等がありましたら、何時でも仰って下さい。
愚乱破さんのお陰で学会教学の事が多少なりとも分かりました。(ありがとうございます)
此処で、文献的教義解釈を少し離れて、私的論議をしたいのですが・・・(大通智勝仏に付いて今検証中でして、それがある程度纏まりましたら、また、文献的教義解釈の論議をしたいと思います)

宗教に付いての愚乱破さんの御考えをお聞きしたいのですが・・
愚乱破さんにとって、

1、仏とは、一体何を指していらっしゃるとお考えでしょうか?
2、それは戸田氏が述べられた「生命」=「仏」でしょうか?
3、そうなると、他の宗教の開祖等が述べた「仏」「神」などは「生命」と言う定義付けでは不十分でしょうか?
4、また「生命論」であるならばそれは「一哲学的」命題と定義付けてはいけないのでしょうか?
5、現証論を論じるならば「唯一性」の科学的検証が不可欠なのですが「偶々」なのか「必然的」なのか、科学的に結論付けられないのが、現在の宗教の現状だと思うのですが如何でしょうか?
6、そうなると、自身の宗教の中にある「教義」が「他の思想・宗教」の方々との平和的共存に対し、非常に重要なファクターになると思うのですが、愚乱破さん御自身の信仰の教義が「他の思想・宗教」の方々との、平和的共存が可能だとお考えでしょうか?
7、もし、平和的共存が可能だと思われるのであれば、その根拠は何でしょうか?

以上7項目に付きまして、宜しければ愚乱破さんの私見をお聞かせ願えませんか?


843 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/26(水) 01:58
愚乱破さん、文底さん

今話題になっている『三世諸仏総勘文教相廃立』ですが、初めてこれを読んでみて驚きました。というのは、日蓮がこれほどあからさまに「本覚思想」を説いていたとは、この書を読むまで私は気づかなかったからです。
お二人は「本覚思想」についてはご承知でしょうが、一応念のため私の認識を書いておくと、「本覚思想」とは「衆生は本来既に覚っており、清浄な存在であるが、煩悩のためそれに気づいていないので、自分が本来覚りの叡智を備えているということを認識できれば解脱できる」という思想です。これは「一切の差別相は一なる真実在に帰着するし、逆に一切の差別相は一なる真実在から流出する」という存在論的認識と相関関係にあります。

「本覚」という語は『大乗起信論』から来た言葉のようで、日本天台で特に重視されたと聞きます(空海の真言密教の教理を受け入れて行く過程で、そうなっていったようです)。しかしこの発想(「本覚思想」の論理構造)自体は、広く宗教哲学全般に見られる発想で、もっとも目立ったものはウパニシャッド‐ヒンドゥイズムの「梵我一如」の発想でしょう。アートマンは本来ブラフマンと同一であるが、汚れた存在にはそのことが分からない。アートマンとブラフマンの一体性を認識できれば解脱できる、というロジックは「本覚思想」のそれとほぼ同等です。シャンカラの「不二一元論」は、そのロジックを洗練させたものだと認識しています。
また、ヒンドゥイズムを大胆に導入した密教がこれらと同じロジックを持っているのは当然で、「ブラフマン」を「法身仏=大日如来」とし、「梵我一如」を「即身成仏」と置き換えればそれがすぐわかります。
さらに、私は詳しくは分かりませんが、中国仏教(天台含む)は道教の「無」の思想を下地に、仏教全体を「本覚思想」と同じロジック(=仏性・如来蔵思想)でとらえている、という指摘も聞きます。
なおこの発想はアジアだけに限るものではなく、新プラトン主義(とその影響を受けたキリスト教神学)やドイツ観念論哲学の大枠を形作っていることは、特に文底さんには親しいところでありましょう。




844 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/26(水) 02:01

一応日蓮の『三世諸仏総勘文教相廃立』から、上記認識を裏付ける文を引用すると、

「十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有って片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて〜」
「〜本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」

上記例文の「本覚の三身如来」をブラフマン、「我が心/我が身」をアートマンと置き換えてみてください。

「凡夫は我が心に迷うて知らず悟らざるなり」
「生死の虚夢を醒まして本覚の寤(うつつ)に還るを即身成仏とも〜云ふ」
「己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり」
「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速やかに仏に成るなり」

これらは使われているタームは違えど、「梵我一如」の思想と同等の構造を持っています。

「此の心を悟り知るを名けて如来と云う之を悟り知つて後は十界は我が身なり我が心なり我が形なり本覚の如来は我が身心なるが故なり」・・・・・・・

「梵我一如」思想と限りなく近い意味で「悟り」が理解されています。




845 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/26(水) 02:01

この観点から、私は以下のことを考えました。
「三乗の相違は方便にすぎず、その実はただ一仏乗あるのみ」という、方便品以下で繰り返される命題は、らじゅう訳「法華経」を見ても、一仏乗の中身(ということは、「さとり」の中身)については特に何も語っていないように読めますし、またそう読むのが自然だと思います。ところが日蓮は、天台教学および日本天台の「本覚思想」を経由して、この命題の「三乗」を「現実の差別相」、「一仏乗」を「真実在(法身仏など)」と読み替えて、上記命題を「現実の差別相は仮のものにすぎず、その実は全て唯一の真実在に帰着する」というふうにも読んでいたのではないでしょうか? だとするとこの命題は、日蓮にとっては「さとり」の内容を直接に表すものでもあるとして解釈されていた、ということになります。




846 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/26(水) 02:06

そして

>「久遠元初」の「無作三身如来」が「日蓮」である定義となる文献は、
>どの辺りの文献を拠り所とすれば、定義付けられるのでしょう?

をめぐる問題ですが、「無作三身如来」とは人格的な存在、あるいは人(?)が悟りを得て成った「仏」ではなく、上で言う「真実在」にあたるものではないでしょうか? 従って「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御座せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」とは、釈迦が「自己は、この宇宙全体・真実在と同一のものであるに他ならない」とさとった、ということを表しているのではないでしょうか。(ちなみに、この「さとり」方は実に「梵我一如」的なものに、私には見えます。)
また日蓮が『三世諸仏総勘文教相廃立』で「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速やかに仏に成るなり」というのも、この意味での「さとり」を表しているのではないでしょうか。
だとすると、「『無作三身如来』が『日蓮』である」というのは、一面正しいがかなり誤解を招く文言であることになります。というのも、ここで「本覚思想」的ロジックが前提とされているのなら、「日蓮」が「無作三身如来」ならば、他のあらゆる存在者(釈迦・末法の法華経行者は勿論、草木なども含む)もまた等しく「無作三身如来」に他ならない、ということになるはずだからです。天地の万物が、「無作三身如来」なのです。

と、思いつきで一気呵成に書いてしまいましたが、こんなことは知っていて当たり前のことなのかも知れませんし、また逆にこれは荒唐無稽な思いつき以上のものには見られないのかも知れません。いずれにせよ、批判等受けようとも私自身まだ考えが固まっていないので何とも対応のしようがないのですが、それぞれのお立場からコメント等いただけると幸いです。(すぐにはご返答できないかも知れませんが。)




847 名前: くらくら 投稿日: 2000/07/26(水) 04:18
まったくの横レスです。

「三世〜」は古来より偽書説がありまして・・・。ま、日蓮も
天台本覚の波は浴びているそうですが、宗内ではどうも本覚タ
ームが出てくる御書は疑問視される傾向もあったようです。

今では真偽不明との範疇で少し距離をおいたスタンスで読まれ
ているような感じですかね。

日蓮の諸法実相抄などですと、凡夫がそのまんま本仏であると
いうところまで読めますので・・・。これまた真偽不明の御書
ではありますが、なかなか尊重されて用いられてます。


848 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/26(水) 05:04
文底さん<

> 折角ですから、ゆったりと楽しくやりましょう。

そうですね、それなりに緊張感はありますが楽しんでやってます(笑)

> それに、愚乱破さんにとりましては、大切な信仰ですので、私の突っ込み方に
> 不適切な表現等がありましたら、何時でも仰って下さい。

いえ、とんでもないです。これまでのやりとりで文底さんのお人柄は分かってる
つもりです、お気を使われなくて結構です。“心こそ大切なれ”ですから・・・

> 愚乱破さんのお陰で学会教学の事が多少なりとも分かりました。(ありがとう
> ございます)

こちらこそ、文底さんの巧みな誘導で少し仏に接近できたような気がします。

>(大通智勝仏に付いて今検証中でして、それがある程度纏まりましたら、また、
> 文献的教義解釈の論議をしたいと思います)

そうですか、文底さんの研究熱心さには頭が下がります。成果を楽しみにしてい
ます。

> 1、仏とは、一体何を指していらっしゃるとお考えでしょうか?
> 2、それは戸田氏が述べられた「生命」=「仏」でしょうか?

戸田先生の「仏」=「生命」もおそらく正しく理解できているとは思えませんが
ただ、生命自体が解かっていないので言葉を言い換えてもあまり接近できないで
すね。ですが最近ようやく少し解かったような気がしてきて、今はそのように考
えております。
私が今考える生命とは、生物の命に限らずこの宇宙の始まりとともに有って万物
の変転の根源に係わるもの(法則とは少し違う?)のような感じなのかなぁって気
がしてます。
エントロピーが無秩序に向かっているのとちょうど反対のような・・・そんなも
のを生命と呼ぶかどうか解かりませんが(笑)

> 3、そうなると、他の宗教の開祖等が述べた「仏」「神」などは「生命」と言
>   う定義付けでは不十分でしょうか?

ですので、「神」のように外側から世界を操作するようなものではないのではない
でしょうか?
他宗派の「仏」も色々ですが、生命だと言ったら他宗派が納得しないでしょう(笑)

前に「仏」とは“立派な人”と言ったのですが、今思うのは仏が縁によって地球
上に迹仏として生じた時には立派な人として振舞うと考えたいと思います。
ちょっと、論旨不明になってきましたね(笑)
今回はここまでにしておきます。突っ込みよろしくお願いします。


849 名前: イワン 投稿日: 2000/07/26(水) 05:25
横レスな上に、お馬鹿な疑問なんですけど、成仏して
輪廻の輪から解脱した魂は何処へ行くという教えなのでしょう?
キリスト教のような天国の概念はないですよね。丹波哲郎氏のような
電波な答えでもないでしょうし・・・。「久遠元初」たる日蓮さんは
今の時点ではどこにいるのですか?この世に生まれているのなら
輪廻の輪からは脱していないことになりますよね?
ついでに思い付きましたけど、数億年の後、この太陽系自体が
消滅することは、星の運行上避けられませんが、そのとき地球の
生物の魂が存在すると仮定して、どこに行くのでしょう?
何か、日蓮さんは語っているのでしょうか?
ド素人がハイレベルなスレッドに失礼なことは分かっていますので
お手隙の時にでもお願いします。


850 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/26(水) 13:11
>第7の外道さん

>「本覚思想」とは「衆生は本来既に覚っており、清浄な存在であるが、煩悩のためそれに気づいていないので、自分が本来覚りの叡智を備えているということを認識できれば解脱できる」という思想です。

 今、くわしく答えられないし、僕の大きな勘違いなのかもしれませんが、おおまかに述べさせてもらいます。
 日蓮大聖人は、末法の衆生は全て「地涌の菩薩」であると思っていたと思います(だから、御自分を地涌の菩薩の代表である上行菩薩だと認識していたことは、極めて自然です) 。地涌の菩薩は、法華経では、もともと悟っていて、そのままでいれば空の境地でいられるのに、しかし世の衆生を救うために自ら請願して、果報を捨て、わざわざ悪業を受けて、悪世に生まれてくる存在です。
 もともと清浄な存在なのだから、長い修行も必要無いし、もともと悟っている存在なわけです。
 こういう解釈は、おそらく日蓮大聖人がはじめてだったのではないでしょうか。故に、「唯一身読(自分の身として読んだ)された」ということなのだと思います。
 ただ、そうすると、「下種」仏法の考え方と反してしまうので、僕の勘違いかも知れません。


851 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/26(水) 17:01
第7の外道さん<

お仕事は大丈夫なんですか?

> 「『無作三身如来』が『日蓮』である」というのは、一面正しいがかなり誤解
> を招く文言であることになります。というのも、ここで「本覚思想」的ロジッ
> クが前提とされているのなら、「日蓮」が「無作三身如来」ならば、他のあら
> ゆる存在者(釈迦・末法の法華経行者は勿論、草木なども含む)もまた等しく
> 「無作三身如来」に他ならない、ということになるはずだからです。天地の万
> 物が、「無作三身如来」なのです。

実は私も同じような感想を持ちました。(浅学のため他の思想・宗教との類似性
は解かりませんが)
しかし、その覚りを得るための方法を示してくれる如来(仏)を本尊とするのが仏
教という宗教であり、その本尊を特に本仏という呼び方をすると考えることがで
きますね。
その教えによって実際に覚りを開ければ“如来とは惣じては一切衆生”というこ
とになると思います。もし仏になれなければその宗教は無力ということではない
でしょうか?


852 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/26(水) 18:22
>イワンさん
 浅学ながら、お答えします。皆さん、間違っていたら訂正してください。

>成仏して輪廻の輪から解脱した魂は何処へ行くという教えなのでしょう?

 そもそもの仏教の考え方として、魂(アートマン)は存在せず(無我)、輪廻するのは業(カルマ)である、というものがあります。だから、業を滅したあとは、二度と生まれ変わらない、としかいえないと思います。あえていうなら、「虚空」ということになると思います。
 日蓮大聖人が今どこにいるか、というのは僕にはちょっとわかりませんが、法華経では、釈尊は神通力(超能力)によって涅槃には入らず、永遠にこの世界(娑婆)に存在していることになっています。

>数億年の後、この太陽系自体が消滅することは、星の運行上避けられませんが、そのとき地球の生物の魂が存在すると仮定して、どこに行くのでしょう?

 他の星に生まれ変わるんじゃないでしょうか(^^)。というのは冗談にしても、質問の主旨としては、宇宙自体が消滅したらどうなるか、ということと同等だと思いますので、そうだとしてお答えします。
 上記しましたように、魂は本来は存在しないもので、衆生は「ある」と思い込んでいるだけなので、あまり問題にはならないと思います。また、この世界は衆生の煩悩が生み出していて、本来は存在しないものだ、という考え方もあります。それに、インドの世界観として、世界にははじまりもおわりもない、と考えていると思います。

 ただ、涅槃経などでは「仏性」の概念が説かれており、これを魂だとするとまた考え方が変わってくると思います。そうなるとどうなるのか、というのは僕にはよく分かりません。バラモン教的な世界観で考えないといけないのかもしれません。


853 名前: 文底 投稿日: 2000/07/26(水) 23:08
第7の外道さん

No843からNo846の御意見、大変興味深く拝見させて頂きました。
上記命題だけで、スレッドが3つ位立てられそうですね。

>私は詳しくは分かりませんが、中国仏教(天台含む)は道教の「無」の思想を下地に、仏教全体を「本覚思想」と同じロジック(=仏性・如来蔵思想)でとらえている、という指摘も聞きます。
>なおこの発想はアジアだけに限るものではなく、新プラトン主義(とその影響を受けたキリスト教神学)やドイツ観念論哲学の大枠を形作っていることは、特に文底さんには親しいところでありましょう。

私はそれほど親しくはありませんが「フィヒテ」などは自身の哲学的命題を論証する上で、因果性(非我が自我を規定する)に付いて言及している所があり、非常に「本覚思想」的な部分を感じます。
ただ、他の板で、創価学会の方が「現象学」に注目されている所を見ると、日蓮仏法において、人間が認識できるのは教義的解釈を実践した事象のみで、その事象の裏付けになる本体(教義の文底)は認識できないとする立場かも知れません。
そうなると、カントからフッサール辺りまで論議しないといけませんね。
この辺りのところも、第7の外道さんと論議したいのですが、又これをやらかすとスレッドの主旨から、逸脱しそうなので差し控えておきます。

>「現実の差別相は仮のものにすぎず、その実は全て唯一の真実在に帰着する」というふうにも読んでいたのではないでしょうか?

「全て唯一の真実在に帰着する」と感じていた下りが他の経典にもありますし、多分「日蓮」はそれを法華経(特に後半14品)から読み取ったのでしょう。
しかし、私のような凡夫?には、とてもその様に法華経は理解できないですが、此処に天台からの大乗仏教学との「読み方」の違いがはっきり出ていると思います。

続きます。


854 名前: 文底 投稿日: 2000/07/26(水) 23:15

>釈迦が「自己は、この宇宙全体・真実在と同一のものであるに他ならない」とさとった、ということを表しているのではないでしょうか。

此処に行くと「生命論」になってしまいますよね、その定義付けにおいても以前ひゃっきまるさんとも論議した、宇宙全体・真実在と同一性の「何か」を「生命」と定義するかで一論議できてしまいます。

>「『無作三身如来』が『日蓮』である」というのは、一面正しいがかなり誤解を招く文言であることになります。というのも、ここで「本覚思想」的ロジックが前提とされているのなら、「日蓮」が「無作三身如来」ならば、他のあらゆる存在者(釈迦・末法の法華経行者は勿論、草木なども含む)もまた等しく「無作三身如来」に他ならない、ということになるはずだからです。天地の万物が、「無作三身如来」なのです。

この辺りは、私も、日蓮仏法の信仰を実践されている御立場の方が教義的に、どのように御理解(折り合いを付け)されているか非常に興味深いです。
愚乱破さんに詳しく御説明して頂ければ、それはそれで大変結構な事なのでしょうが、日蓮宗の方がどう認識されているかも大切な事だと思います。
日蓮宗のもともとさんやナランツェツェグさんがその御立場で御説明頂いても構いませんが・・・
又、ひゃっきまるさんの御説明も非常に興味深いですね。
何れにせよ、第7の外道さんにとりましても、意義のある論議が愚乱破さんと出来た事、愚乱破さんに対して感謝しております。

以上です


855 名前: 文底 投稿日: 2000/07/26(水) 23:18

愚乱破さん

何時も、即行のレスを頂きありがとうございます。

>文底さんの研究熱心さには頭が下がります。成果を楽しみにしています。

とんでもないです、逆にこの様に述べて頂き大変恐縮です。
ただ「大通智勝仏に付いて今検証中」と述べたものの、色々深みにはまっており、現在泥沼状態です。
もう少し御猶予を下さい。
それからNo1からNo3までの質問に対し御意見を頂き、感謝しております。
愚乱破さんに対するNo1からNo3までのレスは明日にでもいたします。
こちらも、今しばらくお待ちください。
No4以降の御意見は、愚乱破さん御手隙の時で結構ですので、宜しくお願い致します。

それにしても、第7の外道さんの横レスの問題定義の素晴らしさは、私達(特に私)の論議の内容すら凌駕してしまいそうですね・・・
第7の外道さんの問題定義は結構「深い」ものがありますので、出来ればNo851の内容をより一層突っ込んだ形で述べて頂くと「本覚思想」や「無作三身如来」の定義付けが一層明確になると思うのですが如何でしょうか?


856 名前: イワン 投稿日: 2000/07/27(木) 00:08
ひゃっきまるさん、本当に有難うございます。
ただの「存在」になる。という理解でよろしいですか?
どうぞ、本来の御議論に集中してください。
>他の皆様へ
くだらない横レス申し訳ありませんでした。このスレの前からの
ファンです。体に気を付けられて、じっくりと進めてください。
これからも見続けさせて戴きます。失礼致しました。


857 名前: みさき23区 投稿日: 2000/07/27(木) 02:52
横レスです。


>これは「一切の差別相は一なる真実在に帰着するし、逆に一切の差別相は一なる真実在から流出する」という存在論的認識と相関関係にあります。

>釈迦が「自己は、この宇宙全体・真実在と同一のものであるに他ならない」とさとった、ということを表しているのではないでしょうか


>真実在

仏教の一貫した態度として、天台・日蓮もまた同様に、

「己心を離れて法なし」或は、「八万四千の法蔵は、我身一人の日記文書なり」

というように、自己の「外側世界に実体(法)」を、立てないのが基本的なスタンスだと思うのですが..。




858 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/27(木) 09:51
文底さん<

第7の外道さんから、「三世〜」に関して深い考察が提示され、ちょっとショッ
ク状態にあります。本覚どころか幻覚を生じそうです(笑)

> 第7の外道さんの問題定義は結構「深い」ものがありますので、出来ればNo
> 851の内容をより一層突っ込んだ形で述べて頂くと「本覚思想」や「無作三
> 身如来」の定義付けが一層明確になると思うのですが如何でしょうか?

入信以前に、釈迦がバラモンへの批判だと思うのですが「知的好奇心から形而上
の事柄を詮索するのは愚かなことである」といった意味のことを述べているとい
うことを聞いた憶えがあります。それで以来この方面の思考が停止状態にありま
して、残念ながらあまり掘り下げた論議ができません <= 言い訳(^^ゞ

先のご質問の4、5は1〜3のご質問とも関連していますので、1〜3の文底さ
んのコメントをいただいてから、ということにいたいと思いますが・・・
6,7の平和的共存についてですが、平和的というのは単に干渉し合わない以上
の意味ですよね?
結論から申しますと、宗教活動には布教が伴いますので、どこかで衝突が起こる
のは避けられませんね。その時にはお互いに相手を尊敬し対話で解決する。とい
うことが共存(?)できる必要条件だと思います。(教義上では最終的な共存はない
と思いますが・・・)


859 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/27(木) 09:52
みさき23区さん<

書きこみありがとうございます。お解かりのように、私は教学に強い訳ではなく
あくまでも私見として意見を書いていますが、これによって学会教学を誤解され
たり、教学部のレベルを判断されるのを恐れています。
私見とはいえ、とんでもないことを書いているかもしれませんので、お気付きの
ことがありましたら、ご指摘して下さるとありがたいと思います。


860 名前: 文底 投稿日: 2000/07/27(木) 17:08

愚乱破さん

>本覚どころか幻覚を生じそうです(笑)

私も「大通智勝仏」の検証で、大通智勝仏の幻覚に襲われそうです。
若干新しく入手できた情報を述べておきます。
「八宗違目抄」において「迹の説に約せば即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し寂滅道場を以て妙悟と為す若し本門に約せば我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す」との一文をLibraさん(学会員の方だと思います)より御教授頂けました。
そうなると、迹門の立場では「大通智勝仏」は「時を指して以て積劫と為し寂滅道場を以て妙悟と為す」訳ですから、本門の立場では「我本行菩薩道」が「時を指して以て積劫と為し本成仏の時を以て妙悟と為す」と対比していると言う事になります。
そうしますと、本門の「我本行菩薩道」(我が必要か分からないが・・)が一体何を指すかが、次の問題になってきます。
本成仏と寂滅道場の定義の違い(単に「本」と「迹」との違いではなく)も検証しなければいけないですし、どんどん深みにはまりそうです。

愚乱破さんは「我本行菩薩道」や「本成仏 対 寂滅道場」などの具体的定義付けなる一文や私見をお持ちでしょうか?
もし何かありましたら御意見下さい。(他の方の横レスも歓迎です)

続きます。


861 名前: 文底 投稿日: 2000/07/27(木) 17:10

>>1、仏とは、一体何を指していらっしゃるとお考えでしょうか?
>>2、それは戸田氏が述べられた「生命」=「仏」でしょうか?

>戸田先生の「仏」=「生命」もおそらく正しく理解できているとは思えませんがただ、生命自体が解かっていないので言葉を言い換えてもあまり接近できないですね。
>ですが最近ようやく少し解かったような気がしてきて、今はそのように考えております。

つまり、そのようにと愚乱破さんが仰っている「そのよう」とは「仏」=「生命」と考えて宜しいわけですね。

>私が今考える生命とは、生物の命に限らずこの宇宙の始まりとともに有って万物の変転の根源に係わるもの(法則とは少し違う?)のような感じなのかなぁって気がしてます。

この御考えは、私も何となく理解できます。但し「仏」と定義してではなく「普遍的真理」=「生命」としてですが・・
この定義付けに関しては、第7の外道のさんとの間で結構、論議致しまして、結局の所「普遍的真理」=「生命」もある約束の上(第7の外道のさんとの間では哲学的命題の定義付けとしての認識の違い)として、一応論議は終結したと思います。
そして、この論議の推移から「普遍的真理」なる命題を本当に「普遍的」と捉えてしまうと、説明不可能・論議不能状態になることも実感致しました。
ですから「仏」=「生命」の命題における定義付けも、かなり慎重に行わないと、説明不可能・論議不能状態に陥ると思います。
愚乱破さんは、先ずこの辺りの定義付けをどのようにお考えでしょうか?

続きます。


862 名前: 文底 投稿日: 2000/07/27(木) 17:11

>エントロピーが無秩序に向かっているのとちょうど反対のような・・・そんなものを生命と呼ぶかどうか解かりませんが(笑)

この辺りの生命論は、ひゃっきまるさんとかなり論議したのですよ・・・
私の生命論はひゃっきまるさんにとっては、戸田氏のそれとそっくりだと申しておりました。
第7の外道のさんが、私の思想の根幹に付いて、それは「哲学的命題」にあるのだと説明して下さったお陰で、この論議も一応の終息の形になった訳ですが・・・

ですから、愚乱破さんの御立場では、第7の外道のさんや、ひゃっきまるさんが、私と同じ立場であるかのような印象を持たれるかも知れませんが、両者とも見解の相違を相当長期間論議して、その事象の文底?から「立場は違うが人間的に尊敬できる」との相互理解が得られたと思うのです。
論議は内容によっては、相手の立場等を追い込む危険性がありますが、誠実・真摯的に粛々と論じていけば、その論議の推移によって、お互いの人間性が分かり、その相手の立場を尊重し、真摯的に付き合う事が出来ると思います。
ちょっと話しが脱線しましたね・・・

続きます。



863 名前: 文底 投稿日: 2000/07/27(木) 17:11

>>3、そうなると、他の宗教の開祖等が述べた「仏」「神」などは「生命」と言う定義付けでは不十分でしょうか?

>ですので、「神」のように外側から世界を操作するようなものではないのではないでしょうか?
>他宗派の「仏」も色々ですが、生命だと言ったら他宗派が納得しないでしょう(笑)

他宗派どころか、日蓮正宗でも戸田氏の生命論は、創宗問題以前でも賛否分かれていたみたいですね。
ただ、愚乱破さんが述べられた「神」の定義(外側から世界を操作する)は「一神教的」(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の定義の一部だと思います。
大体、イエス・キリスト自身がキリスト教を興したと言う考え方自体も、歴史的・文献学的に検証してもかなり懐疑的だと思います。
キリスト教も諸派ありますので、纏めて論じるのはその対象となる方に失礼になりますが、基本的には、キリスト自身の人格と教えを根本規準にしている点において、釈迦の振る舞いから仏教が発祥した歴史と極めて近いと思います。(第三者的に見てですが・・・)
その後の文献や人間としての「釈迦・キリスト」の「仏・神」への定義付けは、後の人々の思惑によって色々変遷していったと見るのが、私の見方なのですがどうでしょう?
愚乱破さんは一神教の全ての文献学的解釈について「神は外側から世界を操作する」と結論付けられるだけの教義的理解をされていますか?
そうで無いならば「神が外側から世界を操作する」との考え方も、何時の間にか自身の教義の「正当性」のための、一つの教義的解釈になってしまうと思うのですが、如何でしょうか?

皆さんもご意見がありましたら御自由に論じてください。

以上です。


864 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/27(木) 21:41
>イワンさん
>ただの「存在」になる。という理解でよろしいですか?

 現在文底さんらの行っている議論とあながち無関係でもないと思うので、もう少し詳しく仏教の世界観について説明したいと思います。

 衆生の輪廻する世界は、三界(欲界・色界・無色界)に分類されます。この中で、六種の生物(六道)が輪廻するわけですが、

欲界:欲望に支配された衆生の世界 (地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の低位存在)
色界:欲望の支配を越えたが、物質的な条件の制約を受ける世界 (天の中位存在)
無色界:物質的な条件の制約を越え、精神的な条件の制約だけを受ける世界 (天の高位存在)

となります。
 「天」とは神のことで、須弥山の上方に住まうということになっていました。インドでは多神教だったので、神にもいろいろなランクがあるということになっていたのでしょう。仏教では、神でさえも輪廻する無常の存在と捉えていました。バラモン教で「宇宙の根本原理」とされる梵天(ブラフマン)ですが、これも神である以上は、天界に属す無常の存在です。

 文面からははっきりしたことはわかりませんが、もしイワンさんが、輪廻から解脱することを「神」や「精霊」のようなイメージとして捉えていたとしたら、それは違うと思います。僕は、解脱とは、「存在」そのものから解放された状態だと思っています。


865 名前: イワン 投稿日: 2000/07/27(木) 22:41
ひゃっきまるさん、度々すみません。
神や精霊のようには捉えていません。言葉が足りませんでした。
もっと広がった「存在」として理解しました。なんと言うか、
意識体というか、何処にでもいるのに何処にもいないというか、
宇宙全体に拡散したイメージをもったのですが。それを「ただの
存在」という言い方しか思いつかなかったのです。
まだ違ってますか?仏教の目的って難しいのですね(笑)。



866 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/27(木) 22:54
>イワンさん
>意識体というか、何処にでもいるのに何処にもいないというか、宇宙全体に拡散したイメージをもったのですが。

 僕は、そういったものは梵天(ブラフマン)の概念に近いのではないか、という意味で864を書きました。宇宙(世界)自体が衆生の煩悩が生み出しているものなのですから。
 しかし、僕の私見に過ぎませんので、あまり気にしないで下さい(^^)。本当は人に教えられるような分際ではないのです・・・。


867 名前: イワン 投稿日: 2000/07/27(木) 23:25
ありゃりゃ。小生は何も理解出来ていないじゃないですか。
お恥ずかしい限りであります。仏教的単語から勉強してみます。
しかし、宇宙さえも実在ではないのですか?まさに次元が違う
ということですね。成仏ひとつ理解できないようでは宗教を語る
資格は無いでしょう。ROMに戻ります。
>あまり気にしないで下さい(^^)。
いやいや気にします(笑)。やはりここは敷居が高いですよ。
たいへん、勉強になりました。御礼申し上げます。御無礼しました。


868 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/28(金) 03:29
基本に戻れだ・・・。

地湧の菩薩ってなに?娑婆世界の菩薩とどう違うのってことよ。

それがわかればプラフマンとアートマンは理解できる。世界観も
そうだ。法華経だよ。仏ってなに?如来ってなに?全部法華経に
書いてあるだよ。学会員さん。


869 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/28(金) 09:35
>868
スレッド全部読んでから書いてね。 『坊』や


870 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/28(金) 11:57
文底さん<

再度日蓮って(旧)から読み返してみてます。このスレッドの常連さんの立場や主
張がおよそ解かってきてから読んで見ると、最初に一読したときより遥かに色々
なことが見えてきて、なんて間抜けなことを私は発言していたのかと恥ずかしく
なりました。

特に直近の文底さんのご質問の「「仏」「神」などは「生命」と言う定義付けで
は不十分か?」に対しての私の返事は大変間抜けたものでした。
で、先のご質問の1〜3と6,7へ返事はまだ単なる現在の感想ということにし
て置いていただきたいと思います。

もう一度「仏とは、一体何を指していると考えるか?」に戻って考えてみたいの
ですが・・・“仏とは何か?”に対して“仏とは「何か」である。”と定義でき
るかどうか非常に疑問に思います・・・というか言葉では表せないと言われてる
ものですね。(=「言語道断」)
しかも主語の仏という言葉さえケース毎に違う“もの?”を指して使っています。
例えば「何か」を覚った人であったり、「何か」そのものであったり、または、
その「何か」を衆生にも覚らせようとする人に限定したりしていると思うんです。
しかもややこしいことに迹だとか本だとか前世とか、あの時は本だがこの時は迹
になるとか、またそれらと「何か」は同じものであるという見方があったりする
ので、頭が破裂しないほうが不思議なくらいです。 < 私

とは言うものの学会教学では体系付けられているのも確かですので、私なりにも
う一度整理してみたいと思っています。(できるのか?)
少しお時間を下さい。というか文底さんが整理されておられましたら教えていた
だいて、それについて考察したほうが早いかもしれませんね。


871 名前: 文底 投稿日: 2000/07/28(金) 13:21

愚乱破さん

本日は私用でこれだけしかレス出来ないと思います。

>再度日蓮って(旧)から読み返してみてます。このスレッドの常連さんの立場や主張がおよそ解かってきてから読んで見ると、最初に一読したときより遥かに色々なことが見えてきて、なんて間抜けなことを私は発言していたのかと恥ずかしくなりました。

いえいえ、私も以前のスレを読み直すと、お間抜けな事ばかり発言して、此方の方が恥ずかしい位です。

>先のご質問の1〜3と6,7へ返事はまだ単なる現在の感想ということにして置いていただきたいと思います。

了解致しました。

>学会教学では体系付けられているのも確かですので、私なりにもう一度整理してみたいと思っています。(できるのか?) 少しお時間を下さい。

此処まで有意義な時間が過ごせたのも、愚乱破さんの御人柄のお陰です。
整理の方は、私の事は気にせず、ゆっくりと時間をかけてなさって下さい。

>文底さんが整理されておられましたら教えていただいて、それについて考察したほうが早いかもしれませんね。

整理どころか、まだ「大通智勝仏」の検証で泥沼ですね・・・ただ、少しずつですが、理解出来た事がありますので、その都度又書き込ませて頂きます。(しかし教学は難しいですね・・・・読めば読むほど、仏教が多宗派に分かれていった原因が類推され得ます)

本日はこれまでです。


872 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/28(金) 13:46
ああ、「大通智勝仏」か・・・。じゃ八正道あたりのこと言っているのかな・・・。

ん?お呼びでない?え?お呼びでない??こりゃまたしっつれいいたしやした〜〜!(爆)


873 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/28(金) 13:55
四諦と八正道のことじゃないの??(爆)

「大通智勝仏」って、大通智勝如来が生まれ変わってってことだよね。弥勒さんが薬師さんから
ふ〜〜〜ん、そうなんだって。そういう場面に展開する直前にでてくる仏さんでしたよね。
ここで般若空は方便だったと。三乗から一乗へ、法華空の世界が解かれるわけでしょう??
違ったかしらん。(苦笑)

ここで出てくる時空間とか如来・仏観・神観を言っているのかしらん??(笑)


874 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/28(金) 14:08
>873
生まれかわったら来いや。
来世でまってるぞ〜〜〜。


875 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/28(金) 14:11
あのねえ。874さん、輪廻転生の思想なんか仏教思想にはありませんけれどね。
もちろん来世も。(爆)


876 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/28(金) 14:13
で、874の言葉の裏を返すなら、
現世では、日蓮宗の波木井坊にはかなわないから、手を引いて頂戴と。(爆)
白旗あげてる訳ですか〜〜〜?(苦笑)


877 名前: イワン 投稿日: 2000/07/28(金) 15:58
868竜尊さん。
小生は学会員ではありません。無知蒙昧のド素人です。
法華経ですか・・・。読んでみますね。岩波文庫のやつで
いいんでしょ?


878 名前: 874 投稿日: 2000/07/28(金) 16:05
>875
このレスを待ってたのよ。

>876
このレスは勘違いどす。


879 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/29(土) 02:05

レスが遅れていて申し訳無いです。が、休日はともかく、ここしばらくはこんな調子でしか書けません。返事をつけたい内容のものが一杯あるのですが、とりあえず最小限に止めます、ご了承ください。

>くらくらさん

『偽書説』ですか・・・私の読みは『観心本尊抄』『開目抄』などの主要著作に集中していたので、このあからさまな「本覚思想」の主張は正直いって未だ違和感を感じます。ただ同時に「なるほど、やはり」と思わされるところもあり、扱いが難しそうです。こうした「偽書」かそうでないかという問題を一覧できるような便利な文献ってないでしょうか?


>ひゃっきまるさん

レスどうもです。「地涌の菩薩」の件ですが、末法の衆生が「全て」菩薩だとすると、実際は衆生のほとんど全ては自分が「地涌の菩薩」だという自覚などないのですから、「本来は覚っているが、衆生はそれに気づいていないので、それに気づくのが覚りである」ということになります。まさにその辺が「本覚思想」的になりますね。

脱線しますが、私は「人間は本来清浄なものだ」といわれると、「じゃあなぜ現実の人間は『汚れ』ており、その『汚れ』をのぞくためにわざわざ修業しなくちゃいけないような存在になっているんだ?」という、素朴な、しかし不遜に云えば「道元」的な問いが頭に浮かぶのですが、ひゃっきまるさんはどうお感じですか? あくまで一般論として。




880 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/29(土) 02:07

>みさき23区さん

>仏教の一貫した態度として、天台・日蓮もまた同様に、(中略)
>自己の「外側世界に実体(法)」を、立てないのが基本的なスタンスだと思うのですが..。

おっしゃる点、まさにその通りだと思います。「心」と「外界」を仮に分別する場合、仏教は常に前者を重視し、ときに後者を前者に還元する方向で進んできたと私も思います。
しかし「常住」の「真実在」を定立し、それとの同一性の認識をもって「覚り」とする考え方は、決して仏教全体の共通認識とは言えない、と認識しています。ただ、このことを問題にするということは、「空」概念・「仏性」概念も巻き込んで仏教思想最大の「論争の焦点」を問題化することになり、現在のこのスレッドで主題にすることはできないし、今の私にその技量も余裕もありません(私にとっても最大関心事ではありますが・・・)。
ですからこのスレッドでは、「本覚思想」そのものの批判検討はとりあえず封印した形で議論を進めたいと思っています。


>愚乱破さん

ご感想ありがとうございます。
もし日蓮の「さとり」観を「本覚思想」のバリエーションとして理解できる場合、今度は(愚乱破さんのおっしゃる言葉で言えば)「覚りを得るための方法」が問題になるでしょう。ただその場合、以下の二つの視点を持つことが許されてくると思います。

1、「覚りを得るための方法」は、それを実践する個人の資質などの条件に合わせて多種多様なものがありえるので、ある一つの「方法」を唯一絶対視することはあまり意味がありません。が、同時に、ある一つの「方法」を「間違っている」と決め付ける態度もまた許されないでしょう。
2、しかし、共通の基盤(この場合、「本覚思想」的論理)に基づいて「方法」を論ずることができるため、いくつもある「方法」のうち、どの「方法」が相対的に説得力を持つものなのかは比較検討できます。

愚乱破さんの立場からですと私のような者はいかにも信心が薄い者のように見えるでしょうが(全くその通りだと私自身思いますが)、私も「もし仏になれなければその宗教は無力ということではないでしょうか? 」とおっしゃる主旨には同感です。しかしそのためには目標とする「仏」とは何か、そしてそれになるための「力」はどうしたら持てるのかを妥協なく追究しなければならない、というところはご理解いただけるのではないかと思っています。




881 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/29(土) 02:07

>文底さん

日蓮が仮に「本覚思想」的ロジックを根底に持っていたとすると、次は「ではなぜ『南無妙法蓮華経』を唱題するのがさとりの方法となるのか? なぜそれが他の方法よりも優れたものとされるのか?」という以前から持ち続けていた疑問が、より鋭いものになってくる感じがします。いずれにせよ、『三世〜』の記述がほぼ完全に「本覚思想」にのっとっていることは間違い無く、あとはそれが「偽書」でないなら、日蓮思想の把握にかなり方向性が見えてくるという感想を持ちます。




882 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/29(土) 04:30
あれ?今度は「本覚思想」になってるぞい!(爆)レスの波に
のれな〜〜い。悔しい。(苦笑)私の知識では無理だ。(笑)


883 名前: 波木井坊竜尊 投稿日: 2000/07/29(土) 04:33
私のサイトからPC版法華経がダウンロードできます。

http://www7.konohana.ne.jp


884 名前: くらくら 投稿日: 2000/07/29(土) 05:28
第七の外道さん

観心とか本覚が強調されすぎている御書を偽書に仕訳したのは、
浅井要麟氏でしょう。彼の「日蓮聖人教学の研究」は一読の価
値あります。

ただ、標準御書(三大部・五大部など)を硬直的にふまえて、
それ以外の日蓮思考は偽書として排除する手法には批判も出て
おります。

日蓮さんじたい、思想が変遷してますしね。本覚も本仏も
あったかもしれないなぁと思います。だだ、真筆あるいは
それに準ずるものがないのなら偽書かもしれないと三大部
などと違い、少しばかり「余裕」というか「距離」をおいて
読みこまれたほうが宜しいかと存じます。


885 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/07/29(土) 06:22
久々のゴミレスです・・・。
毎度おなじみ?の「法華経の智慧」(第1巻)からの抜粋です。
現在の論議に多少なりとも関係しているような気がしましたので・・・。
-------------------------------------------------------------------------------------------
天台は『法華文句』で、方便を
@法用方便(衆生の機根に合わせて種々の法を説き、その方の働き(用)で、人々に応じた利益を与える教え)
A能通方便(真実に入る門となる教え)
B秘妙方便
の三種類にわけ、秘妙方便こそ「方便品」の方便であると言っています。(p154)

方便には、「接近する」「近づく」という意味があるわけだが、それにも二つの方向性があると思う。一つは、現実から悟りへ近づかせる方向(法用・能通方便)、もう一つは、悟りの境地から現実へと近づき、その悟りを現実世界に説明し表現していく方向。これが秘妙方便です。(p155〜156)

天台は、法用・能通を「体外の方便」、秘妙を「同体の方便」と立てわけています。つまり法用・能通は仏の真実の智慧の外に立てられた方便、秘妙は真実と一体の方便ということです。
秘妙方便の「秘」とは、ただ仏だけが知っているということ。すなわち一切衆生が仏だという真実を仏だけが知っている。そして、その真実は秘められているにもかかわらず、縁にふれて顕現する。(p157)
戸田先生は、「秘妙方便」について次のように教えられています。
『私も皆さんも凡夫です。しかし、われわれ自身、理のうえでは仏なのです。成仏とは、自分が仏であることを知ることで、これは秘密にされ、妙がかくされているのです。これを秘妙というのです。仏が、凡夫の姿で、苦労させるためにつくられたのです。これが、秘妙方便の原理です。皆さんは、地涌の菩薩なのです。この原理が心の奥底でわかれば、方便品が読めるのです』
『われわれが、ただの凡夫でいるということは秘妙方便であり、真実は仏なのであります。われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。(略)』(p157〜158)
-------------------------------------------------------------------------------------------
注)私は、学会員ではありません (^_^;) 「お笑い創価学会」注文しました。(笑)


886 名前: 文底 投稿日: 2000/07/29(土) 19:23
第7の外道さん&くらくらさん

くらくらさんに直接レスするのは、初めてだと思います。
くらくらさんの文献的教義解釈は、昼行燈さんとの論議の推移も含め、何時も興味深く拝見させて頂いております。
これからも宜しくお願い致します。

>あとはそれが「偽書」でないなら、日蓮思想の把握にかなり方向性が見えてくるという感想を持ちます。 (第7の外道さん)

>ただ、標準御書(三大部・五大部など)を硬直的にふまえて、それ以外の日蓮思考は偽書として排除する手法には批判も出ております。 (くらくらさん)


偽書、偽撰に関する私見なのですが、宗教における文献学と言うものは、仮に宗祖真筆の文献が存在していたにせよ、その内容の解釈が、本人の本意とは別に、該当者の思惑の如何によって、如何様にでも曲解出来得るのが、現在の私が感じている、宗教における文献的教義解釈論の「限界性」であると思います。
今私が、検証している「大通智勝仏」の定義付けでさえ、どうやら「真偽論」の無い標準御書には特に具体的説明は無いようです。(他の経典にて比喩的命題の説明はありました)
また、大通智勝仏の下りは迹門としての「前世において大通智勝仏の教化を受けるなどの修行した」釈迦を化導した比喩的立場(らしい)ですが、迹門自体の定義付けでさえ、かなり一般の人間には、理解し難い定義です。
日蓮仏法における、迹門の定義は「勝劣」「一致」どちらの宗派にとっても、比喩的表現を使用した、本門(本当に述べたい事象)への「化導・教化的意味合い」と捉えている訳ですが、迹門は本門が顕れた瞬間に「無用」の意味合いを持ち、それ自身の教え(仮の教え)すら、今後一切今後用いてはならないとの「完全否定」をとります。
この思想自体に、他の教えを「否定」する「教判」における根本的命題が隠されていると、思いますが如何でしょうか?

続きます。


887 名前: 文底 投稿日: 2000/07/29(土) 19:24

他の板でも少し、述べた事なのですが、宗教はその特性上、一つの定義付けをするならば、慈悲の精神を持ち、苦を抜き楽を与える事を本義に、人間がその意識・無意識を問わず過去の歴史において「祈り」「願い」「振舞った」行為そのものだと思うのです。
問題なのは、その教義の「位置付け」と「唯一性」です。
開祖・宗祖の本義である「慈悲と抜苦与楽」の精神がその教義の「位置付け」と「唯一性」によって、その宗教に関わらない人間に対し「不都合を生じさせる命題ならば」意図せずとも、宗教本来持つ「慈悲と抜苦与楽」の精神を一集団(該当の宗教団体)のみに限定してしまうと思うのです。
無論、宗教と言う名ばかりの、エセ集団もあるでしょう、ですから教義の比較検証(教判)は不可欠だと思います。
しかし、文献的教義解釈によってハッキリと黒白が結論付けられない命題(偽書、偽撰問題を含む)においては、自身の解釈も「一解釈」との謙虚さを持って他の思想を「許容・容認」する事も又「慈悲」であると考えられるのですが如何でしょうか?

本日は以上です。


888 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/30(日) 12:27

>文底さん

>無論、宗教と言う名ばかりの、エセ集団もあるでしょう、ですから教義の比較検証(教判)は不可欠だと思います。
>しかし、文献的教義解釈によってハッキリと黒白が結論付けられない命題(偽書、偽撰問題を含む)においては、自身の解釈も「一解釈」との謙虚さを持って他の思想を「許容・容認」する事も又「慈悲」であると考えられるのですが如何でしょうか?

全く同感です。私個人としては仏教もまた「慈悲と抜苦与楽」のための方法論の一つであり、その方法論の内実を高めるためには、他の「方法論」との比較検証を怠らない姿勢が極めて重要である、と思っています。(無論何をもって「苦」とし「楽」とするかをつめていく作業も、必要とされます)しかし私見では、仏教とはもともとこうした柔軟な「方法論」の比較選択を許す(というより、それを不可欠の要素として含んでいる・・・対機説法!)ものであり、「謙虚さ」「許容・容認」というのを自明の前提として要求するものだ、と私は思っています。

と、ちょっと脱線しましたが、私は「偽書」の疑いのあるものも、そこから日蓮の体系性・一貫性を読み取る有効な情報を読み出しうると見られる限り、「解釈対象」としての価値はおいていきたいと思っています。「真筆」か「偽作」かは私の力では文献学的に確定することはできませんし、仮にできたとしても「真筆のみを前提としているから私の解釈は絶対だ」などと主張できるはずもありません。また「内容」による判定をしようとしても私の「一解釈」から取捨選択するしかないわけですから、結局「一解釈」「一私見」であるというのは承知の上で、その説得力を磨いていく以外にすべきことがありません。また学会員の方は「御書」全集に掲載されている限り「真筆」の前提でらっしゃるのでしょうから、ここで学会員の方と議論する上ではあまり障害にはならないであろう、という思いもあります。




889 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/30(日) 12:28

>波木井坊竜尊さん

ご紹介のHPから、「法華経」をダウンロードさせてもらいました。ありがとうございます。HP、しばらくロムらせてもらおうかなと思っています。


>くらくらさん

>観心とか本覚が強調されすぎている御書を偽書に仕訳したのは、
>浅井要麟氏でしょう。彼の「日蓮聖人教学の研究」は一読の価
>値あります。

ありがとうございます。是非とも入手したいと思うんですが、高そうですね・・・(^^;



890 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/07/30(日) 17:43
>ひゃっきまるさん

例の「空」スレッドの過去ログですが、なんならこの板に一つ捨てスレッドをつくらせてもらって、
そこにコピペしましょうか?



891 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/30(日) 18:19
>つくらせてもらって、そこにコピペしましょうか?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 ↑お気遣いでしたら無用です。(^^;

 このスレの議論に必要と判断されたのでしたら、
1つといわず、10個でも20個でも必要なだけ立てて下さい。 > 第7の外道 様



892 名前: 文底 投稿日: 2000/07/30(日) 20:09

愚乱破さん

「大通智勝仏」の検証を進めて行けば行くほど、一層混迷の度合いが深まってしまうようで・・・
教義の解釈は非常に難しいです。
「大通智勝仏」なる定義はどうやら、迹門の上において、釈迦が二乗作仏できる事を信じられない弟子の為に、仮の比喩(比喩に仮も何も無いが・・・・)として、深い因縁の有ることを分からせる為、宿世の因縁を説いて、二乗の人間も成仏できると云う事を説得している一文のようですね。
「仮の比喩」と言う割には「大通智勝仏」と、また、えらくハッキリとした定義付けなので、色々検証してみましたが「大通智勝仏」が具体的人証を示唆している論証は無いようです。

ただ(迹)大通智勝仏=(本)我本行菩薩道 →「一切の諸仏は久遠本仏の分身仏」となり迹門の仏は本門では「一仏」に帰納するようなので、その辺りの変遷をもう少し調べてみようと思います。
又、御意見等ありましたら、上記事象に関わらず御自由に述べて下さい。


若葉マークさん

お久しぶりです、お元気でしょうか?

>現在の論議に多少なりとも関係しているような気がしましたので・・・。

「方便」における定義づけ有り難う御座いました。
色々参考になりました。
それにしても「方便」だけでも色々定義付けが出来ますね、その中でも「秘妙方便」が仏教における「大通智勝仏」なる定義と結び付いているようです。

ところで、若葉マークさん御書は読解出来ました?
文上を理解するだけでも大変ですが、夫々の宗派の教義は、その上、文上の文献的教義に「文底的」解釈論をくっつけているのですから、まぁとても大変ですょ・・・・



893 名前: 文底 投稿日: 2000/07/30(日) 20:13
第7の外道さん

お体の方は大丈夫でしょうか?
私も月曜から私用の為多忙になり、カキコが厳しい状態に陥りそうです。

>何をもって「苦」とし「楽」とするかをつめていく作業も、必要とされます

そうですね、この辺りの価値判断も非常に重要だと思います。
どんなに客観的状態としての「悲惨」や「羨ましい」事象であっても「苦」や「楽」の概念は、その当該者の心によって如何様にでも定義付けられますから、大変難しいです。

>私は「偽書」の疑いのあるものも、そこから日蓮の体系性・一貫性を読み取る有効な情報を読み出しうると見られる限り、「解釈対象」としての価値はおいていきたいと思っています。

「有効な情報を読み出しうると見られる限り」においては全く同感です。
ただ、他の宗派を排斥せしめる得る文献を「日蓮の体系性・一貫性を読み取る有効な情報」と定義し「解釈対象」としての「価値」とするかが難しい所であり、この辺りは慎重に論議しないといけないと思います。

>学会員の方は「御書」全集に掲載されている限り「真筆」の前提でらっしゃるのでしょうから、ここで学会員の方と議論する上ではあまり障害にはならないであろう、という思いもあります。

その通りですね、御書に関して真贋を問う学会員の方は稀でしょうし、教義上も「疑ってはいけない 」旨の記載もありますから・・・・
しかし、日蓮教義に限らず「教えを浅識にて検証してはならぬ」との教義は多くの宗教で見受けられます。
確かに少しばかり知識のある人間がパソコンを弄ると感電したり、壊れたりして、教義上の「罰を受ける」との認識も何となく理解出来るのですが、人間はその歴史において「知的好奇心」故の「失敗」や「成功」を繰り返し歩んできたとも考えられるのです。
現代の「遺伝子技術」における「遺伝子の人的操作」は正に「少しばかり知識のある人間がパソコンを弄る」状態でしょう、しかし、それを「不介入の領域」としてしまうと、医学・科学の発達は望めないような気もするのです。
大切な事は、人間は「過ちを犯す」生き物であると認識し「失敗により反省」する潔さを兼ね備えながらも常に多彩な事象に対し「チャレンジ」する勇気を持って生きる事だと思うのです。
「教えを浅識にて検証してはならぬ」一文は謙虚に受け止めながらも「教えを慎重に検証」する事を止めれば、それは、教義解釈の暴走を是認・黙認する口実を与えてしまうと思います。


894 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/31(月) 11:25
文底さん<

> ただ(迹)大通智勝仏=(本)我本行菩薩道 →「一切の諸仏は久遠本仏の分
> 身仏」となり迹門の仏は本門では「一仏」に帰納する

今度は、分身仏が出てきましたね。
一切の諸仏は法華経に拠って成仏したのであり、従って諸仏はすべて法華経を説
くのである。
生命の内奥の仏はみな同一である(等しいではない)=>文底さんと私の仏は同一
であり、文底さんも私もその仏の分身である。
・・・ということのようですね。


895 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/31(月) 11:26
第7の外道さん<

> 今話題になっている「大通智勝仏」ですが、この人(?)が十六人の王子に説
> いた「法華経」や、その王子たちが「無量億」の人々に説いていた「法華経」
> の中身とは何なのでしょうか?
>
> 「仏乗」あるいは「一乗の法」の中身自体は、やはり説いていないと見るべき
> なのでしょうか・・・?

どこに説かれているか?と問われても答えられないのですが、私は以下のように
考えています。
 1.仏は自分自身の永遠の生命の奥底に常住している。
 2.その仏を開く修行方法は菩薩道である。
 3.「大聖人」は迷いの衆生に、そのための勇気と智慧を与えるために御本尊
   をを顕わしてくれた。
なぜ、3.となるのかは、正直に言って解かりません。しかしこれを信じること
は盲信になるのでしょうか?


896 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/07/31(月) 11:27
次の文は大分前に書いたのですが、ここへ書きこむのをためらっていたものです。

旧「日蓮って」でどなたかが“宗教の正邪が「国に及ぼす影響」とは関係があり
ません。軍事力の差が「国を滅ぼし」政治の力が「国を安ずる」のです。”と仰
っていました。

私は、間違った思想が社会に悪影響をおよぼし、やがては国を滅ぼすことにもな
ると思います。
過去の宗教戦争や現代の宗教に根ざした民族紛争を考えると、私は人類の業を感
じてしまいます。

普遍的に正しい思想があるかどうかは解かりませんが、科学の発達とは逆に精神
の荒廃や社会不安が拡大してきているといわれ、識者の間で宗教の必要性が叫ば
れてきているように思います。思想の根底には宗教が必要だということではない
でしょうか?

社会を良くしていくためには、やはり思想を正していくことからしないと根本的
な改革はできないと思います。

武力が正義だと考えるような武士の台頭や現世を穢土として無気力に来世を願う
ような思想が庶民に蔓延するのを嫌って、日蓮大聖人が立正安国論をもって宗教
改革を断行し、社会の不安を取り除こうとしたのは意義深いことだと思います。

仏教も釈迦一人が突然説いたというより、バラモンを主としたそれまでの思想を
正す形で良いところは引き継ぎながら構築されたのではないのではないでしょう
か?
法華経もあるいは釈迦の説ではなく、僧侶が中心で戒律が強調され過ぎるように
なってしまった原始仏教を民衆に取り戻すために形成されたのかもしれません。
宗教は人類の遺産とも言えるものなのではないでしょうか?

現代における宗教として生命の尊厳と慈悲を説く法華経の思想は万人が拠り所と
するに充分なすばらしい思想だと思います。

創価学会が様々な批判はあるものの、世界に生きた仏教を広めつつあるのはすば
らしいことだと思うのですが・・・(現在163ヶ国だそうです)


897 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/07/31(月) 22:11
 濃い内容の議論が続いていますね。レスしたいものがたくさんあるのですが、未熟故、話についていくだけでも大変です。ここしばらくは傍観させてもらいますか(^^)。

>第7の外道さん

>私は「人間は本来清浄なものだ」といわれると、「じゃあなぜ現実の人間は『汚れ』ており、その『汚れ』をのぞくためにわざわざ修業しなくちゃいけないような存在になっているんだ?」という、素朴な、しかし不遜に云えば「道元」的な問いが頭に浮かぶのですが、ひゃっきまるさんはどうお感じですか? あくまで一般論として。

 信仰というのは、世界に対する捉え方、自分の人生に対する捉え方、そういう価値観、人生観、を提供するものだと思っています。
 僕は世界観の多くを(全てではありませんが)科学的、唯物的な考え方から捉えています。よく創価学会で、「無宗教者は、『無宗教』という宗教を信仰しているんだ」、という主張があるのですが、僕はけっこうこの考え方に同意できます。でも、「科学教」、「唯物教」、あるいは「実存主義教」でもいいではないか、と思っています。学会では、それらは「仏法」よりも劣る教えということになっていますが、僕にはどのようなところが劣るのかよく分からないので。「劣る」のかもしれないけれど、一番大切なのは、自己を指針とし、自分にとって納得できる生き方を自分自身によって選択することだと思っています。

 科学的な世界観では、もちろん清浄も汚れもありません。人間は人間という生物であること以上でも、以下でもないからです。ただ、それは人間が「何ものでもない」、ということではなく、感情もあれば、目的志向もあり、善悪の判断もあり、理想とする生き方もあり、その中で宗教的な価値観は生きてくるでしょう。しかし、その宗教的な価値観は真実の領域に属す、絶対的なものではなく、あくまで「仮」のものであることを認識すべきだと思います。僕は、科学が普及し、真にその世界観が認識されれば、人種差別や階級差別はなくなるのではないかと思っています。

 そして、信仰や、その信仰の提示する世界観、価値観には、優劣があると思っています。「本覚思想」や「仏性」は優れた価値観だと思います。ここで問題になるのは、それが本当かどうか、ではなく、それが説得力があるか、それを信じることによってよい効果があるか、ということです。

 うまく伝えられたか自信がないのですが、僕の人生観はこんな感じです。

>例の「空」スレッドの過去ログですが、なんならこの板に一つ捨てスレッドをつくらせてもらって、そこにコピペしましょうか?

 そうしていただけたらとても嬉しいです。でも、すごく大変な作業ではないですか? ホントに申し訳ないです。そしてありがとうです。


898 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/01(火) 01:00
愚乱破さん、レスありがとうございます。正直、かなり仕事がきつい状況ですが、ここに来るとリフレッシュできるところもあり、助かっています。

>私は以下のように考えています。
> 1.仏は自分自身の永遠の生命の奥底に常住している。
> 2.その仏を開く修行方法は菩薩道である。
> 3.「大聖人」は迷いの衆生に、そのための勇気と智慧を与えるために御本尊
>   をを顕わしてくれた。
>なぜ、3.となるのかは、正直に言って解かりません。しかしこれを信じること
は盲信になるのでしょうか?

「分からないけど、信じる」というのが直ちに「盲信」となるわけではないと思います。我々の生活は、ある意味常に、確実でないものに自分を賭け続けて生きているようなものですから。ただそこで信じる内容が、他人に強制されるものとなったり、他人の思想を攻撃するような性格を持ち始めたら問題でしょう。もちろん、このことは敢えてここで言うまでもないことでしょうけれど。
ただ、そこで「なぜそうなるのか?」と問うことは否定すべきことではあるまいと思っています。そして、日蓮の体系はそこで問うことが禁止されなければ正当性が維持できないようなものでしょうか? 少なくともそんなに脆いものではあるまいと思うからこそ、今もなお私は日蓮を読んでいるわけです。




899 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/01(火) 01:04
愚乱破さん、レスありがとうございます。正直、かなり仕事がきつい状況ですが、ここに来るとリフレッシュできるところもあり、助かっています。

>私は以下のように考えています。
> 1.仏は自分自身の永遠の生命の奥底に常住している。
> 2.その仏を開く修行方法は菩薩道である。
> 3.「大聖人」は迷いの衆生に、そのための勇気と智慧を与えるために御本尊
>   をを顕わしてくれた。
>なぜ、3.となるのかは、正直に言って解かりません。しかしこれを信じること
は盲信になるのでしょうか?

「分からないけど、信じる」というのが直ちに「盲信」となるわけではないと思います。我々の生活は、ある意味常に、確実でないものに自分を賭け続けて生きているようなものですから。ただそこで信じる内容が、他人に強制されるものとなったり、他人の思想を攻撃するような性格を持ち始めたら問題でしょう。もちろん、このことは敢えてここで言うまでもないことでしょうけれど。
ただ、そこで「なぜそうなるのか?」と問うことは否定すべきことではあるまいと思っています。そして、日蓮の体系はそこで問うことが禁止されなければ正当性が維持できないようなものでしょうか? 少なくともそんなに脆いものではあるまいと思うからこそ、今もなお私は日蓮を読んでいるわけです。




900 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/01(火) 01:07

愚乱破さん

>次の文は大分前に書いたのですが、ここへ書きこむのをためらっていたものです。

やや御意図がつかみかねますし、最近の議論の流れから離れる内容ですので、最小限の「感想」だけ言わせていただきますと(ちょっと突っ込んだ議論は今はできません。すいません)、

>宗教の正邪が「国に及ぼす影響」とは関係があり
>ません。軍事力の差が「国を滅ぼし」政治の力が「国を安ずる」のです。

という意見には同感です(昼行燈さんの発言であった記憶がありますが・・・)。が、愚乱破さんのおっしゃる

>社会を良くしていくためには、やはり思想を正していくことからしないと根本的
>な改革はできないと思います。

というご意見に対しても、全面的に賛同いたします。しかし、そこで「宗教(定義にもよりますが、あくまで一般的なイメージで)」を解決策に出しては、おそらくこの「業」を断ちきることはできないと私は思います。ただ、法華経思想の素晴らしさを広めるだけでなく、他の思想の持つそれと対等の素晴らしさにもまた目を開き、受け入れていくということが平行してできれば、そして異なる立場のものが対等に共存できる寛容さと忍耐をお互いが持つことができれば、あるいはその「業」を断ちきる一つの可能性が開けるかも知れません。そんな感想を私は持ちました。

J.S.ミルに、「自分の立場から見ても、また『客観的』立場から見ても、どう見ても間違ったことを考えているようにしか見えない者が相手であっても、その存在を尊重し、価値を認め、決して『間違っているから』と排除しないということ、そこに民主主義の成否がかかっている」という旨の言葉があったと記憶しています(かなり私が加工しちゃっているでしょうが・・・(^^;)。 この考え方を前提とできる「宗教」というのは成り立ち得るでしょうか・・・?




901 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/01(火) 01:09

ひゃっきまるさん

詳しいレスありがとうございます。私からふっといてナンですが、また余裕のあるときに返答させてください。ただ私は「僕は、科学が普及し、真にその世界観が認識されれば、人種差別や階級差別はなくなるのではないかと思っています。」とまでは考えられません。その点は多少悲観的かも。

「空」のヤツは、また暇を見てアップします。「空」という題でスレッドをつくります。もう少しお待ちください。



902 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/01(火) 12:32
第7の外道さん<

お忙しい中、ご丁寧なご返事ありがとうございました。

> 「なぜそうなるのか?」と問うことは否定すべきことではあるまいと思ってい
> ます。そして、日蓮の体系はそこで問うことが禁止されなければ正当性が維持
> できないようなものでしょうか?

なぜ、そうなるかを問うことが禁止されているということは無いと思います。私
自身、色々考え(理証、文証、現証)ましたが、なぜそうなるかに関しては私に理
解できる論理は見出せませんでした。現証を否定することもできないので信じ(る
ことにし)た・・・ということです。

> やや御意図がつかみかねますし、最近の議論の流れから離れる内容ですので、
> 最小限の「感想」だけ言わせていただきますと

このスレッドは文献に重きを置いて検討されていますので、私も覚束ない知識で
参加させて貰いましたが、法華経も御書も非仏説、偽書と言われると、ちょっと
虚しい感じがしてきてしまいました。
私の周囲の学会員も御書は読んでも根拠や理由を求める訳ではなくそこに書かれ
ているご指導をいかに自分の生活の上に適用するかという読み方です。
そして、御書にもあるように周囲に迷惑をかけたりトラブルを起こさなようにか
なり気配りはしていると思いますが、布教活動だけは相手の考えとぶつかること
ですので、こちらの気持ちとは別にトラブルとなってしまうことも多いのかなと
思います。
それでも、一般の学会員は、先に書いた文のように21世紀に向かって本当に希
望を見出せる宗教・思想である考えていると思っています。という感想文でした。
唐突な書きこみをしまして申し訳ありませんでした。


903 名前: 若葉マーク 投稿日: 2000/08/01(火) 23:35
文底さん

>ところで、若葉マークさん御書は読解出来ました?

 うっっ! 痛いところ突いてます・・・。
 御書は、今のところ”置物”と化してします。 f(^_^;)
 今年中に、眺めてみるというか、発音してみるというか・・・解読は無理だと
 思います。(笑)

 このスレッドを見るようになって、半年が過ぎました。
 思い起こせば、仏教に関する知識などまるで持っていなかった私が、文底さんに”噛みついた”の
 が事の始まりでしたから、今更ながら”無茶なことをした”と思っています、オマケに文底さんを
 ”学会員”だと決めつけてしまったわけですから、とんでもない奴でした・・・(^^ゞ
 文底さんの、どんな書き込みに対しても誠意をもってレスをする姿勢には、本当に頭が下がり
 ます。 これからも、アホなことを言うかもしれませんが、よろしくお願い致します。



904 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/02(水) 00:17
ひゃっきまるさん

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=965142020

が例の「空」のヤツです。今見ると、そんなに突っ込んだ議論していた
わけでもなかったのかなと思いますが、よろしければ。

愚乱破さん
いえ、謝っていただくような事は何もありません。
こちらこそすいませんでした。m(_ _)m
愚乱破さんには何かと「面倒なヤツ」と映ることでしょうが、
今後もよろしくお願いします。




905 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/02(水) 09:27
第7の外道さん<

毎日、深夜の書きこみありがとうございます。どうかご無理をなさいませんよう。

第7の外道さんからの宿題を少し片付けたいと思います。(笑)

> 「覚りを得るための方法」は、それを実践する個人の資質などの条件に合わせ
> て多種多様なものがありえるので、ある一つの「方法」を唯一絶対視すること
> はあまり意味がありません。

仰ることは良く解かります。例えば、登山で頂上に達するルートがいくつかある
場合どれを選択するかはまさにそのようなケースに相当するかと思います。
しかし、本当に頂上まで行けるのはひとつだけだということが解かっていたとし
たらどうでしょうか?
また、法華経はそれまでの全ての教えを包含しているという立場もあります。
さらに加えて、一切の治世産業も法華経に違背しないとも示されていますね。
つまりその山全体が法華経だといっているようなものです。
・・・これでは、他の方法に勝ち目がないのは明らかですよね。

> ・・・その存在を尊重し、価値を認め、決して『間違っているから』と排除し
> ないということ、そこに民主主義の成否がかかっている」という旨の言葉があ
> ったと記憶しています。
> この考え方を前提とできる「宗教」というのは成り立ち得るでしょうか・・・?

本来、法華経の根本精神はまさにこのような「宗教」なのではないでしょうか?

(・・・しっかし、突っ込みどころが沢山ありそうですねぇ ドキドキ)


906 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/08/03(木) 15:30
>第7の外道さん

 「空」スレッドありがとうございました。

 僕はもともと、自分の精神的なものの解決のためにずっとこの板で、「創価学会批判者」のスタンスでやってきたのですが、だんだんそういうスタンスで議論していくのが嫌になってきました。というのは、僕の頭の中で、「創価学会」という存在のイメージや位置付けが変化してきたからです。なんというか、やっと先入観のない、一般人の感覚で学会を見る視点を手に入れることができたというか・・・。変な表現になってしまいますが、「二世の呪縛から解放された」という感じです。

 言いたいこと言って、聞いてもらえて、それなりに相手に受け入れてもらえて、すっきりして安心した、という感じです(下品な例でもうしわけないのですが、「排泄」によく似ています)。それも、聞いていただいた方々の大きさがあったればこそです。多種多様な立場の人の意見も深くきけたことも、大変感謝しています。このような機会は、実生活ではありませんでした。
 この先、脱会するか、再び信仰するかは自分でも分かりませんが、そういう曖昧な状態にたっている自分も悪くないと思ってます。このスレッドで、ない頭をしぼって、密度の濃い議論を続けていたせいか、今後はあんまりものを考えないで、なりゆきまかせに生きていこうと思ってます。

 それで、もうあまりこの板に顔を出さなくなるかも知れません。(2chに中毒症状をおこしはじめているというのもあります。いつも掲示板のことが気になってしまい、実生活がおろそかになってくるのです。これは非常に恐ろしいと思いまして。本当にあきれる凡夫ですが)
 ただ、実は、外道さんや文底さんとは、創価学会ということから離れて、個人的にお話していきたいなと思っているのです。先ほど「空」スレッドを読んでいてますますその思いが強くなってきました。機会がありましたら、いずれ「空」や「普遍的真理」などについてお話ししてくれませんか?

 今、一つだけ聞いておきたいことがあります。まだ僕の理解は不十分であると思うのですが、外道さんの、原始仏教・空の解釈は、おそらく、苦しみ・悩みを解消する、非常に有効なものであると思います。特に、現代人の抱える「心の」病に。
 しかし、「空」と考えることによって、理想や目標のない、無気力な生き方になってしまうということはないでしょうか? 「空」の考え方から言えば、そもそも、理想や目標がなければ価値的でない、というのは思い込みだ、ということになるかもしれませんが。「空」は、悩みを解決させ、心を軽くするのにはよいのかもしれないけれど、人生への積極的な気持ち、生きることの喜び、を喚起させるものではないと思うのです。
 素人まるだしの質問でもうしわけないのですが、お願いします。


907 名前: アルフ 投稿日: 2000/08/03(木) 16:13
>900の第七の外道さん

J.S.ミルの考え方、その通りです。
「マジョリティに対するマイナスワン(反対意見社)への扱いで
 真の自由が問われる」ということですね。
※J.S.ミル『自由について』

横レスでした。(^_^;)


908 名前: 文底 投稿日: 2000/08/03(木) 18:26
若葉マークさん

>このスレッドを見るようになって、半年が過ぎました。(中略 )オマケに文底さんを”学会員”だと決めつけてしまったわけですから、とんでもない奴でした・・・(^^ゞ

最初の頃のやり取り懐かしいです(お互い誤爆の連続でしたね・・)
私こそ若葉マークさんに色々教えて頂き、本当に感謝しています。
若葉さんならではのピリリと効いた「横レス」や「問題定義」これからも楽しみにしております。

第7の外道さん&愚乱破さん

最近チョッと書き込むのがキツイ状態ですので、具体的なレスは時間的余裕のある時にいたします。
何れにしましても、お二人の論議の推移は興味深く拝見させて頂いておりますので、夫々の御無理の無いペースで有意義に論議ください。
時間が取れたら、又、論議に加わらせて頂きます。

ひゃっきまるさん

>それで、もうあまりこの板に顔を出さなくなるかも知れません。(中略)ただ個人的にお話していきたいなと思っているのです。

ちょっと寂しいような気もしますが、実生活が第一義です。
また、其方を有意義に過ごされる為に、此処での議論が少しでもお役に立てたならば、私にとっても無上の喜びです。
どんな話題でも結構ですので、ひゃっきまるさんのお時間がある時に、又、新しい問題定義で論議致しましょう。
何時でも気軽に声をかけてください。
どうか体を大切にされて、勉学等お励みください。




909 名前: 佐田和成@本物 投稿日: 2000/08/03(木) 18:46
日蓮大僧正様、私はどうすればいいですか(ワラワラ


910 名前: 日蓮大僧正 投稿日: 2000/08/03(木) 18:55
>909
他人の名を騙るのをやめなさい。
ついでに、死になさい。遠慮しないで。ふぉふぉふぉ。


911 名前: 佐田和成@本物 投稿日: 2000/08/03(木) 18:58
死ぬほどの価値は私には有りません(ワラワラ


912 名前: >909.910 投稿日: 2000/08/03(木) 19:02
このスレでは創価・反創価・その他を問わず煽りや意味の無いレスは厳禁です。
ご協力をお願いいたします。


913 名前: 910 投稿日: 2000/08/03(木) 19:08
深く陳謝致します。>ALL


914 名前: 山崎次郎 投稿日: 2000/08/03(木) 20:33
まもなくここに平和神軍総督閣下であらせられる中杉 弘博士が登場されます。
中杉博士はあああ現代の唯一の聖者であらせられますからどのような質問にも
すべて答えられます。たくさんの質問をしましょう。


915 名前: 山脇大佐 投稿日: 2000/08/03(木) 20:39
予言。

皆さん喜んでください。
皆さんの疑問は、まもなく解消します。
この掲示板にて、中杉博士の御説法が聞けます。
現代の仏陀、中杉博士がもうじき登場されます。
皆さん!拍手でむかえましょう!


916 名前: 東郷提督 投稿日: 2000/08/03(木) 20:44
誰だ、その中杉博士という人物は。


917 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:45
誰それ


918 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:45
俺の子分かな


919 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:46
俺の子分なら病院にいて出てこれんからそれはないか。


920 名前: 山脇大佐 投稿日: 2000/08/03(木) 20:47
日本平和神軍は、混迷の時代に光をもたらします。
まさに「開目抄」の世界です!

皆さん、大きな拍手で、中杉博士をお迎えしましょう!

日本平和神軍
URL http://www.jade.dti.ne.jp/~shingun/


921 名前: 東郷提督 投稿日: 2000/08/03(木) 20:48
救世軍ではないのか?


922 名前: 山崎次郎 投稿日: 2000/08/03(木) 20:52
中杉博士のほかの掲示創価学会の青年に贈る

筋道たたずものごとを力ずくで解決すること、これを覇道といいます
いまの創価学会は勢力拡大のみが目的になっており筋道がない
君たちは世界平和の大合唱のもとに覇権をおこなおうというのか
それでは池田博士は法華経を唱えるヒトラーになってしまいます

大事なことは大きかろうと小さかろうと筋道です
人間を数ではかってはいけないのです
誠意と真心と寛容と祖国愛と先祖に対する敬虔な態度と
天皇にたいする忠義の心のみが日本のためになり世界のためになるのだ
君たちがおべんちゃらで韓日友好をいうとき
君たちがおべんちゃらで中国をたたえ韓国をたたえ
自国の歴史を踏みにじる時
日本の多くの青年に奴隷根性と罪悪感と先祖にたいする侮蔑のこころを植え付け
それはやがて青年を破壊し国家・民族すら破壊することになるのです

他国の悪口を言う必要はない
自国の悪口を言う必要もない

他国の誇りを認めるなら
自国の誇りも認めねばならない

折伏精神とは覇道ではない
どこまでも道理と筋道の闘いのはずだ
そして慈悲の闘いであるはずだ
数でものを考えるなら
そこにはすでに折伏精神はない

覇道の末路
それは突然くる
正しく仏法を学びなさい
祖国を愛しなさい
日本の歴史に誇りをもちなさい


923 名前: 野中中佐 投稿日: 2000/08/03(木) 20:55
 皆さん!正しき思想、正しき歴史観、正しき哲学、正しき宗教、
 全て平和神軍にあります。
 全ての混乱、無秩序、宗教、思想の間違いは平和神軍に来れば解
 決します。平和神軍、中杉博士は現代の救世主です。



924 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:57
俺の仲間かも


925 名前: 山脇大佐 投稿日: 2000/08/03(木) 20:57
中杉博士とは、恩義口伝を全巻講義された御方です。
(講義150巻)


926 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:57
俺の仲間かも


927 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/03(木) 20:59
恩義口伝ってなに?


928 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/04(金) 00:22
御義口伝のことかな?


929 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/04(金) 12:21
電波系の方々答えてよ。


930 名前: 逝け打代作飲尿健康法 投稿日: 2000/08/04(金) 12:44
講義しても聴いてる奴はいなかったってところだろうか?



931 名前: 山崎次郎 投稿日: 2000/08/04(金) 13:54
いよいよ外国人参政権がとおされるぞ。野中が断言した。
みんな朝鮮奴隷にされる。絶対反対しょう。http://www.jade.dti.ne.jp/~shingun/index.html



932 名前: やっぱり飲尿健康法D柵 投稿日: 2000/08/04(金) 13:55
恩義口伝


933 名前: 投稿日: 2000/08/04(金) 14:06
このスレと論旨が違います。
別にスレを立てたようですので早急にここからの退出をお願いします。


934 名前: 佐田和成@本物 投稿日: 2000/08/04(金) 14:11
うるさい(ワラワラ


935 名前: 飲尿会長 投稿日: 2000/08/04(金) 14:17
恩義口伝?は分からんが御義口伝なら日蓮の思想も入っているだろうに
理屈のわからんやつじゃなあ。
喪家仏法の方程式として言っておくぞ。



936 名前: ZEGA 投稿日: 2000/08/04(金) 23:44
>ひゃっきまるさん
ありゃりゃ、お忙しくなってきてしまいましたか。スレッドの方向が僕にとっても興味深いものとなっていたので、流れを乱すのも何だなぁ、と復帰しあぐねていたところだったのですが、状況が変わってきたのでは割り込まざるを得ないので、書き込ませていただきました。

それで、「法華経非仏説」の検証のほうはどうしましょう?
無理に引き止めてひゃっきまるさんの生活を阻害するのは本意でないので、どうするかはひゃっきまるさんのご都合に合わせたいと思います。それで、考えられる方向性としては、

1.気が向いたときに書き込む、というかたちで気長〜に進める
2.メールやICQで検証を続ける、もしくはまったく別のサイトで専用の掲示板をつくり、そこで討論する
3.この討論を中断する

書き込みの内容について考えるだけで一日が過ぎてしまったり、ページを読み込んでいるあいだに、「どれどれ……」なーんて呟きながら他の板を覗いて何時まで経っても寝られない(なんという意志の弱さでしょう!)ということがとてもよくあるので、2ch中毒はとてもよくわかります。

僕もまた僕もまた典型的学会人の一人として、なんとなくカタに嵌まった方向性に居心地の悪さを感じていたのですが、なんとなくスッキリとした感覚を得ています(信心が揺らいだ、というのではなく、浮ついていたところが固まった、という感じです。分かってもらえるでしょうか……?)。不思議な感じです。

>ALL
僕もまた「空」の捉え方に関する他の方々の意見や、人生の指針など、語り合いたい事柄が沢山あります。一度、常連の方々と諸々の興味深い事柄についてチャットしてみたら楽しいな、なんて思います。


937 名前: ZEGA 投稿日: 2000/08/04(金) 23:47
>ひゃっきまるさん
ありゃりゃ、お忙しくなってきてしまいましたか。スレッドの方向が僕にとっても興味深いものとなっていたので、流れを乱すのも何だなぁ、と復帰しあぐねていたところだったのですが、状況が変わってきたのでは割り込まざるを得ないので、書き込ませていただきました。

それで、「法華経非仏説」の検証のほうはどうしましょう?
無理に引き止めてひゃっきまるさんの生活を阻害するのは本意でないので、どうするかはひゃっきまるさんのご都合に合わせたいと思います。それで、考えられる方向性としては、

1.気が向いたときに書き込む、というかたちで気長〜に進める
2.メールやICQで検証を続ける、もしくはまったく別のサイトで専用の掲示板をつくり、そこで討論する
3.この討論を中断する

書き込みの内容について考えるだけで一日が過ぎてしまったり、ページを読み込んでいるあいだに、「どれどれ……」なーんて呟きながら他の板を覗いて何時まで経っても寝られない(なんという意志の弱さでしょう!)ということがとてもよくあるので、2ch中毒はとてもよくわかります。

僕もまた僕もまた典型的学会人の一人として、なんとなくカタに嵌まった方向性に居心地の悪さを感じていたのですが、なんとなくスッキリとした感覚を得ています(信心が揺らいだ、というのではなく、浮ついていたところが固まった、という感じです。分かってもらえるでしょうか……?)。不思議な感じです。

>ALL
僕もまた「空」の捉え方に関する他の方々の意見や、人生の指針など、語り合いたい事柄が沢山あります。一度、常連の方々と諸々の興味深い事柄についてチャットしてみたら楽しいな、なんて思います。


938 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/05(土) 09:28
age


939 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/05(土) 14:59
ZEGAさん<

ZEGAさん宛ての書きこみは初めてですが、よろしくお願いします。
ここのところ常連さんの書きこみが少なくなったら、急に不思議な書きこみが
増えたような気がします・・・(笑)
ひゃっきまるさんが来てくれないと論議の方向が見えなくなりそうですね。



940 名前: 中杉弘 投稿日: 2000/08/05(土) 15:20
いよいよ仏陀として僕が登場します。なんでも聞いてください。分からんことは知らないこと以外ない。
まず、ご挨拶として諸君に問題をだします。存分にこたえてください。
問題 1 色心不二について考えることをのべてください。



941 名前: >940 投稿日: 2000/08/05(土) 16:57
>分からんことは知らないこと以外ない。
そうですか.あんた死ぬまで生きられるわ。


942 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/05(土) 17:00
>941
脱字は無いですか?


943 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/05(土) 17:01
>940恩義口伝
はどうなのよ?
でも出してる問題からみると喪家のなりすましだな。
電波になりすまさなくても元から電波だから意味無いじゃん。


944 名前: 飲尿会長 投稿日: 2000/08/05(土) 17:17
このスレの感想なんだが。
電波の人間が『日蓮』の突っ込んだ話題に切り込むかと見せかけて
逃げていき。
その他はあんまり関係の無い周辺の知識でお茶を濁している。
当り障りの無い会話は2ちゃんねるにはソグワナイ気がする。
どうせやるなら『ずどん』と切り込んだ面白い話をしようや。


945 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/05(土) 22:14
> 940

 あんたに書き込んでくれなんて誰も頼んでません。
 ここは創価を語る場であって、アナタたちの団体の宣伝を
聞く場にあらず。

 自分達の団体の宣伝なら早々に自らのWWWページへお引き取り下さい。



946 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/08/06(日) 00:22
>ZEGAさん
 誤解させてしまってすみません。ZEGAさんとの議論は忘れていたわけではありません。前回、あまり顔を出さなくなるかも、と言いましたが、全く来なくなるわけではないので、

>1.気が向いたときに書き込む、というかたちで気長〜に進める
>2.メールやICQで検証を続ける、もしくはまったく別のサイトで専用の掲示板をつくり、そこで討論する
>3.この討論を中断する

 1ということになります。ZEGAさんが議論を始められるのであれば、僕の方はいつでもOKです。ペースは遅くなるかもしれませんが。ただ、「法華経非釈迦説の検証・創価学会の正当性」についてですが、このスレッドではみさき23区さんと昼行燈さんとの経緯を見守ってから、と僕は思っていました。もしよろしければ、

 「牧口会長スレッド」(創価大学の良いところについて)
 「やってみなければ・・・スレッド」(態度決定のプロセスについてなど)

 の二つのスレッドを先にやりませんか?

>僕もまた僕もまた典型的学会人の一人として、なんとなくカタに嵌まった方向性に居心地の悪さを感じていたのですが、なんとなくスッキリとした感覚を得ています。

 「その気持ち分かる」と、退転者である僕が言ってしまったら、失礼に当たるかも知れませんね(^^)。でも、ZEGAさんと僕は少し感性が似ているところもあるな、と思いました。見当はずれの考えかもしれませんが、僕は、「二世(三世)であるがゆえに、積み得ない経験」はあると思うのです。むしろ、一度は大きく信仰に揺らいだ方が、かえって地に足のついた、本当の信仰者になれるのかもしれませんね。


>文底さん
 御心遣い本当にありがとうございます。上記しましたように、完全に来なくなるわけではないので、今後ともおつきあい願います。


947 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/06(日) 00:39
レスが遅れて申し訳ありません。今週もかなり開いてしまいましたが、来週・再来週もこんな感じが続きそうです。

>愚乱破さん(905)
いろいろ気遣い申し訳ありません。ご期待(?)に応えて、ちょっと「突っ込み」モードで行かせていただきます。

>しかし、本当に頂上まで行けるのはひとつだけだということが解かっていたとし
たらどうでしょうか?

それは、随分無理のある仮説だと思いますよ・・・(^^; その「一つ」というのは、学会の立場だというのが含意されているわけでしょう?

>また、法華経はそれまでの全ての教えを包含しているという立場もあります。

そういう立場もあるでしょう。色々な形で存在する数多い「立場」の「一つ」として。

>つまりその山全体が法華経だといっているようなものです。
>・・・これでは、他の方法に勝ち目がないのは明らかですよね。

まるで自分がいる場所をゴールとし、自分が辿ってきた道を「唯一のもの」と定義した上で、「このゴールにたどり着くのにはこの道以外にはない。他の道ではムリだ」と言っているように聞こえます。




948 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/06(日) 00:40

>> ・・・その存在を尊重し、価値を認め、決して『間違っているから』と排除し
>> ないということ、そこに民主主義の成否がかかっている」という旨の言葉があ
>> ったと記憶しています。
>本来、法華経の根本精神はまさにこのような「宗教」なのではないでしょうか?

法華経の根本精神がこのようなものであるというのは、私にもおぼろげながら分かります。でも現状においては、法華信仰の立場を上で言う「民主主義」と直ちに重ねるべきではないと思います。法華信仰、キリスト教、無宗派、オウム真理教、法華信仰を批判する立場・・・などといった異なる思想的立場の間に考えられるべきものがここで言う「民主主義」であって、その中の一つの立場を全体を包摂する立場に安易に重ねることは私は反対です。無論「民主主義」も一つの立場であると言えば、確かにそう言えないことはないでしょう。そして誰もが必ず何か特定の「立場」を選択している身です。そこに難しさがあります。しかしその難しさを、皆が少しずつでも分け持たなければ「異なる価値を奉ずる者同士の平和共存」は不可能でしょう。




949 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/06(日) 00:40

ひゃっきまるさん

あまり顔を出さないようにする、ということですが、個人的に残念に思う反面、それもやむなしという気もしないでもないです。というのも、これまでのひっゃきまるさんの書きこみは質量ともにかなりのもので、これは負担も相当なものだったろうと感じられたからです。
これからは一レス一問題、といったペースでのんびりやっていくのがいいかも知れませんね。またちょくちょくどうぞ。

「空」の件ですが、私もそれを「体得」しているわけでは全くないので何とも言えません。が、おそらく「理想や目標のない、無気力な生き方になってしまうということ」はないと思います。理想や目標目指してがむしゃらに進む、という生き方にはそぐわないと私も思いますが、私個人の感想では、それは「遊び」の精神に通ずるというのか、「どのような境遇にあっても、常に今を楽しむ」といった精神に通じていくのではないかと思っています。ただこの辺を詳しく論ずるには、ちょっと場を変えたほうがいいのではないかと思います。

>機会がありましたら、いずれ「空」や「普遍的真理」などについてお話ししてくれませんか?

ここしばらくはちょっと難しいですが、今の仕事が一段落ついたら、ぜひ・・・。ここには定期的に顔を出すはずですから、また誘ってください。
 


950 名前: みさき23区 投稿日: 2000/08/06(日) 04:01
>「法華経非釈迦説の検証・創価学会の正当性」についてですが、このスレッドではみさき23区さんと昼行燈さんとの経緯を見守ってから、と僕は思っていました。

このテ−マでの議論についても、昼行燈氏であれ、どなたとでも非戦闘モ−ドで語り合う用意はあります。
皆様方次第です。


951 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/06(日) 10:13
第7の外道さん<

常連さんの皆さんがお忙しそうで、ちょっと停滞気味ですが、ゆったりやって行きま
しょうね。

> >しかし、本当に頂上まで行けるのはひとつだけだということが解かっていたとし
> >たらどうでしょうか?
> それは、随分無理のある仮説だと思いますよ・・・(^^;
> その「一つ」というのは、学会の立場だというのが含意されているわけでしょう?

現段階でこの仮定に、それほど拘るつもりはありませんが、どこに無理があるとお考
えですか? 「一つ」ということですか? 「解かっている」ということですか?

一般論として、目的を達成する手段を考える時・・・
1.現在知られている手段は無い
2.唯一有効な手段が有る
3.複数の手段が認められている
  3−1 環境(縁)によって最適な手段が変化する
  3−2 環境(縁)に拘らずに一つの最適な手段が有る
・・・というようなケースを考えることは無理とは思われませんが・・・

このスレッドは学会が「唯一」を主張する根拠を検証しようとしてますよね。
それを仮説としてすら認め難いとする根拠を教えて下さい。

登山の例えは、覚りを得る方法を考える時の例えとして出したものですので、直ぐに
学会の立場云々ではなく「南無妙法蓮華経の曼荼羅に唱題すること」等が検討される
べきではありませんか?

お忙しそうですので、今回はここまででということで・・・(笑)


952 名前: 第7の外道 投稿日: 2000/08/07(月) 00:36
愚乱破さん

>登山の例えは、覚りを得る方法を考える時の例えとして出したものですので、直ぐに
学会の立場云々ではなく「南無妙法蓮華経の曼荼羅に唱題すること」等が検討される
べきではありませんか?

まさにおっしゃる通りですが、では愚乱破さんとこの先議論を続けるにあたって、学会で言う「さとり」(という言い方でいいのでしょうか?)を、「本覚思想」的ロジックで把握するのを前提にしてよろしいのでしょうか? そう決めてかかっていくのもそれはそれで問題がありそうな気がしていたのですが。

>現段階でこの仮定に、それほど拘るつもりはありませんが、どこに無理があるとお考
えですか? 「一つ」ということですか? 「解かっている」ということですか?

私もこの比喩に拘るつもりはないのですが、どこに無理があるのかを尋ねられれば、強いて言うと「だけ」でしょう。下手な例で恐縮ですが、数学でも、解自体はまだ知られていなくても、それが「一つだけ」と決まってくるにはそれなりの条件があります。問題が2次方程式の形をとっているのに、解は「一つだけ」と予め決めておくのは間違いでしょう? その条件が示されない限り「一つ《だけ》と解っている」ということは、やはり無理があるのではないですか? 「解は少なくとも一つはあり、それは学会の方法である」というのなら私も否定するつもりはありませんが。
そういう条件からして特に知られていない今回のような場合は、愚乱破さんの提示されたものを使わせていただくなら、3「複数の手段が認められている」から出発すべきで、2「唯一有効な手段が有る」から出発すべきではないと思うのですが(最終的に「これが唯一である」という結論が出るのは一向に構わないと思いますが)。私の考え方は間違っていますか?

それともし何でしたら、948における私のレスに対するご感想もお聞きしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?

申し訳ありませんが、上でも書いた通り、次のレスは下手するとまた週末、ということになる可能性があります。ご返事あった場合、極力すぐ対応するようにいたしますが、即対応ができない場合はご容赦ください。じっくりゆっくり進めていきましょう。




953 名前: ZEGA 投稿日: 2000/08/07(月) 01:30
時々このスレッドが見れないときがあります。この板からどういうわけかこのスレッドがすっぽ抜けてしまうのです。何故なのでしょう?

>愚乱破さん
遅れ馳せながら、こちらこそよろしくお願いします。愚乱破さんの書き込み、興味深く読ませて頂いてます。
ひゃっきまるさんも、お忙しい中を時間を割いて書き込んで下さるようなので大丈夫だと思います。

>ひゃっきまるさん
一つの問題をきっちりと片付けずに次の問題に取り組み、さらに次の問題を……と目移りして、結局どれも中途半端に終わる、というのが、僕の最大にして最悪の短所であることを自覚しているので、法華経についての討論は、現在の論点が整理されるまでもう少し待ってください。

>みさき23区さん
何れ必ずこの論議を再開させて頂くので、どうかしばしお待ち下さい。
あなたのご意見も心待ちにしているので、そのときはどうぞよろしくお願いします。

>「空」について

原始仏教の教えの根幹が「空」であることは間違いないと思いますが、本当に「空=諦念」であるならば、それは人間として幻滅してしまいます。僕は人間を後ろ向きにし、生の価値を貶める全ての思想を否定します。
例えば、人間の生涯が「一切皆苦」ならば、死して西方浄土に望みをつなぐ、という方向になるのは必然ですこれは残された人間の悲しみを考えない自己中心的な宗教であると思うので、僕は思想としてまず少なくとも念仏を否定します。
折を見て話し込みたいネタなので、今日はこの辺で風呂敷をたたむ事にしますが。

「大乗非仏説」の問題に付いて各人各様のご意見があることとは思いますが、それを一先ず差し置くこととするならば、人間の根本的姿勢を決める思想として法華経と日蓮仏法が大変に積極的であり、価値的であると思います。このことは僕が信心をしている理由の一つです。

完全な横レス、申し訳ありません。


954 名前: ZEGA 投稿日: 2000/08/07(月) 01:51
書き忘れをば。
>ひゃっきまるさん

> 「牧口会長スレッド」(創価大学の良いところについて)
> 「やってみなければ・・・スレッド」(態度決定のプロセスについてなど)
> の二つのスレッドを先にやりませんか?

ええ、慌てず急がず、マターリとやりましょう(笑)。


> 「その気持ち分かる」と、退転者である僕が言ってしまったら、失礼に当たるかも知れませんね(^^)。でも、ZEGAさ>んと僕は少し感性が似ているところもあるな、と思いました。見当はずれの考えかもしれませんが、僕は、「二世(三世>)であるがゆえに、積み得ない経験」はあると思うのです。むしろ、一度は大きく信仰に揺らいだ方が、かえって地に>足のついた、本当の信仰者になれるのかもしれませんね。

僕はとかく典型というものが嫌いなのです。形式が本質を忘れさせてしまう事が往々にあるからです。
今の学会や会合のあり方については不満も少なからずあります。例えば、学会歌を歌うときに、予め指揮者を決めておきながら、「指揮希望者ッ!!」と人を募るフリをするところとか。
しかし、高校時代の恩師が、「大好きだったり大嫌いだったりする人がいたとして、その人に一点悪いところやよいところがあるのを見て、正反対の評価にガクーンと傾いていたのは公正ではなかった」という話をしてくれたことがあります。ですから、種種の問題を抱えつつも、良いところを大いに持っているので、僕は創価学会を捨てません。
また、別の恩師が、「信心は一度疑ってからまたいらっしゃい」というようなことを語ってくれたことがありました。これは僕に対していった言葉ではありませんでしたが、今になってはどちらの恩師の言葉も良く分かるな、と感じています。
この先ひゃっきまるさんがどのような心情の変遷を辿るのかは分かりませんが、僕としては全てを納得づくで信心をされる事を願っています。
しっかし僕の書きこみ長くてウザイですねぇ(苦笑)


955 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/07(月) 11:02
第7の外道さん<

> 愚乱破さんとこの先議論を続けるにあたって、学会で言う「さとり」(という
> 言い方でいいのでしょうか?)を、「本覚思想」的ロジックで把握するのを前
> 提にしてよろしいのでしょうか? そう決めてかかっていくのもそれはそれ
> で問題がありそうな気がしていたのですが。

私見にはなりますが、「さとり」という時は「本覚思想」的ロジックで把握して
も問題がないと思います。

> 数学でも、解自体はまだ知られていなくても、それが「一つだけ」と決まって
> くるにはそれなりの条件があります。問題が2次方程式の形をとっているのに
> 解は「一つだけ」と予め決めておくのは間違いでしょう? その条件が示され
> ない限り「一つ《だけ》と解っている」ということは、やはり無理があるので
> はないですか?

仰ることは理解できます。解をこれから求める時は確かにそうですが、解らしい
ものが既に幾つか示されていて、例えば一次方程式のように解が一つしかない時
のような場合を想定してみました。その場合は一つが確かに解であることが証明
されれば他は検証する必要が無いのでは、というような意味合いで提示しました。

脱線しますが、オペレーションリサーチのセールスマン問題のように訪問すべき
場所が幾つか設定されて、この全てを訪問する最短ルートを求める場合、解の候
補は訪問先の階乗通り有りますので、これを単純に検証しようとすると訪問先が
10ヶ所でも360万通りの比較検証が必要になります。15ヶ所ならなんと
1兆3千億通りにもなります、そしてこの中に少なくとも一つの解があります。(笑)

さて、話を戻しますが「複数の手段が認められている」から出発すべきとのご意
見でよろしいと思いますが、外道さんは「認められる」を「認可」されるという
意味で使われてますか? 私は「認知」されているいう意味で提示したつもりだっ
たのですが・・・言葉って難しいですね。(私の使い方が不適切なだけかも)

そうすると、どの手段が認知されているのかが次の問題になると思うのですが・・・


956 名前: ひゃっきまる 投稿日: 2000/08/07(月) 12:25
>ZEGAさん
 横レスです。少し気になったもので。

>原始仏教の教えの根幹が「空」であることは間違いないと思いますが、本当に「空=諦念」であるならば、それは人間として幻滅してしまいます。

 浅学なもので恥をさらすかもしれませんが、原始仏教(といってもこれは推測しかできないものですが)では、「空」はさほど中心的な概念として出てくるわけではなかったと思います。般若経に代表されるような、「菩薩乗」を説く大乗教典において、成仏するための方法論として、根幹的な地位に引き上げられたのだと思っていました。また、「空=締念」という思想も、仏教にはないと思います(この場合の締念が諦めという意味ならば) 。

>第7の外道さん

 ただ、部派までの仏教が、現世否定的な色合いが強く、利己的に陥りやすいものであったがために、そのアンチテーゼとして大乗仏教が生まれたであろうことを考えると、釈迦直説の仏教を支持する外道さんとしては、その点どのように解決をつけているのか、ということには僕も興味があります(前回の質問はその一端でしたが) 。
 これへのレスは不要ですが、もしよろしければ、場所を変えて少しやり取りしたいと思うのですがいかがでしょうか? 新規スレッドを立ててもよいのですが、「空」=>ひゃっきまる氏 スレッド を再利用してもよいのではないかと思います。


957 名前: 中杉 弘 投稿日: 2000/08/07(月) 12:31
これは重要は問題です。「色心不二」について答えなさい!
この問題の正確な理解なくして仏法は語れない。なぜそういうかといいますと
ここの全員がこの問題に答えられないと思うからです。
僕は戸田城聖先生の一番弟子、石田次男門下として諸君の答えを求めているのです。


958 名前: 魔狩人 投稿日: 2000/08/07(月) 13:05
創価学会の会員の皆さん
あなた方は、人の意見を聞かないで批判する割に、人の質問には全然答えないんだね。
もし違うと言うなら、この問いに答えてみて下さい。
日本神道の根本の精神はなんであるか?簡潔に答えなさい。




959 名前: 愚乱破 投稿日: 2000/08/07(月) 13:06
第7の外道さん<

民主主義に対する外道さんの見解に対する感想ですが・・・

> 皆が少しずつでも分け持たなければ「異なる価値を奉ずる者同士の平和共存」
> は不可能でしょう。

これを結論に持ってこられると疑問が生じます。というのは確かに「民主主義」
は基本として尊重される重要